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2024-07-23

anond:20240723140451

■27歳。エリート童貞

先日27歳になった。一応エリートに分類される人生を送ってきたと思う。小学生の頃から高校まで成績はほぼオール5、受験勉強必死にやって大学受験でも全勝し某理系難関国立大に進学。学部でも真面目に勉強し、ほとんどの科目でA以上をとって学部卒業した。大学院にも進学し、一生懸命研究した。それほど華やかな研究成果が出たというわけではないが、それでも論文出版することはできたし、優秀な大学院生ではあったと思う。大学院卒業後は研究職についた。仕事はすこぶる順調で、これまでの研究で一つ大きな成果を上げることもできた。年収も27歳にしては少なくない額をもらっている。

客観的に見て、自分はとても恵まれているし、羨ましがられる側の人間だと思う。だから、以下に述べることは結局僕の強欲さに過ぎないのかもしれないが、無性にどこかに吐き出したかった。どうかここに書くことを許してほしい。

僕は童貞である。27年間、女性とそういう関係になることがなかった。一応2回ほどお付き合いのようなことはさせていただいたのだが、どちらも長続きせずそういうことにすらならずに終わってしまった。

どうやら自分他人と親密になるのが苦手らしい。一定以上親密になると、付き合うのが面倒くさくなってしまう。LINEの返信は面倒だし、気を遣いながら相手の言ってほしい言葉を探すのも得意ではない。これは何も女性関係に限ったことではない。友人との連絡も、たまにする分には楽しめるのだが、特に同じ相手と頻繁にやり取りする気にはとてもなれない。親との連絡ですら、面倒くさくてかなり適当になっている(最近は、親への連絡も親孝行だと思ってサボらないようにはしているつもりだが) 。

こんなに人付き合いが億劫なのはなぜだろうと考えてみると、そもそも僕は誰かに自分から話したいと思うことがほとんどないのである。僕には趣味と言えるものがほぼない。今までの人生ほとんどの時間を、勉強仕事に使ってきたからだ。だから仕事以外となるとほとんど話せることがないのである。そのせいで同じ相手とたくさんやり取りをすると、すぐ話のネタが尽きる。それでも聞き上手ならうまく相手の話を広げて会話を続けられるのかもしれないが、そういうことも得意ではない。これでは誰かと長く会話を楽しむこともできないし、次第にコミュニケーションを取ることすら嫌になってくる———。

要するに、僕がつまらない人間から、人との会話を楽しむことができないのだ。

ではさらに、なぜ僕はつまらない人間なのだろうと考えてみる。言いたいことがない、相手から何かを聞いても良い受け答えができない。これは要するに頭が悪いということではないか。ここでの頭が良い悪いというのは、勉強とか仕事ができるできないの話ではない。普段からかに興味を持って挑戦したり、あるいは誰かの話に興味を持って自分の頭で考えられることである。僕のこれまでの「エリート人生では、勉強仕事一生懸命頑張っていればよかった。実際、僕にも勉強仕事についてなら語れることはいっぱいある。でもそれを脇に置いた時、自分の「エリート人生の驚くほどの薄っぺらさと、周りの「非エリート人生の厚みに気づく。

仕事がうまくいっているうちは、自分の「エリート」さを支えに生きていけるかもしれない。しかし、仕事で行き詰まった時、自分生き方に疑問を持つのが怖い。そんな時に、自分を支えてくれる人がいれば良いが、いまの僕にはそんな心から頼りにできるほど親密な相手もいない。また仮に仕事がずっと順調にいったとしても、いつかは引退するのだろう。そうなれば、自分仕事に関するエリート性はもちろん、仕事を通じての人とのつながりすら失うことになる。そうなった時の孤独がどんなものか、想像もできない。

27歳童貞という事実は、単に自分人生の浅はかさの一つの表れに過ぎないのだろう。「エリートさ」のみに支えられた一本の細い綱を渡りながら孤独に向かって進む他ない自分人生にうっすらとした絶望を感じながら、今日も懸命に仕事をする。

エリート特有句読点の使い方。これは間違いなくエリート

俺がエリートであることもわかってもらえると思う。句読点の使い方を見たらね。

27歳。エリート童貞

先日27歳になった。一応エリートに分類される人生を送ってきたと思う。小学生の頃から高校まで成績はほぼオール5、受験勉強必死にやって大学受験でも全勝し某理系難関国立大に進学。学部でも真面目に勉強し、ほとんどの科目でA以上をとって学部卒業した。大学院にも進学し、一生懸命研究した。それほど華やかな研究成果が出たというわけではないが、それでも論文出版することはできたし、優秀な大学院生ではあったと思う。大学院卒業後は研究職についた。仕事はすこぶる順調で、これまでの研究で一つ大きな成果を上げることもできた。年収も27歳にしては少なくない額をもらっている。

客観的に見て、自分はとても恵まれているし、羨ましがられる側の人間だと思う。だから、以下に述べることは結局僕の強欲さに過ぎないのかもしれないが、無性にどこかに吐き出したかった。どうかここに書くことを許してほしい。

僕は童貞である。27年間、女性とそういう関係になることがなかった。一応2回ほどお付き合いのようなことはさせていただいたのだが、どちらも長続きせずそういうことにすらならずに終わってしまった。

どうやら自分他人と親密になるのが苦手らしい。一定以上親密になると、付き合うのが面倒くさくなってしまう。LINEの返信は面倒だし、気を遣いながら相手の言ってほしい言葉を探すのも得意ではない。これは何も女性関係に限ったことではない。友人との連絡も、たまにする分には楽しめるのだが、特に同じ相手と頻繁にやり取りする気にはとてもなれない。親との連絡ですら、面倒くさくてかなり適当になっている(最近は、親への連絡も親孝行だと思ってサボらないようにはしているつもりだが) 。

こんなに人付き合いが億劫なのはなぜだろうと考えてみると、そもそも僕は誰かに自分から話したいと思うことがほとんどないのである。僕には趣味と言えるものがほぼない。今までの人生ほとんどの時間を、勉強仕事に使ってきたからだ。だから仕事以外となるとほとんど話せることがないのである。そのせいで同じ相手とたくさんやり取りをすると、すぐ話のネタが尽きる。それでも聞き上手ならうまく相手の話を広げて会話を続けられるのかもしれないが、そういうことも得意ではない。これでは誰かと長く会話を楽しむこともできないし、次第にコミュニケーションを取ることすら嫌になってくる———。

要するに、僕がつまらない人間から、人との会話を楽しむことができないのだ。

ではさらに、なぜ僕はつまらない人間なのだろうと考えてみる。言いたいことがない、相手から何かを聞いても良い受け答えができない。これは要するに頭が悪いということではないか。ここでの頭が良い悪いというのは、勉強とか仕事ができるできないの話ではない。普段からかに興味を持って挑戦したり、あるいは誰かの話に興味を持って自分の頭で考えられることである。僕のこれまでの「エリート人生では、勉強仕事一生懸命頑張っていればよかった。実際、僕にも勉強仕事についてなら語れることはいっぱいある。でもそれを脇に置いた時、自分の「エリート人生の驚くほどの薄っぺらさと、周りの「非エリート人生の厚みに気づく。

仕事がうまくいっているうちは、自分の「エリート」さを支えに生きていけるかもしれない。しかし、仕事で行き詰まった時、自分生き方に疑問を持つのが怖い。そんな時に、自分を支えてくれる人がいれば良いが、いまの僕にはそんな心から頼りにできるほど親密な相手もいない。また仮に仕事がずっと順調にいったとしても、いつかは引退するのだろう。そうなれば、自分仕事に関するエリート性はもちろん、仕事を通じての人とのつながりすら失うことになる。そうなった時の孤独がどんなものか、想像もできない。

27歳童貞という事実は、単に自分人生の浅はかさの一つの表れに過ぎないのだろう。「エリートさ」のみに支えられた一本の細い綱を渡りながら孤独に向かって進む他ない自分人生にうっすらとした絶望を感じながら、今日も懸命に仕事をする。

2024-07-21

不登校の子供とかに勉強を教える需要ってあるの?

というか、それってフリースクールとかか

あるんだろうけど儲かるのかな

フリースクールの値段調べると、公的援助がないからなんだかんだ高いな、仕方ないんだろうけど

高校不登校になるのは、大検とかあるからリカバリー効くだろうけど、

小中で不登校大検みたいなのあるのかな?義務教育だよね

義務教育だとリカバリーしづらい気がなんとなくある

ただ、最近だったか不登校小中学生教育委員会だかが退学届け提出しろとか言ってきたみたいな話はアホだと思ったけどな

義務教育に退学届けというのもよく分からんし、その前に不登校になった原因とかそういう話から始まるはずなのに、

いきなり退学届け要求するのは、公務員役所事務手続き第一優先主義なのかもしれんけど、流石にちょっと人を人として見てなさすぎるだろ

話がずれたけど、副業みたいな感覚で関わるべき世界ではないのかもしれないなぁ

受験勉強的なものを教えるのは得意な方だと思うんだけど、他人の役に立つのは難しいものだね

家庭教師みたいなのも、強烈な問題児担当させられたりとか、公共とか塾みたいな外の場所じゃなくて、個人の家というのが怖いんだよね

いきなり子供に刺されても対処できないからね

とりあえず、やるなら公民館とかでもやってそうなボランティアかなぁ

でも、ラーメンハゲの言ってたみたいな問題になるからなぁ、ボランティア

2024-07-20

anond:20240720081955

AI受験勉強10000人分のエネルギーを使って学習医学を発展させ、そのうえで医者AIに従わず患者無駄に苦しむこともあるでしょうが中学受験経験医師免許を取るような人が偉いんです

2024-07-08

anond:20240708201515

でも実際、敗戦の原因はなぜ敗戦するのかが分かってなかったから、って状況は結構ありふれてるんじゃないか

例えば身近な例でいうと、受験勉強だって不合格になる理由が事前に自己認識できてたら改善して合格に持っていけるわけだし。

2024-07-07

35歳で狂うってよりも、35歳になったとき人生設計が狂っている現実と向き合うことになるって感じなんだよね

25歳から35歳って割と人生において融通が効く時期じゃん?

キラキラした仕事に挑戦してもいいし、公務員やってみてクソ溜めだから辞めますってしてもいいし、バイトで食いつないで夢追してもいいし、とにかく35までなら人生は色々と出来る。

逆に言えば、その時期までしか人生って軌道修正が効かないんだよね。

もっと言えば、そんな時期になにか出来なかった奴は何者にもなれない人生を歩むしかない。

学生時代の頃は「テスト勉強が忙しいから」と言い訳出来たし、社会人になりたての頃は「とりあえず生活仕事を安定させる」と言えた。

でも明らかに時間のある時期があったはずなんだよ。

ないなら作ろうとすることが出来た時期が。

28~33ぐらいの5年間程度だけかも知れないけど、結果を出してる人はそれぐらいの時期にちゃんと積み上げるものを積み上げて勝負してる。

学生時代からバリバリやってましたってタイプ天才から比較しても仕方ないにしても、社会人になってからも「眼の前の仕事が忙しいから」で言い訳し続けてるうちに秀才たちに追い抜かれていくのはちょっとどうしようもない。

35から先の人生って肉体的なトラブルが急増するのと、マネジメント的な立場仕事で求められやすくなる以外はあんまり30~35までの人生の焼き増しになりがちなんだよね。

30~35までの間にやってたことをあと5回ぐらい繰り返して定年を迎えて、そっからは体の自由が効かなすぎてもう老後モード人生しか送れない。

まりさ、30~35までの間にやってたことがほぼ0に等しいことは、そのあとの30年間においても結局0に等しいんだよ。

「俺はいつか作家になるんだぜ!カクヨム投稿したことさえないけどな!」みたいな奴はその後の30年かけてもカクヨムに1作も投稿せずに終わるだろう。

「俺はいつか凄いプログラマーになるんだぜ!今は仕事が忙しくて土日は家事やって寝るだけで勉強してないけど!」みたいな奴はその後の30年も土日は寝て過ごして後輩にドンドン追い抜かれる窓際コーダーになるだろう。

自分の頭の中だけにあったフワフワした人生設計と、実際に自分が歩んでいる人生の差、それに対して言い訳が出来なくなるのが35辺りなんだよ。

それこそ30ぐらいだったら「もうこなったら飛び込んでいくしかない!業界の中の最も熱気のある場所に入ってそこで日々火の車になることで自分を鍛える!」みたいなレールに乗り移るチャンスも0じゃない。

でも35になるとそういう道に進もうにも過去実績が少なすぎるともう無理になる。

学生時代のように「まあ俺もそのうちガチるし。なんか2組の増田は今からガチってるらしいけど、まずは受験勉強優先じゃね?」とやってない自分に対して言い訳をしてる時間なんてもうなくなっているという現実と立ち向かうことになるのが35歳。

35歳になったら狂うんじゃなくて、元々人生設計が狂っていたことが確定事項だって認めるしかなくなるのが35なんだよ。

トレーニングなんてもうずっとやってない元運動部が「暇な部署に移ったらめっちゃトレーニングやり直してそれからプロ試験受けてみるんだ」とかフワフワした人生設計してたことに対して「いやこの年ではもう無理でしょ?」ってのと向き合う年齢だ。

あとから入るのが簡単そうな業界だって、35まで本当に何もやってこなかった奴なんて調べてみれば全然いない。

表に出てくるのに時間がかかった人でも下積みを始めてきたのは20代の頃からだ。

そういった人達が結果を出すまでに積み上げた時間数字だけでも追いつこうとしても、35までロクに何もやってこなかった奴のペースでは100歳までかかっても追いつけないという現実にふと気づく年齢が35歳だ。

頭の中に漠然とあったスーパー自分が歩もうとしていたペースと、実際にリアル自分が歩んできたペースの違いがあまりにも大きすぎると気づくのが35歳。

突然に狂い出すんじゃなくて、最初から狂った予定を立てていたということを認めるしか無くなるのが35歳だ。

そして狂った予定を立てていた人間ってのは自分に対して「いつか人生めっちゃ上手くいくから頑張ろうぜ」という誓約をたてていたりする。

でもそんなのは大嘘で、目先の欲に流されたり日常に苦しんだりして必死にジタバタ生きるだけの毎日が今後も50年続くのが目に見えてくる。

自分自分に嘘をついていたことを認めるしかなくなり、自分に裏切られた自分が悲しみと怒りと情けなさとどうしようもなさでグチャグチャになっていく。

それを「35歳から狂いだす」と呼ぶ人がいるんだろうけど、そうじゃない。

「とっくに狂っていたこから逃げ切れなくなるのが35歳から」ってことだ。

始めから狂っていたくせにさも「何もしてないのにいきなり人生が壊れた」みたいに言い出すのは違うだろ。

周りを見てみれば分かるが、狂ってない人達最初から自分人生に大層なものなんて求めて来なかったんだぞ。

ただ生きて、チキンラーメン程度の美味さの物を食って、たまにハーゲンダッツぐらいのものを食って、毎日ちゃんとお湯張った風呂入れて、ニトリのベッドで寝て、Switchゲームでもやって、それで十分だと割り切ればいいだけだぞ。

お前の人生なんて最初からその程度だったんだ。

俺は凄いやつでいつか凄いことが出来て、学生時代に俺を見下した同級生を見返してやるし、一人だけ賞を取って別世界に行った友人にだって追いついてやるんだみたいなこと考えなくて良いんだぞ。

どうせ最初からお前の人生はこの程度だったと言うだけだ。

それを認められないとな、誇大妄想を拗らせて暇空みたいになっちゃうぞ?

2024-07-06

anond:20240706101628

真面目に生きてきたオレの話、する?

小中高に大学と、子ども時代受験勉強に集中してた。

息抜きに遊ぶときでも似たもの同士の男友達とつるむだけ。

靴下は左右を間違えるのが認知コスト無駄から全部同じメーカーで揃えて。

服装意味いか適当

朝歯を磨いたら、洗面台で顔を洗うだけ。男はメイクしない。ヒゲ剃るだけでいい。

趣味も特技もない。ノイズは減らしたほうがいいから。

女が寄ってくる気配もなかった。

グーグルや旧ツイッター戦略に感銘を受けていた。

広告なんてほとんど使わず、とにかく真面目に世の中の役に立つ事だけを考える。収益は後でついてくるから。優秀な彼らのやり方に憧れていた。

可能な限りのリソースを集中して受験に使い果たし、なんとか地方国立理系にしがみついて、やっとこさ博士課程修了した、オレの末路の話、する?

真面目にやってきたんだよ。・・・なのにうだつが上がらない。

ドタキャンや即切り捨てを何度も受けて、次行け次を繰り返した果てに、気付けばマッチングした女に頭を下げてた。

どうして報われない? と、プライドを捨てて質問したときにはとっくに心が折れていた。

その人は脈なしと断じたオレに向かって10分も、考えて、答えてくれた。

「前歯だけ磨くようなもの

2024-06-29

anond:20240629135554

女の生きづらさってだいたい女たち自身による自縄自縛だよね

特に化粧とか整形とか若作りとか

女が他の女を蹴落とすためにしてきたことを、自分たち社会常識にし、自分たちハードルを上げ続けている

ワイは本気でそう思ってるで

 

これ真面目に思ってるんだけど、女の外見磨き()は受験勉強と同じ

https://anond.hatelabo.jp/20240629090159

これ真面目に思ってるんだけど、女の外見磨き()は受験勉強と同じ

スケジュール管理能力が高くて、精神含めた体力がお化けで、どんな状況でも片手間で余裕で出来るなら止めやしないが、

スケジューラーや体力がうんこなのに、無理してそればっかやってると歪むし、仕事必要能力を積む機会も棒に振るし、社会不適合者になる

 

でもまぁ、結局、人間は、やりたいことしかしないし、したいことしかしない

どうしても、自分磨きちゅき!!!!なら、覚悟を決めてそれを職業にした方がいいと思うんだよな (もちろん水商売とか立ちんぼはダメよ)

ここで謎のわたしなんかが・・・を発動させたり、ファッション美容関連は競争が厳しくて身を立てるまで賃金が安い・・・とかやらんでさ

あと、何歳になっても需要ってあると思うんだよね

 

70代でプチプラを高見せコーデやってるとロコリさんとか素敵だと思うよ

 

70代 ロコリ

https://www.youtube.com/channel/UCzJHz70YDviGg09q4e24h5g

 

あとシニアモデルも増えてる

 

70 歳の現役モデル、メイ・マスクに聞いた「今の私が一番」な理由

https://www.vogue.co.jp/lifestyle/interview/2019-06-17/maye-musk

2024-06-24

anond:20240624064504

夏野さんが孤児で18でなんの後ろ盾もなく社会の放り出されて全て自分の実力で今の地位にいるなら、その発言も一理あると思うけど。

どうせ違うんだろお?

実家が太くて親の金受験勉強にも課金して、自分と同じぐらいの経済力の危なくない連中とさあ青春やって就職したんだろお?旭川のヤベー連中に目をつけられないようビクビクしてたわけじゃないんだろお?

調べてないけどさあ

子供の頃から夏休みは毎年軽井沢みたいな子供だったんじゃねえのおー?

2024-06-22

これからオタクなる子供たちが可哀想

まれる前に作られたアニメとか漫画とかが無数にあって、年上のオタクたちは知っていて当然としてそれらの作品の話やらパロディやらをやってくる

後に生まれれば生まれるほど、履修しなければいけないアニメ漫画が目の前に積まれることになる

受験勉強どころではない

2024-06-18

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

2024-06-12

過去を捨てて生きてきたので人生がなんか薄っぺら

常に過去を捨ててきたのでそれぞれのステージの厚みが数年分しかない。

幼稚園時代 クレしんに影響されたスケベキャラ

スケベ≒大人≒カッコイイ と思っていた。

スカートめくりをするとか河原エロ本を探すとかしてた。

なんかめっちゃ怒られたので辞めた。

辞めてからは内気な性格になり隅っこで本読んでた。

小学校時代 個人特定されたくないから書かない

恥の多い小学校時代を送っていた。

問題行動が多すぎて「内申点終わって人生終了するから中学受験しろ」と言われ中学受験

中学受験記念受験勢が入るような学校へ行く。

中学校時代 学校ではボッチでネットに入り浸って陰謀論アンチ活動

小学校時代自分がヤバすぎたのではと気づく。

目立ちたがりだったのが良くなかったのだと考え、学校ではひたすら影を薄めていたらボッチに。

でも承認欲求を満たした過ぎてネットにのめり込み陰謀論者に。

嫌いなゲーム芸人アンチ活動陰謀論の日々。

高校時代 ネットから距離を起きゲーセン通い

まりネットで頭がおかしくなってたことに気づきネット距離を置く。

家にいるとネットに入り浸るのでゲーセン時間を潰す。

そして格ゲー動物園入園民度ゴミになる。

大学時代 漫研という名の漫画村情報共有サークル

ゲーセン人間関係を構築すると変なのばっかと付き合うことになるから帰宅部は駄目だ、ということで漫研(読み専の方)へ。

時間ばかりあって金が無い大学生の集まりなので当然のように違法読書サイト情報を共有しまくることに。

個人利用で読むだけならセーフ!共有したらアウト!URLだけ教えるから自分で探せ!」を旗印に同人誌稀少本も含めて色々読む。

就活シーズン 人に言える過去がなにもない

奇行陰謀論アンチゲーセン違法読書就活ネタになるものが一個もない。

とりあえず業界研究やりまくって「ガクチカ就活ですよ。学生時代ことなんて社会に出たら忘れて頑張ります」でなんとか内定を勝ち取る(?)

社会人 無事ブラック企業

内定を勝ち取ったというより、まともな奴なら避けるような会社に応募した中ではまだまともな部類だったというだけらしい。

同僚もなかなかに奇行過去を持っていたが、それを平気で口にするからビビった。

そういうのリアルで言わないほうがいいっすよと思いながら「いやー自分ゲーセンに入り浸ってたぐらいでしたねー。灰皿投げてるとか都市伝説っすよー(自分も投げたことあるなんて言うわけねーだろ😅)」と話を合わせる。

このままだとヤバイなと転職活動をする。

社会人2 やや薄いブラック

ちょっとだけマシな会社に入ると周りがだいぶマトモになる。

でもやっぱホモカルチャー部活動でチン毛を焼いてたぜみたいなアホな過去を口にする人達もいたので転職活動

社会人3~ 過去を捨て続けるジョブホッパー

社会人になってから奇行がなくなったみたいに言ってたけど、実際にはどの会社でもキレ散らかして喧嘩してたりする。

から定期的に自分のことを誰も知らないコミュニティを求めて逃げ続けている。

人に話せる過去がない。

いつも直近数年分ぐらいしか本当の人生がない。

ライフステージ毎における最も印象的な出来事と言える奇行の数々は一切語らない。

幼稚園では本を読んで過ごしてました

小学校では受験勉強してるフリしてゲーム

中学校ではネットおもしろニュースにはまり

高校時代受験ストレスゲームで発散

大学ではサークル仲間と部室飲み

昔居た会社はなんとなく伸ばしたい方向のスキルが伸ばせなかったので転職しました

俺の主成分を一切取り除いた俺の知らない割と普通人生へと過去がすり替わっていく。

誰なんだろうコイツは。

たまに出会う「子供の頃からサッカー大好き!社会人になってからフットサルしてました!好きなチームは昔から地元のあのチームです!」みたいな人生めっちゃ一貫性ある人に出会うと人生の厚みというか、通された一本筋の長さにビビるんだよな。

俺の人生にもそういうの欲しかったんだけどさ、「幼稚園時代からセクハラ三昧だったぜ!」とか「中学時代出会った陰謀論が私の人生を変えました!世界「真実」を届けたいです!」とかじゃあヤバすぎるやろ?

人生出会ったアイデンティティが捨てるしかない過去だった人間はどうしたらいいんやろうなあ。

俺以外の誰も知らない奇妙な生き物のジプシーライフという形で芯が通っているといえばそうなんだが背骨としては縦横無尽に蛇行しすぎててなあ。

奨学金を背負わせるとか虐待だろうが!!!

高校生の時に母親に「大学行くなら学費は払わないわよ。奨学金で行ってね」と言われた!

「はぁ!?ふざけたこと言ってんじゃねぇぞカス!金がねぇならガキなんて作るんじゃねぇよゴミが!」ってぶちぎれてボッコボコにしたわ!

父親警察通報して家に警察来たわクズが!ま、逮捕はされなかっただけどな許してやるよ!

学費払わねぇとか親ガチャ外れだろ!何で親の経済力不足、努力不足のツケを俺が払わねぇと行けねぇんだよ?意味わかんねぇ!

大学で学びたいことなんてあるわけねぇだろ!大学就職予備校だろうが!

大卒じゃねぇとまともな仕事に就けねぇから、やりたくもねぇ受験勉強やって別に行きたくもねぇ大学に行ってんだろうが!

何十年もかけて返済すんだろ?やってらんねぇ!闇バイトでもやろうかな!

大学生の半分が奨学金という借金を背負ってんだろ?やべぇだろこの国!

教育に金を使わねぇで死にかけのジジババに金使ってんだぜ?未来ある若者に金使えや岸田!ふざけんじゃねぇよ!

もう終わりだよこの国!!!

2024-06-06

数珠とかパワーストーン付けてる偉いおぢとか注意した方がいいよ…

オカルトとか自己啓発に傾倒する偉いおぢってのは、


のどちらかだと思われるわけで、

前者だとしても、厄介ごとに巻き込まれている状態なわけだし、

一般的に多いのは後者の方で、

オカルトとか自己啓発に傾倒している人は、自分問題に正面から向き合っていない人が多い、つまり、逃げてる人だってこと

受験勉強とかテストとか思い出してほしいんだけど、自分ちゃん勉強しているときは願掛けなんかしないんだよな

ちゃん勉強していないから、願掛けなんかに走る

ちゃん勉強しているなら、自分努力と結果がどれぐらい比例するかとか、ちゃん自己制御できてるわけだから、願掛けなんか考える隙がない

願掛けとかオカルト自己啓発に走るってのは、結局のところ、前者でも後者でも、自分制御できないものをどうにかしたい、という願望だけがある状態なわけで、

それは運もなくはないけど、努力し続けるしかないのは当然なわけで、

願掛け、オカルト自己啓発の本を大量に持っていて趣味読書とか言ってるような輩が、人生仕事問題ちゃん真正から向き合っている人とは考え難い

その人本人が精神的に弱かろうが何だろうが、逃げてるってこと

問題から逃げてる人と関わるとどうなるか、って考えた方がいいよ…😟

2024-06-05

受験勉強無責任にやるもんだ

人が言ってたことを伝言ゲーム再現コピー具合を競争している

又聞き力、拡声器としての力

2024-06-04

艦これにはまってた頃、当時の文化風俗とか、どんな流れで戦争まで行き着いたのかとか、

歴史的分岐点となる事件とか色々調べて知識はあったはずなんだけど、

離れて3年経つまでもなく、箱推しだった金剛型すら諳んじられなくなっている。

楽経由で身につけた知識なんざ所詮そんな程度。

やっぱり親や教師に失敗は絶対に許されない、失敗すればお前は社会的死ぬのだと圧力をかけられながら、

血を吐くような苦痛とセットで頭に叩き込んだ受験勉強の頃の知識以外は頭に残らないのだ…。

2024-06-03

英語できると英文科卒?って聞いてくるやつ

TOEIC900点代あるんだけど、たまに遭遇する低偏差値大学バカにこういうこと聞かれてめちゃくちゃイラつくのでチラ裏愚痴吐き出す。

文系偏差値高い大学卒だったら英語は得意で当たり前だし、受験勉強やってた要領で試験対策すればTOEIC高得点取るのもそんなに難しくない。

ぶっちゃけ自分たちみたいな上位大学文系就活生にとってTOEIC高得点取るのって足切りみたいなもので、そこからさら意識高いサークル活動とか玉手箱対策とか業界研究とか企業研究とかフェルミ推定練習とか頑張ってそれなりに納得できる会社就職した。

なのにこういうこと言うやつは、まるで英語が話せるからかい会社就職できたみたいに勘違いしてたり、自分専門性英語を使えることにあるみたいな扱いをしてくるので、これまでの英語以外の(なんなら英語なんかよりよっぽど苦労した)努力を自邸されている気分になってむかつく。

2024-06-02

anond:20240602200506

私は灘出身だけど東大入試だいぶしんどかったよ。一応ギリギリで受かったけどさ。

自分が灘受験したのは、文化祭が楽しそうだったのと、ゲーム感覚で塾通ってたら何故か成績が良かったからで、大学受験なんて心底どうでもよかったんだよね。

から入学してからはとくに勉強せず部活ばっかして楽しく過ごしてた。でもあの学校狡猾で、明示的に受験押し付けることはしないけど、「とりあえず理Ⅰ東大理科一類)」という超気持ち悪い雰囲気自然に作ってくる。馬鹿なことに自分もそれに乗せられちゃって、全然大学なんて興味ないのになあなあで受験勉強やって、やる気ないから当然身につかなくて、精神だけ疲弊して半分鬱病みたいな状態東大入学することになった。

灘入って東大医学部に行かない(行けない)のは、私みたいに無理な心の使い方をして潰れるタイプか、ちゃんとその雰囲気に抗って自分の好きな道行くタイプかな。

灘の入試突破するのにある種の才能や早熟さが必要なのはそうで、そういう意味では、灘に入れる人間のほうが東大入れる人間よりも希少だというのは事実だと思う。でもそこで求められている才覚・精神の形は、東大受験要求される「学校教育の王道から結構ずれてて、そのズレが致命的な水準に達してる学生結構な傷を心に負って卒業することになる。バカバカしいことだと思うけどね。

俺は中学受験成功したけど、そこで「俺は地頭がいいかあん勉強しなくても点が取れる」という成功体験を得て、中学以降の勉強全然出来なくなったよ

中学受験の時の偏差値は70。大学受験偏差値は49。最終学歴ニッコマ

落ちぶれたものだろ?

だって大学受験ときでさえ毎日時間、長くても1日で3時間ぐらいしか勉強してなかったし、中学高校の授業中はずっとラノベ読んでたからな。

だって中学受験はそれでも偏差値70あったんだもんなー。

中学受験における地頭限定すればかなり恵まれてたと思うんだよね。

図形や場合の数のパズル色が強い問題歴史地理ちょっと考える必要がある問題国語における漢字慣用句を暗記しなくても解ける問題、ぜーんぶ簡単に解けた。

国語の長文なんて先に問題文読んでキーワードメモったらあとは淡々と読んだら勝手に答は出るって感覚だったからなあ。

暗記がちょっと苦手だったけど中学受験レベルの出題範囲なら語呂合わせ覚えまくればどうとでもなった。

1日1時間ぐらい勉強すれば簡単偏差値なんて上がるんだって思い込んだまま中学に入って、そこでも最初の2年ぐらいはなんとかなってた。

周りも受験反動があってかあん勉強してなかったから。

中3ぐらいから皆少しずつ勉強するようになってきたけど俺は勉強してなかった。

周りが将来のことを考えて受験勉強しなきゃって気持ちとか、あとで一気にガチれば余裕なんてことはないって気づきとか、そういうのをボンヤリ持ってる中で「ゆーてガチれば俺は余裕やし」と調子に乗ってたよ。

結果はもう言ったけど、偏差値40代まで落ちて最後はニッコマ

ニッコマ入ったら最初の2年間ぐらい高校の復習みたいなことしてて、全然大学勉強まらなかったな。

あゆーて俺も高校勉強ちゃんと終わってなかったからそれでもヒーヒー言ってたけどな。

理系なのに数学力が2Bを必死に解いてるぐらいのレベルだったもの

未だに積分とか行列とか実の所よー分からんよ。

分子構造式見ても使われている原子が分かるだけでどういう結合してるのかとかあん分からんしな。

理系学士名乗っていいレベルじゃないし、マジで終わってると思う。

正直な、中学受験って人生あんま影響しないと思うんよな。

俺の言ってた中学偏差値は高かったけどスーパーでカゴ盗んで自慢してるようなアホとか普通におったし、自閉症っぽいコミュ障同士が言い争いから殴り合ってるのもちょいちょい見たわ。

学力あれば治安がいいとか幻想だと思うんだよね。

俺が本当の底辺を知らんと言えばそうなんやけど、たか地元公立中程度でそこまで致命的に治安が悪くなるとも思えん。

名前書いたら受かる底辺高校行ったらそりゃ終わってるんだろうけどな。

結局大事なのは大学入るまでにどこまで基礎学力を積めるかと、勉強することを習慣に出来るかでしょ。

あゆーて勉強出来なくても食ってける仕事なんていくらでもあるし、年収を1000万円の桁に載せたいと思わなきゃ勉強してなくてもどうとでもなるんじゃね?

勉強できなきゃ人生どうしようもねーみたいなんは、単に自分人生設計がバグってる理由学歴に求めてるだけだと思うわ。

仕事仕事と割り切って超つまんねーって言いながら働いて、家帰ったら酒のんでシコって寝て、土日は適当ソシャゲポチポチやってネットバカ喧嘩して部屋の掃除して寝る。

これでええやろ。

中学受験偏差値70様のありがたいお言葉やでー。

2024-06-01

文化資本格差というよりコミュニティ格差問題ではないか

都市田舎文化資本格差について話題になるとき、そこで一番問題とされているのは、要するに「何かの道に進もうとしたとき、それに対してどれだけ可能性が開かれているか」という点だと思う。

その点において、俺はやはり都市田舎には大きな格差があると思うのだが、地域に根差しコミュニティに着目すると、その格差をうまく説明できる気がした。



まず、俺が育ったのは野山と田畑に囲まれ僻地農村で、鉄道も通っておらず、産業といえば農業林業ぐらいしかない、田舎の中でもさら田舎の方だ。

なので俺が想定する田舎はそのレベルだと思ってほしい。

その俺が上京して15年経つが、田舎東京の違いは、何よりもコミュニティ多様性にあると思っている。



東京という括り全体でいえば、東京には本物の富豪が住むような豪邸エリアから町工場が並ぶ下町エリアまで何でもある。

あらゆる社会階層の人が東京暮らしていて、それぞれの階層ごとにコミュニティ形成している。

学校職場一種コミュニティで、東大からFラン校まで、大企業から零細企業までなんでもありだ。

人口が圧倒的に多いので、マイナーな分野でもそこそこの人が集まり、その分野でのコミュニティ形成可能になる。



対して田舎は、コミュニティ多様性は小さい。

人口流入ほとんどないのでコミュニティメンバーは何十年もあまり変わらず、同じ小学校を出た人同士が50年経っても固まっている。

地元の名士や地方議員のような人もいるが、社会階層が明らかに違うような人はレアキャラだ。

大きな会社存在せず、大学存在せず、高校はあっても底辺校ぐらいしかない。

大学進学でも目指すとなると、必然的田舎を離れることになり、多くの人はそのまま帰って来ない。



一言でいうと、東京には「上」から「下」まで何でもあるのに対し、田舎には「上」がない。

「上」を目指そうと思うなら、同じく「上」の人々が集まるコミュニティ所属しないのは不利だ。

受験勉強にしても、周囲の大人受験経験者が少なく受験への理解がない、同年代受験生仲間が少ない、といった形で田舎受験生は不利を強いられる。

東京でも育った環境によっては似たような状況になるかもしれないが、そこから這い上がるための地理的制約の有無が、田舎との差だ。



もっとマイナーな分野、たとえば現代美術とかセパタクローとかで「上」を目指そうとしたら、田舎にはコミュニティどころかそれを教えられる人もほぼ存在しない。

なので、田舎に生まれ子供がそれを目指そうとすること自体が稀なことなのだが、何かのきっかけでそれを目指す子供が生まれた時に、格差に直面することになる。

田舎美術館がないというのも、そういう人にとってこそ致命的な問題となる。



そういう点で、田舎で暮らすと何かの道に進もうとしたとき、その可能性が大きく限定されてしまい、それこそが都市田舎格差なのではないかと思う。

俺が想定したレベル田舎ではない、もう少し大きな地方都市であっても、程度の大小はあれ、似たような傾向なのではないかと思う。

それを文化資本と呼ぶのかは知らないが、多くの人が問題だと感じているのはそういうことじゃないのか?という気がする。

受験勉強はじめたばっかりだけど、まじでキツイ。ほんと、やばい毎日毎日参考書にらめっこしてると、頭が爆発しそうになる。で、なんかいストレス解消方法いかなって思ってたんだよね。そしたら、意外な方法見つけちゃった。

それは、料理なんだ。最初はね、なんで料理?って思ったんだけど、試してみたら結構いい感じ。例えば、お好み焼きとか作るんだ。キャベツ切ったり、粉混ぜたり、手を動かすだけで、頭がスッキリするんだよね。しかも、美味しいもの食べられるし、一石二鳥ってやつだ。

で、最近ハマってるのが、クッキー作り。なんか、甘いものって癒されるんだよね。生地をこねる感触とか、オーブンから香る匂いとか、全部がリラックスさせてくれる。焼き上がったクッキーを食べると、頑張って勉強したご褒美って感じがして、また次の勉強にもやる気が出る。

もちろん、全部がうまくいくわけじゃないけど、失敗もまた楽しいんだよね。失敗したら、次はどうやったらうまくできるか考えるし、それって勉強と同じだなって気づいたんだ。だから勉強の合間にちょっと料理するだけで、意外とリフレッシュできるからおすすめだよ。

結局、何かに集中してるときって、他のこと忘れられるからストレスも減るんだと思う。だから、これから料理続けてみようかなって思ってる。

anond:20240601081000

男は進学でも昇進でも常に女より有利

その上で「女が稼げないのは努力不足」と受験生の前で言う

男子よりも少しでも有利になるために学歴をつけようと必死受験勉強してその勝負の日である

受験日にも女子痴漢し放題と言いふらす

それを咎めもしないのが大勢の男であって

 

普段から女が性被害を訴えるとバカにしてくる男が道端で親切にして「俺かっこいい」とか言ってるのは気色悪い以外ないじゃん

 

その場で俺かっこいいしたいだけで

普段差別主義者じゃん

それはだるい

 

だって「女は正義大事にしない」

つって女の悪評振り撒くのに必死じゃん

そらキモいよそんなやつの形だけの親切なんて

ない方がマシだよ

 

1日の善行ではなく

今までの行動積み重ねた上で評価されてんだよ

ほんと気持ち悪いよね

 

散々同級生にも先生にも迷惑かけまくったヤンキー卒業式の日に誰よりも「やり切った感」出して号泣してるの見て心底冷めるのに似てる。

2024-05-23

底辺職の特徴は距離感おかし

※ここでの底辺職の定義は、不運にも受験勉強でいい結果にならなかった人が就職できずに生活のために熱心に希望していないのに就く職のことである

 

大企業から中小企業から底辺職まで満遍なく見てしまったワイが感じた底辺職場の特徴は

 

距離感バグりすぎ」である

底辺職には、他人自分と同じ思想を持ってないとキレる特急呪物みたいな人が必ず1人はいる。

「私がイチゴ好きなのにお前が嫌いなのはおかしい」みたいなキレ方をする。

「お前は私の身体の一部なのに私の命令通りにしないのはおかしい」ぐらいのことを平然という。

 

もうちょっとリアリティを出すと

土曜日に私の家族の集まりに入れてやろうっていってるのに断るのはおかしい(休日返上召使いとして扱ってやるんだから光栄だろ)」

 

とか。

 

成人が。職場で平然という。

従業員になったら人生生活も全部命令できると思ってるキチガイ底辺職場には絶対いる。

そしてそれ以外の人間はこの特急呪物を「新人を襲撃するための犬」として利用している。

 

底辺職場に行くとこの特急呪物が必ずいるからめんどくさいのであった。あと底辺職場ってなんであんなにすべからく汚いの?

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