はてなキーワード: 性教育とは
2022年の7月のとても悲しい事件をきっかけに皮肉にも「与党の票田」(票田の意味:まとまった得票が見込まれる地域・団体のこと)に注目が集まっている。
最近、私の幼少期からの記憶の「点」と「点」が浮かび上がってきた。当時は、深く考えることがなかった事柄だが、「点」を羅列していく。
むかし、実家のこたつの上で「れいろう」という冊子をよく見かけた。大正末期生まれの祖父が購読していたが、亡くなってからも購読を中止をせず、定期的に届いていた。「徳」とか「思いやり」とか、よくある道徳用語が表紙に並んでいた。
ニューモラルのイベントで父母が出会い、私が生まれた。そんな私の実家では「嫁が育児も介護もする」「嫁が最後に風呂に入る」のが常識だった。母はいつもイライラしていた。
進学とともに実家を出た。亡き祖父のつてから「ニューモラルつながりでいい人がいるから見合いしないか」言われたこともあるけれど、恋愛をして結婚した。
結婚後、子どもを授かった。当時はフルタイムで働いていたが、母は義理の父(祖父)から「3歳までは子どものそばにいてくれ」と説得されたエピソードとともに、いかに3歳までの母子関係大切かを説いて説得してきた。
「3歳児神話」というカルト的な神話を信じた私は、2010年に仕事をやめた。仕事をしていないので、子どもは幼稚園に入れた。幼稚園では、私立幼稚園連合から冊子が届いていた。ある年のテーマは「親学推進フォーラム」だった。
子がかよっていた幼稚園では、「全国私立幼稚園PTA連合会」の「フォーラム」の参加者を募ることがあった。ほとんどの幼稚園が加入している団体だ。私立幼稚園連合会の名簿には、顧問・会長などに自民党議員の名前がズラリとならんでいた。
2013年の全日本私立幼稚園PTA連合会のフォーラムでは、森喜朗氏が登壇し、子どもの成長のために「子どもにはつらいことをさせろ」「苦しい思いをさせろ」と語った。
https://www.youtube.com/watch?v=WPHmBxX9A3k
本筋とは関係ないが、その連合は使途不明金が報じられ、逮捕者が出ている。
子が小学生にあがってから、なぜか道徳が教科になった。数値で評価されるわけではないが、通知表の中に「道徳」の項目ができた。実家に帰ると、あいかわらず「ニューモラル」の冊子が置いてあり、道徳教育の大切さを啓発している。2017年ころだったか、パラパラめくると、百田尚樹や櫻井よしこのような「愛国商売系ネトウヨ」のような人が道徳について語っていて、違和感を抱く。
2022年7月、ネットニュースで見た「自民党の票田」という言葉から「モラロジー研究所」や「親学」などの言葉を思い出した。ちなみに、親学のおもな提唱者は高橋史朗氏だ。
彼は、きちんとした性教育に反対し、伝統的家族を尊重する。また、「子ども庁」という名前に対して反対して「家庭こそが大事だ」と主張する。
https://www.moralogy.jp/salon211202-1/
折しも、2022年の7月にモラロジー研究所で開かれた高橋氏の講演のテーマは「子ども家庭庁の議論の争点はなにか」というテーマだった。
最後に私の話をする。
たくさんの価値観に触れて「3歳児神話」のカルトから脱会した私は、下の子はゼロ歳で保育園に預けて就労し、スクスクと育っている。
学校でも家庭でも教えてもらわなかったが、自らに性教育を課すことで、その後の望まない妊娠は避け、私を大事にする人と家庭をまわしている。
家庭だけで育児するのはムリゲーと気づき、だれかに頼ることを覚えた。
「子育ては親がすべて」とは思っていないから、自分を犠牲にしすぎず、子どもに過度な期待をかけず、楽しく生きている。
ちなみに、モラロジーは宗教か、という問いに対してホームページでは
“「モラロジーは宗教では?」と疑問に思われる方がいらっしゃいますが、あくまでも、宗教などに共通する道徳性を科学的・学問的に探究した要素があるのみで、そもそもモラロジー道徳教育財団には、教義・経典や拝礼施設、信者や宗教的儀式など一切ありません”
とある。
https://www.moralogy.jp/about/faq/
「一般財団法人親学推進協会」は解散した。しかし、幼稚園や学校教育の現場や、政治の現場にも「親学」「伝統的家庭」の概念が空気のように入り込んでいるような気がする。
2022.7.24 一般公開シンポジウム 「フェミ科研と学問の自由」
https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI
長いため講演部Part1~Part5+質疑応答の6部に分割する。
分割の境界はスライドにある番号に従うが、副題は増田の判断である。
スライドはすべて図表のない文字ベースのものであったため、引用記法を用いて本文に組み込んだ。
講演部については、「女性スペースを守る会」が公開している文字起こしをベースに、
増田が誤字の修正や、句読点の変更、改行の追加などの編集を行った。
まず、江口聡先生による、8/9のブログ記事は必読だと考える。
加えて、講演に対する批判として書かれたものではないが、一般論として「キャンセル・カルチャー批判」的な立場で書かれたベンジャミン・クリッツァー先生の記事、
なども参考になる。これら2記事は、江口先生も講演に欠いている「ミルのタイプの言論の自由の擁護」として紹介されている。
また、あまり整理がされていないが、この講演に対するTwitter上の批判的な反応を一覧できるものとして、
他、法学の専門家による分析という点で他になく注目に値するものとして、
(あと、この書き起こしを編集している私自身も手前味噌ながら批判記事を書いている。「清水晶子先生の講演を読んで見る (1) 「学問の自由」の定義ってなんだろう」anond:20220809001101 )
anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用〜
anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略〜
anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜
anond:20220805230307 Part4 〜キャンセル・カルチャー批判〜
anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てたキャンセル・カルチャー批判のメカニズム〜
anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答〜
https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=2457s
40:57~48:23
清水さんは東京大学大学院総合文化研究科で教鞭を執られています。
研究関心としては非規範的な身体と性の政治、とりわけ身体の他者性、自己表象と生存の戦略、可視性を巡る問題などがあります。
最近は英語圏のフェミニズムおよびクィア理論史を改めて辿ることにも興味があるとのことです。
主な著作に、
Lying Bodies: Survival and Subversion in the Field of Vision、英語の本です、2008年、
「埋没した棘――現れないかもしれない複数性のクィア・ポリティクスのために」、2019年、
『フェミニズムってなんですか?』、2020年、などがあります。
清水晶子:
はい、ご紹介ありがとうございます、清水晶子です。もうそのまま入っていきますが、
本日は「学問の自由とキャンセル・カルチャー」というタイトルで報告をしたいと思います。
少し方向性が違うかもしれないんですが、よろしくお願いします。
学問の自由とは
「学問の自由という原則は、学術コミュニティの構成員、すなわち、研究者、教員や学生が、倫理的規則と国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部からの圧力を受けることなく、学術的活動を追求する自由と定義できる」
学問の自由というところからいきたいんですが、学問の自由とは何を指すのか。
政府なり場合によっては非常に強力な宗教だったり経済的な権力だったりというところからの圧力を受けることなく、
さらに言えば個々の研究者が、大学当局だったりとか大学の経営陣あるいは多数派の社会的通念・経済的な要請などからの
不当な干渉や抑圧を受けることなく、学問的良心と手続きとに従って真理を探究する自由、というふうに考えることができる。
例えば、1998年の国際大学協会声明「学問の自由、大学の自治と社会的責任」という文書があるんですが、これによると
「学問の自由という原則は、学術コミュニティの構成員、すなわち、研究者・教員・学生が、
倫理的規則と国際的水準に関して学術的コミュニティが定めた枠組みの中で、
そして外部からの圧力を受けることなく、学術的活動を追求する自由と定義できる」というふうにされています。
学問の自由というものの基本がここにあるというふうに考えると、フェミ科研裁判の文脈における学問の自由の主張というのは、
ある意味まさにここに相当するもの、王道の部分というふうに言うことができるというふうに思います。
「過激な性教育・ジェンダーフリー教育調査プロジェクトチーム」
残念ながら、日本でフェミニズムとかマイノリティの政治に関わる研究者にとって、
今言ったような意味での学問の自由というのは、必ずしも安定して保障されてきたものではない。
だからこそ、その必要性というのはしばしば痛感もされてきましたし、主張もされてきました。
2000年代前半のフェミニズム女性運動へのいわゆる「バックラッシュ」いうのがありまして、
ここでは与党自民党のプロジェクトチームにおいて、ジェンダーという語それ自体の使用に疑義が提示されたりしている。
2014年には、いわゆる「従軍慰安婦」問題を取り上げた広島大学の研究者の授業というのが、
先ほども産経新聞出てきましたけど、ここでも産経新聞ですが、産経新聞によって吊し上げにあって、
批判や抗議が大学に殺到し、日本科学者会議広島支部幹事会が学問の自由の侵害であるというふうにして、
産経新聞に抗議をする、声明を出すという事態になったりもする。
もちろんさらに記憶に新しいのは、2020年日本学術会議の会員任命拒否ですね。つまり当時の菅内閣総理大臣が、
日本学術会議が会員候補者として推薦した内の6名の任命を拒否した、というかしなかった件ですよね。
この任命拒否については、憲法23条の保障する学問の自由を脅かすものであるというふうにして、
2011年11月に、日弁連が「日本学術会議会員任命拒否の違法状態の是正を求める意見書」というものを総理大臣に提出をしていると。
この意味での学問の自由の重要性というのは、本日のシンポジウムのいわば前提になっているものだというふうに考えます。
差別的・抑圧的な言説に対して政治的・経済的に力のない側、社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立てを「学問の自由の侵害」とする言説
その前提をご確認いただいた上で、私の報告は少し角度を変えて、学問の自由という主張や枠組みがどう利用されているのか、
もう少し強く言うと、どう濫用されているのかでもいいかもしれないんですが、それを考えたいと思います。
今申し上げたように、従来はそして一般的には、学問の自由というのは、
国家とか、強力な宗教団体、経済団体、多数派の社会通念や経済的要請、などなどの圧力を受けることなく、
研究者の社会的通念と研究の手続きに則って真理を探究する自由を指す、というふうに理解されています。
力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、
研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのものです。
ところがこの学問の自由の主張が、全く逆のベクトルで利用されることがある。
すなわち差別的・抑圧的な考察や言説に対して、政治的・経済的に力のない側、社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立てを、
これは「学問の自由の侵害」であるというふうにする言説、というのが見られるようになっている。
これは日本国憲法で保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。
けれども法的な解釈とは別のところで、こういう言説上の戦略というのが一定の効果を持ってきているのも事実です。
二面での闘い
結果として、フェミニストとして学問の自由を考えるにあたって、
私たちは一方では、フェミ科研裁判のように国家による学問の自由の明白な侵害というものと闘わなくてはいけない。
けれども同時にもう一方で、学問の自由というのが、差別的あるいは抑圧的な現状を追認し、
抑圧されてきた側からの異議申し立てを封じる目的で動員されるということに対して警戒をしなくてはならない。
学問の自由を巡っては、フェミニストには現在そういういわば両面での闘いというものが要請されている。
この現状は忘れるべきではないと思います。
実は今日、私からお伝えすべき論点はそこに尽いているので、ここで報告終わってもあんまり問題ないっていう感じなんですが、
ちょっとさすがにそれでは簡便過ぎるので、この後の時間を使って、
こういうタイプの、マイノリティの権利主張を抑圧する目的で動員される「学問の自由の侵害」という枠組み、
この言説というのが具体的にどう現れてきたのか、
これが非常に大きな論点になってきた英語圏の動きというのを中心に、簡単にまとめてご説明したいと思います。
anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略〜
スマホがなかった時代は大人が本気でコントロールすれば子供を性的な話題から完全に隔離できると思い込んでただろうし、性教育もその一部として封印事項になっていたような
昔はすごいよかったんだよ、でももう1年以上レスだよ、私はちゃんとセックスしたいだけなのに相手はテレビ見ながら胸とか陰部とか片手で突然まさぐってくるの
めっちゃ嫌だよね、雑に扱われてるし性欲処理って感じがひしひし伝わってムカつく、そもそも同意なく他人の体触るなって怒ったらだってそこにおっぱいがあったんだもん、って
私のこと人間として見てないじゃんただのおっぱいさんじゃん、ラブドールとかオナホじゃん、私の意志は尊重されないのかって言ったら、なんでそんなに怒るのって引いてて呆れた
隣で寝てる時も夜中気づいたら寝間着をめくられて乳首舐められてるときある、睡眠姦に興味あってとかのレベルじゃなく、まじで自分が触りたいときに触ってるだけ
結構ブチ切れて怒ってるけど、相手は今日は機嫌悪いね~機嫌良いときに触ろうっと~ぐらいの認識みたい
愛情表現としてのセックスをこっちは求めてるのに相手は性欲処理のセックスしか考えつかないんだと思う、最後にした時も前戯が適当で嫌だった
なんでこうなっちゃうんだろうね、付き合いたての頃とかと関係性が違ってくるのは正直しょうがないと思いつつ、性教育的なところから叩き直さなきゃいけないのかとゲンナリしてる
勢いで女性風俗行った時もあるけど、むなしいというか、終わった後の帰り道、虚無がすごくてやめた
そんな男選んだお前が悪いとか言われるけど、こんなことになるってどうやって見抜くんだよ、と思う、すごく体の相性いいひとだとすら思っていたのに
なんか『カラダから血が出る=重い病気』みたいなイメージを持ってたので。
だれにも打ち明けられなくて最初はティッシュでせき止めてたんだけど、だんだんそれも難しくなってきて、
最後は洗っても取れなかったパンツの血シミでお母さんにバレた。
怒られは……たぶんしなかったけど、あんまり良い思い出ではないかも。
お赤飯はあんまり好きではないのでピザにしてもらったのだけ覚えている。
生理用ナプキンのCMは観たことあったけど、自分が生理来るまで
という認識だったのよね。
あれなんで吸収される液体の色が”綺麗な青”なのかね?
血液の色っぽいカンジじゃダメなのかね? 生々しいからNGなんだろうか。
生理が始まった当初はなかなかナプキンを上手に使えなくて服を汚しまくったし、
自分が知らないうちに服が汚れて、誰かに指摘されるんじゃないかと恥ずかしくて不安で、
外に出るのが嫌だったなぁ……。
幸運なことに生理で失敗して誰かからからかわれたりというような経験は無かったけど、
そうでなくても多感な時期に自分のカラダが変わっていくことへの戸惑いとか不安はあったと思う。
めんどくさかったし。
今はアプリなんかでお手軽に生理周期の管理や予測が出来るけど、
子供の頃はいちいちカレンダーや手帳で自己管理しなくちゃいけないのも、
めんどくさがりな自分にはしんどかった。
楽しみにしてたプールに生理で入れなくなったときはつらかったし、
旅行先で突然生理になって露天風呂に入れなかったときも悲しかった。
大人になった今はもう慣れたので、習慣の一部としてこなせているけど、
初潮きたてのころは大変だったな~~と、改めて思った。
いや今でもめんどくさいけどね。
生理のハナシって女性同士でもあんまり深くは話さない。(もちろん関係性や環境でも違うと思うが)
女性の間で性的な話題自体が心理的なタブーになってて話題にしづらかったり、
足が骨になってる絵と一生が一日で終わるってキャッチコピーでかなり気になってた。
感想はぁ~。うん、まあまあ。いやあんまり。飽き性の自分にはよくある後半失速映画。
ロケーションはとてつもなく良いんですよね。ホテルはきれいで楽しそうだし、ワンシチュエーションの場所となる海岸の風景も抜群。美しい。
映像もパンで振って戻したときに人物の時間が進んでるみたいな演出は素人でもおーええやんとなる。
シナリオ・設定に難、無理やり、不自然な点はあるものの、だいたいは許容して飲み込める範疇か。
自分は結局、出産までは楽しく見れた。その後はかなりダレて退屈な映画になった。
明確な悪役が同席しない隔離空間でのスリラーは統合失調症の男に頼り、高速な時間の経過は子供の成長という名の役者の入れ代わりがかなりの部分が占める。謎解きをしようにも道具もPCも何もない海岸で、進行方向は気絶する谷間か崖か海しかない。
つまり時間が早く進むという要素を開陳したあとに何のギミックもない。手術や出産というイベントをこなしたあとはただ成長と老化と持病の悪化を漫然と眺め続けるしかなかった。そこに何もないから何も起きないんだよ。まあスリラーってこういうものなのかな?見ないからわからない。
出産もまず精神年齢6歳がいつの間にかセックスしてんなよと。そこはいい。一瞬で妊娠しておなかが大きくなって出産というのはエロ漫画じゃあ勃起物ですが??(特殊性癖すぎる)ぶっちゃけそれやりたかっただけだろって雑にこなした感はあるよね。やりたかったのは高速妊娠だったから子供のことなんて考えてなくて、だから無理やりな理由で子供は一瞬で死にました。赤ちゃんを用意すらしてなかったような?見逃した?死体をくるまれてるていの体が見えないタオルを赤ちゃんとして扱ってる演技になんだかなあと興ざめした。この映画で一切の教育も対した接触もなく高速で育っていく子供を描写しろなんてフリードリヒでも言うまいが、うーん、性教育は大事だよねというメッセージだと思えばいいのか?
それから夜になって暗くなるので印象として話が停滞していくイメージが強くなったかな。いろいろイベントはあるのだが。
あとこれも隔離空間ゆえだけど子供の死因含む登場人物たちの推測のセリフがだいたい事実を言っている前提なのがむずむずする。システムの説明ゼリフにどうしてもなっちゃうよね…。
説明セリフで解説されるように役者の髪や爪はほぼ変化しなくて、大人勢はわずかに皺やヒゲが生えていくぐらいで変化が乏しい一方で、子供たちは急速に成長するものの子供たち同士や自分自身では変化に気が付かず、目を離していた大人が成長を発見してわーきゃー騒ぐのもワザとらしくてうんざりした。姉が成長してピッチピチの子供用水着を平然と着ているシーンはもはやギャグだけど、ハイグレ族?にはこういうのご褒美かもね。
不満はまだあって、ネタバレは長期治験の実験場という話だったんだけど、一度飲んだだけの薬の数年~数十年の効果を観察するってどうなんだろうね。もっと定期服用させなあかんやん?でも一度飲めば数年てんかんが起きない新薬とかすごすぎてんーまーそういうものねとそこは飲み込んだ。
ただし、経過観察が超雑。おそらく目視や映像記録のみで治験なのにバイタルデータはとってないんじゃないかなあ。治験対象外の子供たちだったから子供のバイタルはとってないかもしれないんだけど、でも子供含めた全員の死亡が実験終了の条件なんだから目視で生死判定するよりは取ってるほうがいいよね。だから全員とってないんじゃないかなあ。
そんなこんなで最期のどんでん返しは実は子供たちは生きてました~オチ。目視で溺死判定してたという雑な実験方法がアダでした。雑~。
視聴者もだます方法として珊瑚に水着がひっかかって溺死という見せ方なんだけど、実はそこから珊瑚に亀裂が走って…揺すったらなんとかなりました~と。なんも盛り上がらない「実は…」でポカンとなった。
あとあとあと、これは賛否あるけどいちおう各人物の職業のスキルを活かした活躍や発言があってそこはよかったともこれもわざとらしいとも感じた。そこ重点するならラッパーの黒人にもラップ披露させよう!されたら困惑するけど!
結論、面白かったか面白くなかったかで言えば面白かったんだけど、思ったよりアイデア膨らまなかったね。って感じ。中盤あたりでネタ切れに感じた。狂気や人間関係よりも謎解きや脱出方法を探る方向が好きだったなー。だからキャッチコピーの「謎解きタイムスリラー」には騙された感があるよ!
幼稚園くらいから始めているところがある一方で、寝た子を起こすみたいな感じで教えずに大人にするというケースもあると思う。
後者には、子供に勝手に無謬性を期待し、性教育なんてセックスの仕方を教えるようなものだからするべきではないみたいな場合もある。
増田が指摘する通り、子供に性欲がないというのは、障がい者、老人など保護されるべき対象全般に性欲がないのと同じくらい周囲が勝手に思い込んでいることだと思う。
そんなあり得ない前提を妄信して作ったシステム自体があり得ないと思う。
子供の場合、支配欲か性欲かの前に、知らないからそれが問題行為だと認識できない、認識できないから遊びとしてやってしまうというのがあると思う。
それを大人に咎められても本人たちは何を咎められているのか理解できないだろう。
やめたところで「なんかわからんが大人ががみがみ言うからやめる」みたいな感じではないだろうか。
ちなみに、問題を問題として理解させるために、幼児のころから性教育を始めることに自分は肯定的だ。
セックスの仕方を教えるは完全なる誤解で、プライベートゾーンは大事なところだから他人のを見たり触ったりしないし、自分のを見せたり触らせたりしないから始めるものだと思う。
このケースでは小学生男児の兄が持っていた漫画が一因となっていると主張している
このような事例を事前に防ぐ策として「性教育」「ゾーニング」が取り上げられているが 後者に果たして効果があるのか 甚だ疑問だ
何故なら現ネット社会ではエロコンテンツに容易にアクセスが可能だからだ
これで簡単に目当てのキャラクターのエロ画像…どころか濃厚なセックスシーンを視聴可能だ
さらにそれを掲載しているサイトを遡れば多種多様なエロ同人をお目にかけることができる
残念ながらそれは難しい
行動力があればコンビニ受け取りで中古のスマホでも買っちゃえばいいわけだし
同級生には電子辞書でブラウザを閲覧できるよう改造していた猛者もいた
ブラウザを見るツールはあちこちにある 完全に切り離すのは相手が小学生でも至難の技だろう
「ネット上におけるエロ同人誌海賊サイトの無法地帯化」をどうにか皆さんで社会問題化してくれませんか…?
そもそもの話エロ同人・エロアニメは18禁でゾーニングができてますし
だのに勝手に無料で読まれて性犯罪の片棒扱いされるとか理不尽極まりないでしょうよ…!
持たなくていいです
というか 2次エロ同人は前述した通りグーグル検索した際に引っ掛かりやすくなる要因となっていると考えられるので そういった切り口から非難するのもアリだと思います
根本的な話 グレーなことをやっているせいで作者がイマイチ声を発せず 海賊版がのさばる一因になっています
結果として自分の首を絞めている訳です
うーーん……
まとめると 「グレーをグレーのまま放置した結果産み出されたヤミに子供が巻き込まれてるよ」ってことです…?
(うまくまとまらなかった…)
グーグルさん何とかしてください
子供の性行為で、一番問題なのが望まない妊娠なわけだが、こういうのは、男子が一時のムラムラを抑えることができれば解決するわけで。(女子側からセックスを求めてくることなんてあるのかな?)
必要なのは思春期世代の男子への正しい性処理教育ではなかろうか、と。
「ムラムラするのは普通ですが、女子にチョッカイだすのはやめましょう」、「性器を手で擦って性処理しましょう」、「毎日オナニーするのは普通です」、「オナホールで女子の体の代わりになります」みたいな感じで子供のセックスを防ぐ。
テレビで「セックス」という言葉が頻繁に出てくるようになったが、「オナニー」や「自慰」という言葉はまだまだ。NHKは障害者の性処理の特集は何度もやってるが、健全男子の性処理も特集するべき。性処理教育がメジャーになれば、痴漢や性犯罪の抑制にもなるかも。
学校では女子が小学校高学年で保健室に集められて性教育を受けるが、同じ時間に男子も別の場所に集めて性処理教育を受けさせたらいい。(今は男女ともにやってたりして)
性欲は恥ずかしいことではなく、健康面やQOLにも直結すること。
性癖の多様性と他者との違いがあることは当たり前であり、認め合うことは大事であること。
そしてメディアでどう表現されていようと、性的な嫌がらせに繋がる発言、行為は絶対にしてはいけないことなどなど。
私が学校にいた頃は性行為の基本、性器の仕組み(精子ができる構造、生理になる構造etc)を学ばされておしまいだったのだけど、必要な教育の基本中の基本であるとわかっている反面、学校が性に関して教育できることってこれっぽっちなのかと失望した記憶。何か感情的な話(性犯罪、性差別等)を避けて、子供とその両親の倫理性、人間性に頼り切ってる感があるのはずっと拭えなかった。
私の親は性教育に関して全くの放任主義だったし(ていうか、当人たちがあまり性欲を直視しようとしてないところがあった。セックスシーンが出てくる映画を子供の前で何の考えなしによく見せてたけど。)私はネットや漫画を中心にして性について学んだ世代だけど、多様な視点(男性向け、女性向け、同性愛者向け等)から学べても、やっぱり性に関しては子供から学べる健康的な基盤がずっと必要だとは思ってきた。性癖への差別、罵倒雑言もよく目にしてきたから、性はちょっとした大人が思わせたいほど、危険で恥ずかしいものでなく、自分と他者を尊重、理解する為にものすごく必要なものであるという認識はもっと拡充されて欲しいと願ってる。
skgctom こういう感覚で大人に甘やかされ許されて育ってきた昭和平成の子供の成れの果てが、現在の子供への性教育を妨げる1番の癌なのである。
エビデンスのない決めつけだ。
zyzyzyzy 釣りだと思うがそれは立派な性犯罪だし、未熟だからと言って犯罪を許すなら、子供の殺人も誰も見逃せという話になる。そんなわきゃない。それが子供の悪戯程度に思えるのなら、もうその時点でレイプ脳で性犯罪者思考
vkaravkara 大人が他人にやりゃ捕まるのに子供同士だからでなぁなぁにするから自衛隊のセクハラ性暴力みたいなのに発展するんだよ。
el-condorel-condor 大人がやれば性犯罪なんだから子供がやってもそうでしょ。そういう認識ができないあたり、ある意味この筆者もメディアの被害者と言えるのかも知れない。
レイプ脳とか、性犯罪者思考とか、メディアの被害者だとか、無茶苦茶を言いなさる。
大人がやれば犯罪だからと言って、子どもも同様の量刑を課されることはない。
合法な子供の性欲ってのは好奇心やら被支配欲の延長にあったりするので教職者の不祥事が止まらない構造はあるね
いっそ安全で清潔なオナニーの方法(男女両方)を性教育でおしえたらいいし、それ自体は生理の処理と同様、プライベートであるべきだが適切におこなえば全く不潔な行為ではないと定義するべきだ。
たしか北欧ではそうしてるってソースもあったとおもうんだが今いそがしいから無料検索はやらないよ。
儒教からつづく男尊女卑だったり科学になりきれない観念が単なるリプロダクションの一部たる(特に女性の)オナニーに不潔とかの概念をなすりつけてたり
男児達の中には半分猿みたいなのがいて、漫画の影響なんかなくても無意味に他者を攻撃したりします。
精通前の子供のうちに罪を犯させて、その後きっちり何重にも罰を与え、被害児童が負ったトラウマの何倍ものトラウマを加害児童に植え付けるのが現実的な解でしょう。
「欲望のままに行動すると後で怖いことが待っている」というのを覚えさせましょう。
本当は公的な教育内に盛り込むまで行った方が良いと思うけど、難しいのは分かる。なのでまずは18禁ではない子供でも見られる商業的な性的コンテンツの区分を作る事では無いかと思う。あと仰る通り親からの教育も。
親からの性教育が難しいのは分かるけど、そこは一人の(加害者にもなりえる)人間を産んだ者として当然背負うべき責任であって、難しいで投げ出して(ましてや他人や他人のコンテンツのせいにして)逃げていい事では無いと思う。愛玩動物を飼うのとは違う。
子どもへの性教育から、さらに一歩踏み込んだ対応になるので、公的な教育内に盛り込むのは難しいだろうね。個々の親がどう考えて、どう対応するかという問題になる。ある年齢の子どもには性欲が出てくるし、それを封殺しても良いことないから、それと「正しく」向き合う方法を教える……これは大人にも難しいことなので、なかなか大変。
https://anond.hatelabo.jp/20220720134218
この増田に対する反応を見て思ったのだけど、みんな子供の性欲について真面目に考えているのだろうか?
まず気になったのはエロ漫画以外で同様の事が起こった場合をどう考えているのだろう?と言う事だ。
仮面ライダーや戦隊ものや鬼滅の刃等の真似をして暴力を振るう子供が居た場合、同じリアクションなんだろうか?(つまり、仮面ライダーや戦隊ものや鬼滅の刃をゾーニングまたは規制しろ、と?)
もしそうなら徹底しているし一貫性が有ると思うが、残念ながらそういう意見はあまり見ない。
という事は大多数は
するのだろうか?
当たり前だけど、そういう暴力も性的な嫌がらせ同様、被害者にトラウマや精神的なダメージを残す。それらを「仕方ない」と思うのか、まずはこれを聞きたい。
私自身の見解としては両者に本質的な違いは無いと思うので、他の暴力と同じ対応をする以外に無いと考えている。(つまり、「人の嫌がる事をしてはいけない」等の教育、またもし性的コンテンツの規制、ゾーニングで対応するなら、他の暴力でも同じ対応をする)
もう一つ考えたいのは子供の性欲をどうするか、だ。
元増田のケースは性欲が原因なのか怪しいと思っているが(だから他の暴力と分ける事に欺瞞を感じるし、基本的に他の暴力と対応を揃える以外に方法が有ると思えないのだが)、小学生なら可能性も一応有るとは思う。また元増田以外のケースでそういう事はありえはするだろう。
しかし性欲が原因だったとしても、はてなの人達はじめ多くの人が出すのはゾーニングや規制等、子供の性欲の解消は全く考えていない方法ばかりだ。
これは何故なんだろう?
当たり前の事だが、子供にも性欲は有る。
それを解消せずに我慢だけさせて置いて、問題が解決すると本気で思っているのだろうか?
恐らく大部分の子供は、そうした大人の目を盗んで18禁コンテンツにアクセスし、勝手に性欲を解消して犯罪を起こさずに成長してくれるから問題は無い。
しかし一部は問題を起こし、加害者になる。その一部への対処をどうするのか。規制やゾーニングが何の役に立つ想定なのだろう?規制もゾーニングもその一部の子供の性欲を解消してくれはしないのだが。
どうも多くの人達は「子供の性欲」から目を逸らしている様にしか見えない、子供が勝手にルールを破って18禁に触れるのに甘えて、考えるのをサボっている様にしか見えない。
大人が子供に(それも子供のルール違反に)甘えている、あなた達はそれでも大人なのか?
子供にも性欲は有る、この単純な事実から目を背けないなら、対処は一つではないか?
逆にそれ以外に性欲を解消する方法が有るなら教えて欲しい。薬で性欲を消すとか?
そしてその性欲解消コンテンツの中で「相手の同意を得ずにデリケートな場所に触れてはいけない」「相手の嫌がる事をしてはいけない」と教えるのが、誰でも思いつく最もシンプルでストレートな方法ではないか?
エロ漫画を潰すのでは無く、それとは別に安全なエロコンテンツを作る。そうすれば「お勉強」が嫌いな子供にも性教育をインストールする事が出来る。
この一番単純な方法を何故かわざわざ避けるから、意味の分からない効果も期待出来ないおまじないじみた方法をわざわざ考え出さなきゃ成らなくなってるのではないだろうか?
幸いフェミニストの中にも同人含むBL作家や男性向けエロの作家も居るし、別にフェミニストでなくても協力する人ややりたい人は居るだろう。法の準備さえ整えば不可能では全然無い。
性欲が有るなら解消する、ついでに性教育もする。それが一番では?
念の為補足しておくが、この話は「既存のエロコンテンツに性教育を入れろ」という話では無い、
小学生でもギリギリ分かると思うが、物には所有者が居て、その物をどうするか決めるのは所有者であって他人である私達では無い。
他人の作ったコンテンツの中身を勝手に決める権利は私達には無い、それは他人の物を勝手に盗んだり、他人の食べ物を勝手に食べる様なものだ。所有という概念が抜け落ちている。
自分がやりたい事は自分でやる、自分で作る、それが当たり前の事だ。
子供に性教育をしたいなら、他人の所有物を勝手に乗っ取るのではなく、自分でその為のコンテンツを作る(もしくは既存のコンテンツを自分で組み合わせて望みに叶う物を作る)、それが当たり前であって、既存のコンテンツへの注文では無い事を念押ししておく。
いくつかコメント頂いている「性欲や恋愛感情ではなく加害欲や支配欲が原因ではないか」という話は本文でも書いている通り同意。
そしてその場合は「そもそもエロ漫画の問題なのか」の部分に書いた通り、他の暴力と同じ対応になると思う。
(加害欲や支配欲は他の暴力の原因にもなっている筈なので、それらと対応を分ける意味が分からない)
性欲や恋愛感情ではなく加害欲や支配欲が原因であれば尚更、エロ漫画等の規制やゾーニングで解決できるとは到底思えず(規制やゾーニングで加害欲や支配欲が無くなる訳が無い・・・・)、漫画その他表現に批判が向くのは問題を見ない様にする為のスケープゴートにしかならない、と思う。
男の成長のためじゃなくて、男児の「親」が子育てを手抜きするためなんだよなぁ
その過程でスカートめくっちゃうかもしれないけどどうせ一言謝れば終わりww」
ちゃんとしてるのは極僅か
どうなんだろうな。このケースではエロ漫画だったわけだが、例えばプロレス漫画を読んで友達にプロレス技をかけて怪我させるとかはあると思うし。根本は人の嫌がることをするな、という教育なんだろうなぁ。
それは性教育の問題なんですよ。人の嫌がることはやめよう。相手の立場に立って考えよう。自分と相手で異なる部分を認めよう。自分の価値観を絶対視するのはやめましょう。何でも良いから教えてあげて欲しい。
そもそも参考にした漫画で「嫌がっていない」描写だったらどうするのか。
男児はいつ「人の嫌がること」と気付ける想定でしゃべってるの?
単に情報として「こういう行為が『エロい』事らしい」という知識があるに過ぎず、性欲ではないんだよな。加害児童のためにも大問題にして「漫画でやってるアレは現実でやるととんでもない事になる」と叩き込むべき。
エロ風味の漫画を規制ではなく「アレは創作で空想上のもので、現実とごっちゃにするやつはキモいやつだ」という教育が大事なんでないか/その言い訳を放置してる相手のご家庭は割とやばいから、増田家は気の毒…
男児が戦隊モノ見て剣を振り回すのを見て「お前はヒーローにはなれないからやめろ」って言うのだろうか。
アンパンチを子供が見たら「パンチはだめだよ。警察に通報するんだよ」っていちいち教えるのか。
それともまさか「エロ描写」だけ漫画と現実は違うとか教える気なのか。「エロ描写」に触れた機会って親は察知できるの?
これいうやつに聞きたいんだけどさ、スカートめくり大流行と同じぐらい殺人が流行っても表現規制はNGって言えるのかな?
そうじゃないなら性被害なんて軽いものって思ってるだけだよね。
表現規制は不要。分別のつく年齢に合わせたゾーニングと性教育の拡充が必要。/リアルの世界で女児の親やってるとこういうことへの警戒でフェミの私より圧倒的にヤバい過激派がいるので、本当ゾーニング大事だと思う
えっこの程度の想像力もなくエロ漫画を擁護してたの?この程度の被害(被害者にとっては甚大)は仕方ないとして擁護してんのかと思ってたわ。
被害者のことなんて何も考えてないくせに、さも「私は解決策を思いついています」風に語る醜さよ。
ごめんがんばったけど2行読むのが限界だった
膣臭がひどくて無理
たわわとか温泉むすめとかでフェミが根拠なく性犯罪を助長するとか言ってんなバーカと思ってけど自分に跳ね返ってくるとは思わなかった。
小学生の娘が通学団の男の子に性的な嫌がらせを受けたと泣いて帰ってきた。
掻い摘むとスカートめくり的なこととか、やらしいこと言われるとか、勝手に身体を触られるとか、そういうことだった。
なんでこんなことをしたのか、という話になった。
正直、女の子にちょっかい出したい年齢だしな、と思ってはいたが、
男児の兄が持っている漫画(タイトルまでは聞けなかったが相手の親が言うにはR18指定のものではないそうなのでたわわとかToLOVEるみたいな感じなのかなと思う)を友達数人で回し読みしていて、その漫画内でのことを仲間の数人でクラスや通学団の女子にやって「遊んでいた」と。ゲーム感覚というか度胸試しみたいな意味合いもあったようだった。
これがいわゆる悪しきホモソーシャルというやつか、と思った。
以前にも一度教室内でクラスの女子にやって担任に叱られてはいたらしい。叱られたのでクラスではなく通学団の女子にやることにしたようだ。
本人たちにとっては性犯罪は遊びであったらしい。
相手の両親が性教育含めちゃんとします、娘さんのケアをお願いしますと言う人だったのがまだ幸いだった。
こうした発言ができる比較的マトモと思われる親の子ですら漫画を見て性犯罪を遊びでするのかと思ってくらくらした。
そもそも子ども同士のことだと思って親と学校で対処したが、結果あの男児が娘にやったことは性犯罪であり、大人同士であれば強制わいせつとかに抵触する内容だった。
つまり今回の件は警察にも届け出てないので性犯罪にカウントはされないとしばらくして気づいた。こうして内々に処理されなかったことになる性犯罪がたくさんあるんだろう。漫画に影響されてやる性犯罪なんてほとんどが今回みたいなガキのやることだと思う。
そしてうちの娘の受けた性犯罪も子どものいたずら、せいぜい「エロ漫画が性犯罪を助長するケースもまぁなくはないよね、ただしレアケースだから取り上げる価値はない」と、たまたま起きたケースとしてオタクたちには処理され、結果エロ漫画は性犯罪を助長しないことになるのだろう。
通学団は加害側の男児がとりあえずは別の通学団に入る形で距離を取ることとなった。学年も違うしもう夏休みにもなるのでしばらく娘とその男児とは距離が取れる。
隣の席にも来てほしくないという。
すべての男子が悪いわけではないというのは娘にとっては都合の良い詭弁らしい。
親の躾の問題と言っても性犯罪が起きてからではもう遅い。起きたときにはすでに性犯罪の被害者という立場からは逃れられない。起きてから加害者を叱っているようでは遅いし叱る親ばかりでもないので親のしつけや教育に依存せずそもそも発生しないようにしなくてはいけない。
自分が娘にどうしてあげればいいのか、
これまでの自分の考えが娘を今回のような被害に合わせる手助けをしてしまっていたのではないか、
考えては考えては頭がくらくらする。
【追記】
こんなに伸びると思ってなくてびっくりしてます。
娘や被害にあった子への嘲笑や誹謗中傷があったらと怖くてブコメとかは見れてないですが…
娘は寝付きが悪くなるなど少し不安定な状態になった時期もありましたが今は安定しています。
夏休み期間中に娘が少しでも元気になれたらと思っていますが被害にあった子の中には定期的にスクールカウンセラーと相談している子もいると聞いています。
専門家でもないのに言うのも気が引けますが、加害男児たちの話を先生から聞くに、たぶん根底にあるのは男の子の自分を誇示したいという欲とか、中にはそこにうっすらとした加害欲も併せ持ってる子もいて、それを発露させる手段として知恵を与えてしまっているのかなぁ、と。