はてなキーワード: 森光子とは
昨日もの凄く久しぶりにお味噌汁とか作ってなんか我ながら感心しちゃったんだけど、
って言っても普通に具はキャベツだけで出汁入りお味噌で溶いただけの簡単お味噌汁。
キャベツは生でポリポリゲームのお供に食べるつもりだったんだけど、
日が経ってしまってなんか生で食べるのは超躊躇しちゃいそうなくたびれ方をしていたので火を通すことにしたの。
そんでお味噌あったので、
って言うか重湯用の味変用で買っておいたお味噌汁を
まっとうな使い方としての直球のベーシックなキャベツお味噌汁にしたってわけなの。
お味噌汁って初めてもちろん作るわけじゃないけれど、
なんか自炊面倒だなって自ら知らず知らずのうちにハードルを上げていて
端から作りたくない!面倒くさい脳になっちゃっていたんだけど、
小鍋にそうよ、
小鍋の上でアルペン踊りをさあ踊りましょう!って気持ちは意気揚々としているのよね。
具を入れてお水入れていお味噌とくだけ。
あれ?
そんな感じなのよ。
また張り切って具材を買って、
持ち帰ってきた途端にこの大量の食材を見て急にやる気が無くなる現象ってない?
私もいっちょ森光子さんみたいにでんぐり返しをよし!決めよう!って次第なの。
ちなみにお味噌を買いに行くときにマーケットに入店する際は飛び込み前転よ!
なんか面倒くさい面倒くさいって思っていたその面倒くさいのかたまりとしか思えなかったお味噌汁が
お味噌汁ライフがもしかして捗るこれなんて土井善晴先生の一汁一菜なの?って思っちゃったわ。
私が得意とする窓から投げ捨てていたものを全部鍋に入れて味噌で溶けば
なんでもいままで私が捨ててきたものもお味噌汁にできるんじゃね?って発見なのよ。
今度はお豆腐のお味噌汁作ってみようかな?って挑戦しつつチャレンジングスピリッツを忘れない心にしまっておくの。
でも先ほども言ったように
張り切りすぎて具材を買いすぎまくりまくりすてぃーになっちゃうと、
急に作りたい欲が無くなっちゃう注意報発令も気を付けないといけないので
私の中の月刊ノーライフノーお味噌汁の特集としてふさわしいわ!って思ったの。
絶対に袋とじで買わないと見られなくて、買った矢先にもう待ちきれずに指で裂いて中を見ちゃいたいぐらいな超絶美味しそうなお味噌汁作るんだから!
たぶん私のことだから
お味噌汁研究家として探検家としてやってくわ!って言いがちだけど
たぶんすぐ飽きると思うので、
私はもうお粥は理解したわ!って次行ってみよー!って訳で次の新しいチャレンジに挑戦しているのよね。
日々人はチャレンジすることを見付けたいぐらいな気持ちを持ち合わせているのよ。
だから、
具だくさんのお味噌汁だけでよくね?って思っちゃった訳なのよね。
うふふ。
昨日の晩の作ったキャベツオンリーのお味噌汁の半分を朝用にとって残しておいたので、
朝ご飯と言いながら、
あと土井善晴先生の必殺技でお味噌汁にタマゴを落とす技もあれ絶対ペキカンな美味さなので
私も真似して今度やってみるわ!
あの技は強すぎるの。
たくさんあるので、
これもまたせっせと消費しなくてはいけないと思い出したのよね。
ホッツもまだ暑くなってきたけど
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今回の東山の会見でさ「森光子さんと性的関係にあったというのは本当なんですか。森光子さんの遺産の一部を受け取ったというのは本当なんですか」みたいな質問をして東山に普通に窘められた記者が炎上して、それをいつものように他のメディアがそれを取り上げてたんだけど、これってたぶん、その記者が今回のバカな質問して怒られる係だったんだと思うんだよね。
スポーツマンが活躍した時の会見で男女関係のこと聞いたりとかする奴。で、「そういう質問をするメディアがいてピリっとする場面も。それに対するネットの声は」みたいなメディアが常に出てくるじゃん。
普通に考えたらみんな学ぶと思うんだけど一向にその気配がないじゃん。で、これでそのメディアの株も落ちるわけじゃん。それでもなくならないのはたぶん「ほかのメディアが取り上げるための炎上しそうなバカな質問する係」の人を持ち回りで各メディアがやってるからだと思うんだよね。
どう、当たってる?
《メリー氏にもかわいがられた》を良いエピソードとして語ったり、《時にスキを見せる人間らしさや謙虚な一面の方が武器になる》と褒め倒したりする。
スポーツ紙の"ジャニーズ観"は今も変わらず、"忖度報道"はいまだに続いている。今までジャニーズ事務所に不利な情報をほぼ報じなかったスポーツ紙も、最近は踏み込んで書いているように見えるが、その実態は……。
9月7日の記者会見では故・ジャニー喜多川氏による性加害だけでなく、社長就任が発表された東山紀之(56)のハラスメント疑惑についても質問が飛んだ。当初は「直接指摘を受けたことはありません。ただ誤解を招くようなことはあったかもしれません」と話していた。
しかし、過去の暴露本の記述をもとに「(合宿所で)パンツがない方に『自分のパンツを履け』と言ったり、電気アンマをしたり…。ジュニアを前に、ご自身の陰部を晒し『俺のソーセージを食え』(と言ったのか)」と具体的に踏み込まれると、「覚えていることと覚えていないことがある。している可能性もあるし、してない可能性もあるし。若気の至り、自分の幼稚さもあったとは思う」と表現を変えた。
さらには「森光子さんに性接待をしたのか」「莫大な遺産を引き継いだのか」という噂まで聞かれた。こちらについては「全くありません」と完全に否定した。
翌日の紙面ではデイリースポーツ以外は東山のハラスメント疑惑について載せていた。この点については忖度がないように見えるが、「僕のソーセージ」「森光子さんへの性接待、遺産」という具体的な言葉はスポーツニッポンにしか掲載されなかった。
森光子さんに関する質問は会見の趣旨から外れており、書いてなくても特に不思議はありません。ただ、昨年辺りからジャニーズに厳しいスポニチは書いて、他の5紙がスルーしている点は気になります。そして、東山さんの社長就任についての評価を読むと、未だにスポーツ紙には"無意識の忖度"が働いているように感じます
記者のコラムを比較すると、各紙の忖度度合いが明らかになる。まず、スポニチを読んでみよう。
《自社タレントの中でもジャニー、メリー、ジュリーの"同族経営"3氏と最も近い東山を新社長に起用。事務所の今後の運営を第一に考えた人選とも見え、再発防止特別チームが提言した「解体的出直し」からは程遠い船出と取られかねない》
「僕のソーセージ」「森光子への性接待、遺産」を載せたスポニチは厳しい。SMAP解散騒動の頃とは比べ物にならないほど、忖度しない姿勢を見せている。
次に東京中日スポーツを読んでみよう。
《生みの親で育ての親でもある恩人と完全決別し、きっぱり現役を引退して諸問題と向き合う意志の強さはしっかり感じることができた。ただ所属タレントの長男坊ではあるが、若い世代のタレントとはほとんど接点がなく、今後いかにしてリーダーシップを発揮するかに注目したい》(コラム『記者の目』)
良い点も挙げながら、《若い世代のタレントとはほとんど接点がなく》と不安点も指摘している。本来、記事にはこのようなバランスが求められる。しかし、他のスポーツ紙は東山社長就任に対し、前向きな言葉が並んだ。
デイリースポーツはこう書いた。
《信頼回復のため陣頭指揮を執っていく立場として、明確に「脱ジャニー」を掲げていくしかない。そんな強い信念が見て取れた》(コラム『担当記者が見た世紀の会見』)
■東山の“良い人エピソード”を並べた報知、日刊スポーツ、サンスポ
スポーツ報知、日刊スポーツ、サンケイスポーツには"良い人エピソード"が並んでいる。報知から見よう。
《東山は自他共に認めるストイック。1日腹筋1000回、月に100キロ走ることを35年以上続けている》《裏方への気遣いも欠かさない。ドラマの現場では自ら進んで食事に付き合い、深夜まで現場の声に耳を傾けることも。体形キープのため酒席から走って帰る生真面目さも》(コラム『こんな人』)
報知は
《今後は、傾聴力とストイックさで抜本的な変革が求められる》と結んでいる。ジャニーズ寄りに違いはないが、《抜本的な変革が求められる》と書くだけ"称賛感"は幾分薄くなる。一方、日刊スポーツの編集委員は東山の人柄を"絶賛"している。
《かつて「サンデーLIVE‼」で、悪質な詐欺事件を取り上げた際、「こういう人にはバチが当たります」と真顔で言うのを見て、思わず笑ってしまったことがある》《この人に染み付いたかなり古風だが、確かな倫理観が思わず口をついたようだ。事務所を立て直す上で、何より大切な資質に違いない》
《会見で指摘されたように10~20代の頃には、当時は当たり前だった「体育会」的な行動があったのかもしれないが、今は後輩やJr.を相手にした「聞く力」を十分に蓄えているはずだ》《これからは時にスキを見せる人間らしさや謙虚な一面の方が武器になるのだと思う》(以上、コラム『こんな人』)
《当時は当たり前だった「体育会」的な行動》が何を指しているか不明だが、もし仮に暴露本の記述だとすれば、当時でも間違いなく非難される行動であり、決して"当たり前"ではない。
サンケイスポーツは、本人との具体的なエピソードを綴っている。
《メリー氏にもかわいがられた。“女帝”といわれた同氏からの食事の誘いを周囲が断りがちな中、東山は常に応じる社交性を持ち合わせ、“人間力”を磨き、森光子さんを筆頭に萬屋錦之介さんら先輩のスターからも寵愛された》《取材の際、自身への差し入れだったおはぎを食べながら「おいしいですよ、どうぞ」と報道陣に勧めたり、飲食店でばったり合った顔なじみの記者にボトル1本おごるなど隅々まで気遣う細やかさも一流だった》(コラム『新社長 東山紀之という男』)
図らずも、東山がジャニーズ事務所で伸し上がってきた理由がわかるような"逸話"の披露となった。
「権力のある人間に寄っていくのは自然なことですし、東山さんがメリー氏との食事にも積極的に応じていたことで、他のタレントが助かった面もあるでしょう。これ自体が悪いわけではない。ただ、サンスポの記者はボトル1本おごってもらっていたわけで、懐柔されていたと思われても仕方ないですね。このような過去があるから、スポーツ紙の忖度は簡単にはなくなりません。今回のコラムを書いた記者はジャニーズ担当ばかり。これからは、今までジャニーズと関わりのなかった人を担当にしないとダメでしょうね。テレビ局にも全く同じことが言えます」(前出の週刊誌記者)
会見で、元V6の井ノ原快彦(47)は「忖度って日本に蔓延っているから。これをなくすのは本当に大変だと思います。だから皆さんの問題でもある」と話していた。
単なるアイドル事務所の枠をいつの間にか超えていて、すごいことになってるよね?
NHKだと紅白やうたこん、Venue101は言うに及ばず、大河の主役もあれば『少年倶楽部』なんて、ジャニーズにスポットあてた番組もあれば、Eテレで中高生もその父母をターゲットにした『バリューの真実』なんて番組も、MCはジャニーズのグループだ。
東京でオリンピックやれば当然、嵐がテーマ曲うたって番組の司会。
民放のテレビは言うまでもなく、なぜかニュース番組でしたり顔で語っているのも何人も。
クイズ番組でも最近は、そこそこの大学や大学院いってるインテリジャニーズ枠がたいていはいってるし。情報系バラエティは風間俊介入れときゃなんとかなるみたいになってる。
舞台の世界に目を向けると、帝国劇場、新橋演舞場、東京グローブ座、大阪松竹座あたりは、もうジャニーズの集客力を切ったら、経営にそこそこ悪影響出ると思う。
ここ10年くらい、日本の伝統美を取り入れた舞台で、一番若い人に影響力を持ってたのは『滝沢歌舞伎』とか『滝沢演舞城』だと思う。
そういえば今年の新橋演舞場の新春公演では、海老蔵じゃなかった團十郎白猿がジャニーズの子を共演させて普段歌舞伎なんて見ない若い客を引っ張ってた。
帝国劇場もすっかり、年始の公演はジャニーズが定番になってしまったし、今、日本で“単独主演ミュージカル公演”の公園回数記録を持ってるのは、堂本光一だ。かつては森繁久彌(屋根の上のバイオリン弾き)とか先代の松本幸四郎(ラ・マンチャの男)とかが競っていた記録だが。
なんでこうなった?
SMAPを、“バラエティもこなせるスーパーアイドル”としてもてはやしすぎたから? さらにそれに続いて、櫻井翔に“ニュースも読めるアイドル”なんてカテゴリーを作らせてしまったから?
欧州のオペラやバレエや演劇のように、きちっと歌ったり踊ったり演じたりする人を育てて供給して保護する仕組みがないから?
日本だと結局、宝塚かジャニーズか、国立劇場の歌舞伎の養成所くらいしか、そういうのちゃんとやって来なかったっぽいよね。
いや、これたけでっかくなって閉まった権益を壊すのって、そりゃ大変ですわ。
好き嫌いを言うのは構わないが、見解を宣べるならもう少し調べてからにしないと。
スクールカースト底辺云々が語られるのは爆笑問題が有名になってから。
有名になってからでないとそんな話誰も聞きたがらない事くらい想像できると思う。
爆笑問題と彼の才能は立川談志にも認められていた。但し田中の突っ込みが不可欠だとも言われていた。
NHKで向田邦子の特集番組に出ていたこともある。太田位の世代で彼女を語れる、知名度のある芸能人が他にいなかったのかも知れない。
既に芸能界で実績のある女性芸能人が複数、太田の事を指示していたこともあった。森光子もそうだったかな。
のほほん茶事件は知っておいた方が良い。
男が痴女に触られることに対して想像力がなさすぎるのは、「自分好みの女に」「自分好みのシチュエーションで」触られることしか想像してないからだろうな。
「男である自分が、女からチカンされたら?」
そういう話題が飲み会で出たときに、多くの男性陣は「なんだかんだ言って嬉しいよな」という感じでニヤニヤする。
それがお約束のようになっている。
「嬉しい」って言う男性は、痴女に体を触られることを想像するとき、
私なら痴漢と聞いたとき、加害者像として真っ先にキモオヤジを想像する。
実体験として、痴漢してくる人はオジサンだけだった。
「男である自分が、女からチカンされたら?」
そういう話題が飲み会で出たときに、多くの男性陣は「なんだかんだ言って嬉しいよな」という感じでニヤニヤする。
それがお約束のようになっている。
「嬉しい」って言う男性は、痴女に体を触られることを想像するとき、
私なら痴漢と聞いたとき、加害者像として真っ先にキモオヤジを想像する。
実体験として、痴漢してくる人はオジサンだけだった。
だから心底イヤだという感情しか湧いてこなくて、「痴漢は最悪」という言葉が出てくる。
前者は新條まゆ的な「か弱い美少女である主人公が、俺様系のイケメンに溺愛され、暴走する愛の余りに超展開レイプされる」想像を、
後者は「淫乱美人女教師や淫乱美人女上司などが、サエない男になぜか欲情し、風俗嬢のように大サービスする」想像をして興奮しているんだと思う。
でも「レイプや逆レイプに惹かれる」とか「される想像でオナニーしてる」ことだけを切り取って、
「女は実はレイプされたがっている!」というような極端な自己流の結論を出してくる人がいる。
「愛し合ってるイケメンとレイプレイしたい」を、正味「オレに犯されてヤリ捨てられたい」んだなと都合よく解釈してくる。
意図的にやっているのかもしれないけど、その頭の悪さとポジティブさが気持ち悪い、ゾッとする、と思う。
でも、私の中に、男性に対する同種の低能なポジティブ願望がある・・・
痴女ネタへの「なんだかんだ言って嬉しいよな」というニヤニヤ、そういうお約束感、
「女に恥をかかすな」「据え膳食わぬは男の恥」といったマッチョ訓、
そういう、いかにもマッチョ的な、来るもの拒まなそうなスタンスを見せている男性を見ると正直、好感度が上がる・・・
「ただしブスだったら殴るけどな」という但し書きのない、
「女から求められたらとりあえず無条件に嬉しいです^^」っていう無茶を期待してる・・・
ネットの書き込みなんかでも、疲れた感じのオバサンやあんまり可愛くない子の画像が貼られたときに、
「全然イケる、ヤレる」っていう書き込みがあると、自分が言われたわけでもないのにちょっと嬉しい。
「ブス、ババア、ゴミ」な書き込みがあると、自分が言われたわけでもないのに嫌な気持ちになる
(嫌な気持ちになることの方が多いから基本的に男性率の高い掲示板にはあまり行かないけど)。
実際にセックスするしないは大問題で、結婚を考えるような相手としかするべきではないと思っているけど、
それよりもずっと手前の問題として、「この人は私を性的に拒絶しない気がする」というのが男性への好感度に大きく影響してる。
「痴女は普通に嫌だ、つーか犯罪だし」「女の話はまるで面白くない、男だけの場の方が楽しい」というような話を聞くと、
「この人はストライクゾーン狭そう」「女に厳しそう(女だからという理由で加点してくれなそう)」「私を拒絶しそうだ・・・」と感じて好感度が下がる。
ちょっと前に書いたことと完全にダブスタ状態!!
2chかはてなを見てそうな雰囲気の男性が、男性専用車両の話を振る。
それに対して、若くして妻帯者のマッチョがこう返す。
「でも、僕は男性専用車両なんか乗りたくないな」
「男ばっかりの車両とかイヤだよ」
「・・・w」
「女の子居たほうがいいよwむさくるしいじゃんw」
「・・・wwwww」
そして流れは別の話題にシフトしていく。
私は男性による男性差別と、女性優遇を心の奥底で望んでいるんだと思う。
男性たちに、ストライクゾーンの広さと、「女の子だから○○してあげるね」という展開を望んでいる。
同時に「もしあなたが私に痴女られたとしたら、嬉しいんでしょ?興奮するんでしょ?」って強要してる。
そのことに気づいて自分にゾッとした。
自分の考えを男女逆転させたら、最強に気持ち悪い。一番、死んで欲しいと思うタイプだ。
でも私はリアルの生活の中で、不愉快な女として叩かれたりハブられたりせず、マジョリティとして普通に生きている。
普通に生きている。
同じ演目で何チームも組んで各地で公演してたり
スターシステムに頼らない演目構成をしてたり
いろいろとがんばってらっしゃるんです
劇場はけっこう、見えない部分のペンキが塗られてなかったりしますがw
スターシステムっていうのは
たとえばキムタクとか森光子みたいな世間的に有名な人を主演に据えて
その人の人気だけでチケットをどうにかさばこう!みたいな感じです
四季は大概の演目がロングランなのもあって、役者が時期によって、回によって違う
(だってみんな知らないでしょ? CATSやライオンキングの主演が誰なのか)
演目の力で勝負できるのと、役者違いのver.を観たい熱心なファンをゲットできるのが強い
ちなみに席数100以下の劇場であっても
スタッフにきちんとギャラを払っている場合は
一本の公演には最低百万はかかります
役者にもギャラ払ったら倍以上かかります
日本では、すべてが可能であることを疑い、オタクの力に疑問を呈する人がまだいるなら、今夜がその答えだ。今度の選挙は違うと信じて、投票所に並んだ人々の列が答えだ。老いも若きも、自民党支持者も民主党支持者も、在日朝鮮人も日本人も、同性愛者もそうでない人も、健常者も障害者も、すべてが出した答えだ。我々は日本(の一員)なのだ。
長い道のりだった。だが今夜、今日の決戦を経て日本に変革が訪れた。
この勝利は皆さんのものだ。私は最初から首相に最もなりそうな候補者だったわけではない。金はないわけではなかったが、平民たちが500円、1000円、2000円と献金してくれた。極寒の日もうだるような暑さの日も見知らぬ人の家の玄関を覗いて回った人々のおかげで選挙運動は力を得た。人民の、人民による、人民のための政治が滅んでいなかったと。
我々の前には大きな仕事が待っている。拉致問題の解決、危機に直面した地球、世紀の金融危機だ。新エネルギーを開発し、仕事を創出し、学校を建て、脅威に対処し、米国との同盟関係を修復しなければならない。
道は長く険しい。坂は急だ。だが、私は今夜ほど希望に満ちたことはない。私は約束する。我々は一つの国民として目標に到達するのだ。
挫折やつまずきもあろう。だが、私は皆さんに、常に正直であるつもりだ。この勝利は、変革のためのきっかけでしかない。後戻りはできない。
今夜我々は、この国の真の力は武力ではなく、コンテンツ、伝統、技術と不屈の精神に由来することを証明した。この選挙戦では語り継ぐべき多くの物語があった。秋田で投票した女性もその一つだ。106歳の彼女は、かつて(女性という)性別から選挙に参加できなかった。彼女は日本が敗戦後の混乱に包まれ、高度経済成長によって失敗を克服する国を見た。彼女は日本がどれだけ変化できるか知っている。我々はできる。
我々の子どもたちが来世紀を生き、私の娘が森光子さんのように長生きすればどんな変革を目にするのだろうか。どんな進歩を成し遂げられるのだろうか。今がその使命に答えるチャンスだ。今が我々の時代だ。子供たちに機会の扉を開き、豊かさを取り戻し、国体護持を唱え、基本となる真実を確かなものにする時だ。皮肉や疑いに直面した時、「できない」と私たちに語る人がいる時、時間を超えた道理で答えるのだ。為せば成る、と。