はてなキーワード: オアシスとは
本当に必死で生きたいなら、自動車が不要なように、老人がある地域に集中して住めば良いだけなんだけどね
砂漠ならオアシス周辺に集まって暮らせって発想なだけなんだけど、それを自分の意思でしないのは自殺ってだけ
飢えて死ぬというなら、どうぞ飢えて死んでください、もしくは死んだ事例を見せてください
そういう努力も全く無しに、自分のわがままで人と離れて暮らすために自動車が必要って言い訳して人殺すのは傲慢の極み
だいたい自動車事故起こすなら、地元で崖から自動車ごと落下して死ねば良いだけだろ?
必ず他の土地に来て、小さな子供に向かって突っ込む例しかないのな
たまには黒塗りの高級車に突っ込む奴がいてもおかしくないのにな、都合良すぎだろ
本当に必死で生きたいなら、自動車が不要なように、老人がある地域に集中して住めば良いだけなんだけどね
砂漠ならオアシス周辺に集まって暮らせって発想なだけなんだけど、それを自分の意思でしないのは自殺ってだけ
飢えて死ぬというなら、どうぞ飢えて死んでください、もしくは死んだ事例を見せてください
そういう努力も全く無しに、自分のわがままで人と離れて暮らすために自動車が必要って言い訳して人殺すのは傲慢の極み
だいたい自動車事故起こすなら、地元で崖から自動車ごと落下して死ねば良いだけだろ?
必ず他の土地に来て、小さな子供に向かって突っ込む例しかないのな
たまには黒塗りの高級車に突っ込む奴がいてもおかしくないのにな、都合良すぎだろ
本当に必死で生きたいなら、自動車が不要なように、老人がある地域に集中して住めば良いだけなんだけどね
砂漠ならオアシス周辺に集まって暮らせって発想なだけなんだけど、それを自分の意思でしないのは自殺ってだけ
飢えて死ぬというなら、どうぞ飢えて死んでください、もしくは死んだ事例を見せてください
そういう努力も全く無しに、自分のわがままで人と離れて暮らすために自動車が必要って言い訳して人殺すのは傲慢の極み
だいたい自動車事故起こすなら、地元で崖から自動車ごと落下して死ねば良いだけだろ?
必ず他の土地に来て、小さな子供に向かって突っ込む例しかないのな
たまには黒塗りの高級車に突っ込む奴がいてもおかしくないのにな、都合良すぎだろ
本当に必死で生きたいなら、自動車が不要なように、老人がある地域に集中して住めば良いだけなんだけどね
砂漠ならオアシス周辺に集まって暮らせって発想なだけなんだけど、それを自分の意思でしないのは自殺ってだけ
飢えて死ぬというなら、どうぞ飢えて死んでください、もしくは死んだ事例を見せてください
そういう努力も全く無しに、自分のわがままで人と離れて暮らすために自動車が必要って言い訳して人殺すのは傲慢の極み
だいたい自動車事故起こすなら、地元で崖から自動車ごと落下して死ねば良いだけだろ?
必ず他の土地に来て、小さな子供に向かって突っ込む例しかないのな
たまには黒塗りの高級車に突っ込む奴がいてもおかしくないのにな、都合良すぎだろ
本当に必死で生きたいなら、自動車が不要なように、老人がある地域に集中して住めば良いだけなんだけどね
砂漠ならオアシス周辺に集まって暮らせって発想なだけなんだけど、それを自分の意思でしないのは自殺ってだけ
飢えて死ぬというなら、どうぞ飢えて死んでください、もしくは死んだ事例を見せてください
そういう努力も全く無しに、自分のわがままで人と離れて暮らすために自動車が必要って言い訳して人殺すのは傲慢の極み
だいたい自動車事故起こすなら、地元で崖から自動車ごと落下して死ねば良いだけだろ?
必ず他の土地に来て、小さな子供に向かって突っ込む例しかないのな
たまには黒塗りの高級車に突っ込む奴がいてもおかしくないのにな、都合良すぎだろ
まあ7年も経ってるし時効といえば時効だけどさあ、俺も今まで忘れてて、そんな事あったなあって思い出して笑ってるけど
https://w.atwiki.jp/kantiru/pages/15.html
雪風が大好きな提督兼本スレ住民だった俺は次スレが立つたびに、戦闘妖精雪風のAAを10レス以内に貼るキチガイじみた所業を行っていたから糾弾する権利は無いかもしれねえけどさ
やっぱこれ思い出すと同情的にはどうしてもなれねえわけよ。
艦これユーザーが少なくなっている中、艦これのために色々やっている言っても俺は同情できない。
とはいえそこまで怒っているわけではない。今まで忘れていたぐらいだし。今後については人に迷惑かけない範囲でまあその頑張れよって感じだ。
俺がとにかく怒ってんのはブクマカに対してなんだよな。
何も知らねえくせに「ありがとう」だとか、「艦これ愛を感じるだとか」「まとめは悪じゃない」みたいなこと書いてる奴らに対して俺はキレ散らかしてる。
いっちょ前に知ったかぶりしやがってよ…。「艦これ知らないけどやってないけど」じゃねえんだよ。
俺は当時、この騒動の被害を受けたから怒り心頭ですよ。何も知らねえブクマカどもが本スレ荒れた原因の一人に対してこんなこと言ってんだぜ。
艦これ本スレでらん豚がこのまとめに対して延々とレス垂れ流し続ける状態に追い込んだのは田中とこいつが転載していたせいだ。
居心地がよかったオアシスはなくなり俺は呉鎮の鯖別スレへ流れたわけだよ。呉鎮スレは流れが遅くて性には合わなかった。
まあとにかくブクマカ共はクソってこった。
『ほめのび』をご存知だろうか。
『ほめのび』とは、今やVTuber事務所の最大手となった『ホロライブ』に所属する白銀ノエルのオリジナル曲である。
彼女の可愛い歌声とキャッチーでポップな可愛らしい楽調、そして聴きごこちの良い歌詞が合わさったなんとも魅惑的な曲である。
そのような素敵な楽曲を聴けなくなってしまった理由について、このダイアリーで書かせていただきたい。他にこの感情を昇華する宛がなかったのだ。
私は20代後半の男性である。10代の頃よりさしたる人生の目標目的もなく、アクセスが容易であること、コンテンツの量が豊富で飽きないこと、などが理由でオタクコンテンツを消費してきた十数年来のオタクである。
しかし、私は私自身が摂取しているコンテンツについての知識などを深める執着心はなく、昨今取沙汰されている「オタクコンテンツは消費するがオタクですらない何か」といったほうが近いように感じる。
そんな私は2年くらい前にホロライブにハマった。
可愛い彼女らが常に話しかけてくれる姿、ゲームを楽しみながら実況し配信してくれる姿は無気力人間の私の暇つぶしにちょうどよかった。
さて、私は友達が少ない。学生時代にはつるむほどの仲の連中が数人居たが、卒業に際してそれぞれ異なる場所に住むようになり、時が経るに従い、少しずつ疎遠になっていく。
平日の労役が苦行の私にとって、休日はつかの間のオアシスである。休日は家で思う存分VTuberのライブやアーカイブを見る。それに飽きたら、一人でバイクに乗り、家の近隣を乗り回す。
バイクに乗っているときにかける曲はもちろんホロライブのオリジナル楽曲である。ここ1年でホロライブのオリジナル曲は爆発的に増え、追うこともなかなかままならないのだが、それはまた別の話。
例によって私は今日も一人でバイクに乗っていた。ホロライブのオリジナル曲をまとめた自前のプレイリストを流しながら。
そろそろ目的地としていた場所に到着するだろうかという時に、『ほめのび』が流れる。彼女の可愛らしい声に癒やされる。
しかしながら、私は彼女の可愛らしい声を聞いて深い悲しみに襲われた。
なぜなら、その可愛らしい歌声は当然ながら私のために用意されたものではないから。私が彼女をたまらなく愛しく思っても彼女は私のことを愛しいとは思ってくれないから。
そのような当たり前のことに対して改めて向かい合っただけで、どうしようもない無力感と辛さが襲ってきた。
気立てがよく他人の悪口は決して言わない彼女。お茶目で同じ時を過ごすだけで幸せな気持ちにしてくれる彼女は、しかし私のことを認識すらしてくれないのである。
仮に認識されたとして、その他大勢のファンのうちの1人なのだ。
では、お金を投げて強く認知してもらえれば私は「幸せ」だろうか。いや、私は幸せにならないだろう。私の持てるお金を全て投げたとしても、「たくさんお金を投げてくれる人」の一人になるだけなのだから。
彼女を独占したいという欲が自分から湧くことに驚き、自分に対して強い嫌悪感を抱いた。仮に独占したとして彼女を楽しませる器量の良さもないのに。彼女を幸せにできる根性もないのに。そもそも彼女はそれを望んでもいないだろうに。
私はファン失格だろう。推しの望まない感情を抱いてしまっているのだから。
自己嫌悪にさいなまれる中、旅の目的地に到着する。家族連れやカップル、友人グループであふれる近所の観光スポットを私は一人歩く。
現在20代女の私、生まれたときから父親はサバサバ、母親は娘かわいい。
当初は比較的家族仲もよく、ドライブにでかけることもしばしば。
小学生の時に時折「(人として)好きな人ランキング」をつけることがあったが、
母親は3位くらい。なぜなら基本かわいがってくれるけど時折怒るから。
他所の子である私のことは必ずかわいいかわいいしてくれたからねえ。
しかし、遅めの思春期が近づくにしたがって考えが変わってくる。
というより、もうこれからは自分でできることは自分でやれ、という感じだった。
母親は相変わらずかわいがってくれたし、色々世話もしてくれた。
私としては父親の干渉が少なくなったのはせいせいしたなあというくらいだった。
高校入学前の春休み、遊ぶ気満々だった自分が入学説明会でもらったのは、
「受験も終わったし、春休み一杯遊んで、入学したらバリバリ高校デビューだ!」という、
自分の甘い計画は崩れ去り、現実を受け入れられないまま課題はやり切れず放置。
もちろん成績はどん底に陥り、課題と成績のダブルで担任にどやされる日々。
担任は普段の圧力がウソのように、丁寧に優しく話をしてくださった。ケッ。
あと父親には後で成績表を見られてバレた。クソ叱られた。
後期で受かった隣県の駅弁に進学。これは高校の厳しい英語教育のおかげだった。
エリートコースを望んでいた父親には不満かと思ったが、特別何も言われなかった。
しかしここで何かが狂い始めた。
それ前提で受験したはずの自分は、片道2時間かけて通学する羽目に。
春期課題こそあるわけなかったものの、やはり大学デビューを計画していた私は、
友人のつてで現地のクソ楽なバイトも始めていた。
県外から通学している人も珍しくないので、そんなものかと思っていたけど、
一方で近くに一人暮らししている人が羨ましくて仕方なかった。
通学時間さえなければむしろ、定期券と家賃の差分くらい追加で稼げるのになあと思った。
リアルがそこそこ忙しくなりつつ、当時はやり始めたTwitterを通しての交友も広がった自分。
授業に出るのがダルすぎて自主休講し始める。いやそれだけなら計算づくでやってたからいい。
高校までは叩き起こされていたし、欠席しようものなら学校から連絡が来るだろう。
しかし大学では時間割がまばらな上に、先生も何も言わない。それがよくなかった。
寝過ごしによって必修の単位を落とし、とうとう留年が決まってしまった。
それはもう怒られた。それも母親に。留年分の学費は出せ、稼げるバイトをやれとどやされた。
震えながら片っ端から電話を掛けて、友人からブラックと聞いていた業種に飛び込んだ。
正直死ぬ気だった。当初のバイトからも手を引き、サークルからも自然消滅した。
半年間あまり授業を入れていない間に、大学の友人知人関係も消えてしまった。
こんな事情でブラックに飛び込むのも恥ずかしいと、ネット上の誰にも言えずアカウントも消した。
それなのに今更になってよく増田なんて書いてるねえ私。
もちろん留年なんてしたやつが悪い。両親に負担かけて申し訳ない限りだ。
母親に怒られたとさっき書いたけど、父親はショックを受けたのみだった。
春休みにひきこもる私に対しては、サバサバと、しかし優しい言葉をかけてくれた。
あれ?怒らないの?と思った。やらかしたら必ず怒られるものだと私は思っていた。
高校時代に放任主義になったせいもあるのだろうけど、父親の態度は軟化していた。
悪く言えばあきらめをつけられたのかもしれない。しかしそれでもありがたかった。
それでいて必要なことは色々と声をかけてくれる。連絡も事務的だった。
これからについて助言もしてくれる。相変わらずダメなことはダメと言ってくれる。
一つの原因は、高校入学時から私の体重が増えてきたことだった。
正直母親はスリムで美人だ。だからこそ私のことが許せなかったのだろう。
そのうち「お前みたいなデブは気持ち悪い。無理。」と言われ始めた。
当時理解できなかったのは、その「気持ち悪い」娘を普段はかわいがることだった。
私が朝起きたときの母親は、笑顔で娘をかわいがるか、しかめっ面で悪態をつくかの二択だった。
それが無意味な憶測であることに気付いたのは、私がハタチを過ぎてからだった。
以前のようなネット上の交友関係を捨てた自分は、かわりにまとめサイト等に目を通すようになる。
2chやらなにやらで男女間・夫婦間トラブルを扱うコンテンツを見始めた。
女性がまあまあバカにされるのは多少あれだったが、どちらかといえば確かに醜いなと思えた。
その中でもステレオイメージとして強かったのが、女はヒステリックな生き物という概念。
気に入らないことですぐギャーギャー言う、その機嫌に他人は振り回されるものだという認識。
思えば自分も昔はひどかったし、両親や周りの人には相当な迷惑をかけたことだろう。
しかしそれも子供時代の話。様々な人に触れていくにしたがって、私は自分の醜さを自覚しつつあった。
一方で母親のそれは悪化してきている。自覚があるのかどうかもわからない。
年を取るごとにしたがって、大人になるどころか子供に近づいているようなものだと思うと、
自分の中で一気に、母親という大人に対する失望が生まれ始めた。
顔を合わせるたびに態度が違うのも「機嫌ガチャ」だと認識できるようになった。
いやむしろただのガチャはない。だんだんと機嫌が悪い時のパターンが見えてきた。
朝から家事(という名の自己満足な模様替え)に追われているとき。
午後からパートが控えているとき。(とくに出かける前のアワアワは毎度のことだった)
その他大事な予定が控えているとき。(ひどいときは遊びの予定ですら予定時刻に焦っていた)
あともう一つあった。娘のことが心配なあまり悪夢を見たというとき。
自分は能天気なので悪夢はまず見ないが、悪夢を見たときのショックがあることは古い友人から聞いていた。
不安なあまりすがられるようなことがあったら自分も何とかしようと思えたかもしれない。
しかしそこで取る態度が「お前のせいで私が眠れない(怒」である。
愛想をつかしていた自分は内心(不眠症は病院行け)としか思えなかった。
というか後に実際に病院行ったらしい。うつ状態との診断をもらってきたとか。
でも「忙しくて薬もらいに行くのめんどくさいw」とか言ってきちんと通ってない。
そのくせ家の中は1か月ごとに模様替えされるのである。暇だなあ。
一方で、私は自分の中にトラウマがあるのではないかと疑い始めた。
遡ると小学生のときから、色々な大人から頭ごなしに怒られた経験がうっすら残っている。
このころにまず「誤解というのはとてもしんどいものだ」という経験則を得る。
それから母親にも一度だけ、わけもわからず怒られた経験があった。
普段の娘かわいいの態度からの豹変ぶりに、当時の私は戸惑うしかなかった。
「好きな人ランキング」で3位だったのは、この記憶があったからである。
おそらくこのころにはすでに「怒られると本能的に萎縮する」ようになってしまった。
そして怒られるのが怖い→隠蔽や逃亡の癖がつく→それがバレて怒られる→怒られるの怖い、
という負のスパイラルを、子供のうちに無自覚に起こしてしまっていた。
だから高校の時の担任が態度きつかったのは地獄に思えたが、しかしそのおかげで無事に卒業できた。
私は教師の怒りによって適切な方向にコントロールされていたのである。
それに気づいたのが、大学でさんざん落単してからのことであった。
当時の同級生から聞いた話によると、氏が担任を退いたあとに出会ったそうだが、
今のイチローのようにすっかり白髪交じりになった頭で、当時を穏やかに振り返っていたらしい。
彼は生徒のために厳しい態度を貫いたのであった。それを誰にも言い訳しなかった。
心を鬼にするというのはそういうことなのだろうと思った。
子供時代からわけのわからない怒りにおびえる私がそれを受けていたら?
トラウマを増幅されただけでなく、そもそも植え付けられた原因でもあるとしたら?
それを本人に言い出すこともできなかった。
落単を勘弁してもらえなかったのも私が先生に顔合わせる気にならなかったからだし、
自分のミスを申し出ることができずに被った不利益もたくさんあった。
もう面接に出る気力もなくなっていた。ただただ叱責が怖いばかりに。
このままではいけないと思った私は、少しでも自分で自分をコントロールしようと試みた。
怒られるのが怖いのは仕方ない。でもやらなきゃいけないことは覚悟を決めよう。
それよりも黙っていて、野放しにしていて被る不利益をきちんと計算しよう。
そうして徐々にではあるが、方向性を変えていけたような気がする。
ブラックと思って飛び込んだバイト先は、労基の指導でガラッと変わっていた。上司も同僚も優しかった。
大学もうまいこと授業を選んでなんとか通い終えた。学生の味方をしてくれる先生がありがたかった。
一回り上の友人の紹介という安心感を経て、新たな就職先も決まった。一人暮らしになるよう協力してくれた。
なにより古い友人は自分の不甲斐なさをそれとなく咎めつつ、それでいて優しく相談に乗ってくれた。
自称進学校を出たからこそ、合理的で頭のいい友人たちを持てたことは本当に感謝している。
いや、正確には切るつもりだった、が。
流石に恩が大きいのと、まあ娘が心配だから定期的に訪ねてくる。
当初は自分のテリトリーを侵害されて…と思った。実家時代からずっと思ってた。
しかしこの肉親とたまに会うだけの、コントロールから解き放たれた関係が、案外心地いい。
「あれだけウザかった両親と、離れて暮らしてみると意外と仲良くなれる」
「学生時代は反目しあっていた両親にも、今は会ってやりたいと思えている」
本当にその通りなのかもしれない。そして彼らはそれだけ大人であった。
ともかく今はあの頃のように一人胃を痛めることもなくなってきた。
仕事の理不尽は遠慮なく友人に愚痴れるしね。いやそうそうないけど。
むしろ一見アレな人にもこんな悩みがあるんだなって、社会人になってわかり始めている。
自分もようやく大人になりつつあるのかなと、恥ずかしながら思う。
あとあまり音沙汰ない父親にもどこかで何か言ってあげないと。彼らしいなあ。
ここまで書いてみると、やっぱり当時の自分はどれほど身勝手だったかとは思う。
これを読んだ人からもまたお叱りを頂戴するんだと思う。怖いなあ。
しかし一方で、当時の苦しみが偽物だったとも思わない
そしてその解決策が究極的には「離れること」だったことは間違いないと思ってる。
ニートだのひきこもりだの、毒親だの親ガチャだの、家庭内不和の話はいくらでも聞かれる。
もう既に、家族は無条件に仲良くするもの、できるものという認識でもなくなってきている気がする。
父親が失業からヒモ化したことがあって、一時期は離婚も考えたらしい。この子にしてこの親あり。
しばらくは両親が顔を合わせるたびに母親がきつく当たっていたが、
父親が祖母の介護で実家に移ってからは、たまに会うだけの関係になって比較的マシになった。
それでも夫婦としては冷めっぷりがひどく、まとめサイトと合わせて結婚というものに悪いイメージがついた。
今の私にも、結婚はおろか付き合ってもいいと思うほどの距離感の人はいない。
むしろ親友がイケメンすぎるので結婚したい。彼女も異性とは色々あって独身だ。
一回り上の友人に至ってはさんざん手のかかった奴にふと愛想つかしてバツ1である。
そんな自分もいずれはそれを考えるときがくるのかなあ。くるといいなあ。
自ら望んで距離を詰めた相手と不仲に陥るなんで皮肉だなあと思う。
ましてや、たまたま同じ一つ屋根の下に産んだ産まれただけの人間たちが仲良くできる保証なんてない。
誰が相手だろうと、人間関係において大事なのは適切な距離なんだと、ただただ痛感する日々である。
だから、一緒にいて心がしんどくなる人には、ソーシャルディスタンスをとるべき。
このほかにもH所持亜ヒ酸が,紙コップ亜ヒ酸のルーツではない事実がいくつも見つかっています.
Hの亜ヒ酸は同体積のメリケン粉などを良く混ぜ込んだものであって亜ヒ酸は低濃度でしたが,紙コップの亜ヒ酸は99%の純度でした.良く混合した低濃度の混合粉末を紙コップに汲んでも高濃度になることはあり得ません.
している 4-7). A,B , C,D ,E ,F のどの亜ヒ酸
を「本件青色紙コップ」に入れても,表 1 に示
すとおり,主成分ヒ素濃度の高純度化,デンプ
リウムの新たな出現などという,紙コップへ亜
和歌山カレー事件 「決め手」のヒ素鑑定に真逆の指摘 〈週刊朝日〉
自宅のヒ素と紙コップのヒ素は異なるものだという衝撃の結論を出した。同氏が注目したのは、ヒ素に含まれていた不純物のモリブデンや鉄の分量が、両者では明らかに違い、まったくの「別物」と結論づけたのだ。
【河合潤教授(京都大学)に聞く】和歌山カレー事件と『鑑定不正』連続研究会を開催【犯罪学研究センター】 | 龍谷大学 You, Unlimited
分析の際、X線が強く出る部分に鉛を貼っておくのですが、鉛のほうを測定してしまっており、さらにその誤りを選択励起、つまり故意に鉛をヒ素だとして鑑定したということを指摘しています。
刑事弁護オアシス ブックレビュー 『鑑定不正——カレーヒ素事件』
ttps://www.keiben-oasis.com/review/20210918
裁判の中で鑑定人たちは、殺人に使われたとされる凶器の亜ヒ酸と被告人関連の亜ヒ酸とが異なることを知っていた。彼らは、これらの亜ヒ酸が「同一」だと見せかけるため、濃度比を百万倍して対数(log)を計算して創作した図を作成した。
ttp://enzai-shikei.com/blog/479/
このプラスチック容器は台所の下の開き戸を開けばすぐ見える位置にあった。このプラスチック容器の発見までなぜ4日もかかったのかと。これだけの捜査員で朝から晩まで捜索して、最初の3日間でなぜ見つけることができなかったのかと。これには、非常に重大な疑惑が残る。過去の袴田事件の5点の衣類、狭山事件の万年筆に共通するような証拠のねつ造の疑いさえ残る内容だからである。
ttp://enzai-shikei.com/blog/497/
これについて誰でもすぐおかしいと思う点は、ヒ素の濃度である。つよい子はヒ素濃度49%であるが、これがプラスチック容器に入れられ、そして青色紙コップに入れられた段階でヒ素濃度が75%(亜ヒ酸濃度換算98.7%)にぐんと濃度がアップするのである。入れ物を入れ替えることで不純物が増える、つまりヒ素の濃度が低濃度になることはあり得るが、高濃度に変化するのは、これはさすがに科学的にあり得ない。
犯行時と思われる時刻、事件直後の証拠品収集時、そして現在と、紙コップの色が、ピンク→ブルー→クリームと変わっていることが分かります。
林真須美死刑囚の損害賠償請求は棄却 弁護団は「原告の主張をほぼ認めた判決」と成果強調
「結論として、刑事裁判の蒸し返しを認めるほどの〝害意〟がなければ不法行為責任は生じないとしたが、中井鑑定は全体的に不正確だと原告の主張をほぼ認めた判決。記者会見も名誉棄損を認めているが、3年の消滅時効が完成している」
和歌山カレー事件噂の深層東京大集会・彼女のことが嫌いでも、彼女の無実は知ってください - YouTube
和歌山カレー事件の鑑定ミスはなぜ起きたか - YouTube
●●●●記者が誇らしげに語る朝日新聞の「和歌山カレー事件新聞協会賞授賞記事」こそが実際は“誤報”であることについて|片岡健|note
ttps://note.com/ken_kataoka/n/n520cf378fdaf
ttps://mobile.twitter.com/wakayamacurry/status/1505527755504758792
朝日新聞社編集委員の処分決定 「報道倫理に反する」 公表前の誌面要求:朝日新聞デジタル
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/DA3S15259004.html
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/kenji_minemura/n/na8bcec8efb30
地方競馬の園田競馬場。馬場は良。天候は曇り。枯山水をなぞるように、1051mのダートコースが広大な砂漠に見えた。
バイトに入っていない日の大学生は暇で退屈である。何せ授業はオンデマンド。大学に行く必要も、時間通りに授業を受講する必要もない。大文字焼きの如く絨毯の上で燃え尽きていた午前11時過ぎの私に、一本の電話が入る。
「今日、競馬見に行くって言ってなかったっけ」「それは土曜日の話ではないのか」
「地方競馬は平日開催なんだよ」
別に後の予定もない。何も知らないままノコノコと競馬好きの友人に連れられて、阪急園田駅に辿り着く。
競馬場へ直通する無料送迎バスは平日にも関わらず満席近かった。古臭いバスにロクデなしを詰め込んで、街中のバス停を次々に通過していく。曇空も相まって、車内からはデスゲームの香りがした。
山中に連れられることは流石になく、100円の入場料を支払いマスコットキャラがお出迎え。お土産屋さんや屋台もあるのに、どこか雰囲気が澱んでいる。休日のひらかたパークが天道ならば、園田競馬場は地獄道に違いない。ホームレスの様な格好の老人達、明らかに営業をサボっているスーツ姿の男性。人間も修羅も畜生も餓鬼も超えた地獄がここにあった。
そんな地獄で、しまむらで買ったウマ娘のトートバッグを肩にかけた私は、カープ女子も青ざめる位に場違いな人間だった。園田競馬のダートコースを前にして、競馬の馬券の買い方も知らない。
競馬ファンからすれば、きっとオアシスとも呼べる競馬場。私はそこで、砂漠を見つめ立ちすくむ。
友人には悪いが、競馬に興味を持つ事は出来なさそうな予感がしてならない。
その手の露悪趣味を初めてメインストリームに持ち込んだのがビートたけし。
シェイクスピアを見てありきたりな展開の寄せ集めと言ったりするのと似てる。
そもそもの因果関係が逆なのよ。2chやtwitterがたけしの劣化コピーなわけ。
氾濫する劣化コピーを見慣れたせいで本家が古臭く見えてるだけ。
彼は賢いので、芸人として頭打ちになる前に芸術的な映画を作ってその地位を盤石にした。
ぶっちゃけて言えば、彼の役目は90年代後半くらいで終わったと思う。
今では彼自身が完全に権威化したので若者には陳腐に見えるだけ。