はてなキーワード: 列強とは
立身出世してサラリーマンになって故郷に錦を飾るというのが当時の日本社会の夢でした
だから、当時の資料をまとめた本を読むと、根本的には日本人ってあんまり変わってないというか
少なくとも知の探求って感じでは全然ないw
田舎から汽車に乗って上京して帝国大学へ入って出世する、これが夢の時代でした
「偉くなる」というのが目標なんだよね
勉強する内容は寧ろどうでもよくて…
問題があるとするなら、試験内容がどんどん試験のための試験みたいになり、
受験勉強に特化したテクニックみたいになっていった面があるとは思う
ほぼ全員が高校進学するなら、それに合わせて問題をいじらないと、それに合わせて教科書をいじらないと、みたいに自然となっていってしまう
結局、三角関数はクソ知識、みたいな意見の背景にはコンプレックスとか感じられて、
それを醸成したのは学校教育とか日本の企業、日本社会の常識とかシステムの問題だと思う
中身の話じゃなくて、世間が悪い
おカネにならない知識を排除しよう、みたいな考え方になるぐらい貧しくなったんだとも思う
あの時期の列強を誰か1人の顔で代表できると考えるのがそもそも間違ってる
それより前だと誰よ
って、こいつらも日本の天皇・首相よりは立ち位置がわかりやすいからマシか?
経済制裁なんて仮にも先進国のG7ならやって当然だろうし、それ以上の事をしないと感謝なんてされない
・防弾チョッキ送るのですら揉める
今生きるか死ぬか、国が消えるか残るかの現状に金貰っても嬉しいか?
そして、自衛隊機を派遣しようとしたらインドに断られるお粗末振り
なんて言うか国民も国も批判されても仕方ないような対応しかしてないんだよね
大統領も話してたけど「ウクライナは悲劇的な自撮りの場所ではない」って、その言葉の通りで政治のパフォーマンスに使われたって嬉しくないだろ
昭和天皇の事だって、欧米から本当は日本がどう見られてるか実態が可視化されただけじゃないの?
結局日本はいくら金あってG7でも欧米からしたらイエローモンキーだったんだよ
世界の中でも経済力があってアメリカの同盟国だからG7メンバーであり列強に数えられてるだけで、アメリカの同盟国でなかったら見向きもされてないだろう
列強に対抗するために列強と同じことをしただけとはいえ周辺諸国を侵略したのは確かなんだし戦前の日本はファシズムって言われても仕方ないと思う
たしかに日本よりもっとひどい侵略行為・戦争犯罪を犯しておきながらなんの誹りも受けてない国々が圧倒的に多いとはいえ、
たとえヒトラーと並べられてもぐっと堪えて「でも今の日本は違うよ」って自信をもって言える度量の広さを我々日本人が率先して見せていかなければ世界から戦争なんてなくならない
水掛け論に躍起になって「昭和天皇は関係ない、軍部が暴走しただけ」とか「日本は列強からアジアを解放しようとしただけ」なんていう戦争の正当化までし始めたらこの70余年は全くの無意味だ
強姦罪は同意のないセックスに成立するのが基本だが、公然わいせつ等は同意の有無に関わらず成立する。
これを公然と裸になった程度では周りの同意の有無に関わらず犯罪として成立しないように法改正するべきではないか。
当事者の同意の有無に関わらず成立する犯罪の多くは公序良俗に対する罪だというが、この場合の公序良俗の根拠は「性器を見せたり見られたりすると羞恥心や不快感を抱く人たちが相当数いる」ということにあると思う。
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宗教観に反して今で言う公然わいせつに相当するふるまいをする人間を恥ずかしい行いと謗る
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恥ずかしい行いと言われるから(公衆の面前で笑われるから)恥ずかしいと思う層が出て来る
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そいつの家庭で育った子はこのようなことに関して恥ずかしいことと言い聞かされて育つのでネイティブに性に関する層を恥ずかしいと思う層が誕生する
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5匹の猿の完成し、列強の圧力として日本にも波及。そしてこの層が今も多数現存していることがわいせつ関連の法律の改正を難しくしている
こういう法律があるからそういう層が再生産され続ける面がある。
また再生産されている層がこのような法律の改正に歯止めをかける働きをしている面がある。
この相互作用を解くには、裸でほっつきあるいるという程度の人間に対する不快感を法律で特別扱いするのをやめることだ。
こんなものは「テレビに出てると嫌な芸人がいる」程度の不快感と本質的に差などない。数多くの不快感を感じる一例に過ぎない。
逆に同意なく性器を顔に近づけるとか、それ以上の域に達するものに関しては必要に応じて厳罰化すればよい。
性そのもの、性に関するあらゆることが悪いのではなく、峻別をつけるべきだと法の改正をもって大衆にわからせるべきである。
そもそもああいう為政者がいなければ単なる露出ごとき公序良俗の侵害とみなす価値観自体存在しなかったはずというわけである。
テレビで入浴映像で性器にわざわざモザイクを掛けさせる手間を強いる法律なんてなくてよろしい。
そんなだから性を過剰に禁忌とみなす層が出て来る。俺もその一人だった。
思春期になってむらむらが加速度的に高まっても心安くオナニーできる場所などなかった。
性に関わることに自分を巻き込むことは大変な悪だと考えてしまっていた。親には絶対にばれないように自分ではしているつもりでいた。
が、ばれないような状況になることなんて滅多にないので実質的には禁欲生活を強いられているようなものである。
刑務所では陰部摩擦罪とその我慢を強いることが刑罰として成立するぐらいだ。罪も犯していない人間がそれぐらいのつらさに耐える状況が大人になってもしばらく経っても続いたのだった。
もっとも後日談として親に聞いたらなかなか性に興味を持たないそぶりの私を異常に思っていたようである。
しかしそのような人物を演じさせたのはほかならぬ家庭であり社会であると私は思っている。
隠しているようなことは、してはらならないものなんだと、単純な子供の思考なら、考えてしまうものではないか!
このような勘違いによる悲劇をこれ以上生まないためにも、私は法律の改正を提唱する。
悪いのは性そのものではなく、性「行為等」の強要なのだから。全てひっくるめて隠してしまうから子供はそれらに触れることに妙な後ろめたさを持つようになるのだ。
法律と潔癖な層は相互に分かちがたく結びついているおかげで、公的な場で政治的意見としてこのようなことを言うことすら難しい。
ただ裸になっただけで露出狂だ。窃盗犯以上に人間扱いされない。こんな認識は明らかに合理的ではない。
・
18歳以上になった人へ「【親展】成人向けとされているものについて」と手紙を送るようにするのも一案だ。
私のような勘違いを犯した人が自分でその勘違いに気付けるとは限らない。
そこで親展で講座の受講へ仕向けるのである。内容は、性行為自体には実はなんらの後ろめたさもないこと、後ろめたさを植え付ける社会になっているのは未成年への方便であること等、徹底的に誤解の洗脳を解いてやるのだ。
まあそもそも子供にセックスを見せるのは面前DVとかいうけれど、無条件でそうなるような定義がまず間違っている気がするね。
PTSDになるかは確率論の問題だろう。それと、性行為を見せなかったせいで俺のように思春期を刑罰を課されたような状態で過ごすことになる確率と、どっちが高いのか。
というか性行為を見せたら悪影響があるものであってほしい、という清く正しく育った層が政治の実権を握っていることによる、価値観の押しつけが定義に反映されているだけな気さえする。
動物がいちいち子供に性行為を見せない配慮をしてるだろうか。人間というだけで性行為を見せると悪影響が出るというんだろうか?
・
そういうわけで言葉を選ばざるをえない、無意識に選んでいる面がある。
世の中なんだかんだいって理屈と同じぐらい、言葉の持つ熱量みたいなもんが重要なのだ。
簡単な話、無機質でニュートラルな性器という言葉を使うより、ちんこまんこと書いた方が説得力を持つ文脈だってあるというわけだ。
オスマン帝国におけるアルメニア人は、中央政府と共存共栄する共同体であった。
19世紀に入ると、カトリックへの改宗などを通じて西欧諸国の庇護を受け特権を享受する
さらに1803年~1815年のナポレオン戦争により西欧において民族主義が高まると、
アルメニア人富裕層の間から西欧との交流を通じて民族主義に目覚める者が現れ始めた。
1877年の露土戦争で、ロシア帝国が勝利し南カフカスとアルメニア人居住地帯の北東部を占領。
ロシアはオスマン帝国領内のアルメニア人を支援するようになり、1878年のサン・ステファノ条約で
オスマン帝国東部の六州におけるアルメニア人の権利向上を目指す改革の実施を約束させようとした。
ロシアという後ろ盾を得たことを機に、オスマン帝国領内でアルメニア民族運動が盛り上がり、
帝国外ではアルメニア人民族主義者によるアルメニア独立を目標とする政党が結成された。
やがて、彼らの中から帝国内に秘密支部を設け、オスマン官吏を狙った爆弾攻撃を行う者も現れた。
露土戦争のときアルメニア人がロシア軍に協力してムスリムを追い立てたのだとする風評がムスリムの間で広まり、
アルメニア人を国内にありながら外国と通謀して「テロ」を行う危険分子と見なす敵愾心が高まっていった。
④1894年、オスマン政府による「暴動鎮圧」としてのアルメニア人虐殺
1894年、アナトリア東部のビトリス県でムスリムとアルメニア人の大規模な衝突が起き、
オスマン政府は正規軍と非正規部隊を動員して衝突を鎮圧し2万人の犠牲者を出した。
アルメニア人政党はこれを国際世論に訴え、西欧諸国はオスマン帝国を批判。
1895年1月、英仏露の列強は共同でアナトリア東部の行政改革案を提示して、その履行をオスマン帝国に要求した。
オスマン帝国はそれらの要求を受諾するも、履行しないため、アルメニア人による履行要求デモが行われた。
デモに対して「外圧を笠に着た横暴」と感じたムスリム民衆が激高しアルメニア人を襲撃。
1905年7月21日、アルメニア革命連盟が爆弾によってアブデュルハミト2世暗殺を試み、
護衛26人が死亡、アブデュルハミト2世は軽傷で済み失敗に終わった。
アルメニア人15,000-30,000人がムスリム住民に虐殺された。
オスマン帝国が同盟国側、ロシア帝国が連合国側で第一次世界大戦に参戦した。
オスマン帝国に対するゲリラ活動を行ったりしてムスリムが殺害された。
これに対してオスマン帝国はイスタンブールでアルメニア系の著名人たちを逮捕・追放し、
著名でないアルメニア人たちをシリアの砂漠に徒歩で強制移住させる虐待を行い、
60万人から80万人のアルメニア人たちが強制移住等の迫害により死亡した。
1918年3月、アルメニア革命連盟が、アルメニア人虐殺への報復として、
バクー(現在はアゼルバイジャンの首都)にて3,000-12,000人のムスリムを虐殺した。
ロシア帝国崩壊により民族主義的な社会主義政党のアルメニア革命連盟を中心として
⑩1918年、同時期に建国された隣国アゼルバイジャンと領土をめぐり戦争になる。
⑪1918年、同時期に建国された隣国ジョージアとも戦争になる。
アルメニア第一共和国が倒れアルメニア・ソビエト社会主義共和国というソビエト連邦構成共和国になる
1938年4月6日に大粛清の一環としてホレン1世が殺害され、8月4日にエチミアジンの総本山が閉鎖された。
1936年にアルメニアの人口を70万人まで減らしてグルジアへ併合することを目論んで、アルメニア人をシベリアへ強制移住させた。
スターリンは戦争によって疲弊したアルメニア経済の復興を期待して、アルメニアの人口増大と労働力強化のために、
キプロス、フランス、ギリシャ、イラク、レバノン、シリアなどに散っていたアルメニア人をアルメニアに帰還させるキャンペーンを開始した。
帰還者には食品券やよい住宅などの優遇措置が与えられたために、在来のアルメニア人との間に衝突がもたらされた。
また、帰還者の話すアルメニア語(西アルメニア語)と、従来のアルメニア人の話すアルメニア語(東アルメニア語)と分岐していたため、
ソ連がアゼルバイジャンに編入したナゴルノ・カラバフ自治州(アルメニア人住民が多数派)が、
ナゴルノ・カラバフの「アゼルバイジャン化」を懸念し、同地とアルメニアの統合を求める運動を開始。
1988年2月29日にアゼルバイジャンのスムガイトで発生した民族暴動。
市内の路上やアパートで、アルメニア人住民に対するアゼルバイジャン人の群集の襲撃事件が発生し、
アルメニア人26人が死亡した。この事件の後、全てのアルメニア人が町から脱出した。
アルメニアで大地震が発生。死者は少なくとも約2万5000人、負傷者は約1万9000人に上る。
震央に近い地域の高層建築物はほとんど倒壊し、40万人を超える人が家を失った。
旧ロシア帝国領におけるアルメニア人共同体がソビエト連邦から独立してアルメニア共和国が誕生した。
それからずっとアゼルバイジャンと、ナゴルノ・カラバフ自治州を巡って戦争してる
アルメニア人の歴史を見てるとユダヤ人に似ている気がするのだけど
イスラエルはアゼルバイジャン軍に武器供与するなどアゼルバイジャンの味方らしい
そして日本はトルコの海底トンネル事業に大成建設が参画してたりなどトルコと蜜月
普通の日本人「日清・日露は悪い列強と戦った良い戦争。調子に乗った日本軍がどこかで断層を越えた。暴走をはじめた軍部により日本国民は戦争に巻き込まれ南の島で餓死者が続出し全国的に空襲され原爆を落とされ戦後悲惨な暮らしを余儀なくされた」
”普通の日本人”「真珠湾攻撃はアメリカに責任がある。大東亜戦争は西欧諸国に支配された植民地のアジアを開放する良い戦争。日本国民はコミンテルンの陰謀によって戦争に巻き込まれ、南の島で餓死者が続出し全国的に空襲され原爆を落とされ戦後悲惨な暮らしを余儀なくされた」
歴史に詳しい人「日清・日露戦争で帝国軍がやらかしていたことから考えれば、支那事変も南洋諸島のあれこれも満洲もただ延長線上のできごとですね」
西も東も引く気がない。
世界中、どこを見渡しても自分たちの側からは引く気のない人間が大多数なのは間違いないだろう。
それが良いとか悪いとかいう話ではない。
ただ単純に「誰も引く気がないなら、緊張は今後も高まり続ける一方だ」ということだ。
おそらくは双方が直接に衝突するところまで。
未知の領域ゆえに何が起きるか正しく予想することは難しい。
ただ間違いなく、ろくでもないことになるはずだ。
自分は無事だなどと思わない方がいい。
あなたもきっと酷い目に遭う。
間違って欲しくないのは「だから自分たちから引け」と言っているのではないということだ。
そんな言葉くらいで世論が変わらないことくらい重々承知している。
行くところまで行って人類全体がうんざりするまで、この流れはきっと止まらない。
なぜならこれは前人未到の領域ではなく、かつて2度も人類が経験したのと同じ流れの焼き直しだからだ。
かつての大戦の話を耳にする度、幾度となく抱いた素朴な疑問――なぜ誰もそれを止められなかったのか――の答えが、今は肌で理解できる。
まして、当時の人々なら…そういうことだ。
今、人類ができるのは、せめて最終的な破局が少しでも先に(1年ではなく5年先、5年ではなく10年先に)なることと、最終的な破局がせめて少しでもマシな形に収まる(「無数の戦略核の応酬」などという事態に至らず決着がつく)ことを願うことくらいだろう。
そして、今、ボクができるのは、ボクと周囲の人々がそのような戦火の中で幸運を拾い、少しでも苦難を免れ生き残ることを祈ることくらいだろう。
れいわの、国会決議への反対ね、あれ大層非難されているけど、経緯認識としてはだいたいあってる。と言うか、あの激動の89年をリアルタイムで経験した人たちなら、言わずもがなのことだから、却って文献資料に残ってないため、「NATO不拡大方針の合意」がロシアの陰謀扱いされてしまってるのかなって思うわ。89年から92年までの新聞、読んでみて。むしろそう言う解釈がデフォルトだから。ゴルバチョフがそれを求めて、ベイカー国務長官が「まあ、そうよね」と発言して、そのうえでのマルタ合意ってのは順を追っていけば分かるようになっている。もちろん他国の主権を、ボス間で合意する内容だから、正式に文章として組み込まれるはずがない。
ゴルバチョフとブッシュとの間で問題になったのは、旧東欧圏の扱いだけども、NATO不拡大の方針自体は、ソ連が要求を出して、アメリカが「まあ、そうね」になったからこそ、マルタ合意と言うカタチになっているのだ。
キューバ危機も、あれは逆にアメリカによる主権国家への武力恫喝の例だけども、ケネディとフルシチョフの間で正式な文書として合意があったわけではない。そんなものが外交文書として残るわけがないのだ。
ロシアの側から見れば、WTO諸国に手を突っ込まれて、バルト三国に手を突っ込まれて、旧CISにまで手出しをされた、どこかで歯止めをかけなければならないとなるのは「良いか悪いかは別にして」、当たり前ではある。戦争の多くはそうした予防戦争として発生した。
であるから、平和を望むのであれば、主権国家は「疑いをもたれない、巧妙で丁寧な外交」が必要になるのだが、能力的にそれが出来ない国もある。スイスが永世中立国を続けていてベルギーが止めたのは、ベルギーは地形が平坦であるため、自力で守り切れないからだ。つまり列強としては、中立国が他国に屈さずに中立国として振舞う能力があるのであれば、得にも損にもならないから放置しておいてもいいのだが、無能力であれば、別の列強に占領されて、敵を太らせる餌になりかねないから予防として占領しておくか、となりやすい。
ウクライナはこの、ロシアの疑心暗鬼を宥めると言う外交タスクに失敗した。それはやはりウクライナのせいなのだ。予防戦争に手を染めていない列強が歴史上、ただの一ヶ国もない以上(直近ではイラク戦争は予防戦争の典型例)、ウクライナは①ロシアに配慮した外交政策を採り、疑心暗鬼を解く必要があった。②国防力を高めて、侵攻した場合のロシアの見積もり損失を高くしておく必要があった。のいずれにも失敗したと言えるからである。これは法理的な話ではなく、能力の問題、力学的な話である。
なんでも、「定点観測をしていてたらドイツをたたいときゃいいだろと雑な発想している奴がいてプゲラ」的な雑な反応をしているヤカラもいるのだが、ドイツが責められるべきなのは、ロシア弱体期に率先してEU拡大、NATO拡大を推進したのがドイツだからである。ドイツとしては国境を東に移したいと言う欲求のなせるわざであったのだが、平和を毀損する行為であったのは間違いない。平和とは弱者の犠牲の下に築かれた強者間の合意に過ぎないからである。
これは平和主義者が、異様に共産政権などの圧制下で苦しむ人々に対して「ウイグル話法」などと言って嘲笑的に振舞い、冷酷である理由である。基本的には彼らは、「フランス革命前の穏やかに暮らしている貴族」であるに過ぎない。
私はドイツとウクライナを批判したし、ある意味、ロシアを一部免罪した。これは構造的な話であるが、起きてしまえば、表徴として問題を処遇するしかない。これはNATO拡大に関して確たる定見が無かったアメリカの外交的失敗のせいでもあるのだが、この表徴的に言えば「だからと言って侵略が許されるわけがない」と言うのは現代の国際法では当たり前の話だ。ここに今回のれいわの行動の問題点がある。
いったいどこの国の政党のつもりなのか、と言うことだ。言ってみれば「情状酌量の余地がロシアにまったくないわけではないにしても」、ロシアが現在進行で侵略をしているのは事実であるし、日本の政党がそれをかばいだてする理由は皆無なのである。異常なのは、れいわがこの件だけに限って極端なプラグマティストとして振舞っていて、ウクライナの国民真情としては列強に合意があろうとなかろうとも、数百万人の犠牲を強いたロシアとは「距離を置きたい」と思って当たり前だ。NATOにすがりたいと思って当たり前だ。
これはまさしく、平和主義者が人権侵害国家の圧政の被害者に対しては極端にサディスティックに振舞いがちだと言う典型例であって、国益の観点から言っても、いまさら表向き、ロシアに同情的な姿勢を示しても日本には何一つ益がない。構造に基づいてドイツを批判するのは、個人の資格で考察としてやるか、あるいはG7の席でないないにやるべきであって、日本国の損得勘定から言っても、れいわの行動は日本の国益を害している。そこが問題なのである。
https://www.youtube.com/watch?v=l14nOnFz9iU
上皇上皇后両陛下の御大婚の御盛義の奉祝曲として奉製された品のある曲であると思い新たに致します。
今上天皇陛下の御即位御列の儀の秋空晴れやかに渡るあの日。御道筋で奉奏されておりましたのを記憶しております
返信 引用
どんな事をKKが言おうと、もはや許されないレベル。
実現しようとでもいうのか。
もとれる。
許されてはならない。
以上
https://www.awinsider.com/watch?id=YXdWaWRZWGRXYVdSeFlVeFRhRXMwUzFoS01HRjNWbWxr
魂を喚び起こす 素晴らしき歌 何度聴いても 何度歌っても 本当に素晴らしい
https://kzsection.info/green/d-b-n-y-ng-f-bi-osaipan-d-o-y-su-noizu-ch-q-b-n/3H93gLBudJiWaoE.html
敵に蹂躙させまいと 忠魂あらん限り出された御英霊の 敢闘は敵の肝を寒からしめたのみならず 今もなお現地民の慰霊は途絶えることが ありません。 香取の鎮もる御社も 再建されております。
https://kzfaq.info/get/shokorasan-w-n-j-gaarunara-s-etekudasai/rcqGe5SXrN_cdYE.html
韓国から言いがかり吹っかけられた 東京オリンピックの日本選手の方のツイートを 侮辱してたのが例のショコラですね。 名前もショコラと仲のよい第三者が証して いるのに、個人情報保護違反と喚きたてる ショコラ。 矛盾の押し付けひどすぎ。
裁判でショコラが請求棄却とならねば 日本の司法は終わりです。 へんてこな判決や訴訟指揮をやらかす これが日本の裁判官かと疑いたく なるやつが大阪にいます。
ここは近代日本の真の歴史を学べるところ。 一日だけでは足りないくらいです。
地方公共団体がやる「平和」記念事業なぞ見れたものではない。 予算の使い切りと切り逃げするつもりか。 奴らの言うところの「平和」とは戦前の日本を冒涜することと 言わんばかりの悪辣さで、教育委員会が仕切っているようであります。 萬世太平ために勲功ままに記されているのが靖國神社、各護國神社ですし 御祭神の遺された遺産も敗れたりといえども大東亜各地でも受け継がれているところも少なくない。インドネシアや台湾の軍隊は日本帝國陸海軍の 典範の系統いわゆる血を繋いでいる。 国賊的な反日プロパになっている地方行政がやる平和記念事業、あれは なんだ? 反日自己批判ごっこは「ふざけるな!」と言わねばなりません。 住民の血税湯水のごとく使って、何様か!!? 毎年8月が近くなると恒例の反日展示。悪辣自虐な教科書を叩き落とすべく偽装平和事業に歯止めをかけてやりましょう。 遊就館こそ日本の鑑で萬世太平すなはち平和の鑑です。
零戦のように帝国陸軍の最新鋭の隼が あがっていないのは寂しいし残念です。 大東亜のパレンバン降下を成功に導いたのも この隼でありました。 確か六十四戦隊でしたか。 隼だけで占められていたのは。 大日本帝国が世界人類に貢献した勲功を 識ることができるのも 遊就館ですね。
嘉永六年以降、欧米列強に支配されることなく神代よりのすめろぎしろしめしたまひし日の本の國を保たれますところ、國安かれ民安かれとの大御心まにまに、寄せくる仇波を鎮め来る人の勲あらばこそです。 思いも今更ながら語り継がれるべきこと実感いたします。 当時の日本は列強の政治的思惑のもと厳しい国際環境を耐え抜き また労るべきを労り、歩んだ歴史でもあります。 遊就館は兵器類は多いです。そこでもまた、技術改良がどの点なされたか なんとしても父祖よりの國、保たすべき意気も伝わってきます。 竹田先生のもと、しっかり学校では学べないことを吸収してあげてください。
抗日華僑は原住民への圧迫を長年やらかしていた。 そればかりか英国の下で巨万の富をえていたとも。 必然的に、抗日活動の便衣兵のゲリラを鎮めるのは 軍政の1歩。 こちらも南京同様、不自然さもかなりある。加えて数字の暴走。 連合軍裁判と判決の出鱈目さを禁じ得ない。 あんたの方は連合軍のリンチと理由書におもねている。その延長線で 言ってる事、まるで戦勝国亡霊の広告宣伝塔並み。 敗戦利得者の共産党に空気入れられたか知りませんが、 戦勝国におもねだる醜さは例えようもないくらい醜いですね。 敗戦病症候群から一日もはやく開放されますこと、ご祈念申し上げます。
シンガポールは世界三大要塞の一つ(マルタ、真珠湾)に加えて英国の分割支配で華僑というスパイが群れをなしてやがった。つまり便衣兵がいたと言うわけだ。ところがシンガポールを陥落させたときインド兵が次々投降。藤原岩市によって自由印度仮政府ができる。ちょうどビルマ作戦でラングーンへ進撃。5月には同地を占領。 後のインパールもそこで構想があったといって良いところ。 チャンドラボースは描いていたと思われる。 英国の東洋侵略の牙城が有色民族の手に落ちているから 英国の傲慢不遜を砕かれたと思いこんだ英国の復讐とプロパガンダで 仕組まれたことを挙げねばならない。 となると、終戦後日本軍への処刑は国際法にてらしても違法不当であるといえる。 チャンギー収容所であったこと、まさにプロパガンダまるだし。 翻って、我が軍は 國の為 仇なす敵は 砕くとも 慈しむるの ことな忘れそ 畏くも明治天皇の御製である。 皇軍の御戦に住民虐待に捕虜虐待なぞありえん。 脈々と御製の大御心が嗣がれている。 でなければその翌年に早くも大亜細亜サミットといえる 大東亜会議が行われようはずもない。 歴史的精華を果たした大日本帝國陸海軍には大英帝国にとっては 怨み骨髄の的であったことが歴史的推移からみてとれる。 律儀に国際法を遵守していた日本軍は砕くべき敵を捕虜として丁寧に 扱いすぎたかな。
敢闘精神には感服致します。 米軍の戦争責任問われてしかるべき。 それ以上に世界人類を悩ませ圧殺し 今の支那にも見れるように超戦犯國はソ連でありまして これを援助した国際金融資本ロックフェラーに中国の毛沢東 各国の共産党員政治思想宣伝による政府転覆を計っていました。 翻り、日本にもアカと言われる連中が取り巻いていました。 これらはソビエトの指導のもと、各国の共産党員と一緒に国家弱体化 政府転覆の非合法なテロを敢えてしておりました。 現在日本の共産党は罪科罪業を覆い隠し、福祉云々といった主張を しておりますが、アカい毛布に本音を隠し国内錯乱にせっせと いそしんでいることは今更言うまでもありません。 透明行政と看板に挙げ、実態は行政の密室。 共産党サヨクそして劣化パヨク闘争抗争に明け暮れた奴らの元祖 共産党こそ最大の戦争犯罪人で政治責任を問われねばならない 連中であります。 やつらの政治生命を止めない限りは 日本の明日はありません。
京都なら御所そして平安神宮。奈良はさきに参らねばならないところ、 橿原神宮。 そして東京は皇居、明治神宮。靖國神社。 訪問ではなく学徒としてお祓いを受け参拝する事。 これであって修学旅行。 更に伊勢。昔から伊勢は修学旅行として神宮参拝。 学校教育では歴史共にある日本の民として敬神を教えられねば なりますまい。
かつて大阪にも国防記念館があったそうな。 大阪城のほうだったか。 郷土の誉れの武勲耀く護国神社が こうした記念館を小さいながらでも保たれてをられるのは 幸いであります。 五十二社のうち数社ではございますが 遊就館共に日本の近現代史のみならず、絶ゆることなき 日本の歴史が連綿と伝わっていることを実感できる。 マスコミたちと行政は日本の将来を意識したとき 現状の連合軍史観のプロパガンダで靖國神社と護國神社を 忘却の彼方に押し追る敗戦利得者の意向を真に受けた偏向的態度を 改めるべきであリます。
直系長子継承議論をNHKが「紀子さま妊娠6週」をスクープして、つぶれたのですよね。紀子さまが妊娠検査薬で陽性になり、愛育病院から先生に7日の午前中にきてもらい、その情報をNHKがつかみ宮内庁に確認して、妊娠6週を速報で流したんですよね。NHKの早業はすごいですね。どうやって情報を掴んだのでしょうか?NHKのスクープの力は、すごいですね。
いや!それは違う!!! 媛みかどは確かにおられたが男系で保たれた 古よりの國體権威の泉源を保たれたままに わしは申し上げてるんです!!! 皇嗣秋篠宮皇太弟殿下も悠仁親王殿下もいらっしゃる。 なにゆえ正田、川嶋、小和田と出てくるか!? 旧皇族方の御子孫もおられる。なぜそちらに お戻り願わないか。これまた理解に苦しむ。 皇男系であられればこそ皇威挽回なるのであります。 連合軍によって臣籍降下を余儀なくされた御方々、皇室の 向こうべきところは誰よりよく御存知でいらっしゃる。
私もそう思います。愛子殿下は旧皇族の人とお見合いしていいと思う方がいられたら結婚していただきたいです。旧皇族の方なら結婚しても金銭面でも苦労することがないと思うからです。愛子殿下は幸せになってもらいたいので💕
韓国内は自国の矛盾を反日に転嫁する事多々あり。 反日封じの為には、親日韓国人への人権侵害をも訴えること。 これを明るみにしなければ日本国内の左翼分子の跳梁は止まりません。 マスコミ共は韓国内のこうした矛盾は報道しないですから、 反日パヨマスコミによる知る権利の妨害として、 NHKなどに反撃の必要があります。 いけすかない左翼共のドグマの人権云々、奴らこそ 反憲、反人権、不平等、差別。これらの固まりといえます。 典型例;原水協と対極的に立つ広島の被爆者の子孫への迫害。 こちらはもう少し聞いとけばよかったと後悔してますね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGXZQOUC1318U0T11C21A0000000/
ttp://www.mochioumeda.com/archive/sankei/050110.html
二〇〇四年の米国IT(情報技術)産業は、IBMによる中国企業「聯想集団(レノボ・グループ)」へのパソコン事業売却(十二月)と、インターネット検索エンジン最大手・グーグルの株式公開(八月)という二つの対照的な出来事によって記憶されることになろう。
年に一兆円以上売り上げるIBMのパソコン事業の売却額が二千億円にも満たなかった一方、売上高約三千億円のグーグルの株式時価総額は五兆円を超えた。この差は何を意味しているのか。インターネットの「こちら側」から「あちら側」へのパワーシフトが、米国では確実に起きているのである。
インターネットの「あちら側」とは、インターネット空間に浮かぶ巨大な「情報発電所」とも言うべきバーチャルな世界である。いったんその巨大設備たる「情報発電所」に付加価値創造の仕組みを作りこめば、インターネットを介して、均質なサービスをグローバルに提供できる。
米国が描くIT産業の将来像は、付加価値が順次「あちら側」にシフトしていき、「こちら側」のモノはコモディティ(日用品)になる、誰でもいいから中国で作って世界に安く供給してくれればいい、というものだ。IBMパソコン事業の中国企業への売却はそれを象徴している。むろんこれから先、米国が描くシナリオ通りにIT産業が発展していくとは限らない。
ただ私が危惧(きぐ)するのは、モノづくりの強みを過信し、そこにしか生き場所がないと自己規定するあまりに「こちら側」に没頭する日本企業が、米国離れを引き起こしていることだ。違う方向に関心が向かっている米国の現在を「われ関せず」と理解しようともしていないことである。
東芝と富士通とNECの時価総額を全部足し合わせても、創業からたった六年、わずか二千七百人のグーグルの時価総額に及ばないのはなぜか。いったいグーグルとは何なのか、その台頭は何を意味するのか。本来そう問い続けなければいけない日本企業の経営者が、インターネットのことを何も知らない。米国離れを起こしている場合ではないのである。
ttp://www.mochioumeda.com/archive/sankei/050704.html
日本の携帯電話とブロードバンド(高速大容量)のインフラは、ほぼ世界一の水準にある。「光ファイバー接続でインターネットを家庭から安く使える」なんて話をアメリカ人にすれば、憧れのまなざしで日本を見つめる。インフラ面ではもう日米大逆転が起きてしまったのだ。
私たちより上の世代には「IT(情報技術)といえば何でもアメリカが圧倒的に進んでいて日本はどうそれを追いかけるか」という発想が染み付いているが、日本の若い世代は全く違う。つい先日、シリコンバレーに赴任したばかりの日本企業駐在員(25)がこんな感想をもらした。
「アメリカって日本よりずっと遅れているのに、インターネットの中はすごいんですねぇ。アメリカの底力を感じます。ショックでした」
私は一瞬耳を疑った。「アメリカが遅れている」という前提からまず入る発想が私にはとても新鮮だったからだ。でもこれが、携帯とブロードバンドでは世界一のインフラを持つ日本で育った若い世代のアメリカに対する自然な感想なのである。では、その彼が「すごい」と言い、「底力を感じ」てショックを受けたアメリカの「インターネットの中」とは何なのか。
それは「ネット社会」という「巨大な混沌」に真正面から対峙(たいじ)し、そこをフロンティアと見定めて「新しい秩序」を作り出そうというアメリカの試みが、いかにスケールの大きなものかについての驚きだったのである。
ttps://web.archive.org/web/20050930202614/http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u108.html
最近ある組織の経営者とアドバイザーが一堂に会する会議で、準備万端整えて臨んだ私の報告があまり理解されないということがあった。たぶん、小さな落胆が顔に出ていたのであろう。帰り際に、同僚アドバイザーである人生の大先輩からこう言われた。
「あなたの話は面白かった。でもねぇ……。私もね、この歳(六十代半ば)になるまで色々な新しいことに出会ってその都度吸収してきたけれど、あなたの話、特にグーグルの本質についての話は、インターネットを使わない私のような人間には絶対に理解できませんよ。私だって、わかったふりはしているけれど、ぜんぜん想像ができないんだ。だから、どれだけ大きな意味のあることなのかも実感できない。でもねぇ……。たとえば私はこれから地方の経営者たちと会うために全国をまわる旅に出るんだけれど、インターネットを使う人なんて誰もいませんからねぇ。はっはっは……」
ttps://umedamochio.hatenadiary.org/entry/20051228/p1
日本のネット列強たる楽天やライブドアは、いまだ中途半端な達成しかできていないネット事業をそのままに、旧産業の代表格たるテレビ局を併合しようと動いた。
市場からの期待に応えるには、自らのネット事業を強靭なものにしていくだけではダメで、売り上げ・利益をしっかりと上げる確実な事業を持つ旧産業を取り込んで融合するしかないと判断したのである。
一方、米ネット列強は圧倒的な技術開発力を武器に、斬新なインフラを構築するグーグルに刺激され、「ネット産業は、ITを利用し早い者勝ちでサービス展開すればいいという代物ではなく、高度な技術開発で道を拓くべき産業なのだ」という認識を新たにし、技術投資に邁進(まいしん)するようになった。
「技術投資が極めて重要」という機運が産業界全体に再び生まれ、大学での技術開発やベンチャー創造も大いに活性化してきたのだ。
ちなみにグーグルの検索エンジン技術は、二人の創業者がスタンフォード大学に在学中に開発したもので、大学がこの技術の特許を持ち、グーグルに使用を認める見返りに、グーグル株を取得していた。
スタンフォード大学はその株式を二〇〇五年に市場に放出し、売却益は四百億円に上った。この資金は、再び、基礎研究や高等教育へと還流していくのである。
こうした違いは大きく、このままいけば五年後、十年後に、さらにその差が広がってくるに違いない。
「IT革命」とか「情報スーパーハイウェイ」といった言葉は、バブル崩壊後に死語となった。
物理的なITインフラたる「情報スーパーハイウェイ」を構築すれば「IT革命」が達成される−九〇年代には常識だったこの世界観が誤っていたからだ。
本当に大切なのは物理的なITインフラよりも、情報(I)インフラだった。
ttps://gatonews.hatenablog.com/entry/20060121/1137808057
グーグルの無料サービスを支えているひとつの要因が株高、時価総額でしょう。
ライブドアを批判してもグーグルは「違う」と言っている人が案外多いのですが、本業以外の「錬金術」で本業の資金を調達というやり方は同じなのではないでしょうか。
ttps://web.archive.org/web/20060616123115/http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/82654faa9356a65a4b66371eddb59142
先日も、田原総一朗氏に「グーグルのどこがすごいの?」と聞かれて、答に困った。検索エンジンとしての性能は、今ではヤフーやMSNなどもそう変わらない。
広告というのは卸し売りのビジネスなので、市場規模は限られている。日本ではGDPの1%、米国では3%(*)でほぼ一定している成熟産業である。
ttps://web.archive.org/web/20060621084450/http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/baab4ffbc75c641370747a59f442ccba
広告産業は成熟産業だが、ネット広告は成長産業である。しかしグーグルのCEO、Eric Schmidtの「ネット広告はまだ広告全体の3%しかない」という話はおかしい。
前にリンクを張ったTNS-MIの統計でも、ネット広告(83億ドル)の広告全体に占める比率は5.8%だが、これは検索広告を除いた数字なので、これにグーグルの61億ドルを足しただけでも、10%を超えている。
問題は、この先ネット広告がどれぐらい増える余地があるかということだ。
企業の予算のなかで広告費の比率はほぼ一定であり、宣伝担当者も各メディアにバランスをとって出稿するから、おのずとメディア別のシェアはどこの国でも同じぐらいになる。
今はネット広告のほうが効率がいいので成長率も高いが、経済学でよくやるように、成長とともに各メディアの広告の限界効率が均等化すると想定すると、新聞・雑誌・テレビ・ネットに各20~25%というのが妥当なところではないか。
しかもスポンサーは、ネット広告のなかでも各社にバランスをとって出稿するから、ネット広告の全部をグーグルが取るということはありえない。
かなり大胆にネット広告費の半分をグーグルが取ると仮定しても、広告業界全体の12.5%、180億ドルである。これは現在の61億ドルの3倍だが、このへんが上限だろう。
要するに、今までの倍々ゲームがあと2年以上続くことは考えられないのである。
追記:この記事にはたくさんTBがついている。その多くは「グーグルは広告産業以上のものになる」という意見だが、今のところグーグルの収入の99%は広告であり、それ以上の収入源は見つかっていない。
しかも検索エンジンはOSのようにユーザーを囲い込むことができないので、たとえばマイクロソフトがIEに検索機能を内蔵したら、ネットスケープのような運命をたどる可能性もある。
ttp://www.tez.com/blog/archives/000676.html
それでも、一所懸命コストの使い途を考えて、4年後の利益率が現状からやや上がる程度としても、2009年の純利益は10Bドル(1.15兆円)
6,675Mドル(約7600億円)となりますので、日本企業で純利益第二位のNTTドコモを超えることになります。(1位は、製造業利益世界一のトヨタ自動車1.17兆円。)
また、上記は、基本的にはグーグルのビジネスモデルが広告モデルの域を出ないことを仮定していたシミュレーションなわけですが、実際にはグーグルは新しいrevenue streamを作り出す可能性は高い。グーグルは、「広告業」を目指したいわけではなくて、大量の情報をハンドルするエージェントになりたいわけなので、「分母」を広告費に限定するつもりもないのではないかと思います。
経済学的には「利益率の高い企業が小さな市場で大もうけ」というのはトリビアルな話かも知れませんが、財務的に見れば、グーグルはすでに世界の企業の中でもかなり「すごい」企業だと言っていいんじゃないでしょうか。
Google(GOOG)の本日のMarket Capは129.92Bドル(約15兆円)で、確かにインテル(INTC)の112.13Bドルを抜いてます。
ただし、インテルの売上は去年38,826Mドル、net income は8,664Mドルのほどあるものの、グーグルと違って売上の伸びはここ数年10%台に留まっており、完全に安定成長モード。
グーグルが成長を続けて前述のように世界の広告市場のちょっとした割合を獲得するとしたら、4年後にPER10倍20倍台まで落ち込むとしても、10兆円台の時価総額は十分説明がつくことになります。
今後の売上がホントに上記のように伸びるかどうかは、あくまで将来の想定を含みますので、そういう意味ではバブルの可能性はゼロではないですが、現時点ですでにちゃんと7,000億円以上もの売上を計上しているわけですから、ライブドアのように、買収した企業の売上を足しあわせて数字を作っていた企業と違って、大企業としての「実態」がすでにあるという点は、かなり違うのではないかと思います。
ttps://dankogai.livedoor.blog/archives/50473074.html
ここに一つのいい例がある。現在世界最大の時価総額を持つ会社は、Exxon Mobileである。ここが商っているのは石油。なぜ石油にそれだけの価値があるのだろうか?
それは、石油が「ネゲントロピー」(negentropy)、すなわち負のエントロピーの代表だからだ。人に限らずおよそ生物というのは負のエントロピーを摂取して生きているが、その中で「現代文明人」の主食が石油というわけである。石油だけでは「栄養が偏る」というので、天然ガスへのシフトも起きているが、同じ地下資源ということもあって、Exxon Mobileに限らず、どの石油会社も手がけている。
誰もが欲しがるネゲントロピーを押さえたものは強い。そのネゲントロピーの購入者がそれを何に転化するかに関係なく。
そしてGoogleは、情報のネゲントロピーを押さえているのだ。
本当に重要なのは、Googleが何を今売っているかじゃない。Googleが今持っているものでこれから何ができるかなのだ。
明治維新がタリバンと似ているというのがホッテントリに上がっていて思ったのだけど、
確かにもうその時点で古すぎるはずの尊王思想を掲げて、外国の支援を得て支配を維持しようとする現政権を、別の海外援助を得つつ打破したという構図は似ていなくもない。
(でも、違うところも多いので総体としては似ているというべきものではない気がする)
明治維新の要人の偉かったところは、尊王攘夷を掲げたはずなのに攘夷の方はサラッと投げ捨てて、積極的に欧州に学びに走ったところだろうが、
所詮付け焼刃でイマイチ国民もレベルがついてきていない中でなかなか富国強兵とはいかないところ
「だったら徹底的にだましてしまえ」とばかりにカルト洗脳をしてまで軍備を増強し、アジア界隈で欧米から植民地を切り取りにかかったのは無謀でしかなかった。
当時の列強諸国は兵器レベルの圧倒的な差を恃みに遠隔地で植民地拡大を進める一方、列強同士はケンカしすぎないようにしていたわけで、
言ってみれば欧州内でのこれまでの関係性の積み上げがあって遠隔地支配がやれていた面があるはずである。決して急に地球上に表れて好き放題していた勢力というわけではない。
その辺が対外的なプレゼンスがそれまで皆無だった日本軍とは違うところだと思う。
全然別な意味合いのパワーだけど、ユダヤ人脈が国際的に大きな力を持っているというのがよく言われるのも、結局は世界各地に地道にコネクションを張り続けたことの成果だと思うので
ある領域で持続的に勢力を維持するためには、その領域で地道に積み上げられてきたものを如何に活用できるか、というのが重要なんだと思う(本当に新しいドメインでの競争を除く)。
その意味では日本軍は全然使えるものがなく、一発屋的に消える以外の展開はなかったと言うべきだろう(一撃して講和に持ち込むとか戦国時代の発想だと思うし、そもそも本拠地にアタックかけられない相手に通用する筈がない)。
だから、「欧米列強の支配に抗してアジア独自の勢力を築く」というお題目は立派だったけど、それを成し遂げるための材料が圧倒的に不足していたために結局なすすべなく打破された、という日本軍の失敗事例(マジでこれは失敗事例でしかないのに本邦では何故か称揚する言説が後をたたないが…)を他山の石として、中国共産党は実にしたたかにやってきていた。今にして思えば欧米が中共に妙に甘かったのも華僑ネットワークを介して誘導してきた結果なんじゃないかと思ってしまうほどだ(本当にそういう事実があったかどうかはともかく)。
なので、本邦のインテリジェンスのアレさを反省することなく中共を蔑視して明治維新を持ち上げる人は何も分かっていないんだなぁと、つれづれ思う。
モンゴル帝国すら退け、戦国、明治と列強国の植民地支配を免れてきた日本ですら戦後アメリカに占領された。列強の征服を免れ、枢軸国でありながら戦後占領されなかったタイもミャンマーに2度征服されている。モンゴル帝国、アメリカを撃退したベトナムですら中国やフランスの支配を受けてきた。アフリカで珍しく植民地支配されなかったエチオピアも第二次世界大戦でイタリアに占領された。ナポレオン、ヒトラーを撃退したロシアもモンゴル人の支配を受けた屈辱の歴史がある。前述の二人に加え、全盛期のスペイン帝国すら退けたイギリスも古代はローマに征服され、中世はバイキングに征服された。ソ連を退けたフィンランドもずっとスウェーデンの支配を受けていたわけだし、ナポレオン戦争でロシアに侵略された。
101.称光天皇(1414~1428))
102.後花園天皇(1428~1464)
譲位後に発生した応仁の乱を嘆いて出家。政務を放棄した足利義政を戒めたこともある。
103.後土御門天皇(1464~1500)
大嘗会を催したが、直後に応仁の乱が発生したため、中世最後の大嘗会となった。
104.後柏原天皇(1500~26)
即位時、朝廷の財政は困窮しており、父であった先帝の葬儀も40日後、即位式も即位後21年という有様であった。
105.後奈良天皇(1526~1557)
飢饉と疫病に苦しむ民を救うため、諸国の一宮に直筆の般若心経を奉納した。
106.正親町天皇(1557~1586)
毛利元就の献上金で即位。織田信長・豊臣秀吉の援助で皇居の修復、伊勢神宮の造営などを実現した。
107.後陽成天皇(1586~1611)
秀吉の援助で朝廷の権威回復に努めた。聚楽第行幸を行った。学問を好み、日本書紀などの慶長勅版を刊行した。
108.後水尾天皇(1611~1629)
女帝。
110.後光明天皇(1643~1654)
111.後西天皇(1655~1663)
112.霊元天皇(1663~1687)
113.東山天皇(1687~1709)
114.中御門天皇(1709~1735)
先帝の代に復興した大嘗祭が再び途絶えた。公事部類を残した。笛が巧く、狐ですら聞き入ったとされる。
115.桜町天皇(1735~1747)
116.桃園天皇(1747~1762)
117.後桜町天皇(1762~1771)
118.後桃園天皇(1771~1779)
父典仁親王に尊号を与えようとするも松平定信に阻まれる尊号事件があった。
120.仁孝天皇(1817~1846)
121.孝明天皇(1846~1867)
安政5ヶ国条約に反対し、攘夷を主張した。反面、和宮の降嫁に賛成し、公武合体を推し進めた。
122.明治天皇(1867~1912)
大政奉還がなされ、明治政府が誕生。在位中は大日本帝国憲法発布、廃藩置県、国会創設など近代化が進められた。日清・日露戦争の勝利、韓国併合により日本は列強の仲間入りは果たした。
123.大正天皇(1912~1926)
生まれつき病弱であったため、皇太子裕仁が摂政に任じられた。在位中に第一次世界大戦が勃発。皇室として初めて一夫一妻を確立。
124.昭和天皇(1926~1989)
在位中に第二次世界大戦が勃発。日本の敗北を受け入れ、日本国憲法が制定された。
125.上皇(1989~2019)
世界各国を訪問して皇室外交による親善に努めた。東日本大震災の際には自ら被災地を訪問した。
126.今上天皇(2019~) NEW!!