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はてなキーワード: 火葬とは

2018-06-13

anond:20180612014743

質問曖昧過ぎて分かんねーな。

死の定義もだけど、どうなるって"何が"なんだよ? オマエの意識の話か? オマエ以外の現実世界か? オマエの身体か?

検索すりゃ全部出てっけど、テキトーな疑問だからキトー知識で書くと心停止にしても脳死にしても時間差があるだけで脳の活動が止まった時点でオマエの意識は消えていく。

まり何も考えられなくなる。だから無になるってのはある意味で正しい。

それからオマエの身体は腐り始める。オマエ以外の世界がそれにどう関わるかはオマエがどういう人生を歩んできたか、そして直前にどういう行動をしていたかに大きく依存する。

一般的葬儀の際には業者が防腐処理をするので火葬前に腐臭がするような事はないが、死体は硬くなっていき体内の汚物自然と流れ出てきたりもするようだ。

この辺りはよく知らんが『おくりびと』とかって映画とかでも見りゃいんじゃねーの?

それから焼き場だな。この時点で意識がある事はまずないから気にしなくていいが、高温で一気に焼き上げるから肉は残らずなくなる。残るのは骨だけだ。

あとは骨壺に入れて遺族に渡され、墓に埋めたり散骨したりロッカー式に押し込んで終わり。

遺族がいなきゃなんか宗教カンケーがテキトーに処理するんだろ、ってので少し調べてみたが、引き取り手がいないと市町村火葬して担当の寺ってのが決まっててまとめて埋められるみたいだな。

http://life-epilogue.jp/funeral/2138

オマエに金があるとこの辺りでまぁ揉める。何式で葬儀するかとかどこに埋めるかとかぶっちゃけオマエの残した金メの物を誰が受け取るかって話だな。

これはどんなに親戚の仲が良くても必ず揉める。金がなければないで誰が葬儀費用を持つかで揉める。借金なんかあったらマジで迷惑。情もクソもねぇからw だってオマエ死んでるし。

それから――、

まぁオマエがどうなるかってよりオマエの焼け残った骨がどうなるかの話になるが、何十年とかって単位で少しづつ風化してくみたいな感じらしい。

要は粉だな、粉。骨の粉末になって細かくなってくんだろう。微生物とかでさ。そんでよく知らんけど水分とか吸ったり蒸発したりとか繰り返したらそれも減っていくんじゃね? 土壌に流れたりとかしそうってんで、墓を作ると近所が反対するのはこの辺の話らしいな。

で、まぁそうなる頃にはオマエの事を憶えてる奴も歳を取っていくし、普通日常をこなさないといけねーからだんだん忘れていく。墓参りとかないと数年で「そういや居たな」って感じだ。

100年で骨がなくなるかどうかは知らねーけどまず大抵の奴は死ぬから、そうなると誰もオマエの事は憶えてないし知りもしない。子孫が居ればそういう人がいたって教わるかもしれないが、会った事もないジーさんバーさんとか興味ないだろ?

から歴史に残るくらいの偉業をしてない限り、その辺で存在してたって事実も無に近くなる。

別にオマエが無価値だとかそういう話に持っていきたいんじゃなくて、そもそも価値とか意味なんて生きてる間だけの話なんで元々ないんだよな。

だって死んだら関係ないじゃん?

虚しいとか怖いとかすら思わない(ハズだ)から、逆に生きてる間は死んだ後の事って考える意味がないんだよ。

俺が今考えたのはこのくらいだけど、満足したか

2018-06-05

正直、葬式とかって無意味だよな

結局こういうのって「残されたもの気持ち落ち着ける」ための行動じゃん?

墓を作るとか、納骨するとかさ。

結局は「生存者のエゴ」でしかないわけよ。


死ぬ直前に「あ、私が死んだらお葬式も何もいらないから海に撒いて」って言われても

お葬式して、火葬して埋めそう。

2018-06-03

ヤク中火葬したら骨が残らなかったとか言うけどさ

個人的には骨残らん方がいいわ

見られたらなんかハズい

2018-05-23

母が亡くなった

就活最中だった。

危篤だと聞いてその日の面接を辞退し、なんとか最期には立ち会うことが出来た。最期まで意識は戻らなくて、何も話せないまま逝ってしまった。

まりに実感がなく、何の感情が湧いてこないままだった。葬儀告別式に出るため、重なっていた日の選考も全て辞退した。火葬されて、二度と会えなくなるその瞬間まで母のそばに居たかたからだ。

後に残ったのは第一志望の面接だけで、絶対に逃すものかと精一杯頑張って挑んだ。でも駄目だった。今選考が残っている会社はない。選考時期が早い業界から、これから受けようにももほとんど残っていない。

選考を辞退すると連絡したとき、私のことを案じてくれた企業一社だけで、おそらく残りの企業からは辞退する常套句だろうくらいに思われたのかもしれない。

私はどちらを選べば良かったんだろう。母に会う最後の機会を捨てて、企業面接に行けば良かったのか。

母の死を絶対言い訳にしたくないのに、何度もそんな考えが浮かんでしまう。

残された父と2人で母のために胸を張って生きよう、と約束したのに、そんな人間になれそうにもない自分が嫌で仕方がない。

2018-05-19

anond:20180519124220

キモイ男に失せろ言うなら性犯罪男への怨恨呪詛の念を放つモンスターとなったレイプ被害女も火葬場に行けよ

人にだけ一方的社会貢献要求するな

強姦が魂の殺人ならさっさと火葬場に行けばいいのに

死んでるんだろ?

火葬場に行かず食堂で飯食うってなら大げさな嘘をついてごめんなさいと訂正すべきだ

2018-05-07

嫌いな親族葬儀にこそ絶対出よう

 生前の行いがどうであれ、葬儀の日取りがどうであれ、親類中で嫌われ者で、きちんとした葬儀が行われないにしろ、最悪火葬だけはやるわけだから絶対に立ち会ったほうがいい。「たった一人の親じゃないか」とか「親類が亡くなったのに冷たい事するなよ」なんてきれいごとを言うわけじゃない。

葬式というのは、死者と決別し、日常生活に戻るまでの手続きの側面があります

 今までに出たいくつかの葬儀で、お坊さんは大体こう言った内容のことを話した。宗教的な話はさっぱりわからんから、掘り下げてツッコミを入れられても困るので概要だけにとどめるんだけど、大事な人が亡くなったからといって、悲しみの感情いつまでもすがっていてはいけない、死んでしまったものは元通りには絶対にならないのだから、生きている人たちはいずれ日常生活に戻らなくてはならないというような論旨だったとおもう。

 なら、本当にクソみてえな、ゴミ同然の人間が死んだときは?

 死にました、という電話を、警察なり病院なりから受けたときに、まず最初に浮かぶ感情は人それぞれだろう、自分は「失踪してたと思ったけど、死んだんだ」くらいの感情だった。とはいえおれの個人的な例を掘り下げてもそれも仕方ない。

 結論からいうと、おれたちは葬儀拒否した。ロクデナシは無縁仏同然の扱いをされ、名も知らぬ遺体は簡易的な葬儀と共にどこかに消えていった。だがこれが失敗だった。

 生前さんざっぱら他人人生と金を食いつぶして生きてきたような人間だ。知らぬ間に多額の借金すら背負わされていたこともあった(払わず解決したが)。逃げる先々をなぜか調べ当てて荒らしにくるような人間だった。あいつはドブネズミよりもずる賢くゴキブリよりもしぶとい。死体を見なかったのは本当にうかつだった。

 死してなお狡猾なあいつは、死に顔を見ていないおれたちに、戸籍に書かれた「死亡」すら偽りではないかという疑念を抱かせる。死んだはずの奴が金をせびりにくる夢を見る。遠い地に引っ越したおれたちの住居を探し当ててまるでフィクション世界のように蹂躙していく夢を見る。おれたちの想像力の限りを使ってあいつは生き延びて、そしておれたちを永久に苦しめ続ける。

 大事な人の死を受け止め、いつか流れる涙も止まったときに、次の一歩を踏み出すことは何よりも大切だと思う。しかしそれ以上に、殺しても死なないような人間が死んだという話を聞いたときには、絶対にその死を確認しなくてはならない。それが親族であれば、向こうから死をお知らせしてくれるのだから脳みその中に巣食うあいつを合法的に殺すことが出来る唯一の機会を失ってはならない。

2018-05-03

anond:20180503082611

起きた時、腕とか痺れて動かせなくなってる時ない?

たぶんそれの全身verだよ。

四肢も臓器も脳も痺れて動かなくなっちゃって、ひたすらに重いだけのモノになっちゃう。

待っても自然に痺れがとけたりしない。

仮に意識だけ微妙に生きてても「あーこれもうどうしようもねーな」とか思ってるうちに

勝手に箱に詰められて、火葬場に運搬されて、焼却処理してくれちゃってTHE END。

2018-04-28

anond:20180428120039

指輪って今火葬場で燃せないんだっけ

受け継いだ姉が死んだときその指輪はどうなるのかって話だな

いずれどこかで処分されるもので、その決断本来母親本人がしなければならなかったものを、姉に負わせた形なのでは

2018-04-20

anond:20180420012239

あの…(脱力

ペドフィリア違法なのは乳幼児未成年など判断力のない人に対して一方的略取行為があることを禁止しているからです。

ネクロフィリア場合死体処置方法について、埋葬場所火葬方法について非常に詳しく定めてあります。それが(性的理由で)不当と思うならそのように訴えてみては?

から法律勉強をした人と話したいと言っているのですがね…

2018-04-18

シムシティ系のシティズスカイラインってゲームでさ~

町の作りはじめに住宅地区作ってゴリゴリ団地ができあがっていくんだけども

そのあとその一角が一斉に老化して死んで墓地火葬場が足りなくなって

最近ゲームは細かい所までよく出来てるな~って笑ったね

これからニッポンは年間160万人ぐらい死ぬらしいけど火葬場とか職員とか足りるのかね

墓はマンションみたいになってるみたいだけど焼くのが大変そう

デスケアって言葉ゲームで知ったね

結婚なんかしなくてもいい

タイトル結婚して数年経った私が使う、独身の友人の「結婚できるのかな…」というぼやきへのお決まりの返答だ。

だいたいめちゃくちゃに酔っ払ってる時に限ってそういう話になるのでかなり熱弁を奮ってしま相手の酔いを覚ましてしまうので毎度反省している。


けれど、コレはかなり深い部分の本音だ。

決して夫との結婚生活否定したいわけではない。

私なりに幸せだし、楽しい

それでもやっぱり「結婚なんかしなくてもいい」と思っている。


私は30歳を少し過ぎて結婚した。

仲のいい友人がひとり、またひとりと結婚していき少々焦りもあった。

けれどそれは「私だけ結婚できないのでは…?」という焦りではなくて

「私だけ誰からも選ばれないのでは…?」という焦りだった。


プロポーズがされたい。

かに選ばれた証明がほしい。

誰かのたった一人に選ばれたい。


独身の私は自分の言っている「結婚したい」という願望は「プロポーズされたい」のルビが振られているのに婚約直前に気づいた。

私は、プロポーズされることで自分承認欲求を満たしたかったのだ。


当時5年近く付き合って結婚の話も出ているのにプロポーズをしてこない彼(現夫)にちょっとイライラして、

結婚するの?しないの?」と詰め寄った事があるが「そうだね~」と軽く流された。

別に結婚する気がない」って言われたらその場で別れるとかそういうつもりはなかった。

ただ、「結婚する気がない人と付き合ってる」という心の準備が必要からはっきりしてほしかった。

彼にもそう伝えたが、今思えば強がりウソと思われていたかもしれない。


でも、結婚する気がある彼と付き合っていてプロポーズされないのと、結婚する気がない彼からプロポーズされない

のでは天と地ほどに差がある。

そもそも誰も選ぶ気がないのであれば選ばれないのも当然で、自分に否があるわけじゃない。

自分だけ誰からも選ばれなくても言い訳ができる。

結局彼は誰かを選びたい人だったので、うだうだ待つのもめんどくさいからと半ば強引に入籍したのだ。

(選ぶ選ばない、という言葉を使っているがそれは私が結婚に対して「承認欲求をみたしたい」という願望が

あったためで、決して結婚は男が女を選んでするものだなんて思っていないことは付け加えておく。)


仕事趣味で認められていたら彼に「結婚は?」詰め寄ることもなかったかもしれない。

けれど、仕事能力も並で特別「私でなければならないこと」はなかったし、趣味ほとんど無趣味に近いし趣味の友人なんていなかった。

その点、結婚日本では1人としかできない。彼が選ぶのはたった一人。

から結婚たかった。


要は私は承認欲求が満たされれば結婚しなくても良かったのだ。


それが自分の中で分かった時、すごく楽になった。スッキリした。

すでに結婚は決まっていたし後悔もしていなかったけど、なんだか「な~んだ、私、誰かに認められたかったのか」と

自分の中にあったドロドロとした焦りの正体が分かって晴れやかな気持ちだった。


そこで周りを見渡してみると「結婚したい」と酒を飲み、酔っている友人たち。

彼女たちはなんで結婚したいんだろう。

軽い気持ちで聞いてみるとざっくりと「いい歳だから」「子供が欲しい」「親を安心させたい」というような理由が多いようだ。


いい歳、と言うけれど晩婚化が話題になっているし60代で初婚という話も最近割とよく聞く気がする。

そもそもいい歳、というと結婚しても専業主婦になる女性が少なくなっている現代。働き続ける女性にとって

いわゆる結婚適齢期というのは仕事にとっても「いい歳」だ。


結婚すると女性はい妊娠し育休に入るかずっと上司たちに気にされ続ける。

最近よく記事で読むような「結婚して子供を産んでも変わらずキャリアを積んでいます」という美談

あんなのほとんどの会社では叶えられない。

一応私は大手企業に属しているが組合が強く、女性社員の活躍がうたわれており組合が強いだけあって実際色んな制度も充実している。

だが、女性管理職は少なく、その中で既婚の女性管理職もっと少ない、

さらに言えば子供がいる女性管理職はいない。

でも、結婚している人や子供を産んだ一般女性社員は山のようにいる。

彼女たちは結婚し、子供ができれば産休・育休をとり、子供が小さければ時短勤務だ。

仕事だってそれなりにできる彼女たち。未婚の管理職と同じくらいの年数働いているのに管理職はこの中にはいない。

この現実をみてると、仕事を頑張りたい・いつか管理職になりたいという女性社員にとっては結婚は足かせなのではないかと思ってしまう。


子供だって自分自身の覚悟があり、きちんと将来的に子供を納得させられる理由があれば未婚の母を選択して育てることは十分可能なのではないだろうか。

両親揃っていることが好ましい、そりゃ1人を人間を1人で育てるよりも誰かと分かち合った方が楽だし、子供にとっても頼れる相手が1人でも多い方が幸せだろう。

だけど、その分かち合う相手子供が頼る相手結婚相手じゃなくてもよいのではないだろうか。

自分の親兄弟でもいいし、信頼できる親友だっていいんじゃないかな。

同じような考えの人達でも良いかもしれない。

血がつながってなくてはいけない理由も、同じ戸籍に入ってなければいけない理由もない。


ただ、親を安心させたい気持ちはよく分かる。

親に花嫁姿見せたいよね、一生添い遂げるパートナーを紹介して安心して老後過ごしてもらいたいよね。

本当によく分かる。

世代祖父世代は、子供結婚するということに大変な安心感を覚えるのは自分の両親を見ていてわかった。

本当に子供から手が離れた瞬間だったんだと思う。自分以上に両親が幸せそうだった。

でもそれは、それ以外のことでカバーできると思う。

子供が本当に不幸でないことが、親にとって1番必要なことで、それには結婚絶対条件ではない。

結婚しても不幸になるし、しなくても不幸になる。

結婚という要素の1つだけが、その人の人生幸せ全てを左右するものではないと思う。


でも、結婚しないという生き方には結構勇気がいる。


いまだに男女ともに「結婚して一人前」という意識が根強い社会だ。

ずっと「結婚したいと思わないの?」とか「なんで結婚しないの?」という質問を受け続けるし、そのうちそんな質問もされなくなって周囲の結婚話題の際に気まずい空気を作り出す原因になるかもしれない。


それに、年老いからの1人はなかなか大変だろう。

結婚していればお互いでどうにか助け合えるかもしれないし、子供がいれば施設に入れるくらいしてくれるかもしれない。

でも1人だと、全部自分でやらなければいけない。

ならいい、若いうちなら体調が悪ければ病院に1人で行けるし、病状もうまく説明できるだろう。

施設だって自分希望にあった場所を探しせるし、空きがなければ他の施設も探せるだろう。

けれど、老い私たちに優しくない。

自分だけで移動できる距離時間は限られてくるし、病状もうまく言葉が出てこないせいでうまく伝えられない。

運良く施設を見つけられても、諸々の手続き老い自分が1人でできるだろうか。


なにより、死んだ後だ。

運が良ければ病院死ねるだろう。

けど、死んだらその入院はいつ誰がはらってくれるんだろう。

火葬や納骨の手続きは死んだ自分にはできない。

誰かを頼らなざるを得ないときがくる。


でも、社会とのすり合わせも、老後も自分が納得・始末できればそれでいいんじゃないだろうか。

1人で生きていくと決めたなら早め早めに準備すればいいだけだ。

元気なうちに色々準備してしまえばいい。

自分のことだけでいいんだから比較的身軽なはずだ。


私は結婚を後悔なんてしたことありません!なんてきれいごと絶対に言えない。週に3回は後悔してる。

お金スケジュール自分ひとりの判断では決められなくなったし、別にこっちは気にしてないのに「夜の飲み会旦那さんに悪いから」という気遣いで呼ばれなくなった集まりもある。


反対に結婚していないとできないことってとっても少ない。

生活ほとんどは、ひとりの方が都合がいい。

そんなの分かっていて、わざわざ他人との人生を選ぶ。

世の中には私も含めて物好きが多いな。


結婚はただの契約だ。

婚姻届をもって他人家族になります裏切りません。相手人生にも責任を持ちます

という内容の契約


そして、結婚呪いだ。

ひとりでも楽しく生きていける時代なのに、男女ともに結婚をしていないと一人前に扱われない。

結婚していないと性格に難があるんじゃないか邪推される。

結婚じゃないと承認欲求が満たされない。

どんどん結婚という言葉人生を縛られていく。


から言いたい。


いいんだよ、結婚なんかしなくて。

結婚はうまくいけば確かに幸せだ。

けれど、それはひとりでいたら得られる幸せを捨てることだ。


どっちの幸せを捨てるか。

それを選ぶ自由が、現代では生まれつつある。

前述したように、まだまだ結婚したら一人前という社会ではあるけれども、若い子たちはそうでもないんじゃないだろうか。

これから私達が生きるのは未来だ。口うるさい人たちはきっと私達より先に死ぬ


そう思えば、どちらの幸せを選んだっていい。

ひとりの生活楽しいなら、結婚なんかしなくてもいい。

誰かのために」なら、結婚なんかしなくてもいい。


それが選べる友人たちが少しうらやましい。

2018-04-13

20年後日本100万人ずつ減少て

火葬場とかお墓とか間に合うんだろうか?

2040年予測

>年間死亡数 166.9万人

>年間出生数 66.7万人

あと自衛隊とか警察とかの

治安維持系の人が減っていくのが怖いなー

外人増えてんのかな

2018-04-07

自分と同じ名前登場人物が冒頭に死んだ。

漢字こそ違うものの、ひびきや、ちゃん付けの呼び名はまったく同じ。重要人物からだろう、ひらがなで読み方を振られることが多く、つどつど、敏感に反応してしまう。

その小説は、映画化もした有名小説で、私はその作家さんの他の作品も好んで読んでいる。描写は、映像どころか、そのシーンの気温や静けさまでありありと思い浮かぶほどうまく、だからこそ、私は名前を呼ばれるたび、ずしんと重いものを感じてしまう。

性格も、考え方も、取り巻く環境も違う別人だし、そもそもこれは作り話だ。よくある名前だし、私以外にも同じ気持ちになる人は何千人といるだろうし、気にすることなんてない。しかし、その登場人物主人公と密接した関係であり、彼女の死によって物語が広がっていくので、どうしても、彼女が、私と同じ名前を持つ彼女の死にまつわる話を中心に話が進んでいく。

読み始めて、まだ70ページほどだ。

引き込まれる力は他作品と変わらずすごく、このまま進めばこの週末には読み終えてしまうだろう。

でも、これ以上読み進めることができそうにもない。

心が、信じられないほどさみしくて仕方がないのだ。

読み始めてから3日、言いようのない喪失感と寂しさが、私の中で拭えずにへばりついている。

単なる気温の変化による体調不良かななんて思ってたけど、私は、自分名前が死んでしまたことがひどく悲しく、さら自分のことのように感じてしまって、知らず知らずのうちに傷ついているようだ。

母がつけてくれた名前が好きだ。

この世でいちばん反応する言葉は、やはり自分名前だろう。それが、常に死とセットで使われる世界。遺骨、火葬、そして、その死を、主人公はまだ、70ページの段階では微塵も寂しがっていない。

それはもう、他の何とも比べられない負傷感だ。夢の中で自分が死んだような、あるいはそれよりも身近な死にも感じる。

うまい。読者をこんな風に思わせる作者の書く文章は、とてつもなく上手なのだろう。でも、わたしには少々重すぎる。

今回、図書館文化を見かけたのでたまたま借りて読んだのだけれど、実は私は、この本の単行本も発売されてすぐに購入し、今も本棚の奥にある。そのときは読みきったのだけど、なぜか内容をすっかり忘れてしまい、久しぶりに読みたくなって、手軽な文庫を手にしたのだ。

読みながら、そうだ思い出したこんな話だったと思うのだけれど、読むまでそれが思い出せない。記憶の、奥の方に押しやってしまっているのだ。おそらく、初めて読んだときも同じようにショックを受けたんだと思う。この小説の中の出来事を、過去の嫌な記憶と同じ扱いをしているのだ。

たぶん、登場人物名前が違えば、こんな気持ちにはならなかったと思う。もっといえば、この小説登場人物の3人が、肉親と同じ名前なので余計に客観視ができない。

名前というものは、こんなにも効果があるものなのだなと、改めて思い知らされた。

2018-04-05

言うほど相撲協会って害悪か?

https://i.imgur.com/7Zrep11.jpg

https://i.imgur.com/Fk3jbcq.jpg

名古屋時津風部屋新弟子である17歳の少年稽古時間中に心肺停止状態となり死亡する。

 ↓

消防本部遺体の様子から不審死の疑いを通告したが、相撲部屋懇意医師は急性心不全と診断。警察事件性は無いとして処理する。

 ↓

相撲協会は遺族に無断ですぐに遺体火葬し白骨化しようと企てる。(死亡診断書があれば法的に可能である

 ↓

葬儀場の職員が、 遺族親戚が一人も立会わない火葬は極めて異例であることから相撲部屋へ連絡。

 ↓

相撲部屋葬儀場に「構わないから一刻も早く火葬するように」と催促する。 職員遺体に刻まれた無数の外傷を発見し、不審に思う。

 ↓

職員新潟にいる少年の両親に連絡して、「相撲部屋親族不在で火葬を行おうとしているが問題ないのか」と確認する。

 ↓

両親は愕然とし、電話相撲部屋に抗議して火葬の中止を求めるも、相撲協会は「既に日取りも決定済みなので取り消せない。迷惑なことを言うな」と激怒

 ↓

父親葬儀場に連絡して火葬を取りやめさせ、遺体新潟搬送させる。

 ↓

遺体は両親と涙の対面をした。付き添いは葬儀屋の職員だけで、相撲関係者は誰一人訪れなかった。

 ↓

両親は度重なる不信感から新潟大学医学部遺体公費承諾解剖を実施させ、暴行死の事実が発覚した。

少年稽古人間関係過酷から部屋を脱走したこと時津風親方が憤慨してビール瓶で額を殴り、さら複数の部下に暴行命令したという。

危険なぶつかり稽古少年に対してのみ執拗強要し、少年が倒れると蹴りを入れ、金属バットで殴打するなど集団リンチを繰り返していた。

事件取材に訪れたマスメディアカメラマンへも時津風部屋力士暴行した。

 ↓

時津風親方を始め数人の力士が逮捕されたが、現在に至るまで日本相撲協会としての謝罪反省は一切行われていない。

2018-04-01

おそ松さん2期最終話感想

ネタバレ注意








一期のセンバツの件があったからまた直前回の雰囲気ぶち壊しをやるだろうと思っていたけど、まさか死にネタとは。

白装束とか棺桶とか、中途半端リアル描写がある一方で、棺桶を雑に扱ったり、金がないか軽トラ火葬場まで運ぶとか、正直、笑えなった。

しか最後は、以前にもあった腸が一部はみ出るという微グロ要素。

伏線回収とかキャラ総出演とか見所もあったのだけど、話題的に笑えなかった。

最後でこれは残念だった。

2018-03-29

anond:20180329110350

読んで字のごとく「呼んじゃう」って感じみたい。火葬場によっては、友引休みの処もあるって、とさっき読みました。びっくり。

友引人形」で検索してみて。棺に一緒に入れるのだそうです。勝手に知らない人形入れられてもなーって故人なら思いそう。


しろ

あい友引に挙式したな!友達結婚させたろ!👰🔔👼」」

もあるので、良い事もあるんだよ。(いいことかなー?どーだろっ)

2018-03-28

anond:20180328102321

邪魔だよなー、六曜って。

何の意味も無いのに。

火葬場もこれから友引を休まないところが出てくるとか。

そうしないと処理しきれないらしい。

六曜が全く意味の無いものっていうのを、誰か簡潔に説明してくれないかな。

ググってみれば分かるんだけど、説明が長くなるから

2018-03-23

おばあちゃんのおかきが食べたくなった

おばあちゃん家に行くと、いつもおかきとか煎餅を用意してくれててさ。それをボリボリ食べて、作ってくれた麦茶も一緒に飲みながら、なんて事ないお話しをしてさ。数十分もしないうちに「そろそろ帰りなね」っておばあちゃんが言うと、おひらきになって、また来るねって言って帰ってた。

物心ついた時から、おばあちゃん自分にとってのたった一人の“おばあちゃん”だった。他のおじいちゃん2人ともう1人のおばあちゃんは、自分が生まれるよりだいぶ前に、亡くなっていた。だから自分にとって唯一の、たった1人のおばあちゃん。大切なおばあちゃん

家が近かったこともあって、成人してからもちょくちょく顔を出していた。でもいつからから、おばあちゃんはだいぶ年老いて耳が遠くなったり、歩く事も難しくなったりして、自分で買い物にも行けなくなっていた。

「何も用意できてなくてごめんね」といつも言っていたけれど、菓子が欲しいんじゃなくておばあちゃんに会いに来たんだよ、とそんな会話を会うたびにしていた。

介護必要になってからデイサービスを利用するようになり、しばらくして泊まりでずっと老人ホームにいるようになった。会話も今まで通りには出来なくなってきて、ゆっくり大きな声で伝えては、言葉を拾うように耳を傾けた。やっと聞き取れた「帰りたい」という一言に、本当に胸が痛んだ。会うたびに「何もなくてごめんね」と悲しそうに言うけれど、こうやって一緒にいるだけで良いんだよ、と何度も答えた。伝わっていたかな。

熱を出して施設はいられなくなって、今度は入院先の病院に会いに行くようになった。ベッドで寝てることも多くなって、起こすか起こさないか迷ったりしてるうちに目覚めたりしてね。ご飯は流動食になって、意識も遠いことが多くなり、会話も殆どできなくなってきていた。でもたくさんお話ししたのがちゃんと伝わったのかな、帰り際に「ありがとうね」とはっきりとした大きな声で言ってくれたことが嬉しかった。

おばあちゃん気持ちが全部伝わってきたよ。いつもの看護師さんもびっくりしてたね。

少しずつ寒くなってきた頃、ついに病院から連絡が来て、家族みんなで会いに行った。ドラマで見たような心拍数とか血圧とかが映る機械が横にあって、みんなでおばあちゃんとその機械を見守っていた。手を握ったり呼びかけたりするとちょっと数字が上がって、分かってるかもね、なんて話をしてたりしてた。

実は今日、おばあちゃんの息子も来てるよ、僕のお父さん。ほら、今手を握ったのがそう。仲が悪くなっちゃって殆ど会ってなかったよね、でも来たからね。

数字上下したり、アラームが鳴ったり、そんなのを繰り返したりして、“いつ”でもおかしくないと言われた。結局、見守りを交代してうちは夕飯を食べに行ったけれど、食べ終わった頃にまた連絡が入って、すぐに戻った。

さっきと変わらない病室で、僕はそっとおばあちゃんの手に自分の手を添えた。黙ってそういている内に、機械数字は静かに減っていった。そして呼吸のリズムだんだん遅くなって、少なくなっていって。最後にはゆっくりと、そしていつの間にか消えてしまった。

しかったけれど、明るさもあった。こうやってみんなに囲まれ最後を迎えられてよかったね、とおばさんも言った。

病院からこのまま葬儀屋に行くという段取りも決まり病院の人にお礼を言って外に出ると、あまりの寒さにちょっと現実に戻った気がした。しばらくしておばあちゃんを乗せた車が出発して、それについていった。ふと、病院の出口にいつもの看護師さんが待っているのが目に入った。薄着の彼女に恐縮しつつ、開けた窓からもう一度心から感謝を伝えた。

葬儀火葬も滞りなく済み、食事になれば身内の話で盛り上がって、偲ぶと同時に明るく送り出すことができた。そしていつもと変わらない日々が戻ってきた。

それから数か月経ち、この前のお彼岸墓参りをした。納骨の時以来だった。この日ほどではないが、納骨の時も珍しく雪が降っていたのを思い出した。あれからだいぶ経った気もするし、それしか経ってないのかとも思った。ただそれだけで、何も深く考えていなかった。

でも、今日たまたま手もとにあったおかきを食べていたら、おばあちゃんとの思い出がふつふつと蘇ってきた。

東京タワーに連れていってくれたこと、遊戯王カードをねだって買ってもらったこと、大きな滝を観に行って売店で買った梨に噛り付いたこと、花火で火傷した足を冷やしてくれたこと、夏休みに一緒にお風呂に入って100数えたこと、川の字になって寝たこと、その翌朝に作ってくれた半熟の目玉焼きウインナーがおいしかたこと、「ありがとうね」と言ってくれたあの日のこと。

亡くなったときも、亡くなってからも、不思議と一滴も流れていなかった涙が、今、溢れて止まらなくて仕方ありません。

もう一度元気なおばあちゃんに会えるのなら、いつものようにあの大きな缶の箱からおかきを出してもらって、一緒に食べながらおしゃべりしたかったなぁ。

2018-03-17

anond:20180317202959

http://b.hatena.ne.jp/entry/nenesan0102.hatenablog.com/entry/2018/03/16/221105

「本文読めよ」

タイトル脊髄反射!」

火葬ワロタ

「昔はみんな土葬

イザナミ出てない・・・出てた」

イザナミゾンビじゃなくて黄泉の国の話じゃね?」

そしてなぜかブログ主5連スターの無いLhankor_MhyちゃんOutfielderちゃん……

これぞブコメ

http://b.hatena.ne.jp/entry/nenesan0102.hatenablog.com/entry/2018/03/16/221105

これははてな劣化がわかりやすくていいな。

記事中では火葬であることにもイザナミにも触れつつ話を進めているのに、本文を読んでないであろうブコメがそれを書いてないかのごとく指摘して星を集めている。

中身を見ることもなくマウントを取っているように見えるコメならば評価され、記事において進めた話がブコメで後退してしまってる。これがいまのはてなよ。

2018-03-11

初七日

明日わんこ初七日である

人生の半分くらいを共に過ごしたわんこだ。

ペット業界が拡大し、ペットと呼ばれる子たちの地位確立してきたとはいえ、世間はまだまだ「ペット」だ。

わんこにゃんこ、鳥さんや亀さん、うさぎさんや蛇さんに、蜘蛛さんやハムスターといった(他にもまだまだ)子たちが世間からみんな「○○さんちの家族」として見なされてるとはいえない。

ツイッターに書けばいいのかもしれないし、匿名ではないブログに書けばいいのかもしれない。

でもなんだかそんな気分になれないのは、やっぱりそういう方々の目に触れてやいのやいのと言われるのが嫌だからだろうなぁと思う。

初七日明日に控えて、気分は少し落ち着いてきた。

でも、それは現実を受け入れたとかではなく、上手に上手に現実逃避しているかなのだと思う。

生後二ヶ月弱で我が家にやってきたダックスさんは、やたらとお鼻と胴が長い、手足の大きな女の子だ。

途中からメキメキとぷくぷく育っていったのだが、これは甘やかしたのが悪かった。

とても柔らかい体つきだったし、小さな頃にヘルニアの手術をしているから抱き上げるときは慎重だった。

彼女植物アレルギーがあるので、おうちでゆったりと過ごす温室わんこだ。

朝起きて、ごはんを食べ、運動がてらにわたしの脱いだ靴下をあちらこちらに運んで隠すお仕事をする。

それが終わると夏は涼しいところ、冬はストーブの前に陣取りいびきかいて寝て、暇になるとちょこちょこと短い足を動かしてわたしのところに来ては抱っこをねだる、甘えんぼさんだった。

彼女はとてもやんちゃなのだ

病院帰りには必ず首輪抜けをされた。

調整しても調整しても首輪抜けをするので、なにかコツがあったのかもしれない。

窮屈なリードから解き放たれた彼女は実に楽しそうに駆け出していく。

だけど、名前を呼ぶとすぐに振り向いて、近づいてきてみたり遠のいてみたりと、わたしたちを焦らして弄ぶのだ。

これは小さい頃の話で、晩年は耳も聞こえなかったし、目も見えてはいなかった。

ヘルニア、目、耳、とさまざまなところが悪かったのだけど、彼女はとても頑張り屋さんな子なので、手術の麻酔が覚めると同時にわたしたちを探してすぐさま立ち上がる!なんてこともやってのけた。

それがとても頼もしかった。

亡くなる前日、彼女の息は既に浅く、苦しそうだった。

毎日わたしの隣で寝ているため、わたしもまたそんな苦しそうな姿を見守っていた。見守るしかなかった。

彼女プライドが高いわんこなので、足腰が立たなくなっても自らトイレに向かおうとした。その彼女が、トイレにも行けず、その場で排便したという事実あの日わたしにある程度の覚悟を持たせたとおもう。

明け方の4時頃、1度彼女は立ち上がり、大きく息を吸って倒れ込んだ。

飛び起きたわたし彼女を抱き上げて、呼吸を確認した。

見れば、ぷにっとした黒い下唇にかかるように舌がちろりと出ていた。

これはまずいと思ったわたしは何を考えたのか、口を開けて、その舌の位置を整えた。

なにがどうなったのか分からないけれど、彼女はいきなり深く息を吸って目を覚ました。

しかしたら気道確保になったのかな?なんて今になって思う。

その時点で時刻はもう朝の五時だった。

彼女は相変わらず呼吸が苦しそうに横たわっていた。

急変したのは朝の八時半で、いきなり噦くでもなく嘔吐したことわたしパニックになった。

わたしの動揺のせいか、出勤前の妹が仕事を休んでついていてくれた。

九時を過ぎたあたりで、わんこが短い痙攣を起こした。収まったあとで、上半身だけ起こすように抱き上げると、わんこはまた大きく息を吸った。あれだけ浅かった呼吸が深く穏やかなものに変わっていた。あれだけパニくっていながら、死に向かう彼女を見てわたしの頭はいやに冷静だった。

大きく吸った息を吐き出して、彼女の体は力なくぐだっとなった。抱き上げて息がないのは分かっていたけど、昨晩のようにわたしは口を開けてぺろんと出た舌の位置を整えた。

しかしたら昨夜のように吹き返すかもしれないと思ったかもしれないし、もうちゃんと分かっていたのかもしれない。

丸1日苦しんだ彼女最期は穏やかだったように思う。

家人意向で、火葬はその日の夕方依頼した。

まりくそばにいると、タイミングを見失うだろうという言葉反論ができなかった。

火葬車で迎えにきてくれて、家の前で焼いてもらう。そうして、お骨上ができて仮位牌も頂けるという業者に半べそ状態電話した。

確か、正午頃に電話をかけたのだが、向かうのが夕方になるという。

忙しいということはそれだけみんな家族を失ってるひとがいるのだなと思った。

火葬車が来る時間までは、体を拭いたり爪を切ったり、毛をカットしたりした。

生前どうしても切らせてくれない毛玉が取れて、よかったとおもった。

アイスノンで背中とおなかと頭を冷やすわんこの横に寝そべって2時間くらいわたしもお昼寝をした。

お前、そんな状況でよく寝れるなと思うかもしれないけど、眠れない日が続いていた上に前日は一睡もしてなかったので寝れたのだ。

わんこと手を繋いで寝たのだけど、どうしてもおなかに置いてあるアイスノンが冷たくて手を引っ込める、はっと気づいてまた手を伸ばす。そんなことを繰り返した。

火葬車がきて彼女を炉に入れた。

業者のおじさんが何だかやたらと明るいひとだったのだが、多分、それくらいの方がいいのかもしれない。

お線香を上げさせてもらって、扉が閉まるのを見た。

1時間から2時間くらいかかるから、家の中で待っていてくれと言われたのだが、なかなかそうもできなかった。

ただ、おじさんが火の調整か確認のために、炉の小窓を開けたときに、燃え盛る火の真ん中に横たわるわんこの姿と肉の焼ける匂いが今もまだ忘れられない。

ちょうど他のひとか死角になっていたからそれを見たのはわたしだけだ。

後ろにわたしがいると気付かず、小窓を開けてしまったらしいおじさんが少し申し訳なさそうな、労るような表情をしていたのが印象的だった。

そのあと家の中で何をするわけでもなく待っていると予定より早く、おじさんがインターホンを鳴らした。

お骨、直接拾うかい

本当は頭から順にケースに入れて持ってきてもらい、玄関先で、というのがスタンダードらしいのだが、炉から直接拾わせてもらうことになった。

お骨は綺麗に並べられていて、おじさんが部位ごとに、これはアバラで、これは喉仏で、と教えてくれた。

お尻のほうから拾ってね、という言葉ならい、母と妹が拾う中で、わたし最後頭蓋骨と喉仏を任された。

頭蓋骨も喉仏も綺麗に形を保っていた。

頭蓋骨はすくうように拾ってと言われたのだが、最後最後、みんながわたしらしいと笑ってくれたが頭蓋骨がちょっぴり崩れてしまった。

思ったよりもカサカサでサラサラだったのだ。これがあの子の頭なのかとちがう方向に意識飛ばししまったのが原因だろうと思う。箸使いは上手い方なのに……。

最後に骨壷に喉仏をおさめて、カバーをかけてもらった。

生前服を嫌がったわんこなのに、亡くなってからやたらときらびやかな服を着ているみたいでなんだか不思議だった。

お位牌におじさんの手書き名前享年が書いてあった。

きっと火葬の間に書いてくれたのだろうと思った。

話は変わるのだが、わたしペット火葬業者特に移動式火葬車を持っている業者には不信感があった。

わんこが亡くなってホームページを閲覧し火葬業者を探しているとき不安は凄まじく胸の中をぐるぐるしていた。

けれど、わたしは最終的に直感業者を選んでしまった。口コミもなく、高くもなく、これといって特筆すべきところのない業者だったのだが、ここを選んでよかったと思えるところに当たってよかったとおもう。

今、明日初七日を前にして、これを書こうとおもったのは少しでも落ちつけるだろうかと思ったからだ。

わたしは、わんこの死後2日ほどで現実逃避に走った。

ストーブの前に彼女がいないこと、眠るとき隣に彼女がいないこと。日常すべてに違和感がつきまとう。

所謂オタクというもの二次創作にも手を出しているわたしにとってツイッターは都合のいい逃げ場所だ。黙っていてもぞろぞろと情報は流れてくるし、リプがくればリプればいい。恰好の逃げ場所だ。ちがいない。

アジタケーサカンバリン的な死生観を持つわたしにとって、死後の世界想像は難儀だ。

虹の橋お話がとても素敵だ、だからこれを信じて生きていこうと思ったところで、理屈っぽいわたしは「飼い主って……え、じゃあ順番的におかんが亡くなったらおかんわんこといっしょに行っちゃうの?わたしは?」などと思ったりするので、こういう時ほんとうに自分性格を憎らしく思う。

ただ、昔、にちゃんねるで見たお話を思い出した。

VIPだったのかオカ板だったのか思い出せないのだけど、死後案内場所お話だ。

ひとは死後、自分が信じた、あるいは自分の中で印象に残っていた死生観世界に行くらしい。

スレ主は確か、宗教だとか天国地獄だとか、そういうものではなく、なにかのアニメだか漫画だかで見た「死後案内場所」のようなところにたどり着くんだとか。

そこで、これからどうします?と自分過去を遡ったりしながら今後の身の振り方(?)を決めるらしいけれど、わたしわんこはここにたどり着いていたらよいなぁと思った。

「さて、ここからどうする?」

天国に行く?」

虹の橋に行ってみる?」

「それとも何かにまれ変わってみる?」

「このままゆっくり穏やかに眠り続けてもいいよ」

自ら地獄に行きたがることはそうそうないとは思うのだけど、でもこうして選択肢があればそれがいいんじゃないかなとおもう。

うちのわんこはなにを選ぶだろう。なにを選んだんだろう。

残された人間はそうして自己満足で生きていくしかできないのだ。

辛い、悲しい、なにより寂しい。

これはすべてわたし感情で、わたし傲慢だとおもう。

それでも、どうにか生きていくためにはこの感情を抱えるにしても乗り越えるにしても何らかのきっかけが必要なのだ

これからわたし自己満足彼女に水をあげ続けるし、大好きだったシーザービーフ(まぐろ入り)を供え続けるだろう。納骨を合同にするか個別にするか不毛な悩みに頭を抱えるだろうし、毎日毎日飽きもせず話かけて、飽きもせず写真を取り替えるのだろうと思う。

わたしの一番はこれまでもこれからも変わらず、彼女だけだ。

辛い記憶を振り返りたくはないけれど、それでも毎日毎日思い出していないと記憶が朧気になってしまうことは祖母の亡き後思い知っている。

なんだか、とりとめなく支離滅裂な長文になってしまったけど、残しておきたかったのです。

断滅論の権化であるわたしが言っても違和感なのかもしれないけれど、それでもどうか、彼女が死後案内場所自分が「このコースいいな!これにしよっかな!」と思えるところを選べますように。

初七日

明日わんこ初七日である

人生の半分くらいを共に過ごしたわんこだ。

ペット業界が拡大し、ペットと呼ばれる子たちの地位確立してきたとはいえ、世間はまだまだ「ペット」だ。

わんこにゃんこ、鳥さんや亀さん、うさぎさんや蛇さんに、蜘蛛さんやハムスターといった(他にもまだまだ)子たちが世間からみんな「○○さんちの家族」として見なされてるとはいえない。

ツイッターに書けばいいのかもしれないし、匿名ではないブログに書けばいいのかもしれない。

でもなんだかそんな気分になれないのは、やっぱりそういう方々の目に触れてやいのやいのと言われるのが嫌だからだろうなぁと思う。

初七日明日に控えて、気分は少し落ち着いてきた。

でも、それは現実を受け入れたとかではなく、上手に上手に現実逃避しているかなのだと思う。

生後二ヶ月弱で我が家にやってきたダックスさんは、やたらとお鼻と胴が長い、手足の大きな女の子だ。

途中からメキメキとぷくぷく育っていったのだが、これは甘やかしたのが悪かった。

とても柔らかい体つきだったし、小さな頃にヘルニアの手術をしているから抱き上げるときは慎重だった。

彼女植物アレルギーがあるので、おうちでゆったりと過ごす温室わんこだ。

朝起きて、ごはんを食べ、運動がてらにわたしの脱いだ靴下をあちらこちらに運んで隠すお仕事をする。

それが終わると夏は涼しいところ、冬はストーブの前に陣取りいびきかいて寝て、暇になるとちょこちょこと短い足を動かしてわたしのところに来ては抱っこをねだる、甘えんぼさんだった。

彼女はとてもやんちゃなのだ

病院帰りには必ず首輪抜けをされた。

調整しても調整しても首輪抜けをするので、なにかコツがあったのかもしれない。

窮屈なリードから解き放たれた彼女は実に楽しそうに駆け出していく。

だけど、名前を呼ぶとすぐに振り向いて、近づいてきてみたり遠のいてみたりと、わたしたちを焦らして弄ぶのだ。

これは小さい頃の話で、晩年は耳も聞こえなかったし、目も見えてはいなかった。

ヘルニア、目、耳、とさまざまなところが悪かったのだけど、彼女はとても頑張り屋さんな子なので、手術の麻酔が覚めると同時にわたしたちを探してすぐさま立ち上がる!なんてこともやってのけた。

それがとても頼もしかった。

亡くなる前日、彼女の息は既に浅く、苦しそうだった。

毎日わたしの隣で寝ているため、わたしもまたそんな苦しそうな姿を見守っていた。見守るしかなかった。

彼女プライドが高いわんこなので、足腰が立たなくなっても自らトイレに向かおうとした。その彼女が、トイレにも行けず、その場で排便したという事実あの日わたしにある程度の覚悟を持たせたとおもう。

明け方の4時頃、1度彼女は立ち上がり、大きく息を吸って倒れ込んだ。

飛び起きたわたし彼女を抱き上げて、呼吸を確認した。

見れば、ぷにっとした黒い下唇にかかるように舌がちろりと出ていた。

これはまずいと思ったわたしは何を考えたのか、口を開けて、その舌の位置を整えた。

なにがどうなったのか分からないけれど、彼女はいきなり深く息を吸って目を覚ました。

しかしたら気道確保になったのかな?なんて今になって思う。

その時点で時刻はもう朝の五時だった。

彼女は相変わらず呼吸が苦しそうに横たわっていた。

急変したのは朝の八時半で、いきなり噦くでもなく嘔吐したことわたしパニックになった。

わたしの動揺のせいか、出勤前の妹が仕事を休んでついていてくれた。

九時を過ぎたあたりで、わんこが短い痙攣を起こした。収まったあとで、上半身だけ起こすように抱き上げると、わんこはまた大きく息を吸った。あれだけ浅かった呼吸が深く穏やかなものに変わっていた。あれだけパニくっていながら、死に向かう彼女を見てわたしの頭はいやに冷静だった。

大きく吸った息を吐き出して、彼女の体は力なくぐだっとなった。抱き上げて息がないのは分かっていたけど、昨晩のようにわたしは口を開けてぺろんと出た舌の位置を整えた。

しかしたら昨夜のように吹き返すかもしれないと思ったかもしれないし、もうちゃんと分かっていたのかもしれない。

丸1日苦しんだ彼女最期は穏やかだったように思う。

家人意向で、火葬はその日の夕方依頼した。

まりくそばにいると、タイミングを見失うだろうという言葉反論ができなかった。

火葬車で迎えにきてくれて、家の前で焼いてもらう。そうして、お骨上ができて仮位牌も頂けるという業者に半べそ状態電話した。

確か、正午頃に電話をかけたのだが、向かうのが夕方になるという。

忙しいということはそれだけみんな家族を失ってるひとがいるのだなと思った。

火葬車が来る時間までは、体を拭いたり爪を切ったり、毛をカットしたりした。

生前どうしても切らせてくれない毛玉が取れて、よかったとおもった。

アイスノンで背中とおなかと頭を冷やすわんこの横に寝そべって2時間くらいわたしもお昼寝をした。

お前、そんな状況でよく寝れるなと思うかもしれないけど、眠れない日が続いていた上に前日は一睡もしてなかったので寝れたのだ。

わんこと手を繋いで寝たのだけど、どうしてもおなかに置いてあるアイスノンが冷たくて手を引っ込める、はっと気づいてまた手を伸ばす。そんなことを繰り返した。

火葬車がきて彼女を炉に入れた。

業者のおじさんが何だかやたらと明るいひとだったのだが、多分、それくらいの方がいいのかもしれない。

お線香を上げさせてもらって、扉が閉まるのを見た。

1時間から2時間くらいかかるから、家の中で待っていてくれと言われたのだが、なかなかそうもできなかった。

ただ、おじさんが火の調整か確認のために、炉の小窓を開けたときに、燃え盛る火の真ん中に横たわるわんこの姿と肉の焼ける匂いが今もまだ忘れられない。

ちょうど他のひとか死角になっていたからそれを見たのはわたしだけだ。

後ろにわたしがいると気付かず、小窓を開けてしまったらしいおじさんが少し申し訳なさそうな、労るような表情をしていたのが印象的だった。

そのあと家の中で何をするわけでもなく待っていると予定より早く、おじさんがインターホンを鳴らした。

お骨、直接拾うかい

本当は頭から順にケースに入れて持ってきてもらい、玄関先で、というのがスタンダードらしいのだが、炉から直接拾わせてもらうことになった。

お骨は綺麗に並べられていて、おじさんが部位ごとに、これはアバラで、これは喉仏で、と教えてくれた。

お尻のほうから拾ってね、という言葉ならい、母と妹が拾う中で、わたし最後頭蓋骨と喉仏を任された。

頭蓋骨も喉仏も綺麗に形を保っていた。

頭蓋骨はすくうように拾ってと言われたのだが、最後最後、みんながわたしらしいと笑ってくれたが頭蓋骨がちょっぴり崩れてしまった。

思ったよりもカサカサでサラサラだったのだ。これがあの子の頭なのかとちがう方向に意識飛ばししまったのが原因だろうと思う。箸使いは上手い方なのに……。

最後に骨壷に喉仏をおさめて、カバーをかけてもらった。

生前服を嫌がったわんこなのに、亡くなってからやたらときらびやかな服を着ているみたいでなんだか不思議だった。

お位牌におじさんの手書き名前享年が書いてあった。

きっと火葬の間に書いてくれたのだろうと思った。

話は変わるのだが、わたしペット火葬業者特に移動式火葬車を持っている業者には不信感があった。

わんこが亡くなってホームページを閲覧し火葬業者を探しているとき不安は凄まじく胸の中をぐるぐるしていた。

けれど、わたしは最終的に直感業者を選んでしまった。口コミもなく、高くもなく、これといって特筆すべきところのない業者だったのだが、ここを選んでよかったと思えるところに当たってよかったとおもう。

今、明日初七日を前にして、これを書こうとおもったのは少しでも落ちつけるだろうかと思ったからだ。

わたしは、わんこの死後2日ほどで現実逃避に走った。

ストーブの前に彼女がいないこと、眠るとき隣に彼女がいないこと。日常すべてに違和感がつきまとう。

所謂オタクというもの二次創作にも手を出しているわたしにとってツイッターは都合のいい逃げ場所だ。黙っていてもぞろぞろと情報は流れてくるし、リプがくればリプればいい。恰好の逃げ場所だ。ちがいない。

アジタケーサカンバリン的な死生観を持つわたしにとって、死後の世界想像は難儀だ。

虹の橋お話がとても素敵だ、だからこれを信じて生きていこうと思ったところで、理屈っぽいわたしは「飼い主って……え、じゃあ順番的におかんが亡くなったらおかんわんこといっしょに行っちゃうの?わたしは?」などと思ったりするので、こういう時ほんとうに自分性格を憎らしく思う。

ただ、昔、にちゃんねるで見たお話を思い出した。

VIPだったのかオカ板だったのか思い出せないのだけど、死後案内場所お話だ。

ひとは死後、自分が信じた、あるいは自分の中で印象に残っていた死生観世界に行くらしい。

スレ主は確か、宗教だとか天国地獄だとか、そういうものではなく、なにかのアニメだか漫画だかで見た「死後案内場所」のようなところにたどり着くんだとか。

そこで、これからどうします?と自分過去を遡ったりしながら今後の身の振り方(?)を決めるらしいけれど、わたしわんこはここにたどり着いていたらよいなぁと思った。

「さて、ここからどうする?」

天国に行く?」

虹の橋に行ってみる?」

「それとも何かにまれ変わってみる?」

「このままゆっくり穏やかに眠り続けてもいいよ」

自ら地獄に行きたがることはそうそうないとは思うのだけど、でもこうして選択肢があればそれがいいんじゃないかなとおもう。

うちのわんこはなにを選ぶだろう。なにを選んだんだろう。

残された人間はそうして自己満足で生きていくしかできないのだ。

辛い、悲しい、なにより寂しい。

これはすべてわたし感情で、わたし傲慢だとおもう。

それでも、どうにか生きていくためにはこの感情を抱えるにしても乗り越えるにしても何らかのきっかけが必要なのだ

これからわたし自己満足彼女に水をあげ続けるし、大好きだったシーザービーフ(まぐろ入り)を供え続けるだろう。納骨を合同にするか個別にするか不毛な悩みに頭を抱えるだろうし、毎日毎日飽きもせず話かけて、飽きもせず写真を取り替えるのだろうと思う。

わたしの一番はこれまでもこれからも変わらず、彼女だけだ。

辛い記憶を振り返りたくはないけれど、それでも毎日毎日思い出していないと記憶が朧気になってしまうことは祖母の亡き後思い知っている。

なんだか、とりとめなく支離滅裂な長文になってしまったけど、残しておきたかったのです。

断滅論の権化であるわたしが言っても違和感なのかもしれないけれど、それでもどうか、彼女が死後案内場所自分が「このコースいいな!これにしよっかな!」と思えるところを選べますように。

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