はてなキーワード: いけずとは
京都人は性格が悪い、いけず、京都人ならこういうこと言うに違いない、と叩いて笑うコンテンツ。
今夜もまたX(Twitter)でちょいバズしていて、今回は好きなミュージシャンがRTして笑ってたので目に入り、あんたもか…とがっくり来た。
「あいつは性格悪いとみんなが言ってるから悪いに決まってる、性格の悪いあいつならきっとこんな嫌味を言うに違いない、哂える〜」
とみんなで寄って集って嘲笑するコンテンツ、はてブ民も大好きだしよく笑ってるけど性格悪すぎないか?
架空の「性格の悪い京都人」よりそっちのほうがずっと性格悪くないか。もううんざりだよ、こんないじめ。
大阪を底辺扱いしたり、北九州を修羅の国と嘲笑ったり、群馬を未開の地扱いしたり。みんなそんなに都会に住んで高い教育受けてチリ一つ落ちていない、民度の高い街に住んでるの?そしてやることがいじめ。だめじゃん。
日テレもフジもTBSも…面白くないことをコンプラのせいにする「勝ち組」テレビの周回遅れの意識
https://president.jp/articles/-/79269?page=1
テレビがつまらなくなったのは、本当にコンプラのせいなのか? コラムニストの藤井セイラさんは「原作者の死を招いた『セクシー田中さん』の悲劇、ドラマ『ふてほど』によるSNS炎上などを見ていると、問題の本質はコンプラによる表現の萎縮ではない。むしろ、コンプライアンスを必要としている社会の変化にテレビ局がついていけず、時代遅れになっている」という――。
@cobta
わたしは萌えみたいな絵のポスター全然好きじゃないんですけど、じゃあどんな絵ならいいのか考えるとよくわからず、そもそもアイドルが春の交通安全週間のポスターしてるのと何が変わらないのかとも考えます。「やめさせる」「禁止にする」という斜め上な方策が当たり前になっていることがこわいです。
https://twitter.com/cobta/status/1442945597250572290?t=Ml9ht-CqDstYuxL--yecuA&s=19
父親が私が産まれて1年と少しで精神病んで自殺してしまい、今で言う貧困シンママになってしまった母親は、
病院勤務の姉、私から見ると叔母に、風邪薬や精神薬、塗り薬を大量に貰っていた。
こう言うのが、薬の処方が薬局になって、厳密な管理体制を導入しなければいけない要因の一つになったんだろうなとは思う。
すまない、みんな、私達のようなクズ家族が、暮らしにくい国となった原因を作ってしまった。
さすがに昭和50年代だから時効だとは思うし、母親も心労からがんを発症して、まだ若いと言われる年齢で死んでしまった。
私も精神病みながら底辺IT派遣で働いてるけど、技術の更新についていけず、後数年で強制引退が見えている。そうしたら自殺するつもりだ。
中学時代、私は運動が全くできない運動音痴だったが、勉強は得意だった。レベルの低い田舎の公立中学校だったので常に定期テストは学年1位。私のアイデンティティは勉強しかなかった。田舎の男子中学生の社会の中で、運動音痴はヒエラルキーの最底辺。体育の時間は苦痛で、運動音痴で鈍臭い動きしかできない自分は馬鹿にされているように感じていた。だから私は勉強ができない人間を内心馬鹿にしていた。体育の時間に散々私を馬鹿にしたのだから、お互い様だと思っていた。
高校は県内トップの進学校を志望し、模試では常にA判定だった。フィジカルの強さが物を言う野蛮な田舎とはおさばらできると思っていた。
念願叶って高校受験は第一志望に合格し、私は県内トップの進学校に入学した。ようやく、運動音痴の呪縛から解放されると思った。だが、現実は違った。
県内トップ校の子たちは運動も勉強も私より出来る子ばかりだった。基本的に皆優しかったが、中には粗暴な者もいて、露骨に私の運動音痴っぷりを見下す態度をとられたこともあった。私のアイデンティティは崩壊した。勉強でも運動でも周囲に勝てない私は、自分がとてつもなく無価値な人間のように思えた。その結果、自分のような無価値な人間がクラスメイトに話しかけても迷惑なだけだろうと思い込むようになり、誰とも会話をしなかった。勿論、高校時代は友達が出来なかった。
一応、自分なりに勉強は頑張った。でも、東大や京大に行くようなレベルには到底なれなかった。高校の成績は受験直前期でも半分より少し上くらいだった。トップにはなれなかった。
大学入学後、運動の呪縛から逃れたかった私は、音楽サークルに入った。音楽センスがあるわけでも、楽器が特段上手いわけでもなかったが、友達や人生で初めての彼女がサークル内で出来て、それなりに楽しいサークル活動だった。
勉強のほうも、それなりにやった。政治に関心があったので、政治系ゼミに入り自分の興味関心の赴くままに、ゼミ論文を作成した。学部生の書く拙いものだったが、満足感はあった。
旧帝大ということもあり、地元ではちやほやされた。私は高校時代に潰された勉強というアイデンティを取り戻そうと思った。県下トップの進学校から旧帝大に入った実績がある。中学時代は学年1位だった。勉強は得意なはずだ。そう思って、学部3年生の時、私は法科大学院に進学し文系最難関の司法試験を受けようと決断した。
前述のとおり、ゼミは政治系ゼミだったため、周りに司法試験を目指す友人はいなかった。そのため、相談できる友人もおらず、孤独な勉強だった。勉強は何から手を付けて良いかもわからなかったが、とりあえず勉強して法科大学院試験に臨んだ。今思えば、全く努力の方向性を間違った勉強法だったと思う。論証パターンという言葉を知ったのは試験の2か月前だった。もちろん既修者試験は落ちた。私は未修者コースに入学することになった。
法科大学院での生活は大変だった。学部のころに法律の勉強を一応していたとはいえ、講義の内容は難しく、予習復習に追われた。ほぼすべての科目が必修科目で、一つでも単位を落としたりGPAが一定値以下だと留年や卒業延期になるため、期末試験が近づくと、精神的に不安定になった。法科大学院生活では楽しいこともあるにはあったが、トータルで見たら辛いことのほうが多かった。
期末試験を何とか乗り切った私は、一年生から二年生へ進級できた。二年生になり、既修者と合流して講義を受けた。周囲のレベルの高さに正直ついていけず司法試験に受かるとは思えなくなった。深夜に自習室で勉強しながら涙を流す日が続いたことをきっかけに、中退を決めた。勉強というフィールドで戦うことに心が折れたのだった。
未修者コースには東京の中堅レベル私大の法学部卒や地元の私立大学法学部卒の人間などもいた。私が心折れて中退した後、彼らは卒業までこぎつけ、ついには司法試験に受かり弁護士になった。私より勉強が不得意な人たちだと思っていたが、私が断念した試験に受かり、立派に弁護士をやっている。
一方私は、法科大学院中退後になんとか就職。新卒カードを失った私は民間を諦め、公務員試験を受けるしかなかった。新卒就活だったら切符が手に入ったはずの企業に足蹴にされるのが怖かったからだ。法科大学院で法律の勉強をしていたこともあり、公務員試験の筆記試験は特に苦も無く合格した。面接もそれなりに振舞えたようで、第二志望の自治体に採用が決まった。入庁後は上司や他の自治体職員から執拗にきつい言葉をあびせられたことを機に、メンタルを病み休職。今は完全に閑職に飛ばされ、精神的負荷の少ない仕事を任されている。出
世の見込みはないだろう。
中学生以来の私の勉強というアイデンティティは完全に失われた。こんなことを言ったらドン引きだろうが、私より入学難易度の低い大学出身の人間が弁護士として働いていることや、中学時代に私より勉強のできなかった中学校の同級生が東京や大阪の大企業に新卒入社してギラギラと頑張っていることを知るたびに、猛烈に落ち込む。学生時代は私のほうが勝っていたのに、なぜ。。。と。
私が学生時代積み上げてきたものは何だったのか。ときたま人生に意味を見出せなくなる。人生に意味を見つけようと私なりにもがいた。音楽の社会人サークルに入ったり、大学の公開講座に参加したり、大学院進学を検討したり(来年放送大学大学院を受験しようと考えている)。だが、何をしても私の心は満たされない。
オープンチャットの某チャットルームで管理人やってたのを、今日譲った
自分が参加した時は3〜4人だった
ある時に管理人だった人が自分に管理者を譲って、程なくチャットルームを抜けた
自分は愛こそあれど引退勢だったので、これと言って話題がなかった、誰かの発言の相槌オンリー
けど新しくできたオープンチャットの管理運用という作業自体には多少の興味はあり
ルームの諸々の設定をしてみたり
まあ宣伝ルームに貼り付けたのと、外部のサイトに載せたのと、まあそれくらい
そんな熱心にやってたわけでもなく、何度かやってそれで満足した
自分同様に挨拶や声掛けに返事をするタイプの人は共同管理者に設定した
やったのはそれくらい
古いゲームでそんな荒れたりとかも無かった
ゲームは引退してもうログインしてないので、アクティブ勢の話題にもついていけず流すばかりだった
当初4人だったルームは今80人を超えた
参加メンバーの個体認識、誰がどんな人であるかもほとんどできていなかった まあチャットに参加もしてないしろくに読んでもいなかったから当然だ
それでも、管理人を譲るのは嫌だった
自分が運用して少しずつ大きくしたという自負と愛着もあった まあ人数は自然増というか、サービス利用者数に応じて増えただけかもしれないが
が、ここしばらくで何かこう、いろいろあり
手放した方がいいなと思うようになった
で、今日譲った
一番向いている、適任だと思われる面倒見の良い感じのメンバーに譲った
新規参加者には挨拶し、誰かの話題にもよくリアクションしており、
今日譲った
「子供をインフルエンサーにする教育」をガチでできるならそれはアリだ
収益化も込みでならね
名前さえ売れれば稼げるだろなんて思うかもしれないがそんなことはない
名前だけ知られてても金なんかろくに稼げない仕事なんかまともにこないのが現代だ
かつては毎日この子の話題を見かけたし今でもTwitterのフォロワー数は17万人ぐらいいる
張り合いがなくてつまらないのか更新も滞り、2023年の新年挨拶の動画が最新だ
本業も零細劇団の舞台ばかりで、その仕事では食っていけずバイトなりしているだろう
彼女にはたぬかな路線で露悪を貫くとか、裁判しまくる暇空茜路線が求められていた
でも暴れるほどに芸能仕事は遠ざかり、割り切ってたぬかな暇空をやるには幼少期の芸能界での成功体験を忘れられなかった
たぬかな暇空はかつて所属していた自分が輝ける場所から追放され、学もなく、あの路線でネットでやってく以外に道がないから腹が座ってる
腹くくらず迷惑系youtuberを辞めたへずまりゅうや、不登校系youtuberをやめたゆたぼんは、路線変更が功を奏するだろうか
頭が悪すぎて受験に大失敗し見事に定員割れのFラン大学に入学する羽目になったが、運良く国立大学の大学院に滑り込むことができた
人生大逆転だと喜んだのも束の間、頭が悪いので全く周りについていけず見事に落ちこぼれてしまった
しかも発達障害の気があり、数えきれないほど課題や打ち合わせをすっぽかした
次に絶望的に顔が悪い
ブヨブヨの一重瞼を毎日1時間かけて二重にしているがどうしてもブヨブヨなのでカスみたいな瞼になる
学校がひと段落したら整形するつもりでいるが、目以外のパーツもカスである
人中は10kmくらいあるし輪郭もゴツゴツしていて面長で、鼻も低くてデカくて救いようがない
本当に生まれてきたくなかった
6億裁判に勝った当時の暇空は、お金があれば学歴払拭できる、子供は自由にしてあげたい、と結婚や育児への願望みなぎらせてた
本人が教育虐待を父親から受けて名門中学受験→ついていけず不登校→父親を刺す事件→退学、というルートを辿ったから子供は好きにさせてあげたかったんだろうな
でも暇空の子供を産んでくれる女は現れず、親になることを許されなかった暇空は今でも過去を払拭できない
暇空は父親について毒親であったとよく語る一方で母親についてはあまり触れない
父親が勉強しろと暇空を殴った際に、「母親は止めようとしていた」とか「母親も一緒になって殴ってきた」とかそういう描写がない
母親がその時なにをしていたか書かれない、なにもしなかったのではないか
恐らくは、「高学歴高収入なエリート父」と「専業主婦で夫に物申さず虐待を傍観する母」の組み合わせだったんだろう
古式ゆかしい貞淑で家事はちゃんとこなすが子供を守り通す強さはない母親
その母親への反発からか、暇空が過去に片思いした女性や交際できた女性というのは「美人だがすぐに他の男にもなびく、ビッチでメンヘラで愛した分だけ愛し返してはくれない女」ばかりだったという
本当に付き合えたことあるのか?風水系の女では?と疑われてはいるが、暇空の過去の記述を本当だとする
結婚するつもりで同棲してた女が、「ただ優しいだけのおちんぽ騎士」に奪われたことがその後のフェミ嫌いの動機となっている
当時の暇空は裁判真っ只中で、金はそこそこはあったが大富豪ではなかった
裁判に勝って金持ちになれば結婚できるし育児もできるはずだった
でもそうはならなかった
2年前にやるべきことリストとやりたいことリストを作った男だけど、結局2年前から1mmも進歩しなかった。
いや、何も進歩しないまま2歳老けたわけだから、むしろ後退したのか。
何かを始めよう、自分を変えようと思ってもどこかでつまづいて行動意志がキャンセルされるようにできてて世の中は面白いなって思った。
結局、就活もできず、免許も取れず、運動の習慣もつけられず、不眠症も改善できず、風俗にもいけず、マッチングアプリも始められず、新しい服を買うこともせず、美容室に行ってみるということもできず、ましてや実家を出るということもできなかった二年間であった。
今も俺は四年前に購入した毛玉だらけのセーターを着て、たるんだ腹と二の腕をボリボリと掻きむしり、ボサボサ頭のままで住み慣れた子供部屋でこのエントリをパチパチ打っている。
そろそろ、仕事を終えて一旦食事を作ってから短時間のパートに出かけていた親が帰ってくる頃なので食事の支度を始める。
もうやるべきことリストややりたいことリストを作ったり、今の状態を脱しようと行動を起こすつもりはない。
どうせ意志や行動をキャンセルする力が働くのに、何かに期待して行動を起こそうとして、期待と何も変わらなかった現実のギャップに苦しむのである。
自ら求めて苦しんで、自ら好んで拷問に罹っているのは馬鹿げている。
もうよそう。勝手にするがいい。
俺はニートのままでいる覚悟を決めた。ニートとして太平を得る。太平はニートでなければ得られぬ。
ありがたい、ありがたい