はてなキーワード: 長野智子とは
敗戦国日本における帰還兵の苦しみを伝える貴重な武田さんのお話を読みながら、私は一方の戦争の勝者であったエノラ・ゲイの機長・ポール・ティベッツ氏にインタビューしたことを思い出していた。
1945年8月6日、広島市に原子爆弾を投下したB-29爆撃機が「エノラ・ゲイ」である。
2004年に自宅を訪れると、美しく装飾された立派なリビングの壁にあったのが、キノコ雲の写真だった。
私がこんなものを飾るのかと絶句していると、ティベッツ氏は「私の人生の最大の功績だからね」と言った。
彼の話には一縷の悔恨も出ない。
アメリカでよく聞く肯定派の論理を繰り返すだけだ。「あの時私が落とさなければ戦争は終わらず、何倍もの日本人が死ぬことになった」「最悪の状況を止めるにはそれしかなかった」「むしろ日本を救う選択だったと信じている」と。
当事者の話を冷静に聞くという目的で行なったインタビューだったが、正直私の心には嫌悪しかなかったし、今思い返しても後味が悪かった。
その3年後、彼は亡くなった。
聞けば原爆投下に批判的な人々の抗議運動を常に懸念して、死後は葬式を行ったり墓石を造ったりしないよう頼んでいたという。
今思えば、ティベッツ氏も人間性を捨て、異常なまでに自己を正当化することでしか人生も家族も守ることができなかったのか。
ソース: naganotomoko.com
【田原総一朗×長野智子×三浦まり】男性9割の同質性の高い企業が10年後もやっていけるか?ビジネスパーソンこそ知っておくべき「クオータ制」
https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/20221226-00314816-diamond-column
ジャーナリストの田原総一朗氏、キャスターの長野智子氏、上智大学の三浦まり教授に集まっていただき、「クオータ制」のメリットや、導入を阻む障壁は何か、日本で導入するための現実的な案などを話し合っていただいた。その模様を前編と後編に分けてお送りする。(進行・構成・文/ダイヤモンド社編集委員 長谷川幸光)
税金チューチュースキームを応援している三浦まりです。上智大学は税金を横領することを支援しているのかな。
長野智子みたいなの小池百合子と同じで全然実力なし。テレビ上りはだめ。
「女性を増やせばいいってものではない。女性でも男性でも優秀な人は自然と飛び出てくる」。女性の社会進出の話になると、必ずこうしたコメントが出てくる。あながち間違えてもいない気がするが、どこか引っかかる……。そうした違和感を持つ人は、問題解決の能力が高い人かもしれない。表出している事象の、裏に隠れている問題を察知しようとしているからだ。
こういう非科学的活バカげたことを書くようなメディアは終ってるわ。女性を増やしたら税金横領をスルーして嘘ばっかり書いているわけで、どの辺にクォーター制のメリットがあるのか。
結局金持ちでエリートを女しか得しない。なんでもかんでも三浦まりみたいな。どれだけ役職を独占して金を儲けたいんだこの強欲女は。
長野智子も何をしているのかわからないし、書いている記事もくだらない。難民だけ取材しても意味がない。
id:arisiaさんの年収にまつわる一連の記事は眉に唾をつけて読んだ方がよいと思う。明らかに若い世代の男性を挑発を企図したものだからだ。換言すれば"ハッパかけたげる"といったところだろうか。全体としては"愛"を感じるエントリーではある。
ただし、arisiaさんに対しての我々の反発というのは、彼女の想像するところと違うところにある。本人は悪女を気取っているが、我々が感じるのはむしろ、彼女の世代全般に対する嫌悪感である。
恐らく文章を拝見した限り40代から50代と見受けられる。バブル時期に20代を過ごした女性達。長野智子、有賀さつき、最近の有名人では池内ひろ美あたりだろうか。彼女たちを楽して金を稼いで、その財産の上で安穏と胡座をかいているなどと批判するつもりは毛頭ないが、彼女たちからの提言に対して額面以上の苛立ちを感じるのは事実である。
経済構造の変化に対して鈍感な世代であると思う。
少なくとも彼女たちの語ることに我々は共感を覚えない。
バブルを牽引してきた女性達の文化に対して我々は憧れを覚えない。
と言ったところになろうか。
エントリーの中を見てみよう。
ちなみに、私も20代はこの程度の収入を音楽教室の講師として得ていた。私はもっとお金が欲しい人間だったから、サイドビジネスをしていたのだった。26歳には貯蓄が1000万円になり、それを元手に株式投資など色々増やすことを試みたよ。
バブル時期にあっても貯蓄をし、前向きに生きてきた結果が窺える文章である。ただ、この事例を本当に現代社会に当てはめることができるのか、というのは大きな疑問である。現代において、サイドビジネスをできるぐらいの勤務で音楽教室の講師が年収300万、400万稼げるであろうか。付加価値がついたりすれば当然あり得るだろうが、考慮しなければならないのは講師の値段も今と昔では違うと言うことと、講師になるための競争率もはるかに違うというところである。サイドビジネスだってゴロゴロ転がっていたのだろう。
彼女たちの世代というのはやりたいことがあれば、やる気さえあればなんでもできたのではないか。我々だって程度の差こそあれ同じなのかもしれない。臆病なだけなのかもしれない。
ただ現代の困難を考慮せず安易にはっぱをかけてくる、バブル世代の女性には言われたくないと思うのは、致し方ない感情だろう。別にうらやましいとも思わない。精神的に魅力を感じるどころか、悪意しか感じない。
お前にだけは言われたくないのである。