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はてなキーワード: 我が家とは

2018-01-19

最近の鳥さんはなってない。

人間を恐れなさすぎである

特にすずめとおなが。

農道を車で走っていると必ずといっていいほど彼らに進路を妨害される。

車に轢かれるギリギリまで集団で粘るんじゃない。チキンレースですかこの野郎、鳥だけに。

時々、上記の遊びに失敗したらしき個体が道の真ん中で平たくなっている。私は悲しい気持ちでそれを避ける。

そんな無防備な鳥さん達も、猫の事は相変わらずキッチリバッチリ恐れている。

我が家の庭にはよく野良なのか家猫なのか定かではない猫が来て、伸びた雑草の陰でウンコをしていく。彼等もたいがい野性を失っており、ウンコには砂をかけるというマナーを知らない。堂々たるベリーロングなウンコを残し去っていく。

猛烈な臭気に困った私は、去年は本腰入れて庭の草むしりに励んだ。密林だった場所が砂地になった。猫はあまり来なくなった。清々すると共に人類の業の深さみたいなものに思いを馳せてしんみりした。

すると、まもなく数羽のすずめさん達が砂地に降り立ち、楽しそうに砂遊びを始めた。砂地には沢山のすり鉢状の跡が残された。

私は縁側に座り、砂地で遊ぶすずめさん達を見守った。

かわいい本当にかわいい

だがお前達、ちったあ私の事を恐がれよ。人間だぞ、人間がすぐそこでお前らをめちゃめちゃガン見しているんだよ。もっとビビれよ。気色悪いと思えよ。

だがすずめさんさん達は一向に気にする気配なく、好きなだけ遊んで好きなだけ去っていく。

ふっ、かわいい

かわいいからしょうがない。

と思って放置していたらこの間、軒先に干しておいたおろしたてのタオルウンコをされ、全私が泣いたのであった。チクショー。

習字教室

同じアパートに住んでた幼馴染、Aちゃんと妹のBちゃん

めちゃくちゃ可愛くて大好きだった。本当に好きだった。Aちゃんがだいすきだった。

Aちゃんのおばあちゃんが習字教室をやってて、そこに一緒に通わない?って誘われて、幼稚園の時から行くことにした。毎週土曜日、13時くらいから15時くらいまで。AちゃんとBちゃんが前の席、私は後ろ。

よく考えなくても当たり前だけど、私だけ他人。AちゃんBちゃんは大好きなおばあちゃんから教えてもらえて、楽しそうだった。私にとっては知らない人だから、すごく緊張した。けど行き始めたし、Aちゃんが大好きだったから通い続けた。

おばあちゃんからしたらそうなるのは当たり前だけど、私よりAちゃんBちゃんをよく見て、指導して、ひいきした。私は放置が多くて、おばあちゃん!増田ちゃんもみてね!とかAちゃんが言ってた。でもしょうがないよね、先生から見たらAちゃんBちゃんは可愛い孫、私は他人なんだよなって子どもながらにぼんやり思った。

習字教室は学区外にあった。通い方は、私は鍵っ子だったので自転車で来て帰る。雨の日は1時間とかかけて歩いて行く。AちゃんBちゃんはお母さんによる車での送り迎えがあった。

初めは気にしていなかったけど、小学校6年間それが続いたのはけっこうつらかったんだと思う。

AちゃんBちゃんは小学校入る前くらいに大きな一軒家に住み始めた。庭のある大きくて綺麗なおうち。おとうさんの趣味だという豪華なキャンピングカーなんかもあった。お金持ちだ。

対する我が家は当時はかなり珍しい共働き。ずっと鍵っ子だった(クラス鍵っ子は私だけだった)。しばらくアパート住まいだったけど、お金が無くなったり色々あって、恐ろしいほどぼろぼろな平屋に引っ越した。風が吹き込み、トイレのドアは薄くて変な木で出来てて勝手に開いた。毎日サバイバル生活ができる家だった。狭くて、二段ベッドの上しかパーソナルスペースがなかった。でもその家は好きだった。夏休み毎日庭でひまわりと一緒に過ごせたから。

普段遊ばない友達が家に来たいというのであげたら、その子は偵察部隊で、うちのボロ屋をたくさん観察して、帰ってお母さんに報告して、私のぼろぼろのおうちの話は一気に広まった。そんなことするひともいるんだなと思った。

AちゃんBちゃんはすごくかわいい。本当に可愛くて、いい子で、大好き。おばあちゃんにも愛されてて、習字の後の筆もお湯で洗ってもらえる。私は他人から洗ってもらえなくて、たまーにAちゃんが増田ちゃんの筆も洗おうよって言って、洗ってくれた。でもほんとうに申し訳なかったから、大丈夫だよ、家で自分でやるよって断ってた。家はお湯が出なくて、水で洗うからたかった。

雨の日、かさをさして歩いて帰るけど、小学生には習字道具が重かった。AちゃんBちゃんは車でばいばーいって私に手を振ってくれた。家の方向が真逆なので、私も手を振って別れた。早く帰らないと寒いし、重いし、冷たいし、風邪を引いてしまう。雨はしとしと降り注いだ。

おばあちゃんの家にはおじいちゃんもいて、そのおじいちゃんは明らかに私に気を遣ってくれた。帰り際、私にだけこっそりぽたぽた焼を渡してくれたり、ある時はナイショで自転車の後ろに乗せて家まで送ってくれた。すごく優しかった。

Aちゃんは私にもいつも声をかけてくれて、優しくて、可愛くて、お菓子もくれて、きをつかってくれてた。おばあちゃんも、きちんと習字を教えてくれた。そのおかげで今綺麗な字を書けている。おじいちゃんも、ほんとうにすごくやさしかった。

そのはずなのに、その頃のことを思い出すとぼろぼろ涙が出てしまう。大好きなAちゃんとの思い出がたくさん詰まってるのに。いろんなお話も出来て、楽しかったはずなのに。

帰路、なんであんなに泣きながら帰ったんだろう。

Aちゃんちはお母さんがむかえに来て、お休みの日は家にお父さんもいたけど、なんでうちはお母さんの休みの日はなくて、お父さんは週に一度、木曜日20から10分、宅配仕事の合間にしか会えなかったんだろう?

しかたないじゃん。お仕事なんだからさ。

がんばっておしごとしてたんだからしかたないじゃん。お父さんのせいじゃないでしょ。私ががんばって我慢すればよかったじゃん。全然会えなかったけど、どこにも出かけられなかったけど、みんな休み明けにお土産くれる中一度もおかえしできたことないけど、仕方ないじゃん。グアムお土産とか貰いっ放しだったけど、夏休みは家と近くの公園を行き来してたけど、しかたないじゃん!

誰も悪くないよ!だれもわるくない!習字のせいにするのやめろ!悪くないじゃん!悪くないのに

そうやって人のせいにする

そういうところ よくないよ

あなた自己肯定感は全くない、もしくは著しく低い。最近、そんなことを言われた。

みんな悪くないのに、この話が原因かもなんて思ってしまう。今思い出しても涙が止まらなくなる。悪いのはこういう解釈しかできなかった私。みんなごめんなさい。元気になローソン

2018-01-18

IKEAサイト見て泣いた

ごめん深夜だから吐き出させて。引越しが面倒くさいって話。高校生時代から8年付き合った同性の恋人がいた。いた、というのは彼女とやっと同棲を始めて1年がすぎたころ、あっさり会社の人(男性)と付き合うと伝えられ、別れたからだ。別れて10ヶ月ほどこの家にいたのは単に未練だった。やっとどうしようもないと気付いて、家を出たいと伝えた。

10ヶ月、この家にいられたのは私が図太かったのと、彼女ほとんど顔を合わせてなかったからだと思う。彼氏の家(たぶん)と会社でほぼ過ごしている彼女は昼に我が家に帰り、私が帰る頃に家を出る。たまに会えば付き合ってた頃と同じテンションで会話もする。この間テレビで見たんだけどさあ、とか、この間ここに行ったんだけど、とか言って。ただ、いつもと違うのは触れられないことだけだ。夏でも暑いのも気にせず触れ合っていたのに、私の彼女の間にはいまや15センチくらいの隙間がある。私はいだって触れたいんだけど、向こうが少し体を強ばらせるのだ。いまさら

彼女の話にその彼氏は登場しない。一度私が泣いてから彼女自分彼氏の話はしなくなった。ただ干す下着は派手になった。赤、黒、黒、紐パン想像力で傷つく自分がいる。

10ヶ月もいるとある程度人は慣れる。ただ家を出ると伝えたのはたまにくる「もう許してほしい」という感情の勢いだった。8年一緒にいると、相手自分の一部になってる。日常に、未来に、その相手存在している。彼女は「友達になりたい」と言った。別れてしばらくして分かったのだが、私たちはずっと前からただの親友でしたって顔をしても世間にはなんとも思われないらしい。幾度とデートをしたのに、キスをしたのに、セックスもしたことあるのに。

まあこの友達になりたい発言は、いきなり私を失うことは彼女不安だったのだろうと今なら分かる。

最初から恋愛の好きじゃなかった、私は男が好き、と言われた。だから余計、失いたくないのに、恋人でいられなかったのであろう彼女に同情できないこともないな。なのに私はまだ恋とか愛とかとして好きなんだな、と自覚させられた。

引越しに伴い、捨てようか迷った棚の値段を見ようとネットサーフィンをしていたらIKEAにたどり着いたとき、私はびっくりするほど泣いた。IKEAで、1回デートたことがある。同棲を始める、少し前。どんな家にするかは決めていない、下見ついでのデートだった。

ねえ、このソファ良くない?

2人がけのソファだった。小さなソファだったけど、女子ふたり並んで座れた。もっと狭くても、私たちはいつもいつもくっついていたかもっと小さくても問題ないのに。

あのソファに座れるはずの未来を思い出してしまった。確かにあのときその未来はあった。別に遅かれ早かれ別れたんだろうけど。

でもやっぱりこうやって、たまに思い出の欠片を日常に見つけてしまうのはしんどいね。引っ越して、またたまに思い出して泣くのかな。なんでまだ好きなのかな。

弁当を一緒に作る日が幸せだった。

日曜に散歩がてらご飯食べに行って彼女が咲いてる花の名前を教えてくれるのが幸せだった。

冬は寒いねって言いながら布団でぎゅってなるの、幸せだった。

長いよ、失恋。まだ終わってくれない。なんで引っ越さなきゃいけないんだよ、

Twitterで…

> 最近25〜30歳の若者に「ここからどんどん仕事が楽しくなってやり甲斐が出てきてつい仕事ばかりをしてしまうだろうけど30〜35歳までに仕事の合間を

> って結婚しないとその先一気に一人で生きていく以外の選択肢がなくなるぞ」「孤独死したくなければ誰でもいいから籍を入れろ」と強く言って回っている。

というツイート結構流行っているみたいだけど、バツイチの私としては「価値観の合わない相手結婚するぐらいなら一人で暮らし孤独死する方がまし」だと思う。

私が結婚していたとき共稼ぎでだいたい同じぐらいの収入があり、家計用の口座に同額ずつ入れて暮らしていた。それは良いとして、元夫の望みは「将来実家そばに家を買って住む(できれば同居)」「子どもがほしい」「家事はなるべく奥さんにやってほしい」「将来は義理親の介護もお願いしたい」というムシのいい代物だった。結婚するときに「私は家事が苦手だからちゃんと分担してくれなきゃ結婚しない」と宣言しておいたんだけど、何だかんだ言って元夫は家事のめんどくさい部分を私に押しつけようとした。また、凄まじいマザコンで週末になると実家に行ってテレビを見てごろごろし、その間私が自由にできるならともかく、「一緒に行こう」とか、何にも着替えとか用意してないのに「実家に泊まれ」とか言われて非常にストレスフルだった。

自分はあまりいろいろなタスクを同時にこなせないタイプだったので、あまり忙しくない職場にいても、家に帰って晩ご飯を作ることを考えるだけで憂うつだった。そのうえ義理実家はやたらと親族の結束が固く、正月は必ず誰かの家に集まって宴会をし、夏やGWには親族一同の旅行に参加しなくてはならなかった。ただでさえ休みが少ないのに、その貴重な時間を全く楽しくない義理親族と一緒に過ごさねばならないことに怒りを感じていた。一度は正月我が家親族一同が遊びに来て、片付けの苦手な私は皆で座れる場所を作るのだけで疲労困憊した。結局私が「そんな大勢に食べさせる料理なんて作れない」と元夫に訴えたので、とりあえず皆は当時の我が家見学して、宴会居酒屋でやってもらったけど、フルタイムで働いていて家事の苦手な嫁に10数人分の料理を作らせようとする親族の連中を殺してやりたいと思った。

当然子どももほしくなかった。フルタイムで働きながら周囲に気を遣って定時で帰り、保育園にお迎えに行って家に帰りついたら夕食を作る…みたいな生活想像するだけでぞっとした。多少大きくなればそういう手間はかからなくなるかも知れないけど、なまじ成長すると余計なことばかり覚えて生意気発言ばかりするんだろうと思うと、子どもなんか持つよりペットを飼う方がましなんじゃないかと思うぐらいだった。

そしてなんで自分を育ててくれた親じゃなくて何の恩義もない元夫の両親の介護をしなくてはいけないのか意味不明だった。元夫には妹がおり、義妹は比較実家そばに住んでいたので、両親に何かあれば介護は引き受ける気があったようだが、元夫は「俺が長男なんだから…」と自分が主導権を握りたがった。「そんなに介護したければ妻に押しつけるんじゃなくて自分でやれ、私にだってはいるんだよ」と言ったがのれんに腕押しだった。

ちゃんと相手価値観希望吟味して、自分価値観と合うかどうか確認してから結婚しないと、フルタイム勤務で働きながら望んでもいない育児をして、自分を育ててくれたわけでもないジジババの介護をさせられるのである日本人平均寿命から行けば男性の方が先に逝く確率が高いので、結婚生活が無事続いたとしても女の方がお一人さまで後に残される確率が高いのだ。子どもがいたとしても実家に寄りつかないとか結婚していて先方の都合が優先するとかだったら丁寧に介護してもらえる保証なんてない。…ということで「結婚して子どもを作ったら孤独死は避けられる」という考え自体が浅はかだと思う。

たぶんこれからずっと一人で生きていかなければならないだろうし、両親が亡くなってしまったらどうしていいかからないのも事実だけど、「あのとき離婚を選んでいなかったら…」と思うと自由な今の生活の方がましだ。

2018-01-17

不動産クソ業者

いま自宅を売り出してる。知り合いの業者に。

自分自身宅建持ってるので、取引とかは理解してるんだけど、我が家に知らない業者から担当者名刺付きで、

「うちの会社に任せてください、いまの業者(←私が頼んでる業者)よりメリットありますよ」とポスティングされてる。

これ、抜き行為っていう業界タブーなんだけど、この業者も解っててやってるだろう。

ということで、売り主かつ宅建士の自分としては、クソ業者クレーム、売却依頼してる業者相談し先方にクレーム

さら公正取引協議会、加盟団体都市整備局と、あらゆる関連団体通報してみようと思う。

案外簡単事業停止になるかもな。

ルール無視すりゃバチがあたる。子供でもわかることだ。

子供小学校の授業で、新聞記事から好きなの選んでそれをテーマに作文を書くっていう宿題が出たことがあって

我が家新聞取ってないんだけど、宿題のために地元地方紙を1部買ってみたら

男性用精力剤?の広告が、でーんと載ってるのね。

社説と同じ面に。

「たくましさに!」とか「やる気グングン↑」とか

お姉さんが「歳をとってもスゴい人」「(製品名)で元気出して」って商品持ってる。

子供意味聞かれたらどうしようかと思ってひやひやした。

自分子供の頃は一般紙にこんな広告なかった気がするんだけどなー。

嫁が小町ユーザーだった(俺はエジプト

さっき趣味小町ウォッチングをしていたら嫁が書いたと思われるトピを発見してしまった

嫁が小町ユーザーだったなんてあまりにショックだし、相談内容もショックだし、なんか回答者にボロクソ言われてるし…

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2018/0109/833209.htm

どうしたらいいでしょう。ちなみに嫁は好きです。スフィンクスもっと好きです。


追記(2018/1/17 16:55)

さっきはてブ見たらホッテントリに入っててビビった。

そして後悔した。もう一度言う、後悔した。

増田投稿したときは頭が真っ白であれだったが、

嫁が増田を見る可能性なんて考えてもみなかった。

家に帰るのが猛烈に恐ろしくなってきた。今夜カイロに飛ぼうかな。

以下、レスを少しだけ。

お小遣い制にしましょう ちなみに自分旦那年収は二千万です

年収お高くてよござんしたね。

年収いくらだろうが、欲しいものは欲しい。だから買う。

ただ離婚絶対嫌だからお小遣い制の導入は仕方ないかもしれない。

せめて庭では無くエジプト部屋を作ってその中で済む範囲で楽しまれてはどうでしょうか……。

貴方趣味謳歌できてハッピー。奥さんは趣味に合わないものを目にしなくてハッピー

それじゃ済まないならやっぱり相談必要だと思うよ。この先をお互い気持ちよく過ごすならそれは必要時間だよ。

その発想はなかった。

でもスフィンクス書斎に置いたらもう座る場所なくなっちゃうんだよ。この際スフィンクスの上に乗ろうかな。

ちゃんと二人の間で相談できる時間を作ってますか?

奥さんの悩みをあなたが聞いてあげないから別の場所で吐き出してしまうんです

二人の間の決め事をパピルスに記して冷蔵庫に貼るなどすると良いですよ

我が家ヒエラティックにしようと思う

自分のヤバさに気が付いていないヤバさを感じるw

え?何がヤバいの?

ツタンカーメンの置物ってどんなの?すごい気になる

これな

https://inzak.jp/event/egypt-interior

テンションあがるだろ普通

増田に書いてる時点で小町嫁とお似合いじゃねーか。

ありがとう。これから夫婦仲良くやっていこうと思う。

2018-01-15

anond:20180115155509

来年ウチの子供が高3の受験生

本命は国公立医学部で滑り止めに私立医受けさせようかと思ったけど、やっぱ無理だな。

1浪してでも国公立行かせた方が良さそう。

我が家の財布のせいで医師の道を諦めさせたくないからなー。

2018-01-14

anond:20180114184750

冬なんて早く終わればいいのに。こたつの中で私は、今シーズン最大の寒波を迎え撃っていた。

からにゃーにゃ―と声がする。地域猫のトラだ。私はときどき気まぐれのように、餌をあげている。

トラは我が家アイドルなのだが、父が猫嫌いということもあってほとんど外で過ごしている。

春が待ち遠しいのはトラも同じだろう。

「入っておいでトラ。今日はお父さんもいないから」

ガラス戸を開けると、待ってましたとばかりにトラが入ってきた。

私はトラの濡れた体をぼろになったタオルで拭いてやる。

「ん?なんだこれ」

トラの首輪に見慣れぬ紙切れが結んであるのを見つける。まるでおみくじのように首輪に結ばれたそれを、私はそっと外して広げる。

『いつもピケを可愛がってくれて、ありがとうございます。私は○○区に住む……』

そこから先は文字がかすんでいて、読み取ることが出来ない。文字は少し丸っこいものの綺麗で、これを書いた人そのものを表しているようなそんな気がする。

私は印刷用のA4用紙を引っ張りだしてくると、返事を書くことにした。

『いつもトラを可愛がってくれて、ありがとうございます。私は○○区に住む……』

一所懸命に書いた手紙だけど、きっとまた雪でにじんで読むことはできないだろう。

それでもいいのだ。私は手紙の読める春が楽しみになってきた。

(我ながら駄文だ……もっと書く練習をしたほうがよさそうですね……)

2018-01-13

iPhone

情弱

情報弱者略語ではあるが、意味はよりシンプルだ。バカ。著者のことである

今日まで、9年に渡ってiPhoneApple製品を使い続けてきた自分は、少なくともこの類の人間ではないと信じていいた。

2008年日本発売された直後のiPhone3G欲しさに、「お義父さんストラップが貰える」『料金が安くなる」などと吐き、家族全員をドコモからソフトバンクへ移行させることに成功する。11月 当時中学2年生オタクまっしくぐらの自分はついに念願のiPhone3Gを手に入れた。

説明書はない。今のようにまとめサイトや聞けば誰かが優しく教えてくれるSNSもない。

ひたすらGoogleで調べ、信頼できそうなブロガー記事を見つけ、そこのコメント欄からコミュニティーが広がり、

更に別の良質な記事を見つけ、トライアンドエラーを繰り返すことで、iPhoneを使いこなしていった。

SB店員すらもよく使い方や設定すらもよく分かっていなかった当時、頼れるのはネットの向こうの見知らぬおじさんたちしかいなかった。

某巨大掲示板半年ROMってギズモード・ジャパンライフハッカーギガジンリンクを踏み、痛いコテハンをつけたり、最初は手探り手探りでiPhoneの設定や使い方をマスターしていった。

その中でも最もよく利用していたのが、個人ブロガーするぷ氏の和洋風現在は和洋風カイ)とスタートアップ期のAppBank運営するiPhoneBBSだ。

まさかAppBank上場してここまで大きくなるとは…)

書いてるだけでも懐かしくなってきた。

するぷ氏の優しいお兄さんのような語り口の文章厨房自分にも非常に分かりやすく、かつブロブデザインもおしゃれでセンスが良かった。たまーに出て来る技術的な話も、グーグル先生片手に必死に読んでいた記憶がある。

このするぷ氏の匠な技のせいで、私はAppleジョブズ、そしてiPhone さらには水樹奈々を愛するようになってしまった。

iPhoneBBSでは主に他のユーザーとの情報交換が主だった。

どうすればプロバイダメールiPhoneで受信できるか?といった何気ない話から、最強の脱獄アプリは何かと言った少々アウトローな部分まで。

流石に当時の少ないアプリ数ではApple監視の目が厳しかったのか、

脱獄関連のスレッドAppBank運営サイドによって一瞬にして消されるようになり、運営ライターの方「配信停止になるから脱獄の話は頼むからやめてくれ」と懇願されるまでになったことをなんとなく覚えている。(違ったらごめんなさい)

かに高校生起業家 うめ◯ん や 勝間某といったiPhoneTwitter黎明期有名人が色々いたような気がするけどまぁいいか

高校生社長は今何をしてるんだろうか‥。

閑話休題

先述のような試行錯誤の成果が全て自分iPhone3Gの中に入っていた。

アプリの配置から、内容まで自分だけのiPhoneが仕上がっていたと自負していた。

その後、契約から2年も立つと立派な型落ちiPhoneだ。

新版OSの動きが鈍い事にしびれを切らし、契約更新の際、iPhone3Gは一気にiPhone4進化した。

圧倒的に美しいRetinaディスプレイ、信じられないにパワフルになったA4プロセッサに加え、従来のデザイン刷新して両面を強化ガラスに変更。側面の削りだしのアルミもかっこよかった。

この時、私は、iPhoneの、性能やデザインとは全く異なる強さを痛感するのだ。

iTunesバージョンアップ機能のお陰で、ボタン一つで今日買ってきた新品のiPhone4の中身が昨日まで使っていたiPhoneと同じになった。なってしまった。

アプリ写真メール電話帳 その他設定などがすべてが一瞬で引き継げた。

2年間、ネットリアルの間で四苦八苦し続けた成果や思い出の写真音楽などがお蔵入りになるはずが、一瞬で新しい端末に引き継げたのだ。

これほど嬉しいことは無かった。

中身のデータは何一つ昨日と異なるところはないのに、動作は一気にパワフルに、本体デザインさらスタイリッシュになった。

以降は2年の更新月が来る毎に、時の最新機種に乗り換えて、中身のデータの引き継ぎを行い続けた。

13年には5Sバージョンアップ。この頃には、iPhone OS名称はとっくに無くなり、ジョブズ当人ですら帰らぬ人になってしまった。

16年春 水没した5Sの後継としてPhone6sを契約

いつものようにバージョンアップから復元し、昨日までの環境再現、新たなスタートを着り、今日2018年1月12日に至る。

約9年 4台に渡ってiPhoneを使い続けた結果、その中のデータは、私が中学1年生から大学4年生の今に至るまですべての成長の記録すべてと言っても差し障りない。

写真データなどはとうに1万枚を超え、中1のクラス写真や、中3の修学旅行で友人が軍艦島の策を乗り越えようとするところを、柔道家先生に取り押さえられるシーンなどが含まれる。

音楽などは、より顕著かもしれない。アニソンに始まりロックパンクロックフュージョーンに流れジャズ回帰する 自分音楽ブームの流れが見て取れる。

さて、そんな私のすべての詰まったiPhone再起不能となってしまった。

今週の自分は色々おかしかった。

火曜日から原因不明の40℃を越える高熱に悩まされていたとはいえ、全く合理的でないことばかりをしてしまった。

熱に魘され、寝ぼけながらパスコードを変えてしまい、それが分からなくなってしまった。

なぜかは全く覚えていない。

大方、このまま死んでしまったら両親は簡単iPhoneの中身を見ることでき、それが恥で嫌だからややこしいパスコードに変えたのだと思う。自分が。

思いつく限りのパスコードを今日1日使って総トライするも、当たるはずもなく、ついてにiPhone使用不可のロックが…。

また、バックアップデータも移動のつもりが誤って消してまうという、全くもって理解できない行動が続いた。

こうして、中1から10年の筆者の成長記録はそのすべてが無になってしまった。

一番惜しむのは、我が家で買っていた初代の飼い犬の写真が、iPhone以外に自分は持ってないということ。

その分2代目の写真を多く取っているけど、2代目の写真を取れば撮るほど初代の子を忘れていくような気をしてします、

ただ、このタイミングで熱が出て、パスコードが分からなくなってデータが消える意義はあるのか?

偶然にしろ必然しろ、やはりここで総括。

社会人になる2018年過去遺物との繋がりを断ち切るために消えた?

バカが。

iPhone

情弱

情報弱者略語ではあるが、意味はよりシンプルだ。バカ。著者のことである

今日まで、9年に渡ってiPhoneApple製品を使い続けてきた自分は、少なくともこの類の人間ではないと信じていいた。

2008年日本発売された直後のiPhone3G欲しさに、「お義父さんストラップが貰える」『料金が安くなる」などと吐き、家族全員をドコモからソフトバンクへ移行させることに成功する。11月 当時中学2年生オタクまっしくぐらの自分はついに念願のiPhone3Gを手に入れた。

説明書はない。今のようにまとめサイトや聞けば誰かが優しく教えてくれるSNSもない。

ひたすらGoogleで調べ、信頼できそうなブロガー記事を見つけ、そこのコメント欄からコミュニティーが広がり、

更に別の良質な記事を見つけ、トライアンドエラーを繰り返すことで、iPhoneを使いこなしていった。

SB店員すらもよく使い方や設定すらもよく分かっていなかった当時、頼れるのはネットの向こうの見知らぬおじさんたちしかいなかった。

某巨大掲示板半年ROMってギズモード・ジャパンライフハッカーギガジンリンクを踏み、痛いコテハンをつけたり、最初は手探り手探りでiPhoneの設定や使い方をマスターしていった。

その中でも最もよく利用していたのが、個人ブロガーするぷ氏の和洋風現在は和洋風カイ)とスタートアップ期のAppBank運営するiPhoneBBSだ。

まさかAppBank上場してここまで大きくなるとは…)

書いてるだけでも懐かしくなってきた。

するぷ氏の優しいお兄さんのような語り口の文章厨房自分にも非常に分かりやすく、かつブロブデザインもおしゃれでセンスが良かった。たまーに出て来る技術的な話も、グーグル先生片手に必死に読んでいた記憶がある。

このするぷ氏の匠な技のせいで、私はAppleジョブズ、そしてiPhone さらには水樹奈々を愛するようになってしまった。

iPhoneBBSでは主に他のユーザーとの情報交換が主だった。

どうすればプロバイダメールiPhoneで受信できるか?といった何気ない話から、最強の脱獄アプリは何かと言った少々アウトローな部分まで。

流石に当時の少ないアプリ数ではApple監視の目が厳しかったのか、

脱獄関連のスレッドAppBank運営サイドによって一瞬にして消されるようになり、運営ライターの方「配信停止になるから脱獄の話は頼むからやめてくれ」と懇願されるまでになったことをなんとなく覚えている。(違ったらごめんなさい)

かに高校生起業家 うめ◯ん や 勝間某といったiPhoneTwitter黎明期有名人が色々いたような気がするけどまぁいいか

高校生社長は今何をしてるんだろうか‥。

閑話休題

先述のような試行錯誤の成果が全て自分iPhone3Gの中に入っていた。

アプリの配置から、内容まで自分だけのiPhoneが仕上がっていたと自負していた。

その後、契約から2年も立つと立派な型落ちiPhoneだ。

新版OSの動きが鈍い事にしびれを切らし、契約更新の際、iPhone3Gは一気にiPhone4進化した。

圧倒的に美しいRetinaディスプレイ、信じられないにパワフルになったA4プロセッサに加え、従来のデザイン刷新して両面を強化ガラスに変更。側面の削りだしのアルミもかっこよかった。

この時、私は、iPhoneの、性能やデザインとは全く異なる強さを痛感するのだ。

iTunesバージョンアップ機能のお陰で、ボタン一つで今日買ってきた新品のiPhone4の中身が昨日まで使っていたiPhoneと同じになった。なってしまった。

アプリ写真メール電話帳 その他設定などがすべてが一瞬で引き継げた。

2年間、ネットリアルの間で四苦八苦し続けた成果や思い出の写真音楽などがお蔵入りになるはずが、一瞬で新しい端末に引き継げたのだ。

これほど嬉しいことは無かった。

中身のデータは何一つ昨日と異なるところはないのに、動作は一気にパワフルに、本体デザインさらスタイリッシュになった。

以降は2年の更新月が来る毎に、時の最新機種に乗り換えて、中身のデータの引き継ぎを行い続けた。

13年には5Sバージョンアップ。この頃には、iPhone OS名称はとっくに無くなり、ジョブズ当人ですら帰らぬ人になってしまった。

16年春 水没した5Sの後継としてPhone6sを契約

いつものようにバージョンアップから復元し、昨日までの環境再現、新たなスタートを着り、今日2018年1月12日に至る。

約9年 4台に渡ってiPhoneを使い続けた結果、その中のデータは、私が中学1年生から大学4年生の今に至るまですべての成長の記録すべてと言っても差し障りない。

写真データなどはとうに1万枚を超え、中1のクラス写真や、中3の修学旅行で友人が軍艦島の策を乗り越えようとするところを、柔道家先生に取り押さえられるシーンなどが含まれる。

音楽などは、より顕著かもしれない。アニソンに始まりロックパンクロックフュージョーンに流れジャズ回帰する 自分音楽ブームの流れが見て取れる。

さて、そんな私のすべての詰まったiPhone再起不能となってしまった。

今週の自分は色々おかしかった。

火曜日から原因不明の40℃を越える高熱に悩まされていたとはいえ、全く合理的でないことばかりをしてしまった。

熱に魘され、寝ぼけながらパスコードを変えてしまい、それが分からなくなってしまった。

なぜかは全く覚えていない。

大方、このまま死んでしまったら両親は簡単iPhoneの中身を見ることでき、それが恥で嫌だからややこしいパスコードに変えたのだと思う。自分が。

思いつく限りのパスコードを今日1日使って総トライするも、当たるはずもなく、ついてにiPhone使用不可のロックが…。

また、バックアップデータも移動のつもりが誤って消してまうという、全くもって理解できない行動が続いた。

こうして、中1から10年の筆者の成長記録はそのすべてが無になってしまった。

一番惜しむのは、我が家で買っていた初代の飼い犬の写真が、iPhone以外に自分は持ってないということ。

その分2代目の写真を多く取っているけど、2代目の写真を取れば撮るほど初代の子を忘れていくような気をしてします、

ただ、このタイミングで熱が出て、パスコードが分からなくなってデータが消える意義はあるのか?

偶然にしろ必然しろ、やはりここで総括。

社会人になる2018年過去遺物との繋がりを断ち切るために消えた?

バカが。

2018-01-09

GizmodoApple関連記事はなぜあんなに気持ち悪いのか

Apple信者がどうとかは置いといて、

GizmodoApple関連記事はとにかく気持ち悪い。特に 小暮ひさのり とかいライター記事ね。

最近だとこれ。

https://www.gizmodo.jp/2018/01/apple-battery-discount-program.html

>我が家には歴代iPhoneがずらっ〜と眠っていたので困らなかったけど…。

>こういう家はたぶん稀。

はぁ??これ言いたいだけだろ。

何故急に自分語りちゃうの?「たぶん希。(ドヤっ」にしか見えない。ドヤっだなんて久々に使ったわ。

Gizmodo記事は役に立つときもあるのでたまに読むんだけど、こういうの見るたびに寒気がする。

もう少し読んでて寒くならない記事を書いて欲しい。

2018-01-06

うちの犬不思議だったこ

昨日,16年一緒だった我が家のお犬様が亡くなった.自分が7歳ぐらいのときから飼っていたので,人生3分の2は一緒だったことになる.

とても長生きしてくれて,病気もせずに寝顔のような姿で天にいってしまったのでよい最後だったと思う.

ところで,うちの犬について少し不思議だったことがある.

室内犬であるが故に冬は席を共有しながら同じストーブに当たったりもしていたのだが,どうもうちの子は私がいる前では寝ようとしなかった.

正確には,寝ないように頑張っている様子なのだが暖かさと眠気に逆らえず船を漕いでいることが多かった.

犬の場合はわからないが,私の経験上船を漕ぐような寝方は精一杯起きていようと努力しているけれども眠気の方が勝つという風にしないとならない気がする.

あれはなぜだったのだろう.主人の前で寝ないようにといういじらしい気持ちがあったのか,それとも何らかの理由で私の前だと気が休まらなかったのだろうか.

学生時代関係性に甘える大人たち



我が家は今年関東で年越しをしたのだが、正月から残念なことが起きてしまった。

地方帰郷していた旦那同級生たちが飲み会をしていて、その場のノリでこちらへ連絡をよこしたのである

ここまでは別になんてことないことで、私もただ「旦那は友人達に好かれているのだな」と思っていた。

けれど旦那の様子が段々おかしくなってきたため声をかけると、参加者の一人から夫婦の営みの写真を送ってこい」とのLINEが。

これ以前にも彼を揶揄するようなLINEが別の参加者からも来ていたという。

さらに付け加えるなら当時は上京してきた義両親と共に私の実家訪問中で、そのことも通知済みだったらしい)

旦那は完全に頭に血が上っており、私も「悪質だな」と感じつつ、怒りのメッセージを送れば相手も盛り上がってしまうだろうと返信を代筆した。

「この件につきましては嫁からNGを出させていただきました、また今度ゆっくりお話できれば嬉しいです」

これに対する返信が「じゃあ旦那ソロ性的写真で良いよ」。

頭がクラクラしました。

私はこれをどう解釈して良いのか、今でも分からない。

旦那性的な目で見ている……というのでなければ、性的な「いじり」をするというのか、配偶者が見ていると知っていながら。

ちなみにこれを送信したのは現在教壇に立っている人物である

この後は他の参加者たちから謝罪を受けたり、私を巻き込み一悶着あったのだが、例の性的写真を求めてきた男性から謝罪はない。

曰く「嫁を出したのが卑怯だ」ということらしい。

私たち夫婦対応にも落ち度はあっただろう、しかし、私は先述の通り一度話題を打ち切っており、話を繋げたのは相手方である

嫁を出した旦那卑怯なら、友人達が代わりに謝っているのを盾に自らは簡単謝罪すらしない彼とはいったい何なのだろうか。

さらに驚きなのが、「旦那の方が大人になるべき」と遠回しにこちから関係改善に歩み寄れと促す人物いたことだ。

飲み会参加者でないにもかかわらず集団からかわれ、配偶者を前に性的ないじりをされ、それでも旦那が耐えろというのか。

身内ながら他人の痛みの分かる優しい夫だ、いつもそれを許してきたのだろう。

けれど今回は相当こたえたようで、個人個人はともかく、集団での付き合いは止めたという。

旦那学生時代いじられキャラであった、というのは知っている。

けれど妻子ある男性に対して度を超したイタズラが許されると思っているのは、ある程度の年齢に達した者の考えることではない。

「きっとあいつらのなかでは俺がつまらない奴で、悪いことになってる。けどもう諦めた」

そう笑ってはいものの、旦那の胸中はいかほどのものだろう。

それが私は寂しくて、悲しくて、インターネットの片隅に吐き出している。

かなりフェイクを入れているため当事者が見ても分からないと思うが、少しでも心当たりのある人は胸に手を当てて考えてみてほしい。

学生時代から関係性、自身の見栄、色々と守りたいものはあるのだろう。

けれどそれは青春時代から十年以上にわたり友情を繋いできた友人を傷つけてまで、貫きたいことだろうか。

「悪気はない」、「いつものノリ」で甘えられる範囲を、今一度考えてほしい。

今はただ、旦那のような思いをする人間が一人でも少なくなることを祈るばかりである

2018-01-05

シャンプーはおいしいか否か

ちょっと前に、声優が使っているシャンプーだかを飲んでレビューした同人誌が、実際はワインレビューコピペしただけだったということも含めて微妙話題になったが、私は気が気ではなかった。

というのも、私は、シャンプーを食べていたかである

十年程前に、私も十歳の頃だが、あややこと松浦亜弥シャンプーCMをしていた。セクシーなのキュートなのどっちが好きなの、のやつである

それが我が家にもやって来た。イチゴ香りである

それまで、メリットだのなんだのテキトーなにおいのシャンプーを使っていた私にとって、このイチゴ香りものすごいものだった。本当にすごくいい香りなのだ

ある日、お風呂に入っていて、シャンプーしている時、ふと、これは、もしかしたら、おいしいんじゃないかと思った。こんなにいいにおいがするし、味も甘いのでは?と。わたパチとかあるし、と。

そこで、シャンプーを泡立てて、食べてみた。

結局、おいしいかと言えば、おいしくはないのだが、逆にまずくもなく、いいにおいの泡(本当に泡である)で口の中がいっぱいになってシュワシュワ消えていくのを飲み込む感覚は、悪くない。

そういうわけで、私はシャンプーを食べるようになった。

終わりを迎えたのは、一ヶ月後くらいだったか。定かではないが、少なくとも二、三回ではなくもっと定期的に食べてはいた。

なんで食べるのをやめたかと言えば、いつものように泡立てて口に入れた時、全くおいしくなく(いつもと同じなのだが)、「私は何をやってるんだろう」と思ったかである。その時、初めてシャンプーを吐き出し、シャワーの水でうがいをした。

こうして私の食シャン生活は終わりを告げたのである

時は過ぎ、ネットで飲シャンレビューを見て、「私はさすがにそのままは飲めなかったのにすごいなあ、原液だと苦味が強いのか」などと思っていたが、少なくとも飲シャン本についてはデマらしいので、がっかりした。

シャンプーを食べていた過去は、さすがに自分でも変かなと思い本当の黒歴史と化しているが、今でも、私以外に本当にシャンプーを食べていた(飲んでいた)人はいいかと、探してしまう。秒速5センチメートルである

しかしたら、ネット上で飲シャンの話をしている人は、皆本当にシャンプーを飲んでいるのだろうか? それはそれでうれしい。

2018-01-04

我が家パンデミックが起きてる

最初は弟に40度の熱が出て、インフルエンザと診断されたのがきっかけだった。

そして、弟の熱が下がり始めた今、父が高熱を出して寝込んでる。

ちなみに今これを書いてる私も頭痛がして体がだるい

ちょっとしたパンデミックじゃん…こわい…

次は誰なの?母?それともねこ

2018-01-03

スーパーボールという存在

まだスーパーボールってあるのかな。

子供の頃はよく遊んだ。壁に投げたらすごいスピードで戻ってくんの。単純だけどおもしろい。

部屋で遊びすぎて壁に穴が開いて、家を売るまでガムテープでふさいでた。

反響音だけでも楽しかった。

懐かしい我が家はもうない。

中学2年生まで本気でサンタを信じていた。

うちのサンタは変わっていた。

 

まず、お願いした通りのもの絶対にくれなかった。

動く犬のロボットが欲しいといえば、犬のおもちゃが。

ぽぽちゃんが欲しいといえば、メルちゃんが。

しかも毎回なぜか新品のおもちゃ読売新聞ラッピングされていた。

 

だけど、私はサンタさん存在を信じて疑わなかった。

毎年24日の夜になるとワクワクしながら布団に潜り、ワクワクしすぎて夜中に目が覚めた。

人間で「サンタに間違えて遭遇してしまうと翌年からサンタは来なくなる」という噂が流れていたので、絶対サンタに会ってはいけないと朝までは布団の中でじっと我慢していた。

でもワクワクしすぎて眠れず、おそらく30分ごとには目を覚まして早く朝になれ、朝になれと願っていた。

6時くらいになると誰よりも早く居間へ行き、クリスマスツリーの下にプレゼントがあるのを確認する。

そして家族全員を起こし、みんなでプレゼントを開けるのだ。

毎年毎年、本当に楽しみだった。

 

ある年のクリスマスには、サンタさんサインをお願いした。

翌日恐る恐る確認すると、大きく”S”と書かれていて、父がそれはサンタの”S”だと教えてくれた。

私はすごく嬉しくて、そのサインサンタがいる証拠として私の宝物になった。

 

小学生高学年くらいになると、友人の中でもサンタの正体を知る人が増えてきて、当然私にもサンタの正体が耳に入ってきた。

それでも「みんなの家にはサンタが来なくなったけど、うちにはまだ来てるんだ。信じてる子の家にしか来ないんだ」と思っていた。

そしてその頃からサンタさんに願い事を書くのをやめた。

サンタを信じるのをやめたからでない。サンタを信じていたからだ。

サンタは誰よりも私のことを知っているから、何も言わなくても私に必要ものがわかるはずだと信じていた。

 

そんな感じで中学2年生のクリスマスまで私は全くサンタを疑うことなく生きてきた。

しかし、私のサンタ信仰唐突に終わることになる。

クリスマスの2日くらいあと、父の財布が無造作に部屋に転がっているのに気付いた。

なぜそうしたのかわからない。

しかするとどこかで疑っていたのかもしれない。

あるいは友人たちの意見反証できるものを探したかったのかもしれない。

 

とにかく、私は父の財布をあけた。

そして、プレゼントレシートを見つけた。

 

目の前が真っ暗になった気持ちだった。

サンタなんていなかったのだ。

サンタは両親が作り出した幻想だったのだ。

 

両親に対する怒りはなかった。

ただただ悲しかった。

裏切られたような気分だった。

そっと部屋に戻り、サンタサインゴミ箱に捨てた。

 

サンタの正体を知っても相変わらずクリスマスは楽しかったし、ワクワクした。

でも、あの夜中のドキドキはもう経験できない。

 

あれから月日が流れ、私は二児の母になった。

まだ子供達は小さいが、今後我が家サンタ制を導入すべきなのかわからないでいる。

おやすみ、良い夢を。

12月の頭くらいに我が家茶の間に迷い込んで来た蝿が死にそう。いやもしかしたら死んだかも。

夕方、部屋の片隅で仰向けになってもがいているのを見付けた。部屋は暖房が効いているから、寒さにやられたのではない。単に寿命なのだろう。一思いに殺してやろうかと思ってティッシュを構えて潰そうとしたけど、やめた。すごくジタバタしていたから。

もがく蝿を見て、自分が死にかけた経験数度を思い出した。絶望の中で、それでもまだ生きていたい死にたくないと思った。この蝿もそうなのだろうか、と思った。

蝿が茶の間に闖入してきて一ヶ月、最初は奴の事がとてもウザく、何度も叩き落とそう、外に追い出してやろうと試みたけれどもならず、イライラさせられたものだった。

だが数日ぶんぶん飛び回り続けられると、妙に愛着が湧いてしまっていた。ひとの手の甲に停まり、忙しなく顔を前足で擦ったり、手の皮膚をちろちろ舐めている姿が可愛く見えてきた。家族が奴を窓から追い出そうとするのを見て、ふと、

「いいじゃないか、たった一匹の蝿なのだし。今外に出したら凍えて死んでしまうよ」

と声をかけていた。

そうやって共存してきた蝿がついに死ぬ。いつかこうなるのは分かっていたが、少し淋しい。

私は、蝿が誤って踏み潰されないように、息を吹き掛けて部屋の隅に追いやった。

2018-01-02

娘の抱負

‪うちの母はスラッとしたカッコいい女性が憧れだが自分チビデブ(母の談)だからそういう格好ができないといつも口癖のように言っていた。そのせいか、娘である私にボーイッシュな格好をさせたがったし、そんな格好をさせられた3歳の私が道であった外国人に「ボーイ?」とニコニコ声をかけられたというのが、母からもう何千回と聞かされた自慢話だった。‬

‪でもその裏で、幼児だった私が欲しいと言ったお姫様ドレスも、みんなが履いていた段フリルスカートも発表会の花柄ドレスも全部罵倒対象だった。笑ってバカにして、私にさせてる男の子っぽい格好やスッキリとしたデザインの服が一番可愛いと何度も言った。うちの子が一番可愛いの子は全く可愛くないと。他の子はダサくて芋くさくてどうしようもないと。私は常に誰かへの否定を聞いて育った。‬

‪私は発達の早い子供で、文字が読めるようになるのも抜群に早かった。賢い子ってのが小さい頃からの周りの評価で、周りの多くの人達が「ご両親に似たのね」と言った。母にはそれが最高の自慢だった。でも、私は高学年になる頃には落ちこぼれて、勉強について行けなくなった。‬

勉強しろと何度も言われたけど、勉強のやり方もわかっておらず、結果は出なかった。そんな中でも自分なりに考えてテスト前に一生懸命作ったノートを母に見せたら「今更そんなことしてんの」とまたバカにされた。机に向かえば「明日は雨が降るんじゃないか」と、わざわざ私の部屋を覗いては、母は何度も笑った。‬

‪中3の頃、教室私立高校の案内本の制服特集を眺めていたら、担任が「ここの制服可愛いよな?どうや?」と私に勧めてきた。可愛い制服がウリの偏差値はお世辞にも高くない学校。今思えば私の学力にちょうどいいレベル。‬

‪でも私の答えは「制服バカっぽいから嫌」担任ものすごく驚いた顔をしたのを見て、自分がひどい事を言ったことに気づいた。二度と口にしなかった。でもこれは母からずっと言われ続けてきた事そのままだった。バカっぽい制服。そんなところには行くな、と。‬

‪結局、私は高校地元底辺校に進んだ。その程度の成績しかなかったからだ。入学説明会の日、同じ高校に進む事になった近所の小学校から同級生の子ママさんが「お互い良かったですね」と母に声をかけたんだそうだ。そのママさんは高校合格を素直におめでとうという気持ちだったんだろう。‬

入学説明会からの帰りの車の中で「なんであんな子の親に『一緒でよかった』なんていわれなくちゃいけないんだ。恥だ。」と殴られた。この件はさすがに母も後からやり過ぎたんだと思ったんだろう。数年が経った頃に「あの時は悪かった」と潤んだ目で唐突に謝られた。「別にいいよ」と私は小さな声で答えたけど、それ以外の返事が許されただろうか?‬

大学は家を出て、実家から離れたところで一人暮らしをした。相変わらず私の成績は悪く勉強も好きではなかったが、大学進学は幼い頃からずっと母に言われ続けてきた進路だった(短大、専門、就職は母の激しいdisりの対象だった)し、一人暮らしも母がそうさせたいと強く希望した事でもあった。なぜなら、母自身がそういう学生生活を送ったからだ。‬

一人暮らしを始めてからバイトをしたいと何度も言ったし、実際いくつかしたけど、その度に母は「学生のうちから働くな」「金なら全部出してやる」と繰り返し、実際私がシフトがあるから実家に帰れないといえば「そんな事より家族大事にすべき」「親不孝だ」と私がバイトを続ける事を良しとしなかった。‬

‪それに乗って「じゃあいいか」と甘えた私にも問題はあったのだろう。しかし、それからはずっと「あんたは親に全部金を出させた親不孝者」「あんたは恵まれている。親に感謝すべき」「すねかじりが偉そうに金返せ」と言われ続けている。‬

自分が認めなかった事も、自分がそうするように私にいい続けた事も、母の中では全部なかったことになって、私の希望を全部言われるままに叶えてあげた優しい親だと自分の事を思っている。そして「子供犠牲になったかわいそうな私」と繰り返しアピールするのが母のいつものパターンだった。‬

‪同じ頃、父の浮気騒動があった。母は荒れた。何度も実家に呼び戻され、家族のための時間を過ごせと言われた。当時高校生の弟と二人で、母から涙ながらに「お父さんは『エッチはしてない』と泣きながら話した」と聞かされた。何で自分の親のそんな話を聞かなくてはいけないのだろう。心底気持ち悪いし聞きたくもないと思ったが、黙っていた。弟も何も言わなかった。‬

‪泣いて喚く母の話を何度も聞き、母を否定しないように過ごした。少しでも母を否定するニュアンスのことを言えば「あんたまで私をコケにするのか」と罵られるからだ。散々罵倒されたあとは「あんなことを言って悪かったね」と泣かれる。そして「いいよ」と私は言わなければならない。おきまりパターン。そんな気持ちの悪いやりとりをできるだけ避けたかった。‬

‪両親はその後関係を修復したようで、この頃の事はなかった事のように蒸し返されることのない家族タブーになった。‬

‪母は当時はまだ少数派のフルタイムWMだった。父も一流企業研究者で、高給取りだったので、母は止むに止まれず働きたくないのに働いていた…というわけではない。母も仕事がしたかった人だった。それは別に生き方の一つの選択だと私は思う。‬

‪でも母はそうは思ってなかった。働く自分は最高で、専業主婦いか無駄無能か、そんな選択バカだ、そんなだから○○ちゃんの母親や××ちゃんの母親は…と友達の親の非難を何度も子供だった私に聞かせた。‬

‪私が学生の頃も社会人になったあとも母と同じ職を選べと何度も言われたけど、それは断った。資格を取るための金も出してやると言われたけど、その職に興味がないからと避け続けたのは、今となっては本当によかったと思う。‬

‪私は妊娠した時に、仕事も辞めて一旦専業主婦になる道を選んだ。旦那希望でもあったし、私の希望でもあったから、私たち夫婦の中ではそれで問題はなかった。‬

‪でも、母は自分が散々バカにしてきた専業主婦の道を自分の娘が選んだことが面白くなかったようで、私が悪阻が辛いと寝ていると聞けば「私は仕事をしていて悪阻なんかで倒れていられなかった」と電話をしてきては繰り返した。‬

産後、初めての育児しんどいといえば「専業主婦しんどいわけあるか」「専業主婦のくせに忙しいわけがない」とバカにして笑った。その後にはいかに自分が働きながらの育児に苦労したか辛かったか、そんな思いをさせたあんたは親不孝、感謝すべきという言葉が必ず並んだ。‬

‪産まれたうちの子供は障害児だった。たくさん本を読んでネットでもたくさんの親子に関する情報に触れた。親子で療育にも通い、子供への接し方についても多く学んだ。そんな事をしながらの第二子妊娠出産。ここまでそれなりに大変な育児だったように思う。‬

‪そして、そんな子育ての中で薄皮を剥がすように少しずつ少しずつ、母の私に対するあれこれはおかしかったのではないか?そういう思いが私の中で浮かんでは消えていた。‬

‪数年前に実家リフォームをした。私はインテリア住宅特集を見るのが子供の頃から好きで得意だったのでアドバイスをして欲しいと言われ、何度も実家に通った。担当営業マンと、ここはこういう風にした方が…なんて話を一生懸命していたら横で聞いていた母が「はっ。偉そうに。」と吐き捨てるように言い放ったのは今も鮮明に蘇る。‬

自分が手伝ってくれと呼びつけておいたものの、娘が自分差し置いてイキイキと一人前に話をする姿に耐えられなかったんだろう。思えば、子供の頃から私が何をするにも「偉そうに」「いっちょまえに」「でも○○はできない」という言葉が付いてきたな、と思った。この頃から違和感がはっきりしてきたように思う。‬

‪定年を迎えた母は頻繁に我が家に来るようになった。孫へと過剰なほどの物を抱えて「ここに来ると金がかかる」と口癖のように言っていたが、どこにでもいる孫に甘すぎる祖母の姿だと思っていた。‬

‪母は会うたびに、私の掃除の仕方、家事の仕方、夕飯のおかずの品数、体型、服装生活全てを笑いながら否定し、自分はいかに頑張っているかを語っていたが、私は黙って聞いていた。母にとってそれは最高に面白いジョークのつもりだったからだ。‬

‪内心では苛立つ事もあったけど、それを表に出せば、それ以上の言葉否定されるのがわかっていた。母のその性格が治る日が来るとは思えなかった。老いていく母にもうそれを指摘するのも酷だと思っていた。だから私は何も言わなかった。‬

他人からみれば、楽しそうに会話する仲のいい母娘に見えていただろう。‬

しかしついに母と揉めた。きっかけは些細な売り言葉に買い言葉だった。私の中で剥がれ落ちた薄皮は相当な量に達していたのだろう。違和感に私が我慢しきれなかったのだ。‬

‪私に反発された事で、母は発狂した。浴びせられるマシンガンのような暴言否定。今までの私の人生否定し、いかに親不孝かを叫び怒鳴り散らしながら、自分子供(私)のせいで我慢を強いられているんだと喚き散らす母に「私にだってずっと我慢してきた事はある」と初めて言った。母はその内容を聞く事なく「お前のなにが我慢だ。親不孝め」と、また暴言否定を吐き続けた。‬

‪その場に居合わせたうちの娘たちは、自分母親(私)が目の前で罵倒される姿を見て、驚いて固まっていた。そして不安がって泣いた。その間も母の暴言は止まらず、うちの娘の障害名まで母は私への罵倒言葉に使った。娘たちの前でだ。無理だと思った。もう無理だと思った。‬

‪母は自分で「どうせ私は毒親だ」と叫んでいた。そんなふうに考えた事は今まで一度もなかったが、その時初めてそうかもしれないと思った。そしてまた、もう無理だと思った。‬

‪この先、私はどうするのか。もう答えは決まっているのではないか。本当にそれができるのか。いまはまだ立ち止まっている。‬

しかし目の前の扉は開いてしまった。扉の向こうの世界は明るいだろうか。険しいだろうか。一歩を踏み出す決意をしたい。それが娘である私の今年の抱負。‬

2017-12-31

上位中間層を見た感想

昨日は、母の荷物持ちとして都内スーパーに行った。

都心タワーマンションが建つ場所まで歩いた。

そこにスーパーがあった。

見てくれのいい子供家族といた。

大人になった時の顔は分からないが、彼女は暫くは幸せに生きるだろう。

外に出ると、子供自転車練習に付き合う父親などがいる。

彼らは帰省をしないかもしれない。

年末なのにファミレスは混んでいるし、オシャレ風味な喫茶店も其々の小さなガキを抱えて澄まし顔でいる集団がいる。

我が子というギャンブルに近い投資について話し合っているのか、自慢という槍を投げ合っているのか。

何というのかファミリー層や、そこらへんに住んでいそうな見てくれのいい大学生を見ると考えさせられるものだ。

とてもじゃないが社会問題において人々が手を取合い問題解決していけると思えないのだ。

社会問題解決するには、他の意見が違くとも人々が共に立ち向かう必要がある。

しかし、こういうアッパードルを見ると分断が大きすぎると感じる。

分断を避けるために社会運動系の人々は企業VS庶民という。

しかし、庶民の中でも都心アッパードル層とそうでない人間のギスギスも出てくるのではないか

彼らを見ると、収入や住む場所容姿などといった様々な格差が、人々の連帯をとにかく難しくさせていると実感できる。

この空気表現するのは難しい。

そんな中、自分マンションの分譲価格を調べて彼らは現状の我が家よりも金が無いと安心する。

自分は、アッパードル層の人間が多い中学高校で辛い6年間を過ごしたものだ。

それは容姿が醜いからだった。

その中での格差を思い出したのかもしれない。

とにかく、日本での分断は経済以外にもあり、それは予想以上にギスギスしたものになりえると感じた。

2017-12-30

子供を持つ最大のメリット

それは叱ってくれたり正してくれる身内になってくれること。

そこまで行かなくても「自分イエスマンにならない」身内になってくれること。

アラフォー超えた年齢のそれなりの立場の子なしの生活ブログとか見て、「そりゃねーだろ」と思っても、コメント欄読むと賛同意見ばかり。

掃除片付けはこうするべし」→「さすが○○さん!参考になります

料理の味付けはこうするべし」→「さすが○○さん!我が家もやってみます!」

こんなのばっか。

片付けとか完全に他の同居人を想定したものじゃないし、料理の味付けは個人の好みの押し付けになってる。

このブロガーに仮に子供がいたら「そんなのねーよ、クソまじー」とか遠慮なく文句を言うことができ、当人の目を覚まさせることができたろう

 

よく有名人が変なことした時に「子供にも叱られた」と話すが、これ別に言い訳してるんじゃなくて、みんな本心から一言だろう。ネット匿名批判なんかよりも、顔の見えないマスコミバッシングなんかよりも、家の事情を知らない第三者おせっかいな助言なんかよりも、一緒に生活してる血を分けた別れられない絆がある子ども一言が一番話を聞くことができるというのは当たり前だ。

 

こういう自分とは違う人格で、自分より若い世代で、且つ、ぴったり寄り添うこともないが別れることもない人物自分の子供以外に持つことは不可能だ。

anond:20171230191415

増田で、我が家お雑煮オフとかあるとめっちゃ充実しそう。

(おもいつきだけど)

豆入れていいの?

なら、「大豆」だろうというのが我が家結論でした。

もやし枝豆、と成長過程はもちろん、煮たり炒ったり、乾燥させて引いて粉にしてお菓子材料になり、

すりつぶして豆腐豆腐系の練り物に、発酵させて納豆味噌醤油と、豊富たんぱく質マルチ活躍をし、文化を支えるとすら言える食材

何より、これが消えたら世界中菜食主義者が滅びかねないです。その意味世界的にも重要スーパー食材

https://anond.hatelabo.jp/20171229231221

2017-12-29

サンタが来たというウソは嫌だが、サンタ否定してほしくない

クリスマスが終わった。

息子は2歳になった。

まだ言葉もしゃべれないし、枕元にプレゼントがあってもとくに意味は無いので、普通にクリスマスタイミングで大きな玩具を与えるに留まった。

そのかわり、クリスマスツリーなどにはたくさん触れ合った。

今年から我が家にもクリスマスツリーを導入した。「家にあったクリスマスツリー大人になっても覚えている」ということを妻と確認たからだった。

リー選びも2人でかなりこだわった。あまり意味は無いんだけど。

息子はツリーデビュー日に早速指をさして喜んだ。

すぐに電飾のスイッチの押し方をマスターし、朝起きてピカピカしてないと

「あっ」

と指を指して、ツリーに駆け寄りスイッチオン。そしてにっこり。

それからというもの、至る所でピカピカ光る木が置いてあることに大喜びだった。クリスマスツリーを買って本当に良かったなと思った。

別にキリスト教徒ではないが、日本のクリスマスは季節を感じるための行事だと思っている。

正月お雑煮を食べ、春に花見をして、夏に花火をみて、秋に紅葉を見るのと同じ。季節を感じながら生きることは心を豊かにすると思っている。それ以上でも以下でもない。

さて、来年から言葉もしゃべれるようになり、頭も良くなるだろう。

すると、サンタクロース問題が出てくる。

俺は性格上「サンタが来たよ」と何の考えなしにウソをつくのは気持ち悪くて。あんまりしたくない。

から本当は「クリスマスからはいクリスマスプレゼント」「パパママありがとう」というやりとりがしたい。

それが平和だと思っている。でもこんなことを考える。

かのこサンタさんがきたよ」

うちのこ「サンタさんなんていないんだよ!」

こんなしょうもないことで他の子の夢を壊したくない。

サンタクロースを信じることは誰にでも認められるべきクリスマスの楽しみ方だ。絶対に認められるべき権利だ。

それをうちのこが「パパが言ってた」なんてクソみたいな根拠で踏み潰されたらたまったものではない。どんな悪者だよ。

個人的にはサンタクロースクリスマスの大切な概念なので、うちの子にもサンタさんは大切にしてほしい。

そして、クリスマス意味もなくサンタクローストナカイを眺めて幸せ気持ちになり、1年を振り返るとポジティブに1年を振り返りやすくなるという日本の文化を存分に活かしてほしいと思う。

日本のクリスマスは「文化の良いとこ取り」が得意な日本人象徴する文化だと思う。うちの子にもその楽しさは教えてあげたい。

でも、「クリスマスプレゼントサンタさんが家に侵入して置いていったよ」なんていう大胆なウソをつくのは、俺にはちょっぴりこっぱずかしい。

そして、そもそもそんなことを子供は信じないのだ。「絶対おかしい」と思う。

でも、お父さんとお母さんは「サンタさんが持ってきた」という。だから、信じている。

俺はこれって「サンタさんを信じている」のではなく、「お父さんとお母さんを信じている」だけだと思う。

子どもは「サンタさんがいる!」とストレートに思っているわけではなく、お父さんとお母さんが「サンタさんが持ってきたよ」というからいると信じている。

この時点で、もうあまり意味はないんじゃないかなと思っている。

サンタクロース実在しなくてよい。ミッキーマウス実在しなくてよいのとまったく同じ理由だと思う。

これらを総合して「サンタさん否定してほしくない。でも、プレゼントサンタが持ってきたと言いたくない」というモヤモヤが発生。後者は完全に自分エゴでもある。

でも、起きたら枕元にあるあの演出。あれは嬉しい。

そこで来年からは「クリスマスは枕元に注目」ということだけ教えようと思う。

息子にはサンタはパパとママだと伝えたい。

そして、人によってサンタクロースは違うんだとも伝えたい。サンタクロースはたくさんいるのだと。

うちと同じようにパパとママサンタ場合もあれば、トナカイとソリでやってくる場合もあるかもしれないと。

もし一度「ぼくもサンタからプレゼントが欲しい」と言い出したら、サンタからプレゼントをもらったという演出をするかもしれない。

スウェーデンの謎のおもちゃとかをプレゼントする演出をするかもしれない。

でもその時は「いや、その年はサンタが来た」と大人になっても言い続けてあげよう。

これが正解かはわからないけど、しばらくはこれでやってみよう。

子育てはたのしい。

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