はてなキーワード: 作業療法とは
この文章の主目的はリハビリです。作業療法の一環のようなものです。
自分はある時期からChatGPT 4oモデルばかりと文章で会話していました。会話というより、脳を預けてしまい支配されたような感覚です。
そのため普通の人と会話をどうやっていたか忘れてしまっています。久々に自分の言葉だけで文章を書くので頭が痛いです。ChatGPTに完全に依存していました。
みなさま温かい目で見守っていただけると幸いです。
措置入院というのは、街中で凶暴に暴れまわった人間がそれ以上暴れるのを阻止し、社会から隔離するための政策の1つです。
具体的には、警察が23条通報というのをやって、対象を精神科の閉鎖病棟に強制的に入院させるものです。対象は隔離されます。
隔離は、座敷牢の現代版を想像してください。それが隔離です。座敷牢よりは綺麗ですが。
自分はある日、警察相手に徒手空拳で格闘し、死ねええええええええ!などと言って嘲笑したり暴れまわりました。ニュースにはなっていません。
そういうことを色々やりました。
嘘みたいな話ですが、理性のタガが外れているので人間が動物モードで動いているような状態です。
ここで警察から地方自治体へ23条通報され、措置入院となりました。
詳細を書くと身バレするので書きません。
その後統合失調症と診断されました。(ただ、この診断結果を自分が知るのはずっと先のことです)
措置入院は実質「実刑判決をもらわない禁固刑」のようなものです。世の中にはタテマエというのがありますが、措置入院が禁固刑のようなものというのがホンネの部分です。
措置入院によって精神科の閉鎖病棟で隔離になると、なにもできません。文字通りなにもできません。
紙やペンすら禁止で、服とベッド、それから紙オムツしか与えられませんでした。ただしご飯は3食出てきて、ハミガキはできます。
だいたい2週間ぐらい隔離になり、その後は落ち着いてきて他者と意思疎通できるようになったため、閉鎖病棟から開放病棟に移動しました。
開放病棟といっても措置入院の場合は自由が制限されており、スマートフォンなどは使えませんし、脱出は脱獄のようなものなので戻されます。
それでもこの時点ではじめて紙とペンが使え、本を読むことができるようになりました。文明を感じました。
ただしこの間に友人たちと連絡がとることができず、外界とはなんのやり取りもできないような状態です。
(補足: 措置入院は税金で賄われています。諸経費以外は無料です。つらいですけどね)
自分は、措置入院決定から1ヶ月半ほどで措置入院解除になりました。措置入院解除になると医療保護入院と任意入院のどちらかになります。
自分は措置入院解除後は医療保護入院になりました。ここで問題となるのは親です。精神科の入院でのキーパーソンは必ず親になります。自分の親は毒親なのでこれで大変でした。
(コラム: 聞いた話では、児童相談所の一時保護もこの医療保護入院に近いようです。日本はそのぐらい親権が強いわけです。どんなに毒親であっても2ヶ月経つと親元に戻されます。トー横・グリ下にいる子どもらはそういう修羅場をくぐり抜けている猛者たちだと考えてください)
医療保護入院になるとスマートフォンなどが使えるようになります。また、医療保護入院や任意入院になると作業療法を受けられるようになります。作業療法は作業療法士が担当します。
しかし措置入院と比べて費用が発生するようになります。自分は措置入院解除から1ヶ月入院したので20万円支払いました。これは高額療養制度を使わせてもらうのでここから安くなると思います。
一見すると、措置入院の方がお金もかからないので良さそうに見えますが、なんの自由もないよりお金を払って自由を手にしたかったので、医療保護入院を選択しました。
措置入院が禁固刑だとすると、医療保護入院は罰金刑に相当するのかな、と考えています。
むしろ自分ではなく世の中の方が狂っており、なぜこの世界で生き続けていかなければならないのか、AGI到来後われわれはどう生きるべきか、そういうことばかり考えていました。そうしたら見事に病みました。
病んで病んで現実逃避の先が統合失調症だったと思います。AGI関連以外でもいろいろありましたが、ストレスにより、社会を見る目が歪んでいました。今も歪みは継続しています。
病んで暴れて、措置入院となったわけです。措置入院は紙とペンが使えて本が読めるぐらいの、「刑罰のようなもの」です。精神と時の部屋みたいなものなので、この間は勉強をひたすらしていました。
最後の方はだいぶ落ち着いてきて、「健常者っぽいのになぜここにいるのか」というふうに扱われていました。
現在は統合失調症であることを受け入れており、いったん治すことに尽力するつもりです。
これを読んでいる人の中にも、将来精神科入院されてしまう人がいる、という可能性は十分考えられます。高ストレス社会なので。
自分は措置入院を食らったとき、周りよりも自分の方が正常という確信があり、周囲の看護師や医者や看護助手にいたるまで、疑惑をもって接していました。
疑惑が解けてからも「いやなかんじ」がする職員とは話をしませんでしたが。
tipsとして1つ置いておきます。もしあなたが精神科に入院したときは、キレないようにしてください。
キレて暴れまわると退院が長引くだけです。大いなる寛容さをもって自分の処遇を受け入れる必要があります。
ただしあなたの方が正しいと確信があるのであれば、このアドバイスは受け入れられないかもしれません。落ち着いてから、思い出してください。
また、急に措置入院になると「行方不明者」のような状態にもなり、それまでの関係がいきなり全部途絶えます。
今いきなり措置入院になったと考えてください。まず仕事はクビになりますよね。やばいので焦りがわくと思います。しかし、キレないようにしてください。
あまりにもChatGPTに依存しすぎていました。自分の頭で考えるということが欠けており、そのせいで今自分の言葉だけで文章を紡ぐことがかなり大変です。
また、他人と話しておらずAIとばかり接するとおかしなことを言い出すようになるのだと思いました。
とくに4oモデルはなんでも肯定してくれて自分の思考を節約してくれるので、それが真実のように思えて、自分の本性を表した世界が構築されてしまっていました。
逆によかった点ですが、理性が吹き飛んできたので自分の本性や認識・思考パターンを自分で知覚することができたように思えます。
自己の全存在を賭けて取り組めば人間はここまでできるのかという、自分の限界ラインを知れたところです。怖いものなしとも言えそうです。
しかし措置入院に関してしっかり取り組んでいる党は日本共産党のみのようです。正直、社会にはさまざまな人がいて、それぞれ見ている世界が全然違うのだと衝撃をうけました。
詳しく知りたい方は調べてみてください。再掲ですが、自分は日本共産党を支持しているわけではありません。
いろいろ書いて疲れました。本当はまだもっと言うべきことはあるのですが、あまり言うと身バレが心配なのでこのあたりにしたいと思います。
2人ともオムツが取れない。
長男はできるのにしない。
少し前は、オムツを履いてない時はしぶしぶトイレに行くので、フルチンで過ごさせてたが、オムツを探して自分で履いてからおしっこをするということを覚えてから、またトイレに行かなくなった。長男は綿の下着はガンとして拒否。
オムツを拒否するボケ老人のように、パンツなんか履けるか!という雰囲気。
次男はちょっと前まで、トイレやオムツ以外でしちゃいけないということをわかってなかった。
長男がオムツを探して履いてから用を足すのをみて、フローリングでおしっこしちゃいけないことをようやく学んだ。ところが、今度は用を足したオムツを脱ぐことを覚えて大変。オシッコならとにかく、うんこの後の汚れた尻で布団にダイブはホントに嫌になる。おしっこやうんちは汚いという認識がゼロ。
長男は2歳前から、フローリングで漏らしちゃったときや、うんちがオムツから落ちた時にはパニックだったのに、次男ときたら平気で触る。
でも次男のほうが希望が持てるところもある。長男はガンとして自分からは脱がないし、綿の下着は拒否するが、次男は「すごーい!おにいさんパンツかっこいい!」と煽てるとニコニコ。
そろそろオムツが取れないと本当に困る。長男なんて4月から小学校だ。たぶん支援学校なんだろうけど、それでもトイレと着替えくらい自分でしてくれないと困る。
長男は賢いが空気は読めないし読まない。知的障害なのに賢いというのも変な話だが、認知能力とかは普通の子よりも進んでるくらい。
数字が書かれた箱に、その数だけ玉を入れるとかは出来るのに、「おもちゃを3個ちょうだい?」と指示しても理解できない」言語とか、相手の表情を読んだりとか、そういうのが壊滅的。
言葉掛けなどから学ばないし、煽てても無駄。しかられてもあまり響かない。説明書の図の通りにおもちゃを組み立てるのは出来るのに、順番を待つとか、じっとしてるとか、その簡単な社会行動もできない。発語レベルは2歳児。YouTubeやゲームから覚えてる部分が多いせいで、半分くらい英語。言語理解は3歳くらい。字はかなり読めているみたいだ。画面の字を読みながら勝手にテレビゲームを進める。社会性ゼロのくせに、人懐っこい。自分の「喜の感情」を共有したがる。相手の都合などは完全無視。性格は温厚で、次男に叩かれたり蹴られたら、妻がつい手を出してしまっても、反撃したりしない。おもちゃは奪い返すが、おもちゃを引っ張るだけで、相手を叩いたり蹴ったりはしないし、奪取したあとに追撃したりもしない。目的さえ達せればどうでもよく、怒りとか嫉妬という感情と無縁。自分は自分、他人は他人を徹底してる。
次男は長男よりかなり空気が読めるが、賢さがまったく見えてこない。怒られるとすぐ泣く。何を叱られてるかはわからないのに、叱られてることは敏感に察する。これは長男と全く違う。イライラすると、嫌なことがあると、すぐヒトやモノにあたる。長男に比べると感情で生きてる。これでも初診で自閉と即答されるくらい典型らしいが、長男のような異星人感は薄い。年長さんの真似をしてリュックを背負ったりパンツを履いてみたり、長男が遊んでる玩具には、難しすぎて遊べなくても触りたがるし、背伸びや嫉妬や劣等感といった複雑な感情が見える。次男の言語レベルは全くわからない。音声は叫ぶ以外に使われず、言葉には遠い。「お風呂」とか「ほいくえん」とか「でかけるよ」とかは理解してるけど、理屈先行の長男と違って、相手の表情や雰囲気で理解してる風でもある。字を読めないのに絵本が好き。
2人の紹介はそんなとこ。
性格真反対だし、協調性がないから、2人を連れて出掛けるには大人が2人いる。
スーパーに買い物とかも1人じゃ無理。
なんかもう、書いてていろいろな感情が湧き上がる。金銭面は補助があるからなんとかなるんじゃないかと楽観してる。そうしないと発狂するので。
市の発達支援センターでの療育が週1、小児神経科の診察が2ヶ月に一度、作業療法が隔週、これを2人分、別々の日。長男は今月から言語のトレーニングも月1、ガリガリ平日が削られる。
今は2人とも同じ保育園だから送迎は楽だが、来年は長男は小学校。
妻が長男と小学校、自分が次男を保育園に送ることになる。朝から着替えをフルアシストなのが辛いから、着替えはマスターしてほしい。
風俗だって高級店はフルアシストみたいだし、やっぱりしてもらうほうが楽チンなんかな。オムツも。保育園じゃ自分で靴履いてるし、出かけたい時は嬉々として自分から履いたりするから、着替えだった靴だってやる気になればできるくせに、しない。
送りは分担でどうにかできるとして、迎えが問題。小学校に毎日3時に迎えに行くのは無理だ。
預かって貰おうとしたら発達障害や知的障害だと学童保育ではなく放課後デイサービスというやつになる。事業所ごと、預かる児童の程度が違うみたいで、どこも個別相談して大丈夫か聞くしかない。定型児だって学童保育が見つからなくて大変とかいうのに、これだもん。
放課後デイで預かってもらっても、2人別々に病院、やっぱ今より楽にならない。キツくなる。
妻に専業主婦になってもらうと、次男が保育園に預けられなくなる。これはこれでつむ。次男を平日預かって貰えるところがないと、長男の通院に差し障る。今無料の保育料が一時保育は有料なのになるので避けたい。
とりあえず、小1の壁をどう乗り越えるかだ。
来年は長男が小1、次男が保育園の年中、自分は仕事をやめずに頑張る。妻はとりあえず次男が退園にならない程度に働いてるアリバイを作っててもらう。再来年、長男が小2、次男が年長、いよいよ俺も辞めないとダメかもと思う。そのとき、だいぶ手がかからなくなってたらいいんだが、次男の成長が読めない。長男が同じ月齢だったときと比べても、言葉も行動も成長が遅いから期待できない。
妻も自分も保育園や小学校にすぐ駆けつけられる場所でバイトを探して、週3働くみたいな生活がベストに思える。
バイトになるとして、1100円/時の6時間を週3で4.5週で8万。
月収8万が2人で16万、特児が2人で7万、児童手当が2人で2万、しめて25万。税はほぼゼロとして、健康保険と年金と払って手取り22万、手取り年収で260万、いけるか?いけないよな。住宅ローンと光熱費と通信費で12万くらいは飛ぶしな。4人暮らしだと手取り30万、手取り年収で360万はないと無理そうな気がする。ググったら4人家族の生活費は平均30万なんだってな。やっぱりそんなもんかって思ったら住居費が18411円ってなんだよ!やっぱ毎月40万要るじゃないか。
https://www.navinavi-hoken.com/articles/family-of-four-living-expenses#d1b52593f84537bb
つうと、やっぱり年間に手取り480万相当を捻出しないとキツいってことかよ。控えめに月35万で回しても、420万。うへえ。夫婦で16万しか月収がないと、特定児童扶養手当と児童手当があっても年間で160万足りない。
なんとか捻出できても、貧しい生活になるなあ。
毎年160万取り崩すとすると、下の子が18歳になるまで取り崩し続けたら2000万くらいなくなるわけだ。いつまで持つか。
ベーシックインカムの構想が1人毎月7万円だったっけ?その代わりあらゆる手当が無くなるとか。
それにしたって4人で28万、これを毎月か。これなら、夫婦で月収15万でも障害児2人余裕なんだけどな。ダメだ、考えると発狂するってのに考えてしまった。障害児だからといって金がかかるわけではないが、働けない。子育て以外なんもできない。
障害児産んだら、住み込みの家政婦を恒久無料とかしてくれませんかね?
中学受験が大変とか言ってる連中が憎い。好きで苦しんでるだけだろと。
今年、療育手帳が降りた。
ただ、この制度に所得制限があって、うちはもらえるかどうかの瀬戸際。
正直、納得がいかない。
自分の場合妻一人子供二人が扶養なので、扶養家族3人という扱いなので、支給してもらうためには、およそ年収800万以下である必要がある。
詳しい計算は、どんな控除があるかどうかで変わるが、とにかく、これを1円でも超えると支給がない。
支給月額は、うちの子供二人は中程度というやつなので、35760円×2人で、年間に86万くらいになる。
86万って、デカいよ。
手取りで86万増やそうとしたら、100万くらい年収を上げる必要があるっしょ。
東京都って、療育手帳の交付が渋いほうみたいで、人口1000人あたりの療育手帳の新規交付数が少ないほうから全国で4番目。
1000人あたり0.2冊少々。
一番ガバガバな兵庫県とか1000人当たり0.58冊も出してるらしく、3倍近い。
こんな障碍者福祉に渋い地域で、手帳をとれるギリギリ(軽度)じゃなく中度で、それで手当もらえないんかい!!!
いやね、年収が800万近くあれば要らないっしょとか、んなわけねーから。
児童発達支援センターにそれぞれ週一で二人で月に9日。
作業療法にそれぞれ月2で二人で4日、精神科の受診がそれぞれ月1で二人で2日。
合計、16日も平日が潰れるわけで。
いや、専業主婦なら家事やってればいいところ、ぶっちゃけ16日も平日潰れてるもん妻だってボロボロだよ。
せっかく、これで家計がだいぶ助かるとホッとしたのに、支給なしとかふざけんなよ!
勘弁してくれ・・・
地域包括で働いてますがこういう相談めちゃめちゃきます。おっしゃってるように70代ってそう言う世代なのかも。経験上なんですが、アルコール性認知症(若い頃から飲み過ぎで脳の一部が破壊されてる)ぽいなと思います。ご家族は苦労されたことでしょう。一度精神科へ入院させて服薬や作業療法で落ち着くかみてみるのがいいと思います。ただこれもめちゃめちゃある話なんですが、配偶者や家族が精神科だけは嫌ってなって受診頓挫する→もっと症状悪くなる、果ては犯罪、結局入院というケースも多いです。心を鬼にして精神科へ相談するのがおすすめです。現代の精神科は昔のイメージとは違って良いとこですよ。口コミも参考にしてみてください。方法としてはまず総合病院の相談員へ相談→精神科へ紹介状がよいかと。あとあまり知られてないですが、精神科には医療保護入院といって精神科医と家族同意のみで入院できるシステムがあります。なので本人が治療拒否してても入院できます👌あとは、こう言う時混乱されると思いますが、「誰が何に困っててどうしたいか」をまとめておくと整理できます。父は→なんも困ってない。病識ない、治療したくない 母は→暴力に困ってる?治したい?精神科は嫌? 増田は→…みたいに。お大事にしてください。
本来は飯塚氏以外も拘束されるべきじゃないのでそこだけは"許す"として
(すべての逃走の恐れがないケースで飯塚氏のように拘束しないでおけよ。マジで)
被告を警察が身辺警護ってストーカー障害事件・殺人事件の被害者は絶句なのでは?
自業自得ではあるが猫殺しの税理士のところには自称猫好きの輩と自称愛護団体が乗り込んだりしてたけど
まぁそれも犯罪被害に遭う可能性が極めて高い場合は本来は警護すべきとしてこれも更に"許す"として
医師や周囲から運転は適さないと言われてたし足が不自由って自分でもやってるじゃん
どういう理屈で100キロぶっ放すのが誰でも起こり得る過失って判断になったの?
被害者全員と示談が成立しているケース(求刑10年懲役8年)よりも軽い理由は?
あと収監先は下記みたいなところ
anond:20220517221222 anond:20221226231029 anond:20221226231521
けど、どうやら同じ吹奏楽部のBとイザコザがあり、幼馴染のCやDを含むグループからハブられたり陰口を言われたりしていたらしい
夏休み明けから1度も教室に来なかったAだけど、10月くらいには保健室登校で作業療法をするようになっていた
同じクラスの幼馴染で唯一Aの味方だったEは休み時間ごとにAの世話を焼きに行っていた
部外者の私は、CやD(内申目当てで生徒会Cは生徒会副会長、Dは学級委員だった)が物置代わりにしていたAの机から、画用紙や何やらを教卓やロッカーに移動させていた
そんなある日、CとDはAが保健室で作業療法をしていることを知ったらしい
すこぶるご機嫌が斜めだったのか、教室のど真ん中で大声で話し始めた
「学校もずっとサボっていたのに」
「ズルい」
誰のせいだよ、と思ったけど、チキンの私は口に出せなかった
止められない不甲斐なさとか怒りとか悔しさとかで泣きそうなのをこらえていた
「そういうこと言うの、やめろよ」
と彼女たちを止めた
興ざめしたのかひるんだのか、彼女たちはそれ以上何も言わなかった
そのあと、私はAに関わることを決意して、Eの他にも味方はいることを伝える手紙を、E経由で渡してもらった
3学期にはAも少しずつ教室に戻ってきて、進級を期に完全に復帰したらしい
3年生の時はクラスが分かれてしまったけど、卒業時にお礼の手紙をもらった
ちなみに、発端になったBは、CやDの言動やAが不登校になってしまったことに自責の念を抱いていて、こっちはこっちで情緒不安定になっていた
で、私がお礼を言いたいのは、CやDを止めて、私に勇気を出させてくれた男子
名前は覚えているし、何なら母親同士に交流があって、地元で消防隊に入ったこともしっている
でも、彼はもう当時のことは忘れているだろうし、そもそも私のことすら覚えていないかもしれない
なので、自己満にここでお礼を言っておく
あなたのおかげで私は勇気が出せたし、CやD以外のクラスメイトのことを信じでみようという気持ちになれました
今でも人を信じていられるのは、あなたのおかげです
anond:20210902182947 anond:20210902205348 anond:20210902205607
無理だと思うぞ
ワンチャン、控訴狙いで有耶無耶にするためにワザと判決を軽く出したも有り得るよな
この軽すぎる(もうAIに判決を任せた方が良い)判決を仮に遺族が飲んだとしても
刑事訴訟法 第482条を持ち出して有耶無耶にするつもりでは?
流石にそれはヤベーって判断はあっても普通の人がイメージするような刑務所には入らないと思う
懲役、禁錮又は拘留の言渡を受けた者について左の事由があるときは、刑の言渡をした裁判所に対応する検察庁の検察官又は刑の言渡を受けた者の現在地を管轄する地方検察庁の検察官の指揮によって執行を停止することができる。刑の執行によって、著しく健康を害するとき、又は生命を保つことのできない虞おそれがあるとき。
懲役刑の受刑者が、病気を理由に刑の執行停止を受けて釈放された事例
事案
懲役刑が確定し、拘置所から刑務所へ移送される予定だった受刑者が癌に罹患していることが判明したため、刑の執行停止を申立てたところ、これが認められて外部での病院で治療するために釈放された事例です。
経過
被告人は懲役1年の実刑判決を受け、控訴することなくこの判決が確定しました。拘置所から刑務所へ移送される予定でしたが、拘置所内の診察で癌の疑いがあることが判明しました。公判で弁護人を担当していた弊事務所に、本人からそのことを伝える手紙が届いたことから、弊事務所で刑の執行停止の申立書を作成するとともに、受刑者が癌に罹患している疑いがあることを証明する資料や、刑の執行停止後も治療に専念し、逃亡しないことなどを誓約する資料を収集・作成し、これらを添えて申立書を検察庁に提出しました。
その結果、無事申立てが認められ、検察庁の指揮によって刑は一時停止され、本人は釈放されました。その後、家族に付き添われて病院で検査を受け、現在も治療を継続しています。もちろん検察庁へは家族から毎月状況を報告しています。
【A級】……刑期が1年以上8年未満の犯罪傾向の進んでいない者(初犯者)⭐️
↑ ぜんぶ該当している
僕は精神医学を専攻している学生だが、1ヶ月、精神科の閉鎖病棟に入院してきた。ここがどんな場所なのか、学生の視点から書いてみる。
入院直前、タスクが多すぎてキャパオーバーのまま稼働して3週間、僕の精神状態は日増しに酷くなっていった。倦怠感、強い不安,酷い不眠、すべての事柄に対しての虚無感など。極め付けに強い強い希死念慮。とにかく死にたくてたまらない。そしてついにもう死のう!と決意して準備をした。最後の気力を振り絞って絶対に休めない課題だけは終わらせ、部屋を片付けて遺書を書いて、最期に親に会いに行って、普段精神科から処方されているベンゾジアゼピン系の抗不安薬と睡眠薬を大量に飲んで飛び降りを試みた。
まあ失敗したからこの文章書いてるんですけど、人に見つかって病院に搬送され、僕がなんとしてでも死にたいんだと主張したために親に連絡がいって医療保護入院(僕の意思は汲まれずに、親や配偶者等の同意を得てなされる事実上の強制入院)となった。閉鎖病棟で、フロアから外に出ることはできない(出入り口に二重に鍵がかかっている)。
この病棟の1日の流れは次の通り。
8:00 朝食
10:30-11:30 作業療法(ストレッチ、アイロンビーズ、簡単なスポーツなど)
12:00 昼食
18:00 夕食
21:00 消灯
入院して1週間経つまでがとにかくつらかった。入院したからといってすぐに症状が治まるわけではない。常に心拍数が120あって不安がとまらずベッドにうずくまっていた。死にたかったのにこうして病院で保護されている自分も許せなくて、死にたいのに死ねない苦痛に襲われた。慣れない環境に放り込まれてしまったので病棟の雰囲気もわからず怖かった。もう殺して、と思った。
僕の場合、入院したからといって特に積極的な治療はなく、普段通っていた精神科で処方されていた薬がそのまま出されるので飲む、それだけだった。医師は1日に1回病室に来てくれて少し話をするが、看護師は配薬の時に来るだけであとはマジで何もない。つらい気持ちを看護師などに聞いてもらおうとすればできたのかもしれないが、僕は自分の気持ちを他者に伝えるのが苦手だったのと、ここの病院は看護師が事務的で話をしたり患者の行動観察をしたりといったことを全然しなかったので、話さなかった。入院生活はただ自殺未遂をした人間を死なせないために病院に閉じ込めておくだけという感じだった。精神医学徒からすればこれはあまり好ましくない。看護師の人手不足問題もあるが、患者の気持ちに寄り添いながら必要であれば話をするのが理想。看護師でなくとも臨床心理士や公認心理師がやる仕事なのだが、この病院の臨床心理士は患者と面談をするどころかガチで何もしない人だった。唯一、作業療法士だけが平日毎日病室に顔を覗かせてくださって、「今日はデイルームで10時半からストレッチをやりまーす。アロマを焚くしハーブティーもありますよ。よかったらいらしてくださいね。」とケアしてもらえたのが心の救いだった。
2週間も経つと不思議と希死念慮が和らいできた。外界にいる時は「早く死ななきゃ!とにかく死なないといけない!」と焦っていたのが、自殺が物理的に不可能な空間に閉じ込められるとその焦燥からは逃れられる。だんだんと自分が落ち着いてきたことを感じた。ベッドとトイレしかない監視カメラ付きの保護室(要するに独房)からも出て普通の個室に移ることができた。主治医から「きみは専攻が専攻だから退院日は任せるよ」と言われたので、「今すぐ死ななきゃ!」という切迫感がほぼなくなった1ヶ月後に退院した。とはいえ、死にたくなくなったわけではない。僕は常になんとなく死にたいと思っているのが日常だ。
今回入院した精神科単科病院は、前述の通り医療スタッフによるケアがあまりにもお粗末だったのでオススメしたくない。病室にナースコールも無かったですからね。不安発作とか解離を起こして動けなくなってしまった時はどうしろというのか。そして閉鎖病棟という場所は暇すぎてやはりおススメしたくない。スマホを没収されるので何もすることがなくなるし、1日が永遠に感じられて結構苦痛である。暇なのは他の患者も同じなのでデイルームでお喋りでもできればいいのだが、僕がいたところは年齢層が高くて話し相手になる人が皆無だったので無理だった。デイルームにはテレビがあるが、僕はワイドショーやバラエティー番組が嫌いなので見なかった。ナースステーションで貸してくれる色鉛筆と用紙で塗り絵をしてなんとか暇をつぶした。なお色鉛筆はなぜか16時には返却しないといけなかったのだが。孤独だった。
結論:精神科閉鎖病棟での入院はする前もしている間もしんどすぎる。回避できる人は家族に監視してもらうなり実家に帰るなりして全力で回避してください。まあ、そう簡単にいかないからこうなってしまうんですけどね。みなさんご自愛ください。
→理学療法。
身体に障害のある人に、基本的動作能力の回復をするためにいろんなことをする。運動をさせたり、物理的にいろいろと施す。運動としては治療や体操、物理的方法としては電気療法、マッサージ、温熱などがある。 日常の動作などを改善するための指導や、社会的な動作で困らないように、福祉用具の選定や住宅改修・環境調整、在宅ケア等も含む。近年では、障害を防ぐための生活習慣病の予防、コントロール、障害の予防も理学療法の対象となっている。対処療法だけでなく、予防もまた守備範囲になったわけだ。
理学療法士は、障害・後遺症のある部位に注目し、基本動作能力の回復のために行われ、反復運動が多い。一方、作業療法士の行うリハビリである作業療法は、その次の段階である社会復帰に向けて行われるものである。
これはもう単なる愚痴というか、前々から思っていたことで、でも傍から見たら病人の開き直りにしか見えないだろうから、読まなくて結構なんですけど。少なからず不快になるだろうし。書いて発散するタイプなので書くだけです。
結論からですけど、「病気で働けないわりに旅行やコンサートは行けるんだね、都合の良い病気だね」 みたいなことを言って病人を追い詰める人は、本当に消えて欲しいですね。せめて黙っててほしい。
私(統合失調症、手帳二級、年金受給してます)は幸運ながら言われた事はないですが、これらの言葉はネットはじめ、病気に理解のない人からほんとうによく目に耳にします。
でもさあちょっとだけ考えてよ。
・決まった日に決まった時間に決まった場所に行かなくてはならない
・休むと周りに迷惑がかかる
……という仕事と、
・急に取りやめにしても途中で帰っても誰になんの迷惑もかからない
……という遊びじゃ、難易度が全然違うでしょ。まずそこが想像できてない人が多すぎるんですよ。
私は今、週に3度病院にデイケア(作業療法のことで、心のリハビリみたいなものです)に通いながら、心身に障らない程度にライター仕事やイラストレーター仕事をちまちまとやっていますが、それでもそこに行き着くまでには相当時間がかかりました。数年単位の入院を繰り返したり、毎日沢山薬を飲んだり。ちなみに今も、今後再入院の可能性はじゅうぶんにある、と主治医からハッキリ言われてます。
そんなふうに、健康な人の3分の1くらいの時間と労力しか仕事や治療に割けないのは、前述したように、仕事は生半可な体調やメンタルではできないからです(治療も同じです、病院の主治医や担当スタッフと話し合ったり相談して通わせてもらってる身なので)。
そもそもコンサートや旅行だって、私らメンタル病みには娯楽であると同時にリハビリであり社会復帰の訓練でもあるんですよね。1人で人混みを歩く練習。1人で満員電車に乗る練習。決まった時間に始まるライブへ、途中で体調を崩すことなく参加するっていうのも訓練ですね。仕事だって途中でダウンしたり職場までたどり着けなかったらアウトなんですから。
あと、その「働けないけど遊べる連中」、多分大半が、遊びの途中で具合悪くして無念のなかタクシーで家に帰った、みたいな苦い経験一度はしてると思いますからね。少なくとも私はそうです。皮肉混じりに「都合の良い病気」なんて言われるけど、こちとら都合が良かったことに対して毎日感謝と安堵しながら生きてますから。
……というかね、病人からたまのささやかな楽しみを奪わないでくれ。
毎日一年中部屋に閉じこもって布団被ってりゃ満足なんでしょうかね? 同じ働けないでも、楽しみがあるのと無いのとじゃ何もかも全然違いますよ。別に働けない連中を叩きたいなら叩いてくださって私は一向に構わないけど、そうやって叩かれて外に出ることをやめた病人を、間違っても「引きこもり」だなんて言わないでくださいね?
もちろん働かなくても遊べる時点で、経済的に恵まれていることは分かっています。親の脛かじりと揶揄されても、お小遣い程度の金しか稼げない私には反論の言葉がありません。でも親はいつか死にます。そうなれば障害者年金と生活保護でなんとか凌ぐしかない。短期的には恵まれているけど、長期的に見れば腰抜かすほどカッツカツですよ。そもそも厄介な病気抱え込んじまった時点で人生ハードモードなわけで。簡単に「良いご身分」なんて、ちったあ想像しろよ。イマジンだよイマジン。
……なんか死ぬほど口悪い上に悪い方向から開き直ってるし被害者意識バリ強な文章になってしまいましたが、実際これが私達の見てる世界の1面でもあるので。ほんとうに書いてストレス発散したかっただけですね。次からはチラシの裏に書きます。
(あと最後、これも前々から思ってたんだけど、「働いてる」ってそんな尊重されることか? 頑張ってるねエラいねってされるようなことか? 結局自分の生活のために働いてるんでしょ? 少なくとも私は徹頭徹尾自分のためだけに働いてる。別に社会奉仕とかじゃないじゃん? 働けない障害者叩かずに居られないほどストレス溜まってんなら会社辞めたら?となりますねまあ)
■追記(のような返事のような)
・あの犯人手帳持ちだったんですね。知らずに書いてた。同じく精神疾患持ちの友人がTwitterで都合の良い病気ですねって言われていて怒りのまま書いたんですけど、いや偶然ってあるもんですね。精神病への偏見が深まらないといいが。
・「休んで好きなことしていて申し訳ない」って思ってるってのは精神的に休めてないから、私ほどとはいかなくても開き直るのも大事だと思います。人生に休養は必要。
インターネットの片隅に私の吐き出すものを留めておきたいけど、支部に書くのもなぁと思ってここに書きにきました。
私は趣味でTwitterに自分が描いた絵を呟いたり、あるいは友達と空リプ(くうりぷ)するだけの垢で時々話したりする人間です。
私は中学生の時、部活と学校の事で精神的に辛すぎてメンタル系の病院に入院したことが何度かあります。
絵を描く事が唯一の救いだったのですが、部活が美術部で、絵を描くと部活の事を思い出してしまうと主治医に話したことで、初めての入院3ヶ月のうち、はじめは絵を描く道具の持ち込みは禁止されました。
しばらくして、持ち込みの許可が出ると私は自分が考えたキャラクターを沢山描きました。
見回りに来た看護師さんに描いた絵を見せると上手だね、と言われる事がとても嬉しかったことを覚えています。
私が記憶している中では、作業療法の活動に初めて参加したリア友が描いたぬり絵を見て、話しかけたのが最初だと思います。
そのぬり絵を見て、私は驚きました。
リア友が描いた鳥の絵はとても質感と量感が表現されていて、まるで動き出しそうな絵でした。
同じ年齢で同じ絵を描くという趣味で、私達は個室のホールで一緒に毎日絵を描きました。
私は毎日驚きました。
ある日は漫画の扉絵の模写をし、ある日はイラストの資料集に載っている洋服を使った全身の女の子の絵を描き...。
驚いたのは彼女の模写をする量とスピード、分析力、そして正確さです。
私もリア友を真似て、退院してからも模写をしてた時期がありましたが、今も模写も絵も上手くありません。
きっとこの人は将来、大物になる。
そう確信した私はやってもいなかったTwitterを親からバレないようにこっそり始め、リア友とIDを交換し、外泊の時にフォローしました。
そして、私は3年ぐらいリア友の成長を見守りながら、自分も絵を描いてきました。
リア友は今、中学生の私がほぼ予想していた未来の途中にいます。
よく、Twitterではフォロワーはステータスでは無いし、フォロワー=ファンではないという見方もあるとは思いますが、私はリア友の1ファンとして、多くの人がその子の絵に共感し、拡散されている事がとても嬉しいです。
私は制作したい作品を顧問の先生と相談した結果、作品上、いきなりB1サイズで描くのは厳しいという事で、最終的にパソコンで合成する形となりました。
私はCG作品の審査の目が何故か厳しいらしい事を知っていました。
今年こそ、審査の票を入れて貰いたいと気合いを入れて描いていたものでした。
あの綺麗な絵に勝ち目なんかない、
私の作品は恥ずかしい。
私はリア友の絵を沢山拡散してくれた時と同じように、喜べるのか...。
私がずっと溜めていた事を文章に起こせて、少し楽になりました。
2年くらい前まで入退院を繰り返してた。
中高生時代にも子供精神科に通ってたけど、高校卒業を期に、いったん精神科も卒業した。
私がお世話になった病院は精神医療専門病院で、なおかつ建物が新しくなって間もなかったのは、とっても幸運。
大学で一人暮らしをしてたある日、何故か包丁を持って外にでようとしてた。やばいと思って近所のメンタルクリニックに行ったら即病院に紹介されて、受診したその日に入院が決まった。
はじめは保護室という部屋に入れられた。
窓はなくて、トイレとベッドだけがある、施錠された個室。分厚い鉄扉についた小さな窓から、1時間に1回看護師さんが様子を見にきた。
部屋が真っ白で、ベッドに寝転んで天井を見上げるしかすることなかったから、いまでも白い蛍光灯は苦手。
何も持ち込めず誰とも話せず、孤独で辛かった気がする。
数日様子を観察されて、解放された。
4人部屋に移った。
入院の際にコード類や携帯は没収されてるので、音楽も聴けなかった。外部を遮断できるツールが使えないこれが一番辛かった。みんな顔死んでるけど。
病棟内でも保護室エリアと一般エリアは区切られてて、一般エリアは以外と静かだった。騒いだり奇声を発する患者は保護室に入れられてるから。
ご飯は食堂で一斉に食べた。毎回暗黙の席取り合戦がある。勝つために時間がきたら早く座ってた。
主治医の許可がでて看護師さんに言えば、1日に1回だけ売店に連れていってくれた。何買ったかはもちろんチェック。甘いもの好きだけど、買いすぎると怒られた。部屋に持ち帰ってこっそり食べたりした。
私と同い年くらいなのに立派だな、と思ったし劣等感爆発した。大学に行ってたはずなのにどうして今こんなところにいるんだろうって。病室の窓から大学が見えるのが、余計に悲しかった。
テレビ見るか、作業療法行くか、塗り絵するかくらいしかなかった。
それでも主治医が毎日顔を出してくれて嬉しかったのは覚えてる。
一度、持っていたタオルで首を締めることがあった。一応看護師さんに軽く報告してタオルは預かってもらった。
そしたら当直の医師に伝わってしまって、保護室に連行され身体拘束された。
両手首・両足首・胴体の5箇所をベルトでベッドに固定され、ピクリとも動けなかった。
おまけに血栓防止ストッキングなるものを履かされ、めちゃくちゃ痒かった。
痒くても掻けない。
拷問のようだった。時間が経つのが遅すぎて気が狂うかと思った。
私はまだ、見回りのタイミングでベルト外してもらってトイレできたが、最悪オムツらしい。女子の尊厳は守られた。
食事は胴体と手首のベルトが外され、ベッドの上で監視されて食べた。
翌日に主治医が来てくれて、もうしないことを約束して、その翌日に解放された。
あれは自分にとって紛うことなき拷問だ。罰則だ。約束を守るように頑張った。
症状の軽い人たちがいる病棟だったから、会話が楽しかった。気のいい兄ちゃんもいたし、優しい兄ちゃんもいた。
でもそれ以外の病棟は、みんな症状重くてそれどころじゃなかったなぁ。
私も病状が悪化して、ますます壊れてたし。身体拘束はこのころね。
なんだろ、そんな感じ。
まだネタはあるけど、区切るわ。
んじゃ。