はてなキーワード: 社用車とは
見た目が超綺麗なのと、タバコ吸ってるのとで興味を持ったのが始まり。
共通の趣味が多くて、いつの間にか好きになってた。俺が東京に9月に行くから、その時に会おうって話をしたのが二カ月くらい前。
そして直前の今になって、俺ごときじゃ釣り合わない相手なんだと気付いた。
その子は三か国語話せるエリートで、社会的地位もだいぶ高い。大企業の社長と直接コネクションがあり、パーティに常に呼ばれており、芸術系の趣味も大規模イベントで主役を張るレベル。
そして何より超働いてる。1日くらいなら本当に寝ずに働いてて、心配を通り越して畏怖を覚える。
もう何かしら嘘を吐いてて欲しい。実は全部嘘でしたって言って欲しい。それほど生きてる世界が違う。
日常生活だと電車乗らないみたいだし、全部社用車が迎えに来てくれて、プライベートはタクシーのみ。
俺だって20代で年収1000万あるし、それなりに馬車馬のように働いてきた。英語だって話せる。でも、この程度じゃ格下も格下の存在なんだって気付いた。
猛アタックの結果、結構好意を抱いてくれてるようなんだけど、実際に会ってどうなるかは分からん。というかもう俺ごときを相手するのに時間貰って本当にごめんって気持ちだ。
好きなんだけどな。支えたいかって聞かれると分からん。少なくとも自分が激務な時、当時の彼女が「支えたい」と言ってきても、「何も出来ないんだから放っておいてくれ」と思ってた。
あっちは数少ない時間を消費して俺と話すのに充ててくれてるし、その時間が癒しとも言ってくれてる。
付き合うどころか会ってすらない今悩んでも仕方ないんだけどな。せめて理解者になれたら良いなと思う。
最初に言っておきたいのが、私はうたプリにもうたプリの運営(ブロッコリーとか)に対しても何の不満も持ってないこと、何にも怒ってないこと。
2013年の春、高校入学とともにiponeを手に入れた私は、当時2000%がドッカンドッカン来ていたうたプリアニメ一期を暇つぶしのために見始めた。それがきっかけだった。
トンデモすぎるシナリオ、無駄にキラキラしているイケメンたち、やたら上手い歌、でもやっぱり意味がわからない演出に笑いまくって、面白い作品は数あれど心を楽しいという気持ちでいっぱいにしてくれる作品は私にとってうたプリが初めてだった。
そのあとはニコニコ動画を検索し、さまざまなキーワードでググりまくって、ドキドキしながらpixivを覗いたり、バイト代を握って初めてアニメイトに行って、金額の高さに卒倒しながら中古ショップでPSPとソフトを買った。
ゲームのうたプリはアニメよりさらにエキセントリックで、どいつもこいつも理解できない、なんでそんなことするの!?と攻略対象にもヒロインにもキレながら全てのエピソードを集めて全てのエンドを回収して、金額に卒倒しながら続編のソフトを注文した。
アニメやゲームだけでなく、プリンスたちが本当にこの世にいるかのようなプロモーションにも私は夢中になった。プリツイ(公式のキャラアカウント)のために毎秒TLを更新して、東京の駅に広告が出されているのをTwitterのレポで見てドキドキし、ポップアップストア(シャニストと言う)に行くために人生で初めて竹下通りに行った。
当時の私は実家との関係が最悪で、とにかく孤独と怒りを持て余して、バイトをギリギリまでしないと携帯代や定期代や食費を賄えないし、まあそういうアレでとんでもなく荒んでいた。うたプリの楽曲は2013年当時でも結構な数があって、少しずつ履修していたころにwelcome to UTA☆PRI worldを聴いて、私の孤独に今1番寄り添ってくれているのはうたプリなんだと感じて、あまりにも優しくてキラキラしている歌に涙が溢れた。
年末年始に風邪を拗らせて、でも掛け持ちで詰め込みまくったバイトは休みたくなくて、お金がなくて食パンを齧っていた年明け、プリツイの更新が急に来て、自担(音也くん)の呟きを目にした時も熱に浮かされながらボロボロ泣いた。あの年って、うたプリアイランドの再リリースは今年中と言っておきながら全然音沙汰ないからもうこのまま来ないんじゃ?と思ってたら大晦日に滑り込みリリースしたよね。みんな覚えてる?
思い出は書ききれないくらい(なんせ10年だから)沢山ある。人生初めてのライブで横アリに行ったこと、学校の校外行事が終わったあとその足でアニメイトに行ってASASを受け取ったこと、ライブのために一人でホテルを取ったこと、専門学校の入学式に向かう電車で緊張を慰めるためにマジラブレボリューションズをえんえんと聴いたこと、社会人になってから社用車で運転する時にひたすらうたプリのプレイリストを流すのが楽しかったこと。
本当に色々な思い出があって、うたプリを通じてたくさんの初めてを経験した。その日々の中で、うたプリはしょっちゅう炎上していたけど(在庫とかグループ不遇とか色々あったよね)、私自身はコンテンツや運営に怒りを抱いたことはなくて、ずっとずっと大好きだった。ライブ物販のために真冬のたまアリを始発から6時間並んだ結果ペンライトが売り切れで買えなかったとか、入場がごたついて会場入りできないままライブが始まってしまい泣きながら歓声が漏れ聞こえる西武ドームを見上げたこともあった(これぞうたプリって感じ)。けどそんなことよりも、ライブの楽しさとか、夕日がドームの中に差し込んですごく綺麗だったこととか、うたプリが好きで胸が苦しいと思った記憶の方がずっと強い。
今年の4月に、10年間オタクをやっていた中でも1番なんじゃないかぐらいの炎上ネタがあって、さすがの私も苦笑いというか、脱力感を強く感じたけど、でもやっぱりうたプリのことも運営のこともちっとも嫌いになれない。
ちっとも嫌いじゃないのに、怒りも失望もないのに、去年の映画だって本当に素晴らしかったのに、蝋燭の火が消えるみたいにうたプリに対する関心が消えてるのが分かる。
前のように夢中になれない。心がいっぱいになれない。うたプリのために働いたお金を全て費やすなんてことは今の私には出来なくて、将来のための貯金がしたいし、休日はゲームをしたりイベントに行くよりも、家のことをして資格の勉強をして本を読みたい。
あんなにも大好きで、人生を捧げたいくらい大切で、何よりも夢中だった作品に対する心の動きを「飽き」の一言で纏めたくない。けれどそういうことなのかもしれない。好きという気持ちを一心に燃やして、燃やし続けた結果もう焦げついてしまったのかもしれない。
うたプリのことは本当に好きで、大切で、世間ではいろいろ言われていたけど、この作品を作るための、表には出てこないたくさんのスタッフさんの努力やキャストさんの愛があるのを知っているし、怒る気持ちも失望する気持ちも少しもない。けれど、私の心はもう昔のようには動かなくて、もう私はうたプリのオタクではないし、さよならを言うタイミングが来たのだと思った。
当時15歳だったころから社会人数年目の今まで、うたプリのことが大好きだった。あんまり沢山のコンテンツに触れるのには向いてなかったので、本当にアニオタでもゲームオタクでもなくうたプリのオタクだった。
うたプリのおかげで知らない場所に沢山行けたし、子どもなりに苦しんでいた10代でも楽しい気持ちが沢山残っているのはうたプリのおかげだし、数えきれないくらい沢山幸せな時間を過ごすことができて、心から感謝している。
今後も、きっとたまにうたプリのプレイリストを再生して、当時この曲を聴きながらどんな気持ちで生きていたか、どんなことがあったのか、曲を聴きながらどんな景色を見ていたのか思い出すと思う。
たかだか作品に飽きたというだけの話でこんなに長くなるか?と今自分で書いてても思うけど、本当にそれくらい大切で、10年間思い切りうたプリに触れながら生きてきた。ありがとうございました。
うたプリにいつか飽きて興味がなくなるくらいなら大好きすぎていっぱいな今この瞬間に死にたいと思っていた10代の私が読んだら本当に憤死するかもしれない。ごめん。あんなに好きだったのに薄情だよね。でも大切な気持ちは今でも本当に変わらないんだよ。
内容はタイトルままである。ある程度時間は経ってそろそろ時効だろうと思うし、今更ムカつく発見をしてしまったので書こうと思った。会社のクソさはまあ世間によくあるレベルかもしれないし、私が悪い部分もあると思うので、あたおかブラック企業被害者の話と思って読むとがっかりするかもしれない。
このような場に文章を書くのは初めてなので、多少の粗や慣れていない部分は目をつぶってもらえると助かる。
また、記憶違いなどもおそらく含まれるのでそこは了承の上読んでほしい。
まずは、特定防止のため詳しいことはぼかすが会社のざっくりした説明をしたいと思う。
業種はメーカー、規模は割と大きい方ではないかと思う。一般家庭に流通するような商品は少ないため、一般知名度は多分ない。私も就活で受けるまで知らなかった。
同族会社で創業者一族は神扱いされているので、社内報には会長の頭おかしいコラムが修正もされずに掲載されたりしている。(入社した月は「ウクライナはロシアに早く投降すべき!」とかいう内容でマジでドン引きした。しかも感想を書かされたりした)
創立パーティーはコロナの影響で一般社員は参加できないのに、上層部と取引先だけで数千万だか億だか使ったらしくてこれまた引いた。パーティーはどうでもいいけど、ただでさえ人手不足やばいのに人件費ケチってふざけんなよって思った、入社数ヶ月の社員にこんなこと考えさせるなよ。
私の配属は、地元の小さい営業所だった。一般事務は配属先ごとの採用だったので、採用試験を受けた時点でこのことはわかっていた。
所員は営業、新入社員の事務を合わせて10人弱。(私は一般事務だった)
コロナで宿泊研修ができないからと一日座学やった後いきなり配属先に行かされたのだけれど(今思うと、3月末の忙しい時期に新人を送り込むとか人事は現場のこと考えてなさすぎだろ)、配属初日に「元からいる事務の人は6月で辞めるから7月から新人二人だけでよろ!」って言われた。
初日の私は呑気に「早く仕事覚えて頑張らないとな〜」とか思っていたけど、後から考えると本当に頭おかしいと思う。
当時1年弱前に一人辞めて以来事務は一人だったらしいけど、その時に一人中途で雇うべきだったんじゃないか? 残された人は一人になってから残業も増えていたらしいし、何年もやっていた人がそんな状況なのに、7月以降新人が二人だけでやっていけるわけがないだろ。新人二人がベテラン一人の能力にもならないのは火を見るよりも明らかなんだから。
「いい人が見つからなくて〜」とか「同期二人の方が力を合わせて頑張れると思って〜」とか色々所長と事務の先輩は言ってたけど、なんでお前らが採用活動サボったせいでこっちが馬車馬のように働かされなきゃなんないんだよ。
会社的には辞める場合は夏頃までに申し出→新卒を採用する→新卒に仕事を教えて5、6月に退職って流れがスタンダードらしいけど、時代遅れだからさっさと辞めて中途とか非正規の人もっと雇った方がいいと思うぞ……? 一般職は原則異動がなくて社内で人材補充できないんだから余計。
まあそんなこんなで事務の先輩は私が入社して数ヶ月で辞め、7月〜お盆前はおそらく繁忙期なのもあってかなり忙しかった。
日中は私と同期、一番年が近い営業の男(事務の人手が足らなすぎて去年からずっと内勤らしい)の3人で仕事をしてたけど、昼間は注文作業に追われるせいでそれ以外の仕事が全部定時後にならないと出来なかった。
残業が多いと作業効率が落ちるしただでさえまだ慣れていないのもあって、一度朝礼で一人ずつ話をさせられる時に、業務量の改善を求めたことがある。他社の友人は話を聞く限り、その頃まだ研修中だったりO J Tがついてちゃんと一人一人の能力に合わせた仕事を振られている印象だったのに、私のこの状況はおかしいだろうと思ったので。
しかし、「◯ねよクソ」みたいなことを言わないように喋った結果うまく話せなかったせいもあったのか、特になんの対応もしてもらえないばかりか内勤の男には「成長のためにはしょうがない」という旨のなんの解決にもならない言葉を吐かれた。
そんなこと言われても実際に育つ前に実際に私辞めたけどな。
営業は4、5ヶ月は工場研修で自分が当時の私と同じ歳の頃はろくに仕事もしてなかったくせに怒るのは今でも本当に納得できない。
私が若い女だからか電話でナメた口をきいてくる奴は多いし、営業に言われて電話をしたはいいけどわからないことが多すぎて取引先に迷惑をかけたり(私も悪かったと思ってるけど、取引先の人も保留にせずに「ごねられて困ってるんだけど」とか言うのは辞めた方がいいと思うよ、そもそも私全くそんなことなかったのでそっちの勘違いだし)、営業の男がしないようなゴミみたいな経験させられたんだが、こっちは。
そもそも営業の残業時間がおそらく月80時間くらい行っている(営業は残業代は出ないため誰も記録していないので実際の時間はわからない)し慢性的に人手不足だからこっちに気を配る余裕がないんだろうけど、そんなところに新入社員を配属させるなよ。
理想論だろと言われそうだけど、きちんと部下を管理できる余裕がない環境に新卒を入れるべきではないし、教育係を明確にしないのも悪手だと思う。おまけに面談とかもないから相談できる環境もなかったし。それなのに8月の会議(事務職はハブ)で、「そろそろ内勤の男を外勤にして日中の注文作業とかは新人二人だけでやらせよう!」という話をしていたらしくて本当に呆れた。入社して半年足らずの新人に何ができると思ってるんだよ現実見ろって言いそうになった。
まあ現実は見られてるのかな、ミスして怒られることは多かったから。でも状況を改善しようとしなかっただけなんだな。
その後、7月後半〜8月前半の残業時間が40時間を超えていたことに関して人事に何か言われたらしく、所長に軽く注意された。ちなみにその月は土日が多かった&お盆休みを挟んでいたので、あのペースで通常の日数残業していたら50時間くらい行っていたと思う。
「後回しできる仕事は次の日以降に回して早く帰れ」という全く改善策になっていないアドバイスをいただいたけど、そんなことをしても次の日の残業が増えるだけだろ。
その前にも「早く帰れよ」って言われたことあるけど、やっと仕事が終わって一息ついたところで言ってくるからタイミングがおかしかった。
このあたりで、私はかなり真面目に転職を考え始めた。
また、この時期から営業の男のうちの一人に当たられることが増えてストレスがかなり溜まっていた。
私が何かした時の説教がやたら長かったり(しかも言い方のモラハラ臭がすごいしそもそもミスの原因がその男にあることも多かった)、日中は高確率で社用車で寝ているかゲームをしていることが多い上に電話での機嫌が日によって悪かったり、第一印象は悪くなかったものの化けの皮の剥がれ具合がひどかった。
私がメールでその人から頼まれた仕事をうっかり忘れた(件名が無視しても大丈夫なメールと似ていてとても紛らわしかったせいもある)時に、「お願いしていたはずですが何故対応していないのですか。期限もあなたの希望通り記載していますよね? 理由を教えてくれませんか」(ほぼ原文ママ)というメールを私の退勤後に送ってきていた時は、マジで頭大丈夫……?って思って思わずメールをスクショしてしまった。この文章もその時の写真を見ながら打ってる。
逆にうっかり以外に理由あると思った? 自分が嫌われてるからだって思った?
その他にも、お盆で出勤人数が少ない時に大量の注文を私一人に押し付けてきたり(普段2、3人でやるくらいの量はあった)、そのせいでできなかった注文(急ぎでもなく私が担当と決められていたわけでもない)を次の日出勤の人に残しておいたら、「他人に仕事を押し付けるな」とか言ってわざわざ処理せずに私に残していたりしたからマジで嫌いだった。
数日来ない私に残しておいて平気ということは急ぎじゃなかったということだし、私の判断は何も間違ってなかったっていうことでしょう? それに人に仕事を振っておきながらその管理ができないってお前にも問題あるということじゃないか?
その男は所長とか取引先にもよく怒られているみたいだったから、その分おとなしそうな私に当たっていたか、無能な子に指導してあげる自分に酔っていたかだろうな。自分の機嫌は自分で取れよ。
まあ私と同期、仕事の能力は大きな差はなかったけど同期は愛想がよくてコミュニケーションもしっかり取れる子だったし、私は無口で気配りとか気の利いた行動できないしそりゃいじめるなら後者なんだろ。
8月後半、マジでメンタルがやばくなり親の勧めもありに近所の心療内科に行った。(出勤前は毎日のようにボロボロ泣いていたし毎日死んだ顔をしていたので)
病院では「仕事辞めたい? じゃあ診断書書いちゃうね!」という超軽いノリで適応障害の診断書を発行してもらえたので、休み明けの仕事の後に所長に退職を切り出した。
時間取って欲しいって言ったらすぐに応じてくれたし、無駄に引き止められなかったのはよかったけど、後で思い返してみると案外問題だらけだったと思う。
まず、詳しい話を聞かずにいきなり「じゃあいつ辞めたい?」って返したのは雑すぎるんじゃないか?
「大切なのは自分だから無理しないで〜」みたいなことを言っていたような気もするけど(録音はしてあるけど面倒なので聞き直していない、すまん)、普通だったら何が問題だったのか、どうすれば辞めなくても平気か、くらいは詳しく聞くと思うんだが。私は単発以外のバイトを途中で辞めたことがないから退職する時どういう感じなのかは知らないけど。そもそも、あなたたちがこっちの話を聞かずに無理をさせた結果こうなったのだし、病院に行く羽目になった以上私は被害者でそっちは加害者だろ? 最後まで謝罪一つしなかったよな。それにこっちは新卒での短期離職という超不利な烙印を押されたんだが? 向こうは突然辞めるとか迷惑な奴、とか思っていたんだろうけど。
時期に関しては上と相談してから決めるって言われたんだけど(一応8月中を希望した)、翌日の朝礼でいきなり今月いっぱいで私が辞めると全体に発表されてこっちがびっくりした。
普通だったらまずは個別面談で伝えて本当にそれで了承を取ってから発表をするんじゃないか? しかも、まずは所長に相談してから同期に伝えようと思っていたのに、その前に所長の口から伝わっちゃったし。
内勤の男にはその日の昼に直接話を聞かれたけど、一切私に同情などせず、「なんで同期に相談しなかったの? 謝っておけ」というようなことを言われた。そもそもお前が成長のためとか言って大量に仕事をやらせておきながら自分は暇そうにしているのを見てだいぶ私はストレスを溜めていたんだが? 反省する部分はないのか?
診断書出した当日に会議をして同期以外には話が伝わっていたらしいけど、ほとんどの人からは気遣いや謝罪はなかったな。まあされても「だったら前からなんとかしろよ」としか思わないけど。
ちなみに有給は一切消化できなかった。事務の先輩は所長の手配で有休一ヶ月半くらい取ってから辞めたらしいから私も手配してくれると思っていたけど、急に辞める裏切り者には使わせてくれないらしい。まあ普通の会社でもそうらしいな。5日くらい残っていたから、ちゃんと消化させろって言えばよかったと後悔してる。
退職日が近づいて少しノスタルジックになっている頃、退職手続きが全く進んでいないことを知る。手続きは所長がやるはずなのに、退職願は退職日前日の朝に渡されて送らされた。有給使わせてもらえないことを知ったのもこのタイミング。
人事にも一切話を通していなかったらしく、退職手続きについて私が直接電話で人事に質問させられた。なんで管理職のくせに知らないんだよ。普通平社員が人事に直接連絡しないので人事に「所長の指示ですか……?」って怪しまれたし、急に明日辞める迷惑な人だと思われた気がする。
そもそも人事に伝えていなかったということは、もしかして営業所内で私の診断書は握りつぶされたのではないか? これが私が冒頭で書いたムカつく発見でもある。
人事くん、見てるー? 人事くんは私が急に辞めたと思っているかもしれないけど、一週間前には所長に言ってあったから退職届やら手続きが遅れたのは所長のせいでーす!
それに自己都合退職になっているけど、営業所の人と仕事量とかがクソすぎて入社から半年も経たずに適応障害になったせいでーす!
人事、人事面談とかもなく正直採用活動と給与計算と数千人分の賞与を封筒づめする以外何しているかわからない(賞与関係はもしかしたら経理? わからん)けどマジでちゃんと他の社員労働環境とかに目を向けた方がいいんじゃないか? まあ私は社会人初心者だからそこら辺よくわからないけど。
ていうか私の退職理由を知ってか知らないでかわからないけど、離職票が退職後一ヶ月以上届かなくて病院に行けなかったのは本当に恨んでる。まあ全額自費で払えばよかったけど、後の手続きが面倒で行かなかった。
本社に人事に電話したら「ハローワークから書類が届かない」って言われたんだけどそれって本当だった? ハローワークに凸ろうか迷って辞めたけど。
その後離職票以外だけ先に送ってもらおうと思って2回電話して、1回目は折り返すと言われてその後連絡が来ず、翌日もう1回電話したらもう送ったと言われた。
でも届いた書類を見たら、日付がその翌日だったからもう送ったっていうのは嘘ですよね? クソが。
ちなみに離職票が届いた後心療内科に行ったらしばらく行っていなかったからかめちゃくちゃ冷たい対応をされたのでもうあの病院には行ってない。
本来最終日は引き継ぎとかやり残したことをやるために他の業務を与えないようにすべきだと思うのだけど、内勤の男にはそこら辺がわからなかったのか普通に当日の注文処理をやらされたしその結界1時間半くらいは残業した。そのせいで引き継ぎが雑になってしまったので注文作業は拒否すればよかったと思った。最後だから逆らってもその後に影響ないし。
当たってくる男は急に仕事(大した量じゃないけど)を振ってきたりしたんだけどマジで嫌がらせだったのか? 退職が決まってからほぼ口利いてなかったけど。
内勤の男は「これは引き継ぎ終わったの?」とか確認してきたし(同じ部屋にいるんだから今日そんなことしてる様子がないのはわかるだろ)、「なんでまだやってないの? 早く帰れよ」という態度で勝手に私の机掃除しだしたりしていたけど全部お前のせいだが?
帰る前にお菓子を配ったけど、よそよそしい上に早く帰れという態度の人ばかりだったから、職場の心証は最後底辺まで落ちた。
ちなみに事務の先輩は辞める時にアップルウォッチやらその他個別にプレゼントを貰ってたけど、私は同期が美味しいお菓子とハンカチをくれた以外は何も貰えなかった。
いや別に欲しかったわけじゃないけど。ワタサバのドラマの網浜さんですら何かしら貰えていたのに、会社のために頑張って働いた私は何も貰えないんだ……という驚きを覚えた。
今でも毎日のようにあの会社であった嫌なことが脳内でフラッシュバックするし、そのせいもあるのかわからないけど半年以上ずっと胃の調子は悪い。
だから、会社への恨みを書くのはこれで最後にして前向きに生きたいと思う。
同期は本当にいい子だったのでマジで今でも申し訳ないと思っている。会社に忘れた傘取りに行かなくてごめんね、でももうあそこには近づきたくないんだ。幸せになっていてくれ。
他の人は別にどうでもいいや、もう私の中で存在を消去するから。
じゃあな。
年収って聞いたとき、普通は額面収入をイメージすると思うけど手取り年収をイメージする人が一定数いるらしい。
普通は額面年収だろと自分も思っているが、冷静に考えてみて手取りベースで考えた方が実は合理的な気がする。
つまりは自由に使えるお金がいくらあるのかが真に気になる部分だと思う。
これを書いてる増田はいわゆる企業勤めのサラリーマンではなく独立して自営でやっているのだが、法人経営者にとっての年収というのはなんとも言えない。
当然役員報酬の数字が所得税に計上されるわけだが、経営者の場合は会社の金もある程度使える。
例えば家賃は役員社宅で90%くらい経費で落とせるし、車も社用車として落とせる。
新卒で入社した会社、転職で移った会社、どちらもとにかく人間関係最悪なブラック企業だった。
病む人、病んでる人がとにかく多かった。
お客様には家来のようにへりくだり、その分、仲間同士でパワハラや足の引っ張り合いをする。
誰かがクソな客の愚痴を言おうものなら「お客様の文句言うなんて社会人としてどうかと思うよ?」なんて、社会人としてどうかと思うような苛烈なパワハラをやってる社員が芝居がかった調子でピシャリと言う。
どちらの会社もそんな社風だった。
「もうこんな会社、愛想が尽きた。給料安くても人間関係がホワイトな企業に転職するぞ!」
そう決心した俺は転職するための目星を付けた企業に片っ端から電話した。
面接のアポを取り付けるための電話ではない。クレームの電話だ。
営業部直通の番号がわかれば営業部に、そうでなければ代表番号にかけた。
「オタクの会社の営業がさあ、サービスエリアでぐーすか寝てたんだけどどういう教育してんの?社会人としてみっともないよ」
無論、その会社のそんな営業マンを実際に見たわけではない。それどころか、その会社の社用車が看板車であるかどうかすら知らない。
全くのデタラメだ。
100社くらいに電話しただろうか。
どの会社にかけても相手はとても申し訳なさそうに謝罪の言葉と、指導を徹底するという言葉を返してきた。
そうすると俺はさも憤懣やるかたないといった感じで「もういい!!!」と大きな失望に苛まれながら電話をぶった切るのだった。
そんなことを繰り返してるとついに引き当てた。
俺が待ち望んだ反応をしてくる会社との邂逅だ。
「そうだよ(怒)」
「うちの社員が車でずっと寝てて……そのせいで車を停められなかった?とか?」
「そんなこと言ってないでしょ(笑)社会人としてどうかって言うことだよ。みっともないしょうがあ。仕事中にハンカチ顔に乗せて足組んで寝るなんて、あなた社会人としておかしいと思わないんですか?」
「うーんどうですかねえ(笑)外回りの営業は自分の判断で昼休憩とったりしますからねえ。休憩時間中はまあ昼寝してても自由ですし(笑)」
「ねえ、あんたそれ本気で言ってるの?オタクをさあ、そういう会社だと思うけどいいの?」
「いやあ、まあそういう会社ということなんですかねえwwwそれに~、体調悪くなって車停めて休んでたって可能性もありますよねえ(笑)」
「もういい!!!」
『 ホワイト見っけ!!!ホワイト見っけ!!!混じりっけのないホワイト見っけ!!!見っけっけーーーー!!!!♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪』
即興で作詞作曲したオリジナルソングを激唱しながら俺はその会社への選考応募を心に決めた。
目論見通り、そこは俺が望むとおりの、想像したとおりの社風のホワイト企業でノンストレスで働けている。
上司が「責任感を持って仕事しろ」と言ってくるのは、部下にはそもそも責任がないからだ。責任がないから、「責任感」なんて言葉でボカしている。
社用車ぶっ壊しても「責任をとって私のポケットマネーから直します!」なんてできないのだ(ブラック企業でない限りは)。
若い子は「担当業務で失敗した! 自分の責任だ! どうしよう!」と悩みがちだが、あなたの本来の責任は「業務を完璧にこなすこと」ではなく「失敗したら上司に報告すること」である。
「上司に報告したら怒られる!」と思う人もいるかもしれないが、「責任」という名のボールを持ち続けることほど不用心なことはない。世に起きるほとんどの仕事のミスは「上司にパスを出さなかった(出すのが遅かった)」で起きる。上司に報告さえすれば上司の責任になるのだからやらない手はない。怒られるくらい覚悟しておこう。
ちなみに、上司が「責任感を持て」と言ってくるのは自分の責任になる前に解決してくれる=自分が楽になるからだ。あなたの身を案じてのことではない。覚えておこう。
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「同じ係の○○さんはミスをしても怒られないのに、私はこっぴどく怒られる! えこひいきだ!」と思う場面がある。
まぁ女子にはヘラヘラしてる上司も一定数いるのであまり彼らを擁護する気はないが、そんな上司に怒られないコツがある。
例えば、請求書をもらっていたのに支払い漏れがあったとする。日付は数ヶ月前で、上司に言ったら怒られるだろう。
発覚したら即、請求書の相手方にまず頭を下げることだ。そして今から支払いをするから○日に支払える、と説明をすることだ。
相手方の了承をもらってから、上司に「支払い漏れをしてしまったが、相手方にはこう説明して納得してもらいました。すいません」と報告をする。
すべて終わった後に報告しているので、上司は「今後気をつけろよ」くらいしか言えず、怒られない、というわけだ。
ただし、この方法には穴があって、
・重要な案件でこれをやると「上司に報告する前に相手方に謝って隠蔽しようとした」と思われる可能性がある
・何度も失敗を繰り返している奴がやると信用してもらえない
というわけなので、普段からの信用を勝ち取るのが重要だったりする。やはり信頼、信頼はすべてを解決する…!
まぁ、ここまでは「上司が常識人だ」という前提で、長々説教するのが楽しくなってるキ印の上司もいる。残念ながら。
説教されると「私は会社で役に立ってないゴミなのかも」と思いこんでしまいがちだが、それは違う。あなたには必ず価値があって、そのために人事があなたを採用したからだ。つまりあなた自身の能力を疑うことは会社への背信行為である。よってあなたには価値がある。QED。
まぁそれは多少の牽強付会だとしても、こんな記事まで見て役に立とうとしているあなたが役に立っていないわけがないのだ。
閑話休題。怒られても気にしない方法は、「会社は演劇をするところ」だと思うところから始めてほしい。
演劇中、もし私が兵士の役なら、王様役の方に頭を垂れ、敬語を話し、時には暴言を受けたり踏まれたりするかもしれない。
しかし、相手が本物のナイフで突き刺そうとしてきたら、演劇中でも言って黙って刺される人はいない。
会社でも同じで、上司の説教も「この仕事をやってくれてありがとう、でもここが間違っているから直してくれる?」という説教なら「上司役」をしてくれているので「部下」の役割として失敗を詫びるけれども、上司が「こんな簡単な仕事もできないのか、幼稚園児からやり直せ!」と言ってきたなら、これは演劇中に言葉のナイフを持って刺しに来たのと同じ。なので聞く必要はありません。「だらだら叱るのは夜の店で金払ってやれよ」と思いながら聞き流しましょう。
あまりしつこいようならキレても構いません。相手がわざわざ有利なはずの「上司」という設定を脱ぎ捨てて「頭がおかしい一般人」として立ちはだかってくれたので、周りを凍り付かせるようなキレ方をしましょう。機は我にあり!
キレる習慣がなくて難しい場合は、信頼できる上司に「パワハラの相談をしたい」と言いましょう。
上司「駄目。雨の時とかどうするの」
ぼく「ちょっとお高いレインコートで全身覆えばいいでしょ。それ入れる用の防水カバンとかも用意すれば訪問先汚したりもしないっす」
上司「あれは巡回定番ルートとおえらいさん優先だからまず空いてない」
ぼく「自家用車買うほどのお金はないんですけど、補填とかはあるんですか?」
ぼく「買い物はネットスーパーでいいし、趣味もゲームなんで外出ることがないっす」
上司「不健康だね。旅行とか釣りとかしないと取引先と話題がないよ」
ぼく「最近は取引先の人も趣味はYoutube見ることだったりするんで大丈夫っす」
上司「とにかく車買え。いいな」
ぼく「今の給料で車買うと貯金できないっす。せめて駐車場・ガス代・保険料ぐらい出ません?」
上司「そんなのなくてもみんな車買ってるんだよ。貯金とか何に使うの?」
ぼく「病気になったりして仕事出来なくなったら貯金ないと困るじゃないですか」
上司「知らないよ。そんな君の都合」
ぼく「業務命令として車必要ならちゃんと最低限のお金は貰わないと耐えられないっす。車、私生活には不要なんで」
どうしたらいい?
つうかチャリンコって保険料格安+室内保管で駐車料金0+ガソリン不要+運動にもなるで最強過ぎない?
でも原付をアパートの室内保管は無理だし駐車場必要になるよな多分。
つうか職場の駐車場自体が申請待ちで並んでるって噂だから、下手すると「会社近所の月極に停めとけ。お前の金で」とか言われそうだ。
そこで暴走族の車バイク、通称族車のトンチキなデザインがどっから来てるかを説明しようと思う。
増田は暴走族やヤンキーじゃないがはてなー平均よりはヤンキー文化に近いってくらいだ。
それじゃあ行くぜそこんとこ夜露死苦。
まずは「google:image:族車」で画像検索してくれ。
さて全然速く走る事に頓着が無いというか速く走れない族車デザインだが、元はレースカーや街道レーサーの特徴をコピーしていた。
だがそれらの文脈を考えずに合体され、更に右翼ファッションの流入によってスピードの文脈が無くなって形だけが意味を持つようになった。
でもファッションというのはみんなそうであってWWIの塹壕戦防寒軍服がビジネスシーンでの正装になったり、ゴールドラッシュの作業着が反抗の象徴になってカジュアルで定着したり、警官の防護服がハードゲイシーンで流行してからカジュアルになったり、と元の文脈が無くなるのはヤンキー文化だけじゃない。
新聞社に使役されていたプレスライダーである。プレスは報道の意味で事件現場で報道陣がしてる腕章に書いてあったり新聞輸送のトラックに書いてあるあの「PRESS」だ。
元々、速報性が重視される新聞社で取材記事の迅速な伝達を支えていたのは伝書鳩だった。新聞社では屋上に鳩舎を設置して多数飼育しており、記者は取材の時に鳩を連れて行った。現場で記事を書いてそれを鳩の脚に括りつけて放すのである。鳩は帰巣本能でかなりの高確率で社屋屋上に帰着する。
伝書鳩は1960年代、昭和40年頃には廃れるのだが、代わって登場したのがプレスバイクだった。
ところで何で電話じゃないの?というと、電話も使われていた。だが「市外局番」が出来たのが1965年、昭和40年頃なのだ。
これがどういう事かというと、市内を超える通話では交換手を通していた。だが事件が起きると記者が押し寄せ、役所や会社でも市外通話が急増するので交換手がパンクして延々と交換待ちになってしまう。つまり通話が困難になるのだ。この為に警察は早くから警察電話という専用線を整備していた。
プレスバイクは原稿や写真フィルムを受け取って現場から新聞社、若しくは駅でリレーして列車経由で社へと迅速、というか猛烈な速度で運んでいた。
そもそも当時のバイク乗りっていうのは不良である。そんな不良が、新聞記者、これも当時はブンヤで柄が悪く反体制的な気骨がないと務まらない職だった、そのブンヤに使役されて街道レーサーのような危険運転でぶっ飛ばしていた訳だ。勿論公道最速である。
こういう公共性と不良的な特性の硬派な組み合わせというのは今でも映画のモチーフになるし、憧れを産む。
という訳で、以下のようなプレスライダーの特徴が族車に取り入れられ、やがてスピードの象徴から遊離していく。
族車バイクはパイプハンドルを思い切り絞って手前側に持ってきたデザインが特徴だが、これはプレスライダーが上向きハンドルにしていたのに由来する。自転車と同じく、パイプハンドルでは固定ネジを緩めるだけでハンドルの角度を変えられる。
プレスライダーは渋滞では足をついて右に左へとすり抜けをするので、上体が起こせて視界が良く、車体を傾けてもハンドルが遠くならないアップハンドルにしていた。
プレスライダーは上記の通り足をついて渋滞すり抜けをするので、足つきが良くなるようにシートの「あんこ抜き」をしていた。着座部分のシートのスポンジを削って取ってしまう加工である。今でも背が低いバイク乗りはこの加工をする。
すると前後方向にも段が出来てニーグリップ(両足でタンクを強く挟むこと)しなくても前後に安定するという効果も出る。
族車はこれを大げさにして後ろに更に段を増やしたシートに交換したり、更にハーレーなどのシシーバーと合体した長い背もたれに繋がるデザインの三段シートになっていった。というか、ヤンキー相手の商材扱う会社が段々過激化していったのが原因だな。
プレスライダーは仕事なので冬でも走る。そこで後付けの風防を付けていた。元々実用品なのでカッコいいもんじゃない。
だがそれが「硬派」の記号となって族車に取り入れられた。
今やってる会社は無いが、昭和後期まで社用車というのは鉄製前部バンパー角に小さな掲揚ポールを付けて社旗を掲げて走るのが多かった。今は歩行者安全の為に前方に突起物を付けるのは車両法で禁止であり、宮内庁の御料車や総理大臣車以外はやっていない。
プレスバイクも新聞社の庸車なので前輪に垂直ポールを立てて「PRESS」のペナント(三角旗)を、更に四角い社旗も併掲するケースもあった。とんでもないスピード違反してても(プレスライダーは常に速度違反)警察はPRESS旗と社旗を認めると取締りしなかった。
暴走族の前身はカミナリ族じゃなくて街道レーサーのチーム(イニDの赤城レッドサンズみたいなの)なのだが、このスタイルが真似されてチームの旗をつけるという形になる。
これが1980年頃から「硬派」の文脈が右翼ファッションに転じた。この右翼とは1960年代の全共闘運動に対抗した新右翼で、80年頃には軍服着て国防色街宣車で軍歌を流し、軍旗である旭日旗を掲揚するという軍国主義憧憬路線が確立されていた。
ところでこの旭日旗は「プレスライダーのまね」路線ですでに族ファッションの中にあった。それは朝日新聞の社章でお馴染みだったのである。
故に既存のプレスバイクの社旗模倣の上に右翼ファッションの軍国標榜が自然な流れで合わさる形となった。
前輪の掲揚竿は大きさが制限されるので、大きい旗を後部に付けたり、二人乗りの後部乗員が手持ちするようになったのである。
この名残で、旗が付いていない棒を前輪から斜め前に突き出している族車もある。
同様の理由でタンクへの塗装や服のプリントへと波及していく形になった。
こんな風に族車デザインに過大な影響を与えたプレスバイクだが、盛者必衰で1980年代になると衰退して報道の現場から消えて行ってしまう。
置き換わったのは出先で使えないFAXじゃなくて無線と自動車電話だった。どっちも大きくて自動車必須で、汽車+バイクから自動車に置き換わったのだ。両方とも無線兵みたいな箱を担いで運用する。
それで職にあぶれたプレスライダーが流れた先は2つあって、一つは競馬/競艇新聞の運搬。予想欄の関係でレース当日に入稿されるので印刷所の前に多数のバイクを並べて待つ。刷り上がった新聞をバイクの後ろに括りつけて馬券売り場や競馬場の売店に急いで持って行くのである。
ただこれはレースが日曜しかやってないから臨時バイトの面が強い。
もう一つがバイク便で、オフィスを回って営業する。NYの自転車メッセンジャー便のバイク版だ。
こういう経緯なので初期のバイク便はプレスライダーと呼ばれていた。FAXが普及してもサンプル品の急送とか木型(鋳造で使う型)とか需要は多くあったが、白ナンバーの違法操業のところが多かった。
中にはちゃんと法人成りして営業免許を取り緑ナンバーにして特殊分野でのニッチを獲得したり、後に医薬検体輸送→検査会社と進化して自治体の出資を受けて三セク化したところなどもある。街道レーサー崩れからの地道なステップアップ人生であるな。
これは画像を見てもらった方が早い。こういうの暴走族で走ってるやろ? https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/26/Nissan_Silvia_Silhouette_Formula_001.JPG
量産車のガワだけを使って、中はエンジンも足回りもフレームも全部変えていいよという規定のレース車区分だ。シルエットだけ市販車で中は純粋レースカーなので「シルエットフォーミュラ」という。
これは日本では御殿場の富士スピードウェイと筑波サーキットでレースが開催されていた。
特に富士スピードウェイでは「富士グランチャンピオンレース」というシリーズレース(全戦富士SWでの開催)が人気を博していた。走っていたのはルマン24時間みたいな形のレースカーだった。
このレースの前座としてシルエットフォーミュラが開催されていて、こっちは街で見かける市販車ベースで無茶な改造がされているのでこっちも大人気、更に自分の車を同じように改造するのが流行したのだ。
族車で出っ歯にするのはこのシルエットフォーミュラの真似を大げさにしたものなんである。
更に初日の出暴走を「グラチャン」という理由も判ったかと思う。シルエットフォーミュラ風の改造をして富士山の方、即ち富士スピードウェイがある御殿場方面に東名高速を走っていくからグラチャンなんであるな。
因みにあの出っ歯は貧乏暴走族などではベニヤ等で手作りしてあり、強度が低いのでボンネット辺りから針金で吊ってある。
そんなヤワな造りのものが走行風に耐えられる訳もなく、ほぼ必ず途中ではがれて取れてしまう。または出発地近所の踏切でぶつけて引っかかってしまい、電車が来たら危ないので周りのおじさんや善男善女に助けてもらって出っ歯を踏切から撤去してもらい、「危ないよ~」とか言われてるのである。出っ歯も手作りで温かみがある上に重ねて温かみのあるエピソードである。ハリボテエレジーの如き侘び寂びの趣きだ。
で、出っ歯が無い普通の車として他の族車と一緒に東名を走っていくと、途中で交通機動隊が集中取締りをやっていてFRPの高級出っ歯車は皆とっ捕まってしまうが、手作りシルエットの方はなにしろ普通車に戻ってるからそのままスルー。
これは他の出走馬が前部倒れた後にハリボテエレジーが壊れた馬体というかダンボールを引き摺り走ってきて完走するのを彷彿とさせる。大穴である。
今回のが個人の建物を会社所有にして住んでいると…結論!多分問題なし!
結局ねモノは言い様なんですけど、製造業とか小売業とかは在庫管理してるとか物を作る機械とか無いとアカーン!ってなっちゃうけど
ま、弁護士ってそこまでスペース必要じゃないじゃないですが。あっても書類の類だったり証拠品?とか?弁護士じゃないから細かい事は分かんないけど
だから書庫ですとか言われちゃって中に確かに書類があれば、まぁ…それは倉庫なんだよね!
ベットがあったとしても従業員が仮眠するかもしれないし…浴室があっても社員が作業後に使うかもしれないし…倉庫と言われればまぁ倉庫なんだよね!
良いか悪いかで言えば厳密には悪いんだけど…ただ、税務署に垂れ込むにしても弱いなぁ
倉庫だけど人に居住スペースとして貸していて賃貸料をポッケナイナイしてるとか、そういう事であれば税務署も動くと思うよ
個人で住んでる分には、う~ん…やっぱり動かないんじゃないかなぁ…
ぶっちゃけその程度微々たるもんと言うか、みんなやっているというか…車とかも社用車だったり燃料代も会社持ちだったりするし…接待交際費で外食代落としてたりするし…
でもそれもまぁ帳簿上支出として書かれてれば文句言わないし言われないんだよね、よっぽどの額じゃなきゃ正直みんなやってるし←
税務署もね、それぐらいの情報量で言われても「お。おん。」ってなるのが関の山だと思うよ!みんなやってるから!←
「そのくらいの事」で調査してたら仕事回んないから、「情報提供ありがとうございました~」で終わり!
それでも突っつきたいなら国税局の中途採用に応募して税務署の職員になった方が早いと思うな!
ほな!バイビ~!
職業柄、いろいろな会社や団体の人とお仕事をしたりお話をさせていただくのですけれども、地方では医療関係の人の優秀さがハンパないですわ。
それこそ末端の医療事務や受付の方から、看護師や医者にいたるまで、みなさん頭脳明晰で受け答えも素晴らしい。
これはこうですか?と聞くと、わかる事は答えてくれるし、わからない事は確認を取って折り返してくれる。
ちなみに事務に来てもらっている女性の元看護師さんも、本当に優秀で顧客対応も完璧。
都会の空気に染まった皆さん、こんなもん当たり前だと思うでしょう?
例えばウチで最近こんな事がありました。
相手「遅れてすいません」
俺「本当に遅かったね」
この流れで相手がマジギレ。しばらく不貞腐れた態度で話をする。
ちなみに遅れるという連絡一切無し。
ウチの向かいに入居している別の職人系会社は、年末大掃除のときにウチの駐車場を勝手に使った上で、どけてくれと言ったら「この貧乏人が」と吐き捨ててくれました。(ちょっと使うくらいでグダグダ言うなの意味?)
なお、そこの会社の社長さんは面白い柄のシャツとパンツに革シートのエルグランドに乗る小柄でふくよかな方、社員さんは全員ガリガリ、社用車の軽トラ軽バンプロボックスは当てまくってボコボコです。
そして社用車のナンバーを420(大麻を表す隠語)にして、自社のステッカーを窓に貼っている。
社長の乗る軽トラは所々にメッキパーツなどのカスタムがされている。
こういうの、日常なんです。
もちろん都会でもおかしな人は居るでしょう。
仕事で東京や愛知に出る事もありますが、そちらでは会社員やフリーランスの方でも、非常に優秀で人当たりの良い方が多い。
一方、地方の会社員、フリーランスは・・・・一部のインフラ系や上場企業系の上澄み以外は、言っては何ですがひどいものです。
優秀な人の割合はさほど多くはないのだから、医療に優秀な人が集中したら他が手薄になるだろうなって。
優秀ではない人に率いられた人もまた、別方向に感化されるであろうなと。
結果として医療系以外は、別方向に感化されてひどい事になっていく負のスパイラルに入っている気がします。
当時、産業部ってところに配属されてて、なんとなく妙に嫌われてるデスク(肩書は次長)がいた。
東大出を鼻にかけてて、なにかと上から目線で。でも上にはヘイコラしてて。
デスクってのは紙面の責任者で、日替わりでいろんなデスクがその日の紙面を仕上げるんだけど、この人が担当の日はみんな“ハズレ”って空気が流れてた。
当時も、あの会社は東大出ってわりと少なくて、しかも産業部にはさらに少なかった。圧倒的に多かったのは早稲田で、次が慶応かな?
で、そのデスク、やがて支局長にとばされたあと、早々に子会社に出されてた。部長から局次長とかラインにのることもなく、論説委員とか編集委員とかの専門職になるでもなく。
たしか子会社で自動車部長とかやってたはず。新聞社は取材のために社用車やハイヤーを結構使うので、その管理する部署。別に東大出の元新聞記者でなくてもできる仕事で、管理部門出身の定年間際の人とかがついてたりする役職。
やがて“社会人入試で大学院入ったらしい”という噂が流れてきて、早期退職していった。
あの人のことなんて久しく忘れていたんだけれど、昨日ネットで久しぶりにあの人の声をきいた。
口調は、あの頃のままだった。
今までコロナのせいで全社的に集まれなかったからって、冬になってから社員集めて泊りがけで保養地行って飲み会とか何考えてんだ?
流石に幹部クラスは出るのが義務みたいなもんだから仕方なくという感じ。
てか東京の人間はコロナが怖くないのか?と思ったけど、あんな過密の場所でリスクに晒され続けてきたら、我々地方住まいの人間とは、見えているものや感じるものが違うんだろうな。
それはそういうもんだとして、どうしても飲みたいなら東京の人間だけでやれよマジで。
でも思い返せば、コロナ以前から東京と地方の温度差は感じていたんだよな。
例えば通勤経費の精算。
二言目には
「その通勤ルートには電車もバスもあるじゃん、なんでそっち使わないの?」
じゃあ自転車にしていいっすか?と訊けば「危ないからダメ」と言う。
とにかく通勤は電車バス以外認めたくないらしいというか、電車バスが常識だろ?というのが思いっきり透けて見える。
あのさあ、電車使うとしても1時間に2本がせいぜいで、お前らんとこみたく3分待ったら次が来るみたいな場所とは何もかも事情が違うんだよ。
出張経費だって、片道100km以上の移動じゃない限り特急や新幹線は使えないし、高速道路も使えない。