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はてなキーワード: 嫉妬心とは

2017-10-02

嫉妬心がない

昔はあったんだ

友達に絵の上手い子がいて、一緒にイベントに出たらその子の本だけ売れる

イラストコンテストでもその子が賞を取り自分には全然票が集まらないとか

めちゃくちゃ嫉妬して辛かった記憶はあるんだけど最近はとんと無い

嫉妬は醜いと思っていたけど今から思うと美しい気もする

何者にか成ろうとして努力してたか嫉妬してたんだよなぁ

anond:20171002100857

意見と全く関係ない侮辱を返すと言う事は

嫉妬心肯定した事になります

自分言動意味もっと理解したほうがいいと思います

anond:20171001140109

きっとそれは嫉妬心でしょうね

考える時間が多い人は考える事が深くなりやす

真面目に仕事をしているのに思想自分が劣ってると感じる事への憤りが含まれてると思います

ネットから達の悪い意見が無くなったらそれはそれでつまらない物になると思います

私は様々な意見が発展して欲しいと思いますよ、あなた意見も含めて

2017-09-10

恋人結婚相手以外の人と性欲を解消するを禁止するのは不合理な気がする。

と、ふと思ったのだけれどどうだろうか。

子どもをつくって育てるのに、安定した関係必要から、それを守る必要があるのはわかる。

ただ、それは避妊をした上で、それでも妊娠するリスクを取れる状態関係を持ったり、風俗オーラセックスをしたりするのを禁じる理由にはならない気がする。

性病心配するというのもわかる。

ただ、恋人結婚相手以外との性的関係が後ろめたいものと思われていることが、性病の発覚や通院のハードルを上げている面もあると思うので、誰と性的関係を持ったかはっきりしていた方が、致命的な性病危険は少ない気がする。

それ以外の理由があるとしたら、「嫉妬」だろうか。

でも、相手を独占したいという嫉妬心は、性的関係を結ぶ相手制限されているという文化的な背景からまれている面が大きく、そうでない文化なら、今の一夫一婦制日本で感じるような強い嫉妬はなくなるように思う。(一夫多妻制でも嫉妬は生じるので、なくなるとは言わない)


性欲は自然欲求で、それを認めて恋人結婚相手以外との性的関係を、合理的範囲で認めるような社会思考実験としては存在するように思うがどうだろうか。

2017-09-02

浅田舞いは抜群のスタイルルックスの良さがあったので、

あれだよな、できのいい妹と比べられても

女としての魅力はピカイチもの

それは、確執みたいなのや嫉妬心みたいなものを克服出来るかも知れないが

並みの容姿に生まれて来たり、並みのスキルもないような人間だったら辛いよ

仏様、かよ

2017-08-27

男の浮気肯定するが女の浮気否定する

んじゃなくて両方否定してるけどさ

不倫した女が好感度とかキャラクターとかそういう漠然としたもの商売してたから、

CMとか引き上げられたら勝手に詰んでるだけだろ

そいつダメなら別に似たようなキャラのやつ連れてくればいいだけなんだから

男も(ぶっちゃけ嫉妬心込みで)叩きたいが、議員とかならともかく

本人がゲスでも芸が別に評価されてるような人らは手の出しようがない

男女の差じゃなくて自分を守るものがあるかどうかの差だよ

2017-08-19

十代後半から二十代半ばにおける感性の変化について

『二十代になると絵が上達することはなくなる、感性が衰えて良い絵が描けなくなる』という

言論ネットサーフィン中に見かけたので、今回はその言論について反論しようと思う。

結論から言うと、『二十代になると絵が上達することはなくなる、感性が衰えて良い絵が描けなくなる』は

である

漫画絵を描こうとペンを握ってから、そろそろ十年が経とうとしている。

当時十台前半だった自分は二十代も半ばに差し掛かり、自分を取り巻く環境が変化していくにつれて、

絵を描くための感性質的な変化がみられたように思う。今回は絵を描くための感性質的な変化について

書き記していきたいと思う。

感性の変化その1:パッション情熱)が低下した

十台の頃と比べて、二十代の自分パッション情熱)があらゆる分野に対して低下したように思う。

それは漫画絵を描くことに対しても例外ではなくて、漫画絵を描くことに対するパッションが十代の頃と

比べて今の自分は遥かに低下したように思う。

良いようにいうと『精神的に落ち着いた』、悪いようにいうと『情熱的ではなくなった』というべきか。

十代の頃の自分は、いつも焦燥感に駆られており、精神的に全くといっていいほど落ち着きがなかった。

その落ち着きの無さは絵にも顕著に表れていて、十代の頃の自分の絵には日常生活で感じた嫌なことや

悲しいこと、そして何より自らの感じていた焦燥感が率直に表現されている。稚拙表現になっている箇所も

まだまだ多いが、見るものに対して何かを訴える力にあふれている絵が多い。

から十代の自分の絵を見ると、未だに当時常日頃から感じていた感情を想起させられてしまうことも多い。

だけれど二十代の自分の絵を見ると、そういう風な負の感情をあまり想起させられることはない。

それは二十代になった自分精神的に徐々に落ち着き始めたせいではないだろうかと思う。

自らの落ち着きが反映された結果、二十代の自分は絵に対して自らの心情ではなく、人や物がもっている「美しさ、きれいさ」を

素直に絵の中で表現するようになっていったように思う。

(十代の頃は、美しさやきれいさを絵の中で表現するだなんて偽善くさくて嫌だ!!と思っていたのはここだけの話である

今の自分はどす黒い感情よりも美しいものに惹かれることが多いのだ)

感性の変化その2:他人自分を比べてもあまり腹が立たないようになった

他人自分を比べた際に生じる嫉妬という感情は、人間が生起する感情の中で最も醜い感情だといわれている。

絵描き嫉妬権化だといわれており、他人自分の絵を比べることで強い嫉妬を抱かなかった経験

持つ絵描き殆どいなかったといわれるほどだ。

まりそれくらいに絵描き嫉妬という感情と隣り合わせになりながらペンを握っているということなのだ。

もちろん自分例外ではなく、自分より上手い絵を見ては嫉妬し、粗を探し、そして反骨精神で上達するというサイクルを

繰り返し続けている。もちろん今も基本的にはそうである

だけど二十代も半ばに差し掛かった今の自分嫉妬の強さと、十代の頃の嫉妬の強さを比べてみると、

やっぱり十打の頃に感じていた嫉妬の方が幾分強いように思う。

十代の頃の方が感情的になることが多かったから、当然といえば当然か。

二十代の今は、他人自分を比べてもさほど強い嫉妬を抱くことはなくなったのだ。

自分自分他人他人他人自分を分けて考えられるようになってきたと思う。

それにすごい絵を描く人を見ても、自分確立してきた絵を見返すことで平静を保つことができるようになってきた。

何より二十代の自分には、勉強して練習すれば、いくらでも自分は上手くなれるんだという確信がある。

からさほど嫉妬することはないのだろうと思う。

自分より上手い絵は、魅力的な絵は、二十代の自分にとってはすっぱい葡萄ではなくなった。

すっぱい葡萄ではなく、到達可能な具体的な目標になったのだ。

感性の変化その3:良いものが見分けられるようになった

目が肥えたとでも言うべきなのだろうか。

二十代の自分は、良いものと悪いものを見分けられるようになった。

自分の心を揺さぶられるようなものしか興味がなかった十代の頃の自分は、物の良し悪しもわから

とにかく目の前にあるものを吸収しようとしたが、今の自分は目の前の物の良い部分だけを吸収しようとしている。

その結果、目が肥えた。

目が肥えたのでよりシンプルで良い絵が描けるようになった。

まとめ:

二十代の自分は、十代の自分と比べると、情熱嫉妬心を無くした。だけど精神的に落ち着いたおかげで

より洗練された良い絵が描けるようになってきた。

結論

『二十代になると絵が上達することはなくなる、感性が衰えて良い絵が描けなくなる』という言論なんて嘘。

もちろん十代のような絵は描けなくなるが、二十代には二十代なりの良い絵を描くことができる。

以上。

2017-07-28

釣りですよ】他人と比べないことは幸せな人になる近道!今すぐ嫉妬心から解放するべし【名言

ネタバラシ】

完璧釣り記事に見事に引っかかってくれてありがとう

いかにも筆力低くて自己顕示欲劣等感丸出しな文章なんだけど、それに気づいた人は半数しかいなかったわけだ。

はてなーにはちょっとがっかりだ。

なおこの文には元ネタがある。ググれ、なんてことを言う奴はいないよね?はてなーは読む前からググれる人間ばかりなんだから

「ググった」なら言っていい。

============

名言にもあるように幸せ人生を歩み、他人と比べないことを率先すると間違いなく幸せな人になれます

世の中の大半の人達勝手他人と比べては疲弊し、意味のない嫉妬心に侵されています

その代償はとてつもなく大きく、つまらない毎日を過ごしてはネット上に批難を書き込むというもの

想像するだけでも吐き気がするクズ人生ですが、そうならないためにも他人と比べないことは本当に大切。

そもそも他人と比べることをしてしまう人は、なぜそのような行動を起こしてしまうのでしょうか。

他人と比べることを何となくしてしまう人の心理

やたらと他人と比べることを好む人はいますが、他人と比べることを何となくしてしまう人の心理自分に自信がないから。

極端に自信がないと他人と比べたがりますし、自分よりも下のレベルをみては安心します。

逆に自分よりもレベルの高い人や頑張っている人をみると、つい嫉妬してしまっては自分と比べたがるのです。

自分自身にない能力や素晴らしい人生観を羨ましく思う反面に、どうにも太刀打ちできない歯がゆさ故に嫉妬してしまう。

このような人が他人と比べるのは、ある意味では自己防衛的なこともありますが、それではあまりにも悲しすぎますね。

他人と比べないことは幸せな人になれるからおすすめ


からこそ、他人と比べないことは幸せな人になれる近道であり、楽しい人生を過ごせるということ。

いつまでも他人と比べていても人生は何も変わりません。他人に批難したりしても人生好転しません。

時間もっと有意義に使いたいものですが、他人と比べる人はどうしても時間無駄に使ってしまます

つい他人と比べることをしてしまう人は、今日からでも遅くはないのですぐに他人と比べない人生を歩んでいきましょう。

名言他人と比べないことは幸せな人になる近道!今すぐ嫉妬心から解放するべしのまとめ

とにかく他人と比べないことは幸せ人生を歩めるということ。

他人と比べることが習慣になっている人にとっては、なかなかどうして難しいことですが、やはりどこかの人生改善しなくてはいけません。

このままの人生では本当に詰みますし、すでに詰んでいるかもしれません。

そのような人生でも別に構わないという人は置いといて、「そんな人生はイヤだ!」と心の底から叫びたい人は今後は他人と比べない人生を歩みましょう。

心配しなくてもそこまで難しいことではありません。

本気で改心しようとした瞬間に楽しい人生は切り開いていきます。後は自分自身を信じるだけ。

どちらにしても、自分人生自分だけにしか作れないことを理解していきたいものです。

名言中の名言でもある「自分自分他人他人」で人生を楽しく過ごしていきましょう!

2017-07-26

起業家社長が立ち向かわないとならない三銃士を連れてきたよ!

「立ち向かわないとならない三銃士?」

「恥をかくこと」

どんなアイデア顧客候補に話して行けるかいけないかを聞かないとならない。

表面にこにこしつつそれ無理じゃね?と言われることが多く恥をかく。が、こうならいけるかも?みたいなのを拾い上げて商品修正して物にしていく。

でも、実際は恥をかくのを恐れて自己満足でおわらせる。

「疑われること」

起業家社長は信頼もない。ま、起業したよって言って、起業したの?スゴーイなんて言ってくれる人は正直世間体で言ってくれるようなものから、正直真に受けれない。

多くは世の中にないものから、そんなもの本当にうまく行くんか?とは思われる。今までの常識でそれはうまく行かないんじゃないの?と言われる。

今までにないものから起業するわけで、それは当たり前。

けど、それを受け止めて、必死で考えて「いや、これはこうこうこうだからうまく行くんですよ!」というシナリオを作らないとならない。

「嫌われること」

まず、嫉妬される。次に、方向性が違うものを部下に押し付けられるかもしれない。

嫉妬ホントどうしようもない、それを元にこちらの仕事邪魔される可能性もある。だから、近くにいてこちらの仕事邪魔されるのを感じたら、即効逃げないとならない。

回りもまとめて切る必要もある。まあ、そもそも嫉妬心を抱かせるような行動を厳に慎まないとならない。

それから、こんなもの売れないだろ?という提案を部下にゴリ押しされるかもしれない。けど、作ったもの責任を持ち、失敗したら借金を抱えるのは社長

話を全く聞かないのも良くないが、状況見定めて、あるいは話を聞いてもダメなら嫌われるの覚悟で切らないとならない。切らんと仕事にならんし。

人間よく思われたい。いい人でいたいと思いたい。でも、その落差に苦しむことがある。

よく思われたい、いい人で思われたいって感情小池龍之介解釈仏教だと「慢」と言って、それが大きすぎると、非難に弱くなる。自己愛と言う言葉が近いかもしれん。

そんなの道路脇の溝でも肥溜めにも捨てちまわないとならない。

そんな非人間になるのが創業するということ。垢と汗にまみれて、肥溜めから這い上がるようなもの

自己愛・慢は傷つけられるもの。でも、なにかそこら辺を捨てて得られるものがあると思うから創業するんだろ?

そんなのないのなら創業なんかしないほうが良い。起業いいよいいよとおだてる無責任な奴に踊らされるな。

半分今の自分に対してかく。

2017-07-21

悪い童貞になってしまった

今まで、彼氏彼女の話しをされたりリア充アピールをされても「自分自分であって向こうが楽しれければそれでよい」と思ってきていた。

しか最近そのようなことがやけに自分嫉妬心、ひいては悪意で胸がいっぱいになってしまう。

おそらく自分がこのまま童貞のまま、ひいては孤独死のままという見通しが見えてきたためだと思う。

この先私は女性と付き合うこともできないままだという現実を見せつけられ、自分が一生分かち合うことのない喜びを見せつけられていると感じて

いわばとても悔しく自分が情けなく思えているのだろう。

このような感情自分が持っていることに気づいてしまい、自分は悪い童貞になってしまったのだなと酷く自分失望した。

どうにもならない、そして現状を改善する方法検討がつかない自分ダメ人間である

2017-07-14

初恋を辞めたい

二十数年、こんな気持ちになったことは無かった。

まれてはじめて好きな人が出来た。

心の底から人を愛おしいと思った。

守ってあげたい、そばに居たい。

そんな気持ちだ。

お酒の勢いでつい、好きだと言ってしまった。

結果としてフラれたけれど、良い友達でいようと向こうが言ってくれた。

その時、一瞬女神に見えたんだ。

異性の間に友情なんか存在しねぇと友人は言ってくるけれど、そんなことはないと思う。

実際玉砕だって何度も2人で遊びに行ったんだ。

…………自分が欲を出してしまったのが間違いだった。

今更気付いたって遅いよな、としか言いようがないけれど。

はじめての感情だけで、満足出来なかった。

情けないことだが、懇願して懇願して、身体の初めてまで捧げさせて貰った。

恋愛感情を持っているのは自分だけだなんてずっと分かってた。

向こうは一切何考えてるか分からないが、ただ、どーしようもない自分のみっともない様を受け入れてくれるんだ。

歳上で、モテる人だからだろう。余裕があるからこんなガキみたいな自分の戯言に付き合ってくれてたんだろうな。

ずるずる関係が続いてしまっているうちに、気がついてしまった。

自分依存体質に。

連絡が途絶えるのが怖かった。

自分以外の他人を褒めている時に湧き上がった醜悪嫉妬心で、何度も何度も胸が裂けそうになった。

そして、自分の甘え。好きという感情だけで突っ走ってしまっていたが、元から人に好かれる外見をしていない。

醜い肉に包まれた化け物だ。

贔屓目に見ても豚だ。

自分に自信が持てない、以前の問題だ。

そんな人間が人を好きになって良いわけがないのにな。駄目だよな。

小学生の頃からずっと虐められてた根暗なんだぞ。

今は無理矢理取り繕ってなんとか生きてるって事実を、忘れようとしていた。

人並みの幸せなんてもんは求めるなと周囲から言われていたんだ。

良い加減こんな身勝手自分気持ち相手を付き合わせることを辞めなくちゃならない。

初恋を辞めたい。

どうやって諦めるか、教えてくれ。

そして、人を好きになる感情忘却する方法も知りたい。

2017-07-11

「ここまで堕ちるとは・・」薬剤師の私が味わった貧困労働現実

薬剤師仕事はつまらない。

他の仕事は華やかでやりがいもあって、充実した毎日を送ることができる。

そんな馬鹿なことを私は本気で思っていた。

でも現実全然違った。

薬剤師仕事は退屈だと思っていた私は30歳の時、自惚れもあっただろう、薬剤師関係ない職場で働いた。

だけど薬剤師を辞めるってのは、そんな簡単な話じゃなかった。

誤った決断どん底生活経験し、資格無しの自分の無力さにあらゆる絶望を味わい、私はまた薬剤師として働いている。

薬剤師という資格、そして私が当たり前と思っていた環境いかに恵まれていたか毎日噛み締めながら生きている。

私がほんの出来心で陥ったどん底体験

この経験を「同じ失敗をしてほしくない」という意味で伝えてみたくなった。

興味があったら読んでみてください。

これが憧れた職業??退屈な毎日・・・



私は27歳で薬剤師資格を取った。

特に頭が良かったわけではない。高校時代医師を目指し勉強したが、早々にその器ではないと見切りをつけた。

大学は2浪の末、やっと私立薬学部に滑り込んだ。

「これで私も薬剤師になれるんだ」

難関資格と言われる薬剤師になれるという喜び、そして人生においてある程度の地位約束されたという自惚れた感情でいっぱいだった。

私の念願であったこともあり、学業に励んだ。資格取得は仲間との協力もあり順調だった。

そして資格取得後、教授のすすめもあり、私は病院勤務薬剤師として働くこととなった。

新卒で入職したのは中規模の総合病院

夢の薬剤師

仕事内容はおおよそ先輩方などから聞いてはいたが、薬剤師仕事は思っていた以上にとても地味だった。

から晩まで閉鎖的な空間調剤監査電子カルテに誤りがあれば医師疑義照会をかけて煙たがられる。

私の働いていた病院常連さんがほとんどだったから、毎日同じ患者さんの調剤。単調極まりない毎日の繰り返し。

世代に比べれば良い給料

休みもしっかり取れる

ただ、毎日続く変化のない仕事がとても苦痛に感じるようになっていた。

から人より向上心好奇心が少しばかり強かった私は働き始めて早々に薬剤師という仕事自分に向いていないのではないかと思ってしまった。

それからの3年間、わたし毎日薬剤師に向いてないと思いながら仕事を続けていた。

そんな私に転機が訪れる。

街で偶然高校同級生亜子にあった。


亜子学力・見た目は私と同じくらいのレベルだった。ただ持ち前の明るさとリーシップで常にクラスの人気者だった。私はそんな亜子に対していつも憧れと嫉妬心の入り混じった感情を抱いていたのを覚えている。

亜子私立工学部を出て、院を卒業後、大企業には行かず、メディアでも多く取り上げられるIT企業就職広報として活躍していた。

その亜子とここで出会ってしまたことがその後の私の人生を大きく狂わせることになるとはこのときは思いもしなかった。

亜子時間があったようなので2人で近くの喫茶店に入った。

薬剤師仕事にくすぶりを感じていた私は、亜子面白みを感じないことについての相談をした。

「うーん。確かにそれはつまらなそうだね。」

「うちの会社、今営業中途採用積極的にやってるから来てみれば?薬剤師に縛られている必要もないんじゃない?」 <h3>o- *</h3>

薬剤師を捨てて働く

この選択肢が頭の中になかったからだろうか。

私は最初は戸惑いを隠せなかった。意外な提案に驚くとともに亜子が私を誘ってくれたという喜びで、冷静な判断力を失って

「ぜひ紹介して欲しい」

この安易決断が後に私の人生絶望の淵まで追い込むことになろうとはこの時考えもしなかった。

紹介を快諾すると話はトントン拍子に進み、亜子の紹介もあってすぐに内定入社となった。

なぜ薬剤師が?という質問は当然受けたが、

「私は刺激もなにもないお金だけの仕事をしたいわけではない。やりがいを感じられる仕事を一度やってみたくなった」

この思いを正直に伝えると面接官、特に社長は喜んでいたように感じる。

薬剤師になれたという過去の栄光、それだけを根拠とする自分能力に対する過剰な期待感を持つ私は、

薬剤師以外なら上手にやれる。そう思える若さもあっただろうか。全く関係ないIT企業営業職にチャレンジをすることになった。

薬剤師を辞めたらどうなるのか?


入社後1ヶ月は研修期間だった。

全く未経験ゆえの新鮮さもあっただろうが、営業仕事は楽しかった。自分でお客を開拓し、会社が持つ商品お客様に合うように提案を考える。

活気あふれるメンバー仕事を進める。毎日文化祭のような楽しさがあり、長時間労働も全く苦にならなかった。

楽だけど仕事は決まっている。そんな薬剤師仕事とは大違いだった。

昔は想定できる毎日に楽しさ、興奮も見いだせずとにかく退屈だった。その苦しみから解放され、ちょっとした幸せを感じた・・・

結果がでないと人ではない・・・


ただし数ヶ月して事態は一変する。研修期間を終え、営業に本配属になった。ここから新人はい営業成績が求められる。

3ヶ月が経過した。

私なりに死ぬ気でやったが成果は0だった。同時期入社の仲間の中でも最下位

3ヶ月でこの状態だと、これまで優しく接してくれていた会社が途端に私に牙をむく。

数字の上がらない人間は非常に居心地が悪い。私がどんな人間なのかそんなことは数字を上げてから判断される世界会議でも発言力はないし、何を話しても

数字出てないやつがなにいってんの」

という顔をされてしまう。

チームで仕事はするけど結果を出すのは個人最初は仲間だったチームメンバーもなかなか数字のでない私に「価値のない人間」のレッテルを貼り、人格すらも否定されているような気持ちだった。

思えば、病院だと患者さんが怒れば、ダメな私を叱りながらも、誰かが守り助けてくれた。主任だったり、先輩だったり、後輩だったり・・・

でも、この会社では誰も助けてくれない。数字に追われひたすら動く。

そこに「やりがい」なんて洒落言葉は一切存在しなくなっていた。

思いも寄らぬ貧しさ・・・

IT企業での給料はとにかく安かった。薬剤師の時には40万なんて当たり前だと思っていたのに・・・

転職時の私は根拠のない自信があったため、出来高の方にとらわれ基本給の安い契約問題ないと思っていた。

それがこんなに厳しい生活になることを想定できていなかった。

基本給が23万円。

保険税金を引かれて、手取り18万円。

家賃水道光熱費、食費、携帯代、交通費などを使えば、残り5万円。

毎日12時間以上も働いて、お客、上司に怒られ、身も心もすり減らしても、手元に残るのはたったの5万円。

5万円じゃ貯金ができないし、友人と遊びに行くにもお金のことを考えてしまう。当然外食なんてできない。

朝は仕事帰りに買ったおにぎり一個。お昼はコンビニ弁当マクドナルド。夜は、コスパを重視してスーパーの安売り惣菜ライス

本当に余裕の無い日々。何かトラブルがあれば、一貫の終わり。本当に危うい生活だった。

会社に誘ってくれた亜子最初ランチなど一緒に行動することも多かったが、私の会社立場を察してかあまり寄り付かなくなってしまった。

私は会社の中で完全に一人だった。。。

友人からの思わぬ「告白

同時期に薬剤師を辞めた友人がいる。大学の同期、美咲だ。

彼女は、早々に薬剤師を辞めて法律事務所秘書になった。ただ、そのとき給料が安く、夜の仕事もしていると言っていた。

3年くらいは会ってなかったが、薬剤師をやめた同士話し合いたいと思って私から久しぶりに食事に誘った。

美咲は3年前より少し雰囲気が変わったように感じた。秘書という仕事、夜の仕事もやっていたということもあり、すこし派手な格好をしていた。

早速の仕事で悩んでいることを相談しようと思った矢先、美咲は私を絶望に叩き落とす言葉を放った。


「ごめん。なかなか言えてなかったんだけど、私。薬剤師に戻ったんだ。。」

美咲は続けた。

「薬剤士って地味な仕事だけどさ、職には困らないしやっぱスゴい資格だよ。変な欲なんて出さずにおとなしく薬剤師やってればよかったよね・・・

彼女のその言葉が頭から離れない。

「私って何をやってたんだろう・・・

私は彼女方針転換への失望からか、自分過去を後悔し、将来への不安と虚しさと絶望で、理性を保つのでやっとだった。

失って初めて気づく、その大切さ・・・

結論を言うと、1年後、私は薬剤師として復職をした。

やりがいだけを求めて、飛び込んだ一般企業でのチャレンジは失敗に終わったのだ。

復職をするにあたっては非常に厳しいのかなと思っていたが、薬剤師という資格は本当にすごい。

友人からの紹介、ハローワーク求人サイト引く手あまたで驚いた。

IT企業絶望的な苦労を味わったあとだからだろうか、以前の退屈な仕事に戻ってもかまわないとは思っていた。

できるなら、やりがいも感じられるそんな仕事があるなら探してみたいと思い人材紹介会社を中心に就職活動を行った。友人の紹介や、ハローワークでは出ていないような職場存在して面白かった。

人材紹介会社が頑張ってくれて、資格も活かせて、やりがいも感じられる職場から奇跡的に内定をもらえた。

人材紹介会社担当者さんは、

「苦労されている方だからこそ、こちらの内定取れたんだと思います

と言ってくれた、あれこれ手を尽くしてくれ本当に大変だったと思う。(お世話になった担当者のYさん。ありがとう)

薬剤師転職は、人手不足もあり簡単だと言われているが、事実そうだ。

給与比較的高いし、本当に素晴らしい資格だと思う。

薬剤師復職してどうか?

いまの仕事は、大手化粧品会社企業薬剤師

給料がそこそこ貰え、

仕事をそこそこ楽しめ、

休みカレンダー通り、

将来の安定もある。

残業も1ヶ月に一度あるかないか

私にはちょうどいい環境

から転職して、今までの悩みは笑っちゃうくらいサッパリ無くなった。

給料手取り30万。

病院勤務の時よりは低いかもしれない。

でも同じ会社で働く一般職の方よりは仕事も楽で給与もいい。

ITベンチャー手取り19万に比べれば1.5倍もある。

働く時間は半分程度だ。

30万円もあれば、固定費を払っても毎月15万円近く自由に使える。病院時代のように貯金もできるようになった。

仕事内容は商品品質管理がメインで、新商品が出るとき企画会議から薬事申請業務まで一通り携わっている。

病院ドラッグストア勤務に比べて仕事内容も変化に富んでいるし、社内外問わず薬剤師以外の人との交流が増えた。刺激が多いのですごく楽しい

何より「これってどうなんですかね?」と意見を求められる仕事というのが心地よい。

わたし本心は「誰かに頼られる心地よさ」を求めていたのかもしれない。

薬剤師活躍する場所はこれからも増え続け、薬剤師もっと必要になる。薬剤師資格がある限り、仕事が無くなることはない。

40代や50代になったら、どうやって食べていこうかと悩むこともなくなった。

薬剤師を捨てる覚悟とは?

薬剤師あなた転職したいなら、よく考えてほしい。

 

正社員として雇ってもらえるか?

月に20万円以上の給与をもらえるか?

長期間働くことができる環境か?

仕事自体を楽しめそうか?

 

身をもって痛感したことだが、女性資格を捨てて働くのは本当に難しい。

薬剤師資格はこの上ないほど強力な武器だ。それを捨てるのは愚かなこと。

武器があるなら、それを使って有利に戦う。薬剤師資格を持っているなら、それが価値を生む場所で働く。

薬剤師はどこでも人手不足から一般企業世界でも薬剤師として、ものすごく重宝がられる。

薬剤師を捨てて就職をしたあの時の私はバカだった。

薬剤師」の価値を知らず、安易に捨ててしまった。

薬剤師を辞めるなら、それなりの覚悟必要だった。少しでも迷いがあるなら、辞めてはいけない。

経験上、かなりの高確率で困難に陥るのだから・・。

薬剤師から転職するなら

薬剤師資格を活かせる転職をすることをおすすめする。退屈な仕事が嫌なら、仕事病院以外にも沢山ある。

化粧品会社美容クリニックがオススメ

給料仕事やりがい全てが一定基準で揃っている。

自分のペースで長く続けるにはもってこいの職場だと思う。

でも、勤務先はじっくり選んで欲しい。上記勤務先でも当たり外れはかなりある

そのためには情報を集めなきゃいけない。

実際の給料は?

手当、残業代ボーナスの有無、そしてその金額福利厚生の内容も。

職場雰囲気仕事内容は?、仕事仲間がどんな人かも聞いておこう。

離職率薬剤師への扱い、評価方法大事な要素だ。

これをきちんと聞くだけでも、失敗の可能性は少なくなる。

失敗したくないなら、担当者からどんどん情報を引き出そう。

転職情報が全て。

このようなサイト情報収集するのも必要

そして「こんなこと聞いて変な奴だと思われたらどうしよう」とか遠慮したら終わり。

仕事選びには人生がかかっている。

後悔したくないなら恥を忍んでとにかく聞く。

その一歩が将来の自分幸せを決める。

2017-07-04

https://anond.hatelabo.jp/20170704124724

実家を出て苦労した人の怨念だろう・・。

あいつばっかり、実家で楽しやがってという嫉妬心から言ってるだけ。

2017-06-26

嫉妬したくない

数日前に友人が自分より待遇の良い企業内定した。

祝福すべきことだが、心のどこかで嫉妬心が芽生えてしまい、心から祝えない。

将来大きな格差が生まれるのかと思うと嫌になる。

自分がどんなに頑張っても届かないようなところだし、そいつ年収が高かろうが低かろうが自分人生になんの影響もない。むしろ友人の望みが叶っていいことしかないじゃないか

分かっているが、どこかで嫉妬していて、素直におめでとうと言えない自分が嫌いだ。

2017-06-13

美大に行けなかった女

祖父画家だ。

美大卒業してすぐに専業画家として独立

その道の人が喉から手が出る程欲しがる賞なんかも受賞して、

から見ると画家として順風満帆人生を送ってきたように見えると思う。

しか祖父プライベートでは周囲にかなり迷惑をかけてきた。

戦争で家が燃え盛る中、貴重品には目もくれず画材だけ持って逃げたり、

駆け出しの頃余裕のなさからちょくちょくヒステリーを起こしたりとか、

そういう話はよく祖母とその息子(=私の父)から聞いたし、

画業が軌道に乗るまではかなりの貧乏暮らしをしていたらしい。

そのせいでうちの家系アート関係仕事に対して風当たりが強い。

父が美大ではない一般大学を出、一般企業サラリーマンとして就職した際は

一族からまともな奴がでた」と周りが泣いて喜んだという。


孫の私は小さい頃よく祖父の家に預けられていた。

(私も祖父都内住みなので、母が忙しい時、面倒を見てもらっていた)

父が幼かった頃はまだ生活に余裕がなく、祖父子供の面倒を見る事はなかったが、

絵が売れるようになってからできた孫の私の事はかなり可愛がってくれた。

祖父は私にお古の画材をくれ、好きに絵を描いていいと言ってくれた。

仕事をする祖父の近くに陣取り、見様見真似で絵を描き始める。

幼稚園児の絵なんてプロの目から見なくても下手くそだし、祖父から絵を褒められた事は一度もない。

それでも下手な絵を量産し続ける私を見る祖父の目がとても優しかったのは覚えている。

やがて私は外で鬼ごっこをするよりも絵を描く方が楽しいと思うような子供に育った。

近所に住む幼馴染の友達も絵を描くのが好きな子で、

放課後はその事一緒にスケッチブックを持って公園に絵を描きに行くのが定番コースになった。




そんな私に家族はいい顔をしなかった。

小学生の頃、近所のお絵かき教室に行きたいと何度頼んでも全部無視された。

でもテレビでみかけた新体操選手を見て一言可愛いと言った次の日には新体操教室を探してきてくれた。

数学が苦手だとぼやいたらすぐにそろばん教室に行かないかと勧められた。

家族は私が絵を描く事以外に興味を持ってほしかったのだと思う。

一回だけ口を滑らせて「美大とか美術専門学校に行きたい」と言ってしまった事がある。

父は大激怒あん鬼のような形相をした父親を見たのは後にも先にもあの時だけだ。

親戚中に言いふらし、それから何人もの親戚から連日の様に

「お前に祖父のような才能はない」

美大に行くような奴はそれしか生き方を知らないろくでなしだけだ」

「お前は絵の為だけに人生を棒に振れるのか、そうとは思えない」という電話がかかってきた。

安定した仕事に就いてほしいという彼らの気持ちもわかる。

でも「美大楽しそう」は中学に入ったばかりの小娘の言葉だったのだ。

それからずっと絵を描くのが好きだという気持ち封印し、

隠れてノートに絵を描いてはいものの、普通大学に入って普通にOLとして就職をする道を選んだ。

それでも社会人になっても絵を描きたい欲が抑えきれず画塾に通い始めた。

美大の夜間コース金銭的にも時間的にも無理だった)

この頃になるともうこれから芸術の道に進む事はないだろうと安心したのか、家族から白い眼で見られる事もなくなったし、

祖父コネでもらった展覧会チケットも興味があるのなら、とくれるようになっていた。

画塾に通い始めた事も「社会人になって趣味を持つの大事な事」と肯定的な目で見てくれるようになって、少し認められた気がして嬉しくなった。

ただ一言「お前、絵描くの好きだったんだな、知らなかった」と言われるまでは。

あぁ、幼稚園小学生の頃あんなにお絵描き教室に行きたいと頼み込んだの覚えていないんだ。

後、大学一人暮らしを始めてから同人漫画も描き始めた。もちろん家族には言っていないけど。

同人イベント金銭のやり取りをするようになってから、絵一本で祖母、父、そして父の妹を食わせ、大学まで行かせた祖父のすごさを再認した。

親戚が私に才能がないと言った気持ちもわかる。私は祖父になれなかった。なろうとする事すらおごましい。

でもこの趣味出会った友人達には美大とかアート系の専門学校に通っていた人も多くて、やっぱり羨ましくなってしまう。

そしてその人達ほとんどは家族の言う「芸術の道に進むしか能がないろくでなし」ばかりではないし、

卒業普通OLとして社会人をやっていけている人にもたくさん出会った。

デザイン系の仕事をして会社に雇われている人もいれば、

祖父自営業画家として生計を立てていたように、フリーランスとしてやっている人もいる。

何より皆、人より絵を描くのが得意な「社会常識のある普通の人」だったのだ。

美術系の学校に進む人は全員頭がおかしいという親戚の言葉は、

美術を専攻するとOLという道は閉ざされるから絶対に稼げないという親戚の言葉

嘘だった。

そして思ってしまうのだ。

正直言ってしまうと同人誌はそこそこ売れているので、私に絵の才能が全くなかった訳ではないと思う。

もし美大に行けてたら…祖父の様に専業画家として大成功する事は無理でも、デザイン系のOLとかで生活できる程度に稼ぐ事はできていたのかな…と。

甘い考えだってのはわかっているけれども。

父の口癖はこうだった。

「本当に何かをやりたい人はどんなに反対されても勝手にやる。祖父は家が燃え盛る中、泣きながら画材を持ちだして死にかけた。手塚治虫戦争中、絵の具がなかったか自分の血で絵を描いた。芸術の道に進むというのはそういう事だ。」

きっとそうなのだ

私が本当に美大に行きたかったのなら、親戚中に反対された中学の時点で家出でもすればよかったのだ。

バイトをできる年齢になったらお金を貯めて、学費自分で賄えばよかったのだ。

そうしなかったのは心の底から美大に行きたいと思っていなかったからなのかもしれない。

ないとは思うけど、明日北朝鮮ミサイル東京に降ってきたら、私は真っ先に通帳とか印鑑とかを持って逃げると思う。

そして、足腰が弱ってあまり歩けなくなってしまった祖父は、それでも若かった頃と同じようにパニクりながらカンバスと絵の具を持って避難するだろう。

そういうところなのだ、親戚が「芸術家ろくでなしだ」と言うのは。

通帳は全部祖母に任せて自分画材だけ持って逃げるから

明日おまんまがなくなって、家族全員打ちひしがれていても、スケッチブック燃えなかった事を泣いて喜ぶような人だから

本物のミサイルなんてそうそう見れるもんじゃないと喜び勇んでスケッチを始めるかもしれない。

因みによく一緒に公園スケッチに行ってくれた幼馴染は高校から画塾に通う事を許され、無事美大合格卒業後は有名なゲーム会社就職した。

彼女ものすごい努力をしていたのを私は知っているし、就職の報せを聞いて私も嬉しかった。

でも北朝鮮ミサイルに対して彼女はどういう行動をとるだろうか?

私が趣味世界出会ったデザイン系の仕事に就いている人達は?

紙と鉛筆を持って逃げるだろうか?

幼馴染とは今でも仲がいい。

同人活動を通じてできた友人の中にはジャンルが変わっても付き合ってくれ、一緒に旅行に行くような仲の人もできた。

積極的美大とか専門の話はしないけれども、そういう話題になっても自分の知らない世界の話を聞くのは単純に楽しいし、新刊ネタになるかもとワクワクすることもある。

でも嫉妬心を全く覚えないと言ったら嘘になる。

日本火の海になった中で、紙と鉛筆でなくて通帳と印鑑を持って避難するような人だったとしても、彼女達が美大進学を許された特権階級である事は変わりないのだ。

そう思うと何だかもやっとしてしまう。





一時期このもやもやから逃れたくて、絵を描く事を伴わない趣味を探した事がある。

スポーツをしてみたり、美味しいご飯屋さんを探してみたり。

このスポーツ団の制服可愛いから模写したいとか、肉の「照り」の部分を絵の具でどう表現しようかとか気付くと考えてしまっていたけれども、頑張って思考の外に追い出していた。

そんな中、某韓国アイドルにハマった。

お気に入りだったのが音大出身で抜群の歌唱力を売りにしている子。

彼の美しい歌声に乗った異国の言葉は心地よくて、生まれて初めて海外アーティストの曲を買った。

ある日、彼が番組企画ファンの為にイラスト色紙を書いてくれる事になった。

その日の彼は機嫌が良かったのか、普段はあまりしないプライベートな話をしながら色紙を書いてくれた。

小さい頃から歌う事が好きだった事。

母親に勧められて合唱団に入った事。

歌手を目指し挫折した経験を持つ母が、音大合格した時泣いて喜んでくれた事。

色紙を書き終えた彼はそれを満足そうにカメラに見せ、言葉をつづけた。

「歌も好きだけど…絵を描く事も好きです。上手くはないけどね。僕の従姉妹がこの絵を見たら笑ってしまうかも、彼女美術大学に通っているんだ。」

頭を鈍器で殴られたような感覚がした。

今までアイドルと言うのは自分とは全く別の世界に住んでいる人間だと思っていた。

この世に存在しないくらい見た目が美しくて、スタイルが良くて、歌やダンスが上手で。

からどんなにイケメンアイドルを見てもこんな人と付き合いたいとか、

どんな美人アイドルを見てもこんな風に美しい女性になりたいとか、そういう気持ちが湧いてきた事はなかった。

自分人生と関連づけられなかったのだ。

特に彼は外国人だったので、そうした傾向が強かったんだと思う。

でも彼の口から美術大学」という言葉がでてきた瞬間、一気に身近な存在になってしまった気がした。もちろん悪い意味で。

音楽芸術だという当たり前の事を思い出し、生まれて初めてアイドルに対して悔しいという気持ちが湧いてきてしまった。



彼は芸術家になる事を親から応援されてきたんだ。従姉妹さんも美大に通っているという事は、きっと一族の大半が協力的なんだろう。

羨ましかった。私も応援されたかった。

美大に行きたいという言葉を発した時に、罵詈雑言を浴びせられるのではなく、彼の母親の様に応援してほしかった。

彼が歌うのが好きだと気付いた母が、彼を合唱団に入れてくれたように、お絵かき教室に行きたいとせがんだ私の事を父に認めてほしかった。

本当は新体操選手なんかに憧れてはいなかったんだ。

お絵描き教室が駄目なら新体操も駄目だろうと思って発した言葉だったのに、すぐに新体操教室を探してきてくれた親に対してショックを覚えたんだ。

美大コンプレックスから離れる為に始めた趣味だったのに、またもや同じ気持ちを味わったあの日、結局このコンプレックスはどこに行ってもついてくるんだなという絶望感を覚えた。

もちろん、高校から画塾に通って美大進学をした幼馴染、趣味を通じて知り合った美大出身友達

皆親を説得するために苦労をしたんだと思っている。

そしてただでさえ狭き門である芸術系就職活動成功させる為に、

反吐を吐く様な努力をして作品ポートフォリオを作り上げたんだろう。

きっと私には想像もつかないような辛い道のりだったに違いない。

大好きなアイドルと彼の従姉妹だって日本よりさらに厳しい学歴社会と言われる韓国音大美大進学を決めるのには相当な覚悟があったはずだ。

音大合格して彼の母が泣いたのだって、その一悶着があったからという事もあるかもしれない。

でも。本当に悪いけど。その内誰だって祖父レベルに達しているとは思えない。

祖父の様に絵の神童と呼ばれていたという話も聞かない。

祖父彼女達と同じ年齢だった頃に描いた絵を見ると、素人から見ても月とすっぽんの差がある。祖父の様な天才じゃなくても美大に行かせてもらえる彼女達。特に幼馴染は「本当は美大に行きたかった母親が大賛成」してくれて、祖父の様な絵に対する執着心もないのにすんなり画塾に通わせてもらえて、本当に羨ましかった。

もし、私の祖父画家じゃなければ。天才じゃなければ。

しかしたら説得できたんじゃないかって思ってしまう。

家出なんかしなくたって、絵の具の代わりに血を使わなくたって、北朝鮮ミサイルが降り注ぐ中、愛用の画材を泣きながら探し回らなくたって。

しかしたら、私にも美大に行かせてくれと説得できたのかもしれない。

彼女達が本当に羨ましい。泣くほど羨ましい。

祖父の様に絵を描く事しかできないわけでもなく、(少なくともデザインOLをやれる程度のコミュ力はあって)、でも祖父の様な並外れた才能があるわけでもない彼女達が

家族から美大進学を許されたのが、本当に悔しい。

祖父天才じゃなければ。数回頭を下げただけで私も美大に行かせてもらえたかもしれないのに。


祖父の事は聞かれない限り他人に話してはいない。父の職業ならまだしも祖父の事を聞かれる事は稀だし、自分から言いふらすような事でもない。

でもごくたまにある。お祖父ちゃんは何をしている人なの?と聞かれる事が。

そして答えると大抵「だから増田さんも絵が上手いんだね!」と返ってくる。

(もちろんお世辞だ。私は下手ではないと思っているけれども、上手くもないと思う。ただ、そういう仕事をしていない限り社会人になってまで絵を描いている人は案外少なく、相対的にそう見えるだけだ)

そんな時自分がどんな顔をしているのかはわからない。

絵を描く楽しさを教えてくれたのは祖父

お金にならないのに、今まで絵を描き続けてこれた情熱を持てたのも、祖父遺伝なのかもしれない。

でもそれを仕事にしなかったのも間接的には祖父が関わっている。

そして何より、私には祖父ほどの才能がなかったのだ。

2017-06-11

まさか私が…」突然の発覚から3年、絶望から這い上がった私の乳癌

40歳の節目。私は乳がんになった。

素朴だけど優しく私を愛してくれる夫と2児に恵まれ、幸せな人生を手に入れてそれなりに満足感のある日々だった。

幸せな日常を一瞬にして真っ暗な絶望に追いやった乳がんの発覚。

乳がんは罹る人も多い病気負担はあるけど、治療なんてさほど難しくないと思っていた。

でも全然カンタンではなかった。

家族、友人、そして自分自身多くの人を深く傷つけ、心身共に疲れ果て全てを失う寸前まで追い込まれた。

判断ミスもあり、軽度とは言えない状態までいってしまった私だが、良き出会い、周りの人の支えに助けられたことは幸運だった。

手術、抗がん剤治療を行い私は今、再発の不安は抱えながらも元の幸せな生活を取り戻すことができた。

今思えば、「知らないこと」が理由で失ったものが沢山あった。

もっと早く気づくことができれば・・・
「あの時あの治療選択していれば・・・
「友人家族もっと接するべきだった・・・

いろんな後悔が今も心に残っている。

こんな思いをする人を一人でも減らせたら。そう思って私の体験を伝えてみたくなった。

興味があったら読んでみて下さい。

ピンク東京タワー、突然の不安

ほんの些細なこと。

10月1日、夫と食事に出かけた帰りに見かけたピンク色にライトアップされた東京タワーだった。

私:「綺麗だねー。今日はなんでピンクなんだろうねー」

携帯検索をする夫。

夫:「今日ピンクリボンデーらしいよ。乳がん認知を上げる目的だって
私:「乳がんねー。」

その時は何も思わなかったが、少しだけ「乳がん」という言葉が頭をよぎった。

それから1ヶ月が経った頃、

朝、着替えの時に左の胸に固い感触を感じた。

???

違和感を感じ指でふれた。コロコロとした1cm程度の小さなしこりを感じた。

まさか。。。乳がん?」

ピンク色の東京タワーピンクリボン、その記憶が私にそう思わせたのかもしれない。

ただし、その日は家事に忙しいこともあり、夜にはしこりのことは忘れていた。

夜の入浴時にもう一度触ってみた。朝のしこりはもちろん、あと2個程度小さなしこりを指先に感じた。

大きな病気をしたことが無い私は些細なことでもすぐ心配になるタイプだった。不安かられ、髪も乾かさずインターネットで幾つかのサイトを調べた。

しこりがある=乳がんというわけではない。40歳未満の場合は良性のしこりの方が多いらしく乳腺線維腺腫の可能性が高いと書いてあった。

人間不安ときは都合のいい方の考えに飛びついてしまものだ。

私は、

「なんだ大丈夫だ。良かったー」

と勝手に安心し、「こんなものはそのうち消えてなくなる」なんて、根拠もない解釈をしながら、眠りについた。

翌朝、しこりは消えていない。やはり気になる。「もしかしたら」が再び頭をよぎる。

考えないように過ごそうと思ったが、家事が何も手につかない。

今まで感じたことの無いものが私の胸に存在している。その事実から目をそむけることができなくなっていた。

一刻も早く安心したい。その一心で私は病院を探し始めた。乳がん検査してくれるのはどこか?今まで考えたこともなかったか検討がつかない。

よくわからないが、とにかく近くの産婦人科に行ってみることにした。

サイズも小さいし、しこりも動くから問題はないと思いますよ」

そういって若い女性医師は近所の外科への紹介状を書いてくれた。

その翌日は外科の診断へ。私は一日がかりで色々な検診が行われることを想像したが、触診だけだった。

診断は

「乳腺線維腺腫」

違和感があった日に確認した見解と一致していたため、その診断を疑うこともせず飛びついてしまった私がいた。

乳腺線維腺腫は放っておけば3ヶ月程度でしこりはなくなってくるとのことだった。私は安心して、日常生活に戻った。

大丈夫でしょう」という自分安易判断と、夫に相談せず自分で納得してしまったことがあんなことを引き起こすなんてこのときは思いもしなかった。

大いなる油断、取り返しのつかないミス

それから2年、私はしこりことなどすっかり忘れて平穏な生活を続けていた。

日々の家事、娘息子の世話、当たり前のことを当たり前にこなす。傍からみれば退屈かもしれないけど、愛のある満たされた毎日

その日もいつもと何一つ変わらない一日だった。

しかし、その夜、全てが一変する出来事が起こった。

夫と同じベッドで寝ていると、寝返りをうった夫の手が私の胸に当たった。すると夫が「え?硬っ!」驚いた様子で声を上げた。

暫く自分の胸に意識が向いていなかった私は自分の胸を触り、全身から血の気が引き、突然得も言われぬ恐怖感が襲ってきた。

しこりが大きくなっている。。。」

私がもらした一言を聞いた夫の青ざめた顔が今でも印象に残っている。

夫はすぐに「明日会社を休むから、一緒に病院に行こう」と言ってくれた。

とにかく早くということもあったが、2年前にいった病院は割けるため、隣町の女性クリニックへ診断に行った。すると「確かにしこりがありますね。技師が3日後に来るのでエコー取りましょうか」

との回答。

しかし、今すぐにどうなっているか知りたい。不安が募りの募った私達夫婦は待つことができなかった。

乳がん専門医でなくてはわからないのでは?」と夫の意見採用し、インターネットで調べ最も近くにあった乳腺外科のある病院へ行った。

大学病院では当日は難しいため個人病院だった。

まずは触診。先生の無表情さが不安掻き立てる。その後針生検へ。これは正直かなりの痛みがあり、辛かった。

終了後、先生は「結果は一週間ほどで出ます検査結果によっては大きい病院を紹介する形になります。」と。

もはや1週間を待てる心理状態ではなかった。一刻もはやく白黒を知りたい。先生にお願いをして大学病院への紹介をすぐにもらった。

幸いにも大学病院ではすぐに乳腺外科の診断ができた。

視触診
マンモグラフィー
乳腺エコー
CT
血液検査
マントーム生検

これらの検査を一気に検査を行うことができた。これで自分乳がんなのかそうではないのか、ハッキリと分かる安心感はあった。

「これらの検査結果は来週に」と先生。

この一週間は今まで感じたことのない長さだった。

死への恐怖心
来ることが当たり前に思っていた未来が来ないかもしれない喪失感
気を使わせてしまっている夫、子どもたちへの罪悪感
不安なく健康暮らしている人たちへ理不尽嫉妬心
色々な感情が目まぐるしく移り変わり心身ともに疲弊していた。

加えて、2年前、なぜしこりが気になった時点でもっと詳しく調べなかったのか、夫に相談しなかったのか、激しい後悔にも襲われた。

神さまはいないのか・・・

疲れ切った私たちにやってきた結果は優しいものではなかった。

「左胸に3cmの悪性腫瘍。99%の確率乳がん

診断結果を聞かされた瞬間、私は頭が真っ白になった。

先生が言っている言葉は聞こえるが頭に入ってこない。隣の夫も呆然としていた。同じ状態だったのだろう。

何も考えられない、何も声発せない状態が3分は続いただろうか。

我を取り戻した私は、

「どうすれば治りますか」と先生に聞いていた。

結論は手術。

私は家族と一日でも長く幸せにくらしたい。その思いが人生の最優先だと強く認識した。

女性として葛藤もなかったと言えば嘘になるが、全摘選択した。

その日から長い闘病生活が始まった。

入院の前に待っているもの

医師から告知を受けると今度は身内や親しい人に話をする必要が出てくる。

まずは娘と息子に12歳の娘、10歳の息子。

ともに私が大変な状況にあることは理解してくれたようで、神妙な顔つきをしていた。こんな状況だが「泣いたり喚いたりせず立派だな」と成長を感じ少し嬉しい気持ちもあった。

次に両親へ説明をした。福岡に住んでいるのでまずは電話で話をした。母が出た。

母とは昔から何でも話し合える仲だ。あまり回りくどく説明しても仕方がないと思い、率直に「乳がんになった。手術をする」と伝えた。

母は言葉を失い、暫く無言が続いたあと母自身を責めた。

「ごめんね・・・、ごめんね・・・、ごめんね・・・

と私に声をつまらせながら何度も何度も謝った。

親の前ではやはり自分子供に還るのだろうか、今まで必死に堪えていた恐怖心や悔しさ、絶望感があふれ、私も涙が止まらなくなった。

でも悲しみのスパイラルに入るわけにはいかない。

絶対に治すから

できるだけ不安を与えないように力を込めてシンプルに伝えた。

友人関係の難しさ、心無い一言、ひび割れ関係

仲の良い友人にも伝えておく必要があると私は考えた。

私のこの考えは安易だったのだろう、結果闘病前に友人関係で心のダメージを負うことになった。

仲が良いと思っていた主婦仲間、ママ友に告知をすると

「大変ね~、大丈夫??本当に心配だわ」

という反応。

「え?それだけ?」

特に親身になって欲しいとかそういうわけじゃない。何が欲しいのかもわからないけど、何か嫌だ。そんなダダっ子みたいな自分も嫌になった。

更に追い打ちを掛けたのは「親友」だった。

中学校からの友人、由美とは今でも週に一度は会う仲で、何でも話せる間柄。

私と由美はまるで姉妹のように、同じような進路を辿り、同じようなレベル男性結婚し、同じように幸せな家庭を育んでいった。

から進路の話、異性の話、結婚してからはお互いの家庭の話、旦那愚痴家族ぐるみでも付き合える最高の友人だった。

由美になら何でも話せる。親兄弟よりも私の気持ちをわかって親身に寄り添ってくれるそんな勝手な期待をしてしまったのだろう。

由美にも率直に

乳がんになった。これから長い治療に入る。手術は正直こわいけど頑張る」

と伝えた。

ただ、由美にだけは同じ女性、同世代ゆえに全摘によって片胸が失われることに関しての悲しさがあるという話をした。

するとA子は

「なにも腕や足がなくなるわけじゃないんだから胸くらい良いじゃない。」

と言い放った。

彼女は明るい性格だ。彼女なりに私を励まそうとしたのかもしれない。

死を意識する日々、あまりに多くのものを失っていく毎日、私があらゆるものに敏感になりすぎていたのかもしれない。

ただ、この一言はどうしても受け入れることができなかった。

私が置かれていた状況は私の平常心を奪っていたんだろう。滅多に感情的になることがなかった私が怒りを抑えきれず、由美に対して激しい言葉をぶつけてしまった。

これまで長年にわたり育んできた暖かな友情に大きなヒビが入ってしまった。乳がんはまた一つ私から大切なものを奪ってしまった。

遂に手術

家族不安、両親の涙、友人との離別、多くのネガティブ感情を抱えながら私は手術に挑む。

スケジュールが出た。

手術は診断結果が出た日から20日後に決定。全摘選択したために術前の化学療法はなし。

手術2日前から入院となった。前日から食事も取れない。当日は朝から各種検査を行い以異常がなければ全身麻酔をして手術開始。目を覚ませば手術が終わっている。

手術は予定よりも2時間遅れて終了。遅れた理由リンパ節への転移が見られたから。麻酔が切れて朦朧とした中で、病室で夫がずっと手を握ってくれていたことは記憶の中にうっすらと残っている。

乳がんが発覚し自分の信じていた世界が全て崩れてしまったと思っていた。

でも夫だけはどんな状態の私も暖かく包んでくれていた。こんな時だからこそ夫の愛情を強く感じることができた。手術が終わった安堵感と、愛を感じられたことによる充足感か、そのまま深い眠りに就いた。

翌朝の目覚めは心地よかった。起きたら包帯でぐるぐる巻きだ。まあ夢ではない。現実だ。左のおっぱいないよなー。と思って触ってみるとやはり・・・ない。

わかっていたけど、現実を突きつけられると涙がこぼれた。

術後に体内にたまるリンパ液や血液を出すためのドレーン管が二本入ってたが。ここから液がでなくなれば退院だ。

7日後、遂に退院が出来た。退院時の値段は50万円だった。私はがん保険には入っていなかったので正直この金額は厳しいものがあった。備えあれば憂い無し。

そんな言葉が頭をよぎったが、今は無事に退院ができたことの喜びの方が勝っていた。

抗がん剤治療・・・これから始まる本当の治療

左の胸がなくなってしまったことへの喪失感はあった。お風呂に入るときなど自分身体から目を背けたくなる時期もあった。

でも、疑似おっぱいの性能が以外と良く、服の上からでは見た目にわからない状態になった。そこからはだいぶ気分が楽になった。

気分は元に戻ってきたが、治療はまだ終わりではない、手術から30日経過した時点で今度は抗癌剤治療が始まった。

期間は3週間を1クールとして、8クール複数抗がん剤を組み合わせての実施

抗癌剤治療と言えば、ドラマでも度々その様子が描かれる。そのためわずかに恐怖心があった。でも生きるため。

ここでも家族存在が私の心を強く支えてくれた。

抗がん剤治療想像していたよりはキツくはなかった。最初の一週間は特に異変もなかったけど、8日目辺りから吐き気貧血が出始めた。割りと調子が良くなってきた17日後に遂に髪の毛は完全に抜けてしまった。「あー、やっぱこうなるのねー」と思った。

覚悟は出来ていたので、思っていたよりはショックは少なかった。

クール目は特に問題なく過ごすことができた。まあ抗がん剤の点滴の際は気が重いくらいかな。

クール目に入る前にはかなり抜け落ちてきた髪が目立つので、ウィッグを買いに行った。季節をまたいでの治療なので冬用と夏用を両方買った。

それにしてもケアグッズも高い。

まり大きな声で言う人はいないと思うが、乳がん治療以外にかかる金銭負担も大きい。

クール目に差し掛かる頃には髪の毛は全て抜け落ちた。髪だけでなくまつげ、眉毛、体毛全てが抜け落ちた。顔色も悪く自分を鏡で見るのがちょっときつくなった。

いつも看病してくれる。夫も私の姿をみてどう思っているのかな。。。と少し気になる時期だった。

こうして、長かった化学療法も遂に8週で無事に終わりを迎えることができた。もう吐き気に悩まされることもないと思うとかなり気が楽になった。

楽しい時期は2ヶ月なんてあっという間だが、治療となると1年間のような長さに感じる。

抜け落ちた髪も徐々に生えてきて、昔に戻れるのかな-と淡い期待を抱かせてくれた。

化学療法を無事に終えた私は最後治療放射線治療に入ることになる。

永遠に続くと思われた治療・・・遂に・・・

放射線治療は、全部で30回。毎日通院が必要で、一ヶ月半ほど平日は病院通いが必要になった。経済的負担も引き続き大きかったが、仕事の調整をして一緒に通院してくれた夫に負担をかけているという罪悪感も多くあった。

放射線治療にも副作用がある。軽い火傷のような症状だ。熱い、かゆい、痛い。放射線を当てている患部は赤黒くなってしまい、見るからに痛々しい感じだ。

ただ化学療法と違い体外的な副作用しかなかったので、辛さで言えば全然問題なかった。

手術をしてから半年が過ぎて、ようやく私の乳がん治療は全て終了した。

毎日毎日通った病院乳がん発見してもらった病院にそのままお世話になって本当に良かったと思う。

検査ときは無表情で怖かった先生も病に真剣に向き合って時には優しく、時にはハッキリと私が不安にならないように、また過剰な期待を抱かないように上手に説明をしてくれた。

この先生に出会えたことは私の幸運だったと思う。

お陰で私は現実と向き合い、治療目的を正確に理解しながら集中して治療を受けることができた。先生本当にありがとう

「これでがんは完治」

そう言えればどれだけ幸せだろうか。

がんとの戦いはここからが始まりといってもいいかもしれない。

一般的ながんは5年再発しなければ完治と呼ばれるが、乳がんは10年後20年後も再発の恐れがあるために、ほぼ一生に渡って再発の恐怖との戦いになる。

「一生がんに怯えて生きていく」

こんな人生を送ることはまっぴらごめんだ。

「がんをうまく扱って生きていく。」

家族献身的な支え。そして我慢我慢を重ねた闘病生活

そのなかで私の心は強くなっていた。がんを再発させないように生活改善していけばいいじゃないか。そうポジティブに捉えることができるようになっていた。

最初からこの心があればなぁと今では思うけど、

乳がんによって手に入れられたこともあるのかなと思うと、最悪なことばかりではないかと思った。

がんで失ったものを取り戻す旅

手術が終わって一年が経った。本当に激動の一年だった。

今の私の生活はどうなっているか

幸いといっていいかな。見た目以外は正直、乳がんが発覚する前とあまり変わらない状態だ。

リンパ節を取った左手は、日常生活にはなにも支障はない。

抗がん剤副作用だった爪の異常や関節の痛みも治まった。

ただ髪の毛はやはりなかなか生えてこずまだ5cmほどしかない。出かける時、来客のとき帽子を被るようにしている。

左胸がないことにはさすがにもう慣れてしまった。残念に思うのは大好きだった温泉に行きたくなくなっちゃったことかな。

胸のコンプレックスが薄くなった今なら親友言葉も笑った受け流すことができたのになーと思うと少し心が痛む。

変わった事と言えば、食生活生活習慣が改善したこと。

以前は特にお肉が大好きでカロリーは紀にしながらも好きなものを食べていたけれど、今は野菜を中心とした食事抗酸化作用の高い食品をメインにしている。

そのおかげもあってか、再発は今のところなく、検査結果も良好。適度な通院も生活リズムを整える意味で意外と気に入っている。

家族との結束は乳がんによって以前より固まった気がする。長女は14歳になったが私の身体を察してか、家事積極的に手伝ってくれるし、反抗期の気配もない。12歳になった長男もだいぶ私を労って自分のことを自分でやるようになった。時々一緒にお風呂に入るが胸のことには触れてこない。なかなか優しいやつだ。モテる男になるかも。

夫は病気の前から優しい人ではあったが以前に比べて、私を心の底からいたわってくれている。先週末、酔って帰ってきた時に話していたが、乳がん告知の際、私を失うかもしれないと思った時に本当の愛が溢れてきたそうだ。

先日からかったら、覚えていないと本人は言うが、どうだかは知らない。

親友との関係は残念ながらまだ修復には至っていない。先日スーパーで顔を合わせたが会釈程度で終わってしまった。今の精神状態なら素直に私から謝ることができる。彼女との関係修復は今の私の一番の課題だ。

こんな感じで意外と悪くない日常を過ごすことができている。

「私から全てを奪った乳がん

手術前後治療中は頭の中にはこの考えしかなかった。

でも、今こうして、振り返ると悪くないことも多いなと思うに至った。

あなたには絶対に「この後悔」はしてほしくない

どうしても後悔はある。それが今回私が体験談を語ろうと思った理由。いまでも本当に後悔していることは一つ。

乳がん発覚の2年前、最初に気になった時点で乳がん早期発見の機会を逃したこと。

もしここで、私の治療をしてくれた大学病院までたどり着くことができていたら・・・

早期発見というくくりの治療となり切除も再発のリスク存在しない状態治療が終わっていたと思う。

親友との離別も家族への過度な負担。これらも起こることはなかっただろう。

私の弱さゆえの判断ミス。これに尽きる。

10月1日ピンク色に染まった東京タワーを見た時にもっと深く乳がん自分ごととして考えられていればな-なんてことまで思ってしまう。

乳がん女性の12人に1人がなる病気と言われている。確率は高い。あなたもなる可能性が十分にある。正直発生自体を防ぐことは生活習慣などにもよるし、生活習慣を気をつけていても病気はいつ襲ってくるかわからない。

2017-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20170606151743

典型的リセット症候のある奴のやり口。そいつに嫌われたくないってビクビクするようになるから忘れな。

そういう奴って充実してそうで内側では嫉妬心でめちゃくちゃよ

2017-06-04

反省項目が分からない

しかしたら何か反省しなければいけないのかもしれない。

28歳になった。

友人の結婚式二次会帰りの電車で、親友から月末にハワイで挙式を挙げると聞いた。

呼ばれていない。

親友と思っていたのは自分だけだったのかもしれない。

大学時代はそれなりに悩みを分かち合い、楽しみを分け合った。遊ぶときの楽しさは他の友人とは比にならないほどだ。

新婦大学時代の友人だ。新婦の友人は呼ばれている。

なんだか親友との距離を感じた。もしかしたらもう友人ではないのかもしれない。

28歳にもなって卑屈な感情支配されたくない。

幸せになりたい。

28独身、数少ない友人を失う。

彼女候補すらいない田舎に帰る電車の中で、今までの人生を振り返ってみる。

人として何かが足りていなかったのかもしれない。

格好つけて悲劇映画主人公のふりをして色々な人間関係を浪費してきた。

失うものなんて何もないのに、何を守ろうとして変わらずにいるのだろうか。

暖かい人生を送りたかった。

結婚式に呼ぶ友人なんて私にはいない。

反省すべきことは何か。

この歳にもなって、受け入れがたい嫉妬心と未だに折り合いをつけられていない。

人間としての懐の深さが足りんのか。

追記

確かに新郎は友人を呼んでいないかもしれない。詳しくは聞けなかった。

しか新婦の友人もまた共通の友人であるが故に悔しいのかもしれない。

私も呼ばれたかった。

祝ってやりたかった。

今となっては独りよがりしかならない気持ちのやりばに困ってしまった。

伝えるわけにもいかないのでここで聞いてもらった。

ありがとう

2017-05-06

ボクっ娘三次元)に4日で振られた話

大学3年目の時の話

顔は結構好みだったが……

・付き合う前

飲み会でもたれかかってくる

別の飲み会肩に頭を乗せてくる

メールのやり取りが多い

恋愛関係相談をしたがっている(少なくとも思わせぶり)

「付き合っている人いるの?」というこちらから質問に対し、「そんなのもういらない」とかいうズレた返答


・付き合う直前~1日め

相談したいけど、相談したくないなど言ってくる

「声だけでも聞きたい」とかい童貞殺しのメール

バイト後に増田の家で会うことになる

「これ話して嫌いになったらそう言ってくれていいから。そのまま消えるから……」とかい意味深セリフ

過去話1 高校の時

付き合っていた人がいたらしい

別れたらしい

毎週日曜日にその元カレに家に呼び出されていたらしい(意味カンネ)

毎回レイプされていたらしい(じゃあ行くなよ)

汚らわしい自分が嫌で眠れない日が続いたらしい、眠れて1時間だとか

鬱になってどうしようもないらしい

過去話2 大学1年目から今まで

仲のいい友達が出来たらしい

好きな人が出来たらしい

その二人が付き合い始めたらしい

好きな人と二人きりになったとき、迫ってみたらしい

セフレ関係になったらしい

仲のいい友達には言えないらしい

鬱になってどうしようもないらしい

・今の話

彼氏がいるらしい(上のやつとは別)

嫉妬が凄いらしい

どうしようもないらしい

Aという男(増田とも知り合い)が自分に惚れていて、話を聞いてくれようとしているのだけど、自分にとってAはそういう存在ではないので断っているらしい


どうすることも出来ないので、童貞増田はその場で抱きしめて、交際を始めることにした。

その時の彼氏から「ちゃんと振って欲しい」というメールが来たので、彼女電話で「別れてください」と言っていた。

なだめてその日は寝た。他にもいろんな話をしたけれども省略。一切脱がしてはいない。

一人称も相まってこれなんてエロゲ状態ではあるが、エロはない



・2日め

確か金曜日

講義が終わって、せっかくなので会ってみたいと思った増田メールをして、相手の家に行くことに

色々と話をする

酒も飲む

増田は親にボロクソの扱いだった(母子家庭母親男漁りしまくっていたり、父方に引き取られてから再婚相手虐待を受けた)ので、出来ればちゃんと自分を見てほしいと言う

わざとらしく他の男の話を振りまくってくるので、止めて欲しいと伝える

メールしまくっている

突然、「Aが来るって!」と言う(意味カンネ)

Aが来る

増田がベッドに座っていて、Aと彼女が隣り合って床に座っている

意味がわからなくて、親のことを思い出して嫉妬心から酒を浴びる増田

泥酔した


・3日め

翌朝、Aは帰っていた

相手部活だというから増田も帰る


・4日め

会ってくれない


・5日め

確か月曜日

講義に出てこない

昼頃にメールが来る「別れてください」とか「増田嫉妬心は辛かった」とか書いてある

付き合ってから振られるまで約90時間(4日未満)

完全に見捨てられて、親とのことも含めて諸々の思い出がフラッシュバックして、発作的な過呼吸がこれから数年かけて起こる


・その後

SNSモテ自慢を繰り返す女

当時流行っていたバトンで「今気になっている人 ○○(みんなが期待する意味で)」などという投稿をする

発作が酷くてSNS友達関係を切る(振られてから1ヶ月程度)

運悪く同じ専攻だったのでその後も卒業まで地獄

専攻のメーリングリストで「誰か、家で寝ている彼氏を起こして、私の書類事務に届けてくれませんか?」とか訳の分からんことを送ってくる。知るか、テメーが起こせ。

ちなみに2日めのときAには「助けて」とメールを送って呼んだらしい

Aが他の女と仲良くなったとき、その相手に「Aと付き合ってるの?」と凄んだらしい(結局その後Aとその相手は付き合う)お前も嫉妬してんじゃん

同じ専攻の人達に「何かあった?」と聞かれると、「レイプされかけて……」と言っていたらしい(女性の仲いい人から聞いた)

でも、大半の人は「まーたあいつが何か言ってるよ」「男関係でどんだけトラブル起こしてんだ」って感じだったらしい(女性の仲いい人から聞いた)

レイプされただの、友達彼氏セフレ関係にあっただのという割には増田セックス出来なかった(会えた2日で別に迫ってはいない。避妊具持ってなかったし)


何だったんだろう、こいつ

俺も大概だけど、初回でこんなんに引っかかって、しばらく恋愛が怖くてしょうがなかった

俺、前世で何かした?

2017-05-01

クリエイター職の待遇改善されない理由


人間多数決というやつが大好きで、頭の足りない人間は数をかき集めて賢しい人間社会的にはたき落とし、

そうすることでしか満たされない自己承認欲求生存戦略を満たし続けるわけだが、要はこれが極まった現代社会では無理という話である


アニメーター日本において人間扱いされない。やりがいではメシを食えないということが忘れられている。

あまりにも有名な話なので、アニメーターにおける例はまあ語らずともという感じだろう。

CD売上に対する作詞作曲家マージンはよくて10%、普通は5~6%が目安だ。

残りのすべては小売・広告制作レコード会社が暴利とも言える勢いで持っていく。

広告代理店下請けとなったデザイナー動画制作、末端のアシスタントディレクターなど、

その辺りの闇も同様に深い。学生時代バイト先に派遣されてきた元テレ業界末端の方の話がいまも忘れられない。


娯楽関連に限らず、後付された仕組みや制度によって辛酸ぶっかけられているような製造業

たとえば農家の方々やら下請け工場IT業界関連も広く捉えればこの例にあてはまるだろう。

とにかくどこを見ても、損をしているのは「一次生産を担う末端の人間である


アニメーター問題にはこれまた様々な対策や、どうにかしろという風潮はあるものの、

少なからず向こう30~40年は解決することは絶対に無理であろうと見ている。

社会構成人員が総入れ替えされなければ達し得ない、そんな目標であるからだ。


ここで、「きっと何者にもなれない人々たち」の話をする。

特別な才能を持たず、一般的な家庭に生まれ幸運にも恵まれず平均水準の環境で育った人々のことを指す。

他国は知らないが、日本国内においてはこの種類の人々は年々増加し、おそらく現代は9割がこれにあたるだろう。

筆者もまたこの部類に属する、「きっと何者にもなれない人々」である


現代社会というのは、「新しい価値創造提供できる人間」が継続的に現れないと立ち行かない。

これは「運命に愛された人々」で、優れた才能を持ち、裕福な家庭に生まれ幸運にも恵まれ高水準の環境で育った人のことを指す。

必ずしも裕福である必要はなくて、要は能力値が120/100くらいになるという結果があれば条件を満たすところだ(貧乏家庭から出世)。


こうした種類の人々はぽつぽつと存在していて、決してそこまで珍しいものではないと言える。

その辺の人を10人並べれば1人はいるくらいの割合だ。真に傑出している人物もっと少ないだろうが。


そして現代社会というのは、この「運命に愛された人々」によって支えられている割合と、

その重要であるはずの彼らに対しての報酬バランスが崩れている――という話である


一次生産は誰にでもできることではない。彼らの仕事を見ていると本当に感服するし、

尊敬せざるを得ない人間性を抱えている方も多いし、自分とは違う領域に住んでいると実感することも多い。

自らの意志ねじ曲げることができず、不器用ではあると思うが、それでも圧倒的に「強い」人間なのだ


そんな彼らがなぜ迫害とも言える攻撃力で、社会的に低い身分に甘んじなければならないのか?

簡単な話である。そうしなければ「きっと何者にもなれない人々」は満足に生きていけないからだ。

なぜそのような雑魚風情が「運命に愛された人々」を差別できるのかというと、これも単純で、

数の暴力がいとも容易く通用してしま人口構成比だからである


アニメ業界を例にあげて考えてみよう。

日本動画の線が引ける人間というのは、おそらく製作委員会構成する会社それぞれが抱える、

社員全員とその家族の総数よりも圧倒的に少ないだろう。この時点で容易に想像できるが、

原画を描ける人間さらに少なく、作監クラスさらに、一握りである監督を務められるような

すばらしいセンスを持った人間は、その辺の駅にいる通勤ラッシュ構成する人々よりはるかに少ないはずだ。


単純に考えて、アニメーター監督という「運命に愛された人々」は、

製作委員会にいる無数の「きっと何者にもなれない人々」を少数で全員支えていると言っても過言ではない。

なぜなら、優れたアニメーターたちがいなければ製作委員会以下の社員たちは稼ぎを失って死ぬからだ。


アニメーターたちは「線を引いてアニメを作る」という仕事価値よりも、

「彼らでなければ生み出せない」という希少価値製作委員会提供していると言える。

この唯一無二性はもっと評価されるべきであり、しか社会はここから目を背け、

運命に愛された人々」に対して尋常ではない差別を平然と行っている。


かい理屈を抜きにして考えれば、アニメーター製作委員会利益を7:3くらいで折半すべきで、

これは左右の総数に差があろうとも適用されるべき比率であると思う。彼らの仕事は代え難いもので、

アニメーター(500人):製作委員会10000人)であっても正当な理屈であると考える。

しか現実社会はそれで回らない。それは低賃金化で生活レベルの維持が困難になるとかではなく、

単純に人間が持つ「劣等感」や「嫉妬心」などによって、この7:3は維持が不可能からである


である製作委員会側に属する人間圧倒的多数で、その中にはご存知のとおりどうしようもないダメ人間

おそらく2割くらいは含有されていて、彼らがまず率先して大きな声をあげる。

卑怯である」と。「あいつらは好きなことをしてメシを食っている」と、「自分たち差別している」と。

ダメ人間である自分社会にどれだけの価値提供できるかなど考えず、感情で彼らはアニメーターを殴る。

しかし、ここで製作委員会側に属する8割の人間は、そのダメ人間を止めることはしないのだ。

彼らのなかにも同様の心理がある。「卑怯である」と、「自分たち差別している」と。

価値創造できないことの何が悪いのかと、この時点で、己の怠惰を棚にあげて内心で「差別」が始まっているのだ。


この不当な差別は、500:10000という圧倒的大差による数の暴力通用しまかり通ることで増長してきた。

安く買い叩かれ続けて20年30年、現代では立派な「常識」としてこの差別根付いてしまっている。

手塚治虫がなんとかという話もあるが、それは「きっかけとなるひとつの隙」でしかないと言っていいだろう。


作曲家に関しても同じことが言える。バラエティ番組全盛の1970~80年代というのは、

本当に有能なごく一部の作曲家が大量の案件を安く引き受け、一件ごとの単価を引き下げていた。

その頃は生楽器による演奏音楽主体であったため、アカデミック知識センスを併せ持つ、

打ち込み全盛である現代とは一線を画する、優れた能力を持った作曲家けが仕事を得ることが出来た。

その結果として「きっかけとなるひとつの隙」が与えられ、やがて現代マージンに収まっていく。



別に、何も「運命に愛された人々」に常に7割のマージンを与えろという話ではない。

現在のままでは、彼らに対するリスペクトがあまりにも低く、報酬水準も0.1:9.9くらいのものであり、

これはさすがにおかしすぎるという話である仕事必要能力給料が合っていない例として、

一時期どこかの美術館での募集話題になったことがある。そのときは「人脈が」「経験が」と言われていたが、

そんな「社会的価値」を生み出したのは他でもない「きっと何者にもなれない人々」の醜い嫉妬心であり、

ここに搾取構造があるという大前提完璧に見落としているから、あの件はそこそこ話題になったのである


日本では、何かを作ることで大富豪になった人間小室哲哉くらいなのではないかと思う。

それ以外の人間は、「きっと何者にもなれない人々」が「きっと何者にもなれない人々」のために作った、

まりにも無能であるゆえに複雑怪奇と化している社会的システムを利用したごく一部の人である

彼らは何も作り出すことは出来やしない。事実がどうあれ、どうしようもないほど不快存在だと思ってしまう。



自分たち「きっと何者にもなれない人々」は、「運命に愛された人々」をもっと尊重しなければいけない。

嫉妬心劣等感から彼らを差別するのではなく、少しづつでいいから、彼らに対するリスペクトを醸成して、

世代が入れ替わるごとに新しい価値観をなんとか育て続けなければいけない。現代社会で育ちきってしまった、

変化を極端に忌み嫌う現代大人などに期待できることは何もない。若手が変えていかなければいけないのだ。



そのための啓蒙となっている現象は、ツイッターをはじめインターネットでよく起こっていると思う。

運命に愛された人々」のすごさを、捻じ曲げずに直接触れることができるのだ。

これからに期待してはいけない、ということはないと思う。






GWなので日々思っていたことをクソ長文にして吐き出した。これで休める。

2017-04-10

嫉妬は平均化か~

何となくNHK教育の「100分で名著」っていう番組みてたんだけど衝撃だったわ。

人生ノートっていう本を読み解いてて、その本は自分とか人生の色々に対する考え方?を書いてる本みたいだけど

その中で「嫉妬」を説明してた。

嫉妬は平均化を望む心だそうな!

自分よりすごい人、自分より幸せな人を自分と同じレベルにしたいという。

自分が上に上がるのはエネルギーがいるし自分を変える必要があるから、周りが自分に合わせるのを求めるとか。

最悪じゃん!!!

私は自分よりすごい人への嫉妬心がかなりあって、この黒い感情いらないな~何で発生するのかな~って思ってたんだけど、

その内訳が平均化とか努力したくない事とか、自分が大嫌いな考えで構成されてると聞いて驚愕した。

私はコミュ障で、人と同じようにできないから、

多様化というかどんな人がいてもいいよねと思ってたんだけど、

その実みんな自分と同じになれと思ってたのか。

いや~目から鱗だった。

嫉妬感情が大嫌いだったけど、これで手放せるかもしれない。

とりあえず人生ノートを買ったから読んでみようと思う。

2017-04-07

男性カップル養子の件

「親が特殊属性だと子供いじめられる」とか話題になってるけど

いじめなんて「理由」なんざ殆ど無いんだよ。

いじめようとしたやつが適当こじつけただけだろ。

模範的な課程に育った模範的人間だってちょっとやそっとのことでいじめられっこになりうるだろうが。

そうまでは行かなくても、よく語られるようなあからさまないじめられっ子要素なんてなくてもいじめなんざ起こりうるわ。

典型的な「いじめられる要素」がなければいじめられないみたいな思想は辞めて欲しい。

いじめなんてのは完全に「いじめる側の都合」で決まるものなんだから

こういう要素があるといじめられるから、そういう要素のある子どもが出来ないようにしようなんてのはおかしいだろ。

いじめるほうがおかしいんだろうが。

金持ちだと嫉妬心からいじめられるかもしれん。貧乏だと馬鹿にされていじめられるかもしれん。

じゃあ金持ち子供もつな、貧乏だと子供持つな、って言えるのか?

言えたとしても、きりがないから全員子供持てなくなるぞ。


同性愛養子だろうがなんだろうが

いじめが起きたらいじめたやつが完全に悪い

のであって、なんでいじめっこ様にご配慮せねばみたいなことになるんだよ。

いじめっこがお気に召さなそうだって忖度してんのかっての。

どんだけいじめっこが偉いんだよ。

いじめっ子様は特別なご身分で、そのお考えを忖度して先回りで

気に食わなさそうな属性はなくしてくべきだとでも言うのか?

そんな身分制度許されるのか?

こう考えてみると、まさにカースト的だなあと思った。スクールカーストという言葉があるのもすごく納得できる。

2017-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20170325072453

外車乗りたいけど色々高くつくからなぁ。

経済的には日本車コンパクトカーあたりに落ち着いちゃう

そういう嫉妬心ほとんどじゃないの?

少なくともおれはそう。

2017-03-03

底辺嫉妬心理解してない上位層に、嫉妬心存在するという事実を叩きつけたとして

そもそも理解してもらえるものなのだろうかなどと。

2017-02-23

執着の終着

やっと執着が終わった。

3年間、苦しめてごめん。

あなたに執着してごめん。

嫌な思いをさせてごめん。

負の気持ちを執着させてごめん。

そして好きと言う気持ちを教えてくれてありがとう

あなたから卒業するから、お互い自由になろう。

多分あなたは気付いているかもしれないけど、

違う人を好きになりました。

もう2度と、嫉妬心から喧嘩はしない。

好きな人に好きな気持ちは素直に伝える。

この事を学ばせてくれてありがとう

ありがとう

あなた幸せを祈ってるよ。

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