はてなキーワード: 筆舌とは
『けいおん!』の大ヒットは衝撃的だった。
TBSしかまともに手を出していないマイナー雑誌がアニメの歴史を残すほど大ヒットしたのだ。
同時に、けいおんに限らず、まんがタイムきららに対する批判の声も大きかった。その中で一番聞く声がこうだった。
中身がない
少なくとも多くの人の癪に触ったのは間違いない。
たかが萌え4コマごときがここまでヒットしたとは思っても見なかっただろう。
コマ割りが単調な4コマ漫画、それもキャラにしか魅力がない萌え4コマに魅力があるはずがない。
多くの人がそう思っていたのだろう。
2022年秋、とあるジャンプ漫画原作アニメがきららアニメごときに負けるなんて夢にも思わなかっただろう。
世の中で最もヒットを生み出した高尚なジャンプ漫画が、中身がないはずだった低俗なきららの漫画に負けたのだ。
改めて聞いてみよう。
中身がないってどういうことなんだろう?
逆になんで最近ああいう、どぎつい裏社会にスポットを当てました系ないのかなって思ったけど、インターネットの普及ってやつで個人が発信することが可能になって、視聴者の知らない裏社会で筆舌しがたい悲惨な目に遭っている悲劇のヒロイン(あるいはヒーロー)というのが可視化されちゃったせいなのかな。
視聴者としてはこんなのフィクションじゃん、本当は〜っていうのが簡単に調べられるようになっちゃったし、そうすると現実は小説より奇なりだったりするし、その上で悲劇の主人公もその後しっかり立ち直ってたりして物語性が損なわれたりしちゃうし。
こうして現実世界からファンタジーな部分がどんどんなくなって、現実と地続きのファンタジーは転生ものしかない!みたいな今に続いてるんだろうか。
オナラをするたび夫に「も~!汚い!」と言われる。
他人に屁をこかれるのも、他人の前で屁をこくのも嫌だけど、家族なら別によくない?というのが私の考え。自分の家でくらい自由にオナラをしたい。
人前でオナラをすべきではないことは物心ついた頃には理解していたし、両親は私に家の中では好き勝手屁をこかせてくれていた。
あまりにも豪快な屁を5連発くらいすると苦笑いされたが、過剰に反応されたことはなかった。私以外の家族も自由に屁をこいていた。
母はさすがに私ほど好き勝手ブゥブゥ言わせてなかったが、それでもぷすぅ~くらいの控えめな屁をしている姿はよく見かけた。父も兄弟も特に悪びれることなく気持ちよく放屁していた。犬も時々オナラをしてはその音に自分でびっくりしていた。猫はあんまりオナラをしなかった。
今の夫となる人と付き合い始めた頃、当然最初のうちはオナラなどしなかった。
彼も「君の前でオナラするの恥ずかしい…」と初心ぶって屁は控えていた。
まあそれも半年もしないうちに徐々に彼がオナラを解禁していったので、私もいいか~と自由放屁運動の流れに乗じた。
私は夫が目の前でオナラをしても特に反応はしない。とんでもなく臭ければ「臭い~!」と言ったりはするが、夫自身の方が「臭い臭い」と騒ぎ立てて換気したりする。
夫は自分のこく屁にもうるさいが、私がこく屁には毎回「もー!汚い!臭い~!」といちいち反応する。
屁というものはそんなに毎度毎度筆舌に尽くしがたいほど臭いわけではない。無臭の屁もあろう。大して臭くない時でも「汚い!」と騒ぐ。
私の下半身が分厚い布団に入っている状態で屁をこいて、ほとんど匂いは漏れてこないはずなのに、夫はわざっわざ距離を取ってあまつさえ扇風機までまわしはじめる。(夫は同じ布団には入っておらず隣にいるだけなので、布団の中で私の屁と同梱されているわけでもない)
夫も屁をするなと禁止してくるわけでもないし、怒るといってもおふざけ程度の言い方ではあるのだが、こうも毎回反応されると正直面倒くさい。屁だけに。
特大ホームランを放った時だけスクープしてくれればいいのに、バントでもいちいち号外を出されてる気分だ。野球知らんけど。
何故夫はここまで屁に過敏に反応するのかを知るべく、
夫の生家では家族の放屁活動はどのように行われていたのかを聞いた。
父親と夫は自由にオナラをしていたが母親と妹の放屁音は聞いたことがないという。また、父親や夫がオナラをするたび母親に注意されたらしい。
放屁の自由がない家庭で育ったがために夫は屁に不寛容になり過敏に反応するわけだ。
夫自身も母親に注意されるたび、「オナラくらいで」と思っていたのに、いざ自分で家庭を築き、そこに屁を取り締まる人物がいないと不安になってしまっての放屁注意委員会だったと言うわけか。そう言えば私も「鏡は表向きに放置してはいけない!」と実家で母に注意されるたびめんどくせぇ〜と思っていたが、実家を出てからは自主的に鏡は裏向きに置くよう心がけるようになったな。
更には夫の生家では女性で屁をする者はいないため、私に強く当たっているというのもあるのだろう。
だからこそ私は強く、自分の家庭内での男女放屁均衡法を訴えていく決意をした。
皆さんはご家庭でどのように屁をしてお過ごしでしょうか。
この度、岩波文庫からアリエル・ドルフマン(昔は、英語風にドーフマン表記だった)の戯曲作品『死と乙女』が刊行された。90年代に一度、英語版から日本語に翻訳されたものが劇書房から刊行されたが、その後は長く絶版品切状態だった作品である。
「過去に読んだが岩波文庫から復刊したことは知らなかった」という人は、書店に急いで欲しい。
読んだことの無い人も、やはり書店に急いで欲しい。
もしかしたら、作品を読んだことは無くても、朴璐美や真木よう子などが主演した舞台を、日本国内で観たという人もいるかも知れない。または、ポランスキーによる映画作品を観た人もいるかもしれない。
ちなみに、これを書いている増田は、ど田舎生活の低所得者なので、演劇文化とは縁が無いことから、舞台を観たことはない。
今回の岩波文庫版は、著者の母語であるスペイン語で書かれたバージョンからの翻訳となる。翻訳者による詳細な解説があるので、作品執筆の背景となった70〜90年代のチリ内外の政治事情を知ることも出来ることから、一読者として有り難い。
これを目にしている貴方が、書店に赴いて『死と乙女』を入手して読んでくれるならば、もう以下の駄文を読む必要は無い。
この増田が読むことを勧めている『死と乙女』とは、どのような作品なのか、読んだことは無いが少しだけ興味が有るという人に向けて、以下を記す。
ただし『死と乙女』の結末に触れる部分があるので、未読で結末は自分で知りたいという人は、ここで一旦、この駄文を読むのをストップしてもらいたい。
また、直接的ではないものの、性暴力に言及する箇所もあるので、精神的な苦痛を喚び起こされる虞がある人は、ここで読むことを止めてもらいたい。
=======================
1970年、南米チリで、サルバドール・アジェンデを大統領とする政権が誕生した。俗に、史上初の民主主義選挙により誕生した社会主義政権とされる。
しかし、アジェンデ政権を皮切りに中南米地域で社会主義国がドミノ倒し的に増加することを怖れた米国ニクソン政権は、チリへの介入を決定する。かくして、米国の後ろ楯を得たピノチェトが起こした軍事クーデターによって、チリは独裁国家となる。
この独裁政権時代のチリでは、多くのチリ国民が政治犯として弾圧され、不当な身柄拘束、拷問、虐殺の対象となっている。
チリ国外に亡命した人間もいる(亡命はしたもののチリ国外で暗殺されたという人間もいる)。映画『イル・ポスティーノ』の主人公の詩人も、そのような逃亡者であったことを、記憶している人もいるかもしれない。或いはまた、ヨーロッパに亡命していたチリの映画監督ミゲル・リティンが、ピノチェト支配下のチリへ潜入して取材する姿を、コロンビア出身ノーベル文学賞受賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスがルポルタージュ『戒厳令下チリ潜入記』(邦訳は岩波新書)として著したので、それを読んだ人もいるかもしれない。
本作『死と乙女』の著者アリエル・ドルフマンも、チリ国外に亡命した人間の一人である。
そして『死と乙女』の主人公パウリナ・サラスもまた、ピノチェト政権下で筆舌に尽くし難い苦痛を味わい、生還したチリ国民の一人である。
パウリナの夫ヘラルド・エスコバルは、ピノチェト政権下で、弾圧されている人々をチリ国外に亡命させる手助けをしていた。そのためにヘラルドは、ピノチェト政権当局から弾圧の対象とされた。
しかし、ヘラルドが当局の手を脱して逃亡したので、彼の居場所を吐かせるために秘密警察は、彼の妻であるパウリナの身柄を拘束し、彼女を拷問した。その時、拷問者は、目隠しされたパウリナをレイプしながら、シューベルト作品『死と乙女』をBGMに流したのである。
時が流れて90年代に入ると、チリは民主主義国家へと移行する。ヘラルドが逃亡する必要も、パウリナが夫の隠れ場所を吐かずに耐える必要も無くなり、二人は夫婦として、堂々と暮らせるようになった。しかし、パウリナの心には、拷問による拭いきれない大きな傷が残り、それが二人の暮らしに暗い影を落とし続けていた。
民主主義政権となったチリ政府は、ピノチェト独裁時代に行われた弾圧について、調査究明を行なうと国民に約束し、そのための調査委員会を任命する。今やパウリナの夫ヘラルドは、その調査委員会のメンバーの一人である。これが、物語の開始の時点で、主人公の置かれた状況である。
物語の冒頭、或る晩、ヘラルドは、パウリナの待つ自宅へと自動車で帰る途中、タイヤのパンクにより立往生していたところを、通りがかった医師ロベルト・ミランダに助けられる。ロベルト・ミランダの車で自宅に送り届けられたヘラルドは、夜も遅いし助けてくれたお礼にと言って、ロベルトに自宅へ泊まっていくことを勧める。
結局ロベルト・ミランダはヘラルドの申し出に甘えることにし、ヘラルドが寝室に居るパウリナに声を掛けて、彼女にも客人を泊まらせることを了承させる。
翌朝。
ロベルト・ミランダは、椅子に縛られている。パウリナが、彼にリボルバー拳銃を突き付けている。
それを見て驚く夫ヘラルドと、狼狽する医師ロベルト・ミランダに対して、主人公パウリナは告げる。
「昨夜、この男の声を聴いて気づいた。この男、ロベルト・ミランダこそが『死と乙女』をBGMとして流しながら、あたしを拷問し、レイプした人間だ」と。
ロベルト・ミランダに拳銃を突き付けて「洗い浚い罪を吐かせる」と主張する主人公パウリナに対して、夫ヘラルドは思い止まるように説得する。
チリがピノチェト独裁体制を脱して民主主義国家となったとはいえ、いまだピノチェトを支持するチリ国民も決して少ないとは言えない(現実世界の2023年現在でも、ピノチェト支持者が残っているのだから、民主政権に移行したばかりの90年代前半を時代設定としている物語の中では、尚更である)。独裁政権時代の弾圧活動に関与した人間たちの全てを、罪に問うて処罰しようとしたならば、親ピノチェト派の有権者からの反発を招き、まだ体制も盤石とは言い難い民主主義政権が倒れることになりかねない。最悪の場合、内戦が勃発して、更に血で血を洗う国民同士の殺し合いともなりかねない。
そのため、現実世界のチリで行われた調査も、調査対象事件を「被害者が殺害されたという重大なケース」に限定し、尚且つ、真実を綿密に明らかにした調査報告書を作成する代わりに、弾圧関与者の氏名公表や厳しい処罰を免除するという、謂わば折衷案の形をとらざるを得なかった。
処罰を免除するという条件を餌にした、一種の司法取引によって、ピノチェト独裁政権時代の弾圧に関与した人間に、己の罪を自発的に告白するように促したとも言える。
しかし、もしも調査委員の一人であるヘラルドの妻パウリナが、ロベルト・ミランダを殺害してしまったとしたら、いや、殺害せずとも、拳銃を突き付けてロベルト・ミランダに自白を強要したことが世間に知られたならば。
民主化した政権も、真相究明も、全てが水泡に帰すことになりかねない。
パウリナは、ロベルト・ミランダの命までは取らないことを条件にして、今ここにいるパウリナ、ヘラルド、ロベルト・ミランダの三人で"裁判"を行なうことを強引に承諾させる。かくして、現実のチリで行われた真相究明の動きを追体験するような、緊迫の一夜が、舞台上で演じられることとなる。
以下では、物語の結末に触れているので、未読の人は一旦ここで増田の駄文を読むのを切り上げて、まず『死と乙女』を読んでもらいたい。
※
※
※
※
※
※
※
※
※
※
※
※
※
※
※
※
※
※
※
※
※
※
※
※
ロベルト・ミランダに罪を告白させること(供述をテープレコーダーに録音した上で、ロベルト自身の手で文字起こしの原稿を書かせ、さらに「自発的に真実を語った」と宣誓する署名までさせること)が出来たミランダは、ロベルトを監禁する前に家から離れた場所へ移動させておいた彼の車を、返すために取りに行くようにと夫ヘラルドに頼む。
そして夫ヘラルドが家を出て二人きりになると、パウリナはロベルト・ミランダに銃口を向け直す。
「真実を告白すれば命を助けると言ったのに、約束が違う!」と抗議するロベルト・ミランダに、銃口を向けるパウリナ。
パウリナは、ロベルト・ミランダの語りを聞いて、心の底からの反省や悔悛が彼には見られないと判断したのだ。
ここで演出として、舞台には幕が降り始め、パウリナとロベルト・ミランダの姿を隠すとともに、その幕は鏡となっており、演劇『死と乙女』を観ている観客たち自身を映し出す手筈になっている。
再び幕が上がると、物語のラスト場面であり、パウリナとヘラルドは、二人で連れ立って、音楽演奏会に出掛けている。演奏の休憩時間では、他の観客と、調査委員会による調査の成果について、夫ヘラルドは語り合っている。
休憩が終わり、演奏が再開される。
すると、その演奏会の会場にロベルト・ミランダが入って来て、主人公夫婦から離れた、ずっと後方の客席に彼は座る。
夫ヘラルドは気づいていないが、パウリナはロベルト・ミランダの存在に気づいて、しばし後ろを振り返り、ロベルト・ミランダを見る。ロベルト・ミランダは、何も言葉を発すること無く、ただ、主人公パウリナに視線を向け続ける。やがてパウリナも、ロベルト・ミランダからは視線を外し、前方(演奏会の舞台があると設定されている方向)を向いて、物語は終わる。
=======================
この増田は、殺したと考えている。(続く)
有能なやつは早い段階から無能な上司からあれこれ仕事を割り振られ、相応にこなしていくことで早く昇進する。
そうすると無能な上司は「昇進したのだから…」とさらに仕事を割り振り、自身の無能っぷりを加速させていく。
「有能なやつのところに仕事は集まる」とドヤ顔で語る様の滑稽さは筆舌に尽くしがたい。
有能に仕事が集まるのではなく、無能が何もできないまま有能に丸投げしているだけの話にすぎない。
こうして有能な若手はキャパオーバーになり、どこかで限界を超えると次々と辞めていく。
残された無能な上司は何もできず、また次の丸投げ先を探すことに終始する。
※丸投げ以外の解決策を思いつけない、実行できない。
よいターゲットが見つかれば、また同じことの繰り返し。
物心ついたときから私には母と兄しかいなかった。母はまだ幼い兄と私を連れて父と離婚した。暴力を振るわれたとかで離婚したと言っていた
狭いアパートに家族3人で暮らしていて、深夜に仕事をしている都合上、夜になると兄と私は同じアパートに暮らす母と同じ国籍の夫婦に預けられた。
今では真偽は不明だが、母は私達を預かる代わりにその夫婦にお金を渡していたらしい。ほんとうに苦労して育ててくれていたと思う
兄と私が園児になったころ、その夫婦のところに預けられなくなった。トラブルか何かがあり、母はその夫婦に私達を預けることをやめたらしい
母は私達にゲームを買い与えたりして手間を省いてたかもしれない。他にもおもちゃは買い与えられたが、私達が欲しがったのはわかりやすいゲーム機で遊ぶことだった。
家に子供だけがいる状況で、その頃から私達はおかしくなっていたのだと思う
やんちゃする兄を母は躾としてハンガーで叩いたことがあったらしい。当時はまだ体罰が許されていた時代だったかもしれない。そしてまだ幼い兄はそれを真似て、私が言うことを聞かないときにハンガーで叩いて言って聞かせた。
兄は母がいるとき私に躾をすることがないので、私は夜になるのが怖くなっていた。
すぐに言えばいいものを、子供ながら母が苦労していることがわかっていたので言えずにいた。自分だけが我慢すればいいことだと思っていたかもしれない
兄の行動は徐々に歯止めが効かなくなり、ある日、本当に怖くなってしまったから泣きながら母に兄のことを話した。
父は山に囲まれた田舎に住んでいた。亭主関白そのもののような人だと思う
私は父が何をしている人なのか職業以外なにもしらないまま育った。それより父を父親だと思うことができなかったのでどうでもよかったまで思っている
まだ読み書きもできなかったころ、母がお父さんと話してほしいと言って電話をわたしてくれた。父とは物心ついたときに父親だと言われて会ったことがあったから、電話先にいる人物を父親だと私は認識して話していた。
そしてある時、父にお金がほしいと頼むように母に「おねがい」された。私達は教えられたとおりの内容を電話で話した。
例えば、お母さんがお金がないって言ってるからお金ちょうだい。といった子供が言える最大限の言葉で父に頼むのだ。
そして頼むことができれば褒められ、父が無理だと言った日にはもう1回電話して頼むように言われることもあった。
まだクレヨンとかで絵を描く子供が5万円ちょうだいなんて言うのだから、ほんとうに今考えると気持ちがわるいと思う
もうその時点で母に合わせないといけないと思っていたかもしれない。そしてこれは19歳になるまでやっていた。
たぶん離婚したとき養育費について具体的に決めていなかったのだと思う
父から父親らしいことをされた記憶は私には数えるくらいしかない。それも本当にたまに会ったときにだけだった。10代半ばあたりからはお金を頼む相手としか見てなかった
まだ園児だったころから、私は自分が他の子たちと違うことを認識していた。
母は日本語の読み書きができないのだ。だから私達が通う場所のことなどを理解するのに苦労したのだと思う
持っていく必要なものや行事などは、私はいつも忘れていたしできなかった。兄もそうだったのか今では過ぎたことなのでわからない
しかし他の子が不自由なく過ごしていて、自分にできないのはなぜかわからなかった。
それと母が昼間に働くようになったときは、いつも私達の迎えだけがすぐには来なかった。
兄が小学生になったあたりで、静かになる施設の中ひとりで迎えを待つ時間が途方もなく感じたのを覚えている。
小学生になった私と兄は多少物事を理解するようになっていた。引っ越しして前よりもまともな生活ができた。
ここから母は私達の教育を学校に任せるようになった。元々、教育などされていないかもしれなかった。教えられたことと言えば、母が帰ってくるまで家事をすることだったかもしれない。
今でも母が仕事から帰ってくる時間あたりから何かしなきゃいけないとか、待たなくちゃいけないとか焦ったりする。怒られないようにしなきゃいけないと考えていたと思う
仕事をしなければいけない母は日本語を勉強する時間は無い。大きくなったらお母さんを支えてねみたいなことを言われた覚えがある
厳密には仕事で疲れて日本語を勉強することができないのが正しいかもしれなかった。
勉強を教えられなかった私達は学校へ行って授業を真面目に受けても、勉強をするということがわからないのだ
宿題をやってくるように言われて家へ持ち帰っても、宿題をするということを教えられていないからやれなかった。
兄もそんな感じで、私達が自分から勉強することができたのは高校生からだったかもしれない
学校関連の保護者が処理すべきプリント用紙や、家での細々とした書類なんかはその頃から兄と私がやるようになっていた。
ここまで読めば予想できるとは思うが、もちろん学校行事に母が来れるはずもなく、私達も親が日本語を理解するのが難しく仕事で参加できないのをわかっていた。
それだけはさすがに保護者が必要なので仕事を休んでもらって来てもらっていた。
先生に宿題や成績のことを言及されたとき、私を責めるような辱めるようなことをその場で母から言われたのを覚えている。
親が外国人の教え子なんて当時はまだまだ珍しかったのだろう、私の担任になった先生たちはあまり触れないようにしてるよう感じた。
勉強ができなかった私は高校生になり、片道1時間弱かけて偏差値の低い高校に通っていた。
1年生の時はまったく勉強ができなかったのと、いじめられて孤独だった私は深く傷がついている状態だった。
それでも周りに心配させないように隠して過ごしていたが、途中から環境が良くなったこともあり卒業するまでは一般的な高校生だった。
変わらず母は私達に教育などしてくれなかった。私達は家事を手伝っていたが、それは怒られるからやるといった感じでしていた。
私はその頃には周りの顔色を伺ったり合わせようとするような人になっていた。自分さえ我慢すればいいと思っていたのだ。
ある時死にたいと母に泣いて告げたときすごく優しくしてもらったことを覚えている。
兄が成人して家から離れるまで、まだ私達は家族でいたのかもしれない
大学生になった私はいなくなった兄の代わりに家のことをやるようになった。私には無理だった
兄と私は違うのだ。それなのに母と兄は私にも同じように立ち回ってほしかったらしく、できない私を責め続けた。
昔から私は泣き虫だったのだが、感情を出すのを悪いことだと捉えているかもしれなかった。
怒るときも悲しいときも泣いてしまうし、自分の気分が落ち込んでいるときは自分を責めていた。
母はそんな私に向かって泣けば済むと思っているとか、もう今じゃどんなことを言われたのかここに書けなくなってしまった。
そして悪い出来事が積み重なっていたときのある朝、玄関のドアノブに手をかけた時、開けられなかった。まだ1年生の夏休みすら過ごしたことがなかった
私が引きこもってる間に母はなにもしてくれなかった。普通は親とかが休学手続きなどをしてくれるだろうが、私の母はそんなことわかるはずがなかったのだ。
そして一切大学に連絡がいかない状態が続き、ある日家に届いた退学通知を見た時から、私はそれまでの自分が失くなったように感じたのを覚えている。
兄もたまに家に帰ってきていたが、私が何もしてくれなかった周りを責めたときから帰ってくることはなかった。
それからは半年か1年引きこもって半年アルバイトをするかしないかみたいな生活をしている。友達もいなくなってしまった。
引きこもりから脱せた時、低賃金でも収入を得てやり直そうとしている私を見て、母は応援してくれていた。正確には何も言ってこないようになっただけだったが。
仕事をするようになっても上手くいかないことが多かった。馴染めなかったり体力的にも向いてないのに無理やり働いて続かなかった。
まだ家から出れないときから、母は光熱費などの支払いを忘れることが多かった。口座引き落としにすればいいと思われるだろうが、母がそんな手続きできるわけがない
電気やガスが止まるとさすがに私も困るので、何も話し合いをせずに自然と私が家の支払いの一部を負担するようになったのだが、私の貯金はたまることがなかった。それよりも本当に忘れているんじゃないかと思うくらいだった。
さらに私からお金を借りていくことが多かった。ある時、私の貯金がたまらないことと支払いについて母に言ったことがあったのだが、今まで世話していた分やるのは当然で一緒に住んでいるのだから当たり前といった感じで喧嘩になった。
私はこの時点で支払いのことや諸々の家のお金にまつわることが嫌いになっていた。喧嘩をしたくないので母が忘れている支払いを全部していたのだ。
働けるようになったのだから私が負担することは自然な通りかもしれないとは思うが、先に進むためのことがなにもできなかった。
安定した収入を得る仕事をする必要があるのはわかっていたが、自信がなくなっていたのと自分はなにがしたいのか今でもよくわからない。
私は甘ったれなんだと思う
母とはいつも喧嘩しているように思える。昔と同じで家事をやらなかったりすると怒るのだ。
一緒に住んでいるならして当たり前だと思うだろうが、感情が爆発してから何かをやろうとするのが本当にできなくなってしまった。私自身もこういうことはできなくちゃいけないと思っているのに上手くできなくなってしまった。
私は母を話が通じない相手として見ている部分があるのでこの家には異常者しかいないんじゃないかと思うことがある。
1年前、心療内科に通うようになってそこで初めて私には精神疾患があることがわかった。処方された薬を服用するようになって母にそれを説明したのだが理解されなかった。
そして私自身ただ薬を服用してるだけで次に繋がっていかないことを自覚してしまって数ヶ月前から通院をやめた。
また半年前にアルバイトをやめてしまったので少しだけの貯金を切り崩しながら家の支払いをしていたが、もうその貯金もなくなってしまって今に至る。
よくある親エピソードなんだろうと書いてて思うが、日本語を理解できる親というのが私には羨ましかった。
私の母はコミュニケーションがとれるくらいには日本語が扱えるが、ひらがなとカタカナの一部を除いて日本語の読み書きができないのと難しい言葉などが全くわからない。
故に学校で勉強した自分の子供だけが頼りということだ。そしてそんな私がいつまでも家にいるから生活できているんだろうと思うことが何度もある。私の人生は母のためだったかもしれない
わかりやすく言うなら宗教的な考え方を持っていて、科学を話すことができない人だといえばいいのだろうか。言語さえまともに通じる相手ならここまで苦労しなかったのかなとか、こんなふうになることがなかったのかなとか気休めに考えてしまう
ほんとうはもっと筆舌に尽くし難いエピソードが多くあるのだが、書いていたらきりがないのでここで終わりにする。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
今はフリーター時代にバイトしてたところで社員として雇ってもらってる。
ところで私は根気がない。
大学時代のアルバイトは全て1年程度で辞めてしまった。1年働く→2ヶ月フリー→そろそろ働くか→10ヶ月働く→1ヶ月フリー→遊ぶ金欲しいな→9ヶ月働く、みたいなサイクルだ。
大体1年近く同じところにいると慣れが出てくる。何でもそうだろう、そして慣れると飽きてくる。
特に難しいことはないのだから慣れるのだって早い。ましてや大学時代のアルバイトなんて全てホールスタッフだったもんだから大抵のことは応用が通じる。
今の職場について約1年、私の飽きサイクルは順調らしい。
ただ前述したように私は就活をしたこともなければ社会人経験が今の職場しかない。割とそこそこいい歳で、社会人経験0で、飽きっぽい性格の私に合う仕事なんてあるのだろうか。あるなら是非教えてほしい。
社会に必要とされてない人間が働ける場所なんてあるのだろうか。
根気も忍耐もない甘ちゃんが荒波に揉まれるなんて筆舌に尽くし難い。私は甘ちゃんなのだ。大学時代も親からの仕送りはあったし、奨学金だって借りずに卒業したし、慎ましく生活するだけなら本当に少しくらいだが働かずに生きていけるだけの金もある。
人生は他人のレールの上を歩いてきた。思考することをやめて言われるがままレールを辿ってきた。ミーハーで飽きっぽい性格だから「あれがいいよ」と言われればあれがいいと思ったし「これが向いてるよ」と言われればそうなのだと思うくらいには、人の言うことに流されて生きてきた。
いかにストレスなく、かつそこそこの金をもらえる仕事とは。贅沢は言わない、本当にそこそこでいい。金よりQOLのほうがめちゃくちゃ大事なのだ。大金を積まれてもストレスで苛まれるのはまっぴらごめんだ。
何年飲んでるかは忘れたが、
40代前半男性、技術職。比較的コミュ力が無くてもなんとかなる仕事なので、それなりに成果が出せて概ね評価して頂いている。
幼少の頃から人付き合いに難があり、それは今も変わらない。ことあるごとに人間関係に起因してコミュニティを変える、というような生き方を否応なしにしてきた。
30代で精神科にてWAISを受けたりしたが、ADHD、ASDの傾向は人より強いものの確定診断できるほどではない、というお話。
それでもしんどいんですよ、という話をしたらコンサータが処方された。
それまでは朝起きるのが死ぬほど苦しいし、日中は眠くて仕方がなかった。仕事中にデスクでうつらうつらして先輩に怒られたこともある。充分に睡眠をとってもだめ。
コンサータのおかげで、朝は薬を飲んでしばらくすると苦しまなくても動けるようになった(これがどれだけありがたいかは筆舌に尽くしがたい。これだけでQOLが爆上がりなので薬を飲んで良かった)
おそらく、ナルコレプシーとまではいかなくとも過眠症のけがあったのだと思う。コンサータの効用としては副次的?なのかもしれないが、これが一番ありがたかった。
おかしな話だが、この眠気が改善してはじめて、自分は異常な眠気に悩まされていたのだという認識を持てた。
これは、飲まないよりも良いという程度。もともと確定診断が出ない程度だったから、かもしれない。
たしかに物事に集中するのが楽になり、注意の切り替えは未だに苦手だがマシになり、飲む前よりも落ち着いた人間で居られるという自覚がある。
これは上記の点が改善されたからだが、生産性は格段に上がった。
コンサータがなかったらこの数年のアウトプットはまったく異なっていたと思うので、まさにコンサータ等の薬に人生を助けられたと言っていい。
正直な話、特に無い。
金がかかる、飲むのが面倒、薬をもらいに定期的に医者に行くのが面倒、などはあるのだが、それを補って余りあるメリットが俺にはあった。
クリエイティビティにも影響は感じない。むしろ生産性が上がっている分、マシになったのではないか。
勃起力は変わらないと思う。
これは改善されない。
未だに人付き合いは苦手だし、人と居るときの眠気が薄まっただけマシにはなったが、まあそれだけか。
人付き合いが得意になったという感じは1ミリも無い。
上とも通じるが、結局のところ人生は人付き合いみたいな所がある。そして、その部分は別に改善されていない。だから、そういった意味での人生の苦しみは変わらないと言えば変わらない。
しかし仕事や趣味で成果を出して評価を得るとか、眠気で動けない休日を有効活用するとか、そういう意味ではQOLは向上した。
総合的には薬を飲んで本当に良かった。まだ試していない人で、なんとなく嫌な印象で飲んでいないなら試してみると良いと思う。
これで人格が変わるとかは一切無い。あなたのコミュ障も別に治らないから安心して欲しい。そして薬を辞めればすべて元に戻る。それでも飲む価値は、個人的にはあった。
ただ薬は人によって合う合わないがあるので、一つ試してダメだったらさっさと辞めて次を試せば良いと思う。俺はストラテラは眠いし気持ち悪くなってダメだった。
メガネが必要な人がメガネをかけるようなもの、はまさにその通りで、薬はたかが薬だ。
8年前に結婚した当初から、あまりsexの回数は多くなかった。
でも、ハグもキスも良くするし、食の趣味も似ているし、仲は良い方だったと思う。
今年のGWが過ぎた頃、朝起きがけに突然、男と浮気したことを告げられた。
隠し通すのが辛くなったとのこと。
それを聞いた時は、ショックすぎて過呼吸を起こした。
その後、不思議と怒りの感情はなく、ただただ今まで至らない妻だった自分を責めた。
気づくことができなくて、申し訳ないとも思った。
実際、私はいい妻ではない。
何度も転職をしてしまうし、PMS時のヒステリックは筆舌に尽くしがたい。
そして、いつまで経っても英語が喋れない。
ただ、家事においてはまぁまぁ頑張っていた。
水回りに水滴をつけたままにしておくことはないし、
床やテーブルに物や埃が落ちているのは即片付けるので、
家が汚れてると感じることはほぼ無い。
料理も得意で、作るのも食べるのも片付けるのも楽しんでいる。
食に関してだけは、カナダでは食べたことがないようなものもたくさん作ったし、夫も何度も絶賛してくれた。
まぁ、それはそうと。
「①sexの回数が少なすぎるのと、②昔からポルノは男の人が出演するものばかり見ていた」
とのこと。
①に関しては、私の責任でもある。
でも、大きすぎて痛いのだ。
もちろん、当人には伝えたし、最初の頃はどうにかしようと二人で試行錯誤してみたが、
だんだんそれも億劫になって、気がつけば半年、一年と時間が経っていった。
なお、夫は私の前に一人だけ彼女っぽい人がいたらしいが、
SEX中に爪を立てたり叩いたり(?)という、かなりのメンヘラ女だったらしい。
そんなこんなあって、VRチャットで知り合った男と、何度か寝てみたところ、
そもそも②昔からポルノは男の人が出演するものばかり見ていた時点で、
女体より男体の方が好きだったのでは。
優しい先生で、事情を話したら睡眠薬と精神安定剤を処方してくれた。
薬はすごい。
睡眠薬は、しっかり効いた。
でも、起きた時にずっと頭がぼーっとしてるので、
あまり使い続けたいとは思えない。
お互いを責めあうこともなく、
なんとなく、今までと違った「他人感」を感じながらも、
このままいれば、十年後、何もなかったことのように、
笑えるのかもしれない。
だけど、今は、将来夫と何年も一緒にいるのは
難しいんだろうなと、漠然と思う。
あ、あなたゲイだったのね。Ok。私もあまりsexに乗り気じゃなかったしねって、
別になんでもないことのように、居れれば楽なんだろうけど、無理だ。
私はロボットじゃない。
感情がある。今は、どんな感情なのか、複雑すぎてわからないけど。。
女としての魅力がなさすぎたとか、
いや、そもそも夫は男がいいのでは?
なんで結婚したのよ。
とか、色々考えると、
夢診断で検索してみたら、
自分ではどうしようもないストレスを抱えている時に見るって書いてあった。
まぁそうでしょうね。
まさに今、そんな感じなんでね。
涙とため息しか出ない。
端的に言う。お前らは老害だ。
かつての栄光にしがみつき、「俺のやり方が正しいんだから俺に合わせろ」とか言ってきたクソ上司、会社にいるだろ?
それと同じ、とは言わないけどかなり似たような発言なんだよ、「AI学習禁止」って。
大前提として、コンピュータに既存コンテンツを学習させる行為は違法ではない。
いろんなところですでに指摘されているから、詳しいことは言わなくても分かってくれ。
法で許可されていることに「いやだ」とか駄々こねてるのがお前らだよ。
もとより、機械学習とかAIとか最近トレンドになっているけれど、今これらがようやく実用段階に、成長期に入ってきているんだ。
これを阻もうとするのであれば、お前らはこれらの技術発展を阻害しているに等しい。
「うるせぇ! 俺のやり方でこれまでうまく行ってるんだから新しい手法なんか要らねえ!」
とか言われたら頭にくるだろ。そういうことだよ。
(もちろん、何でもかんでも流行りのものを取り入れればいいとかいう頭お花畑な奴もいるけど、そんな話は今はどうでもいい)
機械学習とかAI、つまりITってのは、ただでさえ日本は「後進国」と揶揄されるレベルの状態なのは分かっていると思う。
IT分野に限らず色んな面で「もう終わりだよこの国」とか言われているなか、未だなんとか世界に食いついているのは「サブカルチャー」なんだよ。
それだけサブカルチャー(ここではいわゆるオタク文化、ということにしておく)は大衆のものとなった、という証左でもあるんだ。
オワコン日本の中でも、まだ頑張れているのがサブカルチャーなんだ。イラストだってサブカルチャーの仲間だろ?
(いやイラストはサブカルじゃないとかそういうどうでもいい反論は知らん)
そんな瀕死の日本を引っ張っているサブカルチャーが、すでに後退の一途をたどっているITにさらに(後ろ向きに)拍車をかけてどうする?
サブカルチャー(メインカルチャー)だって、いずれは衰える。衰えるというか、世界との競争に負ける可能性がある。
この流れに負けたらいよいよ日本は終わりよ。もう終わってるかもしれないけど。
だったらせめて、足引っ張るようなことはやめて、現状の流れに乗ろうや。
技術発展の足かせになって、自分もいずれ凋落するとか笑えねえよ。
ネオエクスデスかよ。
いや分かるよ? 「法が許すなら何をしてもいいのか!」って怒りは。
自分たちが数年、十数年、数十年と頑張ってきた努力が、AIとかいうぽっと出に取って代わられる無念さは筆舌に尽くしがたいのだと思う。
別にイラストレーターを責めているわけでもけなしているわけでもない。世界の最先端を走っている研究者とかでなければ、誰が「AIがイラストを作る」時代が来ると予期できただろうか。
明日には「AIが音楽を作る」「AIがアニメを作る」「AIがゲームを作る」、そんなサービスが出来上がっていてもおかしくない、今はそんな時代よ。
運が悪かった、とも言ってもいい。
かと言って悲観する話でもないはずだ。
Twitterで誰かが言っていたよ。
「下書きを自分で描いて、AIに学習させて出力、その絵をさらに修正するといい」とかって。
AIってのは、現状1から10を作ることはできても、1から100に昇華することはまだ難しい。
そこに個性を生み出すのが、今の、これからのイラストレーターの仕事じゃないか?
初手の1を生み出してNFTとかすれば(適切な動詞がよく分からなかった)、そこには「世界で最初の」という特別な称号がつく。
今のイラストレーターはここを目指すべきだろう。
考えても見ろ。
世の中の9割以上のイラストレーター(と名乗っていなくてもいわゆる絵描き)は、勉強のために他のイラストレーターなり漫画家なりの絵を模写して練習してきただろ?
自分は先人の絵を学習しておいて、コンピュータが自分の絵を学習しようとしたら「それはダメ」って、いくらなんでも通らないだろ。
もちろん、AIが生成した絵が自分の絵に酷似しているから著作権違反だ!とかいう話はまた別の話。
法整備が追いついていないので、そのあたりは今後の流れに身を任せるしかない。
まったく新しい言葉が造られて定着している例は思いつかないが、元々あった言葉が改変される等して頻繁に使われている例は結構ある。
・今となっては死語かもしれんが、「お茶する」とか「茶をしばく」は比較的新しい用例だと思う。
現代では「どっかカフェに行く?」「タピる?」「スタバ行く?」など、より具体的な言葉で説明されることのほうが多いかもしれない。
・ネット上でちょっとした買い物をすること(してしまうこと)を「ポチる」と現代日本人は呼んでいる。購入ボタンをポチっと押すことから来ている言葉だ。
・「秒で」はすぐにである。
・「語彙力を失う」「語彙力が足りない」は言葉を失う(ほどすごい)とか、筆舌尽くしがたいの現代語である。
・「~る」とすると動詞となり、「~い」とすると形容詞となるのは普遍的かもしれない。
・粋がっている由来の「イキってる」はたぶんもう少し最近の用例だ。
・「~ガチャ」は、結果が主に~部分に依存する運次第であることを意味する。親ガチャ、国ガチャなど。いくらか投入するとランダムに景品を出す仕組みの俗称、「ガチャガチャ」が由来。
・「尊い」は素晴らしい、素敵くらいの意味で使われている。日常的にはあまり使われなかった言葉が日常にふたたび浸透した例。
・「~み」。ツラみ、バブみ、わかりみなど。すぐ消える表現と思ったが、意外と生き残っている気がする。
・「〇活」。就活、婚活、朝活、終活、推し活等。○活は半ばリ○ルートがむりくり流行らせたのが人口に膾炙したんじゃねーかと思う。
ほかにも色々ある気がするがとりあえずこんなもんで。
この文章は、セクハラ行為を批判し、根絶するために記しています。2022/05/30表現を一部修正しました。
昨今の日本の実写映画業界では、監督・プロデューサー・男優たちによる性的加害行為・物理的暴力行為・ハラスメント等が露見・報道されることが続いていますが、そんな中で新たな動きがありました。映画評論家である町山智浩が、自身の行なった『とされる』セクハラ行為について、Twitter上で『反省』または『謝罪』らしきものを表明したのです。
態々『とされる』・『反省』・『謝罪』と二重カギ括弧で囲んで書いたのには、もちろん理由が有ります。町山智浩は、件のセクハラ行為について「話を盛っていた。現実で行為に及んだわけではない」と釈明しているからです。
仮に百歩ゆずって「現実に行なった行為ではない」という釈明内容が本当であったとしても、町山智浩が後輩男性の元・配偶者(現在は既に離婚成立済み)の肉体的な特徴を公然とあげつらったこと、しかも、自分(町山智浩)は彼女の身体を触った経験があるという内容を、笑いながら面白おかしく語ったことは事実です。そして、その町山智浩の語った行為そのものが、紛れもなくセクハラ行為です。
一般企業・地方自治体・教育機関などの職場においてセクハラ防止・根絶の研修を受けた経験が有る人ならば、私の言うことを容易に理解できるでしょう。あなたの会社で上司が「経理の○○君の奥さんがいい身体をしていて、○○君が触っていい』と言うから、オレは触らせてもらった」などと笑いながら話している場面を想像してみて下さい。如何に気持ち悪いか実感できるでしょう。こんな言動は、言っている内容が想像上のことであったとしても、セクハラ行為以外の何ものでもありません。後輩の配偶者に対して性的欲望を向けていることを、堂々と公言する気持ち悪さは、筆舌に尽くしがたいものがあります。
ちなみに言っておきますが、問題の町山智浩のセクハラ自慢話のインタビューが行われたのは、2011年のことです。昭和の話、20世紀の話ではありません。町山智浩のインタビューと同じ頃には既に「セクハラ行為は良くないことだ。止めるべき」という研修を受けていたという人も少なくなかったでしょう(私個人の体験で言えば、そのような研修を受けていました)。
セクハラ自慢話についての町山智浩の言い訳を読んだ時、私は「小山田圭吾が『雑誌QuickJapan上でイジメについて面白おかしく語ったのは、盛っていた。あれは事実ではない』と言い訳したのと瓜二つだな」と強く思いました。小山田圭吾と彼のファンや関係者も、東京五輪という機会によって国際社会にイジメ自慢話が知れ渡り、サブカル系業界人という威光が通用しない場で批判に曝されて初めて、謝罪を述べたのです。
町山智浩も同じです。木下ほうか、榊英雄、園子温etc.のニュースの影響で、マニアックな映画ファン・信者ではない人々も、日本の実写映画業界のスキャンダル関連情報に注目するようになり、このため町山智浩のセクハラ自慢話のインタビューも多くの一般人が知るところとなりました。そういった一般人にはサブカル系業界人としての威光も通用しないので、町山智浩は仕方なく形式的に『反省』や『謝罪』を述べたのに過ぎません。『映画秘宝』の読者やサブカルウォッチャー等にしか情報を知られていなかった状態が続いていたとしたら、これまでと同様に批判の声など無視していたであろうことは想像に難くありません。
支持者集団の内部にいる時には、自分が他人にした悪い行いを鼻高々に自慢していたのが、集団外部の一般社会にまで知れ渡ると、急に自慢を止めて「語ったことは事実ではない。誤解を招いた」と釈明して取り繕おうとする行動様式は、自民党や維新の会などの政治家たちの専売特許かと思っていましたが、町山智浩らサブカル系業界人たちも見倣っているようですね。
それにしても、町山智浩のTwitter上で述べた『反省と謝罪』を読んで、ほとほと呆れたのは「『後輩男性』たちには謝罪しました」と書いていたことです。謝罪ならば、町山智浩が「性的欲望を向けた相手」である「セクハラの被害者となった女性」が先に来るべきでしょう。この期に及んでも町山智浩は、ホモソーシャル的で男尊女卑的なサブカル系ムラ社会の序列を優先して、セクハラ行為の被害者を軽視するつもりなのでしょうか。救いようのない愚かさです。
なお、園子温のスキャンダルが表面化した途端に町山智浩は「自分(町山智浩)は、2006年以降、園子温とは会っていない」と、2006年以降も交流が有ったのにも関わらず、いけしゃあしゃあと嘘をつきました。そんな嘘つきの町山智浩が「セクハラ行為は実行していません」と言い訳したとしても、どれほどの人が信用するでしょうか。
たぶん、次に町山智浩は「自分が批判されるのは当然だが、話を持ち出されると被害者が傷つくので、これ以上、同じ話を持ち出すのは止めろ」と、加害者であるにも関わらず「自分(町山智浩)は被害者の心情に寄り添っている」とアピールする作戦をとるのではないでしょうか。
今回は以上です。2022/05/30表現を一部修正しました。
町山智浩の虚言インタビュー及びそれに基づいて誤った人物評価を記した箇所を含む、既に問題が有ると判明している記事については、はてな社に削除依頼を申請していましたが、2022/05/31削除措置を済ませたとのご連絡をはてな社からいただきました。はてな社にもご迷惑をお掛けして、誠に申し訳ありませんでした。
朝日新聞みたいな立ち位置の人間にとっては、安倍元総理ってのはこの国の(朝日新聞にとっては心地よい)価値観を木っ端みじんに破壊した「大悪党」なのよ
彼らに冬の時代を招いた不倶戴天の敵だから、たとえ総理を辞めようが議員を辞めようが死んでしまおうが絶対に許すことはできない、未来永劫呪い続けるべき邪悪、そんな存在なわけ
安倍元総理が最初に総理になったときに言ってた「戦後レジームからの脱却」を覚えてるでしょ?
2010年代半ばから米豪印をまとめて中国包囲網体制作ったりアメリカの議会で演説したりオバマ大統領を広島の原爆公園に招いたり集団的自衛権を法制化したり慰安婦問題を完全に潰したり、全部根っこは同じなんだよね
宇宙船の事故で海しかない惑星に放り出された主人公が星からの脱出を目指すゲーム。
ゲーム内ロケーションの90%くらいが海中という特異なゲームで、
人間の持つ深海や暗闇への根源的な恐怖を思う存分刺激してくれる作品。
既に何周もクリアし、この海域には何もいないことを知っているのに冷や汗が吹き出るほど。
・この惑星に点在する先史文明の遺跡を調査し、過去の歴史を解き明かす謎解きパート
と、ゲーム内に全く種類の違う楽しみ方を用意し、しかもそれを自然且つシームレスに提供することで、
ホラー系、サバイバル系オープンワールドにありがちな「慣れ」「飽き」を克服しているんだ。
どうしても尻すぼみになりがちなサバイバルクラフト系オープンワールドにおいて、
代償としてオープンワールドとしてはマップの範囲が非常に狭いゲームではあるが、
高さを持ち、それを感じさせない舞台設計も含め、芸コマな傑作である。
独裁国家をぶっ潰すべく各地の軍事施設やインフラに対して破壊工作を行うオープンワールドTPS。
BotWやデスストランディング、DyingLight等の良作が存在するし、
バットマン:アーカム・シティやスパイダーマンのように似た操作性でメジャーなゲームも存在するが、
本作は目につくものすべてを破壊し満足するというバカゲーめいたゲームの目的も相まって、
プリミティブな楽しさが頭抜けているんだよね。
グラップリングフック、パラシュート、ウイングスーツ等を駆使し、
ロケーション豊かな南国の街を好き勝手に破壊することでしうか摂取できない栄養素を存分に得ることが出来る。
GTAで好き勝手犯罪することあるじゃん。アレが好きなら、多分本作も好きになると思うよ。
尚、シリーズ最新作にあたる4は各ロケーションクリア条件が破壊率ではなく、
特定施設の破壊になったせいで自由にぶっ壊す楽しみが失われてしまっているので買ってはいけない。
言わずとしれた、ソウルシリーズの流れを汲むフロムソフトウェアの最新作。
本作で特筆すべきは、そのアクションゲームとしての質の高さ、懐の深さにある。
オープンワールドって、どうしてもバトル要素は重視されないジャンルだったじゃん?
だから、TESシリーズにMODを入れてみたり、Witcher3の難易度をゴリゴリ上げてみたり、
S.T.A.L.K.E.R.やフォールアウトみたいにFPSやってみたり、
バットマン、中つ国、スパイダーマンのように超強力なルールを敷いて戦いを成立させたり、
BotW、デススト、DyingLightのようにバトル以外を主軸にしたり、
ARK, Subnautica, The Forest のようにクラフティングやテイミング要素を盛り込んだり、
サイバーパンク2077のようにロケーションの量と質で圧倒させたり、
Borderlandsのようにトレハンにしてみたり、色々と試行錯誤やってきたわけじゃん。
※ドラゴンズドグマのバトル要素は高評価ですが未プレイですごめんなさい。
ソウルライクとジャンル名になり、50年で最高のゲームに選出されるほどの支持を背景に、
ソウルシリーズそのままのバトル要素をオープンワールドに盛り込んでみせたのだ。
これだよこれ。
Oblivionでオープンワールドを知って以来、冷めた気分で剣を左右に振りながらずっとこれを待っていたんだ!
今日におけるオープンワールドで、ここまで質の高い戦いが出来るゲームを他に知らない。
仁王、CODE VEIN、Remnant等、面白いソウルライクはまだまだ沢山あるので、
今後「エルデンリング以後」で語られるようなゲームが出てくるのを期待する次第である。
Outer Wilds も確かにオープンワールドだし最の高なんだけど、別枠でランキングしたい。
Outer Wilds、LA-MULANA、The Witness、十三機兵防衛圏のアクション要素有りの謎解きゲー四天王でどうか。
何故か忘れていたけど、バトルの面白いオープンワールドゲーあったわ。クロスは未プレイ。
本作も安定した評価を得ており、3も予定されているので、楽しみしかない。
楯なし、白召喚・遺灰なし、物理のみ、魔法なし、ギミック対策以外の遠距離攻撃なし、釣りなし、
霜踏み・赤獅子・月影等の壊れ戦技なし、NPCイベント以外の攻略情報なし、茹でエビ・茹でカニなしでやってる。
重量武器の動きが楽しくなかったこと、刀を使いたかったことから、出血は使った。
OWもソウルライクもぶっ壊れ要素が氾濫しがちなゲームなんだし、楽しめるように縛ればええねん。
大好き。バトルの楽しいアクション系OWとしてエルデンリング、HZD、津島の順にくるくらいには大好き。
でも、なんというか優等生なゲームで、ランキングだと上位に位置するが、
幾つか見繕って選出するタイプの評だと他のものに隠れちゃうような感じかな。
主人公が強すぎて、最大難易度且つ道具や一騎打ちを縛っても物足りなかったのが、
難易度を上げてもAIの質が変わるだけでステータスが変動しない調整は好感が持てるだけに残念。
大好き。
ヤクモさんと一緒に重量武器持ってタコ殴りにするとかだと確かにいまいちなヌルゲーだけど、
一人旅+軽量武器+遠距離攻撃なしだと回避が超性能なこともあって楽しいゲームになるよ。お試しあれ。
あと、キャラクリがいい。俺の顔がいいのがいい。致命撃つたびに有頂天になる。
ただ、ユニークドロップ時の入手時レベルで固定され(多少色は付けられるが)常用できないことと、
バージョンアップで超楽しかったケレズニコフダッシュが削除されたのがマイナスポイント。
知らなかったけど面白そうだ。
しかもちょうどSteamでセール中やん! 買うわ。 → デラックス版買ったわ。
正直なことを言うと、あまり好きではない。
ゲーム内で生活することも嫌いではないが、流石にレスポンスが重すぎて疲れてしまう。
同時期に出たアサシンクリード オデッセイが気楽で軽快なエンタメとして楽しかったのも一因か。
大絶賛する人の気持もよく分かるけどね。
後、初代のシナリオが余りに良すぎた。今も思い出しながら少し涙ぐんでる。
うちの自治会の回収は月一で、年末年始の掃除を考えると2月になりそうだなー
ていうか好きなときに捨てたいしってことで市のHPで調べました。(リサイクルショップも遠いのだ)
フレンドリーそうな、知己の地域拠点では古着の回収はしておらず、というか古着は各環境事務所でしか回収していませんでした。
しかし回収している拠点一覧には載っているものの、事務所自体の情報が問い合わせの電話番号とメールアドレスしかなく、回収方法も分からなかったので道の確認がてらお伺いに行ったわけです。
どことなく中小企業というか商工会というか、いやどちらも詳しくないですが昭和な匂いがする建物です。あきらかに一般人を対象としていない。
おそるおそるドアをくぐると、案内もなにもなく早速途方に暮れる。
右手側に胸までの壁とガラスで区切られ見渡せる事務室らしき部屋があるものの、はたして何をすればいいのやら。
恐る恐るすいませーんと声をかけ、奥からおっさん二人が出てきました。
閑話ですが私はこの「受付に誰もおらず通りがかりの声をかけられた人が応対する」仕組みがかなり苦手です。職員室とか会社の別部署とか。
明らかにメインの職務ではない余計なタスクを持ち込む厄介者になる感覚。いっせいに耳目が集まる羞恥心。結局応対してくれた人の分野ではなく他人に繋ぐあの空虚感。会社での電話の取次ぎも苦手で、明らかに自分宛でない電話を取り、互いに無意味な敬意込みの挨拶を送りあい結局取り次ぎ先でもう一度同じ挨拶をするであろう徒労感。かけるもとるのも苦痛です。
休題。
おっさん方をみた瞬間私は後悔しました。その雰囲気は明らかに「内輪の場に知らない人間が入ってきた」あの感覚です。ふらりと個人経営の居酒屋に入ってみたら常連らしき人たちから怪訝な目を差し向けられるアレです。「オマエダレ?ナニシニキタノ?」いや経験はないですけど。分かるでしょ?若い頃でも似た感じのこと起きるでしょ?
あれです。
ひとりのおっさんが面倒そうに「あーどうしました」と聞いてきてくれました。
ありがたがるべきなんでしょう。私は了見が狭いのでただただ後悔と萎縮の塊でした。あと身勝手な恨みが少し。
私もですね、年末の最終営業日になんか来るのも悪かったのですがね。通常の人員体制でないかもしれないですし最終日なんて来客少なく片付けとかに費やすところもあるでしょうとも。
でですね、ま、その、コミュ障の私がしどろもどろになりながらなんとか古着を回収できますか?HPを見てきたとお伝えしたわけです。
先方は個人?業務?(なんか違う言い回しだった)量は?と折々お尋ねになられました。なるほど見知らぬ個人が古着の回収についてたずねてもスッと一本道のフローに入らないものなのだなと感慨にふける…間もなくわちゃわちゃします。コミュ障ですからね。
なんとか捨て方を聞きにきただけということ。個人なので大量には出ないことを伝えようとしました。伝えられていない気もします。言いたいことも言えない、出力がなんだったかもおぼつかない人間でして。
ひとまず伝わったと思われるおっさんの返答は
「少量ずつ燃えるゴミに混ぜて」
でした。
あの時の絶望たるや…。筆舌に尽くし難いのは単純に力量不足です。
確かに私の地域はおそらく分別に厳しくありません。母親も時折燃えるゴミにマズそうなものを入れているのも承知しています。私も倣い燃えるゴミに混ぜる方法も頭によぎっていました。おそらく誰からもバレず責められない方法でしょう。
いやしかし、市のHPや分別方法の紙では地域回収と拠点回収が指示されており、それに従い拠点に持ち込んだ(持ち込んでない)人間に対して環境事務所の人間がルールを守らず分別せず捨てろと指示するとは。
もしかして環境事務所の職員ではなかったのか?建物内になんの案内もなく見かけた第一村人を職員だと思い込んでいただけで事情通のただの追い返したいだけのおっさんだったのか…?
私は当然コミュ障なのでそれ以上深い話はできず、いたたまれない空気から逃げるために「あー燃えるゴミに混ぜていいんですねーありがとうございましたー」と(気持ちの演出上)朗らかに謝辞を告げ事務所を後にしました。
当然、同時に回収しているであろう古紙については聞けるわけもなく。
ルールとはなんぞや。何のために守るのか。私が分別しなくてもそれで私が死ぬまでには困ることにはならないだろう。いや守るべきだろう。環境事務所ぞ?彼、環境事務所ぞ?腐るのは良くない。信号守ってる横で信号無視されるのいつもイラだってただろーもう好き勝手生きようぞ。ルールを破る人間全てを滅ぼす。てか全てのルール遵守なんて自分含めて一人もいないよね。そして私も消えよう。
そんな優等生的な丸尾くんと人類滅殺系ラスボスなメンタルをいったりきたりしていました。
ユニクロに古着回収ボックスあるらしいんだよなー。でもユニクロ製品限定らしい。燃えるゴミにするぐらいならこっちのルール破るほうがマシだよね!だとか。ライター捨てるつもりでガス抜き面倒に思ってたけどそのまま捨てよう。とか考えています。たぶんどっちもするんじゃないかな。ペットボトルのフタやキャップも分別しない。
誰かが、誰もがやってるゴミのルール破り。今まで私は(できる範囲で・気力があるなら)しないでおこうと思っていたけれど、なんのインセンティブもないと分かった。守ろうとするから守らないことにいらだつ。この「私がするからしないこと・人を嫌うストレス」があることは前々から分かっていた。分別もそうだったかと今回気づいただけ。気づいたならしない側に回るが精神衛生上、吉。囁くのよ、私の経験則が。
なんだ、そうだったのか。
帰路、もうひとつの目的地の地域センターへ赴いた。こちらは古着の回収をしていないが、環境事務所より近く蛍光灯や古紙も回収してくれるのだ。HPの上では。
場所の確認のため入ってみると、入り口すぐそばに全種類の回収ボックスが置いてあった。
ボックス最高!誰ともおしゃべりせずに入れて終わり!これだよこれ!
ちょっと中を覗いてみて、分別して捨ててくださいと書かれている蛍光灯の箱ごと捨ててあるのを確認して、もはや感が動じなくなった私をも確認して帰った。年明けに出しにこよう。
なお改めて市のHPを見ると大量持込は断る可能性がある旨、家庭で不要になったもののみが対象である旨が記されていた。きっとゴミ袋数袋とかだとOKで服1枚2枚とかはスルーなんでしょうね。もごもごしているコミュ障な自分にはまだまだ自己嫌悪している。