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はてなキーワード: バックラッシュとは

2020-07-14

ポリコレ議論周辺の人たちは性的少数者を都合のいい道具に使いすぎじゃないですかね

BL問題増田ブコメ見ててちょっと感じた事のメモ

なんかポリコレ議論する時、本当に性的少数者ポリコレ派も反ポリコレ派もダシにするよね。

ポリコレ派は自分らの正当性の主張と成果のアピールに。反ポリコレ派は議論矛盾を突くための道具にして。

ここ数年、ようやく性的少数派も生きやすくなってきたのにポリコレが前に出るようになってから、かえって不安が大きくなってきてる。これ絶対バックラッシュあるし。

こっちにとっては理念じゃなくて生き死にの問題なんだから、「当事者の生の実感がないよそ者が頼む前から代弁者面で騒ぐな」って思う。それこそ他者立場の盗用と違うのかと。

こういうと「ポリコレのおかげで生きやすくなったんだろう」と言ってくるやつ出るから言っとくが、どっちかいうとポリコレは後から相乗り

ポリコレ派も安易性的少数者仮定議論の道具にするのをやめてほしい。それが切っ掛けで言った覚えもないことがいつのまにか言ったことにされてるの何度も見てる。

2020-07-05

タグ #TRA学者の言いなりになんてならない を見つけた

差別に反対する活動家たちが怒りを煽って生理的な恐怖や生理的嫌悪正当化した結果

自分たちの怒りや恐怖や嫌悪正当性を持つ人たちによる強烈なバックラッシュが起きるのだろう


反差別をうたいながら嫌悪気持ち悪いをお墨付き免罪符を与えてきた者どもは恥を知れ

2020-05-31

anond:20200530232734

それから見ると、ワイは昭和生まれおっさんやけど、バックラッシュ派だなぁ。

小学生の時から日教組系の先生日本太平洋戦争時に悪いことを世界しました的な教育を受けた。いか日本兵隊が残虐だったかというような、はだしのゲンみたいな話を普通に聞いた。

中学生の時は日本軍隊世界でも類を見ないほど統率が取れていたという話をされた。日韓併合は当時の列強好意的にとらえていたという話を聞いた。

高校の時も日教組系の先生世界史の近代史だけやって、いか日本が悪いことをしたかという話を聞いた。修学旅行先は中国だった。

大学生のころにゴーマニズム宣言流行っていたので、流行に乗って読んだ。靖国神社にも参拝した。

父親たちの星条旗戦艦大和硫黄島からの手紙明日への遺言も見た。

映像の世紀ガンジー日本について評していたのがなかなか的を射てるなと思って今に至る。

多分、十把一絡げに議論するのが間違ってるんだろうな。どっちも本当。でも、立場とか視点かによってその意味が違ってくるし、軍人にもいろんな人がいる。

2020-05-26

anond:20200526112234

アンチフェミ、とか区切るとそういう話になるだろうが、ラディカルフミニズムへのバックラッシュコミットしている人たち、という話にすればそんな貧困層だけの話じゃあなくなるだろう。

 

2020-05-01

anond:20200501171548

面白いと思った。

個人的なことは政治的なこと(The personal is political)っていうスローガン60年代の初期フェミニズム文脈において、個人的なことが政治的にあつかわれて"なかった"時に有効だった。

社会科学(とそれと相互依拠しているリベラル思想)は、そういう情勢に反発して、それまでパーソナルだと思われてきた事実がどれほどポリティカルかを語り、論証してきた。あたりまえだけど、社会っていうのはパーソナルな人たちによって構成されているので、パーソナルな事実ポリティカル構造関係していると示すのは、難しくなかったはず。今では古典の一部になった社会科学理論によって、パーソナルなことはまさにポリティカルであることが今では自明とされている。

 

いや、そこで、お前の疑問というか、痛みね。

個人的なことが政治的なことになったら、個人はそりゃ幸福から遠ざかるわな。

そういう視点は、確かにリベラル思想には欠けていると思う。今でもそうだ。

 

リベラリズムは、個人幸せを得ようとしていたのに、かえってフーコーの言うところの生権力による支配を、むしろ強力に推し進めてきたのだと言える。

そういう状態に対するバックラッシュっていうのは、これまで無かった訳じゃあないけれども(携帯をわざと持たないことが一部でもてはやされるなど)、今後もっと広く強力になっていくのかもしれないな。だって辛さのほうが強力になっているもの増田ですら、頻繁に、リベラリズムがむしろ人の自由を縛ってくる、それがうざい、ということが言われている。世界全体で見たときにも、リベラリズムの今の衰退についても、原因の一端ぐらいにはなっているのかも。

2020-03-18

anond:20200318132625

大勢ってあるじゃん

多様性とは一体、って感じのブコメトップになっていることには安心するけど、

ディスが主流なのに対するバックラッシュが一箇所に集まった感じだし。

2020-02-07

表現の自由戦士さまに「嫌なら見るな」と言われたので、一年アニメ漫画映画ゲームに触れないよう頑張ってみた件

結論 けっこう普通に生きれた

 

理由

年々過激化、リベラルに対するバックラッシュ化するオタクコンテンツ

ウンザリする外周の議論悪辣さを競う新自由主義オタク界隈に嫌気がさしたので

また、世の中には創作物が飽和していて、いい加減「ストーリーから離れたくなった

ちょっと創作物ヴィーガンにでもなってみようと思ったのがきっか

ちなみに学生時代けいおんイカ娘が大好きだった元オタク

 

推移

 

アニメ漫画 

まずアニメ漫画をやめた これは結構簡単だった 

そもそもラブライブかいコンテンツにお熱だった俺は

ミューズ事実上死んでからというものアニメ漫画いまいちハマれなかった

社会人になるとアニメ漫画が楽しめなくなると言うのもあるのかも

この機にスパっとやめてみようと愛用のヴィエラを質に入れた

テレビのものを手放した時、「あ、これニュースも見れねえな」と気づいた

まあバラエティやらは既に一切見てないという御仁もおられるだろう

ニュースネット代用ドキュメンタリーもSVODで見れた

 

開始三ヶ月くらいは「流行に遅れてる」という焦燥感もあるだろうが

これは心配しなくていい 一般人は思ったよりもアニメ漫画を見ていないので

 

次に映画 

これも割と楽

邦画邦ドラはいうまでもなくゴミの山なので、そもそも見てない人は沢山いるだろう 

洋ドラは同じことの繰り返しなの簡単に離れられた

モノコンテンツは一般的に、アニメ漫画より高めの12歳当たりの知能をターゲット創作しているらしい

実のとこ、アニメ漫画と大して変わらない程度の低さ、時代考証杜撰さがあったりする

(特にネトフリのドラマは酷い ほとんどが間だったり、引き伸ばしの為の人間ドラマばかり)

 

洋画はなかなか離れられなかったので、まずハリウッド脚本術の本を取り

そこでコンテンツの骨子を研究した

どんなに斬新な映画にも、シンデレラ曲線やいくつかの型の複合技であることに気づき

作品陳腐化させることに成功し 今は数か月に一本が関の山となってる

(昨年に至ってはアベンジャーズしか見なかった)

また、新作映画も2000円と高価なのでわざわざ映画館に行くことは無くなった

 

ゲーム

正直な話、ゲームはやめられなかった

(といってもストーリーものJRPGなどはプレイしてないが)

APEXやスマブラなど、対戦系のゲームはたいしてアレでもないのでノーカン扱いにした

そもそもゲームコンテンツの規模的に発売される頻度も少なく 

アニメ漫画みたいに一か月に何本も消費出来る創作物ではないのでちょっと判断甘い

 

 

結果としては対戦ゲーム以外はやめられた

ゲームは娯楽の王」という考え方にも頷ける

受動的な映像作品スキップできないのが辛い

ゲームは「ゲーム性」と「物語性」の二つの評価軸を持てるので

物語がややオフェンシブでもスキップすれば我慢できる(BOTWは特にそうだった)が

受動コンテンツゲームではなく、物語性を楽しむしかないので

故に好き嫌いが分かれる感覚がある

 

創作物離れすることによる弊害として

教養が無くなるという主張もあるが

自分場合、そこは土日に図書館に通って、

暇つぶし適当な専門書や小説(当然だがラノベは除外)を読んだり

しろアニメ漫画を嗜んでた頃よりも教養がついた感じがある

また、海外YouTube動画などは結構専門的な動画があったりするので

それを酒のつまみに見るのが丁度良かったりする

 

ゲームだけは離れられたことを鑑みて、プログラミング勉強をすることにしたり

暇をつぶすためにインドアな娯楽以外を調査したりと

案外、映像コンテンツ漬けだった頃よりも有意義時間を過ごせることに気が付いた

 

デメリットとしては映像作品価値を見出すことが難しくなった

例えばオタクがやたら「このアニメ凄いよ!」とゴリ押ししてるモノをちょっとだけ見ると

おそらくそれには数か月前のアニメ漫画コンテクストが関わってるパターンが多いので

こっちとしては何が面白いのか分からないという事態になる

ジョジョネタを嬉々として使う作品を見る時のうすら寒さ、というべきか

子供の頃、両親が自分の好きな娯楽を楽しんでくれない時があっただろう

それと同じような状態

よく言えば客観的、悪く言えば無理解思考になる

創作物自分アイデンティティとまで言い切るオタク

そうでない一般人とで軋轢が生まれるのも無理は無い

 

パーセントとは言わずとも、段階的に創作物の消費を抑えていくことは

悪化する大衆メンタリティや、加熱する競争にたいする抵抗になり得るのではないだろうか

2020-01-24

anond:20200124103154

ああ、それはそうだな。バックラッシュではない。

雑に単語を使ったのは俺もだったようだ。

anond:20200124102505

かに

でもその国際的方針って、今ポリコレに対するバックラッシュが起きているのと同じ理由破綻していくと思うし、基本的賛否両論あるはず。俺は、ポリコレ、って用語だとそういう問題に気付いている人たちが、ヘイトっていう単語だと途端に雑になると思うんだよなあ。

2019-12-28

これからポリコレバックラッシュによる「ポリコレ認定」に悩まされる時代になる

2015年代のマッドマックスから始まる映画においてのWOKEカルチャー

2019年の新作SWの壮大なる死、反ポリコレ作品JOKER大成功などから明らかになりつつある昨今

今後は映画において

個人主義的な結末」が著しく拒絶される時代になる

 

というのは例えばトイストーリー4やヒックとドラゴンのように

「前向きな別れ」という結末が書けなくなるだろう

物語人生の結末としては至極当然な「別れ」はPCとは本来無関係の要素である

しかし、昨今のPC潮流に従った作品では

物語の結末に安易な「別れ」が量産されている現実がある(アナと雪の女王 シュガーラッシュ等々)

 

生得的に違うアイデンティティ同士、どうしても折り合いがつけられない」

そういう多様性の中の(ある意味では悲劇に近い)構造が、

創造性の欠片もない白人中産階級出のハリウッド脚本家の作劇術の限界として

安易な「別れ」に逃げてしまうのである

脚本家はWOKEカルチャー対応するような「納得のいく結末」を結局のとこ、五年経っても生み出せなかった

 

今までのポリコレ作品の穴を埋めるかの如く

SWやディズニーの後続量産型娯楽作品は、懐古厨ファンダム

権威主義的なオタクたちにべったり擦り寄り、続編に次ぐ続編が続くと自分は見ている

 

そして「マイノリティが主役」という構造も今後は著しく減るだろう

こちらも本来PCとは無縁だ

アフリカ舞台なら、黒人が主役になるし

女性が主役になるのも本来意味を持たなかった

しかし、PCバックラッシュ下ではその意味の無さに抗議がつく

 

日本とて例外ではなく、

(例え作者の趣味でも)少しでも褐色キャラを出せば「ポリコレ

韓国人白人以外の外国人を出せないくらいに

その手のレッテル貼りが横行する世相になるだろう

2019-12-23

anond:20191223210819

弱者度」が何に基づいて算定されるものかは一概になんとも言えなくて、現時点ではうまく扱いかねるが。

シスヘテ女性は、生殖を通じてこの社会の中では必要な部分として社会構造上必ずみなされる。

そこがマイノリティでありつつも、マジョリティとしての権力性に近しいところ。

母性主義的な主張は子を抱え込む母としての立場を、国や社会が認めざるを得ないところを接点として出てきている。

日本フェミニズム」は主流は今も昔も圧倒的に「日本人の」「母性表象をもって主張されてきた。

からこそ、90年代性的少数者からの、在日女性からの異議申し立てがなされた。

2000年代バックラッシュ騒動の時にもそこは必ずしも改善されず。

2010年代にはトランスへイトを煽動する勢力をそのうちから排泄した。

歴史的健忘症に陥りやすいツイフェミが、「私は一時期ネトウヨだった」とか平然とブログに書いてるのを見れば、何も学んでないんだな、と思う。

2019-12-10

皮肉がわからない人がいると思うのでオチも書いておくと。

フェミニストは檻に入れよ」が成り立たないように「男は獣に入れよ」は成り立たない。

実際当時「男は獣に入れよ」は一時期猛威を振るったが、今では覚えている人間はいない。

ちょっと前まではこういう乱暴理屈を平気で叫びまくるフェミニストヒャッハーしてたことを考えると

フェミニスト様のいうことに抵抗したらなんでも悪者扱いされることもなく理不尽な言い分であればきちんとカウンターバックラッシュが起きている現状はとても健全だ。

安倍政権が存続するのは皆が「それくらい(自分もやってるから)いいだろ」って考えてるだけの話

すっごく素朴な共感しかないんだよ、桜を見る会のやつなんて。

もちろん世の中には多くの人が「あれは駄目だ」と思ってる人がいるよ? 問題は「似たようなことな自分もやってる」って人がもっと多いことなんだよ。

それはすっごく小さなことでいいの。交通費ちょっと水増しするとか、出張ついでに経費ちょろまかすとか、歓送迎会自分の行きたい店選ぶとか、そういう話よ。「厳密には駄目だけど、まあそれくらいいっか」っていう感覚はかなり広い範囲理解されるよ。むしろ後押しにすらなってるのでは? 世の中の大多数は馬鹿から安倍さんも『やっちゃう』んですね、へへっ」くらいに思ってる可能性すらあるよ。

anond:20191209220308

結局のところ、これも「政治的正しさ」が2010年代に入ってから声高に叫ばれるようになったことのバックラッシュだと思うけどね。正しいことって息苦しいか不道徳に生きたいんだよみんな。はーホントクソ。

2019-11-27

今まさに日本版バックラッシュを見ている

最近増田やツイ見てて、女性による「最近フェミ微妙発言がちょいちょいある。

 

俺はそれ見て、うわあ〜! 昔、大学の授業で習ったやつだ! ラディフェミに対するバックラッシュだ! フェミ女性攻撃してるとこまで同じだ!! ……となっている。

正直テンションあがるわ。

他にもそういうやついるんじゃない?

 

思いつく違いとしては、主な場がSNSになっえるせいで、反応が広まる速度が過去と段違い。

そのことは、たぶん今後の展開に影響するだろうな。過去バックラッシュの時は、学者活動家世代交代も進んだために反省モードへの移行がスムーズだった面はあるんじゃあないか? 今回の日本ではもしかしたらそれが難しいかもしれない。

 

しかし、それにしても、たぶんこれ歴史の一部だよね〜。はー面白い

2019-11-24

anond:20191124180425

まあ現実には献血増えたんだけどな。

 

昨今の女性からバックラッシュ表明や、青識イベントの状況をみて、ツイフェミとその賛同者って思った以上に少数なんじゃないかと思い出している。

ボイコットしたとして、もともと献血に行っていたやつがどれほどいるのやら。母数がそもそも無いんじゃあないか? ネットで声が大きいだけで。

2019-11-22

anond:20191122115603

自分で考えた結果、バックラッシュに憂う人をこうやって言い負かそうとしているわけだけだ、お前は。

 

勿論横だけどね。この元増田には共感してやれよ。なんで叱りつけるの。

2019-11-18

anond:20191118182751

批判されやすい、そう、そこはそうなんだよ。

 

からさ、「表現の自由侵害するのは批判されやすい」という状態を作っていく必要があるだろう。

ここに来て、グローバル化のせいで海外基準に近づいていくから反論とか無駄無駄、なんて話じゃあなくなるわけだ。

 

これから表現の自由規制が高くつくってのは、未来想像したとき絵空事でもなんでもなくて。

欧米でもリベラル思想へのポリコレバックラッシュがいままさに起きてるじゃん。ガーディアンブギラクシーの監督はやっぱりジェームズ・ガンになったわけだよ。クィアアイが褒められまくる一方で、ああい番組ばかりになるのはそれはそれでヤダなの声が、英語圏にない訳がない。

言いながら気づいたけど、100年後にアメリカ基準日本が合わせるか? というのがもう怪しいぜ。あっちだって変わるんだ。

 

そういう意味じゃ、フェミとオタのクソリプ合戦だって、俺は意味がないとは思わないな。今回の件で、献血ポスターは実際アニメが使われにくくなるだろうが、でも一方で本屋が極端なフェミの言うことを聞くことはなくなったろう。コストを避けたいからな。

アマゾンも似たようなことにはなっていくだろう。

2019-10-29

anond:20191029084503

その結果としてトランプ当選したりしたしバックラッシュも起こるけど、一回人々の心に芽生えたポリコレはそんなに簡単には死なないかもね。

2019-10-25

anond:20191025133037

ちょっと前までの「日本すごい!」「日本最高!」のバックラッシュじゃね。その頃から「それ言いすぎだし!ちげーだろ!」って言ってた人とかがずっとそこから煮詰まって来てて今ちょっと焦げちゃってる状態

2019-10-17

anond:20191016151558

評価軸を「献血」側だけに置くことは、議論客観性放棄することになりませんか。政治的には(要するに相手を〈ぶん殴り〉たいだけならば)そのやり方は正解かもしれませんが、議論をする上では間違いだと思います

批判者に同調する訳では無いけれど、彼らはそもそも性的メッセージ社会にあふれ許容させる世論作り」の一貫である、としてアレを批判しているわけで、しかもそれを個人の店でおっさんがやってるのではなく(それでも一定公益性があれば彼らは批判するでしょうが)ある程度公共性のある団体が加担していることに厳しい目を向けているわけでしょう。その評価軸、つまり(彼らの思う)「自由公共」性がより担保されるか/毀損されるか、という点を無視した議論は、議論としての有効性を欠くと思います


自身で「宗教」と断言(自虐?)しておられるのですから、いいんだよそこは政治性なんだよオレは議論なんてしてねーんだよ、ということなのかもしれませんが、それなりに分析的な文章で、対話を目指して書いておられると感じたので一応。

なお、個人的には、「批判者の言うことも分かるが、方法論としてこのような『片端から噛みつく』というやり方は、主張としても不親切だし啓蒙手法としても成功しておらず、むしろ社会の分断と対立を深めるという観点で『私の思う公共性』を毀損している」と思っています。彼らは、分断と対立を深めるなかから新しい社会誕生するという運動論に基づいて、むしろ確信犯的にそれを行っているつもりかもしれませんが、それって単なる腕力勝負だと思うんですよね。つまり「殴り合って勝った方の言うこと聞けや」ってことです。そりゃ短期的にはそれで一定の陣を得られるかもしれませんが、それで長期的に問題が片付くのかというと疑問ですし(バックラッシュなど)、あらゆる考えや立場の人が自ら発信できる社会ではそういう、ダイナミックに物事が変わることはもはや期待できないと思っています批判者のやっているこのようなやり方もまた、仲間内に向けたある種の〈政治〉的行為だと言っては言い過ぎでしょうか。

私はそれよりも、次代のスタンダードを作るのに必要なのは上野さんやその世代の人々がやってきたセンセーションではなく、あるいは誤解をおそれずに言えば"MeToo"のような魔女狩りでもなく、もっと落ち着いた対話理解を行う姿勢であり、抑制の効いたオープン議論だと思います。その意味で、批判者の現在のやり方は不適切だと思いますし、可能であれば、〈殴りかかられた〉側にも、あえて冷静な対応議論姿勢を求めたいと思います

最後一言。「『ネタマジレス』は増田の華」。

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