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はてなキーワード: 無宗教とは

2018-07-06

anond:20180706204254

無宗教日本って個人崇拝だろ

宗教標榜してる国が無色かといえば全く違う

まだ聖書共通ルールのほうがましだと思ふ

女性結婚したいなら厳格な宗教の人を選ぼう

なぜなら、多くの女性は下方婚をしないから。

出産するから下方婚を選ぶことができない』という嘘は、中間層以上が下方婚しない事実からも明らか。

リベラルをはじめとした無宗教女性は、金銭的に、明らかに、”豊か”になれるメリットがなければ結婚出産をしない、ということ。

その点、信仰心の厚い人は、金銭的なものさしではなく、信仰心という人生の指針があるので安心だ。

文明崩壊レベル少子化の前に、手の平を返す時期が来るだろうが、どうしても今、結婚したいという人は厳格な宗教の人を選ぼう。

信仰のない典型的な男の下方婚・女の上方婚で結婚した人よりうまくいく確率は高いはずだ。

2018-06-26

anond:20180626222114

無宗教御用学者の主張する理論や、無名官僚が描いた道徳本を読んで会社経営者の指示に全面服従して喜びを感じる人生

2018-06-23

anond:20180623003809

日本人無宗教者って少ないよね

意識的信仰しているわけではないからこういった議論が非常に難しい

2018-06-11

anond:20180611160957

墓を買ってる時点でなんらかの宗教だとは思うんだけど

無宗教ってのはいわゆる日本人うそぶく無宗教ってやつで、

墓がないというのは本家じゃなくそれまで誰も死なないから無かっただけ?

anond:20180611160415

お墓はないし、無宗教らしいんだけどね。

特に調べもしないで、100万以上する墓を買ったらしい。

anond:20180610233703

根本的に解釈が間違ってるね

典型的無宗教という名の不勉強

ぼくのかんがえたしゅうきょうのほんしつ

2018-06-10

anond:20180610134438

自分は位牌を握って坊主パフォーマンスに数十万円払うくせに

なんで無宗教とかうそをつくのかね

2018-06-06

anond:20180606045443

ちょっとまって?

日本って法律以外に殺人を禁ずる倫理規定って存在したっけ?

無宗教者の自分はこれまでそうした信仰を持ってないんだけど

2018-04-29

anond:20180429141921

祈るという行為宗教色が強いので、無宗教規範とする企業ではお祈りすることは出来ないんですよ。

2018-04-24

anond:20180424125358

自営業から休んだり休まなかったりしてるよ。これ別に宗教上の安息日関係ないよね。

日曜日から」 というのが影響してるなら、宗教由来のものを受け入れているかダメだよ。

無宗教」なんでしょう。一切の宗教由来の文化的慣習を排除してくださいよ。

「やってもやらなくてもどっちでも人の勝手じゃん?」

その点について、世の中に存在する多数派かつ良識派の人と見解の相違があるんだから無限に殴られることを甘受するか、殴り返すかすればいいよ。

anond:20180424110623

無宗教の人ってノンポリというか一切こだわらずに何でも適当に合わせるのかと誤解してた

anond:20180424110222

無宗教もまた宗教なんだなあと

しかもめんどくさいやつ

2018-04-22

から性的いたずら歴と結婚式

はてな匿名ダイアリーに慣れてないけど、とりあえず吐き出して楽になりたい、似た経験のある人に生暖かい声をかけてもらいたいと思い書いています身バレが怖すぎるので一部フェイク。長文かつ胸糞の悪い話です。パニックになりながら書いているので分からないところがあったらごめん。ここに不適格な投稿ならすぐ消します。

男性不信(というかトラウマ)が長かったが、なんとか優しい人と出会い来年結婚が決まった。何も知らない夫の家族から「式はあげるべし。見たい。」と通達を受け、現在私の実家と調整しているが毎日のようにPTSDパニックになる。本当はもう2度とあの家族と話したくない。縁を切りたい、これが手切れ金だ、最後だと思って結婚式の準備をしている。でもつらい。

中学以降、就職して家を出るまで父から性的ないたずらを受けていた。とはいえ、分からないが本当に体を触られるいたずらを受けたのは、家を出る直前覚えている範囲で3回ほど。寝ている時に体を触られて悪夢です飛び起きると誰かがあわてて逃げていくことがあった。それまでは10年以上無職父親がなぜかわたしが着替える時になると急に部屋に入ってくる、着替えようとするとなぜかずっと息を殺して隣の部屋にいる、などが10年ほど続いていた。出かける時間を変えたり、部屋を変えても施錠できないのでつらかった。施錠できないというのは、鍵は理由をつけて壊されたり元から無かったりしたから。隣の部屋に来て、長時間息を殺していたり、偶然を装って部屋に突入してきたりした。(家は田舎からそれなりに広かった。わざわざ父がその部屋にいる理由は無かった。)これは母に何度も相談したが、お前の考え過ぎだ、お前は父方の血のせいで被害者意識が強すぎる、と取り合ってもらえず毎日自分を責めながら着替える時はバリケードを築いて、母に馬鹿にされながら日々を過ごしていた。

就職してお金が貯まって、逃げて、カウンセリング受けて、時間が経って、ようやく自分がいた異常な世界俯瞰して見えるようになった。私の妄想でないことは(たとえ妄想でも本人にはそうじゃないと言うかもしれないけれど)カウンセラ弁護士(訴えるつもりはないけど、話だけ聞いた)は言ってくれた。

先週、母と結婚式の日程を話していてもめた時に、つい父から寝てる時に体を触られていたずらされていた事を、遠回しに口走ってしまった。それまではさすがに母に言うのはかわいそうだと思い、ずっと言わず我慢して来たが、とっさに口に出てしまった。母がパニックになったため、なんとか誘導して自分がされたのは覗きだけで、体を触られたというのは言い過ぎたと訂正したところ、母はすっかり信じ込みまた私をバカにし始めた。もう嫌だ。式なんてしたくない。何にも集中できず無為に日々が過ぎていく。これで母がつらい思いをせずに良かったと思いたいが辛すぎる。何にも救われない。本当だったら土下座して泣きながら許しを請うてほしい。今後私にずっと、私が苦しんだ年月分謝って欲しい。しかし年老いた母にそんなことはかわいそうでさせたくない。無宗教だけどげんじつとうひのために、いま我慢したら来世、もう少しいい人生になるかな、今生はあきらめなきゃだめなのかな、前世でどんな悪さをしたんだろうと思っている。

2018-03-16

anond:20180316122845

これ日本人がほぼ無宗教からなんじゃないかと思う

まりシステムにしたがってるだけで倫理観とかモラルのようなもの日本人にはない。

2018-02-24

anond:20180224114816

論理が無いんだったら神学校いらないじゃん

つーか国内で論戦を吹っかけるのっていつも自称無宗教者(本当は大乗仏教徒)がマウンティングでいきり立ってるパターンだろ

日本国内ではまじめな宗教者はマイノリティから論戦を仕掛ける側にいない

2018-02-12

日本人無宗教だって言われるけど日本にも宗教はある。それは『食』だ。

これ聞いた時かなり納得した。

かに日本人の美味い物への執着は宗教的だわ。

2018-02-04

fateアレルギー

fateなんて見た目が艶やかなだけで中身は空っぽ

かっこよくもなんともない。

日本人無宗教多数派のくせに、うわべだけ華やかな権力階級的なものに対する崇拝がすごいよね。

王とか、貴族とか、特権階級出身キャラばっかゲームアニメ漫画同人で目にしているとtwilightがマシに見えてくる。

もう少し、最初から特別存在じゃない低中間層上り詰めていく過程スポットライトを当ててもらえないか

流行っている間はまわりが飽きてくるのを待つしかないが、まるで深い話が背景にあるかのようなファンアートpixivで見かけるたびに、

日本人オタクってチョロいなって思う。

2018-01-31

いただきます」教の功罪

職場でお昼ご飯を食べようと思って、コンビニ弁当を前に、

無意識に「いただきます」ってつぶやきながら合掌していたのだけれど、

だんだんこのルーティーンが不思議ものに思えてきた。

「合掌」は宗教的動作として、(特に外国人から見たら)なかなか強烈なヴィジュアルだと思う。

もっとも私は無宗教で、別に特定の神に対して祈りを捧げていたわけではない。

弁当調理した工場の人や、食材生産に携わった農家や、食べられるために死んだ生き物に祈ったのだろうか。

幼稚園小学校では、だいたいそんなニュアンス動作として教え込まれたような気もする。

「お残し」という戒律破りをすると、

どんな悪党でも、心のどこかで多少は彼らに対する罪悪感にさいなまれるわけで、

やはり強固な宗教的モラルとして、私たちの心に定着している。

もちろん宗教的であることと世俗的な合理性矛盾しない。

現に「いただきます」教は、いまでも食品ロス問題への効用があるはずだ。

しかしこの「いただきます」教には、少なからデメリット存在するように思う。

たとえば、

①「いただきます」教の原理主義教諭による、なかば拷問的な完食の強要

食品生産者への盲目的な礼讃により、消費者が「買わない」「食べない」という意思表示を示すことの困難(昨今のウナギ問題など)。

公教育の場で「合掌」を強要することの宗教的中立性の問題

などなど、色々思い浮かんでくる。

私たちはいま一度「いただきます」教の功罪を考えるべきかもしれない。

2018-01-11

幸せについて本気出して考えてみた

幸せについて本気出して考えてみた

幸せ」とそれに関係する「怒り」「哀しみ」について書いてます

本気で考えたから長くなったし、読みにくいと思う。

生きる目的は「幸せであること」で、その先はない。

生活が豊かになっても、富を得ても、幸せでなければ意味はない。

「人より生活が豊かである」ことに幸せを感じる人もいるだろうが、 「あらゆる人より」は世界に1人しかいないので、「誰かより」と人と比べることになるだろう。

どんな環境であっても、自分幸せだと思う人もいれば、常に自分は不幸だと思っている人もいる。

自分が何のために行動しているのかを、もっと掘り下げて自問しなければ、自分自分理解できない。

自分理解できない自分」を他人理解してもえることはほとんどないが、稀にあり、その出会い幸せであるので感謝する。

自分が何のために働いているのか」「何のために怒っているのか」「何のために勉強をするのか」「何のためにそこに住んでいるのか」

「何のために」を達成する手段は、それ1つしかないのか。

幸せのカタチは結局人それぞれ。

何が自分幸せなのかは、自分で見つけるしかない。

幸せになる方法は、あらゆる選択肢の中から自分の「好き」を選ぶこと。

付き合う人や孤独であること、仕事仕事でない生きる方法、住む国や場所、食べるもの、着る服、宗教無宗教など、すべてを「自分の」幸せと照らし合わせて選んぶ。

自分幸せと、人の選択を照らしあわせて、自分に合わせようとする人のことを「傲慢」と呼ぶ。

傲慢は誰も幸せにしない。傲慢であることに幸せを感じる人もいると思うが、私はそういう人とは付き合わない。

「正しいこと」や「正義」はない。それはただの1つの方法

幸せを実現する手段を教えることはいいことだが、その選択自体は、他人にとやかく言われることじゃないし、他人に口出しするものでもない。

みんな幸せのカタチが違うし、選ぶ手段が違う。

「人それぞれ」という言葉不安を覚える人は、宗教学問を選ぶと、自分以外の場所に確かな指標や信じるものが出来ていいと思う。

それを信じている間は、幸せのカタチを変えられないというデメリットも分かっていたほうがいい。

宗教だって学問だって、信じられなければ変えればいいと思うけど。

人の好みに共感できなくても、理解はできるから、「同じ幸せ」を感じられなくても、「一緒に幸せ」になることはできる。
人が幸せになる、人を幸せにすることに幸せを感じる人は、そういう仕事活動をすればいいし、しているだけ。

その手段相手に対して間違っていることがあるかもしれないが、それを「偽善者」の罵る人は、想像力が足りない。

お金はただの手段目的あくま幸せ

お金があること自体幸せを感じる人は、自分をまだあまりわかっていない。

お金あっていいな」とは思うけど「お金あればアレができるのに」はみんな違う。

自分が何を幸せに感じるか」を知って、それを人に伝えれば、コミュニケーションはうまくいく。

「そのために何をしている、何をする」が近い人とは過ごしやすいし、「その手段もあるのか」「こういう手段もありますよ」がお互いを幸せにする可能性を広げる。

わたしはこっちがいいんです」と言われても、それはその人の幸せのカタチなのだから、落ち込む必要も怒る必要もない。

目的を1つに絞る」という考え方自体は、たぶん禅の考え方。

こういう考えが自分に合ってるというだけで、それこそ個人個人もっと合う考え方があると思う。

数多の国・宗教文化があり、法律戒律は違えども、すべての目的は「幸せになること」で、根っこの部分は本当によく似ている。

人の行動原理は大きく分類すれば「幸せ」「怒り」「哀しみ」「恐怖」

幸せのカタチはみんな違うけど、皆自分生活をより良くしたくて、または今の良い生活を維持したくて、行動している。

怒りは分析すれば、ある程度抑えられる。

怒りを感じる事自体は悪いことではなく、あたりまえの本能なのだけれど、それで幸せが遠のくのであれば、感じすぎないほうがいい。

怒りの成分は大きく分けると「自分幸せへの危害」と「嫉妬」くらいだろうか。

嫉妬について

嫉妬とは「相手幸福により、相対的自分が不幸になること」に対する怒りであり、あんまり自分幸せがなんなのか分かってない時にあふれだす。

嫉妬は人と比べて幸せを感じる人が持つ感情

自分幸せ手段である何かを持っている人に対して湧く感情なので、消し去ることはできない。

「今嫉妬してるってことは、自分もああなりたいんだなぁ」と言い聞かせて、「羨ましい」と言葉にすることで、少しは解放されるかも。

「それを持っていることでなぜ幸せなんだろう」と掘り下げることで、「元から嫉妬するようなことでもない」と気づけるかも。

自分幸せへの危害による怒りについて

直接自分幸せに害があるときは、怒って当然。

「怒り」は「幸せ」を守っている。

ただ、必要以上の怒りは、怒っている本人を含めて誰も幸せにしない。

「何に怒っているのか」を自分理解して、それ以外のことにぶつけてはいけない。

怒りの多くは、その原因を取り除けば解決できる。

「その手段しか幸せになれない」と思っているから怒るのであって、他の方法を探すことで、かなりの怒りから開放される。

他人に対して怒りが湧くときも、お互いが「相手幸せになりたくて、その行動をとっているんだ」と思えば、多少軽減できるし、「じゃあどちらも幸せになるように新しい手段を探そう」と原因の解決に迎える。

あらゆることに対しても怒りが湧くときは「眠い」か「疲れている」か「お腹が空いている」。怒っても解決しないので、うまいもの食って休もう。

「怒り」から遠ざかることで、「怒り」から遠い存在である幸せ」に近づくことができるのではないだろうか。

「哀しみ」の解決方法は、模索中。多分見つからない。

哀しみを感じる事自体も悪いことではなく、あたりまえに持ってる本能だけど、それで幸せが遠のくようであれば、感じすぎないほうがいい。

幸せも怒りもわりとすぐに忘れてしまうけれど、哀しみはなかなか慣れない。

怒りと違って、死や離別など、原因を解決できないことがほとんど。向き合って鎮めるか、逃げるしかない。

哀しみから逃げる第一候補は、宗教

仏壇に手を合わたり、十字を切ることで、寂しさから解放される人もいるだろう。一種ルーティーン。

大事な人やモノを失うと寂しい。いつもの幸せな日々が終わってしまうから幸せときにいつもやっていたルーティーンによって「大切なものの1つを失ったが、今も幸せである」と思い出す。

それは幸せなのかと言えば、そうではないと思う。哀しみをごまかしているだけではあるが、他にいい方法がない。

哀しみと向き合うのは、辛すぎる。

そもそも向き合うつもりがなくても直面してくるような感情

どうあがいても哀しいものは哀しい。

今ふと、「哀しみを忘れるのは非情だ」という風潮にちょっとだけ疑問を感じた。

ずっと哀しんでいないといけない雰囲気がある。

それって誰が得するかと考えると、やっぱり宗教なのかなと。

仏教で言えば、初七日四十九日一周忌とかね。

余計に哀しむ必要はない。普通に過ごせば、みんな充分哀しんでると思う。

「哀しく感じていた感情を忘れる哀しさ」があるのも、また真実

哀しく感じなくなったからと言って、愛していた事実がなくなるわけじゃない。それだけを愛情のモノサシにしなくても良いのでは?

はいろんな人に愛されていると思っているから、私が死んだときにはそう考えて欲しい。

恐怖とは

「恐怖」とはなにかを考えると、「幸せを害される」ことに起因する感情

自らの死、病気老い孤独蔑視など、人生においては恐怖も少ない方がいいが、避けようがないものもある。

1つの対処法は準備。

病気にならないように、情報を集めて健康でいる。

孤独にならないように、人に尽くして、人徳を積む。

蔑視されないように、努力して、結果を出す。

結果を変えることで、恐怖から遠ざかる手段

覚悟」も対抗策の1つ。

悪い結果を想定して、余裕を持っておく。

恐怖を乗り越える「覚悟」を持っていれば、もはやそれは恐怖ではない。

そしてもう1つ考えた方がいいのは「そもそもその恐怖の対象は不幸に直結しているのか」

老いたから、即不幸なのか。何ができなくなることが不幸なのか。若いままでいて、何ができることが幸せなのか。

病気孤独蔑視もそう。それ自体が不幸なのではなく、その結果なにかができなくなることが不幸であり、逆に何かしたいことができるままであれば、それ自体は恐怖の対象ではなくなる。

最後に残る恐怖は「死」のみ。

「死」の恐怖はすさまじい。「死」は積み上げた幸せを失う。

死は避けられない。どんな生き物でも100%死ぬ

死んだことがないから、またわからない。わからないものは怖い。

対抗する手段は「人生に満足すること」ではないだろうか。

あれもしたかった、これもしたかったはたくさんあるけど、「この人と一緒に過ごせてよかった」とか「得られるだけの幸せを手に入れた」と満足することこそが、生死の際まで幸せでいられる手段ではないだろうか。

この世との別れは哀しい。それは絶対に避けられない感情だけど、それより人生に対する幸福感が上回れば、受け入れられないものでもないのかも。

うん、やっぱりどう考えても今は死にたくないな。

もっともっと妻や家族や友人と、楽しい時間を過ごしたい。

長生きするのは不幸だという意見だったけど、失う対象が少ない状態死ねると考えれば、今はじめて、少しだけ羨ましくなった。

幸せな死」にこれから出会えることがあれば、そこから学ぼう。

出会う前に死んだら、仕方ないな。

幸せについて、考えられる日は、幸せな日だけだな。

怒りや恐怖について考えられる日も、多分幸せな日だけ。

哀しみについては、哀しい日の方が考えられるかも。

余裕ができたら、余裕がなくなったら、また読み返そう。

2017-12-25

anond:20171225111131

話が噛みあってないだけだよ。学問の上での区分の話をしてる。典型的な、「宗教アレルギーみたいだからしょうがないけどね。

別に増田が「何だかんだで(神教)仏教徒なんでしょー?」と言いたいわけじゃなくて、「○○教とかとは関係なく、「宗教観から簡単に逃れられにくいよという話をしてたんだ。

今時アメリカに住むWASPの皆さんですら、いわゆる「○○教」の信者らしい毎日を送っているかと言えば違うし(毎週末教会に行ってるキリスト教徒アメリカ英国だとかなり少なくなったらしいし)

じゃあ彼らが「無宗教」なのかというと、違うんだと思うんだよ。、

例えば世間体のために一応親が死んだら経ぐらいは読ませといた方がいいよな、みたいなことこそが、逃れにくい文化なんじゃねーの?と思うわけで。

anond:20171225104647

現在、全国民の約9割がキリスト教徒であるとされている。選挙が行われる度に同性結婚人工妊娠中絶ES細胞研究などを巡って、国論が二分される。

こういう風に言われてるからたぶん幼少から天国と地獄、神については教え込まれてるのでは?

でも20代のうち3割は無宗教になりつつあるとも言われてるね

2017-12-23

anond:20171223164802

行き着く先は、ISISだと思う。

あれは、宗教思想を纏った童貞の反乱

日本単一民族無宗教で油断しているけど過去赤軍オウム排出しているからな!

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