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2017-12-11

似非科学に関して青春時代の思い出を交えた個人的考察

 似非科学というのはいつの時代もなくならないものだ。パッと思いつく例だけでも、血液型性格診断ゲーム脳環境ホルモン水素水マイナスイオン、等々、枚挙に暇がない。多くはマスコミによって支持され、テレビ番組特集が組まれ、その科学的根拠あいまいにも拘らず世間に流布されて浸透する。テレビ番組などはあたかもその説を「検証」しているかのような映像を作り、怪しい肩書専門家コメントを添える。視聴者の多くはなんとなく「科学的に証明されている説なんだ」と信じ込み、疑問を持つことなく受け入れてしまう。一億総白痴化社会の完成である最近ネット上で多くの意見を比べて読むことができるので、情報収集能力の高い人たちはそこまで騙されやすくないとは思うが、未だテレビ新聞が主な情報源である人たちにとっては、上述の似非科学が今でも信じていることが多い。特に血液型性格診断などは、宗教のように信じ込んでしまっている人も相当数いるだろう。

 私も子供の頃はこれらの似非化学に騙されやす人間だった。最近ほとんど見ないが、昔はテレビが娯楽の中心だったこともあり、夕食時などはよく見ていたものである特に捏造問題で打ち切られた「発掘あるある大事典」などは、親が好きだったこともあって毎週見ていた。その中で血液型性格診断特集を何度か行っていたことは、今でも何となく覚えている。番組の中で「数名の幼稚園児を血液型別に分類してその行動を観察する」という検証が行われており、ものの見事にその血液型の特徴が行動として現れていた。見ていた私は「やっぱり血液型性格には関係があるんだなー」とぼんやりと納得していたが、今になって思い返してみれば数名の幼稚園児の行動で結論を出すのは早急すぎるし、番組が「○型かつ××な性格」の幼稚園児を数名集めることな造作もないことだし、そもそも集められた幼稚園児の血液型が本当に表示通りだと証明する根拠は何も無い。極めつけはあの「あるある」である。そういえば「あるある」マイナスイオン特集も何度かやっていた記憶がある。まあ、放送内容の真偽を検証するのは今となっては不可能に近いことだからやめておくにしても、心理学会において血液型性格判断の真偽は何度も検証されており、いずれも関連性を肯定するものがないことから、かの理論が出鱈目であることは疑いようがないだろう。

 しかし、科学価値は小指の爪の垢ほどもない血液型性格診断であるが、この似非化学が私に教えてくれたことが二つある。それは「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」ということと「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」ということだ。付け足すなら、当時私はまだ純粋ティーンエイジャーだったので、「大人は平気でうそをつく」ということも学んだと言えよう。

 私が初めて血液型性格診断反証する意見に触れたのは、中学二年生のことだったと記憶している。当時別段読書が好きでもない(むしろ嫌い)だった私が、たまたま休み時間図書館に立ち寄り、ふと目に留まった一冊の本を手に取ったのがきっかけだった。それは村上宣寛という方の著書『「心理テスト」はウソでした。受けたみんなが馬鹿を見た』(2005、日経ビジネス)という本である。新作であったこの本は本棚の上に表紙が見えるように立てられており、そのセンセーショナルタイトルに興味を惹かれたのを覚えている。

 10年以上前に読んだものであるためにうろ覚えな部分もあるが、本の内容は大きく2つに分かれていた。前半が血液型性格診断への反論、後半はまた別の心理テストへの反論が主であった(後半の内容は忘れた)。本文の中で、今日血液型性格診断の源流である能見正比古氏の著書をけちょんけちょんに貶し、また血液型性格診断のような「占い」を人に信じ込ませるための心理テクニックであるバーナム効果」についても詳しく説明があったと記憶している。

 当然、本の内容は著者の考えであり、本の内容が絶対的事実であるとは(今となっては)思わない。しかしこの本の内容は、血液型性格診断科学的根拠のある学説だと何となく思い込んでいた私にとっては、とても衝撃的な物であった。血液型性格診断のものというより、これまで固定観念的に信じ込んでいた常識が、脆くも崩れ去った瞬間で、まさしく目から鱗であった。活字嫌いな私が、数日図書館に通って本を読んだのは、(マンガ喫茶を除けば)後にも先にもこの時だけであろう。「借りて読めよ」と言われるかもしれないが、当時の学校図書館ルールで、新作は借りれなかったのである

 新しい知識を得たら人に言いふらしたくなるのが能のないアホウドリの常である。当時は全盛期こそ過ぎたものの、血液型性格診断世間一般根付いており、それを否定する論調は(少なくとも大手メディアでは)ほとんど存在していなかった。要するに「他の誰も知らないことを自分けが知っている」ような状況だったのだ。腕のケガだと偽って毎日手に包帯を巻いて通学していたリアル中二病の私にとって、これほどドヤれる材料は無い。とは言え、何の脈絡もなく血液型性格診断の話をするのも変である。友人との会話の中で血液型の話が出てくるのを待ち、出てきた瞬間にこれでもかと否定する。それによって「頭が良い奴」と思われて皆からちやほやされる。正に完璧計画だった。

 ところが、実際に反論してみたところ、いずれもあまり芳しくない結果に終わってしまった。どや顔血液型性格診断否定しても、「でも何となく合ってる気がするし…」と、決まって歯切れの悪い反応しか返って来ないのである挙句教師からも「屁理屈ばっかりこねるな」と言われる始末。今となってはどちらが屁理屈なんだと思わざるを得ないが、確かに思い返してみれば、血液型の話でわいわい盛り上がっている時に、キモいデブどや顔否定して来たら、場が白けてしまうのは明白だろう。要するに私の敗因は、イケメンではなかったこである

 冗談はさておくにしても、それ以降、私は血液型性格診断の話が出てきた時、余程仲の良い間柄でなければ、ニコニコして受け流すようにした。まさに2017年現在でも血液型性格診断肯定論者の方が言うところの、「否定する奴はモテない」という説を支持する対応であった。情けないとは思うが、当時ただでさえ友達が少なく、これ以上周りから孤立するようなことは避けたかった私を責めることなど出来るだろうか。ちなみに今は目上の人でなければそれとなく否定している。相変わらずチキンであった。まあ、事実事実として、TPOに合った会話合わせというのは必要だと思っている。

 そこで私が学んだことが、先の「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」の二つだ。血液型性格診断を信じている人に、上述の心理学会の話や、バーナム効果の話をしても、決まって返ってくる言葉は「でも何となく当たってる気がする」「私の周りでは当たっている」と言ったものだ。査読のある学術誌に投稿された数千人規模の調査結果よりも、自分の身の周りの数名の事例を優先するのである。当然その事例には得てして強い確証バイアスが掛かっているのだが、本人はそれに気付くことができない。「客観的事実よりも自分が信じたいことを信じる」典型である

 これは、似非化学に限らず社会の中のあらゆる現象に対して言えることである。例えば昨今、「若者の○○離れ」という言葉をよく耳にする。○○の中には、テレビ新聞、車、バイク、酒、読書など、ありとあらゆるものが入り得る。そして、その原因は大抵若者帰着させることが多い。「最近の若者は人との関係希薄から酒を飲みながらのコミュニケーションをしないのだ」とか、「世間政治に対して無関心だからテレビ新聞を見ないのだ」とか、とりあえず若者悪者にするような結論が多いが、決して「社会の変化によってニーズも変容し、製品価値相対的に下がった、すなわち製品自体時代の変化に追いつけなくなったのだ」といったような、自らに責任帰着させることは決して言わない。やはり自分が信じたいことしか信じていないのである

 また、血液型性格診断を信じている人の共通点として、否定しようとすればするほど攻撃的になって反論するというものがある。先の中学生の時の教師がその典型例だろう。理論的な反論が出来なくなると「屁理屈をこねるな」と論点をずらして逃げるのである。「否定する奴はモテない」というのも同様で、血液型性格診断の真偽について反論しているのに、「モテるモテない」の話にすり替えさら相手を「お前は場の空気の読めないモテない人間だ」と罵倒しているのである。そうなってしまうと、もはや冷静な会話は成り立たない。こちらがいくら事実を述べても、返って来るのは罵倒だけであり、最終的に相手が逃げてしまうのである。そこに残るのは無駄時間の浪費と徒労感だけで、何ら生産性のない労力を費やされることになる。

 こちらもやはり社会全般で言えることだ。例えば「若者犯罪ゲームアニメによる影響だ」などの持論を展開する人に、「若年層の犯罪率は年々下がり続けており、反対にゲームアニメ市場は伸び続けている。」と反論しても、恐らくその後は謂れなき若者批判罵倒くらいしか返って来ないだろう。論理的反論を受け入れられない人間にとっては、実は事実などどうでも良く、会話を勝ち負けを決める手段としてしか考えていない。そして自分が負けるのが嫌だから最後子供のような罵倒に終始し、逃げてしまうのである。こういった手合いは、「自分の非を素直に認められない」ことも共通点と言えるだろう。人間であれば誰しも少なから負けず嫌いな側面は持っているが、この手の人間特にその傾向が強い(と何の統計的データもなく私の主観でそう思っている)。

 似非科学のような嘘を信じ込んでいる人は、宗教信者に近い。もちろん宗教否定している訳ではない。宗教というものは、「事実か否かを証明する術がない」にもかかわらず、「否定は許されない」というのが特徴である。これ自体別に悪いことではなく、「鰯の頭も信心から」と言うように、それを信じることによって本人の精神的支えとなるのであれば、それで良いと個人的には思っている。客観的証明できなかったとしても、個人の中で信じていれば問題はないのである。ただし行き過ぎると他者に対する不寛容に繋がり、戦争弾圧に容易に発展してしまうため、注意は必要である仏陀キリストと「顔を描いてはいけないあの人」の誰が一番偉いかというような論争は、決して行ってはならないのである(仏陀キリストが同じアパートの一室で生活しているマンガはあるが)。

 「宗教」と「似非科学」の明確な違いは、前者は「事実かどうかわからない(事実であることに重きを置いていない)」のに対し、後者はそれが「明確な嘘」だということである。明確な嘘を流布すれば、社会に対して損害が生まれる。血液型性格診断であれば、近年問題になっている「ブラハラ」なる差別を生じる。ゲーム脳であれば、本来何も悪くないゲーム会社風評被害を受ける。水素水であれば、医学的根拠のないただの水を健康に良いと信じ込んで高額な値段で買わされる消費者が現れる。そして、損をする人の裏側では、他者を騙して得をする悪人存在しているのである。大抵は嘘っぱちの本を書いた奴とその取り巻きだ。

 だからこそ似非化学は撲滅しなければならないし、似非化学の考案者やそれを流布するメディア批判されなければならない。日本表現の自由保障されているから何を言おうと自由であるが、それはあくま公序良俗に反しないことが前提であり、嘘によって不正利益を得るのは詐欺である表現に対して批判を行う自由もあるのだから客観的に見て明らかに事実と異なる論説に対しては、毅然とした態度で批判すべきである

 そして、一般消費者である我々は、常にその情報事実であるか否かを見極める努力が求められる。媒体を問わずメディアは平気で嘘をつく。他人に言われたままのことを信じる人間は、その情報が誤りであった場合他人責任を求めがちである。何が正しいか自分判断し、自分責任において選択する力こそが、情報化社会を生き抜くために必要スキルと言えるのではないだろうか。

 似非科学流行は、社会におけるメディアリテラシー成熟度合いの指標と言えるかもしれない。

2017-08-04

自衛隊違憲なんてのがまだいてビビる

http://b.hatena.ne.jp/entry/business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/071000146/073100007/

自衛隊設置には反対もあったけど、多くの国民に支持されてきたという歴史

無視するのか

ネトウヨ大東亜戦争肯定論馬鹿げているけど、戦後憲法原理主義とでも

いう人にはついていけないな

2017-07-27

趣味圧が苦しい」

朝日新聞社刊行「AERA」の記事に「趣味圧が苦しい」

趣味で発生する同調圧力や、無趣味肯定論が書かれています

インターネットでも記事が読めます

趣味は?」の質問に答えるためだけに… 「趣味偽装」してませんか?

https://dot.asahi.com/aera/2017072500053.html

2017-07-19

大学生というまだ社会全体から見たら若い世代なのに、「若者シバ肯定論者」的な思想を強固に主張するみたいなひとがツイッターにいた。

若者なんざ全員苦しめと言わんばかりの強烈さは、まあもういろいろどうでもいい年寄りが言うならまだわかるが

自分若者のくせにそういう思想を持ってしまう人っていうのは、

自分一般的若者と違う特別人間からシバキの対象にならない!」

とでもおもってるのか、

それとも

大学生程度の分際で自分は立派に年を食ってるとでも思っているのか。

どうなんだろうか、実際。

2017-06-23

義務教育では教えない合理主義哲学 感情自己責任m9(`・ω・)ビシ

・「日本語・風紀・世相の乱れ」はそう感じる人の心の乱れの自己投影

問題解決力の低い者ほど自己防衛の為に礼儀作法マナー必要とする

真実事実現実史実は人の数だけある。「一つしかない」は視野狭窄

・「真実は一つ」に執着する者だけがその矛盾煩悩、争い)を体験する

・憤怒激昂は無知無能自己証明中途半端知識主ほど辛辣批判する

・あらゆる社会問題根本原因と解決策は「教育」に集約する

・十分なリテラシー教育を受けてない者ほど宗教偏向思想洗脳される

地球上で最も売れているトンデモ本新約聖書

体罰肯定論指導力向上心問題解決力に乏しい教育素人自己正当化

死刑国家による集団リンチ殺人廃止した方が凶悪殺人は減る

・虐めの原因は唯一「虐める者の精神疾患」。真に救済すべきは加害者

犯罪加害者必要なのは懲罰ではなく救済。被害者のみ救済は偽善

投票率政党支持率出生率・消費マインドの向上は社会低迷か後退の証

・全ては必然。偶然奇跡矛盾理不尽不合理と感じる原因は無知無学

2017-06-15

良いはてサと悪いはてサ切断処理するよー

今回のクジラックスの件で、肉屋を支持する豚になってるはてサ丸焼きしまーす

http://b.hatena.ne.jp/entry/miurayoshitaka.hatenablog.com/entry/2017/06/15/%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AE%E4%B8%BB%E6%88%A6%E5%A0%B4%E3%81%AF%E6%98%94%E3%82%82%E4%BB%8A%E3%82%82%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%81%A0

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20170614120233

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20170614093327

良いはてサ

death6coin まぁ、恐怖はわかるが、恐怖だけを理由に行動して後先を考えずに法をいじった場合弊害無視できるなら、そっちの方が恐怖だよ

(追記)うるさい、お前はよいはてさだ。私が決めたからそうなのだ。分かったら返事しな、よいはてさっ!

deep_one それは他の全てに適用できるということが理解してもらえない絶望。例えば、我々は政治方法を「ナチスに学ぶ」事も恐怖している。そのために先んじてナチスを学ぶわけだが。

oka_mailer 今回の件、法的根拠が薄そうな措置に対してろくな説明警察からなされてない。作者の個人情報をどういう名分で調べたのかとか、要請するだけの根拠とか色々と不透明

hate_flag 権力はつねに抑制的に働かないといけない。その自覚がないとモンスターなっちゃうからね。そして埼玉県警にはそういう自覚はまるでないんじゃないのかコレ

myogab 当然、萎縮効果を狙ってやってるんだからこそ、それが報道されもしているんだろうし。

yarukimedesu ネット上の違法アップロード警察が削除申請するために、著作者許可を得にいったのであれば、アリに思えるけど、「配慮」という抽象的なモノは、きしょく悪い。


悪いはてサ

quick_past 愛のコリーダは流石に言われるやろって内容で、むしろ社会全体を巻き込むためにそういう表現に踏み込んだんじゃないのとは思う。エロ"だけは"自由だ、を自民支持者が叫んでる昨今で案の定凶暴法可決という笑えない話

陰謀論ウイルス感染してしまった気の毒なはてサ

(追記)権力の抑圧が必要だと思うなら始めっからちゃんと言えばいいじゃん。そうやってあと付けで見苦しい言い訳するの、カッコ悪いよー。

コメントの終わりに最後っ屁みたいな憎まれ口叩くのも小物っぽくて×。

まあだから悪いはてサなっちゃうんだね。

nao0990 こういう意見を出すと「こんなこと言うのは規制推進派に違いない!」と勝手に思い込んで敵認定しながら殴りかかってくるやつクッソめんどくさい。ブコメにも多数。

規制に賛成しときながら規制推進派と思い込むなとかワケの分からないことを言うはてサ

rosaline 被害者の痛みを存在しない・軽微なものと決めつけて「ボキュのズリネタ書いてる先生いじめられたよおぉボキュが虐められたも同じだよぉぉボキュこそ被害者だよぉぉ」とわめき散らす輩が多いのは正直辟易している。

こういうセリフを考えつく方がキモい。ムカつく男相手には「禁治産レベル思考」などと差別的発言も平気なミサンドリスト

妖怪ドッチモドッチ

houjiT 自分は「合理的」と評価はしてるけど、萎縮の影響があると問題視するのも肯定する。これは肯定論否定論が衝突する点でどちらにも理があるためで、語るのがとても難しい。何か良い論理を構築できればよいのだが


まあ何がしたいのかというと、

ちゃんと左翼左翼としての主張をしているのではなく、

オタクキモいから死ねというミサンドリストなんちゃってサヨクやってるのがすげームカついたから。

2017-03-05

自分年収学歴底辺家族人格的に問題ありだけどあまり不幸だと思っていなくて

それはとりあえず文明社会にぶら下がって恩恵を受けられているか

旅行自然に触れたりすることが好きだし

映画や本やアニメお金をかけなくてもかなり面白いものが見れる

ただ自分みたいな人間を例に出してほら底辺でも幸福じゃないか!なんて議論に使って欲しくない

世の中のことを考えているのなら自分のような存在をダシにして現状肯定論を唱えるような楽観的なことをしている場合じゃないはずだ

中卒DQN底辺でも実は幸せなんだみたいなネオリベ富裕層に都合のいい

底辺肯定論法に抗ってきたのがはてな民だと思ってたんだけど

ここにきて環境関係なく生まれてくる子供幸せか不幸かなんてわかりません!

っていうスピリチュアル思想に走りだす人が現れるというのは結構興味深い

子育てするような層が増えてきたことも関係しているのだろうか

いや未来は決まっていないんだからからないとか人生論的な意味でそれが間違っていないのは自分でもわかります

でも現実政治上抵抗線として戦場に選ぶのはそこじゃないだろうという

どこかネットに持ち込む議論としてはピントがずれている感じは否めない

2017-02-03

サブカル階層の失敗史

鉄道サブカル

2006年前後に激化した日本における鉄道好き文化聖地JR東日本での鉄道ファン同士の小競り合い。鉄道ファン若者が集まる駅で、その鉄道ファン排斥を呼びかけるヘイト集団が駅に押し寄せた。最盛期には100人規模の参加者がいたという。ギャル・不良系サブカルからの流れもあっただろう。

実際には、何十人ものヘイト集団が「お散歩」と称して鉄道オタクと押し問答を起こしたり、オタクとも何も関係なさそうな女子供におらつく動画画像を見たことがある。

ここで彼らの最大の課題が見える。それは、仕組みを妄信し、仕組みの上に根拠となる反論のできないデータがあると(「データの不在」というデータも含め)、それに「可視化された存在」をすり合わせることで物事確証するということだ。これは本当に反知性的な発想である

鉄道ファンヘイト場合は、まず日本型保守主義構造という「仕組み」を過信し、その仕組みの上に鉄道ファン社会性実績の不在というデータなきデータがあって、主張を裏付け現実実態としてヘイト運動大規模化を実現させたわけだ。しかし、彼らには最大の欠陥がある。

それは「サイレントマジョリティを知らないこと」である。世の中の多くの人は、鉄道ファンではないし、かといってヤンキーでもない。ましてや「私はミーハーです!」とデモを組んで主張してがなりたてることもありえないのである

鉄道オタク叩きに躍起になっていたヘイト連中は、自分たちの閉鎖的なネット空間の「一般論」が事実であることの根拠ヘイト行為動画拡散した。しかし、駅の利用者などは、ヘイトにはドン引きだったはずだ。

一方で、地上波テレビに一気にサブカル進出したのもあの時期だった。いわゆるオタ文化大衆化がここに始まった。マスコミ関係者もまた「可視至上主義」に陥っていたのだろう。

ちなみに鉄道オタク人口はある証券会社の調べによれば「オタク全体の3.8%(日本オタク人口が5200万人)」だというようだ。あまりにも少ない。膨大なサイレントマジョリティ日本国民は、鉄道を好きでもないが敬遠もしないし、それよりはヤンキーのほうが敬遠されるもので、レイシスト裏社会と同じくらい危険で嫌いである。

たぶん炎上するとは思わなかったんじゃないかネット原住民空間には健気な鉄道ファン話題は何一つ存在しないから、偏った反応だけが来ると。しか現実には、普段可視化されることのないサイレントマジョリティが眠りから目を覚ますこととなったのだ。

国民の反ロリコン・反不良感情

可視状態の過信」によるサブカル階層の失敗は今に限ったことではない。たとえばニコニコ動画などのネット原住民の中心空間には歴史カテゴリーにおいてヤンキー肯定する動画ゴロゴロ転がっている。これらは当初はサブカルたちが礼賛コメントを書きまくっていたが、相模原やまゆり事件以降は批判一色に染まった。

サブカルロリコンだけでなく、ヤンキーをも好む傾向があり、とりわけヤンキーについては肯定派どころか推奨派なのである普通人間であればSMフェチのMじゃあるまいし好き好んで威圧たりしたくないわけで、一般世論乖離している。しかネット原住民空間自体一般ではないのか黙認されてきた。

ところが、そのネット原住民空間が「ヤンキー排斥」「反ロリコン」を鮮明にしたのが相模原やまゆり事件千葉大生による女子中学生誘拐事件である。あの時期の前後に立て続けに相次いだロリコンヤンキーがらみの騒動もあって、反ロリコンヤンキー排斥世論が高まり結果的に「礼賛一色」のコメント欄が一気に批判に染まったのだ。サブカルなんてネット原住民空間でも少数派なのだ

そして反ロリコンヤンキー排斥騒動さえ何ヶ月も前になった今こうした動画にはさらに上からかぶさるようにサブカルの「肯定論」が再び増えつつある。最近トランプ炎上において支持者が強気姿勢を変える気配がないのも、ロリコンヤンキーと同じでほとぼりが冷めれば自分たちの主張を上塗りすることができるからだろう。

南京事件否定論」の対立概念

呼び名は「南京事件肯定論」でいいの?

南京大虐殺をやってのけた日本凄い」という極めて不穏な思想に聞こえてしまうんだが……

ミソジニーに毒されないで!!とか

確かに、小学校低学年の頃からインターネット入り浸りだったのがミソジニーっぽい考え方になった原因なのかもしれないけど

中高一貫女子校でクソみてえな女性肯定論に囲まれて過ごした時間よりも、インターネットの方がずっと楽しかたからもうどうしようもない

まあフェミの人たちだって女性蔑視思考に完全に沈みきった女達なんざどうでも良いんだろうけど

でも「ミソジニーに転びかけてる思春期の女」を本当に救いたいなら、やたら女だけが語りかけるのはあまり効果的でない気がする

そういう子は「またうるさいフェミニストが何か言ってるよ、だから女はダメなんだ」くらいにしか思わないだろうし

2016-11-10

http://anond.hatelabo.jp/20161110163823

ん?「女性を抑圧することについての社会的合理性に関する考察肯定論or否定論)について、男性側の視点が足りてない」というのが元増田の主張だと思うんだけど。

2015-07-12

http://anond.hatelabo.jp/20150712235051

からネット上でもいいからネチネチと「ジョーシキやセケンテーはくだらねー」と言い続ければいいし、

実際にそういうネチネチによって多少なりとも現実の謎ビジネスマナーは変わってきたわけだが、

おまえは「そんなのジョーシキでしょ、そういうセケンテーは守らなきゃダメでしょ」と言っているハイヒール肯定論者でしかない。

2015-02-22

同性婚論点整理(仮)

同性愛者への福音か、家族制度破壊か。同性カップル証明書 - Yahoo!みんなの政治

憲法について

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。 日本国憲法24条第1項

純然たる「憲法違反」。法治国家としてあるまじきこと。ただでさえ守られていない憲法が、さら形骸化し、諸外国懸念を招くだけ。きちんと手続きを踏みましょう。 http://seiji.yahoo.co.jp/article/1665/

憲法は同性同士の結婚について規定をしていないだけで、違反じゃないでしょ。 b:id:knowspring0210

同性婚は、そもそも憲法で禁じられていない。http://lmedia.jp/2015/02/20/61845/ b:id:unifas

9条解釈改憲と似た話。憲法制定当時では想定されなかったことについて、どのように憲法と折り合いを付けていくか。

生物として

生物として異常」て、現にそうである人間動物存在するのに何を意味不明なことを言っているのか。もうちょっとものを考える癖をつけたほうがいい。 b:id:bitscreen

存在しているか」と「異常か」は関係がない。

異常か否か

自然界で行われているから異常でないというのなら、性成熟すればすぐに性行為を行わないのも異常だし、ムラムラしたら手近のメスと性行為を行わないのも異常である。以上より、「生物として」異常か否かを議論することに価値はない。

少子化について

同性婚を認めることによって、少子化拍車がかかるのか。肯定論者の論拠が不明で、それ以上の議論余地がない。

結婚繁栄

国家人類繁栄・存続を否定するものであり、個人の権利擁護観点だけで議論すべきではない。個人の自由大事だが、もっと大切にしなければならないものがあるのではないか? http://seiji.yahoo.co.jp/article/1665/

このような意見に対して、

反対意見人類の存続だの国家繁栄だの言ってる人は、子供を作らない異性夫婦存在にも反対なのだろうか。 b:id:goturu

同性婚を認めない→現在少子化同性婚を認めたら、少子化に悪影響!→???なんでだ?/結婚は個人の権利問題じゃない、と仰る方が、どんな生活をしているのかすごく興味ある。長期独身者だったら苦笑いだな。 b:id:kirin_tokyo

というのは反論になっていない。「結婚とは子作りをするためのものである」という論者に対して、2つの主張は「そういう人がいてもいいよね」と切り捨てられるだけである一方、同性婚はこの目的合致しない。

同性婚はどこを目指すのか

政権は、社会福祉における自助の強化をはかっているんだから、その意味においては同性カップル証明書の発行をむしろ推進するのが筋かと思う。 b:id:OrangeBubalus

異性なら住民票ひとつにすることで事実婚扱いができるが、同性だと不可能婚姻よりは弱いが、事実婚並の権利保証を与えるのを可能にするのならいいんじゃないb:id:Josui_Do

婚姻と別制度ってことなら好きにやったらいいんじゃん。既存婚姻は子を産み増やせる関係性を優遇する制度ってことでよろしくな! b:id:oktnzm

同性カップルにも異性婚と同等の権利を与えろ」というのは、「結婚とは男女でするもの」という「常識」の人たちに嫌悪感を与える。「同性婚に反対している人たちは「嫌い」というだけで論理的でない」と、軽々しく扱う人もいるが、嫌悪と言うのは中々根が深くて、論理でなんとかできない分、厄介である

まとまらなかったので、(仮)としておく。

2015-01-19

なぜ同性婚を引き合いに出すのか判らない人への意見表明

ブコメで答えられれば良かったんだけど、ちょっと100文字じゃ無理そうなのでここに書く。

近親婚についての↓の記事ホッテントリに上がってて、そこのブコメ意見が分かれている。

http://irorio.jp/daikohkai/20150118/196586/

同性婚を引き合いに出す人が何人かいて、

それに対して「なんで同性婚を引き合いに出すんだ」という人も何人かいる。

後者は近親婚に否定的なようで、「一緒に否定されたくない」という意味で反発していると読めたので、

同性婚を引き合いに出した一人として、答えておく。

私の答えは、

同性婚を許容するのと同じロジックで、近親婚も許容されるから、決定的な違いがあるというのならそれを示すべき」

というもの

私は今でこそ同性婚は許容しても良いと考えているが、

一時期論争が盛り上がった時の前半は、否定論者だった。

否定的だった論拠は、「同性婚が出来ない事で蒙る不利益が、独身者が蒙ってる不利益を超える事はなく、婚姻による社会的利益享受する正当性は無い」と判断していたから。(この認識自体は、今も変わらない)

許容派に考えを変えた理由は、ある論客が述べた論理が、納得いくものだったからだ。

その論理は、私の理解では次の通り。

「大人である当人2人がそれを望んでいて、誰の迷惑になるわけでもないのだから、受け入れるべき」

近親婚の是非を問うた時に、私が同性婚を引き合いに出した理由は、もうお分かりと思う。

上記の同性婚肯定論者のロジックが、そのまま近親婚に当てはまるからだ。

大人である当人2人がそれを望んでいて、誰の迷惑になるわけでもないのだから、私は近親婚を許容する。

許容しないなら、同性婚が良くて近親婚が悪いその理由を述べられよ。(もちろん、「どっちも悪い」という人もいるだろう)

リンク先の記事を読む限り、遺伝子問題クリアされていて、かつ、虐待による強制・半強制の可能性もないと判断している。

そもそもそれらは、近親婚でそれが発生するリスクが通常より高い、というだけの物で、それらの問題クリアした上で婚姻を望む2人を認めない理由にはならないだろう。

以上。

2014-11-03

「彼は死刑肯定論者です。人間とは見なせないので死刑ではなく殺処分という認識です」

アムネスティ「なるほど」

動物愛護団体「ではここからは我々の仕事ですね」

2013-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20131227144942

そもそもA級戦犯は何かって言うと

平和ニ対スル罪 即チ、宣戦ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争、若ハ国際法条約、協定又ハ誓約ニ違反セル戦争ノ計画、準備、開始、又ハ遂行、若ハ右諸行為ノ何レカヲ達成スル為メノ共通ノ計画又ハ共同謀議ヘノ参加。

まり日中戦争大東亜戦争肯定論者、パールハーバに関係する人間および当時日本に住んでいて戦争協力をした民間人がこれに該当する。実際に中国が主張している南京大虐殺(があったとして)の犯罪者ジェノサイドにあたるので

(ロ)通例ノ戦争犯罪 即チ、戦争ノ法規又ハ慣例ノ違反

(ハ)人道ニ対スル罪 即チ、戦前又ハ戦時中為サレタル殺人、殲滅、奴隷虐使、追放、其ノ他ノ非人道的行為、若ハ犯行地ノ国内違反タルト否トヲ問ハズ、本裁判所ノ管轄ニ属スル犯罪遂行トシテ又ハ之ニ関連シテ為サレタル政治的又ハ人種的理由ニ基ク迫害行為

B級またはC級戦犯にあたる。韓国が主張すべきもこっちかな。

これでいうと、第二次世界大戦に従軍した兵士・銃後を守った民間人、指揮をした軍部及び政治家扇動したマスコミすべてがA級戦犯に該当する。そのうち特に責任が重いとされるものに関しては裁判の後死刑執行された。死刑執行されたひとを現在ではA級戦犯というが、実際には当時生きていた日本人ほぼ全員がA級戦犯である、というむちゃくちゃな罪状である

処刑されたA級戦犯合祀妥当だったかどうかはとりあえずおいておくとしても、平たく言えば第二次世界大戦戦死者はすべてそうなので、1976年合祀以降に中韓が反対するのはお門違い。するなら最初からすべき。最初しなかったんだから今するのもおかしい。

なお処刑されたB級C級戦犯に関しては靖国合祀されているが、これは騒ぎになるよりもずっと前からである

今回の米国の批判は、靖国参拝自体を問題にしているわけではなく「中国を刺激するな」である。彼らは戦争したくないし、人を出したくない(南スーダンとかシリアとかがあってそれどころではないため。国内も問題が山積しているし金もない)。EUも同様で、論調としては「中韓がうるさいから変なことするな」と言っているだけである。彼らは下手につつくと19世紀の植民地支配のことが出てくる可能性があるため、下手なことは言えない。そしてEUも相変わらず経済的には厳しい状況なので、戦争が起こるとか言われたら困る。しか日本は自力で戦争できないので、紛争がおこれば多国籍軍派遣することになるかもしれず、すごくいやがっている、だけ。

日本としては、韓国南スーダン弾薬譲渡の件で狂ってる(韓国内が崩壊しそうで、北朝鮮がそれに乗じて攻めてくる可能性はある)というのを念頭おいているのかどうかはわからないが、

とりあえず中国は数日前に公船が尖閣周辺領海侵犯しているので、それの抗議ではないか?まぁそんな事態なので余計に米はおいやめろといっているわけだが。

時期的にはちょっとまずかったと思う。

2013-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20130919130651

体罰が是であれ非であれおまえの親が教育に失敗したのは間違い無い。

体罰肯定論本質はここだろうな。

自らとその教育者を失敗作と言いたくないため、肯定をするんだと思う。

しかし人に対してカタワとかよくいえんよな。どんな教育受けてたんだろうな。

2013-09-14

http://anond.hatelabo.jp/20130914120315

(1)疑問:「死刑制度」に意味はあるか?

罪を犯して罪を償うのは、当然のことです。では、犯罪者から命を奪えば、彼(ないしは彼女)は「罪を償った」ことになるのですか?

それで「イイキモチ」になるのは、ハッキリ言えば事件に関係のない第三者だけではないですか? いい気味だ、ざまあみろ、自業自得だ、正義は為された。…etc。そんなことで、被害者の心は本当に癒されるのでしょうか?

大阪教育大附属の児童殺傷事件の犯人宅間守は、「死にたかったが自殺する勇気がなかった」「死刑になれる相手なら誰を殺してもよかった」「子供をねらったのは殺しやすかったから」そして、死刑判決が出て、遺族に何か言うことがあるか、と聞かれ「あの世でもう一回お前らの子供を○してやるわケッケッケッ」…という趣旨の発言をしたそうです。

こういう人間をただ殺して、それで遺族は本当に心が癒されたと思いますか?

日本社会では、問題が起こると、当事者が「責任をとって辞職」したりします。しかし、それは本当に「責任を取った」ことになるのでしょうか。

特に事故など、今後の対応が重く、長く、苦しい、果てしないものになることが想定されるとき、そんな対応から逃げ出したくなっても無理ありません。そんなとき、「辞職したか責任取った」と得意気に言われると、むしろ殺意が湧きませんか? それはむしろ無責任」の一形態に過ぎないのではないでしょうか。

(2)主張:死刑制度には意味がない。

私が死刑などやめた方がいい、と思うのは、それが無意味からです。本当の意味で「罪を償わせる」ためには、生かして、生かして、長生きさせて、どんなに苦しくても一生をかけて自分のやったことと向き合わせる。「償う」などということが実際に可能であるか否か、それは分かりません。しかし「罪を償う」などということが、もしできるのだとしたら、そういう地道で苦しいやり方の中にしかあり得ないと思うからです。

(3)論拠:死刑制度肯定論とそれへの反論、問題点の指摘

よく主張される「死刑見せしめとして役に立つ」という意見。ですが、これまで死刑が廃止になった国で、凶悪犯罪が増大したというデータはないので(むしろその逆です)これは否定されます(※)。死刑に「犯罪抑止効果がある」という意見にはエビデンスがない。また、死刑には、受刑者本人に対する教育役割(刑を受けることで、罪悪感を感じ、社会復帰への道が開ける)がないことは明らかであり、経済効果についても、無期刑に比べてコストが安いということも無いのです(人を監禁して殺す、というのは簡単なことではありません。そのための特別の施設、管理者、担当者手続き……様々に膨大なお金がかかっています)。

更に、よく言われることですが、死刑は不可逆であるというその性質から冤罪が発生したときに取り返しのつかないことが起こりかねない、もっと言えば、取り返しがつかないだけに「『取り返さないでおこう』という圧力が発生する」という危険も指摘できます

死刑制度には、合理的に見ればこれだけの問題があり、普通に考えればむしろ「無くす」のが当然の立場なわけです。ご理解いただけたでしょうか?

(4)発展:ではなぜ死刑は無くならないか

それでは、次の問題。これだけ問題のある死刑制度が、アジア圏で根強く残るのはなぜなのか? これを考えてみたいと思います

死刑を残す国々(日、韓、中など)は、どれも同程度に人権意識が低いのでしょうか? これらの国々は、民主主義的にみせていても、その実、全体主義的な管理社会からなのでしょうか?

いろいろな理由は考えられますが、私は、これらの社会が、依然として「家、一族」を基盤とする封建制社会の気風を残しているからではないかと考えています

「家、一族」を基盤とする封建制社会は、「個人」に対する毀損を、「一家、一族」に対する毀損と見なします。「個人」を基盤とする社会にも、もちろん特定の個人との絆からくる個人的な「復讐」は発生するわけですが、「家、一族」を基盤とする社会では、「個人」に対する毀損が「家、一族」あげての「復讐」、つまり「敵討ち」引き起こしかねない。だから、これらの国家で秩序を保つためには、国民勝手に「敵討ち」をしないようにする…つまり公権力による敵討ち代行」を、制度として保証するしかない。それが、これらの国における「死刑制度」の意味なのではないか

「日、韓、中」が、近代社会における刑罰としての「死刑制度合理性がないと分かっていながら、その廃止に踏み切れない理由は、これらの社会がもつ潜在的な「敵討ち」の論理のせいであり、これらの国で国民死刑が支持されているのは、依然としてこの国の人々が「敵討ち」大好きだからなのではないか、と思っています

(5)展望死刑制度日本社会の今後

従って、核家族化が進行し、家族関係欧米化していけば、いずれは日本でも、死刑は廃止されるのではないでしょうか。ごく自然の流れとして。そうなっても不思議はない、と私は考えています。少なくとも、死刑を廃止した国々が「人の命を軽んじている」わけでも、「罪を償わせるシステムをもたない」わけでも、被害者を軽んじているわけでもない、ということさえ理解していれば、死刑廃止論というのを、まるで非現実的な論のように批判するのがおかしいことは、理解できるはず。そこで考えるべきなのは、「なぜ他の多くの国と違って、これらの国では死刑がなくせないのか」です。

(6)終わりに

最後に、ちょっと厳しいことを一言

死刑廃止論感情論だと決めつけて、叩く。そういうのを「案山子論法」と言います。相手の実体でなく、自分勝手に想定した案山子のような無力な「敵」を相手に、(自分の中では)華麗にワン・ツーを繰り出し、ノックアウトする。気持ちいいかもしれませんが、それはただのオナニーです。

死刑廃止論を批判するなら、もう少し死刑法律社会に関する勉強をしてからにした方がいいと思います


追記

※参考:抑止効果という神話 http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20070901/1188667970

 
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