はてなキーワード: 脳梗塞とは
家で酒を飲みながら、これを書いている。どこかに吐き出したい。
大学に馴染めず、中退してからはブラック企業を転々とした。当時の私は人間ではなかった。交換できる部品のようなものだった。
しばらくして、会社勤めに嫌気が差して独立した。最初は上手く仕事が取れず、食うにも困った。借金もした。たまの贅沢として餃子をツマミに酒を飲んだ。
妻と出会ったのはその頃だった。知人が人数合わせに来てくれというので、嫌々付き合った飲みの席で出会った。花の咲くような笑顔が印象的だった。私の何が気に入ったのか、妻から遊びに誘ってくれた。何度か会う内に、私も妻が好きになった。初めて部品では無くなった気がした。金が無かったので、よく家で一緒に酒を飲んだ。妻は私が作る餃子が好きだった。
娘が生まれた。妻はよく子育てをしてくれた。私は仕事に手一杯で、休日に家の事を手伝い、娘を遊びに連れ出すくらいしか出来なかった。妻は我が家の太陽だった。娘も私も、妻を中心に回っていた。
妻が死んだ。脳梗塞だった。妻からもらったものを、万分の一も返せていない。申し訳ない。もう一度会いたい。ありがとうと伝えたい。
家で酒を飲みながら、これを書いている。どこかに吐き出したい。
大学に馴染めず、中退してからはブラック企業を転々とした。当時の私は人間ではなかった。交換できる部品のようなものだった。
しばらくして、会社勤めに嫌気が差して独立した。最初は上手く仕事が取れず、食うにも困った。借金もした。たまの贅沢として餃子をツマミに酒を飲んだ。
妻と出会ったのはその頃だった。知人が人数合わせに来てくれというので、嫌々付き合った飲みの席で出会った。花の咲くような笑顔が印象的だった。私の何が気に入ったのか、妻から遊びに誘ってくれた。何度か会う内に、私も妻が好きになった。初めて部品では無くなった気がした。金が無かったので、よく家で一緒に酒を飲んだ。妻は私が作る餃子が好きだった。
娘が生まれた。妻はよく子育てをしてくれた。私は仕事に手一杯で、休日に家の事を手伝い、娘を遊びに連れ出すくらいしか出来なかった。妻は我が家の太陽だった。娘も私も、妻を中心に回っていた。
妻が死んだ。脳梗塞だった。妻からもらったものを、万分の一も返せていない。申し訳ない。もう一度会いたい。ありがとうと伝えたい。
5ちゃんねるに暇アノンが「更なる火種か 社会の闇を次々暴いていくの凄いな]と暇空への賞賛を書き込む
ザンギエフ、「暇空が放火して回ってるだけじゃんw 最早社会の害悪レベルだよw 」とレス
↓
↓
↓
ザンギエフ、Twitterにアカウントを作り相談しあうように
ザンギエフは毒親のもとから早くに自立して高校の学費と家賃を自分で払い、就職後に労災で身体障害者になり生活保護受給中
↓
ザンギエフ「裁判起こされたら俺絶対負けるんだけどね、弁護士雇う金もなければ裁判所まで移動する事も出来ないから」
暇空「生活保護がどんな暮らししてるかみんな興味あるよね。勝ったら動産回収かけてどんな手段でも取り立てる。ザンギエフの生活晒すわ」
↓
↓
↓
暇空「ザンギエフがガチガチに弁護士の書いた書面出してきたんだよね 善意で弁護士がついたとおもう?生活保護に? 俺は生活保護が嘘で、俺を諦めさせようとしたけど、俺が諦めなかったから弁護士つけたんだと思う」
弁護団に1億円以上課金している暇空、無償で動く弁護士の存在を信じられず
↓
0444名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 23c3-t1ev)
2023/02/12(日) 02:29:44.49ID:gm8yvUFh0
暇空が放火して回ってるだけじゃんw
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/twwatch/1676112918/444
@V5tL87FjId15958
【近況報告】(R6.3.7)
暇空による発チは却下されました
https://twitter.com/V5tL87FjId15958/status/1765577318842732723
@V5tL87FjId15958
でもこれが原因で脳梗塞起こして歩けなくなったのは帰ってこないんですよね
https://twitter.com/V5tL87FjId15958/status/1765585460267753726
@V5tL87FjId15958
ちなみに弁護士先生は結果的に無償でこの仕事をしてくださいました。この場を借りてお礼申しげます
https://twitter.com/V5tL87FjId15958/status/1765588699050631460
ナイチンゲールの名声だって、クリミア戦争で死んだ無数の兵士の屍がなければ残らなかったんだから、その名声は名もない兵士たちのものでもあるんだよ。モブがいなけりゃ世界は回らない。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
消えたくない!!!!!
終わりたくない!!!!
せっかく!!!!
ニュートン!!
羨ましい!!!
ナポレオン!!
羨ましい!!!
羨ましい!!!
羨ましい!!!!
羨ましい!!!!
羨ましい!!!!!
俺の親父(郵便局を定年退職して刑事ドラマ見る毎日だったが脳梗塞で死去。葬儀は家族親族、友人、かつての同僚や部下のみで国葬や報道はなし)!!!!
俺の従兄(社会で名前を残すどころか社会に出る前の大学時代に白血病にかかり休学。卒業できずに死去。葬式には家族、親族、教師や友人のみ。国葬はもちろんTVなどの報道もなし)!!!!
怖い!!!!
消えたくない!!!!!
長生きした上に名前も残して、しかも自らが考案した看護師育成システムや病院運営、看護システムが現代にも形や技術は変わりつつ残ってるとか羨ましすぎる。
あと数百年は忘れられないだろ。
つまりそれだけ生きた証を残したってこと。
俺が育った町はイギリスと何も関係ない海沿いの片田舎だったけど、その近くにある看護学校にもナイチンゲールの像があった。
羨ましい…
羨ましい…
ああ、羨ましい…
対比して俺の人生は…
悔しい…
悲しい…
虚しい…
ああ!!!!!
はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!はぁっ!あっ!
日本学士院賞受賞
第〇〇代内閣総理大臣
第〇〇代合衆国大統領
〇年〜〇年の間、世界で一番の億万長者であった(Forbes)
こういう誰にも忘れられない、何かしらの記録に残るであろう称号が欲しい!!!!!!!
死んだらそこで終わり!!!!
俺「死が怖いです。どうすれば生きた証をこの世界に残して後悔しない人生を送れますか?」
馬鹿「旅行行って良い温泉入って良い焼肉食べなさい。幸せになれるから」
はぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜????
いや、旅行行って温泉入って美味い焼肉食うのが嫌なわけではないよ。
それが人類史に刻み込まれて、俺が死んでも俺の生の証がこの世から失われないってなら旅行行って温泉入って美味い焼肉食うのだって十分幸福だと思う。
でも実際死ぬ前に俺が旅行行って温泉入って美味い焼肉食ってもこの世界の誰の心にも残らないじゃないか。
だから旅行と温泉と焼肉じゃどうやっても幸福にはなれないんだよ。
医師から冷徹に「あなたの状態だと平均余命は〇〇ヶ月ですね」って言われても「我が人生に一片の悔いなし!」ってその場で自害できるくらい満足できるにはどうすればいいかって聞いとんじゃボケ。
どうやったら「自分の生きた証」や「人生のモニュメント」を築けるかって聞いてんだよ。
集積回路発明、重力波観測、免疫チェックポイント阻害因子の発見に並ぶような功績をどうやってこの世に残すことができるかって聞いてんだよ。
俺は何人にも俺の人生を忘れて欲しくないんだ。
結局フォーカスゴールド2Bに挫折してMARCH法学部から地方公務員になった俺みたいな人間は病気になって死んだらすぐにこの世から忘れられてしまうのか?
もしもニュートンやアインシュタインや大隅良典先生のような能力と功績がが手に入って歴史に名前を刻めるなら、焼肉も旅行も温泉も含めこの世のありとあらゆる娯楽や享楽や快楽を一生禁止されたって構わない。
この世に生きた証が欲しい。
確かに今の職場で仕事を頑張って区長や局長、さらに進んで副市長になって、定年後は外郭団体の理事や代表になることができれば葬式には沢山の人が来てくれるだろう。
婚活して結婚して子供を持てば子孫は受け継がれるし子育てに間違いがなければ子供や孫が墓参りにも来てくれるかもしれない。
でもそれじゃダメなんだ。
途中で俺がこの世で何よりも恐れる癌になったら?
行政官として名前を残したり孫の顔を見るなど「一般的な幸せ」を手に入れるには時間がかかり過ぎるし癌というはずれくじを引かずに長生きする必要がある。
途中で死んだら何も残すことができないままこの世から消えてしまう。
最後まで頑張れたって次の世紀には誰にも覚えられていない。
そもそも、お前らはもう小松法制局長や香川財務事務次官のこと殆ど覚えてないだろ?
それじゃダメなんだ。
ニュートン、アインシュタイン、ガンジー、マロリー、ナイチンゲール、キング牧師…
彼らのような自分の生の証をこの世に残してモニュメントを築いて名前を残さなきゃ生まれた意味がないんだ…
郵便局を定年退職して一日中刑事ドラマ見て脳梗塞で死んで葬式には家族と友人と元同僚しか来てない父親のようになったら怖いんだ…
白血病でこの世で何も為さないまま大学時代に死んだ従兄のようになったら怖いんだ…
ああ…
怖い…
癌は怖い…
脳梗塞も怖い…
病気が怖い…
事故も怖い…
死が怖い…
いや、ただ単に死が怖いんじゃない…
「この世で何も為さないうちに訪れる死」が怖いんだ…
定年して刑事ドラマ見てたまにゴルフして誰にも知られず90歳で心不全も怖い…
ノイマンやマロリーのように世界に名を残してからなら逆に早死にも怖くない
忘れられたくない
消えたくない
まだワルファリン服薬中ではないから納豆食っちゃダメというわけではないけど、投薬治療中の人は納豆食うと最悪の場合は死ぬので、「脳梗塞に納豆」みたいな民間療法があるんだとしたら最悪だなと思う。
父は無関心で母は過干渉。それが嫌で幼少期はいつも同居している祖母の部屋で過ごした。
結婚を機に家を出たが、近所なので毎週末に自分の子供達(祖母からだとひ孫 5歳と0歳)を見せに行っていた。
祖母は難聴ではあるが認知症もなく、自分で買い物に行き、自分で料理をするなど生活は自立していた。
夏の初めに脚がむくみ寝たきりではないが歩くのが困難になった。そんな中で第2子の100日祝いを祖母と両親でやった3日後、朝起きてこないので父親が確認しに行くと、意識がないため救急車を呼んだ。
脳梗塞のためそのままSCUに緊急入院となり、さらに発症から7時間以上経過したので半身麻痺となった。
かかりつけ医からはガン全身転移であり、今年の末まで持つかどうか、というとことを以前から聞かされていた。
入院当日の様子は両親から、唸り声をあげて目は僅かに開く程度だと聞いていた。
入院翌日に面会に行くと半身麻痺のせいか、顔が変わり過ぎていて思わずベッドの名前を確認した。
祖母は閉眼しており難聴のため呼びかけにも反応がない。感染対策で面会時間が短く先日の100日祝いの時にみんなで撮った写真を置いて帰ろうとすると目が開いた。
顔面麻痺のため「あうあう」しか言えないが、幼い子供達の写真をスマホで見せると嬉しそうに「あうあ」と名前を呼んだように聞こえた。
それを見てたら涙がでてきて、滲んだ目で祖母に目をやると心配そうにこちらを見ていた。
帰り際にこちらを見て「あうあうあ」と言ったが自分にはそれが普段から祖母がよく言ってた「ありがとな」に聞こえた。
以降も週に何度か面会したが開眼していても視線は合わず、唸りながら呼吸をしているだけでそれが無機的でありとても不安になった。
急性期病院から緩和病院に転院してからは毎日病院に行った。転院後すぐに浮腫や呻吟は軽減してきて視線は合ったように思えるが、移動しても視線はそちらを見たままで、わかっていたのかよくわからない。
病院に行こうとすると5歳の長男が「僕も行きたい」と、子供は行けないと言うと「大きいばあばに会いたい」とか泣きながら言うもんで、なぜか病院に向かう車中で一人泣いた。
転院5日目から目が開かなくなり、7日目未明に死んだ。救急搬送から約1か月のことだった。
コロナで人数制限のため両親のみ病院に行き、朝方に両親が帰ってきたと妻と話していると、長男が駆け寄り「大きいばあば帰ってきたの!?」なんて聞いてくるもんで、「もう帰ってこないよ」と自分で言って泣きそうになったから顔洗って誤魔化した。
葬儀の際は辛く祖母の顔を見たくなくて、出棺前の花入も後ろからただ眺めていた。火葬場で骨上げして骨壷の蓋を閉めようとしたその時、長男が「バイバイ大きいばあば」とか言うもんで我慢してた涙がでてきた。
5歳の長男の言葉が刺さるのは、体裁ばかり気にしてる自分が言えないことをド直球で叩き込んでくるからだと後から思った。代弁してくれてありがとう息子よ。そしてさよならバアちゃん。
いっぱいコメントありがとうございます!
めっちゃ教えてくれてうれしい。
こんなの自分の周りで話しても自分と同じ価値観の人しかいないから聞けなかったと思うとネットって偉大だな~って思ったよ。
みんなが自分の思う最高の自分でいれる社会になりたいねはやく。
でも想定と違って、「別の指標があるからどうでもいい」じゃなくて「ブスだから」とか「家族がからかう」とかが多いのが気になった。
学校が厳しくても興味あってやりたいな~と思ったらプライベートでやると思うので、実際は校則とかあんまり関係なくて上記の2点がネックなのかなと思った。
校則も関係あるっちゃあるのかな、忌避観がなんとなく育ちそう。
ブスだからという意見に関しては、そんなことないよ!みんなかわいいよ!!!と思う。まじで思っている。
人生でブスに出会ったこと一回もない。クラスにも会社にもいない。たぶんそれは親とかから与えられた呪いで、私みたいな赤の他人が言っても意味ないんだろうけど。
興味はあるのに自分の容姿に自信がないというだけで手が出せなかった人から新しい趣味や生き方が生まれる可能性を潰したすごく罪深い呪いだと思う。「色気づいて」みたいな家族からのからかいもそう。そういうこと言う人に限って女らしさを求めてきそうなイメージがあるよ。あなたたちはかわいいので自信を持ってほしい。
コメントくれた人の中に、「鼻が大きすぎるとコンプレックスだったがメイクすると目鼻立ちがバランスとれることをおしえてもらった」って方がいたんだけど、たぶんきっとこういうことなんだよ。あなたたちのコンプレックスは絶対活かせるし、他人からしたらどうでもいいことだし、なんなら羨まれている可能性もある。
わたしも鼻が横から見てまっすぐ伸びている友人をうらやましいと思っていたら、本人はそれがコンプレックスでわざわざシェーディング入れて鼻の付け根の高さを消しているし、あなたみたいなおでこから鼻先までがくるんとなっている横顔がうらやましいよと言われたことがある。全然傷つく必要ないよ。コンプレックスに対して自信持てとは言わないけども!!!
スターターパック欲しかった人、その時そばにいたかったなと思った。憐れみとかではなくこれから沼にハマってくれるかもしれない人を見ているオタクの気持ちです。
田舎者でドラストコスメメインで頑張ってたからそこら辺の金銭的なアドバイスができた自分がその場にいれば沼に引きずりこめたのに!!!と無念な気持ち。
いろいろ指標はあると思うけど、勉強好きな人とかかっこいいなあと思った。いいよね、人生の指標があるということ。
あと生理的に無理だっていう人がいるのが全く未知の価値観で面白かった!面白かったって言うと変な意味に聞こえるけど、interestingのほうです。
女の子は誰でもどこかではお姫様になりたいと思ってると思っていたから、やっぱこれってあくまで個人の意見で、たまたまそういうコミュニティに属しているだけだったんだなあと思う。
気分が上がらない人がいるのも知らなかったなあ。でもそうだよね、私もいくら価値があってもブルーアイズホワイトドラゴンもらっても気分は上がらないし。
確かに筋トレと似てるのかも~~!って思った。筋トレと違ってメイクは切り替えできるところが強いかも。筋トレって気軽に体型変えれないからね。
あくまで私の中でなんだけど、武装のメイクと普段のメイクって違うんだよね。
武装のメイクは競争相手がいるときに自分を奮い立たせるためにやってた。それこそ高校のイベントごととか、就活とか、ガルバで働いてた時とかかな。
普段のメイクはあくまで「今日自分が過去最高にかわいいな~」と思えるメイクであって、対人を意識しないで済むメイクだからかな。
自分がかわいくて最高と自分自身で思えることがミソなのよ。なので他人からの評価はどうでもいいってなるし、武装の時と真逆の価値観でメイクしてるなという発見がありました。
正直クラス対抗の時とかは「おら~~~かわいいと言え~~~~????」の気持ちでメイクしてた。
それはまじでそう。
しかもメイク道具も安くないし、人におすすめしてもらっても、その人に合うものが自分に合うかなんてわからんしね。
そしてうまく合致するスタイルになかなか出会えなかったらもうええわってなるのも仕方ないことだわね…と思った。だってめんどくさいし実際。
世間でおもしろいと噂のAPEXやってみたけど全然操作うまくいかなくてすぐ辞めたの思い出した。
楽しいとこまでたどり着けなかったらそりゃそのまま興味のない人生を歩むよね。
そりゃそうよね、だったらメイクしないよね。
たぶん世間一般だとメイクしていない=身だしなみが云々ってなるんだけど、そういうことではないよね。
女らしいスタイル以外に好きなスタイルある人はそのスタイルの中で自分の好みを突き進んでるんだから、身だしなみはちゃんとしてるでしょと思う。
というか自分のおばがそのタイプだったと思う。今で言うと無印良品みたいなシンプルな服装とパンツスタイルが好きな人で、メイクも全然しないんだけど、眉毛とかはいつもきれいに整っているし、髪の毛もショートでちゃんとセットしているし、肌もすごいきれいな人だよ。最近会えていないけどきれいな人という印象だもん。その癖笑顔がまあめちゃくちゃかわいくてギャップなんですなあ。
おばのろけに脱線してしまったけど、髪の毛ボサボサとかならともかくメイク就活で必須みたいなの嫌だよね。この方はちゃんと自分を貫かれて、今もそれでいけてるのですごくよかった。
ここで強要されて心がおれちゃう人、めっちゃいるんだろうなあと思った。私も就活メイクは上で言った通り武装メイクだったから普段とは全然違ってかわいいメイクしたいよおおってなったから、就活のメイクについてはどんなメイクでも、していなくてもいいよとなってこの文化が薄れていって欲しいと思う。内定欲しかったから武装メイク作戦に切り替えたけど。
「ブスだから上方修正意味ない(意訳)」、「しなくても問題ない容姿だからいらなかった」系のコメントがめちゃくちゃ意外だった。
なんか、かわいくいたいって感情と、メイクによって自分が上方修正されているという感覚が一致しなかった。伝わるかな。
あくまで私の場合趣味みたいなもので、かわいくなりたい!ではなく「かわいいの最高値ですよ」なので、そこが感覚違うのかなと思った。ネイルがわかりやすいかな。ネイルしたところで自分の顔がかわいくなるわけではないけど、めちゃくちゃかわいい自分にはなれるじゃん!そういうことなんだよね。メイクしてて顔面偏差値上がったわ見たいな感覚は正直ない。武装メイクの時はスキルをかっ込むので顔面が上方修正されるけど。
メイクめちゃくちゃ大好きで、子どものころに子供向けメイクセット?みたいなのもらってからたぶんずっと好き。
おばあちゃんの家にあったうる星やつらで、塗った人同士の口をくっつける口紅をラムちゃんが作る回があったんだけど、そこだけ死ぬほど読み返したりしてた。
うる星やつらで記憶に残ってるエピソードこれとラムちゃんがツノを溶かすクリームみたいなの使って転校生の振りするみたいな回しかない。どんだけこういう系好きだったのかって感じ。
周りもそうで、母親はデパコス結構使ってたしクソでかスチーマー兼美顔器が家にあって、たまに使わしてくれたりとか。ちょっとしたお出かけにも眉毛をかいたりしてた。
おばあちゃんも毎日カーラーでかわいく前髪を巻いていて、口紅軽く塗ってて本当に絵本に出てくるみたいなふわふわしたかわいいおばあちゃんなの。
もう一人のおばあちゃんは脳梗塞かなんかの後遺症で早逝したしあんまり記憶にないんだけど、写真とか記憶の中だと赤くてかっこいいリップをいつもつけていて、片手でお化粧してるの見せてもらった記憶もある。
そんなんだから中学入るころにはメイベリンかなんかの色付きリップをカバンのポケットに忍ばせてて実際学校でも塗ってたような性格で、自然周りにもメイク大好きな子が多かった。
進学校(かしこいという意味ではなく、大学進学以外の選択肢がないという意味で)だったので、美容系の専門学校に行った友達こそいなかったけど、メイク上手な子とかファッションがいつも決まってる子は結構美大に行っていた。美大に行ったらメイクとファッションが進化していて、アイラインとかめっちゃ大胆な色とか構図で引いてた。かっこよすぎる。
うちの学校は結構成績さえよければなにやってもいいよな感じで、そもそも生徒側も叱られるようなラインを間違える人はあんまりいないんだけど、結構自由にやらせてもらっていた。
そんな感じなので、自然体育祭とか文化祭、クラス対抗では女子の装いがガチになる。
手作りのカチューシャとか、こったヘアアレンジとか、メイクいつもより濃くするとか。
これは何もメイク好き・ファッション好きに限らなくて、「普段はノーメイクで学校来るけどこの日はメイクしちゃう」って子もいるし、「まったく経験ないけどやってみたい!教えて!!!」っていう子もいる。
私もそうなんだけど、うちの学校のメイク好き・ファッション好きはやたらとお姉さん気質が多かったのか、後ろの黒板に「クラス対抗ヘアアレンジします! メイクは○○まで」みたいなのを書いておいて、興味はあるけどやったことないからどうしよう…という子が声をかけてくれたら事前に教えるのも、当日早く来て武装するのも手伝うのをやっていた。
なにもうちのクラスだけではなく、クラスとか学年違っても同じ感じでなので校風だったんだろうな。
あと仲いい子とそのために安いスポンジとか綿棒とかヘアゴムとかアメピンとか割り勘で買って準備するのも楽しかったし、やっぱり武装含めてイベントだったんだなと思う。
あんまりよくないけど、「うちのクラスのほうが髪かわいいよね~おソロだし~~」とか言っていた。気分はプロデューサー兼メイクアップアーティスト兼スタイリストだった。
家に親のクレンジングがあるかわからない子には、ウェットティッシュみたいなタイプのクレンジングを百均のジップロックに詰めて押し付けていた。アフターフォローもばっちり。
こんな感じの雰囲気の学校だったので、友達の中でメイクしない子がいてもドラストコスメ巡りに付き合ってくれたし、男でもメイクしてみたい!という子にやったり、男子改造計画みたいなのを夏休みにやったり、デートの服を何人もの人間で選びに行ったり、初めてのコスメ会に行くのに付き合ったりと、かなり装うということに関して土壌が豊かな環境で育った。
でもイオンもないような田舎だからデパコスも全然なくて、みんなセザンヌとキャンメイクとKATEとメイベリンしか選択肢ないし、服もGUはないからUNIQLOとハニーズで何とかするしかない。
遠出して電車に3、4時間揺られないと一般的な駅ビルがあるような都市にたどり着けない。そんな場所のわりにみんな楽しんでいたと思う。
余談だけど、うちらが中学の時に高校の先輩方がイベントで女装してるの見て、これもイベントにならんかなと思って生徒総会で男装女装コンテストをネタで提案したらしっかり通ったことがある。3年生の時に実現したので1年分しか見れなかったけど、男装の方はガチレイヤーの人が優勝し、女装の方はうちのクラスの総プロデュース男子が優勝した。どんなもんだよ。
なので大学も社会人になっても周りは変わらずファッションとかメイクとか好きな人ばっかだったし、なんならジェルネイルが追加された。金ドブですよあんなん。あんな爪がかわいくなるなら何万円でも払わせていただきます…。
でもこれたぶん私の周りにたまたまそういう人が類友で集まってただけで、クラスにメイクしない子もいたはずだし、社会にはなおもっと興味ない人がいるはずなんだよね。
私は幼少期からこんななので、もう生まれ持った素質の民だと思うんだけど、友達の中には大学からメイク本格的に始めた子もいるし、職場にはメイク手抜きでいくって子もいるけど、みんな会うときはいつもお互いに「自分の中での最高値にかわいい自分で!」というのが共通してるんだよね。
髪型も髪色もネイルも服もメイクも、そのすべてを使って、「好きな人に会うときは最高値にかわいい自分でいたい」というのが我々のような人間の最たる欲求だと思う。私もすっぴん部屋着でスーパー行くし。
好きな人にかわいい自分を見せたい欲求がない人もいるのかなとここ数日のXを見て思った。かわいい服買ったらかわいい顔と髪型合わせたいし、好きな人に会うのにかわいい自分を自慢しないわけにいかないと思わない人がいるんだなと。
働いててメイクめんどくさいな~と思う体調の日もあるけど、メイク好きな私でさえめんどくさい日があるんだから、メイク興味ない人はいわんやだよね。私もオンラインゲームを毎日強制されたら死んでしまうと思うし。
すごい紆余曲折したけど、私からしたら「かわいくいたい」がたぶん人生で一番でかくて、そりゃ好きな人にかわいいと思われたらなお幸せなんだけど、一番大事なのは「自分が自分をかわいいと思えていること」なんだよね。
だからメイクしない人?興味ない人?の感覚がうまくわからない。人生で一度も「かわいい自分でいたい」と思う瞬間がなかったということだと思うから、たぶんその人はその人で「自分がこうだったら最高!!!」と思う指標があるんだろうなと思った。これは私の中ではある種の「エウレカ!」だった。
これが…多様性……となった。
多様性ってこんなレベルでいいよね。魚好きと肉好きがお互い存在してもいいように。私は今まで魚は生が一番おいしいと思ってたけど、世界には生魚食べるの生理的に無理な文化の人も嗜好の人もいるもんな。
だからさ、そういう「メイクガチで興味ない」っていう人がどうしてもメイクしなきゃいけないときにさ、スターターパック用意してあげるのもいいけどさ、私みたいな装いキチ(見方を変えればルッキズム)の人が横でバカみたいにメイクとかに金使って幸せそうにしてるのを見てもらってさ、こいつらがこんなに熱中してんだからいっちょ私も楽しむ気持ちでやったろうかなとか思ってくれたらうれしいなって。
どうせやらなきゃいけないなら楽しいほうがいいよ。勉強も仕事もメイクも。
だから今日からも私はストーリーでキチっぷりをひけらかすのを辞めないと決めたよ。フォロワー各位覚悟してね。
あとごめんメイク興味ない人の心情を勝手に書いたけど、全然違うって人もいると思うからそれはごめんね!!!!
タイトル通り教えてくれると嬉しいけど、それは私の知的好奇心が満たされたくて呻いてるだけなので、優しさとかではないので…。
クソみたいな家族の元育った。
ドラマの登場人物か?というくらい暴れるアル中無職の父親、全員父親の違う子供を5人も産んだアバズレオブザイヤー獲得の母親。16歳も年の離れた妹にヘラヘラしながら性的虐待する兄。学校に行かずシンナーばかり吸って気が向くと妹に万引きをさせるこちらも年の離れた姉。
私は毎日何が何だかわからないまま起きて眠っていた。心の支えは飼っていた犬猫だったが、犬はそのうち山に捨てられ猫は「人にあげた」と母が言っていた。多分捨てた。
父親は私がまだ保育園児のころに酒飲み運転で事故って人を巻き込んで死んだ。記憶にあるのは父親が暴れだしたら姉と2人、トイレに逃げ込んでいたこと。1枚だけ写真があったが、顔にも見覚えはない。知らない顔の濃いジジイだ。その写真も今は持ってない。
母親は私が小学生のころにくも膜下出血で倒れて俗に言う植物人間になった。そこから20年以上も生きて数年前死んだ。生きすぎなので死んでからも反省して欲しい。
母親が倒れたことで兄弟はバラバラになり、1番下の私は独身の母の妹に引き取られた。もちろん伯母も変わった人間だったが、母よりはマシだった。静かな人で、スナックのママをしていた。彼女のことは、好きでも嫌いでもなかった。でも少しはありがたいなと感じていたと思う、きっと。
私が中学生になったころ、ある夜スナックから自宅に電話が掛かってきた。常連のおじさんだった。
お店に来たら、伯母がカウンターで倒れていたらしい。脳梗塞だった。
すぐに発見してもらえたこともあって、伯母はごく軽い呂律の回らなさや手の動かしにくさは残ったものの、日常生活に支障のないほどに回復した。しかしさすがにスナックを続けるわけにはいかず店をたたんだ為、その後生活に困ることになる。
生活に困った伯母はパチンコ屋でひっかけたおっさんとあれよあれよという間に結婚した。
脳梗塞後、伯母は少し人格が変わって常に人の悪口ばかり言っていたし、私にも毎日切れていたので2人きりの空間に他人が入ってくることに少しホッとした。
私は、小学生のころから本や図鑑ばかり読み、机の上でする勉強が大好きだったが、中学生になるころには勉強に取り憑かれていた。学年1位でなければ伯母にビンタされるということを抜きにしても、私は常に1位でいたかった。
勉強は一生懸命するものの、きちんとグレ始めていたので不良とばかり遊び、酒もタバコもセックスもとっくに覚えていた。まぁ初めて見た男の硬くなったモノといえばクソ兄貴のモノだったけど。よくたまり場で不良たちに勉強を教えていた記憶がある。みんな素直に聞いているのが面白かった。
高校生になった頃から、「大学には行かせない」と伯母に言われ始める。私には小学生のころから夢見ていた大学があり、その為に楽しんで勉強をしていた。伯母はなぜか「奨学金などという借金も許さない」と本当に頑なで、ガキながらにマジで意味不明だった。
家に帰れば毎日叔母と言い合いになるし、別にもはやどうでも良かったがおっさんにはずっと家庭内セクハラをされていてキモかった。お風呂中にわざと洗面所に来て話しかけられる、トイレに入ると7割の確率でノックされる、セックスの話をされる、私の下着を間違えたと自分のタンスにしまっている。きもっ。
高校2年の時、頭の中でパーンと音がした。朝起きたら、パーン、と乾いた音がして、ほんとうにしんそこ何もかもがどうでも良く思った。
私みたいな人間は何をしても無駄だし、クソみたいな両親から生まれたんだからどうせ私もクソなのはわかってるし、私にはキラキラした未来などないということに突然気がついてしまった。無駄だった、全部。どうでも良いや、未来などない。
その日から家に帰るのをやめて、男の家を渡り歩いて勉強もやめた。学校はたまに行っていたけど、伯母は特になんのアクションも起こしていなかったので何も言われなかった。何度か家に戻った時は、きもおっさんがアタフタと話しかけてくるものの、伯母は私を完全無視していた。
休みがちになり、成績も一気に下がった私を心配した先生たちが何度か「困っていることがあったら相談してみろ」、こいつらに相談したところで何がどうなるのか私にはわからなかった。
1人だけいた友人と私を心配してくれていた先生たちのおかげで、卒業式には参加できなかったものの卒業証書を貰うことができた。
高校卒業後は正式に家を出て、そこからデリヘルや水商売を渡り歩き、22歳の時に介護の資格をとってからはずっと福祉の仕事を続けている。
数年前には社会福祉士の養成学校に入学し、現在は何故か結婚までして主婦しながら社会福祉士をしている。
ところで、私は18歳から22歳までに3回中絶している。アバズレ母の子供らしく、ずっと男に依存して生きてきた。
セックスを献上することが何よりの喜びであり、生きる意味だった。男がいなければ自分に生きる意味はなくなり、文字通り男がいなければ生きていけなかった。男の言うことは絶対だったし、逆らうことなどできなかった。自分のために。
3回目に中絶した時、麻酔から覚める途中に「いたい!!!いたい!!!」と子供の絶叫が聞こえて私はぎゃあと叫んで体を起こした。はっきりと聞こえた。
中絶などなんとも思っていなかった私にも、少しの罪悪感があったのだろうと思う。
22歳のある日、珍しく朝に目を覚ましたらパーンと音がした。その瞬間、自分の全てに嫌悪感が湧いてきた。自分は何をして、どこにいるのか?いつまでこんなふうに生きていくのか?自分が嫌で嫌で涙が出たを
もう取り返しがつかないことはわかっていたけど、とにかくこの渦から抜け出さなければいけないと初めて感じた。
その日から大きく変わったことのひとつが、食べ物を美味しく感じたことだ。それまでの私は本当に食に興味がなく、空腹になるので限界がきたら仕方なく何かを摂取していた。
それなのに、ふと食べたにんじんがとても美味しかった。ピーマンも美味しい。マグロのお刺身も、チキンナゲットも、お米も、何もかもが美味しかった。
食べ物が美味しい、というだけで生きている意味になる感覚だった。
もう男への依存は憑き物が落ちたようになくなり、生きる意欲が湧いていた。
そこで人生を何とか立て直すために選んだのが、介護の資格を取ることだった。
介護の仕事といえば、学歴も職歴も関係なく、ほぼどんな人間でも採用される。しかも、こう言っては悪いが働いている職員の質も良くないので、普通に仕事ができればすぐに昇進できるだろうと思った。
福祉の仕事を始めてからは、どんどん人が好きになり、比例してどんどん自分を嫌いになっていった。
普通の人間みたいな顔をした私を好きになった人たちと友達になり、そんな顔をした私を好きになった男の人と結婚までしてしまった。
私は、クソみたいな人に育てられたクソ人間のエリートであり、現にクソなのだ。育ちや過去を言い訳にし、勝手に病んで、勝手に全てを諦めて、馬鹿みたいな生活をして、人を3人も殺して、平気な顔で生きているのに。凄くヤバい人間なのに。人間以下なのに。
今になってやっと、心臓がズタズタになる。人を殺したことも、大学を諦めたことも、私を育ててくれた伯母と縁を切ったことも、統合失調症になった姉から連絡が来た時に冷たくしたことも、母親に早く死ねと思ったことも、とにかく私のなにもかもが終わってる。
私という人間は、私の周りにいたどんなクソよりも極悪で、それは誰のせいでもない、私の問題だ。
それがわかっているから本当につらい。過去のせいにしたり、誰かのせいにして生きていきたい。でも、ちがう。
優しい人の手を振り払ったり、チャンスをないがしろにしたりして生きてきたのは私自身だ。
何もかも私が悪い。
誰にも話せなかった自分のことを、ここに残した。