はてなキーワード: 男と女とは
はてな村はインターネットという山塊の奥深くにあるひっそりとした集落であった。
ITバブルに業界が浮かれ、ユーザー数の数を誇るサービスが現れては消えていったが、そんな世間の喧騒に関わらず、また、関わることもできないまま、隠れ里のように存在する村だった。
新奇なインターネット・サービスを求める旅人が時折訪れることはあったが、彼らは一様に
という言葉を残して去っていった。旅人が終の棲家として村に定着することは稀であった。旅人たちは村で何を見たのであろうか。
彼らインターネットの旅人があの村を訪れ、そして去った後に必ず言うのは
「あの村は狂っている」
ということだった。
更に旅人たちは言う
「村人たちは常に何かを憎んでいるように見えた」
村人たちは常に怒りを抱えていた。
村の外、遥か遠くの首府で何事かが起こると、それが話題になり、そのことで右や左、内や外、貧者と富者、男と女、理系と文系、そのような勢力に別れて争っていた。彼らは手斧を投げあい、敵対する勢力を根こそぎこの世界から抹消するような勢いで殺し合いを続けていた。そして旅人たちが驚愕したのは、村人たちがその闘いを楽しんでいる姿だった。
そこでは様々な戦法、論法が試され、闘技の見本市のようであった。村人たちはそこでこの世にある、あらゆる攻撃と防御を身につけるはずで、神拳と呼べるほどの闘技術がそこでは熟成していたが、それらの奥義は決して村を出て伝わることはなく、村民たちはその神拳と奥義を駆使し村の中だけで闘いを楽しむのだった。
ある年老いた旅人が語ったことには、あの村での闘いも随分大人しくなった、ということだった。彼が言うにはIDコールという非常に野蛮な武器が村では使われていたが、あまりにも危険だと村長が判断し、その武器を使えなくしてしまったのだった。
「今でもじゅうぶん危険でしたよ」
そう語ってくれた。
ここまでの話を読んだ読者は、はてな村が殺伐とした危険な場所だと思われただろう。決してそのような異常な村には立ち寄りたくない、そう思われたのではないだろうか。しかし、はてな村の異常性をまだ語らなくてはならない。
はてな村のはずれには「増田」と呼ばれる一角があり、そこでは村の中央でも許されないような罵詈雑言と危険で低レベルな闘いが繰り広げられていた。しかし、その一角には時折美しい花が咲くのだった。
首府の政策に異を唱える真摯な発言、日々の生活で見つけた優しい心、そして少し笑って微笑ましい気持ちになるような人生の欠片、そんな小さな花が咲くと、はてな村の住民はこぞってその花を眺める為に集まって惜しみない賛辞を送るのだった。
普段は殺伐として闘いに明け暮れる住民たちが、そのような小さな花を愛でる姿を見て、旅人たちは混乱し、村民たちの異常性を垣間見る。そして旅支度を整えて村を出るのだった。
いまもはてな村は存在し、村人たちは村民同士で果てしない闘いを続けている。そして時折咲く美しい花を愛でて彼らは暮らしているのだった。
いや なんかネットだと弱者男性が僻み根性で女叩いてるっていう風潮だけど
俺は子供の頃から割とずっと強者側で恵まれた人生送ってきてると思うけど
てか強者側だったからこそ多くの競争相手を蹴落として来た訳だけど
それゆえに男側の競争のえげつなさは身に染みて分かってて
その競争の土台にすら上がってない女が対等を求めてくるのは本当に理解できない
本当に 悲しい事だけど
なんていうか 仕事を通じて社会の一員になろう っていう意志が
男に比べてかなり薄弱
そういう人は普通に尊敬の対象になるし 当たり前のように対等な立場になるんだけど
女という鎧と下駄履かされて 守られて過ごして
千尋の谷を生き抜いた男と対等な扱いを求めてくるのはちょっと無理
まともに働いても無駄ってなったのかもしれないけど
というとこで 今のフェミニズムや女という属性が薄らと男から嫌われてるのは
強者男性は勝者の余裕もあるし わざわざ指摘して回ったりはしないけど
仕事する、できる順でチーム組んだら女の割合が自然に減るんだよ
でもそれが「自分は本当は別の性別だったんだ!」に飛躍するのは理解が出来ない。
なんでそうなるんだよ!?
例えば男で言うと、戸籍上の性別はちんちんがついてるかどうかで決まる。
そしてちんちんがついてるだけで男性のジェンダーロールを担うように育てられ、社会ではその振る舞いを要求される。
大人へと成長していく中で、「あれ・・・?ちんちんがついてるから男性って言われてるけど、自分は本当に男性なのか・・・?」と性自認の違和を感じる人がいる。「では自分の性自認は男じゃないとしたら何があてはまる?」と考えた時に女が当てはまる人、これがトランスジェンダー。
一方、女が当てはまらない人もいる。そういった人達はXジェンダーと呼んだり、ノンバイナリー(自分の性自認を男と女の2者で決めない人)と呼んだりする。
元増田は「飛躍している」と言っているが、男性じゃない気がする→女性な気がするって思うのは多様性後進国の日本では自然なことだと思う。性について、グラデーションという考え方があまり浸透しておらず男と女の二元論で語られることが多いから。
性的対象(好きになる性)も似たような話で、「自分はちんちんついてて、男として育てられたし自分は男だと思ってるけど、女性に性的興奮が無いな・・・」ってのが同性愛者。
自分は男性同性愛者で、ソースはないけど遺伝子のバグで脳が男と女のミックスみたいな脳になってしまっているせいでこういったことが起こるんだと勝手に思ってる。完全にハズレくじをひいてしまったよ。トホホ・・・。
最近のLGBT関連の議論見てると、人類が最初に自分たちのことを男と女に分けてしまったことがそもそもの問題だったのではないかと思うようになった。
分け方が雑なのよ。2つって少なすぎ。こんな低い解像度で人類を認識するようになってしまったのが失敗だったのではないか?
人間の性は本来多様でグラデーションになっていて、男と女の2つで記述し切れるものじゃなかったのを2つに分けてしまった。
虹の色は文化によってその数が違っているのよく知られた事実だが、面白いのは虹の色の数は7つという文化で暮らす人には本当に7つにしか見えなくて、5つという文化で暮らす人にはもう5つにしか見えない。「5つ?そんなわけないじゃん、もっとあるでしょ、見えるでしよ?」って7つの人が言っても本人にはどう頑張っても見えない。文化的なバックグラウンドって人間の世界認識のあり方まで変えてしまうんだな。
この男女2分問題も同様で「男と女の2つです!」っていう文化、社会で生活していると、もう男と女の二つしか存在しないというふうに見えちゃうんだろうね。そういうふうに世界を認識してしまって、そういうふうにしか見えないんだろうな。で、本人たちはそのことに気づけない。
本来多様なものを無理やり2つに分け、社会制度も文化も庶民の行動様式も2つに分けたもんだから、最近になって「あれ?2つじゃなくね?俺らの解像度低くね?」てなった時に、当然その矛盾が噴き出すことになる。
まぁこの多様な性は最近になってようやく認識され、受容され始めたことだから1万年前の人類には難しかったとは思うが、悪手は悪手だ。
どんな社会制度や文化や行動様式すればそうした多様な性を受容できるようになるのかを模索しているのが現代で、その変化の過程で既存の社会制度や文化や行動様式との軋轢が生じているということなんだな。
この時代に親やってなかったら、昭和の親みたいに幼い子供に怒鳴り散らかして手をあげまくっていたかもしれない
ほんと令和に母親になれてよかったです
それでさ、もう子供はお空の上から親になる候補を探して親を選んで産まれてくるっていう考え方やめない????
私、妊娠したときに病院で子供は親を選んで産まれてきた。あなたは特別な母親みたいな絵本を助産師だか看護師に読み聞かされたんだが
あのな、子供が生まれる前に親を選べる能力あるなら独裁政治が激しくてささいなことですぐ死刑にされる国とか貧しい国に子供は産まれんだろうがよ
日本に産まれても、親ガチャ大失敗して虐待されまくる子供もいるだろうが
ただ、親の都合でこの世に生まれただけだよ
空の上の子供たちがこの人達のところに産まれたくなーいって思ってるから子供に恵まれないの?
おかしいよね?
私は「子供は親がただ望んで産んだだけだら、子供は別に産んでくれとか頼んでないから、だから上の子かわいくない症候群とか理不尽なこと言うのもうやめよ?」って思う
親が勝手に下の子を産んで(上の子にしたの兄弟がほしいって頼まれて産んだのだとしても)上の子が赤ちゃん帰りしたから
もうかわいくないって
上の子だって産まれたくてこの世に産まれたわけじゃないのに、勝手に産んどいてあとでかわいくないって理不尽すぎん?
親は親のエゴだけで子供を産みました。子供は無事に産まれてくれただけでも感謝です。育ててやった、苦労して産んでやったと子供が恩をきせるのはやめましょう
で、よくない?
よく旦那が育児しない、女ばっかり辛い目にあってるみたいなのを最近よく見ます
確かに実際のところ育児は女がやってるケースがほとんどだと思います
そこから男はなんて自分勝手でひどいんだって話にしたがるやつがいるけどそれは違います
もっというと結婚前の独身の時からいずれ家族を持った時のことを考えて貯金してます
女は目の前のことしか考えることができないので自分へのご褒美に散財します
結婚時点では貯金はないし結婚後も男の収入をアテにして生きてます
男が家に金を入れるのが当たり前なので仕事も簡単に辞めてきます
男は辞めたくてもやめることはできません
夫婦がすれ違うのはそこです