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はてなキーワード: テニュアとは

2020-05-25

博士号からアカポス最低説はあるけれど

ここ数年、博士号を取得中とか、その後のテニュアポジションが取れなかったとかで

いか博士課程に進んでアカポスに進むのが最低最悪かというエントリをよく見かける気がする。

あるいは文科省自分指導教官に対する不満とか。

かに、若手研究者の現状は前よりも悪くなっているんじゃないかとは思う。


自分博士号取得後に任期付きアカポスになり、無事テニュアアカポスになった。

結論から言うと、大学教員は最高だ。

周囲の教員研究者は、みな人柄もよく頭もよく、話していて面白い人ばかりだ。

学生も優秀で、この中から研究する人材が育つだろうと思うと、

これまでは研究ばかりが重要だと思っていたけど、教育へのやり甲斐も実感した。

アカデミアは、働き方も自由PIになればこれをやれと仕事命令されることもない。

大学事務が非効率と感じることもあるけど、お互い仕事でやってるんだから仕方ないなと思ってる。

何よりも、自分の好きな研究自分の好きなようにできる自由がある

(もちろんそのために研究費を自分で獲得する必要はある)。


給与はそりゃ自慢できるほどいいわけじゃないが、卑下するほども悪くない。副業もできる。

高給がほしい人は、そもそもアカポスなんか目指さないか

うちはダブルインカム配偶者も稼いでるので、家計は余裕がある。

結婚できない、という説もみかけるけど、

知り合いのアカデミアの同世代の中で結婚していないほうが珍しい。


自分が優秀だったからこういう環境にいるといいたいわけじゃない。

素晴らしい職業なのに、最近まりも夢がないエントリばかりだなと思ったから。


かに、生き残れなかった同業者は何人も知っている。

自分のまわりでは、研究者としての能力足切りレベルだったか

競争社会には向かない性格だったか、ないしは単に人間として付き合いにくい奴がいなくなったと思う。

業績があっても付き合いにくかったら、当たり前だけど長く付き合う同僚や部下としては願い下げだろう。

性格が”個性的なのはもちろんOKOK。

でも教育者に向かない嫌味なやつは選ばれない。

目を引くような業績がたとえなくても、

同僚や共同研究者としてやっていきたいと思う楽しい人や、研究テーマに引きがある人は残ってると思う。

もちろん他にやりたいことがあってアカデミアを去った人もいると思う。

そういう人は新しい道を気持ちよく進んでほしいし、

自分ができなかったことをやってくれていると応援したい気持ちがある。


博士課程やポスドクの辛さを語るエントリの裏には、

辛く悔しい思いをしたという人がいるのは間違いない。

子供博士課程に進学したいと言ったら応援できるのか、と書いてあったとある投稿を見るまで、

アカポスは最高だなと思いながら、こういうことを書くなんて思いもしてなかった。

嫌味だと受け取られるかもしれないし。


伝えたいことは、学級の道は楽しい。向いている人には楽園だと思う。

もちろん努力や運や体力も必要だけれど、

少なくとも自分のまわりは、文理問わず任期なしの職に転換した人の方が多いです。


自分の子供の職業選択についてああだこうだ言うつもりはないが、

もし、子供が将来学者になりたいと言ったら、もちろん応援します。


自分大学研究教育ができて、とても幸せだと思うから


2020-01-30

anond:20200130212610

うそう、だから理工系博士号とってアカポスに就くほうが確実なんだよね

やっぱり国立大学テニュアは安定しとりますわ

2019-11-24

話題の人のあれ。

http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/news/2019112411004

特定時間勤務有期雇用教職員(特任准教授)” について。「特定時間勤務有期雇用教職員」は単に上位カテゴリで、その中に特任教授とか特任准教授とか特任研究員とかがある。

時間から非常勤で、特任だから任期つき。寄附講座の所属から寄附講座の設置期間が任期になっているだろう。給料勤務形態(たぶん週何回とか月何回とかなのではないか)によるが、まあ知れた額だ。テニュア准教授だってあれなんだから非常勤ならもっと低い。

ただし最近ちょくちょく話題になる「非常勤講師」とは全く違うので注意。あちらは東京大学ではやっと最近雇用契約になったという扱いだが、こちらは曲がりなりにももともと雇用契約だった。

「特任教授」「特任准教授」を常勤非常勤の別なく用いているのがあまりよくないのと、「特任」が結構かっこよく見える言葉なのがこういう人にとっては都合がいい、という問題あるかな

サーバしょぼいぞ、については、ドメイン見てもらえればわかる通りこれ情報学環サーバなんで。弱小大学院サーバなんてこんなもんじゃないですかね……。

2019-11-16

anond:20191116190643

そもそも日本大学における文系研究だって「背に腹は変えられないとかいレベル」になってるでしょ

九大で爆破自殺した助教?とか仏教研究で若手賞を受賞しててもテニュアとれず自殺した女性とか話題になってたの忘れた?

金がなかったら生存すら危うくなるんだから意識を高く持っても生きていけないじゃん

2019-08-02

anond:20190801161129

東大医学部健康総合科学科→東大SPH(東京大学公衆衛生大学院)→現在ハーバード博士課程の学生さん

とても似た境遇だけど、すごく胸糞悪いんですけど。自分キャリアへの不安家族のせいにすんなよって

と仰っているので反省してください。まあその人は奥さんハーバード学生だか研究者だかだし、超優秀な人間なんでテニュアなんてすぐゲットしそうではあるが。要は家族云々ではなく単に実力の差なのでは。

anond:20190801161129

ポスドク学振PD任期付き助教(非テニュアトラック)のポジション子供がいる方へ

該当しますが、問題はそこではないと思われます

夫婦問題は、現状への認知が歪んでおり(読み取れる状況に対して過度に悲観的なようです)、ゆえに互いの気持ち尊重できないことにあるのではないかとお見受けします。認知問題があるのであれば、ご夫婦精神科心療内科受診するべきではと思われます精神不安定生活に支障をきたしているならば、それは心が健康でない状態と思います

また蛇足ですが、来年保育園入園したいのならば、「空いていない」とこぼすのではなく、今すぐにもっと血眼になって探すことをおすすめします。自転車圏や通勤路上など、物理的に送迎可能エリア保育園全てを網羅するつもりで申し込みされた方がいいと思います世田谷区には保育ママなどの制度もあります

anond:20190801161129

研究者ですが

僕の場合ポスドク時に結婚が決まって、あちこちに出せるだけ出した

で、結婚と同時に高専に移ったよ

そしてすぐに私大に移りました

ビッグラボ仕事するのも楽しいけど、任期任期に追われるのはきついよね

底辺私大でも高専でもいいので、とにかくテニュアとって10年がかりで研究できるのもいいもんだよ

まあ、できちゃったもんはしゃあないけど、子供安易に作ったのはまずいな

大人2人なら生きれても、子供がいればなんともならんことがあるもんな

増田はそこの責任ちゃんと考えて、妻を安心させる方法は考えるべきよ

anond:20190801161129

国立研究所勤めだけど外部から来た複数の優秀なTLに言われて納得した言葉がある。

研究者結婚はできる。

キャリア・家庭・子供のうち2つまでは選べる。

3つ求めると破綻する。

子供キャリアを選んだ人はそれぞれ25年以上別居していて

家庭とキャリアを選んだ人は子供はいない。

子供を選んだ人たちは子供独立したあとは夫婦生活なんて今更送れる筈もないので離婚するだろうとも言っていた。

増田もそういうことだと思う。

キャリアは捨てたくないようだし、子供は生まれちゃったので奥さん子供と一緒に生活する家庭は求めてはいけない。

別居か若しくは3つ求めた結果の破綻として離婚になるだろう。

ちなみに自分は今年48でやっとテニュア取れたので漸く結婚しても良いかな?と思い始めたけど時既に遅しって感じがしてる

相手バツイチとかでもむしろ気にしないんだけど、それはそれで未だ健在な親が複雑な顔をする。

anond:20190801161129

出身学科先生結婚離婚を繰り返す人がいて、人格破綻者だと陰口をたたかれていたが、こういう背景があるのか。

自分事実上師事していた先生任期助教の時に結婚され、子供も生まれたけれど、ほどなくして奥さん出身地近くのテニュアポジションに異動されてたな。

奥さんは豪胆な感じだったのでそんなの気にしなかったのかもしれないけれど、先生はしっかりされた方だったし、研究室運営していた先生常識的アドバイスをされる方だったので、そういう結論になったのだろうと学生ながらに思ったものだった。

任期ポジションにいるとき子どもができる人はいるけれど、それまでにそれなりの研究成果を上げておいて、子供ができたときにはテニュアトラックに異動というのが現実だと思う。子供ができるまでにテニュアトラックに異動できるだけの成果がなかった時点で、そのルートはないんじゃない?と思うけど、そんなの誰も教えてくれなかったよねとも思う。

企業経験して大学に戻ってきた知人は、企業にいた数年のブランクの間に同世代研究者が稼いだ実績を追い越すことはできなかったと言っていたが、増田も似たような状況だと思う。こんな優秀な人でもそう感じるほどに時間の壁は厚いのかと思ったものだった。

これを書きながら思ったが、増田の周りには任期ポジション研究者で子どもがいる人っていないのか?

自分学生していたころは合宿形式研究会で先生方が与太話をされていたけれど、そういうのって最近はないのだろうか。

それとも、増田はボッチなのか?

2019-08-01

https://anond.hatelabo.jp/20190801161129

国内大学テニュア職の夫のいる妻です。夫が助教時代結婚しました。

私は子どもができた時点できっぱりと自分仕事を辞め、育児と夫のサポートに全力を尽くしてテニュアを手に入れるまで伴走してきました。

数年ごとに国内転々しました。大学を変わるたびに嵩む引っ越し代でお金もなかなか貯まりませんでした。

周りの子持ちの大学教員の妻(専業主婦)も似たような感じです。家計をやりくりしながら異動ごとについて回っています子どもが少し大きくなったケースではパートなどに出ていることが多いです。

奥さん定職がある場合教員の夫が単身赴任でぼろぼろの官舎に住んでいるケースも結構見ました。

でもいずれにしても夫婦仲が良い場合しか家庭は考えられません。

任期付きの仕事においてはその先があると信じ、夫を信じ、ついてきて今がありますが、任期付きの時は不安になることもよくあり、言い争いになることも少なくありませんでした。

それでも家庭が破綻しなかったのは夫が何より大事にしているのは家庭と子どもだと常に口にしてきたからです。

おそらくそれがなければ家庭は破綻していたかもしれません。

ご参考まで。

結婚をするべきでなかった[追記あり]

私(夫)28歳、妻26歳で結婚して、すぐ妊娠し、今1歳半の子供がいる。現在私は30歳。

私は今、大学ポストを目指していて、

出来ればいい大学ポジションに着きたい。それが任期付きであっても。ただし妻は何でも良いか定職(彼女のいう定職任期の無い普通会社員)について欲しいという。

妻は、5年後に旦那仕事が確実に無くなり、次の仕事があるかわからない。また見つけたとしても、継続してひとつ法人に在籍しない為に、昇給がない、というのが堪らなく精神的に不安らしい。いい加減に定職につけと言うことだ。

私は元々日本修士課程卒業して、誰でも知っているいわゆる大企業就職していたが、2年でやめて、海外博士課程を始めた。2020年3月に修了予定で、仕事をどうするか(そもそも見つけられるか)が問題

こんな不安定な道に進む場合は、結婚するべきではなかった。妻も結婚した当時は不安定な道になる事は承知していたはずだが、実際に子供が生まれ、直面すると態度が変わった。妻は、私が受ける、ある大学任期付き助教採用面接が失敗すればいいと思っている様子で、もはや根本的に考えが私と違ってしまった。(私はこの大学よりいい大学助教ができるとはあまり思えないくらい、いいポジションと考えていて、ぜひ採用されたい)

自分は元々結婚には向かないと思っていたが、した事も無いのに決めつけるのは浅はかだと思い、試して見た。今言えることは、きちんと見通しをつけず、結婚決断をした自分が浅はかであった。

遅かれ早かれ離婚する事になりそうだが、子供が不幸になる事が申し訳ない。申し訳ないと言いつつ、自分の都合を優先させるために子供を不幸にする自分悪魔のもの

結婚をするべきではなかった。もっというと、子供を欲しがる女性結婚するべきでなかった。

定職を持ち、長く住む場所が定まり精神的な余裕がある人間以外は子供を持ってはいけない。当たり前の先人のアドバイスを繰り返すだけになってしまった。

[以下追記]

このやり方でいいのかわからないんだけど、ブクマの人気コメントにお返事書かせて頂いた。

kpkpkpchang 離婚後、当然のように妻が子供を引き取る想定でいてモヤモヤする。

離婚するなら増田シングル育児しつつ夢を追う覚悟必要だし、

妻が引き取っても養育費のために一定収入必要から独身のような自由はないぞ

もし離婚した場合の想定について。

親権(+監督権):

子供親権を取ることに私は、そこまでこだわっていないが、事実上私が親権をとることはできないと考えられる。

離婚届には離婚後の親権を記入する欄があるが、そこで合意が得られなければ、裁判所判断になる。

離婚届を出す際に、妻は親権絶対に譲らないと想定できる。

調停になった場合、やはり妻が有利。私はずっと海外にいて、妻が日本子供身の回りの面倒を見てきた。

そのため、私が親権または監督権を獲得するのは事実上無理だと考えられる。

養育費を払うことは(私に収入範囲内であれば)なんの問題もなくて、できるだけ払いたいと思う。

自由がない”、の意味がよくわからないが、可処分所得が減るという意味なら、理解しているつもりだし、納得もしている。

私が問題だと考えてるのは、子供父親が一緒に生活していないこと。

おそらく離婚したら私は積極的海外ポストも探すが、そうするとかなり長い期間顔をあわせる機会もない。

家事子供身の回りの面倒を見る大人が2人ではなく1人になるというのは、子供にとっては不幸では?

また、自分父親の顔を覚えていない子というのは、たとえば学校生活父親の話をするときに、気まずい思いをするものではないのか?

金(養育費)だけ払えば子供にはなんの影響もないと思えないので。

yuatast 妻子供よりも自分の将来が大切だってことでしょ。分かりやすいよね。

大学不安定なポジションちゃん結婚生活を営んでいる人もいるわけで、

単純に増田奥さんを説得すらできないということだと認識しなくちゃ。

まさに仰るとおり。説得ができない。任期のあるポストでも私にとってはとてもいい仕事なのだが、

妻がそれを承服しかねる、というのは理解できる。

私の感覚では、いい大学助教の経歴があれば、自分キャリアが続く仕事は見つかると考えているのだけれど、

妻はそういう楽観的で不確定な未来を受け入れる態度に耐えれれないということらしい。それもわかる。

どう説得すればいいのか教えてほしい。

htnmiki 離婚しても子供が不幸にならない方法を考えなよ。

片親の子を見て「あの子不幸だな」なんて思わないでほしい。

子供が不幸にならない方法は考えたい。

子供自分自身のことを不幸だと思わなければ、他人にどう思われてようが、問題ないと思う。

私自身は片親の子をみても不幸だとかそういう考えは持たないが、一般的にはどうなのだろうか。

子供がどう考えているのかは、離婚した親をもつ子供アンケート統計等を見ないとわからない。

araikacang 結婚した当初は自分が安定した職に就けばいいと考えていたが、

いざ直面すると夫が子どもの事は完全に他人事でこれじゃフルタイムで働くなんて無理となった可能性。

妻はその業界では安定した企業の職についている。会社はその分野で国内大手で連結の売上が500億以上。

そのため、妻が育休中のその会社をやめなくて済むように、私は東京のし仕事を探している。

妻に詳しく認識を聞いてはいないが、子供小学生くらいになるまではあまりフルタイムで働く気はないのか?

(妻の企業時短がけっこう一般的で、フルタイム時短の切り替えがある程度容易)

妻は子供と過ごす時間に対する優先度が高いように見受けられる。

skrnf この問題に対して離婚が解になるという想定がよくわからない

問題は、私と妻が共同生活を送ることが困難になるほど不仲になってしまうという点で、

それを解決できない場合は一緒に暮らす全員がかなり不幸になる(と考えられる)。

なんとか、任期のある仕事につくことから来る妻の不安を私が取り除かなければ、一緒に生活できない。

宝くじで数億円が当たるか、私が、妻が満足する任期なしの仕事につけば、問題解決する。

もし私が私のやりたいように進めると、私が任期なしのポジションにつくのは5年後等になると思われる。

そこまで不仲の状態で共同生活はできないので、離婚しなくても別居はするのではないかと思われる。

grdgs 賃金就業の男女格差をなくし保育を充実させれば、こういう問題も少なくなるな。

差別解消と保育の充実に消極的自民党は紛うことなき悪。

生物特性上、子供妊娠出産することができるのが女性だけというのが、現代社会においてかなりハードルが高い。

子供が欲しい女性はある時期は必ずパートナー自分以外の何かに頼らざるを得ない。女性キャリア形成があまりにも難しい。

あと、いま妻の住んでいる場所は認可保育園は空いていない。

世田谷とか笑ってしまうぐらい認可保育園が空いてない。例えば、1歳の子供を入れたい場合待機児童345人いる:

 参照https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/kodomo/003/009/d00031371.html

認可外の保育園もあるが、個別に問い合わせてもまぁ空いていない。

保育園の申し込み書類の用意は私が主に担当している。保育園見学一時帰国したときに、私も3~4件は回ったが、

やはり認可保育園の方が環境がよく、そこに入れたいと思う親の気持ち理解できる。

ただ、認可保育園見学しても虚しいのは、入れる見込みがほぼないこと。(見込みがなくても見学していないと申し込みすらできない)

また、良い保育園がたくさんある地域は、結局他の地域から無現に子供を入れたい親が引っ越してくるので、

待機児童問題永遠に解決しないと思われる。月14万くらい払えは、環境のいい認可外のインターナショナルスクールみたいな所に

入れられるが、私たちの家庭にその余裕がない。自民党はなんの関係もない。

ポスドク学振PD任期付き助教(非テニュアトラック)のポジション子供がいる方へ

どのように家庭を運営しているか是非教えてもらえないだろうか?

2019-06-23

anond:20190623130421

それはインフレ率がランダムウォークしてるってこと?

学会論文発表した方がいいよ一流大でテニュア取れる

2019-04-29

anond:20190429014612

研究は何とかなる。手法技能問題なので、慣れが必要

論文はたくさん読もう。発想の元になる。

論文読めないのは、言語感覚のせい。何語を使っているから知らんが、言語感覚は早く身につけといた方がいい。論文読むのも書くのも楽になる。

学振も書いてる間は辛いだろうけど、悲観することはない。学振通らなくてもテニュアになってる人は大勢いる。

ただ、人の心は何とかできるものではない。できるとすれば、自分気持ち相手に知ってもらって、自分なら幸せにできると訴え続けるしかない。自分だったら、恋愛に関してはまずは行動を起こすと思う。

2019-04-16

anond:20190416105657

かに博士課程3年間、学振落ち続けた人間(人文系専攻。当時は合格率15%とかそんなもんだった)としては、そんだけわかりやすい実績上げててなんで??感すごいある。

彼女だけの話でもなく、受賞経験とかはないけど、ポスドク非常勤講師やりながら、論文や本書いて、研究会主宰とかもやって、ちょっと話せば教育者としても優れてる人だなってわかるような人が、すぐテニュア決まるだろって思ってたのにずーっと決まらないまま50代突入とかしてたんで、ほんとこの世界わからん。怖い。

研究に向いてそうな学生いても、大学院行ってみたらとか絶対言えない。

留学生そもそも院進前提で来てる人多いんで、日本の人文系大学院留学生だらけになってる。残念ながら当然としか言いようがない。

それにしても、史学系って、ガチ公募どれくらいあるんだろうね。

院生非常勤講師時代はいまいちよくわかってなかったけど、教員側の立場になってあれやこれや見聞きしていると、大学院によって、植民地(若手研究者を送り込める枠がある大学)があるとことないとこあって、ついでに同じ大学院でも専攻や師匠によって、コネ回せるとこと回さない(回せない)とことある、らしい*。

コネ回すことができるとこでも、空きがなければどうしようもないので、全員に回せるわけではなく、優秀な人、貢献してくれた人からということになるわけなんだけど。

どれだけ実績があっても、(1)専門領域でのガチ公募が極端に少ない(朝日新聞記述で、履歴書読んだ跡がそもそもなかったこともあったってあったけど、既に採用者決まってるアリバイ公募ってことだよね)(2)出身大学院または師匠コネさない、が重なれば普通に詰むよね。

あとは研究会とかで自力で人脈広げて、呼んでくれる人を作るかどうかくらい?

いうて、コネで押し込めるのって学部長級以上とかだし、そのへんの人らは学務忙しくて研究会とかそんな出てくる暇なさげな気もするけど。

あとは退職する教員が後任推薦することもなきにしもあらずだからそのへん? 後任推薦NGのところも普通にあるんでなんだけど…

専門によっても違うし地域大学によっても事情は違うと思うけど、ガチ公募もっと増やして、とりあえず「研究業績ある」「学生の面倒がみれる」「最低限学務もこなせる」「コンプラ守れる」あたりが揃っていれば就職できるチャンスを増やすことが、優秀な研究者育てる鍵になる予感がする。

ちなみに出身地国立大で、自分の専攻の公募出ないかなーと10年以上ガン見してましたが、一度も公募出ませんでした!!




自分ガチ公募で勝つしかなかった。年数件くらい出る自分の専門領域かぶる公募20回以上応募して、面接まで行ったのが3回、4回目に呼ばれたところに決まった。ちなみに面接では研究者としての資質もそうだけど「一緒に仕事してうまく仕事回せていけるか」が見られるという印象。あとで聞いたら、実は自分より優れた業績もってる候補者もいたんだけど、そちらが面接で引っかかるところがあって、結局自分になったらしい。(久々に書いたらはてな記法脚注の付け方がわからんくなってた…)

2019-04-14

デキ公募を蹴った話

ポスドクを何年か経験しながら20以上の公募に出してきたけれど、どれもこれも通らない。教育歴こそ薄いが、論文数は同年代の若手のなかでも多いほうだし、それなりの受賞歴もある。その一方で、こういうのを比べてしまうのも浅ましいことだけれど、そこまでパッとするわけでもない同世代研究者たちが、いつのまに告知されていたのかもよくわからない公募で、テニュア職にすんなりおさまっていたりするのも見てきた。もちろん、業績数や教育歴の単純な比較採用が決まるわけでもないことは百も承知だけれど、なんだかおかしいぞという感触はどこかにあった。

家庭の事情もあって、最後ポスドク任期が切れる9ヶ月くらい前からアカデミアを去って一般就職する選択肢視野に入れ、転職エージェントとやり取りをしていた。あと9ヶ月で条件の良い研究職に運良く決まれアカデミアに残るだろうし、決まらなかったらもうすっぱり足を洗おうと思っていた。

数ヶ月が過ぎたあるとき、そこそこお世話になっている先生から、これこれの先生退職される際に後任を探しており、もしよかったら応募しませんか?という話をいただいた。応募しても確実に採用されるとは限らないが、後任の人事にあたってはこれこれの先生意向が限りなく尊重され、これこれの先生が私の名前を直々にあげてくださったとのこと。もちろんはっきり言われはしなかったが、いわゆるデキ公募というやつだ。

アカデミアのことを諦めかけていた私にとって、こうして気にかけてくれる人がいることは素直に嬉しく誇らしかったが、同時に何とも言えない違和感を抱いた。このとき違和感の正体をつかめなかったけれども。そしてメールのやり取りのあと、先方の指定する日時にこれこれの先生のもとにうかがい、「面談」ということで1時間ほど話をした。面談感触は良かった。これなら採用されるだろうと思った。「面接」のほうは、公募プロセスが開始されたあとに形だけするのだということだった。

ところがこの面談が終わったあと、先程言及した違和感さらに膨れ上がり、おそらく怒りに変わった。このデキ公募採用されたとして、それでは、選考に応募してきた窮状にありながらもがんばっている同世代の何人もの研究者たちに対して、私は顔向けできるだろうか。公正な競争を信じ、成果を出し続けていればいつかは報われると信じながら命を切り崩すように研究を続けている仲間たちに対して、これはちょっと卑怯なのではないか。それにだいたい、私に対しても失礼だ。10年以上もまともな論文すら書いていない「研究者」の先生方が、何の権限で、寛大にも私を採用してくださると決めることができるのか。研究者としての実力を必死に高めて、世界の仕組みを少しでも深く明らかにしようとがんばっているのだから、こんなまったくメカニズムのわからないデキ公募なんかで採用されるより、実力を公正に評価してほしい。

しかしその一方、これは願ってもない話であることは確かで、この不公正を受け入れれば、テニュアポジションアカデミアに残ることができる。しかし私の感情は収まらない。研究者論理的価値観を共有し、アカデミアには実力次第で評価される公正な競争があるのだと信じていた。あるいはそう信じたかった。しかし、デキ公募に関わることで私の期待は裏切られ、こんな慣習に染まったアカデミアは、もはや私が人生を費やして貢献したい場所ではなくなってしまった。

そんなことを悶々と悩んでいたところに、折よく転職エージェントとの話がまとまり、期待以上の条件で企業への採用が決まった。私はアカデミアを去ることに決め、これこれの先生にも丁重な断りの連絡を差し上げた。

会社企業には元から公正な競争なんか期待していなかったので、今はだいぶ気楽に仕事ができている。デキ公募に関わることでアカデミアには失望が残ったし、この失望は今後も消えることはないだろうと思う。

2019-04-10

anond:20190410230627

1. 予備校模擬試験のように、「おまえが将来テニュアを得られる確率は \d%」 と具体的な数値を毎年教えてあげる。

2. 将棋世界のように、n歳までにプロになれなかったら、事実上のクビ。最後師匠将棋指して田舎に帰る帰らせる、をルールにする。

3. 天下を取りたければ食客を沢山持つこと。 IT社長と食い詰め大学院生マッチングサービスで一発当てよう。

やっすいオンナに飽きたIT社長鬱屈した大学院生研究の話、1時間聞いて50万くらい、余裕で払うと思うよ。

2019-04-05

大学に進学した直後なのに「大学教員になりたい」という学生がいて閉口している。

親が大学教員なのかもしれないが、わからない。

こんな学生が1人だったら、「意識の高い変わり者がいる」で終わるのだけど、なぜか複数いる。

新入生なんだけど、今まで大学研究機関の何を見て、どういう考えに至って、大学教員になりたいと言ったのだろう。

まず教員になりたい、というのがわからない。大学教育業務をやりたいということなのか?研究をするのではなく教育をしたいということか?まだ大学の授業も受けていないのに?

かい話をすれば、うちの教員は全員研究所属で、研究業績がなければ採用もされないし職階も上がれない(教育業績はあまり加味されなくなった)。才能があるのにテニュアが決まらないポスドク教育忙殺されてテニュアトラックに乗っても論文が書けない大学教員精神を病んで論文もかけず研究費も獲得できない研究員を山のように見てきた。

そんな多くの屍の上に、大学教員ポジションがある。そんな覚悟も現状もおそらく知らない無垢な新入生達に、天真爛漫に「大学教員になりたい!」と言われたので、面食らっている。

なるな、とは言わない。

でも、なりたいうちは、絶対になれない。

大学教員はなるものではなく、「何かに対する探究心と熱量人一倍持った人たち」のうち、運が味方した人たちなのだ

そしてそんな人たちも、大学教育学内政治に関心がなければ、リタイアしてしまう。大学教員大学運営できなくなって、立ち行かなくなった大学もある。

から大学教員になりたいとか、変なことを言う前に、自分の夢中になれる大好きなことをまず探してください。

そして、それが国が税金を払って進めたいもので、あなたがそれについて国内で最もよくわかっている人間だと認められたら、研究所の研究員や、大学教員になれると思います。いや、自然にそうなるのです。

大学講義を受けたり、学びを進める上で、大学教育問題があって自分がぜひ解決したいと思うようなら、大学教育研究する大学教員になってください。

そうでないなら、民間に行った方が数倍は楽です。求めている人がいるなら、お金はもらえるはずです。

肩書きの聞こえの良さだけで、何者かになりたいというエゴで、どうか自分人生を潰さないように。

入学おめでとう。

2019-03-20

anond:20190318185826

スペックスキル

169 cm, 56 kg体脂肪率 11.2 %, 32 歳

住居:関東

学歴博士工学

仕事:特任助教

家事基本的ことなら可.メシマズではない.Anova便利.

掃除洗濯ルンバ,全自動洗濯機便利.汚部屋ではない.

特技:なし

趣味アニメ(鑑賞のみ)

年収:350万程度(残業ボーナスなし)

残業:週40-50時間程度

性欲:少なめ

健康:良好

希望されたもの

身長172cm以上 → 3 cm 不足

太ってない → はい

禿げてない → はい,まだそれなりにフサフサ

二重まぶた → いいえ,一重

それなりの見た目 → いいえ,顔を褒められた事ないので,不細工な部類です

大卒以上 → はい

25〜32歳 → はい

正社員 → いいえ(※"特任"の付く教員非正規雇用

強めのメンタル → たぶん強い方

年相応かそれ以上の精神年齢 → たぶん

ほどほどによく喋り短気じゃない → あまり喋らない.チャットだと喋る.まったく怒らない.

犬好きならなお良し → いいえ,猫好き

ガチガチデートコース決めたデートしない人 → はい

相手希望するもの

貴殿の詳細が一部不明瞭で,私の希望も誠実に書いた方が良いと思いました.当方希望も記します.

年齢:22-34 ※子供はそのうち欲しいので 22-29 歳は歓迎,30-34 は出産経験健康状態に応じて可,35以上は母体心配となるので要相談

体型:BMI 18-24 程度,16以下は不可,26以上は健康状態に応じて可.

住居:特になし.

学歴大卒卒論執筆は最低限,修士博士は歓迎.

仕事年収自分生活を支えられ,その仕事が本当に嫌でなければなんでも.

料理加工食品に頼れるメンタルオーガニック思考は不可.パンより米派は歓迎.

家事掃除洗濯:先端家電に頼れるスキルメンタル.慣れ親しんだ方法を捨てて楽できる家電に乗り移れるメンタル歓迎.

特技:一般事務作業をこなせるパソコンスキルGoogle信者Microsoft信者Apple信者は不可.

趣味他人趣味理解できずとも許容できればなんでも.

動物:好きであれば.ただし蟻派と魚類派は不可.猫派大歓迎(犬信者は要相談,猫も可な犬派は可).

政治特定政党信者否定者でなければ可.きちんと欠かさず選挙へ行っている人,期日前投票している人歓迎.

その他:48 時間以上連絡なくても大丈夫な心,数週間まともなデートできなくても大丈夫な心,別居または引っ越し多くても大丈夫な心(欧州米国も含).

補足:子供も欲しいけど年収時間を考えると今は無理.早くて数年先にテニュア取れるか,アカデミア諦めて民間就職するかしないと無理そう.

2019-02-03

https://anond.hatelabo.jp/20190203203623

なんか「アカデミズム」っていう一枚岩組織があるような書き方だけど、ぶっちゃけポストに誰をつける/つけないとかは各研究機関判断なんだから、全体的な統制なんてしようがないし、それを統制しないことが「学問の自由」だからね。それはむしろ許容するべきだと思うし、国際的にもそうだと思うよ。

一度テニュアポスト取っちゃうと、よほどのことがない限り絶対にやめさせられないよ。学問的にトンデモからという理由では絶対にやめさせられないのが「学問の自由」だからね。低い確率だけど、そのトンデモな人が実は正しかったという可能性もあるわけだから

定年間際ではトンデモなっちゃうような人も、若い頃はすごい業績出してたのかもしれないし、その若い頃の「すごい業績」は、いい研究機関でいいポスト狙うために頑張って初めて出せたものなのかもしれない。だから、明らかに主張がトンデモであっても、嘘をついていなければ生かしておこうっていうのは、正しいアカデミズムなんだよ。

2018-10-10

社会学正当性担保システムの弱さ

社会学は、自然科学で多く用いられているクロスチェックによる正当性評価方法採用しづらいゆえに弱いようだ。

社会学が人や集団相手にする以上、倫理的問題のある行為はできないし、再現性も後になってみないと分からないものも、検証のしようもないものもあるだろう。

では、フィルターがまったくないかというとそうでもないようだ。

比較しろ」って簡単に言いますけどね――質的調査VS量的調査 岸政彦×筒井淳也

https://synodos.jp/society/19195

上記記事中では、特に質的評価と呼ばれる手法が、評価しづらいという指摘がされている。

そのなかでもフィルターに近い作用は以下の文章にあらわれている。

質的調査にも、いわば「社会問題共同体」みたいなものがあると思うんです。そこには、研究者だけではなく、当事者活動家行政メディアだったり、いろんな人が緩やかにつながっている。もちろん共同体といってもみんな仲良しという意味ではぜんぜんないですよ。その内部には葛藤や亀裂もあります。ただ、いずれにせよ、そういった人たちが論文を読むことはまれですから、たくさんくだらない論文や報告が出てくるんですが、そのままそんなことを続けていると、後から別のところで叩かれたり、調査が出来なくなっていくんじゃないか。ひとりの質的調査者の研究が、当事者関係者たちとの関係性のなかで批判されて、広い範囲で、長いスパンフィルターが効いているんじゃないかとは思っていますね」

とあり、これが現在フィルター限界ということだろう。

まさに今炎上中の社会学者は社会との齟齬によって淘汰されつつあるのだと思う。

とてもウェットな世界のようにも思う一方で、自然科学世界でも似たりよったりのようにも思う。長く残る人の中には、その人柄であるとか、昨今低くなっているという論文再現性が高いとかの個人の信頼みたいな、業績としては評価されにくい隠しパラメータが高い人も結構いる。

論文再現性について ある医療大学長のつぼやき

https://blog.goo.ne.jp/toyodang/e/1316a8dad8d53aef57063e651b0763cb

そういう人でもテニュアポジション取るまでは苛烈性格だったとか結構あるけど。

脱線したので話を戻す。現在Twitterによって市民の目が届く範囲社会学が降りてきてると言えるのかもしれない。市民の目による監視完璧システムではないと思うが(人気投票的で、長期間での研究価値とは別の軸で評価されやすいなど)、大学の中だけで閉じていくよりは新しい評価軸の発生は概して好ましいことではなかろうか。

あるいは、評価する市民の目こそが試されているのかもしれないが。

2018-10-09

anond:20181008215814

metamix 英語論文なぞいらん日本語で事足りるって話はまあいいけど、理系なら学部生ですらやらされることを文系だと教授クラスでもやらなくていいんだーフーンみたいな感想

お互いの分野で必須タスクが違うだけだろ……英語以外の外国語を読まなくていい理系はずいぶん楽ですね,って言われたらどう思うよ? 私は修論書くにあたって複数ヨーロッパ言語読んだし,東洋史だと修士でも複数の現地語+複数ヨーロッパ言語を読むのが当然みたいな分野もあるけど,理系英語だけ読んでりゃいいんだっけ? ふーん.

kyuuzyuu9yen じゃあ文系論文妥当性はどうやって担保しているのかと。仲間内でも議論はしているのか?

dot 学術言語は一理あるとも思うけど、査読有りが理系ローカルルールという言説には面食らう。記述言語査読有り無しも最終的には学術論文としての品質をどう担保するのかというところに帰結すると思うんだ。

slimebeth この問題英語査読不要理系絶対と思うなみたいな捨て台詞をいろんな人が吐いてくのに「では代わりにどういう制度方法論で研究の質を担保してるのか」を未だに誰も一言も言わないの底知れぬ闇感すごい…

本当に疑問なんだけど,こういう主張するひとたちって「まあ最近文系査読重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないかダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメ論文は後発の研究によってちゃん批判されるか鼻にもかけられず無視される」っていう箇所が読めてないの? 査読つき雑誌はある,査読つきの業績は重要であるしか査読がないからといってダメであることを意味しない,ってそんなに難しい話かね.

ていうかこういうひとたち,普段査読通った論文なら無批判に盲信してるんですか? 論文批判的・懐疑的に読まれ瑕疵があれば後発の研究によって批判されたり乗り越えられたり無視されたりするものだ……というのは文理を問わぬ学問常識だと思っていたのだが,「査読がないとどうやって研究の質を担保するの?」などと吐かす一部の理系はどうやら査読を通ってさえいればアッサリと先行研究を信じてしまうらしい.どっちが権威主義なんだか.

reuteri ペレルマン査読されてないが多くの人から批判的にチェックされるでしょ?そのチェックの有無が科学にとって重要で、「学界の権威が言っているから正しい」という世界科学ではないのですよ。日本語については同意

藁人形叩かれても困るんですよねぇ.

theta 日本には日本のXX学、米国には米国のXX学、印度には印度ののXX学があって相互互換性が無いのなら、それは普遍性のある学問なのかなという疑問がある。

こういうレベル説明から始めなきゃいけないの本当に馬鹿げてると思うんだけど,日本西欧研究なら西欧諸言語の先行研究は当然追いかけているし,英語圏の日本研究者は日本語の先行研究読んでますよ.ドイツ人ドイツ研究者と日本人のドイツ史学者は同じ学問従事していて,同じ問題意識を共有している.ただ,日本西洋史研究日本歴史学という別の文脈の中にも置かれていて,そちらから影響を受けて「日本西洋史研究独自の色を出すこともあるし,アメリカでは日本研究者と東南アジア研究者が共同プロジェクト独自問題意識を深めているかもしれない.そういう意味で各国の研究には多かれ少なかれその国の事情に根ざした独自性があるわけ.そして,時には「本国」以外での研究潮流が「本国」での研究に影響を及ぼすことだってある(たとえば前世紀末から今世紀初頭にかけてのアメリカソ連研究典型的かな).日本中国学はフランス台湾中国学と微妙に違っているかもしれないけれど,それでも同じ中国学なんだ.

kingate だとして。最先端は何処よ?学術研究論文最先端批評貰う必要があるんじゃねぇの?ローカル内容でも批評貰わんと正否は出ないでしょ、総論として。で、あの学者モドキはその総論に後ろ足で砂掛けたの。

分野によるとしか言いようがないし,別に最先端複数あってもいいんじゃないかと思わなくもないが.たとえば私が研究対象にしている地域については間違いなく英語でのショボい研究蓄積なんかよりも現地語での研究最先端だけど,私は現地での最先端研究フォローしているし,現地人の使っていない資料とかも使って彼らと勝負しているつもりでいるよ(現地人だからこそ盲点になってる資料みたいなのがあるんだよなぁ).

iyochoo 国内アカデミアを重視するか、世界アカデミアを重視するか。両方の言語で書いてくれると助かる人が多いです。

世界アカデミア」なんて幻想で,各国別のアカデミアが併存してるんだよなぁ.もちろんそれらの間に橋を架ける必要はあるけれど.

(……)恐らく査読文化のないという文系の分野では、被参照数によって論文の質を予測するというように思うのですが、被参照数というのは流行研究をしている事で他の研究者が参照しやす環境がないと伸びにくい物です。ニッチな分野の研究をしているが、優れた研究であるのに査読も行われず、誰も参照してないという論文があるとして、研究を行う者はその論文を如何にして見つけて評価するのでしょう?文系研究者は、研究を開始するまでに、かなり無駄調査時間必要とするのだろうなという事を想像しますね。(……)

anond:20181009154937

ぶっぶー.ぜーんぜん違います.ろくな知識もないひとがテキトー想像しても頓珍漢な答えに辿り着くだけなんですよねぇ.

そもそも査読はあるし重要だが,査読がなくても良い論文であれば評価対象たりうる,という話を少なくとも私はしていたわけで,それを「査読文化がない」と要約されても困惑するわけですが,まあ全ての論文査読を受けているわけではないという状況を「査読文化がない」と書いているのだろうと好意的解釈するとして.

当たり前ですが文系でも「レベルの高い査読誌」「査読はないがレベルの高い雑誌」「レベルの低い査読誌」「無査読紀要」ではチェックの優先順位論文の重みは違います.当たり前ですね? 査読はしていないけれど,その分野では定評がありよく読まれ雑誌,というもの存在し,たとえばそのへんの査読をつけた院生向け紀要とかよりも圧倒的に読まれる,というような状況がある中で,査読がないからといって無価値扱いするのは不当だ,という話を私はしていたわけです.

なので,ニッチだけど優れた研究をしている人は,よく読まれ媒体論文投稿すればよろしい.というか人文系研究対象って,研究水準の深化に伴ってどんどんニッチになっていく傾向があったりしますしー.

そもそも文系の多くでは被引用数を重視する文化はあまりありませーん.理由ひとつとして「正確な被引用数を測定するのが困難」というのが挙げられます.著書も業績になり得る上に各国が自国語で研究する世界において,外国語も含めた紙の本での被引用数なんて管理しきれないのでー.私も自分論文の被引用数なんて知りません.外国語で書いたやつは3ヶ国語くらいで引用されて,日本語のやつも紙の本に1回引用されたかな? でも他にも引用されてるかもしれないので,これは最低限の数字っすね.周りで被引用数なんて気にしてる人見たことないなぁ(私に指摘されて初めて自分論文他人の著書に引用されてることに気づいた先輩とかいたっけ).そもそも引用されてむっちゃdisられてても1回引用カウントするわけですよね? それ本当に論文の質の指標になるんですか?

(……)一方で世界社会学者は、インパクトファクターの高い査読付き国際学術誌に投稿している様ですね。アメリカだと、テニュアになるためには当たり前の様に要求される実績の一つですし、それが世界標準でしょう。(……)

それはアメリカ社会学者自国語で論文を書いているだけでは……?

というか,日本語圏の社会学者でも英文学術誌に投稿してる人はいますし,英文学術誌に投稿してる非英語圏の学者でも,それとは別に母国語論文書いてたりしますし.英語以外の言語での論文が載ってる社会学学術誌,探すとあちこちにありましたよー.

韓国語http://www.ksa21.or.kr/kjs/

中国語(簡体字)> http://sociology.cssn.cn/xskw/shxyj/

中国語(繁体字)> http://tsa.sinica.edu.tw/publish_01-1.php

ロシア語http://www.isras.ru/Sociologicalmagazine.html

フランス語> https://journals.openedition.org/sociologie/index.html

ポーランド語https://www.ceeol.com/search/journal-detail?id=240

リトアニア語> https://www.ceeol.com/search/journal-detail?id=1027

カタルーニャ語https://www.raco.cat/index.php/RevistaSociologia/index

ところで日本社会学会は和文雑誌の『社会学評論』以外にもちゃん英文学術誌持ってるんですよねー> https://onlinelibrary.wiley.com/journal/14756781

いやほんと,テキトー知識でよその学問分野に軽々しく口を出して,正しいこと言ってるならともかくめっちゃ的外れとか,生きてて恥ずかしくないんですかね?

death6coin “ぶっぶー.ぜーんぜん違います.ろくな知識もないひとがテキトー想像しても頓珍漢な答えに辿り着くだけなんですよねぇ.”攻撃的ですねぇ

理系研究事情査読制度を知りもせず「理系研究権威主義だ! 定説にとらわれて思考が硬直している!」とかわめく連中に,これまで理系のひとはどんな目線を向けてきたっけ? 冷ややかな目線を向けて嘲笑ってきたよね.もちろんそれはまったくもって正しいよ.理系事情を知りもしないのに思い込み的外れ批判をするのは愚かな行為であり嘲笑に値する.文系に向けて似たようなことをわめく連中にも同様の態度を取らせてもらうというだけ.

zu2 琉球歴史琉球語でかける日はいつか。文化侵略ってこういうものだよな

これは本当にそう.最近だと三元社なんかが琉球諸語・日本語対訳出版物を出していたりするけど,言語復興運動家の著書とか学術誌のコラムまりで,琉球諸語で書かれた学術論文は残念ながら見たことがない.琉球諸語は最近書記法の整備とか色々進んでいるから,今後はそういう方向に期待したいよね.もちろん琉球諸語で書かれた論文査読できるひとはそう多くないと思うけれど,査読なしで論文を発表することも許されているという文系事情積極的活用して中身のしっかりした琉球諸語論文を発表していくひとが出てきたらいいなと思う.

quick_past だったら方言で書いてもいいし、絶滅言語で書いても良いのでは。

それに対しては2つの論点から応答したい.1点目に,「日本語過去の豊かな蓄積を持ち,現在も多くの学術論文生産し続けている言語である」という前提条件を忘れてもらっては困るということ.日本について研究している学者日本語論文を書くわけで,この点が方言とは違う(大阪弁研究する者のほぼ全てが標準語論文を書いているし,山形弁で書かれたヨーロッパ史の高度な研究は現段階では存在しない).

第2に.もちろん書いていいです.少数民族独自民族として生き残っていこうとするには何らかの形で文章語を持つことが(必要ではないが)望ましく,実際にヨーロッパでは人口数万人の少数民族でも自分たちの言語で書かれた学術誌を持っている場合もある(もちろんその場合,当該言語や当該言語で書かれた文学,当該民族歴史といった限られたテーマについての論文を書くので精一杯だったりするのだが.ちなみにそういう少数民族学術誌に少数言語論文を載せてる日本研究者もいる).それに,言語方言とのあいだに本質的な違いはなく,たまたま政治権力を持ち規範が整備された言語変種が「言語」とされ,「言語」と見做されなかった地域的変種が「方言」と見做されているだけ,というのが社会言語学常識であり,実際に気仙沼方言方言ではなく独自の「ケセン語」だと主張して聖書翻訳したお医者さんなんかもいる.上で書いたように,宮古語日本語バイリンガルコラムを載せている学術誌もある(コラムまりで,論文ではないけど).なのでたとえば,鹿児島大学薩摩弁を公用語にした紀要出版されてもよいと思うし,もしその紀要に優れた論文が次々に掲載されたとしたら先行研究を読むために薩摩弁を学ぶひとも出てくるかもしれない.そしてそれは,悪いことでは決してない.

abll 「過小評価しすぎ」は重言。「過小評価している」か「軽く評価しすぎ」が正しい。

きゃーお恥ずかしい.ご指摘ありがとうございます.訂正しました.

何故、社会学英語査読を受けるべきか?

anond:20181008215814

言語だけで問題視はしないが、批判されている社会学については英語論文を書いて、世界から査読を受けるべきと思うと、工学系で研究をしている人間として言っておきたい。日本語だって研究は出来るとかいうのは、批判本質に対しては無意味論点ずらしでしかないんですよ。

http://dlit.hatenablog.com/entry/2018/10/09/081143

とは言っても、人文系でも査読される事が重要になってきている様だし、「査読理系だけのローカルルール」とのたまっていたのは馬鹿な繰り言だと分かってホッとはしました。千田先生が学んだ社会学批判を機に変わって貰いたいですね。学者と呼べるのか?と感じる人間排除される様な変化を期待したい。

自身研究の質を高める為には、優れた先行研究存在は不可欠

唐突ではあるが、皆さんは、工学研究者が年間に何本程度の論文を読むと思われるだろうか?ここで言う、読むという行為再検証実験自分で出来るレベルに落とし込めるという前提でです。時間がある博士課程の学生で、なおかつかなり優秀と言われる人で150も読んでいれば相当なものです。不慣れなもの論文から何をどう作ればいいのか?を理解するのに要する時間は一月にも及ぶかもしれません。斜め読みまで含めれば、修士学生でも、最低50本程度は読んでいるでしょうが、逆を言えばそんなものです。斜め読みで済ませることが出来るのは、論文の質が担保されているからですね。

一方で、自分の専門領域についての論文は、毎年、大量に発表されます。もしも査読がなく、国際学術誌や国際会議ランクけがなされていなければ、玉石混交クズ山の中から自分研究引用すべき論文について、その妥当性を再検証するだけで膨大な時間必要としてしまますね。査読学術誌の採択難易度によって、論文の質が担保されている事が如何に重要か?お分かり頂けるでしょう。レベルの低い会議の採択論文や、査読なし論文などは、僅かな例外を除いて通常は再検証されることなく消えていきます。高いレベル査読を通って採択されている事は、再検証する手間をかける価値証明になります

論文評価には被参照数という軸があります。いい研究であれば、数百の論文から参照されます。参照されるという事は同業者による再検証が行われているということを示しているので、手法妥当性が分かるのです。恐らく査読文化のないという文系の分野では、被参照数によって論文の質を予測するというように思うのですが、被参照数というのは流行研究をしている事で他の研究者が参照しやす環境がないと伸びにくい物です。ニッチな分野の研究をしているが、優れた研究であるのに査読も行われず、誰も参照してないという論文があるとして、研究を行う者はその論文を如何にして見つけて評価するのでしょう?文系研究者は、研究を開始するまでに、かなり無駄調査時間必要とするのだろうなという事を想像しますね。非効率すぎて耐え難いという気分に、個人的にはなります

何故、社会学英語査読を受けるべきか?

査読と被参照数の話をしました。これによって完全とは言えないまでも論文の質が担保されるのは、世界中の同様の背景を持った研究者たちによって、その仕組みが共有されているからです。査読を受ける者も、査読する者も、何度も何度も査読に関わって来たという実績を持っていて、厳しい目で評価を行いあっている事が前提にある。私が社会学英語査読を受けるべきと言う理由はここにあるのですね。

社会学者が、査読なしの招待論文 > 査読された論文 という認識であることは、幾人かの社会学者が言っている事です。実際に社会学者の履歴をみても査読付き論文殆どない事も指摘されていますね。そういう学者たちの査読に何か価値はあるのだろうか?と思う訳です。一方で世界社会学者は、インパクトファクターの高い査読付き国際学術誌に投稿している様ですね。アメリカだと、テニュアになるためには当たり前の様に要求される実績の一つですし、それが世界標準でしょう。故に、査読されない研究者同士ではなく、査読が当たり前になっている世界評価評価を受けるべきだと考えます工学系では国内学術誌は相当に軽視されますが、英語日本語かは大きな問題であるとは思いません。査読が当たり前ではない世界から査読が当たり前の世界に出て評価を受け、実力を証明せよという事です。その為には、英語を使うのが妥当なのでは?

という風に思いますね。

日本語かどうか?は本来は(日本語のみの会議レベルが低いとしても)重要問題ではないけど、日本語で閉じている限りは社会学学問と呼べるだけの再検証性を備えていないのではないかと言う疑問を改めて提示しておきたい。私は、少なくともジェンダー論を学問とは思えなくなっています

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