はてなキーワード: 経験談とは
自分はナルコレプシーに詳しくないし、現状も相まって批判的になっているため、当事者を傷つけるような表現があるかもしれない。ご了承下さい。
発端は今年の4月。自分の部下に30代半ばのAさんが異動してきた。
その際、Aさんの前の上司からは「Aさんは入社直後からナルコレプシーらしく業務中に寝てしまうことがある」と引き継ぎで伝えられた。
ただし、ナルコレプシーは診断が難しいらしく、診断は降りておらず病院で「ナルコレプシーかも」と言われただけらしかった。
一応自分でも調べたが、ナルコレプシーの診断が難しいのは本当のようで、できる限りフォローしようと思い、運転など危険な作業を頼む際は体調を聞く、本当に眠そうな時は昼寝をするように勧める等の対応はした。
実際、デスクでも会議でも1週間に1回は寝てしまうAさんを見てこれは大変だなと思っていた。
しかし5月にはAさんにはさぼり癖があり、1日2〜3時間は睡眠以外でも仕事をさぼっていることに気づいてしまった。
Aさんには仕事を溜める癖もあり、このままにはしておかないと思い、指摘したが、「さぼりはナルコレプシーの影響の眠気を紛らわすため、仕事が溜まってしまうのもナルコレプシーの睡魔の影響」と言われてしまった。
正直、ナルコレプシーを言い訳に都合よく仕事をサボっているようにしか見えないし、30代半ばの即戦力が来ると思って期待したのに実際のAさんの仕事量なんて3年目の新人にも劣って周りがフォローで疲れている。
個人的には業務態度改善のために下記を勧めたいと思っているが、ネットの情報だと分からないことも下記の難しさや経験談があれば教えて欲しい。
最近ジャニーズの件で男性の性被害に注目が集まっているので、女性の性被害者で傷を抉ってしまうかもしれないがもし経験談があれば教えてもらいたいのだけど、
自分も小学生の頃に被害にあって、低学年だったので何をされているのかよくわからず、大人になる過程で何をされていたのかを理解した感じ。当時は言うことを聞けば遊んでくれたりお菓子をくれたりしたので何となく嫌な気持ちはあったけど遊んでもらうためにニコニコして受け入れなきゃ、なんなら遊んでもらうためには自分からもそれをして良い空気をつくらなきゃとさえ思っていた。
今、当時の加害者に似た雰囲気の人や同じ職業の人を見たり、似た状況になると思い出して腹の底がモヤモヤした気持ちになってしまう。
正直異性との関係すら敬遠してしまっている。フラッシュバックとか涙が止まらないとかそんなひどい症状もないし、なんとなく思い出して嫌な気持ちになるというだけ。
その加害者の人が今でも元気で家族と仲良く普通に暮らしていて子ども(自分と同じくらいの年齢)も成人して最近結婚して子どももできたらしい話を人づてに聞いて、自分はずっともやもやしているのに「当たり前の人生」みたいなものを送っている加害者とその家族が許せない気持ちでぐるぐるしている。
証拠なんか何もないし、今さら警察に行ったところでどうしようもない。ジャニーズくらいの大物とか名の知れた人なら告発が効果あるんだろうけどお互いただの一般人。
たぶん女性にもこういう、あの頃されたことは性加害だったんだ、と気づくものが結構あると思うし、とくに性被害、性的虐待は親戚間が多いと聞くけど(自分の場合は違う)、おとなになってから認識できた性被害をどうやって乗り越えたり対処したりしてるのか知りたい。
できれば償ってほしいし、自分がずっと思い出して嫌な気持ちになりながらいろんなこと諦めて生きてるように、加害の事実を認めてずっと償いの気持ちを持って生きるくらいの状況になってほしい。
統計がないようなことは自分の経験談で語るしかないのに、そういう態度を頑なに否定する人っているよね。その方が意思決定者として安全ではあるだろうけけど、なんというかヒューリスティックを全否定してる感じなのがやや非建設的な態度に感じる。こういう人が一人議論の参加者の中にいると議論は萎縮し実りある結論を得づらいだろうし、何より話し相手としては絶対避けたい相手。経験則が正しいことなど絶対有り得ないみたいな相手とまともに会話のキャッチボールが成立するとじゃ思えない。自分が賢いと思ってそう。融通が利かないだけなのに。
まぁ、あまり議論をするつもりはありませんが、「サンプル一人からの極端な一般化」が嫌なんですね。
しかし、一人と言っていますが、一般的にそういう傾向があるように感じたんです。
私が高校生のとき、理系でしたが、そこの数学教師はめちゃ数学が出来ましたが、古文漢文とか英語をバカにしていました。
これでサンプル二人目ですか?
なぜ、そこまでムキになる?
アラサー男の昔話
理由なんてよくわからない。田舎の学校でなんかおどおどしてオタクっぽい俺は虐めやすかったのかもしれない
小学校の時は無視されたり影でプークスクスされたり罵声を浴びせられたりする程度だったが、中学校になって自由になると思ったのに、中学校は輪をかけてヤベー不良みたいなやつらが俺を殴るわ蹴るわ
漫画みたいに脱がされて便所の水を飲まされる、なんてのはなかったが親の作ってくれた弁当を捨てられたりとかはまあ普通にあって(思い出したくないのでこれ以上は止める)
見事に不登校に。
といっても親に心配をかけたくなかったので、毎日学校に行く振りをして学校には行かず近所の橋の下とかでぼーっとしていた
だが田舎のおばちゃんがすぐに見つけて学校に行かないでいいのかとかいいだし学校に通報をしやがるせいで親にも連絡が行きめんどうなことになった
ああいうおばちゃんたち善意なのかもしれないがほっといてくれよ学校行きたくねえんだよ
虐めに遭ったとは言えなかったので親に詰問されても黙っていたが、とにかく学校に行きたくないのは察してくれたのか堂々と学校に行かなくてよくなった。
親は腫れ物に触るようで、理由を言えと言ったが言いたくもなかったし、学校に行ければ行って欲しいとか言われたが行きたくもないし
ネットやゲームしながらぼーっとする毎日でこれではダメだと思いながらも何も出来なくて、妹はダメ兄貴みたいに扱うし、動かないからどんどん太った
家族が寝静まった夜だけが歩き回れたから夜はふらっと夜道を歩いたりしていたがとにかく何もかもするつもりは湧かず、ただこのままではまずいが学校には行きたくない、何で俺を虐めたあいつらはのうのうと学校行ってるんだの恨みだけ
学校に通報しても、どうせまた影で虐められるんだろうしと思うと誰にも言えなかった
夜の散歩をしているときに時々すれ違うジョギングのお兄さんがいて、なんとなくお辞儀をするとこんばんは、と返事してくれてた。お兄さんは大人って感じだったから多分20代くらいかなと今なら思う
たまにであうと、こんばんわ、こんばんわ、と言いつつすれ違うのを繰り返していたがあるときお兄さんが地面に座っていて、ビックリしたので大丈夫ですか、とこえをかけた。
転けて足をくじいたのかも、というので肩を貸して灯りとかのあるコンビニまで連れて行って、ありがとうといわれ、ちょっと話をした
暫くお兄さんの姿は見なくて、一ヶ月位して走ってるお兄さんを夜中に見かけたときはほっとした。
お兄さんが立ち止まって、あの時はありがとう、捻挫しててさ、とお話をしてくれ珈琲をおごってくれたりとかで、時々夜に話すようになった
話相手のいない家族には嫌われている、友達もいない俺にはその夜の会話が嬉しくて、毎日夜散歩するようになった。お兄さんに会えないかなって。
会えば少し立ち話をしたりすることが続いて、お兄さんがどうして夜中にいつも散歩してるの、と聞いてきて、俺は誰にも言えなかった虐めの話をしてしまった
話しながら、あ、ドン引きされるかもどうしよう、と思っていたのに涙が出て止まらなくて泣きながら虐めの話をしていた
お兄さんは、そっかーと言って聞いてくれて、その時は得に何も言わなかったんだけど、その後数回会ったときに、俺も虐められてたんだよって話をしてくれた
俺は思わずどうなったんですか、と聞いたら今はもう大人だから学生時代の虐めなんて関係ないし元気だよと言ってくれた
わからないがすごい頭がいいという話は聞かない、といえば、お兄さんはこういった
「なら増田はとにかく自宅で勉強をしていい大学に入れ。どれだけ虐められていてもこの日本では頭いい奴が勝つし頭がいい奴が信用される。そいつらがバカなら増田は有利だ。誰でも知ってるような超有名大学にいけば、
あっという間に周囲はお前の味方になる。いいか、中学も高校もどうでもいい。大人は大学しか見ない。それこそ中学高校不登校でも東大に入れば、そいつらよりよっぽど強い」
びっくりしてたら「これは俺の経験談だ」とお兄さんはいい自分の話をしてくれた。
お兄さんは超絶エリートのお兄さんだった。
俺は「いじめっ子に勝てる」という言葉で俄然奮起しほぼ不登校のまま高校受験をした
高校は楽しくて、虐める奴もいなくて快適だった。夜の散歩はたまにしたけれど、お兄さんには会えなかった
でもお兄さんの言ったことは覚えていて、高校でも勉強をし続けて、お兄さんと同じ大学に行った。そのまま誰でも知ってるような企業に入って都会で生活している。
幸せだと思う。
いじめっ子達は地元で働いていて、会社がどの辺かもわかったが、俺の数分の一の年収で、なんかもうどうでもいい。
地元に戻ったときに当時の同級生に「すごいね」「不登校だったのに」と言われたら「当時○くんたちに虐められたから学校行けなくて家で勉強してたんだ」とわざと素直に語っている。
もちろん田舎の噂話の伝播力を信じてのことだ。
あの時のお兄さんが「頭がいい奴が信用される」と言ってくれなければ俺は多分今のようになっていない
名前も分かってるし、大学が同じだがあえて探さないようにしていたのに、最近お兄さんがお医者さんなのと開業したのを知ってしまった。
会おうとすればあえる。
でも、今更「あの時世話になった鶴です」といいに行く勇気がない。
俺の事はもう十年以上前で忘れているかもしれないし、「だれ?」と言われたら恥ずかしい。知っていたとしても会いに来るとか重すぎないかと考えてしまう。
でも俺の命の恩人なんだ。
3. 同僚・部下からの「子ども好きそうなのにどうしてつくらないんですか?」
4. 同僚・部下から「子どもってかわいいですよねぇ」→「うち子どもいないんで……」
5. 同僚・部下から「子どもってかわいいですよねぇ」→「(4.が面倒なので、一般的には)かわいいね」っ返したらいつのまにか子どもがいることになってた
6. 不妊治療をして子どもを授かった男性が、「不妊治療めっちゃ大変なんすよ」と経験談を自慢げに語る
7. 不妊治療をして子どもを授かった男性が、楽しそうに子育ての話をする
---
3.は自分も20代前半に男性先輩に言ってしまってたな、すまんかった。4.5.は女性からもある、変な気まずい空気になる。10.医師はさばさばし過ぎていて、妻も含めて体もメンタルも削られていく。7.は心が狭いなとは自分でも思う
わいも保護猫飼ってるが、そもそも保護猫団体の人達とワイらの猫に対するスタンスが違うんや。
保護猫団体の人たちは、文字通りボランティアやからプライベートと身銭を切って猫を保護してる。
健康で手のかからないアニメに出てくるような猫ならまだしも、例えば多頭飼育崩壊からレスキューされた猫は病気で命が危ない状態も珍しくないから治療する必要がある。当然自腹やし、保険なんぞ入ってないから治療費は人間の比やない。
もっというと猫はアレルギー体質の個体も少なくないし、高齢の猫だと腎臓の病気持ちの場合も多いから、そういう猫には専用の療養食を用意する必要がある。ロイヤルカナンとかで検索してや。
他にも仔猫のことや設備のことなんかを言い出したらキリがないんやが、要は真面目な保護猫団体の活動にはめちゃくちゃ金がかかるんや。
個人的にはボランティアでここまで身銭を切るのはちょっと異常やと思うぐらいや。
そのぐらい金をかけてもいいと思うほど、猫への気持ちが強いのが保護猫団体の人たちなんや。
そういう人の立場になってみると、時間も金も惜しまず保護した猫を譲渡する相手を選ぶ基準がシビアになったり、ある程度画一的な基準でスクリーニングするんは仕方ないと思うで。
わいも脱走対策の柵の設置とか、譲渡時には結構細かいこと言われたんやが、それだけ譲渡後の脱走とかトラブルが多いってことなんやろうな。
確かに、呼吸もままならない危篤状態からやっと回復して元気になった猫が、譲渡先の不注意で不幸に遭ったら保護主としてはたまったもんやないやんな。
同じ単身男性の経験談としては、譲渡会に何度か通って話をしたり、寄付を多めにしたりして信用してもらったのが良かったんかもなあ。相手も会社や行政やなくて人やし。
【追記あり】
しゃあねえ一肌脱ぐか。
引きこもり歴10年後に社会復帰して、現在正社員で貯金700万の中年独身オッサンだ。
俺の場合は長期の引きこもりのせいで限界まで自信無くなっていたので
バイト求人の電話かけるくらいなら自殺するほうが心理的抵抗感が少ないような極まりきった状況だった。
引きこもり始めて5年目にこりゃもう鬱だから働けないんだそうに違いないと精神科の門を叩くが、大したことなかったらしく軽い抗不安薬のみ処方される。
その後、抗不安薬パワーでバイトの面接に応募するも、退化した体に工場作業はキツすぎて一ヶ月経たずに止めた。
その後、逃避行動として資格の勉強を始め、業務独占資格を二つほど取った。これが後で生きてくる。
そしてネットで見たサポステに応募。カウンセリングとグループワークをしばらく続ける。
これは本当にありがたかった。
周りはみんな自分と同じダメ人間なので、数年ぶりに引け目のないコミュニケーションが取れる。
同居している親の話では、この頃から俺の目に生気が戻り始めたそうだ。
サポステは社会復帰を目指す場だが、自分から行動を起こさなければ
ダメ人間の集まりという居心地よすぎるぬるま湯にそのまま沈む恐れがある。
年齢的にも危機感を感じていたのとサポステ職員にケツを叩かれていたのもあって、もう一度バイトの応募に挑む。
ヒキニートがバイトに応募する際に躓く点として「応募先の電話番号までは押せるが、通話ボタンを押す指が固まって動かない」という、ヒキニート特有のどうしようもない症状がある。
社会復帰するぞバイトを始めるぞと決心してから、数ヶ月も半年もボタンを押せずに携帯電話とにらめっこし続けるという引きこもりのあるあるネタだ。
単純な話だ。
一切の容赦も慈悲の欠片もなく、軽々と通話ボタンを押してくれる。
最初の一歩を踏み出す勇気がないのなら、誰かに背中を押してもらえばいい。
そしてサポステ職員は背中を押すのが仕事だ。遠慮なく手伝ってもらおう。
そうして始まったアルバイト。
身体も本調子ではないのでそりゃあ辛かったが、峠を乗り越えればルーチンワークになる。
ここでまたサポステに戻るが、今回は僅かながら失業保険が出ている。
元の資格に関連したコースを選び、追加の資格を取り、資格が生きる業種の求人に応募した。
そして今に至るというわけだ。
趣味がゲームとネットくらいしかない子供部屋おじさんなので、貯金は勝手に溜まっていった。
100万ほど手元に残して、残りはインデックス投資に回している。
サポステはネットでもいろいろ言われている通りで、利用したらそのまま就職までオートで行けるような便利機関ではない。
そしてサポステにとっては利用者がバイトを始めた時点でゴールなので、その後の社員へのステップアップは自分で考えて動かなければならない。
しかしそれを差し引いても「ダメ人間同士で気兼ねないコミュニケーションが取れる」という一点だけで、利用する価値がある。
誰と話すこともない、長年の引きこもり生活で弱り切った声帯をリハビリすることができるからだ。
「アッ……アッ……」としか喋れない状況で、どこで誰に話し相手になってもらうというのだ。
今ならネトゲでボイチャするという手もあると思う。
そして資格。
たまたま逃避行動で取った資格が業務独占資格だったのが勝因だった。
だって、「何年も仕事をしないで基本情報技術者を取りました!この資格は私の能力が高い証明!」なんて胸を張ったところで、
IT業界で何年か働いている人の方が普通に評価高いのは分かり切ってるでしょ。
引きこもりが資格を取り始めると末期だなと言われる理由がこれ。
しかし業務独占資格は「この資格を持つ従業員がいなければ、この業務をしてはならない」という資格だ。これは需要がある。
業務独占資格の中には実務経験年数が定められてる資格もあるが、それが受験資格でなければ気にする必要はない。
「私を採用すれば〇年後にこの資格持ちになります」は大きなセールスポイントとなる。
アドバイスとしては、サポステに行け。声帯をリハビリしろ。バイト初めろ。職業訓練に行け。就職しろ。どっかで躓いて何もかも嫌になったら資格を取れ。
何年か越しのプランになると思う。
個々人の素質にもよるが、急がずに一歩ずつステップを踏んでいくのがいいだろう。
お前は、お前が思ってるほど絶望的な状況ではない。
問い合わせの電話でアッアッってなったとしても、向こうも慣れたもんだから。
応援してるぞ。
____________________________________________________________
【追記】
いや、バズり過ぎでは。
なんか俺が優秀な感じにされてるけど、取った資格は難関でも何でもないし
給料は一昔前に「年収〇〇〇万円時代を生き抜く」とか言われたレベルだぞ。
単に親元で、たまたま酒も女もやらなかったおかげで溜まってるというだけだ。
貯蓄額を出したのは、元ニートでもこれくらいはできるんだぞと勇気を与えたかったのと、あとは自慢。
だって、貯蓄の額なんてこんなところでしか言えないもん。許せ。
そして俺が自信満々なのは、引きこもり時代の後遺症で中二マインドが抜けないせいだ。
この世の大多数よりも人間的に上の存在であるという、根拠のない自信を持っている。
いい年こいて恥ずかしい持病だが、仕事をする上ではこの自信満々なスタンスが謎の信頼感を生むらしい。
なんか知らんうちに良い方向に働いてて驚くこともしばしば。
あと俺が取った資格は難関でも何でもない。
普通は入社してから働きながら勉強して取るような基礎的な資格だ。
ホッテントリに入るだけでもビクビクしてんだ。察してくれ。
そして、社会復帰を資格ありきで受け取られるのはちょっとマズい。それはちょっとやめてくれ。
俺達引きこもりは「やらない理由」を探すことにかけては達人なんだ。
現状を自己正当化する理由を四六時中考え続けて数年間の猛者だぞ。年季が違う。
俺の社会復帰が資格のおかげとなると、みんな大喜びで「じゃあ資格を取るまで就活しなくていいよね!」となってしまう。それはまずい。
実際のところ、職業訓練所を出ればそれだけで「口だけではない、最低限の技術が身についた者」であることを証明できる。
小さな会社では門外漢の素人よりも、職業訓練あがりの少しはわかってる奴の方が歓迎されることも多い。
そして、職業訓練所は就職斡旋機関だが、ニート更生機関ではない。
アッアッな状態で職業訓練所に入っても、おそらく就活でコケる。
それから職業訓練所で社員を目指すというのが俺のお勧めする社会復帰コースだ。
そして、一番大事なことを忘れてた。
これは完全に職歴なしで卒業後そのまま引きこもり生活送っているタイプのニートへのアドバイスだが、
俺たちは「引きこもりでパソコン大先生な自分にもできること」という考えで
パソコンを使った仕事に就こうと考えがちだが、一旦その考えは捨てて、視野を広げよう。
それなりに忙しく動いて体力は消耗するが、筋力勝負ではない。
俺たちにとっては、そんな仕事が狙い目だ。
それを受け入れる土壌も意外に広いということだ。
数か月を寝て過ごすよりはいい。
現場のオッチャンたちも、思ったほど怖くないぞ。
以上だ。
ヤバそうな流れだったので、急遽追記させてもらった。
資格を取るまで行動を後回しにするのは違うぞ。
並行で行けるから。並行で。
じゃあ、この時間で資格の勉強でもするか。と、そうなるなら良いと思う。
まず動こう。まず。
資格のことは横に置いて、まず行動をしよう。
締めの言葉は前と同じだ。
今よりちょっとだけ、前に進もう。
数年前に経営していた会社でクーデターが起こり私は会社を辞めざる得ない状態になった。
私が会社を追い出された理由は、税理士の指示に従って仕事場兼自宅であった物件を会社の経費で5割ほど支払っていたことと株主配当を受け取っていたということだった。
取引先との会食やタクシー利用などで必要だった経費が一般社員からすると贅沢に映ったこともあっただろう。
当時の私は資本金を100%出資しており、それ相応のリスクを背負って会社を成長させて社員を雇用していたつもりだったが、社員として雇用していた人たちにとっては役員である私の家賃の一部が会社から支払われていることや配当を受け取っていることが不平等に感じたようだ。会社としての歴史もまだ浅かったので会社のキャッシュを増やし経営を安定化させるために節税対策として行っていたのだが、それが使途不明金の横領扱いとして取り上げられ全社員の前で弾劾裁判をされるような状態になってしまった。
当然私のそれらの経費が横領などにあたるはずもなく合法かつ常識的な範囲であることや、出資者や役員と正社員雇用されている人達とは立場や条件が違うということも説明したのだが、私以外に役員や出資者はおらず、株式会社の仕組みや税についての知識をほとんど持ち合わせていない人達が徒党を組んでクーデターを起こしたこともあって、取り付く島もないまま会社は運営不可能な状態となってしまった。
給与は世間の同規模の会社と同じか少し上くらい、休みは年間120日くらいだろうか。その上で会社の売上規模や雇用数、社歴のバランスを見て設計していたつもりだが、それでも不満が噴出し、現在の給与に対しても自分たちはもっと貰うべきだという主張や、平均以上貰っている人間から「まだ実績と社歴が浅い人間も期待値を込めて実力以上に上げるべきだ」と一部上場企業の給料水準のグラフを見せられながら語られることもあった。高い給料を払うことが大事だということも社員の幸福度を上げることの重要さも重々に知っているが、私の運営していた会社は小さな町の零細企業だ。可能な限りの背伸びはできても理想論だけで無責任に数年後にリスクを孕む経営を計画することはできない。
その後、弁護士や会計士に間に入ってもらいながら会社法や株式の仕組み、業績と比較して社員から搾取を行っているわけではないということを数字と共に説明したが、社員たちが持つ感情的な「会社を私物化した裏切り者の社長」という印象は固定化されており状況が改善することはなかった。そんな状態が長引き始めた頃、クーデターを起こした本人が会社の売上を支えてくれている営業のキーマン数名を連れて退社して独立し競合会社を作るという話になった。その時になって初めて私は社員全体の給与改善のための動きではなくその人が会社を乗っ取ろうとしていたことに気づいた。
零細企業の経営者の情けない話になってしまうが、営業のキーマンが抜ければ会社としての売上の安定性は失われ、バックオフィス業務などを担当してくれていた社員たちだけでは売上はあげれず露頭に迷ってしまうことになる。なんとかしなければと思ったが残念ながらそのバックオフィスの人達も問題が勃発したときの感情論に飲まれたまま私を大悪人のような目で見てくる者ばかりだった。
このような人間トラブルに対して上手く捌けなかったのは私の経営者としての実力不足であることは否めない。
だが、理論的な考えに対して数が集まった感情論というのは何の対抗手段にもならないことを知った。正義というのは法ではなく人が作り出す空気だ。会社を経営するための知識と一般社員が感じる感情というものには大きな差があった。知識を共有してどういったルールで世の中が回っているのかを伝えることの大切さ。誤解が起こらないように丁寧に説明する大切さ。皆が自分と同じ常識を持っていると勘違いし大事になる前に行動に移せなかった自分。そのあたりを読みきれなかったのも敗因だったと思う。
しかし私も人間だ。それ以来完全に心が壊れてしまって今まで一緒に働いていた仲間の目を見れなくなってしまった。皆が私のことを自分たちの信用を裏切った者だと思っている。
毎日死ぬことばかり考えた。自分には会社も仲間も何もかもなくなったと思った。地方なのですぐに噂がまわったのか私のまわりから離れていく人間が増えた。
死ぬ前に何を精算するかを考えた。
彼らの生活を守るには私だけが会社を去り、他の人間はそのまま会社に残って新しい社長を立てて今まで通り継続して仕事を続けていってもらうことが残された選択肢だと思った。
多くの社員に嫌われていたとしても雇用主としての責任は果たす、といえば格好をつけているように聞こえるかもしれないが、せめて今まで付き合ってくれた人達の生活を守るために自分ができることはそれくらいしかなかった。
キーマン以外の残った社員達を捨てようとしたのはクーデター発起人なのに、その人は私を追い出した後にヒーローになるだろう。
自分がなぜそこまで背負わなければいけないのかという気持ちも正直あった。この偽善のような行動をとったところで私がいない世界で私は新しい政権を運営するために悪人として語り継がれているのだろう。
恨みを募らせクーデターの発起人に本気で復讐を考えたこともあった。ただその人にも家族はいる。それで不幸に巻き込まれ涙を流すのは無関係なパートナーやその子供だ。そんなことをすれば私は本当の悪人に堕ちてしまう。
その後私は会社の譲渡手続きをし、持っていた全ての株を最低限の値段まで下げて新しい経営陣に譲った。その際に何故タダで株や権利を置いていかないのかという言葉を社員から吐きかけられた。もう何も言い返す気力は残っていなかった。何かを理論的に説明したとしても感情論と数には勝てないことを私は知ってしまった。社内にわずかにいた私の理解者たちも新体制となる中で長いものに巻かれることを選びすぐに疎遠となった。心が張り裂けそうだったが私のような敗者に寄り添ったとてその人達の未来を保証してあげることはできない。これが現実だ。その人達にも人生はあるし誰も責めることはできない。
そして私は今もこの世界のどこかで自分のことを恨み嫌っている人がいると思いながら日々無理やり生きている。
なぜ生きているのかはわからないが、いつか自分がとった最後の行動が誰か一人にでも理解され報われる日が来るのをどこかで期待してるのかもしれない。気を抜くと希死念慮に飲まれるので毎日必死だ。頑張る。
語り手が逆になれば物語も大きく違った印象を持つだろうことはわかっている。
都合の良い解釈をして悲劇のヒロインを演じている馬鹿だと思われるかもしれないことも重々に承知している。
独身だった20代の間にSEとかゲーム趣味の年収低〜高男数人と付き合ったけどゲーム趣味の男は脳みそ死んでて仕事しかできない傾向が高いので
共感やコミュニケーションを楽しむ私達女はよほど合う男以外との楽しい生活は諦めた方がいいよ
オタクゲーマー男がつまんないんかと思って非オタでテレビ芸能人好きの人と数年かけて結婚したけど
結局仕事で疲れ切って家ではテレビを静かに見るしか出来ない肉塊になるから。
一応家事はやってくれるけど全部ブラシで洗うからブラシが当たらなかった部分は汚れ残ってるし
洗濯物干す時は適当に干すからシャツの襟口がヨレるし裾はシワだらけだしでめちゃくちゃぽんこつ。
ただ家事を楽にする家電を惜しみなく買ってくれるとこは助かっている。寝具も気を遣っていいのを揃えてくれる。それくらい。
休みの日にランニングしたり体を週一以上で鍛えてる人そんなことないんだけど(経験談)
体動かす習慣ない男はみんなこんなんだよ。
うちも旦那に不満を持つたび周りの子持ち金持ち既婚者に話聞いてもらうんだけど、ほとんどのお母さんが夫に早く消えてほしいって言ってた。
夫には段々期待しなくなるから趣味とか女友達をたくさん作った方がいいって。勝ち組なのに旦那には怒りが溜まってるそうなので病まない内に自分の中で旦那を軽い存在にした方がいいと思う。
余談だけど私が昔付き合った高収入SEは家事がマジでできなくて
旦那ての手紙とか光熱費の領収書は自分の部屋の床に散らばしたままオンゲーに勤しみ自分で掃除しないから埃と抜け毛とくしゃくしゃになった紙類でいっぱいで地獄だった
そのわりに同じIT技術職で共働きの私に家事はこうしろああしろって言ってくる認知のバグったあたおかだったので別れたんだけどもゲームやる男、大体そんなんばっかだったよ