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はてなキーワード: 国家体制とは

2017-11-05

anond:20171105174716

こういう「日本国家が太古の昔から変わってない」信仰ってなんなんだろうな。

天皇一族はずっと継続してるけど、その元で国家体制がずっと変わってきたってのが事実に近いと思うけどね。

ずっと小さな革命が繰り返されてきたというか。

2017-10-03

選挙行きません

ちょっと上の世代にいるオジサンらは、なぜか自分20代

「なんで君ら選挙行かないの?」「バカなの死ぬの?」

選挙行かないなら文句も言えないよ?」「若者無視されるよ?」

若い世代投票率があがったら君ら向けの政策出るよ?」

ネットでもリアルでも煽り続けてるけど

根本的になぜ選挙に興味ないか全然わかってない

 

自分らの行く末なんてどうでもいいんですよね

政治家がどんだけクズでも死なずにはやってけるだろうし

限界まで生活が苦しくなっても友達いるか別にいい

自分たち生活が抜群に良くなるような展望もないし

悪くなる一方であろうとそれが普通人生を送ってきた

 

なんだかんだ民主党政権とき東日本大震災が来ても

日本国家体制ごと崩壊したりはしなかったんだよな

何故かと言うと政治家がクソでも民間はそれなりに優秀だから

政治家が入れ替わっても民間世代交代がなければ変わらない

そもそも政治家なんてケンカしてるイメージしかないし

自分たちにとってクソほどどうでもいい存在しかないわけですよ

 

そりゃ30代以上のオジサンバサンにとってみれば

同級生くらいの奴らがくだらないことやってるwwwとか

そういう面白みもあるのかもしれないですけどね

自分らは蚊帳の外なんですよね 

 

プロレスみたいで面白いでしょ? とか言われても

お前らプロレス見てればいいじゃんよとしか思えないし

政治より面白いことやものがあふれかえってるご時世で

一言で言えば「オワコン」なんですよね もうバカかと

ルール違反し放題のクソ環境ゲームを楽しもうねと言われても

自分らの税金も投入されてるのになんで楽しめるのかと

 

党分裂とかなんとか面白がってる人たちいますけど

釣られて草生やしてる人たちも同レベルですから

電車中吊り広告並にゲスくて下品豚野郎ですよ

  

自分らの世代政治の話をするっていうのは

ロリパンツを煮しめたダシで味噌汁飲みたい

みたいなことをいきなり公共の場

面白いと思って口にするやべーやつと大差ないですよ

とりあえず自分の異常性を露呈すればウケると思ってる

そんな感じのヤツなんだなって認定を受けてしまうわけですよ

 

政治はあらゆる側面からオワコンですから

ツイッターでそんな話すればリムーブ候補直行ですよ

 

今がなんだかんだで楽しい

生活インフラインターネット

そこそこの本とアニメまんがゲームがあれば

友達話題も出来て十分楽しいんですよね

 

極端な経済衰退なんかはイヤですけど

いまの日本を牛耳ってるワイドショー人間たちを

まとめて更生させてまで裕福になろうとは思わないです

 

 

 

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

 

 

 

選挙行けとか言う奴らは

 

全員生きるセンスなしの

 

相手のことも考えられない

 

バカばっか!!!!!

 

全員氏ね!!!

 

テレビ局もろとも!!

 

いなくなっていいですマジで

 

 

 

日本で生きるの楽しい~!

2017-09-10

5分でわかるカタルーニャ住民投票独立問題

このへんの話。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170907/k10011129891000.html

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20170908/p2

事情に詳しくない人からすると「なんでそんなにカタルーニャは熱くなってるの?」って感じだろうと思うので、簡単に解説したあとで補足説明をつけます。

5分でわかるまとめ

補足説明

背景を説明するためには、時代をいっきに40年ほどさかのぼ必要があります

1975年に、スペイン総統フランシスコ・フランコが亡くなりました。その結果スペイン王政復古し、現国王の父であり当時国王だったフアン・カルロス1世のもとで民主化への道を歩んでいくことになります。この王様、退位前の数年間はひどく評判が悪かったんですが、民主化に反対する軍将校が起こしたクーデター鎮圧したことで即位直後は民主化守護者としてたいそう人気がありました。ちなみに現国王のフェリペ6世は当時10歳にもならない子供だったので深夜に行われた国王クーデター首謀者との会談の席ではおねむだったのですが、船を漕ぐたびに「おまえは王様になるんだから王様のつとめをよく見ておきなさい」と父君に優しく揺り起こされていたそうです。なにそれ萌える

閑話休題。このフランコ政権ですが、典型的な「スペイン単一民族国家だもん!」派の政権でした。彼が在世中はカタルーニャ語バスク語をおおやけの場で用いることはひどく抑圧され、内戦前のカタルーニャ州政府首脳陣は殺されるか投獄されるか亡命するかという感じでした。そのフランコが死んだことで、亡命州政府トップスペインに帰国し、民主化が進展します。このときフランコ体制下で抑圧されてきた「スペイン多民族国家になるべきだもん!」派が一気に声をあげはじめます

(ここでいう「民族」ってのは、英語ネーションにあたる、スペイン語のnación、カタルーニャ語のnacióのことで、「自分で国を作れる権利や能力のある集団」みたいな感じなんですよね……うまく説明できないんですが。なので移民とかは勘定に入れてません。この文脈だと「国民」と訳した方がいいのかも。「スペイン単一民族国家だよ」というのは「スペインにいるのは『スペイン国民』だけであり、カタルーニャ人バスク人もひとしく『スペイン国民』だよ」ということで、カタルーニャ人たちは「スペインには『カタルーニャ国民』や『バスク国民』もいるんだ」と主張してるわけですね)

民主化したからにはちゃんと民主的な憲法を作らないといけませんが、これが紛糾します。単一民族国家というのはフランコだけの思想ではなく、熱心なスペインナショナリストフランコ死後も消えてなくなりはしなかったわけです。彼らは頑強にスペイン統一、つまりスペイン単一民族国家であることを守ろうとします。一方でこれまでさんざん煮え湯を飲まされてきた地方の側もそれでは収まりません。そんななか、妥協として制定されたのが1978年憲法でした。条文の英訳をウィキソースからコピペします。

Section 2

The Constitution is based on the indissoluble unity of the Spanish Nation, the common and indivisible homeland of all Spaniards; it recognises and guarantees the right to selfgovernment of the nationalities and regions of which it is composed and the solidarity among them all.

太字にしたところはテストに出るので覚えておいてください。ここではスペインひとつネーションからなり、不可分であること、そしてネーションの他にいくつものナショナリティ存在することが謳われていますナショナリティっていわれると普通は「国籍」って意味なんですが、この文脈では「準ネーション」みたいな意味だと思ってください。つまりネーションひとつしかないけど、準ネーションっぽいものはいくつもあるよ! ってことですね。

(ところで、この憲法からもわかる通り、スペイン連邦制国家ではありません。連邦制かと見紛うばかりに地方に権限委譲がなされてはいますが、それでも「連邦制=国の集まり」ではなく「スペインは不可分のひとつの国!」ということになっているのです。これを専門用語自治州国家体制といいます

この憲法にのっとってカタルーニャ自治州の地位を得、フランコ体制下で迫害されていたカタルーニャ語を復活させるための政策に着手します(これを「言語正常化」といいます)。使用弾圧されただけでなく、工業化が進む中でスペインの他地方からの移民が来て、カタルーニャ語を解さない州民が増えていたのです。また、なにせ相手は数億人の使用人口を誇る言語ですから、話者数数百万人のカタルーニャ語など放っておいたら自然淘汰されてしまいかねません。州政府公教育カタルーニャ語を導入し、様々な場面でカタルーニャ語使用を義務づけ、カタルーニャ語使用助成金を出し、結果として今ではほとんどの州民がカタルーニャ語スペイン語の見事なバイリンガルに育つようになっています

助成金は、たとえばパソコンのOSのカタルーニャ語訳とかに出されています。数億人が使ってるスペイン語経済的にペイするのですぐに翻訳されて、なおかつ州民はみんなスペイン語ができるので、放っておくとみんなそっちを使っちゃうんですよね……)

ところでこの憲法、実はもうひとつトラップがあります。それは公用語について定めた条文です。

Section 3

C1. Castilian is the official Spanish language of the State. All Spaniards have the duty to know it and the right to use it.

C2. The other Spanish languages shall also be official in the respective Self-governing Communities in accordance with their Statutes.

C3. The wealth of the different linguistic forms of Spain is a cultural heritage which shall be especially respected and protected.

そう、カスティーリャ語(つまりスペイン語)は、スペイン市民(たとえバスク人カタルーニャ人であっても)にとって知る「義務」があり、使う「権利」がある唯一の言語なのです。逆に言えば、それ以外の言語を使う「義務」を州が課すことは違憲になります

この時点で、たとえばカタルーニャ州が州内の教育カタルーニャ語だけで行おうとしたら違憲です。カタルーニャ州が州民に高度なバイリンガル教育を施しているのは、理想が高いのではなくそうせざるを得ないということです。またカタルーニャ州言語政策も、たとえば「お店のメニューカタルーニャ語を使う義務」「商品のラベルカタルーニャ語を使う義務」「企業広報活動カタルーニャ語を使う義務」といったものを法で定めたりしていますが、これは個々人に対する義務ではないのでギリギリ合憲ということになっています。なっているはずでした。

ところで、カタルーニャも極楽ではなく、何をするにも先立つものがいることには変わりありません。つまりお金です。ところが、スペイン自治州には基本的徴税権がありません。バスク自治州ナバラ自治州には歴史的事情(ありていに言うとスペイン継承戦争官軍についた)によって徴税権があり、その一部を国庫に納入していますが、カタルーニャあくまで国が徴税して配分するお金を受け取る立場です。そしてカタルーニャスペイン全体でみても豊かな地域であり、多くの税金カタルーニャから徴収され、多額の税金カタルーニャ還元されています

しかし、その収支が赤字だということが大問題なのです。カタルーニャから徴収される税金は、カタルーニャ交付されたり還元されたりする際に8%ほど目減りしていますしかも、これだけ払っていながらもインフラ整備は後回しにされているのです。カタルーニャだけ高速道路は有料で列車老朽化も放置、EUから勧告されたカタルーニャ高速道路整備も中央政府拒否っておきながらマドリードなどカスティーリャインフラはしっかり整備しています。他州より高く払っているのに他州より低いサービスしか受けられないのは何事だと、カタルーニャ州民が怒るのももっともです。

こうした状況を受け、2000年代に入ると自治憲章(要するに自治州の憲法ですね)改正の動きが活発化します。自治州議会は、徴税権やカタルーニャネーション(nació)であることを盛り込んだ憲章草案を可決しますが、中央政府(当時は左派社会労働党)との交渉徴税権は削られ(かわりに公平な交付金の支給を約束。結局実施されてませんけど)ネーション条項は前文のみ。妥協のすえ2006年にようやくスペイン国会を通過して新自治憲章が成立します。

これに待ったをかけたのが国民党(現・与党)です。彼らからしてみれば、「一地方の自治権強化はスペイン統一に反する」というわけですね。彼らはこの自治憲章が憲法違反だと憲法裁判所に提訴、これに対抗してカタルーニャではデモが盛り上がり、「我々には自決権がある」という主張が登場します。そして2010年憲法裁判所は自治憲章の多くの条文に違憲判決を下しました。しかもその判決は、これまでカタルーニャが行ってきた自治権強化政策を否定し、自治権をより縮小する方向のものでした。カタルーニャ語を行政において優先させる規定違憲となり、カタルーニャネーションとした前文は、スペインにおいてネーションはただひとつとして法的拘束力はないとされたのです。そしてこの違憲判決に基づいて、カタルーニャ学校ではスペイン語で教えるべし、という判決も出されました。

ここまで妥協しても憲法違反になるのか……という絶望が、一気に民意を独立へと傾けていきます。それまで20%前後を行ったり来たりしていた独立への支持率が、この違憲判決を境に一気に30%を超え、2013年には60%に達しました。今の憲法がある限り、スペイン国家に留まっている限り、カタルーニャ自由にはなれない、と多くの人びとが考えるようになったのです。移民の子だってカタルーニャ暮らしているわけですから独立に傾きます

2014年カタルーニャ自治州は「法的拘束力のない」住民投票実施を計画しますが、違憲とされて差し止めが命じられました(提訴したのはもちろん中央政府です)。じゃあ非公式の模擬投票やろうぜ、と言ったらそれも違憲とされて差し止め命令が出されます(模擬投票も認めないなんて表現の自由に対する攻撃だと国際的に抗議が殺到した模様)。結局自治州非公式の投票を決行しましたが、中央政府憲法違反の投票を強行したとして当時の州首相らを刑事裁判にかけますちなみに裁判期日として指定されたのは、フランコ政権によって内戦前最後カタルーニャ自治政府首相が銃殺された日でした。煽り力高い。州首相だけでなく州議会議長まで訴追するよう憲法裁判所は命じています民主主義とは。

このような国民党政府対応が火に油を注ぐ結果となり、今回の住民投票実施に至るわけですが、この期に及んでなお国民党は「カタルーニャ自治州に毎週会計報告を義務付け、違反した場合交付金を停止する」と表明したり(http://www.pressdigitaljapan.es/texto-diario/mostrar/775503/)、プッチダモン州首相を訴追する準備を進めていたりして(http://www.politico.eu/article/catalonia-independence-referendum-spain-the-carles-puigdemont-factor/)、まあある意味通常運転です。「やっぱスペイン国家の枠内では自治権保証されないじゃん……」とカタルーニャ人に思わせるだけの簡単なお仕事こうして着々と独立に向けたフラグが立っていくのでした。

スペイン政府オプションとしてカタルーニャ自治州政府の停止も視野に入れているという報道があります。根拠となるのはスペイン憲法155条です。

Section 155

1. If a Self-governing Community does not fulfil the obligations imposed upon it by the Constitution or other laws, or acts in a way that is seriously prejudicial to the general interest of Spain, the Government, after having lodged a complaint with the President of the Self-governing Community and failed to receive satisfaction therefore, may, following approval granted by the overall majority of the Senate, take all measures necessary to compel the Community to meet said obligations, or to protect the abovementioned general interest.

2. With a view to implementing the measures provided for in the foregoing paragraph, the Government may issue instructions to all the authorities of the Self-governing Communities.

ぶっちゃけこのオプションが採られた場合投票は物理的にはできなくなるでしょうが、まあスペイン国家とスペイン憲法へのヘイトをためるには十分すぎるほどなので、余計に独立への意志を強めるだけですよね……という辺りが現状言えることです。部外者としてはワクテカが止まらない祭り出来事ですが、楽しむためには背景知識必要だろうと野暮を承知解説してみました。部屋を明るくして画面から離れて住民投票をお楽しみください。

参考文献

この増田のパクr……ネタ元です。どれもネットで読めます

違憲とされたカタルーニャ州法の条文が詳しい解説が。

スペインにおける地方分権についての基本書。

現代カタルーニャ入門書

インド系カタルーニャ人独立派についての記事

そもそもなんでカタルーニャスペインの一部になってるの? とか、カタルーニャの栄光時代はいつだよ……ジャウマ1世の時か? とかの疑問が湧いてきた時にオススメです。住民投票は……住民投票は今なんだよ!

2017-09-05

核爆弾で全閣僚議員霞が関官僚都庁吹っ飛んだ時の国家体制

ってどうなるの?

一応調べたけどわからんかった。

決まってない?

2017-06-11

続・白紙に戻せぬ遣唐使教科書の読み比べ)

http://anond.hatelabo.jp/20170611183038

これのつづき。今回も文字数制限にひっかかったので、分割します。

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

一方、インドの僧菩提、林邑(ベトナム中部)の仏哲、唐僧鑑真らの外国人も、遣唐使船に便乗して来朝し、インド西域東南アジア文化を伝えた。

遣唐使船は日本人が唐へ往来するためだけではなく、外国人日本に招くためにも使われていたのです。「遣唐使」「鑑真」というのは中学生レベル用語です。しかし、この2つを結びつけて説明できる人は案外少ないんじゃないでしょうか?

ちなみに、山川の『日本史B用語集』によると、菩提僊那、仏哲という用語を載せている教科書は、唯一これだけみたいです。しか桐原書店は彼らの業績を説明するための註を設けている徹底ぶりです。入試問題になったら難問だと思いますが、大切なのはこういう人名を丸暗記することじゃなくて、東大寺大仏開眼供養会はインドベトナム出身僧侶たちも参加していた国際色のあるイベントだった、それは遣唐使船がもたらしてくれたものだということでしょう。

  

日本がしばしば新羅従属国として扱おうとしたため、両国関係はしばしば緊張した。しかし、日本遣唐使が唐において新羅人に助けられることもあった。」

これもこの教科書に独特の記述です。遣唐使新羅人に助けられたというのは、円仁著作『入唐求法巡礼行記』のことを念頭に置いているんでしょうか?

また、上掲の講談社日本の歴史シリーズから引用すると、次のような話もあります

遣唐使派遣が間遠になり、日本の船が唐まで行かないなか、それでも求法の念止みがたいとなれば、来航する新羅船を利用するしかない。そしてまた新羅商人たちは、概して好意的に彼らを助けたのであった(坂上早魚『九世紀の日唐交通新羅人』)。こうして入唐と研鑽を果たした天台真言の平安仏教旗手たちが、仏教の使命は鎮護国家にあるとする考えに則り、護国の修法による新羅調伏を担うことになったのは、実に皮肉なことであった。

  

坂上康俊『日本の歴史05巻 律令国家の転換と「日本」』

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

このころ唐では、みずから世界の中心とみなす中華思想が強まり、周辺の国々を夷狄として見下す考えが生まれていた。この考え方は日本にも影響をあたえ、朝廷新羅や、朝廷に服属しない東北九州南部の人びとを蝦夷隼人とよんで夷狄として蔑視しはじめた。

朝廷東北地方九州南部進出した経緯を説明する際、そこには中華思想の影響があったことを説明しています。それに絡めて新羅との関係にもちょこっと触れているので、先にとりあげた東大入試問題を解くときのヒントになるでしょう。

もっとも、この点はやはり、山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)の方が優れています。私が先に引用した箇所のすぐうしろ([後略]とした部分)では、朝廷が「東北地方蝦夷九州南部隼人異民族夷狄)として服従させ」たことを説明し、「律令国家が蛮夷を服属させる帝国であることを内外に示した」と結んでいるのです。

それに比べると、三省堂教科書は、遣唐使中華思想という2つのものを関連付けて理解することが不可能です。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

遣唐使8世紀には6回、9世紀には2回派遣され

実教出版にも「奈良時代遣唐使は6度派遣され」たとありますが、東京出版9世紀のことも記述していてグッド。

遣唐使は894年、菅原道真の建議で廃止されました。ですから9世紀末まで遣唐使派遣する制度は残っていたはずなんですが、8世紀と比べるとその回数がめちゃくちゃ減っていることが分かるでしょう。

理由は、日本がもはや唐から学ぶべき必要・意欲がなくなってきたこと、唐が政治的混乱に陥って衰退したことによる国威の低下、商船の往来が活発になったことで日本が唐に朝貢をしなくても舶来品を入手できるようになったこと、などです。

これがさっき桐原書店のところで述べた話にもつながっています時代が9世紀(すでに平安時代)になっても、仏教では唐に確固たる先進性がありました。だから日本僧侶たちは唐に留学することを熱望したのです。しか朝廷遣唐使派遣積極的ではなく、彼らは新羅商人の助力を得なければ、渡航が困難という状況だったのです。

  

[引用者注:702年の遣唐使派遣の再開について] その目的なかには、「日本」という国号を認めさせることも含まれていたと考えられる。

東京書籍教科書にだけある、この一文。「日本」がはじめて国際社会に登場したのがこの時点だったと言っているんです。

これ、すごいことを言っていますよ? 「日本」が太古の昔から存在したという皇国史観に対する強烈な一撃です。

ちなみに、このとき天皇」は国際デビューしていません。倭国はなんとかして「日本」への国号変更を唐に認めさせることはできても、皇帝にあたる「天皇」という称号を用いて唐と対等外交をする力がなかったのです。唐では天皇のことを「日本国王主明楽美御徳」(日本国王メラミコト)と呼んでいたようです。もしかしたら当時の日本朝廷内では、「スメラミコトは唐の皇帝に臣従したが、天皇は臣従していないか日本国王ではなく、したがって日本は唐の朝貢国ではない」という回りくどい官僚的答弁があったかもしれませんが、その点は不明です。このような高度に政治的問題は、国史編纂ときに巧妙な隠蔽がおこなわれるからです。(上掲の講談社日本の歴史シリーズ青木和夫著の中央公論社日本の歴史3巻 奈良の都』を参照せよ)

  

さて、これは東京書籍にかぎらず、多くの教科書でそうなのですが、古代史において「天皇」「日本」という表記を用いるときには慎重になっている様子がうかがえます。例えば白村江の戦いでは、唐・新羅と戦った国が「日本」ではなく、「倭」倭国」「朝廷」等の表記になっています

なぜ教科書がこんな表記になっているかというと、「天皇」「日本」という称号国号は、ある時期の特定政治状況のもと、人為的に作られたものからです。具体的には天武朝(673年~686年)のころ、大王とその国を神格化する目的で、初めてこれらの称号国号使用が開始されました。ですから、もし神と同一であるところのその「天皇」、その神のおさめる国である日本」が、天武朝より遥か昔から存在していたかのように記述するならば、それは皇国史観に他なりません。

無論、教科書では便宜的に仁徳天皇推古天皇というような表記が使われていますけど、古代史における「天皇」「日本」という表記の取り扱いについては一応注記が設けられていたりします。例えば『詳説日本史』は壬申の乱ののち、天武天皇が「強力な権力を手にし」て、「中央集権国家体制形成を進」めていく過程で、そのころに「大王にかわって「天皇」という称号が用いられる」ようになったと書いています。同社の参考書『詳説日本史研究』はそこがもっとクリティカルです。「大王から天皇へ」というコラムで、「天皇」という称号が天武朝に始まることの歴史学的な検証を載せ、唐の皇帝が一時「天皇」と称していたのを知った日本側が模倣したという説を紹介しています

こういう細かな表記へのこだわりからも、各社の教科書がどんな史観に基づいているかを見ることができるはずです。

白紙に戻せぬ遣唐使教科書の読み比べ)

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない」

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの筆者です。

id:netcraft3さんに「このままシリーズ化してほしい」と言われたんですが、そのつもりはないです。歴史学に対してろくな知識もないから恥をかきそうだし、人気の増田国会ウォッチャー)みたいに注目をあびるのは恐ろしいです。

  

なので今回で最後になるかもしれませんが、ひとまず「遣唐使」について見ていきましょう。

山川出版社『詳説日本史』の「遣唐使」という項は、次のように書かれています。全文引用します。

618年、隋にかわって中国を統一した唐は、東アジア大帝国をきずき、広大な領地を支配して周辺諸国に大きな影響をあたえた。西アジアとの交流もさかんになり、都の長安(現、西安)は世界的な都市として国際文化が花ひらいた。

東アジア諸国も唐と通交するようになり、日本から遣唐使は8世紀にはほぼ20年に1度の割合で派遣された。大使をはじめとする遣唐使には留学生・留学僧なども加わり、多い時には約500人の人びとが、4隻の船にのって渡海した。しかし、造船や航海の技術はまだ未熟であったため、海上での遭難も多かった。遣唐使たちは、唐から先進的な政治制度国際的文化をもたらし、日本に大きな影響をあたえた。とくに帰国した吉備真備や玄昉は、のち聖武天皇に重用されて政界でも進出した。

朝鮮半島を統一した新羅とも多くの使節が往来したが、日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた。8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった。一方、靺鞨族や旧高句麗人を中心に中国東北部建国された渤海とは緊密な使節の往来がおこなわれた。渤海は、唐・新羅との対抗関係から727(神亀4)年に日本に使節を派遣して国交を求め、日本も新羅との対抗関係から渤海と友好的に通交した。

これはひどい遣唐使派遣再開が何年だったかという記述がありません。

そもそもこの派遣が再開であるという基礎知識すら、この教科書では把握できません。ページを戻って第2章「1,飛鳥の朝廷」の「東アジアの動向とヤマト政権の発展」という項では、「倭は630年の犬上御田鍬をはじめとして引き続き遣唐使派遣し」たとあるのですけど、その後にしばらく派遣を中断した時期があることは記載なし。

一時期は中断していたからこそ、702年の派遣再開に歴史的意義があります。第1回の遣唐使派遣が630年ですから、何と、まだ大化の改新をやっていない時代ですよ? それくらい古い時代から派遣していたにもかかわらず、多くの教科書8世紀初頭の出来事として遣唐使のことを説明するのはなぜでしょうか。それは再開というターニングポイントを重視しているからです。本書もそれに従って、「3,平城京時代」という単元に「遣唐使」の項を配置しています。それならば、中断・再開の経緯について説明を載せるべきです。

  

ちなみに、他の教科書では、遣唐使派遣再開についての説明が次のようになっています

7世紀前半にはじまった遣唐使は、天武・持統天皇時代にはしばらく中断されていたが、702年久しぶりに難波津を出発した。」

東京書籍日本史B』(日B 004)

「また政府は、8世紀のはじめに遣唐使派遣して、669年以後とだえていた唐との国交を回復した。」

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

「日本は唐の文化積極的にとり入れようと意欲をもやし、ほぼ20年に1度くらいの割合で遣唐使派遣した。」

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)

白村江の戦いののち、30年あまりとだえていた唐との国交が、701(大宝元)年の遣唐使任命によって再開され、以後、遣唐使がたびたび派遣された。それまで、半島から渡来人新羅などに学びながら、ある程度の国家体制を整えてきたが、この年の大宝律令とともに、唐との直接交通を始めたのである。」

桐原書店新日本史B』(日B 011)

律令制度を整えた朝廷も、702(大宝2)年に遣唐使を復活させ、唐の文物制度摂取につとめた。[中略]

こうしたなか、朝廷は新都の造営や貨幣鋳造、国史の編纂などを次々に実行して、中央集権体制にふさわしい国家づくりに励んだ。」

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

引用者注教科書のページを戻って「白村江の戦い国内体制の整備」の項では、白村江の戦いののち、遣唐使が「669年を最後に中断した」という記述あり。]

この中では、桐原書店ダントツに優れていると思います

遣唐使が中断していた理由もわかるし、大宝律令の制定と遣唐使の再開という2つの出来事を結びつけて理解することができます

  

三省堂記述おもしろいです。私は前回、この教科書について、「時代の流れがよくわかる」「時系列にしたがった記述が多い」というようなことを書きましたけど、ここでもその特徴が出ています

大宝律令の制定、平城京への遷都、貨幣鋳造、国史編纂というのは国内政治です。一方、遣唐使新羅・渤海との関係は、外交政策です。普通教科書はこれを別項に分けますが、三省堂はこれを同じ項にまとめて一つの時代様相として語っているのがすごい。

  

東京書籍実教出版も、中断・再開に触れています。その点は『詳説日本史』より絶対にマシです。

  

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)は、教科書のページ数が少なくて、内容もぺらぺらに薄いです。『詳説日本史』と同様、これでは大雑把に奈良時代の初め頃だったということしか分かりません。(しかも正確には702年に派遣再開されたので、これを奈良時代出来事と把握すると誤りになります)

  

  

  

東大入試でよくわかる遣唐使

東大入試2003年)は、遣唐使の本質にせまる問題を出しています

次の(1)~(4)の8世紀の日本の外交についての文章を読んで、下記の設問に答えなさい。

(1) 律令法を導入した日本では、中国と同じように、外国を「外蕃」「蕃国」と呼んだ。ただし唐を他と区別して、「隣国」と称することもあった。

(2) 遣唐使大伴古麻呂は、唐の玄宗皇帝元日朝賀(臣下から祝賀をうける儀式)に参列した時、日本と新羅とが席次を争ったことを報告している。8世紀には、日本は唐に20年に1度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。

(3) 743年、新羅使は、それまでの「調」という貢進物の名称を「土毛」(土地の物産)に改めたので、日本の朝廷は受けとりを拒否した。このように両国関係は緊張することもあった。

(4) 8世紀を通じて新羅使は20回ほど来日している。長屋王は、新羅使の帰国にあたって私邸で饗宴をもよおし、使節と漢詩をよみかわしたことが知られる。また、752年の新羅使は700人あまり大人数で、アジア各地のさまざまな品物をもたらし、貴族たちが競って購入したことが知られる。

  

設問:この時代の日本にとって、唐との関係新羅との関係もつ意味にはどのような違いがあるか。たて前と実際の差に注目しながら、6行以内で説明しなさい。

これの答えがピンポイントで載っている教科書があります

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)です。これ以外は、どの教科書も上記引用した『詳説日本史』と似たり寄ったりの内容ですからいくら熟読をしても答案を書くことが難しいと思います。(三省堂のぞく。後述)

8世紀に入ると、日本は20年に1度の回数で大規模な遣唐使派遣した。日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢であり、使者正月の朝賀に参列し、皇帝を祝賀した。[中略]

一方、日本の律令国家内では天皇皇帝であり、日本が中華となる唐と同様の帝国構造を持った。日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけており、従属国として扱おうとした。

白村江の戦いののち、朝鮮半島を統一した新羅は、唐を牽制するために日本とのあいだにひんぱんに使節を往来させ、8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった。やがて対等外交を主張したが、朝廷はこれを認めず、藤原仲麻呂新羅への征討戦争を準備した。一方で、新羅民間交易に力を入れ、唐よりも日本との交流が質量ともに大きくなった。現在の正倉院に所蔵されている唐や南方の宝物には、新羅商人仲介したものが多いと考えられる。[後略]

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)

以上に準拠しながら、私なりに要点をまとめておくと、次のとおりです。

  

(1)は、日本が唐から律令を学び、その中華思想の影響を受けたことを言っています。つまり、日本はみずからが「中華となる」という「帝国構造」を作ろうとしたのです。「日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけ」て、彼らを野蛮だと侮蔑し、従属国として扱おうとしました。ですが、唐だけは別格です。あのような大国を敵にまわすと、恐ろしいことになりかねません。そういう遠慮があって、唐のことだけは尊重して隣国と呼びました。

(2)は、「日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢」をしていたということです。唐の臣下となって朝貢する国々の中にも、その立場にはランクがありました。日本と新羅はともに唐の臣下だったのですけど、日本は新羅より格上の臣下になろうとしたのです。

(3)は、日本と新羅関係悪化について述べています新羅が「8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった」ので、その間は関係がうまくいっていました。しかし、新羅が「やがて対等外交を主張」するようになったから、両国関係はこじれてしまったのです。それが最終的には藤原仲麻呂が「新羅への征討戦争を準備」するくらいにエスカレートします。

(4)は、日本と新羅政治的には対立しつつも、経済的には交流が盛んだったという内容です。「新羅民間交易に力を入れ」ました。「新羅商人仲介し」、日本へ「唐や南方の宝物」をもたらしたのです。それは貴族たちが競って購入したがる垂涎の的でした。現在「正倉院に所蔵され」ている宝物も、そういうルートで輸入したものが多いのです。

  

教科書の読み比べをすることの目的は、なにも入試対応するためだけではありません。

例えば『詳説日本史』には、最初引用したとおり、「日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた」とか、「8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった」という記述があります。この短い記述が伝えようとしていることの本当の意味は、『新日本史B 改訂版』(日B018)のような他の教科書と併読することにより、はじめて正確に把握できるのです。

  

ところで、この教科書の著者は、東大の先生が3人、京大の先生が1人です。本書だけに載っているネタを使って入試問題がつくられたのは、そのへんの事情もあるのかなと勘ぐってしまます

もしくは、これは2003年入試問題ということだから、ちょうど講談社の『日本の歴史シリーズ2000年2003年)が発行されていた時期ですし、そちらの内容を意識しているのかもしれないですね。一応、そっちのシリーズから引用しておきましょう。

国内及び新羅などの諸国に対する時と、唐に対する時とで天皇の顔を使い分けるという、まことにすっきりしない状況でもあった。このような努力・苦心を払って日本が手に入れようとしたのは、東アジアの有力国としては新羅より格が上、という地位の確認であり、また初期の遣唐使が唐の高宗蝦夷を見せたことに示されているように(『日本書紀』斉明五年七月三日条)、日本は隼人蝦夷などの異民族をも支配下にいれた大国かつ君子国であるという評価であった。いわば唐を盟主とする諸国の中での相対的に高い地位を求めるとともに、自らの小帝国であることを唐に認めさせようとしたのである。(石母田正天皇諸蕃』)

  

坂上康俊『日本の歴史05巻 律令国家の転換と「日本」』

さきにもふれたように、「日本国」は唐帝国との公的な外交関係では「天皇」の称号を用いることができず、実際には二十年に一度の使い――遣唐使――を送る唐の朝貢国位置づけられていたと考えられるが(東野治之「遣唐使船」朝日新聞社、一九九九年)、国号「倭」から「日本」に変え、「天」をつけた王の称号を定めたのは、唐帝国に対し、小なりとも自ら帝国として立とうとする意志であったことも間違いない。

実際、「日本国」は「蛮夷」を服属させる「中華」として自らを位置づけ、「文明」的と自任するその国制を、周囲の「未開」な「夷狄」におし及ぼし、国家領域を拡げようとする強烈な意欲を、その発足当初は持っていたのである

[中略]

このように、朝鮮半島に対しても圧力を加えて、朝貢を強要する姿勢を示す一方、「日本海」をこえてたびたび使者を送って交易を求めてきた渤海については朝貢国として扱うなど、「日本国」は自らを「中華」とし、帝国として四方に臨もうとしていた。しか東北侵略を止めた9世紀に入ると、こうした「帝国主義」的な姿勢列島外の世界に対する積極的な動きはしだいに退き、十世紀になれば、ほとんどそれは表に現れなくなっていく。

  

網野善彦日本の歴史00巻 日本とは何か』

日本が置かれている立場としては、唐への朝貢という屈辱外交をやめるためには、遣唐使派遣を中止するしかないわけです。しかし、日本は唐と断交して敵対的にのぞむ国力も、その覚悟もありませんでした。

いっぽう、遣唐使は唐の皇帝から賜った国書日本国王へ勅す)を持ち帰るわけにはいきません。日本が唐に朝貢していると認めることは、天皇の威信を傷つけることになるからです。

こうなると、実際には日本が唐に朝貢していることが明らかなのに、国内での建前としてはそれを否定してみせる必要が出てきます。要するに、「遣唐使派遣は朝貢ではない。天皇が唐に臣従しているという批判は当たらない」という建前をでっちあげ、国内的にはそれをゴリ押しすることで、この矛盾を乗り越えようとしたのです。

  

私がこのエントリ題名に「白紙に戻せぬ遣唐使」と付けた由来は、多分みなさんもご存知の、894年に遣唐使が廃止されたことを指す語呂合わせ「白紙に戻そう遣唐使」です。しかし、日本がほんとうに、この"遣唐使"的なるものを白紙に戻せたかというと、それは甚だ疑問です。為政者国内国外で異なる顔を見せたり、外交姿勢の実態と建前を使い分けているというのは、室町時代に明に朝貢して「日本国王」となった足利義満に、ほとんどそのまま適用できる視点だと思います

それに、このことは現代外交問題についても、重要示唆を与えてくれます。例えば政府国内に向けて愛国心ナショナリズムを煽っておきながら、それと同時に国外に向けて国際協調アピールをするというチグハグな状況は、まさにこの延長にあるんじゃないでしょうか。

あるいは唐側の視点で見ると、日唐関係はこんな見方もできるかもしれません。唐は日本がおとなしく朝貢するかぎり、細かいことに目くじらを立てなかった。唐としては蕃国をヘタに刺激して事を荒立てるより、多少その尊大なふるまいを黙認しておく方がメリットがあった。すなわち唐は日本と妥協しあって、朝貢関係があるとも無いとも、どちらとも言える状況を作りあげた。――こういう分析がどれだけ妥当か分かりませんけど、2国間に争いがあるとき玉虫色の決着をつけ、両国政府がそれぞれ自国民の耳に心地よい解釈で説明をしているというのは、これまた現代によく見かける話でしょう。

  

  

  

教科書の読み比べ

遣唐使についての解説が長くなりすぎましたが、じゃあここから、各社の教科書の読み比べをしていきます

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

遣唐使船はふつう「よつのふね」とよばれ、1隻に100人まりが乗りくみ、多い時で約500人の大使節団であった。

悪くはないですが、遣唐使について普通説明があるだけです。

おもしろい特色がありません。

無理に良い所探しをするなら、「よつのふね」という文学的呼び方を紹介し、その規模がいかに大きかったかを強調していることです。

華々しく飾り立てた大使節団というのは、それを送りだす側も、それを受け入れる側も、両国にとって国威発揚イベントになったと推測できますもっとも、沈没行方不明になることも多々あったので、華々しさとはかけ離れたのが実態だったかもしれませんし、どうなのでしょう?

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

  

……って、今回はここで文字数制限なのか。

引用をしていると、あっというまに文字数が膨らみますね!

つづきを書きました→ http://anond.hatelabo.jp/20170611234459

2017-04-21

望み

私には生まれつきエゴがないので、個人的な望み(俗に謂う「夢」)がない

人々の洗脳を解いてデモクラシー革命を実現することが望みだが、それは、バイトして金貯めて実現しうるようなことではないし、TNT背負って溜池山王突撃してもきっと実現しないだろう。バイトして金貯めて革命を実現する話をアニメ化でもしてほしいくらいだ(笑)

どうやったら人々からエゴがなくなる進化が起こるのか、日本人(笑)近世近代以来の洗脳が解けるのか、判れば苦労しない。むしろ洗脳が解けないようにして国家体制を実現しているわけだから、そんな容易に洗脳が解けるはずもないのだろうと思う。たとえ成り上がって革命を起こそうとしたところで、見つかったら確実にぶっ叩かれて刑務所に入れられるのが日本スペックなので、もう手の施しようがないのだろう

わざわざ近世近代呪いを呼び起こして洗脳を強めることを、今の権力者支配層、既得権益階級がやっていて、もはや滑稽なまでに愚民どもは釣られているようだ。近世近代のことを「日本古来」とかい阿呆が多いし、そもそも「日本」なるものは古来存在しない。「日本」というのは近代国家主義概念で、遡ってせいぜい徳川光圀大日本史が端緒だろう

エゴのない進化を遂げるというのは一種の才能で、天才的なできごとで、ヨーロッパモダンエヴォリューションに限らず、釈尊ブッダ)にも起こった昔からあることなのだけれども、人類凡そをみると進化することは決してなく、むしろ幼稚化が進んでいる。岡本太郎が云っていたことも然もありなんと思う

2017-03-25

森友の同和問題ネトウヨ問題矮小化してはいけない

https://togetter.com/li/1093859

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1093859

ここにこそ日本の闇が凝縮している。

なぜネトウヨ首長大阪で爆誕するのか。

なぜポピュリズム政治跋扈するのか。

ネトウヨ狂喜乱舞してこの問題を同和差別在日差別に結びつけて叩きまくるだろう。

これに対して、ただネトウヨを叩くだけではいつまでたっても終わりのない不毛な戦いが続くだけ。

はてな左派も、この問題は闇が深すぎてアンタッチャブルにしてきた。

それが間違いではなかったのか。

闇の苗床から生えてくるネトウヨという雑草をちぎっては投げちぎっては投げ、では意味がない。

苗床の闇自体を掘り返して文字通り白日のもとに晒さなくてはならないのではないか

しろ日本ネトウヨポピュリズム問題の根源こそがここにあるのではないか

闇をタブーにしてきたから、

そのタブーで人々の不満が封じられてきたから、

橋下のようなポピュリスト政治家が「タブーを破る」などと言って拍手喝采を浴びる。

同和問題タブーとして設定するのが間違いだったのだ。

徹底的な批判に晒させるべきだったのだ。

なのに、そうしてこなかった。

からタブーを破ることが良いことだ」というような倒錯が起き、

それを差別主義者たちが悪用して、ヘイトスピーチを平然と行うような外道な振る舞いが大手を振って表舞台に出てきてしまった。

或いは、太平洋の向こう側では、トランプが大量の票を獲得して国家元首になってしまった。

日本他人事ではない。

タブーに挑戦する政治家」が生まれ始めようとしている。

パン和菓子屋に書き換えさせた道徳教科書検閲者は、すでに国家体制内部に巣食っているのだ。

からでも遅くない。

マスコミはこれから潮が引くように撤退戦を始めるだろうが、

すくなくともはてな言論では、

この関西同和問題に対する真摯な、かつ徹底的な批判が展開されるべきであろう。

2016-11-13

http://anond.hatelabo.jp/20161113023411

そういう意見を目にするし、誤ってはいないと思うけど、

そうなると北欧デンマークとかスウェーデンとか、どうやってああい国家体制を築き上げたのかが分からない。

元は蛮族なのに、今や先進的な福祉国家だぜ?

2016-07-09

いまは公務員勝ち組みたいに言われているけれども

バブル時代公務員になるのはバカだとか言われていたんだよな

(公務員は、好況時に給料が安い)

職業の貴賤も景況感国家体制によって変わるもんだ

2015-12-25

やっぱり彼らの方が正義なのだろうか

「彼ら」があん時代錯誤国家体制でやっていけるのも石油やその他の資源があるからに過ぎず、

子供が増えるのは単に貧しいからで、いずれは彼らも少子化に悩むことになる。

頭ではそう理解している。そして納得したことにしている。

しかし、頭のどこかで疑念が消えない。

本当の正義は彼らの方にあり、我らはやがて雑に育てられたかつての子供たちに駆逐されるんじゃないかと。

その時、我らが滅びた表向きの理由としては、あいつら神を信じないから罰が当たったんだざまみろハハハ、

ぐらいのことが順当に言われるのだろう。しかし、理由の三番目か四番目あたりには出てくると思うのだ。

「まあ、あいつら、いくらなんでも、女子供優遇しすぎたよね」と。

2015-07-31

いい加減イラク戦争アラブの春の末路に欧米責任を負うべき

実際至高の国家体制なんてこの世に存在しないのはわかってるし、おれらも別に選択したわけじゃねーけど。

なんか民主主義があるべき国家の姿のような幻想持っちゃってる人ってところどころにいて、いい加減民主主義以外で成り立つ国家も正解という認識持っておいたほうがいいと思う。

なんつーか人的に民主主義国家が少数派だし。

ほんとアラブの春ってなんだったのかなと、リビアに介入したNATOは正しいことをしたと今のリビアを見て言えるんですか?

シリア自由軍に武器輸出していたドイツとかもそうだけどさ。

中東の春」「イラク自由作戦」こういう無邪気さが気持ち悪いんだよ。

確かにお前らの歴史では正義文脈で語れるかもしれん。

お前らの中では正しい武力を用いて、間違った政権倒したからと、胸を張って言うだろうけど。

現実的に酷すぎるだろ。

で、俺はそんなクソな戦いに触れたくも無いわけ、リビアでどんな圧制があったか知らんし知りたくもない、パンナムが落ちたっつーけど777も落ちてるわけじゃん。

正直北朝鮮で何万人が人権を抑圧されて殺されていようがどうでもいい、それが正しいか間違っているかそうでないかお前らみたいに胸を張って言える勇気根拠も無いっていう。

ただそれだけ。

ニヒリズム結構リビアの後始末もできないような原理主義よりは少しはましな選択じゃね?

2015-07-26

憲法論なんて語っている人の気がしれない

とうに学校という体の牧場とか大学という体の遊園地とか

刑務所という体の軍隊かめちゃくちゃな国家体制になっているのに

それを総括する憲法を語っている人の気がしれない

何の益体もない。あほ

2015-05-04

       主   文

 被告昭和三七年六月二九日付でした原告に対する退去強制令書発付処分は、こ

れを取り消す。

 訴訟費用被告負担とする。

       事   実

第一 当事者の求める裁判

原告

 主文同旨

被告

 原告の請求を棄却する。

 訴訟費用は、原告負担とする。

第二 原告の請求原因

一 原告大韓民国(以下「韓国」と略称する。)人であるところ、昭和二六年四

月一〇日頃勉学のため本邦に密入国し、昭和二七年九月東京大学理学部物理学科に

研究生として入学し、昭和三〇年九月まで同大学において理論物理学を専攻してい

ものであるが、昭和三六年八月頃密入国の容疑で、東京入国管理事務所に収容さ

れ、同月一二入国審査官aより外国人登録令一六条一項一号に該当するものと認

定されたので、右認定に対して口頭審理を請求したが、同年八月一九日特別審理官

から認定に誤りはない、と判定された。原告は、右判定に対し、即日法務大臣

に対し異議の申立てをしたところ、その頃同大から右異議の申立てを棄却され、

同三八年六月二二日主任審査官cから送還先を韓国とした退去強制令書の発付処分

(以下「本件処分」という。)を受けた。

二 しかしながら、本件処分は、以下に述べる理由により違法である

1 原告は、政治犯罪人である政治犯罪人を本国へ引き渡してならないことは、

確立された国際慣習法である。それゆえ、本件処分は、右国際慣習法違反し、ひ

いては、確立された国際法規を誠実に遵守すべきことを規定する憲法八条二項に

違反する。また、本件処分は、逃亡犯罪人引渡法二条にも違反する。

(一) 原告政治犯罪人である

(1) 原告は、昭和三五年九月頃から在日大韓民国居留民団(以下「民団」と

略称する。)栃木県本部事務局長となつたが、右局長として在職中・左記の行為

行つた。

(ⅰ) 昭和三六年四月に行われた栃木県民団本部長の選挙にあたり、P4軍事

権により敵性団体とされている韓国社会大衆党の党員である訴外d(同人韓国

同党から国会議員選挙立候補したが落選した。)を同団長に推薦し、右訴外人

選挙責任者となつて運動一切を指導し、ついに同訴外人を同団長当選させた。

(ⅱ) 韓国社会大衆党の党員であり、かつ、民族日報社を設立して同名の新聞

発行し、南北朝鮮民族の平和統一を主張し唱導していた同社社長の訴外eが、①東

京で元進歩党党首zの助命運動をした、②社会大衆党である、③新聞を発行して

南北朝鮮の平和統一を唱導したことが反国家行為特殊犯罪処罰特別法六条)であ

るとして、昭和三六年六月、P4軍事政権によつて逮捕され、ついで起訴されたの

で、以来その助命運動をした。特に

(イ) 昭和三六年九月初旬頃、日比谷野外音楽堂で同訴外人救命在日韓国人民衆

大会主宰し、その実行責任者となり、東京都並びに栃木県在住の韓国人多数を集

めてP4軍事政権反対、同訴外人死刑反対のアピールをした。

(ロ) 韓民栃木新報の編輯長として、同新聞編集をしたが、昭和三六年九月一

五日号、同二五日号等において、P4軍事政権反対、右訴外人死刑反対の主張をく

り返し掲載した。

(ⅲ) 昭和三六年四月頃、P4政権により敵性団体とされている日本社会党の栃

木県支部から親善を申し込まれたので、団長相談の上右趣旨賛同し、同党が同

年五月頃宇都宮スポーツセンター労働者慰安演芸会を行うにあたり、民団より二

万円を寄附し、その際受け取つた右演芸会の切符二〇〇枚を民団各支部に分配した

が、その分配にあたり、日本社会党政策賛同するよう要請する趣旨文書を添

付した。

(2) 右のように原告は、社会団体重要な職位(民団栃木県本部事務局長)に

いた者で、国家保安法昭和三五年五月三〇日公布、同日施行)第一条政府を僣

称するか国家を変乱する目的結社または集団構成した者-別紙第一)に指定

れた反国家団体韓国社会大衆党、民族日報社、日本社会党)の情を知りながら、

その団体あるいはその活動同調その他の方法でそれを助けた者であつて、特殊

処罰特別法昭和三六年六月二一日公布公布の日から三年六月までさかのぼつ

適用六条(別紙第二)に該当し、又(1)(ⅱ)の行為反国家団体韓国

大衆党、民族日報社)とかその構成員(e)の活動を讃揚、鼓舞またはこれに同

調するとか、その他の方法反国家団体を利する行為をする者、前項の行為をする

目的文書、図画その他の表現物を製作--保管、運搬、頒布、販売--した者

反共法昭和三六年七月四日公布、同日施行)第四条--別紙第三)に該当し、

 さらに、前示(1)の(ⅱ)の(イ)の行為は、集会臨時措置法(昭和三六年九

月八日公布、同日施行)(別紙第四)第一条規定違反して集会を開催した者で

あつて、同法第三条に該当し、いずれも各該当法条に従つて処罰を免かれないもの

である

 ちなみに、韓国刑法によれば、「本法は大韓民国領域外で罪を犯した内国人にも

適用する。」(三条)、「本法総則は他法令に定められた罪にも適用する。但し、

その法令特別規定がある場合例外とする。」(八条)と定められているが、

前記特殊犯罪処罰特別法反共法、集会臨時措置法には、特別規定存在しな

い。

(3) 特殊犯罪処罰特別法は、P4政権によつてその軍事革命を完遂するため、

国家再建非常措置法(昭和三六年六月六日公布、同日施行、別紙第五)二二条

項に規定された犯罪行為処罰するのを目的として」(特殊犯罪処罰特別法一条

国家再建最高会議によつて制定されたものであり、国家再建非常措置法二二条

革命以前または以後の反国家、反民族的不正行為または反革命者を処罰する為

特別法を制定できる」と規定していることからみてもその内容が、政治的色彩の強

ものであることはいうまでもない。

 反共法国家再建最高会議によつて制定されたものであるが、同法一条には「本

法は国家再建課業の第一目標である反共体制を強化することによつて国家安全

危地においやる共産系列活動を封鎖し国家安全国民自由を確保する事を目

的とする」と規定し、その内容と相まつてその政治色をむき出しにしている。

 集会臨時措置法についても、内容自体からみられるとおり反対者の集会を一切認

めないものであつて、前記諸法律と全く同様である

 すなわち、これらの法律は、P4政権がその主張する反共国家体制ないし秩序を

維持強化することを目的とし、その秩序を侵害するか、そのおそれある行為厳罰

に処しようとするものであつて、これにより処罰される行為は、もつぱら政治的

序を侵害する行為というべく、いわゆる純粋政治犯である

(4) これを要するに、原告の前記各行為は、普通道義的または社会的にはなん

非難さるべき行為ではないのであるが、韓国政治弾圧立法である前記諸法律

よりはじめて犯罪とされる、いわゆる純粋政治犯であるから原告は、政治犯

罪人に該当するというべきである

(二) 政治犯罪人不引渡しの原則国際慣習法である

(1) 政治犯罪人については引渡しを行わないということは、現在国際慣習法

上も、条約締結の実際においても学説上も一般に確認されており(横田喜三郎法律

全集国際法Ⅱ一七六頁、高野雄一法律学講座、国際公法一二頁、田村幸策、有

斐閣国際法中巻一五七-一五九頁、一又正雄「密入国政治亡命」ジユリスト二一

八号三六頁-三七頁 英 Oppenheim Lauterpacht,Int

ernational Law I.p.643,米 Hackworth,Di

gest of International Law vol.IV,p.4

6,米 Briggs,The Law of Nations,1952,p.

596,独 H.Siebenhaar,Der Begriff des po

litischen Delikts im Auslieferungsrec

ht,1939,独 H.Gr●tzner,Auslieferung(im 

Strupp-Schlochauer W●rterbuch des V●l

kerrechts Bd.I.,S.1171)独 V.List,V●lke

rrecht,12 Aufl.,S.355.仏 P.S. Papathan

asion,L’Extradition en matj●re politi

que,1954,スイスaul Guggenheim,Trait● de

 Droit international Public,tome I,p.

363-365,一八八〇年オツクスフオードにおける国際法学会議決十三条

ハーバート大学犯罪人引渡条約草案五条一項)、それは決して単なる主義と目す

べきものでないことは明らかである

2013-11-04

したがき

歴史に学ぶはてなの今後

はてなブログで栄えているのはある部分だけ

一方で経済成長人口拡大は地域的不均衡を創出する。急成長を遂げたのはフランス西部から大西洋岸の農村工業の発展が見られる地域で、それ以外は成長から取り残されていた。トゥールーズもその取り残された都市の一つであった。

既存はてな民によるいらだちと新住民への弾圧

そして、急激な経済成長人口拡大は社会的結合関係の流動化を生む。絶対王政を支えた社団が弛緩し、村落共同体が衰退し、家族共同体から独立した閉鎖的関係に変容する。流動化する社会の中で、人々は社会的地位上昇への希望を抱きながら、国家体制身分制度はその変化について行けず、閉塞感だけが増す。

このような中で目に付くようになるのが少数派の排除迫害である。それは旧教徒による新教徒迫害として現れ始めた。


□旧はてなが新はてなを攻撃する論理

支配層は概ね宗教的寛容な姿勢へと変わりつつあった。とはいえ、社会的少数派であり差別的扱いを受けていたことに変わりは無い。

七年戦争」に宗教戦争色は全く見られないが、その対立構図を教派で見ればイギリスプロイセンの新教勢力とフランスオーストリアの旧教勢力ということになる。そして庶民はそう見た。崩れ去る共同体紐帯希望の無い閉塞感、重税と物価上昇、日々の生活の困窮が、今フランスを脅かす新教国という外敵と少数派としての新教徒に対する敵意に転換される。


はてなはてなウヨクに対抗するはてなはてなサヨクの対等

地方都市では宗教的迫害と少数派差別が熱を帯びる一方、パリをはじめとした大都市では特にブルジョワ層を中心に啓蒙主義の波が流行し始めていた。人権を重視し、宗教的狂信と無知を敵視して、文化人が文筆活動を行う。


□モニトワール=はてブによる新はてな民攻撃の空気形成

モニトワールとは『重要事件の情報収集のため、世俗裁判所要請にもとづき、教会裁判所布告し、司祭が各教区教会の日曜ミサときに「これこれの事実について知っている者は証言せよ」と破門の脅かしでもって命ずるもの』)で、予断に満ちた、当時の法制上も非常に問題がある布告となっていた。

□新はてな民は敵というストーリーの固定

はなから自殺の可能性は排除され、改宗しようと悩む青年狂信的な教徒一家の共謀によって殺害された、という思い込みだけで構成されたストーリーである

まだ訴訟が終わっていないにも関わらずマルク=アントワーヌの埋葬が許可され、彼はカトリック教会改宗者として埋葬されることになった。自身の息子を謀殺した狂信的新教徒カラス一家という世論が形成されていく。また、モニトワールを受けてあやふや証言者が集まるがいずれも根拠のない伝聞や推測でしかなかった。

以降、取調べ過程で自供を促すためジャン・カラスに対する拷問が繰り返されたが、彼が殺害を認めることはなかったし、また、カラス一家がマルク=アントワーヌを殺害した証拠も見つからなかった。


多数決により数におとる新はてな民弾圧される

求刑死刑判事のうち無罪を主張したのは判事補カルボネルただ一人。だが、求刑通り死刑とするには決定的に証拠が足りず、結果、カラス一家の夫妻と次男三人を拷問にかけ、他の二人をそれに立ち会わせることと決まった。

シュードル弁護士被告弁護士につき、新教徒への偏見、一審の手続き上の瑕疵自殺の可能性、また他殺とした場合の状況の不自然さなどを論じた訴訟趣意書を作成して提出する。しかし、判事裁判官はいずれも思い込みや新教徒に対する偏見を強く持っていた人物たちであった。


□結局正しい判断が下されず無実の新はてな民がくびり殺される

1762年3月9日、まずジャン・カラス被告に対し財産没収の上で死刑、かつ死刑執行に先立って犯行共犯者自白を引き出すための拷問実施、他の被告に対してはカラス被告自白に基づいて判断する、という判決

『わたしはもう既にいいましたが、無実で死んで行くのです。わたしは自分を憐みはしません。無実だったイエス・キリストもっとひどい苦しみを受けて、わたしのために死んだのです。わたしは自分生命を惜しみはしません。この命が終われば、永遠幸福がわたしを導くだろうと期待しているからです。わたしは自分の妻や息子が可哀そうだと思いますそれからまたラヴェス氏の御子息も。夕食に招いて喜ばせてあげようと思ったのに。彼のことを考えると、わたしの心残りの気持ちは強まります。』

神父は「われわれの殉教者たちも、こうして死んだのだ」と語った。



老害の旧はてな民は、善良な新はてな民を殺してから慌てふためき言い訳をする

彼の痛ましい姿は一気にトゥールーズ世論カラス一家無実へと大きく転換させて、恣意的な取調をおこなった市役所有罪判決を下した法院への批判となって向かう。

当時日常的におきていた多くの冤罪事件同様、悲しい事件だった、と過去形で語られるだけの、歴史の闇に消えるかに見えたが、この事件は国王自ら裁断を下さねばならないほどにフランス全土を揺るがすことになる。


調子に乗りすぎた旧はてな老害アルファブロガー糾弾

啓蒙ヴォルテールはジャン・カラス名誉回復運動を始める決意をする。

カラス一家の救出・保護と同時進行で彼はジュネーヴからフランス政府の有力者へ次々と手紙を送る。熱意のこもった手紙七年戦争英雄リシュリュー元帥、寵姫ポンパドゥール夫人、宰相ショワズール公爵らが動かされ、同事件について国王の説得を行う旨約束をしてくる。さら啓蒙君主として知られたプロイセンフリードリヒ二世ロシアのエカチェリーナ二世にも手紙を送り、理解と協力を求めた。超人的な人脈と戦略であっという間にフランスの国政にカラス事件を主要議題としてねじ込んでいく。

世論は一気にカラス事件に盛り上がる。次にヴォルテールは開明的な超一流弁護士からなる再審請求チームを編成、トゥールーズパルルマン法院の誤審を指摘する文書を公刊して実務レベルでも次々と手を打っていく。国王国務会議主催する大法官ギョーム・ラモワニョンにも働きかけを行う。



はてな運営による司法判断が行われるが、旧はてな民がバックレた上SLAPP訴訟

ついにカラス事件が国王国務会議で議題に挙げられ、トゥールーズパルルマン法院に対し裁判資料の送付が命じられる。しかし、法院は司法権独立を盾に教会を味方につけて抵抗。法外な金額を裁判調書書き写し費用と称してカラス夫人に請求、仕事の遅延を図ろうとする。

法廷は全員一致でジャン・カラス及び被告全員の無罪判決を下し、国王ルイ15世からカラス一家に三万六千リーブルが下賜され、ジャン・カラス名誉は回復された。



□旧はてな民は滅び、はてな運営の怠慢にも雌が入る

カラス事件は単に冤罪が覆ったというだけに留まらず、フランス社会の根幹を大きく揺るがし、さら欧州全土に司法制度改革の波を起こす契機となる。

『罪もないのに一家の父親が誤謬偏見、さては狂信の手に委ねられるというのであれば、被告には自分の気力のほかには弁護の手立てがないというのであれば、その生命を手中に握る人たちが被告を打首にするのに冒す危険といえば思い違いの危険だけだというのであれば、この裁判官たちが判決で人命をあやめ、それが間違いであってもなんら罰せられないというのであれば、そのとき世論は立ち上がらねばならない。市民生命を見守るために設けられた法廷に対して、何人も自己生命安全でないのを知って、あらゆる声が一体となり罪のつぐないを要求するのである。』(ヴォルテール「寛容論」P9)



はてなの教訓を踏まえ、はてな以外のサービスでは「罪刑法定主義」が理論

理論をふまえた刑事訴訟法典がロシアオーストリアプロイセンなど各国で次々と制定され、近代法の基礎として現代まで受け継がれていくことになる。



□問題の発生源であったはてなだけは改革が遅れ、時代に取り残される

外国を横目に、司法改革運動の発信地であったフランスでは司法改革は遅々として進まなかった。何度も何度も冤罪事件はおき、拷問が繰り返され、死刑判決は増える一方であった。改革案は高等法院の激しい抵抗にあって頓挫、結局175年後の革命によって王朝が倒れるまで、変わることはなかった。



アルファブロガーとその他の絶対的な格差

市井の老人がどれほどあがいても決して避けることの出来なかった悲劇運命を、ヴォルテールは文字通り国と社会を突き動かすことで鮮やかに覆して見せる。普通の人ジャン・カラス著名人ヴォルテールとの間には、決して埋めることの出来ない巨大な力の格差があったのであり、その対比こそがアンシァン・レジーム象徴している。どれほど願い、どれほど努力しようとも人は決してヴォルテールになれない、あるいはその力のほんの一部すらも獲得できない絶望こそが、フランス革命前夜の閉塞感の姿である

2013-07-29

最近成り上がりとか革命とか好きになれない。

それは在日民主党イメージしか湧かないかである

この国の秩序を在日民主党が乱すことは完全に間違いである。

革命家がある体制を転覆させて国家を支配するなど愚の骨頂である

この国はこの国を治めるに相応しい家柄の長が治めることが望ましい。

それがこの国家社会地域の秩序を保つことになるからである

まぁ、官僚制度については破壊しても構わないと思う。

例えば、能力があるからとか金持ちからとか

そんな理由だけでこの国を治めてもらっても困るのである

その点からすると民主主義制度と言うものも否定されるものなのかもしれない。

能力がないもの国家企業を治めることは問題があるかもしれないけれど

やっぱり、家柄が代々ある家系がこの国の長になることが相応しい。

新参者革命を起こしてもロクなことにはならないし

外国人の思う壺になるだけだからである

革命なんて日本では起こす必要はまったくない。

安定した暮らしがほしいのであれば

出来る限り安定した国家体制社会体制や経済体制を長期的に維持する必要がある。

それを作るための革命ならばまだしも、長い間、家柄すらも長く守り続けた経験のない家系の者に

国家を預けることはナンセンスなことである

自然名家の生まれが政治家になり、経営者になることが

国家のためであり、社会のためであり、そこに生きている民のためになる。

日本がどんな国家よりも常識的で倫理感が強く整然としているのは

天皇家が何千年も続いていて、この国を治め続けてきたからであります

安心感と安定感は革命家成り上がりには創れるはずがない。

2013-06-17

未だ覚めぬ、総中流時代幻想

大学卒業して20年たつとわかる、終身雇用なんて、幻想だった。 - 竹内研究室日記

は、実体験とともに思い出を振り返る上品オヤジ説教なので、

居酒屋で絡まれたら、大変な時代でしたねー今もどんどん悪くなってますねーとか言っとけば良いわけだが、

ブコメが興味深い。

http://b.hatena.ne.jp/entry?eid=150492630

大学生就職希望人気ランキングを遡って見るといいよ。満州鉄道(笑)炭鉱(笑)国鉄(笑)銀行(笑)航空(笑)

このテの話題が出る際には、鉄鋼、造船、繊維などの、大量のブルーカラー必要としたが、ある時期を境に必要としなくなった産業を指すことが多かったので、隔世の感がある。

南満州鉄道実質的には"国家運営"プロジェクトであったことは結構有名だろうが、挙げられているいずれの業種も強い"国策"企業であって、官僚として中枢に入るか、実地に出て国を変えるかという、エリート選択肢しかない話題ではある。

(その意味で、件のブログ東大工学部出の連中の話なんか知らねえよ、という揶揄なのかもしれないが、夢に賭けた若者を笑うのは、自虐にしても寂しいことではある)

まあ、本題はこっちである

時代は既にもう一歩先の「普通人生結婚してマイホーム持って子供育てて…)なんて、幻想だった」のフェーズに行ってるんですけどね。この国もうダメじゃん

なのに日本社会は未だに終身雇用前提でできてるからなぁ。これでは住宅ローンも組めないし、子どもも作れない。理系研究者の方でこれだから、我々文系人間はどうやって食べていけばいいのか。

これは、ある程度は誇っていいことなのかもしれない。

一億総中流」は遠い過去の夢となっても、少なくともはてブコメントを残す人間の脳裏には、鮮烈な印象として焼き付いているわけだ。

列島改造をすすめ、基盤を整備し護送船団で企業を育て、労働組合を抑えつつ国民意識を総中流に向ける。

田中角栄音頭を取り、中曽根が完成させた「戦後日本」。

出稼ぎ労働上京へと姿を変え、地方公共事業を、都市民間企業を躍進させた。

日本住宅公団が「団地」を建て、借家ではなく「家」をという意識を持たせていった。

団地妻とは蔑称ではなく、羨望の対象であったのだ。

その意味で、「普通人生」や「日本社会」が、未だに1960年代に築きあげた幻想を基にしているというのは、

とても、とても、とても、感慨深い。

一応補足しておけば、日本終身雇用前提の社会になったことなど一度もないし、

普通人生が、結婚マイホーム子供のセットになったことも、やはり一度もない。

それはつまり残酷な言い方をすれば、

平安時代後期に「禄をもらって荘園を維持し、遊興に耽るとか既に幻想だった。この国オワタ」と言うのと同じだ。

もちろん王朝国家体制は、その制度設計を平安貴族を中心に置くだろう。

でもそれは「普通」じゃ無い。

今我々がここにいて、増田を読み、はてブコメントをしているのは、

貴族が紡ぎ、武士が駆け、商人が席巻して、軍人が靴を鳴らしたその系譜じゃない。

そのほとんど大多数は、主流ではない人達の脈々と続く人生連続が途切れなかったからだ。

子を産み育てることが楽であった時代はない。

しかし、たった一度でも途切れれば、今ここに我々は居ないのだ。

一億総中流は、「自分たちがどの階層いるか?」というアンケートへの回答からなった。

時代が下るに連れ、平均すれば間違い無く豊かに生きやすくなっている。

一億総中流という意識が、上を見ればキリがない日本を生きる中で、前向きに豊かな気持ちを持たせてくれた事は良いことだと思う。

だが、いままさに最頻値にいる人達が「昔、幻想を信じさせることで上向きにしていた時代」を「普通の事」だと思い込むことは、果たして良いことなのかどうか、僕には判らない。

 
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