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2023-09-12

ジャニーズ被害者バッシングするひと(サンプル:60代男性田舎暮らし

山本一郎記事で「本件についてツイッター言及してるのほぼ女性」みたいなことを言っていた。

そんなこたねーだろってまず直感的に思ったわけだが、身近にケースがあった。

ここでは増田の父のケースから男性から見たジャニーズ問題へのあれこれについて書く。

昨日、父親テレビ報道を見ながら「嫌なのに嫌と断れなかった軟弱者たちだろ」とぼやいていた。

ツイッターとか会見のYouTube配信に湧いてた醜悪コメと大差なく、普通にセカンドレイプ不快だったので軽い口論に。

結果、納得させることはできず、そのまま中井貴一の出てる時代劇チャンネルを変えて停戦

あ〜こういうコメントする人ってこういう心性のパターンもあるのか…しかもそれが父だったのか…とちょっと落ち込んだ。

以下、周辺情報など(フェイクあり)。

関東圏の田舎在住。コンビニとか徒歩圏内存在しない結構ガチの山奥。

現在は父と母ふたり暮らし。両親共移住者増田田舎で育った。本件は帰省中のできごと。

・父は高卒建築業に就き、結婚移住後は林業従事者。芸能的な世界とは一切縁がない。

しかしメインの娯楽はテレビであるため、ニュースで取り扱われるLGBTQとか生成AIとかそういう話題は知っている。

・もちろん「ネット」は見るが我々の思う「ネットはてな、各種SNSなど)」にアクセスすることはないと思われる。

・プチ左翼。父と仲のいいひとに赤旗新聞購読者がいる。基本的反自民

あくま想像しかできないが、父は「反権力」的な思想を持ちつつ、しかしある種の「自己決定論者」であるためにジャニーズ問題については上のような発言をしたのだと思う。

他のお茶の間パネラー発言を思い返すと、「LGBTQ政策はすすめるべき、なぜなら個人の決定が最大の権力となるべきだから(意訳)」と言っていた。トランスヘイトとかもない。

おそらく、移住者であるという点も重要。越してきたばかりの頃に一定村八分があったことを聞いている。

それを跳ね除けて現在村議会などにも参加しているという経緯が自己決定論的な心性を育んだのだと思う。増田個人として、そういう父にある程度の尊敬はある。

増田も少しばかり現場系の仕事したことがあるが、危険が伴う肉体労働現場においては、「反権力」と「自己決定論」が至極マッチョに培われる空気がある。

大学行ってるのにバカだよな」「政治家とか全員頭悪い」「生活保護とかクソだよな」

というのの一部は増田が受けた非難であるが……裏返せば、「自らの選択キツイ労働をしている自分らほど独立心が強くエライはいない」。

まるっきり同じトーンで、かつて、ブラウン管の中のジャニーズタレントを父は非難していた。

放送局権力首輪を繋がれ、思考力がなく、筋力もなく、暴力にも見舞われず、美貌だけで父の何十倍もしくは何百倍も稼いでいるから。同じ男なのに。

しかニュースにより判明したことというのは、放送局手綱を握っていたのはほかでもないジャニーズ事務所だということ、所属するタレントらは暴力をふるわれていたこである

情報強者の方は、それは何十年も前に明らかになっていただろう、というかもしれないが、それはお茶の間コメンテーターの父には届いていなかった。

さて2023年BBCの徹底追求以降の現況であるが、ネットではジャニーズ被害者を「負け組おっさん」と叩き、金銭要求など筋が通らないだろうという反論が噴出している。

父もその声に同調するようである

以下、その日の会話(なお、この会話の間母は黙々と家事をしていた)。

父「嫌なら嫌といえばいいだけだろう」

増「被害者未成年だよ、そんなことできないでしょう」

父「未成年だろうが関係ねえよ。だいたいやりたくてやってんだろ」

増「やりたくなかったから今事件になってる」

父「なんで今さら?っつうかんじ。本人は死んでんだから

増「いまさらもなにも、一度つけられた傷だよ。補償されるのは筋が通ると思うけど」

父「実力がなかったやつらなんだろ、売れてるやつらも同じこんなら、こいつらだけ金もらうのはおかしいだろ」

あれ? たぶん、増田子供だった頃に攻撃対象だった「軟弱者(=テレビに出ているジャニーズ)」が擁護対象になっている。

さらなる「軟弱者(=ジャニーズ被害者)」の登場により、デビュー組が相対的強者へとスライドしたのである

父と同じ強者に仲間入り! なるほどそういうことか。

…という結論は今まさに思いつくままに書いていて導き出されたわけであるが、ウーム、これを一般化するならば、こういう心性により被害者バッシングする男性もいるのだろう。

少なからず誰もが美醜を問われてめんどくせえ世間に生きて、ジャニーズのものに対して複雑な感情もつ男性って思ってるより多いと思う。

からジャニーズの瓦解を祈る男もいるし、今話したケースみたいに屈折しまくってなぜか被害者組を非難する男もいる。山本一郎適当なこというな。

そしてふたたび増田家の話に戻ると、過去、屈強な父権一家を統べた父が、白髪も増え腰を痛め事実弱体化したというのもあろうが、帰省した増田が「こんな優しかったっけ?」と思う程度には軟化したのは、強権をふるった過去を取り繕おうとしているのではないか、と、ちょっとセンチな気分にすらなっていたところの本件であったから、だいぶショックというか、はっきりいって気まずい。と同時に、マッチョ思想根深さを知るというか、マッチョ思想卑怯な面を見てしまったというか。そのことが一番悲しいかも。書いてて悲しくなったからここらで。終。

2023-08-18

実家掃除してきた

実家、北国の農家の家なんだけど築100年たってる

去年祖母が亡くなって父の妹や姉から「遺品の整理したいけど荷物多すぎてわかんない」って言われたんでGWからお盆にかけて仕事の合間に数日滞在して片付けに行ったんだよね

家には両親と兄がいるけど70超えてるし、仕事も忙しいしで全然手をつけられなかったって話をしてた

冬の間の実家は使ってる部屋以外は冷蔵庫みたいなもので長時間片付けられないし、夏は忙しいか祖母遺品整理はできてなかったって話

遺品整理って行っても祖母も両親も片付けられない・物を溜め込む・捨てないタイプの人で結構大変だった

生きてるうちには布団とか捨てないし、兄や私が使った学習机ではない机とかベビーベット貰ってきて何かに使える、あんたたちが家族できたら使えるとかっていって何でも貰ってくるし捨てさせないしで、実家にすごい広い家だったんだけど、生活できる空間以外は全部物置になってた

台所居間風呂以外に7~8部屋あるのに全部物置で、兄は物置少しよけて寝起きしてるし父と母は居間台所で寝起きしてる

父の妹や姉言葉濁してたけどごみ屋敷じゃん

そんなわけで使ってない客用布団を捨てて

(布団8セットくらいあった)

半世紀以上あるっていう机を捨てて

祖母の買い換えて捨てるはずだったベット捨てて

壊れたお盆灯籠捨てて

私が小さい頃に使ってたコート掛けラック捨てて

祖母着物タンス捨てて

つのかわからない梅干し梅酒の瓶たくさんすてて

古い足踏みミシン捨てて

段ボールは畳んで、ゴミごみぶくろにいれて捨ててきた

ブラウン管テレビは3つあったし

テレビサイズの古い大きいラジオもあったのも捨てた

祖母、天○教にハマってた時期があるみたいで

その関係の絵とかいっぱいでてきたけど全部捨てた

それでようやく3部屋と廊下が片付いた

ゴミで見えてなかったけど押し入れにもいっぱいがらくたがあった

先は長いなって思ってる

親が捨ててるものを「なんでもかんでも捨てる!」ってごみからわざわざ拾ってくることもあるからなんでもは捨てられてないんだけど

一応、写真書類は捨ててないし親や兄のの名前のかかれたものを捨ててない

汚れた毛布とか虫とホコリだらけのカーテンとかを洗って使おうとするんだよ、説得できなくて見てないうちに捨ててカビてたで通した

片付けって大変だけど親が生きてるうちにごみ屋敷片付けるのも大変だなって思った

2023-07-15

テレビ電子機器進化は凄かった…。

俺が小さい頃に初めて見たテレビは「小さく低画質なブラウン管テレビ」だった。

俺はそのテレビを使って、ビデオを見たり、スーパーファミコンをやっていたりしていた。あんな小さいテレビで、よくゲームをすることができたものだ…。

最近10代(特に2006年以降に生まれ子供)は知らないかもしれないが、鮮明に映してくれる今のデジタル放送とは違い、当時はアナログ放送だったため、電波が悪いといつも「ザーザー」と砂嵐ばっかりになって画面が見えずらくなり、大好きな放送が見れないことにがっかりしたり、イライラしていた時期がよくあった…。

小学生高学年になってから、「ニンテンドーDSを買え!」と親にねだった時もあって、親はイヤイヤながら買ってくれたのが懐かしい…。

中学生になってから、家にあった「Windows Vista」の新しいノートパソコンをよく使うようになったのだが、動作が非常に遅く、じっと待つしかなかった…。どのくらい待つのかといえば、電源ボタンを入れてから、間食用カップラーメン3分で用意できるぐらいだ…。ゲームぐらいさせてくれよ…。

あとインターネット回線の速度も死ぬほど遅かったものだ。画像1枚を読み込むのに1分もかかったことも珍しくなかった…。

高校生になってから自分お小遣いを使って、内緒ウォークマンNW-Sシリーズ」を1万円で買って、沢山の音楽を聴いていた時期もあった…。

大学生になり、家電量販店に行った俺はアルバイトで貯めたお金を使って、3万円した32型の液晶テレビを買うことができたのは、何よりうれしかった思い出だ…。

数年後には「各4Kテレビ」が販売されるようになったが、当時はまだ気軽に買える値段ではなかったぞ(たしか50型の4Kテレビ最初「40万円以上」もしていたのは覚えている)…。

そしてしばらく時が経ち、コロナ流行り始め、家に居る事が多くなった俺は、久しぶりに家電量販店に行ってみると、50型の4Kテレビ20万円以下で買えるようになったことに驚き、これを機にそのテレビを買った。やっぱり新しいテレビはいいよ…。より快適になればなるほど、感動は沸くものだ…。

そして最近になって、コンビニの店内や駅前さら電車の中にも、巨大モニターが設置されるようになったため、もはや街路中にモニターがあることが珍しくなくなった。

街路中に巨大モニターがあるだなんて、俺が高校生になるまで、「渋谷ビル」か「新宿アルタ」ぐらいしか思い浮かばなかったのに…。

まとめに入るが、俺は人生の中で最も変化があったものは、やはりテレビ電子機器進化だったのではないかと思う…。

ちなみに今、4Kテレビの値段を見てみたが、50型でも10万円を切るほど気軽に買えるようになった…。あと8Kテレビの値段も、「20万円以下」で買えるようになったのも驚いた…。

1950年代に白黒テレビ販売された当初、一生かけても庶民には買えないぐらいの値段だったのが、今ではもう気軽に超高画質なテレビが買えるというギャップよw

2023-07-07

anond:20230706143208

絵文字環境によって変わるのでemojipediaで見てみよう

📺←そろそろブラウン管から薄型に変えた方がいい

https://emojipedia.org/television/

クラシックな形が基本ぽいけどアンテナ操作部に個性がある

薄型テレビになるとしたら新たに追加されるのかな?

☎←もう10年以上見ていないタイプ電話

https://emojipedia.org/telephone/

サムスン電話はこだわりのダイヤル

📼💾←もう絵文字からなくしてもいいのでは

https://emojipedia.org/videocassette/

https://emojipedia.org/floppy-disk/

このあたりのレガシーメディアは絵が変わることはなさそう

フロッピーは逆さまのやつがい

📟←ポケベルもいらない

https://emojipedia.org/pager/

数字にそれぞれ意味がありそうで面白い

anond:20230706171219

それって日本に限ったことじゃないだろ。LDからDVDに移行とか、ブラウン管から液晶パネルへ移行とか。ウォークマンだってあん自身が指摘しているように世界的ヒットだったわけだし、スマホの爆発的普及も全世界的な現象じゃん。土地のいっぱいあるアメリカカナダオーストラリアロシアでもそうだろ。

2023-07-06

anond:20230706054953

マウスしか使えない50代老人だけど(スマホも使わないPCあれば十分という老害

この増田みたいなのが今後の日本じゃ増えるだろうなあとすごく痛感

理由は狭い日本住宅事情!!!

若い人がPC持たずにスマホで済ませる理由お金問題の次はこれだろ

家庭用据え置きゲーム機絶滅寸前でスマホゲーム一人勝ちもたぶん半分はこれが理由

会社オフィスも机の上はすぐ書類やら資料やら何やらで埋まって容易に食事もできない

DVDが出てきたらあっという間にLDは滅びてなくなり

液晶モニター液晶テレビはすごく短期間でブラウン管CRTに取って代わった

もっと遡るとバブル期の大きなステレオコンポセットはすぐ流行遅れになった

日本では「より場所を取らない物」しか勝たん!!

その発想で大昔はウォークマンなんて世界的ヒット商品発明したのに

今の国内電機ITメーカーは本当にわかってねえな

そろそろ変えた方がいいと思う絵文字

📺←そろそろブラウン管から薄型に変えた方がいい

☎←もう10年以上見ていないタイプ電話

📼💾←もう絵文字からなくしてもいいのでは

📟←ポケベルもいらない

2023-06-23

anond:20230623093251

2000年くらいには言われてたというか言ってた

1997年からチャットで言ってたので、2000年にはパソコン使う人間の一部は言ってた

2000年あたりでモニターブラウン管ネットISDNテレホ

1994年ではまだ早い感はある

Windows時代がはじまる頃でまだパソコンDOS画面みたいなのをたたいていたあたり

予備校進学ブームがまだあって3DCG実用にむけて準備を始めてた頃

1973年まれバブルを直撃体感してる人間はそう多くないのでは

全体的に時間がずれてる気はする

2023-06-18

anond:20230618190821

この前息子の小学校授業参観に行ったら、教室の左斜め上にブラウン管テレビがあった

でも授業ではそれを使わずプロジェクター使ってた

たことはあるけど何あれ?って感じらしい

2023-05-31

anond:20230531071402

横だけど、その人は何もおかしいことは言ってないと思う。

埼玉県在住の三十代後半だがテレビは一台しかなかった。

思い出せる限り、すべての友達の家で一台しかない。

どういう時空に生きてるのや・・・

増田民世代を当てはめたり、年齢の違いそうな別増田と同一人物視したり、

あなたこそ、どんな時空に生きてるんだ?

ブラウン管時代、安くなってきてるとはいえ子どもお小遣いじゃテレビは買えないし、

誕生日プレゼントテレビ貰うくらいならゲームを選ぶさ。

2023-05-25

anond:20230525133443

これで日本批判して盛り上がってる人たちをみて、ああこれが衰退ポルノかと思った

ニュースで紹介された研究室ブラウン管で『90年代かよ!』→この分野では貴重な資産だという話「昔のPCを使ってるのは…」 - Togetter

https://togetter.com/li/2101498

2023-05-19

anond:20230519085110

おそらく億単位設備スタッフ必要だった「セガスーパーサーキット1989年)」みたいなゲームが、数千円でしかマリオカート演出3DAR合成してくれる夢のゲームだった。だから発表時熱狂した。

だが購入しておっさんは思い出した。

セガスーパーサーキット」もそんなに面白くなかったことを…

実際の小さいラジコンサーキットを借りてダンボールマーカーを設置して疑似スーパーサーキット再現してみたけどそれでもダメだった。

ついラジコン走行ちゃんRCサーキットレコードラインを走ってVRコースが完成するんだけど、実は通ったラインを中心にして左右幅均等にARコースが設置されるため、ARカー(敵車)は「インのイン」を走れてしまう。

こちらはそこを通ったら現実フェンスにぶつかるのに。

からまず勝てない。

そのためにはARカーが不利になる(実際のRCサーキットの)非レコードラインを走って仮想コースを作り、ARカーは目一杯走っても通れないレコードライン自分が走る、みたいな本質的でないテクニック必要になってしまった。

まあ、マリオカートに限らず「コクピット視点ラジコンで遊ぶ」は、30年以上前からなぜかRCファンは夢見てしまう。

30年前、まだアナログVHF転送の小型モノクロカメラブラウン管TVローカル受信を使ってまでコクピット視点マシンで疑似スーパーサーキットを作って学内催しとして遊んでいた。

だが一番面白かったのはイベント会場でドライバーが見えないところにマシンが飛び出して入り込んでしまい、そこからカメラ映像だけで戻してくるというトラブル時だった。

最近どんどんFPV(ファースト パーソン ビーグル)用アイテム進化し、手軽にゴーグルドローンとかもできるようになったんだけど、出来るようになったらあんがいすぐ飽きてしまった。ドローン規制もあってあっという間に廃れてしまった。30年の間に3Dグラフィックスも同時に進化し続け、もうディスプレイ越しに見て見分けがつかないレベルなら3Dグラフィックスでいいやん、ってなってる。

ただ、3Dグラフィックスで遊ぶにしても、実際にレースカーを走らせるわけに行かないところをぐるっと撮影カー走ってあとはゲーム内で再現、みたいなコースビルドをあの技術でできるならとても楽ちんかもしれない。

都内ラリーとか、八丈島TTとか。

そういう可能性だけはまだ夢見させてくれた。

2023-05-18

NTRとその効用

 NTR的視座を持って生きることは人生を豊かにする。

 それは、つねにおもいがけない可能性に対して開かれた態度であり、慣習的な物事の結びつきを超えてあらゆる未来否定せず、支配と被支配の天地すらもあいまいに塗りかえる。そうした状態政治性を求めるのならば、こういいかえてもいい。NTRとは革命である、と。

 NTRの宿る瞳は風景革命する。たとえば、あなたは都会とも田舎ともいいづらい、郊外住宅地に住んでいて、そこにしゃれたパン屋さんが建っているとする。味はそこそこで、町のなかでさえ注目度は低い。あなたはその店へ日常的に通い、品揃えと定休日完璧に把握し、なんとなれば五回に一回は店主が声をかけて二言三言挨拶をかわす。ちゅうくらいな好ましさがある。

 ある休日幸福な遅起きをしたあなたはその店に向かう。しかし閉まっている。開店時間は過ぎているし、定休日でもないのに。店の扉に張り紙がしてある。「Aデパート地下街新春スイーツフェア出店のため、誠に勝手ながら、〇日~×日はお休みさせていただきます」。

 世界がすうっと冷えて遠のいていく。

 そのデパート毎日百万人が乗り降りするような規模の駅の前にそびえている。

 そこに行くと、よく見知ったパンが知らない装いで売られており、おそらくあなたが手をふったとしても、他人のふりで無視されてしまう。三百円の買い物ごとにスタンプを捺してもらっているあなたカードも、存在しないものとされるだろう。

 もうあのひとかみごとに皮が崩れ散るクロワッサンも、あの固くなった餅のような生地ベーコンピタも、もうその手には届かない。あの店は二度ともどってこないではないか。そんな感覚あなたは襲われる。

 開期が終わると、パン屋はもどってくる。以前の顔のまま、あなたのとなりに、なにひとつ変わっていないかのように。

 だが、変わってしまったのだ。なにかが決定的に以前とは違うのだ。

 営業再開初日朝一番あなたはその店を訪れる。柔和な顔立ちの店長が、変わらぬ笑顔で「焼きたてですよ」といいながら、あんパンを棚にならべる。あなた礼儀正しく待ったあと、ひとつをトングでつかみ、瓶入りの牛乳といっしょにレジに出す。

 店の外のベンチで、あなたあんパンにかじりつく。

 あなたが知っているかはわからないが、あんパンパンのなかでもっと官能的なパンだ。NTRを体現している。それはおはぎと逆の極にある存在だ。おはぎで餅米を包んでいたオラオラ系のあんこが、西洋象徴であるパン出会ったとたん、しずしずと包まれるに甘んじている。 あなたあんこパン咀嚼しながら、自分が今、寝取っていると同時に寝取られているような、ふしぎな感覚を味わう。それこそがNTRの奥義だ。シナイ山モーセはふたつの神の名を与えられた。ひとつはYHMH。もうひとつはNTR。発音できないことはそれ自体神聖さの証だった。

 能動受動ーー寝取りも寝取られもNTRというひとつ言葉に封じられている。わたしたちはそうした矛盾を孕んだ言葉を何の違和感ももたずに使っている。どちらでもあり、どちらもない状態こそが自然なのだ。そうした状態自然にすることで、わたしたちは今ある景色転覆できる。


 NTRという言葉の両義性に想いを馳せるときわたし菅井の顔を思い出す。

 九十年代の善き日々に、わたしフリーランスでいわゆるNTRビデオレターディレクターをやっていて、彼はそのプロデューサーのようなポジション助監督的な雑用からポストプロダクションまでを一手に引き受けていた。

 あの時代を知らない子どもたちには、NTRビデオレターヤラセだと思っているものも多いと聞く。たしかにそうした側面があったのは否定できない。特に大手制作会社がAVのついでに量産しているようなものは、最初から商業的な流通を折り込んで、俳優を雇って制作されていた。

 だが、わたしのいた現場みな本物で真剣だった。寝取るほうには寝取るもの矜持があり、寝取られるほうには寝取られもの葛藤があり、そしてかれらを撮るわれわれはそうした昏い機微、愛の真理といってもいい、そのさざなみのような感情を、一コマも撮り逃すまいという気概があった。誰もが真剣に傷つけあっていた。

 独立系の低予算のチームである。撮ってくれと頼むのも、大手発注できないような貧乏若者ばかりだ。ビデオレターを撮って、送りつけたい。その情熱が何よりの対価だった。

 菅井もそんな情熱しか財産を持たない若者のひとりだった。彼と出会ったのは大学のあるサークル飲み会のことだ。三次会だったか四次会だったかを先輩の家に転がり込んでおっぱじめ、みなひとしくへべれけになったノリで、先輩が「おもしろものがある」とVHSテープを取り出した。

 それは当時話題になっていたNTRビデオレターで、メーセッジを収録している最中寝取られ女性(四十代の主婦という触れ込みだった)が感極まって泣き出し、泣くのはよくあることだったが、その上にすさまじい量のゲロをぶちまけて寝取り役も撮影スタッフも大騒ぎ、という内容だった。要はネタビデオである。皆視聴済みの有名作で、先輩もそのことをわかっていたはずだけれど、みな初めて観る体で盛り上がった。

 そして、例のゲロの場面が来ると、みんなで爆笑した。わたしも笑った。下に見る笑いだった。そうした笑いを仲間内で共有することが結束である、と信じていた。

 だが、菅井はそうでなかった。

 それまで部屋の片隅でちびちびキリンなどをやっていたのがいきなり、「笑うな!」と叫んだときは、おどけた反語表現なのかなと思っていたが、先輩にくってかかるに及んで本気だとわかった。

 押し倒された先輩の顔に浮かんでいたのは暴力を振るわれた怒りではなく、驚きと困惑だった。わたしたちも止めるでもなく、ただひたすら唖然としていた。先輩もわたしたちも、NTRビデオレターに対して真剣になる人間がこの世に存在するなどとは思わなかったのだ。 菅井酔っ払いすぎだとして家に帰され、後日、酒の席のことと暴行は不問にされた。菅井サークルで、なんとなくアンタッチャブル存在になった。

 サークルの他の人間たちとは逆に、わたし菅井に興味を抱いた。

 当時のわたしはNTRビデオレターの大半をヤラセだと考えていた。そうした作り物にたいして、あそこまで入れ込める人間がいるというのは不思議というより驚異だった。

 菅井はふだんから近づきがたいオーラを発している類いの一匹狼だったが、こちからしかけると意外に愛想良く応じてくれた。

 彼のNTRビデオレターについて該博な知識を持っていた。その歴史からジャンルゲームチェンジャーとなった名作の存在業界構造まで、事細かにしかも大変おもしろく教えてくれた。良い教師だった。

 あるとき、彼の部屋でふたりだけで宅飲みをしていたときわたしは彼に訊ねた。「どうしてNTRビデオレターにそんなに興味を抱いているのか?」

 菅井は、酒気に染まった赤ら顔しばらくゆらゆらさせたのち、立ち上がり、押し入れからひとつのVHSテープを取り出した。

 部屋の明かりを消し、無言のままビデオデッキにそのテープを挿入する。あまり上等とはいえない画質に、ベッドに座った二人の裸の男女が浮かび上がる。男のほうは下腹が出ていて、若いようにも中年のようにも見える。女のほうは透き通った印象の美人だった。

 男のほうがピースをしながら口上を述べる。さしてオリジナリティのない、平坦なセリフだった。菅井はその口上にかぶせるように、ぼつぼつと、VHSテープの来歴を語りはじめた。

 ビデオに映っている女のほうは菅井の伯母であるという。知的でやさしくて、幼心に憧れの存在だった。伯母夫婦には子どもこそいなかったものの、傍目から見れば、仲睦まじく、理想夫婦といった趣に見えた。夫婦菅井をかわいがってくれ、週末にはよく遊びに連れて行ってもらったそうだ。

 その伯母が急な病で若くして亡くなった。菅井高校生のころだ。意気消沈する伯父を励ますために、菅井は伯父の家をたびたび訪問して話し相手になったやった。

 しかし、伯父は一方的に話す菅井に黙って相づちを打つだけだった。菅井が三人で出かけた思い出を語らおうと、アルバム場所を聞くと、伯父は「焼いた」といった。そこで菅井は初めて、家の中から在りし日の伯母の写真という写真消失しているのに気づいた。

 菅井はそのことを問い詰めようとしたが、伯父の返答は要領を得ず、ついには泣き出してしまった。

 菅井は長らく伯母について伯父の前で触れずにいた。だが、大学進学が決まって伯父の家に挨拶へ行った日、めずらしく伯父が上機嫌で出迎えてくれた。自分から菅井にいろいろ話しかけてきた。流れで伯母の話題にもおよび、ひさしぶりに伯母の思い出について深く二人で語り合った。良い時間だった、と菅井はいう。

 微笑みながらも目頭を熱くしていた伯父は、ふと思いついたように席を立って、どこかからかVHSテープを持ち出してきた。なにそれは、と菅井が訊ねると、伯母の映っている唯一のビデオだという。

 そして、菅井と伯父はそれを観た。ふたりとも、ひとことも喋らなかった。

 伯父の訃報を聞いたのは、菅井大学下宿引っ越した直後だった。自殺だった。

 わたしたちの観ているビデオレターは山場にさしかかっていた。VHSと自らの由来を語り終えた、菅井の横顔はブラウン管の青い光にぼうっと照らされ、かそけく浮かび上がっている。画面を凝視している。そこにあるのが歓びなのか、哀しみなのか、あるいはまた別のなにかなのか、推し量ることはできない。

 その横顔に、初めて世界を知らない角度から見た気がした。

2023-05-01

角打ち(立ち呑み)の店をやりたい

ジジイブラウン管TVを見ながら政治競馬の話してる店じゃなくて、もっと若者的なオシャンTなやつ。

店の外観は寂れた感じの雑居ビル

ドアを開けると意味もなく狭い通路があってそれを通り抜けると店内は意外と広々としててギャップ演出する。

店内の雰囲気は基本薄暗くてブルー基調とした間接照明内装ガラステーブルかにして都市っぽい感じ。

中央マスターがいてテーブルで囲むようになってて吉野家みたいなレイアウト

角打ちって意外と酔っぱらうから休憩用のソファもあってもいいかもしれない。

2023-04-25

anond:20230423111052

これについたブクマのmarilyn-yasuさんがまさに色ずれみたいな原色アイコン否定的なことをかいていてわろたww(ブラウン管時代テストパターンということは知っている)

2023-04-17

福岡市地下鉄内でナム・ジュン・パイクを知った

芸術には疎いので知識を得ようと買った『現代アートはすごい』という新書地下鉄内で読んでいた

そのなかでナム・ジュン・パイクという芸術家が紹介されていた

何でも、電子テクノロジーを使ったメディアアートというジャンルパイオニアらしい

暗い部屋の中にテレビモニタが上向きに置かれていて、そのテレビモニター群の間に観葉植物が置かれた『TVガーデン』(1974-1977)

暗い部屋の中で、天井に向かって映像を流しているらしい

テレビ受像機の上に強力な磁石を置いて、故意映像をゆがませる『マグネットTV』(1965)などが文章にて紹介されていた

当たり前だが、文で読んでも全くどんなものかが浮かばず、実際に見てみたいなという気持ちになった

メディアアートを観たことないどころかそもそもインスタレーション作品自体まりたことが無いから気になったのだ

そこでスマホを取り出し「ナム・ジュン・パイク 日本」で検索すると、福岡市内の商業施設キャナルシティ作品が展示されていることを知った

壁に100台以上のブラウン管モニタを設置し、映像を流すという作品らしい

まさかの常設で見られる場所は同じ福岡市内かよ

そして、あーあそこに設置してある何だかからないやつ、あれ、現代アートだったんだ、そして有名アーティスト作品なんだ!となった

何か長らく壊れていたらしいが2年くらい前に修理して、一日の内決まった時間帯に映像を流しているらしい

ブラウン管モニタなので今度壊れたら修理できないかもしれないとのことで、見れるうちに見ていた方が良さそうだ

読書現実体験意識せずに結びつく瞬間を久々に味わえた

そのうちキャナルシティに観に行こうと思う

あと出身地韓国にはナム・ジュン・パイク美術館あるらしいし、よく考えたらこっちも近いなと思った

2023-03-29

テレビ

私は26歳の男。今は一人暮らしテレビを持っている。毎日見ることができる。

なんだそりゃと思うかもしれない。テレビくらい持ってるし見れるだろと。

でも昔はテレビがなかった。

母は言った。忘れもしない。私が小学2年の1学期のころ、テレビ教育によくないと。

からテレビが消えた翌日。我が家の小さなブラウン管テレビ粗大ゴミ置き場にあった。

どうしてこんなことをするのだろうと思った。家に持って帰りたかったが重たくてびくともしなかった。諦めた。同級生が見ている番組は私は何もわからなくなった。何を話せばいいのかわからなくなった。無口のまま。周りと話せない。孤立が加速し、排除された。

テレビが見たい。リビング新聞テレビ欄を見る。スターウォーズをやるらしい。

テレビが置いてあった方向に顔を向ける。テレビはない。そこには水色のラジオがある。俯いた。学校に行く。同級生の話の中で昨日この番組を見たかと話をする。うらやましい。

同級生友達と楽しく話をする。私は何も話せない。家に帰る。誰もいない。父は仕事

母は弟の送り迎えと世話。姉は部活台所にたつ。皿を洗う。床を見る。髪の毛と埃が目立つ。掃除機をかける。母が帰ってくる。お手伝いありがとうと言われる。テレビが見たいと私は言う。母は教育によくないという。手伝いの報酬として5円もらう。貯金箱をばらす。

テレビを買う金額には遥か遠い。友達の家に行く。どの家にもテレビがある。友達テレビがあることを気にしていない。テレビゲームをつなげる。私はその時しか触れない。友達毎日触れる。私は下手くそ友達うまい格差を知る。家に帰る。テレビがほしいという。駄目といわれる。どうしてと聞く。どうしてもと言われる。俯く。新聞テレビ欄を見る。ナルトをやる。そういえば同級生ナルトの話をしていた。でも私は知らない。同級生毎日楽しく話せることでコミュニケーションの積み重ねをする。私は格差と親の選択残酷さを知る。同級生コミュニケーションを取ることを苦に思わない。私は何を話せばいいかからないまま。テレビがあれば同級生と楽しく話せて、情報キャッチも人並にできたのに。26歳の一人暮らしテレビを見れる。でも今はテレビ以外にも情報はあふれている。皆それを上手く使いこなし、楽しく話せている。私はもうできないと思う。

家族テレビを見ている。昔のことなどなかったかのように平然と見ている。

だんだんからなくなってきた。今も私は独り。周囲と楽しく話してみたかった。

あのとき楽しく話すことを養いたかったけどもう手遅れ。抗うのも疲れた

私は26歳の男。周囲と楽しく話してみたかっただけの男。昔に戻ってやり直したいだけの男。

2023-03-25

anond:20230309193548

好きな服を着てるだけ悪いことしてないよ

ブラウン管じゃわからない景色が見たい

2023-03-19

[][] 【推しの子Mother and Children

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