はてなキーワード: 国民戦線とは
国民戦線など極右政党や冷笑派を勢い付かせて、社会的マイノリティを傷付けるだけじゃない?
果たして(いくらテロで多数の死者が出たとはいえ)表現の自由を不屈の精神で守らないといけないものなのだろうか?
そもそもマイノリティを傷付ける表現は表現の自由の範囲外ではないのか?
元寇の被害国の日本だってマイノリティのことを考え、チンギスハンの落書きを載せたコロコロコミックを回収して謝罪したよ?
ほらやっぱり大丈夫じゃないじゃない。
表現の自由戦士。
さらに、「イスラム教の聖なる預言者を侮辱したこの重大な罪を糾弾しないためにフランスの政治家の一部が作り上げた『表現の自由』という言い訳は、一切許すことのできない誤りであり扇動的でさえある」と続けた。
このニュース。
はてなブックマーク - 自公、女性擁立の数値目標見送り 参院選、立民は4割で国民3割 | 共同通信
もちろん自民党が批判されるべきなのは当然だけれど、まるで自民党や日本政治が特殊だからであるかのように言われるとちょっと気の毒ではある。
似たようなことがフランスでもあった。フランスで候補者の男女比を均等にするような法律ができたとき、左右の大政党はちっとも守らず男性をより多く候補に立てた。
一番その法律を守って女性候補者を多く立てたのは極右の国民戦線だったというオチ。
なんでかといえば、これは共同通信の記事にも「新人候補が多い野党側では」って書いてあったように、その時点で多くの議席を持っている政党は「有力な男性候補者を下ろして新人の女性候補者にすげ替える」勇気がなかったからだ。
だって、その女性候補者が選挙で負けたら議会での勢力が減るんですよ。そんなバクチをするくらいなら現在議席を獲れているか議席を競り合える位置にいる既存の男性候補者という安牌を選んだほうがいいだろう。
なのでフランスでは、既に議席を持っている政党は軒並み法律を破った。ちっとも議席を持っていなかった国民戦線は、既存の男性候補者に配慮する必要性が乏しかったのと「うちらは女性にも優しい政党ですよ」アピールのために積極的に法律を守った。
同じことが日本でも起きているに過ぎない。
1つは、ペナルティだ。
フランスの場合、男女均等にする法律を破って科されるペナルティよりも、より多くの候補者が当選することによるメリットの方が大きかったので、法的には正しいが選挙には弱い女性候補者ではなく、法的に間違ってはいるが選挙には強い男性候補者を立てた。
ということは、逆にいえば、女性候補者を立てて得るデメリットより、法律を破って受けるペナルティの方が大きければ、諸政党は積極的に女性候補者を立てるだろうということだ。
女性候補者1人が足りない分、選挙後は5人分の政党助成金が差し引かれる、とかならどの政党も必死に女性候補者を立てようとするのではないか。
日本もフランスも小選挙区制をベースにした制度を持っている(今回は参議院なのでちょっと違うけど)。これはどういうことかといえば、候補者個人の才覚によって選挙区での勝利が左右されやすいシステムだ。
政党の選挙における目標は1つでも多くの議席を確保することである。その議席獲得が個々人の手腕に拠るところが大きいのなら、そりゃ個々人を切るのは難しくなる。
中選挙区制から小選挙区制になって候補者個人の才覚の重要度は減ったものの、やはり地盤を築いている政治家は強いし、与党であることに胡座をかいてどぶ板をやらなければ当然負ける。
であれば、比例代表制にすればよい。
候補者個人の力量ではなく、政党の政策に基づいて政党が選ばれる比例代表制であれば、「選挙に強い」男性政治家に配慮する必要は小さくなる。
現在の衆参両院にも比例代表部分はあるが、選ばれる人数が少なすぎて「冒険」ができる状況ではない。少なくとも衆議院では、議員全員が比例代表制で選ばれるようにするべきだ(※)。
これは、問題の構造としては、最近言われるようになった高校野球の球数問題と似ている。
甲子園で勝ち進んだ高校の中には、1人の投手に連投させ疲弊させるところが多くある。前途ある高校球児が故障するおそれがあまりに高いことから、改善を求める声は大きい。
しかし、なぜ1人の投手に連投させるのか。複数の投手を育てないのか。
人数ギリギリでやっていて投手候補がそんなにいない、という場合もあるだろうが、最大の理由は「負けたくない」からだ。
日本の高校スポーツの多くはトーナメント制で運営されている。トーナメント制の特徴とは何か。それは「1度負けたら敗退」ということだ(敗者復活戦などの例外はあるが)。
そのため、プロ野球などで使われる「今度の試合は消化試合もしくは負けてもいい試合だから、新人投手を試してみよう」のような手法が使えない。どの試合も全力で挑まなければそこで夏が終わってしまう。
こんな状況で、エース以外の投手を「試す」余裕など持てるはずがない。試してみて通用しなかったらそこでおしまいだ。
投手の健康を気遣った結果甲子園に行けないより、投手が故障のリスクを抱えながらも甲子園に行く方がマシだということなのだろう。
ならば根本的にリーグ制に作り変えれば、1試合や2試合負けるリスクよりも、複数の投手を試してみるメリットの方が大きくなるかもしれない。
あるシステムの内部で人権や平等があまり尊重されていない場合、当事者たちの人権意識を問うのも重要だが、そもそもシステムの方に「人権や平等を尊重しない方がメリットがある」というバグがあるかもしれない。
そのシステムを改善せずに、あいつらは意識が低い連中だ、とだけ言っていても問題はなくならないだろう。そのシステムが続いていく限り、「意識が低い」行動を採った方が合理的なのだから。
※ 男女均等の観点だけでなく、一票の格差や死票などの問題を考えても、小選挙区制より比例代表制の方が優れているのでは。究極的には、憲法を改正して参議院の権力を削った上で、衆議院を「国民の総意の代弁」として全国一区の比例代表制で、参議院を「地域や少数派の利害の代弁」として地域別に選ぶ方法に変えるのがいいと思う。
5分でわかるカタルーニャ問題の増田です。すごい伸びててビックリしました。増田でブクマ四桁行ったのなんて初めてです。みんなカタルーニャに興味あるんやな……!
https://anond.hatelabo.jp/20170910082231
ということで、補足説明の補足に来ました。
sgo2 東京が税金が地方にばら撒かれるのはうんざりだから独立する!と言ったら他県民がどう思うか考えれば、スペイン中央政府が辛辣なのも多少は理解できるかと。(その辺差し引いても愚行とは思うが)
その喩えでいうなら、東京はたくさん税金を払っているのになかなか高速道路は作られないし老朽化した鉄道しか走っていない、しかもどちらも他の地方では整備されているのに、という状況なんですよね(近郊電車整備計画の実施率はマドリードがほぼ100%、バルセロナでは10%以下)。
さらに、法律では介護費用は中央政府と自治州が均等に負担することになっているのですが、2014年度のカタルーニャ自治州の拠出額は9億ユーロを超えるのに対して中央政府は2億ユーロ弱。2015年度のカタルーニャへの文化予算は凍結されたのですがプラド美術館への予算は増額。最も視聴率の高いカタルーニャ語TV放送局も廃止対象として名前が挙がっています(この辺、詳しくは参考文献にある奥野良知「カタルーニャでなぜ独立主義が高まっているのか?」38~40ページを参照してください)。
仮に日本でこんなことされたら都民が怒っても許されるのではないかと。
mahal しかし徴税権の上前問題、ぶっちゃけバレンシアやラマンチャ、アンダルシア辺りから見ても「ヤツら俺らより金持ってるやんけ」みたいな感情とかはありそうなのが、また難しそうな。
実は2006年のカタルーニャ自治州新自治憲章は、中央政府だけではなく、ムルシア、ラ・リオハ、アラゴン、バレンシア、バレアレス諸島の5自治州からも違憲だとして提訴されています。ムルシア自治州とラ・リオハ自治州はご承知の通り1県だけで1自治州を構成しているところで、何やら思うところがあったのかもしれません。バレンシア自治州とバレアレス諸島自治州というカタルーニャ語圏に属する自治州から提訴されてるのは、カタルーニャ自治州の独立運動が単純に言語だけに根ざしたものではないことの証明といえそうです。アラゴン自治州は州内にアラゴン語という少数言語を抱えていますが非常に規模が小さく、むしろカタルーニャとの州境沿いに広がるカタルーニャ語の勢力の方が強い州ですね(州としての多数派言語はスペイン語)。要するにカタルーニャは隣接する全ての自治州から違憲だと訴えられてることになるわけで、ご指摘のような要素は間違いなくあるだろうなと。
shoot_c_na こういうアプローチだとカタルーニャ可哀想だろうが、視点変えたら「貧乏人の面倒をもう押し付けられたくない。中央が取り立てるから習い事が続けられない」にもなるので、憤る前に深呼吸した方がいい
スペイン語という習い事をカタルーニャ人に押し付けているのはスペイン政府の側なのですがそれは。
スペイン語を「学ぶのが当然」、カタルーニャ語を「地方でしか通じない特殊な言語で学ぶ必要は特にない」扱いする態度こそがカタルーニャ人の怒りを買ってきたわけで。
IkaMaru そこまで経済力のある地方を懐柔するのでなく抑圧して怒りを買うって、善悪を別にしても政治そのものがヘタクソすぎないか
これはもう統治技法の問題じゃなくて、国民党(や市民党)からしてみたら国家のあり方の根幹に関わる問題なので、妥協できないんだろうなーと思います。彼らからすれば憲法を無視し国家の統一を破壊する暴挙を阻止しようと懸命なのでしょう。
ていうか、スペイン中央ではけっこう反カタルーニャの雰囲気が強いんですね。彼らにはカタルーニャの要求が反スペイン的なものに見えていて、カタルーニャへの反感が政治家だけでなく市民レベルでも見られるっぽいんです。正直それがどの程度「ふつうの市民」の感覚を反映しているかは疑問ではありますが、与党・国民党の台頭にあわせてそういう風潮も増大したとか。
もちろんカタルーニャ側もけっこう強引なことをやってたりするんですが、それでもカタルーニャの民意をそれなりに反映しているわけです。独立派+独立するかどうかは別にして住民の声を聞くべきだよね派で議会のかなりの数を占めていますし。ところがマドリードの側は「一部の煽動政治家によって国家分裂が試みられている」という認識なんですね。これは話通じませんわ。
あと、分離独立ということで、カタルーニャ独立運動をフランスの国民戦線みたいな国粋主義的・排外主義的運動だと誤解する人も結構います。実際には既に指摘したように移民の出自で独立に賛成している人も大勢いますし、普段スペイン語で生活してる人の中にも独立派がいますし、そもそもカタルーニャを独自のネーションと認めないのってスペイン国粋主義以外の何物でもないと思うんですが。カタルーニャに移住した子どもが無理やりカタルーニャ語を学ばされている! と憤るスペイン人も多いようです。自分たちがカタルーニャの子どもにスペイン語を学ばせていることは気にならないみたいですね。
以下のような体験をした人もいて、割とナチュラルにカタルーニャ人のことを下に見てるカスティーリャ人って多いんだろうなぁと。
マドリーに住んでる子にちょっとカタラン少しだけ勉強してみようかなって言ったら「スペイン語に集中して。カタランはそこでしか話されてないから」的な返信来てあぁ〜!!これが噂に聞いていたスペインの多様性!!(褒めてない)という感動 castellanoのことをespañolと書いてるし— さいか@バルセロナ (@sik15esp) 2017年9月10日
これに関して、「みんながカタルーニャのこと悪く言うけど、実際に住んでみたら全然違うじゃん!」という内容の動画がようつべで人気になってたみたいです(上で挙げた論文の注9で紹介されています)。
https://www.youtube.com/watch?v=M14ebPJ-AtM
atahara なぜそんなにカタルーニャには、民族的アイデンティティがあるのか?という辺りに興味がある。例えばフランスも強力に言語を統一して、国を維持してるよね。イギリスはスペインよりうまくいってないし。
いや、フランスもバッチリ少数言語のアイデンティティは残ってますよ。公用語としての地位こそないですが、オクシタンでは地名の二言語表記なんかもされるようになってますし、フランス領バスクではバスク語が話されていますし、ブルターニュではブレイス語を公用語にしようという主張が昔からあります。そしてコルシカ島では第2次世界大戦後に分離独立主義者のテロが絶えなかった時期がありました。かつて少数言語絶対認めないマンとして有名だったフランスですら、最近は地域語の存在を徐々に認めるようになってきてます(まあ、それでも地域公用語にすら指定してなかったりするので、かつての面影は健在というか)。
ちなみに欧州の少数言語はWikipedia作りが盛んで、バスク語やオック語などの有名どころだけじゃなく、コルシカ語版(https://co.wikipedia.org/wiki/Pagina_maestra)やピカルディ語版(https://pcd.wikipedia.org/wiki/Accueul)のWikipediaも作られてますね。
参考文献はこちらです。
stet "逆に言えば、それ以外の言語を使う「義務」を州が課すことは違憲"ここの論理がおかしいと思った。後段を見ても「それ以外の言語のみを「義務」とする」のが違憲ということでは。
私もこの辺の法律論争は詳しくないので、具体的にどういう理屈で違憲とされたのかは参考文献で挙げた『現代スペインの諸相』を見てほしいのですが、たぶんこれは「知る義務」との兼ね合いじゃなくて「使う権利」の方に引っかかってるんだと思います。「カタルーニャ語を使う義務」があったとしたら、それは「スペイン語を使う権利が侵されている」ということになりますよね。
anus3710223 仮に独立した際、ビルバオの処置は如何に/いいまとめ。元々カタルーニャには興味あったので、参考文献読んでみたい。
mrescape 独立したらリーガのバルセロナとかビルバオも脱退なのか?それだけはやめてほしい。アメリカのMLSにもカナダのチームあるよね?そんなイメージで
ビルバオはバスク自治州のチームなので、今回の住民投票でカタルーニャが独立宣言しても問題なくリーガ・エスパニョーラには残れますね……。バルサに関しては、スペイン側が「リーガには参加できない」と言明してたような。カタルーニャ共和国リーグを作るか、あるいはリーグ・アンに参加するか、になるんじゃないかと思います(https://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20151028/364245.html)。まあ、もしリーガ側が計算高ければ、独立が確定して覆せなくなった段階で残留してもいいとか言い出す可能性もありますけど。
gomaaji バスクはかなりの自治権を認められて停戦したのかなとぼんやり思ってたが、これを読むとバスクも自治権なさそうで、あちらの解説もお願いしたい。
が詳しく説明してくれているので、ぜひ読みましょう。かなりオススメです。
yogasa 権限委譲をしてしまっているのと教育なのかな。それと比べると本邦はおおよそ全ての国民が47都道府県単一民族と思ってるだろうし統治に成功しているんだなあ
いやだなあ、日本にもあるじゃないですか。選挙で示された県民の民意が中央政府にガン無視され続け、県民の怒りを逆撫でするような政策・発言ばっかりされている、独自の文化と歴史を持つ県が。
「5分じゃ読めない」って反応だらけだったの何なの!? ちゃんと5分でわかるまとめパートと補足説明パートは分けてたでしょ!? はてな民、読解力だけは信じてたのにがっかりだよ!1!!!
https://twitter.com/goeland_argente/status/825881166334996481
Cinq idées reçues sur le “nouveau” Front national
フランス語はそんな上手くないし、フランスの政治には全然詳しくないのでひどい訳です。
どんどん誤りを指摘してください。補足してください。何ならもっといい翻訳をつくってください。
*****
モンペリエ大学とパリ政治学院の政治科学の助教授であるアレクサンドル・デゼは、『問題になっている「新しい国民前線」』の中で、ステレオタイプに反して、国民戦線については、新しい点よりも昔から変わらない点の方がはるかに重要であることを示した。
2014年の選挙での国民戦線の戦績が良くなったことは否定すべくもない。しかしながら、そのことを過大評価してはならない。アレクサンドル・デゼは次のことを思い出すように促す。地方選挙において、国家的レベルと結びつけて考えるなら、1995年のときのように、票の4.7%しか獲得していない。これらの結果を、2012年の大統領選挙の時の人口10000人以上の都市におけるマリーヌ・ル・ペンの結果と比較してみよう。そうすると、今回の地方選挙の結果は、票数に関してはいくらか劣っているものだと言える。ヨーロッパ選挙に関していえば、かつて聞かれたように、29.4%のフランス人が国民戦線に投票したのではない。棄権を考慮に入れるならば、有権者の10%だけである。
奇妙にも、県の選挙の結果は、彼らの前進を示している。ただ、世論調査での高い予想のせいで、この結果は過小評価されている。国民戦線の候補者は43の県で1位であり、1107の小郡(canton)で、降りずに留まっている。
これらの結果というのは、国民戦線を彼らのスローガン通りの「フランスの第一党」とするには不十分なものである。アレクサンドル・デゼは、国民戦線の存在感というのは、市町村レベルでは副次的なものであり、地域圏(1880人の議員のうち118人、議長は1人もいない)・県(4108人の議員のうち62人、議長は1人もいない)・国会(577人の代議士のうち2人)のいずれのレベルでも甚だ不完全なものである。党員の数について言えば、国民戦線には42000人の活動家がいるが、その数は依然共和党と社会党よりも少ない。
2011年1月にマリーヌ・ルペンが国民戦線の党首に選ばれてから、「脱悪役(dédiabolisation)」という戦略が実行されるようになってから、エリゼ宮(※大統領官邸)への道のりは既に引かれたのだ、という声がしばしば聞かれるようになった。しかし、全くそうではない、とアレクサンドル・デゼは静観している。「この読みはメディアの大多数によって共同でつくられ引き継がれたことによって認められているのだから、政治的なフィクションの領域に属するような話である。」
国民戦線は、国政の責任者に至るまでには、おそろしいほどに枠組みを欠いている。他の党との「融和」を誇示するような最近のいくつかの手がかりのうち、いくつかはあまりに短い間であったし、あるいは、内部で問題視されていた。さらに、権力の扉は国民戦線に対して無情にも閉じられたままであるだろう。選挙制度上の理由で、今まさにそうであるように、国民戦線は政治的に孤立したままでいるだろう。「この孤立は、2回に分けての多数決投票が影響力をもつ政治システムのうちでは、権力への道を妨げる最大の障害物になる。」
国民戦線は他の党と同じような党になったのだろうか? マリーヌ・ル・ペンによってなされた刷新というのは、本当に党の顔を変えてしまったのだろうか? アレクサンドル・デゼによれば、これらの疑問への答えは改めて否定的なものである。マリーヌ・ル・ペンの就任の前と後での国民戦線の戦略、プログラムとその支持者を比較して語るところでは、「マリーヌの国民先生とルペンの国民戦線の間には、新しくなったところよりも十分多くの変わらないところが多い」のである。脱悪役? 国民戦線の歴史は、絶え間なく更新される脱悪役の試みの歴史である。したがって、右派へと国民戦線が差し出す手のうちに、あるいは、立派な風貌を打ちだすことによって新しい支持者を集めているとされている周辺的なさまざまな手段のうちに、新しいものは何もないのである。
プログラムに関していえば、国民戦線は常に自らの基礎に立脚している。反体制的批判、国家の特恵、国家の防衛、欧州連合の拒否、ユーロ圏からの離脱、失業と不安の原因と見なした上での移住の拒否である。反リベラルへの再定位は1992年に遡るが、マリーヌ・ル・ペンの社会的な演説は、連続性を担っている。
リーダーシップに関して言うと、マリーヌ・ル・ペンは、彼女の父親のイメージとの対照によってそのメディア上のイメージが形作られている。「このような対照性が推測されていることは、国民戦線に新しく投票するようになった人が、自らの投票を正当化するために持ち出されるような、最先端の議論になっている」とアレクサンドル・デゼは語る。しかしながら、言説における一連の相同性や、マリーヌ・ル・ペンが自分の父親について反対を示さなかった機会を列挙するこの研究者によれば、マリーヌ・ル・ペンと彼女の父親との差は、思われているよりも微々たるものである。例えば、2014年5月に父ルペンが「エボラ殿下」の介入が「人口爆発」と移民の問題を解決しうると主張した時、あるいは、彼が2015年1月に「私はシャルリーではない。私はCharlie Martel(※イスラム教徒のヨーロッパへの進出をイベリア半島までで食い止めた8世紀フランク王国の王)だ」といったとき。これらはいずれも、議員の免責特権の恩恵を被ることはなかった(「人種的憎悪の扇動」として彼女を追及することは、現在進行系で行われている)
最後に、その組織図に関して、「粛清」という幻影を生み出しながら、党によって過激すぎると判断された特定の諸個人を排除した。しかしながら、アレクサンドル・デゼが述べるところでは、「国民戦線は過激な極右のグループや活動家たちと、緊密な関係を維持している。」コゴラン市(Cogolin)の国民戦線の市長は、GI(Génération identitaire)の共同創設者であるジュリアン・ランゲラ(Julien Langella)を広報担当として2014年に起用した。ボーケール(Beaucaire)の国民戦線の市長は、GIのスポークスマンであるダミアン・リュー(Damien Rieu)を、市の広報部長補佐として任命した。二つの例を挙げれば十分だろう。
最近欧米では、移民政策に反対する”右派”と緊縮財政に反対する”左派”が台頭していると聞く。右派の例を挙げると、トランプやフランスの国民戦線。左派の例を挙げると、サンダースやスペインのポデモス。
でも経済的な観点でいえば、移民政策に反対するのも緊縮財政に反対するのも両方”左派”じゃないの?
だって移民政策って結局のところ、より安い労働力を国内に供給するための政策でしょう?
それってつまり、労働市場の価格破壊つまり賃金破壊を起こして、国民と移民の間で職の奪い合いをさせるってことだ。
労働供給が増えて労働者同士の競争が激化すると賃金は下がり、結果的に労働者全体が不利益を被る。逆に経営者は人件費を安く抑えて利益を得る。
つまり移民政策は、企業による労働者の搾取を悪化させるものだ。っていうか完全にネオリベ、つまり右派の政策だよねこれ。経営者にとってはまさにウハウハ(右派右派)
だからメディアがよく言う「移民政策に反対する極右〜」という表現は違和感を覚える。
経済的に見れば、明らかに移民政策が右派でそれに反対する労働者勢力が左派じゃないか。
だからそろそろ「移民政策と緊縮財政の両方に反対する左派政党」というのが現れても良い気がする。二つの潮流を独り占めできて労働者にとっては良いことづくめの勢力だ。
最近欧米では、移民政策に反対する”右派”と緊縮財政に反対する”左派”が台頭していると聞く。右派の例を挙げると、トランプやフランスの国民戦線。左派の例を挙げると、サンダースやスペインのポデモス。
でも経済的な観点でいえば、移民政策に反対するのも緊縮財政に反対するのも両方”左派”じゃないの?
だって移民政策って結局のところ、より安い労働力を国内に供給するための政策でしょう?
それってつまり、労働市場の価格破壊つまり賃金破壊を起こして、国民と移民の間で職の奪い合いをさせるってことだ。
労働供給が増えて労働者同士の競争が激化すると賃金は下がり、結果的に労働者全体が不利益を被る。逆に経営者は人件費を安く抑えて利益を得る。
つまり移民政策は、企業による労働者の搾取を悪化させるものだ。っていうか完全にネオリベ、つまり右派の政策だよねこれ。経営者にとってはまさにウハウハ(右派右派)
だからメディアがよく言う「移民政策に反対する極右〜」という表現は違和感を覚える。
経済的に見れば、明らかに移民政策が右派でそれに反対する労働者勢力が左派じゃないか。
だからそろそろ「移民政策と緊縮財政の両方に反対する左派政党」というのが現れても良い気がする。二つの潮流を独り占めできて労働者にとっては良いことづくめの勢力だ。
http://anond.hatelabo.jp/20150111070135
を書いたものです。
mahomi4 全く的はずれすぎ。
というコメントがありまして、この人の見る当を得た見解ってのはどういうものなんだろうとブックマークをたどったところ、
http://blog.goo.ne.jp/iida-miki/e/0d68f604177d2bdeb387e20a5dc9afb0
という記事にたどり着きました。扱っている事実が同じなのに見解が正反対というのもなかなか面白いのですが、少々以上に気持ち悪いと感じたのも事実です。
その気持ち悪さを説明するのも手間がかかるのですが、やってみますと、
親がどの国出身でどんな宗教を持っていようがフランス国民として
平等に生きていけることになっている。とはいえ本当に違いがないか、
うまくいけば(理念上は)素晴らしいけど、そんなに簡単に
あり、地区ごとに生活環境もかなり違うので、移民の子として生まれ、
(今朝のLe Mondeにはシャルリーの絵に対して今でも怒っている
アンテグラシオンやライシテの実態について、その限界を認識しながらもルソーまでひもといて、全体的にはフランス万歳!とまとめている点です。ベルばらのオスカルでしょうか。
私がすごく気持ち悪いと言うのは、こういうことをフランス人が言うならまだわかるのです。マジョリティの側にはどうしても見えてこないものというものがあります。それは善悪の問題ではなくて立場の問題です。
有働出人みたいな人がそうでしょう。まあ、あの人の活動はそれなりに有意義な部分がありますが、あの人に代表されるような白人マイノリティは、有色人種の国、それも支配階級にはならない日本や韓国に来て、初めてマイノリティ性というものを味わうことになります。そうすると見るものさわるものすべてが刺々しく感じられる。
アメリカにいる時は警察官が黒人を狙い撃ちにしてもあまり気にもしていなかったような人が、職務質問を日本の警察官にされると激怒する。年間何十人と言うレベルで何とかバッシングで死者が出ているオーストラリアから来た人が、じろじろ見られるくらいで韓国はレイシストと騒ぎ立てる。
こういうことは日本では私たちがマジョリティだから言われて初めて気づくという面もあります。言われてもただ反発するだけということもあります。自らがマイノリティとなった時に、マジョリティである時の視線・態度をかえりみるにまでなれればいいのですが、残念ながら、女性に暴力を振るう黒人男性、同性愛者を差別する女性は珍しくありません。
そしてそれを更にマジョリティの側が、見ろ見ろ、連中はこんなに野蛮だぞとはやしたてる。
あるドイツ人と話していた時、我が国は民主的でリベラルで、世界に冠たる我がドイツ、みたいな話になって笑ってしまったのですが、まあそれはその人個人の話なので、ドイツ人って全然変わっていないよねとは言わないでおきましょう。ただその人には人種差別はどこにでもあるけれど、東洋人がしつこくチンチョンチャンとまとわりつかれる国はドイツ以外ではそんなにはない、年間百人以上ヘイトクライムで殺されている国はそんなにはないということは「見えていない」のですね。
リベラルであると言うことが、他者を見下すこと、見ろ見ろ連中はこんなに野蛮だぞってなることが、リベラルがそのためのエクスキュースになることがあるのです。
リンク先の記事の何が気持ち悪いかと言えば、日本人で、パリに住んでいて、未だにシャルリー・エブドに怒っている中学生は新聞の記事でしか見たことがなくて、見えないゲットーに守られていてマジョリティのような顔をしている、それがすごく気持ち悪いのです。
国民戦線のルペンだって、アンテグラシオンは同化政策と言う意味で、ライシテはイスラムを強制的に同化せしめると言う意味で大賛成なのですからね。
歴史をひも解いて言うならば、フランス革命以後、フランスは確かにリベラルな原則を打ち立て、それを徹底してきた歴史があります。公平を期して言うならば、第一次世界大戦後、日本が列強に要求した人種平等の原則に英国とアメリカは反対しましたがフランスは賛成したと言うことも付け加えておきましょう。
しかし同時に、そのリベラルでライシテな共和国下においても、フランスもまた数々の非道をなしてきたことは忘れてはなりません。
フランスでは支配層の横の流動性が高く、文化人、メディア関係者が政界に横滑りすることも珍しくはありません。新聞人であったクレマンソーが第一次大戦期のフランスの首相であったように、エリート層は全体として支配階級を形成しています。ポール・デュシャンは二十世紀半ばのジャーナリストで、第四共和政期にアルジェリア行政官に就任して、監獄を視察しています。その時、アルジェ独立派の囚人たちの身体に、拷問の後があるのを見て首都に報告しています。その拷問の傷跡は、デュシャン自身の身体にもありました。ナチスに捕らわれていた時に拷問された跡です。
パリ解放の日の記録をサルトルが書き残しています。ルクレール将軍に率いられた自由フランス軍の入城をもってしてナチスのパリ占領は終わりを告げて、自由だ!自由だ!というはじけるような喜びを書いています。そうして成立した自由なフランス、ライシテなフランスの下でアルジェリアでは拷問が行われていたのです。
インドシナでのフランスの動きも決してほめられるようなものではありませんでした。フランス当局もいちまいかんで行われた人身売買はナチスから解放された人たちの手によってなされたものですし、フランスはインドシナ独立を抑えるため、アメリカに対して原爆の使用を執拗に求めています。これも、自由なるフランス、言論の自由なフランスの体制下でなされたことです。
私はいちいちフランスの過去の悪行をあげつらって、批判したいのではありません。フランスのリベラルな諸制度も国家制度の補完部分であるにすぎず、国家制度そのものを、相対化して批判するようにはなっていないということを言っているのです。フランスの内部にいるシャルリー・エブドは水の中にいるため水の重さを知りません。自分がネジであるに過ぎないことを理解できていないのです。それは結局、彼の中にマイノリティ性がないからであってマジョリティ側の暴力について無自覚であったからです。能力の問題ではありません。性格の問題です。
批判と言うものは嘲笑や侮辱にならぬよう、あるいはそうなっても構わないのは権力の側に対してのみ、その注意深さが必要です。風刺画というメディアは明らかに全方位になす批判の方法にはむいていません。
フランスで有権者の1/4の支持を得る見込みなのは、反移民・反EU政党の国民戦線。
まあ、フランス以外でもこの流れはある。
などなど。
【5月26日 AFP】22~25日に投票が行われた欧州連合(EU)の欧州議会選挙で、フランスの極右政党・国民戦線(National Front、FN)が仏有権者の4分の1余りからの支持を得て同国の首位政党となる見込みであることが分かり、仏政界には激震が走っている。
仏内務省が発表した開票率80%の暫定結果によると、マリーヌ・ルペン(Marine Le Pen)党首(45)が率いる反移民・反EU政党の国民戦線が26%の得票を確実にした。これによりフランスが欧州議会に保有する74議席中の3分の1を国民戦線が占めることになる。
仏経済低迷の責任はEUにあるとするEU懐疑論と現政界への怒りと失望という2つの潮流に後押しされた国民戦線は、保守中道の連合政党・国民運動連合(UMP)の得票率を20.6%に抑え、首位に躍り出た。この欧州議会選で国民戦線は、フランス全土で行われた選挙としては過去最高の支持率を獲得した。
http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702303295604579583000868087472
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-N65J8A6S972E01.html
ブリュッセルのユダヤ人博物館でレイシズムに基づく銃撃事件が起きて3人死亡したのに
アンネの日記が破られた話よりも話題になってないのはなんで?
これが本当の「右傾化」じゃないの?
あと、日本の「右傾化」は厳しく断罪しつつ、フランスの右傾化にはいつも甘い内田樹はこの話に触れるべき。
__________________
「自国の右傾化はその国の国民が自ら対処しなければならない、というだけの話。」なるほど、他国がどうこう言うべきではないか・・・からの
「例えば中国や韓国からの「日本は右傾化している!」という批判に、真摯に耳を傾けてきたのだろうか?」はギャグなのか?ギャグじゃないんだろうな…
こういう物言いが日本におけるリベラルの信頼性をなくしてるんだよ。http://anond.hatelabo.jp/20140519193139