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はてなキーワード: 受験勉強とは

2017-10-13

戦うのはもういいんじゃね?

受験勉強して大学に行って

就活して企業に入って

次は婚活っすか?なんなんすか?

精子の頃から競争ばかりっすね。

2017-10-12

片頭痛持ちだと今更わかった

ここ一週間、頭痛が酷かったので脳神経外科に行った。

1ヶ月前には机に頭を打ってCTを、1週間にはバス天井に頭をぶつけていた。

色々と不安だったために、行ってMRIMRAを撮った。

医者は、出血はないと言った。

とても良かったが、まだ続きがあるらしい。

脳の血管を見ると太いらしい。

この頭痛片頭痛だというのだ。

そして、医者は今は20だとこれからどんどん酷くなると言い出した。

かに中学生高校生の時に酷い頭痛が一週間に1回以上はあった。

吐き気やら照明を見るとより激痛が走る頭痛は時々あった。

全く、受験勉強が出来ない日もかなりあったし家庭教師がそんな日に来るものから苦しんで全く出来ないもので舌打ちもされた。

おまけに内蔵の持病の薬の副作用で皮膚はニキビやら膿やら脂が吹き出て皮膚はグチャグチャである

この持病も中学生まで引きずるやつはそうそういない。

運が悪いのだ。

容姿が醜いから、学校でも居場所がない。

たくさん飲んでいるとき吐き気もあった。

何もかもモチベーションはなかったか関関同立底辺しかからなかった。

母親頭痛があるとか言っていたから、自分頭痛普通だと思っていたがそんなことはなかったのだ。

周りは確かにいつだって元気そうだった。

ヤンキー風の古典教師にいつ怒られるのかビクビクしながら頭痛に耐えて受けたのがアホらしい。

早慶に行った女のきれいな肌やらの容姿嫉妬しながら、色々と我慢して学校に通ったのは何だったのか。

自分は何に耐えていたのか、なんのために色々とやってきたのか分からなくなる。

今も、ひどく深く抉れたニキビ跡と脂で皮膚は見苦しい始末だ。

とにかく頭痛に耐えても、脳がダメージを受けるだけらしい。

医者自分の脳の画像のポツポツと白いところを見て、本当に軽い脳梗塞のようなものだと説明した。

これを積み重ねると年をとった時に、物忘れが激しくなったりするらしい。

仕方がないので、頭痛用の薬を出された。

医者の言っていることがどこまで本当なのかは分からないが、薬を飲んだら頭痛は治まった。

ただ、何かに耐えても無駄感覚は確かに覚えた。

そして、なんとなく進むべき道がわかった気がしてきた。

夜に街を歩くと美男美女が歩いている。

彼らは健康そうで何も考えずに与党に入れそうだ。

ただ、株主奴隷可能性はある。

何かを作って儲かる時代でもなくて、これから投資なのだろうと金余りの状況なども踏まえて、ところどころ死んでいる脳が言っているようだ。

我慢せずにリスクをとって容姿やら金やら色々なことをどうにかしていくのがいいのかもしれない。

2017-10-10

現代っ子聴くナンバーガール

ボーカル遠っ!

第一印象はそんな感じだった。バンド名は有名だからかなり前から知っていたけど、ついこの間名前を目にする機会があって、それで聴いてみようという気になった。

私が普段聴く音楽といえば、最近で言えばRADとかストレイテナーとかアジカンとかで、90年代後半の音楽ほとんど知らない。何せ自分が生まれ年代辺りの曲なんて、よっぽど機会がない限りは耳にしないからだ。

最近音楽レコーディングの質が上がったのと、オーディオ機器の性能の向上でめちゃくちゃ鮮明に音が聞こえる。細部まで気をつけて聴いたりすると息遣いまで聴こえたりする。ていうかそれが当たり前の時代に育ってきた。

そこにやってきたナンバーガール


なんだこれ!!!?音質以前に声遠くない?!!仕様なのかこれは……でもこれこそが現代のあらゆるロックバンドに影響与えたナンバーガール……

最初はそんな感じで、このバンドの良さが正直わからなかった。確かに今のバンドの土台のようなものは感じるけど、ワンオクみたいな衝動とか、スピッツみたいな軽やかさとか、万人が掴みやす個性はなくない?

そんなこと考えながら適当に流してて、何曲か聴いた辺りでハッとした。

イントロがいい。

すごくいい。ギターの響き?専門的なことはわからないけど、そこはかとないエモを感じる。演奏から滲み出る哀愁というか、明るさというよりはがむしゃらさ。

この、何とも言えないクセになる感覚の正体が知りたくて、何回も何回もリピートする。歌詞は相変わらずわからない。でもなんでだろう、すごく、ノれる。そしてがむしゃらなだけじゃない。基本的にはすごくクールだ。演奏クールさが、ボーカルのシャウトといい感じに調和してる。声質がそんなに重くないから、曲の雰囲気自体も暗くなりすぎなくて丁度いい。

すごい。すごいぞナンバーガール

実はここまで書くのに、すでに5周ぐらいは軽く聴いている。聴いても聴いても、どこか正体の掴めない音をしているからだ。それが知りたくて、また何度も聴く。耳に残る演奏のかっこよさは、どれだけ聴いても色褪せない。

最近流行りのバンドは、何となくやっぱりルックスで売る傾向が強くて、その上音も薄っぺらくて心に響かない。別にルックスだけで売ってる訳じゃないけど、どの音も同じように聴こえるのだ。青春の眩しさを歌った、あの純粋ロックの衝撃を求めていた私にとって、ナンバーガールは、革命家だった。


高校3年の今、若くて凡庸純粋青春賞味期限は近い。受験勉強必死な人や、はたまたそんなの関係ない人もいる。それぞれの高校最後一年を過ごしている。苦くても、幸せでも、楽しくても、それでも年が明けたら、みんな揃って卒業なのだ。だからこそ、あと4ヶ月の間に、少しでも多くの高校生が、高校生である間に、どうかナンバーガールを聴いてほしい。そして、青春の結び目として、ナンバーガールを思い出の曲に加えてほしい。そのくらい色褪せないバンドだと思っている。ぼんやりしたセンチメンタルに訴えかける、思わず走り出したくなる、そんな力がナンバーガールの曲にはある。大人になってから思い出してほしいバンドだと思っている。だってナンバーガールはかっこいいからだ。



から青春真っ只中の、若い君たち私たちよ、ナンバガ聴いて熱くなれ!胸の奥まで!



追記

RAD知名度は某映画でかなり上がったので大抵の高校生はわかる。テナーとかアジカンとか、最近好きになったバンドばかりを挙げてしまたことは申し訳ない。確かにミスチョイスでした。ワンオクとかドロスが入り口で、そのまま好きな方面を探してたらアジカンに行き着いた、が正しい。

あと「邦楽ロックの原点」とは言ってない。

2017-10-09

anond:20171009095225

高校なんざあ、たいしたことない。

とくに最近は、予備校化してるから

適当なとこで十分。

本当に自分を磨きたければ大学でやれ。

もう、下手な受験勉強なんかやめちまって、大学入学後に役立ちそうな勉強したほうがいい。

最近大学はいろんな入り方できるから、そういうのを研究したほうがいいよ。

2017-09-25

PMS

高校生ぐらいからずっとうつだった。気分の落ち込みがひどいときがあり、ほっといてもずーんと沈んでいく。

何もする気になれない。ひたすら重い気分で、いつでも眠いようなだるいような身体を無理やり動かしてその日やらなくてはいけないことをこなす。

生理高校生ぐらいからひどかった。生理痛も量も、友達に聞くそれとは違ってすごく重い。腹痛で動けない。痛み止めを飲まないと最初の二日はのたうち回るような。

そのままずっと、うつと重い生理身体をひきずって大人になった。うつのせいで他の人がうまくいくいろいろなことがスムーズにできないことが多々あった。

受験就職もあまりうまくいかなかった。そのうち結婚し、出産した。

子育てはあまりに忙しく、いろいろなことを振り返るひまもなかった。

そしてある日。何か変だと思った。そしてこれは覚えている感覚だとも思った。

ほっといてもひどく気分が落ち込んでいく。なんだかだるくて眠い。これは・・・

わたしPMSがひどいのだとその時初めて気づいた。そしてそれまでの生理がない生活が、いか情緒が安定していたかにも気づいた。そういえば気分の落ち込みなんて久しく体験していなかった。わたしメンタル女性ホルモンに振り回されていたのだ。

そこからもうあん身体には戻りたくないとピルを飲み始めた。1シート月2500円。それでわたしが得たもの情緒の安定したメンタルだった。

もっと早く気づくことができたらと思う。そしたら全然違う青春があったのではないか。長い間あんなに落ち込んで、つらい日々を過ごさなくてよかったのではないか受験勉強ももちょっと集中できたのではないか

今となっては取り返すことができない時間だが、若くてうつに悩んでいる女性生理が重い方へご参考までに。

2017-09-19

イケメンの姉

姉はイケメンだ。かなりぶっとんでるし、ちょっとどうかと思うような行動に走ったりもするけど、総じてイケメン性格姉妹正反対。私は人見知りで、基本的にいつもおどおどしている。今までいろんな局面で何度も姉に助けられてきた。そんな姉への感謝気持ち綴りたい。

まずは小学校入学式のこと。

うちは母が早く亡くなってる。私が5才になる年に喉頭癌でこの世を去った。姉は私より11才上で、私が小学校に入った年にはすでに高校生だった。

そんな姉が、私の入学式に母の代わりとして参加してくれたのだ。その時のスーツ姿がとても素敵だった。人指し指に緑色翡翠指輪をはめていて、それは母の形見だと教えてくれた。入学式の時の写真を見返すと、やはり姉は保護者の中で一人だけ幼げに見える。

姉は高校ではかなり目立っていた。たまに雑誌にも出てた。エルティーンという十代向けのファッション誌で、モデルみたいなことをしてた。私はまだ小学校に入りたてで、そんな姉を芸能人だと思い込んでいた。そのうちテレビにも出るんだと思ってた。その予想はのちに別の形で実現するんだけど、その話はあとに回そう。

姉はふだんはあまりエルティーンを読ませてくれなかった。小学生にはふさわしくないエロい特集が多かったのだ。そんな雑誌にちょくちょく載る姉の姿に、私は幼いながら、妖しい憧れのような感情を抱いていた。

父は土建業を営んでいたが、この頃には経営が苦しくなっていた。それまではずっと絶好調で、姉は何の疑いもなく「うちは金持ちだ」と信じ切っていたらしい。でもそんな幸福時代はあっけなく終り、父は一気に萎れてしまった。母に先立たれて、経営も傾き、悲嘆にくれる日々。父がお酒に溺れ始めたのはこの頃だ。それでも父は姉を私立大学に入れた。娘の教育は疎かにしない、それは母の遺言でもあったそうだ。

二つ目感謝は、このころの話。

当時、私がまだ9才の時。姉が私をあるイベントに連れて行ってくれた。姉の大学友達の中に、ひとりだけ9才の私が混ざるという、かなり無茶な形だった。野外で開催されるテクノパーティ。でもそんな詳細はすべてあとから知ったことで、当時は右も左もわからないまま、姉に連れられて、ただついて行った。そこはまさにカオス空間だった。広大な森林のいたるところで人々が踊り狂っていた。真夜中にトランス状態で踊り狂っている大勢大人たち。あの光景が私の音楽原体験になってしまったのは、なんかちょっとまずい気もしている。

夜、私は姉と並んで芝生に寝転んだ。遠くではドンドンという無機質なテクノビートが鳴っていた。私と姉はふたりで夜空の星を眺めながら話した。その時に姉がとつぜん言ったのだ。

ママはもういないけど、私がお姉ちゃんとお母さんの両方をやるから

後年、姉にこの話をしたら「そんなくさいドラマみたいセリフ言うわけない」と全否定した。でも私は完全に覚えている。ありがとう。あの言葉にどれだけ支えられたかからない。

三つ目は、話自体がかなりぶっとんでる。

私が中2の時、父の会社が潰れた。全てを整理しなければならなくなり、家族は家も失った。私たちアパート引っ越した。父はもはやアル中の一歩手前みたいになっていた。

姉はすでに大学卒業していたが、就職はしていなかった。なんと、カリスマキャバ嬢になっていたのだ。当時の某歓楽街ではかなり有名な存在で、テレビ取材も受けていた(冒頭に書いたテレビ出演の話はこれのことだ。ちなみに姉はこの後にもまた別の形でテレビに出るのだが・・・)。姉は客に媚びないSっぽいキャバ嬢という設定で、何度か深夜番組に出ていた。それはけっこうサマになっていた。

姉は家では父にハッパをかけ、とりあえず一労働者に戻って建築現場で働くことを勧めた。父は最初経営者という立場にこだわり、かたくなに拒んでいたが、やがてしぶしぶ従った。

ここから急展開が訪れた。カリスマキャバ嬢としてのブームが一段落して、父もどうにか社会復帰できたというタイミングで、姉がいきなり海外留学してしまったのだ。なぜこのタイミング?と思ったけど、どうも男絡みのようだった。色恋沙汰なら、もう誰が何を言っても無駄だ。姉の留学先はコスタリカだった。

姉は私に銀行カードを託した。「本当にやばくなったらこお金を使いなさい」と姉は言った。さらにもう一点、「絶対に父には秘密にすること」姉はそれだけ私に言い残して、さっさと異国へ旅立ってしまった。当時、私はまだ中2だった。おいおい、母親の代わりをするって話は?

預金は600万円だった。コンビニATMで残高を見た時、足が震えた。私はこわくなって、すぐにカードを机の引き出しにしまい、鍵をかけた。それは中2の私に背負える額ではなかった。

そのまま中3になり、受験の時期を迎えた。姉がいなくなってからというもの、家の中はめっきり暗くなっていた。父は働いてはいものの、お酒の量がどんどん増えていた。親子の会話もほとんどなくなっていた。学校でも、私の家が落ちぶれたという噂がうっすらと広まっていて、なんとも言えない惨めな気分だった。姉の600万だけが心の支えだった。まだ大丈夫、うちにはこれがある、そう言い聞かせながら日々を送っていた。とかいいながら、カードからお金を引き出す勇気なんてまるでなかった。私は根っからの小心者なのだ大金を前にして、完全に怖気づいていた。どうしても心細くなって、ひとりで布団をかぶって泣く日もあった。勉強にも身が入らず、だんだん授業がちんぷんかんぷんになっていった。高校に受かる気がしなかった。この時期は私の人生いちばんしかった頃かもしれない。

そんなときに、姉が帰ってきた。まるで私の危機を察するみたいに。姉は予告もなく、いきなり家に現れた。あの時、姉を見た瞬間、私の全身にぐわーっと広がった強烈な安堵感が忘れられない。自分いかに姉を頼りにして生きているのか、骨身に染みて分かった。

姉のコスタリカでの日々は、それだけで一冊のルポルタージュが書けるぐらい強烈だった。でも私がここに書くのはちょっと無理だ。筆力が足りなすぎる。姉はコスタリカ日本人恋人暮らしていたのだが、やがてその男と別れて、現地でスペイン人と付き合うことになった。交際から数日後に、ふたりパナマに小旅行に行ったら、国境を渡るバスから彼がいきなり逃亡してしまった。理由はわからない。ともかく姉は一人にされてしまった。それから姉は執拗警察の取り調べを受けたりしつつ、どうにか事なきを得て、家に帰りついた。後日、彼が麻薬組織幹部だということが発覚した。姉はそんなこと何も知らなかった。彼がなぜ逃げたのか、どこに逃げたのか、全てが謎に包まれていた。

そういう話が他にもたくさんあるんだけど、とても書ききれない。とりあえず姉は無事に日本に帰ってきた。そしてコスタリカでのエキサイティングな日々を迫力満点に語ってくれた。私はなんだか自分の悩みがバカらしくなってきた。受験不安だとか、ほんとに小さなことって気がしてきた。姉に相談したら「勉強しろ」と言われた。2秒で話が終わってしまった。銀行カードをいちども使わなかったと言ったら「あんたらしいね」と笑った。姉が相変わらず人差し指翡翠指輪をしていたので、私は「お母さんの指輪だ」と言った。姉はそっけなく「あれウソだよ」と言った。「蛍火の墓を見て、適当でっちあげた」「マジで!?」「うん」私は脱力した。

それから受験勉強に身をいれて、私は無事に第一志望の高校に受かった。姉は父の酒浸り生活も、きびしくたしなめた。父は何だかんだ言いながら、姉には従う。酒の量を控えるようになり、少しずつ生気を取り戻していった。やがて昔の仲間と一緒に、また小さな会社を発足させた。最近土建以外にも手を広げて、高齢鞭打ちながら、建物管理資格勉強なんかをしている。

姉はコスタリカで築いた人脈を駆使して、某国大使館アルバイトをするようになり、そこで能力を見込まれて、正規職員になった。大使館について詳しく知っているわけではないけれど、私は漠然と「超エリート仕事」だと思っていた。姉のイメージとはどうしても結びつかなかった。最初に聞いた時は、女スパイ組織に潜入しているような姿が頭に浮かんでしまった。

姉の最後テレビ出演は、この大使館バラエティ番組取材を受けたときだった。姉は有名な芸人さんにおいしくいじられていた。姉は完全にキャラ変して、シャイで生真面目な妙齢職員を演じていた。「あなた、かなりの箱入り娘でしょ。男性経験も少なそうだな」芸人さんがそんなようなことを言って、姉をからかっていた。姉は恥ずかしそうに両手で顔を隠した。『かわいぃ~』みたいなテロップが入った。いやいやいや、と私は全力でテレビに向かってつっこんでしまった。

そんな姉も、長く勤めた大使館をやめて、今はスペインバルオーナーマネージャーとしてバリバリ働いている。ほんとはここにお店のサイトリンクを貼って、微力ながら宣伝したいんだけど、それをするには姉の許可を得なくちゃいけない(というか、こんなの宣伝にならないか)。

ちなみに私は普通に高校を出て、短大を出て、今はOLだ。ほんとに波風のない人生。何から何まで姉とは対照的だ。そのうち私にも、めくるめく冒険の日々が訪れるのだろうか。

結局、姉への感謝はたくさんありすぎて、とてもここには書ききれない。何でこんなことを書こうと思ったかというと、このあい何気なく実家で昔のアルバムをめくっていたら、幼い頃の姉の写真を見つけたから。3才ぐらいで、まだ私が生まれる前。姉は母の腕に抱かれていた。泣き出す直前みたいな、絶妙な仏頂面。姉を抱く母の人差し指には、緑色翡翠指輪が光っていた。なんだ、やっぱり形見じゃん。本当だったんだ。きっと照れくさかったんだろう。いかにも姉らしいと思い、うれしくなってしまった。それで姉への気持ちをまとめてみようと思ったんだけど、うまくまとまらなかった。無理もない、姉自身がまとまってないんだから

全く受験勉強してないが偏差値70という人もいると思います

2017-09-08

たかだか大学生頭脳対決してるテレビ番組

はっきり言って東大だろうが京大だろうが

たかだか学生やんけ

ガキの頃から受験勉強英才教育受けてきただけの人間頭脳対決とか笑わせんなやw

絶対そんなやつよりクイズを専門に鍛えてきたやつの方がそういう番組での実力は上

ってか、紀元前じゃないんだから今の時代すべては専門化されてて頭脳でくくれるような対決なんて意味がない

さかなくんが出てた大会みたいに特化型の人間同士の対決じゃないと本来の実力勝負なんて成立しないだろ

2017-09-03

学校行きたくない理由勉強出来ないか

学校行きたくないなら逃げてもいい、って話について。

自分学校が嫌で苦手だった。

行きたくないと思ってた。

学校自分には合わないと思ってた。

でも今になって考えると、自分学校行きたくないのは

勉強ができない=勉強しない

のが理由だった。

小学生低学年の頃は、勉強の出来不出来ってあまりからない。

大体90点以上取れる。

高学年から90点以上が取れなくなってた。

国語以外は60~70点代、よくて80点台だった。

でも、この頃は学校は嫌じゃなかった。

中学になったら全科目50~60点、よくて70点。

でも勉強しなかった。

漫画ゲームばっかり。

自分が劣等生だって分かってなかった。

高校は低レベルなところにしか行けないのに危機感がなかった。

周囲は受験勉強をしてた。

この頃から学校より家にいたいと思うようになった。

友達が作れなくなった。

高校に行ったら全くついていけなかった。

授業中もわからいか漫画読んだりケータイしたり。

周囲は勉強してた。

自分はしてなかった。

学校行きたくなかった。

クラスメイトと話はしてたけど友達はいなかった。

早く卒業たかった。

卒業後に社会に出て、周囲より自分は物覚えが悪いこと、空気がよめないこと、

勉強して部活やって行事を楽しんでた人たちのような思い出がないことに気がついた。

原因はなんだ?

自分だった。

自分最初から勉強ができれば。

勉強が出来なくても、勉強しようと頑張る生徒だったら

学校行きたくないとは思わなかったかもしれない。

皆と同じように学校が楽しめたかもしれない。

***

学校行きたくない子に言いたいんだけど

勉強をしてない」ことが、その理由には含まれてませんか。

勉強すれば何か変わるかも、って気持ちが少しはないですか。

もしあるなら、学校へ行くのが嫌でも

勉強」をするために行ってみませんか。

学校には、図書館先生競争相手も揃ってる。

勉強するだけなら悪くない環境です。

自分みたいに、成人してから中学教科書を読んでるダサい大人になったら笑えないよ。

2017-08-10

https://anond.hatelabo.jp/20170810005909

国語地理が解けるというのは、地頭はいいように思う。

自信を取り戻したかったら、SPIでも解いてみるといいと思う。

大学生たちの平均より取れるだろうから、自信になる。

SPIが解けたからといって何の役にも立たないけれど。

大学受験数学英語は訓練みたいなものだと思う。

先日、中学数学高校数学をやってみたのだけど、中学数学が50点、高校数学は60点くらいだった。

もちろん、方程式の解き方などは、高校数学中学数学上位互換なので、高校数学が解ければ中学数学簡単に解けるが、中学数学独特の問題はまったく歯が立たない。

英語なんて、程度の語彙力がないと、受験勉強入り口にも立てない。

真面目に授業を受けた中学生高校生は、ゆっくり6年間時間をかけて、語彙を増やしながら文法も耳も鍛えてきた。

それを、一足飛びに受験をなんとかしようとしても、耳が、脳が拒否する。

空耳アワーがいい例で、知らない語彙は脳が拒絶して、日本語の響きに聞こえてしまうくらいだ。

かといって、語彙を増やそうにも、1つの例文に一つしか新しい単語がないような例文では語彙力が増えないし、一つの例文に二つも三つも知らない単語が入ると脳が拒絶する。

受験勉強を忘れて、しばらくは趣味としての英語数学をして、しばらくリハビリしてからのほうがいいと思う。

2017-08-05

弱い受験生にすこしだけ弱音を吐かせて欲しい

高校3年受験生天王山の夏。多分今までで1番くいしばらなくちゃいけない夏。

わたし都内自称進学校に通っていてそれなりに勉強する環境は整っているけれど、講習のない日が続いて自宅学習時間が増えた今、環境教師云々よりも自分自身メンタル面の占める割合が多いことを実感している。

ものを食べたり家事をしたり、眠ったり。勉強をしていない時間自分がすごく嫌いだ。勉強をしていない時間はどうしようもない不安が押し寄せてきて、はやくこんな時間が終わって欲しいと思う。同時に自分脳みそと心の準備ができるまでは、試験当日なんて来なければいいのにとも思う。

社会に出て日々大変な思いをしながら生活をこなしている人から見れば受験生はただ勉強をこなしていればいいだけのずいぶん贅沢な身分だけど、それでもやっぱり他に逃げ道がないのは、どうにも苦しい 逃げることは今まで苦しんできた自分を裏切る行為

わたし母子家庭生活しているけど、父親教育に関してとても厳格なひとで、成人までは年に何度か面会をする。お金はないけど学歴主義を日々刷り込まれる。両親とも、しめし合わせたわけでもなく口を揃えて「浪人はさせられない」、父親からは「早慶以下なら学費は出さない」とまで言われている。

ほんとうは勉強したいことがいくつかあったけれど、経済的な自立を選んで(お金があればまたいつかいつでも勉強できると思った)就職にも強くて、ある程度勉強たかったことに近いものを学べそうな大学第一志望に受験勉強をしている。英語世界史国語も大好きなので、勉強自体毎日とても楽しい

今までなんとなく親や周りの期待に沿って生きてきて(しかも割とそれが苦痛でなかった)時期が長かったので、自分のやりたいことや嫌なことが見えるようになってきた点では、案外いい成長なのかもしれない。

でも毎日受験に落ちた瞬間のことを考える。目をつぶって半年後の自分の事を想像してみる。行きたい大学に通えない悲しみよりも、まず当然受かると信じている父親母子家庭でも支え合いながら生きてきた母親の落胆する顔が浮かぶ。

わたし第一志望に受かれば、母親社会的に認められる(信じられないかもしれないけどこの時代でも母子家庭母親をひたすらに憐れむ人間は多い)。ずっと褒めるということをしなかった父親に認められる(彼はわたしが満点の内申を持っていった日でさえ欠席日数について指摘するだけだった)。就職につながればもう嫌いな誰かに頼り続けて生活することもなくなる、自分の選びたい道を選べる、頼りきりでない自分を、愛してあげられる気がした。

書きたいことがまとまらずにごちゃごちゃしてしまってほんとうにごめんなさい

三行でいえば くるしい 受かりたい こわい それだけのことなんですけど

自分の進路のことに、ほかの人の未来希望まで上乗せするのはあんまり精神衛生上いいことじゃない 第一志望を目指すというよりは落ちた先を考えられないという方が近い状態になってしまってる

いまはどうしようもなく未来が見えない。見たくない。はやく春が来るといい。願わくば第一志望に受かった自分がそこにいてくれますように

2017-08-04

変性性脊髄症(DM)になったコーギーと私の備忘録

うちの犬の様子がおかしくなったのは、3年前の秋、私が高校1年生のときだった。

後ろ脚だけがもつれる。ふらつく。地面に脚を擦って歩く。何か、様子がおかしい。その時点でそれなりに年を取っていたこと(当時12歳)、以前子宮系の病気になって九死に一生を得たこともあって病院先生にもよくそ存在を知られていたこともあり、すぐに動物病院へ連れて行った。

というのも我が家には昔、その子と一緒に飼っていて、小学生の頃に白血病で死んでしまったもう一匹のコーギーがいたのだが、異変に気付いていたのに大丈夫だと高をくくってしまったが為に病院へ行くのが遅れてしまったという過去があったからだった。

最初獣医さんが言ったのは、ヘルニアかもしれない、とのこと。コーギーのような胴長短足犬がヘルニアになりやすいのはよく知られた事実である。実際に、昔読んだ様々なコーギー飼育本のどれもが、ヘルニアという病気について取り上げていた。発症を防ぐために階段上り下りはさせない、だとか、そんなようなことが書かれていたことを覚えている。実際に、レントゲン写真を見せつつ説明もしてくれた。

ただ、それと同時にちらっと言われた、別の病気可能性。現段階では確定できないけれども、もうひとつ「これかもしれない」という病気がある、と、何気なく言われた。後ろ足からどんどん動かなくなっていく病気ヘルニアと違って痛みはないけれども、だからこそ犬自身は気づかず普段通り歩こうとする。今考えると、あれは変性性脊髄症(DM)のことを言っていたのだろう。

とりあえず当面はヘルニアの疑いとして治療を行っていきましょう、という方針になったが、その後の病気の進行は今考えるとまさしくDMのものであった。

まず、自力での散歩ができなくなった。後ろ脚が本格的に動かなくなってきても、犬はそれに気づいていない。だから、後ろ脚を引きずって前脚だけで歩こうとする。ちょうど、お座りの姿勢で移動しているような格好になる。そうなると、お腹のあたりが傷ついてしまうため、介助ベルトを使って後ろ脚を持ち上げて歩かせる必要がある。だけどそれはかなり負担で、かつうちの犬はあまりそのベルトで釣り上げられつつ散歩するのを好んでいなかった。もともと散歩が大好きで走り回るのも大好きな子だったから、なおさらだと思う。

またこのころ、排便がうまくできなくなってきた。後ろ脚でふんばることができないからとのことだった。獣医さん曰く、自力で出せないが為に腸の中に便がたまっており、新しい便に押されるようにして出てくるしかないため、コントロールができなくなっていたらしい。

もともと排泄はすべて散歩ときに済ませトイレシートなどは使わないのが常だったので、仕方がなくおむつを履かせることになった。ここでうっかりしていたのが、犬用おむつコーギー例外的だが、ほとんどの犬にはしっぽがついている。そのためおむつにもしっぽを出す穴が付いているのだが、コーギー場合はそれが仇となった。しっぽがないために、排泄物がその穴から出てきてしまうのだ。結局、赤ちゃん用のおむつの中でもとりわけ大きいサイズのものを着用させる方向に落ち着いた。

また、病気になる前からも誰かが家にいるとき基本的ケージから出してリビングの中を自由に動き回らせていたのだが、病気になり外へ散歩に行けなくなってからほとんどケージを使わなくなっていった。以前のように階段を昇って行ってしま心配もなかったし、そこまで部屋の中を動き回らないだろうと思ってのことだった。だが、そのすぐ後に問題に直面することとなった。

脚を擦って歩くと、おむつが脱げてしまう。これではどんなに今のおむつに優秀なポリマーが入っていても意味がない。そう考えた私たちは、仕方なく犬に服を着せてその服とおむつとをガムテープで結ぶことにした。見栄えも何もないが、仕方がない。

本当はうちの犬は服を着るのが嫌いで、幼いころに着せた時には気づいたら自力で脱いでしまっていたのだが、この時ばかりは何の不満げな様子も見せずにいてくれた。その後タンクトップスタイルの服から介護用の多機能ベストのような服を着せるようになっていったのだが、その時も何もなく受け入れてくれた。人間と同じで、犬も年を取ると丸くなるのかな、なんて考えたりもした。

ともあれ、私たち家族も犬自身も、病気うまいこと付き合いながら、いつも通りの生活を続けていっていた。

そして2年前の初夏、ちょうど私が定期考査を終える頃に、犬が体調を崩して入院した。それと同時に、獣医さんからDMのことを聞かされた。そして、DMにかかっている犬の献体を受け付けている大学がある、ということも聞かされた。現段階ではヘルニアではなくDM可能性が非常に互いが、この病気脊髄病気から生きている間にその検査を行うことはできないため、除外診断的にしかからないこと、また今はまだ治療法どころか詳しいメカニズムさえも明らかにされておらず、病気の進行を見守るしかないということ。だからこそ、もしも亡くなったときには献体に協力してあげてほしい。そう、言われた。

私はその時点から亡骸を献体として提供することをある程度は覚悟していたが、家族の思いはもっと複雑だったらしい。今年の春先にようやく意見が固まったぐらいだったのだ。かくいう私も、それが本当に犬にとっても良いことなのか、最初は迷った。もちろん遠い目で見れば、病気が解明されて多くのDM犬が助けられるようになったほうがいいだろう。

だけど、そんなそろばん勘定ではものごとは片付かない。臓器移植云々で色々な意見が出ているのと同じだ。当人意思を省いた周りの勝手エゴで、犬に嫌な思いをさせてしまわないか? 何度そう考えたか、分からない。

それと同時に、家の中では車いすの話が持ち上がった。自宅から少し離れたところに、犬用の車いすを取り扱っているところがあるらしい。それを聞きつけてほんの少し後の2年前の7月初旬、本当に車いすを作ってもらうことになった。まだ前脚がまったく動かなくなったわけでもないし、車いすを使えば昔のように走り回ることができて犬も喜ぶだろう、という考えだったそうだ。

車いすを使い始めてすぐは慣れておらずたびたび角にぶつけたり私や家族の足を車輪で轢いて行ったりしたこともあったが(笑)、犬は車いすを気に入ってくれたようだった。昔のように散歩ができることを、何よりもうれしそうにしていた。体力が落ち、徐々に前脚にも力が入らなくなってくるまでずっと、その車いすと共に外を歩き回ったことをよく覚えている。

車いすに乗らなくなって少ししてから、悪い癖がついた。目に留まったものを噛んでボロボロにしてしまう癖だった。それまではほとんどそんなことをする子ではなかったが、動けないことへのストレスがたまっていたのだと思う。新聞に始まりプラスチック製のかご、障子、畳まで噛むようになった。少し目を離したすきにやられてしまうのでどうしようもなかった。帰ってきたら新聞バラバラになって床に散乱している、なんてのはしょっちゅうだった。

同じころに、褥瘡が見られるようになった。いわゆる床ずれだ。お腹のあたりを中心に、毛がなくなり、代わりにかさぶたのようなものができていった。とても痛々しく、見ていてもかわいそうだった。せめて早く治るようにと、患部を清潔に保つことを心掛けるしかなかった。

受験勉強で私しか家にいないときは同じ部屋に犬を連れてきて、冷房の効いた部屋にいさせて熱中症を防ぐと共に様子を気にかけつつ勉強する、なんてこともあった。基本的に昼間はずっと寝ているので、そのいびきに少し腹が立ったこともあったが、それもいい思い出だ。

私が高校卒業実家を出たころから、呼吸がおかしくなっていった。この頃には胸ではなくお腹で呼吸をするようになっていて、呼吸自体も荒くなったりすることもよくあった。また、それより前ではあるものの、鳴き声も以前のように太いものではなくて、かすれたような声で鳴くようになっていた。

息を引き取る二日前、お水もご飯も摂らなくなった。大好きなおやつミルクにも興味を示さなくなり、いよいよか、と覚悟した。DM基本的には食欲の低下は見られない。ただし、終末期を除いて。病院で点滴を打ってもらってから少し食べ物を食べたりもしたそうだが、嫌な予感は当たっていた。次の日の昼、呼吸がおかしくなり、そのまま息を引き取った。

学校からそのまま急いで実家へ帰り、亡骸とようやく対面した。寝ているときの様子とまったく変わらない、いつも通りの表情をしていた。そのとき、以前獣医さんが言っていたことを思い出した。DMは、たとえ進行していても犬自身は痛みを感じない。白血病で亡くなってしまったもう一匹のコーギー最期のその瞬間以外はずっと苦しそうだったけれど、この子は苦しまずに逝けた。それだけでもずっと幸せだったのかもしれない、と思った。

翌日の朝にDMコーギー献体を受け入れている大学へと訪れ、病気の経過を伝えるとともに献体として提供した。褥瘡の少ないからだを見た大学動物病院獣医さんに、よく介護されていたんですね、と言われ、自分たちのやってきたことは間違っていなかったんだとようやく一安心した。

そして、ご協力ありがとうございます、と何度も感謝された。大学のほうにはかかりつけの獣医さんに連絡してもらっていたそうなのだが、そのどちらからもすごく感謝されたことをよく覚えている。DMコーギー大学付属動物病院でも何匹か診ているそうなのだが、あまり献体提供することに協力的な飼い主さんはいないらしい。最後最後に、苦しい思いをさせるかもしれない。そんな気持ちは、誰だってあるだろう。

献体提供後、検査をした後にはペット葬儀社で個別火葬してもらい、お骨はこちらに戻ってくるとのことだった。私が実家を出る日の朝、ちょうどお骨が家に届いた。大学を訪れて3日後だったと記憶している。人間葬儀の時のようにしっかりとした骨壺と骨袋に入れられて帰ってきたそれは、他のペットたちの写真と一緒に今も実家に大切に保管されている。

2017-08-01

最小限の労力で手にした日々は、無味乾燥だった

今、仕事が終わって、雨上がりの駅のホームで帰りの電車を待っている

死んだ目をして、無表情で

私の現状は、安定した仕事もあるし、月一で出かける友人もいるので、傍から見ればまあ、悪くないだろう

ここまで来るのには、最小限の努力で来たように思う

いや、努力なんておこがましい

自分は、努力するのがとてつもなくかったるく思えて、目の前に選択肢が現れたときは、常に最小限の労力で済むものばかり選んできた

進学は、受験勉強したくないからと、自分学力を見て、余裕を持って受かる学校を選んだ

推薦は?と聞かれるけど、面接対策がかったるいからやめた

就職も、特にしたい仕事とかなかったので、大量に採用してくれるところばかりにエントリーして、大学4年のゴールデンウィーク前には内定貰った

あとは惰性でバイトして、最後学生生活を消費した

思えば、学生生活自体も、特に何もしなかった

自分学力に対して、偏差の低い学校に進学したので、試験特に何もしなくても上位をとれた

けれども、一番になる努力絶対したくなかった

かったるいか

部活も、運動部入って体力を消費する意味がわからなかったので、適当文化部所属した

適当文化部で、適当制作して、適当大会に出て、適当な賞を貰った

なんにも嬉しくなかった

交友関係も、自分には、人付き合い自体がかったるいものだったので、自分から特に何もせず、勝手に近寄ってくる人と会話して、適当遊んだ

なんにも楽しくなかった

人間関係がこんなんだから恋愛とかなんてしたことないし、駆け引き自体も面倒そうで、多分これからもしないと思う

人の気持ち考えるとか、かったるい

ようは、すべてのことに対して、こうしたいという目標目的もなく、ただ単に惰性で進んできた

こうして惰性で流れ着いた日々は、特に失敗も成功もなく、無味乾燥で無表情なものだった

仕事は大した残業もないし、内容も思考停止でこなせるものなので、勝手時間が過ぎて、勝手に一日が終わって、それが一ヶ月続けば、勝手給与が振り込まれ

そのお金の中から生活費捻出して、両親に仕送りして、余ったお金趣味にでも回そうか

でも、趣味開拓する努力もかったるいので、特に熱中するものもない

でも、買い物は好き

何もせずとも、金を払えは、要求したものが手に入るから

ああ、仕事での成功も、交友関係も、恋愛も、コンビニで買えるようなものだったらなって思う

それらには、興味がないわけでないが、それに対する努力をしようとすると、急に馬鹿馬鹿しくなるんで

この、クソみたいな読みづらい文章も、校正する努力もしたくないんだ

から、このまま投下するね

失敗は、したくないんだ

一度でいいから、満足できる成功体験がしたい

けど、リスクは負いたくない

努力なんてもってのほか

2017-07-26

不倫する男は死んでくれ

anond:20170726031924

俺は男だがお前のような不倫する男はマジで死んでくれ

第一志望の大学合格企業内定

受験勉強就職活動から解放であるように

俺にとって結婚恋愛から解放なんだ

(ついでに言えば前者2つのように「解放」後から本番なのも同じだ)


この過当でストレスフルな恋愛至上主義社会において

結婚という行為恋愛レースから抜け出せることでもあると思ったのに

なぜあえてまだ恋愛レースに参加する

AV観てオナニーするくらいは俺だってするが

配偶者以外の生身の女性相手性的な興味を持ち、ましてやアクションを起こすなよ

お前らのせいで俺は結婚指輪という

ゲームクリア済」の証を装備しているにもかかわらず

まだこのデスゲームの「参加者」だと思われるんじゃないかとビクビクしてなきゃいけないんだよ

俺は既婚者だぞ!

愛する妻がいるんだ!

他の女性性的な目でみたり「ワンチャン」狙ってたりしないし

逆に密着されて酌されてもまったく嬉しくねえ!

頼むから俺を性的存在から降ろしてくれよ

2017-07-04

普通人生

自分は、小さい頃からプライドが高かった。一人っ子というのもあり、自分に都合の良くないことが大嫌いだった。幼稚園小学校低学年のときはそれでも楽しかった。ガキ大将のように好き勝手に行動しても、勝手についてくる人はいたし、そんな人間を好きになる子もいたのだ。でも、そんな人間が好かれ続けるわけもなかった。それは小学六年のことだった。今までのように好き勝手に行動していたが、それが気に入らない人間はもちろんいる。端的に言えばいじめにあった。相手は隣のクラスのものだった。そのクラスリーダー存在たちから嫌われ、無視悪口を言われ続けた。中学に上がり、自然いじめはなくなったが、あのいじめによってその時自意識というもの意識したのだと思う。自分は、小太りで容姿も下の中、運動がとても苦手だったが、それをはっきり意識させられたのがあの頃だったと思う。女子の陰口でそのことを言われ、とても傷ついたことを覚えている。中学は隣の小学校の生徒とおなじになる。今まで、小学生の頃は小さい頃からの知り合いだったため好き勝手にしても友達でいられたが、中学で初めて会う人間はそうではなかった。容姿面白さが何よりも重要自分にはそれがなかった。いじめによって嫌われることが怖くなっていたのも相まって、なんとか面白さを手に入れようとして、いわゆるキョロ充になった。他人の顔色を疑い、会話中にはすぐ笑う。そうしていろいろなグループとなんとかやっていった。しかしそんなことをしても得られるのは薄い知人関係であって友人ではないとしるのは卒業する直前だった。

高校入学し、また容姿面白さにより決まるカーストと戦わなければいけなかった。中学とは違い、もともとの知り合いがほとんどいなかったため、そのカーストに勝つことはできなかった。無為なことはわかっていてもどうしようもなく、キョロ充に甘んじていた。それが2年まで続いた。カースト上位に行くために自分に残されているのは勉強だけだとこの時おもった。そして、三年になり、勉強に打ち込んだ。しかし、3年は最悪だった。自分のことを嫌っている体育教師担任となり、小学生以来のいじめをうけた。席替え自分だけ教卓の前固定でくじすら引かせてもらえなかった。また、受験勉強をはやくから頑張っていたのだが、毎日ホームルームで「運動せずに勉強ばかりしているこいつは気持ち悪い、そう思わないか?」ということを担任がふざけ半分で言い、笑いを取るということが当たり前になっていた。たちの悪いのが、自分部活女子同意を求め、「女子気持ち悪いってさ」と異性をつかってけなしてきたことだと思う。当時は意地の悪い教師だと思うだけで、気にしていないつもりだったが、大学に入ってこの記憶が頭にこびりついて、どの女子容姿の悪い自分のことを気持ち悪いと思っていると感じ、女子を恐怖してしまうようになってしまった。

まあまあい大学に入り、それでカースト上位になったと自己暗示を掛けて今日まで生きてきたが、もうだめかもしれない。

見ないふりをしていて、気にしていないふりをしてたが、みんな当たり前に大学生を楽しんでいて、自分はただ学歴を得ただけで、それ以上のことをなにも成し遂げられていないことに気づいてしまった。ツイッターを見れば、高校の同期の自慢が目に飛び込んでくる。見なきゃ良いじゃないか、そう思ってもつい見てしまう。羨ましい。どうして彼らは当たり前のように友達を作り、当たり前のように遊び、当たり前のように恋人を作ることができるのだろう。もちろん、そうでない人もいる。でも、そんな人達自分世界を持っていて、特別不満があるわけではない。カースト上位に行きたいと思ったのは、そういった楽しそうな人たちを見てきたからだ。彼らになりたくて、そのためにカースト上位に行きたくて、学歴でそこに行こうとしたが、学歴を手にする満足感で、それ以上のことができずにいた。というより、学歴を手にすれば後はなんとかなるものだと思っていた。でもそんなことはなかった。それに気づいたのが今だった。皆に比べて自分はどうか。大学勉強楽しいとも思えず、サークル活動もせず、バイト塾講師のような割のいいただ稼ぐことを目的にしたものしかできず、出会いもなく、友達も作ることができず、日々無為時間を過ごすのみ。大学まで来て、何もできていない。誰にも相手にされず、ただただ空気となるだけ。サークルに入っていれば、出会いのあるバイトをしていれば、もっと学部の人に積極的に話しかけていれば、高校の頃に友達付き合いを密にしていれば、そういった後悔を毎日している。でも、もう取り返しがつかない所まで来てしまった。3年になり、もうすぐ研究が始まるし、新しい関係を気づくには時間がおそすぎる。何にも本気になれずこの学年まできてしまった。将来なりたいものがあるわけでもない。みんなが普通にしている普通人生を味わってみたかった。でも、普通のはずの行動が、自分にはまったく当てはまらない。どうしてそんなに簡単普通が手に入るのだろう。大体の人は、勉強恋愛バイト、遊びなんでもそつなくこなしていく。自分より劣っているところが何もない。どうしてそんなに当たり前のように行動できるのだろう。羨ましくて、妬ましくてしょうがない。このまま進んでいって、人生楽しいのだろうか。一番楽しいはずの大学生活がまったく楽しめず、これから先の長い長い人生を過ごしていけるのだろうか。年をとるにつれ、経験が当たり前になる。いまだに小学生から進歩のない自分がそのギャップに耐えきれるのだろうか。後悔してもしょうがないことはわかっているが、友人と恋人は欲しかった。かまってほしいし、承認してほしかった。最近、こうしたことをずっと考えている。一ヶ月ほど、夜なかなか眠れず、鬱々とした気分で自分人生いかにつまらないものかを実感し続けている。これは鬱なのだろうか、どうにかなるのだろうか、どうすればいいのだろうか。本当に死んでしまいたいが、自殺する勇気すらわかないのだから、どうしようもない。

延々と考え続けてしまう。思ったことを書いただけで、支離滅裂だ。文章すらまともに書けない。

どうしても誰かに聞いてほしくて書いたが、たぶんツイッターでの自分と同じくほとんど相手にされないんだろうと思うと悲しくて仕方がない。

2017-07-02

異常という免罪符が欲しくてIQテストを受けたら父親を殺したくなった

子供時代が辛かった。

父は家庭放棄で不在。母は病気で親戚の家で肩身の狭い思いをしながら暮らしていた。

周りを見れば、なんで私がこんなに苦しいのにお前らはニコニコ笑っているんだという気持ちだった。

勉強ができない子にものを教えるのも苦痛だった。何故わからないのかがわからいから。

性格の悪さと見下しが見抜かれたのか、一時女子からいじめられた。でも親に何かを言える状態になかったので耐えた。誰も助けてくれる人間はいないと思った。大人子供も信じられなかった。

大人になっても人間不信は尾を引いて、他人と親しくなろうとは思わなかった。

私は異常だから、これまでもこれからいじめられるし嫌われるんだと思い込みたくて、異常者の烙印が欲しかった。

ただの甘えだとわかっている。

大人になってから特別に親しい人はいないものの、仕事で困るようなトラブルは抱えていないし、表面上の付き合いなら難なくできるし、わざわざ指名してくれる人もいる。

ボーダー寄りではあるかもしれないけど、異常には入らないことはわかっていた。

でも、アスペルガーなりADHDなりの診断が下されれば、この生きづらさの証明がもらえる気がした。

身内にアスペルガー診断を受けた人間がいるので、その話をするとすんなり保険適用受診できた。

結果として、MENSAに入れるくらいの数字が出た。言語IQは多少高いかもしれないと予想していたが、自分では鈍臭くてトロくてまるで使い物にならないと思っていた動作IQですら平均以下の項目は1つもなかった。

発達が早いと子供時代は周囲に対等な人間がいないので浮いてしまうが、大人になるにつれ人に合わせるのにも慣れてきて、軽快することが多いと言われた。

確かに子供時代よりはずいぶん精神的に楽になったけど、記憶力が異様にいいせいで子供時代の嫌な思い出が定期的にフラッシュバックしてくる。

IQも男ならまだ救いがある。IQ幻想が強く勉強ができればある程度は認められる素地がある。女社会にそんな文化はないのでどうにか女性と関わらないようにして生きている。

MENSA会員を公言する女性男性よりはるかに少ないらしい。如何に高IQ女性が求められず居場所がないかがわかる。

多分、このIQ受験勉強なしで国立大に平然と受かった父に由来している。

個人には何もしてくれなかったくせに、無駄に生きづらいIQという呪いだけを残していった父親を殺したいし自分死にたい

早く高IQ児を発達異常だと認めてギフテッド教育なりなんなりして、世間から隔離した安全環境で育てる制度を整えてほしい。周りに誰も自分理解できる人間がいない孤独を味あわせないでほしい。

2017-06-30

はてなに来て約1年。安倍政権が嫌いになりネトウヨのことはさらに嫌いになった。

私は近畿圏で生まれ育って今は関東圏で暮らしている。

小学生の頃に政治のことに興味持って読売テレビそこまで言って委員会とかテレ朝ムーブ!とか見てた。

中学生のころは痛いニュースとかハム速とか見てネトウヨ思考になり、韓国中国はもちろん嫌いで自分自身女なのに「女って本当くそだわ(笑)」みたいなこと思ってた。高校生の時は受験勉強恋愛に忙しかったのでなにも考える余裕がなかった気がする。大学生の時はデモをする人たちのことを心底バカにしてた。大学卒業してからネトウヨまじきっしょって思うかんじになってた。

なんかのきっかけか忘れたけど、はてなブックマークに来て左よりっぽい思考になった。でも振り返ると本質全然変わってなくて悲しくなるわ。ただその場の雰囲気に流されてるだけなんだよな。

この5年間くらい思想あんまり変わらない人に聞きたいんだけど、この3年間で安倍政権って酷くなった?もともとこんなもん?もう何もわからない。

2017-06-24

ギャル

https://anond.hatelabo.jp/20170624093754

・黒ギャルオタクゴミだと思っている

まあたしかにあまり相性はよくないかもしれない。

俺はオタクだし、黒ギャル友達はひとりもいない。

でも黒ギャルに関する思い出ならいくつかある。

幼稚園児の頃。横浜デパートで両親とはぐれて迷子になった時、黒ギャルに助けてもらった。

ギャルは泣いてる俺の手を引いて、お客様案内所まで連れて行ってくれた。

両親が迎えに来るまでの間、黒ギャルが俺の隣に座って一緒に待ってくれた。

ギャルは俺にノートペンを貸してくれた。俺はそれに絵を描いた。

ギャルがその絵をやたらと褒めるもんだから、俺はうれしくなって、すっかり泣き止んで、得意気に絵の解説をした。

別れ際に黒ギャルが俺の頭を撫でた。とてもいい香りがしたのをはっきりおぼえてる。ココナッツオイル匂いだったのかな。

浪人時代。俺は大学受験に失敗して落ち込んでいた。

11年飼ってた猫が行方不明になったり、父親会社が傾いたり、いろんな不幸が重なって、最低な時期だった。受験勉強なんて一切してなかった。

まりに金が無かったから、短期アルバイトをすることにした。夏だった。高田馬場でチラシ配り。資格専門学校のチラシだった。

現地で学校職員と待ち合わせて、ペア仕事をするんだけど、そこに現れた職員が黒ギャルだった。一応スーツは着てたけど、どう見ても黒ギャル学校職員なのに黒ギャル。意外過ぎた。

もっと意外なことに、黒ギャルは始業後すぐに郵便局に行って、大量のチラシを自分の家に郵送してしまった。

処分しとくよ」黒ギャルはそう言って笑った。

そのまま黒ギャル運転する社用車湘南の海に行った。黒ギャル私服に着替えた。ふたりで浜辺にビニールシートを敷いて、寝転がりながらいろんな話をした。

あの日は一体何だったんだろう。思い返すと、まるで現実感が無い。

もちろん黒ギャルがやったことは最低だ。それに従った俺も同罪。そんなことはわかってる。でも、めちゃくちゃ楽しかった。どん底の時期だったけど、すごく気分が上がった。

翌日から猪瀬直樹みたいな不機嫌そうな顔の職員に見張られながら、炎天下、ひたすらチラシを配った。地獄だった。

ギャルとは二度と会えなかった。あん調子だったから、とっくにクビになってるかも。いや、意外とうまくやってるのかな。

俺はあの日を境に真面目に受験勉強をするようになった。大学生になれば、もっと楽しいことがたくさんありそうな気がしたのだ。あの黒ギャルは俺にとって希望象徴だった。とにかく輝いて見えたのだ。やってることは最低だったけど。

これはけっこう最近の話。どうにか大学生になった俺はネットカフェバイトしてるんだけど、うちの店、夜勤ワンオペなんだ。

狭い店だから普段はひとりで充分なんだけど、その日は急に体調が悪くなり、窮地に陥った。

まともに立ってられないほどつらかった。午前3時過ぎ。真夜中だ。代わってくれるスタッフもいない。

吐き気はするし、なんだか視界も歪んできた。頭が割れそうに痛い。これ、なんかヤバイ病気なんじゃねえか? 

やっぱり誰か呼ぼう。それしかない。そんなことをぼんやり考えながらカウンターでしゃがみこんでたら、客が来た。

ギャルだった。たまに来る客だ。たぶん近くのガールズバーに勤めてるんだと思う。仕事終わりに店に寄り、始発を待って帰ってるんじゃないかな。

俺はこの黒ギャルが苦手だった。いつも不機嫌そうだし、金の払い方も乱暴。たまにめちゃくちゃイカツイ男と一緒に来ることもあって、単純に恐いというのもあった。

でもその日の黒ギャルはいつもと違った。俺を見るなり「なんか顔色やばくない?」と話しかけてきたのだ。それまで会話なんてしたことなかったのに。

「いやあ、かなり具合悪くて」と俺が言うと「休んだ方がいいよ」と心配してくれた。

代わりのスタッフがいないからどうすることもできない、俺は黒ギャルにそう説明した。

そしたら黒ギャルが言ったんだ。

「私が店番しようか?」

一瞬、耳を疑った。何を言ってるんだ。冗談にもほどがある。でも、黒ギャルは真顔だった。どうやら本気みたいだ。恥ずかしいけど、ちょっと泣きそうになった。

はいえ、バレたら一発でクビだ。カウンターの様子は防犯カメラに録画されてる。万が一、店長にチェックされたら終わり。

「体調が悪かったので、お客さんにレジを代わってもらいました」

そんなバカな話、通用するはずがない。

でも俺はあまりにしんどくて、朦朧としていて、まともな判断力を失ってた。

われながらどうかしてたとしか思えないんだけど、俺は黒ギャルに店番を代わってもらった。つらすぎて半ばやけくそになってたのかもしれない。とにかく少しでも横になりたかった。

俺は黒ギャルレジ操作説明して、入店と退店のやり方を教えて、空いてるフラットルームで寝かせてもらった。

それから朝まで、黒ギャルが店番をしてくれた。平日の深夜だから客の動きなんてほとんど無かったけど、それでもありがたかった。三時間ぐらい寝たら、頭痛吐き気も治まった。

俺は黒ギャルに何度も礼を言い、どうして助けてくれたのかたずねた。なんか死にそうな顔してたし、この店よく使うし。黒ギャルはそう言って笑った。

ギャルが帰って、交代のスタッフが来て、俺は退勤後すぐに病院へ行った。ただの風邪だった。

後日、知人にこの話をしたら、窃盗リスクを考えた方がいいと言われた。それは大丈夫と俺は応えた。根拠は無いんだけど。

とりあえず黒ギャルに何かお礼がしたいんだけど、あれからいちども店に来ない。

以上が俺の黒ギャルに関する思い出。こうして振り返ると、ずいぶん黒ギャルに助けられてきたんだな。

色々ぶっとんではいるけど、俺にとって黒ギャル天使みたいなもんだ。黒い天使

2017-06-23

就活疲れた

今までの人生、失敗ばかり。

若い時の時間の使い方を間違えた。

高校の時は受験勉強大学時代バイトしかせず、就活はうまくいかなかった。

自分と向き合う時間がなかった。

就活自己PRが非常に苦手だ。

自分をどういいように言い繕っても嘘っぽく感じる。

自信がないからだ。

思うに、高校以後の学生時代勉強というのは二の次で、

自分がどんなものに心が動かされ、なんに対して感動し、

どういう人間であるかっていうのを知る時間だったんだなと後悔している。

それが見つからなければ、勉強する。

勉強して、何に心動かされるかを見つける。そしてそれについての教養思考を深化させる。

自分場合勉強という手段目的化していた。

そういう人間はやがて、燃え尽きると、心が折れる

場所がわからなくなる。

20代最後の歳だから、もう一度やり直そうとしている。

今度はどんな人生を歩もうかな。

今度は失敗しないぞ。

まだまだ人生修行中。小さな決意表明である

2017-06-22

https://anond.hatelabo.jp/20170622220827

彼女彼氏と付き合えるなら付き合え。

そうでなければ(学問とかスポーツとか役に立ちそうなことで)熱中できるものを見つけろ。

さらにそれもできなければ受験勉強に専念しろ目標は高く東大を目指せ。

同性の友達とダラダラ遊ぶだけなら大学生か最悪社会人からでもできる。

2017-06-10

別に大したことじゃない

 私は、京大理系出身で、年齢は30代後半。先日、同じ学科出身の友人と飲んでたら、友人はこんなことを言った。


 「別に自分たちって、大したことないよなあ。周囲からは『京大出身だ。凄い』って騒がれることもあるけど

 実際に中にいた者から見ると、全然普通って感じ」


 私もこれには全く同感。でも、大学時代の周囲を見てても、確かにめっちゃ頭がいい人とか、めっちゃ変わった人がいることは事実

ただ、そういう人の割合は、せいぜい全体の1~2割程度で、逆に考えれば、8~9割は常人ということになる。

まあ、京大と言っても、実際のところは、そんなもんじゃないだろうか…。


 じゃあ、どうして京大生って言っても、みんな普通なんだろうか?ちょっと考えてみた。


 やっぱり、何やかんや言っても、京大入学するのは難しいと思うので、入学試験でどういう人が合格して入ってくるのか?を

考えた。私の場合理系なので、理系に絞って話をする。(文系は分かりません)


 まず、日本入学するのが難しいのは、東大京大、それと国公立医学部である理系の定員は、東大が約2000人、

京大が約2000人、国公立医学部が約6000人で、合計すると約10000人。つまり、全理系受験生の中で、上位1万人に

入ることができたら、京大合格して入学することができる、ということになる。


 理系学部に入るために、必須なのは微分積分物理である。これが理解できてなかったら、多分入学してから死ぬだけなので、

ここは外せないだろう。で、18歳人口は100万人くらいいるわけだが、その中で微分積分物理理解している人口って

どのくらいだろうか?と考えると、せいぜい7~8万人くらいじゃないか?と思う。これは、理系ならみんな受験するであろうセンター試験

物理で70点以上取った人数を、平均点から推定すると、だいたいこのくらいだ、ということ。センター物理で70点っていうのは、若干理解が怪しい

と思われるけれども、根本的な部分をある程度分かってないと取れない点数じゃないだろうか…ということで。


 次に、微分積分物理理解していたとして、本当に東大京大、国公立医学部を目指すのか?という問題がある。

まあ、試験は非常に難しいと言われているので、最初から自分はムリだ」と決めつけて目指そうとしない人や、家の近くの地元大学に行きたくて

かつ医学部がイヤな人、高校時代青春受験勉強以外のことに捧げる人など、いろんな理由で目指さない人の方が多いだろう。

そうすると、目指すのは上記の7~8万人のうち、せいぜい2万~2万5千人程度になるのではないだろうか…。


 で、最後に、目指した人の中で、上位1万人に入る必要が出てくる。人数としては、せいぜい2万5千人程度しかいないので、その中で上位1万人に

入るのは簡単だと思われるかもしれないが、実際にはそれなりに頭脳に自信がある人ばかりが挑戦するので、よほど天才的な

人じゃない限り、普通にやってただけでは、なかなか上位1万人に入ることは難しいだろう。


 ただ、自分なりに工夫して対策を立てて勉強すれば、上位1万人に入ることは可能だと思う。例えば、私の場合は1浪したんだけど

浪人中は途中から予備校に行かなくなり、家に引きこもって、ひたすら問題を解いていた。予備校の授業に行っても、結局は解いた問題

解説をしているだけで、「授業で解説している時間に、他の問題を解いたら、人よりたくさん問題演習できるんじゃないか?」

ということに気付き、予備校に行かずに、家でひたすらたくさんの問題を解いたのである。そんなわけで、自分京大合格した大きな要因は、

「人よりたくさん問題を解いたから」ということに尽きるのではないか?と思っている。


 つまり京大生って言っても、


 微分積分物理理解し、受験の時に自分なりに工夫した人


 にすぎないんだ、ということ。まあ、微分積分物理理解するのは結構大変だし、才能も必要だと思うが、もし理解できるような頭脳の持ち主で

あれば、あとはそれなりに工夫すれば合格できるんだと思う。このことが、そんなに凄いことか?と言われると、別にそれほどのものでは

ないだろう、と思う。人間業があれば十分に達成できるものではないだろうか…。なので、京大生って言っても、結構普通の人が多い、という

感覚は、このように考えれば、確かにそうなるだろうなあ、と思うわけです。

2017-06-08

裕福な家に生まれ

からって金持ちって言わないでほしい。

「俺だって金さえあれば大学院くらい」って言われたこともあるし、院生ですって言った途端に「金持ちなんですね」って言われたこともある。

確かにある程度の収入の親がいないと大学院まで来られなかったかもね。

それでもこういうことを言われる度に地味にダメージだった。

私の努力を無にされてるようで。

別に特別努力したなんて言わないよ。

ただあなたがしたような努力(受験勉強とか)は私も同じようにやってきたんだよ。裏口入学したわけでもあるまいし。金持ちとなんか関係あるか?奨学金で来てる人だっていると思うよ。

もちろんこういうこと言わない友達はたくさんいてくれる。

でも金持ちだって言われる度にモヤモヤする。

ていうか口に出さないでいてくれたらそれでいいのに。思うことは止められないから。

私の努力無視しないで!とかそんな大袈裟なこと言わないよ。

すぐに何でもかんでも金に結びつけるなんてお下品ですね

次言われたら言ってやりたい。

2017-06-04

このまま終わりたくない

中学生の頃、半ば強制的駅伝部に招集された。

3km走るのがほんとに辛くて、夏が終わって大会に合わせて作られた駅伝部の活動が休止した時かなり嬉しかった。

中学1年の冬、何故か駅伝部の顧問に目をかけられていた僕は朝6時半に集合させられ30分ほど走るようになった。

辛かったけど先生が怖くて辞めたいと言い出せず言われるがまま走り続けた。

中学2年の夏になり、また駅伝部が設立され、当然のごとく僕は招集された。

1年生の頃はゴールした時「よくがんばったね」と教師陣に拍手されながら迎えられたドンケツの僕は、誰よりも速く3kmを走りきった。今度の拍手は心地よかった。

その年、一つ上の先輩と自分の力で県大会進出することができた。東北大会の出場も圏内だったが、6区最後を走った先輩が失速し4位。東北大会に進めるのは3位まで、僕らの夏は終わった。

また冬が来た。

去年と同じように指導者に流されるまま朝から30分校庭をジョギングした。

「凄く速い生徒がいるらしい」と今年の活躍口コミで広がっていたのか、ちらほら見学する生徒が現れていた。

真冬太陽も出ていないのになぜかサングラスを掛けている顧問は何人かに声をかけ朝練習に合流させた。

一人で走り込んでいた僕に仲間ができた。

巡って中学生最後の夏が来た。

冬場の合同練習の成果が出たのか市大会簡単突破できた。

大会に駒を進め、前年度の雪辱を果たす機会を得た。

僕が三区で襷を受け取った時順位は3位だった。

東北大会に進めるのは3位までの学校で、全国大会に進めるのは1位だけだ。残念ながら東北大会から全国にはつながらない。全国を目指すならこの県大会で優勝するしかない。

勾配の強い山道を駆け抜け、中間地点となる1.5kmを突破すると一気に下りとなる3区。

僕は前半2位との距離が極力開かないようにペースを抑えて走り、1.5kmを過ぎた時点で勝負をかけた。

ストライドを狭めて脚への負担が大きくならないよう気を付けながら、ピッチを上げてペースを速める。

2位を抜き、襷を受け取った時点で1分近い差のあった1位の後ろにつけて4区に襷を渡した。

そこからの流れは疲れ果てて休憩しているうちにレースが終わったので分からないが、僕らの学校は1位を取った。

設立から何十年と経つ学校だったか、特段スポーツに力を入れているわけではないので全国大会運動部が出場するのは初の快挙だった。

僕らは涙を流しながら抱き合った。

顧問は「当然だ」とだけ言い拠点を黙々と片付け始めた。いつもはこういった雑務をしない人なので多分照れ隠しなのかなと思う。

数ヶ月が経ち、東北大会でのレースを済ませた僕らは全国大会舞台に立った。

1区を出走することになった僕は、正直自信過剰だった。

実際3kmの持ちタイムは9分を切っていて、全国でも上位を争えるレベルだった。

全国大会当日、会場であった山口県は小雨の降る肌寒い日だった。

詳しくは知らないがまるでゴルフ場のような芝生とタータントラックのみのコースだったので7mmピンのスパイク大会に臨んだ。

だがこの判断が間違いだった。

ほとんどスパイクで走ったことのない僕はスパイクの引っかかりの強さが予想以上に強かったことに焦った。対応できなかった。

下りになるたびに引っかかりのせいで止まってしまい、体力を無駄に使った。

集団に揉まれながらゴールへとたどり着いた時には全校50近い内20位ぐらいだった。

僕が入賞圏内でタスキを渡し、後半逃げ切りという作戦を立てていた僕らはそのままズルズル順位を落とし入賞県外で終わった。

僕は泣きながら仲間たちに「ごめん」と謝った。

仲間たちは僕のおかげでここまで来れた、むしろ僕らがもっと速ければともらい泣き?していた。

自信に満ちていて、いつも問題があれば僕らを叱った顧問は「この結果はすべて俺の責任だ」といい腕を組みながら謝っていた。

同級生たちが受験勉強に明け暮れる中、僕は色んな所からきた特待生勧誘やらを前に迷っていた。

「これから先でも戦えるのだろうか」

全国大会天狗の鼻はボキボキに折れていて、地元友達皆が行く近場の学校入学しようと考えていた。

そんな話をどこから聞きつけたのか駅伝部の顧問が僕を放課後呼び出し、スポーツ科の存在する学校への入学を促してきた。

僕はなんだかんだ付き合いは長いけれど、まだ顧問のことが怖く、流されるままスポーツ科のある学校へと進学した。ただ迷っていたのもあったのでこの言葉は当時嬉しかったと思う。

県内同級生に噂は聞いていたが僕より速いやつがいた。

正直有名すぎるのでマニアにはバレるため詳細な情報は伏せるが全国大会3000mで異常な成績を残したとだけ書いておく。

そいつが僕と同じ学校入学するらしい。

僕は期待と不安を抱きながら、その高校入学した。

高校生活は人生の中で最もつらい時期だった。

教師は怖く、理不尽が人の形をしたような奴だった。

結果を出さなければ殴られ、結果を出しても褒めることはせずもっと行けただろと怒られる。自尊心ボロボロだ。

それでもなんだかんだタイムや実績を残してきた僕には優しい方だったが、やはり大分精神的に消耗していた。

ただ教師陣には恵まれなかったが仲間には恵まれた。

前述した僕より速いやつは相当に人間ができているやつだったし、他の部員たちも僕のことを知っていて仲良くしてくれた。

色々ありながら高校1年の夏を終え、雪が降る季節になった頃事件が起きた。

僕の身体は厳しすぎる練習に耐えきれず、股関節が剥離骨折した。

この事実教師に伝えた所、「お前は逃げるのか?迷惑から走れ」と練習強制された。

当時はつらすぎて逃げ出したかったがスポーツ科だったため、部活を辞めれば学校もやめなければいけない。

僕は言われたとおり痛み止めを投与しながら練習を続けた。

そして怪我はよりひどくなり最終的に歩けなくなった頃、「もう限界です、休ませてください」と伝えたところ毎日誰よりも早く来てグラウンド整備をすれば許可しようと言われた。

今思えばおかしい条件な気がするが、当時は「ありがとうございます!」と心から感謝していた気がする。頭がおかしい。

歩くのも痛かったが処方された痛み止めを飲めば我慢できたし、走るよりはマシだったので頑張って毎日グラウンド整備をしていた。

この剥離骨折は結局治るのに1年近くかかった。

1ヶ月ぐらい経つと教師に「もう治っただろ走れ」と言われるので走り、また悪化させるという繰り返しがこれだけ怪我を長期化させた原因だと思う。

ようやく治った頃にはもう高校3年生で同級生や後輩に大きく実力差を付けられていた。

それでもなんとか自分なりに練習を重ねた結果冬場の駅伝には出場できた。3kmの高校生にとって繋ぎ区間だったが。

少し時期は前後するが3年の夏頃、僕は進路を迷っていた。

怪我はなんとか治っていたがこれ以上走るのは明らかに限界だと感じていた。

それでもなんだかんだ高校1年生の頃に5kmを14分台では走れていたので、タイムだけで弱小校ならスポーツ推薦が可能な状況だった。

僕は迷った。

でも中学生の頃卒業文集にも書いた「箱根駅伝出場」を諦めきれずスポーツ推薦を選択した。

高校での陸上生活が終わり、大学へと進学した。

だけど僕の身体はもう限界だった。

1ヶ月以上練習継続できないのだ。

少し走れば足首が、膝が、股関節が、どこかに痛みが出てしま練習ができなくなる。

救いなのは大学はある程度自由トレーニングメニューを組めたので、怪我をすれば悪化する前に休息を取れたことだろう。

ただこんな練習頻度で化物揃いの大学陸上を勝ち抜くことはできず、関東インカレの出場はできたが成績はダメダメで、結果は出せなかったし、箱根駅伝メンバーに選出されることなど夢のまた夢だった。

僕は多分中学生の頃の栄光をまだ引きずってるんだと思う。

大会で全国出場を決めた時の高揚感、あれをもう一度でいいから味わいたいんだと思う。

大学4年生になり、実業団に進むか就職をするか悩んでいる。

正直箱根駅伝メンバーにもなれない人間実業団に進んだところで伸び悩み3年以内に首を切られるの分かってる。

でも頭ではわかっていても感情が走ることを求めてしまっている。

現実は厳しくて、身体が急に良くなって20km以上の距離を走っても壊れなくなるわけがないのに。

中学生の頃の栄光が、高揚感が、僕をこのまま終わりたくないと感じさせている。

2017-06-02

本田圭佑の言っていることが単純に日本語としてよくわからない

本田圭佑若者自殺に「他人のせいにするな!」⇒ ネット上で物議「他人のせいにできないから...」 http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/30/keisuke-honda-tw_n_16887860.html

他人のせいにするな!政治のせいにするな!!生きていることに感謝し、両親に感謝しないといけない。今やっていることが嫌ならやめればいいから。成功に囚われるな!成長に囚われろ!』

現在物議を醸しているツイートである

自分は身近に自殺をしたひとがいた。その立場から言えば、やはりあまりいい気持にならないツイートである

それ以上に胸に残る不快感が「単純に日本語として意味がわからない」ということである

初めて読んだ時から今でもずっと意味を考えあぐねているのが

成功に囚われるな!成長に囚われろ!』

という一言である

彼のいう成功意味ってなんだ?成長ってなんだ?成功と成長ってどれほど意味が違うんだ?

成長に囚われていれば死ななかったのか?何故?根拠はどこに書いてあるんだ?

そもそも『囚われる』ってどういう意味だ?

なんだか自己啓発書の中に出てきそうな一文だと感じた。

ヒントは『今やっていることが嫌ならやめればいいから。』だろう。

『今やっていること』これがおそらく『成功』のために実行していること、という意味なのではないだろうか。

例えば受験勉強に疲れて自殺した学生とか、職場出世しようとしてうまくいかなかった会社員とか、そういった事件想像したのかもしれない。

人より上に立つことばかり目指して(=成功自分の身と心をすり減らすくらいなら、そんなことはやめてしまったほうがいい――そう呼びかけているのだとしたら、本田圭佑選手の言っていることも分からなくない。

(ならば成功と成長とはどこまで意味が違うのかという疑問は残るが)

ただしこれは私が彼のツイート深読みした結果にすぎず、独自解釈の一つでしかない。

本田圭佑選手が本当は何を言いたかったのか、それはもう少し言葉を足してもらわないとまるで意味が分からないのだ。

本田選手言葉本田選手自身他人に伝わる形にしないと伝わらない。

ツイッター上では本田圭佑選手言葉批判する人の声が見られた。しかしその反論も、個々人の深読みだったり、あるいは一個人体験のみが根拠であったりした。

一方で絶賛する人の声もあった。しかしそれは、本田圭佑選手ツイートの中に選んだ単語が持つポジティブ意味にのみ惹かれている気がした。

私は最初に述べたように、身近に自殺者がいるという事情から「気分がよくない」とは思った。

しかし正直なところは「本田圭佑の言っていることが単純に日本語としてよくわからない」ことに一番戸惑っている。

それゆえ、本田圭佑選手言葉共感した人には、いったいこのツイートをどう日本語として読解し、どの部分に共感したのか、それを教えてもらいたいし、反論した側には、自分の感じた不快感理解しようとしてツイート深読みに陥り、本人が意図したところとは全く違う観点から自殺問題をとらえていないか心配になるのである

私が思うのは、本田圭佑選手は、自分の心にわっと沸いた熱い感情のようなものを、他人に伝えるための論理的文章に落とし込む力がまだ足りてないのでは、ということだ。

SNS初心者だというから仕方ないのかもしれない。

しか自身の影響力を考えれば、当該ツイートについて補足説明くらいはしておく必要があるだろう。

本当に彼の言っていることが日本語として理解できないから。

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