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2017-06-24

ギャル

https://anond.hatelabo.jp/20170624093754

・黒ギャルオタクゴミだと思っている

まあたしかにあまり相性はよくないかもしれない。

俺はオタクだし、黒ギャル友達はひとりもいない。

でも黒ギャルに関する思い出ならいくつかある。

幼稚園児の頃。横浜デパートで両親とはぐれて迷子になった時、黒ギャルに助けてもらった。

ギャルは泣いてる俺の手を引いて、お客様案内所まで連れて行ってくれた。

両親が迎えに来るまでの間、黒ギャルが俺の隣に座って一緒に待ってくれた。

ギャルは俺にノートペンを貸してくれた。俺はそれに絵を描いた。

ギャルがその絵をやたらと褒めるもんだから、俺はうれしくなって、すっかり泣き止んで、得意気に絵の解説をした。

別れ際に黒ギャルが俺の頭を撫でた。とてもいい香りがしたのをはっきりおぼえてる。ココナッツオイル匂いだったのかな。

浪人時代。俺は大学受験に失敗して落ち込んでいた。

11年飼ってた猫が行方不明になったり、父親会社が傾いたり、いろんな不幸が重なって、最低な時期だった。受験勉強なんて一切してなかった。

まりに金が無かったから、短期アルバイトをすることにした。夏だった。高田馬場でチラシ配り。資格専門学校のチラシだった。

現地で学校職員と待ち合わせて、ペア仕事をするんだけど、そこに現れた職員が黒ギャルだった。一応スーツは着てたけど、どう見ても黒ギャル学校職員なのに黒ギャル。意外過ぎた。

もっと意外なことに、黒ギャルは始業後すぐに郵便局に行って、大量のチラシを自分の家に郵送してしまった。

処分しとくよ」黒ギャルはそう言って笑った。

そのまま黒ギャル運転する社用車湘南の海に行った。黒ギャル私服に着替えた。ふたりで浜辺にビニールシートを敷いて、寝転がりながらいろんな話をした。

あの日は一体何だったんだろう。思い返すと、まるで現実感が無い。

もちろん黒ギャルがやったことは最低だ。それに従った俺も同罪。そんなことはわかってる。でも、めちゃくちゃ楽しかった。どん底の時期だったけど、すごく気分が上がった。

翌日から猪瀬直樹みたいな不機嫌そうな顔の職員に見張られながら、炎天下、ひたすらチラシを配った。地獄だった。

ギャルとは二度と会えなかった。あん調子だったから、とっくにクビになってるかも。いや、意外とうまくやってるのかな。

俺はあの日を境に真面目に受験勉強をするようになった。大学生になれば、もっと楽しいことがたくさんありそうな気がしたのだ。あの黒ギャルは俺にとって希望象徴だった。とにかく輝いて見えたのだ。やってることは最低だったけど。

これはけっこう最近の話。どうにか大学生になった俺はネットカフェバイトしてるんだけど、うちの店、夜勤ワンオペなんだ。

狭い店だから普段はひとりで充分なんだけど、その日は急に体調が悪くなり、窮地に陥った。

まともに立ってられないほどつらかった。午前3時過ぎ。真夜中だ。代わってくれるスタッフもいない。

吐き気はするし、なんだか視界も歪んできた。頭が割れそうに痛い。これ、なんかヤバイ病気なんじゃねえか? 

やっぱり誰か呼ぼう。それしかない。そんなことをぼんやり考えながらカウンターでしゃがみこんでたら、客が来た。

ギャルだった。たまに来る客だ。たぶん近くのガールズバーに勤めてるんだと思う。仕事終わりに店に寄り、始発を待って帰ってるんじゃないかな。

俺はこの黒ギャルが苦手だった。いつも不機嫌そうだし、金の払い方も乱暴。たまにめちゃくちゃイカツイ男と一緒に来ることもあって、単純に恐いというのもあった。

でもその日の黒ギャルはいつもと違った。俺を見るなり「なんか顔色やばくない?」と話しかけてきたのだ。それまで会話なんてしたことなかったのに。

「いやあ、かなり具合悪くて」と俺が言うと「休んだ方がいいよ」と心配してくれた。

代わりのスタッフがいないからどうすることもできない、俺は黒ギャルにそう説明した。

そしたら黒ギャルが言ったんだ。

「私が店番しようか?」

一瞬、耳を疑った。何を言ってるんだ。冗談にもほどがある。でも、黒ギャルは真顔だった。どうやら本気みたいだ。恥ずかしいけど、ちょっと泣きそうになった。

はいえ、バレたら一発でクビだ。カウンターの様子は防犯カメラに録画されてる。万が一、店長にチェックされたら終わり。

「体調が悪かったので、お客さんにレジを代わってもらいました」

そんなバカな話、通用するはずがない。

でも俺はあまりにしんどくて、朦朧としていて、まともな判断力を失ってた。

われながらどうかしてたとしか思えないんだけど、俺は黒ギャルに店番を代わってもらった。つらすぎて半ばやけくそになってたのかもしれない。とにかく少しでも横になりたかった。

俺は黒ギャルレジ操作説明して、入店と退店のやり方を教えて、空いてるフラットルームで寝かせてもらった。

それから朝まで、黒ギャルが店番をしてくれた。平日の深夜だから客の動きなんてほとんど無かったけど、それでもありがたかった。三時間ぐらい寝たら、頭痛吐き気も治まった。

俺は黒ギャルに何度も礼を言い、どうして助けてくれたのかたずねた。なんか死にそうな顔してたし、この店よく使うし。黒ギャルはそう言って笑った。

ギャルが帰って、交代のスタッフが来て、俺は退勤後すぐに病院へ行った。ただの風邪だった。

後日、知人にこの話をしたら、窃盗リスクを考えた方がいいと言われた。それは大丈夫と俺は応えた。根拠は無いんだけど。

とりあえず黒ギャルに何かお礼がしたいんだけど、あれからいちども店に来ない。

以上が俺の黒ギャルに関する思い出。こうして振り返ると、ずいぶん黒ギャルに助けられてきたんだな。

色々ぶっとんではいるけど、俺にとって黒ギャル天使みたいなもんだ。黒い天使

2017-06-23

就活疲れた

今までの人生、失敗ばかり。

若い時の時間の使い方を間違えた。

高校の時は受験勉強大学時代バイトしかせず、就活はうまくいかなかった。

自分と向き合う時間がなかった。

就活自己PRが非常に苦手だ。

自分をどういいように言い繕っても嘘っぽく感じる。

自信がないからだ。

思うに、高校以後の学生時代勉強というのは二の次で、

自分がどんなものに心が動かされ、なんに対して感動し、

どういう人間であるかっていうのを知る時間だったんだなと後悔している。

それが見つからなければ、勉強する。

勉強して、何に心動かされるかを見つける。そしてそれについての教養思考を深化させる。

自分場合勉強という手段目的化していた。

そういう人間はやがて、燃え尽きると、心が折れる

場所がわからなくなる。

20代最後の歳だから、もう一度やり直そうとしている。

今度はどんな人生を歩もうかな。

今度は失敗しないぞ。

まだまだ人生修行中。小さな決意表明である

2017-06-22

https://anond.hatelabo.jp/20170622220827

彼女彼氏と付き合えるなら付き合え。

そうでなければ(学問とかスポーツとか役に立ちそうなことで)熱中できるものを見つけろ。

さらにそれもできなければ受験勉強に専念しろ目標は高く東大を目指せ。

同性の友達とダラダラ遊ぶだけなら大学生か最悪社会人からでもできる。

2017-06-10

別に大したことじゃない

 私は、京大理系出身で、年齢は30代後半。先日、同じ学科出身の友人と飲んでたら、友人はこんなことを言った。


 「別に自分たちって、大したことないよなあ。周囲からは『京大出身だ。凄い』って騒がれることもあるけど

 実際に中にいた者から見ると、全然普通って感じ」


 私もこれには全く同感。でも、大学時代の周囲を見てても、確かにめっちゃ頭がいい人とか、めっちゃ変わった人がいることは事実

ただ、そういう人の割合は、せいぜい全体の1~2割程度で、逆に考えれば、8~9割は常人ということになる。

まあ、京大と言っても、実際のところは、そんなもんじゃないだろうか…。


 じゃあ、どうして京大生って言っても、みんな普通なんだろうか?ちょっと考えてみた。


 やっぱり、何やかんや言っても、京大入学するのは難しいと思うので、入学試験でどういう人が合格して入ってくるのか?を

考えた。私の場合理系なので、理系に絞って話をする。(文系は分かりません)


 まず、日本入学するのが難しいのは、東大京大、それと国公立医学部である理系の定員は、東大が約2000人、

京大が約2000人、国公立医学部が約6000人で、合計すると約10000人。つまり、全理系受験生の中で、上位1万人に

入ることができたら、京大合格して入学することができる、ということになる。


 理系学部に入るために、必須なのは微分積分物理である。これが理解できてなかったら、多分入学してから死ぬだけなので、

ここは外せないだろう。で、18歳人口は100万人くらいいるわけだが、その中で微分積分物理理解している人口って

どのくらいだろうか?と考えると、せいぜい7~8万人くらいじゃないか?と思う。これは、理系ならみんな受験するであろうセンター試験

物理で70点以上取った人数を、平均点から推定すると、だいたいこのくらいだ、ということ。センター物理で70点っていうのは、若干理解が怪しい

と思われるけれども、根本的な部分をある程度分かってないと取れない点数じゃないだろうか…ということで。


 次に、微分積分物理理解していたとして、本当に東大京大、国公立医学部を目指すのか?という問題がある。

まあ、試験は非常に難しいと言われているので、最初から自分はムリだ」と決めつけて目指そうとしない人や、家の近くの地元大学に行きたくて

かつ医学部がイヤな人、高校時代青春受験勉強以外のことに捧げる人など、いろんな理由で目指さない人の方が多いだろう。

そうすると、目指すのは上記の7~8万人のうち、せいぜい2万~2万5千人程度になるのではないだろうか…。


 で、最後に、目指した人の中で、上位1万人に入る必要が出てくる。人数としては、せいぜい2万5千人程度しかいないので、その中で上位1万人に

入るのは簡単だと思われるかもしれないが、実際にはそれなりに頭脳に自信がある人ばかりが挑戦するので、よほど天才的な

人じゃない限り、普通にやってただけでは、なかなか上位1万人に入ることは難しいだろう。


 ただ、自分なりに工夫して対策を立てて勉強すれば、上位1万人に入ることは可能だと思う。例えば、私の場合は1浪したんだけど

浪人中は途中から予備校に行かなくなり、家に引きこもって、ひたすら問題を解いていた。予備校の授業に行っても、結局は解いた問題

解説をしているだけで、「授業で解説している時間に、他の問題を解いたら、人よりたくさん問題演習できるんじゃないか?」

ということに気付き、予備校に行かずに、家でひたすらたくさんの問題を解いたのである。そんなわけで、自分京大合格した大きな要因は、

「人よりたくさん問題を解いたから」ということに尽きるのではないか?と思っている。


 つまり京大生って言っても、


 微分積分物理理解し、受験の時に自分なりに工夫した人


 にすぎないんだ、ということ。まあ、微分積分物理理解するのは結構大変だし、才能も必要だと思うが、もし理解できるような頭脳の持ち主で

あれば、あとはそれなりに工夫すれば合格できるんだと思う。このことが、そんなに凄いことか?と言われると、別にそれほどのものでは

ないだろう、と思う。人間業があれば十分に達成できるものではないだろうか…。なので、京大生って言っても、結構普通の人が多い、という

感覚は、このように考えれば、確かにそうなるだろうなあ、と思うわけです。

2017-06-08

裕福な家に生まれ

からって金持ちって言わないでほしい。

「俺だって金さえあれば大学院くらい」って言われたこともあるし、院生ですって言った途端に「金持ちなんですね」って言われたこともある。

確かにある程度の収入の親がいないと大学院まで来られなかったかもね。

それでもこういうことを言われる度に地味にダメージだった。

私の努力を無にされてるようで。

別に特別努力したなんて言わないよ。

ただあなたがしたような努力(受験勉強とか)は私も同じようにやってきたんだよ。裏口入学したわけでもあるまいし。金持ちとなんか関係あるか?奨学金で来てる人だっていると思うよ。

もちろんこういうこと言わない友達はたくさんいてくれる。

でも金持ちだって言われる度にモヤモヤする。

ていうか口に出さないでいてくれたらそれでいいのに。思うことは止められないから。

私の努力無視しないで!とかそんな大袈裟なこと言わないよ。

すぐに何でもかんでも金に結びつけるなんてお下品ですね

次言われたら言ってやりたい。

2017-06-04

このまま終わりたくない

中学生の頃、半ば強制的駅伝部に招集された。

3km走るのがほんとに辛くて、夏が終わって大会に合わせて作られた駅伝部の活動が休止した時かなり嬉しかった。

中学1年の冬、何故か駅伝部の顧問に目をかけられていた僕は朝6時半に集合させられ30分ほど走るようになった。

辛かったけど先生が怖くて辞めたいと言い出せず言われるがまま走り続けた。

中学2年の夏になり、また駅伝部が設立され、当然のごとく僕は招集された。

1年生の頃はゴールした時「よくがんばったね」と教師陣に拍手されながら迎えられたドンケツの僕は、誰よりも速く3kmを走りきった。今度の拍手は心地よかった。

その年、一つ上の先輩と自分の力で県大会進出することができた。東北大会の出場も圏内だったが、6区最後を走った先輩が失速し4位。東北大会に進めるのは3位まで、僕らの夏は終わった。

また冬が来た。

去年と同じように指導者に流されるまま朝から30分校庭をジョギングした。

「凄く速い生徒がいるらしい」と今年の活躍口コミで広がっていたのか、ちらほら見学する生徒が現れていた。

真冬太陽も出ていないのになぜかサングラスを掛けている顧問は何人かに声をかけ朝練習に合流させた。

一人で走り込んでいた僕に仲間ができた。

巡って中学生最後の夏が来た。

冬場の合同練習の成果が出たのか市大会簡単突破できた。

大会に駒を進め、前年度の雪辱を果たす機会を得た。

僕が三区で襷を受け取った時順位は3位だった。

東北大会に進めるのは3位までの学校で、全国大会に進めるのは1位だけだ。残念ながら東北大会から全国にはつながらない。全国を目指すならこの県大会で優勝するしかない。

勾配の強い山道を駆け抜け、中間地点となる1.5kmを突破すると一気に下りとなる3区。

僕は前半2位との距離が極力開かないようにペースを抑えて走り、1.5kmを過ぎた時点で勝負をかけた。

ストライドを狭めて脚への負担が大きくならないよう気を付けながら、ピッチを上げてペースを速める。

2位を抜き、襷を受け取った時点で1分近い差のあった1位の後ろにつけて4区に襷を渡した。

そこからの流れは疲れ果てて休憩しているうちにレースが終わったので分からないが、僕らの学校は1位を取った。

設立から何十年と経つ学校だったか、特段スポーツに力を入れているわけではないので全国大会運動部が出場するのは初の快挙だった。

僕らは涙を流しながら抱き合った。

顧問は「当然だ」とだけ言い拠点を黙々と片付け始めた。いつもはこういった雑務をしない人なので多分照れ隠しなのかなと思う。

数ヶ月が経ち、東北大会でのレースを済ませた僕らは全国大会舞台に立った。

1区を出走することになった僕は、正直自信過剰だった。

実際3kmの持ちタイムは9分を切っていて、全国でも上位を争えるレベルだった。

全国大会当日、会場であった山口県は小雨の降る肌寒い日だった。

詳しくは知らないがまるでゴルフ場のような芝生とタータントラックのみのコースだったので7mmピンのスパイク大会に臨んだ。

だがこの判断が間違いだった。

ほとんどスパイクで走ったことのない僕はスパイクの引っかかりの強さが予想以上に強かったことに焦った。対応できなかった。

下りになるたびに引っかかりのせいで止まってしまい、体力を無駄に使った。

集団に揉まれながらゴールへとたどり着いた時には全校50近い内20位ぐらいだった。

僕が入賞圏内でタスキを渡し、後半逃げ切りという作戦を立てていた僕らはそのままズルズル順位を落とし入賞県外で終わった。

僕は泣きながら仲間たちに「ごめん」と謝った。

仲間たちは僕のおかげでここまで来れた、むしろ僕らがもっと速ければともらい泣き?していた。

自信に満ちていて、いつも問題があれば僕らを叱った顧問は「この結果はすべて俺の責任だ」といい腕を組みながら謝っていた。

同級生たちが受験勉強に明け暮れる中、僕は色んな所からきた特待生勧誘やらを前に迷っていた。

「これから先でも戦えるのだろうか」

全国大会天狗の鼻はボキボキに折れていて、地元友達皆が行く近場の学校入学しようと考えていた。

そんな話をどこから聞きつけたのか駅伝部の顧問が僕を放課後呼び出し、スポーツ科の存在する学校への入学を促してきた。

僕はなんだかんだ付き合いは長いけれど、まだ顧問のことが怖く、流されるままスポーツ科のある学校へと進学した。ただ迷っていたのもあったのでこの言葉は当時嬉しかったと思う。

県内同級生に噂は聞いていたが僕より速いやつがいた。

正直有名すぎるのでマニアにはバレるため詳細な情報は伏せるが全国大会3000mで異常な成績を残したとだけ書いておく。

そいつが僕と同じ学校入学するらしい。

僕は期待と不安を抱きながら、その高校入学した。

高校生活は人生の中で最もつらい時期だった。

教師は怖く、理不尽が人の形をしたような奴だった。

結果を出さなければ殴られ、結果を出しても褒めることはせずもっと行けただろと怒られる。自尊心ボロボロだ。

それでもなんだかんだタイムや実績を残してきた僕には優しい方だったが、やはり大分精神的に消耗していた。

ただ教師陣には恵まれなかったが仲間には恵まれた。

前述した僕より速いやつは相当に人間ができているやつだったし、他の部員たちも僕のことを知っていて仲良くしてくれた。

色々ありながら高校1年の夏を終え、雪が降る季節になった頃事件が起きた。

僕の身体は厳しすぎる練習に耐えきれず、股関節が剥離骨折した。

この事実教師に伝えた所、「お前は逃げるのか?迷惑から走れ」と練習強制された。

当時はつらすぎて逃げ出したかったがスポーツ科だったため、部活を辞めれば学校もやめなければいけない。

僕は言われたとおり痛み止めを投与しながら練習を続けた。

そして怪我はよりひどくなり最終的に歩けなくなった頃、「もう限界です、休ませてください」と伝えたところ毎日誰よりも早く来てグラウンド整備をすれば許可しようと言われた。

今思えばおかしい条件な気がするが、当時は「ありがとうございます!」と心から感謝していた気がする。頭がおかしい。

歩くのも痛かったが処方された痛み止めを飲めば我慢できたし、走るよりはマシだったので頑張って毎日グラウンド整備をしていた。

この剥離骨折は結局治るのに1年近くかかった。

1ヶ月ぐらい経つと教師に「もう治っただろ走れ」と言われるので走り、また悪化させるという繰り返しがこれだけ怪我を長期化させた原因だと思う。

ようやく治った頃にはもう高校3年生で同級生や後輩に大きく実力差を付けられていた。

それでもなんとか自分なりに練習を重ねた結果冬場の駅伝には出場できた。3kmの高校生にとって繋ぎ区間だったが。

少し時期は前後するが3年の夏頃、僕は進路を迷っていた。

怪我はなんとか治っていたがこれ以上走るのは明らかに限界だと感じていた。

それでもなんだかんだ高校1年生の頃に5kmを14分台では走れていたので、タイムだけで弱小校ならスポーツ推薦が可能な状況だった。

僕は迷った。

でも中学生の頃卒業文集にも書いた「箱根駅伝出場」を諦めきれずスポーツ推薦を選択した。

高校での陸上生活が終わり、大学へと進学した。

だけど僕の身体はもう限界だった。

1ヶ月以上練習継続できないのだ。

少し走れば足首が、膝が、股関節が、どこかに痛みが出てしま練習ができなくなる。

救いなのは大学はある程度自由トレーニングメニューを組めたので、怪我をすれば悪化する前に休息を取れたことだろう。

ただこんな練習頻度で化物揃いの大学陸上を勝ち抜くことはできず、関東インカレの出場はできたが成績はダメダメで、結果は出せなかったし、箱根駅伝メンバーに選出されることなど夢のまた夢だった。

僕は多分中学生の頃の栄光をまだ引きずってるんだと思う。

大会で全国出場を決めた時の高揚感、あれをもう一度でいいから味わいたいんだと思う。

大学4年生になり、実業団に進むか就職をするか悩んでいる。

正直箱根駅伝メンバーにもなれない人間実業団に進んだところで伸び悩み3年以内に首を切られるの分かってる。

でも頭ではわかっていても感情が走ることを求めてしまっている。

現実は厳しくて、身体が急に良くなって20km以上の距離を走っても壊れなくなるわけがないのに。

中学生の頃の栄光が、高揚感が、僕をこのまま終わりたくないと感じさせている。

2017-06-02

本田圭佑の言っていることが単純に日本語としてよくわからない

本田圭佑若者自殺に「他人のせいにするな!」⇒ ネット上で物議「他人のせいにできないから...」 http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/30/keisuke-honda-tw_n_16887860.html

他人のせいにするな!政治のせいにするな!!生きていることに感謝し、両親に感謝しないといけない。今やっていることが嫌ならやめればいいから。成功に囚われるな!成長に囚われろ!』

現在物議を醸しているツイートである

自分は身近に自殺をしたひとがいた。その立場から言えば、やはりあまりいい気持にならないツイートである

それ以上に胸に残る不快感が「単純に日本語として意味がわからない」ということである

初めて読んだ時から今でもずっと意味を考えあぐねているのが

成功に囚われるな!成長に囚われろ!』

という一言である

彼のいう成功意味ってなんだ?成長ってなんだ?成功と成長ってどれほど意味が違うんだ?

成長に囚われていれば死ななかったのか?何故?根拠はどこに書いてあるんだ?

そもそも『囚われる』ってどういう意味だ?

なんだか自己啓発書の中に出てきそうな一文だと感じた。

ヒントは『今やっていることが嫌ならやめればいいから。』だろう。

『今やっていること』これがおそらく『成功』のために実行していること、という意味なのではないだろうか。

例えば受験勉強に疲れて自殺した学生とか、職場出世しようとしてうまくいかなかった会社員とか、そういった事件想像したのかもしれない。

人より上に立つことばかり目指して(=成功自分の身と心をすり減らすくらいなら、そんなことはやめてしまったほうがいい――そう呼びかけているのだとしたら、本田圭佑選手の言っていることも分からなくない。

(ならば成功と成長とはどこまで意味が違うのかという疑問は残るが)

ただしこれは私が彼のツイート深読みした結果にすぎず、独自解釈の一つでしかない。

本田圭佑選手が本当は何を言いたかったのか、それはもう少し言葉を足してもらわないとまるで意味が分からないのだ。

本田選手言葉本田選手自身他人に伝わる形にしないと伝わらない。

ツイッター上では本田圭佑選手言葉批判する人の声が見られた。しかしその反論も、個々人の深読みだったり、あるいは一個人体験のみが根拠であったりした。

一方で絶賛する人の声もあった。しかしそれは、本田圭佑選手ツイートの中に選んだ単語が持つポジティブ意味にのみ惹かれている気がした。

私は最初に述べたように、身近に自殺者がいるという事情から「気分がよくない」とは思った。

しかし正直なところは「本田圭佑の言っていることが単純に日本語としてよくわからない」ことに一番戸惑っている。

それゆえ、本田圭佑選手言葉共感した人には、いったいこのツイートをどう日本語として読解し、どの部分に共感したのか、それを教えてもらいたいし、反論した側には、自分の感じた不快感理解しようとしてツイート深読みに陥り、本人が意図したところとは全く違う観点から自殺問題をとらえていないか心配になるのである

私が思うのは、本田圭佑選手は、自分の心にわっと沸いた熱い感情のようなものを、他人に伝えるための論理的文章に落とし込む力がまだ足りてないのでは、ということだ。

SNS初心者だというから仕方ないのかもしれない。

しか自身の影響力を考えれば、当該ツイートについて補足説明くらいはしておく必要があるだろう。

本当に彼の言っていることが日本語として理解できないから。

2017-06-01

どうせ父親にとって子供電気代をひたすら食い潰す虫でしかない

世間体子供を産む親ほどクソなものはない

小さい頃から家族自分の思い通りに動かなかったり、神経質で下らないことで直ぐにキレる父親だった

稼ぎはいい癖にケチで、たまに喋ったと思ったら電気代が高い電気を消せとかそんなことしか言わない。ちなみに自分にだけは甘くよくアジア旅行とか1人でしている。

家族はいつも電気をちゃんと消している(寧ろ居間明け方まで寝落ちするから父親の方がよっぽど電気無駄遣いしている)のに、家族をちゃんと見てもいない。家の手伝いをしろ電気を消せ、何もしない癖に、自分を偉く見せたいのか小言ばかり言う。

私含む姉や家族のが酔っ払って寝てばかりいて米も炊けない父親よりよっぽど家事をしている

母親は私が小さなから「お父さんの言うことは無視すればいい」と言っていた。父親がいなくなると今でも父親愚痴を言う。離婚しない理由は金以外無いんだろう。

父親に度々私立学校に入れてやった、学費凄かったんだぞ!なんて言われる。

一方母親は私が嫌がっても(まあ後半は乗り気になったのだが)私立への受験勉強をさせた。両親で意見統一してくれ。

私も父親理不尽なんて無視しようとしたが、小さなからグサグサと父親言葉が棘のように刺さって抜けない。ふとした時に思い出して、その度に嫌な気分になる。

父親は何か不満を言われるたびに「ここはお父さんの買った家だ!」とか「お父さんの買ったテレビだ!」とかずっと言ってきた。ちなみに土地は母方の祖母の物である

家族から何を言われても直そうとしない。酒を飲むと暴言を吐くから控えてと言っても、いびきがうるさくて騒音レベルなのに居間で寝るのを何とかしてと言っても、小鳥家族許可なく衝動買いするのをやめろと言っても何も辞めない。暖簾に腕押し。

一度ゲンカして、「そんなに金の事ばかり言うならなんで子供なんて産んだんだ!」と言ったことがある。

そしたら父親から返ってきた言葉は「勝手に生まれてきたんだろ」である

それを言われて以来、私はいつも自分が生きている意味がわからなくなってしまった。

そもそも人生は辛い事ばかりだし人の地雷をいつ踏み抜くか分からなかったけど、なんとか犯罪も犯さずちゃんと進学もして人並みに生きてきたのに、こんなことを言われてしまった。辛い中なんとか生きてきたのに、そもそもまれて生まれなかったなんてあんまりだ。恐らく、父親はなんとなく、世間子供がいない夫婦は変だとかそんなことを思って作っただけだ。

こっちだってまれたくなんかなかったのに。

勿論、親のために生きてるわけじゃ無いなんて、こんなこと言われたくらいで気にしすぎるなんて馬鹿らしいなんて分かってはいる。けれど、分かっているのに忘れられない。

父親のおかげで結婚しようとも思わなくなった。家族仲が悪いと結婚生活など苦痛しか思えなくなる。四六時中常に仲が合わない人といるとか最低の人生だ。子供いるとか気軽に離婚もできないし。因みに母と父が結婚した理由お見合いからなんやかんやあったらしい。

友達結構結婚したがってるんだよな、凄いなあ。皆私みたいに必要以上に人に怯えず心を開いて接することが出来るからだろうな。

自立も考えたが、どっちかって言うとなんだか疲れた。なんか疲れただって何をするにも何かに怯えている羽目になるんだ。

姉いるんだし、一人っ子で止めときゃあ良かったんだよなあ金食い虫扱いを小さなからするんだったら……

2017-05-24

テトリス

小6の時、親が離婚して母子家庭になった。父親とはその前からずっと別居していたから、家庭内に際立った変化は感じなかったけれど、苗字が変わったのがきつかった。同級生から好奇の目を向けられるのがとにかく嫌で、一時期、友達と遊ばなくなった。授業が終わると逃げるように家に帰った。

それで何をしていたかというと、部屋でずっとテトリスをしていた。布団に寝そべり、枕を高くして、毎日、何時間も。

そうこうするうちに、いつのまにか新しい苗字に馴れていた。同級生も僕の苗字ことなんて大して気にしてないことがわかった。僕はまたみんなと遊び始めた。

大学受験に失敗して浪人が決まった時も、ずっとテトリスをやってた。朝から晩まで一日中やってた。起き上がる気力もわかなかった。2週間ぐらいそうして過ごした。そのあとゆっくり受験勉強を再開して、徐々にペースを上げ、翌年にどうにか志望校合格することができた。

大学2年の時には手痛い失恋をした。サークルの仲間に彼女を取られたのだ。無理もなかった。そいつの方がかっこよくてスマートでやさしくて羽振りもよくて、ようするに僕の完敗だった。

その年の夏休みはずっと家でテトリスをしていた。サークルにも参加せず、海にも行かず、毎日部屋に篭っていた。その間にどうにか気持ちを立て直し、後期からまたサークルにも参加するようになった。冬には別の彼女ができた。

昨年、会社を辞めた。一族経営の小さな会社だった。社長引退し、息子が2代目に就任したのだが、僕はこの男と何から何まで合わなかった。営業方針労務管理、様々な面でぶつかった。それは意見の相違で済むものではなかった。結局は従えない僕が辞めるしかなかった。

僕はしばらくのあいだ放心状態になり、ずっと家でテトリスをしていた。昼夜逆転生活で、今が何時なのかもわからない。髭も伸び放題。そんな日々がしばらく続いた。僕はテトリスをやりながら思っていた。然るべき時が来たら、僕はまた自然と動き出すだろう。今までだってそうしてきたんだ。布団に寝そべり、テトリスをやりながら独りで年を越し、正月明けから転職活動を始めた。

から新しい会社で働いている。今は毎日が新鮮で楽しい

ピンチの時、僕はいつもテトリスに助けられてきた。家族でも友達でも恋人でもなく、テトリス

暗闇で何時間テトリスと会話する。一緒に傷の回復を待ち、力を蓄え、また外に出てゆく。

ありがとうテトリス

2017-05-15

ネグレクト自己中心クソビッチストーカー実母のカス人間っぷりを書く

実母の糞っぷりを書いてみる。

「実母」という書き方をしているのは、これとは別に母親と呼べる人間いるかなのだが、母親については以前書いたので割愛


結婚する前~離婚するまで

旧帝大合格留年卒業

・中卒の子連れと出来ちゃった結婚

何考えてたんだろう

・両親から勘当

まあ、当然だよね。中卒相手にいい加減な興信所雇って、ヤクザかいう結果が出たから(興信所調査おかしい。いまでも謎)と勘当する連中も連中だ。

家事をしない

・家にいない

・殴り合いの夫婦喧嘩日常茶飯

DVだった父に問題があるのは確かだけど、実母は相当人を苛つかせる言動をする。

家にいないのも多く、当時2歳の増田が父にしがみついて「父親応援」をしていたこからも実母のネグレクトぶりが伝わってくる

増田を連れて家を出て逃走する

実母の糞っぷりが如実に表れた一件。「DVには耐えられないから出ていくしかない!子供は私に懐いてないけど、私が生んだ私の分身から連れていく!」という自己中心っぷり。見事にクズである

増田は家にあまりいない実母に連れられることを嫌がっていたが、「散歩に出る!」と言って力尽くで増田を連れて行った。

このとき父親は兄と姉を叱っていて、「散歩?とっとと行ってこいや!」という感じだった。


増田小学校に入る前後

まり記憶が定かではない時期を飛ばす

・夜は不在

実母は、旧帝大卒業して薬剤師免許を持っていたにも関わらず、医療関係を辞めて水商売で働いていた。男にチヤホヤされたかたからではないかと考えている。

・昼は寝ている

夜に仕事で酒を飲んでいればそうなる。

・夜は1000円札を机の上に置いて仕事に行く

1000円札を与えられた相手小学校1年生である

休日は男を連れ込む

・男と部屋で盛る

狭い1Kアパートで、小学校1年生が寝ている隣でである

増田休日特に何もしない

日曜日、朝起きて台所にあったリンゴを食べて、外に出る。クラスメートが家で家族と過ごしている中、一人でふらふらするのは辛かった。実母が両親との付き合いでもあったら多少はマシだったかもしれないけれど、勘当されているので。

・たまに料理をする

美味くない。ちなみに料理をしたときに、増田が18時くらいに帰るとキレる。「うちは17時半には晩ご飯から」とかなんとか。お前基本は作ってねーだろ。ていうかお前、仕事の時は何時に飯食ってたんだよ。


増田父親に引き取られてから

・何故か男を連れて増田の家に来る

何だったんだあれは。確か、増田父親と二人でいたときに、父親が連絡取りたがったか何かだったと思うけど、それで来るのもどうかしてるし、DVが怖いからとか言って男を連れてくる神経も謎。

しかも、②のときで連れ込んでいた男と違うし。

弁護士を挟んで調停を起こす

裁判調停の違いがまだ分からない中学生にとって、大嫌いな実母が裁判所に訴えたという事実のショック度合いの大きさは分かるだろうか。それも中学三年生の11月、受験勉強最中である

増田大学学費用その他と引き換えに、定期的に会う約束を取り付ける

これも確か父親から提案だったと思う。上記の三年後。その話を進める途中で、父親に連れられて増田バイト先に来るという糞っぷり。バイト先に親が客としてくるってだけでもクソランキングとして上位なのに、それが、長らく会っていなかった実母っていうのが最悪にクソ。

増田掲示板書き込みを探し出し、監視する

気持ち悪い。ちなみに、「分かった、もう見ないから」と言ってからは、別の掲示板の別HNのもの(元々の方で明かしていたので、片方が分かれば探すのは割りと容易)を監視していた。「だってそっちは見ないって言ってないでしょ?」というクズっぷり。

増田夢物語を語り始める

これが最高にクソ。「増田をあのまま育てていたらピアノを習わせるつもりだった」「猫を飼っていたら増田が出て行くって言わなかったのかなあ」等々。まず、子供を育てるのにふさわしい環境を形だけでも整えた気配を見せてから言え。

増田にこれから展望を語り始める

これもクソ。「家を買ったの」「増田大学生になったら一緒に住めるように一人暮らしだと少し広い家だから」等々。ちなみに、普通に男との巣になっていた模様。ていうか、何でてめーの家から通える大学に進学する前提なんだよ。

増田説教

会うことがものすごく不愉快だった増田が、嘘をついて金をせしめまくったことに対して、「人に信用してもらうなら、まず自分が信用してもらえるようにしないといけないでしょ!」小学1年生の子供のいる家に男を連れ込んでいた女が言うセリフではない。

・「こっちは鬱なんじゃ!!」と電話口で怒鳴る

ちなみにセンター試験2ヶ月前である受験邪魔しかしないなこいつ。


増田大学進学してから

・「食料を送るから!」と言って、カップ麺ばかり送ってくる

「お湯を沸かすんだから自炊でしょ?」という言葉は衝撃。

大学保護者欄に自分名前がないことで発狂

「金を払ってるのは私だぞ!!」とキレる。少し詳しく説明

増田東北地方大学に進学して一人暮らし保護者には父親名前記載費用は実母が払うと③の時点で決めていたので、実母の口座から引き落としとしていた。

何かがきっかけで、実母が大学に問い合わせ。保護者として登録されていないので断られる。

「金を払ってるのは私だぞ!父親と並べて私を保護者欄に記載しろ!!記載しないなら、学費は払わない!!」と、大学にキレる。

この出来事を、増田は当時一切知らなかった。なぜなら、実母が大学に「増田には一切知らせるな!不安になるから!!」などと詭弁を弄したから。

何故か大学もそれに従う。これ、実母が増田心配したのではなくて、増田が散々っぱら嫌っている実母にガチギレするのが目に見えていたかである

そして、2月。実情を知るよしもない経理処理の人が「こいつの学費全然振り込まれてないじゃないか、退学扱いになるぞ」と、増田葉書を送ってくる。増田はここで初めて事態を知る。ガチギレ。

実母にもキレたし、大学にもキレた。大学は「増田さんの学籍をきちんと大切にするために、言わなかったんです」とかなんとか訳の分からんことを言うが、「増田の進退に関わる事実当人に黙っているのは神経を疑う」という一言で黙る。

未成年に言い負かされてんじゃねーよ。

とにかく、実母の自己中心っぷりがよく表れた一件であった。

増田mixiを突き止める

増田ブロックする

震災直後、増田mixiアカウントに友人のアカウントからアクセスする

ブロックされているからといって、やることが陰湿である

震災直後、早朝に電話をかけるなどして、増田邪魔する

震災から2週間後、ボランティアに参加

増田の家の近所に行ったよ」などと報告してくる。「でも、わざと行こうとしたんじゃなくて、車の道を一本間違えてね、たまたまそこに行っちゃっただけなの」

増田の家は大通りからかなり離れているので一本の間違えようがない上に、一本間違えただけで偶然辿り着く場所ではない。

ちなみに、実母は車を長らく運転したことがなく、この数年前に軽を父親から譲ってもらっている。被災地まで数百キロ運転が出来る力はないし、数百キロ運転に適した車でもない。では、被災地まで来たのは誰の車だろうか?数百キロ運転をしたのは誰だろうか?はい、男でしょうね。50歳にもなってお盛んなのは引いた。


増田が働いてから

誕生日からとか言って電話をかけてくる

ちなみに、増田は実母から電話がかかってくると、過呼吸状態になって頭がパニックになり、怒鳴るしかできない。

箇条書きにしただけでもこの長さ。糞すぎでは。

2017-05-08

さぼり続けた人生と、就活

小学校の時はよく仮病でさぼっていた。

野球が好きだったので中学野球部に入り、わりとまともに練習していたが、他のポジションで上手いやつが自分ポジションコンバートされ、レギュラーを奪われて以降はほとんどさぼっていた。

もちろん受験勉強もさぼっていたので底辺高校入学。その高校不登校になり中退

合法的に週6さぼれる通信制に編入し、卒業

その通信制先生専修大学の二部を勧められた。

今は倍率も上がったそうだが、当時の専修大学二部には自己推薦入試という無茶苦茶入試があって、作文を二回書いて面接を受けただけで合格した。学力は一切見られなかった。二部とはいまさかこんなので大学入学できるとは思わなかった。

そうして専修大学二部に入学したものの、持ち前のさぼり癖で留年

生活費が無いがバイトをする気にもなれず、学生ローンに金を借りたが、ついに上限の30万に達した。

一応申請すれば上限額は上げられるらしいが、なんかこれ以上金を借りるとやばいことになる気しかしなくてイベント運営バイトを始めた。

イベント運営バイト最初の二時間くらいは真面目に働くが、一回目の休憩が終わった後は次の休憩まで他の派遣会社の控え室にしれっと紛れ込んでさぼっている。

これを30分おきに繰り返し、いろんな控え室を渡り歩く事で終業までさぼることができる。

いかに楽に金を稼ぐかしか考えていない。

いや、金以前にいかに楽に人生を過ごすかしか考えていない。

さぼっている間何をしているかというと別にゲームしたりして遊んでいるわけではなく、ただただぼーーーっとしているか、この記事のようなしょうもない文章増田とか2chに書いている。

そして俺は今年度で大学卒業する。金銭的にこれ以上留年できないと親に言われたので卒業するしかない。

でもまだ就活を始めていない。就活もさぼっている。この時期にもなって就活してないやつとか居るんだろうか?まあ友達も居ないのでみんながどうやって就活を進めるかとか全然知らないけど。

こんなさぼり続けた俺に、さぼることしか頭のない俺に就ける仕事はあるのだろうか。向いてる仕事はあるのだろうか。要はさぼれる仕事、だが今時外回り営業だってうそうさぼれないだろう。そもそもさぼっている営業マンは成果を出した余った時間をさぼっているだけだろうし、さぼりだけで生きていっているわけではないだろう。

この先どうやって生きていけばいいのかわからない。そういうことを考えるのも今までさぼってきたが、もうさぼるわけにはいかないようだ。さて、どうしよう。

2017-05-04

教習所通ってて思うんだけど

教習所でやる学科試験の内容、結構難しくないか


車に興味がないのに、移動手段としての必要性を感じて教習所に通ってるんだけど、興味がないのもあって学科が覚えきれそうにない。

授業としては大学の授業より全然興味を持てるのに。

効果測定仮免で出てくる問題も、重箱の隅をつつくような問題が出てきて、本腰を入れて勉強しないと受からなさそう。

車両は、車両通行帯のある道路では、追い越しなどでやむを得ない場合のほかは二つの車両通行帯にまたがって通行してはならない。 」なんて、まず日本語を噛み砕くところから始まる。国語かよ。

日本人の7割はこれをパスしてると思うと、世の中の人って頭いいんだなって本気で思う。

重箱の隅をつつくで思い出したけど、学科勉強での頭の使い方が受験勉強とそっくりな気がする。

かい数字を覚えたり。「する」「しない」を変えて出題してきたり。

これがパスできるなら、世の中もっと高学歴に溢れてるんじゃ?

同じ要領なのに、受験勉強通用しなかったのが本当に不思議なんだけど……。

[]ニート自己問答

『なぜ不登校になったのか』

「つらかったから逃げたかった、勉強できず遊べず体力的にもう駄目だった」

運動部いじめられていたのか』

いじめというレベルではない。いわゆるいじりだったのだと思う。言葉かい揶揄され人より足が遅いのをからかわれ

 体力がなくてへばっているのを笑われそれでも何とか食らいつこうとしたが認められなかった」

運動部をやめればよかったのでは』

「やめたら友人といえる人が一人もいなくなると思った。部活勉強の両立を勧める学校だった」

保健室登校をしたのはなぜか』

学校には未練があった。保健の先生は優しかった。でも相変わらず勉強できず無意味時間を過ごしていると思った」

『一瞬クラスに戻ってやめたのはなぜか』

「優しい声をかけられるたびに疎外感がつのった。彼らと私は決定的に道を違えてしまったのだと感じた。」

『彼らは受け入れてくれようとした』

「その優しさがつらかった。表面的にやさしくされその後無視される感じがたまらなかった。孤立の中の孤独よりも集団の中の孤独のほうがつらい」

『彼らにはどうしてほしかったのか』

「わからない。自分認知問題あった。彼らは悪くない」

『やめた後の生活はどうだったか

同級生やほかの高校生に強い負い目を感じ引きこもった。趣味に没頭したが結果が出なかった。アニメばかり見ていた。

 勉強できず顔を見せられないため彼らと同じ年に受験をすることは不可能だと思った。」

『次の年は』

「次の年も駄目だった。まったく勉強に手がつかなかった」

『次の年は』

浪人は二年までという強いプレッシャーに押しつぶされた。自己嫌悪で嫌になった」

『次の年は』

「弟の楽しい高校生活をうらやんでいた。自分はもう死んだものと思うようになった。自殺できないから生きているだけだった」

『弟の受験勉強が始まる』

「なんてよく勉強するのだろうと驚いた。自分には絶対にできないと思った。成績が良くないと悩んでいた弟は勉強した。

 私もほんの少しだけ勉強した。はじめて数学教科書最後まで読み通した。少しだけ自信がついたが復習しなかった」

『3.11があった』

「ここに被害ほとんどなかったがよく揺れたのを覚えている」

『弟と一緒に受験するという選択はなかったのか』

センター試験で机を並べることを想像するのは無理だった。どうせ自分勉強を続けることができずエア受験になると思った。

 それならば絶対邪魔をしたくない」

『弟は予備校通いを始めた』

「素晴らしくよく頑張っている彼を馬鹿にする自分と称賛する自分がいた」

『弟はやり遂げた』

「素直にすごいと思って喜んだ。外に出るのはいやだったが引越しの手伝いに行った」

『その後の生活はどうか』

「次は自分の番だという強いプレッシャーを感じた。結局できず無力感のみが募った。毎日のように挫折を繰り返した」

あなたは何をして時間をつぶしているのか』

起きてから寝るまでネットを眺めていると一日は簡単に終わる。一日が終わってしまうのがもったいなくて夜を起きていると昼夜逆転する」

『親は何をしていたのか』

「見守ってくれていたそうだが放置されていると感じた。勉強自分でやらないと身につかないというのが親の持論だ。

 ネット時間制限する試みもあったが睡眠時間が伸びただけだった」

『その後センター試験二次試験に通う生活が続いている』

「行かなければ家から追い出されると思った。勉強できない自分に罰を与えたかった。参考書をぼろぼろにしている受験生自分との違いを痛感した」

『なぜ受かるはずのない有名大学に願書を出したのか』

人生好転させるためには普通大学に行くのではだめだと思った。今年はだめでも来年につながるかもしれないと淡い期待を抱いた」

『なぜ日記を書き始めたのか』

日記を書こうとする試みは人生のうち何十回とあってどれも一ページ二ページで終わっている。

 今回は起床時間と就寝時間くらい書き続けようと思った。はじめは書く量が少なかったがずっと続いている」

『なぜ運動を始めたのか』

「一週間に2時間ほどは運動すべきだとネットで見た。当時は腰痛があり体重が増え健康不安があった。

 外に出るのは相変わらず嫌だったが一度外を走ってみたところ誰も私に関心を向けないことが分かった」

運動習慣について』

「家で筋トレをそれなりにしたつもりだったのに外で全く走れなくて驚いた。運動する時間生産的で楽しかった。

 自分を罰したいときは速いペースで走ればいくらもつらくなった。体力は劇的に向上し当時は夢のまた夢だった10km60分を達成した」

『なぜ勉強を始めたのか』

勉強自分のためになると信じていた。数学英語は身を立ててくれると信じた。大学に入ることは最大の目的となった。

 それでもあまり勉強できない日々が続いた」

『劇的に勉強時間が伸びたのはなぜか』

インターバルタイマーを買った。自分勉強を始めるためにストップウォッチを押すことができないかタイマー自動的に押されればいいと思った」

『なぜ絶望したのか』

「本格的に勉強できるようになって初めて自分人生職業について考え始めた。頭では碌な人生はないだろうと知っていたつもりだが

 まったく実感していなかった。漠然幸せがつかめると考えていた。そのうち大学に通えないかもしれないと思い出した。

 どんな大学に入っても、どうにもならないことに気づいた。世の中には高学歴なのに無職の人だって大勢いる。

 時間的ハンディキャップが大きい高齢大学で何ができると悲観的になった。企業若い学生を雇うのではないか

『なぜネット自分語りをするのか』

「書いて自分客観視すると楽になるし、誰かに知ってもらいたかった。だれも私のことを知らない」

あなたが人を遠ざけているのではないかあなたは両親にさえ本心を話したことがない』

本心とは何なのか、そんなもの存在しない」

『書いてみてどう思ったか

「とんでもない屑である。なぜ受験成功すればなんとかなると信じていたのかわからない」

あなたは苦しい人生を歩まねばならない』

「人よりも劣っている人間が人よりも多くの努力をして人よりもみじめな生活を送らねばならない現実が受け入れられない」

あなた決断しなければならない』

「できることならずっと夢の中にいたかった、あるいは成績が十分伸びてから気づけば今より楽だった」

『二十代ならいくらでもやり直せる』

人生にやり直しはきかない」

『ここに留まっていればまた一年が過ぎる。今が一番若い時だ』

世間様がそうは見てくれない」

あなたは人の評価を気にしすぎる。自分というものがないのか』

人間社会的動物である。私は人間にあこがれるヒトだった。普通暮らしがしたかった」

普通暮らしとは何か』

「家があって仕事があって家族がいて」

『ずっと昔から結婚できない側の人間だと気づいていたのではないか

「その通りだ」

『貧しくても必死に働いている人たちがいる。あなたはそういう人たちを蔑視しているのではないか

「醜いプライドがあるのは事実だ。私につらい仕事を続ける気力はない。やめてニートに戻ってしまいそうだ」

あなたは欲しいものはなんでも買い与えられてきた人間だ、少なくとも衣食住に苦労したことはない』

「その通りだ」

『今だって自由に本を買う金があるし、親に大学学費普通免許代もなんでも与えてもらえると思っている』

「親に甘えているのはわかっている」

『働かなければ食っていけない人をどう思うか』

「私も誰かに人生を決めてもらいたかった」

自分でその生活を選び取ったんじゃないのか。親は高校に通うことを望み、大学に進学することを望み、あなたはそれを拒絶して今に至る』

不安でたまらない」

『行動を起こさなければ不安は増すばかりだ』

不安でたまらない」

2017-05-02

[]ニートが夢から覚めたとき

私は数か月で高校中退してからバイト歴もなく家にいるニートで、もう三十路目前です。

不登校になるきっかけは、今思えば些細な事の積み重ねでした。

人間関係が築けず孤立したこと、慣れない運動部疲弊したこと、私の珍解答を晒し教師への反感、

ちょっとした病気になって学校を休んだこと、成績が悪化したこと、それで通えなくなりました。

私の小中学校時代の唯一のとりえが学力でした。塾に通っていたのと少しだけ早熟だったおかげでしょう。

コミュニケーション能力が低くとも、どんくさくても、友達が少なくても、性格が少し歪んでいようとも、

学級委員立候補すれば自分場所を確保できました。将来は学問仕事にできればと思っていました。

アイデンティティをなくした当時の私は家で勉強に専念することを考えていました。

すぐに高卒認定をとって、大学受験参考書を揃えましたが、自分継続して勉強することは難しい。

知り合いに会うのが恐ろしくて、制服姿の学生を見るのがあまりにつらくて引きこもります

親と衝突して将来どうするのかと問われても何も答えられません。

昼夜逆転して気がふさぐばかりの私に、そのうち親があきらめたのか静かになり、何もない平穏な日々がやってきました。

このあたりで専門家支援を受けていれば何か変わったでしょうか。

弟の受験邪魔をするわけにはいかないとか適当理由を並び立てて引きこもり続けます

弟は苦労したものの立派に受験をやり終えて大学で学んでいます。家に邪魔者がいても文句の一つも言わないよくできた弟でした。

なにもうまくいかない、自分で決めたことが何もできない、そんな無力感の日々が延々と続きました。

最近日記をつけ始めました。3年間日記を書き続けています。はじめはぼんやりした字で頭がよく回ってないことがわかります

大学へ行くんだというアリバイ作りのためかセンター試験と受かるはずのない二次試験に3回行きました。

願書を出しても勉強せず、数日前でも勉強せず、まったく意味のない、義務的な、自罰的な行動でした。

2年ほど前から運動の習慣をつけています。はじめは家で筋トレをし、それを日記に記録するだけでしたが

そのうち週に何回か外を走れるようになりました。まったく生産性のない生活の中唯一の充実した時間です。

走れる距離スピード面白いように伸びていき、自信をつけました。

一か月前、突然勉強時間が伸びました。インターバルタイマーをつかって時間管理することで

一日2-3時間が8時間勉強できるようになりました。自分努力できるんだと最高の気分でした。


すべては夢でした。一週間前ほど、私の人生にはもはや明るい未来存在しないことを確信しました。

このまま勉強を続ければ有名大学に入れるだろう、どの学部にしようかなどと調べ物をした時のことです。

ひきこもってすぐにはもう、浪人留年は+2年までだという定説を知っていたはずでした。

すでにどの大学でどの学部で何の勉強をしようともそれを生かせる職業につけるはずはありません。

医学部薬学部くらいでしょうがハードルが高すぎて絶望しかありません。

今まではい大学に入ればなんとかなると妄信していました。それを唯一の希望として生活していたのです。

その先の未来のこと、働かなければならないということについて真剣に考えたことはありませんでした。

コンピュータを扱う仕事がいいなと漠然と思っていました。引きこもる前後趣味だったのです。

ひきこもれば時の流れを忘れます。何も起こらない生活は何の記憶にも残りません。

日記を書く前の自分が何を考えていたのか、何をしようとしていたのか、まったくわかりません。

今更大学に行ったって何にもいいことがない、無駄に年を食うだけで、ほかにやることがあるのではないか

そもそも卒業できるかどうかもわからない。大学勉強社会には役立たない。卒業できても中卒の看板大卒に替えるだけ。

職業訓練専門学校に行ったほうがいいのかもしれない、でも大学受験には未練があります

まったく自信を無くし、食欲がなくなり、悪寒と冷や汗、夜は眠れず朝は早く目が覚めます

無意味かもしれないと思いながら机に向かいます不安で真っ黒の頭は計算ミスを繰り返すばかり。

こみあげる吐き気と闘いながら机に向かいます。今すぐにできそうなことは他に見当たりません。

外に出てアルバイトを探すべきなのか、車の免許を取るべきなのか、ぐるぐる問答しながら問題集を解きます

中卒引きこもりという最底辺仕事を探すのは死ぬほどつらそうでした。どこでもいいか大学を出ていればよかった。

怠惰自分に戻らないように勉強を続けます学力が伸びる保証も、今の勉強が続く保証もありません。

そもそも私に仕事が続けられるでしょうか。学校に通い続けられるでしょうか。

継続できない人間に居場所はありません。私は社会で働いているすべての人々を尊敬します。

今年の受験シーズンはまだ始まったばかりです。しか学力を伸ばすには短すぎ、神経を衰弱させながら続けるには長すぎる。

今気づいたのはよかった、そう自分に言い聞かせますがもう分水嶺を越えてしまっているようです。

大学中退という勲章を一つつけるために勉強をしているようなものです。泣きたくなっては外を走ります

気分の浮き沈みが激しいです。この文章を書き始めたときは死にそうでしたが少し楽になりました。


これを早朝に書いてから数学参考書に手を付けたのですが難問を前に気持ち悪くなってしまいました。

タイマー時間がいつまでたっても進みません。難しいことを考えるのを頭が拒否しているようです。早めの昼寝をして今パソコンの前にいます

勉強から逃げているだけでしょうか。つらいことと向き合い続けるのが人生なのに。

受験勉強を本格的にしていると胸を張れるのはたった一か月だけです。なんて甘ったれなんでしょう。

なんらかの支援を受けて今の生活から脱したほうがいいかもと考え始めます

そういうところにいる人たちを私は蔑視していました。今は将来に向け頑張ってる前向きな人たちと思えてきます

私はちょっと休んでいただけで、まともで、自力人生を切り開けるんだと、そういう無根拠な自信がなくなってしまいました。

両親と相談する勇気すらありません。両親は大学へ進めば何とかなると、私はやればできる子だと、そう応援してくれます

ほかの選択肢について真剣に話したことは一度もありませんし、考えたこともありませんでした。

から覚める前までは楽しく勉強していたのに、昨日までは何とか机にかじりついていたのに、嘘みたいです。

中学生のうちに取った英検二級、去年のセンター7割、何の意味もありません。

日曜日には模擬試験を申し込んであるのに、行かない理由ばかり探してしまます

インターネット無限時間を吸い取る悪魔ですが、ほかに相談する相手がいません。


追記 5/2 20:50

少し楽になりました。今は大学を目指してもいいのかなと少し前向きになれました。

放送大学や夜間は全く考えていませんでした。さっさと仕事を見つけろということですよね。

どんな仕事があって、どんなふうに仕事を探して、どうやって住むところを見つけて移動手段を確保すればいいか、恐ろしくてたまりません。

こんな人生になってしまったんだから泥水をすすらなければならないのはわかっています。今まではその覚悟がありませんでした。

何とかもがいてみようと思います。何かあったらまたよろしくお願いします。


追記2 5/3 10:25

明日から心を入れかえようと決意したものの、夜はやはりつらくて、身の丈に合わない努力は無理なのかなあと思いました。

運動部練習についていけなかった時のように、急に受験生のまねごとをして疲れてしまいました。

死ぬ気で努力したら何とかなる、の美談の裏には死人がたくさんいて、自分もそちらのほうに入っているようです。

人の何倍も努力することはできず、十年取り返すことは不可能で、自分なりのささやか幸せをみつけなければいけない。

朝起きたらコメントが増えていて驚きました。

対人スキルが全くないのはその通りで、弟と母親しかまともなコミュニケーションがないまま十年です。

この十年かつての同級生と会ったことはただの一度もありませんが、実際にはこの田舎地方都市)で立派な社会人をやってる人も多いはずです。

今すぐに仕事を探そうと考えられないのは彼らに会ってしまうのではないかという恐怖からだと思います

プライドが高すぎるのもその通りです。大変な仕事をやっているひとたちを蔑む感情自分にはできないと卑下する感情とがあります

文章がそれなりに見えるとしたら推敲時間をかけているせいでしょう。

気づいたのだから今すぐ動かなければならない、でも何をすればいいのかと途方に暮れる。

昨日から自分文章と皆さんのコメントを何度も読んで廊下をうろうろしていて、無駄時間を使っていると焦りを募らせる。

勉強をしていても受験生はこれを一年二年の間にやっているんだろうとか、もっと難しい問題集を解いているんだろうとか焦ってばかりでした。

私は世の中にどんな仕事があるのか、どんな能力が求められているのかも知りません。

大学を調べて思ったのは、いろんな学部いろんな学科があって、それを自分選択しなければならないけど、

どれがどんな職業につながるのか、あるいはつながらないのかが全くわからないということでした。

新卒なら何を学ぼうとポテンシャル採用されるのでしょうが高齢では直接仕事につながるスキル資格を得なければ。

それでもどの道にもつながっていないような気がして絶望したところです。

前までは漠然いい大学に進もう、ほかに道はない、高校勉強をしないで大学に入って何になる、そんなことを考えていました。

今すぐに働くなら受験はあきらめるのか、それでいいのか、決断を後回しにすれば全部失うとわかっていて、それでいて動けずにいます

行政相談窓口は今日はやっていないようでがっかりしてしまいました。

やっていそうなところがあったので今からちょっと行ってみますプリントアウトして持っていけばいいでしょうか。


追記3 5/3 12:50

ついて初めてゴールデンウィークだったか気づきました。これだからニートはいけない。

それでも気分がよくなって人間は日の光と休憩が必要なんだと実感します。

何も解決せず進んでいないけど心が晴れてきました。


追記4 5/3 20:10

どういう風の吹き回しか今日は母と焼き鳥屋へ行きました。酒の席は生まれて初めてのことです。

酒が入って口が軽くなったので腹を割っていろいろ話しました。今までこのように話したことはありませんでした。

私はずっと何も言わない家族を、腫れ物に触わるような扱いをされているのだと疎外感を感じていました。

干渉すれば反発してやる気を失うと思ってずっと見守ってくれていたそうです。

試験直前になって勉強しているのかと聞いてくる父親が嫌いでした。直前までずっと我慢していたそうです。

急に外を走り出した事について何も言われた記憶はありませんが、好ましく思っていたそうです。

この一か月の勉強も私が孤独だと思い込んでいただけでした。

親の心子知らず、親を非難するわけではありませんが機能不全家族という言葉が思い浮かびます

しか一般論として、子供ひきこもりになったときにどういう対処をすべきなのかは当事者の私にもわかりません。

いまは生きる活力があるからこそ将来を悲観しているわけですが、今までは生ける屍で諦めてしまっていました。

やっと勉強ができるようになったのだから続けてほしいというのが母の希望です。

今日はぐっすり眠れそうです。まったく勉強しなかったけれどいい一日でした。

2017-04-30

まれつき茶髪の話と田舎の闇

他のエントリを見て思い出したので。

私は生まれつき髪が栗色というか、赤毛というか、茶色い。

田舎だったので小学校中学校は少人数でほぼ同じメンバーということもあり、特に悪く言われずに育った。

15歳、公立女子校高校入学

(公立なのに女子校?と思われるかもしれないが、私の住んでいた県はある程度の偏差値以上の公立高校は大抵男女別学なのだ)

しかしそこまでの進学校でもないため、自主自律という気風ではなく校則が厳しかった。

1年生の3月卒業式リハーサル後にそのまま体育館に残された。

「お前、その髪の毛どうした」。

ほとんど会話もしたことのない生徒指導担当が睨む。

まれつきだと説明するも信じてもらえず、私はわんわんと泣いてしまった。

その時は私があまりに泣くから「いや、退学になるとかじゃないから…まあ本当に地毛なら仕方ない」と解放された。

その半年後、2年生の夏。

月に1度の頭髪検査(パーマしてないかピアスしてないかチェック)の後にひとり残された。

先日とは違う、女性のめちゃくちゃ怖い体育教師に髪の色を詰められる。

まれつきなんですが、と話すと

「生まれつきかどうか、真実関係ない。その頭でうちの制服を着て歩いていたら、外部の人は〇〇高はそういう学校なのねと判断する」と冷たく言われた。

ええ…と思いながら、震える声で「エクステストレートパーマをしている子もいますが、その子たちは生まれつきのように見えるから規則違反であっても何も言われないんですね」とこぼしてしまった。

失言だった。

体育大卒彼女は鬼の首を取ったように、

「じゃあその友達名前を言ってごらん!あんたが告げ口したって言わないから!」と捲し立てた。

周りには他の教師もいたが、誰も何も言わず目を伏せていた。

体育教師地位が高い高校だったのだ。

私は答えられず、泣いているうちに授業時間になってしまい、なし崩しに保健室に行かされた。

私の成績は学年トップだったし、生徒会だってやっていた。それでも他の先生達は何も言ってくれなかった。

流石にその件は父親が来校し、担任と話して「生まれつきの赤毛」ということで処理された。

学年にもうひとり生まれつき茶色い子がいたが、その子は「色々言われるの面倒だから」と黒く染めていた。

1学年下にヨーロッパ系のハーフの子がいて、入学した時は栗色だった髪の毛も

信じられないことにいつのまにか黒くなっていた。

私はそれに倣えなかった。

父の抗議のおかげで「指導」がなくなっても、ふつふつとした憤りを抱えて受験勉強していた。

進学校でそれなりに必死こいて、なんとか現役で早慶に受かり、大嫌いな田舎を後にした。

もう10年も前のことだし、特定されても支障はない。

北関東高校で体育を教えていたA先生、私は今でも覚えています

2017-04-27

http://anond.hatelabo.jp/20170427000007

しろ私立の方が多いイメージだけど

金持ち高齢出産とか

発達の中でもアスペ受験勉強得意なタイプが多く偏差値高い人多いとか

私立の方が発達に理解あるから発達の子私立に行かせたがる親は多いって話も聞くし

2017-04-24

氷河期世代だが

http://anond.hatelabo.jp/20170422041028

就職に困ったことがない。

受験勉強なんか一度もしたこと無いし、微分積分わからん商業高校の出で

学校に勧められるままに情報系の専門学校に行った。

専門学校の内容なんて現基本情報技術者試験を通る為が主だったが

ガイダンスで来た企業適当に選んで入社した。

東京企業だったから倍率少ないし面接なんてその一社のみ。

一年半くらいで辞めたけど、地元に戻ってハローワークいけばすぐ仕事は見つかった。

なんだかんだで若いからという理由で引き抜かれて別の会社にいるけど

大学まで行って何十社と受けた挙げ句就職出来なかったなんてのを聞くと

勉強意欲もないのに大学選んだ時点バカじゃね?ってつくづく思う。

2017-04-21

貧乏学生日記流行ってるので、失敗した貧困男子大学生日記書くわ

男子大学生だったので思い出しつつ晒すよ。

俺は都内私立大学しか理系しかからなかった。んで親が「金は一切出さない」と言われて交渉するも無理。しかも家から追い出された。離婚してお互い新しい相手とくっつくから邪魔子供は追い出された形。入学金だけは親戚からもらえた。

まあまあの大学だし来年受けても落ちそうな気しかしなかったので仕方なく奨学金と少しの貯金で通うことを決意。

んで、貸与奨学金申請するも1種も2種も落ちる。

高校はそれなりの進学校だったけど校内では底辺の成績だったから成績悪かったし親は金は出さないのにそこそこ収入あるから無理、と。

早くもピンチ。とりあえず学費稼ぐために休学してバイトしようとしたんだけど、休学にもまあまあの金がかかるのね。

んで、しゃーないか居酒屋バイトバイト。まかない食わせてくれたのがありがたかったし、たまにシフト休みの日に行っても食わせてくれた。圧倒的感謝

つか家もないんで普通にネカフェとか公園で過ごした。バイトで知り合った人の家にも泊まらせてもらった。

学費の支払いをどこまで遅らせられるか事務交渉しながら払う。でも授業やっぱ眠くなるし普通に難しいし単位取れない。

んで5月ぐらいにようやく月4万の風呂なしアパートを見つけて住めるようになった。

お金なくてかなりきつかった。夜中に課題やるのにどうしてもパソコンなくて辛くて買いたくて、クレカ作って買えばいいことに気づく。その後たぶん5枚ぐらいは作った。親の信用に感謝。2回払いとキャッシング現金化には在学中何度も助けられたけど殺されかけた。日雇い派遣バイトも助けられた。

1年前期は半分ぐらい落として8単位ぐらいしか取れなかった。しかも落としたのは専門科目の必修ばかり。

夏休みは1ヶ月ぐらいあってかなりバイトした。

後期になるとやっと2種奨学金が通る。前期分もまとめてもらえた。借りるのはもちろんMAXの月12万円。だいぶ金銭的には楽になる。

はい学費が年間160万ぐらいなので奨学金はすべて消える計算

んで前期の勉強がわからいから後期もなかなかついていけない。やはり必修はかなり落とす。実験もきつい。

あと周りの学生が「お金ないわー」と言ってるけどお金ないレベルが違うんで困った。夏場はワキガである噂が流れたが、単に風呂に入ってなかったのと服を洗えなかっただけ。

春休みバイトまとめてできたのでここから金銭的にはすこし楽になる。スポーツジムバイトすると風呂に入れることに気づきジムバイトも始める。あと洗濯もさせてもらえた。

金が尽きると割りと簡単に詰むのは1年目で理解したのでできるだけ貯めておく方針は続ける。

2年目は1年目の再履修と2年の必修も合わせて履修。やっぱりわからんくて7割ぐらいしか単位が取れない。実験も多くて辛い。

んで2年が終わった時点でどう取っても足りないか留年確定。でもまだ奨学金は切られない。次の年に確定して4年目に奨学金がとめられて、次ちゃんと進級すれば5年目は出るらしい。つまり3年目のうちに4年目の学費も稼ぐことも必要になった。

3年目。授業としては楽なはずだったがバイトを増やしすぎて辛くなる。あと単位を落とせないプレッシャーがスゴくて辛かった。不安と忙しさで精神的にキテたのかも。

教授に授業中寝てたのを怒られてスイマセン、バイトで眠くて、って言ったら学生の本文は勉強バイトで遊んでるからだって怒られて泣いた。ボロボロないた

ムカついたかパワハラ相談室に言いに行ったら教授が謝ってきてご飯おごってくれていろいろ相談に乗ってくれた。でも単位はくれなかった

そんなこんなでまた留年した。学費は頑張れば払えそうだったけど大学絶望したしもう疲れて気力もなくなったので中退した。余裕ないのに就活どうすんだってのもあったし

貯めてた学費分のお金貯金があったのでしばらくバイトも何もせず引きこもってた。

バイト先の友達に紹介してもらった女の子と仲良くなって転がり込んだら、その子よく聞いたらデリヘル嬢だった。病んでてヤバかったけど風呂があってきれいな家が嬉しすぎた。あと肝心なときに立たないから、DTは守られた。

風呂は魅力的だけどデリヘル嬢は病みすぎててヤバイので半年ぐらいで出て、少しまともな会社に努めたくなってベンチャー企業という名の中小企業に入りこんだ

残業代は出ないし大学勉強は直接は役に立たなかったけど社会人ぽくなった感あった。ここは1年で辞めて少しマシな会社に入って少しマシな生活できるようになったので、そろそろ大学入り直したいと考えてるけど受験勉強と金のやりくりをどうするか考えてる今日この頃

参考にはならんなたぶん。1年目のはじめに奨学金落ちたのがマジで困ったしそのへん改善した方がいいと思う。もうされてんのかもしれないけど。俺の申請の仕方が悪かったんかな。貸与だし有利子なんだし認めてよほんと

普通に3割ぐらいの学生留年してる学科だったので、留年日常だし奨学金止めないでほしいか

まあ私立金持ちの行くところだからビンボー人は来るなってのもわからなくはないけれども授業以外で実験課題に取られる時間が多すぎて常に眠かった

大学関係に取られる時間が多かったのはかなり誤算だった。大人から聞いてた大学とだいぶ違う、、ってずっと思ってた。これ分かってれば入学はやめたような気もする。前述の教授も「最近大学生は昔と違って忙しくて時間ないよね」と言ってた

あとおれは大きな病気なかったから良かったけど普通に風邪引いただけでもキャッシュ回らなくなりそうな場面が結構あってヤバかったのと、

余裕がないと目の前のことしか見れなくなり、計画性が全くと言っていいほどなくなるのはもっと広がってほしい認識

これが貧困ってやつかぁ、って感じ

コミュ力もっとあればうまく立ち回れたんだろうなぁと思う場面も多かったけど18、19のころじゃ無理か、って気もする

あと高卒で数年働いてから大学に、って言ってる人もよくいるけど働きながら高校生と同じ時間受験勉強時間作るの無理じゃね?高卒給料学費生活費をある程度貯金するのもかなり時間が掛かるし現実的ではないか

2017-04-17

地方トップ私立大学

私が在学していたのは東北学院大学というFランク大学なんですが、東北地方ではトップ私立大学ということもあり就職には(東北地方に限るが)対して困らない。

学力レベルも非常に低いため、ほぼすべての試験において一夜漬け、あるいは過去問の暗記だけで突破することが可能で(単位を取るためだけならば)勉強する必要性は皆無に近い。


大学卒業後は東京に出て就職を……、などと考えているのであれば全くおすすめはできない。

しかし、卒業後も東北にずっと住み続ける意思があり、受験勉強大学入学後の勉強も出来る限りしたくない、できれば4年間だらだらと遊んで暮らしていたい。

大学院なんて絶対に進学しない、就職先もそれほど高望みしない、というのであればありなんじゃないかなぁと思う。


東北に限らず、地方トップレベル私立大学はその学力レベルに対して地域評価が高く、コスパはそれなりに良いんじゃないかなと思っている。

2017-04-12

やろう、ポテンシャルはあるはず、足りないのはやりきる力

http://ascii.jp/elem/000/001/162/1162199/

英語学習に関しては自分成功体験があり、高3の時はセンター模試40点から半年で182点まであげたことがある。この記事内で紹介している体験ではなく脳科学的なアプローチであるSLAだが、高3で受験勉強を始めるにあたってボトルネックだった英語をあげるためにいろいろリサーチした中で出会った英語学習の本で同じメソッドが紹介されていた。御歳80歳くらいの同時通訳者が戦時中中学校英語教材を音読によって全部暗記したら米軍言葉が聞き取れるようになった経験から英語学習中学レベル教科書音読するのがいいというメソッドだ。これを僕は愚直にやり、英単語日本語に訳さなくても頭に意味イメージできる状態にする→文章音読して英語の文のままイメージできるようなになる(同時に英語リズムを覚える) これを繰り返し、普通市販の教材を暗記しまくったら解法テクニックは覚えなくてもセンター過去問10分あまって90%の得点率になった(本番はメンタルが弱いので75%ぐらいしか取れなかったがw)。また大学3年の時は就活に備えてTOEIC勉強をしたときは、脳のワーキングメモリの処理の概念理解していたので、TOEIC用の単語を覚える(無意識に呼吸レベルになるまで)→長文を音読するで英語学習感覚を取り戻しつつ語彙を増やし、TOEIC用の対策本で文法問題○×△法+エビングハウス忘却曲線にそった反復学習で1回目の暗記→9時間後(または翌日)→1週後の3回くりかえすことで長期記憶に定着。これの勉強法で、3週間で460→645点であがった。そこで自分で考えて短期的に結果を出す経験を得たことに満足してまいその後の学習はしなかったがw、この記事で書いてあることは自分経験則としてすごくよくわかる。

こうしてみるとグリットが足らない人生だね、筋はいいことはできてるし自分で考えて行動して結果を出すことも部分的にはできているけど一番のゴールは達成できていない。

中学校最初テストたまたま数学学年一位で部活の先輩とかいろんな先生にちやほやされて自分は本気だせば勉強できるとか勘違いして、授業以外ではほぼ勉強せずにトータル学年10位-20位くらいをうろうろ、3年最後テストで一位とってやろうと思って勉強するも4位どまりで一位は無理か〜と思ったが、もっと前のテストから1位を狙っていれば学習PDCA回せたと思うのにそんなことは気がつかず。

高校も県外に引越しタイミングなので志望校選びを家から一番近い高校にして入ったが、入試の開示されたあの点数なら県1-3の高校合格ラインだったのに思考停止してた。

高校勉強せずにテストで0点とかとってるのがクラスで目立ってたのがウケてたと思ってたので二年間勉強せず学年ビリとったり、英語数学国語で1とって進級できない人向けの試験受けることになってる時でも、本気出せばいけると思っていたw 今思うとこの時に勉強を通じて思考力や集中力自分なりの課題解決プロセス確率する訓練を積んでいないのがいまに悪い意味で繋がっていると感じる笑

受験勉強も他の人からするととても伸びて結局国立大受かったのに、もっと上いけるとか思って浪人して堕落し結局一朗ニッコマでしょ、予備校入りたての時は地理東大コース京大過去問といて他の生徒よりいい成績出したりしてたのに、夏になぜか世界史に変えてそこからめんどくさくなってセンター本番50点でまた地理にもどすという超迷走かましてた

そこで自分浪人を選んだのに結果がでなかったのでネガティブになり消極的になったんだ、思い出した笑

まり自信を失ってるのは自分で選んだ選択で結果がでなかったからで、自分への信頼がないわけで、そこを改めてとりもどさないと一生このままでしょ

やろう、ポテンシャルはあるはず、足りないのはやりきる力

http://anond.hatelabo.jp/20170412125412

高校生だと弁当作る暇なんて無い子も多いけどそういう理由ではなくて?

遠くの学校に通う為に早朝に起き、学校終わった後は塾、帰宅後も夜遅くまで受験勉強という生活していて

1秒でも長く寝せてやりたいのに早起きして弁当作れだなんて何考えてるんだ!とか。

家事手伝わせろってのも「勉強時間を削って家事を手伝わせろ=女は勉強させるより家事仕込む方を優先しろ」と受け取られてるとか。

2017-04-05

顔も知らない父親に会いに行きたい

私は父親という存在を知らない。

父と母は私が四つん這いで歩いていた頃に離婚したらしい。だから顔も覚えていないし、「父親が居たら…」と想像することはあっても父を寂しがるという気持ちはなかった。

中学生の時、受験勉強ストレス母親喧嘩した際に初めて母親から父親がどういう人間だったかを聞いた。

つまるところ父はいい加減な人間で母は若干父に依存していた。

父は昼間会社に行かず遊び呆けていたらしく、頻繁に部活動をサボっていた私は何か共通点を感じた。

離婚した時に気が強い母は「養育費は要らないからもう二度と息子に会わないでくれ」と父に言ったそうで、父は律儀にその約束を守っているのだろう。

それからどこかの学生になった私は父と話をしたいと思うことがよくある。

父がどんな人間なのかこの目で確かめたいと思うし、アンタの精子からまれた私がこんな感じになりましたと報告してみたい気もする。でもどうやって会うか見当もつかない。

住所はどうやって調べる?顔も名前も知らない父親がどこに住んでるか知る方法はあるのだろうか。

でもなんとかして就職が決まったら会いに行こうと思う。

2017-04-03

働きたくない

本業非常勤なんで、普段塾講師をしている。

30過ぎてるけどバイトから大学生バイトと同じ扱いをされるのがつらい。

一時は使える人として重宝されてたんだけど(そりゃ大学生と比べたら俺でも使える人だ)

ただ最近いろいろ問題も起きた。さすがに30過ぎてるもんで受験勉強も忘れてる。

それでもなんとかやってたんだけど、俺のコミュ障性格と合わさって

「あの先生分かりづらい」とか「絡みにくい」とか

苦情が塾長のところによく来るようになった。

辞めていった子もいる(他の理由ももちろんあるんだが)。

そのせいで、俺の株は使える人からただのバイトへと大暴落だ。

自分いかに使えない人間かを実感している。

しかもそういうことが重なって、以前患っていたパニック障害が出始めた。

授業中は教えるよりもパニックとの闘いだ。

どうにもならなかったら、トイレに逃げ込むが、何度も使える手じゃない。

いつか発作が起こったら…もう恥ずかしくてこの塾にはいられないだろう。

そうなる前にいい副業を見つけてやめたい。

2017-03-26

http://anond.hatelabo.jp/20170326201411

というか、最近東大ですら「受験勉強しか能がないコミュ障はいらない」という方針じゃなかったっけ。

東大大学院に"頑張らないと受からない"ロンダ連中はホント辞めて

最近東大大学院に受かったという女のブログがやたらはてブで目がつく。

ちょっと見てみたところ、受ける研究室教授へのメールの仕方とかお礼の仕方とか、

アホ、とかしか言いようのない小手先テクニックまで大事に公開してる。


もうね、アホかと。

全ての学科を知ってるわけではないが、基本、院試入試の点数次第。

教授の心付け、なんて無い。

別に研究室訪問なんてしなくても入試の成績さえ良ければ入れるし、外部生だろうが内部生より点数良ければのけて入れる。

もちろん面接もあるので100%点数ではないが、基本まともに会話が出来ないとか明らかにおかしいやつを落とすだけのもの



あと、外部から来る人は年末からとか、はたまた1年前とかから勉強してるらしいが、

内部の人間は一ヶ月くらい前からちょっと過去問解く程度。

1年前から勉強しないとわからないようなことしか大学でやってないのか?

いや、そうじゃない。学部レベルカリキュラム自体はそうそう大きな差はない。

単にまともに授業を受けてないし学ぼうとしてないだけ。


そんなやつが大学の授業無視して受験勉強

そんなのがまともに大学院研究なんて出来る訳がない。

来て、すぐに嫌になって研究ほとんどせずに東大名前だけつかってロンダ就職

ほんと辞めろ。ありとあらゆる意味邪魔しか無い。



東大の院に来たいならそれまで学部の授業を"普通"に受けて学んで、"普通"に受かる事が出来る場合だけにスべし。

アホみたいなノウハウブログとか読むやつはまず100%研究なんてまともに出来ないか安心しろ

それでもロンダのためと開き直ってくるやつも最近いかホント困るんだけども。

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