はてなキーワード: カリフォルニアとは
1.三 ポンティアック
2.二 リトル・タートル
3.捕 テカムセ
4.遊 オセオラ
8.右 ジョゼフ酋長
五大湖周辺のオタワ族の酋長。元々フランス人と交易を通じ友好な関係を築いていた。しかし、フレンチインディアン戦争でイギリスが勝利すると、情勢は変化する。フランスに変わり台頭したイギリス人は次々に入植し土地を奪う、一方的に交易を制限するなどの横暴に出る。これに脅威を感じたポンティアックはオジブワ族、ポタワトミ族などの諸部族と提携し、イギリスの一斉攻勢をしかける(ポンティアック戦争1763)。イギリス人の完全追放という目的には失敗したものの、大打撃を受けたイギリスは広大なインディアン保護区を制定するなどの大幅な妥協を強いられた。
・リトル・タートル
北東部のマイアミ族の酋長。アメリカ独立戦争ではイギリスと同盟し、フランス軍のオーギュスタン・ド・ラ=バルム大佐を戦死させるなど活躍した。戦後オタワ族、ショーニー族、レナペ族などと共に北西インディアン同盟を結成。イギリスとも結託し、北西インディアン戦争(1785~95)を戦った。1790年ハーマー作戦では250名以上の米兵を戦死させる戦果を挙げ、更に翌年ウォバッシュ川の戦いでは包囲奇襲により米軍の死者600名以上、インディアンの死者20名程度という大勝利を収めた。これはインディアン戦争で最大の勝利である。しかし、フォールンティンバーズの戦いで破れ、イギリスに見捨てられたため降伏、広大な土地を割譲することになった。
・テカムセ
北東部のショーニー族の戦士。北西インディアン戦争でショーニー族は敗れたショーニー族は抵抗の意志を失っていた。しかし、テカムセは弟の預言者テンスクワタワと共に白人への抵抗運動を再開する。土地を守るために全インディアンの団結が必要であると考えた彼は各地を訪問し、インディアン諸部族に連携を呼びかけた。1811年ティッペカヌーの戦いで米軍に敗れたが、その後も抵抗を諦めず、米英戦争ではイギリスと組んで米軍と戦う。デトロイドの戦いで勝利、メイグス砦包囲戦では攻略には失敗するも大損害を与えた。しかし、1813年テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は実現することなく幕を閉じた。
・オセオラ
フロリダ半島のセミノール族の戦士。アメリカはフロリダからセミノール族を追放しようと3渡に渡る侵略戦争を仕掛ける。オセオラが活躍したのはその中でも最大規模の第二次セミノール戦争(1835~42)である。彼の指揮する巧みなゲリラ戦に苦しめられた米軍は37年和平交渉の最中にオセオラを捕らえ獄死させた。しかし、セミノール族の怒りは収らず戦争は続いた。第三次セミノール戦争でも米軍は苦戦した。セミノール族の一部はフロリダの奥地エバーグレイズに立て籠もり続け、現在に至るまで降伏していない。そのためセミノール戦争は「インディアンのベトナム戦争」と呼ばれ、フロリダセミノールは征服されざる人々を自称する。
グレートプレーンズのラコタ・スー族オグララの酋長。モンタナ州で鉱山が発掘されると、アメリカはララミー砦から鉱山に至る道路の建設を企む。これに反発したレッド・クラウドはシャイアン族、アラパホ族と連携し、レッドクラウド戦争(1866~68)を戦う。途中のフェッターマン虐殺では陽動に乗せられたウィリアム・フェッターマン大尉指揮下の米軍80名が完全包囲され全滅した。米軍は道路建設を諦め、ララミー砦を放棄したため、レッド・クラウドは唯一アメリカに勝利した偉大なインディアンとして賞賛されることになった。しかし、米軍の強さを実感した彼はそれ以後白人と戦わなくなり、晩年はキリスト教に改宗し居留地に入った。
シッティング・ブルはラコタ・スー族ハンクパパ、クレイジー・ホースはオグララの戦士。本来ならば別個に扱うべきだが、打線に収りきらないのでやむを得ず同じポジションに収めた。二人はレッドクラウド戦争でも活躍し、その知略と武勇を称えられた。その後インディアンの聖地ブラック・ヒルズで鉱産資源が発掘されると、聖地を巡りブラックヒルズ戦争(1876~77)が勃発,ラコタ・スー族は再度シャイアン、アラパホ族と共に戦うことになる。76年リトル・ビッグホーンの戦いではジョージ・カスター大佐指揮下の騎兵連隊250名が完全包囲され全滅した。そのため、シッティング・ブルとクレイジー・ホースの二人は偉大な戦士としてインディアンから賞賛され、白人からは恐れ憎まれるることとなる。しかし、米軍の容赦ない猛攻と兵糧攻めの前にインディアンは敗北、クレイジーホースは捕らえられ刺殺された。シッティングブルはカナダに亡命し、帰国後無実の罪で逮捕されそうになり抵抗したため射殺された。
カリフォルニア溶岩地帯のモードック族の酋長。モードック族は故郷から追放されるが、キャプテンジャックと数十名の戦士はこれに反発し居留地を脱出した。彼らは複雑な地形を利用したゲリラ戦で10倍近い戦力の米軍を1年近く苦戦させた。手を焼いた米軍は和平交渉のためにエドワード・キャンビー少将を派遣するが、交渉が決裂し殺害されたため、インディアン戦争で唯一米軍の将軍が戦死した戦争となった。白人の猛攻の前に降伏したキャプテンジャックは将軍殺しの罪で処刑され遺体は見世物にされた。
・ジョゼフ酋長
アイダホ高原部のネズパース族の酋長。平和主義者であった彼はキリスト教に改宗するなど白人に対して従順であったが、居留地入りを命じられるとこれに反発、部族を率いてカナダへの亡命を目指した逃避行に出る。彼らは兵力と装備で圧倒する米軍の追撃を巧みにかわし続け、遭遇した際にも返り討ちにしたため、白人はジョゼフ酋長を赤いナポレオンと賞賛した。しかし、2000kmにも及ぶ逃避行の末に目的地直前で米軍に敗れ降伏した。故郷を追われ仲間を失った彼は傷心で没することになった
アメリカ南西部国境地帯チリカワ・アパッチ族の戦士。家族を殺された報復にメキシコ軍との戦いに身を投じ武名をはせた。ジェロニモの名は銃弾の雨を無視して襲い来る彼に恐れをなしたメキシコ兵が聖者ヒエロニムスに助けを求めたことが由来である。一旦米軍に降伏し、保留地に入るも、1874年に脱出し、96年に降伏するまで戦い続けた。ゲリラ戦の名手であった彼は米軍を苦戦させ続け、捕らえられても何度も脱出を繰り返した。彼の降伏によりインディアンの大規模な抵抗は終焉を迎えた。彼は見世物にされるなどの屈辱を受けながら虜囚のまま没した。
某事務所タレントがドアップで叫んだり大根役者がボソボソ喋るブロッコリー映画では世界の覇権はほぼ絶対到底ムリ!
侍が生きた時代の旧き日本の原風景+いぶし銀の時代劇役者にしか出せない雰囲気。
とにかくチャンバラシーンをCGフル活用してアニメ顔負けの演出とかにしてド派手にする(お姉ちゃんは出さなくていい)。
定番フォーマットの勧善懲悪から一捻りして陰のありつつも憎めない業を背負う悪役を出す(鬼滅のパクりね)。
主人公はもちろん転生したことにする。転生元はカリフォルニアのヴィーガン。山火事で焼け死んだと思ったが目を開けたら江戸の町娘に看病されている。
海外でウケるために禅の思想みたいのをそこかしこに取り入れる(公式ヨガマット発売)。
どや!
(追記)
やっぱ握りてーよな。覇権!。
ラストサムライやゴーストオブツシマみたいに海外制作のほうがってブコメがあるけど、いやいやそれハリウッド映画やん!!
ハリウッド映画が圧倒的なスタッフ層と莫大な予算にモノをいわせればそこそこのレベルになるのは約束されてるんだからそれで勝っても当たり前ってもんでしょ。
そんなんで得た勝利じゃ、ぜんぜん握ってないよ!握ったことになんないなんない(覇権)。
まあ、そんないうてもワイが握ることになったら(メガホン📢)、NEVADAに広大なセットを組んでみたいなのはやるかもしれん。金出してくれるかな?イーロン。
主演はもう決まってんのよ。はてなーも満場一致で納得のあの俳優。まあわかると思うけど。
そう、
鈴木亮平。
まず主人公の中身はカリフォルニアのヴィーガンだから英語ペラができることは絶対条件。そして演技がバチュギュンにウメェことが絶対条件(2回目)。
ベイエリアと江戸とのギャップに揺れ動く主人公の内面を深く描き切る必要があるからね。
亮平ならワイがいちいち五月蠅くしなくてもやってくれるでしょ。まあそこは心配してない。
そして陰のありつつ深き業を背負いし憎めないライバルなんだけど、これは悩むところじゃん?
まあこれはね、普通に考えて。
山田孝之。
とか、思うやん?
ぶっぶー!ですわ!!
そこはさ、やっぱホラ、
東出昌大。
あり得そうやん?
ちょっと業が深すぎたね。
いやー悩むわ。
今度こそ本当に発表するで?
いくぞ?
小松菜奈!
うん。
そうなんだわ。
ここで女性を投入というね!
菜奈の演技力、スタイル、眼力、どこをどう見ても陰のありつつ深き業を背負いし憎めない美しく悲しき業を深く背負った剣豪の魂を宿すにふさわしい器だと確信したね(会ったこと無いけど)。
この際、いつもわすれる地名を列挙してみる
せっかく島根に来たしカニでも食うかと思ったら、「カニを食べに鳥取へ」みたいなフライヤーを目にしてゲンナリする。
因幡の白兎は鳥取だった気がするが、白兎は隠岐島にわたったと記憶してるんだが、隠岐島は島根だよな?
という感じで。
日本じゃないけど、インディアンズの本拠地の州。インディアナ州の隣。インディアンズの本拠地がインディアナ州にないなんて詐欺だろ。オハイオだかアイオワだかだった気がするんだけど、その二つも名前が似てて余計に覚えられない。ご
というかインディアンズがガーディアンズに改称して、ロゴがGでなくCってのも混乱する。
日本じゃないけど、カリフォルニアも納得できない。名前の由来がカリフォルニア半島からきてるのに、カリフォルニア半島がメキシコ領ってモゾモゾする。
舞浜市が東京ディズニーランドがあるからって理由で東京市にしたら変だろ?
やはり日本じゃないけど。
海ってつくのに内陸ってさあ。
そもそも、東京って名前が東の京なんだから、そこに西ってつけるなよ。
自分の中で影が薄い。
栃木県以上に影が薄い。
寝に帰る場所ってだけなんじゃない?
また日本じゃないけど。
なんにでもコロンビアってつけるのアホか?
コロンブスがたどり着いたのはカリブ海の島じゃなかったか?なんであんな北にコロンビアってつけるんだよ。
イギリス本土と橋で繋がってるそこそこデカい島だと思ってたが、そんな島なかった。敢えて言えばマン島か?
こんがらがるというか、ただの文句だけど。
https://anond.hatelabo.jp/20230316083855
強姦等が性暴力系の撮影罪だとすれば、パンチラは純粋盗撮系の撮影罪とでも言えようか。まず撮影罪の全般の定義は以下となる。括弧の位置は読みやすいように文の後に移動させた。
(一)正当な理由がないのに、ひそかに、次の(1)又は(2)に掲げる姿態等のうち、人が通常衣服を着けている場所において不特定又は多数の者の目に触れることを認識しながら自ら露出しているものを除いたものを撮影する行為
(1)人の性的な部位等又は人が身に着けている下着※のうち現に性的な部位※を直接若しくは間接に覆っている部分をいう。
※下着は通常衣服で覆われており、かつ、性的な部位を覆うのに用いられるものに限る。
正当な理由なく、本人が隠すつもりでいる下着を、撮影したら犯罪(盗撮)とみなすという内容である。もっともである。個別に読んでいこう。
「正当な理由」というのは、例えば記念撮影をしたらたまたま後ろが階段でパンティが撮れてしまったとか、そういった偶発的な撮影までは含まれないように考えたものだろう。この線引きは、例えばうっかりカメラの電源を切り忘れていた等は違法か?反対に、うっかりが何でも通ってしまうとザル法なのでは?といった議論がされるものと思う。すでに過去の議論においても、例えばデジカメの性能が大幅に向上して100億画素やそれ以上が普及機となってきた場合、一見して花鳥風月などをメインの被写体としたように見える映像だが、背景にわずかに映り込んだ露天風呂の女性客を切り出したら1000万画素くらいあるかもしれず、それは「正当な風景写真」だと抗弁され得るか?といった点まで考慮されたようだ。(増田でわかりやすく例え直ししている)
「目に触れることを認識しながら自ら露出しているものを除いたもの」も集合写真でのしゃがみパンチラなどは本人が露出している感覚があるのか?肩からブラ紐が出ている、ズボンの腰の部分からパンティのウェストゴムが出ている、等はきちんと除外できるか?といった議論がされるものと思う。
下着の「通常衣服で覆われており、かつ、性的な部位を覆うのに用いられるもの」は、AND条件であるため、見せブラや、極端なミニスカに合わせるための見せパンなどを除外するための規定だろう。すでに「自ら露出しているものを除いたもの」とあるが、パンティ全体を自ら露出しているのか、あるいはチラッと見えているのか、など条件を整えたものと思われる。考えにくいがパンティが膝までずり下がり、辛うじてスカートで隠れている状態は「自ら露出」しておらず、「通常衣服で覆われ」ているが「性的な部位を覆う」状態になっていない。そのためその膝パンティ状態があまりにおもしろいので、出来心で少し低めのアングルから膝パンティ部分だけをこっそり撮影した人がいたとしても、この場合は合法になるという条文である。(もちろんお尻などを撮影したら違法)
こうした議論について、部会では車の運転が著しく速そうな名前をした先生など盗撮罪に関する第一人者が議論しており、かなり具体的に煮詰まっている。そのため私のような浅薄な突っ込みは議事録ベースの議論に入る手前の予備会などですべて排除されていると思われるが、法律にするかどうかは国会議員の裁量である。国会議員の仕事の上で大きな比重を占めるものは法律と予算である。しかも政府側の役職に就いた場合には旧帝大クラスの知力を持つ各省庁のキャリア官僚が家庭教師的にレクに入ってくれるわけであり、10年単位で議員歴のある人はかなり法律に詳しくなっていることがある。(どこまで行っても立法サイドであるため、法曹サイドとはまた違った視点だが)
ただ、撮影という行為はスマホの普及によって多くの人とって身近な行為となっており、昔の銀塩カメラのように一家のお父さんだけがシャッターを切るという時代ではない。また、マスコミなど知る権利との関係も強い。そのため政治家に対する批判報道への抑止として撮影罪を持ち出すとか、左翼団体への立ち入り捜査の際に彼らが公権力の監視のためにビデオ撮影(オウム真理教でもよく見られたもの)に対して転び公妨的に別件逮捕できてしまうような可能性を残せば、リベラル系議員も反対に回る可能性もある。そして前述したように撮影に加えて配信・記録に関わる技術の進展も早い。こうした点から立法の難易度はかなり高いと言えるだろう。不同意性交罪も確かに日常生活のリスクを増大させるが、撮影と比べればうっかり違法行為に手を染める可能性は低いと思われる。すくなくとも普通の女性の大半は加害側になることはまずないだろう。一方で撮影は老若男女の誰もが、幼稚園児から80歳過ぎまでその撮影の対象が大丈夫か?という点を求められる犯罪であることから、しっかりと考えていく必要がある。
だからこそ主張したいのは撮影罪を罪とする議論のフレームの不十分さである。議論に至る流れは大きく2つあった。本稿でもそのように述べてきたつもりであるが、ひとつは厳然たる性暴力の一環として行われる撮影を明確に罪とすること。そしてもう一つが撮影だけを行うパンチラなどの純粋盗撮も撮影罪に含めようとする流れである。性犯罪部会のフレームとしてまず性暴力が中心にあり、その周辺犯罪として撮影罪が含まれる形となったのだろう。その際に性暴力系の撮影罪に加えて、パンチラも一緒にして検討してしまおうという感じに議論がスタートしたように感じられる。(※盗撮も広い意味では性暴力だと言う人もいるかもしれないが、ここでは記述を単純化するためレイプなどを性暴力とする)
しかしながら、オーバルコースを車でぐるぐる回るのがうまそうな先生など国際的な盗撮規制の動向をよく知る専門家もいらっしゃるのに、盗撮とは何か?という点の議論が不十分であったように感じる。それはもちろん性犯罪に関する部会という枠組みからすれば仕方のないことだが、専門家の方々であればこそ、性犯罪ではない撮影罪とのすみわけが十分か、部会ではどこまで語れるが、語れない論点としては誰がどのように総会で議論するのか、といった申し送りが必要ではなかったか。(ただし最終の第14回の議事録は作成中のため閲覧できてない)
例えば増田の削除稿に対しても「女性に男性が電車内で盗撮されたら」というトラバがあった。このように誰かを嘲笑するような盗撮は道徳的な批判は受けるだろうが、今の日本で罪とすべきとまで考える人は少ないだろう。また、人前に出るということはそれは肉眼では見られるということであり、仮に隠したい身体的な特徴などがあっても隠そうと思えば隠せるものである。ハゲが恥ずかしければ帽子をかぶることもできるだろうし、もしそのハゲが撮影の気配を感じることができれば「やめてくれ」ということもできる。そもそもそのハゲがハゲを撮影されることを刑法で罰すべきと感じるほど強く恥じているかどうかは個人差が大きい。ハゲにプライドを持ったハゲである可能性もある。折しも2023/3/14には路上生活者の女性をコンビニに連れ込み、何でも買ってあげると噓をついて代金を払わず、その嫌がらせに困る様子をtiktokに流した行為で10代少女2名が書類送検された。この一連の行為を撮影罪に問わずして、何が撮影罪なのだろうか?本件の罪状はコンビニに不当な目的で立ち入ったとする「建造物侵入」であった。建造物侵入は前述したリベポル、迷惑条例に加えて盗撮の立件に援用されがちな罪状である。特にアスリート盗撮はレーシングブルマなどが撮影ターゲットとなるが形の上では完全な形で衣服を着用しており、観客も目視できる状態であり、撮影して何が悪いのかという線引きの定めにくさが課題となっている。(死刑賛成弁護士で知られる上谷さくら弁護士は、性的自己決定権だけではなく性的尊厳にまで保護法益を拡大することでアスリートも保護できるのでは?と主張しておられて説得力があるが、スポーツに打ち込む姿を「性的」と結び付けにくい点はまだ十分に解決できないように感じる。ただしアスリート盗撮は本稿の趣旨ではないためこの程度にしておくこととする。)そういう訳でアスリート盗撮は迷惑条例が強い京都府などを除いて「建造物侵入」での立件に頼らざるを得ない。
話を元に戻し、読者が意識不明になったとして(特に裸になったり下着が見えているわけではないとするが)、地面に倒れているところを撮影・拡散されたらどうか?これは本人にとって「やめてくれ」ともどうすることもできない状態であり、かつ不名誉な状態を意図せず撮影されており、考えようによっては人権侵害である。
これを保護法益の対象と考えているのがドイツである。ドイツ刑法201a条(撮影などによる高度に個人的な生活空間の侵害)では、もともと風呂やトイレなどのプライバシー空間での撮影を禁じていたが、その空間的な制約を拡張し、撮影されることに無防備な人はそもそも撮影すべきでないとする考え方を採用した。この際に、例えば交通事故の被害者など人事不省な状態も救済されるべきとなっている。すなわち、性暴力の議論の延長線として盗撮もくっつけておきました、という議論ではなく、意に添わぬ撮影という行為の全般に根底からしっかりと向かい合ったと言える。2015年に成立したこの条項は、2020年には死去した人の撮影まで保護を広げており、ドイツ国内での支持を得ながら問題なく運用されていることが窺われる。そうでなければ死者の追加といった発展的な議論よりも、もっと異なる姿に修正する議論がされていただろうからである。ただし201a条は不完全だとする意見もあり、後日184k条としてパンチラ撮影を罪とする条項が別に追加されている。しかし議論の順番としてはそもそも個人の基本的な権利として撮影される・されないの議論がしっかりとされ、それを5年運用した上で不十分だった点を追加的に立法しており、ついで等ではなく順を追って大きなものから小さなものへのしっかりと立法したドイツのプロセスこそあるべき姿であると感じる。
それでもマスコミの事件報道などで意識不明の人物を撮影するのが認められるか?といった議論がドイツで続くようであるが、日本もそのあたりのルールをマスコミの自主規制に任せるのでなく、いつか自分が事件報道の対象として被写体となるかもしれない、あるいはリテラシーが未発達な小中学生がそうした被写体を撮影しようとしたときに、撮影されない権利というのはどういうことかを説く社会を目指すべきだろう。このような視点に立ち、パンチラ盗撮とは縁遠い立場の人々も含め、社会で幅広く撮影罪の在り方、加えて撮影するという行為で得られる利益は何なのか?などまで議論すべきではないだろうか?
そうした議論は法制審議会の議事録からは窺われない。ご機嫌なラップタイムを刻みポールトゥウィンを決めそうな専門家の先生も執筆陣に名を連ねておられる厚い本ではG7のいくつかの国での動向が紹介されているし、その条文の日本語訳は法制審議会刑事法(性犯罪関係)部会の第1回会議(令和3年10月27日開催)の配布資料6、諸外国の性犯罪関連規定(仮訳)にも含まれている。例えばイギリス性犯罪法67a条ではVoyeurismすなわちパンチラを撮影したり鏡で盗み見たりすることが犯罪と規定されている一方で、フランスには盗撮規定がないことや、カナダでは獣姦は禁止されている一方で盗撮は規定がない各国の考え方の違いが垣間見える。
∩_∩ (・(ェ)・ )クマー
また、アメリカではミシガン、ニューヨーク、カリフォルニアの各州が代表して紹介されているが、盗撮に関して定めたテキサスの州法に関して違憲訴訟の提起があり、一審となる連邦地方裁判所では合衆国憲法修正第14条「如何なる州も法の適正手続き無しに個人の生命、自由あるいは財産を奪ってはならない。」に照らして違憲であるとの判断があった。ただし控訴審では合憲とされている。そうした動向については配布資料の直訳だけではなく、CLJなどの専門誌に寄稿もあった。法制審議会のメンバーであれば、そうした文献にアクセス可能な立場におられる方(というか著者じゃん……。)もいらっしゃる気がするが、議事録を斜め読みした範囲では性犯罪部会の枠組みを超えての撮影罪とは?の議論がなく、迷惑防止条例やリベポル法、不法侵入など先行する法律と重複しないための配慮の議論の配分が多かった点は残念に感じた。
そもそも部会での議論に関して、強姦などの直球の性犯罪の議論が重視されたためか、議事録を拝見した限りでは撮影罪については時間不足であるように感じた。もちろん被害の甚大さでいえばその通りであるが、
(続き)
"カリフォルニアの平均的な生活費は、検索結果によると、家族の人数や住む場所によって異なりますが、2020年の3人家族の場合は、年間で約78万ドル (約862万円) 1、月間で約6,500ドル (約71万円) 1となっています。カリフォルニアに住むことを考えていますか?"
"カリフォルニアの一人暮らしの平均的な生活費は、検索結果によると、家族の生活費と比べるとかなり低くなりますが、それでも他の州より高いです。2021年の3人家族の場合は、月間で約8,800ドル (約97万円) 1でしたが、一人暮らしの場合は、月間で約2,000ドル (約22万円) 2程度です。カリフォルニアで一人暮らしをする予定ですか?"
1840年代から始まったゴールドラッシュでは、財を成そうと金を求めて何十万人もの移民がカリフォルニアに渡った。次は、ハンバーガーを作って稼ごうとする日本の若者たちが同地に向かうのだろうか。
というのは冗談だが、カリフォルニアで新法が導入されれば、同地のファーストフード店従業員の時給が最大で22ドルになるかもしれないと、日本のメディアでは大きく騒がれている。それは現在の日本円に換算すると約3000円で、日本の平均的な最低賃金の3倍以上にもなるのだ。
カリフォルニアのファーストフード店で週40時間勤務した場合の月収は、日本の有名大学の新卒者が一流のメガバンクから受け取る給与の1.7倍にも相当する。あるコメンテーターは「日本で働くのはバカらしい」と述べた。"
俺はまあまあのし上がった方で、自分を含め人生はほぼ運だと思ってるので自己責任論者ではない。
でもじゃあ格差問題をどうにかできるかというと、あまりにも難しいんだよなあ。「のし上がり」をやった人間なら分かると思うけど、周囲はマジでお育ちの良い奴らしかいなくなる。今の時代だと少なくとも一族3代は育ちが良いですみたいな奴らだ。そいつらが30代に入ると家庭を持ち始めて全力で守りに入り、持って生まれた経済的文化的資本を全て自分達の生活を守るために使うようになる(そうすることで始めて1億超えの家を買ったり子供をカリフォルニアに留学させたりできるようになる)。格差問題なんて全無視だ。
そんな奴らを多少なりとも動かさなければ物事は変わらないわけなんだけど、彼我の頭数の差を目の当たりにするとこれは無理だな…って思っちゃう。
無料版。シングルプレイヤー。Classic Mode。マップは「World」。時間は無制限。
山の中。以前の「カリフォルニア村」の感じに近い。
しばらく走り回っていると小さな町に出たが、どうも「BOW」という名前らしい。
だいぶ道が広くなってきたし、もうちょっと道路標識が欲しいな。
州間高速道路は青地に赤い冠を被せたような標識でいちばんわかりやすい。
89号線はだいぶ北東部だな…バーモント州とかニューハンプシャー州とか。
89号線を辿っていって93号線と交わるあたりで「BOW」を発見した。
誤差は1.7km。4994ptだった。
ちょっと荒れた平野という感じだが少し離れたところに町が見える。
しかしあっという間に町を通りすぎてしまった。線路と並走する道路だ。
道路脇に小さく「3A」「Fetesti」と書かれた標識があった。道路の名前かな。
地平線の彼方まで緑の平野だ。穀倉地帯なのかな。壮観だけど道路と線路以外に何もないぞ。
しばらく走って標識を発見。「Tudor Vladimirescu」と書いてある。町の名前っぽい。
「ヴラディミレスク?」という響きはなんとなく東欧っぽいけど。
看板にURLを発見。毎度のごとくドメインを確認してみるが「.ro」だった。どこだ。ルーマニア?
地図でルーマニアを拡大してみるとそれっぽい「3A」という道路があった。
辿っていくと「Tudor Vladimirescu」も発見。そこからさらに西へ進んだあたりかな。
回答すると誤差200m。4999ptだった。
また似たような風景だな。ひたすら畑が広がってる。
西に進むと小さな町に出た。そこからさらに進むと大きめの道路に。
山が見えないから開放感がある。車でかっ飛ばすと気持ちいいだろうな。
看板に「MERCEDES, TEXAS」と書いてある。確かに風景もテキサス州っぽい。
83号線はテキサス州を南北に貫くようにながーく伸びてるんだけど、
南部も南部のメキシコ国境付近に「MERCEDES」があったので回答。
誤差は2.4km。4992ptだった。
めっちゃ日本っぽい。標識も看板も見つけてないのに「日本だ」って思ったな。この道の狭さ。建物の密集具合。
住宅街なので道路標識とかは無いけど…電柱に「箕面市半町2丁目」とあるな。大阪か。
日本はあちこちに地名が書いてあるから楽だな(それが地名だとわかるだけか?)。
地図から箕面市を探して半町2丁目を見つけたのでサクっと回答。誤差は100m。5000ptだった。
ただ二車線あるしそんなにド田舎という感じではない。
道路脇に何の前触れもなく星条旗が掲げられている。アメリカは本当に国旗が好きだな。
なんかさっきから看板に「Lake」とか「Bayside」とか「Harbor」とか書いてあるなと思ったら湖がちらっと見えたぞ。
たぶん湖だよな。「Lake」だし。「ELK LAKE」という名前っぽいが。どこだ。
おお、なんか地図のアメリカ北部をずっと眺めてたら、めちゃくちゃ偶然に「ELK RIVER」という小さい町を見つけたんだがどうだろう。
アイダホ州の北部か。湖っぽいものとして「エルク・クリーク貯水池」というのがある。「Reservoir」であって「Lake」でないのが不安だが。
撃沈した。誤差2381km。1013ptだった。
五大湖のほうだったな。ミシガン湖の脇に「エルク湖」があった。無念。
日本では'76年に、フィレス・レーベルの作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかもCDのボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者のインタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証致します。
1958年、17才にして彼は”スター”でした。この後ポップスの歴史を彩ることになるクリスタルズやロネッツ、キャロル・キングやバリー・マン、ビーチ・ボーイズやビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思います。ポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージ・マーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質を理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサーの仕事だ、という常識的な意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点でヒッチコックを捉えるとおもしろい解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります。黒沢さんもそうですね。)
デビュー・アルバム「TEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオ・バージョン>はナント、リード・ボーカルの女の子の声が左で、真ん中がフィルのコーラス、しかも、ところどころリード・ボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。
デビュー前からしてこうなのですから、自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。
SCHOOLもの
のちにブラック・ミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリスト、ギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽は一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分のデビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]
また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者のキー・ワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラス、バイクというスタイルが流行しました。
彼のでデビュー・ソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生のお気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子が自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至の若者のフィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法、スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事なことなのです。
ある程度、あるいはそれ以上の音楽の素養がなければミュージシャンや作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロックの時代でした。子供が技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供が子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽の単純化に拍車をかけました。ジャズが豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズが大人の音楽で、背景はナイトクラブと女性とお酒が似合いましたが、子供の音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。
麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角-ストリート・コーナーが似合ったわけです。
それにくらべて土地の広大な中西部や西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本のロックのサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器は感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽の素養は必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギター・インストゥルメンタル>でした。これは、楽器を感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズの単純化がロックとすれば、これはさらに、ロックの単純化で、その極致であったわけです。
これが<ガレージ・サウンド>の正体でしたが、この時代に呼応するかのように、新しく生まれた現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージや居間などでの<ホーム・レコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモ・テープのような、ある意味では乱暴
チャートに登場するようになり、まさに音楽の大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスもバディ・ホリーもデビュー曲は地方の、オヤジさんが社長、オカミさんが専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。
それまでの録音は、演奏者と録音技師はガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師が演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホーム・レコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンドの母体となるのです。
スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時から、スタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢は最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウル・ミュージックの追求というのは、スターにありがちな<後付け>である、と私は考えています)。
このホーム・レコーディングが、実は<スペクター・サウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり、大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハル・ブレインのドラム>、整理は<J・ニッチェのアレンジ>、単純化は<L・レビンのミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクター・サウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。
この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターもギター少年でした。本名のフィル・ハーヴェイとしてインスト・レコードも発表しています。また'58、'59年はインスト・ロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンク・レイ、そしてジョニーとハリケーンズ、サント&ジョニー、サンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムはデビュー前の彼です)、そして極め付きはギター・インストの王者、デュアン・エディーの登場でした。
日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドのユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バット・マン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇のインスト・テーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージ・マーチン楽団の「リンゴのテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャー兼プロデューサーがレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオで仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクター・サウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。
シルはこの時すでにスペクターがプロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルがナント「BE MY GIRL!」。
スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム(佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターがポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。
例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます。
シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッションを見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナント<ベース・ドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベース・ドラムのイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。
エディーのスタジオは1トラックのテープ・レコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンドの秘密であった水道管やドラム缶をエコーに使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいます)スペクターが興味を持たなかったはずはありません。
そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンドの製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットやアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初に評価された人なのです。
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中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています。
その後シルは、スペクターをプロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークのリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代の代表的なコンビがレノン&マッカートニーとすれば、’50年代はリーバー&ストラーの時代で、ロック・ビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクターの学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供やプロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位を確立したのがこの二人なのです。
スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングのヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....
ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクター・サウンド>への引金になったと、私は思います。その手法でプロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクター・サウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初の作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルドン出版社の代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムのフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルはドラマーのゲイリー・チェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。
この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクター・サウンドを作ったのはやはり彼なのです。
この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクターの時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。
また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。
無料版。シングルプレイヤー。Classic Mode。マップは「World」。時間は無制限。
出てみると「Beach Cities RV STORAGE」っていう看板があった。
他にもクソでかいショッピングモールみたいなのが建ち並んでいる。
道路名の標識に小さく「Costa Mesa」って書いてある。街の名前かな。
なんとなくフロリダとかカリフォルニアみたいな南部の海沿いの雰囲気。
道路標識に「San Diego」とある。高速道路405号。しかし地図を見るとサンディエゴの周辺に405号は無いな。
ロサンゼルスに近いあたりにコスタメサを見つけた。ハーバー・ブルーバードを辿って適当なところで回答。
誤差は100m。5000ptだった。
なんもない平野に道路だけ通ってる。こういうパターンほんと嫌だな。
かなり進んで小さな町に到着。
看板の言語は中南米っぽい。ウェブサイトのドメインが「ar」だからアルゼンチンかな。
町中の道路標識がこんな錆び錆びで読めないのすごいな。
うーん、初期地点がひどいのでたぶん正確な地点はわからんのだよな。
いくつかわかる地名(Cordoba・Rio Tercero・Hernando)からするとこのあたりかな、というところで回答。
誤差16kmで4946ptだった。意外に外してなかったな。
パーキングエリアっぽい感じだけど何故か道路とつながってないな。どうやって行くんだろ。
道路の番号は422。このワッペンみたいなデザインはアメリカの国道だな。
北西に向かって進んでいくと「Sanatoga」という案内が。
南東に向かって進んでいくと「Linfield」という案内が。
なんかやたら自動車店が多いな。トヨタ・スバル・ホンダ・ジープ・ヒュンダイ。
アメリカで自動車と言えばデトロイト…と思ったら本当にデトロイトの近くで422番を見つけた。
そこからずっと南に辿っていってフィラデルフィアのあたりでサナトガやリンフィールドを発見。
回答して誤差は600m。4998ptだった。
また広めの道路。だが周囲は木々に囲まれていて市街地からは離れているようだ。
標識に「23」「Queanbeyan」「Cooma」などとある。
この盾みたいな番号の書き方はカナダじゃなかったっけ。と思ったけどオーストラリアかもしれん。
カナダは右側走行でオーストラリアは左側走行だっけ。ここは左側走行だなあ。
と思っていたら看板に「Canberra」とあったのでオーストラリアだ。
Queanbeyanも発見。でもCoomaはかなり離れている。距離感覚がわからん。
「Adelaide Ave」という道路を探してみるとキャンベラのど真ん中にある。
それで「街から遠い」と勘違いしただけで、むしろ街の中心だったわけか。
誤差15m。5000ptだった。
看板に「Килифарево」と書いてある。
Google Mapの他の地名表記から考えるに「Kilifarevo キリファレヴォ」みたいな読み方のはず。
標識に「Гурково」「Я∧ово」と書いてあり、おそらく地名だろう。
「Гурково」は「Gurkovo グルコヴォ」という感じか。
「Я∧ово」は…「∧」が「л」のことだとしたら「Yalovo ヤロヴォ」?
って下の看板にまんま「YALOVO」って書いてあるな。
「ワイナリー」と書いてあるからそんな寒冷な地域ではないのか。
というわけでロシアの南西部、ウクライナとの国境付近で回答してみた。
誤差は1253km。2159pt。致命傷は避けたか。
無料版。シングルプレイヤー。Classic Mode。マップは「World」。時間は無制限。
道はちゃんと舗装されているが、パッと見の雰囲気、南米っぽいか?
看板の文章はスペイン語? ポルトガル語? 少なくとも英語ではない。
だいぶ進んでようやくちょっとした町に入った。
ブラジルの国旗が掲揚されていて「Espumoso」という看板がある。
そんな大都市ってわけでもないけど、そこそこの町並みという感じなんだよな。
だからわりと沿岸部というか、奥地とかではないと思うんだが…絞りきれないな。
大外れ。誤差は1496km。1835pt。もっと南部だった。
いや、言い訳なんだが、正解地点は地図で重点的に見ていたあたりだったんだよな。
それで見つからなかったから、逆にそこから離れたところで回答したんだが…単純な見落としか…。
小さな田舎町という感じ。木々を見るかぎり緯度は高め。北欧っぽい雰囲気。
「LOPÚCHOV」という標識が立っている。町の名前だろうか。東欧っぽい響きだが。
とりあえず町を出てみたが、何もない緑の丘が広がってるなあ。
しばらく進むと次の町。標識に「RASLAVICE」。LOPÚCHOVよりはちょっと大きい町だ。
標識に「Prešov」「Bardejov」「Koprivnica」といった地名。
広告に書かれていたメールアドレスが.skドメイン。skってなんだ、スロバキア?
誤差は40m。5000ptだった。
似たような白い家の並ぶ、計画的に開発された感じの町だが、その町全体がごつめの岩山に囲まれている感じ。
道路標識の感じはアメリカだが…「Grand Coulee Dam」という標識も立っている。
確かに大きなダムがある。この町が「Coulee」だか「Coulee Dam」だか言うらしい。
標識によると、北に行けば「Omak」、南に行くと「Seattle」「Spokane」らしい。
そして南というより東のSeattle・西のSpokaneのちょうど中間あたりに「Coulee Dam」を発見。
ダムや橋の位置から推測して回答。誤差は25m。5000ptだった。
南国っぽい開放的な感じ。幅の広い石畳の道。背の低い街路樹。観光地のような町並み。
高い建物がなく、少し離れたところにある教会っぽい建物がいちばん立派か。
町の入口のアーチに「POÇO DE JOSÉ DE MOURA」と書いてある。たぶん町の名前だが。
町を出ると道も舗装されていなくて一気に鄙びる。不思議な場所だ。
1問目とは逆になんか奥地のほうに局地的に町ができてるって感じか?
いやもうぜんぜん分からんので回答。
ブラジルは合ってたが、わりと海の方だった。
道路は舗装されているものの何もなさそうな山道。また面倒くさそう。
だが道路脇の標識に「California」とある。本当か。信じるぞ。
南西に進むと「A.J.JOLLY ELEMENTARY SCHOOL」があった。
こんな山奥に通う子供がいるのか…?
ようやくちょっと開けたところに出た。まともな道路標識もある。「Augusta」「Newport」。
仕方がないのでカリフォルニア州の山のあたりで回答したら、シンシナティの近くの「カリフォルニア」という町が正解だった。
ふざけとんのか!
誤差は3213km。580ptだった。