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はてなキーワード: 受験勉強とは

2018-07-15

anond:20180715141627

受験勉強しない高校生は遊ぶ金と暇つぶしのためにバイトするのでスタバくらいならいくらでも行ける

親の小遣いでやりくりしてる進学校高校生には高いかもしれないけど

2018-07-14

anond:20180714002321

勉強ってものシステムしようとした結果が「掛け算の順番」で揉めるようなアホたちだからなあ

結局「受験勉強」で無理やり動機づけして個人努力に任せるしかないんじゃないか

学校ごとにランダム学習方法教師を割り振って~とかで統計的理想学習方法を割り出すことはできるんだろうか

2018-07-11

anond:20180711150516

なるほど!

ついでに「性自認は女だけど『異性装』が好き」っていう設定にしとくわ

久々に受験勉強してみるか…

anond:20180711092011

ワーキングメモリー不足で繰り返しと暗記で受験勉強乗り切るタイプに見えるので、

ほどほどの大学に入って地方上級あたりを目指すと幸せ人生を送れると思います

東大狙えるクラスなら医学部もまたよし

2018-07-09

から愛されたくてしかたがない。

投稿です。

から愛されたことがない。

そして人の愛し方が分からない。

からも誰からも愛されたことがない人間なのだから仕方がないのかもしれない。

そもそも、私が、性同一性障害他者から恋愛対象として見られず、また、女性に惹かれることが多いため、女性として過ごしてる私は、出会いがないからなのか。

私が機能不全家族の出であることがいけないのだろうか。

私が発達障害やBPDの症状を軽度ながら持っていることがいけないのか。

死ねば楽になるのかな?

精神崩壊しそうだ。すでに崩壊してるのかもしれない。

助けて欲しい。


=====

以下は、乱文であるが、私の過去を書かずにはいられなくなったので、ここに書こうと思う。(多少のフィクションは含んでいるが。)

私は男→女の性同一性障害の現役大学生である

日常生活女性として暮らしていて、初対面の人と話したり、ショッピング空港等で元男性と見抜かれることはほぼ無く、また容姿もそこそこいい方であるという自負はある。(ガタイ無駄にいいのはコンプレックスだが。)

幼稚園児のときに母と父が離婚した。その時の母と父の喧嘩記憶していて、私にとっての一緒に暮らしいたこのろの父親像は母親に向かって怒りをぶつけているところと、仕事で疲れて寝ているところしか残っていない。そして、離婚後、親権母親に移った。

そして、仕事に一辺倒になった母からは面倒を見てもらえず、妹と共に子供会保護者祖母に面倒を見てもらっていた。

祖母は優しい人ではあるものの、愛情表現をする人ではなく、また同じ家にいたわけではないので一緒にいる時間は限られいた。

私はこの頃、植物に興味があり図鑑をよく読み漁っていた。また、ピーターラビットシリーズを好んでいたことを記憶している。

小学生に上がったときピアニカの色やランドセルの色が"私の望む色"出なかったことを記憶していている。

小学生2年生になると強迫性障害の症状を起こすようになった。ともかく、家の外のすべての物が不潔に思えた。1度病院に連れて行かれた記憶がある。幸い、小2のうちにだいぶ良くなり日常生活に支障をきたさなレベルには回復した。ただし、潔癖症自体中学生くらいまで強い意識が残った。

また、この頃から学校オカマとヤジされることが増え、友人は決して多いとは言える状況にはなかった。

この頃でも父親とは電話を通して時々話しており、またたまに合うことがあった。(よく上野国立科学博物館鉄博に連れて行ってもらった。)

ただ、一度、ファインディング・ニモに連れて行ってもらった。はじめての映画館で見た映画だったのだか、個人的に楽しめなく、父はそれに対して非常に怒っていたのを記憶している。

また、この頃から母親父親の間で伝言を伝えるような役割となり、お互いの悪口を聞かされ、また経済状況についてと揉め事を聞く立場となっていった。

小3になった時、母親再婚した。

相手子供が3人いたが1人はインフルで亡くなっていた。(ただし、継父に親権はなく未だに継姉・兄と顔を合わせたことはない。)

母はTVを厳しく時間を決める人であったが、継父はそうではなくよく妹や従姉妹テレビを見せていた。それについて、母親と揉めることが多く、私がママっ子であったため母親側についた事により、私は継父から見せてもらえなくなり、次第に顔を合わせるだけで睨まれるようになった。

小4になると母と継父の間に子供が生まれ、何もしない継父と仕事しかしない母の代わりに祖母と私と妹がよく面倒を見ていた。

そして、この頃から、継父と私の関係は更に険悪になり、私が継父から身を隠すように家で過ごすようになった。

幼稚園児のころから高いところから飛び降りたらどうなるのだろう、という気持ちはあったものの、この頃には明確に死にたい、という気持ちがあった。

また、夢の中で継父を刺し殺す・絞め殺す夢を見るようになるようになった。(この夢は大学生1年の頃あたりまで続いた。)

小5になると母親仕事軌道に乗り始め、経済状況は一気に良くなるが、継父との関係は最悪になり、一度私が勉強机の下に逃げたところを継父に顔を蹴り飛ばされたことがあった。(ここらへんの記憶曖昧で正確な時期を覚えてない)

また、私は元々書物を読む子供であったが、学校男子からオカマや(容姿を指して)キツネと呼ばれ、女子から女子の中心グループ犬猿の仲だったため、更に書物を読み漁るようになった。(ハリーポッターを1日の放課後で2冊を読みきる勢いだった。)

小6では学校はだいぶ落ち着いてきたもの、継父との関係は相変わらずだった。

また、妹もこの頃から継父との関係悪化してきており、不登校気味となっていった。

中学では寮生の少人数の学校に入った。これにより、家族とも同級生とも離れることができ、私にとっての人生の転換点てなった出来事であると思う。

ただ、男子野球部に、女子バレー部強制的に入部であり、内心でバレー部に入りたいと思っていたが、叶わぬ願いであった。(幸い丸坊主は避けれた。)

中2になると寮の中で私が最年長となったためリーダーシップを取ることとなった。

完璧主義だったため自他ともに厳しく、今では後輩にもっと優しく接すればよかったなと感じる。

中3では男子として野球することが嫌で地元中学に戻り、そこで小学校の時の数少ない友人と家庭科部をしていた。

またそれ以外については受験勉強をする日々であった。受験に関してはもともと勉強はできていた為もあってか、地域公立高校の2番めに良いところに合格できた。

家での生活はこの頃、継父は単身赴任であったため、実家が一番平和な時期となっていた。(また、妹も私のいた寮にはいった。)

寮で過ごしたことにより、色路学べたおかげもあってか、継父と小学校の時ほどは酷い関係ではなく、お互いに最低限以外の会話をする程度にはなっていた。

高1では理系クラスであったため、いわゆるオタクが多く、私にとって天国のような環境であった。また、寮の時の後輩と文通をよくしていた。(寮は電話メールは基本禁止だったため。)

また、中学生の頃から留学に興味があり、そのための準備をし始めた。

高2で、海外高校に転校し、海外生活が始まった。

高2,3ともそれなりに優秀な成績で学校生活も楽しめたが、学校福音派学校でありLGBTに対して差別を行うというほどではないものの、聖書引用して厳しい態度をとったこと、食事が不味いこと、男子寮で生活すること(アメリカ大学では基本寮生活)にストレスを感じ、アメリカ大学受験はしなかった。

進路は迷ったもの帰国した年度中に大学工学部合格しそこに入学することとなった。(親元にいたくなかったので実家から通えない距離大学のみ受験した。)

大学学業については、アメリカの授業の進度が遅く苦労はしたものの、なんとかついていくことができそこそこの成績を収めることができた。

ただ、1年目に男子寮に入ることとなり、それで精神病み、このままでは学業に支障が出たり自殺しかねないという事で、精神科(ジェンダークリニック)を尋ねた。

また、この頃に同じ性同一性障害彼女遠距離であるができた。(ただし、どちらかというと共依存のほうが近い関係であったと思う。)

B2になるとアパートぐらしに移り、またホルモン注射をするようになったため、見た目も女性的になりつつあったため、精神的に非常に安定するようになった。

学業についても学科の上位1割に入っており、勉強の遅れを鑑みれば非常に良い結果出会ったと思う。

ただ、この頃に彼女との関係共依存に近いものであったこともあり、それが崩壊し分かれることとなった。

大学3年生の現在自己労働力頭脳以外の"人間としての価値"を自分自身で見出だせなくなってしまった。

他大の友人との交流もあり、より良い環境の院に行きたいし、自分のやりたい研究仕事もある。けど、それ以外の人間的な将来について何も想像ができないし、強い希望を持つことができない。

自分自身の事なのに自分だけではにもできない事でつっかかかってしまった。

来年までに戸籍の変更もできるだろう。だいぶ恵まれている方だ。

けど、戸籍を変更したら私は結婚という選択肢を捨てることとなる。(そもそもパートナーなぞできないが)

変更しなければ就活で奇異の目で見られ苦労し、キャリアに影響が出るだろう。

なのにどうしたらいいのか分からない。

ホルモンバランスの崩れのせいもあるのだろうが、また自殺願望が湧いてきてしまう。

薬物への知識も多少あるため合法な乱用の仕方も知っている。そこに逃げてしま可能性が否定しきれない自分が怖い。

精神科・心療内科に行ったところで薬が出るだけだろう。それで一体何になる。

根本解決はできないじゃないか

肉体的快楽に身を任せりゃどうなのかと思ってしまう。

どうしたらいいのか。

助けて欲しい。

2018-07-08

東大生なんだがなんで生きてるのかよくわからなくなった

当方東大3年生。

頑張って受験勉強したものの、入ってから友達はできずこの週末も誰とも話してない。

就職架空エピソードで乗り切るからなんとかなるとしても、将来的に金もらっても使うところがない。

うまい飯?旅行?遊び?そんなの友達がいる前提の遊びだ。

友達がいない人に人生を楽しめる機会はない。

一人でやる趣味なんて面白くないし。

2018-07-05

恋愛は少なくともメンヘラとは両立できなかった話

 本文をうっかり読んでしまうのは時間無駄なのでいくらか前置きで警告をしておく。

 これは一人のクソ女の自分語りだ。

 多分恋愛をしている人にもメンヘラをやっている人にも響かないと思うので、ノンフィクション小説好きな人とかが読んで哀れむなり蔑むなりネタにするなりしてくれたらいいと思う。

 文章にすると落ち着くたちなので、一回字に起こして整理したかっただけだ。

 特に意見アドバイスを期待してはいないけれど、私が想像も出来なかったような現実を打開する魔法があるなら教えて欲しい。

 そうじゃないなら今はほうれん草を沢山使うレシピくらいしか知りたいことはない。

 石を投げたりして気持ち良くなるなら好きにこの文章の私を罵ってくれて良い。もし肯定したいとか共感したとか優しい言葉を掛けたいとか思ったら、それは上手く受け取れないので胸に仕舞うか何かしておいて欲しい。言って満足するなら言って満足して欲しい。

 それから、ぼかしたりフェイクを入れてはいるけれど一応念のため。私の彼氏さん。あなたがこれをもし読んでいたら、私にいい加減愛想を尽かして下さい。メールもしなくていいし、顔も合わせなくていいです。ここにはあまり書いてないけどあなたはすてきな人なので、きっと可愛くて気立てが良くて知的趣味の合う恋人や奥さんがそのうち出来ると思います。私抜きで幸せになって下さい。でも今までありがとう

 さて、数えてないけど多分これ五千字くらいある本文。

 私には彼氏がいる。中学生の頃男女混ざった仲良しグループに居た同士だったが、彼は当時テンプレ中二病クソ女であった私に親切だった。私はいわゆる愛情に飢えたメンヘラであり、被虐待児でもあったので親切な彼を好きになった。

 親に無理矢理突っ込まれ進学塾、殴られたくないから沢山勉強して、私が目指した志望高校は彼と同じ学校だった。志望理由は、当時不良やヤンキーが苦手だったのでそれでもやって行けそうな校風であることと、私のやりたい部活の成績が良かったこと。通える範囲で目指せる偏差値勝手に割り出されたその高校を志望していると自分に言い聞かせるために、彼と一緒に高校に通えるかもしれないことを考えていた。彼は頭が良かった。彼の頭が良いところにも好感を持っていた。

 結果として高校受験は失敗だった。兄弟が多い我が家は長子の私の滑り止めを用意出来なかった。模試きれいな紙に印刷された合格する確率が70%まで落ち込んだ。挑戦は許されず漫画のように家庭の都合で通いやすくそれなりの偏差値の親が決めた高校受験して合格した。

 妥協のご褒美に私は携帯電話を買い与えられた。猿のように熱中した。友達とひっきりなしにメールをするのが楽しかった。そんな携帯中毒に付き合ってくれたのが彼だった。

 彼は愚痴をうんうん聴いてくれた。肌寒い日にはコートをかけてくれて、雨の日は傘を差して家まで送ってくれた。

 彼は誰にでもそうする人間だ。

 そういう人間を私は好きだと思った。

 高校一年の夏、好意を伝えた。彼はいわゆる恋愛恋愛した面倒は嫌だけど、と前置きした上で私と付き合う返事をくれた。友達にも家族にも内緒だった。私はおおっぴらに恋愛満喫して盛大に恋心に振り回される友人たちのようになりたかったが、その夢は絶たれたと言ってもいい。

 彼は時折、家族が留守にしている放課後休日、私を自宅に呼んだ。彼の家は急な坂の向こうにあり、私は暑い日も寒い日も自転車こいで彼の呼び出しに応じた。二人でカーペットの床に並んで座って、他愛もない話をするのはとても楽しかった。彼はキスがしたいと言ったので応じた。こんなもんか、と思った。彼は私の胸や下半身に触れたがった。胸は触らせたが、下半身他人に触られるのは嫌だったので精一杯かわいこぶって断っていた。

 彼が満足そうで良かった。私にかわいいとか偉いとか頭が良いとか言ってくれるのは彼だけだったからだ。

 たまにデートなるものもした。彼は共通の友人にばれたら面倒だから地元ではないところで待ち合わせて、博物館などに行った。博物館が好きなので楽しかったが、多分一人でいても楽しかったとは思う。彼は理系なので解説をしてくれて、知らないことを知れたのは楽しかった。

 いわゆる中学生ぐらいのいじましいお付き合いは高校三年生になるまで続いた。

部活大会模試で顔を合わせたら、こっそり示し合わせて抜け出して会って話したりしていた。

 関係が、と言うよりも私が変わったのは高校三年生の秋頃だっただろうか。

 私は学校へ行けなくなったというより、身体が動かなくなった。

 鬱を発症していたと知るのは年明けに通院をはじめてからだ。高校卒業も危うくなった。彼のメール無視し続けた。友人たちのラインブロックした。手首を切った。酔い止めを何箱も一気に飲んだりした。苦しかった。とにかく早く死にたかったが、癇癪を起こすと椅子を投げてくる母親から兄弟を守らなければならなかったので死ねなかった。

 音信不通を続け、両親の説得も不登校支援センター保健室も諦め、私は精神科に通院することになった。

 高校三年生の一月、私はセンター試験どころか学校へも行かず精神科に通った。薬が効き始めるまでが地獄のように長かった。向精神薬睡眠薬がなんとか効力を発揮する雰囲気を醸しはじめた頃には、卒業はほぼ絶望的だった。

 私は主治医から診断書をぶん取り、校長などのお偉方と交渉を重ね、補講を組んでもらうことでなんとか、卒業から数日はずれが生じるものの年度内に卒業出来ることになった。周りの大人は私の想像はるかに超えて優しかった。同情し、時には私の身の上話に涙ぐんでくれた。そんなことで悩んでいたなんて知らなかった、と口々に言った。進学校だったので不登校前例が無かったのが幸いした。先生方は私一人のために会議室卒業式をやってくれた。

 さて、話を恋愛に戻そう。私はなんとか卒業証書をぶん取り、彼は第一志望の難関大学合格していた。サイゼリアで久し振りに会って彼は「元気そうで良かった」と言った。

 私は全くもって元気では無かった。

 恋愛どころじゃない、何度も死にかけた。

 人に説明する元気もあまり無かったので、かなり端折って私はことの顛末説明した。ずたずたの腕を見せて「メンヘラと付き合うとろくなことがないって言うから、別れるなら今だと思うよ」と彼に提案した。彼は「それは別れる理由にはならない」と言った。

 そういうことでお付き合いは継続されることになった。

 彼は大学入学した。私はそれを祝福した。彼が受験勉強を頑張っていたのを知っていた。とても尊敬している。

 私はといえば、自分を殺そうとする自分に耐え、病状を必死家族説明し、ひたすら精神科に通った。

 彼は以前と変わらず家族が留守の合間に私を家に呼んだ。私は行かなかった。外に出る元気も無かったし、当日朝「今日家誰もいないよ」と言われても動き出す頃には翌日の昼間だ。

 彼はサークルが忙しかった。理系から男ばかりで可愛い子いないよ、と言っていた。

 私達はあまり会わなくなった。

 彼は学業を、私は治療を、お互い頑張っていた。

 彼は私が死んだら悲しむだろう。優しくて弱い人だから自殺だけはしてはいけないと自分に言い聞かせた。

 色々なことがあった。

 死なないために意識を失うことが必要だった。私は酒浸りになり、睡眠薬はどんどん強いものに変わった。早朝起きて、Amazonで買ったウォッカを水で割り、それで頓服を服用して眠り、昼過ぎに起き出して母に罵倒されながら(これは10年来の日課だ)食事をとり、薬を飲んでまた眠った。眠れない夜は頓服を酒で服用した。そうすれば眠れる。眠っている間は死にたくならないので楽だった。

 私某居酒屋で酒を飲みすぎて意識を失い救急車に乗った。倒れたはずみに骨折もしていたのでそれを治療するため更に入院した。入院中は母に罵倒されず三食昼寝付きだったので手術の痛みを差し引いてもお釣りが来るくらい快適だった。

 退院してからはまた酒を飲んで眠るだけの生活をした。

 そんな状況を医者は許さず、私は精神科閉鎖病棟入院することになった。彼は見舞いに来たがったが、私は断った。誰にも会いたく無かった。自分自身と二人きりになりたかった。何もかもに疲れ果てていた。

 入院生活幸福だった。

 看護師さんは優しい。変な人が沢山いるけどそれぞれが自分のことで精一杯だから誰も干渉してこない。

 母の罵倒が無いなら、現実逃避するためのスマートフォンは要らなかったので無くても困らなかった。

 少しの本、ポータブルCDプレイヤーと何枚かのCD。それだけで完結した生活は確実に私の心を癒した。

 これが人生の正解だと思った。誰も、何も要らない、天国だと思った。

 あらかじめ定めていた期間が過ぎ、私は退院した。

 閉鎖病棟入院したことがあるレッテル付きの私は母から罵倒が少しは薄まったと感じた。もう死にたくならないために一人で十分だった。

 そして同い年の彼が大学二年生になると同時に、私は大学一年生になった。

 母が勝手に推薦入学に出願して受験料も払い込んでいた。仕方がないので面接に行ったら大学に受かった。入学した。

 彼はおめでとうと言ってくれた。

 新調したスーツきれいなキャンパス、好きな学問、新しい友達

 私はまともな人間に戻れるかもしれないと期待した。

 アルバイトもはじめた。友達徹夜で飲み明かしたりした。

 しかし、ゴールデンウィークが明けた頃には既に私はくたびれていた。夏休みが明けて、大学へも行かなくなった。アルバイトはクビになった。

 主治医からストップがかかり、休学する事になった。

 私はただ家で時間を潰し、母の(以前よりはマシな)罵倒に耐え、薬を飲み生活していた。もう死のうと思っていた。

 大学で新たな人間関係を築いた彼は、私の死を受け入れるキャパがあると思った。

 そういえば私は彼とセックスしていなかった。

 呼ばれても家に行かない、共通の友人たちと遊ぶ以外では会わない、そんな恋人であったから、私はなんだか彼に申し訳が無かった。

 セックスすることでそれを清算できると思った。

 セックスする前に私は酒を飲んだ。

 薬の副作用で性欲は無く、彼とキスしても気持ち悪いと思ったからだ。

 彼が取ったホテルで私は彼と昼間からセックスした。

 こんなもんか、と思った。

 彼は別にセックスたからといってこれまでより優しくなる訳でも冷たくなる訳でも無かった。

 その日私からやや強引に誘い、夕食を食べながら話をした。私は彼と話がしたかたからだ。彼と話すのは楽しかった。

 それが数ヶ月前のこと。

 それ以降、私は彼と一度も顔を合わせていない。

 なんだかひどく億劫で、気の許せる女友達しか話したくない。

 精神科に通い続けて、自傷行為をやめられた。アルコール中毒も治った。睡眠規則的になった。

 兄弟が進学と同時に一人暮らしを始めた。もう自分の身を自分で守ってくれる。

私の生きる価値は無くなった。

 ある夜母が癇癪を起こして私に出て行けと怒鳴り、私を家から蹴り出そうとした。

 終電が無かったので私はははに頭を下げて「一泊止めてください、明日出て行きます」と言ってその場をおさめた。

 翌朝、私は最小限の荷物だけを持って逃げるように家を出て、何度か遊びに行っては掃除をしてやったりしていた兄弟一人暮らしをしている家に転がり込んだ。

 それから紆余曲折あり、結局兄弟仕送りで私は生活している。兄弟大学に行き、私は自分兄弟の二人分の家事をしている。おそらく幸せなのだろう。私が欲しかった暮らしは手に入ったのだろう。

 もう死んじゃおっかな。くたびれた。もう何も要らない。

 今死んだら同居している兄弟がショックを受けるだろうから、死んでないだけ。

 彼と連絡を取っていない。

 これが自然消滅と言うのならそうなのかもしれない。

 私は多分もう駄目だ。大学は妹宅から距離的に通えないので中退する。アルバイトでせめて食い扶持を稼ぐのが目標だが、達成出来るのはいつになるやら。

 こういう駄目な人間恋愛などしても彼に何の得も無いだろう。

 だから自然消滅であってもさよならを言っておきたい。

 もう恋愛感情がどういうものなのか思い出せないのだ。

 自分異性愛者ではないのかもしれないとも思ったが、同性も好きにならないのでたんに今恋愛をしたくないだけだと思う・

 彼は人間としてすてきだから好きだけれど、セックスはしたいと思わない。それじゃあ社会的地位の高い彼にぶら下がりたいだけの厄介メンヘラだ。しかセックスさせてくれないときた。そんなクズになってまで恋愛かいフィールドに立っていたくない。情けないし申し訳ない。

 友達に戻って彼と飲みに行きたい。手を繋がないで一緒に博物館に行きたい。一緒に食事がしたい。でも今は会いたくない。

 さよならを言うために約束を取り付けようと思って、彼が通う大学夏休みの期間を調べている。

 でも何だか会うのも連絡するのも嫌になってきた。

 こうやってぐずぐずしたまま、付き合い始めてこの夏で四年。嫌だ。

 生活が忙しくて、朝起きて夜寝るのが精一杯で、恋愛なんかやってる場合じゃない。

 そろそろ死んじゃおうと思っている。

 メンヘラはよく人生を虚無虚無言うけど例に漏れず私もやはり虚無を感じている。

 恋愛には向いてなかった。

 多分健康でいることが出来なくなった段階で恋愛なんかやめにしておけばよかったのに、彼の優しさでそれは人工的に延命措置を受け続けている。

 罪悪感はそれだけで健康を害するから排除しなければ、と、病気治療する上で判断出来る。だからさっさと別れようってメールを打てば良いのだ。

 参ったなあ。

 

2018-06-30

18歳、大学入学直後に鬱病になった話

皆様こんにちは。初めまして?恐らく最初最後匿名投稿です。

ぶっちゃけ匿名である必要はないのですが、自分ブログに書くのもアレだったのでこちらに書かせていただきました。

時系列としては2年前のものになるのでしょうか。

ある種の過去への清算自身の轍、そして自戒です。

投稿日の都合上休日にお読みいただいている場合、気分を害する可能性があります

週末を幸せに過ごしたい方は閲覧をあまりおめしません。是非今すぐにブラウザのタブを消してください。

本稿の内容を簡単にまとめると、

  • 大学入って2か月で鬱病になった
  • 2か月かけて治した
  • 最近再発しかけて何とか踏みとどまった

という感じです。

大学に入って五月病にかかる話は比較的有名(?)ですが、その極端な一例として参考になれば幸いです。

いや参考になるかすら怪しいですけど。

====

大学生活という悪夢の始まり

簡潔に言うと、大学憧憬を抱き過ぎていました。

少しイキらせてもらうと、私は中学でも高校でも優秀な方でそれなりにレベルの高い大学に進んだつもりでした。

レベルの高い講義が待っているとか、ライバルとの競争とか、そうした熱い何かを過剰に期待してしまっていました。勘違い乙って感じですね。

実際に大学生活を始めて一か月、下記の3点において苦しみました。

いずれも須らく精神に悪影響を及ぼしたと考えています

そもそも、私の勘違いが甚だしかったわけでもあります

民度の低さ

講義が静かじゃないんです。

高校の授業に慣れていたので、正直現実認識することができませんでした。

偏見全開で書くと、インカレテニサーの金髪たちが講義室で常に喋り散らしているわけです。

この時点で温室育ち陰属性の私のキャパティが持たなくなってくるわけです。

まりにも酷過ぎて講師に「注意してくれ」と頼みにいったところ、「それをすると自分の授業評価が下がるから嫌だ」と言うわけです。

何も言うことができませんでした。が、非常勤講師制度上、講師にも多少の理解は示せます

非常勤講師制度ゴミなので早く常勤で雇って差し上げろ。

講師の良し悪しはともかく、凄惨環境だったわけであります

この時点で、大学への希望とかそういったありとあらゆるものが消し飛びました。

受験勉強って何だったんだろうな、とか授業料返して欲しいな、とか。

今となってはどこにでも厄介は存在するという社会の縮図を見れたいい経験だったのでしょう。

当時のドキドキワクワクなキラキラ真面目(笑)一年生にとっては、正しく頑張って登った崖の頂上でチャラチャラウェイに突き落とされたわけです。

参考までに、後期でそいつらは消えていました。

教養課程レベルの低さ

レベルが低すぎてモチベが単調現象

これは途中から解決しましたが、最初の1, 2か月は知ってることしか教えてくれないので本当に虚無。

出席を取るなバカ。という気持ちでいました。

見える現実

授業外で何とかモチベを保とうとするわけです。

ところが優秀 of 優秀、失礼な括りをすると、所謂天才」が相当数いるわけです。

どう頑張っても辿り着けない場所に立っている人が、真横にいる。

向こうさんからしたら私のような劣等はライバル未満です。

当時のプライドが超~高かった私にしては、金属バットで後頭部をガンガン殴られる感覚でした。

井の中の蛙大海では即死

加えて、下記の要因もあったのかもしれません。

急激な体力の低下

18歳の誕生日を境に、体力が指数関数的に低下しました。

その上通時間高校の時の倍になり、かつ混雑電車恐怖症(後にノイローゼ精神科診断が出る)になりと不運が重なり。

もともと循環器系が弱く、睡眠回復が遅い身としては文字通り限界を切り詰めた生活に急変していくわけです。

大学に着いたらもう体力の半分が消し飛んでる的な。

帰りの電車では何度も寝過ごしをしました。週3とかで。

鬱病発症

心が弱いので、他にも色々あった気がしますが、鬱病になりました。

時期的にはゴールデンウイーク明けでしょうか。

主な症状としては以下の通りです。



初期のころ、ただの五月病だと思い、無理に大学に通った結果、体が先に死にました。

まあ食事睡眠が取れないので自明です。

延命治療

それなりに仲の良かった内科医先生受診を受けたら、ほぼ間違いなく鬱病とのこと。

精神科へGo!

そのまんまでした。

薬物治療だけは絶対にしたくなかったので、断固として拒否しました。

ので、具体的な治療は家でぐうたらすることです。

5月の後半数週間はほとんど大学へ行きません(行けません)でした。

単位取得のためとはいえ、事情も聴かず講義資料を回してくれた数少ない友人たちには感謝が絶えません。

この辺では、高校同期とか入学直後に仲良くなった人たちのお世話になりっぱなしでした。圧倒的感謝

生へのしみつき

自殺願望を抑えるのが一番大変でした。

快速電車の通過とか、マンション屋上とか、とても魅力的なんですよ。

魔性、といったところでしょうか。吸い込まれそうで、身を任せてしまいたくなる。

こうなったときはどうしようもないので、音楽アニメなどで無理矢理気を紛らわせたりしていました。

どうしても死にたくなる時は舌を噛む、皮膚をつねるといった自傷行為で替わりとしていました。

今思うと、よく死ななかったな~と思います

当時の環境考察

一つ一つは大した要因ではありませんでしたが、一度にいくつも来たことによって、心と体の容量が不足して、脳が耐えられなくなったのかな、と思います

私の場合典型的ノイローゼでした。

なので?アルバイトに行くこととかへの抵抗感は皆無でした。

職場でもカウンセリング擬きをしてもらったりしながら生き永らえていたみたいなところはあります

場所大事

完治まで

バイト代を全額美味しいご飯に費やしながら生きていました。

テストには頑張って出ました。奇跡的に単位が落ちることはなく……!

あとなんだかんだでサークルには顔を出していたような気がします。

自分でやったこ


3日に1度くらいは夜とかに散歩すると良かったです、無理のない範囲でやるといいのかもしれません。

回復

診断後2週: 自宅療養。

3週目: 週2, 3くらいで再び通い始める。

5週目: 週4くらいで頑張る。ときどきツラい。

8週目: 頑張れるようになる。

およそ2か月でほぼほぼ完治?といったところまで辿り着きました。

医者さん曰く、薬物投与なしではかなり早い方だったらしいです。

この回復速度は特例だと思ってもらえれば幸いです。

後遺症?的な

精神的に、再発の怖さがあります

あとは、未だに満員電車に乗れません。

私の場合は、通学に課金してルートを変更することで乗り切りました。

自分上位互換が世の中に多いことについては、素直に受け入れられたので精進させていただきます

時々ツラくなるけれど……

再発可能

つい先月くらいに、これも色々な事象が重なって鬱的精神状況に追い込まれていました。

人を追い込むと成果が出ると思っている人間ども、地獄に落ちろ。

機密性が高い?話なので具体的には書けませんが、無賃金過労状態であったことには間違いないです。

これは本質情報なのですが、毎日のように進捗を煽ってくるメッセージツールは片っ端からブロックするのが最適解です。

人のことを鑑みずに、仕事押し付け人間は総じて無能です。縁は早めに切って、絶つのが最適です。

ナイフを手に取らなかったことは褒めてほしいところです。

すぐに問題は解消させたものの、テストやその他が重なって押し寄せ、気分的には最悪でした。

とりわけ、家庭環境が複雑化し、家が安息の場ではなくなってしまたことがクリティカルだったように思えます

今回については成人していたということもあり、

の3種の神器を駆使することで何とか乗り越えることができました。

特に友人の某氏にいたっては一月に渡り毎週のようにお酒愚痴に付き合っていただきました。

本当にありがとうございます以上の言葉がありません。

また講義認知していただいた教授に進路とか色々の相談に乗っていただけたことは本当に助かりました。

ただ週5とかでお酒を飲むと身体お酒依存してきます

鬱病よりはアル中の方がマシ、というのが持論なので私は気にせずお酒を飲みますが、お酒に弱い方は本当に気を付けてください。

漬かってから禁酒結構しんどいです。

アドバイス的な何か

もし気が病んでしまっている方がこれを読んでいたら、私のやりかたは絶対参考にしないで下さい。

ただ1つ言えるのは、睡眠をしっかりとって、ツラいとき休みましょう、ということだけです。

あと医療関係者相談するのは早い方がいいです。

良くないものが蝕む前に、助けての旗を上げましょう。

助けは求めなければ来ません。

しかし求めれば来ます

高校生の方へ

万一これを読んでる高校生の方がいたら、ごめんなさい。

希望は捨てないでね。

今の気持ち

猫を愛でたい。

2018-06-28

wカップ 日本戦を前に

見ないでおこうと思う。

別に興味がないわけではないけど、見たら負ける気がするから日本のために見ないでおく。

そんなことを考えていると、私の高校時代のことを思い出した。私は陸上部で短距離だった。陸上が大好きだった。そして、チームメイトも大好きだった。でも当時は今よりだいぶ拗れた人間だった。私が望むことは全て裏目に出ると思ってた。

から高校三年の陸上駅伝大会とき近畿大会への出場がかかった大事大会とき、凄く応援にいきたかった、現地で皆に声をかけたかった、皆が真剣地区大会突破を目指していることを知っていた。だから当日、応援にいくのを辞めた。

結果、チームはギリギリ地区大会突破した。最終区間で逆転し、滑りこんだらしい。

たかったって思いより、皆の努力が実ってよかった、行かなくてよかった。と思った自分がいた。まわりに受験勉強優先したんだろうと、薄情に思われてたみたいだけど、それでもよかった。と思っていたと思う。

なんてことが、今日試合を前に久方ぶりに頭をよぎった。あー、あいつのアンカーの逆転シーン、生で見たかったなー。今度飲みに誘おう。

2018-06-27

中学受験算数

中学受験算数意味からな過ぎて数字が嫌いになった。

小学校算数普通にできたんだけど中学受験算数はできなかった。

算数って運動と一緒で何度も繰り返し練習することでできるようになる科目なんだよね。

俺は全然受験勉強をやる気がなかったからそういうのやってなかったんだよね。

理社は暗記したり常識的知識があればできたし国語漢字文法の暗記と文章が読めればできた。算数だけは本当に嫌いだった。

理社国で点を取って算数計算問題や基本問題を正解することでなんとか合格したんだけど入学してからがひどかった。

数字に苦手意識を持ってしまたことで数学IAが全然できなかった。ちょっと難しいところがあると、どうせ無理だとあきらめてしまった。

物理化学数学みたいな感じだったから嫌いになった。

そんな感じで理系科目で躓いた俺はどんどん落ちこぼれになって最終的に下から数えて10番以内の成績になった。

中高一貫なので高校には上がれたが高1の時に数学IIBと物理化学英語赤点とって留年危機になった。

その後何とか留年回避して文系クラスに行くことで数学から逃れ、文系大学に進学した。

中学受験算数好きな人面白い問題だっていうんだけどただただよくわからんなと思ってしまう。

算数嫌い。

2018-06-19

ブラック企業入社して日本がクソだというやつ

フィリピンスラムに生まれたとか、インドで低いカーストに生まれたとか、イスラムの国で女性に生まれたとか、機会が与えられなかったならわかりますが、豊かな日本に生まれたにもかかわらず、受験勉強就職活動拒否した自分が悪いのではないでしょうか?

2018-06-16

[] 他人との比較自分確立する習慣が一因?

自分の知り合いで、性転換手術を受けて、男から女へ変わった人がいた。

彼(現在彼女)は、一般社会では頭の良い部類で、仕事でも優秀な人だった。

頭が良い代わりに、普通の人は気にしないような些細なことも思考対象にしていた。

考えすぎることで、悩みが増えていたようにも見える。

 

彼の幼少期から体験を聞くと、

  1. 美人姉妹に囲まれて育った。
  2. 見た目が女っぽかったので、学校では「オカマ」と揶揄にされて、いじめられていた。
  3. 他人との比較自分存在価値確立する環境にあった。

 

LGBT仮説

上記の一つ一つを個別に見れば、よくある話だと思う。

しかし、この3つが融合すると化学反応引き起こして、LGBTになるのではないか?と考えた。(仮説)

 

特にこの3つ目が問題だ。

自分他人比較して、自分存在価値規定する」という習慣は、自分を含め多くの人に当てはまる条件だと思う。

ここでは便宜的に、自他を比較して、自分存在価値規定してしま思考に対して、「相対的自己評価」と名づけよう。(文字数節約のため)

 

相対的自己評価

受験勉強洗礼を受けると、高得点を取って順位偏差値を上げる「ゲーム」にはまってしまう。

他人比較して、優位な自分をほめたり、劣等な自分卑下したりする。

 

他人との比較によってもたらされる自分存在価値の創出は、性的志向にも影響を及ぼす場合がある。

男は、女に対して「自分は女とは違う。自分は女ではない男である」という自認を形成する。

もしも、この世の中に女がいなければ、自分を「(女とは別の存在である)男である」という認識は生じない。

 

女との相対的差異により男を規定していると、比較対象が女ではなくなった場合自分性的自認が揺らいだり、変更されるほど大きなチェンジが生じる場合もあるだろう。

心理学でいう肛門期や、第2次性徴を迎える前の低学年のときは、同性同士の友情と異性に対する愛情境界線曖昧で、混同してしま場合もあると思う。

性的知識がないときは、キスセックスをしようという発想は伴わないが、同性の親友と一緒にいたい、仲良くしたい、という思い。

 

男が、他の男を比較対象として、自分存在価値確立する習慣を身につけたら、どのような影響が生じるだろうか?

男と男の比較は、男と女比較ほど大きな差、ギャップはないにしろ、同じ男同士でも同じ人間は2人といないので、やはり自分他人は違うと思うはずだ。

他の男と比較して、優劣を見出し、他の男の中に長所見出ししまった場合は、どうなるだろうか?

男でも、他の男を見て、「この男はカッコイイ」「この男は好きだ」という具合に、尊敬の念が膨らんで、好意愛情に発展しま場合もあるのではないか

自分が男だという性的自認が揺るがなければ、バイになるかもしれないし、自分は男だという性的辞任が揺らげばオカマになるかもしれない。

 

まとめ

読み返すと、うまく言語化説明できていない部分もある。

長くなったが、要点をまとめると、

  1. 受験勉強など学校での活動を通して、「自分他人比較して、自分存在価値確立する」という習慣が身につく。
  2. 自分性的自認を、異性と比較している場合は、ノンケのままでいられる。
  3. 何らかの契機によって、自分を同性と比較して、自分存在価値規定し始めると、自分性的自認が揺らいで、LGBT転向してしま場合もある。

という3ステップがあるのか?ないのか?ということが気になった。

 

俺の専門は、心理学医学ではないので、LGBTに関する研究論文はあまり知らない。

上記について、研究したレポートや参考情報があれば、教えて欲しい。

 

anond:20180616191232 他人気持ち理解すると、自分も同じになる恐怖

anond:20180616202224 Gだけど

anond:20180616201336

2018-06-14

anond:20180614161645

でもJKって受験勉強もしなきゃいけないし周りの女子にも合わせなきゃだしで大変そう

2018-06-11

会社って学校じゃん

4月新卒で働き始めてから「なんかおかしいな」と思っていたけど、さっきトイレ休憩しているとき確信した。

会社って学校じゃん。

いや、いきなり言われても意味わかんねえよって思うかもしれないけど、世間では「会社学校は違うもの」って認識があるよね?

「そんなんじゃ社会通用しないぞ」なんて常套句もそれが前提にあるわけじゃない?

おれも会社学校だと思っていたわけよ。自立した大人たちがビジネススキル火花を散らす戦場みたいなイメージ

でも、実際会社に入ってみると何かおかしい……。というか、イメージと違い過ぎるわ。

例えば、センパイが「ビジネスマナーとは」みたいなことタメ口説教してくるわけ。

おいおいおい、学校じゃん。部活上下関係じゃん。

同期同士で集まって「飲み会行こーぜ」とかやっているわけ。

いやいや、学校かよ。同学年で遊んでカラオケ行ってって、かなり学校だろ!

それで上司に呼び出されたかと思ったら「増田くんが席に立っている時間が長いんじゃないかって言われてね……」とか言い出すのよ。

学校かよ。学級委員会かよ。

社長が朝礼に出てきて「礼儀とは……」とか喋ったりしているわけ。

校長先生かよーーーーーーーーーーーー。

「年度末まで××を達成しなきゃいけないから、今の時期は△△に集中だ」

受験勉強かよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

「AさんとBさんって付き合っているらしいよ」

興味ねえよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

なんというか大学以前に退化している。毎日同じメンバーで集まって「みんなで●●をやるぞ、協調力が大事だ」って家庭科の実習ですかい? なんか裏切られた気分。会社ってぜんぜん会社じゃねえぜ!

2018-06-06

anond:20180606184043

でも日本で普及しだしたのって

やっぱホワイトカラー・エグゼンプションかいい出してからじゃないかなー

と感じているのは、たぶんブルーカラーの人たち。

一方、ホワイトカラーの人たちは、三十年前だろうが四十年前だろうが高校の頃には多分ホワイトカラーという言葉意識していて、自分ホワイトカラーになることを目指して受験勉強に勤しんでいた。

anond:20180218221433

生きる喜びが受験勉強に向いてるかどうかっていうのあるよね

2018-05-31

日本学校に「偏差値35」の教師が増えている問題

嘘みたいだが本当の話である

難易度を示す偏差値河合塾基準)が35以下となる入試を通じて

入学した人間のことをとりあえず「偏差値35」と言うが、

本当に、日本学校に「偏差値35」の教師が増えている。

ここでいう「教師」は、教育学部卒業教員免許を持って

実際に教壇に立つ教師のことで、誇張や叙述トリックでもなんでもない。

偏差値35」の教師が、高度化する教育ニーズ対応し、

子供たちを教え育てていることになっている。

そんな信じられないことが学校現場で起きているのだ。

 

根拠として、データを見てみよう。

旺文社サイトで「偏差値35以下」「教育教員養成学部」で

検索したところ、なんと92大学が見つかる。

https://passnavi.evidus.com

数多くの大学から、毎年、偏差値35の教師が世に送り出される。

僕の調べた限りでは、この大学数は近年なぜか急増しているのだ。

そんな教員でも社会から必要とされているということだ。

 

教師といえば、子供たちに正しい知識を正しい方法で伝えるプロ

この認識はそれほどまちがっていないだろう。

だが、偏差値35の教師にそれを担うことができるのか。

 

実際のところ、偏差値35の教師中等教育高校中学)よりも、

初等教育小学校)以前の学校に勤めていることが多い。

それでも、小学校教師知的能力要求されないわけではない。

偏差値35の教師国語を教える。

偏差値35の教師算数を教える。

子供たちの基礎的なリテラシーを育てる重要仕事だが、大丈夫だろうか。

最近では、偏差値35の教師英会話(必修化)を習う。

偏差値35の教師プログラミング(必修化)を習う。

偏差値35の教師が説く道徳を学んで議論する(通知表特別評価記入あり)。

事ここにいたっては、恐怖しかない。

 

偏差値がすべてではないと人は言う。

その通りだと僕は思う

しかし、教師たるもの、ある一定以上の水準が求められるのは必然

それでは、偏差値35とは実際どういうものなのか。

例えば、2018年センター試験結果から計算すると、以下の数字が出てくる。

 

 英語:200点中、63点

 国語:200点中、48点

 

これは全問カンで答えたのとほとんど差がないということだ。

承知の通り、センター試験は基礎知識を問う問題ほとんどで、

からなくても選択肢を選べば一定確率で正解することもある。

まり、それがこれほどまでに解けないということは

高校勉強はさっぱりわかっていない。

中学あやしい

小学校果たして文章が読めていない可能性)。

それが、偏差値35なのである

 

なぜ、このような事態が起きてしまたか

少子化によって大学全入時代となったことだけでは説明がつかない。

ベテラン教師の大量退職と、教員免許更新制によって教師になる資格を持つ者が

不足しているのが大きい要因だ。

詳しくない人でも、ニュース教師不足を嘆く声を聞くことがあるだろう。

あれは、決して学校労働環境悪化だけによるものではない。

現行の制度は、教師のなり手そのものを減らす結果となっているのだ。

そうして、本来教師となりえる有能な人間会社員経験者、研究者上がりを含む)を弾き飛ばし

人生経験も学識も浅いが免許だけは持っている「偏差値35」の教師誕生する結果となった。

 

偏差値35の教師は、確実に増えている。

あなたの子供の教師は、賢そうなふりをしているが、本当は偏差値35かもしれない。

教室偏差値35の教師支配され、子供たちは偏差値35から学ぶ。

かつて教育立国と呼ばれた日本の末路がこれだ。

我々はその先の未来をまだ知らない。

 

 

以下、予想される反論にあらかじめ回答を。

 

部活などに打ち込んで来て、受験準備が遅れた者が入学しているのかもしれない。
 その場合偏差値が低いのはやむを得ない。

A. 現行の入試制度では、私立大の場合AO入試・推薦入試での入学

半数を大きく超えるのが通常だ。

受験準備には遅れたが課外活動で実績あるという者は、

推薦入試を利用するのが極めて普通ルートになっている。

しかし「偏差値35」は一般入試の話。

一般入試を受ける者は、十分に受験勉強をしてきた。

すなわち、がんばっても偏差値35にしかならなかったということである

 

教師には、偏差値よりも人柄や人間味も重要

A. もし本当に人柄や人間味が秀でているとしたら、

高校在学中にAO入試お勧めされるはずである

学力がないにも関わらず一般入試にまわった時点で、

人としてわかりやすい魅力を備えていないこともわかる。

魅力も学力も欠けている状態偏差値35である

 

偏差値35の大学から小学校教師採用されないはず。
 せいぜい幼稚園がいいところ。

A. 事実として、偏差値35の各大学ホームページには、

就職実績として小学校教師も、少なからず載っている。

もし教員養成をうたったコースで極端に教員採用試験合格率が

低ければ経営に関わる問題なので、一生懸命試験対策に取り組むのだろう。

 

また、幼稚園教諭に知的能力必要ないというのは大間違いだと思う。

小学校教師と同様の理由で、重要仕事である

 

○もし大学入学時点で学力が低くても、教員採用試験合格しているか大丈夫

A. 何を言っているのか。

当然であるが、教員採用試験スタートでありゴールではない。

採用後に何を積み重ねていくかが重要であり、教師たるもの日々勉強だ。

教員採用試験は決して教師能力保証しないのは、

日報道される教師の起こす不祥事からもわかるだろう。

勉強が苦手な偏差値35は、この点で大きなハンデを負う。

 

自分の子供は私立に通わせるから問題ない。

A. 論外な考えだ。

自分の子はいいかもしれないが、偏差値35の教師から教育された

偏差値35チルドレン」がやがて社会を覆い尽くす。

その中を、あなたの子供は生きていかなければならないのだ。

 

○なんの意図でこんなことを増田に書く?

A. さあ。本当の意図は伏せられているかもしれないね

2018-05-29

伝統を捨てる大変さ

私はあの大学アメフト問題について、当該の学生たちは大変だろうな、と思っている。それは自分中学生時代を思い出したからだ。

特定を避けるために細かいところはぼかすが。あるジャンル部活で昔は全国大会で何連覇とかしていた、かなりの有名中学校。我々はその《すごかった時代》が終わって10年とか以上してから入学生だった。

昔、そんなことがあったなんて知らないで入学してなんとなく入部して。でも伝統の誇りとか、部活の決まりとか、先輩との上下関係の厳しさとか、卒業生練習を見ていただけるように連絡を取るとか、システムだけは生き残っていた。

公立中学から先生は何年かしたら変わるわけで、あのすごかった時代先生はすでにまったく関わってなくて、ただシステムけが生徒から生徒、先輩から後輩に託されて、黙々と動いていた。

でも、自分世代は、そんなにもう全国大会とか行けるようなレベルになれるとは思えなかった。もちろん、一生懸命練習してはいるけど、行けるレベル中学生なりに分かっていた。先生もその部活ジャンル専門家というわけではないし、コーチも来てくださってはいたけど、やっぱりあの《本当にものすごかった》頃を再現できるとは思えなかった。

3年生が引退して部を引き継いだとき自分たちにできることは、今はもう意味のなくなった理不尽な厳しさを捨てて、自分たちの下の世代を、もっとのびのびとさせてあげることじゃないかとみんなで考えた。先輩のことは尊敬もしているが、一方で相当に嫌な思いもしてきたからだ。顧問先生ともそのような方針で一致した。先生も生徒同士で勝手に厳しすぎて、中学生らしくないとお考えだったのだ。

3年生の春になった。部活の決まり理不尽な様々なこと、厳しすぎる上下関係について、新1年生にはそういうことを教えなかった。新2年生にははっきりとは方針を言わなかったが、秋の引き継ぎの時から空気感でなんとなく伝わっていたようだ。おかげでやりたいことをのびのびと後輩と仲良くやれた。そのせいで1つ下の同性の後輩に恋までしてしまい、告白したが前向きに玉砕したのも今ではいい思い出だ(Tさん、あの時は心底から困らせてしまって本当にごめんなさい。でも笑って許してくれた素敵な後輩で、自分だったらああは対応出来なかった。今でも誇りに思っています)。

さて…夏の大会もそれなりに完全燃焼して終わり。やっぱり勝てなかったけど、それは後悔していない。

大会の翌日、荷物を取りに登校したら、先生職員室で事後処理をしながら妙にサバサバニコニコされていた。

何十代も先輩から引き継いで来たもの勝手にぶち壊しにした自責感、楽な方向に逃げて卑怯だったんじゃないかという気持ちはずーっとあって、相当に悩んでいたから、先生には本当に救われた。

我々は2年生後半に部を引き継ぎ、夏の大会までの1年間、そしてその先も、卒業生の皆様方とまったく連絡を取らなかったわけで、色々と薄情者と思われてしまっただろう。それも覚悟の上の決断だった。全国大会で成績を残す、古豪復活、ということを夢見ないではなかったが、それよりも自分たちの足元を見つめての活動だった。先輩方には大変な非礼だったかもしれない。でも、現役生としては実りのあることができたんじゃないかと思う。

秋になり、部活運営Tさんたち、我々よりもしっかりした頼れる後輩たちに安心して託した。それでも練習だけは受験ギリギリ11月下旬までやらせてもらい、なんとか第1志望地区公立での最難関高校合格した。その高校特にこの部活の強豪というわけではないが、その顧問先生は形だけ見守る感じで、生徒は自分たちのペースでじっくり研究しているスタイルが気に入っていた。その高校でその部活をやるためだけを考えて、3年生の春から部活受験勉強とをしていたから、本当にうれしかった。ジャンル野球では無いが、ちば先生の《プレイボール》に運営雰囲気は近いだろう。まあ、あんなに夜中までとか練習しているわけではなかったけれど。おかげで、今でもそのジャンルのことは大好きだ。

ところで、あの時の中学顧問先生は、我々の入学と同時にうちの学校に着任され、我々の卒業と同時に退職された。我々が最後の生徒たちになるって、もしかしたら早くお決めになられていて、だからあの夏の大会の翌日、妙にサバサバされていたのかもしれない。

我々の卒業後。3年になったTさんたちは、新任の顧問先生がこのジャンル経験者だったこともあり、のびのびと前向きな努力地区大会で勝てたと聞いた。大会を見てはいなかったが、自分のことのようにうれしかったし、やっぱり我々の決断は間違っていなかったと思った。あのまま厳しさを貫いていたら、Tさんたちはこのジャンルを嫌いになってしまたかもしれなかったから。

長くなった。

あのアメフト部とは状況は全然違うけど、伝統を捨てたら捨てたで、そのジャンルを追求する熱い日々は待っていてくれるに違いない。

なんのジャンル部活にしても、みんなでそれを追求し、熱くなれるのには変わりはないはずだ。

彼らがどうか、前向きな大学時代をまっとうできるように祈りたい。

私などには想像も出来ない、大変な経験をなさっていると思う。どうかこれが、学生の皆さんの人生において、良き糧になりますように。

2018-05-24

ずるい生き方をしてきた。今までの自分を振り返るとそう思うが、同時に仕方なかったんだ、と言い訳したくもなるのだ。

生きていることを許されたかったのだ。

幼い頃から自分無能さをよく知っていた。姉や兄には人に誇れるような長所が沢山あるのに、自分にはそういったものが何もなかった。学校勉強比較的得意だった。だから旧帝大卒の肩書を手に入れることに執着し、浪人して受験勉強した。無事合格はできて、やっと自己肯定できるだろうか、なんて考えたが、現役で兄が受かってるのだから結局自分は得意分野さえ半端な無能だ、という気持ちに落ち着いてしまった。

両親に私の長所って何、ときいたときに返ってきた答えはいだって自分の望む回答からずれていた。そんなこと気にしなくていいんだよ、とか、天真爛漫なところ、とか。気になって苦しいからきいているのに。天真爛漫だったころの私なんて小さい頃の私の記憶でしょ。小さい頃は誰にでも甘えたがったけれど、無能ゆえに他人からまれまれるのが怖くて、人と距離を置きがちになってしまったんだ。そんなことぐらい、母親だって普段の私の話をきけば知ってたはずなのに。どうして昔の自分の話したり的外れな励ましをしたりしたんだ。「今」の自分を、親さえ認めてくれなかったら誰が認めて許してくれるんだよ。それも自分無能で話もつまらないせいだとわかるから消えたい気持ちでいっぱいだった。人に心を開こうと努力もしたし今だってしているけれど、きっと深く関われば私の醜さを軽蔑するんだと思ってしまう。

折り合いをつけながら人と関わる努力をすることを重要視するようになったから今までの自分をずるいと思う。自分だけじゃなくて誰もが何かしらの辛さを抱えていて、大多数は周囲の人と関わりあって生きている。関わることを避けて楽なほうへばかりむかう自分卑怯だ。だけど、人と関わろうと努力しているとき、やはり愚図で足を引っ張る自分は人との接触に向いてないと感じるのだ。私はずるい生き方をつづけるべきだろうか。

そもそも体育会系学生受験勉強しなくても入学できるし、大学単位勉強しなくても取得できるのがおかし

アメリカ大学でもスポーツは盛んだが、日本と同じような感じなのだろうか

2018-05-23

清潔な社会に居づらい

自分の通っていた高校ネオリベラル的な雰囲気だった。

ネオリベラルと言ってもわからない人もいるだろうからザックリ言うと、成果が徹底管理された企業という感じだった。

まぁ、管理教育みたいなものだろうか。

創立者が存命だった頃は、男子校だったらしい。

古い校舎で、荒れている部分もあったが自由だったようだ。

それが2代目になってから企業出身者やらを入れて、校舎を新しくした。

そして、女を入れて共学化したのだった。

企業出身者やらを学校経営に入れたりして、進学実績を超重視するようになったようだ。

あぁ、清潔なネオリベラル高校の出来上がりだ。

それでも、広報物には自由校風とか謳っていた。

まぁ、それも受験勉強スポーツができて顔がよけりゃ自由ということだ。

制限付き人権とでも言おうか。

自分はそんな高校で息がつまりそうだった。

多分自分ネオリベラルな清潔な社会というものに適合できない人間なのだろう。

自分は持病があったし、他人よりも肉体的にも精神的にも高校生活というものリソースを割くことになった。

そして、受かった大学は低偏差値大学の三流学部だ。

ただ、色々と学べたし、見方は広がったのは確かだ。

高校ネオリベ的と表現できるようにもなったのだ。

ただ、高校に適合できる同級生がたくさんいるのも確かだった。

世の中はますますネオリベ化していくし、それに彼らは適応して楽しく生きて行くのだろう。

1968年だとかそんなものも知らずに、変えようという発想もなく媚びて生きて行くのだろう。

2018-05-22

早慶新卒内定童貞

必死受験勉強して偏差値の高い大学に入って、

親に無理言って留学までさせてもらって、

一番入りたかった某広告企業には足繁く通ってOB訪問して、

社員の方に「ヘマしなければ最終面接くらいまでは行けると思うよ。自信持って!」って

太鼓判を押されるくらいに万全を期して臨んだのに、

二次面接で敢え無く撃沈。

あーあ、なんでだよ。結構手応えあったのに。

多くの人は「切り替えて次いこう」って言うけどさ、

他の企業と比べれば比べるほど、どんどんその企業が好きになっていって、

仕舞いには自分が働く姿なんかを妄想しちゃったりして、

他人からしたら本当にしょうもないかもしれないけど、全然切り替えられそうにないや。

『就浪』という言葉が、一瞬脳裏にチラついたけど、

母子家庭金銭的余裕があるわけじゃないし、

寧ろ早く自立して母親に恩返ししたいから、そんなことできるわけもない。

結局は妥協して、名前も知らないような会社で、何者にもなれずに一生を終えるのかなとか考えたら急に哀しくなってきた。

あーあ、なんでだよ。

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