はてなキーワード: ちゃごとは
都会に遊び行けば落ち着くかなって
そしたらダメだったよ余計加速しただけだった
都会って人多いけど逆に都会の方が人の目気にならないから楽なんだよ
田舎は未だに陰湿な気質が残ってるからどこ行くにも疲れるししんどい
どれだけ街や店がごちゃごちゃしてても都会の方が気にならないし楽
ずっと野球人生を歩んできていて今は指導者だ。
近年の日本ではちょくちょく女子野球が注目されるけれども男子野球並みの人気を獲得しているのか?と言われれば決してそうではないと万人が認めるところだろう。
日本は野球という競技人気は高いが、なぜ男子野球と比較して女子野球の盛り上がりに欠けるか?という疑問へ寄せる回答の1つとして「日本は野球という競技人気は高いから」だと言える。
つまり競技人口やファン人口が多く野球嗜好人の目が肥えているのだ。
野球嗜好人の目が肥えているからこそ男子野球と比較して「女子野球は遅い」という評価を下してしまう。
投球スピードにしても、スイングスピードにしても、走塁スピードにしても、守備(フィールディング)スピードにしても女子野球は遅いと言わざる得ない。
目の肥えた野球嗜好人が女子野球を観戦していて届くと思ったプレイが全く届かない。女子野球はそういうプレイが本当に散見するのだ。
それは観戦者が男であれ女であれ野球趣味が濃ければ濃いほど女子野球の遅さは気分を盛り下げてしまうだろう。
野球という競技の性質上、サッカーやバレーボールのように全選手が常に動き回るということもなく様々なシチュエーションでただただ遅い野球を観戦し続けるのは正直キツイ。
女子野球のトップレベルのパフォーマンスがどれくらいなのかしっているだろうか?
平均して高校男子硬式野球地方大会予選1回戦2回戦レベルだ。中学男子軟式野球全国大会(中体連)レベルと置き換えても良い。
野球のトップレベルのパフォーマンスを観に行っているのに見せられるのは少年野球パフォーマンスなんだ。
実はこのパフォーマンスの低さをどうにかするという試みは既にある。
野球という競技のフィールドやルールを縮小化する、つまりはソフトボールだ。
ソフトボールで女子が注目されたのは男も女もみんな解ってたのだと思う。野球という競技は女子にとって広すぎることを。
それでも野球をやりたいんだという女子は居るだろう、野球人生を歩みたいんだという女子は絶対に居るはずだ。
その想いを汚すヤツが居るなら俺は「ごちゃごちゃうるせぇ下手くそ!野球でケリつけようぜ!」とやるくらいには賛同したい。
しかしそれが女子野球の経済的独立を果たすのとは別問題だ。
女子野球が遅くてパフォーマンス低く、野球を観戦しようという目が肥えた野球嗜好人を満足させにくいという事実は否定できない。
女子野球はどうにかして野球嗜好人を満足させられる女子野球ならではを発見しなくてはならない。
そうしなければ女子野球は決して女子野球選手の夢を叶えられないだろう。
悔しいが今のままではそうなのだ。
あまり気にしなかったけど、テレビを中心にレイアウトをいじったらいくつか気づいたことがある
まずテレビの置く位置は難しいということ。メタルラックをテレビの周辺においたのだけど、これがびっくりするぐらいうるさい。テレビって視線を誘導する役割があるせいか、どうしてもその周りの収納まで見てしまう。いままでは白の壁紙程度しかなかったからわからなかった。あと、テレビは大きさや液晶の解像度によって最適な距離というものがあり、大きくなるほどテレビとの距離は離れる。これが結構面倒だなって思った。テレビの前にはものを置けないし人の行き来は制限されるしその周りに収納を置くとうるさいし。
そして、生活感のない家具や収納という考えがようやく理解できた。
テレビのようなものの周りにものを置くならば、ある程度落ち着いていたり色を統一したり、収納ならば中身があまり見えないようにするなどの工夫が大事に思える。そうしないと視線の先に見たくないものがみえて凄く目に悪い。
ぼーっと見る程度のテレビなのに周辺に変な生活感があるとちょっと落ち着かなくなるってのは意外だった。
PCデスクの周りはごちゃごちゃしていてもあまりきにしなかったのだが、たぶん黒を基調にしていて統一感があったからかもしれない。
平成17年までは駒込に住んでいてスーパー行って缶コーヒー買いまくって数学やっていたので幸せで仕方がなかったが
平成18年からうっすらと気が狂ったが、その原因は低学歴が増えたからのせいで、それでも我慢しながらなんとかしてたので特に致命傷みたいなものはない
平成19年6月の増田だけは許さん。その後は特になし。 法学部を卒業し、ずーっと遊んで暮らしていた。 平成20年10月頃に、ツイッターがもう全員
発狂状態、 それまではそうでもなかった。20年6月にテレビをつけると、秋葉原につっこんだとの一報。自分は自宅でエミュをやっていたのでなんとも思わなかった。
また当時からアパートを借りるに際してごちゃごちゃした書類を作った記憶もない。
22になるまで「美味しい」の意味がサッパリ分からなかった(個人の好みでしかないと思ってた)んだけど、どうやら自分の好きな味は他人もみんな好きらしいということに気づいて、"好み"だと思っていた感情と「美味しい」という言語が結びついてから今めっちゃくちゃご飯を食べるのが楽しい。作るのも楽しい。人生最高。
今までは「同人作家も自分と同じ人間だという意識を持つべき」って考えていたけど、自分の精神衛生のために、相手を人間じゃないものだと認識した方が良いこともあるのかなって今は思ってる。
だって相手が人間じゃなくて萌え製造マシーンなら、"絵上手人気絵師だけを集めた作業部屋"が今年から内々に運用され、そこで造られた合作同人作品が公開されても、ありがたく消費させてもらえるもん。
「グループ内で自分をハブにして遊んでる」って過剰な被害妄想とか、
「同カプ好きな人は多くないし、せっかくだから仲良くなりたいと思っていたけど、裏でやり取りしてツルんでる相手が居るなら、もう親しくしようとしない方が良さそうだな」って好感度ダウンしたりとか、
ごちゃごちゃ考えて嫌な気分にならなくて済むもん。
誰も悪いことはしていない。
その"好きな人達"に含まれていないことを見せつけられて、そのグループへの好感度が下がり、関わりを減らそうと思うのも普通だと思う。
同人作家を"萌え製造マシーン"だと認識してさえいれば、餌に悦ぶ豚でいられたのかなと思って、かなしい。
今よりもっと界隈が狭い昔から同カプで活動してきた絵師が、一生懸命描いた推しカプの絵なのに、萎えてしまって申し訳ない。
これは余談だけど、"同人作家としては人気なのに同カプ内で友達ができない"っていう人は、なるべくぼっち感を出して、相手に付け入らせるスキを与えれば良いんじゃないかな。
"自分の見えないところで相手同士が絶対に連絡を取り合っている"のが透けてる相手に対しては、仲良くなろうと思うだけ無駄だって判断しないと精神衛生に悪いから、外からは声をかけにくいよ。
友達を増やしたいって立場なら、今いる友達とのやりとりはオープンなものじゃないと、そこに割り込もうなんて発想になる人間はそうそういないと思う。
そもそも自分から友達になりたいなと思う人間にアプローチしてほしい。界隈がそういう理論でまわっていくなら、こうやって外野が人間関係にヤキモキすることも減るだろうし。人気関係のいざこざは増えるかもしれないけど。
さらに余談だけど、"同界隈の害悪マウント女が囲っていた絵師"との繋がりを透けさせた字書きのところに、即座に焼きマロ入ってて笑った。
害マ女すぐ焼きマロ入れるタイプだし、同カプ内を攻撃するなんてレアモンスターを私は害マ女しか知らないから、またあいつかよって思った。
害マ女に関わって同カプから退いた描き手が何人かいるのだけど、この字書きとは表では仲良い振りをし続けてきているから、これから他界隈を巻き込んだ大炎上にならないかドキドキしている。
あー同人女ってめんどくさ
両親は共に49歳。書籍の書庫と漫画だけの書庫が1部屋ずつあるぐらいの本好き。
子どものころから姉と漫画の書庫に入り浸って片っ端から読んだ。
その中から、昭和の漫画で面白かった記憶のある作品を30作並べた。
作者が重複しないようにしたので、純粋な「最強順」ではない。
あと、30作並べた段階で、本当に昭和の作品なのかを確認したところ、完結が平成にかかっていたとか、よく考えてみればまだ連載中だったとかいった作品が4つあったので、昭和で完結した作品を4つ足して計34タイトルになった。許せ。
最初は父と母のどちらの蔵書かも書いていたのだけど、ごちゃごちゃするので省いた。
要はhttps://anond.hatelabo.jp/20220510105802の便乗だが、記憶をたどり、本当に昭和の作品かを確認するのにえらく時間がかかった。
32 きまぐれオレンジ☆ロード(まつもと泉)
30 闇のパープル・アイ(篠原千絵)
22 はっぽうやぶれ(かわぐちかいじ)
19 僕の唄は君の歌(柴門ふみ)
作者しばりで入れなかったもの
・愛のさかあがり(とり・みき)
作者のウェブサイトが見つかったのだけど、どうやら連載は昭和のうちに終わったものの、単行本は平成になってから出たらしいので除外した。
http://naomipro.com/manga-archive/asasuzume/
父と母が付き合ったきっかけがこの漫画って聞いた。確かにめちゃくちゃ面白いんだけど(実はヤヌスの鏡よりも好き)、こっぱずかしいので除外した。
【追記】
元ネタに合わせて1万冊のままにしたけれど、たぶん1万冊まではない。
【追記2】
父が母におすすめの少女漫画を尋ねて、母が「金と銀のカノン」を貸したらドはまりして、それから本の貸し借りを頻繁にするようになったらしい。
(noteの転載ですhttps://note.com/suzushiroz/n/n137cce73da58)
撮った写真を見返していたら涙が出てきて気づいたら止まらなくなってしまった。
今まで撮らせていただける方を撮っていたのが、初めて"好きな人"を撮ることになった。
そもそも身の回りで被写体をしてくれる女性が少なかったから、やっていただけるだけでありがたいと思っていたのですが、
本当に自分が好きな人(=撮りたい人)を撮影できたことが本当に幸せだったし嬉しかった。
幸せだし嬉しい気持ちも(撮ったものも喜んでもらえたし)は多いにあるけど、
彼女と一緒にいられる時間がカメラマンと被写体の関係しかない(元々知り合いだったのでそれだけというわけではないけど)ということが今後続いていくことを考えるとしんどくなってしまいました。
その"しんどさ"の根本解決として最終的には素直に気持ちを伝えることが必要だと思いますが、改めて初心に帰ると今僕ができることは良い写真を撮ること、
彼女の人生の時間を記録することができていること自体が奇跡みたいなものなので、生き急いでそれを壊すようなことはしたくないなとか思ったり、でも本心はもっと同じ時間を共有することができたら…と頭の中がずっとごちゃごちゃしています。
何を言いたいかまとまってないし自分を肯定したいだけの文章になってしまったかもしれないけど、とりあえずどっかに書いておいてどこかの誰にかに見てほしかったので残しておきます。
①先日起きたバスでの話
次女は保育園の待機児童のため、バスと徒歩で45分ほどかかる一時保育に週2日通っている。
保育園の登園時間は出勤時間とかぶるため、朝のバスは大抵混雑していて、座席は空いていないことが多い。
そのため、保育園の荷物(お昼寝用バスタオルなんかも入っていて結構大きい)を持って、子どもと立って30分弱バスに揺られることになる。
バスはカーブの多い道を行くので、けっこう揺れます。2歳の次女では踏ん張れずに転倒することがあるので、保育園の荷物は大型のリュックサックにつめ、両手で子どもを支えている。ぐずればバス内で抱っこすることもある。
リュックサックが邪魔になるといけないので、スペースの広い優先席付近(バスの真ん中の出入口付近)にいることが多いのだが、優先席含めバスで席を譲って頂けることはめったにない。
先日バスが急停車して、大人も転倒しかけたが、次女は前方に吹っ飛んた。次女は泣き出し、私は子どもに支えられなかったことを謝りながら抱っこした。
運転が荒い様子だったので、今日は子どもだけでも座らせてもらえないかな、と優先席の方を見ると、会社員と思われるスーツ姿の男性が3人座っていた。示し合わせたように全員が目をいっせいにそらして、1人は目を閉じ、1人はスマホに目を落とし、もう1人は私の顔を見て舌打ちした。
まぁそんなもんか…と、こんな(´・ω・`)顔をしてしょんぼりしていると、同じく保育園に向かうとおぼしき5歳くらいの女の子が、「ママ、どうしてあの赤ちゃんのお席がないの?」と言ったのだ。
「ひえっ」と思いましたが、女の子のお母さんはもっと「ひえっ」と思われたことだろう。お母さんは小声で「大きな声出さないの」と女の子をなだめている。女の子にもお母さんにも巻き込み事故で本当に申し訳ない。
結局、後方の座席に座っていたお姉さんがわざわざ立って声をかけてくださり、そこに子どもを座らせてもらえることになった。ありがたやありがたや。
個人的には、未就学児がバスや電車で立っていれば、特に求められていなくても座席は譲るようにしている。子どもはけっこう簡単に吹っ飛ぶ。もちろん親が支えるだろうが子どもが吹っ飛ぶような場面では大人も踏ん張れないことが多いので、ケガをしたら危ないと思うから。
そういうものだと思っていたのだが、どうも一般的ではないようなのでネットの意見を調べてみた。
「子ども 席 譲る」というキーワードの第一位で出てきたのがこの発言小町。
https://komachi.yomiuri.co.jp/topics/id/504896/
子供に席を譲りますか? : 生活・身近な話題 : 発言小町 : 読売新聞
圧倒的に「譲らない」という意見が多くて驚きました。まじか!
がるちゃん
https://girlschannel.net/topics/2193774/
こっちはもう絶句
・遊びに行くなら元気な子だろうから譲らない
・親が申し訳なさそうにしてたり子どもをちゃんとたしなめてたら譲ってあげてもいい
これ…これは…本気なの?バイアスがかかってるんじゃなくて、日本の一般的な概念がそういうものなの?
「子どもは立つべきだから躾のためにも私は立ちません(`・ω・´)」ていう方、いや、親が自分の子どもに教えるのはまだわかるんだけど、普段なら関わろうとさえ思わないであろう見知らぬ他人の子どもに対して、なんで電車の中だけ突然「この子の躾のために私は立ちません」ていう距離感になるのかが理解できない。「躾ですからね」って書いた人は全員近所の子にも普段から注意しているのか。そんなわけあるまいに。
子どもは半額料金というけれど、別に子どもが料金を決めたわけじゃないし、正規料金の大人の方が偉いし優遇されるべきだっていうのもちょっと意味がわからない。料金によって待遇に変化をつけるかどうか決めるのは交通会社で、ただの乗客には何の権利もない。
立って身体を鍛えろっていうけど、未就学児が身体を鍛えるべき場所として電車やバスが適切なの?
元気そうな子なら譲らない、遊びに行く様子なら譲らない、態度が悪いなら譲らない、ケガしてたら譲るけど、申し訳なさそうにしてたら譲るけど、って、何だろうその細かい条件分けは。席ゆずるときに皆相手を自分のチャートに乗せて、「遊びに行く感じではない、よしOK。なんだか疲れている、よしOK。親が子どもにちゃんと立ちましょう、がんばってって言っている、よしOK、譲るか」とか考えてるのか。
「座席を譲る」行為なんて、相手がどうのとか状況がどうのとかじゃなくて、「座席が必要そうな人がいたら、可能な限り譲る」とか、そういうシンプルなもんじゃないのか。
「座席を譲りたくない」から、一生懸命それらしい理由を並べ立てているだけに見えるのは、私だけなのかな。
「座席を譲ったら、譲られるのが当然と思うわがままな子になる」という意見もあったけど。これ「抱っこすると抱き癖がつく」みたいな思考に近いものを感じた。大人が思いやりを示さないのに、優しい子が育つとも思えないんだけども。
自分の子がワガママを言っていたら、それをなだめる義務は親にある。でもまわりの大人は、「そうだそうだ、お前は立ってろ」じゃなくて、立ち上がって「君に席を譲るよ。だから君も、いつか座席が必要な人に出会ったら、気持ちよく席を譲れる子になってね」って伝えてあげることのほうが、よっぽど子どもの躾には有効なんじゃないかなぁ。
長々書いたが、端的にいえば「立てる状況であれば、子どもに席を譲ってもらえるととてもありがたい」という話。子どもは吹っ飛んで本当に危ないので…。
状況や態度が気に食わないということもあるかもしれませんが、親子がどうあれ「吹っ飛びやすい」という事実は変わらない。また、態度の悪い親子は、その場で他人の大人が「座席を譲らない」という躾に出たところで、改善される可能性は低い。
だから、ごちゃごちゃと「席を譲る条件」を頭で並べ立てるんじゃなくて、「席が必要そうな人がいて、自分が立てそうなら譲る」っていう考え方の方が、私はシンプルで好き。
まぁ、私の場合は、「相手がどんな態度であろうと、座席をすみやかに優しく優雅に譲るワタシ、カッコイイ」みたいな、妙なナルシズムがあるのかもしれないけど。
昔、バリバリの不良のお兄ちゃんが電車で杖をついたばーちゃんに、「おう、ばーさん!座れや!」って親指立ててたの超すてきって思ったし、短期留学してたニュージーランドで、頭がパイナッポーみたいな兄ちゃんがバスで子どもに「ベイビー、危ないからここ座りな」って座席譲ってたのも超クールって思ったし。
「子どもに席を譲る必要なんてありませんよ、子どもは立っているべきです(キリッ)」なんて「べき論」より、「立てる状況ならすみやかに立ち上がり、『ここにどうぞ。ママとお出かけかな?楽しみね』って優雅に微笑みましょう。あなたのモテ度がぐっと上がります」みたいな回答が、こういう掲示板に増えるような、そんな国になったらいいのにな。
仕事で失敗して軽いうつ病みたいになって、パソコンの前で何もできず頭がぐるぐるするだけで、仕事は進まず、当然スランプで、
藁にもすがる思いでヤクルト1000とスマートドラッグ(もちろん合法)を試した
ヤクルト1000はストレス改善とあったので飲んでみたがそれについてはまったくきかなかった(ただ、入眠困難が治ったのでよかった)
もう一つ、昔興味本位で買ってみて「全然効果ないなあ」と思ってタンスの肥やしとなっていたスマドラを発見し飲んでみた
最近はずっと頭の中がずっとごちゃごちゃした妄想に支配されていたのが解消された
プラシーボ効果なのかもしれないが、こんなふうに仕事中+残業中もずっと仕事できたのは本当に久しぶりだ
しかも前は集中できないからとおやつをつまんでばかりだったのが、それもなくなった
もちろん、魔法の薬ではないので、飲んだ瞬間バリバリ仕事ができる人間になれたわけではないというかやっぱ仕事は全然できないままなんだけど
自分の中では今日は結構良いパフォーマンス出せたかな~って日を意図的に作り出せる感じ
もう少しだけ、まあクビになるまでは仕事を続けてみようと思った
いろんな業務がある中で、ひとつ「当直日誌の押印」というものがあった。
病棟当直した医者が毎日日誌(といっても○人急変、死亡、とか簡潔にふたことみこと書いてあるだけ。3割くらいは自分の名前しか書いてない)をつけていて、月末に1か月分まとめて全員分の押印をしていくのが仕事だった。
当直は3年目専攻医(数か月単位で診療科をローテーションしてる若手)もやるので、人がコロコロ入れ替わる。つまり、必要な印鑑がどんどん増えてくる。
でも3年目専攻医はほとんどが半年~1年で病院を出てしまうのでわざわざ病院に印鑑を残すほどじゃない。でも印鑑は押さなきゃいけない。どうするか。
古い印鑑の中で同じ苗字があればそれを使うし、なければ一番似ている気がする印鑑を適当に選んで押す(「伊藤」だったら「佐藤」つかう、みたいな)。医師の名前欄とちょっとかぶせて見えにくくするのがポイント。
画数が多ければ多いほどごまかしやすいので助かるし、画数が少なくても適当にハンコのふちとかつかって二度押しすればそれっぽくなる。
どうしても似た苗字が見つからなかった時だって問題ない、篆書体で書かれた漢字なんて書道に造詣深い人間くらいしか解読できないんだから、なんかごちゃごちゃっとした感じの篆書体印鑑探せばいい。自分の時は「後藤」の篆書体を乱用してた。ありがとうかつていたはずの後藤先生。
この日誌を回収して確認して保管するのは医事課の仕事。医事課のオバハンたちは印鑑見比べることしか仕事ねーんか?みたいな人はいないので、とりあえずハンコさえ押してあれば別に何も言わない。
詳しくは知らないんだけど、病棟当直についての日誌は毎日ちゃんとつけて何年以上保管すること、みたいなきまりがあるらしくて、そのため。押印する理由については知らない。でも正直意味ないと思う。だって医者でもなんでもない自分が、適当にその先生のものでもない印鑑押してるだけから。
このペーパーレスの時代にいつまでこの制度続けんのかなー日誌も紙で残してるしアホだなーと思いつつ、ま、あと10年は変わらないだろうなーと思った。
ハードコアか?
この作者はソードアートオンラインのコミカライズも担当してたんだけど、たまにチラと試し読みする程度だったけど、物凄く漫画が下手なのが印象的だった。
1ページあたりの情報量が少ない、背景が下手、無駄なシーンが多い、コマ割りが下手、とにかく作品としてちゃんと作られてるようには見えなかった。
でもイラストメインで活躍している作家さんにありがちなので特に気にしなかった。
たわわが広告になるあたりでTwitterに作者の名前が出てきて、一部無料のたわわを読めるみたいだから読んでみたらおどろいた。
物凄く漫画が上手くなってる。
背景を含めた画面作りが特に素晴らしい。普通なら書き込みすぎるとごちゃごちゃして見辛くなるんだけど、ちょうどいい書き込み量。
コマの配置や構図もよく練られてると感じる。
アニメのコミカライズを担当する作家さんは、10冊近く単行本出してもまだ漫画が下手という人も当たり前に居るんだけど、たわわの作者の成長っぷりはよかった。