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2018-02-23

南アジア中央アジア諸国歴史的英雄

anond:20180221160703

インドシヴァージー(1627-1680)ラーター王国建国者ヒンドゥー教徒を糾合し、周囲の各イスラム王朝と対決した。特にムガル帝国に対しては、大々的にゲリラ戦を展開して、当時のムガル皇帝アウラングゼーブを苦しめた。敬虔ヒンドゥー教徒であり、イスラム勢力と戦って独立を勝ちとったために、ヒンドゥー教国のインドでの人気が高い。
パキスタンアウラングゼーブ(1618-1707)ムガル帝国皇帝兄弟同士の後継争いを制し、父親幽閉して即位した。数十年にわたって帝国を栄えさせたが、晩年は長引くヒンドゥー勢力との戦いで財政悪化国土の荒廃を招き、己の統治の失敗を嘆きながら亡くなった。厳格なムスリムとして、ヒンドゥー教徒を激しく弾圧したため、イスラム教であるパキスタンでの人気が高い。
ネパールアマル・シンハ・タパ(1751-1816)ゴルカ朝の名将。ゴルカ朝がネパール統一したあと、アマル・シンハはさらに西へ進軍して領土を拡大した。その後、グル戦争において主力を率いて奮戦するもイギリス軍の前に敗れ去り、失意の彼は聖地サインクンドへ行きそこで亡くなった。グル戦争における彼らの戦いぶりが今も恐れられるグル傭兵誕生につながるのだが、それはまた別のお話。え、「ネパール釈迦だろ」? うん、そうね。
バングラデシュカン・ジャハン・アリもとはインドトゥグルク朝貴族で、ティムールトゥグルク朝を破ったあと、ベンガル地方にやってきて森林を切り開き、いくつかの街を建設して、その地を支配した。イスラム聖者ともされて、彼が建設したモスク群は世界遺産登録されている。
スリランカドゥッタガーマニー(前161-137)タミル人を打ち破り、初めてセイロン島を統一したシンハラ人の伝説的な王。実在はしたらしい。現在でも、タミル人との民族問題となると、シンハラ人がドゥッタガーマニーを持ち出すらしい。
ブータンガワン・ナムゲル(1594-1651)ブータンの高僧にして初代シャブドゥン。チベット仏教ドゥク派の後継争いに敗れてブータンへ逃れてきたあと、たちまち国内統一すると、各地に城砦建設し、たびたび侵入してくるチベット軍やモンゴル軍をことごとく打ち破った。
モルディブハメド・タクルファーヌ(?-1585)モルディブ植民地とし、キリスト教への改宗を迫るポルトガルから独立のため、島から島へと移ってゲリラ戦を展開し、八年の戦いの末にポルトガル人追放し、ウティーム朝を建てた。
カザフスタンアブライ・ハン(1711-1781)「大いなる災厄」と呼ばれたジュンガルの侵攻のなかで勇敢に戦ったため「英雄」と呼ばれ、やがて大きく三つに分かれていたカザフ部族連合の上に立ち、清とロシアの双方から「ハン」と認められるようになった。彼の死後、カザフロシアに対抗できなくなり、その統治に組み込まれていく。
ウズベキスタンティムール(1336-1405)モンゴル帝国の後継を名乗り、中央アジア大帝国を作り上げた世界史上屈指の軍事的天才オスマン帝国との戦争でその皇帝捕虜にしたアンカラの戦いは特に名高い。明との決戦へと向かう途上で死去した。
タジキスタンスマーイール・サーマーニー(?-907)サーマーン朝最盛期の君主。サーマーン朝はタジク人最後独立王朝でもある。サーマーン朝が滅びた後、この地域トルコ系、ウズベク系、そしてロシアの影響下に置かれ続けることになる。タジキスタン通貨ソモニ」はサーマーニーに由来する。
トルクメニスタンアルプ・アルスラーン(1029-1072)セルジューク朝スルタン。名高き宰相ニザームルムルクを重用して国力を高め、東ローマ帝国と戦ってその皇帝捕虜とした。セルジューク朝は「トゥルクマーン」という遊牧民建国したのだが、トルクメン人と「トゥルクマーン」の関係は明らかになっていないらしい。にもかかわらず、トゥルクマーンが建国したセルジューク朝スルタンや、伝説上のトゥルクマーンの祖とされるオグズ・ハンを、トルクメニスタン英雄視しているのは、そこに民族ルーツを求めているかなのだろうか。
キルギスマナス(?-?)世界最長と言われるキルギス英雄叙事詩に謳われる王。オイラト人の支配下にあったキルギスに生まれオイラト人やキタイ人と戦って勝利し、キルギスの王となり、北京への大遠征成功させた帰りに、敵の斧を頭に受けて死んだという。実在たかはよくわからない。実在が確実なクルマンジャン・ダトカのほうがいいかもしれない。
アフガニスタンアフマド・シャー・マスード(1953-2001)アフガンに侵攻したソ連軍を幾度も撃退して「パンシール獅子」と呼ばれた。タリバン政権に対抗する北部同盟の中心人物として活躍したが、9.11の二日前に暗殺された。あんまり最近の人は入れないつもりだったけど他にいないのでは。

2017-05-09

から揚げレモン問題増田考える得願化出す魔をイ段紋漏れ毛アラか(回文

たびたび、

増田で見掛ける話題

から揚げレモンかけるかけない問題って出てくるんだけど、

まぁ、私にとってはどちらでも委員会に入ってる手前、

正直どっちでも医院だけどね!

って主治医が言ってたわ。

でね、

私思っちゃったの。

から揚げレモン問題解決する画期的調理法

それはレモン油を使って揚げること。

揚げたてレモンの爽やかな香りがして

とても不思議から揚げよ。

レモンの産地ならではの瀬戸内海産のレモンから作られたレモン油。

なかなか希少らしくって、

もこみちオリーブオイル

トルコの塩かけヌスラトガネーシュシェフばりなレアさよ。

でも、これでから揚げレモンかけるの賛成さんとかけるの反対さんが仲良くなれるわ。

それよりもさ、

あの、トルコシェフが使ってる

ディックの肉切りナイフ

めちゃくちゃ欲しいわ!!!

ペルシャシャムシールの剣みたいに

反り上がっててカッコいいわよ。

切るときはちゃんと左手猫さんの手で添えてね。

よく切れるからね!

切れ味は抜群なのよ。

丁寧に猫さん手にして添える割りには

その後の雑に肉をポイって放り投げるところがワイルドわ!

彼の店がアンカラにあるなら

友だちに偵察行ってきてもらおうと思ったんだけど、

どうやら

飛んでイスタンブールにあるんだって

ちょっと遠いわね。

ディックの肉切りナイフがカッコいい!って思ったわ。

うふふ。


今日朝ご飯

商品サンドイッチ見付けたわよ!

クリームチーズブルーベリーサンドイッチ

デザートサンドしらね

甘いけど美味しいわ。

クリームチーズから

生クリームみたいにモッタリ甘み感がなくってさっぱりよ。

今日デトックスウォーター

水出し緑茶ウォーラー

朝の目覚めにスッキリとした爽やかな味わい。

普通急須に入れる普通お茶っ葉で水出し出来ちゃうのよ。

よく、水出し用的なの売ってるけど、

普通お茶っ葉でもOK

一晩付けて置いておけば、

雑味のない、急須でいれるお茶とはまた違う感じ。

試したことない人は試してみてね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2016-12-25

2016年グローバリズム終焉した年だった

1月1日 - イスラエル中部テルアビブで銃乱射が発生、9人が死傷

1月3日 - サウジアラビアイランとの外交関係断交

1月11日 - イラク連続テロが発生し48人が死亡

1月12日 - トルコイスタンブールで爆発、10人が死亡、トルコ政府ISILによる自爆テロとの見解

1月14日 - インドネシアジャカルタテロ・銃撃戦、被疑者ISILと関連

1月16日 - 2016年中華民国総統選挙民進党蔡英文当選

1月30日 - シリア首都ダマスカスで爆発、45人が死亡、100人以上が負傷、ISIL犯行声明

2月7日 - 北朝鮮人工衛星と称するミサイルを発射

2月15日 - 保育園落ちた日本死ね

2月20日 - アメリカミシガン州無差別発砲の銃撃事件、5人が死亡

3月20日 - アメリカ合衆国大統領バラク・オバマキューバ訪問

5月9日 - フィリピン大統領選挙、ドゥテルテ当選(→麻薬戦争8月までに1000人以上死亡)

5月26日~27日 - 第42回先進国首脳会議

5月27日 - バラク・オバマが現職アメリカ合衆国大統領として初めて広島市訪問

4月3日 - パナマ文書公開

6月12日 - アメリカフロリダ州銃乱射事件、50人が死亡、ISIL系のサイト犯行声明

6月22日 - 北朝鮮が中距離弾道ミサイル2発を発射

6月23日 - イギリス欧州連合離脱是非の国民投票欧州連合 (EU) 離脱支持票が過半数を占める結果

6月25日 - アジアインフラ投資銀行の第1回年次総会

6月26日 - 拡張された新しいパナマ運河が開通

6月28日 - トルコイスタンブール空港テロ、死者36名、負傷者140名

6月29日 - 北朝鮮で第13期第4回最高人民会議

7月1日 - バングラデシュ首都ダッカにて、武装集団による襲撃・人質立てこもり事件、死者28人、負傷者50人、ISIL系のメディア犯行を認める声明

7月3日 - バグダードのカッラー地区繁華街爆弾を積んだ冷蔵トラックが爆発、200人以上の犠牲者

7月6日 - Pokémon GOサービス開始

7月7日 - アメリカで5日と6日、警官黒人男性が射殺されるケースが相次ぎ、全米で抗議活動が広がる中、テキサス州ダラスで7日夜、デモ警戒中の警察官5人が射殺される事件が発生

7月10日 - 日本で第24参議院議員通常選挙自公連立与党は合計70議席を獲得し勝利

7月12日 - (南シナ海に関して)フィリピンが「中国の主張は国際法違反」と訴えた仲裁裁判違反判決(→中国はそれに従わず

7月14日 - フランス南部ニーストラックテロ事件、84人が死亡、202人の負傷者、ISILの関連性

7月15日〜16日 - トルコで軍の一部によるクーデターが発生、未遂ながら200人を超える死者

7月17日 - アメリカルイジアナ州バトンルージュ警察官が銃撃を受け3人が死亡、3人が負傷

7月22日 - ドイツミュンヘン銃撃事件が発生。犯人を含み10人が死亡

7月26日 - 日本相模原障害者施設殺傷事件が発生。19人が死亡

8月5日 - 第31夏季オリンピック

8月8日 - 日本天皇生前退位問題に対してのお気持ちビデオメッセージで発表

9月4日 - 香港にて第六回立法会議員総選挙親中派は40議席、非親中派は30議席

9月7日 - 第15回夏季パラリンピック

9月9日 - 北朝鮮建国記念日に核爆発実験実施

9月14日 - 内戦が続くシリアで、米国ロシア仲介によって、アサド政権反体制派の停戦が発効

9月15日 - 4ヶ月で大学中退起業します。レールに沿ったつまらない人生はもう嫌だ。

9月17日 - 2016年マンハッタン爆発事件が発生、負傷者25人

9月22日 - バハマ文書公開

10月2日 - コロンビア内戦終結国民投票、僅差で否決

10月17日 - イラクハイダル・アル=アバーディ首相ISILに占拠された北部都市モスルの奪還作戦を開始と発表

11月9日 - アメリカ合衆国大統領選挙共和党ドナルド・トランプ民主党ヒラリー・クリントンを退けて当選

12月15日 - 日本安倍晋三首相ロシアウラジーミル・プーチン大統領が、山口県長門市で日露首脳会談

12月18日 - ヨルダン武装集団警官襲撃 観光客ら10人死亡

12月19日 - ドイツベルリンで行われていたクリスマスマーケットトラック突入、多数の死傷者

12月19日 - ロシアの駐トルコ大使アンカラトルコ人警察官に銃撃され死亡

12月19日 - スイスチューリヒイスラム教関連設備侵入した男が機関銃を発砲し3人が負傷

12月22日 - シリア政権反体制派が拠点としてきた要衝アレッポを完全制圧したと発表

事故災害は省いています

エンタメスポーツは一部を除き省いています

過不足の指摘などいただければ。

2015-10-16

世界の名争50戦

前1285カデシュの戦いエジプトの大ファラオ・ラムセス2世と、製鉄技術で名高いヒッタイトの王ムワタリの戦い。戦況が膠着状態に陥った後、ムワタリが停戦を申し入れ、ラムセス2世が受諾した。これは記録に残る最古の戦争であり、記録に残る最古の平和条約でもある。
前479プラタイアの戦い古代ギリシアペルシアの一連の戦争における決戦。数十万を誇るペルシア軍の攻勢を、一万のスパルタ軍だけで防ぎ止め、押し返し、打ち破った。これによりギリシアからペルシア軍は駆逐され、スパルタは前年のテルモピュライの戦い(映画『300』で有名)の雪辱を果たした。
前371レウクトラの戦い古代ギリシア都市国家テーバイスパルタの戦い。テーバイのエパメイノンダスが編み出した、兵力を左翼に集中する戦術「斜線陣」により、精強を誇ったスパルタファランクスは打ち破られた。皮肉にも、後に斜線陣はテーバイではなくマケドニアに伝わり、ギリシア諸都市はその戦術によって敗れ去ることになる。
前331ガウガメラの戦い「大王」アレクサンドロス3世率いるマケドニア軍とアケメネス朝ペルシア軍の戦い。マケドニア軍の重装歩兵ペルシア軍を受け止めているあいだに、アレクサンドロス自らが率いる騎兵がペルシア軍にできた間隙を衝く、いわゆる「鎚と鉄床」戦術によってマケドニアが勝利し、大国ペルシアは滅びた。
前260長平の戦い中国の戦国時代、趙の老将・廉頗の持久戦術に手を焼いた秦は、情報工作によって廉頗の悪評を流し、若い趙括と交替させた。趙括は勢い込んで秦との決戦に挑んだが、秦の名将・白起によってあっけなく包囲殲滅された。四十万人の捕虜が虐殺されたという。秦の中華統一の過程において最も大きな勝利の一つである
前216カンネーの戦いアルプスを越えてイタリア半島に侵入したカルタゴの名将・ハンニバルが二倍の兵数のローマ軍に大勝した戦い。中央の歩兵が敵を受け止め、両翼の騎兵が敵側背に回り込む、「包囲殲滅」戦術の鮮やかな見本として史上に名高い。しかし、そのハンニバルも後にザマの戦いで敗れ、地中海の覇権はローマのものとなっていく。
前202垓下の戦い秦が倒れた後、中華を二分して戦っていた楚の項羽と漢の劉邦は、互いに疲弊したことで和睦を結んだ。しかし、劉邦は直後に盟約を破り、引き上げる楚軍に襲いかかった。「四面楚歌」となった項羽は、最後の力を振り絞って包囲を破るも、衆寡敵せず自害した。天下は漢のものとなった。
前48ファルサルスの戦い古代ローマ代表する二人の軍事的天才、カエサルポンペイウスの戦い。カエサルは、包囲を狙うポンペイウスの騎兵を重装歩兵で囲い込み、投槍を投げずにそのまま騎兵の顔や目を刺すよう指示して打ち破った。勝利したカエサルローマの実権を握ったが、やがて暗殺されることになる。
前31アクティウムの海戦カエサルの跡を継いだオクタウィアヌスとその政敵アントニウスの戦い。しかし、アントニウスとその愛人クレオパトラは、本拠地エジプトへ逃れることを優先してすぐに戦場を離脱、取り残されたアントニウス軍は壊滅した。アントニウスクレオパトラは自殺し、数年ののちにオクタウィアヌスは初代ローマ皇帝となる。
23年昆陽の戦い漢から帝位を簒奪した王莽に反発して「赤眉の乱」が起こる。昆陽に篭もる赤眉軍は、実数でも40万と言われる王莽軍に包囲されたが、リーダーの一人である劉秀は数千の兵とともに敵の中枢へ突撃を敢行、王莽軍は大混乱に陥り全滅した。主力を失った王莽はまもなく滅亡。劉秀はのちに光武帝として後漢王朝を開く。
208赤壁の戦い三国志に名高い一大決戦。中原を制し、中華統一を目指して大軍を南下させた曹操だったが、見知らぬ土地での疫病、慣れない水上戦に悩まされ、呉の都督・周瑜の火計によって打ち破られた。呉に協力していた劉備は、勝ちに乗じて荊州の南部を占拠し、後の飛躍へと繋げた。
383淝水の戦い五胡十六国時代、前秦皇帝・苻堅は天下統一を狙って百万を号する大軍を南下させ、東晋の将軍・謝石と謝玄が数万の軍でそれを迎え撃った。苻堅は異民族の融和を目指した理想主義的な君主だったが、異民族の混成軍は実際には統率がとれておらず、偽装後退を命じたことが本当の撤退と勘違いされ、前秦軍は自壊して潰走した。
451カタラウヌムの戦いフン族の王アッティラの侵略に対して、西ローマ帝国の名将アエティウスと西ゴート王テオドリックなどが連合して挑んだ決戦。痛み分けに近いものの、西ローマ帝国軍の勝利に終わった。のちにアエティウスの武功を恐れた西ローマ皇帝は彼を暗殺した。この戦いから二十五年後に西ローマ帝国は滅びた。
506鍾離の戦い数十万の大軍同士が激突した南北朝時代最大の決戦。北魏軍は、河に橋を掛けて梁の鍾離城を攻め立てていたが、長雨もあり戦いは長期化した。救援に来た梁の智将・韋叡は、増水に乗じて戦艦を走らせ、北魏が掛けた橋を焼き払った。大混乱に陥った北魏軍は十数万の死者を出して敗走した。
530ダラの戦いサーサーン朝ペルシアの大軍を東ローマ帝国のベリサリウスが破った戦い。ベリサリウスはあえて要塞から出て敵の攻撃を誘うと共に、壕を掘って相手の中央突破を防ぎ、伏兵を巧みに使って撃破した。その後、ベリサリウスは中世欧州最高の名将として、東ローマ帝国の最大版図を現出させる。
627ハンダクの戦い初期イスラムの三つの戦いの一つ。敵対するメッカ軍に対し、ムハンマド率いるメディナ軍は数で劣ったため、ペルシャ人技術者の進言で「ハンダク=塹壕」を巡らせた。メッカ軍は初めて目にする塹壕を突破できず、メディナ攻略を諦めた。以降、アラブ世界におけるイスラムの優位が確立された。世界初の塹壕戦とも言われる。
636ヤルムークの戦い「神の剣」ハーリド率いるイスラム軍と、皇弟テオドロス率いる東ローマ帝国軍の戦い。砂漠の戦闘に慣れたイスラム騎兵が東ローマ帝国軍を渓谷に追い込み撃滅した。イスラム軍は、直後のニハーヴァンドの戦いを経てサーサーン朝ペルシアをも滅ぼし、ここにイスラム帝国が興隆することとなった。
732トゥール・ポワティエ間の戦いイベリア半島から侵攻したウマイヤ朝イスラム帝国と、フランク王国の宮宰カール・マルテルの戦い。イスラム騎兵の猛攻をフランク重装歩兵が跳ね返し、撃退した。イスラム騎兵の強さを痛感したマルテルは、直属の臣下に土地を与えて「騎士」制度を創設し、これが欧州の封建制へと繋がっていった。
751タラス河畔の戦い西へ拡大する大唐帝国と東へ拡大するアッバース朝イスラム帝国中央アジアにおいて衝突した戦い。唐の同盟者ウイグル族に従っていたカルルク族が裏切ったことでアッバース朝が大勝した。これによって、唐の伸張は止まり、中央アジアイスラムに帰し、そして製紙法が西方に伝播した。
1098アンティオキア攻囲戦第一回十字軍は、半年以上の攻城戦の末にアンティオキアを陥落させたが、遅れて到着したイスラム諸国連合軍七万によって逆に包囲されてしまう。しかし「聖槍」の発見で士気を高めた十字軍は、城外に打って出てイスラム軍を打ち破った。次の年にはエルサレムを陥とし、まさしく奇跡的に十字軍成功に終わった。
1141カトワーンの戦いイスラムセルジューク朝を復興させたサンジャルと、遼の再興を掲げて中央アジアに覇を唱えた西遼の耶律大石との戦いで、西遼軍がセルジューク朝軍を包囲殲滅した。セルジューク朝は再び衰退、まもなく耶律大石も亡くなったことで西遼も勢いを失った。この戦いがプレスター・ジョン伝説の原型となったという。
1187ヒッティーンの戦い暑さと渇きに苦しむエルサレム王国軍に対し、イスラムアイユーブ朝サラディンは、夜通し弓矢で攻め立てて士気を挫き、野に火を放って追い詰め、壊滅させた。聖地エルサレムは再びイスラム勢力のものとなった。その奪回のために第三回十字軍、すなわちサラディンと「獅子心王」リチャードの戦いが開始される。
1212ナバス・デ・トロサの戦いイベリア半島で争っていたキリスト教諸勢力が、教皇インノケンティウス3世の要請により連合してイスラム勢力を迎え撃った、「レコンキスタ」最大の決戦。イスラムムワッヒド朝の十二万の大軍が悠然と構えるのに対し、連合軍は猛烈な突撃を敢行。ムワッヒド軍は十万とも言われる被害を出して敗走した。
1214ブーヴィーヌの戦いフランスの「尊厳王」フィリップ2世と、神聖ローマ帝国イングランド王国などの連合軍の戦い。フィリップ2世は北へと逃げてブーヴィーヌに陣取ると、ばらばらに追いかけてきた連合軍を到着した順に各個撃破した。脆弱だったフランスが強国として台頭し、またイングランドで大憲章が成立するきっかけともなった。
1241モヒの戦いバトゥ率いるモンゴル帝国の遠征軍に対し、ハンガリー軍は堅固な陣地を築いて健闘したが、モンゴル軍はイスラムの投石機と中国の火薬兵器で攻撃を加え、さらに周りこんだスブタイの軍によって包囲殲滅した。同時にリーグニッツでもモンゴルの別働隊が勝利していたが、オゴタイ・ハンの死を聞いてバトゥは引き返した。
1260アインジャールートの戦いモンゴル帝国西アジア遠征軍と、イスラム勢力のクトゥズやバイバルスの戦い。先鋒のバイバルス軍が退却を装い、それを追撃したモンゴル軍は、伏兵のクトゥズ軍に包囲されて壊滅した。モンゴルの西進はここで止まった。バイバルスはその後もモンゴル軍に勝ち続け、マムルーク朝実質的建国者となった。
1267襄陽・樊城の戦いモンゴル帝国のクビライ・カンは、入念な準備の上で襄陽と樊城を大軍で包囲、長大な土塁を築いて封鎖した。南宋の主力軍十万が救援に向かったがモンゴルの水軍の前に完敗した。中東由来の新型投石機「回回砲」による攻撃が開始されると襄陽・樊城は為す術なく降伏した。この敗北は南宋の滅亡を決定付けた。
1346クレシーの戦いイングランドフランス百年戦争における初期の決戦。イングランド軍は斜面にV字に長弓部隊を並べ、中央に下馬騎士を置いた。フランス軍クロスボウは射程の違いで長弓に対抗できず、重装騎兵も敵軍を突破できずに惨敗した。その後、百年戦争の終盤まで、イングランドは同様の戦術で勝利を収めていった。
1363鄱陽湖の戦い中国・元末の群雄である朱元璋と陳友諒の戦いで、それぞれ数十万人規模の大船団同士が激突した。大型の艦を鎖で繋いでいた陳友諒軍は、朱元璋が特攻させた火船によって大炎上して敗北した。この勝利により優位を確立した朱元璋は後に明の建国者となる。三国志演義における赤壁の戦いの描写はこの戦いがモデルだという。
1402アンカラの戦いニコポリスの戦いで欧州連合軍に圧勝したイスラムオスマン帝国の「雷帝」バヤズィトと、モンゴルの後継を自称して大帝国を築いたティムールが激突した戦い。結果、オスマンが敗れてバヤズィトは捕虜となり、日の出の勢いだったオスマン一時的に衰退した。ティムールもこの戦いを最後に生涯不敗のまま亡くなった。
1410グルンヴァルトの戦いポーランドリトアニア連合軍ドイツ騎士団が戦った、中世最大とも言われる会戦。リトアニア軍の偽装撤退に誘い込まれたドイツ騎士団は、連合軍の反攻によって壊滅した。この勝利のあと、ポーランドリトアニアは欧州最強国として最盛期を迎える。現代では古戦場跡で行われる祭りが有名。
1420ヴィトコフの戦いヤン・ジシュカ率いるフス派と、それを鎮圧するために結成された10万の十字軍の戦い。フス派は包囲されプラハに立てこもったが、欧州で初めて銃を装備し、武装した荷車をつなげて砦とするなど、革新的な戦術を用いたジシュカの活躍で、十字軍は撤退に追い込まれた。以降もフス派は勝ち続けていくことになる。
1450フォルミニーの戦い他国に先駆けて常備軍を創設し、長弓より射程の長い大砲を活用するなどの軍政改革を行ったフランス元帥リッシュモンは、百年戦争で負け続けだったフランス軍を立て直してイングランド軍を撃破した。このフォルミニーでの勝利は、百年戦争におけるフランスの勝利と、そして以降のフランス軍事的優位を決定付けた。
1453コンスタンティノープルの陥落東ローマ帝国首都にして史上最強城塞都市と、それを包囲したオスマン帝国軍の戦い。「ウルバンの巨砲」「艦隊の山越え」といった大仕掛けにも耐えたコンスタンティノープルだったが、施錠を忘れていた通用口からオスマン軍に侵入され、あえなく陥落した。古代から続いたローマ帝国は中世と共に終わりを迎えた。
1503チェリニョーラの戦い二次イタリア戦争におけるスペインフランスの戦い。レコンキスタにおいて攻城戦の経験豊富だったスペイン軍指揮官ゴンサロは、野戦に攻城戦の技術を持ち込んだ。長槍兵と銃兵の陣形「テルシオ」と塹壕の組み合わせによって、フランスの重装騎兵を打ち破り、欧州に野戦築城の有効性を知らしめた。
1514チャルディラーンの戦いイスラムサファヴィー朝建国者スマーイール1世は神がかり的な戦争の天才だったが、対するオスマン帝国のセリム1世は鉄砲と大砲を大量に運用して、不敗の騎兵「クズルバシュ」をさんざんに打ち破った。初めての敗北を味わったイスマーイール1世は無気力となり、サファヴィー朝の拡大は停滞した。
1588アルマダの海戦黄金時代スペインイングランドが迎え撃った戦い。接舷攻撃を企図するスペインの大艦隊に対し、ドレイク率いるイングランド海軍はヒットアンドアウェイの砲撃戦で勝利した。以降、海戦の主役は白兵から大砲へと移っていく。スペイン没落の画期とも言われるが、実際にはスペインの優位はしばらく続いた。
1619サルフの戦い女真族を統一したヌルハチ率いる後金軍と、その討伐に差し向けられた明軍の戦い。圧倒的に数で優る明軍は、四手に分かれて後金を包囲しようとしたが、全く連携が取れておらず、ヌルハチの見事な内線作戦によって各個撃破された。後金はやがて清となり、明を滅ぼすことになる。
1631ブライテンフェルトの戦い三十年戦争に参戦したスウェーデン王グスタフ・アドルフと、ティリー伯率いる神聖ローマ帝国軍の戦い。グスタフ・アドルフは歩兵・騎兵・砲兵が緊密に連携する「三兵戦術」によって、神聖ローマ帝国軍のテルシオを完全に打ち破った。この三兵戦術が近代的な軍制の基礎となる。
1683二次ウィーン包囲オスマン帝国は15万の大軍をもってオーストリア首都ウィーンを包囲したが、要塞化された都市は容易に陥落しなかった。キリスト教諸勢力は連合して救援に向かい、特にポーランドが誇る有翼重騎兵「フサリア」3000騎の中央突破によって、オスマン軍は大敗した。オスマン帝国の衰退を決定付ける戦いとなった。
1704ブレンハイムの戦いスペイン継承戦争において、イングランドマールバラ公とオーストリアプリンツ・オイゲンの名コンビが、フランス軍を打ち破った戦い。開戦後、しばらくは一進一退が続いたが、マールバラ公はオイゲンと連携して粘り強く戦い、フランス軍の両翼を釘付けにした上で手薄になった敵中央を突破して撃破した。
1709ポルタヴァの戦い北欧の覇権を握ったスウェーデンをめぐる大北方戦争最大の決戦。スウェーデンの若き天才カール12世は、並み居る敵国を瞬く間に撃破し、残るロシアに攻め込んだが、寒さと焦土作戦により疲弊、ポルタヴァで大敗を喫した。カール12世はオスマン帝国に亡命し、スウェーデンの「大国時代」は終わりを迎えた。
1757ロイテンの戦い七年戦争プロイセンの「大王」フリードリヒ2世とオーストリア軍の戦い。斜めに行軍して敵の側面に回りこみ火力を集中させる「斜行戦術」により、プロイセンは倍する敵に勝利した。その後も、イギリス以外のすべての国を敵に回した状況で、フリードリヒ大王は粘り強く戦い抜き、七年戦争プロイセン優位に終わった。
1781ヨークタウンの戦いアメリカ独立戦争。チェサピーク湾の海戦でフランス海軍に敗れたことにより、ヨークタウンに篭もるイギリス軍に支援は届かず、彼らはアメリカ軍に包囲された。イギリス軍は幾度かの抵抗の後に降伏し、この戦いが事実上の終戦となった。勝利の立役者となった総司令官ワシントンは、のちに初代大統領に選ばれた。
1805トラファルガーの海戦欧州を支配し、イギリス本土へ侵攻せんとするナポレオンと、名提督ネルソン率いるイギリス海軍の戦い。敵列の側面に縦列で突入する「ネルソンタッチ」によりイギリスが勝利、ナポレオンの計画は頓挫した。勝利したネルソンは、しかし狙撃により重傷を負い、「私は義務を果たした」と言い残して亡くなった。
1805アウステルリッツの戦いフランス皇帝ナポレオンと、オーストリア皇帝・ロシア皇帝が戦ったために、「三帝会戦」の異名がある。ナポレオンの正確な洞察と完璧な機動により、数で劣るフランス軍が大勝利を収めた。あえて要地を明け渡し、機を見て奪回することで敵を分断する、その華麗な用兵は「戦争芸術」と讃えられた。
1819ボヤカの戦い南米を植民地とするスペイン軍と、それからの独立を目指すシモン・ボリバル率いる革命軍との戦い。わずか三時間で革命軍の勝利に終わったが、南アメリカ諸国の独立を決定づける重要な戦いとなった。敗れたスペインは彼らの独立を承認し、ボリバル大統領とした大コロンビアが誕生することになる。
1863ゲティスバーグの戦い「鉄道と電信の戦い」となったアメリカ南北戦争、最大の決戦。鉄道と街道が集まる要衝ゲティスバーグを巡り、偵察部隊の小競り合いが発生。増援を送りあって戦闘はみるみる拡大、両軍に多大な損害を出して終わった。国力に劣る南軍にとっては、より大きなダメージとなり、名将リーが計画した北部侵攻も頓挫した。
1870セダンの戦い国民皆兵制と鉄道による大規模かつ迅速な動員、参謀幕僚制と電信による戦略レベルでの分進合撃戦術により、参謀総長モルトケの指揮するプロイセン軍が、フランス皇帝ナポレオン3世と十万のフランス兵を捕虜とした戦い。これにより邪魔者を排除したプロイセンは、「鉄血宰相」ビスマルクのもとでドイツ統一を成し遂げる。

2010-06-01

ガザ支援船団、イスラエルと対峙へ」

http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2731691/5823544

の数日前の記事を訳してみた。英国新聞ガーディアンから。

http://www.guardian.co.uk/world/2010/may/25/gaza-flotilla-aid-attempt

ガザ支援船団、イスラエルと対峙へ

イスラエル、一万トンの支援物資と40を超える国々からの800人活動家政治家をのせた、8隻の船団を阻止すると言明

2010年5月25日エルサレム発 ハリエット=シャーウッド記者

・ 何千トンもの建材・医療器具その他の支援物資をのせた8隻の船は、数日後にガザへ出航するように準備している。パレスチナ地域の封鎖を破ろうとする船を阻止すると言明しているイスラエルと対峙することになるだろう。

・ 3隻の貨物船と5隻の旅客船は、キプロス島ガザ地区の間の公海で集合し、ガザ市へ向かう計画だ。イスラエル軍は船団を阻止し、イスラエルのアシュドッド港へ曳航すると予想されている。

・ トルコから3隻を含む船団のたちあげには、アンカラの支援を受けた人道支援グループ、IHHが関わっている。トルコイスラエル外交関係は、イスラエルが2008-09年の3週間戦争の火ぶたを切ってから悪化している。船団の阻止は両国間の緊張をいや増すだろう。トルコ首相エルドアンは船団を通すようイスラエルに呼びかけた。

・ イスラエル外務省広報官パーモアは「この件はイスラエルトルコ関係をさらに複雑化させるかもしれない」と語った。

・ 船団には、一万トンの貨物と、40を超える国々からの七百人から八百人の活動家政治家が乗っている。貨物は、建材・医療品・学校で使う紙を含む。歯科手術機器一式を積んだ船もある。ガザ子供たちへのクレヨンチョコレートも積まれている。それらは寄付で賄われた。

・ 船団をたちあげたフリーガザムーヴメントバーリンは、「私たちはガザ地区の封鎖を破り、百五十万のパレスチナ人を飢えさせる権利イスラエルにないことを世界に伝えようとしている。ガザの人々によるインフラ再建のため、死活的に重要な物資を運んでいるのだ。」と語った。

・ 約三年前にパレスチナイスラム主義運動ハマスガザを掌握してから、イスラエルガザ経済封鎖しつづけてきた。ほとんど全ての輸出入は禁止され、限られた食料と医薬品の持ち込みだけが許可されてきた。

・ フリー=ガザ過去6回パレスチナへの支援船団をたちあげた。ここ3回はイスラエル軍により阻止された。今回はガザへの支援を届ける最大の試行となる。バーリンは、「これまでの船団で異議申し立てをしてきた。今回のは現実的な効果をもたらすだろう。」と語った。

・ イスラエル海軍ガザ沿岸20海里を封鎖していて、現地の漁業に壊滅的な影響を与えている。パーモアは「船団がガザの水域に入ることは許されないだろう。そこはイスラエルとの戦争を宣言した国の領域で、規制されずにガザへの出入りはできない。」と語った。

・ バーリンイスラエルの脅しを糾弾した。「彼らはガザを占領していることを認めようとしないのだから、ガザ水域を規制する権利を持たない。私たちではなく、彼らの方が非合法なのだ。」一方、イスラエル国際法の枠内で行動していると主張する。

・ トルコフェリー、マーヴィーマルマラ号は今日アンタリヤに入港した。2隻の貨物船と一緒にギリシャからの船を待っている。「私たちは数日以内に集まって出航する。」IHHのホサインは語った。

・ ガザ国連機関の長ギングは、もっと多くの支援船の来航を催促した。「私たちはイスラエルがこれらの船を阻止しないと信じている。なぜなら海洋は自由だからだ。多くの人権団体が同じような段階を踏んで成功し、ガザの包囲を破ることが可能なことを明らかにしてきた。」

・ 今週初め、3週間の軍事紛争で生じたインフラ被害の4分の3が、封鎖のために修理されないでいるという国連報告書が出た。

・ イスラエル首相報道官レゲフは、「人権活動家人権を野蛮に抑圧している体制の弁明者として活動しているのは奇妙だ。ハマス女性ゲイクリスチャンを抑圧し、独立したメディアを潰し、全ての政治的反対派を破壊してきた。」と語った。彼は毎週一万五千トンの援助物資がガザに許されていると加えた。

・ 支援船団に抗議して、イスラエル市民の乗りこんだ何ダースもの船が週末の水域を占拠した。

・船

貨物船4隻

旅客船4隻

トルコギリシャアイルランドから

旅客・貨物

40を超える国々からの七百人から八百人の平和活動家議員

一万トンの物資(以下内訳)

セメント

発電機

浄水器

学校用20トンの紙

プレハブ小屋

CATスキャナ車イス松葉杖を含む百万ドル相当の医療機器

ドリルとイスを含む歯科手術機器

サッカーボールバスケットボールを含むスポーツ器具

クレヨンとペン

チョコレート

・資金

ブルネイの個人の1.39ドルからマレーシア募金された三十万ユーロまで含む寄付

2009-07-15

イスラム諸国を「敵」にしてしまった中国

アルカィーダはマグレブ諸国で『報復』(中国人殺害)を予告

世界イスラム諸国が立ち上がった。シーア派イランでさえ中国に対して、やわらかに「調査団」の新彊ウィグル自治区への派遣を主張し始める。

 

人口の多いインドネシアトルコでは連日、数万の抗議、とくにイスランブールは十万人の集会が開かれ、これまで中国の顔色を窺ってきたトルコ政府もカディール女史の訪問にヴィザを発給した。

中国の揚外相トルコ外相電話会談して、「あれは外部勢力と結んだ過激派の行動であり、イスラム教徒への差別ではない」と釈明した。

トルコのエルドガン首相が「あれはジェノサイトでは?」とした発言をトーンダウンさせた。

ところが収まらないのはトルコ議会である。

トルコは世俗イスラムとはいえ、ちょっと裏町へ入ればイスラム原理主義過激派がうようよいる。政局がかわればイスラムの爆発がある。過激派テロ事件もかなりの頻度でおこることはエジプトに似ている。

 

「コーサル・トプタン国会議長はアンカラ駐在中国大使を呼んで『この目で何がおきたかを確かめたいのでトルコ議員団の視察団を受け入れてほしい』と伝えた。中国側は本省に問い合わせると回答を避けた」(トルコの英字紙、ディリーニュース、7月14日)。

湾岸諸国も調査団の派遣を検討し、米国議会の一部にも同様の動きがある。

旧ソ連アゼルバイジャンにも反中ムードが拡がり、中国大使館へ押しかけたデモ隊から逮捕者もでた。

西側で最も抗議運動が盛んなのはドイツで、ウィグル組織があるうえ、数万の移民がウィグルコミュニティを形成しているからだ。

また「サウスチャイナモーニングポスト」は「アルカィーダが北アフリカ諸国で働く中国人を殺害すると予告した」ことを伝えている(同紙14日)。同紙は北京寄りのメディアで、マレーシア華僑の郭鶴年が経営のため、北京への警告ともとれる。

しかし現実問題として、中国人技術者ならびに労働者は、マグレブ諸国にも溢れており、同時にイスラム過激派アルカィーダの支部が散らばるがアルジェリアが最大の拠点。

中国アフリカ援助は建設現場石油採掘サイトでも、現地人を殆ど雇用せず、プロジェクトが決まると中国人労働者を大量に連れてくるので、新植民地主義、侵略者=中国というイメージアフリカ諸国では強まっている。

中国イスラム諸国を敵にした。

2009-03-04

去りゆく米軍、増加されるロシア空軍 キルギスタンは誰の国?

マナスの基地代替はトルコのトラブゾン基地移転

米軍は2010年8月までに、中央アジアキルギスから去る。

アフガニスタンへの最大兵站拠点を失う。

米国退役統幕幹部のリチャード・マイヤーズはAFP(2月20日付け)のインタビューで、キルギスマナ空港米軍使用しているのは主として燃料補給であり、代替はいくらも可能という「強がり」の見解を示した。

米軍マナ基地を撤収することになる18ヶ月後にそなえ、ひそかにカザフスタンタジキスタン基地使用交渉をしてきた(ユーラシア・ディリー・モニター、2月23日)。

またウズベキスタンとも基地使用再開の交渉秘密に開始したという噂も飛び交った。

 

俄然トルコのトラブゾン基地が有力視される。

理由はトルコNATOの一員でもあって米軍との共同作戦が多いうえ、トルコ地政学的にもカフカス中東、そして中央アジアに近く、恒久的な戦略ポイントであるからだ。

ましてキルギストルコ系の民族トルコ系のコトバを喋る。

オバマ政権によるアフガニスタンへの増派が決定した以上、2010年8月までに代替基地建設するか、外国の既存の基地借用を決める必要がある。

それも早急に代替基地を見つけなければならない。

一方、受け入れに熱心に見えるトルコだが、この世俗イスラム国家の国内にはイスラム原理主義が猖獗を極めており、アルカィーダがトルコ国内に多数が潜伏、とくにユダヤ人を標的にテロを再開する動きがある。

 08年12月にもトルコ警察はアルカィーダのメンバーと見られる二十数人を拘束している。

テロリストの攻撃目標は国際都市イスランブールのほか、NATO海軍基地があるイズミール、加えて首都アンカラだ。ユダヤ人観光客を狙うという情報もある。

こうしたテロ情報により、これまでテルアビブトルコを結んでいた航空機フライト中断に追い込まれた。

ユダヤ人観光客への攻撃を恐れたこともあるが、トルコ飛行機は、イスラエル警備員を登場させないため、安全保障上問題があり、同時にイスラエルの「サンドル航空」も、トルコ乗り入れ便を休便とした。

不気味に高まるロシア軍存在

他方、キルギスではロシア軍の動きが活発化している。

ビシュケク国際空港マナスに米軍は2000人規模で駐留しているが、そこから30キロだけ離れた場所がロシア軍の駐留するカント空軍基地だ。

イシククル湖はソ連時代、秘密ベールに包まれた保養地だった。このイシククル湖を囲むようにキルギスという国家は地形的になりたつが、湖にロシア軍海軍施設が残っている。

沿岸警備というより湖沼警備隊で、主たる任務は武器密輸の取り締まりである。

ロシアにはCSTO(緊急展開部隊)があり、キルギスカント基地に駐留している700名は、このCSTO所属。

キルギス政府米軍撤退をきめた直後から動きが出た。

第一にビシュケクカザフスタンを繋ぐ鉄道計画の着手と見られる初期工事を始めた。モスクワから鉄道工作兵30名がキルギス入りしたのが2月20日に確認されている。

第二にキルギス南部オシにある飛行場も軍事利用する可能性を探っている。これは近未来タジキスタンのアンイ空港を本格化させて、カントーオシーアンイを結ぶ空のルートを確定する動きと見られる。

第三にロシアカント基地にはミグ21が、48機配備されているほか、スホイ25,スホイ27,アントノフ輸送機(AN26)、武装ヘリにくわえて、L39訓練機などが駐機している。

オバマ政権アフガニスタン増派に対して、米軍の有力な兵站基地キルギスマナ空港。背後から政治的に圧力をかけてバキエフ政権を動かし、米軍を撤退させる一方で、ロシア軍は着実に増加させる。

これがロシアの対応である。

 
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