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はてなキーワード: 国家主義とは

2018-01-05

グロバリストな左のインテリ英語があまりできてないというかどで

グローバル的な国家主義的?右の人に英語できんとはけしからんと怒られるとか

よくわからん時代になったなあと思う。

2017-12-27

満員電車の解消ができるまで憲法改正をすべきではない

俺は右翼国家主義者なので憲法九条廃止してはやく戦争をはじめるべきだと思っているしその際は従軍するつもりであるが、一点その前提として絶対にやらねばならないことがあると思っている。それは満員電車の解消である。というよりも、満員電車を当然と思う国民意識をまず改革しなければならない。

何故なら自国民をあのような非人間的な環境で扱うことを何の問題とも思わない国民は、捕虜をあのような待遇で扱うだろうからである戦争をする以上は勝敗は時の運であって負けることもある。勝てばこっちのものであろうが、また負けたとき捕虜をあのように扱っていればまたぞろ捕虜虐待だのなんだのと突きまわされるのは明らかなので、この点をどうにかしていかなければならないだろう。

2017-11-23

アベの憲法改正に反対するロジックと同じだよ

憲法改正は必ずしも否定しないが、国家主義的な安倍政権のもとでの憲法改正には反対する」

わけでしょ。あいつの好きにしたら全然歯止めなんかかかりそうにないから。

まりそういうことだよ。表現規制のものは必ずしも否定しないし一定基準必要だけど、

不快もの排除したいだけというのが本音フェミの言うことなんか聞いてたらキリがない」。

2017-11-19

リベラルという言葉が明らかにウケが悪いんだから

社会主義国家主義を強調するほうがまだ自民党倒せる可能性高いんじゃないの?

普段生活において自由なんて全然なくてそれが当然と思ってる人たちに自由を強調しても意味ないわけでしょう。

2017-11-13

anond:20171113112026

右翼右派って保守なの?権威主義なの?国家主義なの?自由主義なの?改革派なの?右左だと定義がブレブレだから意味わかんないんだよ。主義で語れ

2017-11-08

anond:20171108060509

国家主義が嫌いなだけで今のソジャ化したスーパーマンみたいなのは大好きだと思う

2017-10-28

産休や育休って、差別制度だよね

子供を産めない人とか、産みたくない人もいるんだけど、サヨクはそれをどう思っているの?


すべての労働者に休暇を与えて、それをレジャーのために使うもよし、出産育児に使うもよし、というのが真の平等だ。

子供を産みたい」という女の欲望優遇されまくって、それ以外のレジャーより優先的に休暇を取れるなんて、ふざけるなと思う。


もちろん「子供は国の宝だ」「女は子育てをやるべき」という保守主義、「少子化対策国難を乗り越えろ」という国家主義で行くつもりならば、いきいきママ優遇もアリだよ。

でも、サヨク個人主義とか、人権多様性だとか、さんざん理想をふりかざして社会を変えようと言ってきたじゃん。なのに、今さらその理想を裏切るようなことを言わないでほしい。


https://anond.hatelabo.jp/20171027130754

2017-10-22

リベラルは、なぜ子育て支援をやろうとするの?

保守主義「家族」価値を重視するとか、国家主義人口を維持したがるのは分かるんだけど、リベラル子育て支援を訴えている理由が分からない。

子供を生むかどうかが個人自由なのだとすれば、社会はいっさい手助けするべきではない。

人がふつう趣味や遊び方をするとき社会はその自由保障するけど、手助けをしてあげないことと同じだ。なぜ子育てだけは特別扱いなのか?

  

  

  

例えば「東京保育園を増やすべき」というのも、意味が分からない。

東京マイカーを所有したければ、相当な高収入必要になるわけだが、それが負担できない人はマイカーをあきらめる。もしくは、マイカーを持ちやす地方に引っ越すのが妥当だ。

女が子供をほしがるときもそれと同じで、自分か夫が多額の金を支払ってベビーシッターを雇うか、保育園の充実した地方にひっこせばいい。

  

もちろん、「マイカーを所有することより子育てする方がすばらしい。社会がそれを支援するのは当然だ」という意見もあるだろうが、それは保守主義国家主義の考え方である

リベラルによると、物事のすばらしさを決めるのは伝統国益ではなく、人それぞれに異なる個人価値観だ。そこには多様性があるのだから政府が一律に優遇冷遇してはならないはずである

  

もし「子育て支援」に何らかの正当性があるとすれば、子供の人権ということになるけれども、それも根拠としては弱い。

育児能力がない者が子供を産んだ場合児童養護施設にあずけるのと同様に、経済力がない者もそうするべきだ。

子供が生まれてきてしまった以上、その人権は守られなければならないが、「家族がそろって暮らすのが幸せだ」という価値観保守主義に過ぎる。わざわざ親の手元で育てなくても、児童養護施設を充実させて、子供はそこでしっかり育てればいい。

  

現状の「子育て支援」は子供支援することではなく、文字通り、子育てする親を支援するという方式を取っている。それは家族形成・維持を助ける政策なのである

ここで極端な事例をだすと、「キモくて金のないおっさん問題があるだろう。

リベラルキモくて金のないおっさんに対し、妻子を持つために自助努力するか、諦念して孤独に生きることをすすめる。べつにそれはそれでよいのだが、その場合子育て中の親を支援することにも根拠がなくなってしまうのではないか

  

https://anond.hatelabo.jp/20171021145831

  

  

  

追記

当然ながら我々の現実世界には、純粋リベラル思想の持ち主はごく少数で、いくら保守主義国家主義の要素を取り入れている。

その意味では矛盾はないし、中途半端ポジションになってしまうのはやむをえない。

だが、みずから保守主義国家主義に大きく寄りかかっていることに無自覚自称リベラルの人を見ると、なんだかなーと思う。

SNSによくいる、キラキラした理想主義者みたいなサヨクのことだよ。あれはホントに気持悪い。

2017-10-10

anond:20171010144543

はてなー集団の輪に入れない社会不適合者の集まりから

そういう国家主義思想はクソ食らえと感じるのだろう

2017-10-08

シグロ氏の発言が出るたびにサヨクの元気がなくなっていく

最低でも「日本への帰属意識なんかない」とか「俺の賞にジャップは一切関係ねーよ」ぐらい言って欲しかったし

もう少し欲張るなら現代日本について批判侮蔑的コメントを述べて欲しかったのに

一切そんなのいってくれないどころか誘導しても徹底スルーされる

それどころか日本の思い出、日本への親しみや日本人作家との交流の話ばっかりされる

https://mainichi.jp/articles/20171006/k00/00m/040/132000c


サヨクメディアサヨクブクマカ

当初は「お前等は関係ない!ジャップども!」と鼻息荒かったのに

最近ではイシグロ氏のニュースに寄ってこなくなってしまった


しかしここからわかるサヨクメディアサヨクブクマカ信条本質って

リベラルでも左翼思想でもなく

日本への敵意・執着とか日本人への差別意識のみだよね

本質反日

誰よりも国家主義

2017-07-23

ウヨるのは誇りが無いか

ウヨるのは誇りが無いから。ネトウヨとかalt-right(「オルタナ右翼」と訳されているやつ)とかいう群れは典型

誇りが無い、つまり尊厳自覚が欠けている、自己肯定感が足りないから、権威権力依存しないと自己を保てないのである

近年は「日本」に依存したがる人々が増え、そしてそれにあやかって収益をあげようという企業がうようよしている。安倍政権が成立したこととは相関関係はある。けれども、東日本大震災の頃から既に、少なからぬ人々が国家主義に傾いた。己の不安定から国家という概念に懐こうとしていった。

バブル崩壊から続く底なし不況経済縮小の中だから、そういう依存気質を利用してでも稼ごうとする企業の方が多い。宣伝する広告代理店とかマスメディアとかも、やはり、そうなる。

他方の欧米では近年は、例えば「LGBTブーム」が起こっているけれども、多くの企業は「稼げるからLGBT支援」であって、尊厳問題で支持している理解者はそう多くはない。だからアメリカではalt-rightが横行し政権ウヨっている。ネトウヨを利用していてなんで政権が獲れるのかって、その方がその実、カネが動いている、少なくとも、動く期待がされているからだろう。

マイノリティ社会的弱者)がプライドパレードとかやると、マジョリティ既得権益者層)から「俺もプライドパレードやる」とか言うバカが出てくる。なにがバカって、社会から既に尊厳を認められている奴にはアピールする意味は無いから。けど、やりたがる奴が必ず出てくる。なぜなら、そういう奴らは、誇りが無いから。

マイノリティは、誇りをもっているけれども、社会から迫害されているから、生きるためにアピールしないといけない。他方で、権威権力依存することで既得権益をもっている奴には、誇りが無いから、「俺にもアピールさせろ」となる。

社会的弱者は、声を上げ、声を大きくしていかないと、死ぬ。他方のネトウヨalt-right)っていうのは、誇りが無いから、「俺にも平等に言わせろ」と主張して社会的弱者を苛める言説(ヘイトスピーチ)を垂れ流し、それを「表現の自由」(free of speechであると強弁する。

国家主義みたいに権威権力依存する、例えば「歴史」(偽史)や「民族」(虚偽の民族)に依存するのにしてもそうだし、「富士山」とか「東京スカイツリー」とかに精神性を依存しないと自己を保てないような奴にしてもそうだが、自分より強い奴に依存しないと自己を保てないような奴。そうすると、自分と同質の奴はナカーマなんだけれども、異質で自分と馴れ合わない(そもそも本質的に馴れ合えない)奴があるのは不愉快で癪なのであろう。己の誇りの無さを、誇りをもっている異質な者に対して投影して、相手のせいにして苛める。

国家主義、言い換えれば封建主義というのは、強い奴が中くらいの奴らを苛め、中くらいの奴らは強い奴に依存して生きて、そうやって苛めがより下層の社会的弱者押し付けられるシステムである。そして、そういう構造によって統治が実現せられている。簡単にいうと、封建主義というのはファシズムである日本かいうのは本質的に、江戸時代から連綿とファシズム確立されてきたのであり、戦時中だけの問題ではない。江戸時代には、武家社会理屈が主に都市部に浸透させられていた。そうしないと統治体制治安)が保てなかったからだ。普通に虐刑が行われ、厳罰見せしめスケープゴートをつくって引き締めないと成り立たないファシズム国家だった。

今も、江戸時代文化を礼賛して日本古来の文化かいう言説が横行しているけれども、それは言い換えればファシズムだ。実際には古来の文化ではない。それこそ京文化立場から見るとこんなん嘲笑の的だ(笑

誇りが無いから、誇り誇りと盛んに言うのである自己に誇りが無いか日本人の誇りとか言い、誇りが無いか世界に認められる「箔」を欲しがり、オリンピックだの世界遺産だの欲しがるようになる。そして多くの企業は、そういう「箔」を利用して稼ごうと必死である。なにせ今の日本は貧しいから、貧困比較的マシの連中は権威に懐く。

底辺までいって本気で死ぬところまで経験してみた人こそ、ガチになる。

2017-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20170518101556

から今は

自民党国家主義経営者高齢者金持ち 


なんだらから

個人主義労働者若者貧困

を掲げる政党が出ればいいんじゃないと思うけど

既存政党では無い

無いというか自分たちの言ったことも覚えてられない野党じゃ使い物にならない

左右とか保革とかダルい

そういやって無理矢理どっちかにするから問題点が見えにくくなる

今日本でおこなわれているのは

国家主義 vs 個人主義

経営者 vs 労働者

高齢者 vs 若者

金持ち vs 貧困

とかじゃないんだろうか

ほとんどの問題はこれらのどちらかに分類される

にもかかわらず何か意見がでると

ネヨウヨとかパヨクとか言っちゃうから

議論にもならないではないか

2017-05-09

右傾化の原因を国内で探しても意味がない

安倍首相や現政府の動向、またそれに対する社会の反応を見ても、日本右傾化否定のしようも無いものと言える。20−30年前なら安倍首相稲田大臣の数々の放言は毎回政権をひっくり返してもおかしくなかったようなものだが、今は保守化した社会とそれにともなう高い支持率のおかげでまったく安泰である

こういった日本社会右傾化の原因を探る記事は多々あるが、多くは日本社会構造の変化、国民気質の変化にその原因を探っている。控えめに言っても、的はずれとしか言いようがない。なぜなら右傾化保守化国家主義化・排他化は全世界先進国で並列に同時に起こっているからだ。イギリスのブレクジット、アメリカトランプ、今回当選はかなわなかったがフランスルペンの台頭。その他の国でも国民保守化しており、あきらかに世界的な流れである。その世界的な状況を無視して国内だけの事情説明できたとしても、単に場当たり的な後付理論以外にはなりえない。

それではこれらの国を同時に襲った共通事情とはなにかといえば、2008年以降の経済の停滞であるリーマンショックによる一時的はいえ壊滅的な被害を受けた後、どの先進国も2000年前後のような高成長率に戻ることは叶っていない。一人一人が保守化する原因は多種多様だが、国民全体が一度に保守化するのは大概において経済的な行き詰まりが原因である第二次大戦前にドイツイタリアファシストの台頭を許したのも、本邦が軍国主義化したのも、経済的な苦境という背景が大きな役割を追っている。70年台に不況に入ったアメリカ保守化ジャパン・バッシングを始めとする排他主義に陥ったのは日本人ならば記憶に遠くないところであろう。今回の低成長もそこまでとはいかずとも世界的な保守化引き起こしているのだ。

したがって、先進国がなぜ軒並み保守化しているのか?という問いは、なぜ先進国が低成長に陥っているのかという問に還元されるべきである

そしてこの問への解はシンプルだ。世界の成長余力が新興国に移っているのだ。この十年も世界経済の成長率は極端に落ちたわけではないが、先進国寄与度は明らかに減っている。たとえば、こちらのページに世界成長率への各国の寄与度のグラフが載せられている。

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4505.html

これを見れば先進国寄与度が落ち続けており、特にこの10年ほどは先進国全体で中国一国にさえ遅れをとっていることがわかる。

ここまで読んで、「なんだなんだ。なんでも中国のせいだというのか。まるで風が吹けば桶屋が儲かるという類の与太話ではないか。」と呆れられた方もいるかと思うが、中国は単に今もっとも目立っている国ということで出てきただけであり、経済力先進西側諸国から新興国への移動は全世界的な潮流で、たとえ中国をなんらかの理由で止めたとしても全体の方向性が変わるわけではない。例えばインド名目GDPは今のところ約10年前の中国の水準でありしかも成長率は7%前後を維持している。中国の成長が止まれば、インドや他の新興国経済成長の中心となり、旧先進国は常に蚊帳の外である

では今後我々はどうすれば良いのか。どうすれば経済を安定成長に戻し、極端な排他主義さらなる台頭を防ぐことができるのか、というのが次の問になる。

方法はない。

我々は甘んじて低成長を受け入れねばならず、民族主義の広がりを黙って見つめ、あるいは自分もその中に身を投じていくことになる。

この経済力シフトは単に経済グローバル化に伴い隠れていた成長余力が表に出てきているだけであり、経済グローバル化有史以来、いやそれ以前から続いてきた不可逆な流れであり、それを止めるにはローマ帝国崩壊中国王朝崩壊、といった歴史的転換点に近いカタストロフィレベルイベント必要になる。しかもそれさえも流れを一時的に止めるだけであり、しばらく後にはグローバル化はまた進みだす。一国、又は狭い地域グローバル化を無理やり止めれ自由経済主義の国々に遅れをとり、状況はさら悪化する。その中で自分の身を守るためにさらなる排斥主義が広がり、先進国からは寛容性はなくなっていく。

しかしそれは終わりではない。それは、これまでの先進国後進国化し、これまでの発展途上国のなかから次の先進国が生まれる、というだけの話である。その時現ヨーロッパアメリカ日本は、偏狭で旧来の古臭い価値観もつプライドばかり高いが文化的に劣った国々と見られるようになっていることだろう。

2017-04-21

望み

私には生まれつきエゴがないので、個人的な望み(俗に謂う「夢」)がない

人々の洗脳を解いてデモクラシー革命を実現することが望みだが、それは、バイトして金貯めて実現しうるようなことではないし、TNT背負って溜池山王突撃してもきっと実現しないだろう。バイトして金貯めて革命を実現する話をアニメ化でもしてほしいくらいだ(笑)

どうやったら人々からエゴがなくなる進化が起こるのか、日本人(笑)近世近代以来の洗脳が解けるのか、判れば苦労しない。むしろ洗脳が解けないようにして国家体制を実現しているわけだから、そんな容易に洗脳が解けるはずもないのだろうと思う。たとえ成り上がって革命を起こそうとしたところで、見つかったら確実にぶっ叩かれて刑務所に入れられるのが日本スペックなので、もう手の施しようがないのだろう

わざわざ近世近代呪いを呼び起こして洗脳を強めることを、今の権力者支配層、既得権益階級がやっていて、もはや滑稽なまでに愚民どもは釣られているようだ。近世近代のことを「日本古来」とかい阿呆が多いし、そもそも「日本」なるものは古来存在しない。「日本」というのは近代国家主義概念で、遡ってせいぜい徳川光圀大日本史が端緒だろう

エゴのない進化を遂げるというのは一種の才能で、天才的なできごとで、ヨーロッパモダンエヴォリューションに限らず、釈尊ブッダ)にも起こった昔からあることなのだけれども、人類凡そをみると進化することは決してなく、むしろ幼稚化が進んでいる。岡本太郎が云っていたことも然もありなんと思う

2017-03-06

左右云々より一番しょうもないのは、あん思想必死こいて勉強したって何も報われねえことだな

肝心の国家がもう金のことしか考えてないのに、今更国家主義って何のギャグだよ

俺があそこの卒業生なら将来絶望してクーデター起こしちゃうかもしれん

2017-03-05

法事で会うたびに酔ってブツブツ下向いて、ネットしか見かけないようなネトウヨ電波

東日本はフクイチ汚染で人が住めないって妄言を放つニートの従兄弟がいるので、

ネットで見かける極端な右翼的発言は、従兄弟の顔を思い出して気の毒な気持ちになる

みんな従兄弟が悪いんや。

いや、従兄弟ニートにしたままほっぽって外では威張ってる従兄弟父親が悪いのかな。

兄弟ネトウヨ発言を注意深く聞いていると、エディプスコンプレックスを強く感じる。

示威的で父権強者のものの実の父は憎んでいるのに、一方で、ネトウヨ特有の強い父権へのあこがれはあるんだ

強い父権うつくしいにほん=国家主義的なもの=その実は実の父と一緒のハリボテの父権風、実はただの威張りん坊の既得権者なのに

それが分からず、頭の中の理想父親日本会議的な似非右翼コスプレに重ねてころっと騙されちゃうのが、引きこもり歴約10年のキャリアのなせる悲劇

兄弟を観察していて分かるのは、自分社会で認められることがないからこその、父権的なものへのゆがんだ憧れ

自分努力して力を手に入れようとはしない、自分他人父権を借りて威張りたいだけだからコスプレ右翼日本会議親和性が高いんだよね。

しろガチ日本文化なんかは、むしろ勝てる気がしないから近づかないんだ。

そんなに美しい日本が好きなら柔道剣道でも習ったら?って言ったら黙っちゃったもん。部屋から出られないからね。

2017-02-28

「世のため人のため」はエゴイズム

「世のため」とは人間社会のため、「人のため」とは他人のためなのですから人間至上主義エゴイズムほとばしっていることにはかわりありません。さらにいえば、自分のためでは無いということによってあたかも「エゴイズムではありません」っていう大義名分を得るわけですから、むしろ危険です。

「世のため人のため」は人間中心の利己なのですから、どうやっても、地球のためとか宇宙のためとか動植物国土風土のためだとかい価値観には直結しえません。

道徳と称するものは、(儒教の)信仰ですから、「道徳エゴイズムだ」というのはタブーであり、嫌悪されます中国文化圏は儒教信仰で、日本というもの儒教国家です。そして、国家社会を維持するための方策として、儒教教化されてきました。信仰を「間違っていますよ」と指摘されると怒るわけです、己の誇りの無さを埋めるために依拠するところですから信仰とは、無批判善悪が決まっていて、自然法則は抜け落ちます日本儒教国家ですから儒教道徳批判することは国家社会の既成構造、既成状態批判することと同じ、すなわち社会の既成状態によって助かっている人々にとって、儒教批判タブーで、絶対ダメであるわけですね。

さて、例えば「一番じゃなきゃダメ」だというスパコンにせよ、その神戸スパコンケイってやつは確かに例えば気象シミュレーションに用いることで災害予測技術の向上にも活用されています災害予測をすることで、「かけがえのない人命」が助かると、ほぼ皆思うでしょう?

問題は、人間ってそんなに大事タマなんか?ってこと。

人類人間至上主義で、他の動植物地球宇宙のことが抜け落ちています。例えば、人命のためだとか、国家のためだとか、人類のためだとか、子孫繁栄のためだとか、そういう目的資源も浪費するし、地球破壊して、それでもなお増殖しようとしてきました。その異常性を省みることすら、ほぼ全ての人は、しません。

人命のためとか、産業のためとか、経済成長のためとか、国家のためだとか言っていれば、いくらでも資源を浪費してかまわないという理屈になるでしょう。そのためには、化石燃料を浪費するし、核燃料を遣ってでも電力をジャブジャブ消費可能にしなければならないということになる。防犯のためならば電灯点けっぱなしにもするし、宣伝のためならば看板の電灯も点けっぱなしにするし、自家用車は売りつけるし、誰もがモノを所有し放題で浪費していいという社会状態にした方が都合がいいわけです。

そもそもは例えば神道にせよ、原初神道、つまり神祇信仰、いわゆる自然崇拝という時点では、地球宇宙自然現象に対する畏敬がありました。天皇祭祀を行いますが、その祭祀目的天神地祇、つまり自然自然現象の御機嫌を読むことです。それは、天皇以前の卑弥呼などであっても同じです。そういう超能力ESP)であり、そういう職業です。

それに対して、神社神道へと変遷し信仰対象が人へと換わり、そして人間我欲を満たすことが主目的の祈願ばかりが行われるようになり、さらには国家主義のいわゆる右翼にせよ国家神道と称する儒教信仰しているわけですけれども、そうなるともう人間社会至上のエゴイズムです。

人間ってそんなに大したタマなんか? 「かけがえのない命」っていうけど、どうせそのうち死ぬんだろ? それが当然の自然法則であるわけですから、その現実直視してイヤイヤしないのが、本来神道原初神道)もそうですし、本来仏教人間釈尊が説いた仏教)もそうです。

儒教国家主義だけではなく、民主主義とか共産主義とかでも凡そ、人間中心主義から脱け出られません。人間至上のエゴイズムから脱出するには、そもそもの自分自身思想が、脳が、その域に達する必要がありますデモクラシーであろうがコミュニズムであろうが、当の人々ひとりひとりがその域に達した生物にならなければ、人間至上から抜け出した自己客観視の可能スーパーエゴのある社会にはなりえないのです。むしろ民主主義かいってその域に達しない人が政治参加をして自己批判もしないでいると、エゴイズムによる政治になります。つまり衆愚政治になります。けれど言うまでもなく、独裁体制階級政治身分による社会であっても、社会差配する者がエゴイストであれば、話になりません。

そうすると、今の、安倍日本にせよ、プーチンロシアにせよ、トランプアメリカにせよ、どうなのかって、いちいちここで言うまでもないと思います

2016-11-05

なぜ日本ではポピュリズム新自由主義的な表れ方をするのか?

なぜ現代日本ではポピュリズムがかつてのナチや今の米国トランプ現象のような(国家社会主義的な)形を取らないで経済政策的に逆の(新自由主義的な)現れ方をするのか? についてはどう解釈したらいいんだろうな。

というTweetを見たので思うところを書く。

それは「なぜ私たちは困窮しているのか?」という問いの答えが、そのまま表れているのだと思う。

この問の答えとなりうるものはいくつか有る。この場合、その答えが本当に正解かどうかは問題ではない。その人(国民が)がどんな答えを想起して、望むのか? というのが要件になるからだ。

ひとつには「富裕層搾取しているから、私たちは困窮しているのだ」というものだ。ある意味左翼的な発想だといえる。この答えのパターン国内でも国外でも見られる。日本場合この「富裕層」というのが実にふわふわしてるので「企業搾取している」みたいな形で表出しているように思える。「内部留保している企業が悪だ」という論説だ。

国内の異分子(この場合移民)が存在するから私たちは困窮しているのだ」という答えもある。Brexitとかトランプの言説の中心的なものひとつがこれだ。国内の職や富を、本来分け与えなくてもいい外部的な異分子(本当に分け与えなくていいのかどうかは、今回は問わない。そう答える人の中では「分け与えるべきではない」という感情があるというのが今回は重要なので)に分け与えてしまったが故に、私たちは困窮しているのだ! という主張である結論としては、そのまま「奴らを追い出せ!」となる。日本では、在日韓国朝鮮人への風当たりとして見ることが出来る。だからTweetのように国家主義的なそういう排斥がまったくないわけじゃない。もっとも、日本では在日韓国朝鮮人移民だとみなしたところで割合は非常に少ないので、彼らがいるからこそ日本が困窮しているというのは説得力に欠けるためか、一般的な人はこのタイプの主張を強くはしない。

最後ひとつは「私たちの中に怠け者がいるために、私たちは困窮している」というものだ。「同じ庶民の中に怠けている人間がいて、彼らはより少ない労働社会の富を多く得ている(=不当である)」、「だから私たちが困窮している」という主張だ。これがおそらくTweetでいう「新自由主義的な表れ方」につながっていて、結果として「怠け者は見捨てろ、自己責任だ!」という結論になって現れる。このタイプの主張は、たしか日本独特のものであるようにみえる。

なんでそんな主張が表れてくるのかだが、マクロはともかくとして、ミクロ的な、つまり職場学校地域社会において、「怠けた人は得をする」というのが日本においては真実からだ。

例えば伝統的な日本職場において、その部署エースが成績最下位の3倍の成績を上げたとしても、3倍の給与はもらえない。むしろ仕事ができるということで面倒だったり厄介だったりする仕事を回されたり、要領の良くない人の面倒を見なければならなかったりする。そして給与に関しては色を付けた程度で、どんな成果を上げても横並びが普通だ。能力が高く頑張っても得をしないということは、つまり、ある一定額の給与をもらうという視点にたてば、手を抜いたほうが得であるということになる。

これは学校地域社会でも一緒で、起業が少ない理由にも通じている。企業では出世を望まないということになるし、学校自治体では責任者になるのを回避すると言うかたちで現れる。努力して成果を上げたとしても組織の中では評価されないし、仮に評価されたとしても、今度は周囲の妬みや僻みが待っていて、結局は損をする。……そういう実感を日本人はもう肌感覚として持っている。

マクロ的にみれば「全員がそうやってより低い努力しかしないと、全体の成果がどんどん沈下するだけで、結局は自分ジリ貧だぞ」「乗ってる船が沈んで後悔することになるぞ」となるのだけれど、普通人間はそこまでマクロ感覚で生きてはいない。国民全員が貯蓄を開放すれば景気は上向くと理論としてははっきりわかっていても、「このままじゃデフレなっちゃうから貯金は全部やめて暮らそう!」という生き方がなかなか出来ないのといっしょだ。

からミクロ的な「怠けた人は得をする」という実感を頼りにマクロ類推して、「私たち同じ庶民の中に怠けている人間がいて、彼らはより少ない労働社会の富を多く得ている」という結論が合成される。その結果出てくるのは「生活保護を打ち切れ!」とか「奨学金を返すのなんて当たり前だ!」とか「就職活動をサボってフリーターになったんだから低所得なのは当たり前だ!」とかい自己責任キーワードにした新自由主義的な責任追及だ。

そんなわけで、なんで日本においては下流きじみた新自由主義信仰があるのか? については「怠けたほうが得な社会私たちが作ってきたから」だ。能力がある人や成果を正当に評価しないで、ムラ社会的な横並びで生きてきたので、社会が苦しくなるのは身内に裏切り者がいるに違いないという発想になるのだ。

Tweetでは「新自由主義的な表れ方」といっているけれど、日本アンバランス片手落ちだ。本来新自由主義であるならば(市場原理を最大評価するんだから能力が3倍ある人には3倍給与を与えるはずだからだ。

再分配を考えるのなら、そしてそうやって高額所得を得た人を大いに賞賛して、褒めて、よーし俺も大儲けしちゃうぞー! と皆で乾杯でもした後に、その上で気持ちよくがっぽり税金を払ってもらって、それを分けたほうが効率がいいし、筋というものだ。結局国のGDP個人の生み出した付加価値の総和なわけだし、ひとりひとりが頑張るっていうのは、がんばって成果を出すのが嬉しい環境を作らないと実現できない。つまり自分が頑張るってのは、頑張って成果を出した人間を大いに褒めて評価するってのとセットでしかありえないはずだ。日本場合はそういうアメリカンドリーム礼賛みたいな態度は殆どゼロで、高額所得者を褒めない上で、「目立たず最小限の労力で、しかし周囲に激怒されて村八分にならない程度に稼ぐ」という「出る杭にならないチキンレース」みたいな社会状況を自分たちで作り出し、なおかつ「自分負担になっていそうな、自分より少し下の人間を叩く」ので、本当にたちが悪いと思う。

2016-07-25

出場すべきではないという理由日本人民として主張するにしてもこれだけある

2016-07-14

オタクはなぜネトウヨになるのか

まず、前提として行っておかなければならないが、当然オタクにも中道左派存在する。しかし何故オタクネトウヨというイメージが一部に根強く存在するのか?

次に、オタクと言っても色んな分野のオタクがあるが、このうち「軍事オタク」「鉄道オタク」「歴史オタク」「将棋オタク」「音楽オタク」といった現実存在する物事に対するオタクは、左右中道まんべんなく存在し、政治的偏りはあまりないように見える。現実存在するものについて詳しくなるには、当然に一定教養というもの必要であり、また現実問題について詳しく調べてゆく過程で実社会について一定教養が身に付くからである

オタクネトウヨ」のイメージに最も合うのはいわゆる「アニオタ」だ。

アニメの優れたものは確かに芸術的価値があるし、感動する。しかし、下らないアニメはありもしない架空世界現実逃避するようなものも多い。

特にネトウヨ言動をしている者はアニメアイコンの中でも、美少女が多い。

俺もアニメ美少女には萌える。男の性欲を刺激するのに特化したのがアニメ美少女だろう。だが俺はアイコンアニメ美少女にしたいとは思わん。

なぜなら、自分美少女でもないのにアイコン美少女にするのは欺瞞であり、非常に恥ずかしいことだからだ。

にもかかわらず、アイコン美少女にする人間心理とは、

「俺は実際にはキモいデブ中年だが、美少女のようにチヤホヤされたい、可愛がられたい」

であり、

その裏返しとして、無意識のうちに

美少女はその美しさを以て男に奉仕せよ。姓奴隷となれ」

という欲望があるのだ。

これはつまり、弱き者は強き者に身を捧げてこそ存在価値がある。→個人は組織に身を捧げよ、国民は偉大なる国家に身を捧げよ、という国家主義、(本当の意味での保守思想とは異なる)ネトウヨ思想につながるのは明白である

アニメ美少女アイコンであってもネトウヨでない人は、己の欲望自覚しつつも理性によってそれをちゃんと統御している人なのだと思う。

2016-07-10

経済政策としては自民しか選択肢がないと思っていて、

改憲のものは賛成なので議論を深めつつ、自民草案は潰したい俺。

改憲勢力2/3は行くだろうと踏んで、

選挙区公明、比例は共産党にした。


まず公明与党内で戦ってほしい。

できれば自民草案阿呆な部分は潰してほしい。

その上で、改憲カウンターとしての共産党

身のある議論を吹っかけてほしい。

憲法改正国民投票現実的になれば、

マスコミ自民草案の反人権主義国家主義懐古主義なところはどんどん叩いてほしい。

リベラルで名を売ってるジャーナリストキャスター

首を賭けても自民草案の酷さを晒し上げてほしい。

その上で、自民草案には反対な改憲派論客に、

現実の何が現憲法を殺しているのか、きっちり挙げて欲しい。


この後、70年ぶりに、日本国民自由権利への意識が問われる。

2016-07-07

銀行はなぜ合併しなければならなかったのか

江戸時代日本は米・金・銀という三種類の通貨システムを平行して扱っていた。徳川幕府諸侯領(明治時代以降藩と呼ばれるようになるやつ)が入り乱れた連合国家であった。諸侯領間における政治経済システムの違いは大きかった(要するに戦国の遺風を引きずった藩とそうでない藩があった)。上記のような事情があった結果金融業の発達は著しく、幕末には多くの諸侯がこうした金融業者の支配下に置かれるありさまだった。

明治政府戊辰戦争後、

などといった問題対処するために、新貨条例および国立銀行条例が制定した。これらの制度

というなにがなんだか分からない制度になっていた。しかしこれは当時の国際情勢を考えると仕方がない話で

といった状態で、日本近代金融システムを構築するにあたって模範とすべき制度はまだなかった。結果アメリカを真似して兌換券の分権的発行を主軸とする制度が作られた。このため各地に割拠していた金融資本国立銀行への転換が進んでいった。

しか殖産興業の進展、西南戦争による莫大な戦費などといった問題対処するために、不換紙幣の発行を国立銀行に認めるに至った。

結果インフレなど金融システムの混乱が見られたため、ここにアメリカ型分権型金融システムには限界があることが明らかになり、日銀法と旧銀行法が導入されイギリス式中央銀行制度が導入されることになった。これが 1882 年。

このような経緯があったため、金融資本の再編といった事態にまでは話が進まず、そのまま第一次世界大戦関東大震災突入する。戦争景気による企業の無理な業容拡大と戦後景気後退震災によって銀行には不良債権が蓄積された。

上記のように各地に雑多に存在する金融資本江戸時代のそれを引きずっていたため近代銀行としては規模が小さく、これによって金融不安が高まり昭和金融恐慌に至った。これが 1927 年(1929 年や 1930 年ではない)。

その状態さらに 1929 年 1024 日はやってきた。 1930 年にはその影響が日本にも及ぶに至った。

かかる状況の中で昭和二年旧銀行法改正により 1927 年から中小銀行の整理が進められていたが、 1936 年馬場鍈一大蔵大臣により「一県一行主義」が掲げられた。馬場大蔵大臣としては失格者で財界との対立の結果大蔵大臣から放逐され憤死することになるのだが、翌 1937 年に日中戦争が開戦、日米開戦もほぼ既定路線となるなかで一県一行主義継続され日米開戦のころには中小銀行の整理は完了した。

こうした集権的かつ計画的経済運営にあたったのはいわゆる革新官僚たちで、その親玉吉田茂だった。彼らは社会主義的な経済思想国家主義的な政治思想を併せ持っており、戦中戦後日本の内政を主導した。

全然関係ない話だが、社会主義国家主義反自由主義という思想セットは革新官僚リーダーの一人である岸信介の孫の安倍晋三にも受け継がれていることはよく指摘される。

戦後岸が政界進出したこともあり、結果として一県一行主義体制および統制的な銀行体制はほぼそのまま戦後に引き継がれることになった。もちろん建前上は一県一行主義廃止され、戦後資金流通の円滑化のために戦後地銀いくら設立されたが大勢に大きな影響をあたえることはなかったのだった。

このような情勢のなかで、戦後日本金融当局==大蔵省銀行に対して

  • とにかく安定して資金供給を行うこと
  • 間違っても競争などしないこと

を求めて各種の行政指導や各種許認可を縦横にもちいて銀行群をコントロールした。これをいつしか護送船団方式と呼ぶようになっていた。

これは実際うまくいっていた。バブル崩壊までは。バブル崩壊の余波は大きく、護送船団方式では銀行を守り切れないことは明らかになっていた。 1995 年には木津信用組合兵庫銀行倒産するに至った。

また長らくの護送船団によって日本金融システム陳腐化は著しく国際社会において東京金融都市としてまったく影響力が無い点も問題とされた。

これらの問題対処するためとして金融ビッグバンと称し護送船団は解体されてしまった。銀行はここに自由サービス投資を行えるようになった。

ところで足元の経済情勢を見るに 1993 年から 1996 年にかけて経済成長率は 2-3% を維持しており、ここに橋本総理大臣バブル崩壊による不景気は終了したという判断をするに至った。また 1995 年には武村正義大蔵大臣により「財政危機宣言」が出されており財政再建を開始すべきという機運が高まっていた。

そこで橋本内閣は 1997 年、消費税増税などを含んだ超緊縮予算を成立させる。これが大失敗であった。緊縮財政により景気は悪化金融システム不安は再発し北海道拓殖銀行山一證券破綻、翌 98 年には橋本内閣総辞職現在まで続く長い長い不景気が始まった。

しかしここに至って護送船団方式の再開は難しく、銀行はノーガードで野に放り出されてしまった。かかる状況のなかでは銀行経営効率を上昇させるような積極投資は難しいことは明らかで、銀行合併による規模の拡大によって身を守るという手段をとらざるを得なかった。

結果生まれたのが三大メガバンクである。このような事情によって、消極的理由で成立した合併であるから当事者たちは乗り気であるはずもなく、旧来の自己立場防衛のために果てしない内紛が始まることは、それはもう仕方のないことだったと言えるのではないか

そのような事情の中で銀行システムの開発にあたる SIer技術者は内紛の道具の一つとなり疲弊を重ねている。

僕が言いたいことは何か。誰か頭が悪い人が一人いたからこのような状況になっているという訳ではないということ。むしろ一人ひとりができることを着実にやった結果がこうなのだということ。つまり、逆に言えばこの状況を解決する手段など無いということ。みずほ現場で苦しむエンジニアにできることは、逃げることだけだということだ。

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