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2021-03-07

自殺に失敗したからとりあえず書く

たとえばとある自死遺族スレには、死にたい私が本当に言ってほしいと思わせるような言葉がたくさん書き込まれている。

これはあくまで傷の舐め合いであって、根本的な解決果たしてこの苦しみに対して解決など用意されているのかわからないが)に繋がることはないと思うが、ひと時でもここまで心を軽くしてくれる言葉たちの存在は、決して小さなものではない。

同じ類いの苦しみを持っているからこそ、誰かのその傷をやさしくなでる術を知っている。

これは一種の療法として確立することはないのだろうかとさえ思う。専門家さえ居ないひとつオンライン空間に、確かにその救いは存在している。自助・共助という言葉はかの総理大臣発言として記憶に新しいが、まさしくこのスレッドの在り方こそが、それに最も近いのではないかと思う。

病院匂いが鼻腔の奥によみがえる。正しく言おうとするならば、それは私の気道を確保した管の匂いであるかもしれないし、看護師制服匂いかもしれないし、大量服薬した苦々しい自分口臭であるかもしれないが、それはひとまとまりに、自分が救われた病院匂いとして強烈に私の記憶に残されている。

しばしば嗅覚記憶を呼び覚ますと言われるが、記憶のほうが先に呼び覚まされ、嗅覚再現されるという前後が正しいかもしれない。

家族に聞くところによると、私は部屋で無意識にのたうち回り泡を吹いていたそうだ。それは私の中でおよそ化け物のような姿に想像される。正気に戻ったあとには重い離脱症状が待っていた。息ができるのにできない。身体が痺れているのに痺れていない。藁にもすがる思いで看護師に助けを求めようとすると、酸素心拍数の値は正常だからゆっくり呼吸をしてくださいと繰り返されるのみだった。1分が永遠に思われた。数時間はその状態だったと思う。ただひたすらな苦痛しか言いようがなかった。私はもうあのような地獄を味わう覚悟はない。

死とは"そういうもの"である直感的に悟った。

そういう死を超えていった故人を思い出すと、本当に切なく思う。死後の世界を信じるタチではないけれど、死は筆舌に尽くし難い虚しさであると思う。死は人間想像をゆうに越えた概念であると思わざるを得ない。彼らはそんな場所へ到達してしまったのだ。

仮にも死を目前にしたため、毛ほども誇るべきことではないが、結果として私の共感性は周りの誰よりも高まったように思う。私はいまそのスレッドにかじりついて言葉を探すことしかできない。正直、これを今記しておかずしてどう生きていけばよいかからなかった。乱文で申し訳ないし、思い上がりも甚だしいけれど、この経験が誰かを助くものになればいいと思う。

2021-02-28

anond:20210228181348

しろの箇条書きに「あとはテンションふりきれたので箇条書きでゆるしてもらいたい」ってつけて

「どれもめちゃくちゃたのしかったのである筆舌つくしがたいとはこのことだ!」

っつってそのままぶん投げてるブログよくある気がする

anond:20210227170643

異性愛スタンダード(標準)とすることは微妙になってきていると感じる。

異性愛同性愛志向の違いでその愛情に変わりはないだろう。

異性愛異性愛者が「上」ではない。

ただ、異性愛の結果、子孫繁栄につながるかもしれないし、今まで異性愛者の生殖によって生命が繋がれてきている以上、今までの社会では異性愛デファクトスタンダード事実上の標準)だったと言ってもいいだろう。

「標準」に上という概念はないが、標準を定めると無意識にそれ以外を気持ち悪いと感じたり、距離を置きたいと思ってしまう層は存在する。

昨今、この無意識差別をどうにかしようと、LGBTQ+の存在を知ってもらう活動が活発になってきた。

彼、彼女ら(この言い方もどうにかならんかな)もまた「日常」にいるのだ、性自認性的志向が異なるだけで普通人間から、「標準」「普通」の中にいれてほしいのだ、と。

そういう時代の動きだと自分認識している。

ただ、Twitter他者作品無責任に貶してマウントとるのはそういう活動とは異なる性質のものだ。

実現したい未来ビジョンがあり、それに向けた活動としての批判でなければただのお気持ち表明でしかない。

承認欲求を満たすためや、ストレスの捌け口として言うのはただの悪口と何ら変わらない。

それでいて自分筆舌鋭い批判家で、鋭すぎるぎ故にトラブルになることもある、誰も自分を認めてくれない、でも戦う、これが自分存在価値だったんだ!なんて自己認識の人もいる。

正直、精神衛生上、そんな人は見ないのが互いにとって1番だと思っているが、そういう憐れな人をを見て安心したい人もいるのでそこは増田選択すべきことだな。

2021-01-06

anond:20210106124651

それに対して日本アイドルグループは歌もダンスも酷くても顔が良いと評価される。

ジャニーズに「美少年」という名前グループがあって、名前の通りに美少年が集まっている顔は一級品のグループなんだけど、

歌とダンスが酷すぎる、もう筆舌に尽くしがたいほど酷いし、バラエティでのトークもできなくて全然面白くない。

2020-12-15

おもらし好きという特殊性

あれは忘れもしない。5歳の頃に幼稚園ピアニカの発表会の練習をしていた時の事。

クソ寒い体育館?みたいなとこで練習してたんだけど、当時から陰キャ爆発してた俺はおしっこを漏らした。泣いた。周囲に気付いた人はあんまりいなかった。

この経験人生初の壮絶な羞恥であり、今の俺の性癖の土台となった。

 

これも忘れはしない、広島の己〇小学校四年生とき帰りの会リコーダーで「パフ」という曲を全員で練習するのが当時の常だった。

俺は全力で演奏していたが、演奏中に隣の女子がリコーダーを置いて教卓の前に歩いていき、一人静かに出て行ったのを横目で見た。

全力の演奏が終わり、あとは挨拶して帰るだけ、なのに隣の女子は帰ってこないし先生も「待ってろ」と言い残して消えた。

ふと横を見ると水溜まりが広がっており、俺の机の足にもばっちり届いていた。おもらしだ。あの隣の内気な女の子が、おもらしをしたんだ。

もう9歳か10歳にもなるというのに、おもらしをした。それまでその子に興味を持ったことは一度も無かったのに、それからはその子の事を考えるだけで胸がはち切れんばかりだった。

5歳の頃でさえ、俺は死ぬほど恥ずかしく、泣きじゃくり、消えてしまいたいと絶望感が身を襲っていたのだから、倍の年齢である10歳でのおもらし、しか教室中に知れ渡っている。

の子羞恥心と絶望感は筆舌に尽くし難いことを俺は知った。そして、酷く興奮した。

の子は翌日普通の顔して登校した。いじめも起きず不登校もなく、みんな優しかった。俺はひとり「女の子はなんて強いんだろう」と感動し、また興奮した。

 

そして俺は今26歳になり、女の子教室体育館でおもらしする同人誌を買い漁っては抜いている。

放尿ではなく、着衣失禁で無いとダメだ。できれば人前が良い。大は範囲外。

漏らすまでずっと心の中の葛藤(「トイレ行きたい、でも手を上げたらみんなに『おしっこ我慢してるんだ』ってバレるし恥ずかしい」「あと〇分なら我慢できる…」)があるとなおよい。

 

そして葛藤とは裏腹にドンドンもじもじが強くなり、手はスカートの上から押さえてないともう漏れ出しそうな状況で、とにかく我慢するしかなくて、「おしっこしたい、おしっこしたい、おしっこしたい」以外の感情がなくなり、ふとした瞬間、押さえた手の隙間からおしっこ漏れ出し、何とか我慢するも止まらず、止められず、無力に自分意志とは裏腹におしっこが溢れ出し、暖かさと微かなアンモニア臭が鼻孔をくすぐりながら、「もう〇歳なのに…」と不甲斐なさに絶望して泣きじゃくり、みんなに「漏らしてる…」と気付かれる終わり方。そういうので抜いている。

 

てか書いてて自分文章で興奮して抜いてしまった。 

の子には申し訳ないけど、俺の性癖開拓してくれて感謝している。

2020-11-26

同カプ字書き全員嫌いな字書きの話

私は字書きの同人女です。字書き歴1年にも満たない、弱小字書きの戯言だと思って聞いてください。お気持ち増田以下の文章です。

字書きをはじめたきっかけはぶっちゃけいうと、コロナです。コロナで自宅にいる時間が増えたことで「何か家で出来ることないかな~」と思いながらpixiv小説を読んでいた時のことでした。

(うわー、Aさんの作品めちゃくちゃいいな…自分もこんな作品作ってみたいな)と思うと同時に、(Bさんのこの話のキャラの反応、私ならこう書くのに…)という気持ちにもなりました。だったら、自分理想の話を自分で書けばいいのでは?と、思い立ち見様見真似で1万字程度の作品を書きました(上にある作品の焼き直し、とかではなく全くオリジナルの別のテーマの話です)。

もちろん小説なんて書いたことないので、地の文が書けなくて悩んだり展開やオチなどは完全に手探りで書いた作品です。はっきり言って下手くそで拙いものでした。しかし、人生で生まれてはじめて書いた作品愛着がわかないわけがありません。「自信はないけど、とりあえず私にもできた!」とめちゃくちゃ喜んだ記憶があります

そして勇気出してPixiv投稿しました。閲覧が1から2になった瞬間、めちゃくちゃ嬉しかったです。この世界の誰かがよんでくれたのだと。そしていいねが1着いた瞬間はもう、今までに無いくらい嬉しかったです。

その後、書き方のコツみたいなものを段々つかみ、投稿のペースも上がってきました。書いても書いても書きたいネタが尽きません。執筆中はクスリでもキメてんのかってくらいテンション高いし、多幸感半端ないです。こんなに楽しいとあるなんて知らなかった、なんでみんな教えてくれなかったの? と真面目に思っていました。小説書くのが最高すぎてずっとステイホームでもいいのに位に思ってました。

そしてふとあることに気づきます。同カプの方を見るとTwitterをやってる人が多いのです。私もやってみっか!と軽い気持ち登録しました(リア垢と以前ヲタ垢を持っていたので初めてな訳ではありません)

これが悪夢の始まりですよね。私は数字魔物に囚われました。現ジャンル斜陽なので、すでにグループが出来上がってました。新規の私が来ても見向きもされません。まぁ、これはしょうがないです。

細々とツイッターSSを上げたりしますが、ほとんどふぁぼはつきません。悲しいです。やっぱり頑張って書いたものから読んでほしいじゃないですか。ここで自分感情が変化したこと気づきます。今までは、書けるだけで幸せだったのに、Twitterを始めたことで評価自分基準ではなく他人に受渡してしまったんですね。

数字とってる大手嫉妬しました。好きだったはずの作品も素直に読めなくなりました。その後、やって来た新規作品解釈違いで読めません。自カプでワンドロが始まりました。ますます数字が見えて死ぬほど嫉妬しました。この時点ではまだ「Twitterは垢消ししてpixiv壁打ちに戻ろう」そう思っていたんです。

そして私が現在抱えてる一番のしこりの原因となった事件が起こります

Yさんの参入です。

端的に言うと、Yさんは神字書きでした。

しかもYさんはナチュラルボーン神字書きだったのです。

私と同じく、小説を書くのは初心者だと言っていました。にもかかわらずハイペースで執筆してた上、毎回萌えに溢れていて面白く、小説としての表現力も多彩でした。はじめは「やべぇ…解釈一致だ…最高だァ…」と読んでいた私も、次第に複雑な気持ちになっていました。ほぼ同時期に参入したのに、こんなに実力の差があり、私の好きをこんなに鮮やかに表現できるなんてずるい、と。

しかし、Yさんは何にもずるくありません。生まれ持ったアイディア力だったり、今までの経験だったり、読んだ作品によって培われた文章力によってYさんが生み出した作品を正々堂々提出しているのは知っています

かなわない、と思いました。打ちのめされました。自分がどうしようもなくちっぽけな人間に見えました。同時に、私を脅かす存在になりました。

ごく一部の例外を除いて、同人なんて所詮趣味です。それなのにこの世の終わりのような気持ちになりました。

Yさんは神字書きなので、Yさんの存在に気付いた界隈もYさんをチヤホヤしだします。あっという間に人気者になりました。他人つぶやきで「Yさんの新作うれし~」というのも何回も見ました。ワードミュートしててもすり抜けてくるので辛かったです。私は相手にされないのに…と卑屈になりました。

いやいや!嫉妬してる場合か!私も神字書きになればいいんだ!だったら作品で殴るしかねえ!と思い、私も作品投稿し続けました。本も出しました。

感想も貰ったし、フォロワーも増えました。他人評価が気にならいわけではありませんが、割と数字についてはどうでもよくなりました。

なんと驚くことに、なんとYさんも本を買ってくださいました。でもYさんへのなんとも筆舌しがたいどす黒い感情は消えません。

同カプはほぼ全員ミュートしてます作品も読んでいません。これ以上第二のYさん的存在自分の中でつくりたくないからです。

なんでこんなに自分嫉妬深いのか。今思えば昔から頑張る基準他人だったからなのかもしれません。

私は幼稚園児の頃から、たいそう負けず嫌いでした。かけっこに負けてよく泣きました。ピアノが幼馴染より下手なのが悔しくて悔しくて、死ぬほど練習してピアノ伴奏の座を勝ち取ったりしてました。その後、音楽畑に進んだのですが、私は勝手に全員ライバルと思い込んでいました。全員蹴落とすぞくらいの気負いでいまいた。実際、練習して練習して椅子を勝ち取っていました。つまり自分が一番でないと気が済まなかったんですね。それを同人にも適用してしまっているのだと思います

これからこの考え方を変えられるのか、正直分かりません。多分難しいと思います嫉妬するのは苦しいです。かなりエネルギーを使うし、疲れます創作エネルギーも消耗してしまます

自分がYさんに嫉妬しない方法はただ一つでした。自分作品を作ることです。小説執筆中は自分推しカプだけに向き合っているので、Yさんのことは考えずに済みます。今は原稿が終わって何も書いていない時期なので、蓋をしていたYさんへの感情が溢れてきて泣きたいほど苦しくなっています。なので、この文章を書きました。

この苦しい気持ち否定したくありません。私はいつも悔しさや苦しさを力に何かに打ち込んでいました。小説を書くのは今でも楽しいです。この負のパワーをバネにもっと最高な作品を書きたいです。

本当に気持ちの発散のために書き殴っただけなので、推敲もしていません。ただ、誰かが読んでくれますように。

2020-10-11

anond:20201011021955

父親に会った時はもう戦争は終わっててユダヤ人普通に生きていけるようになってたの?

はっきりとは表現してなかったけど、戦後と考えて良いんじゃないかな。だから父親が息子を探し回れたわけだし。その辺はフィクションから、この解釈別に良いと思うよ。

ドイツ軍のおじちゃん司祭の章の司令官と続けて殺されずにすんだのはなんで?

ドイツ軍のおじちゃんステラン・スカルスガルドだけど、あれは単に良い人だったから。司令官は流石に靴も必死で磨いてくれる子供を殺せなかったんだろうね。一応伏線貼ってあって、疎開先の叔母さんが靴を綺麗にすることを教えてくれてたでしょ。

最後って本当に記憶をなくしてたわけじゃないよね?なぜ嬉しそうにしなかったの?

そりゃそうだよ、親に疎開させられたせいでそれはもう筆舌に尽くし難い酷い目にあったんだから。彼は疎開させられたかあんな目にあったんだと思ってるんだろう、で父親が「そうするしかなかった」と言い訳たからブチ切れた。そして部屋を出て街中の廃墟ガラスを叩き壊す、そうとしか表現できない少年の複雑な感情に泣いた。でも、一緒にバスで帰る道中ふと父親の腕の刺青を見て、気付いたんだと思うよ。お父さんも名前を奪われてたんだって個人的に、ホロコースト物が好きで多少は知っているので、その瞬間にホロコーストの信じ難いほどの悲惨さが頭に思い浮かんで、どう言えばいいのかよくわからんけど、物凄い映画を観たんだなと感動しまくったわけ。

旅のシーンで持ち歩いてた湯気の出てる飯盒ランタン?のようなものってなに?火種に使ってたけど

あれ何なのだろうね? 検索して調べようと思ったけど、どう検索して良いかすらわからなくて。

目をくりぬかれた人はどうやって撮影してたの?

そりゃ今時はCGだろうね。白黒だから簡単だろうし。カラスとか鳥、ネズミや猫などもCGだろうね。ひょっとすると馬もかもしれない。CGもっとたくさん使ってるだろうけど最近普通になってるからもう全然わからんね。

コサック兵とロシア軍敵対してる別の組織なの?

第一次世界大戦くらいは、革命に反対していた古い連中の集まりから共産主義は反対だったのがコサックコサック歴史結構古い。でも第二次世界大戦中はよく知らない。詳しいことも知らんけど。て言うか、ロシア軍じゃなくてソ連軍だよ。

有名な役者いっぱい出てたんだね、誰も知らんかった

司教役のハーヴェイ・カイテルは名優だし大物俳優だよ。ドイツ兵のいいおっさんステラン・スカルスガルドめっちゃくちゃたくさん映画に出てる名脇役ジュリアン・サンズ結構たくさん映画に出てるけど個人的にはキーファー・サザーランドの『24』で悪役として出てたのを覚えている。バリー・ペッパーは多分そんなにたくさんは出てないと思うけど、何と言っても『プライベートライアン』の超有能スナイパー、ジャクソン二等兵役はあまりに有名。

そんなとこかな。

2020-10-10

anond:20201010200734

文字数制限で切れちゃったので、最後だけ分けました。

 

そして、父親との再会……落涙必至。

流石にいくらネタバレでも、最後はあまり語りたくありません。最後の方で私、めっちゃ泣きました。今思い出しても泣けます戦後になっていたのだと思いますが、少年孤児院保護されているのですが、父親と再会したからって、少年はちっとも嬉しくないのです。あんなに帰りたかった家に帰れると言うのに、です。そして、少年感情が爆発します。ここでもう、私いきなり涙腺崩壊

それまで、映画としては淡々と話は進むのです。会話もほとんどありません。あるサイト監督が言っていましたが、3時間映画でたった9分しか会話はないそうです。そりゃそうですよね、インタースラブ語なんてスラスラ話せる役者がいるわけもないですしね。でもそれがいいのです。そして、音楽すらありません。聞こえるのは自然の音がほとんどですが、これがまた抜群に良いわけです。モノトーンしかありえないめちゃくちゃ綺麗な自然。ずっと見ていたいぐらい、素晴らしい映像美ですよ。比較するならそうだなぁ、あのレオナルドデカプリオ主演の『レヴェナント』に匹敵するくらい自然が綺麗です。個人的には超えますね。

ともあれ、そんなにドラマチックな展開もないので、こっちもそんなに感情の起伏はありませんでしたが、ほんとにラスト、泣いた泣いた(笑)

そして、本当のラストで、もうめっちゃ感動しましたね。これは、ホロコースト歴史を少し知っていたからだと思います。あの筆舌に尽くし難い前代未聞の悲劇がたったそのラスト一分にも満たない映像の中に凝縮されていたのです。もちろんこの映画本編があったからですけど、これほどにハード残酷で残虐な表現をした映画でこれほどに感動した映画記憶にありません。

そしてエンドロールが始まると同時に流れる女性ボーカルのこれまたハマり方が最高すぎて、涙を止められませんでしたね。

 

と、ちょっと絶賛しすぎてますし、これはもちろん見る人に依ります。耐えがたいと思う人もいるだろうし、淡々としすぎてつまらないと思う人もいるだろうし、何が感動かもわからない人も多いかと思います。でも、私は個人的にこの映画は近年見た中で最高傑作推しいくらいです。以上。

2020-10-04

トラバvsブコメ

トラバ

玉石混淆

・完全に書き捨てなので見るに耐えない罵詈雑言もある

・一方で元増田を超えるような素敵な内容の名トラバもある

元増田へのツッコミに横から第三者が参戦してきてクソ長いツリー形成しながら不毛口喧嘩をすることがある

 ・その元増田になったときのなんとも言えない気分は増田特有か?

・概して、お互い増田なのでそれなりに対等な感じがする

・なんとなく反フェミニズムリベラルみたいな層が多い印象

・全体的にスラム街っぽく、比率としては男が多い印象

ほっこりする話にはトラバが付きにくい

・論戦を誘うような増田にはほぼ確実に付く

ブコメ

・これも玉石混淆だが、そもそも100字なので玉つってもガラス玉程度

・全体的に偉そう(なわりにバカ)

ブクマ数が伸びると明らかに本文読んでないだろって感じのコメントも増える

 ・本文最後らへんに言及しつつも全く意図が読み取れてないコメントを見たとき絶望感は筆舌に尽くし難い

ときどき有名人がいてお得感ある

ID晒す関係上かフェミニズム寄りでリベラル寄りだが、もちろんアンチフェミ保守層もいる

 ・そして全員口が悪い!

子育て世代がかなりいる印象

・男女比はわりと半々に近いのか?

ほっこりエピソードに「良い」「ほっこりした」というようなどうでもいいコメントを書くのにはブコメが使われることが多い

2020-10-02

人を愛する才能がない

人生で3回ほどめちゃくちゃに他人を好きになったことがある。

いずれも実らなかったので、愛というよりは恋とか欲望・羨望の類の感情で終わってしまった。

それ以外、何度も誰かと付き合って、しまいには結婚までして気づいたのは自分には「人を愛する才能がない」ということだった。

多分だけど、誰かを愛するのにも才能が必要だ。

自分から愛そうとしなければ、誰のことも愛すことができない。

愛を与えるべき場所見出して、許容して、心を許していかなければならない。

自分にはそれがとてつもなく難しいことなんだとこの三十余年の人生で気づいてしまった。

まず、一途に誰かを愛すのができない。

持って一年。それ以降は相手一人じゃ満足できないのでいわゆる浮気だの不倫だの必ずしてしまう。

しかもそこに対して微塵も罪悪感がない。

失う恐怖とかまぁ無くもないし浮気バレてひどい目にもあったが、一人だけに固定するのが苦痛

他人のいいところよりダメなところの方がずっと気になる。

割と好き嫌いが激しい。地雷の多い人間だと思う。

どんなにいいひとだなと思っても、ささいなことで一気に嫌いになるのもよくある話。

これは別に付き合っていようがいまいが関係ない。

嫌なものは嫌だし目につくものは目についてしまう。

自分にとって不都合な点を粗探しするのはおそらく他人よりだいぶ得意だ。

傷つけたい願望が強い。

基本的自分のことを好いてる人間のことは傷つけたい。

喜んでいる顔も嫌いじゃないけれど、悲しそうな顔の方がずっと好きだ。

相手を受け入れることに拒否感がある。

これは自分にとって最も難しい。

相手を受け入れることに対して、筆舌に尽くし難い異物感がある。

自分を侵されたという感じでは無く、相手の認めてほしそうな面構えも含めて全部嫌気が差す。

じゃあ愛だの恋だの浮ついた話がないかといえばそういうわけじゃない。

しろ周りを見回すかぎり、多い方なんじゃと感じる。

体の関係だけなら3桁いくし、そのうちの7割ぐらいの相手ちゃんと好いてた。

割とすぐ誰かを好きになる方だと思うし、そもそもセックス経たらよほどのことがない限り独占欲はらむ「好き」な感情が生まれるのだ。

これはめちゃくちゃ普通というか、そこにいたるまでのハードル結構いから、自分の好きそうなタイプであれば軽率に好きになることが多々ある。

でもそこから先がなかなかどうして難しい。

あんなに好きだったのに、しばらく経つと情や慣れだけになる。

もう目移りしているし、愛を育む関係とか下手くそすぎてやる気にすらならない。

とどのつまりものすごくコミュニケーション能力が欠落している人間なんじゃないかと思い始めた。

自己肯定感が低いとか、そこらじゅうに落ちてる理由はまあ否定しないし、自覚がないか他人にどう言われようと構わない。

でも、一生こんな非建設的な人間関係しか築いていけないというのは、自分でもどうかなあ、なんだかなあと感じる。

できることなら愛し愛されたいし、長期にわたって安寧を感じるような関係を築きたい。

難しい。

人を愛するって難しい。

127万円のテーブルが欲しい

Sparkle Tableがほしい。

https://cargocollective.com/JohnFoster/Sculpture-1

久しぶりに家具一目惚れした。

正直家具なんてアイリスオーヤマとかで十分だと思ってるクチだけど、このキラキラ光るテーブルを見た瞬間から今この時までずーーーっと欲しいと思い続けている。

しかしこのテーブル100マンを越す超高価なテーブルなのである

これがなんか高価な石とかならまだわかる。

貴重な1枚板とかでもわかる。

でもプラスチック?みたいな素材だよね?

高い、高すぎる。

安月給の会社員にはあまりにもこのテーブルは高い。でも美しい。

からプリズム的なきらめきが好きだった。

CMYK感というか、クリスタルABというか。

サンキャッチャーとかがチカチカ光るのが好きで、あのまばゆい煌めきは何時間でも見ていられる。

筆舌に尽くし難い美しさをしみじみと感じる。

そんなわけでこの光を贅沢に蓄えたテーブルは、私にとってとても魅力的なのだ。値段以外。

10万くらいだったら迷わず買っていた。

でもケタが違う。正直ブランド物にも海外旅行にもさほど興味のない人生を歩んできたので、一気にお金使うのは引越しの初期費用審美歯科セラミックいれたときなもんで。それも100万以下なんだけど。

朝起きたら枕元に3000万ぐらい落ちてないかなとめちゃくちゃなことを考えてしまう。

はぁ、あの美しいテーブルが欲しい。

2020-09-05

🍞 + 🧈 = 👼

やあ諸君

今日はおそらく増田の誰も気づいていないであろうS級極秘情報をお伝えしようと思う。

作戦名は「今日パンうまい」だ。

まずスーパーで100円以上する食パンを1枚取り出す。本仕込とかロイヤルブレッドとか超熟とかそういうやつだ。

厚みは薄すぎないやつだ。6枚切りくらいあれば十分だ。おっと、今回は山形じゃないほうがいい。四角くて密なやつ。

そうだ。では言われるがままにバターを大胆にたっぷり載せろ。普通バターだ。無塩じゃないやつ。

キューブで言うと2つ分に迫る量を贅沢にバターナイフで切り出すのだ。

伸ばさなくていい。ゴロっとした塊のままで。焼く前だから伸ばせないだろう。追って伸ばす。

そしたらオーブントースターでチンだ。2分くらいだろうか。いやずっと監視してるから長めでもいい。

じっと眺めてバターが半分ほど溶けてきたら、トースターちょっとあけて、バターナイフの先を使ってちょちょっと全体に広げてやれ。

繊細な作業だ。誤るなよ。だが縁ギリギリまで攻める必要はない。深追いするな。塊を逆側に移す程度でも十分だ。

そうしてバターが広がった部分は焦げないが、塗られていない縁のほうをみろ。

薄茶にこげ色がつきはじめたくらいで早々に引き上げる。バターは少し泡立っている部分もあるくらいか

これで完成だ。食べろ。脇目も振らず。

こうしてできたたっぷりバタートーストは、筆舌に尽くしがたいほどに、うまい

100円以上するパンはだいたいトーストしても中はふわっもちっとしている。

そのふわもちにバターが染みて無敵になる。

この奇跡食べ物存在を知るもの世界人口80億の中でも俺だけに違いない。

しかし今ここでシェアした。君はもう80億の中の一握りのエリートのうちの一人だ。

2020-09-01

子供に対して加害する奴は

筆舌にしがたい拷問の後、無様に処刑されるべきだけどさ

別に小児性愛者を弾圧せんくてもいいだろ

そもそも性加害なんかよりも家庭内暴力の方が多いわけだろ

別に性癖とは関係なく暴力性向のあるやつは子供を傷つけるんだよ

なんなら男よりも女の方が子供への家庭内暴力が倍あるのも事実

別に子供暴力振るうポルノなんかないのに女はガンガン子供暴力振るうんだよ

からといって母親子供から離すべきってなるか?

ならんだろ

それは加害をする親に対処すべきなんであって

性犯罪もそれをする奴に対処するじゃなんでダメなんだよ

まずは子供に手を上げたことのある親を拷問の後処刑

それを実現しようや

2020-08-22

アニメ賢者の孫。

フツーの人が異世界に転生して前世記憶を持っている為、「魔法を使う時に詠唱したりするのが恥ずかしい」というごくフツーの感覚評価するものの。

チート魔法使いであり剣士であり人望も厚い」

みたいなこっ恥ずかしい設定はいただけない。

もうちょっと紆余曲折を経てからみんなに受け入れて貰おうよ。

周り中、手放しで大喝采みたいな。

これじゃギャグみたいだよ…。

それとも本当にギャグなのか?

それかそのうちこっぴどい手のひら返しに遭うとかなのか?

…だと良いなあ。

異世界転生アニメ

厚みのある作品存在するのか?

まあ、地道に見ていくけれども。

やっぱり自分純粋異世界モノ向いてないんだろう。

でも、このすばは何度見ても面白いし(最初の街で単純労働してシュワシュワを飲んで幸せそうな勇者女神なんて、共感しかいからな)

リムガルの切なさは筆舌に尽くしがたい(ヘビーだからもう一度見る気にならない)

こうやって好きな作品も有るのだから、頑張って見続ければ自分にとっての良作に巡り会えるかもしれない。

とりあえず今日はもう寝ないと明日仕事に響く。

2020-08-13

anond:20200813115409

熟慮時間のあとに自信満々で語られる、残念なアイデアのもたらす絶望感は筆舌に尽くしがたい

2020-07-15

マインクラフトそんなに面白いか?

今やあのテトリスを上回る人気とも言われるマインクラフト

でも、個人的には全く興味がそそられない。


というのも、マイクラの紹介文やらレビューやら解説サイトやらで必ず言われる

自分で調べながら進むことになります

というくだり。これが心底気に食わない。

だってさ、これ要はあのクソ大量にあるwikiをいちいち見て回りながらプレイしろってことでしょ?

なにそれきっつーってやつだわ。

ちなみにこの「自分で調べろ」系ゲームで、国産タイトル代表格は艦これ…と書けば、筆者が嫌悪する理由をわかってもらえるだろうか。

あのクソゲーの、筆舌に尽くし難い苦痛の一つが、何をやるにもwikiが手放せないことだったわけで。

ついでに言うなら、自称有識者が主にwikiコメ欄と5chでうるさく言ってくる、ああしろこうしろというアドバイスの皮を被ったマウントを見た日には

「ぶち殺すぞ」

って感じ。


そういう、調べてるのかプレイしてるのかよくわからないことになるゲームなんかに比べたら、死に覚えゲーのほうが脳死プレイできる余地がある分まだマシだとすら思うわけで。

からってわけじゃないけど、もし自分マイクラ始めるならサバイバルモードマルチプレイサーバ一択で、wiki可能な限り見ないプレイタイルで行くし、それが不可能ならやらない。

もちろんマグマTNTみたいな危険物も「とりあえず使ってみて覚える」と。

そっからエンダードラゴンソロで倒すまで、何回アイテム全ロスすることになるかなんて考えたくもないが。

でもこういう遊び方って、多分マイクラ好きな奴ほど冷笑的に思うんじゃねーの?

そこなんだよなあ、マイクラが一番好きになれないのは。

2020-06-21

アイドルマスターミリオンライブ!について

ミリシタ3周年企画としてライブ一挙放送して今月はとんでもないミリオンライブ月間になっていますが、

ライブ映像を見すぎて逆に精神が辛くなってきた限界オタクは居ますでしょうか?

ここに一人居ます。なのでとりあえず一度全部ここに吐き出しておきますね。

とにかく、楽しみだった7thが無くなったことがこんなにも辛いなんてという感じですね。

まぁこの辛さは実際に企画していた側はこんなもんじゃないんだろうなと

準備をして動いていた側の…JUNGOの気持ちを察しても、筆舌に尽くしがたいものがあるだろうと…。

で、なんというか、まぁ自分が目にしてる範囲レベルなんですが、

1st~3rdの方がセトリは良かったなぁという感じの感想が多いというか、どうなんだよお前ら本当にっていう感じなのです。

ついでにグリマス時代の人たちのぼやきも出てくる始末で、本当にもうどうなんだよっていう感じなのです。

他人の考えなんてどうでもいいはずが、お前ら今更何を言い出してるんだよという感じなのです。

私は6thSSAセトリで怒りのお便りを送ったけど、お前らはどうだったんだよという感じなのです。

この気持ちをすべて吹き飛ばせる可能性のあった7thは本当にどこいっちゃったんだよという感じなのです。

しまいにはGoogleからミリシタについてクソみたいな記事オススメされる始末で、同意してる奴もいるしどうなんだよという感じなのです。

内輪向けとか本当にどの口から出ているんだよという話なのです。

シャニマスがやりたければシャニマスをやって居てくれという感じなのです。

ユニット追加されてVも手を出し始めたシャニマス、今が一番面白いんだからシャニマスを遊んでくれればいいと思うのです。

本当お前ら全員張った押すぞ!という感じなのです。

単純にお前が飽きたならそれでいいだろという感じなのです。

まぁでもミリシタで3年、グリーからで7年もやってれば飽きるのは当然で、仕方ないかなと思うので何かテコ入れは欲しいけど。

とにかくもう7thで最高のミリオンライブ!を見て、今のミリオンライブ!が最高なんだよ!って殴り倒したいのです。

でも、それができないのが、SSAで終わっちまってるのが、本当に辛いし悲しいし悔しいしこんなんで全く終われないし未来を見せてくれっていう感じなのです。

っていうか私みたいな人居ないんですかね?居ないみたいですね。異常ですね。みんなもっと気が狂っていてほしいです。

私は正気だ!

グリマス時代ミリシタ時代という時代の分かれ目があるミリオンライブ

グリマス時代は明確に目標としてあった武道館

では、ミリシタでは?

39プロジェクトは一体どこへ行くのか?

そもそもそういった目的があること自体が珍しい気がしますが、やっぱり無いのは辛い。

つの間にやら3年目。

インコミュはセンター公演の話が延々と続くのみ。

かに少しずつ劇場関係が変わっていっているのは読み取れるが、目指している位置がわからない。

イベントで毎月曲が増えるのは嬉しいし、コミュ表現がどんどん良くなってきてるが、

目的が無いのは辛い。

あと曲も最近微妙に刺さらない。えいちP帰ってきてくれ。

でもチュパカブラはかなり良かった。glow mapは周年で聴きこみたいのでまだ全然聴いてない。超楽しみ。

まぁ別にミリシタで見たいものが見れてないわけではなく、

少なくとも自分担当については見たいものは見れている。

セトリはクソ!と言いたいところだった6thだがそれはそれとして見たいものは完全に見れた。

自分グリマス時代3rd終わった後ぐらいから入ってるので、

まり今ほどの思い入れを入れていなかったというのもあって、

正直グリマス時代のほうがよかったとは口が裂けても言えないんですが。

人もミリシタになって下手すると10倍ぐらいにはアクティブ増えているわけですし。

ミリオンライブ!は一度明確に終わっており、

1st~4thの流れをもう一度改めて見てる中でグリマス時代にとらわれている人も多く、

いっそ全員成仏してくれという感じなのですが、

ここら辺の線引きがもはや曖昧でよくわからないという感じなのです。

それにしてもミリシタが来てから毎年本当に楽しみだった3周年の秋葉コラボもなくなってしまい、残念…。

ただ、手作りの39配信はやってくれて本当に本当に嬉しかった。よくわからんぐらい泣いた。

3周年、どうなるのかな。何かあると嬉しいな。

この気持ちを吹っ飛ばせる日は来るのかな。ライブはいつできるようになるのかな…。

ここまで書いてもうなんもかんもコロナが悪い。

本当に許せねぇよ。

といっても一人ぐらい演者亡くなってしまうんじゃないかぐらいの

危機感あったので今のところ全員生きているのでとりあえずは本当に良かったなと思います

まだ全然過ぎ去ってないけど。

この世はクソ!

2020-06-19

75年生まれの俺を作ったゲーム10本を全力で紹介する

そういうわけで、1975年まれの俺を「構成した」ゲーム10本を時代順に紹介していく。

それはとりもなおさず、俺自身を紹介することとほぼ同義になるはずだから、長たらしい自己紹介とか前口上はなしで……では、参る。

パックランド1984/AC/ナムコ

俺にとっては、ヴィデオゲーム魔法は全て本作に詰まっていると言っても過言ではない。

結局のところ、俺の人生におけるヴィデオゲームは『パックランド』に始まり、『パックランド』に終わるだろう。

今作に出会ったのは俺が8歳の時、駅前にできた『カニヤ』というゲーセンだった。

カニヤ』は薄暗く、当世風に言うところの「ツッパリ」と「オタク」(という言葉が生まれる前のオタク大学生たち)でひしめきあい

当時の彼奴らは『忍者くん』や『ソンソン』や脱衣マージャンに興じていた。

忍び込むようにして入ったこゲーセンで、俺はこのゲームにひと目で惚れた。

パックランド』には俺がそれまで見てきたゲームとは全く違った吸引力があった。

キャラクターBGM、色彩……全てにおいて、ゲームにこれほど「魅せられた」ゲームは生まれて初めてだった。

消火栓を押した時の、水しぶきに押された時の、モンスターの頭上に乗っかた時の、妖精にもらったブーツで空を飛べた時の感動。

それは俺がヴィデオゲームと「契りを交した」瞬間だった。その契約は今なお解消されていない。

ポートピア連続殺人事件(1985/FC/エニックス

もし本作をプレイしてなかったら、初代ドラクエを発売日に購入することもなかっただろうし、

ADV」というジャンルに注意を払うこともなかっただろうし、

中学生になってから推理小説にどっぷり浸かることもたぶんなかった。つまり、俺は俺でなかった。

犯人はヤ●」は、個人的にはたいした問題じゃない。

推理小説よりもゲームブックよりも面白い推理もの」をゲームで作り上げてみせたことに大きな意味と意義があった。

シナリオ堀井雄二/制作チュンソフトゲーム史的に考えても偉大すぎるだろ。

本作がなければドラクエも(おそらく)存在しなかったってことだ。

けどまあ、そんなこともどうでもいい。これまでもこれからも、ポートピアは俺の血であり肉である

ドラゴンクエスト(1986/FC/エニックス

ポートピアと初代ドラクエ記憶が地続きになっている。

子供ながらに、「堀井雄二で、チュンソフトで、エニックスなら絶対面白いに決まってるや!」みたいなノリで近所のおもちゃ屋に予約した。

プレイ時は……のっけから震えた。こんなに面白いゲームがあって良いのかと。ゲームにはこんなことができるのか、と。

作者と開発元が同じだけあって、テキスト文体UIポートピアと一緒だな……などと子供らしくないことも思ったっけ。

そしてエンディングスタッフロールでは母親の前で号泣した。

そういえば、ここに挙げたゲーム殆ど全て泣いたな。今となってはゲームで感動して泣くことなんてそうはないけど。

それが年齢によるものだったのか、ここに挙げたゲーム凄さによるものだったのかは知らん。

ウィザードリィ(1987/FC/アスキー

通称ウィズ」。

ある種のゲームが「想像力」を膨らませる最良の媒介であるっていうことはウィズが教えてくれた。

RPG」というジャンル/概念意識したことも、ドラクエよりウィズの影響が大きい(というか、ウィズがなければドラクエもおそらくないのだが)。

種族職業キャラメイク、鑑定しなければ不明アイテム

「?ぶき」を鑑定して、「むらまさ」だった時を上回る驚きと喜びって、もう体験できないんじゃないか

もろ鳥山明ドラクエとは違って、おどろおどろしくリアルな姿/形状のモンスター末弥純デザイン)たちに慄いた。

寺院に駆け込んでも、死者が蘇生するとは限らない——人も物も永久に失われてしまうというリアリティに泣いた。

ウィズは俺に「隣り合わせの灰と青春」を理屈ではなく、ゲーム体験として叩きこんでくれた。

おおっと、故羽田健太郎氏の作ったBGMの素晴らしさについても触れないわけにはいかない。

あらゆるクラシック音楽から「いいとこどり」の手法で極上の音楽を作り上げるすぎやまこういち氏に対して、

バッハ以前のバロック音楽へのストイックな愛がびしびし伝わってくる荘厳な旋律羽田氏ならでは。

タイトル画面、カント寺院キャンプBGM永遠ものだろう。もし未聴ならyoutubeで聴いてほしい。

MYST(1994/SS/サンソフト

当時、プレステ派とサターン派でゲーオタ勢は真っぷたつに割れたが、俺は迷わずサターンを選んだ。本作をプレイするためだ。

当時は震えるほど高価だった(44800円)不格好きわまりない鼠色のハードファミマバイトして購入した。

膨らみ過ぎて破裂しそうになっていた、こちらの勝手な期待ははたして外れなかった。ポートピア以降のADV観はこの1本で刷新された。

トラベルの中でトリップし続けているような、唯一無二のゲーム。それが『MYST』。

インターネットなき時代に本作を自力クリアできた時の感動は筆舌に尽くしがたい(泣いた)。

ゲーム史的に言っても、その後の国内外RPGウォーキングシミュレーターというジャンルへの如実な影響が……や、ゲーム史云々の話はよそう。

ここに挙げたどのゲームも、俺にとっては「自分を作ったゲーム」であり、それ以上でもそれ以下でもないからな。

風来のシレン(1995/SFC/チュンソフト

つい最近まで「自分ローグライクゲームが好きなのだ」と思いこみ、それっぽいゲームには積極的に手を出し続けてきた。

が、結局、初代シレンが好きだったのだという結論に落ち着く。

当時、俺は浪人生だったが、心は勉強にも恋愛にも向かわず文字通り、寝ても覚めても今作とともに過ごした。

タクティクスオウガドラクエⅥもテイルズオブファンタジアも素晴らしいゲームだったけど、

朝晩取り憑かれたようにプレイしていた今作のせいで、この時期に出たゲーム自分の中で必要以上に印象が薄くなってしまっている。

後期SFCらしい完璧ドット絵も、和風すぎやまこういち傑作BGMも、チュンらしい快適操作UIも、寡黙なシレンも小生意気なコッパも、

ガイバラもペケジも※アスカも、どのモンスターより恐ろしい店主も、全てが愛おしかった。

手持ちのROMカセットは内部電池が切れてしまってたから、数年前、Amazonで新品を再購入。

フェイの最終問題」をどうにかこうにかクリアし、地球の裏側に再び出でた。

中年になった今でも、俺の腕と勘は(少なくとも初代シレンにおいては)まだ衰えていないようだな……。※訂正 アスカ→お竜

moon(1997/PS/アスキー

思うところありすぎて、何を書けば良いのか困ってしまう。

「昨年ついにSwitch配信されたし、もうすぐパッケ版も出るから絶対やっとけ!!!

それで終わらせてしまいたいところだが、どうも気が済まない。

数多の熱狂ファン批評家たちによってすっかり語り尽くされている感のある今作。

俺にとっては、世界の見え方をがらりと変えてしまった哲学書のような作品である

あるいはクラブカルチャーサブカル世紀末感……90年代後半、自分にとって全てだった世界をそのまま封じ込めたCD-ROM

本作はゲームでありながら、「ゲームを超えた何か」という感じがしてならない。

人生をすっかり変えてしまうかもしれない、それまで夢中になってきた「ゲーム」をやめさせてしまいかねない、超危険物

でも、だからこそ『moon』はゲーム以外の何ものでもない。

もはやゲームから素直に感動を得られなくなっていた、すれっからしの俺をもう一度「ゲーム」に住まわせてくれた、まったき「ゲーム自体」。

すまん、自分でも何言ってるかわからんくなってきた。

CONTINUEYES.

ゼルダの伝説 時のオカリナ(1998/N64/任天堂

世代的にゼルダディスクシステム時代からやってるが、正直、ドラクエと比べるとゼルダにそこまでの思い入れはない。

神々のトライフォース』も『風のタクト』も確かにめっちゃ良くできてると思ったが、「自分を作った」とは言い難い。

正直、世界中で大絶賛されたBotWもそこまでとは思えなかった。

あれがオープンワールドの傑作なら、俺はこれからクローズドワールド結構

時オカだけが俺にとってとくべつなゼルダである

なぜか? 「広がる世界」を生まれて初めて感じたゲームから

BotWと比べれば全くオープンワールドではないのだろうが、俺にとっては本作のハイラルこそ、生まれて初めて感じたゲーム内に広がる「世界」だった。

エポナを手に入れ、高原を走り回っている時以上に「世界」を感じたことは、今のところ、まだない。

夕暮れ時、ロンロン牧場マロンちゃんオカリナ演奏しながら過ごした時間よりも麗しい青春を感じたことは、今のところ、まだない。

L.O.L(Lack of love)(2000/DC/アスキー

moonディレクターである西健一氏が数少ないスタッフと生み出した傑作。

moon』が作り出したうずたか第四の壁をよじ登り、ついに超えてみせた作品は今なお本作のみと感じる。

エンディングはいい歳して号泣した(物心ついてから号泣した最後ゲーム)。

坂本教授BGMを作ったにもかかわらず、本作はろくすっぽ売れてない。

内容も恐ろしいほど過小評価されているように思う。

ドリキャスという幸薄いハードで発売したことと、高めの難易度設定に拠るところが大きいだろう)

おまけにリメイクアーカイブもないから、『moon』と違って「やってくれ」と気軽に言うこともできない。

だけどもし、ここまで読んでくれて、「こいつとはゲーム趣味近そうだな」と感じてくれたなら、どうか本作をプレイしてみてほしい。

とくに『moon』に強く打たれたゲーマー諸氏! 本作は『moon』の唯一の精神的続編と思ってほしい。やれば、わかる。

しつこく。再発売(配信)をせつに、せつに、せつに、望む。

スプラトゥーン(2015/WiiU/任天堂

本作発売時、75年生まれの俺はとっくに「中年」と呼ばれる年齢にたっしていた。

本作はそんな「まさか」という頃にやってきた、俺のラスト・オブ・アオハルだった。

そしてそのアオハルは俺を(おそらく)最後に「再構成」した。

それまでスタンドアローンしかゲームしなかった俺に、本作はオンライン/共闘しか味わえないゲームの楽しさと厳しさを骨の髄まで叩き込んだ。

その体験は視界を塗り替え、時間感覚刷新し、現実異化した。

これほど夢中になってプレイしたオンラインゲームは本作と『ARMSしか思い当たらない(やっぱ俺は任天堂シンパなのだな……)。

『PUBG』も『Overwatch』も『Fortnite』も面白かったけど、初代スプラから受け取ったJOYには届かない。

あの頃、夢中になって1日中プレイしてたイカ中毒者なら、

汗を流しながらでかいゲームパッドを握りしめていたあの2年間を死ぬまで忘れることはできないはずだ。

※※※※※※※※※※

俺を作ったゲーム10本は以上です。暑苦しい長文を最後まで(途中まででも)読んでくれて心から感謝

何年生まれか知らんが、そちらの「俺を作ったゲーム」もぜひ教えてほしい。何本でもいい。マジ知りたいから頼む。

※※※※※※※※※※

追記

まさかホッテントリ入りしてたので追記

ブコメ全部読みました。

こういう「○本」みたいな括りって、そこからこぼれ落ちた大事ゲームの思い出とか括りでは語れない気持ち排除するみたいで、

あんま良くなかったか……って書いた後はちょっと落ちこんだけど、

ブコメで多くの世代の皆さんを作ったゲームを知れて(知らなかったゲーム、やりたかったゲームがたくさんあった。やる)、

思いきって書いて良かったと思えた。心から感謝

剣呑な現世界だけど、みなさんと俺がこれから面白いゲーム出会える世界でありますように。

2020-05-22

香港風俗に連夜行ったらスタンド使いが現れた話し

22歳の時、大学卒業旅行香港へ行った。正確に言うと、僕以外の5人が別の大学卒業、僕だけ留年のため次が4年、という意味の分からない卒業旅行だった。どれくらい意味が分からいかと言うと、出発の前日、H技研のSPIテストのために謎の雑居ビルに行っていたくらい意味が分からない状態であった。ちなみにSPI義務教育レベルだったので楽勝で通過、ノープランで行った面接は楽しく雑談した結果不合格だった(ファック○onda!)。

事の真相は、僕の高校大学付属校だったが、血迷って外部の大学に行って、あげくに留年したというだけである

さて、香港旅行は4泊5日の日程だった。元々「飲んだら一発行きますか!」みたいな集まりでは無かったため、初めて香港風俗に行ったのはちょっと慣れてきた3日目だった。

ここで香港風俗説明すると、雑居ビル各部屋にお姉さんが居て、ノックして出てきたお姉さんが気に入ったらプレイ開始。気にいなければ別の部屋を訪ねるといった流れであるプレイ自体は、部屋にあるシャワーを浴びて、一通りヘルスサービスを受けた後、ゴム有りの本番があり、一発で終了。時間特に決まってないような気がする。

3日目の夜、僕はたぶん20人くらい訪ねたと思う。結果、途中で見た巨乳の部屋を再訪することにした。お姉さんはシンガポール人だった。ちなみに巨乳ではあったが、明らかに作り物だった。これが、僕がおっぱいソムリエ第一歩を歩むきっかけになったといっても過言ではない。とにかく、プレイ普通に良かったが、バックで突いている時に「come?come?」って聞かれまくったのはやや萎えだった。ただしイく時はイくのが日本男児であり大和男児(やまとおのこ)。きっちりイきました。シンガポール人ということで英語ができたので、プレイ後は少し会話をした。あんまり記憶がないものの、強く記憶に残っているのは次の会話である

お姉さん「日本って綺麗なんでしょ。行ってみたいわ。」

僕「綺麗だよ。それに僕は侍の魂を持ってるしね。ほら僕のちんこ日本刀のようだったろ?。」

...自分でも後から考えると意味不明である。少なくともそのお姉さんの日本人に対する評価が下がったことは言うまでもないだろう。日本人の皆さんすいませんでした。

かくして3日目の対戦が終わり、各自部屋に集まり報告会が開かれ、笑い合ってその日は終了した。

4日目はマカオに行っていたこともあり、香港に戻った時には夜遅く雑居ビルをいくつか訪ねるも、営業していないところが多かった。そんなこんなで雑居ビルを探して歩いていると、男女二人組に呼び止められた。聞くと二人は警官らしい。香港警察テーマを頭の中で流しながら「何してんだ?」、「どこのホテルだ?」等の質問を受けていると、男の警官が僕の胸ポケットを指し「それは何だ?」と聞いた。「あー、これはシガレレットだよ」と言いながら、胸のラッキーストライクを出そうとすると、「触るな!」と言って僕の胸のポケットからラッキーストライクをやや強引に取り出した。数本の臭いを嗅ぐと、僕の胸ポケット煙草を戻し、解放してくれた。

香港警察に職質された!」という謎のテンションのまま、雑居ビルの1階奥の扉を開けると、ピンク壁紙の部屋から、明らかに整形の美人が出てきた。さんざん営業終了を食らい、あげく香港警察の職質を食らった僕には、そのお姉さんはとても刺激的だった。ということでお姉さんと異文化交流することに決めた。

お姉さんは「ジョジョ」と名乗った。もしかしたら名前音読みすると「ジョウジョ」で略して「ジョジョ」なのかもしれないが、それは聞かなかった。お姉さんは中国人英語は話せなかった。僕はフォースを信じることにし、フォースが導くままにシャワーを浴びた。この時の僕は完全に暗黒面に墜ちていた。

シャワーを浴びるとジョジョちゃん冷蔵庫からボトルを取り出した。一方の僕は「ジョジョ相手なら俺はディオかなあ、それとも吉良かなあ。」と考えていた。

プレイが始まるとキス上半身リップときたので、「ハイハイヘルスサービスね」と思ったら、唐突に乳でビンタされた。ジョジョちゃんは整形なだけあり豊胸もしていたので、乳というシリコンバッグでビンタされていた。ちょっと痛かった。

そしていよいよ僕の息子に口が近づきサービスが始まった。普通に始まったが、途中で口が離れたかと思うと、おもむろにジョジョちゃんボトル内の液体を口に含んだ。なんとその中にはお湯が入っていたのである。口内の暖かさを感じていると、また口を離しボトル内の液体を口に含んでいた。今回は冷水を口に含んでいたのである。そしてそのまま僕の息子をくわえた。それを2セットくらい繰り返されたが、筆舌つくしがたほどの快感だった。後から調べると「コールド&ホット(ファイヤ?)」というらしかったが、経験していない人は経験した方が良いと思う。

そんなこんなでジョジョちゃんによる冷水と温水のスタンド攻撃を受け、精神が加速したところでゴム有りの本番を終え、ホテルに戻った。

ホテルでの報告会では、僕が受けたスタンド攻撃の話しで盛り上がっていた。その後、遅れて連れが帰ってきたので、皆でその報告を聞くことにした。話しを聞いていると、連れも同じスタンド攻撃を受けていた。

僕「ちょっと待って。お姉さん名前なんだった?」

連れ「たしかジョジョだった」

僕「あー、それは俺も頂いてますねえ」

連れ「.....お兄ちゃん!!」

から聞くとタッチの差で弟がジョジョちゃんと対戦していたことがわかった。かくして、僕は香港スタンド攻撃を受けた挙げ句、弟を持つ羽目となったのであった。

翌日、香港旅行最後の朝。朝が弱い僕を起こした連れの一人はこう言った。

おはよう、お兄ちゃん」。

2020-05-14

追記しました]ゲイが登場する実写映像作品オススメをおしえてください

腐女子です。ゲイが登場する実写映像作品オススメなのがあったら教えてくださいませんか。

パッと思い出せる、今まで見たもの個人的に好きだったのは「モーリス」「キル・ユア・ダーリン」「同窓会 (テレビドラマ) 」です。

パッと思い出せる、見たけどあんまりさらなかったのは二十歳の微熱、どうしても触りたくない、アナザーカントリー など。

他にもよかったのや刺さらなかったのがあったはずなのですが、パッと思いつくのはこの辺です。

そんなわたしおすすめゲイが登場する実写映像作品があったら教えてください。

ゲイがメインテーマ作品じゃなくてもいいですが、ゲイ目当てであるという点はご留意いただけると幸いです。

追記

存在すら知らなかった作品もたくさん!ありがとうございます!見ます

ブエノスアイレス

→すっかり忘れてた!見たのがかなり昔で、当時のわたしには物語咀嚼するための歯が全く生えそろってなかったのを思い出しました。もう一度見ます

太陽と月に背いて

戦場のメリークリスマス

→もちろん見ました!懐かしい!

ヴェニスに死す

真夜中の弥次さん喜多さん

あんまりさらなかった!今見たら違うだろうか?ヴェニス映像音楽が美しいので恋愛モノとしてじゃなくても延々見てられますが!

ヘラ

怒り

作品としてめっちゃ面白かったです!

渚のシンドバッド

→懐かしすぎ吹いた!吹奏楽部だったのでそういう意味でも感情が引っ張られます!話あんまり覚えてないからまた見よう!

君の名前で僕をよんで

→見てる人多くて感動!これはもうすぐ続編が出るようなのでみんなも見ましょう!評価は続編を見てからに譲りたいと思います

ぼくたちのチーム

義務教育間中道徳の授業で人類全員に見せるべきと感じますゲイがメインテーマ作品だと恋愛映画になりがちのイメージですが、これはそうではなく、ゲイヘテロの間で芽生える友情物語でしたよね。非常に示唆深い作品でした。似たようなニュアンス作品でもう一個見たのが…タイトルが思い出せない…ゲイの車の整備士と友人たちとの友情ストーリーみたいな映画

ルポールのドラァグクイーンレース

→わりと追ってますしかドラァグクイーン職業のようなものであって、恋愛性的指向とは直接の関係はなかったような。ただ、だからこそそれらと無関係に輝く魅力的を発するドラァグクイーンたちからエネルギーをもらえていくらでも観てしまます

以下蛇足

トップコメゲイの方にはご不快な思いをさせて大変申し訳ありません。

こんなに多くの方にお目にかかる増田になるとは思っておらず、不用意な書き込みであったと思い反省しております

ただ他の方もおっしゃっているように、ゲイ作品ゲイと言うだけで何でもかんでも好んで思うままに消費しているわけではありません。一つの作品登場人物恋愛を尊んでいるのみであります

ですので、作品によってはゲイ作品でも共感できないこともあります

私ごとで恐縮ですが、今まで出会ってきたヘテロ恋愛作品たちに全く共感できず、ヘテロ恋愛映画ドラマキュンキュンしてありがたがっているクラスメイトや友人たちと心の距離を感じて生きてきた青春時代でありました。

同時に、青春時代からわたし自身も同性との恋愛をも経験してきました。そういう面もあってヘテロ恋愛作品ダメなのかと、思いつめた時期もありました。

(今思うと理由は少なくともそれだけではないのですが…多くのヘテロ恋愛作品に対して思うところについてを語り始めると話題がそれますのでまたの機会に)

わたしは27なのですが、それに冒頭で思い切り腐女子と書きはしたのですが、実は未だに性自認で悩むこともあります。本当はゲイもしくはバイ男性わたしの正しい姿なのかもしれない?と思うことがあります

それは、友人や家族会社の同僚たちとの会話の中で、ひとり夜更けにベッドの中で、時折感じるものです。

大抵、大小の苦痛や遣る瀬無さ、怒りを伴います

そういったときに、いくつかのゲイ恋愛作品に、救われることがあるのです。そういう人間がいることを、ゲイの方にも許していただけたら幸いです。

冒頭で腐女子だと言い切ったのはこういったことを書きたくなかったからでもあるのですが(自分自身まだ向き合い切れていない、筆舌に尽くしがたい自分問題点であるため)(ゲイ作品に惹かれる精神身体女性というひとまずの事実を伴う自認が有る腐女子という属性を振りかざしておいた方が楽)、

振り返ると最初自分物言いがあまりに不誠実だと自覚したので、蛇足させていただきました。

2020-04-29

anond:20200429014805

もしくは、普段から仕事なりボランティアなりで女性貧困問題に携わっていて、岡村発言筆舌に尽くしがたいほど許せない、という人がたくさん現れてブクマしたとかならまだわからんでもない。

って書き方からして、

元増田にとって「女性貧困問題」とは全くの他人事であり、そういう仕事ボランティアでもやってなければ一生関わる事もない遠い世界物語なんだろうけど

実際は「自分や身近な人が貧困問題当事者である、或いはそうなり得る可能性をリアルに考えられる女性」は世の中に沢山いて、

そういう女性が真っ先に怒ったんだよ。他人事ではなく、我が事として。

あと「女性」の話であっても自分も似たような目に遭いかねないという男性も怒った。

元増田はそんな話を見聞きもしない、勿論自分がそのような立場に陥る事もあり得ない、よっぽど恵まれ上級国民世界で生きているのか、

それとも「女性」と書いてあるだけで=遠い世界物語と切り捨てられる男性なのか。

岡村叩きって宮迫ときと同じだよね

やったことは、はっきり言って大したことないのに、殺人でも犯したんじゃないかと思えるほど異常なくらいに叩かれる。

岡村ラジオ番組の件は、例の記事を読む限り、まー低俗発言だなーとは思うけど、いちいちコメントするほどの内容もないし、ほんとにどうでもいいレベル話題だ。

みんな、深夜に岡村ラジオ番組をいつも聞いてるわけじゃないだろうし、そこでどんなことが話題になっているかなんて興味ないでしょ。現に、例の記事が出るまでこの件を指摘する人は誰もいなかった。

けれど、記事が出たとたん、ものすごい勢いで炎上した。「女性貧困を待ち望むクズ!!」「最低最悪のゲス!」「下劣!」「もう見たくない!」「謝罪に追い込め!」「だから結婚できないんだ!」「うつ病再発しろ!」「死んでくれ!」

お金に困って嬢のレベルが上がるんじゃないかな~なんて言ったくらいで、ここまで攻撃される???って思ったよ。

岡村発言は褒められたものではないし、ゲスな発想だけど、ここまで叩かれるのが理解できない。ブコメ岡村を叩いている人たちは、もともと岡村のことがめちゃくちゃ嫌いで、もうほんとは○したいくらい憎んでて、普段から岡村を叩きまくっているとかなら理解できるんだけど、たぶんそうじゃないだろう。もしくは、普段から仕事なりボランティアなりで女性貧困問題に携わっていて、岡村発言筆舌に尽くしがたいほど許せない、という人がたくさん現れてブクマしたとかならまだわからんでもない。でも、その可能性も低いだろう。

こういう風に言うと、女性貧困問題にかかわっていないと問題発言批判しちゃいけないのか、と思う人がいると思うけど、別に批判するのはいい。ただ、何で今回の岡村発言だけは急にこんなに反応が集まったのかが謎なのだしかも激烈な反応が。例の記事ブクマカ達は、岡村に対してはもう何を言ってもいいくらいの雰囲気になっていた。正直怖い。

でも、これブクマだけの問題じゃなくて、宮迫(とその他メンバー)の闇営業問題ときは、世間全体が宮迫に対しては何を言ってもいいくらいの雰囲気になっていたと覚えている。宮迫やらかしたことは1.吉本を通さず、後輩の仲介直営業をした、2.その営業先が詐欺グループだったが知らないまま営業をした、3.営業の対価として金銭を受け取った、4.最初説明金銭は受け取っていないと口裏合わせをして嘘をついた、という内容だ。しかし、1.直営業の可否は吉本宮迫で話せばよいこと、2.仲介から反社会的勢力を「紹介されてはいけない」は無茶、相手の素性を知らなかったのなら紹介された側に責任はない(紹介した人には責任がある)、3.仕事報酬を受け取ることは当たり前のこと(むしろ一般人相手無料営業していたら、最初からその反社とずぶずぶのお友達関係だったのではという疑いが生まれる)で、実際は4.嘘をついたという点だけが問題なのだ

嘘をついただけで、テレビから追放される必要がほんとにあった???テレビで嘘をついてる人なんていっぱいいるけど、誰も追放されてないよ???あと何で亮やほかのメンバーは許された感じになってんの?

でも、世の中的には、徹底的にたたいてヨシ!ちょっとでも擁護する奴も同罪!って感じだったね。

共通しているのは、やったことに対する世の中の仕打ち尋常じゃないってこと。気持ちが傷ついた人はいるだろうが、実在する誰かに直接迷惑をかけたわけでもない。倫理観の欠如した発言、嘘の釈明、決していいことではないけれど、重罪ってわけでもない。それなのにこんなことになるのかって思う。みんな何に対して怒ってるんだろう?韓国芸能人バッシングはひどいっていうけど、日本もも韓国と変わらんね。

2020-03-10

マルチエンドは恋愛コメディからハラドキを剥ぎ取り作者の信用を失墜させる

推しヒロインが勝つか負けるか

予想しながら一喜一憂するのはラブコメの大きな醍醐味だが

マルチエンドはその愉しみを作品から剥ぎ落とす

マルチエンドに手を出したら最後

その作者のラブコメ漫画で、この一喜一憂純粋にできなくなる

また読者を裏切って、誰か一人を選ばないかも、と一度思われてしまうと

あのハラハラキドキに興じる気が削がれてしま

マルチエンドは誰もが思いつく手法

なのに、なぜ今まで誰も手をつけなかったのか

読者と作者の間にある、ある種の信頼関係が崩してしまうゆえに、公式では例がなかった

一時の話題と売上のために、一人のラブコメ漫画家の将来を犠牲にしたジャンプ編集部筆舌しがたいEvilである

2020-02-25

翳(原民喜

センター試験話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)

底本:原民喜戦後小説 下(講談社文芸文庫1995年8月10日第1刷発行

     I

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老い母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。

 その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかにもっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。

 彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。

 岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものノートし、まず文体研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。

 それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。

 私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのもの顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人同棲した暁には、染料の会社設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである

 日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞第一面、つまり雑誌新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見ものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。

 岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。

 たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京文化方面役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズ役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。

 既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活飛込んだのだった。ところが、その相手資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである

     II

 私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇ほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。

 私は妻の遺骨を郷里墓地に納めると、再び棲みなれた千葉借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃であるサイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである

 私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉借家へ移った時のことである私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それから殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。

 私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラ千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴム長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。

「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。

「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、

「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。

 その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。

 私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好おかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。

 目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたそっくり写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。

 冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。

 翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。

 その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである

 そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服青年歯医者挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。

 それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲吏員就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後消息であった。その後私の妻の病気悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。

 その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。

 あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅作品の暗い翳を思い浮べるのであった。

 終戦後、私は郷里にただ死にに帰って行くらしい疲れはてた青年の姿を再三、汽車の中で見かけることがあった。……

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