はてなキーワード: VTRとは
本日の『めざまし8』、長年『ちびまる子ちゃん』を放送し続けてきたフジテレビだけあって長いVTRを作ってTARAKOを追悼していた。
がしかし、共演者の追悼コメントをナレーションで読み上げる際に、背景に各キャラの映像を流し音声も被せているのだが、それが全部初期アニメのものだった。
『ちびまる子ちゃん』は家族キャラに限ってもお姉ちゃんとおじいちゃんが声優交代しているのに、現声優のコメントに旧声優の音声が被せられてしまった。
この手の情報番組はVTR制作も外注で忙しく事前チェックする暇も金もなかったのだと思うけど、放送局のフジテレビの特集だけに監督や音響監督の素晴らしいコメントを取れていたぶん、このミスは残念である
原作は読んだけどまだドラマ見てないからちょっと憶測も入ってるが、「今季の視聴率ナンバーワン」になった背景には、脚本家さんの力量というか、「それ専用の特有のスキル」が効いていた側面もあるかもな、というのは感じる内容だった。
端的にいうと、芦原妃名子さんの作品は「物凄く優しくて誠実すぎる」感じがして、直接届く範囲が限られてしまう感じがする。
一方で、まだ見てないものの、想像するにドラマ版より自分は原作の方が好きだろうなという”直感”はあるが、ある意味そうやって「薄められる」ことで広く届きやすくなった側面はありそう。
でも、なんか、できれば
・「薄められずに」
・「優しい誠実さ」が
・「広い範囲の人に」
世界はそういう方向に向かおうとしているとは思うが、その点において原作漫画の「セクシー田中さん」は、ちょっと「平成時代風」の枠組みを感じるというか、「優しさと誠実さの罠」みたいなものにハマってる部分があるんじゃないかと思って。
まず漫画の内容とかに入る前に今回の事件についてどう考えたいかっていう話をしておきたいんだが、今SNSで「脚本家が原作者を殺した」みたいな話で凄い燃えてるが、なんというか、それはそれでまた余計な悲劇に繋がりかねないから辞めた方がいいと思う。
脚本家の相沢さんは他の原作付き作品でもある程度「自分色」に染めがちなところがあるらしく、元々恨みが溜まってたから余計に燃えてるんだが、脚本家には脚本家の事情があるし、実際色々と「売れっ子」状態になってるってことは少なくとも「テレビドラマという場にフィットさせるスキル」はある人なんだろうと思う。
今回のことで何か問題があるとすれば、「絶対改変しないでくださいね」と原作者が言ってるのに「はいはいわかりましたー」とか言いながら「まあいつも通り流れ次第でどうせ納得してもらえるだろう」みたいな感じに思っていた日テレとか制作者の人たち・・・という部分なのかな。
でもね、なんかじゃあその「日テレのスタッフ」なのか「プロデューサー」なのかわからないが、そういう人が「ちゃんと気をつけて」いれば防げた問題なのか、というとあまりそうとも思えない。
テレビドラマじゃないですけど、増田も昨年テレビ的な場に出演してみたりして思ったことだが、テレビって衰退したとはいえ「視聴率1%=100万人以上が見ている」みたいな世界なので、ほんと「誰もコントロールできてない思惑のぶつかりあい」が常時渦巻いてる感じ。
「書籍のミリオンヒット」ってもうテレビで言う視聴率1%ってのもそう珍しくもない。
で、そういう場では、例えば増田が出たような「討論番組」みたいなものでも、本番の20分前ぐらいにやっと完全な構成が定まって、皆直前まで必死にVTRやらテロップの編集をしている感じなので、事前に「こういう方向でお願いしたいです」みたいな打ち合わせになっていたものも半分ぐらいはドサクサに成り行き次第で着地するしかなくなっちゃってる感じ。
そういう場では、「担当者が誠実かどうか」みたいなレベルでどうこうなるもんでもないというか、そりゃたまにめちゃヒドイ担当者もいるにはいるんでしょうけど、大半は「善良で誠実なスタッフさん」が良かれと思ってアレコレやった結果、でもどうしようもなくって「成り行き次第」になっちゃうという感じなのだと思う。
だから、ある種の勧善懲悪ドラマの中に出てくる「悪徳プロデューサー」みたいな感じで、
「OK出していただけますか!ありがとうございます!はい!必ず原作通りにさせていただきますんで!(へっへっへ、こうやって契約取っちまえばこちらのものだぜ。どーせこいつテレビドラマの作り方なんてわかってねーだろうし、プロの俺たちがちゃんと料理してやっからよー)」
もっと「普通に善良に良いもの作ろうと思っている人たち」が、色んなステークホルダー同士のぶつかり合いの結果わけわからんことになっていった(そしてテレビドラマの視聴率という面ではある程度合理性もあった)というあたりが真相なのではないか。
つまり、「日テレの担当者(や脚本家)が極悪だからこうなった」という話でもないし、元の告発ブログを読んでも芦原妃名子さんもそういう糾弾を求めていたのではないはずだ、ってこと。
だから諦めろって話ではないがもし「原作者の意向を最大限汲んで映像化コンテンツを作るべき」みたいな話をするならば、例えばスラムダンク映画とか、ネトフリ版ワンピースとかみたいにそもそも原作者がガップリ直接噛み込めるような仕組みと予算を用意するとか、鬼滅の刃とか呪術廻戦とかのアニメ作品みたいにテレビ局でなくスタジオが出資するなどしてステークホルダーを減らして、キチンと握ってクオリティコントロールできる体制を整えるとか、そういう
…ことが必要だよね、みたいな話に持っていくべきなのだと思う。
これは、航空機事故があったときに「パイロットの不注意だ、あいつの責任だ」って言って終わるんじゃなくてそういう「不注意が起きないようにする」という発想で仕組みを変えていくことが必要だよね、みたいなのと同じ話。
ただ、そういう「スラダン映画、ネトフリワンピース、鬼滅の刃、呪術廻戦」みたいなのは「本当に一握りの成功例」でしかなく、現状はある程度以上の人数にコンテンツをシェアしていくにはこの「テレビドラマという仕組み」自体を使っていかざるを得ない側面もあると思う。
今、「昨季ナンバーワンドラマ」っていうからどれくらいの視聴率かなって調べたら最終回5.6%とかだったらしく、「今のドラマってほんと見られてないな」と思いますが、それでも人口割を単純に考えると「書籍のリーチ」とは桁がかなり違う大きさの現象ではある。
で、現時点で自分が思うところでは、やはりそこには「脚本家のそれ用のスキル」みたいなのも結構あったんじゃないかと思う。
その「脚本家のスキル」でそのコンテンツが「良くなった」かどうかは別問題としてあって、ある意味で「薄める」行為かもしれないが、「テレビドラマ」という場にフィットさせる事で広い範囲の人に届ける効果はあったと言っていいのではないかと。
とはいえ、自分はどっちかっていうと「原作の世界観を応援したい」とは思ってるんだが
「この原作漫画のあまりにも優しくて誠実な世界観」自体に、そのままでは何百万人単位の人には届けられない宿命というかタガみたいなのがあるんじゃないか?
…みたいに思うところがあって、それをちょっと考えてみたいのが今回の本題。
今回漫画原作読んで凄いいいなと思ったし一気に既刊本読んじゃったんで、「これこの続き永久に書かれることないんだ・・・」ってなった時の喪失感たるや、やるせない気持ちになった。
ただ、読後感として、「優しくて誠実なストーリーすぎる」感じがあったというか、「平成時代の日本コンテンツ」特有の難しさがあるよなあ、みたいなことも思った。
全体的に、主人公も、出てくるキャラクターたちも、めっちゃほぼ全員「凄い良い人」なのね
「普通の意味で言う良い人」というよりも、漫画的にちゃんと「露悪的にエゴイストなところもあるキャラだよ」というように演出してあるんだけど、実体としては「凄い良い人で誠実な人」って感じなんよ。
で、「あらゆる誠実なキャラクターがお互いに誠実に関わり合っていけば、皆幸せになっていくはずだ」みたいな世界観にどうしてもなってしまうが、「この世界観」自体が結構実体的に無理をはらんでいるというか、
「お互いが相手にとって誠実で優しい存在であると証明しあう」事に真剣になりすぎて、「本当に相手のためになる行為かどうか」みたいな判断が危うくなってる
…というような側面も、あるんじゃないか、と言うことを、個人的にはこういう話を読むたびに思っていて、「セクシー田中さん」の原作は結構典型的に「その感じ」がした。
「カイジ」とか「今際の国のアリス」とか「日本コンテンツの王道ジャンル」だった「デスゲームもの」を大胆に再解釈した韓国ドラマ、「イカゲーム」が動画プラットフォーム「ネットフリックス」で世界的にものすごくヒットしているらしい。
ネットフリックスのコンテンツは、たとえば映画の場合の配給収入ランキングとかほど明確な同じデスゲームジャンルを扱った韓国の「イカゲーム」と日本の「今際の国のアリス」の比較として、「イカゲーム」のキャラクターたちは「個人として誠実で正しい存在である」ということに集中しすぎてる感じがする。
一方で「今際の国のアリス」の方は「個人としての行為の正しさ」でなく「(個人の倫理観だけで見るとビミョーな部分があったとしても)結果論的に皆が助かるような行為」を選ぶことが善なのだ、みたいな価値観があって、どっちが良いというわけじゃないけどその「違い」が凄い印象的だなという話があって。
韓国ドラマでも最近はまた色んな新しい流れがあるんですが、少なくとも「セクシー田中さん」は、その「一昔前の韓国ドラマ」的な世界観を感じる。
全体的に「見た感じヒドい奴みたいだけど皆実はいいヤツ」ばっかり出てくるんだけど、突然特異点的に「笙野の父親」みたいな「徹底的に戯画化された”悪でしかない存在”」が出てくるところとか。
なんというか、「無理解を乗り越えて最終的に完全に腹の底まで誠実に接しあう仲間たち」と、その外側にいる「何の留保もない巨悪」がスッパリと二分されてしまうような構造になってしまっている。
こういう「一昔前の韓ドラや平成時代の日本コンテンツ」の傾向は、徐々に以下のように転換してきてるトレンドはある。
・「仲間内」が「腹の底まで完全に善」でなくてもお互いなんとか妥協点を見出して生きていこうとする方向へ
・そして「はじき出してしまった巨悪」に全部をおっかぶせて終わりにしないで、そこにある「だれのせいでもない構造的課題」に皆で立ち向かうようにする
これはさっきの話でいうと、
・「日テレが悪い」「脚本家が悪い」「原作者が悪い」っていう話にするのは、「個人が誠実に真心を込めて対応していればこんなことは起きなかった」という前提に立っているところに無理がある
↓
・「個人に完璧な誠実さや真心を常に最高度に求める」ということ自体が非現実的であり、その先でどうすればこういう不幸が起きないかを「仕組み」として考えていく
…こういう構造変化は徐々に起きてきている。
あと細かい話、最後に主人公クラスのキャラクターが今まで積み上げた人間関係を全部ふっとばして『海外留学!』を究極の選択肢として選んで唐突に終わる感じとかも、「一昔前の韓ドラとか平成時代の日本コンテンツ」感を感じる。(意地悪く言えば、”海外”に行きさえすれば今までの世界観を丸ごとひっくり返せる魔法の扉があるんじゃないかと無邪気に考えられた時代の発想があるというか)
全体としてザツな分析をするとここにはいわゆる「父性の不在」みたいな問題があるのかなと個人的には思っている。
要するに、増田は「ギョーカイによって薄められたコンテンツ」と「元の原作漫画」で言ったら原作漫画の方が好きだと即答する人間だとは思うんだが、ただ「元の原作漫画の世界観」自体にどうしても「狭い」ところがあって、数百万人単位のリーチをしていくには足りない部分があるってことなんじゃないかと思う。
そして「足りない」部分を、「ギョーカイ人」が「薄める」ことで成立させるしかなくなってしまう部分がある。
芦原妃名子さんが「誰かを責めたいわけじゃなかったし、今でもどうしたら本当に良いものができたのか悩んでいる」みたいなことを生前書いていたが
「そこ」
をもっと真剣に掘り下げていくことで、この「原作漫画の世界観」自体がもっと深く広い射程を持ったものになって、「ギョーカイ人が薄めて万人向けにする」みたいなことをしなくても数百万人にリーチできる作品になるんじゃないか。
原作漫画は徐々にそういう方向に向かう萌芽もあったように思うので、かえすがえすも「もう決して続編は書かれない」ことが残念。
いいとか悪いとかじゃなくね。
この騒動があってから見納めかと松本の番組をよく見るようになったのだが、水ダウを見ても何見ても、もはや松本は出演しているがそこに松本はいない。
当たり障りのないコメント
生気のない瞳
皺の寄らない眉間
TVerで過去回見たら、松本のそれはそれは生き生きしてること。
渡部も事後は全然変わったし変わりっぷりはそちらのほうが大きいけど、松本の失われっぷりは辛いわ。紳助はそれが見える前に消えたからあんま喪失感なかったけど、松本は「ああ、いなくなってしまったんだ」と。
やはり存在が大きかったことに改めて気づいたよ。特別ファンでもないし近年は衰えたってのも理解できるけど。
俺達が松本見てももう笑えない、とかじゃないんだわ。もういないんだわ、松本人志は。
仮に明日裁判やって即日松本勝訴となったとしても、もう松本人志はいない、戻ってくることはない。
なんだろうなこの喪失感は。今の「松本人志の器に入ってる誰か」には、もう何も言ってほしくないかもな。切ないけれど。
事実関係とかとは依存なく、もう松本が復帰することはないだろう。
もちろん事実関係は明確にはしてほしい。性加害があったのならそれは卑劣な行為だ。でもそことはもはや別軸で、ものすごい喪失感だ。
西田敏行から松本人志に局長が替わって、探偵!ナイトスクープは格段に面白くなった。
西田敏行時代は、お涙頂戴なんでもOK の空気が流れ、くらやんの内輪ネタなど、放送するに値しないVTRが制作されていた。
松本人志に交代してからは、現場の空気もピリッとして、探偵たちもお叱りを受けないようにクオリティ向上に努めていたように感じられる。
思うに、松本人志が局長に就任したことは、探偵!ナイトスクープにとって神の采配であった。
性行為目的の合コンが開催されようがされまいが、私の感知するところではないが、探偵!ナイトスクープのクオリティが下がることは看過できない。
何が「事実無根なので闘いまーす」だ。ふざけるな。
芸人が乱癡気騒ぎを起こしても、番組のクオリティとは関係ないだろ。
その後も悪手を重ねて、ワイドナショーにすら出演できず、松本人志の評判に傷がついてしまった。
松本人志の番組は、松本人志の実績や信用があるからこそのポジションで成り立っているのに、軽率な発言で台無しにしてしまった。
なぜ、黙っていられなかったのか。松本人志に対する怒りが込み上げてくる。
次候補の条件は、つまらないVTRにつまらないと言えるかどうかである。
・たけし…高齢
・さんま…うるさい
・所…賢すぎる
・浜田…愛がない
・有吉…薄い
・マツコ…太り過ぎ
・川島…忙しい
・中居…ありかも
だいたい放送当時騒ぎになってたのか?
① テレビ番組で、当時5歳のタレントさん役の子が再現VTRで、「小型上陸用舟艇」で海を渡り、日本を目指しているシーンが制作され放送された。
このタイプの船は、港に接舷して乗員乗客を上陸させることは物理的に不可能じゃ。
浜辺などに上陸させるため、船の前方が斜めに設計されている船じゃ。
ただ、これはテレビ局制作側が勝手なイメージでつくりあげた映像か、タレントさんの証言を忠実に再現した映像かわからない。
しかし、一般に視聴者の立場からみたら、テレビ局が嘘の描写をしているに違いない、とか、タレントさんが不正確な証言をしたに違いない、とか
疑ってみる義務はなく、普通にテレビ局とタレントさんを信用していれば、
「上陸用舟艇で日本に来たんだ」という事実を認識してしまうことにはなんの責任も無いよな。
②タレントさんは済州島に生まれて、その後「韓国のどの港」から「日本のどの港」へ来たのか、
来日の経緯の具体的説明が現時点ではなく、単純に船を利用したという移動媒体のみが説明されていることじゃ。
船の場合、いまは博多港から出入国できるが、当時は西日本だと下関か神戸かしか入国経路が法整備されてなく、
また韓国から日本への船舶利用の出国は、釜山からしか整備されていなかった。
こうした事情の中、現時点でタレントさんの「釜山から出国手続きをして乗船した」という証言が確認されていないのは事実じゃ。
③ 当時の日本は韓国からの密入国問題と、韓国政府による犯罪者引き取り拒否問題という、
ただ、当時5歳だから仕方ないとか、のちに高校に行っているから問題ないというのは、今回の話に関係ないことじゃな。
今回は、タレントさんが初来日したとき、我が国の査証を受けていたのか、そうではないのか、というただ一点のみが話題になっておる。
なお、入国が合法でなかったとしても、合法に滞在している人との関係性や、時効(三年)など様々な事情によって日本の在留資格をその後に得られることはある。
④ 実は1970年以後に日本に入国した外国人の記録は外務省に申請するとすぐ取得できる。昔のパスポートを無くしてしまっても一安心じゃな。
現時点では、タレントさんは「合法に来日した」と主張しているが、それを証明する公的書類は容易に入手する手段がある一方で明らかにされていない。
もちろんタレントさんにはそんなことをする義務はないし、こちらから要請する権利もない。
・上陸用舟艇でタレントさんが初来日したという再現VTRが放映されタレントさんがこれを現時点で否定していないこと
・どの港から出国し、どの港の入国管理庁を利用したのか説明されていないこと
この3点は事実じゃ。
ワシが思うに、悪いのは、公共の電波を使い視聴者を誤解させる映像を放送した事業者ではないかな。
なので批判すべきは、タレントさんではなく、またタレントさんの初来日時点での合法に疑いを容れた側でもなく、テレビ局だとワシは思う。
安全な渡航ルールのためにも、公共電波は法律に則るとの理解を広く得られる映像のみを放送すべきだとワシは思う。
写真はワシが釜山に旅行したときのものじゃ。現地の人は日本人に優しく、またおばあちゃんたちは日本語が上手で日本のことを褒めてくれたぞ。
みんながルールを守って旅行したり仕事にくるならば、また、ルール違反をしたと思われるような言動や表現をしないならば、お互いに不信感もなく、仲良く出来る可能性があるとワシは思う。
そのためには、不平等条約(日本側には在日韓国人の生活保護について特別な規定を定めた条約があるが、在韓日本人の生活保護について定めた条約はない)なども解消し、お互いの透明度を高めていきたいな、と思う。
https://twitter.com/HashimotoKotoe/status/1734317337623536093
なんでお前らがあの映像を作った奴らを批判せずに、密入国だろと叩いてるやつらを批判してるんだ?
それをテレビ局が作って、それを本人が認めて放送してるんだろ?
そんなん密入国って言われるに決まってる
言われない方がおかしい
もちろん密入国なんかしてないのは知ってるぞ
当たり前じゃん