はてなキーワード: そんなもんだろうとは
趣旨は上の通り。
自分がオタクだと自認するようになってからこっち、10年以上にわたって、オタク差別けしからんと言い続けてきた。
ここ数年、なんとなくそれに違和感を感じることが多くなってきたけれど、それでもやっぱり言い続けてきた。でも今回はっきりわかった。
オタク差別批判とか、ただの害悪でしかない。もうやめたほうがいい。
差別というのは、権力構造に根差すものであるという話をだいぶ前にツイッターで見た。
つまらない約束事のように映ったけれど、まじめに考えるとこれを踏まえないから、差別を相対化して見せては矮小化や言葉遊びにふけるような態度が出てくるのである。日本人ヘイトだの専用車両は男性差別だの在日韓国人による逆差別だの、差別者以外にとってはおもしろくもおかしくもない大喜利パズルでここ何年かでいったいどれだけ無駄な足止めにいそしんでいたというのか。ちゃんとベースを踏まえてこそ、くだらない袋小路にはまらないで済む。これはちゃんと物理を学んでいない人がブルーバックスくらいだけに目を通しただけで「矛盾」を発見し、相間さんと化すときに似ている。
今まで自分が存在していると思っていたオタク差別は、多分差別ではない。それは、いじめであり、パワハラであり、DVである。
そう視点を変えた方が、いろんなものが整合性をもって見える。中学校時代よくいじめにあっていた同級生は、オタクじゃなかった。正確に言うとオタク「も」いた。
でもそれは、そいつと俺が割と仲が良いから知っていた話で、きっかけは別のところにあった。運動音痴だから足手まといだという扱いだったり、成績がよくて生意気だという扱いだったり、DQN憧れの男の子の彼女だからだったりした。
もちろんきっかけが「オタクだから」というケースもあるんだろう。でも、それはこういったきっかけのワンオブゼムでしかない。それを、民族差別や女性差別と並べるのは、視野が広い人間ではなくただの雑な人間だ。
「差別じゃない」というのは、多分そういうことなのだ。そして、差別じゃないから批判の対象にする必要はないという話では、たぶんない。別の枠組で批判すればいい。
なのにもかかわらず、熱心にじゃああれは差別じゃないんだーという大喜利ばかりをしているツイートばかりが「オタク」から流れてくる。いや、どうしてもそこのところをわかりたくないのかもしれない。
わかりたくないのか、わかろうとしないのか、本当にわからないのか、どれなんだ。
いろいろ、「オタク差別の事例」というのが流れてきた。前なら、そうだそうだと怒りをぶちあげたであろうものがたくさんある。でもそれはどれもこれも、オタク差別の事例ではない。
そういうものを引いて行って、ある程度確実にあったんじゃないかと思えるのは、「マスコミを通じたもの」だと思う。特にバラエティやニュースを通したもの。
それで思い出すのだけど、俺の中高時代はあんまりオタクがいいとか悪いとかいう意識を持つことじたいあまりなかった。今思えば自分の机でいつも小説を読んでいて、たまたまホームページの話になったとき「私も持ってる」と言ったのでURLは?と何の気なしに尋ねたらそれはちょっと……みたいに返してきた女の子なんかはオタクだったんだろう。自分だって漫画は好きだったしオタクだったはずだ、今にして思えば。
じゃあ、そこにどうやってオタクキモイみたいな「偏見」の存在を知らされたかっつーと、漫画だったりインターネットだったり、そして「オタク自身の言説」からなんだよね。
だって、バラエティ番組なんて中二病まっさかり(高校になっても中二だったので)でほとんど見てなかったし。ニュースといってもこの手の話ってだいたいワイドショーである。やってる時間は学校にいるんだから見るわけがない。
金田一少年の事件簿には、小太りですぐキレ気味になる、「オタク」が登場した事件があった。こち亀で、美少女フィギュアを専門とする「色白でアニメ好き」なオタクが登場して、硬派フィギュアマニアのつもりな両津が逃げ出すという展開が「オチ」として機能していた回があった。名探偵コナンのホームズフリークの回は……さすがにこの文脈で語るものではないか(でも動機の酷さは「オタクなんてそんなもんだろう」という共通認識が背後にあるような気がする。知らんけど)。
テキストサイトが一世を風靡していたころ、オタクやオタクに向けられたコンテンツは叩かれる「べき」もの扱いだった。非オタク向けの、スポーツとかファッションを語るページに迷い込んだら叩かれたという話ではない。漫画の感想サイトや、漫画やゲームをメインで扱う日記サイトでの話である。
何を言っているか分からない人もいるかもしれない。例えば、ラブひなやいちご100%やBLACK CATは、軟弱な頭の弱いオタクのためのコンテンツであり、あんなものにゲヘゲヘゆってるオタクマジキモイ。ホイッスルやミスフルやテニスの王子様は腐狙いコンテンツであり、あんなものに(ry そういう話である。この範囲は結構広くて、らんま1/2やH2ぐらいでもオタク向け扱いされることがあった(もちろん、当時これらが連載されてたわけではない。あれってオタ向けの駄作だったよね―みたいな扱い)。
もちろん彼らが持ち上げるコンテンツというのもあったのだが、この文脈で実例を挙げるの風評被害でしかないので避ける。俺の好きな作家や作品も混じるし。
テキストサイトだけではなく、2ch(当時)もそんな感じだった。少年漫画板とかそのへんをよく覗いていたのだが、まあ当該作品のスレは愛読者が集まるのでそうでもないこともあるのだが(そうであることもある)、総合系スレでのオタクコンテンツ叩きはかなり強固だったし、漫画とか関係ないジャンルの板だとなおさらだった。
そういうものにどっぷりつか……もとい接しているうちにオタクというのは叩かれるべき存在であるのだなというぼんやりとしたイメージが自分のなかで出来てきた。これにもう一つ後押しするように影響したのが、自分はオタクだと称する人が、迷惑行為や触法行為のようなものを自慢しながら、「ホラ俺たちオタクだからさ」みたいに語っている文章に接する機会があったのも、ああそういう人がオタクなんだなと認識させられた。
ちょっと話はずれるけれど、当時は、オタクとマニアの違いなんていう言い方があって、オタクはそういう迷惑なものを抱えた側の人間やハマりすぎて社会に順応できなくなっている人間、というような線の引き方もあった。
これは、あくまで俺の話である。だから、他の人がどう偏見を植え付けられたかは、また別の話があるかもしれない。でも、オタク差別を煽ったものとして、「漫画」「インターネット」「オタク自身」という声を、この話でオタク差別に怒っている人の口から出てくるのを見ないのだ。
ここで挙げたのは、知る人ぞ知るみたいなのじゃなく、だれもが知る有名漫画、リドミで上位常連の大手サイト、オタク文化人として今でも名前を出せば通じる、みたいなのばかりを念頭においている(まあ当時のインターネット文化がそもそも、知る人ぞ知るなものでしたけど)。みんな、俺とは違う漫画やインターネットを見ていたんだろうか。ワイドショーやバラエティばかりを見ていた「オタク」がそんなにたくさんいたんだろうか。
本当に不思議なのだ。あそこでこんなオタクへの偏見に満ちた報道があったんですよっ!というようなツイートは大量に流れてくるのに。
これが本当に、ここ数年で疑念として大きくなった末に、今回愛想がつきた一番のポイントなんだけど。
オタクが差別を受ける構造が、あったとする。それは、ネットで語られているほどは大きくないかもしれないけれど。
それで、今、オタクってなんなんですか、と。特にネット上では、強者、抑圧する側、差別を行使する側の「集団」として機能してませんか、と。
腐女子叩きは昔からあったけれど、女叩き、中韓叩き、などは当たり前のように横行している。時々流れてくる、弱者の権利をなんとかして奪ってやろう、人権思想じたいを矮小化してやろう、という意気に満ち満ちたツイッター漫画は誰によって大量RTされているのだろう。俺のところにはだいたいオタクさん経由で回ってくるんだけど。
趣味、という切り口でみても、オタク文化を愛好する人が自分たちと関係のない趣味なら平気でdisる光景というのはそんなにたぐいまれだっただろうか。インスタ蠅なるイラストが回ってきたことがある。そもそもインスタに投稿するのが趣味になっているような女性を叩くようなツイートが回ってきたことがある。鉄オタは「池沼」「ガイジ」であるなんて言い方もある(「」内は原文の表記を尊重)。ゴルフや車などを老害の趣味だとバカにしていたりもする。そうそう、スイーツ(笑)なる言い回しはいったいどこのどういう人によって流行したんだろうか。「リア充爆発しろ」というフレーズに何げなく込められた、自分と関係ない集団への軽視に、どれだけの人が気づいてたんだろか(だって「爆発しろ」だよ。あの連中、有明に15万人集まったタイミングで奴等爆発四散しねえかなーって非オタな人が言ってそれがそっちの界隈で大好評を博したら、インターネットな皆さんの間でどういう反応が起こるか考えてみたらいい)。
そんなオタクばかりじゃないというのは分かる。というか俺がこういう文章を書いてる時点で分かれ。でも、個の話じゃないのだ。集団としての性質の話である。あれだけ、全共闘や学生運動について冷笑ぶって叩く人が追いのに、そこに気づかないってどうかと思う。あとリア充爆発しろは使ってましたすいません。
それに、そういったところで、こんなふうにちゃんと抵抗して、こんなふうに批判して、中から自浄する動きを作りました、このコンテンツからは離れましたと胸を張って言える事例、どれだけあるんですかね?俺が、ノットオールオタクと言い続けたところで、結局「自分を批判の対象から外してくださいあいつらは関係ない」と逃亡する以外に何の役回りも果たせなかったから、言っているのだ。この記事は違うよなあ~こういう作風は好きじゃないなあ~こういう物言いはよくないよなあ~と個別の案件に不満ごちてみせ、自分は違うと思う、もっというなら思ってみただけで、肝心なところからは目をそらしていたんじゃないか? そう思うんである。
逆に、そこに自覚的になったんだろうな、と思える人も何人か知っている。そういう人は、結局C.R.A.C.やツイフェミのようなところに接近し、そのやり方すべてに同意はしないまでも、見解や思想に共感するようになっていく人がほとんどだ。おそらく今回「オタク差別」に怒っている人は、この人たちを敵であり、オタク仲間と認識していないと思う。
つまり、オタク文化の加害者としての側面を見ないふりするか、オタクに勘定してもらえなくなるか、二つに一つということだ。
C.R.A.C.の野間氏は個人的には大嫌いだし、たぶん単にオタクが嫌いなんだとは思う。でも今回ツイートの応酬を見ていて、残念ながら主張にそれなりに同意せざるを得なかったのは、こういう背景について理解できてしまったからだ。そこで突然くっちゃべられる「オタク差別」。真面目に反差別を考えている人にとっては(多分そこは真面目なんだと思う。この人)、筆算の横棒がミニ定規で引かれていないから×、レベルの見当違い感があったんではないか。野間氏の真意など知らないけれど。
そういえばその昔、本田透の「電波男」に感銘を受けながら読み進めていて、後半のほうで腐女子やフェミニストについてはずいぶん切り捨てたような言及の仕方なのに疑問を持ったことがあった。いや、フェミニストがオタクを差別している、という文脈で批判してるなら理解できるんだけど、そうじゃなかったから。権利意識を持つ女性自体が許せなさそうだった。その後「電波大戦」で喪女についての話題が出たとき、対談相手の竹熊氏がわりと真面目に実態について話したりしているのに、「困ったモンですね」で終えているのを見て、クジャクヤママユを盗み出した同級生を見る眼つきになったのを覚えている。だってそこで語られてる喪女、本田氏が救済しようとしてやまない喪男と違わないのに。
そのあとしばらくは新刊も買って真面目に読んでたの、それもどうよって話だけど。
10年くらい前に、俺たちの麻生なるムーブメントがあった。別に政治家を持ち上げること自体は好きにすればいいんだけど、そこでは当人が積み上げた迷言失言差別発言をすべからく許容し、批判したマスコミへの叩きが横行していた。正直、あの政治家のどこがいいのかさっぱり分からなかった。
当時はオタク系個人ニュースが全盛期。そういったサイトの管理人は、麻生氏を擁護するまとめブログエントリを紹介しては、叩かれていて困ったものですねぇ、正論なのに、というようなコメントをこぞってつけていた。オタク気質の知り合いなども、熱心に自ブログで擁護していた。
あれから10年たった今も、麻生氏は差別発言や侮蔑発言を繰り返している。あれを見ていて思うのは、この人は息を吸うようにハラスメントをする人なんだな、ということだ。それは、昔も同じだった。だから、どこがいいのかさっぱり分からなかったのだな、と腑に落ちたのだが、同時に当時持ち上げていた人たちにとっては、「だから良かった」んだろうかしら、とぼんやりと邪推してしまう。
今回オタク差別について怒っているツイッター主の中に、表現規制反対などをめぐっての発言をしばしばしているアカウントがいくつかいる。いずれもその界隈ではそれなりに大物だと思う。そして、俺のチェックしている反対派がぼんくら揃いなのかもしれないけれど、ヘイトスピーチの言論の自由を唱え、ポリコレで何も言えなくなることを憂い、自分に関係ないところでの言論の自由に興味がないかむしろ規制されることを望み、性差別についての提起が出てくるとそれについて考えるより先に提起者の揚げ足を取って袋叩きにするような人たちが勢ぞろいである。さすがに全部きれいに当てはまる人は少数だけれど。そんな反差別運動(別にあの界隈に限らず、そういう発想自体)が大嫌いな人たちが、当然のように主張しだすオタク差別批判、いったいなんなのか。ただ、差別社会の中で特権階級になりたいだけじゃないのか。
そういえば、これはある程度年配のオタクということになるけれど、昔(主に90年代くらい)のバラエティはこんなにおおらかだったのに、今はポリコレがうるさいせいでつまらなくなった、というような声が時々ある。なぜか、そういうつぶやきをしている人が「昔はオタクをバカにする表現に寛容でよかったなあ」と語っている声を聴かない。今回オタク差別が話題になって、バラエティなどでのオタクの扱われ方という話はけっこう出てきているのに、いない。どこへ行ったんだろう。
オタクと差別、という組み合わせでオタク文化っぽいものを思い返してみると、そんな案件ばかりが、思い出されてくるのだ。
反差別のために立ち上がったオタク、というのはそれなりの数知っている。そういう人はオタクかそうじゃないかを越えたところのつながりで、反差別をやっている。でも、オタク差別けしからん以外の「反差別」がオタク文化の中心的な動きとしてあったところを、見たことがない。差別を煽り、偏見を煽り、強者に諂い(自分たち以外の)弱者を嘲笑する、そんな動きならいくつも思い浮かぶのだけど。
あ、一つ思い出した。(反差別とは少し離れるかもだけど)フリーチベット、フリー東トルキスタン。
残念ながら、反中のダシ以上のものであった記憶はないけど。ああいうの、真面目なチベットや東トルキスタンにおける人権運動家に失礼だったんじゃないか。
こんな「オタク差別批判」に大真面目に同意したところで、反差別には一ミリもつながらなさそう、むしろ後退させる役割しか果たせなさそうである。メディアを通した差別はもうかなり減ってるといわれるし、それ以外のものはオタク差別というくくりより別のくくりで論じた方が有意義でより広い被害を論ずることができるようだ。となるとオタク差別なるものに拘る理由はない。
もしかしたら、こんなことは本田透の2冊目の著書におかしさを感じた時点で、たどり着かなければならなかったのかもしれないけれど。
というもので、ようするにハリルホジッチという人は「日本人選手はバカで技術力がないがとにかく体力がすごくあり体が強い」という人達であると考えていたことがわかる。
しかしハリルホジッチ解任後の新方針は https://www.footballchannel.jp/2018/04/12/post265082/ を見ると
縦への攻撃というのも間違いなく必要ですが、タイミングなど質を上げていく。1対1の場面でもパワー的なことも要求したいですけれども、なかなかフィジカル的なことで戦えないこともあるので、別の角度から戦っていく。日本的なフットボールというのはあるし、技術力を最大限に生かしたい。技術を生かして戦って、化学反応を起こして戦っていける強さを生かして構築していく必要があると思うし、自分自身もそう思う
とある。つまり日本サッカー協会自身はハリルホジッチと全く正反対の日本人像を抱いていることがわかる。「日本人選手は体力がなく体が弱いが頭がよく技術力がある」と。
これ、果たしてどちらが正しいのであろうか。やはりハリルホジッチが正しい可能性が高いと僕は思う。実際に起きていることはこうではないのか。
人はたいてい自分のなかの能力の低い部分について根拠のない自信を持ってしまう。苦手なことについて正しい情報を得ることは難しいから、それにより自分の位置を正しく認識できないのだ。
ではハリルホジッチで勝てたのかといえばそんなわけはないと思う。「お前はバカだが強いからとにかくバカでいいから犬みたいに走り回れ」などという態度で接する人間に従うような日本人がいるわけがない、というか人間全体でもそんなもんだろう。彼は人をおだてながら動かすという技術を持っていなかったように見える。またハリルホジッチは一点大きな見落としをしている。日本人はバカなのではなく、頭がよく頭ごなしに何か言われるのは嫌だがかといって自分の責任で何かを考えるのも嫌、という性質をもっているということだ。このあたりのことを見てうまくおだてていかなければ人間というのは動かない。
リバースエンジニアリングしないとわからん情報ってのはどこからどこまでかはわからないけど、
例えばゲームの攻略情報なら確率系の情報、モンハンだったらこのクエストの報酬は何%で何が出る的なテーブルのことを例にするけど、
同じクエスト100回やってこれくらい出ました、だからこんなもんだと思いますってテストして検証可能なものだったらそんなもんだろうと、特に疑わないかな。
リバースエンジニアリングから出てきた情報であろうとなかろうと引用してしまうかも。
解析情報、例えばこの先解禁される要素の情報とかだったら結局出処があやしいからリーク情報として扱うことはあるかもね。
自分で調べるときは100回回すのと解析する手段があるけどどっち選ぶかって聞かれたら後者かもしれん。
正直確率系の情報だったらテーブルに書いてあることが攻略情報としては一番正確にはなってしまうから。
でも個人的には100回回したほうがかっこいいと思う。
解析情報しかのってない記事と100回回した検証記事、両方あったら心情的には解析情報の記事は雑に数値は引用しちゃうけど、後者は「実際やってみた人も」みたいな引用になるかな。両方載せたほうが俺は好き
リバースエンジニアリングは禁止されているとして、攻略情報として使うのはやり込む上で必要になってくることもあるんじゃないかと思うよ
私はもうすでに痴漢の対象とならなくなった年齢で、当然ブスなんですが、幼女の頃から社会人10年目くらいまで10回くらい痴漢にあってきたので、やはり性的搾取に厳しい意見をいいがちです。
そうすると「痴漢されないブスババアが嫉妬でまた騒いでる」みたいな反応をよくされるんですね。
これだけ色々言われるようになっても、まだ美人で若いごく一部の子しか痴漢に遭わないと考えている人がいるんだなあと思って断絶を感じずにはいられないです。
そもそも痴漢されることが羨ましいとは全く思いませんしね。悪い人に「弱そうだし金持ってそうだし殴ったり口車にのせたらすぐ金出しそう」と品定めされて嬉しい人って、特殊性癖の人を除いているんですか?
先日、女性アナウンサーが「周りでも1度も痴漢にあったことがない人って10人に1人ぐらい」って言って炎上してましたが、私からすると「そんなもんだろうな」という印象なんですね。
都市部で電車通学する女子学生の9割はガチで複数回痴漢に遭ったことがあると思う。私が女子校時代に校内で無記名アンケートとったら割合もそんなもんだったし、そもそも通学路に露出狂がしょっちゅういた。郊外はひと気がない分、露出狂多いですよ。
信じられないなら「人生において痴漢に遭ったことがあるか?」と彼女…がいなければお母さんやおばあちゃんに聞いてみてくださいね。
つまり性的搾取されている被害者の子たちは、私のようなブスババアにとって、大多数の女性と確実にいる男性被害者にとって、決して嫉妬の対象ではなく守るべき「かつての自分」なんです。
ショタコンから被害を受けた元少年がショタコンに厳しい意見を言うように、否応なしに痴漢冤罪対策をさせられている男性が冤罪をふっかける女に厳しい意見を言うように、老若大多数の女性が女児女性への性的搾取に厳しい意見を言うのは当然だと思うのです。
まあ「痴漢されないブスババアが嫉妬でまた騒いでる」みたいな反応をする人たちは、日本人の半数近くが被害にあっている犯罪の撲滅はどうでもよくて、単にうるさいブスババアを傷つけたいだけでしょうから、何を言っても…というアレなんですが。自分を相手にしないうるさい女どもの被害なんて知りたくないですよね…。
近所に3歳(男児)と5歳(女児)がおり、よく招いて一緒に遊んでもらっている。
娘があちらの家にお邪魔することもよくあるが、割合としてはうちで遊ぶ方が多い。
おもちゃの取り合いなどでよく喧嘩するが、その都度譲り合いを促したり、順番を守らせたり、謝らせたりと介入している。
しかし、うちとよそが区別がつかない言動を取られるとイラッとしてしまうことが多々ある。
例えば、
・引き出しを勝手に開ける
・注意しても反応がない(「粘土が下に落ちてるから拾おうね、足にくっついてるよ」「歩きながら食べないでね」)
・勝手に家に入ろうとする
・勝手に帰ろうとする
・おもちゃを持って帰ろうとする
・食べたいものをおねだりされる(「〇〇ちゃん、みかんが食べたいなぁ」「牛乳飲みたくなっちゃったなぁ」「ぶどうジュースは嫌!」)
・見て見て、なんでなんで、やりたいやりたい、もっともっとがしつこい
冷静に注意や促しもするし、ダメなものはダメ、無い物は無い、自分ちでね、お母さんに頼んでね、とは言うものの、冷たい物言いになってしまい、もっとおおらかに対応できないものか悩む。
同じことを我が子もよそでやらかしているのだと思う。
その場合はしっかり注意してもらっても構わないと思っている。
母親付きでよそのお家にお邪魔することがあまりないので、よその家での子供の振る舞いを見る機会が少ないが、機会があればすかさず言い聞かせるよう心がけている。
もしくは同じようにイラッとすることもあるのだろうか。
昔、ちょっと病院関係の仕事をしたことがあったので、「日赤 月200時間残業協定」と新聞で報道されているのを見て、「ま、そんなもんだろうな」と思った。医者は儲かる仕事の代名詞のように言われているけど、勤務医なんて時給にしたら相当安く使われていると思う。特に医者が少なくて激務の診療科は当直してからそのまま翌日の日勤に入るみたいな働き方をしているのがしょっちゅうだった。よくもまぁ倒れないなぁとか、ろくに眠ってない状態で診療して医療ミスを起こさないのかと心配になる医者がいっぱいいた。
そういう医療現場の状況を知らない友達で、医者と結婚すればセレブになって優雅な生活ができると思って憧れているのがいて、正直バカにしていた。まぁ給料はそれなりにもらえるとしても、デートしてても急に職場から呼び出しが来たりして不自由なことこのうえないと思うんだけど。結婚しても何だかんだいって家庭よりも仕事を優先せざるを得ないだろうから家事や育児をはじめとする家庭の雑事はすべて自分が背負う覚悟をしないといけないと思うし。
だいたい医者の周りには看護師とか薬剤師とか診療検査技師とか医療系の専門職がいっぱいいて、そっちの方が一般事務とかやってる女より話が合うに決まっているのだ。仮に自分が一般事務の仕事をしていて、理系のエンジニアとかで思考回路が全然違う話の合わない人とお見合いとかしたらどうなるか想像すればいいと思うんだけど、医療系と非医療系では思考回路が全然違うぞ。そもそも理系と文系の違いによるところが大きいかも知れないけど。
私の見ている限りでは、やっぱり医者は看護師とか医療関係の人とくっつくことが多かった。5月に病院に来たかと思えば12月には同じ病棟の看護師妊娠させて結婚した研修医もいた。私より病院関係の仕事が長い事務系の先輩は、「医者はさんざん看護師と遊んで、結局いい家に生まれたお嬢様と結婚するんだ」と言っていたけど、私が見る限りでは医者と結婚するのは医療系の専門職ばかりで、事務系の女と結婚する医者はほとんどいなかった。(一口に事務といっても診療報酬のこととか健康保険制度のことをよく分かっているいわゆる医療事務をやっている人は除く。)
医者と結婚したい人って何を期待してるんだろう?単にお金持ちと結婚していっぱいお金が出てくるATMがほしいのか、それともちやほやされてお姫様みたいな生活をしたいのか。ATMとしてなら優秀かも知れないけど、ただ収入ばっかりをあてにされて自分の仕事の苦労をさっぱり分かってくれない女と結婚するような人ってあまりいないんじゃないかと思う。そして妻をお姫様のようにちやほやしていい気分にさせるようなヒマはないと思う。どっちかということ「家のことは全部やるからあなたは安心して仕事してね。」って言えないと無理じゃないかな。…以上、病院関係の仕事をしたときに思ったことをつらつらと書いてみた。
兄貴としてはドッペルが寝ている間に、部屋にプレゼントだけ置いて帰るつもりだったのだろう。
部屋に入ると照明がついており、ドッペルは起きて普通に過ごしていた。
「……マスダの兄ちゃん?」
ただでも気まずいのに正体を一瞬で見破られ、兄貴から冷や汗が流れる。
兄貴はあからさまに目が泳いでおり、溺れ死にそうになっていたからだ。
だが、その後すぐに表情が緩んだ。
すると、まるで本当にサンタに出会ったかのよう笑みを向けてきた。
「はは、マスダの兄ちゃんがサンタか」
兄貴はドッペルの心境が分からず戸惑っていたが、何とかサンタの仕事を遂行しようと必死だった。
「いや……だから俺はヘルパーだ。未熟なサンタだが安心しろ。ちゃんとプレゼントは持ってきている」
…………
「どういうことだ!? なぜドッペルはあんな反応ができる? 普通に考えて、あいつがサンタじゃないことは明白だ」
兄貴の後ろからその様子を見ていたツクヒは、理解できない様子だった。
「たぶんさ。ドッペルはサンタの存在に折り合いをつけ始めていたんだよ」
「すでに気づいていたってことか?」
「というか大半の子供は案外そんなもんだと思う。教養を高めて、精神が成熟していく過程で徐々に、漠然とそういうものに折り合いをつけていくから。『まあ、そんなもんだろう』って感じ」
「それにドッペルは兄貴に懐いているからさ。兄貴がサンタに扮すれば、それはそれで受け入れられるんじゃないかと思ったんだ」
いずれ暴かれる嘘なら、せめて綺麗事で包みこんでやりたかった。
「……なるほど、納得はしないが、理解はした。なんでサンタなんていう嘘が世界を包み込んでいるのか。陳腐だけれど、それは“思いやり”ってやつなんだな」
「そういうことだ、ツクヒ。だから一緒にクリスマスを楽しもう。保護者の所属する組合が、クリスマスパーティをやるらしいんだ」
「いや、それは……」
「楽しむ気が起きないか?」
「そうじゃなくて、今日は家族と過ごしたいんだ。母ちゃんが甘ったるいチョコケーキを、父ちゃんが安易な気持ちで買ったフライドチキンを持って帰ってくるだろうからな」
こうして一連の騒動が治まった。
さて、ここまで話しておいてなんだが、念のために言っておかなければならない。
だが虚構は俺たちの隣人さ。
サンタのようにね。
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「承知の上で」
歌:マスダ(サンタVer)
コソ コソコソ ほらヤッホッホッホ
了承の上 コスプレで
お前に配りにやってきた
ホーホーホー お前が
ホーホーホー 待っている
了承の上で コソコソコソ
弟の友の靴下に
入れておくぜ プレゼント
品薄 人気の最新ゲーム
ホーホーホー 弟も
ホーホーホー 待っている
承知の上で コソコソコソ
俺の弟の靴下を
見てみろよ ほら たくさん
俺のお古? いや 気のせいだ
ホーホーホー みんなが
ホーホーホー 待っている
みんなが コソコソコソ
当方女で、自分の父親がそれなりにきちんとした人だったことをありがたいと思った話をする。
仕事に必要はないけど、株価に詳しかったり経済的な知識がしっかりあったり、正しいと思ったことはきちんと実行していく人だった。
仕事人間だったのが、配属された仕事の中で家事や子育てが大事だと気付き、ものすごくよく遊んでくれた。
とても好きだった。
私は父親がそういう人でなかったら男性不信になっていたかもしれない。
小学校では男子は口汚くひどいことを言ってくる嫌なやつばかりだった。
でも傷つけられるばかりだったからいい思い出とかないよな。
高校では帰り道に変質者に遭遇して体を触られた。
恐ろしくて誰にも言えなかった。
ちょっと仲良くなった男子は、自分がされた親からの虐待じみた体験をなぜか得意気に語り、酔っ払うと暴れて手がつけられなかった。
この時点で自分に近づいてくる男子はろくなのがいないということに気付いた。
自分からいった男子にはことごとく彼女がいたり振られたりした。
漠然と自分の子供がもちたいと思っていたので、そのためには結婚する必要があるよなーとは考えていたが、ろくでもない男子と結婚するくらいなら一人で生きる方が絶対楽だと気付いた。
なので結婚は本当に一緒にやっていけそうならしてもいいけど、そんな人とは出会わんかもしれんしDV男を先に見破れんかもしれんから、とにかく結婚しようとしまいと子供がいようといまいと続けられる仕事に就くことにして就活をした。
男なんて信用できない。
うちの父みたいな尊敬できる男って世の中にほとんどいないんかもしれんとさえ思うようになった。
もう顔とかどうでもいいから、信用できる人、自立した人、それだけでええねん。
でもそういう人が私を好きになってくれる可能性もほとんどないから、一人で生きる覚悟を決めよう。
最高だった。
そして男子に絶望した私は故郷に帰って就職し、たまたま出会えた信頼できる人と結婚して二人の子供を産んだ。
でもお互いにいつ何が起こるかわからないし、嫌いになることだってありえる。
そんなに好きな仕事でなくても。
そうすることで本当に対等でいられる。
この時間を積み重ねていくことは、いつか相手が困ったり病気になったりしたときに支えていく糧になる。
そんな風に思える。
結論。
自分に興味をもってくれる男子にはほとんどろくな人がいなかった。
が、父のおかげで、男性不信にはならずにすんだという話。
これ男女逆でも成り立つ気がする。
男の人もひどい女ばっか見ると結婚とかどうでもよくなるよね。
なので、親が尊敬できる人間であるってのは大事だしラッキーなことだと思う。親じゃなくてもいい、信頼できる大人の異性が一人でもいれば、異性不信にならずに済むのではないか。
こんな自分語りを最後まで読んでくれた人がいたら、ありがとうございます。
こう言っちゃ何だが、はてな自体が男も含めてぶら下がり思考の人が多いだけじゃないかと思う
一見すると意識高く見えるけど、実際はあまり仕事は好きじゃないし上昇志向もなくて
適当に楽な仕事してるだけで生活に困らないだけの金が入ればいいのに、ってのが本音な人が多いよね
昔から、英語の勉強法をブクマするのは好きだけど本当に英語が出来るようになるほど勉強している人はいないから
「はてな民は英語の勉強法を勉強するのが好き」なんて揶揄されてるけど
実際はそう世の中甘くないだろ、と言う認識すらなく
そういう生活が出来ない世の中が悪い、そういう世の中を作れない偉い人(上司なり政治家なり)が悪い、ばかりで
んでそういう人からしたら、ぶら下がりするのに都合がいい今のシステムは変えて欲しくないから
システムそのものに問題があるのではないか、と言う話には反応したくないんだろう
(男も育休取れるようにしろとか言いたがるのも、男もそうやってぶら下がりたいという願望の現れでしかないし)
そんな時代を見てきた人間なせいか、匿名で行うネットへの書き込みは「内」への発信という意識が強い。
何が内で何が外なのか、表現は難しいが、要は自宅内の独り言に近いという感覚だ。
皆そんなもんだろうと漠然と考えていたが、意外とそうじゃない人は多いんだなと思わされる事も結構ある。
例えば追い詰められた人が増田に愚痴を投稿してそれに「気持ちは解るがそういうのは口に出しちゃいけない」なんてコメントをしてるのを見たり、
「で?そんな事を書いてどうするの?何か変わるの?」なんてコメントを見たり。
なんていうか、増田でくらいいいじゃんって事にまで現実みたいに厳しい事をいう人が居る。
勿論悪意がある人も居ると思う。でもなんか、そうじゃないものを感じるというか、明確に誰かに向けて発信されてる事を前提として読んでる人が居るというか。
なんか感覚の違いを感じるんだよな。
そりゃいくら独り言のつもりって言ったって見られる可能性はあるんだから、殺人予告じみた事書いたりするのは当然NGだし、
煽りとか炎上のリスクと隣り合わせでそういう人が居るのも昔からなんだけど、
日本の英語教育がダメだというのは誰もが分かっていると思う。反論もいただいているが、データを見ていくと、たとえば偏差値65の国立大学である東京工業大学の新入生TOEICスコアは500程度
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/science/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/04/21/1305014_2.pdf p23
神戸大のテストは志願者しか受けてないので、英語力に自信がある人ばかりが受けていて、点数が高くなってると思うが、新入生のTOEICスコア600程度
http://www.solac.kobe-u.ac.jp/2013/04/toeic-iptoefl-itp.html
大学別TOEIC平均点(http://uguisu.skr.jp/toeic/ave_score.html)を見ると、東大でも688点ということだ。
688点というのは、米国人7歳程度と同等ということだ。
http://uguisu.skr.jp/toeic/level2.html
TOEIC受験者の 36%程度がこのスコア以上のスコア所有しています。
TOEIC受験者の中では偏差値 54.3~57.3程度です。
米国人 7歳程度と同等
7歳だとまともに文が読めない。日本で一番優秀で一番勉強してる人たちが7歳レベルにしかなれないのだから、それは日本の英語教育がおかしいのだ。
大学を卒業する頃には、一応英語でマトモなコミュニケーションが可能な、小学校高学年ぐらいのレベルにはなっていて欲しい。そのレベルはTOEICだと850点以上になる
ちなみに上のURLには東大生の英語レベルについて実体験から書かれている。それを見ると688はそんなもんだろうなという感じがする。
知的エリートの東大卒業生であれば、当然950点以上ないとダメだろう。
米国人 13歳~程度と同等
13歳程度ではダメで、最低でも15歳レベルは必要だ。15歳の言語能力があれば、普通にちゃんとした本も読めるし、話していても「お、この日本人はいいことを言っている」と思ってもらえて、「さすが日本の知的エリート、Tokyo大学出身だな」と国自体も一目置いてもらえるだろう。
上が950(13歳以上)、平均が850(10歳以上)、このくらいの英語力があれば、「日本人の英語はメチャクチャだ、こいつら一体学校で何を習ってきたんだ」と困惑されなくて済む。650(7歳レベル)なら、「英語は酷いけど一応わからないこともないからまあいいか」ぐらいの評価にはなるので、下はそのくらいでもいいだろう。
なので、英語教育を改革して義務教育である中学卒業時の平均が650、大学卒業時の平均が850、東大卒業時の平均が950になるようにしたい。大体の体感で言うと、TOEIC650に必要な学習時間は3000時間、850は6000時間、950は9000時間ぐらいだ。
シャープや東芝の破綻が記憶に新しいが、日本の製造業は残りの日立、ソニー、トヨタなんかもすべて10年で潰れるだろう。
それはネットで書かれているように日本の大企業はエンジニアを大切にしていないからだ。
私は大企業に7年ほど務めていたが、数年前に外資に移った。エンジニアをサポートしてくれる理想的な環境がそこには実際にあった。
バブルの時期は前例を踏襲していれば業績は伸びていた。うまくシステム化し、個人の力に頼らずに回せるようにすればよかった。そのころの成功体験を忘れられない、おっさんたちが今の大企業を仕切ってる。
当時は天才エンジニアは不要だったのかもしれない。だがソフトの時代の今は違う。
大企業の若きエンジニアたちは、どこもそんなもんだろうと信じようとしている。しかし違う。実際に理想郷は海外には存在する。私は外資に移って、全く違う世界がそこにはあった。
日本の大企業でくさっていっていく同期たちが可愛そうで哀れでならない。
日本の大企業が目をつぶっているうちに、海外にじわじわとやられ続けている。その結果が出始めて来ている。あと10年ですべての企業でその結果が出てくるだろう。今はまだ始まりに過ぎない。
もちろん大企業の高学歴なおりこうさんもそんなことは分かっている。今しかない日本の大企業をあと10年経験したい、そういうやつもいるだろう。
俺がこの大会社を変えてやる、というやつもいるだろう。
金銭的、健康的な問題でどうしてもがまんしなければならないやつもいる。
でも次の20年を考えている優秀な連中はもう外資かベンチャーに移った。
日本の大企業は逃げ切り狙いの無能な年寄りのトップと、昔の成功体験にすがる勘違いな中間と、従順な希望を捨てた若者で、理想郷の海外と戦っている。