はてなキーワード: 飯間浩明とは
実は最初に「的を得る」を「誤用」と定義した辞書は、日本有数の権威ある辞書の一つである「三省堂国語辞典」だそうです。それまで辞書に採録されていなかった「的を得る」を掲載するにあたり、「的を射るの誤用」と記載したのだとか。
しかしながら、近年になってこれが謝罪の上撤回されました。以下は「三省堂国語辞典」編集委員の飯間浩明氏のツイート。
”
『三省堂国語辞典』第7版では、従来「誤用」とされていることばを再検証した。「◆的を得る」は「的を射る」の誤り、と従来書いていたけれど、撤回し、おわび申し上げます。「当を得る・要領を得る・時宜を得る」と同様、「得る」は「うまく捉える」の意だと結論しました。詳細は「得る」の項を。
https://twitter.com/IIMA_Hiroaki/status/412139873101807616
”
とのこと
俺の勝ち
「『押しも押されぬ』という言い方は誤用、『押しも押されもせぬ』を言い誤ったものだ」と言われます。でも、江戸時代の文章を調べると、「及びも及ばれぬ」「立ちも立たれず」など、まったく同じ語法があります。「押しも押されぬ」もその系統に連なると考えれば、誤用とは言えないことになります。 pic.twitter.com/1EdovLN5Kd— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) December 8, 2018
「逆張り」が話題だけど、田野さんがネット民に批判されているのも当然。逆張りというのは、この社会で生きづらさを感じている人の心の叫びであったりする。そうした要素を全て削ぎ落として、ナチス研究の文脈だけで、「逆張りは自己顕示欲の塊の厨二病患者」みたいに切り捨てれば、当然感情的に反発する人は出てくる。
逆張りは、文脈によっては左派・リベラルが権力に抵抗・批判する際に用いる方法だったりする。すくなくともかつてはそうだったし、安倍政権期の改善(自殺者の減少など)を一つも認めようとしない左派もそうだ。「逆張り」の全否定は、「みんなが正しいということに黙って従おう」という、政治的無関心をもたらしかねない。
タイトルで全てなのだけれども最低でも週に一度、多い時は連日これを枕や題材にする創作物などが多くて辟易する。
「月が綺麗ですね・死んでもいいわ」検証
https://niguruta.web.fc2.com/kensyo_kirei.html
https://twitter.com/IIMA_Hiroaki/status/666799218237923328
まさに都市伝説なのだが、どうしてこんなデマが広まっているのか。個人的にはEM菌や水素水に近いものだと思っている。
「あの有名文豪の夏目漱石はこんな素敵な訳をしたんだぜ」と教養があるように見せかけたいのかもしれないが、滑稽なことこの上ない。
「"取り急ぎお礼まで"は失礼」とかいう急に出てきた謎マナーに対して国語辞書編纂者、飯間浩明氏の見解
https://togetter.com/li/1705695
こういうので夏目漱石とか古い例を持ってくるのは、ただ知識を振りかざしたいだけで間違いだからな。
そこで「夏目漱石もそうなんだ。ふ~ん、じゃあそれが正しいんだね」となるやつも鵜呑みにしてるだけか、自分に都合の良い例を肯定してるだけ。
明治と令和でどれだけ離れてると思ってるんだよ。
今どき「御座候」とか使わないだろ?
肯定するなら「御座候」も使えよ。口語じゃなく漢文使えよ。それが正しいんだろ?ってことになるよ。
なんなら平安まで戻って「ありおりはべりいまそかり」とか使うのかよ。
ジェリドのせいでやたらと槍玉に挙げられる「汚名挽回」だが本当に間違いなのだろうか?
汚名挽回は間違いだ派はよく「汚名を取り戻してどうすんだよw」と述べるが本当にそうだろうか?
劣勢挽回というコンビネーションがあるが、何故かそちらはスルーされている。
ちなみに以前にTwitterで三省堂国語辞典の中の人は汚名挽回は間違いではないと指摘している
そこで、ジェリドデマが広がる前に書かれていた文章で「ネガティブな言葉+挽回」がどれだけあるか青空文庫で検索してみた。
検索ワードは「挽回」のみで、挽回とコンビネーションされる単語を調べる事にした。
T署の刑事を予算超過に増員しても追付かぬ 殷盛 ( はんじょう ) に、不景気挽回
https://www.aozora.gr.jp/cards/001782/files/56514_65211.html
おまえはわしに代ってこの道場を支え、一時の汚名を、将来の精進で挽回してくれい……と、こういうのだ
https://www.aozora.gr.jp/cards/001562/files/52399_49787.html
https://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/49633_37944.html
衰勢を 挽回 ( ばんかい ) せしめたるものは実に役者絵中興の祖と称せらるる
https://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/49634_41512.html
頽 ( くづれ ) を挽回する
清水紫琴 誰が罪
https://www.aozora.gr.jp/cards/001146/files/43517_16588.html
https://www.aozora.gr.jp/cards/001402/files/49940_57497.html
https://www.aozora.gr.jp/cards/001562/files/52413_51064.html
不利を挽回しようとするだけではどうも弱い
https://www.aozora.gr.jp/cards/000055/files/56499_51225.html
となり、全て列挙しているわけではないが山程出てくる。
ちなみに多すぎて省略しているが、青空文庫で「挽回」とのコンビネーションで圧倒的多数派なのが「頽勢挽回」だ。
頽勢(たいせい。衰えてゆく形勢)なので、間違い派に言わせると「衰えてゆく形勢に戻してどうすんだよw」となるが、これが間違いだとすると間違った用法が一番多い用法となってしまう。
「汚名挽回じゃなくて名誉挽回だろwww」と汚名挽回間違い派の金科玉条のように例として挙げられる「名誉挽回」だが、意外にもむしろ少数派で、確証はないが3件ほどしか見つからなかった。(太宰治 善蔵を思う、A Secret Service フレッド・M・ホワイト Fred M. White 奥増夫訳、正岡容 小説 圓朝)
そもそもこんなものを列挙しなくても「遅れを挽回する」「劣勢挽回」などネガティブ+挽回の用例は身近にいくらでもある。
にも関わらず「汚名挽回」”だけ”がネタにされ続けるのはなぜなのか。
この結果を見てもまだ汚名挽回の汚名は『挽回』されないのだろうか
また、こちらも参照されたし
この「敷居が高い」は、あえて『三省堂国語辞典』第7版の(3)の意味で使ってみました。用法の拡張をたどっていくと、わりと自然な変化という気がします。@tolle_et_lege:「敷居が高い」ってそういうふうに使う言葉でしたか…… pic.twitter.com/NE3Mwqssjc— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) November 21, 2014
はてぶみてたら、マスコミ関係者が「違和感を感じる」という表現を使ってるのに対してして、「マスコミのくせに、そんな日本語使うのか」って鬼の首とったようにコメントつけてる人が複数いたんだけど、これってそんなに間違った表現なの?
たしかに「感」の文字はダブってるけど、これって「応援歌を歌う」みたいなことじゃないの?
たとえば「コンプレックスを感じる」って表現は、そこまで糾弾されることはないと思うけど、大抵の人は「コンプレックス」を「劣等感」の意味で使ってる。
これ、日本語で「劣等感を感じる」と書いたら、とたんに「間違い」なのだろうか?
(正確にいうと、元々は「コンプレックス」単体では「劣等感」の意味はなくて、「インフェリオリテイ・コンプレックス」が正しいのだと思う。その意味では「コンプレックスを=劣等感」というのも誤用なのかもしれないが、とりあえずそのことは措いておく)
これが「感動を感じる」だったら、さすがに自分もおかしいと思う。
これは「感動を覚える」と書いた方いい。
で、なぜかと考えると、「感動」はそのまま「感動する」と動詞で使えるからではないだろうか。
「感動を感じる」じゃなくて「感動する」でいいじゃん、と思うのだ。
この「動詞のダブリ感」は「感動を覚える」と表現することで、消える。
で、「違和感」なのだが、「違和感する」と動詞として使ってるのは見たことがない。
だから「違和感を感じる」は、そんなにおかしくないんじゃないの?と思うのだ。
「劣等感を感じる」も同様。
「応援歌を歌う」も「歌」がダブってるけど、「応援歌する」とは言わないから「歌う」という動詞を続ける。
「歌」は歌うものに決まってるけど、それでも「歌う」と重ねる。
英語なら「sing a song」の「sing」が動詞で「song」が名詞、という区別があるところなんだろうが。
そもそも「違和感を感じる」って、書き手が何を言いたいのか充分伝わるのだから、そこまで糾弾することなのか?
「正しい日本語」ってなに?
なんというか、「違和感を感じる、は間違い」と糾弾する人を見ると、悪名高き「マナー講師」を見たときのような嫌悪感を感じるのだけれど、自分の感覚がおかしいのだろうか。
「天皇陛下に「お疲れ様」を使って炎上した山田優」に対して杉村喜光さんや飯間浩明さんが「誤用ではない」と解説 - Togetter
上記まとめにもある通り、杉村喜光という人は、以下のような発言をしている。
山田優さんの「天皇皇后両陛下 お疲れ様でした」発言が炎上中らしい。
この「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」は平成になってからマナー本などに登場した新ルールだよね。本来は上下関係なし。
それ以前に記事の「違和感を感じる」が…。 pic.twitter.com/axgcAGrS2c— 杉村喜光:知泉(三省堂辞典発売中 (@tisensugimura) 2019年5月5日
しかし、これまで「『ご苦労様』を目上の人に使うのはNG」というマナーは、(そのよしあしはともあれ)聞いたことがあるものの、「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」という言説は、少なくともマナー(マナー講師)関連において見聞きしたことがなかった。
※ただし、マナー講師ではなく芸能人(タモリ氏)や言語学者(園田博文氏)は、「お疲れ様」という言葉について以下のように述べているようである。
タモリが「お疲れ様です」は目上の者に使ってはいけないと指摘 波紋呼ぶ - ライブドアニュース
「子役が誰彼かまわず『お疲れ様です』といって回るのはおかしい」(タモリ氏)
「『ご苦労様です』『お疲れ様です』というのは、本来、人をねぎらう言葉。目上の人が使うのが伝統的で、目下の人が目上の人に使うのは失礼にあたります」(園田氏)
ならば、本当にマナー本は、「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」と主張しているのだろうか?
このことを検証するため、八重洲ブックセンター八重洲本店2Fの「ビジネスマナー」コーナーにあったマナー本を片端から当たってみた
……かったのだが、1段・56冊あり、全部を立ち読みするのは時間的にも労力的にも足りず、かつ、売り物の書籍を使って調べ物をするのが申し訳なかったので、20冊だけ抽出した。
(八重洲ブックセンターを選んだのは、会社から近く、また今日の仕事の関係で立ち寄りやすかったというだけであり、他意はない。図書館を選ばなかった理由は3つある。近隣の図書館が思いつかなかったこと、冊数としては八重洲ブックセンターの方が豊富だと判断したこと、古い、昭和の本も交じっていそうで、そうすると有効な冊数はさらに少なくなると考えたことからだ。八重洲ブックセンターさんには申し訳なかったが、普段も毎月1万円程度は購入しており、今日も本を買ったので、許してもらえたらうれしい)
なお、書籍はスミからスミまで見たわけではなく、「あいさつ」「言葉づかい」といった項目のところだけざっと流し読みしているので、漏れがあるとは思う。この件についてはご容赦願いたい。
さて、その20冊の中で、「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」と書いてある書籍は何冊あったか?
答えは0冊だ。
調べた限りでは見つからなかった。
ただし、「ご苦労様を目上の人に使うのはNG。お疲れ様を使いましょう」と推奨する書籍は、5冊発見した。もっと多いと予想していたので、案外少なかったが、精査していないため見落としもあるのだろう。
(個人的には、杉村と同じく、ご苦労様だろうがお疲れ様だろうが、目上の人に使っても、まあいいんじゃないのかな、とは思っている)
念のため、その書籍名を記しておく。
○新人の「?」を解決する ビジネスマナー100 または 社会人としての常識とマナーQ&A(メモのミスで、どちらか分からなくなってしまった。申し訳ない)
以上のことから、
○「『ご苦労様』を目上の人に使うのはNG」とするマナーは、確かに複数の著者が主張している
○「『お疲れ様』を目上の人に使うのはNG」というマナーを主張する著者(マナー講師)は、少なくとも「『ご苦労様』NG」以下だろう
ということが確認および推測できた。
杉村は、どのような根拠をもって「この「お疲れ様は目上の人に使ってはイケナイ」は平成になってからマナー本などに登場した新ルールだよね。」などと断じているのか、また、そのようなマナー本がどこにあるのかを示してほしい。
加えるならば、「新ルール」とまで言うからには、1人のマナー講師・1冊の著書の主張では足りない。最低でも3冊は「お疲れ様はNG」と述べているマナー本を、杉村に限らないので提示してほしいところだが、どうだろうか。
※言っちゃあ悪いが、マナー本なんて、よくも悪くも似たり寄ったりだ。二重敬語のNG例など、同じ表現を何度見たことか…。だが、それは当たり前で、マナー本ごとに言っていることが違ったら、プロトコルとしてのマナーが機能しないからである。逆説的に言うと、本当に「お疲れ様はNG」というマナーが新たにできたというならば、上記の通りタモリ氏・園田氏の事例もあるし、20冊も拾い読みすれば、2~3冊は目に引っかかっておかしくないのであるが…。
改めて、杉村のtweetを見てみる。スクリーンショットだが、元ネタをたどると、
山田優、「両陛下お疲れ様でした」という投稿に批判殺到「皇室をなんだと…」(1ページ目) - デイリーニュースオンラインが出てくる。
デイリーニュースオンラインという段階で、取り上げるのもあほらしくなるのだが、ひとまずそこは置いておこう。
「会社の上司にすらお疲れ様と言うのは失礼と言われるのに。。」
と引用されているだけであり、どのような根拠、つまり、マナー本を読んだりマナー講師に教わったりしたのか、上司にそう注意されたのか、はたまた、自分個人の思い込みなのかは一言も書いていない。
(個人的には、元の発言者は「ご苦労様」と勘違いしているのではないか、という第一印象を持ったのだが、もちろん、定かではない)
それをいきなり、マナー本が~と言い出しているのは杉村である(だからこそ、典拠となるマナー本を提示してほしいのだ)。
実は最初、杉村も「ご苦労様」と勘違いしたんじゃないか、と思ったのだけど、その後別のtweetで、
ついでに「ご苦労様は目下からはダメ」も80年代後半ぐらいに登場したルールのハズ。バブル期の就職ガイドとかで最初読んだような記憶。それがついに「お疲れ様」までという感じ。
90年代初頭は謎マナーが多く登場し「徳利の注ぎ口から注いじゃダメ」「結婚式の引き出物にお茶はダメ」とかもそう。— 杉村喜光:知泉(三省堂辞典発売中 (@tisensugimura) 2019年5月6日
と述べているので、「お疲れ様は目上にNG」と主張するマナー本を数冊は読んでいるのだろう。ぜひ教えてほしい。本当にそう思う。
これまで述べた通り、一個人としては、
○「ご苦労様は目上にNG」というマナーは聞いたことがあっても、「お疲れ様は目上にNG」は見聞きしたことがない
○書店に並んでいるマナー本を抽出調査したが、「お疲れ様は目上にNG」とするマナー本が見つからなかった
ことから、
○「お疲れ様は目上にNG」だと主張する平成のマナー本は、あったとしても本当にごく一部で、「ご苦労様NG」ほどには広まっていない
○「平成のマナー本が『お疲れ様は目上にNG』だと広めた」という杉村の主張には根拠が薄い
と考えているが、はてなブックマーク
[B! 日本語] 「天皇陛下に「お疲れ様」を使って炎上した山田優」に対して杉村喜光さんや飯間浩明さんが「誤用ではない」と解説 - Togetter
において、「『お疲れ様は目上にNG』という謎マナーをマナー本(マナー講師)が広めた」というベースのもとでマナー本やマナー講師をののしっているブックマーカーは、
○実際に「お疲れ様は目上にNG」というマナー本を読んだか、マナー講師の指導を受けたことがある
のか、
○「平成のマナー本が『お疲れ様は目上にNG』だと広めた」という杉村の主張を鵜呑みにした
のかは、せめて教えてほしい。
と、あたかも、言葉遣いのマナーを追及している者も言葉遣いがなっていない、という含みを持たせた書き方をしている。
が、これは釈迦に説法だが、「違和感を感じる」は、話し言葉(引用したコメントの言葉)ならば別におかしな表現ではないし、書き言葉としても、許容範囲内だと考える。
その破堤基準を一つ挙げると、「○○感を感じる」の前半の「感」を取ったときの表現に違和感があるかどうかである。
※一種のジョークとして「○○を感じる、と表現しても(すると)違和感がない(ある)」という書き方をしている。読みづらくしていることは謝りたい。
それなのに、
そうだね。
「恣意的」は「恣意的」。「意図的」は「意図的」。日本語ネイティブなら使い分けられる。
反応の中に「私は恣意的=意図的の意味で使っていた」という声もあり、気になります。自分で意識して勝手気ままをやる場合は、当然、非意図的ではなく意図的です。でも、そう言うご当人も「意図的に銃の狙いを外した」「相手のメールを意図的に無視した」のような場合に「恣意的」とは言わないのでは。— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2016年11月18日
「発言の一部を恣意的に切り取る」という文章の「恣意的」は、「意図的に近い」意味ではあるが、「意図的」に置き換えられるわけではない。
だから、「恣意的に銃の狙いを外した」という文章に、「それは恣意的ではなく意図的だ」という誤用指摘は成り立つが、「恣意的は意図的の意味で使っていい」という別の方向でおかしな誤解をしている人がでてきている。
http://anond.hatelabo.jp/20161115175041
「恣意的」の正しい意味については日本語学者の飯間浩明先生のツイートを御覧ください
https://twitter.com/IIMA_Hiroaki/status/799592063813591040
謹んでお詫び申し上げます
ちなみに、上記の記事中に
>そしてこの大正5年から2000年頃まで、1世紀近くの間、ほぼ全ての使用例が誤用となっています
実際には1930年代から、新聞記事や専門書の中には「偶然的」と置き換えても差し支えない
飯間浩明先生のツイートでいう(A)の意味での「恣意的」の使用例もいくつかあり
”1世紀近くの間、ほぼ全てが誤用であった”というのも正確には誤りです
それらの使用例については
記事を盛りたかった、記事を書くにあたって邪魔だった等の理由で恣意的に排除しました
重ね重ねお詫び申し上げます
現在広く使われている「敷居が高い」は本来の意味とは異なった使い方だということは分かっている。
だが、「敷居が高い」を言い換えようとする時、自分が伝えようとしている「敷居が高い」というニュアンスに合致した言葉がない!!
色々調べてみてもしっくりくる言い換えがない…とモヤモヤしていたところ、
このようなまとめを見つけた。→ http://togetter.com/li/748601
「敷居が高い」が「気軽に体験できない」の意味で使われだしたのは1980年代以前ですが、広く知られたのは2000年以降です。当時『三省堂国語辞典』は誤用と認定。この用法への批判を助長した疑いがあります。現在の版では誤用表示はやめました。 pic.twitter.com/z5ih1Ltn7R— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2014, 11月 22
「哲学書はむずかしくて敷居が高い」のような用法は、「ハードルが高い」とも言い換えられず、他に適当な言い方もないため、一般に広まったのは当然とも言えます。意味の自然な拡張であり、これをいったん辞書で「誤用」と認定したのは早まったと反省しています。「誤用」の認定はむずかしいものです。— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2014, 11月 22
なるほど。今後、俺は「敷居が高い」をおおっぴらに使うぞーーー!!!敷居警察に文句も言わせない!!uoooooo!!!!!!!