はてなキーワード: 因果応報とは
私が30歳からずっと抱えている言いようのない悩みを的確に言語化してくださってありがとうございます。
実際私もそう思っています。
真っ当な道に戻ろうとする度量もなく、あなたのように現実を突き付けてくる相手に癇癪を起こして逆ギレして、擁護してくれる人以外をひたすらブロックしたり晒して誤魔化し続けてきた結果がこれなので、因果応報なのだと思います。
ここ数日ずっと考えてカウンセリングを受けたり外に出て周りの人間を見ていましたが、私は精神が幼稚なまま歳だけ取ってしまったので、ここから真っ当な人生を送るためには変なプライドや欲を捨てて人に頭を下げて自分の無能を認めてあらゆる場面で相談をして、底辺だと失笑されて泥水を啜ってでも必死で社会に馴染むための努力をするしかないのだと思っています。
増田ちゃん、話がスッキリしててウケるっすね。強い言葉を振りかざしてた社長が逆に打ち負かされるのは、まさに因果応報ってやつっす。こんな社長、日頃からあれこれ社員を追い詰めて、結局自分が墓穴を掘るなんてザマァとしか言えないっすよ。
訴えられてからの言い訳も滑稽すぎるっす。「本意ではない」とか「成長して欲しかった」なんて後付けの理由、どう考えても通るはずがないのに、社長のアホさ加減には呆れるしかないっすね。ネットに情報が晒されるリスクも考えずに行動してるなんて、先見の明がなさすぎるっす。
増田ちゃんが退職を考えてるのも納得っす。そんな社長に仕えるなんて、まるで百害あって一利なしっす。裏切り者呼ばわりなんて、普通に考えて社会常識が欠けてるとしか思えないっすよ。退職後に未払い賃金を請求するのはむしろ当然の権利っすから、しっかりやればいいっす。
ほんと同情すべき点がいっこもねーな。そもそも元婚約者がポンジスキームに「巻き込まれて」莫大な借金が、というが、投資だけでは借金がふくらむわけではないので、結局詐欺の親玉の片棒担いでたって話やろ。多くの詐欺被害者からすれば、あんたが元婚約者にもてなされ贅沢させてもらってた金は、そいつが自分らを騙して巻き上げてた金の一部なわけで、ポンジスキームって言葉知っててからくりを考えたら少しは申し訳ない気持ちになってもいいだろと思うが、そういう気配は欠片もない。その上、
・婚約破棄「された」と被害者ぶってるが、破棄したのはあんたの親族側だろ。
・金を理由に家を追い出「された」と言うが、その親族も金目当てであんたを29まで飼ってたってことか。ひでー家族だが、そいつらに29までのうのうと飼われていた時点で同罪だわ。
・そもそも「愛してた」って、どの辺? ソイツの人間性など何も言及が無い。結局、金の切れ目で縁切ってんだから、それ以外理由がないだろ。自覚無いのか?未練があるのは「手に入りかけてた優雅な社長夫人専業主婦ライフ」の方だろ。
・まともに結婚する気もないのに結婚相談所荒らして回って迷惑かけまくって、「金払えばいいだろ」と言わんばかりに金払って退所。実家金持ちか?お里が知れるな。
・そもそもそれ誰の金だ? 自分で稼いでないなら、おウチからの手切れ金か何かだろ。その後食い詰めたらどうする気なんだ。公的扶助頼りか? まともに働けや少しは。
・SNSで結婚相手募集。応募するヤツも馬鹿だとは思うが「適当に結婚したのだし、適当に離婚すればいいと思ってた」って何? まさか手切れ金ビジネスでも始めたの? あんたも大概犯罪者だな。
・そして真面目に「愛してる」と言い、こんなクズを拾い上げてくれた相手が離婚してくれないことに逆切れ。宛てが外れたんだろうが、相手の戸籍に×イチつけることに反省無し。
・そんな狂った人生観を批判してくれた相手(あんたの人生にようやく奇跡的に現れた「まともな」人間)の説教をモラハラ扱い。
・さらに、自宅ではしつこく離婚しろと迫り相手を鬱に追い込む。なぜ自分の人生を反省する方向へと舵を切らなかった? 真面目に反省してやり直せば、ここからでもワンチャン逆転あったのに。
そして今、か。一体あんた、生きてるだけでどんだけ周りに不幸をまき散らしてきたんだ。空恐ろしくなるレベル。ゴジラか?ほぼほぼ歩く災害。
あんたそもそも生まれてから今まで誰かにいいことしたこと一度でもあるのか?。してもらってばかり、不平不満垂れ流すばっかりで人生渡ってきたんだろうなという感想。普通の人は、幸せになろうと努力して努力してコツコツ積み上げて、それでも不意の災害とかでそれが取り上げられそうになってもめげず、不可抗力を呪わず、与えられたものの中で精一杯のラインを見つけて、そんでやっと少しだけはかない幸せをつかんだり、それも失ったり、またイチから繰り返したり……そういうもんなんだよ。
それを何だ? イイトコ生まれで容姿も恵まれたんだか知らないが、詐欺師にひっかかって頭がパーになって、周りを振り回して迷惑かけまくって「私って何て不幸なのかしら」…とか。アホか。そんなこと言う前に、自分が迷惑かけた人間のところ全部回って土下座して、できる限りの償いをしろ。あるいは、今更どうにもできないなら、せめてそれに見合う社会貢献をしろ。薄給に耐え、社会のためになる仕事に就いて、身を粉にして働け。自分のことは全部後回しにして10年は仕事に命捧げろ。そんで「あの人はなんであんなに人のために一所懸命になれるんだろ?……」「実はね、ああ見えてあの人若い頃……」「え、信じられない……でも、それであそこまでできるってスゴイですね」とか言われる位になれ。そうしてやっと、マイナス1000点くらいのレベルにあったあんたの人生も、何とか死ぬまでにゼロに戻せるかなぁ……くらいまでは浮上するかもしれない。そうなって初めて、幸せの欠片ぐらいは見えてくるだろ。
誰も教えてくれなかったのかもしれないが、この世界、厚意や幸福というパイの取引において、誰かを蹴落としてソイツの分を掴む、ってゲームを全員がやったらゲームは破綻するんだよ。なぜならパイを焼いてるのは参加者で、蹴落とされる人間もパイを供給する側だからな。だから、長い年月の間に「パイを焼かないクセに分け前だけ主張する、って人間は排除しよう」という暗黙のルールが出来上がってるわけ。だから、誰かに親切にした人間は、親切にされる。誰かを足蹴にしてきた人間は、足蹴にされる。因果応報の定め、それが道理だ。そんな世界で、あんたは「誰かに親切にしてきてもらった」のに「周りに不幸をまき散らし続け」てきたんだ。それでどうやって「幸福になれる」なんて発想が出てくるんだ。生まれがよかったから? でも、29まで養ってもらった時点でチャラだし追い出された時点でパーだな。容姿に恵まれたから? それで結婚できたんだから御の字で、そこから先はもう容姿も限界だよな。で、もう何も残ってない。あんたがこれから幸せパイの取引に参加し続けたいのなら、真っ当に「幸せ」というパイを無償で供給しまくる側にまわるしかない。簡単な話だよ。幸福の銀行口座はすでにみたことないぐらいの赤字だとしても、まあどうにか生きて増田に書き込みするほどのんきな身分だというだけで、まだまだ底でも無いからな。
※ネタバレしか含まないので未視聴の方は読まないことをおすすめします
三階 ペジンス
30代の青年。投資詐欺によって巨額の借金を追い、漢江に身投げしようとしていたところにショーの招待を受ける。
時々滑稽なところもあるが、物価を暗記していたり、最終的にはゲームを終わらせる機転を利かすなど頭は悪くないキャラクター。
自ら一線を越えようとする性格ではないので、彼のシーンは安心して見れた。
「平凡な青年の役」はかなり難しい役だと思うので、演じたリュジョンヨルさんに拍手!
八階 サラ
気分屋で、一瞬の享楽のために、残酷なことをやり尽くす美女。彼女が八階になってしまったのが運の尽き。もちろん、彼女がいないとこのドラマは面白くない。
次に何をしでかすかわからないエキセントリックなところが非常に魅力的。
私は食事中にドラマを見ていたので、彼女が提案した不眠拷問のシーンは、思いっきり食欲をなくしたが…
演じたチョンウヒさんは「スマホを落としていただけなのに」で拝見しており、役が違いすぎて驚く。
七階 パクジョンミン
映画監督。お金が必要な経緯は不明だが、新しい映画の制作費のため?
エピソード5の彼が「殴れ!」といったシーンが、カタルシスを感じてよかった。
それだけに、足を銃で撃たれたシーンは不憫。
ただし、三階にちゃっかり投票していたり、上層階に支配されている間残酷なゲームを提案していたのは彼だったので、善人というわけでもない。
演じたパクジョンミンさんは、「地獄が呼んでいる」で拝見していたので、役が違いすぎてまたも驚く。
一階
サーカスの劇団員。娘の高額な治療費を自分の生命保険で補うために、事故に遭おうとしていたところショーに招待される。
優しい性格なだけに、虐げられてきた怒りも強かった。一番お金に狂わされたキャラクター。
イントロで火だるまの男性のシーンがあるんですが、あれは最終話の伏線だったんだな。
二階
職業不明。お金がない患者の手術費の肩代わりのため、ショーに参加。
参加の動機から分かるように、正義感が強く、勇敢なキャラクター。一見暴力的だが、参加者の中で最大の良心。
四階
元練習生、現駐車場の誘導員?馬鹿にした同級生を見返すために、ショーに参加?
とわざわざ言うなど、一貫してずるい。
でも、八階や七階ほど頭は回らないし、六階ほど力も強くないので金魚のフン状態。
一階が「部屋を交換したい」と言わなければ、拷問に手を貸し続けていたと予想できるので、かなりのエゴイスト。
看護師。冷え切った夫婦関係を癒すために出会った男に、全財産を貢いでしまう。献身的な性格が作品の中で仇となる。
愛情深いが、感情的なために冷静な判断ができないという印象。彼女の判断から起きるストーリーの転換は、本当に最悪だった。
得た賞金で、また他の人に貢ぐ羽目にならないといいが…。
六階
違法賭博で失墜した元野球選手。中古車販売店で暴力事件を起こしたことがきっかけで、高額なお金が必要になる。
やくざ者。毎話誰かをボコボコにしていたが、最終的に腰の骨と睾丸を損傷しているので、因果応報はきっちりと受けた模様。
ストーリーについて
展開が読めず、非常に面白かったです。
イカゲームに似ているとの声もありますが、ほとんど似ていません。
とんでも修羅場に遭遇した…
棚替えでしゃがんで下の方の作業してたら、カップルの彼女が持ってる店のカゴが私の頭にガツッと当たって
「痛っ」って思って振り返ったら彼女が咄嗟に「あっすみません」って言ったから「いえ☺️」って言ったら
「あっなんだ(店員か)…😒」って言われて「はぁ?!」って思った瞬間彼氏が
「いや、なんだって何?店員さんだろうが誰かだろうがぶつかったらすみませんやろ!ずっと思っとったけどまじ店員さんへの態度まじありえんよ。俺帰るわ」
って彼氏が落ち着いた声で捲し立てて帰り始めて
多分彼女は咄嗟にそのクソセリフが出たのか、「えっ」しか言えてなかった🤝私は棚で作業に戻り
つらいなんて感情を持つことすら許されない気がする。
そのくらい辛い気持でいっぱいです。
ワイは元々ドコモ回線を30年以上使い続けてるくらい古参主義なところがある。
だからなのか周りが知っているのにワイが知らないってなると気持がつらくなる性格だ。
タイムラインに出てくるやつは追いかけてるけど過去流れちゃったタイムラインのは拾えてない。
それでもたまに昔のこの作品いいよねって話題になるとワイは見たことも聞いたこともないのですぐにwikipediaで知ったかをエアプをしてしまうのだ。
わかっちゃいるけどやめられない。
ある時おすすめで教えてもらったコンテンツ(この言葉は嫌いだけど暈すために使うわw)を見たら確かに面白い。
面白いんだけど性格がひねくれてて天邪鬼だから逆張りでついおもろないと言ってしまったのが運の尽きだった。
学生時代の友人が社会人なりたての時に年上の既婚男と不倫し始めたということがあった。
最近出会った年上の人に片思いしている、という話題から始まり、仲間内で応援して最終的に付き合えることになった!という流れを全部見守っていたのでみんなもちろん何も知らず素直に祝福した。私も嬉しかった。
そのあとからどうやら相手が既婚者だったこと、騙されたわけでもなく本人も最初から知っていたことが判明。
そもそも私がここでこんな文を書いていることからお察しかもしれないがこの仲間たちは陰の者集団だった。仲間内で笑える絵や漫画が描けたらそれで楽しいフレンズ。
そんな中、その子は社会人になった途端に趣味が自分のポートレートになった。花畑の中でふわふわワンピースで微笑む写真とかをインスタに載せるタイプのだ。急な方向転換すぎてみんな困惑したがまぁ悪いことではないし写真は綺麗だったのでいいねは押していた。
それを経てからの不倫騒動だったので、あぁこの子はもうすっかり変わってしまったんだな…と、誰も不倫を止めるようなこともせずやんわり距離をとっていった。
で、何年か特に個人的には連絡も取らず不倫がその後どうなったのか知らないが、次にその子を久しぶりに見かけたのはSNSでの結婚報告だった。
そこから幸せいっぱいの新婚生活!みたいな投稿をするようになり、妊娠出産、家族での写真、第二子…とそれはそれは幸せで仕方ない様子がSNSに流れてくる。
「本当に◯◯(旦那)のことが大事!運命の人!この人しかいない!」(出産後はここに子どもの名前も増えた)のような文が添えられているのを見るたび、アンタもしかしたら過去にどこかのそんな家庭を壊したのかもしれないよ……と思ってしまい、純粋に応援してた頃の気持ちを裏切られた感も思い出してなんか無性に腹が立つ。何やねんこいつ!
でも何も知らずに今の姿だけを見たら本当に良い妻で良い母をやって家族仲も良好、人物写真の腕もあるので家族の写真も見栄えがめっちゃいいという非の打ち所がない感じなのが本当にもう。何やねんこいつ!
これで今の旦那の愚痴でも言おうもんならじゃあ不倫でもすれば?(笑)、くらいの冷たい目で見られるのに、本当に今の生活が大事で幸せなんだろうなというのがわかるからこそ余計になんであんなことしたんだ、という怒りが湧くんだろうなぁと思う。というか今これを打ち込みながら思った。
最近の書き込みにも純粋にいいね押したかったよ。良い写真にはコメントもしたかった。その息子くんの写真最高!プロのカメラマンか?とか笑いたかった。
どうしてもこいつ不倫したんだもんなぁ…と思うと幸せな家庭を持ってることを喜んじゃいけない気になる。
かといって因果応報で今の家庭が壊れろとも全然思わないけどね。どうにもならないから今後もなんか腹立つな!と思い続けることになるんだと思う。
自分がやってしまったこと(例えそれがわずかなものでも)が確実に原因で起きてしまった不幸と、まったく自分に原因のない不幸とではどちらがより耐えがたいものだろうか。
前者は「あのとき自分がこうしていなかったら…」というような激しい後悔に苛まれるだろうし、後者は そのことの理不尽さの前でおのれの無力さをおもいしることだろう。
さて、その選択はとりあえず個人の手に委ねることにして、最初の問いの「不幸」を「恐怖」と置き換えてみよう。
[A]その人自身に起こるべくして起きた恐怖
と
[B]全く原因不明の恐怖
どちらがより怖いか。まあケースバイケースというか結局はその状況に立たされなければ答えは出ないだろうが話を続ける。
[A]の原因というのを、過去にはたらいた明らかに人道に反する行為、とより狭義のものとし、 それ以外を後者にいれるとすれば、一般的に「ホラー映画」と呼ばれているものはほぼ全てが後者を扱ったものだといえよう。
原因が呪いのヴィデオテープを見たということにしろ遺伝子操作に失敗して前代未聞のウィルスに感染してしまったことにしろそれらはとくに人道に反するというほどものではなく、せいぜい無根拠な禁忌を犯したという程度だ。
そして観客はその恐怖を、襲われている者に 感情移入/同化してともに味わい、それから逃れるとホッとして、それからまたそいつに襲われて……、 で最終的には原因が解き明かされるなり逃げ切るなりで幕は下りる。作る側も、いかに観客を引き込ませるかを意図して作っているし、そこで描かれる恐怖というのはあくまで襲われる側から見たものだ。
ところで、[A]の恐怖を描いた映画がいまやほとんどないのは、非のある者がこうむる恐怖を因果応報・当然のものとしてみなし逆に追いつめていく方が主人公として描かれているからである。
すなわち正当な復讐をする勧善懲悪の物語となってしまう。当然それは「恐怖= 襲われる側への感情移入により抱くもの」の図式が成り立たないのは言うまでもない。
では[A]の恐怖が恐怖映画として成立する場合とはどのようなものであるか。
それは、執行される復讐方法が観客に感情移入など到底させないほどおぞましいものであるときである。
観客を思考停止に陥れさせるほどの残酷なもの。このとき、その恐怖はまさに恐怖そのものとしてスクリーンに映し出される。
黒沢清監督作品『蛇の道』(1998年)はこのような映画である。
いや、これだけではこの作品を ひどく矮小化していることになる。
この作品の恐怖は、あるひとつの極点に立ってしまった人間がとってしまう行為の目をそむけずにはいられないような醜悪さが、これでもかこれでもかと露呈されていくことにある。
かといってそれは単に悪趣味とかたづけられるような類いのものでは断じてない。
それが、紛れもなく人間の性質によるので、恐怖を通り越してとにかく正視しがたいのだ。
それでもひとはこの映画を見るというほとんど拷問のような行為をやめようとしないのは、その恐怖の果てにも救いがあるはずだと信じているからにほかならないのだが……。
この映画での哀川はほぼ、人間の醜悪さを次々と 引き出す媒体として存在している。またその媒体としての仕事ぶりの的確さは、この世界の物理学的法則を解明していく学習塾でのもうひとつの姿とも重なり、存在論的に否定しがたいものとなるのだ。 あえて例えるならばこの作品での哀川の存在は、ルー・リードの声の響きのようだ。優しさ/慈悲深さと、 その奥にある圧倒的強度をほこる底無しの得体の知れなさ、そしてかなり強引なのにもかかわらず 抗いきれない魅惑にも似た正しさ(のようなもの)を備えている。
いや、やはりできるだけ見ないほうがよい。レンタルビデオ屋のやくざものコーナーに、絶対的「大凶」としてなにげなく陳列されているのが、 この作品の存在としてしごくふさわしいものだとおもわれる。
(2024年5月付記:リメイク版公開の報に触れ、四半世紀前にこのような文章をひっそり公開していたのを思い出したのでまたひっそりと匿名公開させていただきました。ニュアンスを変えない程度に改行等いじりましたが、死語である「ヴィデオ」」」云々の最終2行は削れませんでした。)
法の不知はこれを許さずって考え方で司法は動いてますけど、そんなこと言ったら警察や裁判官でも、法律で禁じられていることと認識せずにやっていることがあるけど、彼らのその行為を目撃した人にたまたま、
それを禁じている条文を「知っている・覚えている」人がいなかったから裁かれていないだけな人がほとんどなんじゃないですか。
つまり、そのような行為を見たら「これはあの条文に違反している」とぴんと来るほど、日本のように数多ある法律を全て完璧にいつでも引き出せる状態で記憶している人はいないと思うので。(たとえば弁護士となれば自分の得意な法域以外は結構知らないものですよね、それをあえて埋め合わせようともしない)。
この世に生きてる人はよほど短命だったのでなければ、全員が一度は何かしらの違法状態を起こしていると言っていいでしょう。
ようは犯罪者となってしまうかは、自分がしでかした違法行為に対応する条文にぴんと来る人に出会ってしまったかどうか、という運次第でしかないのではないかと思うのです。
取り締まり裁く側の警察や裁判官には、運がいい人が多いのでしょう。策士、策(=不知を許さずという態度)に溺れるということになることが少なく、「法律が多いのにそんな態度徹底しちゃったから自分たちが裁かれる側になっちゃったねー因果応報~」なんて言われるような時代になることが少ないのは運がいいだけ。
法の不知を許さずってのを振りかざすなら、その前に、自覚したうえで意図的にすべての法律の違法とする部分を回避するのはどうやっても不可能なほどの多すぎる法律を削減するのが筋ではないですか?
今の状態で全ての法律に合法であることを一個一個確認したら、たとえるなら右手をあげるためだけでも(いやなんの行為でも)それを確かに合法でしていいと確認するのに何時間もかかるでしょう。
わたしたちが裁かれないのは、自分たちが都度しているいろいろな行為がたまたま合法であるか、違法ではあるが違法とぴんと来る人にばれていないかに左右されている部分があまりにも大きすぎると思うのです。