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はてなキーワード: 牧歌的とは

2022-07-19

投稿は甘え

同級生単独ヲチスレを立てられていた話

全く関係ない検索をしていてふと目に留まった

とあるスレッドの過去ログ

読み進めるとどうも見覚えのある顔が貼られている。

名前こそフルネーム本名ではないけれど既視感しかない。

これ、学生時代同級生じゃね???

文明の利器たるインターネットは日々進化

今日に至るまでに様々な個人や団から

コミュニケーション等のサービス提供されてきた。

それらは自己表現ツールとしても非常に有用であり

現代を生きる人々は通信機器さえ持っていれば

いとも容易く『発信者』となり得る時代が到来した。

しかし誰でも利用できる簡便性の一方で

リテラシーを持たぬ者には容赦ない現実が待っている。

何かしらの犯罪を犯したり、あるいは失言や失態、

燻りすぎて焦げ付いた自己承認欲求を爆発させたり…

そういった『イタい』事を『やらかして』しまえば

あっという間に食い物にされてしまうのだ。

増田から言える事だが、私は某クソ溜りを巡回しては

ニヤニヤとROMに耽る程度には性格趣味が悪い。

検索結果から冒頭のページを表示したのも

ちょっとしたゲス好奇心からだ。

そんな私にとって通称ヲチられる人』なんてもの

ネットしか見られないすこしふしぎな珍しい生き物

くらいの位置付けだったので

(※もちろん彼らが血の通った人間である事は

  理解しているが、現実身の回りにそんな風に

  香ばしさを丸出しにする人間がいなかったため

  ネット上でしか観測できないもの認識していた)

まさか自分リアルで知っている人が……

となかなかの衝撃を受けた。

しか思い当たる節はある。

私本人は彼女とそこまで親しくはなかったが

ただパンチの効いた人だった事はよく覚えている。

恐らく成長してさら破壊力が増したのだろう。

彼女暴走を諫めてくれる人は誰もいなかったんだなあ

と一瞬気の毒な気分にもなったが、

彼女と疎遠にしている、あるいは喧嘩し絶縁状態

という友人らの数はもはや片手では足りないため

起こるべくして起きた事だな……

と最終的には納得してしまった。

きっと彼女を諭す事ができる人間など存在しない。

彼女自分の見たいものしか見ない。

それくらい強烈な人物だったのだ。

友人からの伝聞ではあるが

思い出せる中で一番印象的だったエピソード

教室友達他愛のない話をしている最中急に

「ね、いま後ろの男子達……ウチらの事を噂してたよ」

男子ってホント、しょーがないよねぇ」

フゥヤレヤレクスクスと気怠げに小声で呟いてきた

という話。

その『噂』というのは要するに容姿や体型やそういう……

お年頃の男子のするフヮ〜オな話だったそうだが

正直言って、「エッ????」としか言いようがない。

この話を聞いた当時も今も全く意味が分からないし、

もしその『後ろの男子達』の耳に入ったならば

おそらく同じ感想を抱いた事だろう。

しかも後ろといっても彼らが話していたのは

教室の最奥のロッカー周辺だったそうで

彼女からロッカーまでは結構距離があり

休み時間でガヤガヤうるさい中でそれが聞こえたと……

そんな下卑た話を大声でするだろうか?

言いにくいけどそれたぶん何かの勘違いじゃないかな……

とは誰も言えなかったので華麗にスルーしたそうだ。

多感な年頃だったので無用対立を避けたのもあろう。

彼女はどうやら異性の一挙手一投足に

「この人は自分好意を持っている」

という熱を見つける特殊能力があったようだ。

グループ内に

大人しいけど実は美人なので密かにモテている子』

がいたので、その子に影響されてしまったのだろうか?

自分は異性からかに思われているタイプから

と自負しているらしき発言をしていた(要約)

と聞いたときは、言葉にこそ出さなかったが正直

「へえ、おめでたい思考してんね」

と思ったものだ。

というのも、彼女男子に人気があるとか

彼女の事を好きな男子がいるとかいう話は

ついぞ耳にする事がなかったし、

学校卒業するまでの間に

彼氏ができたとか告白されたとか

ういういわゆる浮いた話も一切なかったからだ。

容姿についての言及は避けるが

まあ……お察しいただければと思う。

ゆえに傍から見ればその

自分は異性からかに思われているタイプ

とやらは完全に見当違いか妄想の類か認知の歪み

といった所であろうが

そんな事はお構いなしに彼女は自信に満ち溢れていた。

当時のクラスメイト牧歌的人間が多かったのか

イジメ無視などの陰湿かつ重大な事態には

至っていなかったように記憶しているものの、

度重なる奇行珍妙発言によって

グループ内の友人らにすらやや一線を引かれ

ちょっとした腫れ物状態と化していたが

やっぱりそんな事はお構いなしに彼女以下略

「私って高嶺の花」くらいに思っていたのだろう。

実態が伴っていたかどうかはさておき

自己主張の強い人間文明の利器を手にしたのである

結果は言わずもがな

惜しげもなく大公開される癖の強い自画自賛の持論と

「我が辞書に包み隠すという言葉はない」

と言わんばかりの大量のキメ顔の自撮り

インターネットリテラシーisどこ……

こんな風に常に自信満々で大胆不敵な彼女だが

家庭環境はあまり良いとは言えないものだったらしい。

友人からの伝聞かつプライバシーに関わる事なので

詳細は伏せるが、私は確実にまともではないと感じたし

話を聞いた当時(卒業後)はそれなりに胸も痛んだ。

まあ彼女自身自分境遇に対して

(防御反応から正当化本心からかはわからないが)

全く悲嘆してはいないようだったので

ただの杞憂お節介なのかもしれないが。

そんな複雑な環境で育つ事になった彼女

今はもう立派な大人なわけで。

今の彼女の状況は自分で作り出したもの

呪縛から逃れた人を私自身何人も見てきた。

全てを家庭環境責任にしてしまうのは無理があろう。

だが思うところがないわけではない。

心理学世界ではアドラー博士

トラウマなど存在しない」と断言したが

私は

子供の頃の経験によって人格形成が歪む』

事は起こり得るんじゃないかと考えている。

そう、それは例えば深い怪我をした場所

そこだけもう毛が生えてこなかったり

逆に普通より濃い毛が生えてきたりするのと同じように。

本人曰く

自分は人並み以上の幸せを手に入れた勝ち組

らしいが

彼女のそれらの不遜な言動の数々はまるで

自分幸せだー!!!!」

と大声で叫ぶ事で、自分自身や周りに対して

無理矢理言い聞かせているようにも見えるのだ。

ヲチ物件としてはかなり優秀なプリマドンナだった。

なにしろ発言がいちいち面白すぎた。

「私が人から嫌われるのは、あまりに魅力的すぎて

 相手劣等感を知らぬ間に刺激してしまうせい」

やら

「その気がなくてもなぜか男性を虜にしてしまう」

やら

それはもう枚挙にいとまがない。

味わい深すぎて思わずスマホを握っているのと

反対の手で膝を打って唸ってしまった。

だがしかし、これらのイタい発言の数々が

前述の家庭環境と紐付いてしまうせいで

彼女の『痛々しさ』が別の意味に感じてしまう。

私自身はルッキストではないし

容姿が万人受けでなくとも魅力的な人がいる事や

これらの発言をなんの忌憚もなく堂々と発言してなお、

魅力的だと思える人も存在する事は理解している。

ただ、彼女はそれだけでは終わらなかった。

これらの自画自賛発言には必ずと言っていいほど

他人こき下ろす(本人曰くサバサバ毒舌)』

がセットとしてご一緒についてくる。

発言している本人だけが多幸感を味える

地獄ハッピーセットである

まるで今まで自分が受けた傷への復讐とも思えるまでの

苛烈言葉で過剰に罵るので、

そりゃ反発も起こるだろう事が容易に推察された。

お前さぁ……嫉妬とかじゃなくてそういうとこやぞ。

癖の強さは家庭環境のせいかもしれないにしても、

他者を貶めつつ自分を称賛するような言説をかましたり

自身ステイタスやあれこれを下品にひけらかしたり

していては人に嫌われるのは自明である

こんな事は教えられずとも自分で気付くべきだ。

私は心理学の分野に精通しているわけではないけれど

彼女自己肯定感や自己信頼感というもの

履き違えてしまっている事だけはなんとなくわかる。

ただ独善的刹那的快楽のために

何もかもに目を瞑って、自分で作り出した

夢の世界の中に閉じ籠っているだけに見えるのだ。

今のままじゃ何度ネット上で転生しようとも

永遠に滑稽な踊り子だろう。


私は心優しい人間とは程遠い

人の醜い所を煮凝りにしたみたいな性格をしているので

彼女が笑い者になっている事自体には

少しも心を痛めていない。

でもヲチられている事を正当化はしない。

あそこにたむろしているのは自分含め

碌でもない人間だという自覚は一応持ち合わせている。

革靴で丸一日歩き回った後の汗まみれの靴下

数日貼り続けた絆創膏ガーゼ部分のにおいが

臭くて不愉快だと分かっているのに嗅ぎたくなる、

そして「クッセェェェwww」と仲間内で騒ぐのに似た、

人を玩具嗜好品にする事に歪んだ快感を感じる集団

臭ければ臭い程、喜ばれて遊ばれる。

それが嫌なのであれば、言論統制よりもまず

原因となるにおいを洗い流すしか対抗手段はない。

これはあくまでも

ヲチられるのが嫌なのであれば』

の話であって、ヲチャ側としての意見ではない。

ヲチャで弗に改心しろとか糾弾せねばならないとか

そんな事を思っている人がいるとしたら少数派だろう。

多くは娯楽として消費しているだけだ。

中には言葉が過ぎる者もいたりするが

そういう輩は迷惑なので自重してほしいと思っているし

お触り厳禁を守れない者はひたすらに迷惑しかない。

ただ、彼女に限らず全てのヲチ対象に言える事だが

いつまでも踊り狂う姿を見ていたい気持ちの反面、

いつか自分自身の心と正面から向き合い

己の攻撃性や認知の歪みの根源に気付き

心が真に求めているモノは何なのかを知り

それを手に入れて心身に安寧が訪れればいいね

とも思う。

何様目線かと思われるかもしれないが、

別に綺麗事を言いたいからではなくて

物理的に彼女らの周囲にいる人間を気の毒に思うからだ。

彼女から受けた被害への批判や、忠告の類を全て

嫉妬で片付けられては堪らないだろうと思うし、

そんな人と毎日顔を合わせ続けなければいけないなんて

ただただ苦痛しかないだろう。

いまでこそこんなゲスの極みクズになってしまったが

子供の頃はまだ純真であった私、

当時は『こういう人種』を『面白がる』という

発想や嗜好がなかったため

弗の原石に気付かなかった事を

一瞬もったいなく感じてしまったが、

ヲチは身近すぎるリアル人間関係でやってしまうと

余程タフでもない限り精神衛生に支障をきたしそうだ

という事に気付き早々に認識を改めた。

ここに彼女が誰であるかを示すつもりもないし

当該スレはもうdat落ちしているため

燃料を撒きに行く術もない。

卒アルや友人からもらったプリなども残っているが

ウケ狙いでただの嫌がらせをするメリットもない。

超えちゃいけないラインを助走つけてどころか

ホップステップジェットパックで飛び越えてるまである

また、スレッドの内容等々を

彼女の元友人らと共有する気もない。

元々ヲチROMメインなのだ

ヲチ対象のアレコレを見てモヤモヤを溜めたところで

米を読んでカタルシスを得るタイプクズから私は。







こんなん内容が内容だけにリアル友人にも言えないし

増田に吐き散らして気持ちを整理したかったんだけど

恐ろしく長い上自分でも言語化が難しい感情だった。

別に悲しいとかは一切ない。

衝撃と面白さとほんの少しの哀れみと

アレとコレとソレが混ざって混乱してはいる。



ヲチの話なのにオチも何もない文章になってしまったが

彼女未来に幸あれ。

https://archive.ph/2022.07.19-044423/https://anond.hatelabo.jp/20220719103756

anond:20220719135226

https://anond.hatelabo.jp/20220719140540

想像の五倍長くて草

読めんわw

同級生単独ヲチスレを立てられていた話

全く関係ない検索をしていてふと目に留まった

とあるスレッドの過去ログ

読み進めるとどうも見覚えのある顔が貼られている。

名前こそフルネーム本名ではないけれど既視感しかない。

これ、学生時代同級生じゃね???

文明の利器たるインターネットは日々進化

今日に至るまでに様々な個人や団から

コミュニケーション等のサービス提供されてきた。

それらは自己表現ツールとしても非常に有用であり

現代を生きる人々は通信機器さえ持っていれば

いとも容易く『発信者』となり得る時代が到来した。

しかし誰でも利用できる簡便性の一方で

リテラシーを持たぬ者には容赦ない現実が待っている。

何かしらの犯罪を犯したり、あるいは失言や失態、

燻りすぎて焦げ付いた自己承認欲求を爆発させたり…

そういった『イタい』事を『やらかして』しまえば

あっという間に食い物にされてしまうのだ。

増田から言える事だが、私は某クソ溜りを巡回しては

ニヤニヤとROMに耽る程度には性格趣味が悪い。

検索結果から冒頭のページを表示したのも

ちょっとしたゲス好奇心からだ。

そんな私にとって通称ヲチられる人』なんてもの

ネットしか見られないすこしふしぎな珍しい生き物

くらいの位置付けだったので

(※もちろん彼らが血の通った人間である事は

  理解しているが、現実身の回りにそんな風に

  香ばしさを丸出しにする人間がいなかったため

  ネット上でしか観測できないもの認識していた)

まさか自分リアルで知っている人が……

となかなかの衝撃を受けた。

しか思い当たる節はある。

私本人は彼女とそこまで親しくはなかったが

ただパンチの効いた人だった事はよく覚えている。

恐らく成長してさら破壊力が増したのだろう。

彼女暴走を諫めてくれる人は誰もいなかったんだなあ

と一瞬気の毒な気分にもなったが、

彼女と疎遠にしている、あるいは喧嘩し絶縁状態

という友人らの数はもはや片手では足りないため

起こるべくして起きた事だな……

と最終的には納得してしまった。

きっと彼女を諭す事ができる人間など存在しない。

彼女自分の見たいものしか見ない。

それくらい強烈な人物だったのだ。

友人からの伝聞ではあるが

思い出せる中で一番印象的だったエピソード

教室友達他愛のない話をしている最中急に

「ね、いま後ろの男子達……ウチらの事を噂してたよ」

男子ってホント、しょーがないよねぇ」

フゥヤレヤレクスクスと気怠げに小声で呟いてきた

という話。

その『噂』というのは要するに容姿や体型やそういう……

お年頃の男子のするフヮ〜オな話だったそうだが

正直言って、「エッ????」としか言いようがない。

この話を聞いた当時も今も全く意味が分からないし、

もしその『後ろの男子達』の耳に入ったならば

おそらく同じ感想を抱いた事だろう。

しかも後ろといっても彼らが話していたのは

教室の最奥のロッカー周辺だったそうで

彼女からロッカーまでは結構距離があり

休み時間でガヤガヤうるさい中でそれが聞こえたと……

そんな下卑た話を大声でするだろうか?

言いにくいけどそれたぶん何かの勘違いじゃないかな……

とは誰も言えなかったので華麗にスルーしたそうだ。

多感な年頃だったので無用対立を避けたのもあろう。

彼女はどうやら異性の一挙手一投足に

「この人は自分好意を持っている」

という熱を見つける特殊能力があったようだ。

グループ内に

大人しいけど実は美人なので密かにモテている子』

がいたので、その子に影響されてしまったのだろうか?

自分は異性からかに思われているタイプから

と自負しているらしき発言をしていた(要約)

と聞いたときは、言葉にこそ出さなかったが正直

「へえ、おめでたい思考してんね」

と思ったものだ。

というのも、彼女男子に人気があるとか

彼女の事を好きな男子がいるとかいう話は

ついぞ耳にする事がなかったし、

学校卒業するまでの間に

彼氏ができたとか告白されたとか

ういういわゆる浮いた話も一切なかったからだ。

容姿についての言及は避けるが

まあ……お察しいただければと思う。

ゆえに傍から見ればその

自分は異性からかに思われているタイプ

とやらは完全に見当違いか妄想の類か認知の歪み

といった所であろうが

そんな事はお構いなしに彼女は自信に満ち溢れていた。

当時のクラスメイト牧歌的人間が多かったのか

イジメ無視などの陰湿かつ重大な事態には

至っていなかったように記憶しているものの、

度重なる奇行珍妙発言によって

グループ内の友人らにすらやや一線を引かれ

ちょっとした腫れ物状態と化していたが

やっぱりそんな事はお構いなしに彼女以下略

「私って高嶺の花」くらいに思っていたのだろう。

実態が伴っていたかどうかはさておき

自己主張の強い人間文明の利器を手にしたのである

結果は言わずもがな

惜しげもなく大公開される癖の強い自画自賛の持論と

「我が辞書に包み隠すという言葉はない」

と言わんばかりの大量のキメ顔の自撮り

インターネットリテラシーisどこ……

こんな風に常に自信満々で大胆不敵な彼女だが

家庭環境はあまり良いとは言えないものだったらしい。

友人からの伝聞かつプライバシーに関わる事なので

詳細は伏せるが、私は確実にまともではないと感じたし

話を聞いた当時(卒業後)はそれなりに胸も痛んだ。

まあ彼女自身自分境遇に対して

(防御反応から正当化本心からかはわからないが)

全く悲嘆してはいないようだったので

ただの杞憂お節介なのかもしれないが。

そんな複雑な環境で育つ事になった彼女

今はもう立派な大人なわけで。

今の彼女の状況は自分で作り出したもの

呪縛から逃れた人を私自身何人も見てきた。

全てを家庭環境責任にしてしまうのは無理があろう。

だが思うところがないわけではない。

心理学世界ではアドラー博士

トラウマなど存在しない」と断言したが

私は

子供の頃の経験によって人格形成が歪む』

事は起こり得るんじゃないかと考えている。

そう、それは例えば深い怪我をした場所

そこだけもう毛が生えてこなかったり

逆に普通より濃い毛が生えてきたりするのと同じように。

本人曰く

自分は人並み以上の幸せを手に入れた勝ち組

らしいが

彼女のそれらの不遜な言動の数々はまるで

自分幸せだー!!!!」

と大声で叫ぶ事で、自分自身や周りに対して

無理矢理言い聞かせているようにも見えるのだ。

ヲチ物件としてはかなり優秀なプリマドンナだった。

なにしろ発言がいちいち面白すぎた。

「私が人から嫌われるのは、あまりに魅力的すぎて

 相手劣等感を知らぬ間に刺激してしまうせい」

やら

「その気がなくてもなぜか男性を虜にしてしまう」

やら

それはもう枚挙にいとまがない。

味わい深すぎて思わずスマホを握っているのと

反対の手で膝を打って唸ってしまった。

だがしかし、これらのイタい発言の数々が

前述の家庭環境と紐付いてしまうせいで

彼女の『痛々しさ』が別の意味に感じてしまう。

私自身はルッキストではないし

容姿が万人受けでなくとも魅力的な人がいる事や

これらの発言をなんの忌憚もなく堂々と発言してなお、

魅力的だと思える人も存在する事は理解している。

ただ、彼女はそれだけでは終わらなかった。

これらの自画自賛発言には必ずと言っていいほど

他人こき下ろす(本人曰くサバサバ毒舌)』

がセットとしてご一緒についてくる。

発言している本人だけが多幸感を味える

地獄ハッピーセットである

まるで今まで自分が受けた傷への復讐とも思えるまでの

苛烈言葉で過剰に罵るので、

そりゃ反発も起こるだろう事が容易に推察された。

お前さぁ……嫉妬とかじゃなくてそういうとこやぞ。

癖の強さは家庭環境のせいかもしれないにしても、

他者を貶めつつ自分を称賛するような言説をかましたり

自身ステイタスやあれこれを下品にひけらかしたり

していては人に嫌われるのは自明である

こんな事は教えられずとも自分で気付くべきだ。

私は心理学の分野に精通しているわけではないけれど

彼女自己肯定感や自己信頼感というもの

履き違えてしまっている事だけはなんとなくわかる。

ただ独善的刹那的快楽のために

何もかもに目を瞑って、自分で作り出した

夢の世界の中に閉じ籠っているだけに見えるのだ。

今のままじゃ何度ネット上で転生しようとも

永遠に滑稽な踊り子だろう。

私は心優しい人間とは程遠い

人の醜い所を煮凝りにしたみたいな性格をしているので

彼女が笑い者になっている事自体には

少しも心を痛めていない。

でもヲチられている事を正当化はしない。

あそこにたむろしているのは自分含め

碌でもない人間だという自覚は一応持ち合わせている。

革靴で丸一日歩き回った後の汗まみれの靴下

数日貼り続けた絆創膏ガーゼ部分のにおいが

臭くて不愉快だと分かっているのに嗅ぎたくなる、

そして「クッセェェェwww」と仲間内で騒ぐのに似た、

人を玩具嗜好品にする事に歪んだ快感を感じる集団

臭ければ臭い程、喜ばれて遊ばれる。

それが嫌なのであれば、言論統制よりもまず

原因となるにおいを洗い流すしか対抗手段はない。

これはあくまでも

ヲチられるのが嫌なのであれば』

の話であって、ヲチャ側としての意見ではない。

ヲチャで弗に改心しろとか糾弾せねばならないとか

そんな事を思っている人がいるとしたら少数派だろう。

多くは娯楽として消費しているだけだ。

中には言葉が過ぎる者もいたりするが

そういう輩は迷惑なので自重してほしいと思っているし

お触り厳禁を守れない者はひたすらに迷惑しかない。

ただ、彼女に限らず全てのヲチ対象に言える事だが

いつまでも踊り狂う姿を見ていたい気持ちの反面、

いつか自分自身の心と正面から向き合い

己の攻撃性や認知の歪みの根源に気付き

心が真に求めているモノは何なのかを知り

それを手に入れて心身に安寧が訪れればいいね

とも思う。

何様目線かと思われるかもしれないが、

別に綺麗事を言いたいからではなくて

物理的に彼女らの周囲にいる人間を気の毒に思うからだ。

彼女から受けた被害への批判や、忠告の類を全て

嫉妬で片付けられては堪らないだろうと思うし、

そんな人と毎日顔を合わせ続けなければいけないなんて

ただただ苦痛しかないだろう。

いまでこそこんなゲスの極みクズになってしまったが

子供の頃はまだ純真であった私、

当時は『こういう人種』を『面白がる』という

発想や嗜好がなかったため

弗の原石に気付かなかった事を

一瞬もったいなく感じてしまったが、

ヲチは身近すぎるリアル人間関係でやってしまうと

余程タフでもない限り精神衛生に支障をきたしそうだ

という事に気付き早々に認識を改めた。

ここに彼女が誰であるかを示すつもりもないし

当該スレはもうdat落ちしているため

燃料を撒きに行く術もない。

卒アルや友人からもらったプリなども残っているが

ウケ狙いでただの嫌がらせをするメリットもない。

超えちゃいけないラインを助走つけてどころか

ホップステップジェットパックで飛び越えてるまである

また、スレッドの内容等々を

彼女の元友人らと共有する気もない。

元々ヲチROMメインなのだ

ヲチ対象のアレコレを見てモヤモヤを溜めたところで

米を読んでカタルシスを得るタイプクズから私は。





こんなん内容が内容だけにリアル友人にも言えないし

増田に吐き散らして気持ちを整理したかったんだけど

恐ろしく長い上自分でも言語化が難しい感情だった。

別に悲しいとかは一切ない。

衝撃と面白さとほんの少しの哀れみと

アレとコレとソレが混ざって混乱してはいる。

ヲチの話なのにオチも何もない文章になってしまったが

彼女未来に幸あれ。

https://archive.ph/2022.07.19-044423/https://anond.hatelabo.jp/20220719103756

anond:20220719135226

2022-07-18

UNIX 哲学」についていくつか

名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita

この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である

参考文献

初期の UNIX歴史について興味がある向きには次の書籍お薦めする。

Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)

和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。

また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。

哲学

記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。

https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date

ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。

もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。

この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDFOCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX論文なのだ。もちろん論文性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイ哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白いUNIX開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然時代だったことは間違いない。

UNIX認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイ論文に影響を受けた布教のためのああい説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本最初期の UNIX 解説本のひとつである村井純井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。

オペレーティングシステムは,コンピュータを使うものにとっての環境形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIXオペレーティングシステムとしての個性ではないだろうか。

 

    プロフェッショナル UNIX村井純井上尚司・砂原秀樹,1986,アスキー)p 3.

「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能コマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである

そしてじつは UNIX場合布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。

UNIX の利用環境

UNIXPDP というミニコンピュータミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校コンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器コンピュータではなくコンピュータ接続するための端末装置ターミナル)だ。端末装置キーボードで打った文字コンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 UnixOSCLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置エミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。

さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっとコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥CPU でそっちの洗濯機ハードディスク,あの机に置かれているタイプライタ管理コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代お話だ。

端末装置それぞれからUSB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。

結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。

自由不安定OS

当時の UNIX評価一言で表すと〝自由不安定OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由さらに他のメインフレームミニコンOS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロOS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番ディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。

こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイ1986年11月から1988年10月掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器1980年ごろから UNIX サイトスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。

CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU実質的に停めてしまうことが UNIXはいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンド10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに viカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているとき勝手をやられると非常に困るのである当人仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。

ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイル自由に作ることができる。したがって,自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソールタイプライターにエラーメッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソールタイプライターが一晩中エラーメッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図完璧に打ち砕かれてしまうのである

 

    root から / へのメッセージ高野豊,1991,アスキー)pp16-17.

そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンド10個くらい同時に走らせ」たり「自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイト利用者全員に UNIX設計基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX伝道がより苛烈だった理由ひとつがここにあるのだ。

ミニコン UNIX終焉

ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代UNIX は Research UNIXCSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIXライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。

もっともそういう70年代風味の牧歌的風景ミニコン世界限定の話であった。BSDのものミニコンのものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSDUnixAT&T推し進める System V などがワークステーション市場舞台80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PCUnix であるマイクロソフトXENIX も当然参戦した。ミニコン世界牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争あくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&TBSDUnixSun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。

こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unixのもの文化にも変化をもたらした。まず激しい競争Unix の高機能化を加速した。商品として判りやす惹句が「あれもできます,これもできますなのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者自由制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix現在UnixOS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unixシステム管理入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空ソフトウェアハウス(開発会社)を舞台新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。

UNIX 哲学背骨

当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイ論文結論部分に書かれたそれは,1973年出版されたイギリス経済学者エルンストシューマッハー著作題名で,中学生英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。

Small is beautiful.

マキルロイは『人月神話』を引いて一定留保をつけてはいものの,これが UNIX 哲学背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•csアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?

ひるがえって現在UnixOS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX仮想敵とした OSのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。

2022-07-11

anond:20220711184038

現実問題として、宗教というコミュニティも維持にはカネがかかるというのがまず事実で、

普通?のキリスト教教会だったら、回ってきた袋に誰がいくら寄付たかは分からない

自分はカネがないので100円ぐらい入れて、昼飯はちゃっかりごちそうになったりしたこともあるw

ただ、カルトは現世利益が重視されることが多いので、寄付に比例した分だけ現世利益があるよ、みたいな教義があるのかもしれない

オウムとかもそうだったし…

普通?のキリスト教教会だったら、まず本部から運営資金ちょっとは来るはず

そのお金本部企業とかから寄付を得たもの

それと日曜の礼拝などで袋を回して寄付を募る

普通?の教会なら現世利益は重視されないので、寄付をすればするほど良いわけではない

そういう牧歌的空間だったらいいんだけどね

あと、教会牧師神父兼業で平日は働いてる方が普通というか、金欠な方が普通なはず

宗教だけで回ってる、羽振りが良すぎる、というのはちょっと変だと思ったほうがいいか

もちろん貧乏ほどマトモというわけでもないけど

難し🌾

2022-07-07

anond:20220707094212

サイゼリアの注文が注文書になるような人間性を失う社会では、地元自動車学校に通って免許を取るという牧歌的風景もなくなり

システム化された長期休暇の合宿こそが通常とされてしまうのでありウンタラカンタラってことかな(適当

2022-06-15

せめて逐条解説くらいは読んでから

法律の話するときは条文だけじゃなくてその条文をWikiれば構成要件やら判例出てくるからさ、せめてその程度は読んでからにしようよ

 

人をぶん殴るのは悪いことだ、だって刑法ダメだと定められてる。

法律絶対的ルールだ、倫理だ、正義だと

かに

刑法第二百四条 人の身体傷害した者は、十五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する

 

これしか書かれてない

ところが、おかしいよね、相撲プロレスボクシング

堂々とテレビ中継されてる。

204条にひっかかるはずだよね?

だけど容認されてる。

プロならいいのか。

例えば、朝倉未来とか素人喧嘩自慢みたいなので素人同士

あるいは素人プロが殴り合いしてる、鼻血出してる。

あれ?

 

素人同士が町中で喧嘩するのとなにが違うのか。

リングの上ならいいのか、レフリーがいればスポーツからいいのか

いずれにしてもそんな例外規定刑法のどこにも書かれてない。

 

ざっくり言えば常識判断する、法律にはのりしろがある。

緻密に言えば

刑法第三十五条 法令又は正当な業務による行為は、罰しない。

 

業務」という単語一般用語法律用語概念が異なる点は注意しておくが

ブレイキングダウンなどはここらで説明がつくのだけど

(彼らは弁護士つけて法律ギリギリのところを攻めてる)

 

とにかく法律条文がすべてではない

省令政令通達条例判例施行規則etcで詳細が規定されてる

 

ところが条文厨が、法律でわぁ、条文でわぁ、をやる

相撲中継を見て傷害罪だ暴行罪だというてるようなもんなんだが

本人はそのナンセンスに気がついてない。

法律を守る、条文通り、文字通りに解釈するのが正しい、正義、ドヤドヤ

 

この風潮を法曹が生暖かく傍観し声を上げない

彼らにとって悪いことではないからだ。直接的短期的には、まぁその話はい

 

高木浩光さんは日本ネットに多大な貢献をされてる方だが

2019年頃の著作権法改正議論の時は違和感を覚えた。

彼は改正条文には例外漏れなく規定されなきゃ欠陥法になる式議論をやってた

傷害罪の但し書きに現存するスポーツすべてを列挙し、プロ素人

試合怪我をどこまで容認するか明文規定を定めよというてるような違和感

 

法律条文なんてざっくりでいいんだよ。

他人コンテンツをパクったらダメ

骨格はこれでいい、法律条文はこれだけでいい。

政令細則ルール決めればいい。

実務運用常識でやればいいんだけど、確かに特に新しい法律はそれが許されなくなってきてる。

警察法曹が条文厨を逆利用してる。

世の中をがんじがらめにしたいのか。

 

権力暴走して別件逮捕に使う、ネット健全な発展を阻害する、トライアンドエラー

許されない、権力乱用、本来はこれらを国民監視抑制できりゃいい。

検察は新しい法律ができれば判例基準寄与するような案件やりたいからギリ狙いで訴追するわけだが、それを抑制する仕組みがあればいい。

ようするに司法国民監視

 

検察審査会で不起訴処分国民監視はある、

ところが「それ起訴するほどじゃないよね」的な国民監視による起訴覆しは無い。

 

ノーアクションレター日本外圧で導入したものの骨抜き形骸化させた。

法令適用事前確認手続き、役立たずのクソ制度、形だけ

そういうのもさジワジワ社会ダメージ与えてんのよ。

新しい商売やりたい、でも既存法律解釈次第ではひっかかってしまう。

行政司法相談してお試しでやらしてほしい。

日本はそういうのができない。

 

例えばアメリカで始まったUber

あれもカリフォルニアではグレーゾーンだった、ノーアクションレター取って始めた。

そうやって社会をすこしずつ変えていく。

 

法律ののりしろの部分で迅速柔軟に社会を変化させていく

大きく乖離したとき法律のものを変える

 

そういうサイクルを回してる。

 

ルールは、まずは守ってから変えようと声をだして、賛同が得られたら改正されて

合法になってから新しいことをやれ。

校則議論などでもしばし持ち出される日本理論

のりしろによる変化の否定、硬直社会

 

破りながら変えていくでええんや

 

おおらかな昔の日本はまだマシだった。

米穀通帳

理屈の上では日本人全員持ち歩いてなきゃならなかった

誰一人持ち歩いてない。

日本人全員が違法状態なのに長らく議論にすらならず1979年に大臣で使っていたのは

法務大臣一人だけ、他大臣全員アウト、所管の農林水産大臣すら使ってない。

 

ありゃりゃ、じゃぁ法律変えようかとようやく議論になり法改正された牧歌的時代

国家ルールですらそんなザルい運用

でもそんなんでええやん

「男女が一緒に同じプールに入るのはおかしい」 複数の生徒らが不快

https://kahoku.news/articles/20220614khn000043.html50代だけど、わしらの頃は知らんおばちゃんが他校の娘と息子をなぜか授業に参加させたり、先生幼稚園の息子を休み時間プール入れてたり牧歌的だったぞ

誰も気にしていない様子だった

Netflix「このメールアドレスに一致するアカウントが見つかりません」

あらやだ

ジプシーできる牧歌的時代も終わりか…

っていうか前回のメンバーシップキャンセルが去年の7月でほぼ1年だから

今回はクレカ情報どころかメアドも消されたって話だろうか

むーん…

2022-05-27

anond:20220524181842

まだ悩んでるんだけど、ここで言及した可能性について考察したい。

可能性としては「性欲は結構あるしムラムラするけど、逆に理性を高めて邪心を抑える」って方法も、ないとは言い切れないはず。

anond:20220525213803

男性の性衝動には多寡がある。居ても立っても居られない男がいれば、常に平静さを保てる人もいる。加害を未然に防ぐのを考えているのだから欲望の強い個体をどうするかに焦点をしぼる必要がある。

彼の性欲を抑える方法として、AV などのセックスファンタジー摂取役割果たしているのは否めないと思う。夢精で済ますのが理想的と見る立場からは、ファンタジーは性欲を煽って高めているように見える。でも一方で、吐精を促して賢者化するハンディ手段という側面は確かにある。

私が提示した ❶ 夢精で済ます ❷ 理性を高める、このふたつは効率の側面で女性威迫型の虚構を超えるだろうか。厄介さは夢精体験がいつ起こるのか予測不能な点にある。あまり知られていないが、成熟した男性器は夢精しないらしい。生産された精子を体内に吸収してリサイクルする能力が完成しているからだ。不幸にして未成年の多感な時期に、夢精トラブルは起こりやすい。

目覚めたとき夢精しているのに気づいて対処に追われた男子も多いと聞く。なんとか親にバレないように隠蔽しなければいけない。登校前に。

ここにも男性文化の弱さがある。夢精が恥として扱われているのだ。しかし、隠していたエロ雑誌玄関にこれ見よがしに放り出されるという、ダブルバインド

女子初潮は、赤飯を炊いて祝う文化があったのを思い出して欲しい。夢精の処理をクリーンに行うために未然にする準備は、女子ナプキンタンポンほどには整備されていない。いやさ全く開発されてないと言っても過言ではないと思う。男性器は収縮があるのでラップを巻いても就寝中に外れてしまう。粘度の少ない状態の液は、隙間から流出やすい。進歩した技術現実的安価解決策を作れるだろうか? 検討される間も無く、積極的な吐精か消極的夢精かの選択は、まるで自明のように積極性へと舵を切っていた。事実上少年たちは選択権を持ってないと言える。

理性を高める方法は、輪ゴムを使った方法が知られている。アルコール依存症の方々などが使うやり方で、お酒を飲みたい欲望が高まってきたときに、腕に巻いた輪ゴムを弾いて、我に帰るのである。極めて即時性が高いので、おそらく性加害を防ぐためにも有効だと思う。だが困難もある。アルコール依存対処としてトリガーとなる刺激、お酒広告などを避ける。コンビニスーパー酒類のある場所に近づかないようにする。日々注意して生きるのは社会生活を送る上で間違いなく辛い習慣だが、性欲での回避行動は輪をかけて厳しいはずだ。あらゆる場所女性はいるのだから

スク水揚げ」を目撃しただろうか。要するにただの魚の水揚げの報告に集まったブックマークコメントは、しかし主旨とは全く異なるものだった。少女性的に消費する祭りが大々的に興る一方で、それを注意する活動はおろそかにされてる。増田だってベロベロ舐める女性への威迫が、そこかしこに付けられてるのに、ほぼほぼ咎められてないよね。回避行動の困難さの他方、

社会活動レベル男性性欲の発露を抑える活動は、補うどころか蔑ろにされているんだ。

理性を高める何かは、個人的努力範囲では手軽さはなく、むしろ厭世家修行のような格好になってしまうだろう。言語でのコミュニケーション媒介にして厚く行われる必要がある。いま私の中に浮かんでいるイメージは、往年の非モテ論壇のありようだ。非モテ男性同士がブログを通じてトラックバックを投げ合っている様子は、現在中島イデアとは似ているようで大きく異なる。

中島が友だちの弱者男性、磯野を誘って東京ドームキャッチボールするイメージは、弱者男性の共助のロールモデルとして深く増田たちの心に刻まれた。牧歌的光景は、まるでもともと孤独の救いの原風景であったかのようだ。しかし混じりなき善意にも関わらず、中島の救いは、磯野を言葉で説得することでは為されてないことに注意してほしい。

キャッチボール前後で磯野の価値観アップデートされてなどいない。

非モテ論壇の議論結論は無かったかもしれない。しかし、彼らの価値観作用したのは疑う余地がない。男性性の「善きあり方」を模索していく方向性は、未達のままに放棄された希望だと思う。その先に道を探すべきだ。内心の自由の内側にこもるのでなく。

2022-05-10

anond:20220510003340

ちょっと目立ちすぎなんだよなー

表現のもの規制するほどとは自分は思わないが

広告対象外人間に触れやすすぎると言うか。

そう思うとエロゲ専門誌に留まっていた時代牧歌的だった。

2022-05-05

anond:20220505144233

qiitaのよくわからない記事にらめっこしながらこつこつLinuxコマンドを実行して本番サーバーを構築する牧歌的な日々に帰りたい

2022-04-23

anond:20220423015630

最初から完璧を求めることはできない!

それは仕方がないが妥協意味するものではない!

とにかく人が増えマスを対象にしたものになっていけばいくほど、問題可視化されそれを乗り越えるための人々の意識も高まっていく!

そう! 牧歌的だった90年代インターネット20年代ポリコレ棍棒まみれになったのと同じように!

これはネガティブにも思える一方で、インターネットがマスを抱え込むためには不可避な変化なのだ

こうして激動の中で最大多数が心地よく過ごせるラインを探っていく泥臭いやり方しかできないのだ!

強烈なリーダーシップをもった指導者スマート解決をするのは夢想にすぎない!

そんな非民主的アプローチでは文化として根付かないだろう!

新しいものを迎えるには忍耐! 忍耐が肝心なのだ

2022-04-09

anond:20220409133020

くじびき、わりばし牧歌的でいいじゃないか

PTAにはスマホの持ち込みも禁止だ!

誰かの誕生日にはプレゼント交換な!

2022-04-07

「お股がゆるい」って表現昭和平成みを感じる

「妻の浮気を止めることができない、なぜ妻はお股がゆるいのか」

みたいな表現

なんか牧歌的時代を感じる。

2022-03-27

anond:20220325233735

匿名アカウントでつぶやいてるから見ず知らずの人に特定されるわけないじゃんwww」って言う人は結構多いけど

そのID使ってる人がどの当たりに住んでるどんな人かは割と割り出せるから

普段つぶやき頻度や時間天災事故事件への反応、店や食事写真好き嫌い主義主張職種や友人関係その他

1つのワードだけなら該当する人は大量にいるけど、複数ワードに関連付く人なんて実はそうそういないから意外と見つかる

特に極端な主義主張してる人はたいていSNSやってるから割とすぐ見つかる

そういう意味では便所の落書き匿名時代のがよっぽど気楽で牧歌的で「安全」だった

コテハンはしらん

2022-03-13

Wikipediaが何ではないのかという話はもうちょっと丁寧に説明周知理解されてもいいと思う

「要は参考文献つきのレターみたいなもんです」「なるほど面倒くさいな」のやり取りで理解が済む牧歌的時代はとうに過ぎたのであるからし

2022-03-12

anond:20220310005819

社内SEが数百人以上いる会社だと部署によってはアプリ開発しからやらんからSIer時代と大して変わらんね。所詮予算取ってくる事業部下請けだし。

好きなだけセミナーやら展示会に行って自分のペースで開発をする牧歌的社内SEやりたい。

2022-03-04

大昔は牧歌的エントリも挙がってたんだが

はてなスターによるイニシアチブ争いでコメント殺伐化して

短文弾く建設ナンチャラが大喜利エントリ駆逐したせいで

ホッテントリ殺伐手斧エントリ一色に埋め尽くされてしまった

2022-03-02

anond:20220302072224

シリアも、初めは民主化運動だった

権力者弾圧たから手に追えなくなった

例えばロシアウクライナ占領して、傀儡政権反対運動武力制圧しだしたら制御が効かなくなって牧歌的光景も見られなくなる

2022-02-03

anond:20220203105459

キャプテン翼・・・



でもオフサイドとかは学習していってるんだよなぁ。もっとひどい漫画はよくある。

昔はスポーツからない知らないままスポーツ漫画書いたり、原作漫画アニメも中身知らないまま主題歌作ったり牧歌的時代だったからな。

味方DFタックルしたボールGKがそのままキャッチ(味方からパスは手を使えない)など

anond:20220203104608

昔はスポーツからない知らないままスポーツ漫画書いたり、原作漫画アニメも中身知らないまま主題歌作ったり牧歌的時代だったからな。

プロゴルファー猿は、藤子Aがゴルフ好きだったから作ったとか言われているが。

2021-12-11

クソみたいな田舎で近隣の同世代にも大人たちにも虐待されてた自分子供時代よりは今がいいなぁ

昔が良かったのは、ときどきそんな田舎を抜け出して政令指定都市とか東京まで遊びに出たりしたときとか、

今に比べて世の中が牧歌的だった面は良かったけど、

今の世の中の方が格段にマシなことも多いわけで、

子供の頃に戻りたいとはまったく思わないし、しにたくなるので昔のことは思い出さないようにしてる

2021-12-09

経験からWebエンジニアになって年収1000万円を稼げるようになった話

TLDR

(WEBエンジニアリング)未経験から(院卒新卒カードを使って)Webエンジニアになって(5年で)年収1000万円(の会社員と同等の手取り本業副業合わせて)稼げるようになった話

入社まで

工学部情報系でない)の修士課程で、画像処理機械学習を用いた研究をしていた。

PythonLinuxについては少々経験したが、MVCに関する技術は一切触った事がなかった。

就活して、Web系のC向けの名の知れたサービスを自社開発している企業エンジニアとして入社することになった。

※当時は今より牧歌的自分のような人間入社することができた。今はわからない。

副業を始めるまで

PythonFWを使ったWebサービスの開発を行なっていた。

とはいえ、腰を据えて開発している時間は少なかった。大きい企業既存事業にいると開発とは無関係運用や調整業務がかなりあった。

3年目くらいで副業を始めることにした。

理由もっと技術力をつけたかったというものである

上記の通り業務内で技術力を向上させることがむずかしかったのと、未経験業界に来ているハンデを抱えていたのである

Python以外の言語ほとんど書けなかったのでPythonwebスクレイピング案件を探した。

副業エージェントを経由して探した。

5件ほどお祈りされたが、懲りずに応募し続けてたら採用された。Flaskの案件だった。Flaskは書いたことがなかったが採用された。

当時はその会社Python が書けるエンジニアがいなかったので重宝されたし、仕事も任せてもらっていた。

副業をはじめてから

契約は週15時間だった。その間にCOVIDが来て全てが在宅勤務になり、気付いたら週30時間まで稼働するようになっていた。。

当初の見込み通り基礎体力は身に付いていったと思う。

最初案件を納品したあと、次の案件をもらい、段々仕事の幅が広がっていった。

Linuxサーバを触ったりDBサーバを触ったりphp雰囲気で書いたりDockerfileを書いてECS環境を構築したりなど。

Golang, Rust, k8sなど人気の技術案件は探してもちょうどいいものが見つからないのでチュートリアルをやる以上の勉強はできていない。

稼働が落ち着いてきたので副業を増やすことにした。

ちょうど良さそうな募集があったので応募したところ今度は一回で採用された。

給与も少し上がった。後ほど元の副業給与も上がり、本業給与も少しずつ上がった。

年収いくらなのかよくわからなくなったので、月々の手取り銀行口座から調べて、年収1000万円の会社員手取り比較すると大体同じくらいの金額になっていた。

結局年収1000万稼ぐのは難しいのか

犠牲にしていることといえば可処分時間くらいだと思っているので、TLDR節に書いた内容についてはそんなに無理がなくある程度再現性があるんじゃないかと思っている。

辛さでいえば大学院のほうが辛かった。

可処分時間ということでいえばCOVIDで通勤時間が無くなった影響はそれなりにある。

自分について

技術は人並みには好きである

お金は人並み以上に好きである

・要領は決していい方ではない

要領がいい人なら5年も掛けずもっと早く辿り着くのではないか

今回、特にジョブホッパー的な動きはしていない。各職場案件)に恵まれたこともあるし、器用さが足りないといえばそうだと思う。

エージェント中抜きされるという意見もあるが、自分SNSは長続きしないし、勉強会もあまり肌に合わずほとんど出席することはないのでエージェントを通してしか案件を見つけられていない程度の行動力しかない。

今後について

年収についてはおおむね満足するようになり、人間とは面白いもので段々欲がよく出てくるようになった。

モダン技術は、レガシー技術よりも、おしなべて責任範囲が明確であり、何かあったときリカバーがききやすかったり、謎の負債が含まれリスクも少なく、幾分か安心して開発ができる。枯れた理論は好きだが、新しい技術を先回りして身につけることにも興味が湧いてきた。

xRやブロックチェーンといった、技術未来を作っていくことにも興味が出てくるようになった。

自分能力には期待していないので博士課程に戻る予定はないが、これもまた変わるかもしれない。

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