はてなキーワード: GWとは
part1 https://anond.hatelabo.jp/20240914181511
part2 https://anond.hatelabo.jp/20240914181619
2007年に三井倉庫でGWのバイトの労災事故が発生。だがこのバイトは三井倉庫に派遣されたのではなくて、東和リースに派遣されたものだった。しかも三井倉庫は東和リースとは契約していなかった。横浜の港湾会社、笹田組に依頼していたのだ。つまり、三井→笹田組→東和リース→GW社と三重派遣状態だった。笹田組は名前から察しが付くように沖仲仕の組だったところが法人成りして事業を変化させてきた会社だ。つまりは港湾業務へ派遣したことになる。しかも禁止されている二重、三重派遣。その上での労災事故。
そもそも東和リースは港湾かどうかなど考えなしに派遣を行っており、こういう事になるのは時間の問題だった。
港湾の近くの倉庫が港湾業務にあたるか?という時点でも行政の胸先三寸であるのに、港湾業経由で派遣してたら言い逃れ出来まい。
そんな訳で、2008年には営業免許を取り消されて倒産した。直接の処分理由は同労災事故で港湾どころか船に入って仕事しているのがバレ、それに割増し手当を払っていたので故意が明白となって社員が逮捕された為だが、きっかけは上記労災である。
2007年にはGW子会社のコムスンの行政処分もあって、折口氏は米国に逃げてしまった。潮の流れが己の逮捕に向かっていると察しての事だろう。
創業当初のGW社は違法状態であった。だが時代が味方をして規制緩和で合法状態となった。それで莫大な融資を受けて業績を急拡大した。
一方、00年代中ほどからワーキングプア生産装置としての派遣業の拡大が社会的に問題になってきた。戦後労働行政の労働者保護と規制のコア業態に関しては派遣自由化をさせなかったのにそれを甘く見ていた。このコア二業種については社会保険や労災保険について勉強すると必ず出てくる。
この二業種の一つ土建への派遣で労災事故があり、コンプラを意識せざるを得なくなり失業する常駐労働者の就職斡旋まで行った。コンプラが利益になる局面が来たのだ。
だがそれに至らず、もう一つの規制業種の港湾での派遣で事故が起こり、社員の逮捕にも至り倒産した。コンプラが利益になる局面なのに東和リースがヤバい事をしていると炙りだし切れなかった訳だ。
でも東和リースがやってる事自体は買収以前からの社員も派遣されたバイトも知っていた。それが違法性が高いという事が判らなかったのだ。
一方、本社ではコンプラが大事だという意識にはなったが、契約先のどこに問題があるかを掴めなかった。
それは何故か?
まず、買収した会社の客だったからだ。己で開拓した客じゃないので客先が実際にどういう事をしているかという事をチェック出来ていない。
次に元から違法操業で、違法操業の会社を買収した。コンプラ意識がある社員が適切に配置されていない。
更にバイトを支店長に昇格させた。「やる気」と「のし上がり」だけを鼓舞して社員教育が出来ていないからいきなりコンプラ大事になっても、事業内容から「東和はヤバい」と報告したり契約解除を進言したりする者が居ない。
土建でNGが出たから港湾もアウト、という事を社員に説明して理解させていない。それには戦後労働行政の基礎を教えなきゃならないし、それ以前に行政の裁量の広さなどを教養として教えておくべきであった。
行政の裁量で黙視はOKじゃなくて胸先三寸という事の理解が足りなかった。政府が規制緩和を進めている最中なら認められているように見えるが、一旦逆ハン切り始めたら甘い見立ては全て裏切られる。
全員の顔を見る支店長会議をして意思疎通が出来ていると思っていた。そんなやり方じゃなくて脳から神経を伝って指先が動くような社内ネットワークを築く必要があった。何しろ東和リースの事を知っている者は沢山居たのにそれがヤバいと認識する者が誰もいないというのは異常な組織だ。こんな誤解をしてしまうくらいなら全員会議なんてすべきではない。トップが満足して社員も一体感を感じるだけの堕落を生ぜしめたと言っても過言ではない。
いずれにしても、東和リースの問題を炙り出せれば倒産は回避できたのに、買収した会社の開拓した客で、実際はどの会社のどの場所に派遣されてるかが派遣された人間に全部聞かないと判らない、途中に港湾業が入っていても契約書にも作業伝票にもどこにも出て来ないという難問であった。
それなのに会社組織の作り方に失敗し、違法操業から出発しているのでコンプラとか言っても念仏としてしか機能せず難問は解けなかったのだ。
カカチャンネルなどの人気シリーズ【しくじり企業】では、GWの倒産を法令遵守に興味がない経営のせい、と結論付けている。
https://youtu.be/QviiLg8rQ48?si=DxamXjc0OxUuDPwg
勧善懲悪的だが、上記を読んだらこれが間違いだと判るかと思う。何故って、他の会社も全て違法操業だったのだ。その中でGWだけが急成長して倒産に至ったのだ。会社が大きくなったらやるべき事をやっていなかったのだな。
更に途中でコンプラを意識しないと潰れるという意識が上層部には生まれたのに、それを下まで周知出来なかった為に倒産したのである。そんな教育をしておらず、そんな事を知る人間を適切に配置していなかった。
また、コンプラと言っても闇雲な全域での遵法が必要という訳じゃなくて、戦後労働行政のコア業務二種を知り、そこを重点的に守れば他は行政指導などで済んだのに、ポイントを外していた。
この土建、港湾の特別扱いの事は、労災や社会保険の事を勉強すると出てくる常識的な事で、労働者の権利や労働法に強い弁護士とかよりも、会社の総務部などに近い知識だ。だから「会社」に成り切れてなかったんじゃないか、ということも出来る。
で、最後に兵庫県知事に戻ると「知事の炎上もGWの倒産も港湾利権の闇」なんかじゃない。その構造は過去帳入りしている。しかし労働行政は前例主義で沖仲仕の保護と派遣禁止の立場をとり続けていて、時代と時の政府にちやほやされた考えの甘い問題企業がそのシマでシノギやってるのを目で追い、風向きが変わった辺りでぶっぱなしたのだ。
part1はこちら https://anond.hatelabo.jp/20240914181511
GWを興した折口雅博はジュリアナ東京とベルファーレを興した有名人物。防大卒で、任官拒否して日商岩井に就職、同社在籍中にイギリスのディスコ、ジュリアナのライセンスと経営元の出資を受けて芝浦にジュリアナ東京を開店し、社会現象ともなった。次いで六本木にベルファーレをオープンするが、共同出資者のAVEXにクーデターを起こされ社長を解任されてしまう。
AVEXは元はダンス系の輸入レコード卸で、ディスコ用レコードというのは六本木の坂下のウイナーズレコード、六本木WAVEくらいしか扱わず、スモール商売だったが、英国でダンス音楽がメジャー化してきて市場が大きくなって来ていた。そこでAVEXも自社レーベルを作り、更にダンスユニットタレントを売り出すなど商売を大きくしている最中であった。日商岩井を退職して同社とのスジが切れた折口のカリスマの下で商売するつもりはなくなっていた。
労働基準法では人材派遣は基本禁止である。だが1985年に派遣法が施行されると事務職のうち技能職、ガイド、受付係など一部の職種のみが解禁され、終身メンバーシップ型組織に属さない自由な働き方と持て囃された。
だがその一方で、建築現場や工場、引越し、事務所移転、物流など、許されていない業務への違法派遣が増えて行った。これらは業務請負の形を取っていた。偽装請負と呼ばれる。
そもそも禁止業務への派遣だから、ブルーオーシャンである。ノウハウ蓄積も資本も資材も必要なく、口八丁だけで営業可能だ。
最初のGW社もこれら取るに足らない違法零細偽装請負の一つでしかなかった。
だがGW社が違うのは、折口氏が経営者であった事だ。経済誌によくインタビューが載った名物経営者の新ビジネス、という事で、リクルートなどが度々インタビューを掲載した。
折口氏のもう一つの特長が、日商岩井時代に築いた銀行とのコネ、信用である。1997年、介護保険のスタートを受けて、介護事業者のコムスンを買収。ただの偽装請負会社に買収資金を出してくれる銀行はない。折口氏のコネとカリスマがあってのものであろう。
1999年に派遣法が改正され基本自由化、ネガティブリスト方式になる。禁止業務は港湾、建設、警備、医療、製造。製造は後の2004年に自由化。このうち警備は警察の監督事業で、やはりヤクザの企業舎弟排除の歴史と立法趣旨がある。
偽装請負だった業務も一般派遣業として運営できるわけで、ここでGW社は急激に事業を拡大している。
その方法はやはり事業買収で、既存の偽装請負事業者を買収しまくり、従業員と設備、事務所の賃貸物件ごと吸収している。
次に2000年にオープンした六本木ヒルズの1フロアを契約(賃料1000万円/月)。
CMを打ちまくり、携帯電話だけで短期バイトが出来る「モバイト」として労働者を大量募集した。
支店をオープンしまくったらその店長が大量に必要だ。その店長は、買収した業者のバイトで正社員希望の者を募ってあてがった。オープンしたては営業してないから仕事も無いしバイトも来ない。
仕事は買収した業者の既存支店から回して貰う事にして、バイトも増えて仕事が回るようにるまでは店長ワンオペとした。朝6時から22時くらいの勤務となるのでずっと泊まり込みとなるが、ブラック企業ではそれ以上の会社も多いし正社員をエサにしたらそれくらいの激務で音を上げる者は居なかった。
この事業資金は銀行から借りていて、その金額は400億だという。
90年代から銀行は中小零細や個人経営商店と取引しなくなっていて、それらの法人客には子会社のノンバンクを紹介していた。夜間金庫も撤去。最近、小銭の両替料を取る様になったのも同じ理由で、小さい会社は客ではないのだ。客として有用に考えていれば両替は商売に必要だからコストは銀行が持ちにする。偽装請負だった日雇いや短期バイト派遣事業に400億とはべらぼうな話で、零細経営者だったら頭にくる話である。
例えば買収された業者の一つには「ラインナップ」社がある。ここは都内城西城北地区で事業をしていた。基本、偽装請負なのでイベントの設営、引越し、事務所移転、内装など色々な業種へバイトを派遣するのだが、勤務歴が長いフリーターが多いので半職人化して、作業内容を説明したら放ったらかしで養生などの準備から始めて、他の業者との作業のカチ合いを調整、作業完遂、片付けまで出来たり、内装では工具を持参して図面を見て指示通りに工事をしたりと、請負業務に近い事が出来る。
ここの買収額は10億であった。工具や台車、養生材など資材込みの値段だが、元が偽装請負の結構いい加減な会社に10億出すのが適当か、そもそも値段がつく業態なのか、という気がする。
この会社の社長は今でいうFIREして悠々とした生活をしていたそうである。
こういう業者は他にも多く、客先には「モバイトじゃない方です」と案内していた。モバイトは急募されたノンスキルのバイトなのでいちいち説明が必要だが、そうじゃない半職人で指示と監督が最低限の方です、との意だ。
バイトから昇格させた支店長を含め、買収でGW社員となった支店長の意識age、意思疎通の為に月に一度六本木ヒルズ本社に少なくとも関東の支店長を全て集め、店長会議を行っていた。人数が多いので実際は経営方針の訓告や目標の訓告が中心であった。
これで顔を会わせて意思疎通が出来ていた…と思っていた事が後の悲劇を生む。
急成長していたが、元が偽装請負の違法業務でありその構造や客先などはそのままだった。派遣が自由化されて業態を一般派遣業にした為に融資を受けたのだが、禁止業務だった建築、港湾への派遣はそのまま行われていた。しかも建築はその数が非常に多い。
また労働契約は日雇いとしてその日で労使関係が清算されるのだが、その場合、労災事故が起きた時の休業補償をどうするかというのは決めていなかった。事故が起きない事を前提にして経営していたのだ。
そこに2005か2006年頃に、建築現場で事故が起きる。製品名からロングスパンとかピアットとか呼ばれる現場用エレベータが墜落し、載せていた貨物の下敷きになって派遣のバイトが死亡した。
現場用エレベータはラック(平歯車)にモーターで駆動されるピニオンギアが噛んで登っていくという簡単な仕組みで、暴走時の安全装置がない。組むのもエレベータ会社の職工ではなくて鳶職がやる。これに大量に貨物を載せて荷揚げしている時に落下し死亡に至った。
禁止業態である土建に派遣して事故に至ったのでGW本社は立入検査を受け、一部営業禁止処分が下された。
一般的に派遣会社は客先からの引き抜きを警戒し、「毎日来てるから打ちで直接働かない?」といった事を言われたら直ぐに会社に伝えろと労働者に厳しく言うものである。
だがこの時のGW社は、土建業客先常駐のようなバイトをその派遣先の会社で社員として直接雇用出来るように尽力している。
土建業への派遣はもう出来ないのでそのバイトは他の仕事に移るか辞めるかなのだが、だったら派遣先で雇ってもらえないかと話を付けて無償で職業斡旋していたのだ。
この辺から風向きが向かい風になって、世間良しを意識せざるを得なくなったようだ。
この時点で全土建現場への派遣は廃止。ヘルメットや安全帯装備が必要な現場は全て断り、常駐のようなバイトが居たら上記のように就職斡旋をした。
遵法を意識するようになったのだが、見落としによってこの先に決定的なミスをするのだった。
東和リース社はその名の通り、リース会社であった。ローラーコンベアなどの物流用、荷役用機械をリースしていたが、一番需要が多いのはフォークリフトである。倉庫業必須だ。
ところで、フォークというのは操作するのに免許が必要だ。フォークオペの免許持ちを常に確保しておくのは結構難しい。
そこで、同社はオペレータ込みのリースをしていた。これはちょっとグレーな派遣だが、これをやっているリース業というのは多い。
フォークオペが必要な会社では流動的な需要に対する人も必要なことが多い。季節により貨物数が増減して必要な仕分け人の数も増減する。海コンが到着する日にはバン出し(コンテナからバラで出してパレットに積む事)の人数も必要だが、コンテナが来ない日には要らない。
そこで、それらの人間も調達しますよ、という営業をするようになった。最初は自社でバイトを募集していたのかもしれない。だがそのうちに他の派遣会社に派遣を取るようになった。つまりは二重派遣である。
当初、同社の仕事を取ったのは先例に出したラインナップ社だったと思われる。客はそのまま受け継いだのでGW社に変わってもそのまま二重派遣は続いていた。
作業終了後、作業伝票をきって貰うが、実派遣先の会社は東和リースからの派遣と思っている。その伝票で二重派遣がバレるといけないので、伝票の社名(GW社)の部分をハサミで切っておくという姑息な事をしていた。
兵庫県知事が炎上してるのは港湾利権に手を付けたからだ、という棘が話題になっているが、それ自体は他愛もない陰謀論だ。
更に「大企業グッドウィルが潰れたのも港湾利権の闇」とかいう陰謀論の重ね掛けにもなっている。
このグッドウィルが潰れた理由と経緯はちゃんと認識されて居ないしWikipediaなどにもちゃんとまとめられていない。どこかで書きたかったので説明するよ。
表面的には東和リース社への二重派遣がトドメとなって派遣業免許を取り消されたと世間に認識されている。
でも結論から言うと戦後労働行政の2本の柱であった建築と港湾への違法派遣を行っていたのが大問題だったのだ。
でも事件の背景とGW社(グッドウィル)の成り立ちと労働行政の来歴を説明しないと意味が判らないはずなので、どうしても長くなるが説明する。
>「売上8000億円のグッドウィルが一発廃業」港湾利権は地面師が可愛く思えるレベルでやばかった
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2433890
戦後労働行政で建築(土木)と港湾は特別な扱いになっていて特に手厚く労働者が保護されている。これはこの二つが前近代的な雇用形態になっているという事と、ヤクザの問題だ。
終戦後~90年代まで、行政は縦割りのセクショナリズムが強く、職分を超えて協調的に仕事をするという事が少なかった。だがヤクザが絡むと別で、ヤクザ対策は国策と言っていい。
ヤクザなんか追い出せばいい、そう思うかもしれないが、それは今だからそう見えるのであって、昔はヤクザとカタギの線引きが難しい職業というのが沢山あった。線引きをしたのは警察で、今は警察の長年の活動後であるからヤクザとカタギの職業がきっちり分かれているのが当然に見えるのである。
そして建築と港湾はそもそもその職分からヤクザが生まれたりしていた業界なので特に不可分だった。
建築土木は請負構造になっていて、仕事の元請けが熊谷組や大成建設のようなゼネコン、その下に○○組のような中小の建築会社、設備会社があって、職工はその中小土建に直接雇用される。つまり実作業をするゼネコン社員は居ない。現場にいるゼネコン社員は監督か設計である(事務所で躯体完成後の図面を書く)。
因みに〇〇組などの会社社員は自社の事を「組」と言ったりする。
これからも判る通りに、ヤクザと出発点は同じだった。片方は裏社会、片方は資本主義に順応して分化してきたものだ。
そして戦後の時点では元請けゼネコン以外の土建はヤクザと未分化の所が多かった。
これらの中小土建の職人も社員という訳ではなかった。仕事を請け負った土建会社は親方に仕事を投げる。親方の下には親方に喰わせてもらっている弟子の職人が居るので彼等が仕事をする。
また土工(所謂ドカタ)など単純労働系の職分だと日雇いの人夫を使う(人夫は差別用語らしく変換候補に出ない)。朝6時頃に手配師のトラックかハイエースが来る場所というのがあり、そこで待っている人間をピックアップして各現場に送る。山谷が有名だが東京だと高田馬場と新大久保間の今は西戸山タワーホームズがある場所も有名で、早朝の山手線から見えた。
仕事が終わる時間に迎えに来て賃金を払って終わり。雇用期間は当日だけ、その日払い。
この手配師は親方だったり親方に雇われてる人間だったりするのだが、この親方は一人頭いくらで請け負って、そこからピンハネして日雇いに渡す訳だ。
そしてこの手配師にしろその上の土建にしろヤクザの舎弟というのが多かった。
そうなると日雇い労働者としては普通の会社の福利厚生というのが受けられない。特に怪我をしたり障碍者になったりした場合ヤバいことになる。
コンテナ船が一般化するまで、内航(国内航路)にしろ、外航にしろ船で貨物を持ってきたら沖仲仕の世話になった。主に手作業、時にクレーンや台車を用いて貨物の荷卸しをする荷役人夫が沖仲仕である。
昔の貨物線は船底から船倉で、そこからクレーンを用いて手作業で岸壁に貨物を下ろし、それを次に載せる船や貨物列車に載せる為の集積所に運搬する。船に載せるのも同じだ。
ただ、付けられる岸壁には限りがあるし、岸壁使用料を港湾長(都府県)に支払わなきゃならない。この金額は結構高い。
そこで艀(はしけ)を使う荷役が一般化した。艀はただの四角く平たい台船で、動力船に引っ張られて移動する。沖仲仕が船から艀に貨物を下ろし、一杯になったら次の艀を付け、とやって列車みたいに幾つも繋げて次に載せる船に付け、貨物を載せ替える。因みにF1カーなどのサイドポンツーンのポンツーンとは艀の事だ。
この場合、艀が資本であり、艀を持っている人間が親方となって沖仲仕を使役するという形になる。
で、この沖仲仕だがやはりヤクザと不分明であった。特に戦前から戦後すぐまでは土建と同じようにドヤ街近くでピックして人を集め艀や岸壁に分配していた。
この沖仲仕の親方から巨大暴力団になったのが山口組だ。これ以外にも港湾近くにはヤクザの組や右翼団体が多く、その事務所は陸の上だけでなく係留されたボートハウスにある事も多かった。
港湾近くには「〇〇水上警察署」という警察署があるが、これはその名の通り、こんな訳で事件やトラブルが頻発する港湾の水の上を管轄する警察である。現場が艀や船の上なのでパトカーはおまけで、主な移動手段はパトボードであった。
この事情は海外でも同じで、ギャングというのは沖仲仕の班を指していたが、そこから犯罪者集団化したものが現れたので、犯罪/虞犯集団の事を指すようになった。
沖仲仕も土建と似た構造と利害関係にありヤクザとの関係も似ている。
そこで労働行政の重点項目になった。目的は日雇いが多い労働者の保護、特に労災時の保護と、ヤクザからの切り離しである。
その為に日雇いは原則禁止となった。しかし船会社や倉庫会社が艀の親方に仕事を発注し、その親方が人夫を連れてきていてそれが日雇いという体なのであまり効果はない。
だが沖仲仕のこの構造は一気に無くなって殆ど解消してしまったのだった。それが
コンテナ化へのシフトで、人力での積み下ろしからコンテナ輸送に切り替わってしまった。荷主が倉庫でコンテナに入れて埠頭に輸送し、岸壁ではそのコンテナをガントリークレーンでコンテナ船に積む。
すると必要な人手はクレーンオペと場内の車両誘導整理、フォークリフトでのコンテナ移動がメインとなった。これらは日雇い人夫に出来る仕事ではない。故に手配師も必要が無い。
という事で、沖仲仕の保護の為の労働行政特別扱いの根拠というのはかなり解消してしまったのだ。
だが、行政としては別にそれによって困ったことが発生しているでもないのに前例主義を止めるつもりはない。
だからこの労働者保護、使用者から見たら規制はまだ生きていて現用である。これが大事なポイントだ。
また解消されたとは言っても、港湾内倉庫でコンテナ移し替え(海コンから鉄道コンテナなど)のような仕事はまだあり、そこでは沖仲仕時代と同じ作業が行われている。
更に、今では一般的な港湾労働者が居るのは、港湾長が管理する埠頭近辺だけだが、元の規制趣旨から言って規制対象域はもっと広範囲に及び、明白な区切りはない。これも大事なポイントだ。コンテナ化で港湾長管理域だけに労働が集約されたにすぎないからだ。
の続き。
無事に上の子が小学校に入学して2学期も始まったのでのろけの続き。結果として今のところ小1の壁はなんとかなったと思う!!!
夫がGW明けまで当たり前のように毎日小学校まで付き添って一緒に行ってくれて、こどもからもう1人で行ける大丈夫、って言ってくれるようになってくれたのがめちゃくちゃ助かった。あと小学校側も普通の公立だけど保護者への連絡とか凄く密にしてくれるし担任の先生も学校全体としても当たり(?)だったのが大きいと思う。この辺りは土地柄とかあるからなんとも言えないけども。
子どももすぐに学童に馴染んでくれて夏休み中も毎日弁当は大変だったけど一回も行くの嫌といわずに楽しく過ごしてくれたので助かった。このあたりも個人差めちゃくちゃあるところだろうなと思う。
夫は4月から無事に昇進して忙しくもなったけど相変わらず良い意味での空気の読まなさを発揮してて、育休も後に続く後輩が出てきたり看護休暇を男性社員がとるのも普通になってきたらしい。全然絡んだことない別部署の人からこの会社で男性で育休とる人がいるなんて思いませんでした!俺も取ります!って感謝されたって笑ってたw
私の仕事も元々融通効かせやすい職場ではあるけど最近後輩(男)のところに子どもが産まれて、育休とる代わりに毎日2時間早く帰ってて、寝不足でヤバイっす、とか愚痴ってるのでいろんな意味で当たり前が変わってきたんだなぁって実感する。
子育ては忙しいし大変だけど夫と2人で週末に子どもたちが寝てからわざわざTSUTAYAで借りてきた旧作の映画のDVD見ながら高級スーパーで買ってきたちょっといい生ハムとワイン飲んだりするのが楽しかったりする。あとたまにチェーン居酒屋で5時から空いてるところに子どもたちも一緒に行って子どもは唐揚げとかポテトフライ食べて満足して、大人もビール飲めて、19時からキッズルーム併設のカラオケで1時間歌って帰るっていう大学生みたいなことしてみたり。旅行も行きやすくなってきたし大人も子どもも一緒に楽しめる場所が増えてきた感じある。地元の広報紙に乗ってる地元の博物館のワークショップとかちょっとしたイベントにわざわざ行ってみるのも楽しい。
たまに夫は独身の学生時代の友達の家に集まってゲームばっかりやって過ごしてたりもするし、私もたまに学生時代の友達と遊びに行ったり飲みに行ったりしてて、そういう日はお互い子どもよろしく!っていうんだけどワンオペで子ども見るのも楽になってきた。
私と夫はとにかく話すのが好きなのでその日あったことか不満とかすぐに言うしネットで見つけた面白かった記事とかすぐ共有するし頑張ったと思うことは私えらくない!?凄くない!?って主張するし相手が頑張ってたらえらい!ありがとう!って褒めあうのがいいのかもしれない。
もちろんこれからも大変なことがたくさん待ってると思うし、お互いアラフォーになって今度は健康のことだったり互いの両親のことだったりいろんな要素があると思うけど、やっぱり2人で得意分野生かして頑張っていこうな!って思う。
ちょっと前くらいに半年の子育て感想みたいのを見て書きたいなと思ってたがずるずるとかけてなかったが、毎日のように成長するので2歳半年の備忘録。
(書きかけで放置してたら2歳後半に差し掛かっており、最近増田で育児のあれこれがあるけど、特に意識したものではない)
春より妻の職場復帰に伴い保育園に入園。送り迎えは妻がメインで不在時は増田が担当。
保育園自体ははじめの1ヶ月はストレスが大きかったのか滅多に無かった夜泣きもしてたが、gw後くらいからは慣れたようでいつもどおりな感じ。プールが始まってからは夜の就寝もサクッと寝てくれるので助かってる(最近は暑すぎてプールできないみたいだが)
休日は午前中外遊び、昼食お昼寝を挟んで夕方は室内遊び、夕食お風呂で、就寝という流れ。夏は午前中も室内遊びがメイン。油断するとすぐYou Tubeを見たがるのが大変。どうしてんのみんな
保育園に入るまでも言葉は出てたが、入園してからの数ヶ月で言語能力は飛躍的に向上した印象。
何より文章として成り立つようになったし、教えた覚えのない言い方もするようになり、一人っ子かつ自宅保育の限界を痛感。
保育園で習った童謡を披露してくれるのはいいが、買い物中、寝かしつけ含めてありとあらゆる場で大声で歌うのは勘弁してほしい。
運動能力は特に困る印象はなく、むしろ椅子やら机やらに登るのを止めるのが大変。最近はぶら下がりにハマってるので戦々恐々としている。
着替えも一応一人ではできるものの、気分屋な感じで朝と風呂上がりはなかなか苦労している。保育園のお迎え時にも「待ちになって周りから遅れてるので練習しろ」と言われており、もう少し頑張りましょう。
離乳食の頃から好き嫌いなくバクバク食べてるので、食べないで困ることはなかった。
思い返すと2歳になった前後くらいの数ヶ月くらい、うどんをぶん投げる時期があったがいつの間にか食べるようになってたし。
最近は保育園で弁当の日があったので、練習がてらレジャーシートで食べたらそれ以降そこでしか食べなくなり、ハイチェアのストライキがはじまった。ただ、親目線からもサイズアウト気味だったので、これを気に新しい椅子に買い替え。
届くまでダイニングチェアで食べてたりしてたが、まぁ落ち着きがない。親が食べてるものを欲しがったり同じ椅子に座りたがったりで、我々も叱らざるを得ず、しばらくご飯時は若干険悪な雰囲気に。
一旦の解決策として皆でローテーブルで食べてたが、前述の椅子が届いてからなんとか座って食べるようになってくれたのでセーフ(とはいえちょくちょく降りたがるが)
2歳といえばのイヤイヤ期だったが、特に困るほどのことは(今のところ)なし。
しかし、ずっと増田の担当だったお風呂〜寝かしつけを拒否するようになってしまい、ちょっと悲しい気持ち。
まぁでもワンオペのときは特に嫌がることもないので、単純に優先度が母>父 なんだと思う。
よくある同じ服しか着ない問題はそこまででもないが、多少好みがあるので偏りは生じているものの、まあいいかと思えるレベルなので気にしていない
表面上は(?)それなりに仲良くやってると思う。
ちょうど生まれたタイミングでコロナからのリモートワークだったので、ある程度の育児参加はしてきた…はず。
ちなみに夜の方はここ半年くらい無い。
「お盆休み直前に超ナルハヤUltraASAP絶対納期厳守案件with仕様書や要件定義書なんてないよ現行のシステムにログインできるゲストアカウント作って貰ったからそこから入って内容の調査から始めてねお盆明けにはデモモデル用意しておいてね客先は15日まで休みとるからなんか分からないことあってもそちらで対処してねうちら営業はちゃんと休み取るんで後はよろしく」案件を定時15分前に営業がぶっこんできたおかげで開発は全員死んだ目をして自主出勤している。
ちなみに年末年始とGWにも全く同じ手口で同じような案件をぶっこまれたので、年末からこっちの大型連休は仲良くみんな自主出勤している。開発だけ。さっき3年目の新人君が思いっきりゴミ箱を蹴飛ばしていた。悪いことは言わないから今のうちに転職した方がいい。3世代前くらいに流行ったものをベースに魔改造した独自仕様満載のフレームワークを使ってるような会社で何年働いても見にはならにぃ。
一応、家族の紹介だけする。父母は直接は出てこない。
父母…兄と3人暮らし。どっちも高齢だけど仕事してる。普通に尊敬してる。
【以下本文】
増田利用者の男性だったら、30代前半くらいまでだろうか。子ども時代に初代ポケモンカードをプレイしていたのは。俺も小学生の頃は土間張りしていた。多い日だと、1日のうち8時間くらいはカードショップでプレイしてた。カード好きの同年代とか、中高生とか、面倒見のいい社会人とかいて、いっつもワイワイガヤガヤやってたっけ。
夜8時までお店にいて、母親に無理やり連れ戻されたこともあった。正直ガチ勢だった。お年玉も全部ポケモンカードに使ったし、かっこいいカードはプレイ用とは別に保存用にしておいたし、最初期のパックに至っては、記念に未開封のものを何袋か取り置いた。
最終的には何枚あったのだろう。今では確かめようもないが、顧問カードを含めると五千枚はいってると思われる。
しかし……中学に上がってしばらくすると、ポケカをやらなくなった。
同い年の男子連中は、すでに違う趣味に走っていた(性的な意味ではない)。コロコロコミックなど、みんなもはや読んでなかった。
ジャンプとかマガジン、その他青年向け雑誌に移っていた。漫画そのものを卒業する層も当然出てくる。
当時の俺は、「もう大人が近いんだし……」と感慨にふけりながら、小学生の頃から使っているリュックサックにポケモンカードのボックス一式を入れて、押し入れに仕舞ったのだ。14才の頃である。
時は変わって、そろそろアラサーを終えようとしている。
おかしいと思ったのが今年の4月末頃だ。メルカリを見ると、『かえんリザードン 旧裏 極美品 引退品です』みたいな見出しで、カードが売られていた。
「懐かしいな~」と思って商品画像を眺めると……写真に映っているカードボックスが、俺が小学生の頃に使ってたやつだった。心なしか、スリーブの色も……。
気のせいかと思った。でも、カードの販売額(※12万くらい)が額だけに、気になってその出品者の他出品を見ていった。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああ
頭の中がマジでこうなった。
GWまで待てなかった。急いで100km以上は離れた実家に帰り、元俺の部屋の押し入れを開けると、14才の頃に仕舞ったリュックサックが消えていた。
兄の部屋をノックすると、「うるさい帰れ、あとにしろ」という声が聞こえた。何度もノックを繰り返すと、無視するようになった。
怒る気持ちを抑えて、晩近くまで台所で兄を待ったよ。夜になって、ようやく夕食に出てきた。
父母がいないことを確認して、いろいろ問い詰めていった。
・もうわかってるんだが、なんでカードを売ったの?
・カード説明には「家族の遺品」とあったが、俺はまだ死んでない
とにかくひどい返答だった。兄は、悪びれもせずに「普通に売った。いらないかと思って。カードが可哀想で」という言い方だった。
最後には、キレながら「うるせえんじゃ。消えろボーーーーケッ!!」と吐き捨ててきた。
こいつ、今はフリーターだけど、これでも元は正規職の区役所職員である。合格した当時は「経歴はかなり盛ったけど、まあなんとかなるっしょ~」とかほざいていた。一体何をどう盛ったのか聞くと、かなりとんでもない盛り方だった。父に物凄く怒られていた。
いったい何が起きたのかはわからんが、数年前に退職してからはこの調子である。近所のラーメン屋でアルバイトをしているようだ。
メルカリだけど、もし兄が販売履歴を消してないと仮定すると、カードの販売総額は50万円ほどになる。
なんかさ、ポケカが高騰してるってニュースは聞いたけど、これほどとは思ってなかった。いろいろ調べていくうちに、その50万円というのもヘタクソな売り方だとわかった。
ほぼ傷のない状態でのカードショップの買い取り額が「10万円」とあるものを、メルカリでは2~3万円で売っていた。いや、早くカタを付けたかったのかもしれないが、もうちょっと考えて売れば……と被害者である自分ですら思った。
いや、実際どうすればいいんだよ。兄に弁償を求めようにも、俺には客観的な価額とかわからないし、請求した時点で兄が持ち金を隠すのはわかってる。昔からそういう人間だ。金自体を持ってない可能性だってある。
父や母はまだ余裕で健康だけど、正直相談していいかもわからない。保護者ということで今回の弁済を求めたいくらいだ。
いや、そんなことしないよ。そんな、父母を心配させることはしたくない。あくまで個人的な心情としてだ……。
父にも母にも尊敬の気持ちがある。できればそんなことはしたくない。けど、起こったことは正直に伝えるべきだとも思ってる。
増田で書いてると気持ちが落ち着いてきた。やっぱり書くっていいことだよな。
俺の心は、あれから三か月経った今でも沈んでる。あれからすぐ、兄からリュックサックを奪い返したけども、(デッキで一軍入りするレベルのやつで)残ったカードはほとんどなかった。アルバムコレクションもそうだ。残っていたのはプラスチックの箱に仕舞ってたコモンカードばかりだったよ。
いや、思い出残ってるからいいけどさ。
残ったレアカードは1~2枚だけだった。最初期のリザードンのやつと、まだ幼かった頃、父母と兄と一緒に映画館に行って手に入れた――あの頃は家族みんな仲良くて平和で楽しかったな――古代美優のポケモンカードである。映画パンフレットに挿入されていた。
これらについて、絵柄は素朴なんだけど、シンプルで味があっていい。見た目は相当にキレイである。売ろうなんて思わない。こいつらだけは一緒に墓場まで持って行ってやる。
あー、マジでどうしたらいいんだ。
実家が飲食店を営業してる。帰省時に手伝いをしていたある日から、たくさん食べる人について思ったことがある
モヤっとほどではないけど、GWに気になることがあった。ちょっと怖いな、という人に出会った……
両親が中華料理店をしている(町中華がいちばん近い)。帰省した時にお店を手伝うことがあって、その時は冬の寒い日だった
夜に、作業服?姿の30才くらいの男性が来店した。普通に注文をして、食事をして出て行った。初めて見る人だった。近所の人ではなさそうだ
うちのお店のお客様は、皆さん千~二千円くらいお食事をしていかれる。食事1~2品とビールの人が多い
でも、その人は、自分だけで七千円以上も注文して、すべて平らげていった。飲み物は紹興酒3杯だけ。残りはぜんぶ食べ物だった
正直、あの人が食べている時が怖かった。最初のから揚げとラーメンの後、天津飯を注文したあたりでおかしいって思ったけど、なんであんなに食べられるんだろうと思った……
お会計の時、私の母が料金の収受をした。普段は父と母の2人だけで店を営んでいる
母は、その作業服のお客さんからお金をもらって、お釣りを返す時に、その男性の両手を握って「また来てください」と言ってた
父も、わざわざカウンターの奥から「ありがとうございました」って……すごく、尊敬してる感じだった
私からすると、その人の食欲に違和感を覚えた。あんなに食べる人はちょっと怖いよ……
もしかしたら、私の感覚が変で、実際は、たくさん食べる人ってみんな尊敬するものなの?
言うまでもなくわたしは若輩であり、人生の先輩方からするとヘンな意見かもしれないけど、聞いてみたい
なんで父も母も、あんなにあの人に心を近づいていったのだろう。教えていただけるとありがたいです
円安が始まったのは2021年の1月103円から上がり続けてる
実はこの時点で金利差は無い、
アメリカが政策金利を引き上げ始めたのは1年後2022年2月から
だから介入後は2ヶ月間下がり続けて129円まで20円下げた
介入効果が切れた2023年初頭から円安反転して再度上がり始めるが、こっからは金利差よりも「弱い日本」売り
2024年4月に実施された介入は実質1-2日、介入分しか下げなかった
二年前の介入では市場は反応し2ヶ月下げ続けたのに
金利差を理由の円売りドル買いであったならば金利差差益が相殺される円高に対して
ポジション整理されるはずなので暫くは円高進行になるはず(二年前はこれ)、
しかし2024年GWの介入に対して市場はすぐに円安進行に戻ると予想した
2022年10月は当面金利差は開いたままだろうと予測されていたにも関わらずだ
2024年4月はアメリカは早々に政策金利を引き下げる予想が優勢であったにも関わらずだ
さらに問題なのは「金利差」が理由であると誤認識しているファンダメンタルズは一定数ある
現時点でもいずれ解消されるだろう金利差を目論んだ圧力は円安進行を阻止している
アメリカの平常運転政策金利は0.25%で長らくこの付近が「常識」だった
ところが2-3%で良くね?そっちのほうが安定して経済成長するんじゃね?
ってのが新しい「常識」になりつつある
コロナ対策でやった5%金利がすこぶる調子がよく予想されてたハレーションが起きなかった
とはいえ5%金利はアメリカにとっても負担で大統領選挙が終われば引き下げを始めるだろう
金利差が理由の円安ではなく、アメリカが政策金利を引き下げても「弱い日本」が解消するわけではないので円安は進む
金利差が解消されているので日銀財務省は「金利差がぁ」の言い訳も使えない
こうなるともはや円を買うプレーヤーは皆無になる
まったく効果がないのが観測されるだけでむしろ「日本売り」の実証となり円安が加速する
200円目前となればさすがに金利の大幅上げが実施されるだろう
金利上げのハレーションは甚大で地銀、中小企業の破綻、物価上昇の加速
売りが売りを呼ぶ
こうなると250円300円が見えてくる
令和6年度当初予算案及び令和5年度補正予算における宇宙関係予算
合計 8,945 億円 ( 対前年度比 2,826億円増[+46%])
主な予算項目(各府省別)
全府省庁合計: 8,945億円
【文部科学省】 3,734億円 ・宇宙戦略基金(文科省計上分) 1,500億円 ・H3ロケットの開発・高度化 263億円 ・イプシロンSロケットの開発 97億円 ・将来宇宙輸送システムロードマップ実現に向けた研究開発 27億円 ・温室効果ガス・水循環観測技術衛星(GOSAT-GW) 119億円 ・アルテミス計画に向けた研究開発等 261億円 うち有人与圧ローバ開発のフロントローディング 40億円 うち火星衛星探査計画(MMX) 50億円 ・深宇宙探査実証機(DESTINY+) 35億円 ※この他、SBIRフェーズ3基金の執行予定額合計111億円を含む。
先日今後2度と妻とセックスしない事が決まった。
自分が思っていた以上に衝撃的で悲しかったので、せめて自分への慰めに長くなるが文字にして残そうと思う。
増田はアラフォー、妻は30代半ば、数年付き合って5年ほど前に結婚した。
付き合ってる時はデートの度にしてたし、結婚して1〜2年目もコロナ時期と被ってたからやる事もなく、少なくとも週に1回くらいの頻度でやっていた。
3年目くらいに子供が欲しいねという話になり、増田としては同じくらいの頻度でしようと思っていたのだが「疲れている」「気分が乗らない」といった理由で断られる事が増えた。週1回が隔週になり月1になり隔月になり、そして4年目は1度もセックスすることはなかった。
子供は欲しいというが、この状態じゃできるわけもない。この時点で増田はもう自分とはしたくないんだろうなと諦めていたので、シリンジ法とかを調べて今年の正月に妻へ話をした。
男としての自分が終わるようで悲しかったが、増田も子供は欲しかったのでその提案をしたところ「普通にしよう」という思いもかけない言葉が妻から出てきた。
やばいくらい嬉しかった、大好きな妻とまた昔のようにできるのだ。もう20代じゃないし体の負担もあるだろうけど週1くらいはしようねと約束し、次は妻から誘ってもらうということでその日はやらずに寝た。
思えば付き合い始めてから妻から誘ってもらう事など殆どなかったので、次に誘いがくるのがめちゃくちゃ楽しみで寝付けなかったのを覚えている。中高生が初めて彼女とセックスする約束をしたような感覚だ、脳汁がやばかった。
翌週になった。
しかしその週は妻が体調を崩したので誘われず、それはしかたない。1月は体調が戻らなかったのか誘いはなかった。
2月、誘いは無し。うちの親が入院したりで増田もバタバタしててタイミングが悪かったのかと思う。
3月、4月、誘いは無し。妻も仕事をしてるし年度末年度初めで忙しかったのかもしれない。ちょっと焦ってきたが誘いを待つという手前こっちから言うのも悪いなと思ってたので待つ事にした。
GWは妻1人で妻実家に帰るのでリフレッシュしたら5月はあるだろう……と思っていたが5月も無し。
そして今月、詳細は省くが本当に些細な事で増田がブチ切れてしまい、感情の発露が止まらず約束を守ってくれない事にひどく傷ついているといったような話を妻へした。我ながら子供のような癇癪を起こしてしまったので、そこは良くなかったと思う。でもどうしようもなかった、半年近く誘われなくて悲しくて仕方なかったのだ。
妻は驚いたような申し訳ないような顔をして、その後手紙で謝罪があった。文字で残す事で今後の戒めとしたいとの事だった。
仕事の疲れを言い訳にして約束を守らず申し訳ない、何も言われないのを良い事に日々の家事や生活の事も甘えていた、子供は欲しい、今後は自立して信用されるようにする、これからも仲良く一緒にいたい。
要約するとこんな感じで、残念ながら増田が欲しかった性行為をするという言葉はなかった。
手紙を読んだ後再び話し合いの場を設け、今後我々はセックスせずに産婦人科と相談して子作りをするという事で同意した。
妻の顔は心なしかホッとしているように見えて、深く傷ついたが言葉にはしなかった。
淡々と話し合いを進めたが冒頭のとおり個人的にかなり衝撃的な出来事で絶望感がある。正直死にたくなっている。
妻の事は変わらず愛しているし、仕事も優秀な部下がいてくれて楽しい。日々は充実している、と思う。
しかしもう妻とセックスする事はないんだなと思うと、果てしなく辛い。
本当は薬でも勃たなくなる歳までしたかった。
妻とするのは本当に幸せだったのだ、でも、妻はそうじゃないんだなと実感する毎に死にたくなってくる。
諸所の事情で産婦人科にかかれるのは10月くらいになりそうで、それまでお互い不妊治療についてや良い産婦人科を調べようと話してある。
もし、万が一、ないとは思うんだけど、10月までに妻が約束を違えて何も調べていなかったら、年内にできるだけ迷惑のかからない方法で死のうと思う。
生命保険もかけてから3年以上経ってるし、いくらかまとまった金が遺せるから安心だ。
それまではただひたすら、不妊治療について調べる事でこの希死念慮と付き合っていくつもり。まだ見ぬ子供の事を考えている時だけがまだ生きる希望になる。子供って偉大だな。
実に惜しいのですが、今年はあと1回だけお誘いして、それでだめなら正規職員への勧誘をやめることにします。
ほかの市町村でもそうだと思うのですが、臨時職員の場合、所属長からの(まともな中味の)推薦状があれば、筆記試験も面接試験も、ほぼ自動的に通過するようになっています。
そのあたりも踏まえて、もう一度だけ説得をしてみます。あなたは受けても、不合格になることはないんだよって、もちろん遠まわしに伝えて、やってみます……。たぶん、彼女もそれが不安なんだと思いますので。
皆さま、重ねがさね、誠にありがとうございました。
_____________________________________________________
ちょっと相談してみたい。以前にも、この増田のダイアリー?で質問をして解決したことがある。
私の立場だけど、地方の市役所で、管理職ではないけどそれに準ずるポジションにある。
タイトルだけど、今の職場に優秀な臨時職員(会計年度任用職員)の人がいる。
その子は20代半ばで、民間企業を辞めてから、うちの市の臨時職員採用試験に合格した。
すごく優秀な子で、事務も企画もイベント・式典の運営も、何でもできる。今うちの部署にいる20代の正規職員まで含めても、仕事の腕前は一番である。それもダントツで。
ある大事な協議では、副市長や市長がいる部屋に一緒に入って、彼女が意見を発表したこともある。そのあたりの実力は、当の私も、今いる生涯学習部署の責任者の人も認めている。
今年のGW明けだった。
私と課長のふたりでその子を呼んで、話し合いの場をセットした。
こんなことを伝えてみた。
・あなたは大変優れている
・今年度の正規職員採用試験を受けてほしい。課長と部長も推薦状を書く。人事にも話はしてある
でも、その子は首を縦に振らなかった。どんな理由があるのか気になったけど、それも教えてくれず……。
でも、あの子の将来のことを思えば、不安定な臨時職員よりも、正規職員の方がいいと思う。
今後のキャリアや、結婚や出産のことを考えてもそうだ。その方が絶対にいい。
ワイ「イオン混んでて休日(GW)駐車場から車出すのに1時間位かかることがある」
増田「嘘乙ww どこだよそのイオン、そんなところねーよwww」
ワイ「都下のどこかやで」
増田「俺は練馬世田谷渋谷〇〇(?忘れた)のイオン全部回ってるけどそんなのねーよ嘘乙www」
ワイ「都下って言ったじゃん、都下って言葉知らんならググれよ」
増田「はあ?俺はイオンの株主だぞ?俺は詳しいんだ!嘘ついたって早く白状しろよww」
ワイ「だからまず都下が何だか知らんなら調べろよ! Gooooooooooooogle is your friend !!! google it !!!!!」
増田「だから都心の事だろ、お前こそ知らねーのかよバカ!おたんちんこ!」
ワイ「Wikipedia 都下 東京都のうち、東京都区部を除く地域(多摩地域・東京都島嶼部)を指す」
増田「」
GWに人生初のデートしたんだけど(35歳非モテ社会人、相手は20代後半の趣味で出会った女性)、
信号の無い横断歩道でおばあちゃんが渡れなくて困ってそうだったからちょっと手伝って渡らせてあげたのよ。
おばあちゃんっ子だから普段からそういう事しててそれが当たり前って感じの感覚だった。
その時は何もなかったんだけど、その後どう考えても寝間着に近い服で歩いてるおばあちゃんが居て、
流石にこれは徘徊だろうと思って持ってた杖の連絡先に電話したのよ。
そしたら案の定徘徊だったみたいでご家族の方が来るまで近くの花壇で座らせて待ってた。
そのあたりから彼女がどんどんイライラしてきたみたいで、「家族が来るならもう行こうよ」って言い出したりしてきた。
流石に今離れたらまたどこか行っちゃうからってそれから15分くらい待ってた。
ご家族に引き渡したあたりで「今日もうやめよっか」って言い出して怒り出し始めて、「余計なおせっかいばっかりして全然楽しくない」と言い始めた。
流石にその一言にカチンと来てしまって、わかった。今日はもうやめようという流れで解散。
確かにおせっかい焼きなのはわかるし、目の前で困ってる人を放っておくほど能天気でいられないのは自分の短所なのもわかってる。
正直彼女と絶縁したのは間違ってないと思うけど、
多分きっと、自分にとって最初で最後のデートは終わったんだなぁというむなしさもあったり。
そんな愚痴でした。
追記。
書き方が悪かった。仕送り云々は通信費の中に含まれるスマホ代とか、実家用の駐車場代とか。
貯金云々の金額がネックなんだけれど、車の維持費の積立だったりするので、なるべく削りたくない…が、貯金や家賃を見直して生活費6万〜8万まで使えそう。
正直、現職は家庭を持って長く働くには十分すぎる職場だ。年齢の割に手取りは低いけれど、業務量も楽だし人間関係も煩わしくない。役職は無いし今後も付く予定はないけれど、新卒から居心地の良い環境を手に入れるためにコツコツ積み上げてきた。ハラスメント上司を告発して(その人は他にも問題があった)僻地へ飛ばすきっかけも作った。それを手放す惜しさはある。休み希望も通りやすいしGW盆正月は1週間休みだ。末端とはいえ大手の一部なので地方にしては福利厚生も十分。
ただ、この仕事をあと30年続けるのか…と考えて転職活動を始めた。特殊スキルもない一般事務職は体のいい雑用で昇進とは一切無縁。明日も半年後も10年後も20年後も全く変わらない日々。
事務職仲間は、結婚すると辞めるかパートになる。後輩に女性の総合職もいたが全員3年も持たなかった。つくづく、昭和の結婚前の娘さんがする仕事が今に生き残っているなあ…と感じている。
家庭を持てば変わるかもしれないが、彼氏と別れて、婚活に失敗続きなのでここらで環境をガラリと変えてみたい、という気もある。順当に行けば両親は私より先に老いて死ぬので、実家でいつまでも楽しく愉快に暮らせないだろう。面倒は見るつもりなので、地元へ帰れそうになければ再度転職するつもりだし、最悪大阪独り暮らしが立ち行かなくなっても、現在は両親が健在だし、年齢的にリカバリーも効くはずだ。
孤独な底辺在宅ワーカー。GWに約束して遊ぶような相手もいないので、政府が孤独・孤立対策として開設したメタバース空間「ぷらっとば~す」の相談エリアで相談してみた。
・ぷらっとば~す内で他の利用者に見られながら相談エリアのテントに近づく時点でまず心が折れる
・満を持してテントに入ったら「今の時間は子育ての悩みのみ」といった記載があり、対象外で心が折れる
・翌日再挑戦し相談のZoomが立ち上がった瞬間、Zoomに登録していた本名が共有され心が折れる
・Zoomの相手にさっそく相談したら、そこはどうやら受付(前室)らしく、軽くあしらわれ心が折れる
・ようやく相談員(動物の着ぐるみ)に繋がるも、チャットが不慣れなのか毎回返信まで5分かかり、ものすごく不安になる
・自分が自治体に相談して足蹴にされたという話に同調し、行政をぶった斬ってくれたのでスカッとした 相談員はNPOの人と推測
・返信が遅いため相談が着地するまで1時間以上かかり、最後の方は自分で良い感じに結論づける羽目に
良かった点
気が付いたら匂いがしなくなっていた。
確実に老化がすすんでいる。いつの間にか50歳になっていた。
10代の頃、部屋のゴミ箱から放たれる使用済みのティッシュのあの強烈な匂いは今はもうしない。
先日、興味本位で自分の男の匂いを試しに嗅いでみたときのことだ。
今月初めのGWに、妻と二人、新緑の山のふもとの温泉に出かけた。
青空のもと、山々は一斉に咲いたシイノキの花の淡黄色で見事に彩られていた。
シイノキは5~6月頃に穂状の花を咲かせる。
極相林となったシイノキの開花は圧巻だ。山の色を塗りたての油絵の絵具のように大胆に変えてしまう。
そんな新緑の美しさに気が付いたのは、つい最近のことだ。
どうして今までこの美しさを知らなかったのだろう。風が気持ちいい。
若い頃放っていた青々しい匂いが、つーんと頭の先のほうでよみがえる。
ひょっとすると、だからこそ、新緑の生命力がより強く感じられるのかもしれない。
冷静な言い方をすれば、新緑の美しさのなかに、自分自身の老いを鏡のように見つめさせられているのだ。
そういえばシイノキを詠んだ万葉集の歌があったような気がした。
検索したら、こんな歌だった。
家にあれば笥(け)にもる飯(いい)を草まくら旅にしあれば椎の葉にもる
小さな椎の葉しかなくとも旅の途中だ、しょうがない、という状況。
状況に応じて満足しなければならないという人生の不変の真実が垣間見られる。
検索ついでに目に入った芥川龍之介は、この歌を次のように評していた。
やれやれ、わかるのだが、ますます年相応の生き方を考えなければいけないと説教された気分だ。
いまよりもっと年を取って、生活のダウンサイジングを真剣に考えないといけないときがくるだろう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/05250900/
"削減をいったん凍結”ではなく、窓口を“復活”させるべき
については本当にそう思う。
昔よりは便利になっていってること、その為の努力してる事は分かってるけど、現状で使い勝手悪いサービスの対応コストを利用者側に押し付けるな、JR東は公共性高いんだしって感じ。
家族に学割で取りたい子が含まれる様になるとネットで完結しなくなるんだよ。
中学生〜高校生の6学年、もしくは大学まで含めると10学年幅があるし、兄弟いたらもっと幅がある期間対象家族が居るんだよ。
あと、ブクマの方に年寄りより若いカップの方が多いってのもあったけど、大学・専門学校生とかが学割使って旅行するなら窓口使わなきゃいけなくなるんだよ。
帰省先が、学割使える位は距離があって飛行機じゃないような場所とかじゃ無ければ知らないかもだけど、世の中には結構いるから混んでるの。
GWと秋のシルバーウィーク、夏季休暇と正月休みの帰省や旅行で、別に自分の家族が年4回全部出掛ける訳ではないが、世の中の需要は年4回ピークがある訳で、子どもの学校もあるからそこで出掛けるとなったら年2〜3回は面倒すぎる状況が10年近く続いてる。
1ヶ月と1週間前から特急券はネット予約出来るから、ネット予約した後に激混みな窓口で学割乗車券に行くの年々辛くなる。
https://www.jreast.co.jp/net-de-teiki/receive/tsugaku.html
>学校が発行した「通学証明書」をご提出(「通学定期券購入兼用証明書」をご呈示)いただき、窓口で「ネットde定期申込み」とお伝えください。
夏季休暇(7月下旬〜8月末)分の受取が、7月中旬〜8月中旬頃まで
で、実際には移動日直前で変更したい突発的な理由(子どもの体調不良とか)ができたら、ネット購入じゃないから窓口行かないと変更とか払い戻し出来ないんだよこれ。
で、実際に窓口に並んでると発券後の変更対応の人は結構いるんだよな。
閑散期が、1月下旬から3月上旬位と、5月中旬〜6月、10月〜11月中旬までじゃない。
まあ、これでも春休みには中高生を連れた帰省や旅行がない想定だけど。
話せる指定席券売機がある?
あれな、初手からオペレーターがzoomのMTGみたいに常駐しておきなよ。
呼び出してから繋げるんじゃなくて。
繰り返しになるけど、独占企業の公共性のある事業で利益上げるために利用者側に不便と時間的なコスト押し付けるなって思う。
そんな完成度になってないでしょ。
イギリスが公共事業の水道局を民営化したら、今、民営化した会社か利益あげて役員に巨額な報酬払う為にサービス劣化が酷いってのと同じ構造だよ。
将来的にAIとか使って窓口に人を雇わなくてもよくなるのは別にいいんだけど、サービスのクオリティは担保して切り替えてよ。
現状サービス維持出来ないクオリティーのものにしかなってないのに窓口減らすのは判断ミスでしょ。
「話せる指定席券売機」の導入で有人窓口減らせるはずって目論見は経営判断としては分かるけど、サービスクオリティが足りてませんでしたってミス。
文系のことは知らんけど、自分のいた研究室は毎日来るのが当たり前の情報系だったので、そことは大いに違うな。
個人的感覚だと、研究室が課している出席のルールを満たしていてこれはちょっとあり得ない。
過去、卒論をそんな理由で失敗していた学生なら見たことはある。
一つ下の学年の自分から見てもヤバいと思うような発表内容で、回覧に出されていた卒論もほとんど何も書いてない感じのだった。
後で聞いた話だと、その発表をした学生はほとんど研究室に来ていなかったらしい。
...まあ、こういう状況で「これでは修士に値しない」はわかるけれど、それなりに研究室に来ているのにそれをもらうのははっきり言ってブラック研究室。
実際に見たことはないんだけれど、自分のいた学部にかつて卒論発表会で自分の学生にパワハラを始める人がいたらしくて、
その研究室に行くとヤバいってことが知られているところがあったな。
今でいうAIのような流行りもののテーマを扱っている研究室だったので、憧れだけで研究室を選んで地獄を見る場所だったらしい。
文系大学院の常識は知らんけど、自分の感覚だと修了率50%は相当ヤバいと思う。
この研究室で論文を書く場合って、指導教官はauthorに入りますか?
ゼミで指導をしたと言えば言えるのかもしれないけれど、文系の研究室はえらく気が長いんですね。
月1程度(1回1.5時間ほど)以外は研究について話すのNGなんですよね。
研究を進めるうえで研究室で特殊な機械を借りたり、先生の人脈を使ったりしてますか?
自分の感覚だと、その程度の相談時間で、研究室のリソースも使わないとなると、指導教官をauthorに入れていいのか怪しいレベルだと思うんだけど。
ちなみに、自分のいたところは毎日指導教官とテーマについて話してました。
論文を書くときは構想から相談して、添削もしてもらってました。
「増田君が言いたいことはこういうことでしょ」と先生が書き直したことも時々あったので、ぶっちぎりでauthor感があった。
これが1カ月に1回。ほんとに研究室の進捗がslowなんだな。
そして、シン・仮面ライダーのメイキング(NHK制作のドキュメンタリー見てくれ)よりもひどい世界だ。
早いフィードバックで何度も回すのが自分の周りだと普通なので。
もちろん、先生に毎回確認するのは気が引けるので博士などの人が先生に質問をするときに一緒に居たりして、一緒に先生の話を聞いて意図を組んで、その人と壁打ちをすることが大半だと思うけど。それでもって、その博士の人もauthorに含まれる。話しているうちに博士の人のアイディアが入ることもあるし。
は別に正直でいいと思うんだけれど、先生の知り合いでその分野に明るい人を紹介してもらって共同研究できないんだろうかとかは考える。
④ヒステリックになっていると言われる
「先生方は現状をどのようにお考えなのですか」の回答はそんなに問題があるとは思えない。
「お考えですか」だからね。
大学としてこの修了率は普通のことなのか、普通じゃないのか?みたいなところからだな。普通のことだったら、それ以上の会話はないよ。
普通じゃなかったら改善案についての話になるけれど、普通のことだったら改善などないからね。
正直、元増田のお気持ち表明以上の意味がある質問には見えない。
修了率が高い研究室に移れないかを考えてもいいとは思うけれど。
⑤計画性がないと言われる
ここまで読んでいて思うのは先生には学生を育てる動機づけがないってことかな。
先生の問題というよりも、大学やその業界の問題のような気がしてならない。
うちの分野だと自身の研究成果はさておき、育てた学生(特に博士)の数や研究も評価の対象になるので、下を育てることにそれなりの動機付けがある。
多分、指導能力がない(学生を育ててない)人はテニュアトラックに乗れないんじゃないかなと。
あと、先のところでも書いたけれど、もしかして、元増田の通っている大学院は別に修了しない学生が多くても構わないって思ってない?
自分のいたところはその分野の人材を育てるという意味合いもそれなりにあったのか、修了率はかなり高めだったと思う。中途で消えた人は見たことない。
でも、修了率50%でなんとも思わないというのは研究室どころか、その専攻科がそれを良しとしているとしか思えない。
え?先生って定形勤務なの?てっきり裁量労働なのかと思ってた。
働きたかったら何時間でも働いていいけれど、働きたくなかったら別に何もしないでもokみたいな。
ふんわり定時みたいなのがあったほうが自分も学生も働きやすいからそういうのをやっているだけかと思ってた。
でも、この書類もGW直後に見てもらうのだと間に合わなかったんだろうかとも思ったりする。
先生にだって休みの日を休みの日として過ごす時間は必要だと思うので。
家族サービス中にちらちらとメールチェックをするのはokですか?ngですか?
ちょっと研究室にいた時間と自宅にいた時間がかぶってて、なんかおかしいので時間帯はわからんけど、
理系だと追い込みの時期に研究室に住んでいるみたいな人は普通にいる。
ま、事実上研究室に住んでいるような人生を研究に捧げた先生なんかもいるらしいしね。
学位論文書いてた時は研究室から徒歩数分のソバ屋で年越しそば喰って、正月も研究室にいたけれど...
研究に費やす時間についてはこんなものだと思う。修了できなかったら死ぬみたいな気持ちでやってたのは事実で、文字通り命を削って学生してた。
親はモラトリアム楽しんで遊びに行っていると思っていたようで、恥ずかしいからと親戚の集まりに来ないように仕向けられてた。
労働基準法で守られているし、学位を取れなかったら死ぬみたいな謎な緊張感もないしね。
でも、指導教官の対応はなんかおかしいと思う。そもそも、学生を育てようとか卒業させようとかいう意思を全く感じない。
でも、それは個人の問題というよりもシステムの問題なのかもしれないとも思う。
もし、増田の分野が人を育てることを重視していないなら、それは業界の問題であって個人の問題ではないし、
そこは手厚い育成を求める人たちが行ってはいけない分野なんだと思う。
法テラス?
普通に考えると、この手のトラブルは弁護士に話す案件かなーと思った。他の人の状況や客観的な証言を集めたかったら探偵も使うのかもしれないけど。
最近、客先常駐から社内SEに転職することが決まった。忘れないうちにこの転職に関する備忘録を残しておきたい。
この理由に至った現職の内容を話そう。
なってしまった、とネガティブに書いているが全否定するつもりはない。新卒で入った会社は客先常駐であることだけが悪かった。COBOLも別に悪い言語とか思っているわけじゃあない。
ただし『客先常駐とCOBOL』という組み合わせは、将来の展望を描けなかった。これから新卒の人にはあまりお勧めできない。
なぜか。
まず、『客先常駐』。
これは全くもって良くない。責任が少ない仕事で十分で、人間関係を適度にリセットしたい人には向いていると思う。もしくは、よっぽどのニッチかつ高スキル保持者くらいだろうか。
問題点を述べていこう。
問題点そのいち。
常駐先ガチャが待っている。どんな地獄の案件が待っているか行かないと分からない。しかも、客先と戦わない営業マンの方が給料が高いなんてやっていられない。最近はSier側が強気に出られるパターンも小耳に挟むが、まだ稀な印象である。
問題点そのに。
上流工程に携われるかは運である。そもそも要件定義とか予算とかを他所から来た人間に任せることは難しい。底辺下請けにはもってのほかである。よって、下流工程のみの経験でスキルは身につかないまま、30代に突入する可能性すらある。
問題点そのさん。
契約形態によるが1ヶ月の勤務時間が決まっている。1ヶ月最低〇〇時間以上勤務となっている。これがネックとなり連休を取ることが非常に難しい。さらに、GWや年末年始休暇があると残業必須になる月が発生する。勤務時間縛りプレイ未経験者は大したことではないと思うかもしれないが、ワークライフバランスにおいてストレスになる。
次に、『COBOL』。
先ほども書いたが悪い言語だとは思っていない。
ただし、大型新規開発は今後ないと思えと言いたい。必然的にCOBOLを書き書きしていた時代のおじさま方には、技術の点で一生勝つことはない。彼らがくたばるまでは。
それと、たまに聞く「コボラーはこれからずっと需要があるし、新規参入者も減っているから将来安定だよ」なんて話。この嘘、ほんと?
確かにCOBOLは自分が死んだ後も生き残るだろうが、それほど大きなパイが残るだろうか。元請けか自社の社員にしか仕事が残らないのではないか。あったとしても金がどの程度分配されるというのだ。
個人的には、将来の選択肢を増やすためにCOBOL以外"も"経験した方がいいのではないかと思った。加えて、COBOLしか経験がないと求人が少なく30代以降の転職のハードルが高いため、その前に一度足抜けした方が安牌だと判断した。まあ、逃げ切れる世代には関係ございませんけれども。
悪魔合体させるといけない。
まず、COBOLはほぼ金融業界でのみ生き残っておりコボラーの生息範囲は限られることとなる。結果的に、客先常駐していると別の常駐先で出会った人かその関係者とかち合う可能性が非常に高くなる。個人情報や噂が一気に広まってしまうわけであり、一回でも社会からすってんころりんしたら戻りにくい。
なにより、両者ともに揃うと別業界や別ポジションに転職しにくくなる。客先常駐コボラーから客先常駐コボラーに転職する人が結構いるのが現実。コボラーになりたいなら最初からIT土方ピラミッドの頂点コボラーにならなければならない。
という様々な思いがあって、
客先常駐の働き方はこの先これ以上は無理だなとなり、COBOLだけではない肩書きを持ちたいと思って転職を決意したわけである。
現職の忙しさで心も身体もすり減っており、スケジュール管理や企業とのやり取りなんてとても無理だったからである。
さて、ステマなし・エージェント会社名無記載の個人的なエージェントの印象を述べていく。
まず、当初は大手のエージェントに登録していたが、こいつは全く使えなかった。自社開発か社内SEを希望しても、客先常駐とずっと求人出している営業職と介護職の求人票を寄越してくる。
最終的には、客先常駐コボラーは美味しくないため全くフォローされなくなり、ついにはエージェントの気配が消えた。
経歴に自信がある人か自主的に転職活動を進められる人以外は、大手向きではない。
次に中規模のエージェントに登録した。疲れて自主的に動けない自分向きであった。
エージェントの対応としては、大手より転職希望者が少ないためか連絡が頻繁かつ口調が砕けたものであり、転職活動の並走者感を演出することを意識されていたように感じた。
そのため、マメに連絡欲しくない人には向いていないと思う。
なお、結果的にこちらで内定まで到達したが、登録してから内定まで平均より1ヶ月ほど長かったようである。これも客先常駐コボラーの呪いか。
面接対策については、2つ目の中規模エージェントで書類添削及び面接対策の申し出があって実施していただいた。それに従えばおよそ間違いないと思うが、参考として面接経験を書き残す。
面接での質問は、これまでの仕事のことを深掘りされることが多かった。
一問一答で準備しておけるようなものではないため、成功したこと・失敗したこと・仕事中に心がけていることなどを整理しておくことが必須である。新卒からコボラーの人間に技術は期待されないから、アピールできるところが仕事の進め方や考え方だけだからだ。
また、気になるITの話題や自己研鑽の質問への回答をそれぞれ2〜3くらい用意しておくとベスト。
志望理由は、表向きの転職理由と求人票の職務内容を結びつけて言えばいい。ここを起点に他の話に発展していくことも多く、嘘の理由であっても結びつきをブレさせない意識を持つといいだろう。
企業研究はインターネットで調べて、事業内容と今後数年の計画を口で語れれば十分かと思われる。新卒と違って会社説明会なんてものはなかったが、面接担当者が面接中にどのような会社か親切に語ってくれるから、そこから志望動機にも繋げていくことができた。
そして、自分と同じく経歴がクソだと思う転職希望者たちには次のことを言いたい。
たとえ転職先で希望のキャリアや待遇が手に入れられなくても足がかりになるような経験が得られるか、でエントリーしていくといいと思う。
もしかしたら、転職した後に「失敗した」「隣の芝生が青いだけだった」なんてことになっているかもしれないが、そのときはまた転職活動を頑張る所存。
採用と教育のコストを考えろよというご意見には、退職されないように経営しろと回答させていただく。
ここまで来て一点大きな訂正をさせて欲しい。
コボラーを名乗っているが、実際はCOBOLよりJCLに触る時間の方が多かった。なんなら、JCLで一番動かしたものは読めないアセンブラのツールだったかもしれない。汎用機バンザイ。