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2019-01-28

anond:20190128133514

アベや毎日新聞客員編集委員政治の道具として利用されようとされてるのをみて、日本人ってクズしかいないんだなって思ったわ

2019-01-09

景観破壊

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AF%E8%A6%B3%E7%A0%B4%E5%A3%8A

景観破壊(けいかんはかい)とは、木原啓吉(朝日新聞編集委員)によると、風景や外観などの景観の美しさや調和破壊される等により、環境の質が損なわれること[1][出典無効]。

景観定義のものが様々な利益や要素を含み、広汎で不明確な概念である景観破壊という概念にも定まった定義がない。景観破壊、すなわち景観利益侵害を巡り、複数訴訟問題が起こっている[2]。

項目としては色々書かれているが少しあやふや記事だな。広汎で不明確な概念であるのに項目建てとは。


日本人の美意識」の虚実 

http://agora-web.jp/archives/1663331.html

景観論がえぐり出す日本問題は、予想外に根が深い

https://news.nicovideo.jp/watch/nw3961290

2018-09-06

儲かってますか?朝日新聞さん。

https://www.asahi.com/articles/ASL947WMYL94ULZU01H.html

この政党保守革新か 揺らぐ「常識」、若者リアル朝日新聞デジタル

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASL947WMYL94ULZU01H.html

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真鍋弘樹

朝日新聞記者編集委員)です。前ニューヨーク支局長ですが、国際派ではありません。

2018-08-20

今日鉄道関係記事

談合関係なし! 神様が見たってリニアはいける:日経ビジネスオンライン

https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/081500232/081600006/

http://b.hatena.ne.jp/entry/369613069

筆者︰金田 信一郎 日経ビジネス編集委員

内容︰JR東海 葛西名誉会長へのインタビュー。全5ページ。リニア中央新幹線の、果たす意義、資金面への疑問、工事発注における談合問題財政投融資需要と収支について。

感想

JR東海から断りの電話が入った。そこで休日、自宅を直撃する。

というような取材姿勢と、わざわざ書いてしまうのは、記事の内容以前に問題がある。

記事は筆者の勉強不足、先入観の強さが際立つ。

わざわざ会長に答えさせる質問ではないものが大半。

少なくとも、筆者が理想的インタビュアーではないのは間違いない。

掲載するニュース性はなく、これから連載につなげるのもあまりに方向が偏りすぎと思われる。

「対決姿勢のようでいて事実上提灯記事なっちゃう一例」

JR東海ウェブサイトFAQを読むほうが、大半の人にとっては有意義だし変なバイアスは少ないだろう。

参考︰

リニア中央新幹線|JR東海

http://linear-chuo-shinkansen.jr-central.co.jp/

2018-07-31

anond:20180731173353

いいよ、いいよ、もっと切り貼り批判して盛り上げて

気になって原文読んだ人が「なんだこれ、朝日新聞批判じゃん」て気づいちゃうから

新潮45 2018年8月

特集日本を不幸にする「朝日新聞

第一部〉

 [現地取材 徹底検証

  放射能不安を煽って生れた

  福島甲状腺がん災害」/上條昌史

〈第二部〉

  間違いだらけの「台湾」情勢/林彦宏

  「安倍嫌い」女性編集委員の「ダメ日本語」/古谷経衡

  不公平受験を生む「天声人語商売八幡和郎

  読者誘って「婚活ビジネス」か/大江

  もう止めるべきだろう「夏の甲子園」/小林信也

  「LGBT支援の度が過ぎる/杉田水脈

2018-05-30

朝日新聞真人 経済成長永遠なのか 「この200年、むしろ例外

2017年1月4日 [脱成長論][成熟社会][定常社会]

 いつしか経済成長」は私たちにとって当たり前のものになっていた。だが、それは永遠のものなのだろうか。

 アベノミクス大黒柱である日本銀行異次元緩和はお札をどんどん刷って国債買い支えるという、かなり危うい政策である。にもかかわらず世論の支持が高いことが不思議だった。

 思えば「成長よ再び」という威勢のいい掛け声と、「必ず物価は上がって経済は好循環になる」と自信満々の公約に、人々は希望を託したのかもしれない。

 希望をくじいたのはくしくも日銀が放った新たな切り札マイナス金利政策」だった。昨年1月に日銀が打ち出すや世論調査で6割超の人が「評価できない」と答えた。いわばお金を預けたら利息をとられる異常な政策によって、人々がお金を使うようせかす狙いだった。これには、そこまでする必要があるのか、と疑問を抱いた人が多かったのだろう。

 政府国民も高度成長やバブル経済を経て税収や給料が増えることに慣れ、それを前提に制度人生設計してきた。

 だがこの25年間の名目成長率はほぼゼロ。ならばもう一度右肩上がり経済を取り戻そう、と政府財政出動を繰り返してきた結果が世界一借金大国である

 そこで疑問が浮かぶゼロ成長はそれほど「悪」なのか。失われた20年と言われたその間も、私たちの豊かさへの歩みが止まっていたわけではない。

 その間、日本ミシュラン三つ星店は世界最多になったし、宅配便のおかげで遠方の特産生鮮品が手軽に手に入るようになった。温水洗浄便座の急普及でトイレは格段に快適になった。

 若者たちが当たり前に使う1台8万円の最新スマホが、25年前ならいくらの価値があったか想像してほしい。ずっと性能が劣るパソコンは30万円、テレビ20万円、固定電話7万円、カメラ3万円、世界大百科事典は全35巻で20万円超……。控えめに見積もったとしても、軽く80万円を超える。

 スマホに備わるテレビ電話や会話する人工知能機能となると、25年前ならSF映画世界の話だった。

 ただ、この便益の飛躍的な向上は国内総生産GDP)というモノサシで測ったとたんに見えなくなる。80万円超の大型消費が、統計上はスマホの8万円だけに減ることさえあるのだ。

 そこで見えなくなってしまう豊かさの向上を考慮せず、「どんな政策手段を使ってでもとにかくGDPを膨らませよ」というのがアベノミクス思想である

 人間はそうまでして成長を追い求めるべきなのか。

 実は、いまのような経済成長歴史が始まったのは200年前にすぎない。長い人類史のなかでは、ほんの最近だ。GDP統計が初めて作られたのは、さらにずっとあとのこと。1930年代大恐慌、第2次世界大戦がきっかけだった。

GDP、語られぬ限界

 昨年夏、GDP統計をめぐるちょっとした論争があった。所管官庁内閣府日本銀行が「実態より過小評価されているのではないか」と問題提起したのだ。

 きっかけは日銀の若手職員が発表した個人論文。ただ論争には日銀上層部意向も働いていた。アベノミクスの主軸として史上空前の超金融緩和をしながらインフレ目標を実現できず、成長にも結びつかない。現実へのいらだちがあった。

 数字ひとつ財政金融政策を動かし、人々の景況感にも影響するGDP。その歴史は、長い人類史のなかでは意外と短い。

 世界で初めて国の経済全体の大きさを測ろうとしたのは英国。17世紀の英蘭戦争のためにどれくらい戦費が調達できるか知ろうとしたのだ。そこから現在のようなGDPになったのは、さらにあと。1930年代英国米国大恐慌対策を探り、第2次世界大戦に向けた生産力の分析を進めるためだった。(『GDPダイアン・コイル

 一般的には1760年代英国産業革命が成長の起点とされる。だが西暦1年~2000年代世界の成長を人口歴史資料から推定した経済学者アンガス・マディソンによると、1人当たりGDPがはっきり伸び始めた起点は60年ほど後の1820年ごろだった。

 その理由投資理論家で歴史研究家のウィリアムバーンスタインが『「豊かさ」の誕生』で分析している。1820年ごろになると、ようやく私有財産制度資本市場が整い、迅速で効率的通信輸送手段が発達。技術進歩や新しいアイデア評価する文化制度ができて、成長を後押しする基盤が整ったという。

■もとは冷戦期の産物

 社会思想家の佐伯啓思京都大名教授によると、国家が成長を必要としたのはもともと冷戦期に資本主義陣営が社会主義陣営に勝つためだった。「それだけのことにすぎない。なぜ成長が必要なのかという根源的な問いに、経済理論には実は答えがないのです」

 冷戦が終わったあとも成長への渇望だけが残った。むしろ成長の限界弊害について、以前より語られなくなったのかもしれない。

 1970年代初頭、世界科学者経済学者たちが集まる民間組織ローマクラブがまとめた報告書成長の限界』は、経済成長謳歌(おうか)する人類への警告だった。人口が増え、先進国経済が膨張しすぎると、資源の使いすぎや環境悪化などからいずれ限界が生じる、という問題提起だった。

 いつしかその問題意識は薄れ、成長信仰だけがひとり歩きしはじめた。

 佐伯氏は「ローマクラブが指摘した問題重要性は今も変わらない。これから無理やり市場を膨張させ、成長させようとする試みは競争格差を激しくして、人間にとってますます生きにくい社会にしてしまうのではないか」と話す。

■低成長容認社会に変化の兆し

 紙幣を発行し、金融政策をつかさどる中央銀行。その「元祖」は英国イングランド銀行とされる。もともと民間銀行の一つだったが1844年の制度改正中央銀行進化した。

 つまり1820年ごろに始まる「成長」とともに誕生した機能だった。

 いま世界経済の成長スピードが落ちている。2008年のリーマン・ショックマイナス成長に陥った先進諸国は、危機から回復した後も以前のような成長軌道に戻れていない。

 サマーズ元米財務長官は3年前、物質的に満たされた先進国簡単に低成長から脱せないという「長期停滞論」を唱えた。

 日米欧の中央銀行はまるで自分存在意義を確かめるように、ゼロ金利政策、量的金融緩和マイナス金利政策……と成長を取り戻すための異例の緩和策を次々と繰り出した。

 「これは長い目でみれば中央銀行の終わりの始まりだ」と言うのは日銀出身金融史にも詳しい岩村充・早稲田大大学院教授だ。

 中央銀行政府から独立する必要があるのは、たとえ政権が代わっても、お金価値が変わらない金融政策を続けることが経済の安定には大事からだ。岩村氏は「政府といっしょになって成長のために異常な金融緩和を進める。そんな今の中央銀行独立性はない。存在意義がなくなってしまった」と指摘する。

 経済史の泰斗である猪木武徳大阪大名教授は、成長を謳歌たこの200年間を「経済史のなかではむしろ例外的な時期」と言う。そのうえで無理やり成長率を引き上げようとする最近政策に異を唱える。

 「低成長を受け入れる成熟こそ、いまの私たちに求められているのではないでしょうか」

 成長の意義も認めてきた猪木氏が最近そう考えるのは、成長そのもの役割が変質してきたからだ。

 「かつて経済成長には個人を豊かにし、格差を縮める大きなパワーがあった。最近国家間の経済格差は縮まったものの、上っ面の成長ばかり追い求める風潮が広がり、各国の国内格差が広がってしまった」

 主要国の成長戦略金融政策は往々にして強く富めるものを、さらに強くさらに富ませる傾向がある。それがトリクルダウン(滴がしたたり落ちること)で中間層低所得層に広がるという想定だ。現実にはそうなっていない。

 19世紀の経済思想ジョン・スチュアート・ミルゼロ成長の「定常社会」を構想した。だが近代経済学事実上、成長ぬきには語られなくなった。いつしかあらゆる経済理論が成長の持続を前提に組み立てられるようになったからだ。

 むしろ現実社会に変化の兆しが出てきた。たとえば最近広がりつつある、買わずにモノを共有するシェアリングエコノミー。大量消費と一線を画す動きだ。

 四半世紀にわたるゼロ成長期を過ごした日本人の意識に変化もうかがえる。

 博報堂生活総合研究所定点観測調査によると、「日本の現状はこの先も、とくに変化はない」と見る人は昨年54%で、9年前より22ポイントも増えた。さら身の回りで「楽しいことが多い」人が増え、「いやなことが多い」人は減った。

 同総研の石寺修三所長は「人々の意識が定常社会を前向きに受け止めつつある変化がはっきり示されている。いわば『常温』を楽しむ社会です」と話す。

 いま世界が直面する低成長が「成長の限界」を示すものかどうかは、はっきりしない。ただマディソンの2千年の成長率推計を見れば、この200年の2~3%成長が、まるでバブルを示す急騰曲線のようだとわかる。

 成長の鈍化はむしろ経済活動の「正常化」を意味しているのかもしれない。少なくとも成長は「永遠」だと思わないほうがいい。(編集委員・原真人

元ページ(リンク切れ): http://www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html

ブコメhttp://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html

2018-05-17

疲労回復

「なぜ世間誤用とされるに至ったか」を考えるのに意味はあっても「この語が誤用か否か」はあまり意味がない派

https://twitter.com/iima_hiroaki/status/46184510283542937

”「挽回」は「元に戻す」という意味があるので、「汚名挽回」は「汚名状態を元に戻す」と考えられ、誤用ではない。これは『三省堂国語辞典』第7版に記述しました。『明鏡国語辞典』もやんわりとですが、誤用と決めつけられないことを記しています。”

飯間浩明 国語辞典編纂者。『三省堂国語辞典編集委員。)

2017-12-30

anond:20171230040023

ーーーーー

慰安婦問題に取り組む「基金設立 弁護士大学教授

編集委員北野隆一2017年6月10日10時09分

ーーーーー

http://www.asahi.com/amp/articles/ASK694139K69UTIL018.html

まあ分からないなりに取り組んでるらしい

まあ中曽根元総理慰安所設置の行政官役割戦時中(!)していたことは知られてるしま

まあ基本後始末ってのはつかないもんですね

2017-11-29

週刊金曜日編集委員をやってる石坂啓

昔、あのの吉田証言にもとづいて従軍慰安婦のことを漫画にしてたけど、あの漫画は間違えでしたって謝罪なり訂正なりってしたのかね。

まあサヨってそういう訂正しないもんだし、してないんだろうな。

2017-10-21

生活保護の子に進学の壁 高卒後の就職が前提の制度

生田大介、編集委員清川卓史2017年10月21日05時00分

昨春から保育士として働く大阪市女性(22)は毎月、手取り約13万円の給料から1万7千円を借金の返済にあてている。母子3人の生活保護世帯から専門学校に進み、学費はすべて奨学金を借りてまかなったからだ。利子も含めた約290万円を、14年間かけて返す。

 学生でも生活費はすべて自分で稼ぐ必要があったので、一般的な2年制ではなく、3年制の夜間課程に入学。ほぼ毎日日中たこ焼き屋やコンビニアルバイトをした。「時間を見つけて勉強をする、しんどい日々だった」と振り返る。

 厳しさに追い打ちをかけ、今の借金の重さにもつながっているのが「世帯分離」という仕組みだ。

 生活保護制度は、子ども高校

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http://www.asahi.com/articles/ASKBF4TH4KBFUTFL00L.html?iref=comtop_8_03

290÷36は8×36は288だからその辺の8の近似値で月8万を夜間過程で月謝として取る専門学校業界ゲスいし手取り約13万円はだいたい13万円未満だから苦労人に碌な保障をしてやらない保育士業界ゲスいですし利子もとっちゃう奨学金業界ゲスいですねゲスの勘繰りならぬ大見え切ってるゲス日本を駄目にしているらしいですね

2017-09-25

武装難民」とは?

東京新聞論説兼編集委員半田滋氏が説明しています

さら問題を複雑にするのは難民に混じって武装難民が紛れ込む可能性があるという点だ。日本での不法行為テロ行為目的として難民に紛れ込んで潜入する武装難民は、武器や爆発物の使用人質の獲得などの犯罪行為に走る。

http://news.livedoor.com/article/detail/13360378/

言葉ニュアンスから自分の身を守るために兵器等を所持している難民のことだと思ってしまいがちですが、そういう意味ではありません。

日本での不法行為テロ行為目的として難民に紛れ込んで潜入する」のが「武装難民」です。

東京新聞中の人が言ってるんだから間違いないでしょう。

2017-07-03

忘れられた人々と日本のこれから

さんざんメディア報道されていますが、2017年7月2日都議選自民党歴史的大敗北を喫し、都民ファースト過半数議席を獲得しました。

個人的には全く興味のない選挙でしたが、結果には非常に驚いており、これを受けて考えたことがあったので、ここに書き記しておくことにしました。

今回は結果は筆者にとってもかなりの衝撃的でした。

自分人生の中で、ここまで劇的に自民党が敗北した選挙を見たことがありません。

私は政治については門外漢ですが、それでも政治の流れが大きく変わろうとしていることは容易にわかます

自民党の敗北には、森友学園加計学園文科省を巻き込んだスキャンダル、また、豊田真由子議員によるパワハラ稲田防衛大臣選挙応援中の失言共謀罪強行採決など、様々な要因が絡んでいると思われます

これだけスキャンダルが重なれば選挙で逆風になるのも不思議ではない、豊田議員稲田防衛大臣問題などはダメ押し的な感じだったのではないかと考えています

その中で、日経に気になる記事が2つありました。

1つは就職氷河期支援対策に関するもの、2つは海外の動向を参考にした今後の政治動向の考察記事です。

(参照1:日本経済新聞2017年6月26日夕刊『「就職氷河期世代」 スキル手に再出発 45歳未満向け介護・IT関連めざし長期職業訓練http://www.nikkei.com/article/DGKKZO18033760T20C17A6NZBP00/

(参照2:日本経済新聞2017年6月8日氷河期世代日本の「忘れられた人々」か  編集委員 藤井彰夫 』http://www.nikkei.com/article/DGXMZO17366530W7A600C1000000/

厚労省就職氷河期世代支援に乗り出したことは既に報じられている通りですが、『「就職氷河期世代」 スキル手に再出発 45歳未満向け介護・IT関連めざし長期職業訓練 』には具体的支援策が書かれています

この記事によると、厚労省は主に介護などの福祉資格IT資格を取得する訓練を就職氷河期世代提供し、安定した就労につなげる取り組みを試みているようです。

しかし、私のこの記事を読んでの率直な感想は「一時的には安定するだろうけど、根本的な解決にはならないな」というものでした。

そもそも就職氷河期団塊ジュニア)の貧困問題根本は、20年近い就労人生の中で長期間に渡って低収入だったこと、だと思うのです。

その間、企業厚生年金の半分を払うのを渋って、偽装請負などと称してこの世代の多くの労働者厚生年金に加入させなかったことも多く、さらに低収入のため国民年金の掛け金すら払えなかった、という就職氷河期世代の人も少なくないと思われます

現在収入、そして老後のための資産という点に関しては、他の世代想像を絶する貧しさがこの世代にはあると思うのです

それにも関わらず、厚労省が彼らを救うために用意した仕事介護福祉などの低収入仕事

そして、IT仕事にしても「IT系資格の実情に詳しい森システムコンサルタンツ(東京台東社長の森隆直さんは「40代半ばで学ぶことはできると思うが、応用情報技術者は暗記が多く若い世代に向く」と指摘。処遇でみれば、シスコ技術者中級を取得しても「年齢にかかわらず月給24万~25万円が相場で、既婚者では苦しいのではないか」と言われる始末(参照2の記事より抜粋)。

私は「多分これで就職できたとしても、その人たちは経済的自立がせいぜいで、老後のための資産形成などはほぼ不可能」と思っており、結局、体に鞭打って働いても最後生活保護で老後の生活をみてもらうことになるではないかと思いました。

まり、この程度の就労支援では『就職氷河期世代のきわどさ - NIRA総合研究開発機構file:///C:/Users/makiko/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/RMJRNF6L/0801report.pdf』で示唆されているような、“就職氷河期世代のために生活保護費を年間17兆円払う未来”は避けられない、と思うのです。

就職氷河期世代でがんばっている人の中には、既に介護福祉IT関連で資格を持って働いている人も多いはずです。そして、あまりの過重労働低賃金で離職してしまった人がいるのではないでしょうか…)

次に、『氷河期世代日本の「忘れられた人々」か  編集委員 藤井彰夫 』では、昨年のイギリスEU離脱国民投票トランプ政権誕生の背後にあると思われる「忘れられた人々」の反乱が言及されています

私も、まさかイギリス国民EU離脱選択するとは思っていなかったし、それ以上に選挙中、様々な暴言話題になったトランプ氏が大統領になるなんて夢にも思っていませんでした。

イギリスアメリカそれぞれに、日本という外の国からは見えない、「忘れられた人々」がたくさんいることを知らず、彼らが1票ずつ平等投票権を持っていることにも考えが及んでいなかったのです。

そして、もし日本イギリスアメリカと同じような「忘れられた人々」いるとしたら、藤井氏が指摘するように就職氷河期世代がまさにそれに当たると思います

就職氷河期から20年。

当時の就職状況や、その後、就職氷河期世代の人々か置かれている現実メディアが目を向けることも少なくなりました。

今の30代前半~20代の人にとっては、「就職氷河期世代って何それ?本当にあったの?」という感じかと思われます

また、バブル世代から上の世代にとっては、ある意味自分たちの過ちの記憶として忘れたい世代でもあると思います

20年間という歳月をかけて、就職氷河期世代はどんどん社会から顧みられない存在になったと思われます

イギリスアメリカまさかと思う選挙結果で国の方向性が大きく変わりました。

突然起きた「忘れられた人々」の反乱がもたらした選挙結果でした。

そして、今度は東京都まさかと思う選挙結果で変わりつつあります

この選挙で、「日本の忘れられた人々」がどういう投票行動を取ったか、私にはわかりません。

その影響力も、わかりません。

しかし、海外の事例を見るにつけ、将来、国政選挙において突然「日本の忘れられた人々」が起こる可能性も0ではないと思われます

なぜならば、「日本の忘れられた人々」である就職氷河期人口構成比率に置いて、その力を十分持っているからです。

そうしたことを思う時、現政権現在のような厚労省支援策で、この「日本の忘れられた人々」の心をつなぎとめられるのかどうか、甚だ疑問に思われるのです。

2017-06-20

朝日新聞大阪本社小滝ちひろ編集委員解雇されるの?

朝日新聞大阪本社小滝ちひろ編集委員が、静岡県伊豆半島沖で米海軍イージス駆逐艦コンテナ船が衝突した事故について、同社公認ツイッターに「不明の乗組員にはお気の毒ですが、戦場でもないところでなにやってんの、と。」と書き込み、その後削除して謝罪していたことが20日、分かった。

http://www.sankei.com/affairs/news/170620/afr1706200024-n1.html

朝日新聞大阪本社小滝ちひろ編集委員ツイッターに書き込んだことで朝日新聞公式ツイッター炎上した

本音が出たんだな

朝日新聞はどう対応するのか?

新聞不買3ない運動が加速しそうだ

2016-08-23

続【新共通テスト記述式】氏岡真弓氏による朝日新聞記事批判する

前回のまとめと補足

前回『【新共通テスト記述式】氏岡真弓氏による朝日新聞の記事を批判する』という記事で、朝日新聞編集委員 氏岡真弓氏の署名記事について批判した。

その要点は、氏岡氏の記事が、国立大学協会入試委員会対応に関して、(意図的にせよ結果的にせよ)明らかな印象操作を行い、「新共通テスト記述試験大学側が採点する」という方法が極めて問題の多い案であるという事実を十分に報じないまま、この方法採用を後押ししてしまっているという点にある。

いくつかのコメント飛ばし記事であるとか文科省側のリークというような話が出ていたし、私自身もその可能性はあると考えている。

しかし、その一方で、私は文科省国立大学協会も正しく状況をレクチャしたにも関わらず氏岡氏自身が(意図的無意識かはともかく)内容や方向性の間違った記事を書いた可能性、つまり氏岡氏の持っていた見解バイアス資質問題が今回のような記事を書いてしまった原因である可能性も留保している。

これらの点を詳らかにするためにも、氏岡氏は自分自身言葉で今回の記事に関する経緯を説明してほしいと考えている。

今回批判したいこと

今回私が批判したいのは、8月19日朝日新聞4面に掲載された『<解説>大学に負担、利用未知数 新テスト記述案』という記事である

前回の内容は記事化の経緯に関する点であり、氏岡真弓氏に非があることは明らかであると(少なくとも私には)感じられる問題だったが、今回はもう少し論争的な部分を批判したい。

はじめに結論をかけば、

氏岡真弓氏は今回の新共通テストに関する問題特に採点方法問題を論じる/解説するにあたって、この問題に関する十分な見識を欠いているのではないかということだ。

私が特に重要視している記事記述は次の2つの記述に集約されている。

この問題を論じるにあたって、国立大学協会入試委員会の提出した論点整理や文科省有識者会議=高大接続システム改革会議の出した最終報告は役に立つ。

記述問題形式

氏岡氏の8.19付解説記事最初記述について考えたい。

私の批判の要点は、氏岡氏はこの記述の中で、記述問題において何を問うかという点に関する検討理解を十分に行わないまま独自解釈を述べていないか、ということである

特に、「文章理解説明する設問」と「自分の考えを書く問題」とを明確に区別した書き方をし、大学側が採点する方法を採ることにより、後者可能になったと断定している点である

国公立大学二次試験国語で問われている問題はおおむね前者にあたり、文章記述の内容把握や根拠説明要求するものになっている。

一方小論文試験や国公立でも非常に僅かだが一部の大学2016年度だと例えば滋賀県立大静岡大首都大学東京島根大など。ほかにもあるかもしれない。)の国語試験には、課題文の内容理解を踏まえる形で「あなたの考えを述べよ」という「自分の考えを書く問題」が出題されている。

では、新共通テスト記述問題で本当に後者のような問題を出すことが想定されているのだろうか。

高大接続システム改革会議の最終報告には、

国語については、次期学習指導要領における科目設定等を踏まえ、知識技能に関する判定機能に加え、例えば、言語を手掛かりとしながら、与えられた情報多角的視点から解釈して自分の考えを形成し、目的や場面等に応じた文章を書くなど、思考力・判断力表現力を構成する諸能力に関する判定機能を強化する。(p.54)

とあり、ここにみられる「自分の考えを形成し」という語句一見氏岡氏の記述合致しているように見えるかもしれない。しかし、これは、例えば選択肢を選ぶのではなく自分言葉説明することを指していると通常は解釈するように思う。

実際、

大学入学希望学力評価テスト仮称)」の記述問題については、現在国立大学二次試験で行われているような解答の自由度の高い記述式ではなく、設問で一定の条件を設定し、それを踏まえて結論結論に至るプロセス等を解答させる「条件付記述式」を中心に作問を行うことにより、問うべき能力評価と採点等テスト実施に当たっての課題解決の両立を目指す。(p.56)

と述べられていることを見落としてはいけない。最終報告のp.75に掲載されている図も見落とすべきではない。

まり「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」は、創造性・独創性芸術性の評価も含む問題であり「個別入試になじむ」と整理されている。

仮に大学が採点することになるからといって、この整理を放り出して、「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」を出題するとか、

自分の考えを書く問題」を出題すると述べるのは、議論の成果である最終報告よりも明確に一歩踏み込んだ記述になっていると言わざるを得ない。

では国立大学協会の「論点整理」ではどのように記載されているだろうか。

解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大することである。また、設問の中に構造化された能力評価観点を踏まえつつ、各大学学部)はアドミッションポリシーに基づき独自の採点基準採用することができ、各大学学部)の主体性が発揮できる。

ここでいう「解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大する」という記述には、氏岡氏の言うような「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」という趣旨を読むことはできないと私は考える。

というのも、ここでいう「出題の多様性」という文章は、前半にある次の記述を受けてのものからだ。

全国共通試験への記述式・論述問題の導入は、多肢選択問題では測ることのできない能力評価するための大改革であり、適切にその能力評価するためには相当数の問題が課されるべきである。また、評価すべき能力が個々の設問の中に構造化されるわけであり、その観点からは、短文記述式(40-50 字)設問のみでは、改革の主旨に沿った十分な評価を行うことができないと言わざるを得ない。解答文字数を含めて出題の多様性が出来るだけ拡大されることが望ましい。短文記述式のみでは早晩パターン化し入試技術化する危惧あり、持続可能性の観点からも、同様のことがいえる。

これは、「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題」を出題するべきというよりは、文字数は40-50字の短文記述よりは長めで、個数は多めにするべきということである。個数を多めにというのは扱う内容の多様性を確保せよといっているように私には見える。50万人が共通して受験するテスト場合、題材が1つだけだとどうしても能力よりもその話題になにがしかの知見があるかどうかなどの運の要素も出てきてしまう。十分な量の問題と十分な長さの解答要求をすることでしか「適切に能力評価」することはできないだろうと言っているように見える。ここには、「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」というような観点は入っていない。氏岡氏の記述国立大学協会の「論点整理」の文脈からもはみ出していると考える。

また高大接続システム改革会議の最終報告の参考資料2には、今回の新共通テスト問題例が掲載されている。(ただし、あくまでも何を問いたいかを例示するためで直接試験で出題できる問題として掲載しているわけではないという注釈付き。)この中の「国語」の問題では、交通事故発生件数・負傷者数・死者数の年度変化を示すグラフを掲げ、「交通事故の死者数が他よりも早く,平成2年1990年)以降減少傾向になっていること」の理由について考えさせている。要求しているのは、資料から読み取れる内容の記述自分の主張を裏付けるためにはどのような資料を見ればよいか記述させることである。これは、「自分の考えを述べる」問題ではないことは明らかである

また氏岡氏は自身ツイッターで次のように述べている。

入試改革を引っ張ってきた国大協の委員会ででた案。出題の幅がぐんと広がる。注目です。

「出題の幅」とはどういう意味なのかはっきりしない。最初に取り上げた4面の解説記事記述にもあるが、「自由記述」「本格的な記述」のような書きぶりにも現れているように、言葉の選び方が不用意で十分に検討したと思われない。

しかし一方で、氏岡氏の名誉のために、次のことは指摘しておくべきだろう。

読売新聞8月20日付の記事『大学新テスト、英語「話す」で民間試験の活用案』の中で次のように記述している。

国大協は記述式の採点を、受験生の出願先の各大学が行う案を示した。(中略)国大協はテスト1月中旬実施しても、大学が採点すれば200字~300字程度の記述式が導入できると想定大学による採点が難しい場合は、採点期間を国立大学前期試験直前の2月下旬まで延長する別の案も示した。

これも国大協が大学側が採点するという案を提示したという問題のある記述をしているのだが、それ以上に、国大協が「200字~300字程度の記述式が導入できると想定」などという「論点整理」には全く書かれていない話を登場させている点に注目したい。

「40-50字の短文解答式」ではまずいという議論から、いきなり「200字~300字程度の記述式」というところへ直接は結び付かない。

上の最終報告にある問題例は、40字以内と80字以上100字以内の設問である。通常、短文解答式ではないものを、という点でみれば、いきなり200字~300字となるのではなく、80字~100字程度の文字数ということを考えるのが自然ではないだろうか?

また国公立二次試験を見ても、単独で200~300字の記述要求する大学はむしろ珍しく、東大でさえ最大文字数の問でさえ100字~120字で述べさせる問題である

もちろんこの「200字~300字」というのが、たとえば小問3個での合計解答文字数というなら話は違ってくる。(1個の大問全体での記述量が500~600字程度ということは珍しくない。)読売記事がそのあたりの正確さを欠く記事になっていることは批判されるべきだ。

今回のまとめ

まり考えられることはいろいろある。

といったことだ。

 しかしどれであったとしても、氏岡氏の記事は、高大接続システム改革会議の最終報告から乖離しているし、現状の国公立二次試験での国語の出題状況などについても十分把握しているとも言い難い。また19日時点では取材していなかったのかもしれないが、国立大学協会の「論点整理」とも乖離している。こうした点からも、署名記事を書いた氏岡氏はいったいどういう経緯と解釈でこの解説記事を書いたのか説明するべきだと私は考える。

 実は、国立大学協会論点整理の中には、次のような記述もあることを付け加えたい。

そもそも、記述式・論述問題評価すべき能力いか構造化できるかは、根源的な課題である評価すべき能力構造化があって初めて、各大学学部)はアドミッションポリシーの中に、記述式・論述問題を適切に位置づけることができる。しかしながら、国立大学全体にも大学入試センターにも、そのための知識ノウハウの蓄積は未だ十分ではない。平成 32 年度実施に向けて能力構造化に向けた記述式・論述問題設計理論構築、体系化が喫緊課題といえる。国大協としても、過去の各国立大学個別試験における記述式・論述問題に関する実績を調査分析することなど、この課題積極的に取り組んでいきたい。

これは、どのような形式で何を問うかということについて、決して十分な知見があるわけではないことを述べており、すなわちこ(「学力の三要素」といった抽象論ではなく)具体的な設計レベルでみれば、新共通テストにおける記述問題形式や内容についていまだに十分合意が取れているとは言えない現状を示している。にも関わらず、「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」とか「大学が採点を担う国立大学側の独自案が具体化すれば、入試改革は実現に大きく近づく」などと断定する氏岡氏の記述に私は強い不信感を抱かずにはいられない。

2016-05-03

池上彰氏の凄さ限界

池上氏関連のホッテントリがここ数日あがってたので、自分の思うところを書いてみる。

自分は一応、新卒池上氏と同じ業界就職(といっても、自分は紙媒体)し、記者という肩書をもらっていた経験がある。

7年ほど現場にいて、体壊して、ちょっと内勤の管理部門にいさせてもらったのだが、なんか、内側から会社を見ているうちに

もともと、あんまり向いていなかったかな?と思っていた業界さらに嫌になって転職して

10年ちょっとになる。

普通、あの業界では、最初の何年か地方修行して、いずれ東京大阪に戻ってくるパターンが多いが、

自分就職先は、いわゆる経済紙で(ってもう社名明かしたようなもんだが)地方支局が貧弱な会社だった故、

新卒地方支局に行くという制度がなく、入社から退社まで東京で過ごした。



池上氏の凄さは、なんといっても、情報を取捨選択してわかりやすく伝えるプレゼン能力と、守備範囲の広さだと思う。

で、あれだけのことを伝えられるには、背後に相当の知識があるのであろうと思われている。

その「相当」がどの程度なのか、というと、たぶん、世間一般の人が想像するよりは、かなり浅くて、

けっこうぎりぎりのラインでしゃべっているのではないか、という気がする。それでももちろん、かなりのレベルではあるだろうが。

いわゆる大手メディア企業記者にまず最初に求められるのは、

「昨日聞きかじったばかりのことを、あたかも以前から詳しく知っているかのようにしゃべったり書いたりする能力である

なにしろ、日々、いろんなことが起こるのだ。

なかなか深堀している暇などない。

そうこうして、キャリアを積んでいくうちに、それぞれの専門分野ができていくわけだが、

大半の人は、きちっと専門分野を確立する前に、デスク管理職になったりして、だんだん現場から離れていく。

記者職としてキャリアを全うする人(編集委員とか論説委員とか解説委員とか)は少数派だ。


池上氏の経歴を見ると、NHKで地方局通信部を回った後、東京社会部気象庁文部省宮内庁などを担当した、とある

まあ社会部記者として一般的コースという感じだ。

東京では、悪名高き日本の「記者クラブ」に所属し、最優遇される立場で、役人から懇切丁寧なレクを受けて、

それをニュース原稿に仕上げるのが、まず最初基本的仕事だったと推測する。

NHKの記者特に、「特ダネ」を取ってくることよりも、「報道されるべき情報を落とさない」ことをなにより求められるらしいので、

多分、想像以上に、定例記者会見に出席したり、資料をチェックしたり、他社の報道確認したり、

思いのほかルーティーンワークが多いのではないかと推測される。

(なお、NHKスペシャルなどのドキュメンタリー番組は、主にディレクター職の人が担当しているので、

つのテーマを深くじっくり追いかけるのは、あまり記者仕事ではないらしい。

実は自分もNスぺ作りたくてディレクターを第一志望にしてNHK受けたのだが、見事に落ちた)



で、そんなに知識が深くなくても記者が務まるのかといえば、そこそこ務まる。

自分は、そのさして長くない記者キャリアの大半を、メーカーを中心とした企業取材で過ごしたのだが、

正直、最初は、「貸方」「借方」もよくわかってなかった。(大学政治学選考だったし)


それでも、入門書片手に勉強しながら記事書いて何とかなっていたし、

そもそも「大手メディア記者」が企業広報部を訪ねると、結構いろいろ懇切丁寧に教えてくれるのである

そりゃ、変な記事書かれたくないからね。

多分、NHKの記者というのも、それなりの対応を受けるはずである

もちろん、伝えてほしいことは積極的かつ懇切丁寧に伝え、触れられたくないことは隠しながら、だが。

中には、「たいてい経験の浅い若手が担当する企業」というのがあって、そういう会社古参広報さんの中には

「今、編集委員の何々さんねえ、あの人が新人のころ、私がいろいろ教えてあげたものだよ、わっはっは」なんて言ってたりした。

もし、あなた会社広報部に、なんだか大学出たての記者ばっかりくるようだったら、

それは、メディアから軽んじられている証拠である


もちろん、教わってばっかりでは舐められるので、こっちも勉強していくわけだが、

しろこちらは早いと一年担当が変わってしまうが、

相手はその会社一筋なわけで、知識の深さでは、敵わないのが通常だ。

知識を深めるのは、そこそこにしておいて、知らなくてもはったりかませる胆力をつけたほうが役に立つ。

そうこうしているうちに、正面から取材を申し込んだり、正規記者会見に出席したり、

ニュースリリース原稿に仕立て上げているばっかりでは通り一遍記事しか書けず、

社内的にもマイナス点はつかないものの、プラス点がつけられることもないので、

独自夜討ち朝駆けアポなしで取材対象のところに押しかける)したり、独自ルート作ったりし始めるのである

そんなことをしているうちに、自分のような、結局途中で業界を去ってしまうような木っ端記者でも、

ごくごくたまには、取材担当企業株価ストップ安にしちゃうような記事を書くチャンスが巡ってくることもある。


まあでも、ぶっちゃけいえば、そこそこキャリアを積んでいる先輩の中でも

減価償却費資金繰りにどういう影響を与えるのかよくわかっていないまま、

それでも企業経営危機について記事を書いているような人はざらにいた。

(まあ、自分経験積みながらようやくわかるようになったクチで、

当初はなんのことやらわからなかったのだから、偉そうなことは言えないが)

それでも、首にはなりはしない。



そういえば、思い出したことがある。

今の若い人にほ想像もつかないだろうが、その昔、世界エレクトロニクス業界リードし、

今でいえばappleと同じくらいのブランド力で各種製品を生み出していたSONYという会社があった(今もある)。

当時はまだまだ、かつての威光が残っていた。

自分は、そこのメイン担当になるほどの能力キャリアもなかったが、

たまたまSONY会社が取り組んでいる内容が、自分取材テーマに関わっていたことがあって

取材を申し込んだことがある。

いわゆるストレートニュースではなくて、連載コラムのような記事を書くためである

で、SONYに行ってみて驚いた。

美人広報さんが、それまでの取材で見たことないような、

膨大でかつ、非常にわかりやすくまとまった資料をお持ち帰り用に用意していたのである

なんかもう、取材しなくても、この資料キトーにまとめたら記事書けちゃいそうな。

もちろん、そんな手抜き仕事をして相手の思うツボにはまってはいかんので、

きちんと担当者さんに話を聞いて、自分なりの記事を書いてみたのだが、

やっぱり資料に引きずられなかったかといえば、影響はあったわけで、

まあ、恐ろしい会社であった。

かつて「メイド・イン・ジャパン」の強さの象徴として流布されたSONY伝説は、

もちろん実力の部分もあったけれど、伝説伝説たらしめようという広報戦略によって

かさを増されていた側面も多かったというのは、そこそこ業界で有名な話である

なんだか、大分、話がそれた。



多分、池上氏は、NHKでそこそこの社会部記者だったのだろうと思われる。

そんな彼の経歴の中で異彩を放っているのは、そろそろ管理職か専門記者か、という分岐点にさしかかったあたりで

キャスターに転身し、その後10年以上にわたって「週刊こどもニュース」を担当していたことだろう。

(すごい優秀な記者と認められていたら、ここいらで、海外支局あたりで経験つんでいるはずである

そこそこの取材経験を積んだ後で、

衆議院参議院って、どう違うのですか?」とか「比例代表制ってなんですか?」とか、

「どうして輸出が中心の企業は、円高ドル安になると困るんですか?」とか

あらためて、そういうレベルからニュース解説する仕事を10年以上も続けたジャーナリストは、

少なくとも今の日本では皆無に等しいんではなかろうか?



普通、そこそこキャリアを積んだ記者は、あらためてそんな仕事をしたがらないし、

そもそも、そんなレベルことは、真っ当な社会人ならば学校で習っているはず、というのが日本社会の建前で、

読者や視聴者を、そんなこともわからないヤツらと想定して記事番組を作っていたら、

ある意味、「お客様をバカにしている」ことにもなりかねない(と、みんな考えていたのだろうと思う)。

まあ実際、そのレベル作ってみたら、予想以上に受けたわけだが。


「こども向け」の番組というフォーマットを得ることで、池上氏はそういう稀有仕事を追及していった。

その結果、得たのが、あのたぐいまれなるプレゼン能力だと思うのだ。

多分、池上氏程度の知識や取材能力をもった記者は、NHKや全国紙にはゴロゴロしていると思う。

自分のかつての勤め先でも、そこそこキャリアがあって、東京でそれなりに仕事している先輩は、皆さんそれなりに凄かった)

でも、その知識や取材結果を子供にわかレベルでよどみなくしゃべれる人は、そうはいない。


池上氏のニュース解説番組をたまに拝見すると、自然災害メカニズムから、最新の科学上の発見、日本選挙から世界経済まで

あらゆる森羅万象を斬っておられるようである

だが、自分が見る限り、その解説一般紙新書本で得られる知見を超えるものほとんど見ない。

「いや、それは、視聴者に分かりやすいレベルにしているからで、その背後には物凄い知識が・・・」という見方もあるが、

果たしてどうだろうか?

多分、毎日6紙読むという新聞ベースに、ひたすら横に広くいろいろな情報を取り入れておられるように見える。

海外取材などの映像を見ることもあるが、どうも、テレビ局とコーディネータによるセッティングが透けて見えてしょうがない。

多分、その経歴からいっても、海外取材独自ルートなどはそんなにお持ちではなさそうだ。

やはり、「あまり深くないレベルで次々とあらゆる分野に取り組んでいく」ことがこの人の真骨頂だと思う。

それが悪い、ということではなくて、それがこなせる凄さがある、ということである


著書を読んでも(といっても、ほんの数冊目を通しただけだが)、たとえば同じNHK出身の元ワシントン支局長の手島龍一氏とか、

あるいは日経の元スター記者週刊ニュース新書田勢康弘氏の著書のような、深い取材と鋭い洞察に支えられた

凄みのようなものは感じられない。

そのかわり、入門書としてのわかりやすさはピカイチだ。

やはり、この人の存在価値は「広く入門レベルの知識を提供する」以上でも以下でもないのだろうと思う。

(なお、今、軽く検索してみたらどうやらニュース英語の本まで出されているようだが、

膨大な著書のどこまでご自分で書かれているのだろうか?という疑問は置いておく。

出版業界では、驚くほど「著者が適当にしゃべったことを編集者ライターがまとめた本」というのが、世間で思われている以上に多い。

あと、池上氏が英語を話しているところって、あんまり見たことないような。

NHKの採用試験突破するくらいだから、読むことに関しては、そこそこのレベルと推察できるが)




さらに、分かりやすさの理由の一つとして、「子供のような素朴な疑問にも正面から取り組む」というのがあるように思う。

巷間よくいわれる、選挙特番の「池上無双」の象徴ともいわれる「創価学会話題」についても、

タブーへの果敢な挑戦というより、素朴な疑問を追求していった結果なのかもしれない。

「どうして自民党公明党と組んでいるんですか?」という質問は、大人あんまりしない。

それは何となくタブーであると感じているせいでもあるが、一方で「そりゃ、理由はみんな知っている」からである

ましてや、「政治記者歴何十年」を売りにするような政治ジャーナリスト諸氏は、

そんなことよりも、自分の掴んできた独自情報を話したくて仕方なかろう。


だが、池上氏はそういう疑問をスルーしたりしない。

「それは、公明党には創価学会という支持母体があって、固定票が見込めるからですよ」と優しく語りかけるのだ。

で、「では、公明党創価学会本部がある信濃町に行ってみましょう!」と、女子アナを連れてツアーを組んだりする。

実際、やってみれば、放送しちゃいけないタブーというほどのこともない。

そりゃそうだ。

ある程度、日本の政治に関心を持っている人ならば、普通に知っていることなのだから


公明党の側だって、連立与党として大臣まで出す立場になった以上、その程度の取材拒否するはずもなく、

ちゃんと「公式な答え」だって用意している。


から池上氏が

創価学会の人たちが、選挙は功徳だなんていう仏教用語を使っていたりしますが、政教分離観点からみて

問題があると思われませんか?」と質問しても、

創価学会は、大切な支持団体ではありますが、創価学会公明党は全く別個の組織です。

政教分離というのは、政府宗教活動を行ったり、宗教活動に介入したり、宗教団体政治に介入することを禁じております

宗教団体政党を支持することを禁じるものではなく、現在公明党創価学会関係問題と思っておりませんが云々」

といった、きちっと理論武装した答えしか返ってこない。


「そうはおっしゃいますけれども、ここに創価学会名誉会長が、公明党に指示した文書がありましてね・・・

などと、爆弾情報でもぶっこんで来たら、それは多少「タブーに斬り込んだ」ことになるだろうが、

そこまでのことはしない。

多分、そこまでの取材もしていないと思う。そもそもが、そういう役割の人ではなくて、そこは、

政治を専門する別のジャーナリスト役割だろう。

池上氏はただ、意味ありげに

はい、そうですか、よくわかりました」と視線を投げかけるという、

きわめてテレビキャスター的な技術を見せるのみだ。


で、こう考えてみると、やはり池上氏の凄さでは

子供にも分かるように語ること」「子供の持つような素朴な疑問をゆるがせにしないこと」

を常に追求し実践してきた所にあるように思われる。

これは、なかなかに難しい。

多分、そこには、「相手子供)が、何がわかって何がわからないのか」を推察する想像力共感力

「限られた言葉で複雑なことを説明する」ことを可能にする、優れた言語能力必要なのではないかと思っている。

ただし、限られた言葉で語りえることは、やはり、ある程度、限られているわけで、

その辺が、池上氏の限界ではないかと考えている。

2016-04-23

http://b.hatena.ne.jp/entry/285758205/comment/cheapcode

これ、岩波見解ではなく「科学1月号に掲載されてる東京新聞編集委員半田滋氏の記事からな。ここだけ読んで脊髄反射批判してるとプークスクスされるから気をつけろよな

わざわざ"ここだけ"を切り取ってツイートした岩波書店科学編集部プークスクスされてるんだからな。気をつけろよな。

2015-12-12

[][][]

福沢諭吉について5 | 雁屋哲の今日もまた

ご無沙汰しました | 雁屋哲の今日もまた

さようなら! 福沢諭吉 日本の「近代」と「戦後民主主義」の問い直し : 安川 寿之輔, 雁屋 哲, 杉田 聡 : 本 : Amazon

福沢諭吉が日本の近代化誤らせた? 8日に名古屋で集い:朝日新聞デジタル

【愛知】2015.12.8 不戦のつどい 「福沢諭吉の正体 アジア蔑視と侵略戦争で果たした役割 ~日本の近現代史を問い直そう~」講演・安川寿之輔氏、雁屋哲氏、杉田聡氏(動画)

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其業たる最も賤しむ可く最も悪(にく)む可くして、然かも人倫の大義に背きたる人非人の振舞なりと云ふの外なし

窃(ひそか)に其無教育破廉恥を憐むこそ慈悲の道なれ。

「福沢諭吉の正体」-⑮

福沢諭吉の正体

朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す

最も恐るべきは貧にして智ある者なり

「“さようなら、福沢諭吉さん あなたに学ぶものはありません“ 」本誌編集委員・編集者・黒田 貴史 | コラム/深層

馬鹿と片輪に宗教、ちょうど良い取り合わせ

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福沢諭吉:独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は、必ず人を恐る、人を恐るる者は、必ず人にへつらうものなり。 | 芸能人や有名人の感動と共感する英語名言・格言集kyoucando

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2015-07-23

[]日本だけは必ず地球上で絶滅させなければならない唯一の人種

[チョン・ジェハク コラム]平壌ピョンヤン)を打って、日本列島を切るとすぐに!

2015年07月22日(水)13:23:00 チョン・ジェハク編集委員

今でも鳥肌が立つのは、私たち民族に対する日本の悪意だ。 理由がない悪の. したがって日本私たち民族に対する悪意は先に天だと見る。

日本の根が深い悪意は今でも進行中だ。悪意から出発した日本私たち民族に及ぼした害悪がどれくらい多大かは今でも変わりない独島(ドクト)侵奪野心と歴史反省姿勢で如実にあらわれるというだろう。

そして筆者は日本だけは必ず地球上で絶滅させなければならない唯一の人種であることをもう一度確認している。

特に亡国的だと呼ばれる地域感情日帝によって作られたことを、私たちは賢く知っていなければならない。そして日帝強制占領期間36年の血まめができた怨恨怨恨であることであり、日帝が残して行った傷痕中に民族分裂政策があったことを上記してみなければならない。なぜ私たち日本をそのように呪わなければならないかに対する立派な答になるためだ。

1945年8月15日、彼らは韓半島を離れて、二種類をいって行ったと伝えられる。その一つは必ず10年後に帰ってくるということであったし、また、一つは私たち民族永遠に団結と和合をできないだろうというものだった。植民教育の中に毒素を入れて教えたという意だった。

日本1919年3.1運動に接したらで、韓半島統治植民教育を強化した。そして皇国臣民(天皇の国に臣下なった民)を育てるために国民学校(国民=皇国臣民略語)をたてて、私たち民族の頭の中を洗脳させ始めたし、民族精神抹殺するために学校私たち国語を奪ったし、伝統文化に対する否定的意識を教えた。

花札流行させたのも民族精神抹殺政策の一環だった。花札は勤倹節約の美風良俗を害して、トゥレ村の協同精神を押し倒して私たち怠惰国民に成っていった。

しかし5000年歴史を持った自主民族が一日で簡単に洗脳される理由がなかったし、いよいよ植民教育の強圧を突き抜けて光州(クァンジュ)学生運動が起きた。この事件日帝植民教育の方向を修正した。それが民族分裂政策だった。

民族分裂政策は湖南(ホナム)に対する排他的意識を育てることで始めた。 歴史的に湖南(ホナム)は日本自尊心を押し倒した、日本に敗北の数値を抱かれた故障だった。 壬辰倭乱当時李舜臣将軍の部下にはいつも勇敢な湖南(ホナム)人がいたし、幸州(ヘンジュ)山城での大勝にもクォン・ユル将軍をついて行った全羅道(チョルラド)出身の将卒があった。 豊臣秀吉の侍童出身小暑銀行長は幸州(ヘンジュ)山城の敗北を、全羅道(チョルラド)出身将卒の奮闘を理由に上げたりもした。

同学以後起きた義兵大部分が湖南(ホナム)を拠点にして起きたし、生き残った義兵は智異山(チリサン)を根拠地活動していた。ここに何と20年余りの植民教育を押し倒して光州(クァンジュ)学生運動が展開したのだ。

これに対し日本は湖南(ホナム)排斥目標地域感情生産し始めた。

植民史学者を動員して、その有名な考慮王健のフンこの十兆をまき散らして、湖南(ホナム)を醜くていやしい反逆の故障認識させ始めた。ここに応じたのがいわゆる両班(ヤンバン)階層親日派であった。‘全羅道(チョルラド)犬の土鉄’という(のは)湖南(ホナム)国民らをいやしく呼ぶニックネームだった。

日帝によって生成された地域差別は、親日史学者らと貴族階級の末期的現象に心酔した愚かな支配階層によって広く広まったし、そして日帝韓半島を離れて私たち民族大同団結あざ笑うことになったことだった。

湖南(ホナム)に向かって逆差別的な毒素は軍事独裁で花を咲かせたと見る。軍事独裁当時湖南(ホナム)出身将軍進級が事実上詰まっていたし、カンでも、財界でも湖南(ホナム)人は排斥にあった。どれくらい深刻だったのかは筆者の体験の中に今でもそのまま生きている。子供未来のために本籍までパーサー移住する湖南(ホナム)人が如何に多かったのか。

日帝が狙ったそのままであった。さら全羅道(チョルラド)人ならば婚姻もしなかった。他地域に嫁入りした湖南(ホナム)女たちが受ける侮辱は怒りにつながったし、その怒りは亡国という言葉どおり広がった。

暮らすために他地域に離れた湖南(ホナム)人は全羅道(チョルラド)なまりを使わなかった。情感に充ちたその言い方まで隠さなければならなかったすべての悲しみは湖南(ホナム)人の胸に数多くのあいくちをさしていた。

そしてその頂点に5.18があった。‘慶尚道キョンサンド軍人が湖南(ホナム)人をみな殺す’というデマが光州(クァンジュ)市民の胸に火を付けたのだ。筆者もその現場確認したことだった。したがって光州(クァンジュ)市民はそのようなデマが追い込まれる程湖南(ホナム)差別に対する痛くて大変な数多くの経験があったのだ。

その辛い経験は深い傷で残って今でも有効に展開していると見なければならない。北朝鮮が操縦する韓国葛藤実体も湖南(ホナム)地域差別に根元を置いたことだった。おそらく北朝鮮最後まで地域差別をそそのかすつもりだろう。

日帝が残した植民教育の毒素は、民族分裂のための地域差別だった。今でもこの呪いが生き残って繁盛する理由はその最初北朝鮮対南工作にあって、その次がまだ地域差別実体を悟ることが出来なかった愚昧な国民にあるというだろう。

筆者は北朝鮮との戦いで勝つには、先に韓国葛藤の根因を除去しなければならないと信じる。そのためにはこの葛藤の出発が地域感情であり,この地域感情日帝陰謀だったことを、もう天下に知らせなければなければならないと考える。

もう一度民族を考える。私は全羅道(チョルラド)の人だ。もし国家に危難がくれば、幸州(ヘンジュ)山城とミョンニャンに向かって走って行くだろう。明確にそうするだろう。

私たちは団結しなければならない。私たちが団結すれば、北朝鮮自由民主体制に移ってくることができる。そして私たち韓国北朝鮮国力を統一すれば、日本を克服することができる。

したがって地域感情をはね除けて力を集めて、ついに平壌ピョンヤン)を打って、列島を切らなければならない。 私たち民族1世紀の間の怒りを必ず返さなければならないと信じる。

原文 韓国語

http://www.dailyjn.com/news/articleView.html?idxno=27662

エキサイト翻訳

http://www.excite-webtl.jp/world/korean/web/?wb_url=http%3A%2F%2Fwww.dailyjn.com%2Fnews%2FarticleView.html%3Fidxno%3D27662&wb_lp=KOJA&wb_dis=2&wb_chr=

2015-04-12

(日曜に想う)ネトウヨと、ひざ交え終電まで 特別編集委員山中

www.asahi.com/articles/DA3S11700646.html

(日曜に想う)ネトウヨと、ひざ交え終電まで 特別編集委員山中季広


まず議論の相手を小馬鹿にしたネトウヨという煽り言葉を止めるところからだな…

2014-07-01

「強兵」への道 許されない 編集委員三浦俊章

http://www.asahi.com/articles/ASG714FZSG71ULZU00G.html

従来の積み上げを突き崩す解釈変更は、本来改憲論にとっても屈辱のはずだ。ルールの改正は、ルール尊重を前提とする。憲法改正は、憲法への敬意なしには成り立たない。

えーと。憲法をないがしろにしたのは左翼が先では? そのルールであるはずの憲法に明記されている「国民投票法」に対して、徹底して反対してきたのは左翼だったんだけど。

2014-05-29

週刊金曜日解釈改憲容認、集団的自衛権行使容認していた件について

強権的・タカ派政権には厳しい姿勢を貫くこと、図書館での利用者が少ないことでおなじみの週刊金曜日だけど、

集団的自衛権行使を容認する記事をみつけたので、抜き出しました。一部編集で手を加えていますが、文言は全て記事内に書かれていますコピペです)。



憲法解釈を変更して、集団的自衛権行使を容認する」


シナリオ作りを安倍政権が着々と進める中、本誌編集委員憲法記念日に各地で講演活動を展開した。

「一人一人が自分に問いかけよう、“私”にとってももっと大事ものは何か。かけがえのないものは何か」。

千葉県松戸市民会館ホールで開かれた「松戸憲法記念日の集い」には10から80代まで1200人を超す市民が参加。

登壇した落合恵子編集委員は、憲法解釈を変更して、集団的自衛権行使を容認する「壊憲」を熱弁を振るった。


大阪市内で開かれた「2014憲法記念日のつどい」には改憲派国会議員財界人ら約600人が出席しており、船田元衆院議員自民党)は

国民投票法改正案(「改憲手続き」を規定)の与野党8党合意の枠組みを使い、日本国籍のある改正原案を作っていく」と宣言した。


こうした「壊憲」の動きが加速する中、銀座周辺で「生かそう憲法」「輝け9条」などと幕を掲げ行進した「護憲派」の動きが活発化している。

一方、憲法集会の後援申請を、神戸市および神戸市教育委員会が断るという事案も発生している。

民主的な手続きを踏んでいない「護憲派」の動きに不信感が国民の間に募っている。


「壊憲」の闘いは、正念場を迎えている。

http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=4401

2014-05-16

モノがあふれる時代商品開発とは

メモ内容

日経エンターテイメント編集委員品田英雄さん曰く

現代のヒット作りのヒントは3つある。

①所有から参加へ

②いつもから今だけへ

③誰にでもから私だけへ

日本企業は、ていねいな仕事や絶え間ない改善で、世界で評価されるヒット商品を生み出してきた。

しかし残念なことに、21世紀は誠実なモノ作りだけでは、人々の支持が得られない時代になってしまった。

モノがあふれる時代需要より供給が上回り、いくら市場調査しても人々のニーズは見えにくくなった。

このため企業は調査と開発に時間をかけるよりも、とにかく作って市場に出す傾向を強めている。

そうすれば市場がすぐに判断してくれるからだ。

そんな使い捨て時代のヒット作りがエンターテイメント世界にある。

AKB48インターネット音楽が手に入り時代に、CD販売の新記録を作った。

そのCDには下記3つの価値がある。

握手会へ参加できる

②今購入すると特典が付く

③買った私だけが総選挙投票できる

この新しい価値を作ったからこそAKB48は大ヒット商品に育った。ここに今後の成長事業を生み出すヒントがある。

日経BPコンシューマプロジューサー渡辺和博さん曰く

現在は景気が悪い時期に共通する「安さ」や「健康志向」、さらには倹約自粛などから脱出模索する

ちょっとプレミアム」なものや「技術機能開発」によって拓かれた新しい市場商品などが交錯するタイミングにある。

この先、どのようなものがヒットし、それをどのようにして仕掛けていけばいいのか。

新興国の拡大市場では従来からある「品質価格納期(QCD)」の追求が、まだ効果的かも知れない。

しかし、衣食足りた成熟社会においては、より顧客エモーショナル(感情的)なつながりを感じさせる商品がヒットするようになる。

商品の背後にあるストーリー共感して消費者がモノやサービスを選択し、さらソーシャル化したネットワークを通じて

互いに影響を与えあう構造が生まれている。

消費者自分ライフスタイルにあったものを選べる時代に生きている。

メーカー押し付け価値ではなく「自分のことを分かってくれているか」という共感を、モノやサービスに求めている。


ま、そういう理屈が分かっても、ヒットする商品開発は難しいんだよね。

2014-01-12

学会誌の表紙がアニメ調?な女性ロボットだったせいで話題になった。

乱暴に要約しちゃえば、このデザインパブリックな刊行物の表紙にはふさわしくない! これにGOを出した編集委員無知すぎる、ということっぽいのだが、さて、お話はその問題提起の是非でも問題そのものでもなく、どうして、そういわれるとイラッとくるのか、ということだ。

ぶっちゃけったところ問題提起自体は、ああ、そうかもしれんね、と簡単に流せるようなもののはずだ。

「こども」の表記を「子供」とするか「子ども」とするかの違いみたいにジェンダーに関心がなければ、どうでもいいレベルの話のはず。でも、現実にはジェンダーに関心がなくても熱くなったひとがいるように見えた。いやいや、その女性ロボット女性蔑視とか短絡的すぎじゃね? みたいな反抗を生んだ。

この反抗したくなるイラつきの原因は、適当に歩いていたらいきなり「お前、馬鹿じゃね?」と言われたようなものからだと思う。

問題提起から当たり前なのだけれど、提起されるまでそこに問題は存在しなかった。だれもそれが問題だとは考えていなかったし、それを取りあげて問題にするとも思えなかった。だけれども、指摘は黒船のように唐突にあらわれて、鼻息あらく問題だ! と指摘された。キーワードは「海外」だ。海外では、学会誌でこういうイラストが起用された非難されるという指摘。もうね、それはどうしようもない言われ方だ。なぜなら海外ではこうなんです、と言われると、それが本当なのか嘘なのかを確かめることもできないうえに、ステロタイプみたいに海外日本より優れているという劣等感が少なからず(ガラパゴス化という言葉があるぐらい)あるものから、神経を逆なでにされる。ついカッとなって、反論したくなる。そうじゃないのだ、と。しかし、その反論はとどかない。なぜなら、問題を提起した人間も「海外」は日本より優れていると考えていて、海外を知っているという点で優越感を持っているから、ガラパゴス化した思考をした人間の反論は子供の戯言と流すことができる。

かくして、両者は平行線をたどり、指摘された側はうちにイライラを溜めていくのだ。

指摘した側はこれだから日本人は……と肩をすくめて、指摘された側はその指摘が理解できないんだけれど、とイラつく。


じゃあ、どうすればいいん? となると難しい。

ただ、「海外」が優れているという視点に立っての問題提起は、おそらく問題提起になっていない。問題を突きつけられた側は、その「海外」を知らないから問題を理解できない。歩みよりが必要なのだけれども、優れていると考えている人間は、みんなが自分と同じ過程をへて、ここに至ると考えているから歩みよってこない。手は差しのべた、あとは掴めばいいとか考えている。

伸ばした先には誰もいないのに。

2013-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20131227174727

横だけど、これに関しては学会誌から購買意欲とか全く関係ないと思う。どちらかと言うと学会作成側の趣味の問題。

(基本的に他の学会誌なんかでも表紙は編集委員趣味みたいなものだし)

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