はてなキーワード: 依存症とは
趣味の一つであって
そんな崇高な話じゃないと思うけどな。
崇高とは誰も思わないよ
「浮気」相当の行動で受け入れられない人が大多数だよ
そんなのじゃないのかなあ?
完全に高校生に興味が固定されてるのもマズい
妻が泣いてて
止められない、止めようとしない
結婚に向いてないよね......
できるだけ一般的っぽく考えてみて、夫の行動・価値観が普通ではないのは間違い無いと思う。法に触れる触れないは別にして、倫理観はかなり自分の都合の良いようにネジ曲がっていて、性に対しては依存症に近いものがあるのではないかと思う。
また、そんな夫を許したり、矯正できるのではないかと思っている増田さんも、ナイーブなはずなのに一般的な常識からは結構かけ離れた懐の広さみたいなのを持ってしまっているように思う。
執着が生まれてしまっている関係の人には響かないのかもしれないけど、破滅的な状況ではないかと。
「許されるのか?」という問い方をしてもきっと救われない。
法的になのか、心情的になのか、一般的になのかでも全然違ってくる。
ざっくりした問いを不特定多数に投げても、雑な回答しか返ってこなくて、より病みを深めてしまうのではないかが心配。
自分がどうしたくて、どうしたくないのかみたいなところを整理して、そこで決めた目的に向けて各事象を判断するべきかと。
正直、心情的に増田が納得しハッピーになるのは難しそうだから、法的な観点で自分のダメージがこれ以上大きくならず、できるだけ幸せになるための材料を集めてほしい。
ジャニーズ依存症のブスは病院で頭を治し、新しい人生を歩めばいい。
https://anond.hatelabo.jp/20230916132558
男だけどこれ以上ジャニーズを叩くのを辞めてほしい
https://anond.hatelabo.jp/20230916205303
ジャニーズを叩いてる男性は本気で自分のミソジニーを隠せてると思ってるのだろうか
そもそも男性アイドルを推すというのは女性が生きてるだけで性的搾取されてることへのカウンターであり女性の尊厳に関わる営みだというのは言うまでもない
アルコール関連の疾患で死亡する確率はいまだに男性の方が高いが、最近は男女の差が縮まっていることが最新の研究で示されている。女性も男性と同じように酒を飲むようになったためだ。
2021年の米国政府による調査で、過去1カ月の間にアルコールを摂取したと回答したのは、男性で55%、女性で49%だった。また、米国の30代と40代の女性でアルコール摂取量が多くなっているという研究もある(編注:厚生労働省による最新(2019年)の国民健康・栄養調査によれば、「生活習慣病のリスクを高める量を飲酒している者の割合は、男性14.9%、女性9.1%」であり、2010年からの推移でみると「男性では有意な増減はなく、女性では有意に増加している」)。
一般的にアルコールは、麻薬ほど危険性がなく、女性のストレスを解消したり社会的抑圧を取り払ってくれるものと考えられていると、米マイアミ大学ミラー医学部で依存症精神医学を専門とするドゥルティ・パテル氏は言う。「合法で簡単に手に入りますし、それほどタブー視されていません。ですから女性も、飲酒に対してあまり抵抗感を持ちません」
シャルボニエさんも、そんな女性の一人だった。「友人たちと旅行に行くと、たまに朝8時からカクテルを飲んでいる人がいるでしょう。それが私でした」。酒を飲むと、夜遊びや旅行がより楽しくなる。新しい人と出会ったり、何の抵抗もなくダンスが踊れるようになる。
昨年シャルボニエさんは、体重を少し落とすために一時的に酒を断った。すると、猛烈にお酒が欲しくなり、不安感に襲われ、手が震えるなどの離脱症状が現れた。「ショックでした。その時まで、自分がアルコール依存症になっているなんて全く気づきませんでした」
飲酒の影響、男女の体質で違い
たとえわずかな量のワインやビール、カクテルであっても、アルコールは健康に害を及ぼす。一般的に1日1杯の赤ワインは体にいいと言われているが、世界心臓連合が発行する医学誌「Global Heart」に2022年7月に発表された論文は、どんな量であっても心臓病、脳卒中、動脈瘤のリスクが増加すると警告している。
また、2015年に医学誌「Drug and Alcohol Dependence」に発表された論文では、男性と同じ量のアルコールを摂取しても、女性の方が健康被害を受けやすいという結果が示された。
これは体の組成が違うためだと、専門家は指摘する。女性の方が同じ体重の男性よりも脂肪組織が多く、水分量が少ないため、血中アルコール濃度が高くなり、その状態が長く続くからだという。アルコールを代謝する酵素も、女性の方が少ない。また、ホルモンの変化もアルコールの分解速度に影響すると考えられている。
飲酒する女性は、男性よりもはるかに少ないアルコール量でも、より多くの健康問題を抱え込んでしまう。米国医師会の医学誌「JAMA Network Open」に2023年3月31日付けで発表された分析によると、女性の場合1日2杯に満たない飲酒でも、あらゆる原因による死亡リスクが高まるという。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/23/082400436/
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ふむ
そういう女性は20~30代という印象だが、50代以上がアル中という人はあまり印象がないな
それとも隠れて飲んでるのだろうか?
その証言を読んでいると、ジャニー喜多川という人は性依存症だったのではないかと思えてくる。
その勝手な印象について書いていく。
ジャニーの行為は、あまりに執拗で、強迫的に反復され続けている。
対象が未成年の少年という問題を抜きにしても、病的な印象を受けてしまう。
そんなことを考えていたら、調査委員会の報告書で、ジャニー喜多川氏自身が幼少期から性被害を受けていたという話が出た。
その話は報告書のメインではないが、これを読んだ時、さもあらんと思った。
ジャニーも性被害者だったのならば、彼もPTSDを抱えていたのかもしれない。
「だから免責だ」ということではない。
そうではなく、性依存症ではないかという疑いの裏付けを得た気がしたのである。
であるなら、なぜ被害者たちが加害者たるジャニー喜多川に純粋な憎悪を見せず、
「それでも尊敬している」
「感謝している」
と述べるのかも、わかる気がしたのだ。
あくまで印象だが、ジャニー氏は少年たちに依存していたのではないか。
というか、成長できずに、彼自身のメンタリティは少年のままだったのではないか。
愛想がよくても、精神的には大人の社会に対して孤立を感じ、真に仲間と言えるのは少年たちだけだと感じていた。
つまり、彼は少年たちに依存していたのではないか、と思うのだ。
そのあたりが、ジミー・サヴィルやハーヴェイ・ワインスタインと、ジャニーの違いではないか。
ジミー・サヴィルの被害者は、ジミーの番組に出た際に記念のバッヂを渡すと言われて楽屋に連れて行かれ、ドアを閉めるや否や、暴力とともに性行為を強いられたという。
しかしジャニー氏の暴力性は、精神的な依存の延長線上にあったのではないか。
だからわかりづらい。
ジャニー氏が少年たちのために、食事をつくってやったりなんだりと、ごくまめに面倒を見てやっていた話はよく知られている。
(もちろん性加害がそれで減じられるわけはない)
彼は、少年たちの前に、きらきらしい世界への導き手として登場する。
すごい人である。
雲の上の人だ。
そのすごいジャニーさんが、無名の自分にせっせと心を砕いてくれる。なんて良い人なんだろう、と少年たちは感動する。
それはいわゆる単純な「グルーミング」だけではなく、ジャニー氏にとっても楽しみだったのではないか。
いま、自分は少年たちに喜ばれている。好かれている。その仲間になっている。
彼らの魅力を引き出し、輝かせることも、天職と思っていたかもしれない。
言うなれば、彼は、少年たちの魂と一体化したかったのではないだろうか。
性行為がその手段だったかどうかまではわからない。単純な性欲もあっただろう。
しかし少なくとも、性行為は、ジャニーにとって精神的な苦痛を忘れる行為ではあったのではないか、と思うのである。
もちろん、性加害は許されない。
彼自身、性加害でこわされていたジャニー喜多川は、その苦しみを忘れられる行為として、性行為に依存した。
相手は「変な人がいるな」と横目で見ただけなのに、「目で誘ってきた」と思ったりする。
ジャニー喜多川もまた同様ではなかったろうか。
単に自分が「NO」を言える環境を与えていないだけなのだが、そのへんの事実は無視したのではないか。
考えたくなかったからだ。
少年たちを愛している。
彼はそう信じていただろう。
これは愛だと少年たちに信じさせようともしただろう。
実際のところ、ジャニーがやったのは、相手に依存し、傷つけ、侵略する行為だった。
しかし、それを愛と呼んだ。
その依存は、まるでほんとうに愛されているような一体感を少年たちに与えただろう。
被害者たちがジャニーを否定できないのは、意識的に計算されたグルーミングのためというよりも、そのためだと考えると、理解できるのだ。
それを癒すことを少年との関係に求めていた。少年たちに愛情を注いでくれていた。求めていた。
ジャニーの苦しみに巻き込まれただけだが、繊細で優しい者ほど、そんな相手を捨てることに罪悪感を持ってしまうものだ。
性愛でなくても、自分の問題にこどもを巻き込み、押しつける大人はけっこういる。
毒親と言われるのはそういう人たちだ。
ジャニーにとって、孤独の苦しみも、愛されたい・愛したい、という願いも、真剣なものだったかもしれない。
しかし実際のところジャニーが愛したのは、目前の少年たちではなかった。
彼が見ていたのは、少年たちに投影したジャニー喜多川……喜多川擴という、孤独な少年だったのではないか。
自分では愛しているつもりだったにせよ、ジャニーはただひたすら、「自分が」、救われたかっただけだった。
おそらく心底では、愛されてなどいないとわかっていたはずだ。
依存を深めれば深めるほど、孤独も深まり、それを忘れようとなおいっそう依存していき、性加害はやめられなくなっていっただろう。
そして被害者は増え続けた。
それは愛ではない。
それを愛だと思ってしまうと、「愛された」人間の苦しみはふくれあがる。価値観が歪む。呪いになる。
「あわれだけれど、愛ではない」と言わなければならない。
かつては、ジャニー自身が、プレデターのためにおなじように苦しめられた少年だったのかもしれない。
誰も彼には「それは愛ではない」と教えてくれなかったのだろう。
そして歪んだ結果、彼自身も、少年たちを歪めるプレデターになってしまった。
だが時代的にも、年齢的にも、メリー氏にはできなかっただろう。
当事者の会は、声に出せてよかったと思う。
彼らは少なくとも、少年を歪める者にならないですむだろう。
だがいま、声を出せない被害者もいるはずだ。
それでも、カウンセリングなどをうけて、ジャニーの呪いを解いてほしいと思う。
あわれに思ってもいい。憎めなくてもいい。
それでも、あれは愛だと思う必要はない。