はてなキーワード: 検視とは
サマセット=モーム全集で『月と六ペンス』の次の作品だったので、この作品から続けて読んだ。結果、興味深い点もあったが、全体としてはいまいちだった。
1925年に発表された、中国の英国植民地になっている仮想の町を舞台とした作品で、その設定は面白く、簡潔で要領を得た人物描写も巧みで興味深く読んだが、人物の書き込みが足りない。またプロットが性急すぎる(展開が早すぎる)。このせいで全体としてやや散漫な印象を受け、作者が連載小説を書くために書いているだけの印象を受けて、全80章を最後まで読むのがだるく感じた。
全編を通してKittyの揺れ動く心理描写がテーマになっているといえばいえるが、読後感としては、何だこりゃという感じである。サマセット=モームは人間の多様さを書くのだが、それ以外に何もない。中国を題材に取っているため、タオを人生観として提示してこの小説は終わるのだが、どうもとってつけたような結末だという印象がぬぐえない。
この小説を読んで、もうしばらくサマセット=モームはいいやと思った。
主人公のKittyは植民地官僚のCharlieと不倫をしている。夫で細菌学者のWalterは典型的な理系の人として描かれている。非常に真面目で、抑制的で、冷徹な印象を与える。不倫が露見すると、WalterはCharlieを訴えるかわりにKittyをMei-tan-fuという街に連れて転任するよう提案する。この町はコレラが蔓延していて、Walterは医者として派遣される。Kittyは自暴自棄でMei-tan-fu行きを承諾する。転任しても二人の間には冷たいものが流れる。仮面夫婦だ。ある日Kittyは街の修道院を何の期待もなく訪問し、そこで働く修道女たちの姿に感銘を受ける。また修道女たちはWalterの献身的な努力を褒めたたえる。Kittyは自分が無価値な人間であることを悟り、修道院で働き始め、修道院長のMother Superioの人格にも感化されつつ、少しずつ変わっていく。そんな折、Kittyの妊娠が発覚する。身体に宿っているのがWalterの子か、Charlieの子か、はっきりしない。そのことをKittyはWalterに正直に言う。Walterはその直後にコレラにかかって死ぬ。検視によれば、彼は事故でコレラに感染したのか、実験中に故意にコレラに感染したのか、判別がつかない。KittyはWalterの死に衝撃を受ける。修道院長に諭されて帰国を決意する。もとの植民地都市に戻った時にCharlieの妻の発案でCharlieの家に寄宿して、憎んでいたはずのこの男に結局再び身体を許してしまい、激しい自己嫌悪に駆られ、英国に帰ることを決意する。帰途、マルセイユでKittyは母の病死を知る。ロンドンの家に戻ると、父はバハマの植民地総督として赴任が決まったところであり、Kittyはロンドンでの生活を選ばず、父に着いていくことを決める。
「法律違反してもバレなければokと言っているに等しい」そうだよ。それが親告罪だ。
実際そうだからこそおまえも強姦(強制性交)ではなくふつうのセックスの結果の子供としてうまれてきたんだろ
まあ強制性交は検視医とか第三者も告訴できるように親告罪からはずしたけど
クオリティが高い二次創作にはそれ自体の創作性というものがみとめられると判例法ででた。
翻案権・同一性保持権などについても親告罪。当然いままでにドラえもんの死ねたエンドだのポケモンのエロねただのをリアルに子供が嫌がりそうな形で描いたら訴えられたとかある。
でもな、いいか、できのいい二次創作を訴えるのは著者にリスクなんだよ、やりたきゃまず炎上させたアニメ化からうったえろよwww
報道で事件性もあるとみて調べを進めていると言われる段階ではまだ事案を事件として認識してない。
刑事手続きの流れというフローチャートによれば、事件の発生、捜査の開始、犯人の特定を経て任意取り調べと逮捕へと分岐する。
事件の発生から捜査の開始へと移行するには被害届の届け出や110番通報といったものがきっかけになるようだ。
たとえば自宅で誰かが息を引き取った場合、まさに事件性の有無を調べるために検視にかけられる。報道される場合は事件性もあるとみてと言われるような段階だ。
いうまでもなくこの段階では警察は事案を事件としてはあまり意識してない。
もし意識してるとすれば、自宅で亡くなって適切に通報等手続きがとられるケースにおいてもいちいち同居人の誰かが(一人しかいない場合はそいつが)被疑者であるということを強く念頭に置いて検視を行っていることになる。
病院以外で亡くなるというそれもまた日常茶飯事な事案でいちいちそんな不遜な感情を遺族に抱きながら検視をしているとは考え難い。
また検視は捜査ではないことがわかる。事件性の有無を調べるのが目的の検視も捜査に含まれるとすれば事件の発生という段階を飛び越して捜査の開始の段階に至っていることになるからだ。
検視で事件性が有ると認めれるということこそが被害届や通報と同等な刑事作用を持つものであり、つまりは捜査の開始へと段階が移行するための作用なのである。
しかし通常の事件と比べればこれは流れとしてやや例外的であり、検視において事件性が認められた場合は事件の発生と捜査の開始が同時に起こるイメージか。
たとえば検視が行われる。死後何日も経っていることが判明する。死体遺棄の罪を問える。事件性が有ると認められる。同居人である引きこもりの息子が逮捕されるという流れになる。
しかし死んでいたのが一人親で同居人が乳児とか幼児とか言う場合はまた変わってくる。
まず現場の警察官から見た見た目が子供である。その場合検視で死後何日も経っていることが判明してもまず戸籍から同居人の年齢を照会しようとするだろう。
そして客観的に乳児や幼児であるということが証明されて、事件性無しとなって多分その子供は養護施設とかに送られる。
見た目は子供でもただの童顔の小人症ということがあるかもしれないから公的書類で確かめることは大事なことだ。逆にウィーバー症候群で老け顔という場合年齢的には幼児なのに一時的にでも逮捕され少年法で保護されるべき実名等が公開されてしまう可能性もあるのだから。事実あらゆる容疑者は職業とかは不詳なことがあっても年齢だけは絶対に判明した状態で報道されている。上記のように見た目だけで判断すると思いがけない過ちを犯す可能性があるから最低でも年齢の照会だけは行ってから逮捕することになっているのだろう。
ハイランダー症候群というのもあるらしい。ハイランダー症候群の場合皮膚を境界とする内側がまるごと現実の時の流れから隔絶されたかのようになってしまうのだったか。つまり肉体だけでなく精神も含めてまるごと時が止まったように変質しなくなる。こういう場合はどう扱うものなのかとても稀なので分からないけれど。
個人的には事件性の有無の確定までには障害の有無も確認してもらいたいものだと思う。
たとえば全盲の聾唖者でやまゆり園で殺されたレベルの重度の知的障害も負っているような人がそもそも親の死を認識できる期待可能性は少ない。
たとえ年齢では成人と判断されても最低でも怪しいと感じたならば必ず障害があるか調べるぐらいはしてから逮捕するべきだろう。
というか引きこもりの死体遺棄で「逮捕」する必要はあるのだろうか。飯塚幸三は逮捕されなかった。引きこもっているようなやつは罪証隠滅をしやすいみたいな、漠然とした育ちに対する偏見で逮捕するか否かを決めてるところはありはしないか。
兄が妹を死ぬまで殴って殺した事件があるんだけど、カウンセラーってあるじゃん?あれの逆をやりたいんだよな。「死ぬまで殴られるってどんな気持ちだと思う?」「死ぬ程の痛みってどんな感じだと思う?」「殺した時どんな感じがした?」「今後も機会があれば殴る蹴るなどして人を殺していきたいと思う?」って質問してみたい。人を殺す様な人間には質問の意図も伝わらず、想像力も無いかな。殺そうと思わなければ100カ所も暴行痕が残るわけ無いもんな。検視官は傷の跡を数えながら相当辛い思いをしたと思う。火葬する前に自分が殺した相手の死体と直面させて外傷を見せて、「どんな気分?」って確認してみたい。途中で発狂するかな?全然こたえないのかな。この世で最強の能力って「罪悪感を持っていない事」「後悔しない事」だと思う。ハッピーだよな。本人は。
[B! 司法] 「国民の一般的な宗教的感情」を害したので有罪。孤立出産で死産したベトナム人技能実習生、地裁判決の中身(望月優大) - 個人 - Yahoo!ニュース
この件、既にブコメでも言われてるから敢えて書く必要はないかもしれないが、「国民の一般的な宗教的感情」が持ち出されるのは仕方ないと思う。
誤解無いように言えば技能実習生だったリンさんに対して下された判決そのものを妥当だと言ってるわけではない。「国民の一般的な宗教的感情」の中身や適用範囲には議論の余地があるが、「国民の一般的な宗教的感情」という概念自体はやむを得ないというお気持ち。
Q. 「国民の一般的な宗教感情」概念自体は仕方ないにしても有罪に導くロジックはおかしいのでは?
A. 実際のところ実務的な論点はそっちの方が重要だと思うよ!このエントリは死体遺棄罪の保護法益は「国民の一般的な宗教感情」としか言えないしそこはしゃーないって話しかしてないからね。「殺人罪の保護法益は『人命』です」ってエントリだけじゃ実際の事件に対して殺人か傷害致死か過失致死か、正当防衛か緊急避難か、手術の失敗みたいな仕方ない事案なのか、責任能力はあるのか、そもそも被疑者が犯人なのかetcなんて語れてないというのと同じです。
ベトナム人元技能実習生に逆転無罪判決 死産児遺棄の罪 最高裁 | NHK | 事件
最高裁で逆転無罪判決が出たようです。かなり珍しい形ではないでしょうか。難しい判断だったかと愚考しますが個人的には良かったと思います。NHKのこの記事は論点を網羅していて良い記事ですね。技能実習生に対する妊娠・出産に関しての不適切な言動について「出入国在留管理庁が去年初めて……実態調査を行った」レベルなのは今まで行われてなかったのかと愕然とするものがありますが…。
制度に関する有識者会議が現在開かれています。この事件を通して技能実習制度が孕む問題について真剣な社会的議論が行われることを切に望みます。技能実習制度の抜本的な改革が叫ばれてもう20年以上経ちました。その間に訴訟が起き労働者性が認められ、法が変わり労基法も適用されるようになりましたし、外国人技能実習機構という新しい組織がなんかできたりもしました。もちろん状況の改善がなかったとは言いません。しかし一方でずっと同じ問題が指摘され続けてもいます。そろそろこの問題に決着をつけてほしいと願うばかりです。
第188条
1 神祠し、仏堂、墓所その他の礼拝所に対し、公然と不敬な行為をした者は、六月以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。
2 説教、礼拝又は葬式を妨害した者は、一年以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。
第189条
墳墓を発掘した者は、二年以下の懲役に処する。
第190条
死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の懲役に処する。
第191条
第百八十九条の罪を犯して、死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三月以上五年以下の懲役に処する。
第192条
まず刑法の建て付けとして死体遺棄罪を含む死体損壊罪等(190条)は「礼拝所及び墳墓に関する罪」という章の中にあるんだよね。同じ章にある第188条は「礼拝所に対し、公然と不敬」をした人間を罰するもの(礼拝所不敬罪)だったり第189条は墳墓の発掘者を罰するもの(墳墓発掘罪)だったりで非常に宗教的な内容。なので190条も宗教的な項目だと見るのはそこまでおかしくない。もちろん猥褻関係の罪のように同じ章でも個人法益の保護と社会法益の保護と分かれてるものもあるので必ずしもというところではあるんだけど。実際192条は明らかに性質が違うので。
第1条
この法律は、墓地、納骨堂又は火葬場の管理及び埋葬等が、国民の宗教的感情に適合し、且つ公衆衛生その他公共の福祉の見地から、支障なく行われることを目的とする。
関連して墓地埋葬法では宗教的感情を理由に墓地や埋葬に関わる規制を行うと明示している。
しかし、それでも死体損壊罪等は宗教的側面から逃れられないだろう。と、その前に感情を保護法益にできるのかという話をしなければならない。
確かに刑法において感情を保護法益にするのはあまり好ましく思われていない。例えば侮辱罪について保護法益を名誉感情とする説もあるが人気はない。刑法は謙抑的でなければならないのに安易に感情を理由にした規制を認めれば際限なく広がりうるからだ。社会秩序としての「国民の一般的な宗教的感情」が云々と言った時も何とかして法益の最終地点を社会秩序とか宗教的風俗とかそういうところに落とし込もうという謎の努力が垣間見られる。
しかしはっきり言えば第188-191条は基本的に「宗教的感情」を保護法益とするものだと理解されることが多い。礼拝所不敬罪についての高裁の判例を見てみよう。
……思うに、同条は、国民の宗教的崇敬ないしは死者に対する尊敬の感情を害する行為を処罰するものであつて、そのいかなる行為がこれに該当するかは時代によつて同一ではないであろう。しかしながら、今日のわが国の公衆一般の感情としては、特に清浄を保つべき場所たる墓所の区画内において放尿するがごときはなお明らかに墓所の神聖を穢すものと観念されるのであつて、このことからさらに推して考えるならば、たとえ現実には放尿しなくとも、放尿するがごとき格好をすること自体、見る者をしてその墓所に対する崇敬の念に著しく相反する感を与えるものといわなければならない。……
いや、判例がそう言おうとも礼拝所不敬罪(188条1項)と説教等妨害罪(188条2項)についてはあくまで宗教的自由の保障なんだという意見はありえる。墳墓発掘罪(189条)についても確かにそう言えなくもない。これらは他者の宗教的行為に対して害をなしていると言う立論もできなくもないからだ。
しかし果たして死体遺棄や損壊は他人の宗教的行為に害をなしていると言えるのだろうか?やはり死者への崇敬の念という宗教的感情で説明せざるを得ないのではないか(通常189条に対してもこう説明される)。
これはつまりそもそも何故死体はここまで保護されるのだろうかという問題である。何故器物損壊罪では飽き足らず、死体損壊罪を特別に規定したのだろうか。感情を持ち出したくないなら死者の生前の人格権の延長と見なすという方法はある。それでも権利主体でもない死体が法益の帰属主体となりえるのかという疑問は湧く。しかもこれだと生前の火葬を拒否していた人間を火葬したら人格権の否定として死体損壊罪の構成要件に該当する可能性まで生まれてしまう。
実際のところ死体が敬意を伴って丁重に扱われ慰撫されるのは生きている我々でしかない。死体が傷つけられたのを生命への侮辱と見るのはそれこそ素朴な「宗教的感情」ではないか。無宗教を自認する人間の多い日本では宗教的感情と死者への敬虔を別と考えたくもなるかもしれない。ナイーブな気がするが、まあ宗教的でない普遍的な感情としてもやはり「感情」が保護法益であることを否定はできていない。「国民の一般的感情」としても問題は変わるわけではあるまい。
まあネットでは「お気持ち」カード切ればゲームに勝てる感じだしまあネット上の議論なんてそんなものでもいいのだが、現実を見るとそう簡単に割り切れるものでもない。今回は刑事なのでちょっと違うが民事の名誉毀損では「名誉”感情”」が保護されることになっている。「お気持ち」と法で言う「感情」は同じじゃないと言えるかもしれんが…本当にそうかなあ。実務的にはどういう感情というかお気持ちが保護されるべきかみたいな方が喫緊の課題なんじゃないかな。ネット上の議論はその辺り無視して話をできるからやりやすいですな。建設的になってるかは知らんけども。でもはてブのAPIも非建設的なコメントを建設的と認識してる気もするからまあヨシ。
「一般的」とか勝手に言うなというのは分かる。ところが刑法判例を見ると「普通人」だの「通常人」だのという言葉もそれなりに見る。
最高裁様が決めた悪名高き刑法175条「わいせつ」概念の定義を見てみよう。
「普通人」「正常な」ってなんだよ。そもそも羞恥心みたいな感情を害することを軽々と要件にしていいのか。何らなら「善良な性的道義」もよく分からないが、しかしまあこの定義は脈々と受け継がれている。ただ、正直に言えばこうした罪状はこういう言い方しかできない部分が無いではない。
もう少し言えば他の罪状でも「通常人」を持ち出すしかない部分はある。例えば過失の認定をするのに危険が発生することを予見できたのか、という思考実験を行わざるをえない時もある。その際に通常人から見て予見可能性はあったのかと考えるのである。そうでなければ、被疑者が「自分には危険は予期できなかった」と言えばそれに反する証拠を提出できなければ全て無罪になってしまう。過失犯は立証困難になり死ぬというわけだ。
それと実際上の問題としてわいせつ概念や死者への敬虔の発露の方法が時代や社会によって大きく異なることは留意せねばなるまい。わいせつに関しては女性の胸の扱いとか見ると分かる気がするんだけど、下着姿の女性が公然わいせつになったりというのはある時代ある社会ではありえないことだろう。今の日本では実際に逮捕されたりしてるけどね。死者の扱いもやはりその場所その時の習俗に大きく左右されるのは分かるだろう。だからこそ「一般」「普通人」みたいな限定をかけておいてあまりにも硬直的で時代遅れにならないようにしてる部分はある…のかは分からないんだけどたぶんそう。
ただまあ「一般」も「普通人」も「通常人」も裁判官の想像上の産物しかないので注意を向けなければならないのも確かではある。どうしても恣意的になるしそうなると罪刑法定主義からしてどうなんだって話にはなるし。今回の件も宗教的感情という言葉そのものよりそういうとこが問題なんじゃないかな。
これはもう労働法が妊娠による不利益取り扱いを禁じていて、その労働法が技能実習生に適用されるよう法改正した時点で自明なことなんだけど、何故か未だに妊娠禁止とか恋愛禁止とか決められてたりするんだよねえ…。技能実習生に対しては日本人労働者と同じ扱いしなくていいと思ってるのか、そういうヤバイ労働環境だから日本人が来なくて技能実習生で代替せざるをえないのか分からんけど。
裁判例としては最初期の2013年の地裁判決の内容を紹介しておく。
(事例)
中国人技能実習生の女性は中国の送り出し機関と妊娠禁止の規定を結んでいた。ところが来日し食品加工会社で働き始めてから6ヶ月後に妊娠が判明した。
すると日本の受け入れ団体(監理団体)は妊娠を理由に強制帰国させるべく抵抗する当該女性を拘束して空港に連行した。なおも女性は抵抗し空港で保護される。
こののち女性は流産。女性はこのことで記者会見を開いたため会社に解雇された。
(結論)
技能実習生に対しては非人道的な行為がわりと行われてたりするので法の限界事例みたいなのがしばしば起こる。会社所有の寮にカメラがあって盗撮されてたという事例なんかははてブでも話題になってたが実は日本の法体系の間隙を突いた問題なんだよね。迷惑防止条例は公共の場に限定してることが多いから会社所有の寮みたいな私的空間には適用できず、そういう時に拡張して使われる建造物侵入罪は所有者が被害届を出さないと適用できない。軽犯罪法の窃視の罪にはなりそうだけど、迷惑防止条例と拡大解釈した建造物侵入罪でとりあえず対応しておくという実務というかちゃんと法整備してないツケ。閉店した後の店とかも公共の場ではなくなるので実は真摯に議論する必要がある部分だと思うんだけど、まあこういうことが技能実習制度で分かるというのは平常人間が受けない仕打ちを技能実習が受けやすいということでもあるんだろうなあ。違法状態が常態化してるのおかしいですよ。
オリパラは国家的セレモニーで、普通そういうのはそつのない人選をするものだがかなり「挑発的な人選」をしてしかもその自覚が無い。こんな事会社勤めでやったら会社に居られるだろうか?能無し扱いされて人事の申し送りが延々と付くレベルの失態だろう。
でも社会一般ではバカ、ガキ扱いされるそんな能無し人事が政治とかTVとか社会の上の方では常態化していてその結果こんな見えてる地雷を踏む案件がしたんじゃなかろうか?
例えば西村博之がTVに出て若者に人気だったり、ネットデマにのせられて個人のデマを流布し訴えられたデビィ・スカルノがTVを追放されなかったり、パンデミック初期にコロナはインフル以下と世論を誘導したかと思えば自説の過ちを糊塗する為にPCRデマを流布して延々と防疫妨害を続けた医者がTVに出るようになったり、TVによく出ていた反がん治療論者が反ワクチンで荒稼ぎしていたり、パチンコやアムウェイのCMが流れていたり。
西村博之は揚げ足ばかりだが言う事はそんなにおかしくはない。揚げ足ばかりだけど寧ろ常識的な立場で人を揶揄論破するのがウケるのは判る。
でも脱税と民事裁判逃れの為に財産飛ばしと収入隠しをしている人物をTVに出すというのは本来かなりの冒険である。
昭和だったらヤクザに刺されたり、ボリビアの奥地で顔面を剥がされ指の指紋が全て切り取られ歯が全て抜かれ全身を焼くか熱湯が隈なく掛けられ体毛分布が判らない状態で見つかった遺体が西村さんと判明しましたというニュースが流れるようなレベルだ。
更に「2chを奪われた事実」というのは社会的には無い。合法的に事業譲渡してそう世間に発表しているのだ。
フィリピン在住の米国人極右と共謀して法的に事業譲渡するが実態は西村が配下の人間経由で管理権を掌握し続け利益もそのまま得る。
比極右ジム・ワトキンスもサーバ管理費に上乗せした利益を得る。サイト運営により発生する民事争訟は比極右持ちになるが、対米中韓の国際訴訟を扱える弁護士は多くとも対フィリピンではぐっと減るからリスクは減る。減ると言っても比極右方にはある事には変わりないが西村の方はゼロになる。
ところがクレジット情報が洩れる事件があって決済が停止してしまった。比極右方には経費が掛かっているがエサは無しだ。ふざけんな、となる。
そこで法的な契約通り、社会の体面通りに手下どもの管理権を剥奪した。広告出稿なども手を廻して西村方を干して自分らが主体となる契約にし直した。
そもそもこんなスキームにしたら刑事事件だって比極右の方に行く。更に児童ポルノなんかの放置があれば比極右は米国領に再入国すら出来なくなる。しかもサイト管理は西村の手下達がやるのにそいつらは法的な矢面に出ない。警察も欺むこうとするスキームだ。国税局もだ。舐めたもんである。
つまり悪人達が片割れにエサやらずに仲間割れしただけであって、刑事ドラマなら「仲間割れか検視室に放り込んでおけ」と死体を足蹴にするシーンでしかない。
こんな状況なのに西村は「2chを騙し取られた」と言い出したのだ。騙したのはおめえで世間と当局を騙そうとしたんだろ。法的に譲渡したけど実際はしてないという密約をしたんだろ。盃かわすだけでエサもやらないから密約の方だけ切られたんだろ。「のっとり」されても外部の社会的、法的にはなん~~にも権利関係が変わってないだろ。
こういう下剋上でもなく仲間に裏切られた悪人というのはその不幸に対する憐憫が発生しえないので単純にお笑いの対象である。
ところがこんな人間をTVに出してしまう。そして揚げ足や論破が面白いので人気が出てしまう。そして事情を知らない若者が慕ってしまう。あのさ、論破されてる人たちより間抜けでみっともない事してるんだから。ちゃんとTVもその辺の経緯を説明しろよ。ショーンkみたいな状態やんか。
「2ch創始者」みたいな肩書をテロップで出すのはやめて「共謀脱税執行財産隠蔽給餌放棄其儘法実行実権取上慌叫2ch漏所有皆笑 の西村さん」と書くべきだろう。この騒動の背景を説明せずにTVに出していい人間ではない。
政治の世界はもう非常識人事が常態化していて感覚がマヒしている。
例えばその中心人物の安倍さんは悪人ではない。彼が起こした事件で彼自身が利益を得た事は余り無い(さくらを見る会で招いた有権者を総務省の人間に接待させたという事はあるが)。
腰巾着にたかられて「良きに計らえ」と下命した事が事件化してる。逆に言うと立場が上がるに従い良きに計らえの効果が絶大になってくる事を理解しないままに社会の上に行っているのだ。
自殺者が出た責任は感じていても、組織で犠牲になり易い場所で自殺者が出るという事は得心出来ていないのではないか?経験が無いのではないか?
この人は兎に角イノセントでその辺のイノセントさが腰巾着達にたかられた原因だろうし、その結果が事件になっている。フリーターの店員が友達タダで飲食させてるみたいな騒動ばかりだった。
シリアの難民問題が猖獗を極めていた時にプーチンが国連総会だかでシリア支援の声明を出し、直後に安倍さんが「ウラジーミル!」と親しげに挨拶していたのが彼のイノセントさを特に表していたと思う。この声明は米、NATOへの対立を明確化する覚悟を示したものだった。
社会の上の方では裁量が大きくなるが責任を自覚せず使ってはいけない、それが身に付いてない者は上に行かせない、という経験律を得ていないようなのだ。
とび職で喩えると、上から足場材を落とされたら下の者は死ぬから最初は足場の上には立たせない。「上の人間が手を滑らせたら自分は死ぬ」という事を理解してから上の作業を任される。
社会の殆どでそういう構造になっていて、例えば就職活動なんかは過剰にストイックで過去のSNSでの不行跡なども許されない。
なのに国家セレモニーでパラリンピックにピンポイントの不行跡の尻ぬぐいもしてない人間を任命してしまうのだ。社会の下の方の宮勤めならあり得ない事が上の方では悠々と起きる。
これは異常な事で職場がそんな事になったら事故や倒産は目の前だ。なのに国レベル、マスコミレベルになるとそんなクソ人事しか無い。
会社で経営者の消費を経費計上する時、経理の人間は家族的付き合いで抱き込んでおく。ぶっちゃけ抱き込まずに経費計上させても密告はリスクがあるのでバレないときはバレない。だがそんな事をしたら経理がユルユルになりどこで抜かれているか見分けが付かなくなる。西村博之を出すTVなどはそういう悪事をする時の覚悟も知らないような感じである。
小山田を据えた決定をした者も同じだろうと思う。上の方は実にイノセントだ。自分が乗る飛行機や電車が事故を起こさないのはどういう社会構造に立脚していると思っているんだろうか?
因みに反がん治療論者で反ワクチン商売っていうのは近藤誠の事。
近藤の影響力が大きくなったのはTVに出たせいであり、始めに出した番組は「たけしのTVタックル」である。財産隠しで脱税、民事裁判逃れしてた西村を最初に出したのもTVタックル。ここはオウムの浅原も出していて中沢新一などより大衆層への浸潤に影響力を持っている。
[CBS Sacramento]Agencies Investigating Cause Of Death Of Person Who Died Hours After Receiving Vaccine, Placer Sheriff Says
https://sacramento.cbslocal.com/2021/01/23/placer-covid-vaccine-person-dies/
プレイサー郡保安官事務所(https://www.facebook.com/PlacerSheriff/) は Facebook の投稿で、
"(亡くなった個人が)12月下旬にウイルスの陽性反応を示していた"
"2021年1月21日に死亡する数時間前にCOVID-19ワクチンを投与された "
"このワクチンはプレイサー郡公衆衛生局によって投与されたものではありません。"
と述べました。
ワクチン接種の数時間後に死亡したというニュースは、カリフォルニアの人々に疑問と懸念を与えました。
CBS13は、感染症の専門家であるカリフォルニア大学デービス校のBlumberg博士と話をし、この特定のケースには詳しくないため、
Blumberg博士は、すべての医療従事者は、予防接種後に有害事象があれば、たとえ関連していなくても報告するようにしていると言います。
COVID-19の陽性反応が出た後にワクチンを接種したい場合、どのくらい待つべきでしょうか?
死亡に関する詳細は発表されませんでしたが、保安官事務所によると、地元、州、連邦機関が調査を進めているとのことです。
週の初め、何人かの人々がワクチンを受けた後に気分が悪くなったと感じた後、モデナワクチンのバッチが州内での使用を中止されました。
そのバッチはそれ以来、承認のためにクリアされ、使用に戻されました。今回のケースでは、どのワクチンが使用されたのかは不明です。
保安官事務所によると、プレイサー郡検視官事務所は月曜日までに検死を行う予定です。
CBS13はカリフォルニア州公衆衛生局に連絡を取りましたが、声明文を受け取っただけでした。
"亡くなられた方のご家族のご冥福をお祈りしております。我々はこのような事例を真剣に受け止め、政府のパートナーと協力して原因を調査しています。
(これを書いている時点で、情報が公開された。自分としては、マスコミのゲスさにうんざりしている)
先に結論を書くと、実名と年齢を聞かされる事での親近感を覚える心理マジックというか錯覚に、「売れれば正義」なマスコミも、他人の不幸を「感動ポルノ」として消費するのが好きな視聴者らも囚われ過ぎてるからだ。
「なんでも鑑定団」という番組があるよね。言うまでもないが、テレ東の看板番組のひとつであり、身の回りにある「お宝」がとんでもない高値のものな事が判明したり、逆にお宝とされていたものが「真っ赤なニセモノ」でタダ同然な事がわかり、出品者が赤っ恥をかくのも番組名物である。
その際、出品物の由来が古美術商から説明されるが、我々が一番見たいものといえばそう、「評価額」だ。つまり、「それはお金にすると、幾らになるのか」だ。だから、発表された高値に驚いたり、逆に二束三文と分かった時のトホホ感覚を楽しめるのだ。
さて、京都アニメーションでの死傷者名が公表された。検視作業も困難を極めたであろう警察関係者には、感謝しかない。
ただしマスコミ、てめーらの関心は前述したように「名前(ここから性別も推測)と年齢」から感じる親近感マジックで、お涙頂戴の悲劇として実際の放火死傷事件をいかに「感動ポルノ」として消費するか、しかねーだろ。
それを、さも報道の使命とやらでごまかし、その後に発生するであろう遺族へのメディアスクラムには知らん顔、というゲスな根性を巧妙に隠している姿勢が、気に入らねーんだよ。
「事件が忘れ去られるのを防ぐ」とやらで御託を並べるなら、アンタらマスコミは自局で「事件追悼企画」とやらで、京アニ過去作の放送くらいやってみたらどうかね。そういう動きに結びつけてない時点で、しょせんアンタらの関心は「死者のプライバシー暴き」とそれを感動ポルノとして消費することにしか無いんだ。
「いなくなった私へ」と「青の数学」を読んだ。どちらも軽快に読み進められたので満足でした。
まずは「いなくなった私へ」の感想。言葉は悪いけれど。凡庸な文章だなって思った。とても読みやすかったんだけど、はっと目を見張るような文章ではなかった。見方を変えればくどくどしさも嫌みなところもない中庸な文章だといえると思う。
登場人物の年齢や、現代が舞台の青春小説であることもあって、小説すばる新人賞に応募する作品に雰囲気が似てる気がした。高校生や大学生なんかにおすすめかもしれない。
この小説は生まれ変わりの物語なんだけど、読書中になんども異世界召喚ものの主人公について思いをはせてしまった。
ほとんど読んだことがないのにこういうことを書くのもあれだけど、異世界召喚物の作品って、体感したことがなかったり、知り合いが誰もいない世界に急に放り出されるのに、結構簡単に状況を受け入れちゃうのが多い気がする。
もちろん、帰れないことや変える方法に主題を置いた作品もあるんだろうけど、人生をやり直そうって思えるところや、やるしかないと腹をくくれるところがすごいなって読んでもないのに勝手に思ってしまった。
「いなくなった私へ」は、現実世界に生き返るんだけど、死んでしまった自分から生き返った自分が切り離されていて、誰からも同一人物と認識されない苦悩がじっくり描かれていたから、余計に異世界召喚物の主人公のことを思ってしまった。
内容でちょっと不思議に思ったのは、どうして樹まで転生してしまったのかってところ。梨乃の血を浴びたからなんだろうけど、梨乃の死体を検視した人も、場合によっては転生してしまうんじゃないのかな。
検死官は地に直接触れないから大丈夫なのかな。あるいは作中にあったように、理不尽な死に対してしか転生減少は発生しないのだろうか。ちょっと気になる。
悪人役以外どの登場人物もすがすがしい精神の持ち主だったので心安く読み進めることができた。三人の現状を考えるとビターな終わり方だけど、しんみりしながらもどこか爽快感もあるのが素敵。優しいミステリー小説になっていた思う。
次「青の数学」の感想。当たり前のように続き物だったのが悔しい。けど、数学を取り扱った小説はSF以外だと初めてだったので新鮮で面白かった。
この小説は文章がちょっと不親切だと思う。過去の回想への導入とか、誰目線の心象なのかとか、不明瞭でちょくちょく手が止まってしまった。
また登場人物がどういうわけかうすぼんやりと感じられて、地の文に名前が出てくるんだけど、誰だこいつってなることが多かった。特にキフユが誰のことを指しているのか、随分と進んでからじゃないと気がつかなかった。
ジャンクフードを食べるように読んでいるのも問題だとは思うんだけど、なんかわかりにくい文章だった。
また全体的に透明な文章になっていたと思う。タイトル通り。青く透き通ってるんだけど、情緒に訴えるところが弱い気がする。独特の読書感を与えてはくれるのだけれど。
内容としては、本当に続刊ありきの終わり方をしているので、中途半端だなあって思った。数学バトルの場面や、数学の先に見える風景など、見せ場はあるんだけど、しっかり着地してないのが残念。
ただ、高校までの数学に対する決められたルールの中でパズルを解くようなものだっていうのには強く首肯してしまった。感覚的にわかっていたことが言語化されると気持ちがいいのです。
よくない気がしたところばかり書いたけど、恋に挫折に挑戦にと、静謐な筆致ながらもこれからますます盛り上がりそうな展開なので、続刊に期待です。