はてなキーワード: 愚考とは
じゃかじゃか ってどちらかの方言なのでしょうか。
本文の内容を察するに「とりとめもなく」あるいは「しっちゃかめっちゃかに」
有識者の方、教えて頂けないでしょうか。
ぽこじゃかぽこじゃか の変異体でしょうか。
気になって夜も眠れません。
んんwwww増田氏、なかなか深遠なる思索を巡らしておられるようですが、拙者としては一歩先を行った見解を呈したいと思いますぞ。
一夫多妻制や一夫一婦制に関しての議論は、単なる制度の話に留まるものではございませんぞ。これはむしろ、社会の構造や文化的背景、さらには経済的、倫理的観点からも考察すべき複雑な問題ですぞ。増田氏の分析が浅薄に感じるのは、その多面的アプローチが欠落しているところからくるのではないかと愚考しますな。
増田氏が指摘する「弱者男性」と「恋愛強者の女性」という二元論的な視点は、現実の複雑さを捉えきれておりませぬぞ。実際には、婚姻制度がどのような個人やグループを保護し、あるいは制約するかは、地域や文化によっても異なりますし、個々の価値観にも左右されまする。恋愛強者だからといって必ずしも一夫多妻制を望むわけではありませぬし、同様に一夫一婦制を重んじる者も存在しますですぞ。
加えて、なぜ一部の人々が一妻多夫制や一夫多妻制を支持するのかという疑問には、むしろその人々のライフスタイルや価値観、または現行制度への反発感情など、心理的要素も考慮すべきでございまする。単なる強がりや破滅主義と片づけられぬ、深層的な思惑も存在することでしょう。
結局のところ、全ての話者が正直に意見を述べているとは限らず、その背景には政治的、感情的、経済的な要素が複雑に絡み合っております故、一元的な結論を出すのは難しいのでございますぞ。増田氏もその点を考慮に入れ、もう一歩深い考察を進められては如何でしょうかですぞ。
アファーマティブ・アクションという名の『トロッコ』の下敷きになっている一人であると同時に、
告発の発端となったDMの送り主と同じく、ちゅうしたいしえっちしたい(泣)騒動を当時間近で見聞きしていた一人として、
よくもまあそんなえらそうなことが言えたものだと、かねてより神山翼氏の厚顔無恥なポジショントークを大変苦々しく思っていたのですが、
あろうことか氏が女子学生と不適切な関係にある上にハラスメントの加害当事者である蓋然性が高いだけでなく、
それが事実であった場合に本来その被害者たちの最も心強い味方であるべき(特に同性の)研究者たちが
臆面もなく公然とセカンドレイプを加えているというあるまじき惨状を目の当たりにし、あまりの悍ましさに筆を執らずにはいられませんでした。
研究者といえども所詮一人の人間であり、その高い(ことになっている)論理的思考力をもってしても
認知的不協和を適切な形で解消できるとは限らない、という事情は理解しないでもありません。
しかし、小山(狂)氏へのDM等を通じて今回の件を改めて世に告発した(元)女子学生たちの立場から見た時、
普段は女性の学究環境の改善を声高に叫んでおられる(特に同性の)アカデミアの先人たちが、揃いも揃って、
今まさに実際に不利益を被っている女性であるはずの自分たちを心配し、守り、力になるために立ち上がってくれるどころか、その素振りすら見せず、
あまつさえ印象操作によって加害者を擁護し、稚拙な詭弁によって問題をすり替え、挙句の果てには刑罰をちらつかせて言論を封殺しようとしている様は、一体どのように映るでしょうか。
あるいはこうした人々の振る舞いは、奇しくも以前学内で告発を試みた学生を長時間にわたり監禁・恫喝したとされる教員に女性が含まれることと併せて考えた時、
「女子学生たちは主として男性教員・研究者が『原罪』的に抱えるアンコンシャス・バイアスとやらによって不当な扱いを受けがちであり、
その対策として多少強引にでも女性研究者の数を増やし性別の偏りを均すことは、必要不可欠でありやむを得ない」とする大層立派なご高説と果たして整合しているでしょうか。
「神山氏が本当は潔白であり、悪意をもった何者かによって陥れられようとしている可能性」がゼロではない、と主張するのは結構ですが、
これまで非常に活発に発言してきた神山氏が一転、否認すらせず不自然なほど沈黙を貫いている現状を踏まえたとき、それは
「仮に今回の告発が真実だった場合に、不必要に被害者たちの尊厳を踏み躙り、感情を逆撫ですることになる可能性」や
「今回の告発の真偽にかかわらず、今後もし同様の事態が発生した場合に、最初からその被害者が声をあげる気力を挫いてしまう可能性」と天秤にかけて、
それでもなお積極的に発信・表明するに足ると、本気で信じておられるのでしょうか。
特に、氏の知己を自称しておられる諸氏におかれては、支離滅裂な感想を垂れ流しているような暇があるなら、まず神山氏本人に事の真相を問い質せばよろしいはずで、
それすらしないままご自身の友誼・主観だけを根拠に一方的に告発の信憑性に疑義を呈しておられることの方が、よほど女子学生にとって有害ではないでしょうか。
今回の疑惑に対するアカデミアの一部の人々のこうした反応は、疑惑の真偽以前の問題として到底看過できるものではなく、
「仮に告発が虚偽だった場合に、神山氏並びに関係者の名誉を不当に毀損することになる可能性」を慎重に考慮した上でなお、糾弾を免れないものであると考えます。
彼らがいみじくも『安全地帯からのんびり』指摘なさっておられる通り、万が一告発が全くの捏造であると判明した暁には、
書き手を含む少なからぬ人間が謂れのない誹謗中傷に加担していたことになろうかと思いますが、
そのリスクを負う意義に疑いを挟む余地がないほどに、彼らの振りかざす「正論」の欺瞞は座視しがたいものであり、それゆえ『刺し違える覚悟で』この文章をしたためているというわけであります。
(それに、女子学生・女性研究者の数的不利を補うためなら、無辜の男子学生・若手男性研究者の人生が犠牲になるのもやむなし、とされてきた神山氏のことですから、
今まさに女子学生たちを脅かす理不尽を非難し連帯を表明するためなら、たとえ氏が無実であったとしても、その名誉が一時的に損なわれるくらいのことはきっと甘受してくださることでしょう。)
返す返すも恐るべきことに、上に挙げたような、被害者であるはずの女子学生たちのことを慮っているとは微塵も思えないような仰天発言・行動の主たちの多くは、
平素は女子学生・女性研究者の味方を謳い、女子枠や女性限定公募をはじめとする積極的性差別とそれに伴う犠牲の正当性を主張し、神山氏の高邁な志にも強く賛同しておられたはずの方々です。
傍から見ていると皆様それらとは随分とかけ離れた振る舞いをなさっておられるように見受けられるわけですが、
むしろそれが本性であり、普段のご立派な発言の数々はその実アカデミアに蔓延るとされる不公正に苦しむ女性のためなどではなく、
ファッションとしてお仲間同士で高尚な御託を並べて、単にご自分の承認欲求を満たして気持ちよくなっていただけだった
——という「誤解」を招きかねない言動は慎まれた方がよろしいのではないか、と僭越ながら愚考する次第でございます。
神山氏が関係するものに限らず、今回告発されたお茶の水女子大学におけるあらゆるハラスメントに遭われた皆様の悲しみや怒りは、察するに余りあります。
その上、本来自身を守ってくれるはずの仕組みが張りぼてでしかなく、手を差し伸べてくれるはずの人間が案山子でしかなかったことの絶望に至っては、計り知ることもできません。
そのような苦しみの中でも、まず毅然と立ち上がり相談室へ向かった勇気ある方々、違和を鋭く察知し強力な証拠となる録音の準備を怠らなかった如才ない方々、
数多の困難・逆風に屈することなくOchatやSNSで粘り強く声をあげてくださっている方々を、心から尊敬します。
匿名であることは決して、証言の真正性を不当に減じたり主張を忽せにしたりする理由たりえません。
それを攻撃するのは往々にして自身の立場が保障されているがゆえにその必要がない「強者」であって、
学生(や任期付き研究者)という、単位・卒業・キャリアを人質に取られ「弱い」立場にある我々にとっては、歴とした自衛の手段です。
『下劣な』口撃に怯み惑わされる事なく、このまま堂々と突き進んでください。
どうか、正義がなされんことを。
コスパ論は排除の論理である。そしてコスパ・排除論者に言いたいのは、君らミクロしか見えてなくてマクロで物を考えるってことが全然できてないってことだ。その結果、社会全体やひいては世界を亡ぼす。部分最適の総和は全体最適にならない、なんてことはもう一世紀以上前から常識だ。君らの論は、放置すると以下のような言説になる。
……
その結果、人は障碍を得たり年をとったり社会的に弱い立場に立っただけで簡単に人権を失い、強者が権力を振りかざす、安全・安心からほど遠いディストピアに住むことになるんだけど、それがコスパの果てに待つ社会だということを「コスパコスパ」唱える連中は理解もしない。自分がそういう主張をしているということを認めないばかりか、「そんなのはほかの誰かが対策すること」で「自分たちは目の前の問題についてだけ冷静に意見を言ってる」と思っている。その結果、20世紀から21世紀の現在、どういう社会が訪れたか、
コスパと排除の論理を突き詰めれば、すぐそこまで行く。歴史や世界情勢を見れば、一目瞭然である。
だから、コスパ論者は、自分に全体を見る目がないという認識があるならせめて黙っていた方がいい。とはいえ、自分の理解の及ばないことについては沈黙する、というのは意外と高い知性が必要な行為なので、人類そこまで頭良くない、っていうのも悲しい現実だ。その結果やがて、そういう「普通の人々」からの人気を当て込んで極論を振りかざすデマゴーグが現れて、多くの人が進んでその養分になり、社会や国家は破滅的な被害を受ける。なのに、喜んで養分になった人々は、全てが終わった後口をそろえて「知らなかった、騙されていた」と言い出して、自分には非がないと言い立てる。そうして数十年後、また同じことを繰り返す。世界のあちこちで。
人間の一員として生きるということは、そういう愚かさと共に歩む覚悟をもつということでもある。言い換えれば、その愚かさと共に歩む覚悟がない者は、政治についても社会についても何も実のあることを語ることができない。理念だけのリベラルが常にデマゴーグに敗北する理由がこれだ(それは数や勢力というだけの意味でなく、リベラル寄りの思想の持主もまた、たやすくコスパ論にからめとられて排除論者に闇落ちするということでもある)。
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さて、以下は、上記を踏まえた愚考である。ぶっちゃけ読まなくていい。けど、少し暇があり、与太話に付き合ってもいいというなら、読んでいただければ幸いだ。
民主主義には「少数意見の尊重」という、コスパ論に堕しないための重要な楔が打たれているのに、民主主義を標榜しながら人は安易に「多数決」を持ち出して、少数意見を無効化しようとする。少数意見を顧みず議論も廃した「多数決」は、現実主義でなく単なる数の暴力なのだが、近視眼的なコスパ論者にはその違いが分からない。そうして、コスパ論者、すなわち民主主義者と自認する「多数による独裁」主義者は、「諸外国の脅威に対抗するため」「緊急事態に対応するため」などの言い訳をつけて、やがて民主主義を独裁主義で蚕食しようとし始める。「その方がコスパいいと思う」から。
人間の脳のバグ、たとえば、動物的に振舞いたいというバグは、2000~3000年前ごろから「宗教・道徳」というパッチが発明されたことで世界的にデバッグが進んだ。結果、社会や文化は大きく進展した。宗教や道徳が整えば、人と人、国と国の協力が可能になり、交通が利便に、経済が発達し、国はうるおい文化が発達する。しきりに法が作られたのも、こうした理由である。道徳や法が国を栄えさせるという実例を見て、またほかの国もそれを真似るようになる。こうして急速にパッチは普及した。
だがその後、宗教パッチを当てると人は神秘主義に陥り、ある一定のレベルで文化の発達が止まるという新たなバグが見えてくるようになった。それに対して一般に「科学・哲学」パッチが発明され適用されるようになったのは、割と最近のことだ。科学が宗教に優越する地位を占めるようになったのは、近世になってからのことだ。科学は実証によって宗教に優越する効果を示した。ただ、同時に道徳を破壊することになる危険性についても、パッチ適用当初から危惧されてはいた。ただし、宗教パッチの害悪の方が重くなっていた当時の時代から見れば、それはまだ些細な問題に過ぎなかった。「科学・哲学」パッチによって、停滞していた文化は学問となって更に発展し、国の規模は拡大して強大な国家が生まれた。人は世界の果てまで到達し、文化の発達を謳歌した。
ところがその先に生まれたのが、狭くなった世界における衝突と排除の論理である。特に、宗教パッチの効果を低下させたことによる道徳性低下の影響はやはり無視できなかった。文化の発達によって世界は狭くなり、道徳性の低い強者がより一層大きくなることで、弱者が「合理的」に使い潰される状況が起きてきた。道徳性が高いと思われる者でさえ、「善意」と「合理性」により、異文化を侵略・排除する帝国主義が世界を支配した。つまり、コスパ論の時代である。
これに対し20世紀後半になってようやく、これではまずいという判断の下、「民主主義・人権」パッチが発明され普及を始めた。そのために人類は、数度にわたる世界大戦という苦い代償を払うことになったが、その教訓とともに適用されたパッチで、世界大戦の脅威をいくらか遠ざけることができるようになった。だが、何度もこれを無視した戦争が引き起こされ止まらないように、依然としてこのパッチは十分適用されていない。劣化版のパッチ(ポリコレ棒)やパッチに対抗する新たなウィルス(多数決万能論)さえ出てくる始末であり、パッチの普及にも暗雲が垂れ込めている。
それだけではない。狭くなった世界、拡大を続ける資本主義の下(拡大し続けることは資本主義の仕組自体の問題で、本質的には解消不能である)、環境問題といった新たに別のパッチが必要な問題が生まれてきた。それに対する「SDGsパッチ」はまだ発明されたばかりで、その有効性も不透明だ(このパッチ自体にバグがある可能性もまだ否定できない)。これが21世紀の現状である。
これらのデバッグが完了し、人類が「戦争」と「環境問題」という2つの危機を乗り越えるのは、一体いつになるのか。いや、そもそも乗り越えられるのか。優秀なデバッガーや啓蒙家の数がどれほどになれば、人類は生き延びられるのだろうか。
1つが、他人より優れた人間になることに強いコンプレックスがあるとか周りに甘やかされて天狗になってるパターン
本人は別に頭が良くないこともよくある
これは見下しているというよりはコミュニケーションエラーというべき
三つ目が、知能が高いパターン
IQが100に近い人間にとっては、自分と同じくらいの人間が世の中の80%で、自分より賢い人が50%、自分より賢くない人が50%、ほとんどの人と意思疎通ができると感じる
IQが100以上の外れ値になっていくと、自分と同じくらいの人間が世の中の5%、世の中の90%の人間が自分より賢くない世界、とかになっていく
この人たちは、自分と同じくらい賢い人間に会えると、やっと会えたと喜んでいる
見下すというより諦念に近い
wifiやネットワークの仕組みを知らない人間がひーこら戦った…疲れた
モデム?
デスクトップとwifiルーターそれぞれに有線LANが繋げれている
モデムと有線で繋いだデスクトップPCはインターネットに繋げられるので、このモデムは「ルーター機能付きモデム」?と考えている
かなーり昔にwifiルーターをデフォルトの設定から変更したはず。
たしか当時、steamのリモート画面ソフトが出てスマホからPCをリモートしてゲームが出来るアプリをインストールした。
しかし、スマホからデスクトップPCを検出できず、いろいろ調べまわった。
結果、wifiとモデムでは別ネットワークになっているらしく?お互いを身内と認識できない状態だと認識した。
モデム(192.168.1.1)
しかもwifiルーターからモデムに繋がっているということは、2.1から外部へ行くのに1.1を経由する必要があるということで、いわゆる「2重ルーター」?状態という構成っぽくて、これは速度的によろしくないという解説だった。
そのため、wifiルーターの管理画面に接続し、動作モードを「APモード」に変更した。
これはwifiルーターのルーター機能を使わず、モデムの無線機能として振舞うことでwifi接続機器が同一ネットワーク(192.168.1.1)で動く(モデムのルーターを使う)アクセスポイントになるモードのようだった。
APモードに変更した結果、スマホからデスクトップPCを認識してリモートデスクトップが出来るようになった。(あまり使わなかったけど)
古いスマホであるし普段、遅い公衆wifiしか使っていなかったので速度を問題視していなかった(我慢できる範疇)だったが、このたびミニPCを買ってみてwifi運用してみることにした。
しかしネットサーフィンも厳しいぐらい速度が遅く、接続も不安定だった。
スピードテストを行ってみると、wifiPCで3Mbps、スマホで1Mbpsだった。
スマホをwifiルーターの真横に置いてもこの速度だったため、再度設定をみなおすことにした。
(有線デスクトップPCでは300Mbpsは出るし一応100~72Mbps程度は規格上の上限として目指せそうと考えると、流石に遅すぎると考えた)
いろいろ試したが効果はなく、最後にwifiルーターの動作モードをルーターモードに変更してみた。今までの知識では無駄な動作や2重ルーター問題など多分に増える結果、速度は今以上に落ちるはずだと考えていた。
スマホからデスクトップリモートデスクトップが行えないことは我慢できる。
しかし恐らく、無線接続したミニPCとデスクトップPCとの間でのファイル共有はできない…と思われる。
192.168.1と2で別ネットワークのためお互いが見つけられないはずだ。
これを解決するにはデスクトップPCもモデムではなくwifiルーター側に有線して192.168.2のネットワークに属すれば良いと愚考する。
するとモデムの192.168.1がさっぱり空洞化するし、さすがにその場合はデスクトップPCの速度が落ちそうだ。
構成が気持ち悪いのでやっぱりwifiルーターはAPモードで動作させ、かつwifiの速度がルーターモード並みに改善すればいいのだが…これ以上設定を弄れる項目もなさそうで手詰まりの状態である。
APモードのときはモデムに有線接続したデスクトップPCから192.168.1.X(おそらくDHCPで割り振られたwifiルーターのアドレス)に繋ぐことで設定画面へアクセスできた。
ルーターモードのときは192.168.2.1固定となるが、モデムに有線接続したデスクトップPCやwifi接続したスマホからはアクセスできないようだ。
モデムとデスクトップPCを繋ぐLANケーブルをモデムからwifiルーターに接続するように変更し、IPを192.168.2.100などとしてからでないと192.168.2.1の設定画面にアクセスできる模様。
幸いにも手が届く範囲にモデム類を置いてあったが、操作が億劫な場所に安置するとなかなか面倒な作業になる。
なぜスマホ、無線からだとダメなのかと考えると、悪用防止のためだろうか?
しかしwifiと設定画面両方、いや仮に公衆なら設定画面だけか。ID/パスワード認証を突破しないといけないのだからwifi接続からアクセスできても楽な気がする。
まず最初に謝っておくとあんまり某事務所関係ない、個人の感情の吐き捨て場です
釣られた人はごめんな、他に良い言い方思いつかなくて…
要約するとクソみたいな自分語り
しかもリアル知人の誰にも言えね〜って感情を吐いてるだけなので支離滅裂だと思う、その上長い。読みにくくってごめんな
最近巷で話題の某芸能事務所の元社長(故人)が少年にセクハラ、というよりかは性的暴行を加えてたって話
私は小学一年生の頃にFF7の主人公、クラウド・ストライフに初恋を奪われてっきり
専ら2次元の美形に首ったけだった人間なので、ファンでも何でもなく
正直ゴシップ記事でそういう噂をよく聞くよね〜くらいの認識だった
性的暴行があったと一人の勇気あるタレントさんが告白して、ニュースが騒ぎ立て始めた位の時も私はまだ何処か他人事というか
事実だったら余りに酷い、大人が子供にしていいことじゃないだろ…とか、いい年にした大人の正常な感覚として思ってたけど
けどそんな酷いことする大人がいるのね、あんまりだねってニュースやネット記事が目に入るうち、本当に突然フッと思い出した。
私も子供の頃に大人に性的なことされていた、そのうえ相手は実父だった。
正確には忘れてなかったので思い出したというよりかは「あれはそうだったのでは??」という気づきを得た。
幸いにもと言っていいのか、私が受けた被害というのはそこまで深刻ではなかった
いやこういう事に深刻じゃないも何もないけど、所謂最後まで、というのは思い出す限りされてないし男性器をどうこうしろみたいなのも無かったと思う
ただ身体を触られてた、もっと正確に言うならお尻と性器を重点的に撫で回されてた。
親子なのだし、微笑ましいコミュニケーションの一環として子供の頃に一緒にお風呂に入るというのは割と一般的だと思う、その際に身体を洗ってもらうのも。
あと遊んでる最中に頭を撫でられたり抱き上げてもらったり。
私にも父とそうした記憶がある。
そういうことの延長線上に、私の場合1組の布団に一緒に入って身体を撫で回されることがあった、割と日常的に。
当時の私は4歳から7歳くらいで、それが性的な何かということは知らず
頭を撫でられたりお風呂で身体洗われたりするのとの違いも分からなかったし
なんならそれはごくごく普通の親子のスキンシップなんだろ、と思ってた
少なくとも嫌!って思ってた記憶は無い
「なんかすごいこの辺触ってくるな…」とは感じてたけど、わざわざ母親に相談したり周りの人に言ったりする事でもなかったし、そんな知識も無かった
そして私が8歳とかになると父親が身体を撫で回すことも無くなったので、自分の中で掘り返すような記憶でも無くなっていた
それから数年経って、尻だの胸だの性器だのは他人に気軽に触らせる場所じゃ無いと知っても
私がぼんやりした性分だからなのか、その時のことが普通じゃないって気が付かず
なんて言うんだろうな、親とエロを繋げる意識がまず無かったんだろうな
でも中学生くらいになって、セクハラとか痴漢とかがどこかの遠い国くらい遠い出来事じゃなくなって
例えば電車の中でお尻を触ってくる人が居る、みたいな話を聞くと「最悪の変態がいたもんだな」って吐き捨てる気持ちになったし
実の子供に性的に手を出す親が居ると知ると「とんでもないロリコン、最低な親だな」って認識してた
恐らく自分がされてたことを知り合いの誰かが同じようにされてたら「それって異常だよ!性的な虐待じゃないの?」って(相手の感情を慮らなければ)言ってすらいた筈で
社会通念でいうセクハラとか性的虐待の認識は割とちゃんとあった、と思う
ただ自分がされてたって認識が全く無くて、それを今の今まで気が付かなかった。
そしてあれから20年近く経って、今気がついた、あれは異常なことだった。
見ないふりをしてきた、とかでは無く本当に今まで気が付かなかった。
そして今漸く気がついた私の心境について。
今まで私はドラマや小説なんかで子供の頃に実父に性的なことをされていた過去の場面や設定を見て
万が一にも自分がそういう目にあったならそれはさぞ強い怒りや憎しみが湧くのだろうと思っていた
しかし実際にはそんな事は無かった。
勿論全ての人がこうじゃないだろう
そういう人達の方が余程健全だし、私の親しい人たちがもし同じ目にあったならそうあって欲しい、そして二度とそんな目に合わせた人間に近寄らず生きていってほしいと思う
ただ私の場合は、最初に先ず動揺して混乱して、それからずっと困っている。
もう怒る相手がこの世に居ない。
もしまだ父が健在で、のうのうと私の良き父のような顔をしていたのならもっと違ったかもしれないが、父はもう物言わぬ骨になっている
そのうえ私は未だに父にされた事が普通のスキンシップでは無いのだとちゃんと正しく理解出来ていない様に思う
例えば他の家庭で同じことが起きたと聞いたら「虐待に決まってんだろ、子供から離れて二度と会うなよ!」と言えるのに、自分と父親とになると途端に「虐…虐待……って程のこと……かな??いや、嬉しかった訳じゃないし、同意もクソもなかったけども…………」みたいな歯切れの悪い、どこか言い訳したいような感情になる
自分が虐待を受けた、というのがどうにもすんなり受け入れられない
でもじゃあそんなこともあったけど私は元気です!!オールオッケー!と割り切って全てを許せるのかと言えばそうも出来ない、どこかで許せないなとも思う
子供が何も知らないのをいい事に大人が性的な意図でもって触れる事を許してしまえる社会は嫌だな、とも。
もし私の父が性的な触れ方をする以外にも暴力を振るったり金遣いが荒かったりする、どうしようもない父親なら
そうしたら私はきっともっと簡単に恨めたし「クソ親父」と口汚く罵り、彼の墓に狼藉も働けただろう
けど、確かに物心もつかない年頃の娘の性器を撫で回し、目の前でエロ動画を見て
母親に浮気を見て見ぬふりしてもらうようなどうしようも無いドスケベ親父だったけど
それでも陽気で楽しい父親だったと思っている、思いたい自分が居る、未だに。
長距離トラック乗りだったから一緒に過ごした時間はそれ程多くないけど、クソオタクの娘にも理解のある
娘の手作りとも呼べないような卵焼きで1日機嫌が良くなるような
自慢でも無いけど悪し様に罵るほどでは無いそんな父親だったのだと。
生きていれば、一言「とんでもないことをしてくれたな」と吐き捨てられたなら、こうも複雑な気持ちにならずに済んだのだろうか
それとももっと苦しんだんだろうか
想像してみるけれど、やっぱりまだよく分からず、気持ちの置き場に困っている。
いつかハッキリスッキリ、私の中で答えが出る日がくるんだろうか、来ない気がするな。
某芸能事務所のタレントさん達はどうしてもっと早くに被害を訴えなかったのかという声を聞くと
きっとそれぞれの立場や考え、いろんな要因は多々あれど、その中には私のように自分がされたことをどこかで正しく認識できない人もいるのでは無いかな、なんて愚考したりする。
子供は大人のことを、決して間違えない生き物だと思っている節があって
自分に近しい大人であればあるだけ、自分を傷つけるわけが無いのだと信じたい
だから何か酷いことをされても「無かった」ことにしたい、あるいは本当に「無かった」のだと思い込む
いつか正しく事実を認識することがあっても、与えられたものが苦痛だけじゃないと憎みきれなくてでも無かったことにして許しきれるわけもなくて、どうしたらいいのか分からないままずっと苦しむ。
小学生の頃、将来何になりたいか、なんて聞かれたことが誰しもある
おそらくこれが起点なんだろう
将来何かにならないといけないと思わされて成長してしまうのだ。これは一種の洗脳だ
大人になってようやくわかってくる
漫画家になりたい人も漫画でお金を稼げないと分かれば夢をあきらめてサラリーマンになっていく
もっと早くから、お金を得る手段さえあれば漫画家にチャレンジできることを知っていれば、別の道があったはずだ
漫画家になるためには、漫画家を目指したらいけない。この道は一握りの天才しか通ることができない道だ。自身が天才ではないと気づいた時点で降りるしかない道だ
ほとんどの天才でも一作目から売れまくる作家は尾田栄一郎くらいのものだ。遊戯王の高橋和希ですら15年もの下積みがある
いま漫画家は女性の方が多いという。女性の方が漫画の才能があるのか?私は性別に関係ないと思う
男性より多い分は既婚の女性が漫画家になっているということだ。金を稼ぐ手段が別にある(夫が稼ぐ)から、漫画家にチャレンジし続けられる
目的が漫画家として大成することでも、細々と表現することでも、どちらでも長い下積み期間を超えるための”お金を稼ぐ手段”が必要なんだ
始めからこれを知っていれば、ただ漫画家を目指すなどという愚考はおかさないはずだ
残業の少ない会社に絞ってサラリーマンになるとか、株の勉強をしてデイトレーダーになるとか、余暇が多くなる仕事を目指す方が結果的に漫画家になれるんじゃないか
「何になりたいか」なんてきくべきことじゃない
https://twitter.com/K_JINKEN/status/1665696991433871360?s=20
@K_JINKEN
「絶対に阻止すべき」
です
同性愛者にとってはなおのこと
なぜかと言えば、現状の婚姻は子孫繁栄を前提にしたもので、それを同性に広げたら、婚姻の優遇を減らす方に進むのが目に見えてます
@K_JINKEN
21時間
詐欺師が金持ちの情弱を騙して財産をぶんどるために活用されることでしょう
@K_JINKEN
21時間
婚姻関係がないと公営住宅に同居できないとか、病院で面会できないとか言いますが…
そんなの全日本同和会にでも入って差別だ差別だとごねりゃあいいだけの話です
税制上の優遇がなくなって、何かあれば慰謝料だの財産分与だのリスクだけになってしまえば、金がある人は結婚しなくなります
@K_JINKEN
これは冗談ではなく、真理です
同和会会員なら、本来の入居用件に該当しない人も居座っているそうですから
@K_JINKEN
38分
【大阪府大東市】市営深野園住宅の一室で メダカ屋開業 同和住宅では やりたい放題?
jigensha.info
【大阪府大東市】市営深野園住宅の一室で メダカ屋開業 同和住宅では やりたい放題? - 示現舎
welst
@welst11
6時間
ごねればいいと言いますが、国が平然と差別をしてるのはマズイかと
そもそも同性愛者の人権どこいったんです?結婚という目に見える形で結ばれたいと思うのは恋人として自然な感情かと。この出発点を無視して議論を重ねるのは無駄かと愚考致します
@K_JINKEN
3時間
現状でも事実婚ができるし、結婚式するのも自由だし、禁止されているわけではありません
配偶者控除なんかも、それだけを目的にする人が出てくると収拾がつかなくなるでしょう
投資家A
@1bitcoinn
5時間
異性でも「結婚」がデメリットしかなくてしない人が増えてるのに、なんで今さら同性愛者が「同性婚」について騒ぐのか謎。自分達を認めて欲しいだけでしょ。
日本ではそこまで差別とかないし、同性婚が可能になったとして、結婚してもただ後悔するだけだぞ?
@K_JINKEN
「こんなはずじゃなかった」ということになるでしょう
うえぽん
@s_uepon
『同性婚』という同性のみが結婚出来る枠を新設すれば良いと思います。
現状の結婚システムに同性を入れ込むよりリスクやデメリット、手間も少ないと思うのですが。
@K_JINKEN
1時間
現状、事実上やることは別に禁止されているわけでもなく、法律の枠外でやっているものに対して、頭ごなしにルールを決める必要性がありません
異性の結婚でさえ束縛されることを嫌う人がいるのに
@TV65377118
6時間
https://gendai.media/articles/-/66067?page=1&imp=0
現職社内SE(開発もやる)を6年務めている10年SE経験ありの33歳の地方在住者
転職活動を進めているが、エージェント経由で応募しても書類選考がなかなか通らない。エージェント経由だとマージン取られるから通らないのかと愚考して、転職サイトで探してみるも、SESかフルリモートワークの会社しかない。
SESは半年間、100時間越えの残業で身体を壊した経験があるので務めたくない。
リモートワークの会社は日々勉強してスキルを磨いていこうという所ばかりでついていけるか不安になる。
もう腹をくくってリモートワークの会社を狙っていったほうがいいのだろうか。
C#、PHP(Laravel)、SQL、JavaScript等
開発環境
現職年収
400万
450~500万