はてなキーワード: 聞く力とは
最初はビジョンがないだの、新しい資本主義が曖昧だの言われていたが、数字で成果を出したよな。
GDP 株価 賃金 インフレ抑制(世界的に見たら大成功) どれも及第点どころか大成功。円安を抑えられなかったことだけが悔やまれる。逆に円安を解決できていたら憂なしだと言える。
「聞く力」に関しても安倍菅で繰り返された「増税して給付金バラマキ」を非難する世論に合わせて「住民税定額減税」という即効性のある方法をすぐやったフットワークの軽さ。
これに対し令和や共産等消費税減税論の支持者は、仮に消費税が半額になったとして実質便乗値上げが行われることは想像していないのか。ジュースが自販機で120円、牛丼が280円で食べられた時代は二度と来ないし、消費税が赤玉出ないのは明白。消費税減税万能論は短絡的すぎるのを見抜き控除で対応した岸田文雄は現実主義者として極めて有能であると言える。
統一教会問題の早期解決、ウクライナ侵攻や台湾危機に伴う防衛費改革と今までのタブーに真っ向から挑み、インフレに対して即座に公務員の待遇改善を行い上からの賃上げの流れを作った度量の大きさ。
裏金、統一、国葬、円安と逆境に翻弄されてきた中、ゆらりくらりと舵をとり決して逃げなかった人間としての素晴らしさ。
安倍や小泉は所詮「宣伝が得意なタレント」で「成果を出せなかった」。父の方の小泉と安倍はB層だのこんな人たちだの選民思考が見え隠れする独裁者気質があったが、岸田文雄にはそれがない。
岸田は魅せることこそ下手だが、「数字で結果を出した」。
堀口 英利 | Horiguchi Hidetoshi
@Hidetoshi_H_
主語が不明瞭どころか、途中で頻繁に入れ替わっています。また、1つの文章が長くて一回で文意を捉えにくい。
全体として論理構成も雑。事実誤認も繰り返され、法制への知識も根本的に欠落。
https://twitter.com/Hidetoshi_H_/status/1632907596729581572
そんな!「読解力がない」なんて、暇空茜氏に失礼ですよ!!!
暇空茜氏に足りないのは読む力だけじゃなくて、書く力・聞く力・話す力のすべてです。もちろん、論理的思考力や判断力も足りていません!
読む力だけが足りていないかのような言い方は事実誤認ですよ!きちんと訂正してください!!!
https://twitter.com/Hidetoshi_H_/status/1632909047035994112
国連軍?強制動員?何の話でしょうか。台湾有事への理解も不足。暇空氏は基礎知識が欠落しています。
また、東野先生やJSF氏とのやりとりから分かるように、読む力・聞く力・考える力も欠如。
それに、括弧や句読点の使い方も下手。
主語が不明確。読んでいてイライラします。書く力・話す力もない。
https://twitter.com/Hidetoshi_H_/status/1632918057596383234
これはメスの青識亜論である(メスの青識とは、この話の中でも何度も言ってますが、「性別が女性で、議論バカ」という以上の意味は一切ありません)(たとえば、青識本人には、アトピーや、アベマテレビに出た人、なりすましをする人ですが、そういった青識固有の事情までの意図はありません。僕は、もし、第二の青識(なりすましまでするバカ)が出たならば、それは、その人の固有名にクズをつけて呼ぶでしょう)
話がそれましたね、僕はこの東野とかいう人のことは一切知らなかったんですが、「画像引用で議論の必要性を呼びかける」という気持ち悪さに対してメスの青識だなと言いました。
そうすると、まずこのJSFという人が、「青識亜論にたとえるなんて名誉毀損だ!」とタックルしてきましたが、基本的にレスバになると短文でしかレスできない低知能で、飽きたとかいって去りました。
で、前述の通り、僕は青識仕草についてメスの青識といっただけだったのですが、記事を読めば誤解とわかるとか言ってくる人たちがいたので、読んでみました。
(略)
中国による日本侵攻を想定した場合、中国の国力や軍事力、他国との関係性などをふまえ、どうやって、その侵攻を開戦前に抑止できるかや、実際に起こった場合、どう対応すべきかをまずは議論すべきでしょう。
いかに、制海権、制空権を保ち、上陸を阻止し、国連などの援軍をまつ、またはそこから派生したWW3を戦い抜くか、でしょう。
https://note.com/hima_kuuhaku/n/n12d0137523c6
国連常任理事国の中国が日本を攻めるなどという事態が起きた時に「国連などの援軍を待つ」でええの?
ぼくが裁判官だったら、汚言症みたいな記事への評価として妥当だし、実際ゆってることがおかしいから論評の範囲でしょと棄却するけど
インボイス制度廃止を求める署名の受け取りについてX(旧Twitter)で議論になっているが、受け取らなかった事実を批判している人と、ネットで集めた署名を直接受け取ってもらおうとしていたことを批判している人とで、考えの根底が違うんだろうなと見ていて思う。
ネット署名を直接受け取ってもらおうとしたことを批判している人は、法律で書かれているというルールと、テロ対策という観点から、郵送するなり、法的効力のある方法を取るなりといったことをするべきだと言っている。私もこちら側の意見だ。過去何度も受け取り拒否され、その度に先方が求めるものを用意したのに拒否されたと言っているが、だからと言って向こうが「郵送しろ」といったものを無視して直接手渡しでの受け取りを強要していいことにはならない。受け取ってもらおうと持っていくことは別に良いとは思うが、ルールに則ってない以上、その結果が自分の思い通りにいかなかったことを批判するべきではないと私は思う。だって直接受け取ることは、義務ではないのだから。
けれど受け取らなかった事実を批判している人は、義務ではなくても受け取るべきだったと言う。たとえルールに則ってなくても、総理が「聞く力」を大事にしているというのなら受け取るべきだと。受け取らないなんていうことがありえない、と。「聞く力」なんて都合の良いことだけで、自分のことや自分が進めた施策を否定する人間の意見を聞く気なんて最初からないのだと。
その気持ちは理解はできる。本当に市民の声を聞く気があるのなら、どんな意見でも聞いて、知って、それに応えていくべきだとは思う。
でも、署名にしろ、嘆願書にしろ、意見書にしろ、直接受け取るべきかという点で考えると、本当にそうするべき?と疑問に思ってしまうのだ。
だって、たとえ一通でも直接受け取ってしまえば、じゃあ俺も、私も、と次々と手渡しをしてくる人間が増えるかもしれない。というか、絶対増える。受け取りたいという気持ちがあったとしても、それ全部を受け取るなんてことは、総理じゃない一国会議員でもスケジュール的に難しい時もあると思う。そうしたら、自分のは受け取ってもらえなかったと、また批判する人が絶対現れるのだ。
先に書いたように、テロへの脅威もあるはずだ。渡す紙に毒が塗られているとか、近づいた時に刃物、銃、何なら爆発物で、何かしらの攻撃を受ける可能性を考えたら、直接の受け渡しは拒否されてもおかしくない。絶対ないなんて確証はないのだから。たとえ、ただ自分達の想いを伝えたくて、多くの人の署名を集めて持ってきた善良な市民だとしても、そんなことは他人からすれば分からない。ならば、最初から手渡しは拒否するのが最も適した選択だと思う。
と、色々書いてきたけれど、インボイス制度については私も反対の立場だ。知識が疎くて、インボイスの詳細について知った(といってもしっかり理解できているのかは分からないが)のは、ネット署名を50万を目標に集めているという段階だったけれど、その署名にも参加した。
結果今は52万筆、更に増えたのならもっと、それだけの数が集まっているらしい。だが、それだけの数の市民の意見を無視した!と受け渡し拒否を批判した人の意見を見たが、申し訳ないけれど、正直、全然数少ないのではないか、と私は思っている…
いくらネット署名に数の規定はないとはいえ、有権者は1億人いる。その中の50万筆。法的効力のある署名でなくて、メールアドレスが複数あればその分だけ署名を送れるネット署名だ。
そんな人ばかりではないはずだが、極端な話、一人2回以上署名したとすれば、多くて26万人。先方が要求した30万よりも少なくなってしまう。52万、違う人が一人一人署名したと証明できない以上、そういう面でも嘆願は通らない可能性がある。
だからもっと数を集めて、メディアを利用して呼びかけるとか、力になってくれそうな議員を通すとか、その他有識者にアドバイスを求めるとか、そういう活動は今後も続けてほしいと思う。
団体の責任者の人には、私を含めインボイス制度反対の市民の意見を、責任を持って、国会に、そして総理にしっかり届けてもらいたい。
《メリー氏にもかわいがられた》を良いエピソードとして語ったり、《時にスキを見せる人間らしさや謙虚な一面の方が武器になる》と褒め倒したりする。
スポーツ紙の"ジャニーズ観"は今も変わらず、"忖度報道"はいまだに続いている。今までジャニーズ事務所に不利な情報をほぼ報じなかったスポーツ紙も、最近は踏み込んで書いているように見えるが、その実態は……。
9月7日の記者会見では故・ジャニー喜多川氏による性加害だけでなく、社長就任が発表された東山紀之(56)のハラスメント疑惑についても質問が飛んだ。当初は「直接指摘を受けたことはありません。ただ誤解を招くようなことはあったかもしれません」と話していた。
しかし、過去の暴露本の記述をもとに「(合宿所で)パンツがない方に『自分のパンツを履け』と言ったり、電気アンマをしたり…。ジュニアを前に、ご自身の陰部を晒し『俺のソーセージを食え』(と言ったのか)」と具体的に踏み込まれると、「覚えていることと覚えていないことがある。している可能性もあるし、してない可能性もあるし。若気の至り、自分の幼稚さもあったとは思う」と表現を変えた。
さらには「森光子さんに性接待をしたのか」「莫大な遺産を引き継いだのか」という噂まで聞かれた。こちらについては「全くありません」と完全に否定した。
翌日の紙面ではデイリースポーツ以外は東山のハラスメント疑惑について載せていた。この点については忖度がないように見えるが、「僕のソーセージ」「森光子さんへの性接待、遺産」という具体的な言葉はスポーツニッポンにしか掲載されなかった。
森光子さんに関する質問は会見の趣旨から外れており、書いてなくても特に不思議はありません。ただ、昨年辺りからジャニーズに厳しいスポニチは書いて、他の5紙がスルーしている点は気になります。そして、東山さんの社長就任についての評価を読むと、未だにスポーツ紙には"無意識の忖度"が働いているように感じます
記者のコラムを比較すると、各紙の忖度度合いが明らかになる。まず、スポニチを読んでみよう。
《自社タレントの中でもジャニー、メリー、ジュリーの"同族経営"3氏と最も近い東山を新社長に起用。事務所の今後の運営を第一に考えた人選とも見え、再発防止特別チームが提言した「解体的出直し」からは程遠い船出と取られかねない》
「僕のソーセージ」「森光子への性接待、遺産」を載せたスポニチは厳しい。SMAP解散騒動の頃とは比べ物にならないほど、忖度しない姿勢を見せている。
次に東京中日スポーツを読んでみよう。
《生みの親で育ての親でもある恩人と完全決別し、きっぱり現役を引退して諸問題と向き合う意志の強さはしっかり感じることができた。ただ所属タレントの長男坊ではあるが、若い世代のタレントとはほとんど接点がなく、今後いかにしてリーダーシップを発揮するかに注目したい》(コラム『記者の目』)
良い点も挙げながら、《若い世代のタレントとはほとんど接点がなく》と不安点も指摘している。本来、記事にはこのようなバランスが求められる。しかし、他のスポーツ紙は東山社長就任に対し、前向きな言葉が並んだ。
デイリースポーツはこう書いた。
《信頼回復のため陣頭指揮を執っていく立場として、明確に「脱ジャニー」を掲げていくしかない。そんな強い信念が見て取れた》(コラム『担当記者が見た世紀の会見』)
■東山の“良い人エピソード”を並べた報知、日刊スポーツ、サンスポ
スポーツ報知、日刊スポーツ、サンケイスポーツには"良い人エピソード"が並んでいる。報知から見よう。
《東山は自他共に認めるストイック。1日腹筋1000回、月に100キロ走ることを35年以上続けている》《裏方への気遣いも欠かさない。ドラマの現場では自ら進んで食事に付き合い、深夜まで現場の声に耳を傾けることも。体形キープのため酒席から走って帰る生真面目さも》(コラム『こんな人』)
報知は
《今後は、傾聴力とストイックさで抜本的な変革が求められる》と結んでいる。ジャニーズ寄りに違いはないが、《抜本的な変革が求められる》と書くだけ"称賛感"は幾分薄くなる。一方、日刊スポーツの編集委員は東山の人柄を"絶賛"している。
《かつて「サンデーLIVE‼」で、悪質な詐欺事件を取り上げた際、「こういう人にはバチが当たります」と真顔で言うのを見て、思わず笑ってしまったことがある》《この人に染み付いたかなり古風だが、確かな倫理観が思わず口をついたようだ。事務所を立て直す上で、何より大切な資質に違いない》
《会見で指摘されたように10~20代の頃には、当時は当たり前だった「体育会」的な行動があったのかもしれないが、今は後輩やJr.を相手にした「聞く力」を十分に蓄えているはずだ》《これからは時にスキを見せる人間らしさや謙虚な一面の方が武器になるのだと思う》(以上、コラム『こんな人』)
《当時は当たり前だった「体育会」的な行動》が何を指しているか不明だが、もし仮に暴露本の記述だとすれば、当時でも間違いなく非難される行動であり、決して"当たり前"ではない。
サンケイスポーツは、本人との具体的なエピソードを綴っている。
《メリー氏にもかわいがられた。“女帝”といわれた同氏からの食事の誘いを周囲が断りがちな中、東山は常に応じる社交性を持ち合わせ、“人間力”を磨き、森光子さんを筆頭に萬屋錦之介さんら先輩のスターからも寵愛された》《取材の際、自身への差し入れだったおはぎを食べながら「おいしいですよ、どうぞ」と報道陣に勧めたり、飲食店でばったり合った顔なじみの記者にボトル1本おごるなど隅々まで気遣う細やかさも一流だった》(コラム『新社長 東山紀之という男』)
図らずも、東山がジャニーズ事務所で伸し上がってきた理由がわかるような"逸話"の披露となった。
「権力のある人間に寄っていくのは自然なことですし、東山さんがメリー氏との食事にも積極的に応じていたことで、他のタレントが助かった面もあるでしょう。これ自体が悪いわけではない。ただ、サンスポの記者はボトル1本おごってもらっていたわけで、懐柔されていたと思われても仕方ないですね。このような過去があるから、スポーツ紙の忖度は簡単にはなくなりません。今回のコラムを書いた記者はジャニーズ担当ばかり。これからは、今までジャニーズと関わりのなかった人を担当にしないとダメでしょうね。テレビ局にも全く同じことが言えます」(前出の週刊誌記者)
会見で、元V6の井ノ原快彦(47)は「忖度って日本に蔓延っているから。これをなくすのは本当に大変だと思います。だから皆さんの問題でもある」と話していた。
引用元の筆者(以後あなた)はカール・ヒルティが敬虔なキリスト教徒であることを都合よく忘れてしまっている気がします。
あなたの言う通り、カール・ヒルティの『幸福論』1巻の大半はストア主義哲学をベースにした仕事術のような内容です。
それはおそらく、イエスが人々の聞く力に応じて、何事もたとえを用いずには語られなかったから、
それにならったのでしょう。
また、ストア派の考えとキリスト教の思想は一部分似通っていて、
私もあなたのように1冊目を読んだあと、キリスト教とヒルティの思想をより詳しく知りたくなり2巻3巻と読みました。
彼の著作である『眠られぬ夜のために』や、聖書も含めて日ごとに読んでいます。
だからこそ、あなたの言われたことには、まったくの勘違いがあると言いたいのです。
「死んだら何らかの形で次の人生が続くと考えた方がいいだろう。もし死んで何もなかったとしても、次の人生がある前提で生きる方が楽しく生きられるから、それでもいいのだ」こんな内容のことを言っていた
この点についてです。
『幸福論』にこのような思想は一切ありません。まったく反対の考えになってしまっています。
「現世のためでなく、来世の為にこそ、私は現世で善い人間として生きることを努めよう」
なぜそうなるのか、彼の思想がどう書いてあるのか。
幸福論1-3巻、眠られぬ夜のために、聖書などからの抜粋しつつ記します。
死後に私(達) もまた霊的な復活をし、
そして、神の国に入って高い者とされるのは、神に愛されるものである。
生前に清かった者、義に篤かった者、憐み深かった者…そのような人達である。
だから私も、私の愛する神の御前で恥ずかしくない自分になっていたい。
私は現世での朽ちる宝ではなく、永続する神の国での栄光をこそ求める。
だから、私は現世においてのあらゆる快楽や地位や名誉を軽んじ。
この空しい現世において、そのような決意と実行は難しい…。
神の国を想いかつ行動することで、様々な形で、しかし確かな喜びを感じる。
そうした経験を重ねることが信仰を深くし、やがて神のそば近くにいるという実感に至る。
あなたも言われている通り、ヒルティの思想はキリスト教の教えに根差しています。
それなのだから「来世があるから好き勝手に生きよう」となってはいけないのです。
むしろ「現世のためでなく、来世の為にこそ、私は現世で善い人間として生きることを努めよう」となるのです。*
つまり、現世での富はお金ですが、来世の富は神の御心に適う信仰とそれに伴った行いであると説かれているのです。
ヒルティは現世での善く生きることが、来世への貯蓄のようなものだと言っているのだと思います。
ヒルティの言う来世は、確かにキリスト教世界観の来世でありますから、
たとえ現世において、貧乏や不遇な状況にあった人でも、誠実で親切(愛)と公正を尊び、
神の戒めを守って生きた人は救われる──。そういうものであって、
神を信じず、好き勝手適当に生きた人が救われる来世ではありません。*
あなたはヒルティの思想をキリスト教的なものであると知りながら、
理解できないキリスト教部分を誤読して自身に都合よく受け取ってしまったのでしょう。
もちろん、キリスト教徒になれ!ヒルティをもう一度信じろ!と言いたいのではありません。
ただ、彼の思想を誤解したままでは、読まれたあなたの経験が無駄になってしまいます。
それはあまりに勿体ないような気がするのです。
「これまでを反省して前に進もうとするあなたの心は正しい方向を向いている。
その行いが公義や公正に反しないのであれば、それは地上で人に認められたことだからだ。
しかし注意しておかねばならない。
金を得れば、妻を得れば、なにか夢中になれる娯楽を得れば…と。
そうした偶像に救いがあると期待するのは止めておきなさい。
それを得られない事も、あるいは得て、しかし満足と幸福が得られないことは良くあることだ。
いまからでも遅いということはない。
ただあなたの善い生き方をしようと努め、自発的に行う意思のある仕事を見つけて励みなさい。
そして神を信じられないまでも、神はいないと自分に言わず、神を憎まず、
ケーキの切れない非行少年って優れた表現だし、深いドキュメンタリーだよね。
https://diamond.jp/articles/-/224307?page=2
要約本文
◇「厄介な子」が行き着く先は少年院
著者はこれまで多くの非行少年たちと面接してきた。そこで気づいたのは、凶悪犯罪を行った少年にその理由を尋ねても、難しすぎて彼らには答えられないことが多いということだ。更生のためには自分の行いと向き合い、被害者のことを考えて内省し、自己を洞察することが必要となる。ところが、そもそもその力がない。つまり「反省以前の問題」を抱えた子どもが大勢いるのだ。
彼らは簡単な足し算や引き算ができず、漢字も読めないだけでなく、見る力や聞く力、そして見えないものを想像する力がとても弱い。そのため話を聞き間違えたり、周りの状況が読めなくて人間関係で失敗したり、イジメに遭ったりしやすい。それが非行の原因になっているのだ。
こうした子どもは、小学校2年生くらいから勉強についていけなくなる。やがて学校に行かなくなり、暴力や万引きなど問題行動を起こすようになる。軽度知的障害や「境界知能(明らかな知的障害ではないが状況によっては支援が必要)」があったとしても、気づかれることはほとんどない。学校では「厄介な子」として扱われるだけだ。
非行は突然降ってくるわけではない。必要な支援がうまく届かず、手に負えなくなった子どもたちが、最終的に行き着くところが少年院なのだ。
児童精神科医として公立精神科病院に勤務した後、著者は、医療少年院に赴任した。そこで驚いたことがいくつもある。その一つが、凶悪犯罪に手を染めていた非行少年たちが「ケーキを切れない」ことだった。著者は、紙に描いた丸い円をケーキに見立て、「3人で食べるために平等に切ってください」と促した。すると、ある粗暴な言動が目立つ少年は、悩んで固まってしまった。少年といっても中高生だ。その年頃で「ケーキを切れない」ようでは、非行の反省や被害者の気持ちを考えさせる従来の矯正教育を行っても、効果は見込めない。こうした少年たちは非常に生きにくいはずだ。だが、学校がそこに気づくことはなく、非行化して少年院に来ても理解されず、ひたすら反省を強いられてきた。これこそが問題なのだ。
著者が幼稚園や小中学校で学校コンサルテーションや教育・発達相談を行う中で、よく挙がってくる問題がある。例えば、感情コントロールが苦手ですぐにカッとなる子ども。嘘をつく子ども。そして、じっと座っていられない子どもの存在だ。彼らの特徴は、実は少年院にいる非行少年の小学校時代のそれとほぼ同じである。
幼女への強制猥褻罪で逮捕された16歳の少年は、次のように語った。「勉強についていけずにイライラして悪いことをした。特別な支援を受けられていたら、ストレスが溜まらなかったと思う」。もし小学校で特別支援教育につながっていたら、彼が少年院に来ることもなく、被害者を生まずに済んだかもしれない。
一般的に、IQが70未満で、社会的にも障害があれば知的障害と診断される。この基準は1970年代以降のものだ。1950年代の一時期は、IQ85未満が知的障害とされていたことがある。だが、この定義では全体の約16%の人が知的障害となり、あまりに人数が多過ぎる。支援現場の実態にそぐわないなどという理由で、基準がIQ70未満に下げられた経緯がある。
時代によって知的障害の定義が変わっても、事実が変わるわけではない。現在、IQ70~84は「境界知能」にあたるが、ここに相当する子どもたちは、知的障害者と同じしんどさを感じており、支援を必要としているかもしれない。こうした子どもたちの割合は約14%と算定される。つまり、標準的な1クラス35名のうち、下から数えて5人程度は、かつての定義であれば知的障害に相当していた可能性があるのだ。
2022-07-27
■向上心も応用力もない人
中途採用した50代の人だが、採用して2年経つのに積極性が皆無だし報連相しないし小さいミス多いし、それを指摘すれば不貞腐れたような態度取るし、
とんでもないゴミ拾っちゃったなぁと思ってた。
だがちょっと待ってほしい。
ゴミと判断して風景の一部になってもらうことは難しくはないが、まだ可能性はあるんじゃないだろうか。
ここで正しい方向へ導ければ本人の為にも私の為にもなる。
もう少し頑張ってみよう、と。そう思った。
あっちの数字とこっちの数字とそっちの数字をそれぞれ確認して、合計金額と内訳をメモ書きにして担当者に渡す仕事だ。
ただ、この組み合わせで足し算してって普段は言わない数字なだけだ。
その業務の背景を説明し、「そういう理由でこれらの数字を拾ってほしい。できますか?」と聞いてみると、
即答で「わかんないです。」
考えもせずに返ってくる返事にひきつる私の笑顔😅
一瞬迷った。
「なんでわからないの?どういうシミュレーションしてどこで躓いたか教えてくれるかな?😄😄😄」ってネチネチその場で問いただしてあげようかと。
でもめんどくさかったんで、私がPCいじってソフト立ち上げてあとは相手に操作させて
「ほら、まずはあっちの数字はいつも出してるでしょ?これであっちの数字出せるよね?
次にこっちの数字もいつも出してるよね?これでこっちの数字出せるよね?
あとはそっちの数字もこうやっていつも出してるから、大丈夫だよね?」
ケーキの切れない非行少年の家庭環境が良かった場合、こういう大人になるのかなぁと少し思いました。
ちょうどその漫画読んでたので。
岸田首相が総裁選に出馬を表明した際に「岸田ノート」を取り出して熱心にアピールしていた。
あれが私の中で彼を「支持しない」決め手になった。
何年も国民の声に耳を傾けてきた結果があの大して汚れても擦り切れてもいない、たった一冊のノートなのか。
もちろん実際にはいつも持ち歩いているノートを取り出しただけで、書き留めていっぱいになったノートは何冊もあるのだろう。
しかしそれを根拠に「聞く力」をアピールするのであれば、いくらわざとらしかろうとそれらをカメラの前で山積みにして訴えるくらいの演出が必要なのではないか。
ところが手持ちの、しかも綺麗なノートだけで済ませる。ここに彼の上辺だけの政治感覚が見て取れる。
私はノートやメモを取るタイプの人間には学生時代や社会人になってからもよく出会ったが、本当に熱心にノートに書き込む人のそれはもう見るも無残なほどボロボロだ。新しいものに取り替えたかと思えば数日経たないうちにまた薄汚れて擦り切れている。
もちろんそれだけでその人の努力や実力が推し量れるわけではない。
だが一市民の実感として、やはり苦労してきた、努力してきた人間のノートはすべからくボロボロという認識がある。
彼が掲げるノートにはそれがない。新品を使い、見栄えだけ重視したというのなら逆効果だ。
この薄っぺらいノートアピールは今も街頭演説で続けている定番パフォーマンスらしい。
あのノートを振りかざせば振りかざすほど私のような人間は冷めていく。
聞く力をアピールする一方、他人の「見る力」、視線には無頓着のようだ。
国民感覚・目線の欠如の現れと言ってもいい。国民の声から今まで何を学んできたのか甚だ疑問である。
自民党の政治家は自分たちを支持する声こそが国民の声であると考えている節がある。
先日「国民の認識とかなりずれているのではないか」などというコメントを出した茂木幹事長もまさにこのタイプであるが、
岸田首相も例に漏れずといったところだ。おそらく彼が耳を傾けても素通りする国民の声がたくさんある。
表層だけ取り繕う優等生タイプの人間はよくこういうことをする。
「大人はこういうのが好きなんでしょ」とばかりに他人が好みそうな綺麗事や正論を並べて評価を乞う子供そのものだ。
だが実際にはそういった打算は見透かされる。岸田首相も同じだ。
あの総裁選の表明演説で、ノートと同じくらい薄っぺらいこのパフォーマンスが、彼の本質だと強く感じたのだった。
安部元首相の国葬決定についても同じである。国葬を行うこと自体の是非はここでは議論しない。
しかし四十九日どころか十日も経たないうちに…つまり多くの人間が故人の死を悼み、それと異なる言説は表明しづらい状況で…
おそらく岸田首相が中心となって足早に決定してしまったことには強く抗議したい。
結局この不意打ち的な決定はやはり彼の「上辺だけの政治感覚」で「こういうのが好きなんでしょ」そのものなのだ。
こういった他人の感情や世の情勢を利用した打算的で卑怯な政治プロセス、立ち回りが、国葬のみならず今後様々な政治的場面で発揮されていくかと思うと本当に憤りを感じる。