「無宗教」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 無宗教とは

2018-01-11

幸せについて本気出して考えてみた

幸せについて本気出して考えてみた

幸せ」とそれに関係する「怒り」「哀しみ」について書いてます

本気で考えたから長くなったし、読みにくいと思う。

生きる目的は「幸せであること」で、その先はない。

生活が豊かになっても、富を得ても、幸せでなければ意味はない。

「人より生活が豊かである」ことに幸せを感じる人もいるだろうが、 「あらゆる人より」は世界に1人しかいないので、「誰かより」と人と比べることになるだろう。

どんな環境であっても、自分幸せだと思う人もいれば、常に自分は不幸だと思っている人もいる。

自分が何のために行動しているのかを、もっと掘り下げて自問しなければ、自分自分理解できない。

自分理解できない自分」を他人理解してもえることはほとんどないが、稀にあり、その出会い幸せであるので感謝する。

自分が何のために働いているのか」「何のために怒っているのか」「何のために勉強をするのか」「何のためにそこに住んでいるのか」

「何のために」を達成する手段は、それ1つしかないのか。

幸せのカタチは結局人それぞれ。

何が自分幸せなのかは、自分で見つけるしかない。

幸せになる方法は、あらゆる選択肢の中から自分の「好き」を選ぶこと。

付き合う人や孤独であること、仕事仕事でない生きる方法、住む国や場所、食べるもの、着る服、宗教無宗教など、すべてを「自分の」幸せと照らし合わせて選んぶ。

自分幸せと、人の選択を照らしあわせて、自分に合わせようとする人のことを「傲慢」と呼ぶ。

傲慢は誰も幸せにしない。傲慢であることに幸せを感じる人もいると思うが、私はそういう人とは付き合わない。

「正しいこと」や「正義」はない。それはただの1つの方法

幸せを実現する手段を教えることはいいことだが、その選択自体は、他人にとやかく言われることじゃないし、他人に口出しするものでもない。

みんな幸せのカタチが違うし、選ぶ手段が違う。

「人それぞれ」という言葉不安を覚える人は、宗教学問を選ぶと、自分以外の場所に確かな指標や信じるものが出来ていいと思う。

それを信じている間は、幸せのカタチを変えられないというデメリットも分かっていたほうがいい。

宗教だって学問だって、信じられなければ変えればいいと思うけど。

人の好みに共感できなくても、理解はできるから、「同じ幸せ」を感じられなくても、「一緒に幸せ」になることはできる。
人が幸せになる、人を幸せにすることに幸せを感じる人は、そういう仕事活動をすればいいし、しているだけ。

その手段相手に対して間違っていることがあるかもしれないが、それを「偽善者」の罵る人は、想像力が足りない。

お金はただの手段目的あくま幸せ

お金があること自体幸せを感じる人は、自分をまだあまりわかっていない。

お金あっていいな」とは思うけど「お金あればアレができるのに」はみんな違う。

自分が何を幸せに感じるか」を知って、それを人に伝えれば、コミュニケーションはうまくいく。

「そのために何をしている、何をする」が近い人とは過ごしやすいし、「その手段もあるのか」「こういう手段もありますよ」がお互いを幸せにする可能性を広げる。

わたしはこっちがいいんです」と言われても、それはその人の幸せのカタチなのだから、落ち込む必要も怒る必要もない。

目的を1つに絞る」という考え方自体は、たぶん禅の考え方。

こういう考えが自分に合ってるというだけで、それこそ個人個人もっと合う考え方があると思う。

数多の国・宗教文化があり、法律戒律は違えども、すべての目的は「幸せになること」で、根っこの部分は本当によく似ている。

人の行動原理は大きく分類すれば「幸せ」「怒り」「哀しみ」「恐怖」

幸せのカタチはみんな違うけど、皆自分生活をより良くしたくて、または今の良い生活を維持したくて、行動している。

怒りは分析すれば、ある程度抑えられる。

怒りを感じる事自体は悪いことではなく、あたりまえの本能なのだけれど、それで幸せが遠のくのであれば、感じすぎないほうがいい。

怒りの成分は大きく分けると「自分幸せへの危害」と「嫉妬」くらいだろうか。

嫉妬について

嫉妬とは「相手幸福により、相対的自分が不幸になること」に対する怒りであり、あんまり自分幸せがなんなのか分かってない時にあふれだす。

嫉妬は人と比べて幸せを感じる人が持つ感情

自分幸せ手段である何かを持っている人に対して湧く感情なので、消し去ることはできない。

「今嫉妬してるってことは、自分もああなりたいんだなぁ」と言い聞かせて、「羨ましい」と言葉にすることで、少しは解放されるかも。

「それを持っていることでなぜ幸せなんだろう」と掘り下げることで、「元から嫉妬するようなことでもない」と気づけるかも。

自分幸せへの危害による怒りについて

直接自分幸せに害があるときは、怒って当然。

「怒り」は「幸せ」を守っている。

ただ、必要以上の怒りは、怒っている本人を含めて誰も幸せにしない。

「何に怒っているのか」を自分理解して、それ以外のことにぶつけてはいけない。

怒りの多くは、その原因を取り除けば解決できる。

「その手段しか幸せになれない」と思っているから怒るのであって、他の方法を探すことで、かなりの怒りから開放される。

他人に対して怒りが湧くときも、お互いが「相手幸せになりたくて、その行動をとっているんだ」と思えば、多少軽減できるし、「じゃあどちらも幸せになるように新しい手段を探そう」と原因の解決に迎える。

あらゆることに対しても怒りが湧くときは「眠い」か「疲れている」か「お腹が空いている」。怒っても解決しないので、うまいもの食って休もう。

「怒り」から遠ざかることで、「怒り」から遠い存在である幸せ」に近づくことができるのではないだろうか。

「哀しみ」の解決方法は、模索中。多分見つからない。

哀しみを感じる事自体も悪いことではなく、あたりまえに持ってる本能だけど、それで幸せが遠のくようであれば、感じすぎないほうがいい。

幸せも怒りもわりとすぐに忘れてしまうけれど、哀しみはなかなか慣れない。

怒りと違って、死や離別など、原因を解決できないことがほとんど。向き合って鎮めるか、逃げるしかない。

哀しみから逃げる第一候補は、宗教

仏壇に手を合わたり、十字を切ることで、寂しさから解放される人もいるだろう。一種ルーティーン。

大事な人やモノを失うと寂しい。いつもの幸せな日々が終わってしまうから幸せときにいつもやっていたルーティーンによって「大切なものの1つを失ったが、今も幸せである」と思い出す。

それは幸せなのかと言えば、そうではないと思う。哀しみをごまかしているだけではあるが、他にいい方法がない。

哀しみと向き合うのは、辛すぎる。

そもそも向き合うつもりがなくても直面してくるような感情

どうあがいても哀しいものは哀しい。

今ふと、「哀しみを忘れるのは非情だ」という風潮にちょっとだけ疑問を感じた。

ずっと哀しんでいないといけない雰囲気がある。

それって誰が得するかと考えると、やっぱり宗教なのかなと。

仏教で言えば、初七日四十九日一周忌とかね。

余計に哀しむ必要はない。普通に過ごせば、みんな充分哀しんでると思う。

「哀しく感じていた感情を忘れる哀しさ」があるのも、また真実

哀しく感じなくなったからと言って、愛していた事実がなくなるわけじゃない。それだけを愛情のモノサシにしなくても良いのでは?

はいろんな人に愛されていると思っているから、私が死んだときにはそう考えて欲しい。

恐怖とは

「恐怖」とはなにかを考えると、「幸せを害される」ことに起因する感情

自らの死、病気老い孤独蔑視など、人生においては恐怖も少ない方がいいが、避けようがないものもある。

1つの対処法は準備。

病気にならないように、情報を集めて健康でいる。

孤独にならないように、人に尽くして、人徳を積む。

蔑視されないように、努力して、結果を出す。

結果を変えることで、恐怖から遠ざかる手段

覚悟」も対抗策の1つ。

悪い結果を想定して、余裕を持っておく。

恐怖を乗り越える「覚悟」を持っていれば、もはやそれは恐怖ではない。

そしてもう1つ考えた方がいいのは「そもそもその恐怖の対象は不幸に直結しているのか」

老いたから、即不幸なのか。何ができなくなることが不幸なのか。若いままでいて、何ができることが幸せなのか。

病気孤独蔑視もそう。それ自体が不幸なのではなく、その結果なにかができなくなることが不幸であり、逆に何かしたいことができるままであれば、それ自体は恐怖の対象ではなくなる。

最後に残る恐怖は「死」のみ。

「死」の恐怖はすさまじい。「死」は積み上げた幸せを失う。

死は避けられない。どんな生き物でも100%死ぬ

死んだことがないから、またわからない。わからないものは怖い。

対抗する手段は「人生に満足すること」ではないだろうか。

あれもしたかった、これもしたかったはたくさんあるけど、「この人と一緒に過ごせてよかった」とか「得られるだけの幸せを手に入れた」と満足することこそが、生死の際まで幸せでいられる手段ではないだろうか。

この世との別れは哀しい。それは絶対に避けられない感情だけど、それより人生に対する幸福感が上回れば、受け入れられないものでもないのかも。

うん、やっぱりどう考えても今は死にたくないな。

もっともっと妻や家族や友人と、楽しい時間を過ごしたい。

長生きするのは不幸だという意見だったけど、失う対象が少ない状態死ねると考えれば、今はじめて、少しだけ羨ましくなった。

幸せな死」にこれから出会えることがあれば、そこから学ぼう。

出会う前に死んだら、仕方ないな。

幸せについて、考えられる日は、幸せな日だけだな。

怒りや恐怖について考えられる日も、多分幸せな日だけ。

哀しみについては、哀しい日の方が考えられるかも。

余裕ができたら、余裕がなくなったら、また読み返そう。

2017-12-25

anond:20171225111131

話が噛みあってないだけだよ。学問の上での区分の話をしてる。典型的な、「宗教アレルギーみたいだからしょうがないけどね。

別に増田が「何だかんだで(神教)仏教徒なんでしょー?」と言いたいわけじゃなくて、「○○教とかとは関係なく、「宗教観から簡単に逃れられにくいよという話をしてたんだ。

今時アメリカに住むWASPの皆さんですら、いわゆる「○○教」の信者らしい毎日を送っているかと言えば違うし(毎週末教会に行ってるキリスト教徒アメリカ英国だとかなり少なくなったらしいし)

じゃあ彼らが「無宗教」なのかというと、違うんだと思うんだよ。、

例えば世間体のために一応親が死んだら経ぐらいは読ませといた方がいいよな、みたいなことこそが、逃れにくい文化なんじゃねーの?と思うわけで。

anond:20171225104647

現在、全国民の約9割がキリスト教徒であるとされている。選挙が行われる度に同性結婚人工妊娠中絶ES細胞研究などを巡って、国論が二分される。

こういう風に言われてるからたぶん幼少から天国と地獄、神については教え込まれてるのでは?

でも20代のうち3割は無宗教になりつつあるとも言われてるね

2017-12-23

anond:20171223164802

行き着く先は、ISISだと思う。

あれは、宗教思想を纏った童貞の反乱

日本単一民族無宗教で油断しているけど過去赤軍オウム排出しているからな!

2017-12-09

anond:20171209161915

あいうのって価値がありそうな物を持ってる自殺亡者が居たら剥ぎ取ってやろうと考えてるハイエナ電話だろ

そもそも能力の高いやつは福祉の場に来ないから変な仕組みばかりが構築される

無宗教国家から仕方ない

2017-11-12

今の日本ほど一貫した社会観念のない社会っていままでなかったんじゃないか

だいたいの国は宗教思想の奥底に流れていて

どういう人間が好ましいみたいなのがある

最近までの日本も、無宗教国家ではあったけれど、残業サイコー!みたいな、儒教を基盤とした独自自己犠牲崇拝観念があった

でも今の日本ではもはやそんな観念はないわけで

これってニーチェが言ってるところの「神の死んだ国」まんまじゃん

これから日本はどうなるんだ?

問題提起とか、婉曲的に絶望表現しているわけでは無く

単純に、壮大な社会実験のようで、行く末が楽しみ

今の日本ほど一貫した社会観念のない社会っていままでなかったんじゃないか

だいたいの国は宗教思想の奥底に流れていて

どういう人間が好ましいみたいなのがある

最近までの日本も、無宗教国家ではあったけれど、残業サイコー!みたいな、儒教を基盤とした独自自己犠牲崇拝観念があった

でも今の日本ではもはやそんな観念はないわけで

これってニーチェが言ってるところの「神の死んだ国」まんまじゃん

これから日本はどうなるんだ?

問題提起とか、婉曲的に絶望表現しているわけでは無く

単純に、壮大な社会実験のようで、行く末が楽しみ

2017-11-06

家にお墓あるなら無宗教とは言えない

http://b.hatena.ne.jp/entry/eikaiwa.dmm.com/blog/26789/

無宗教アピールが凄いけど、家にお墓があるなら、仏教徒でしょ。家の墓を撤去するくらいでないと、無宗教て言うのは嘘になるよ。

2017-11-05

http://eikaiwa.dmm.com/blog/26789/

上の記事は、海外で「あなたはどの宗教信仰しているの?」という質問に下手に「私はなんの宗教信仰していません(=無宗教です)」と答えるのはやばいよ、という内容で、無宗教者だというのがNG理由として、

宗教精神を支えるいわば「背骨」のようなもの。このため、何も信じるものがない人のことを、「得体の知れない軟体動物」のように感じてしまうようです。

>また、信仰心の厚い人たちは、その信仰心ゆえに行動が自制され、倫理的道徳的問題のある行動を回避するため、「無宗教?この人の自制心や倫理観大丈夫なのだろうか?」と不安に感じてしまう部分もあるようです。

宗教に関する話題センシティブな面もあるので、「無宗教」と答えるのが無難と思う方もいるかもしれません。しかしながら、単に「無宗教」「神は信じない」と答えたのでは、「信じるものがない空っぽの人」「倫理観が欠如している可能性のある人」と、相手マイナスの印象を与えてしま可能性がありますので、注意が必要です。

と書かれていたけど、これだけじゃないと思うんだよね。

ちょっと海外に住んでたことがあったんだけど、向こうの“無宗教者”と名乗っている方々(の多く)は本当に徹底してる。

ガチで「神の存在さえ一切信じてません」って感じ。クリスマスをお祝いしない(人もいる)し、宗教的施設でお祈りなんてしない。

でも、日本人には無宗教というわりにクリスマスもお祝いするし(商業イベントなので笑)、お寺や神社にお参りする人が多いじゃん?

それって結局、積極的信仰者ではないにしろ消極的信仰者なんだよね。無宗教者とは厳密に違う。だから、下手に無宗教ですと言っちゃうと、クリスマスパーティーに誘ってもらえなかったりするときもある(笑)

記事内で答え方の例として、

> “I’m not a deeply religious person, but…”

「私は信心深い人間ではないのですが・・・

と前置きした上で、次のように答えればよいのです。

“I practice both Shintoism and Buddhism.”

「私は神道仏教の両方を信仰しています。」

とあったけど、私はいつも「よくわかりません。でも、祖母仏教徒です」みたいな答え方をしていた。もしくは、「神様存在は信じています」とか。

答え方なんて人それぞれでいいと思う。でも、ほいほい無宗教ですと言っちゃうのはやっぱりオススメしないよ、みたいな(笑)

anond:20171105190320

え?俺は儒教を信じてるけど?

大抵の日本人無宗教(儒教)だけど?って意味だよ

上司が間違ってても告発できない理由なんて宗教以外に理由あんの?

日本人はみんな儒教です

無宗教です」と言ってはいけない風潮って何なの?

↓の記事を見て思った

http://eikaiwa.dmm.com/blog/26789/

(この記事あくまきっかけで、以下の内容は上記記事のみに対する反論ではない)

以下のようなことを書いてある記事をたまに見かける。

  1. 海外の人に「無宗教です」って言うと倫理観を疑われる(のでやめよう)
  2. 大半の日本人無宗教ではなく神道仏教信仰している

1の主張に関しては正直馬鹿じゃないかと思う。

何故、外国の人の反応を気にして主義主張を曲げないといけないのか?

2に関しては、これが当てはまる日本人も確かに少なからずいるとは思う。

が、当てはまらない日本人も多数いると思われ、1の主張を補助するためのこじつけ感が否めない。

2の根拠によく持ち出されるのが、初詣

大多数の日本人正月神社にお参りに行くのが、大多数の日本人神道信仰している証拠だ! とか言われる。(ちょっと極端にしてるかもしれないが)

だけど、本当にそうなのか?

かに、お参りに行ってお賽銭投げて手を合わせたときに、心の中で本当に真剣神様にお願い事をしている人に関しては、「意識していないだけで神道を信じている」と言えるかもしれない。

でも、ただの付き合いだったり、お正月暇だったり、「ただなんとなく毎年行っているから」という理由初詣に行って、特に真剣にお祈りすることもしない人たちも大勢いるはずだ。

それを「初詣に行っているから、神道を信じている」というのは、「クリスマスパーティーをやっているから、クリスチャンだ」というのと同じくらい暴論だと思う。

日本人文化倫理観に、神道仏教の影響が強いことは否定しない。

が、それが即ち、平均的日本人の多くが神道仏教信仰している、としてしまうのは、宗教がないことを恥じた故のただのこじつけだ。

一昔前ならどうだか知らないが、少なくとも現代日本においては、あまり正しいとは思えない。

神道世界観仏教世界観も共有していない日本人は、自分含め大勢いると思う。

その存在を恥ずべきもののように扱ったり、無視しないでいただきたい。

2017-11-01

宗教なんてやめればいいのにな

地元で、お寺は金がかかるから神教のほうに移った人がいるみたいな話を親戚がしてた。

そんな理由で移るならもう宗教なんてやめればいいのにって思うけど、やっぱ、葬式ときに坊さんか神主がこないとカッコがつかないのかな。

無宗教葬式っぽいことやればいいのに。

坊さんのお経とかお話とかなくて短時間ですむから、やれば評判いいと思うけど。

嫁のお父さんもお寺と対立してたらしいけど、死んだときにはやっぱ坊さんにきてもらってたし。

俺も葬式なんてしたくないけど、親戚づきあいがあるからそうはいかない。

めんどくせ。

自身子供いなくて遠くの土地にオイとメイがいるだけだから孤独死葬式なんてないだろうけど自分が死んだあとのことなんて関係ないしな。

2017-10-29

anond:20171029180046

25歳のハロウィン肯定派なんだけど、地域共同体消滅した今、お祭りに変わるハレの舞台若者は求めてんのよ。

から渋谷で騒ぐくらい許してよ。家族関係希薄だし、無宗教しわーっと騒げる場所とか機会がなかなかないんすよ

この日のために衣装しこしこ作って可愛いもんでしょ。

どーせ歳食ったら何もいいことないんだし、ハロウィンくらいええじゃないか

デモしろハロウィンしろ若い人が何か新しい繋がりを作り出そうとしているのは別に悪いことじゃないと思うわ

2017-10-27

自分死ぬ理由くらい無宗教自称するなら自分でケリつけろっつーの

どこまでクソ雑魚風見鶏なんだ

2017-10-05

うんこさせて

もう辛抱たまらん!

だれも今回の選挙の争点としてあげてないから、うんこの話させてくれ!!

何年か前の駅のトイレなどの悩みは

紙がないことだったよな。

しかし、最近はもっぱら駅にいっても満員御礼で、ちっともトイレ(大)から出てきやしない。

きっと君はスマホオンラインしてるよな。

だって耳をすましてもブリブリしてないし、なんならプリッとしてないのに、最終的にズボンあげる音しかしてないもん。

おまえら絶対だいぶ前にうんこ終わってるだろ!いい加減にしろーーーー!!

おまえがツムツムしてる間、待ってるみんな漏らすの詰む詰むって戦ってんぞ!!

今すぐアプリ会社ポケモンGoみたいに歩きスマホはやめましょうにならって、トイレスマホはやめましょうって、入れろ!!今すぐだ!!!

特にパズドラモンストグラブルメルカリline、ツムツムは明日から対応しろ!!うんこさせてくれー!

そして、ACジャパンお願いだ!

スマホで遊ぶのは1日1時間ってやれ!

ファミコンルールとおなじにしろ!!

ポポポポーンっとうんこさせてくれ!!!

なんならそれでもっと会話とか増えてカップルとか夫婦幸せになれ!!

あとビルとか公共トイレ電波通じないようにしろ!あっ、危険をかんじたときのため110番とかは許す!とにかく早くうんこさせてくれ!!させてください!!!

とにかく三回くらい漏れそうで、ガクガクふるえたことあるし、無宗教なのにそのときばかりは神に何度お願いしたか

これみんな経験たことあるよな。

頼むよ。日本

自由トイレうんこさせて!!

これ政治家マニフェストにしたら絶対盛り上がると思うんだ!どう思う?

みんなトイレながらスマホ困ってるよな?

神に誓って、なんならトイレットペーパーの紙に誓ってもよいぜ!!

うんこするときうんこに集中しろ

からは以上だ!!

2017-10-02

https://anond.hatelabo.jp/20171002233251

まあそうなんだろうな。大体、無宗教自体信仰を持つ人からすると「胡散臭いもの」らしいからな。

anond:20171002232904

日本人は大半が無宗教からでしょうか。

辛くなった時に精神的支柱になるものがないから、傍から見たら「胡散臭いもの」にはまってしまう人がいるのではないかと思います

2017-09-21

ヤンキーの改心におけるキリスト教の影響

よく、改心したヤンキーを褒める言説を揶揄して、「いや、元から真面目な奴の方が偉いに決まってるだろう。」という批判が入る。

ヤンキーイジメられた怨恨か、ネットでも良く盛り上がる。

こち亀がよく引用される奴だ。

この事について最近気づいたんだが、ヤンキー側を褒めるものにはキリスト教の影響が感じられるということだ。

イエスは我々の罪のために死んだ。

悔い改めよ。という奴。

キリスト教においては、元から真面目に生きている者よりも、

過去自分の罪に気づいて悔い改める者が尊いとされる。

何故なら人間は全て罪人だから

そのとおり、キリスト教においては改心したヤンキーの方が偉いのだ。

日本でこういった話が度々美談として語られるのは、

それを言うもの受け止めるものが、ある程度こういったキリスト教的考え方を消化してるからでは無いかと思った。

日本人無宗教と言っておきながら凄く宗教的なところがあるとも言われるが、

こういった形で、日本人精神性の中に知らず知らず入っているものが有るのかも知れない。

また、人間を生まれながらに罪人にする思想は、簡単に言ってしまえばトンデモで、

ニーチェなんかはこれを奴隷根性として痛烈に批判しているし、

日本人にとって本当に有益なのかは考えなければいけないところではある。

2017-09-14

墓参りへの疑問

父は無宗教である。母は葬式仏教を支持している。

夏になると墓参りに連れていかれる。父方の祖父への墓参りを強いられている。

私は祖父が好きではなかった。たばこを好むし、朝から酒を飲むし、人を非難して笑うのが癖だった。後から聞いたけど、不倫もしていたようだ。

父は「父(私の祖父)から愛情を貰った記憶がない、だから子どもの愛し方が分からない」と言っている。

墓参りとは「宗教様式を通して、亡くなった人を思うこと」だろう。

今回の場合、亡くなった人を思っても嫌な記憶しかない。そもそも顔を会わした回数も少ない。意味があるのだろうか。不愉快だ。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

これとは関係ないが、墓参りをしなくても本当に愛すべき人が亡くなったら「亡くなった人を思う」はずだ。

信仰心のない人にとって、墓参りである必要はあるのか? 思いだすなら形見でも可能ではないか? 目をつむればできるだろう。

母方では祖父母の人柄が好きなので墓参りに付き合っている。けれど知らない人だし、やる必要はないと考えている。

2017-08-15

ネット右翼をはじめとするネオナショナリストはとても進歩的な人たち

日本国民の「右傾化」が叫ばれて久しい。現政権は「保守政権」と自称している。

なるほど、保守。たしかにそのネオナショナリズム過去に立ち戻るような考え方のように映る。

しかしながら私はこの保守、あるいはネオナショナリストこそ日本国において最も急進的で未来希望を託している人種なのでは無いかと思えてならない。

現代日本さながらラピュタのようだ。我々の足元には確たる基盤がなく、ゆらゆらと宙に浮いている。それには様々な原因があるだろうが、今回は三つの思想的敗北によるということで話を進めていく。

まず、第二次世界大戦敗戦がある。明治以来国民支配してきた全体主義国粋主義が間違いであったことを身を以て知った我々は頼るべきイデオロギーを失った。1回目の敗北である

次に我々が依拠せんとしたのは共産主義であるソ連や他の共産国秘密主義のためにその惨状を知らない日本人共産主義桃源郷に夢を馳せた。東大闘争に始まったこの熱は日本中をのぼせ上らせたが、セクト間争い、連合赤軍、そしてソ連崩壊と暗黒面が目につき、我々は夢から醒めた。

バブル崩壊アメリカ式資本主義敗戦からずっと生き残り続けた。奇跡復興宗主国アメリカのど真ん中の大きなビルを買えるくらい、日本資本主義化において成功を収める。しかしそれは文字通り膨らんで行く泡であり、遂には弾け、資本主義さえも信じられなくなった。

主義無思想無宗教日本に残されたものは、敗戦国という烙印と無機質なハコモノだけであった。今までならば誇るべき別の点のお陰でさほど気にしないで入られた「戦後レジーム」が今更になって癪に触る。

こうしたアイデンティティ喪失によって創り上げられたのがネオナショナリズムである

先に「ネオナショナリズム過去に立ち戻るような考え方のように映る」と書いた。しか歴史上どこに立ち戻るべき過去があるというのか?日本帝国政治体制が戦禍を巻き起こし(彼らが全てアメリカの陰謀であると主張したところで同じことである米国にまんまとしてやられ冷静さを失う体制のどこが間違っていないというのか)、華々しい経済も泡沫と消えた。立ち戻るべき場所本来どこにも無い。では彼らはどうするか?

過去を作り出せ」ばいいのである

美しい日本日本帝国真実書店に立ち寄れば過去を美化している本が並んでいる。しかし彼らの言葉の指す「かつての日本」は過去ベースとしたファンタジーなのである

かの有名な江戸しぐさを思い出して欲しい。教科書にも掲載されたデマであるが、あれは全く過去ベースとしたファンタジーである。いわばベイマックスフランシストーキョーや銀魂大江戸のような「そうであったかもしれない日本」の姿であり、それは過去存在していない以上幻想以外の何者でも無い。

当たり前の話だが、戦前日本を知るものはもはや生きていない。戦争の怖さは子供にもわかるだろうが、怖い社会を感ずるためにはある程度の年齢が必要から誰も知らない、ということは現在の我々が過去を思う時、そのほとんどは幻想に頼るしかないということであるモニターの奥の二次元世界となんら変わらない。現在過去との間には次元を隔てる障害があり、こちからあちらへは干渉できない。

しかアニメネオ日本は格好がいい。しかしそれを現実で語ればアニメ脳、ゲーム脳と言われるのがオチだろう。同じようなことをやっているのがまさにネオナショナリスト達なのである

ネオナショナリストは現時点での閉塞感を解消するためにカッコいい幻想過去投影した。そして「これに戻るのだ」と主張しながら未来を作ろうとする。

結果、彼らは前しか向いていない。過去を省みてはいないではないか。これがいわゆる保守こそが進歩的な人たちだという理由である

私は右傾化否定肯定もしない。戦後から不安定さの解決のために右往左往してきた日本人を思えば、当然の帰結だろうと思う。お粗末な思想、主張だが、日本国民がそれを望むのであれば、それも良かろうと思っている。なに、高い授業料になったって構いやしない。

ただ、一つだけ加えておきたいことがある。私は先程からネオナショナリスト思想根本幻想ファンタジーアニメ的だと主張してきた。幻想現実ではない、ありえないものなのである。つまりは霊的なもの、神的なもの呪い的なもの、それらと変わりないオカルティズムだ。オカルトによって国が動くのだとしたら、あなたは怖いと思うだろうか、素晴らしいと思うのだろうか、それを尋ねてこの紙片にピリオドを打ちたい。

2017-08-11

https://anond.hatelabo.jp/20170811032014

労働力については若い世代に今と変わらず働いてほしいってのと遊べるって主張が矛盾してるような?

遊ぶというのは働かないで遊ぶのではなく、今遊ぶために働く社会にしたいということです。

いまは割りと老後の為に働いてるひとが多いですよね・・・

嫌な仕事を頑張るのも老後のためと思うと、それは違うのではないかな?

というのがこの話のスタートです。

選ばなかった老人も肩身が狭く生きづらいし、本当は望んでいないのに殺されるケースも増えそうです。

死ぬ人はあくまでも自分のために死ぬのであって社会のために死ぬわけではなく、

死ぬ人がそれなりにいれば今よりも社会保障費は減っているはずですので、

生きている人にたいする批判も少ないと思いますね。

多分今の年金制度はなくなっていて、老後は誰でも生活保護を受けられるという感じになるのかな。

まあ、生活保護で生き続けたいという人が多い場合破綻しますね。

(これは私個人感覚ではそうではないのですけど・・・

精神の話は、老後自死を選んでいたとしてもいざ精神がどうにかなった時に(精神というとアレですがそのことを忘れたりとかすると思います)受け入れられない場合にどうしましょう?ということです。

死ぬと思って何の準備もしなかったけど、やっぱり生きたい。

だけど準備が足りてないどうしよう?ということでしょうか。

年金制度が無く生活保護制度であれば最低限は生きていはいけるかな。

人口が減れば住む場所はいくらでもありそうだし。

日本なら・・・というのは、日本人はわりと無宗教なのでという意味があります

深夜4時に考える内容ではない気もしますね。

お付き合い頂きありがとうございます

そろそろ寝ます

老後は要らない

やりたくもない仕事精神健康をすり減らしながら一体何の為に頑張ってるのかと考える。

退職金年金で老後が安泰になる?

家族が人並みの生活を営める?

老後までやりたい事や好きな事をするのは我慢するの?

その時に身体精神健康かな?

健康で体力や気力のある時期を仕事家族に捧げるの?

若い時に自由に生きて、老後なんか無くても良くない?

老人になったら若者迷惑を掛けながらゆっくりと死んでいくだけだよ。

どう考えても早く死んだ方が社会プラスだよね。

老人になったら好きなタイミング人生を終わらせる自由をくれたら最高だと思う。

その制度があれば色々解決するんしゃないかな。

人生が短くなる分、何かにチャレンジする人も増える。

老後に備えて貯金しなくても良いし。

無宗教な人が多い日本なら実現出来そうな制度だと思う。

2017-06-01

http://anond.hatelabo.jp/20170601140206

結局無宗教からこういう議論に決着がつかなくなっちゃうんだよね。

キリスト教ならシンプルで、「自殺ダメだけど殺してくれと願うのはOK」っていう線引きがされてる。自殺ダメなのは、①神の計画に反するから、②辛い人生を不幸と考えないから、の2つ。単純明快

これが無宗教なっちゃうと依るべき基準が何もない。「自分の命をどう扱おうが俺の勝手だろ」「どうして辛い人生をわざわざ生きなきゃいけないの?」と問われたら反論は非常に困難になってしまう。

無宗教はいいとこもあるけど、こういうところはやっぱ弱いと思うわ。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん