はてなキーワード: 徴候とは
早老症(そうろうしょう)とは、"早期老化症"とも呼ばれる、老化の徴候が実際の年齢よりも早く、全身にわたってみられる疾患の総称です。
目次
1.はじめに
(1)歴史認識について
(2)対北朝鮮外交について
3.佐藤優による主張の使い分け
(1)ナショナリズム論
(2)ポピュリズム論
(3) 格差社会論
6.「人民戦線」という罠
(1)「ファシズム政権の樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤を擁護する
10.おわりに
註
1.はじめに
このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル・左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。
だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディアで排外主義そのものの主張を撒き散らしている。奇妙なのは、リベラル・左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。
佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル・左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象の意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場の記述の検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画・編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。
「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動に共鳴する特定の編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチで共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者と意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社のカラーや論壇の左右を超えて小さなリスクの共同体が生まれ、編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞の社会面を中心に、従来型の検察や官邸主導ではない記者独自の調査報道が始まる。」「この四者(注・権力―民衆―メディア―学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論の公共圏を形成していく。」
馬場の見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点である。ある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論の公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル・左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義」体制下の護憲派が、イスラエルのリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。
以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)武力行使、在日朝鮮人団体への弾圧の必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル・左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的なものである。「戦後民主主義」が、侵略と植民地支配の過去とまともに向き合わず、在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象としか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル・左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。
私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤が右派メディアで主張する排外主義を、リベラル・左派が容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在のジャーナリズム内の護憲派の問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。
馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である。佐藤自身は自ら国家主義者であることを誇っており、小谷野敦の言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本に右翼なんか一人もいない」。
佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実、ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本の知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男や魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店や朝日新聞の出版物では、排外主義的ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?
この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。
まず、佐藤の排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤の排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。
(1)歴史認識について
佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本とロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立が日清戦争、日露戦争を引き起こした。もし、日本とロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮をにらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージを金正日に送るのだ」。朝鮮の植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのものの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢で反論することは当然のことだ。」と述べている。
特に、大川周明のテクストと佐藤の解説から成る『日米開戦の真実―大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本の近現代史に関する自己の歴史認識を開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である。
「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国をアメリカ、イギリスによる植民地化支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義国である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強の植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種の棲み分けの理論である。日本人はアジアの諸民族との共存共栄を真摯に追求した。強いて言えば、現在のEUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。日本こそが中国の植民地化と奴隷的支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国の政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘の南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。
右翼たる佐藤の面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代の知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。
(2)対北朝鮮外交について
佐藤は、「拉致問題の解決」を日朝交渉の大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題の解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエルの国権侵害でもある。人権と国権が侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府の方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在の北朝鮮をミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題の解決」においても、戦争が視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。
さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮の米ドル札偽造問題が、アメリカの自作自演だった可能性が高いという欧米メディアの報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカの情報源と情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証の根拠も示さずに(反証の必要性を封じた上で)、「北朝鮮の情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派の原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤は現在、右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。
佐藤は、「在日団体への法適用で拉致問題動く」として、「日本政府が朝鮮総連の経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮が逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネスで利益を得ている勢力を牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。
漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件の摘発が拉致問題を解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮に日本と交渉する気にさせるのが警察庁の仕事。そのためには北朝鮮の資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤の発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関・民族学校などへの強制捜索に理論的根拠を提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。
3.佐藤優による主張の使い分け
排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。
佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。
一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループのサイト上での連載である〈地球を斬る〉では、「慰安婦」問題をめぐるアメリカの報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦」問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体が不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的な立場から日本政府の謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題は Permalink | 記事への反応(1) | 18:32
自己愛性パーソナリティ障害は誇大性,賞賛への欲求,および共感の欠如の広汎なパターンを特徴とする。診断は臨床基準による。治療は精神力動的精神療法による。
自己愛性パーソナリティ障害患者は自尊心の調節に困難を有するため,賞賛および特別な人物または機関との関係を必要とする;優位性を維持するために,他者を低く評価する傾向もある。
自己愛性パーソナリティ障害の推定生涯有病率には大きな幅があるが,米国の一般集団では最大6.2%にも上る可能性があり,女性より男性に多い。
併存症がよくみられる。患者は 抑うつ障害(例,うつ病,持続性抑うつ障害), 神経性やせ症, 物質使用障害(特に コカイン),または他のパーソナリティ障害(演技性, 境界性, 妄想性)を有していることも多い。
NPDの病因
自己愛性パーソナリティ障害に寄与する生物学的因子に関する研究はほとんど行われていないが,発症に関わる有意な遺伝要素が存在すると考えられている。養育者が子供を適切に扱わなかった(例えば,過度に批判的であったり,過度に子供を賞賛,称揚,または甘やかしたりすることによる)可能性を仮定する理論もある。
特別な才能や能力をもっており,自己像および自己感覚を他者の賞賛や尊敬と結びつけるのに慣れている患者もいる。
自己愛性パーソナリティ障害患者は自分の能力を過大評価し,自分の業績を誇張する。自分が優れている,独特である,または特別であると考えている。患者の自分に関する価値および業績についての過大評価はしばしば他者に関する価値および業績の過小評価を含意する。
患者は大きな業績という空想―圧倒的な知能または美しさについて賞賛されること,名声および影響力をもつこと,または素晴らしい恋愛を経験すること―にとらわれている。普通の人とではなく,自分と同様に特別で才能のある人とのみ関わるべきであると考えている。このような並はずれた人々との付き合いは患者の自尊心を裏付け,高めるために利用される。
自己愛性パーソナリティ障害患者は賞賛を受ける必要があるため,患者の自尊心は他者からの肯定的評価に依存し,このため通常は非常に脆弱である。この障害を有する患者はしばしば他者が自分のことをどのように考えているかを注視しており,自分がどれだけうまくやっているかを評定している。他者による批判ならびに恥辱感および敗北感を味わわせる失敗に敏感であり,これらを気にしている。怒りまたは軽蔑をもって反応したり,悪意をもって反撃したりすることがある。または,自分のうぬぼれの感覚(誇大性)を守るために,引きこもったり,その状況を表向きは受け入れたりすることがある。失敗する可能性のある状況を避けることがある。
NPDの診断
診断基準(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fifth Edition[DSM-5])
自己愛性パーソナリティ障害の診断を下すには,患者に以下が認められる必要がある:
このパターンは,以下のうちの5つ以上が認められることによって示される:
自分の重要性および才能についての誇大な,根拠のない感覚(誇大性)
途方もない業績,影響力,権力,知能,美しさ,または無欠の恋という空想にとらわれている
自分が特別かつ独特であり,最も優れた人々とのみ付き合うべきであると信じている
共感の欠如
傲慢,横柄
また,症状は成人期早期までに始まっている必要がある。
鑑別診断
自己愛性パーソナリティ障害は以下の障害と鑑別することができる:
双極性障害:自己愛性パーソナリティ障害患者はしばしば抑うつを訴えて受診し,その誇大性のために,双極性障害と誤診されることがある。自己愛性パーソナリティ障害では 抑うつがみられることがあるが,他者より上の立場にいたいという欲求が常にあることで,双極性障害と鑑別される。また,自己愛性パーソナリティ障害では,気分の変化は自尊心に対する侮辱によって引き起こされる。
反社会性パーソナリティ障害:自分のために他者を利用することは両方のパーソナリティ障害の特徴である。しかしながら,その動機は異なる。反社会性パーソナリティ障害患者は物質的な利益のために他者を利用するが,自己愛性パーソナリティ障害患者は自尊心を維持するために利用する。
演技性パーソナリティ障害:他者の注意を惹こうとすることは両方のパーソナリティ障害に特徴的である。しかし,自己愛性パーソナリティ障害患者は,演技性パーソナリティ障害患者とは異なり,注意を惹くために気取ったことやばかげたことをするのを非常に嫌い,賞賛されることを望む。
自己愛性パーソナリティ障害の 一般的治療は全てのパーソナリティ障害に対するものと同じである。
基礎にある葛藤に焦点を当てた精神力動的精神療法が有効なことがある。境界性パーソナリティ障害のために開発されたアプローチの一部は,自己愛性パーソナリティ障害の患者用に効果的に改変できる場合がある。具体的には以下のものがある:
これらのアプローチでは,自分および他者を感情的に経験するあり方の問題に焦点を合わせる。
自己愛性パーソナリティ障害患者は,習熟度を高める機会を魅力的と捉えることがあるため,認知行動療法が患者にとって魅力的となる場合がある;患者の賞賛への欲求により治療者が患者の行動を方向づけられる場合がある。自己愛性パーソナリティ障害患者の中には,マニュアル化された認知行動療法のアプローチを簡単すぎる,または自分の特殊な欲求を満たすには一般的すぎると考える。
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「バイタルサイン」とは、生命の徴候であり、脈拍・心拍・呼吸・体温・血圧・意識などが含まれます。高校生の主人公は、自分のバイタルサインが異常に変動することに悩んでいます。特に、好きな人に近づくと心拍数が上がりすぎて危険な状態になります。そんな彼女は、在宅医療を提供する「中谷病院」に通院しています。「在宅医療」とは、自宅で必要な医療や看護を受けることができる制度です。彼女は、「中谷病院」の若き院長である中谷先生に恋心を抱いています。「中谷病院」は、「医療法人 中谷会」という団体が運営しています。「医療法人」とは、医師や歯科医師が設立する法人であり、公益性や社会的責任を重視しています。しかし、「中谷会」は経営難に陥り、「大手企業グループ」に買収されそうになっています。その「大手企業グループ」の社長令嬢が、主人公の同級生でありライバルでもあります。彼女もまた、中谷先生に想いを寄せています。
主人公は、「中谷会」を救うために奮闘し、「大手企業グループ」と対決します。そして、自分のバイタルサインをコントロールする方法を見つけ出し、中谷先生と恋愛関係に発展することができるのでしょうか?それとも、「大手企業グループ」の社長令嬢と和解し、友情や恋愛を築くことができるのでしょうか?
さっき https://anond.hatelabo.jp/20230118105123 を投稿した者だが、サイコ女を特定する方法を書こうと思う。
さて、サイコパスと聞くと、私たちは通常男性を思い浮かべる。ハンニバル・レクターが良い例である。
しかし女性についてはどうか?今現在、匿名ダイアリーに女性のサイコパスが潜んでいる確率はどれくらいなのか?
実際の生活では、ほとんどのサイコパスは発見されずにいる。女性のサイコパスについて議論したり、ニュースや映画で見たりすることはほとんどないため、私たちは男性のサイコパスほど彼らを見抜くことができない状況だ。これは女性のサイコパスは必ずしも男性のサイコパスと同じような外見や行動をしていないからである。
サイコパスは人格障害であることを心に留めておくことが重要である。そのため精神病に分類され、そのような病気の多くは男性と女性で異なる症状が現れる。
例えば、私たちが通常心臓発作から連想する症状(胸痛、左腕のしびれ、発汗)は、男性に最も多く見られる症状である。女性が心臓発作を起こすと、息切れや吐き気など、異なる症状を経験する傾向がある。
暴力的なサイコパスにおける動物虐待や「成功した」非暴力的なサイコパスにおける表面的な魅力など、サイコパスのステレオタイプな兆候は、男性のサイコパスの方を偏見的によく表している。
女性のサイコパスは、しばしばより暴力的でない徴候を示す。その結果女性のサイコパスは発見されない可能性が高くなる。
女性のサイコパスを見分けたいのであれば、女性のサイコパスが男性とはどのように違うのかを知る必要がある。
1. ナルシシズムの違い
全てのサイコパスはナルシシズムが高い。つまり彼らは自分が周りの人よりも優れていると考えている。しかしこのナルシシズムがどのように表現されるかは、男性と女性で異なる。男性のナルシストは自画自賛を叫ぶ傾向がある。ソーシャルメディア上で自分の業績や優位性を自慢する傾向がある。彼らは自分があなたより優れていることを面と向かって言う。
女性のサイコパスは違う。彼女らはナルシスト的な傾向についてより隠蔽的である。彼女らは、面と向かっては笑顔であなたを褒めるが、陰ではあなたより優れていると考えている。
2. 攻撃性の違い
男性のサイコパスは攻撃性を行動で示す傾向がある。彼らは身体的暴行を加えたり、動物を虐待したり、暴力的な犯罪を犯したりする。男性のサイコパスは暴力的な行動をとる可能性が高いので、捕まって収監される可能性が高い。
女性のサイコパスは、レーダーをかいくぐって行動するのに長けている。というのも攻撃性を関係的に示す傾向があるからである。嫌いな人間に関するゴシップを広めるようなことをする。正気かどうか疑われるほどのガスライティングを行う。彼女らは自分の言いなりになるようにあなたを操ろうとしている。もしあなたが拒否すれば、彼女らは自分自身を傷つけると脅すこともある。人間を操る達人であり、それはちょうどアニメ「オーバーロード」の王女のようなものだ。
結局のところ、その違いはこうなる。男性のサイコパスはパンチを放ち、女性のサイコパスは陰口を叩く。
ではもし人生に女性のサイコパスが潜んでいるとわかったら、どうすればいいのか?
最初のステップは、連中を見分けることだが、これは思っている以上に難しい。ほとんどのサイコパスは精神病質で、荒れ狂う殺人者ではない。ほとんどの人は心理学者が「成功したサイコパス」と呼ぶ人たちであり、CEO、医者、弁護士、有名人(これらはすべて、サイコパスの割合が高い職業)である。人生にサイコパスがいたとしてもそいつがあなたを殺す可能性は低い。
しかし悪いニュースもある。彼女らはあなたの人生を惨めなものにし、それほど目立たない方法であなたに害を与える可能性が高い。
実際のところ、サイコパスを変えるためにできることはない。サイコパスであることは選択ではなく、脳に組み込まれたものである。
例えば人々が苦痛を与える画像や不道徳な行動を見たとき、サイコパス(男性も女性も)は、非サイコパスと比較して、感情を制御し処理する脳の部分である扁桃体の活動が減少していることがわかる。
このことはサイコパスが他人の苦しみに無関心である理由を説明している。
ある意味サイコパスは脳の感情回路、特に対人感情を扱う部分の病気である。
ではあなたの身近にいるサイコパスを説得して変えることができないとしたら、どうすればいいのか?
残念ながらサイコパスをゲームで打ち負かす唯一の方法は、ゲームを拒否することである場合が多い。
連中がこちらに与えた餌を食べないこと。
そして万策尽きたら、連続殺人犯の映画に出てくる被害者と同じようにするべきだ。
つまり...逃げろ!
いま、ウクライナにおける市民の損害は図形構造的進捗を見せており[和訳者註: 多角形に拡大しているということか]、我々への抵抗は強まるのみである。歩兵による市街への進入はすでに試みられており──20の空挺集団のうち、"限定的"成功を収めたものは一つのみである。モスルの侵攻を思い出してほしい。これは法則である──すべての国家で発生する。新しいものではない。籠城戦をする? ヨーロッパにおける直近の十年紀において──セルビアが最も好例であり、都市は籠城下においても年単位で機能を維持できる。ヨーロッパからの人道的支援車列は時間の問題である[5]。我々の条件的締切日は六月である。条件的というのは六月にはロシア経済は存在しないからである──何も残らないであろう。概して、来週には(ロシアにおいて)、二大勢力(主戦と反戦)のいずれかで崩壊が起きるであろう、単純に現在の緊張は持続不可能であるからである。我々は何らの分析も持たず、我々はこの混沌への予報を出せず、誰も何も何らの確証を持って言うことはできない(ロシアにおいて)。
直感に頼って行動するのであれば、そして高ぶった感情とともにするなら、それがポーカーゲームということにはならない。しかし我々はなんらかの選択肢が奏功することを祈って賭金を積み増すしかない。これにおける悲劇は計算違いを起こして全てを失うことは容易にあり得るということだ。概して、ロシアに出口はない。勝利の可能性のある選択肢はなく、敗北しかない──ここが瀬戸際だ。(英訳者註: 休憩。続きはあとでやる)(英訳者註: 続きの後半はもっと面白く、前向きなおどろきで終わる)
100%、我々は前世紀の過ちを繰り返したのだ、"弱い"日本を足蹴にして素早い勝利を得ようとして、わが陸軍がまったく壊滅状態にあることが判明した時の。そして我々は勝利まで戦い、そしてボリシェヴィキを陸軍で再教育のため徴兵した。そしてこれらかろうじてもののわかるボリシェヴィキどもは反戦標語を拾い上げあのようなことを始めたのだ…… :kyoumokawaii:
前向きな点の中から: 我々は懲罰部隊を前線に送ったようなことは徴候もないようあらゆることをなした。もし政治犯や社会的不要分子を徴兵したならば陸軍の士気は負の領域に入る。
敵(ウクライナ)は動機付けられている。怪物のように動機づけられている。戦いを知り、潤沢に有能な指揮官をもつ。彼らには武器と支援がある。我々は単純に人的破局(human catastrophe)の先例を樹立するであろう。
我々が最も恐れていることとは: 首脳部は古い問題を新しい問題で覆い隠そうとしている。大まかにこの理由により、2014年にはドンバスが起きた──我々は西側に対してクリミアでのロシアの春を攪乱せねばならず、ためにドンバスのいわば危機が西側の注意をすべて引き付けてくれねばならず、そして交渉材料になったのだ。しかしさらに大きな問題がそこで起きてしまった。そして我々はエルドアンにサウス・ストリーム(ガス)から4本のパイプを引き込むよう圧力をかけることを決断してシリアへ進入した。これはスレイマニ([イラン・]イスラム革命防衛隊)が自分たちの問題解決のため我々に意図的に誤情報を渡した後のことだ。結果として、我々はクリミア問題を解決することができず、そしてドンバス問題も去ることはなかった。サウス・ストリームは2本パイプに後退し、シリアは[和訳者註: ロシアの支援に]ぶら下がっている──我々が去ればアサドは転覆し我々はまぬけに映り、とどまることは難しくまた要点をなさない。
筆者はなにものが"ウクライナ電撃戦"を考えついたのか知らない。我々があらゆる事実の入力を受け取っていたならば、我々は最低限でも初期計画に議論の余地があり、大部分は再検討を要することを指摘していたであろう。大量の再検討がなされなければならなかった。
いまや我々は首まで[英訳者の表現]に埋まっており、我々は何をすべきかも理解していない。"非ナチ化"や"非武装化"は強固に定式化された変数をもちそれにより目的達成度を評価しえるものではなく解析的分類たりえない。[6] いまや我々は、いずれか精神的に破綻した助言役がヨーロッパに対して衝突を仕掛け、制裁緩和を要求するよう首脳を説得するまで待ったまま動けない状態にある──彼らは制裁を緩和するか、あるいは戦争になる。そしてもし西側が拒絶すれば? その場合において筆者は我々が、1939年のヒトラーのように真の国際紛争に引き込まれる可能性を排除しない[7]。我々の"Z"は鉤十字と等しくなるであろう。
局地的核攻撃の(ウクライナにおける)可能性はあるか? ある。軍事的目的のためではない。かような兵器は防衛突破の役に立たない。しかし他のすべて(西側)を恐怖させる目的を伴う。
反撃を受けたくないなら自分がトラバ返しを読まなければいいだけだということに気づけないおバカな増田。
もしかしたら今なお「最後にレスをした側の勝ち」というルールを信じており、自分は必勝法を編み出したと思っているのかも知れない。
コミュニケーションに致命的な問題を抱えており、いつ低能化してもおかしくない危険な増田
嘘か真かニュージーランドに住んでいると自称しながらニュージーランド社会を憎んでいる増田。
日本に住めばいいのでは?というツッコミをするべきか、嘘松乙!と言い切ってしまうべきか、どちらにしろ精神状態がデンジャラスな増田の一人
異常な行動によって注目を集めようとする承認欲求の強さには危険な匂いを感じる。
はてなにおいて注目されることに強い価値を見いだし始めている。
頼まれてもいないのに突然ウマ娘の攻略理論を投稿していく増田。
WIKIに書き込めばいいものを増田でやるということから、書いている内容の信憑の低さを感じざるを得ない。
周回遅れの攻略情報をネットでかき集めてきては面白くもないジョーダンを交えて語る姿は、ネットDE真実を会社や学校で言いふらす痛いネット初心者そのもの。
ネット慣れしていないということはまだ振れ幅が大きいということであり、低能化という闇へと堕ちていく危険がある。
対立する闇と闇。
他者の価値観を声高に蔑んで見せるのは自身の価値観に対する盲信か不信か。
語気の強さから精神の不安定さが見え隠れしており、低能化する危険性の高さはかなりのもの。
突然女児向けアニメや女児向けゲームに対して熱いアンチ活動を始める増田。
自分はもともとファンだったが最近のシリーズは酷すぎるという自分語りと昔は良かったのあわせ技という酔っ払った老人のような喋り方が特徴。
ハッキリ言って脳の機能に欠陥が見られる人間特有の徴候があり、いつ精神のマッハが危険域に突入してもおかしくないというか既に突入した上でヤバイ行動に移してないだけな感じ。
名前を隠して楽しく日記をするサイトと、匿名のレスバトルサイトの区別がついていない極めてヤバイ奴ら。
https://anond.hatelabo.jp/20210315160051 を受けて。
福島以前の原発事故リスクについての議論と同様に、コロナワクチンの長期リスクについて、感情論で議論にフタがされすぎではないかという点について。
しかし、日本の環境(地震と津波)に合わせた災害対策は十分に行われなかった(「地震と津波が同時に来ることは想定していなかった」)。
電力会社等の専門家には、利害関係から、リスクを十分に調査する動機づけがなかった(リスクが見つかれば原発が止まり、採算が取れない)。
福島以前に、「原発には本当にリスクがないのか」という問題提起をすれば、下記のような議論が行われていた。
このため、「原発には本当にリスクがないのか」という問題提起は論点がズラされ、日本国民は、「原発の災害対策が不十分である」という本質にたどり着くことができなかった。
原発が安全神話化された結果、地震と津波により、原発事故が起きた。
専門家会議は、ワクチンの長期リスクを判断するように求められるが、当然、長期の治験実験をやる時間はない。
専門家会議は、おそらくあっても僅かであろう長期リスクには目を瞑り、「コロナワクチンは安全である」と発表する(させられる)。
結果、長期リスクや、ワクチン流通のオペレーションミスについての議論にはフタがされ、リスクの徴候は見過ごされる。
可能であったはずのリスク管理がなされず、大規模な事故が起きる。
「コロナワクチンには長期リスクがないのか」という問題提起をすれば、下記のような議論が行われる。
コロナワクチンは安全神話化され、必要なリスク対処ができず、事故が起きる。
つまり、専門家だからといって、利害関係者が意思決定を行ってしまっために、リスクが見過ごされた。
実際、事故の反省として、原子力規制委員会が経産省から分離・設立された。
アナロジーで考えるなら、日本国民は、まず、コロナワクチンのリスク評価が行われている意思決定過程を改良するべきだ。
現在の組織構成では、専門家会議が、その内部で、集団免疫獲得と経済活動再開の両方のバランスをとりながら意思決定を行っている。
妙な話だが、コロナワクチンのリスクを可能な限り科学的に評価すべき組織が、同時に、日本の経済活動再開の責任も担っている。
経済活動再開を停止することは目に見える損失であるため、経済活動再開ありきで、コロナワクチンのリスクを過小評価した意思決定に陥りやすい。
例えば、コロナワクチン政策に対する批判的な立場の責任組織を作り、専門家会議との議論を国民に公開することで、真のリスクに対処し、事故を防ぐことができるのではないか。
発熱の話。最近は皆コロナでナーバスになってるからただ熱が出たってだけで受診したがったりするんだけど、主に若い女性がよく言うフレーズが「私平熱低いので37度でも高熱なんです!」ってやつ。あとは小児科でよく聞くのが、「40度もあったら頭おかしくならないですか?」ってやつ。みなさんあの体温計の数字に絶大な信頼を置いて振り回されているようで。
こちらから言えることは、あまりあの数字をあてにしない方がいいということ。便宜上37.5度以上を発熱と定めてるけど、じゃあ37.4度は熱じゃないとか変な話じゃないかい? 体温計の数字なんて寒い部屋で測るとか脇の挟み方が甘いとか朝なのか夜なのかで全然変わっちゃうもんだ。老人なんて熱自体出なくなるしね。
あと、平熱低いとかこちらとしては関係ないんですよ。本人は辛いんだろうけど、平熱35度の人の37.5度イコール平熱36.8度の人の39.3度、とはならない。別に数字だけ見て「37.5度? はい軽症ね」なんて雑な診断はしないから、だから平熱低いアピールは正直いらないんですよ。それくらいしんどいんですって言いたいんだろな、と受け止めるけどカルテには微熱って書いてる。
統計とかまだわからんしごく個人的な範囲でコロナ患者を見てると、一日だけ風邪っぽくて翌朝は平気だったから出かけたみたいのが多い印象。熱っぽいからコロナ?と思って測ったら37度なかったから安心して飲み会行きましたみたいなやつ。かと思えば39度近くが続いてインフルエンザ疑ったけど陰性で結局コロナ、って人もいる。年齢や基礎疾患、元々の体力や体調によるんだろうけど、わかりやすく高熱関節痛が出るインフルエンザよりもっとわかりにくい経過を取るようだ。今思えば数ヶ月前の「37.5度が何日続いたら保健所相談」ってやつで見逃された人いっぱいいたんだろな。
40度で頭おかしくなる? の例に戻るけど、体温が何度だから重いとか軽いとかそういうもんじゃない。43度とかあればたんぱく質が変性して死ぬらしいがそこまでは出ないでしょ。大事なのは、発熱そのものよりも他の症状と全身状態。40度あってもミルク飲めて元気ありゃ大丈夫だし平熱でも飲めなくてぐったりしてりゃ非常事態だ。コロナで言えば熱よりも呼吸器症状。なんだか息がしにくいなあ、程度でもこのコロナ流行期ではおかしいと思ってくれ。息苦しいから寝るより座ってる方が楽とか、胸や肩が上がり下がりするほど呼吸が荒いとか、唇の色が悪い、だるすぎてスマホすら見れない、家族が話しかけたら返事が遅いとか、そういうのももちろんやばい。一つ一つ徴候を上げたらキリがないけど、とにかく体温計の数字より自分や家族の「いつもと違うな」を信じて。熱があるんだから呼吸苦しくて当たり前だよね、とか楽観視するな。
逆に熱しか症状無いけど受診すべき? って聞かれるけど、答えはノーです。コロナは有効な特効薬がないから、受診が早ければ治療間に合うとかも無い。望むままPCR検査を受けられるとも限らない(これは病院や自治体の方針で違う)。受診の行き帰りで他の人にばら撒くリスクを犯して得られるメリットがほとんど無い。上に書いた症状に注意しながら家族から離れた部屋で寝てるしかないと思う。インフルエンザだったら困るから受診したい、ってのも聞くけど今はインフルエンザ検査も絞ってます(検査をすること自体が医療者へのコロナ感染リスクだから)。ちなみにタミフルは特効薬だと思ってる人いるけど、抗インフルエンザ薬はウイルスを退治するんじゃなくて増殖を抑えるだけだから発熱期間を一日くらい短くするだけなんですよ? タミフルなくてもちゃんと治る、飲まなきゃやばいのは重症例だけ。
でも一人暮らしの人とかは熱がある中家で寝てるだけって不安ですよね。わかるわかる。でも辛い思いして受診しても検査受けられなくてがっかりしながらとぼとぼ帰る、ってのも可哀想なので受診タイミングはしっかり見極めましょう。この年末年始、救急外来に「コロナかも? 」の発熱患者がわらわら集まっちゃったら非常にまずいことになる。そこでいらんコロナもらったりうつしたりしないようにお願いしますね。
今のところ急性ウイルス性脳炎でぶっちぎり1位なのはヘルペスさん
単純ヘルペス脳炎の概要
日本では年間100万人に約3.5人に発症し、50~60代に多くみられる一方、新生児や小児がかかる場合もある。
初感染時または再活性化(一度治癒し休眠しているウイルスが再度活発になること)時に発症する。その病態は発症年齢によって大きく異なる。
なお、HSVは世界的に広く浸透したウイルスで、感染経路はHSVによる口唇ヘルペスや皮疹を発症した患者の唾液や病変部との接触や、
性器ヘルペスからの性的感染や母子感染によると考えられている。
I.単純ヘルペス脳炎の症状・徴候(小児)
発症年齢は、6歳未満が多いが、小児期のどの年齢層にもみられる。発生に季節性は無い。ヘルペス性歯肉口内炎の合併は稀。
初発症状としては発熱が高頻度。神経学的初発症状としては痙攣、意識障害、構音障害が多い。
しかし、小児期の他の病因による急性脳炎・脳症と比較して、単純ヘルペス脳炎に特異的な症状は無い。
急性期には、半数以上は重篤な意識障害を呈するが、意識障害が軽い例も存在する。
個別の喧嘩の発端は…こちらに責があることもあれば向こうに責があることもあるし、最初は自分が我慢して済むならそれでもいいやと思ってたんだけど、やっぱり理不尽な怒りの暴発を難度も経験すると、徐々にこっちの自尊心が削れてくるし、不機嫌の徴候が見えるだけで心理的に身構えてしまうんだよね。無意識のうちに、相手の地雷(どこに埋まってるかわからないんだけど)に触れないように立ち回るようになる。そうすると家庭が安心できる場でなくなってしまう。
もともと彼女自身にも、そういう感情的制御ができないことの自覚はあるし、直したいとも思っているんだけど、キレてる最中に「そういう言い方や態度はよくないよ」と意見しても耳に入らない。「どうせ全部私が悪いんでしょ」「はいはい、また私のせいなんだよね」となって会話を打ち切り、刺々しい振る舞い(ドタドタ歩いたりドアを閉めたりモノを乱暴に扱ったり)して、後には不機嫌な空気だけが残る。これがなんともやるせない。一定時間が経って落ち着くと、何もなかったように振る舞うか、一応は「ごめんなさい」と言ったりもするんだけど、そういう殺伐とした感情って人の心を痛めつけるんで、お互い何もなかったように振る舞っていても、やっぱりこっちの心は無傷じゃなくて、刺されたり殴られたりした疼きが残る。たぶん相手の心も無傷じゃない。どっちにもいいことがない。
で、子供が生まれて物心がついてきたのを機に、お互いに真正面からこの問題に向き合うことにした。子供が親の逆上や不機嫌に萎縮するようになったら誰にとっても不幸だ、というのはお互いの考えが一致していたので。
実はこの「子供との関係」というのが重要で、結論から言うと、彼女が毒親(母親)に非常に悪い育てられ方をしてきたことが全ての起点になっていた。母親、自分から見ての義母は、幼い頃の彼女を蹴ったり殴ったりした。氷点下に近い納戸に数時間閉じ込めるという身体的虐待もあったし、ネグレクトも罵倒もあった。理由は、折り合いの悪い義祖母に顔立ちが似ていたから、ということもあったようだし、良家同士の見合い婚で専業主婦になった自分にとって「育児を成功させ、娘は良家に嫁がせる」ということが唯一かつ至上の役割になっていたこともあったようだ。それほど受験戦争が激しくない地方にあって小さい頃から娘に複数の塾や家庭教師をつけ、成績が思うように伸びなければ「あんたはなんでできないの」「私が恥をかく」と詰め、娘の夏休みの自由課題が賞をもらった翌年からは、傾向と対策を踏まえて母親が課題を制作し、受賞すればそれを周囲に誇るようになった。義母にとって娘は自己の付属物であり、自分の能力と努力を表示する成果物だった。これは娘側の一方的証言ではなく、義母本人がそのことを問い詰められて(娘以上に感情的に)キレたり、逆に緘黙する状況を自分も見ているので、嘘や極端な誇張はないと思う。
そういう母親との間で育った娘である奥さんは、根本のところで自己肯定感がとてつもなく低く、「自分には価値がない」という強迫観念に苛まれていた。彼女は親元から離れたあと、亡父の尽力もあって学歴にはやや不相応な金融総合職につくことができ、廻りの高学歴の人達に揉まれながらも持ち前の根性で「コネ入社の腰掛けさん」に留まらない営業成果を出し、職場でも多くの同僚に認められるようになった。でも、これは見方を変えると「自分が無価値な人間ではない」ということを自らアウトプットや業績評価によって証明し続けなければいけなかったからそうしていたわけで、その「頑張り」は結局は不安と強迫観念によってドライブされてたんだよね。背景にそういう動機があって「頑張り続けなければいけない」人がどうなるかというと、最後はメンタルヘルスを崩し、拒食症になり、自己都合で退職した。つらい。
その後いろいろあって彼女は自分と結婚したんだけど、お互いに落ち着いている時に(感情的にチャージされてない状況で)この課題について話し合い、時にはネットの情報や心理学の書籍なども参照しながら考えるなかで、激昂の背後にあるのは自己肯定感のなさだということが見えてきた。彼女は成長の過程で「人間は能力や実績によってだけ認められるわけではなく、ただ人間であるだけで価値がある」という確信を得てこなかった。母親から与えられたのは条件付きの愛で、条件を満たさなければ存在自体を否定された。だから「認められるために頑張る」という所作が身についた。
頑張りの中には「社会的に認められる人格を演じる」ということも入っているから、ソーシャルマナーはちゃんと実践できる。人当たりはよく、好感度も高い。しかしそれはあくまで「舞台」に立って「頑張り」を発揮して評価を獲得しなければならない状況での話で、身内にはこのルールが適用されない。だから親族や家族の中に(彼女の基準で見て)頑張っていない人(例:私はこんなに頑張ってるのに、あなたは)、彼女の頑張りを認めてくれない人、彼女の頑張りの成果をスポイルする人(例:頑張って片付けたのにまた散らかして)に対しては、時に制御の効かない怒りを感じ、苛烈な言葉や行動を直接ぶつけてしまう。自己肯定感が低いから、他者を無条件に肯定できない。自分に課した高いハードルと同じ評価基準を相手にも課し、それを満たさない相手を詰る。そういうメカニズムがあるみたいだった。
ついでに言うと、彼女の母親にとっては娘自身が「彼女の頑張りをスポイルする人」(一生懸命教育してるのに成果を出さずに「私に恥をかかせる」から)だったので、娘に対してそうした精神的身体的DVを繰り返していたわけだ。自己肯定感の欠如と感情のコントロール欠如という点では似たもの同士だった母親と彼女との喧嘩は、ちょっとした言葉尻の棘を捉えて相手を強く咎める(「それどういう意味?」とか「あなたはいっつもそう!」とか)の繰り返しで、なんでもないやりとりがあっという間に激しい罵倒の応酬にエスカレートしたりする。まさしく言葉の刃で刺し合うがごとくで、たまたまその場に居合わせた自分もぐったりと疲弊し、時にはあまりの情けなさに泣くこともあった。
ともあれ、我々2人は「こんなことが当たり前ではいけない、子供をこういう『こじれ』に巻き込まないようにしよう」ということをスタートにして、まず彼女と母親との関係は明らかに機能不全に陥っていること、彼女の母親が過去も今も彼女の自尊感情を蝕んでいること、自尊感情の乏しさが他者への非寛容や感情制御の困難につながっていること、自分は母親の承認/不承認にかかわらず価値のある人間だし、他人もそうだということなどをひとつひとつ確認していった。彼女は最初は「母親はもしかしたら毒親だったのかも」程度の認識だったのが、あまりにも定型的な虐待のパターンのど真ん中に自分がいたことを知り、自分の感情コントロールの難しさが個人の資質というより関係の病理に起因していることを学んだ。そうすることで、母親との関係も1:1の差し向かいではなく、その関係自体を第三者として見る視点を手に入れた。自分はそのときに情報や考察の手伝いはしたけど、結局それは彼女自身の自己探究の道のりだった。
それでどうなったかといえば、状況は明らかに良くなっている。奥さんはアンガーマネジメントを少しずつ理解し、実践している。実際にキレる回数は格段に減った。キレてしまった時はそのままにせず、すぐ言葉にして反省するようになった。YOUランゲージを控え、Iランゲージを使って自分の希望や意志を率直に伝えられるようになった。母親とのやりとりもベタ足の殴り合いをするのではなく、だんだんと「所詮は他人でしかない、母親とのやりとりで感情的に消耗したくない」という感覚を持てるようになってきている。無駄に険悪になることもないが、母親だから近しくしなければいけないという「演技」からもちょっと解放された。やっぱり根本的な原因や構造が見えてきたことで、本人の物事の捉え方も変わってくるんだと思う。
…というわけで、うちの場合は子供ができた結果、徐々に状況がよくなってきたんだけど、これ「子供が生まれたから良くなった」じゃなくて「子供がいるから良くしないといけない」という問題意識を両方が持ったからだと思っている。逆に言えば、元増田の場合、子供ができなくたって「この状況を放置するのは2人の心理的安全性にとって良くない、2人の関係の健康を損ねる」という意識で話し合うことができれば、だんだんと建設的な方向に向かえるかもしれないよ。
さっきも書いたけど、うちの場合は、彼女の病理というより関係の病理だった。だから時間はかかったけど、こじれた関係を解きほぐすことが解決の糸口になった。元増田の奥さんが同じかどうかわからないけど、参考になったらうれしい。お互いがんばろう。
2020-03-09 (anond:20200309142308)
というか雑魚じゃ無いウイルスは理屈上脳炎や脳症の原因になりえる
今のところ急性ウイルス性脳炎でぶっちぎり1位なのはヘルペスさん
単純ヘルペス脳炎の概要
日本では年間100万人に約3.5人に発症し、50~60代に多くみられる一方、新生児や小児がかかる場合もある。
初感染時または再活性化(一度治癒し休眠しているウイルスが再度活発になること)時に発症する。その病態は発症年齢によって大きく異なる。
なお、HSVは世界的に広く浸透したウイルスで、感染経路はHSVによる口唇ヘルペスや皮疹を発症した患者の唾液や病変部との接触や、
性器ヘルペスからの性的感染や母子感染によると考えられている。
I.単純ヘルペス脳炎の症状・徴候(小児)
発症年齢は、6歳未満が多いが、小児期のどの年齢層にもみられる。発生に季節性は無い。ヘルペス性歯肉口内炎の合併は稀。
初発症状としては発熱が高頻度。神経学的初発症状としては痙攣、意識障害、構音障害が多い。
しかし、小児期の他の病因による急性脳炎・脳症と比較して、単純ヘルペス脳炎に特異的な症状は無い。
急性期には、半数以上は重篤な意識障害を呈するが、意識障害が軽い例も存在する。
・日本では、新型コロナウイルスに対するPCR検査を「蔓延状況を調べるデータ」として行っているわけではありません。
・PCR検査が増えないのは、キャップの問題もありますが、「PCRをしても意味がない」と言うのも大きいです
・PCR陽性者の数は、緊急事態宣言地域の流行状況を反映できていません
PCR検査は、あくまでも医療の補助検査として用いられています。その結果を指標に流用しているだけです。ですから、「蔓延状況を調べるデータ」としてのPCR検査を主張する人は、最初から話の軸がずれています。岩田教授などがそうした目的で検査充実を訴えるのは全く正しいのですが、実務として現場ではそう言う目的で検査をしてはいません(そんな余裕はないので、やるなら厚労省辺りが特別チームを作ってサンプリングするしか無いでしょう)。
何が言いたいかというと、「現状、医学的に意味のない検査は行われていない」と言う事を理解する必要があると言う事です。
簡単に言えば、「検査の結果によって医療処置が変わるか」と言う事です。
新型コロナと解っても治療法はないのですから、普通の病気とかなり違ってきます。
元々新型コロナのPCR検査は、「怪しい人間を見つけ出して病院に隔離する」と言う処置をとるために行われていました。条件が厳しかったのは、単純に検査能力と陽性率(確率)の問題です。例えば、2-3日高熱出す人間が日本中で何人居ると思います?それらを全て検査するなど無意味有害なのは誰でも解るでしょう。
しかし、既に東京では病床が払底しており、「軽症者がPCR陽性となっても入院先など無い」状態です。一方、検査の感度は6割程度なので、「陰性でも新型コロナ感染を否定できない」事になります。よって、検査範囲を増やす意味は医学上有りません。ですから、軽症者は検査されません。
(ちなみに、「自宅にいて悪化したらどうするのか」という点については、コロナだろうがそれ以外だろうが死にそうになったら救急車と言う指示内容は同じなので、やはりPCR検査の意味はありません)
ただし、現在すでにそれなりの徴候がある人間(CTで明瞭な肺炎像があるなど)でも、病院にも役所にも手が足りずPCRの対象とはできなくなってきているため、検査能力の増強が必要なのは確かです。ただ、海外産のキットはPCRよりも更に劣悪な感度(なんと最適値で5割!)なので、結果に全く信用が置けず、実用に耐えません。
では現在何のために検査を行っているのかと言えば、ほぼ「入院時の隔離体制の判断」だけです。
勿論、感度の問題で絶対ではないのですが、「コロナに典型とは言えない程度の肺炎」・「他の重病人が熱を出している」と言った時に、コロナ病棟に入れて感染管理を行う必要があるのか、一般病棟で隔離処置を取る程度で良いのかの目安になります。また、PCRが陽性で重症肺炎があれば専門病院に入院させられるので病床を開けられる、と言う様な事情も出てきます。
どちらにせよ、重症者・入院が不可避な人間の扱いを決めるための検査になっているのが医療崩壊を来たしている緊急事態宣言地域の現状です。
東京都の陽性者数(PCR検査の結果)が感染状況を示す指標として使えないのは、このためです。
では何が指標になるかという話ですが、発見される重症者や死者の数は指標になり得ます。重症肺炎の患者は片っ端からPCRされてますから。しかし、これらは幸か不幸か圧倒的に数が少なく、誤差が大きすぎて指標に使えません。
ただ、感染が治まってくれば、PCR検査基準が以前の水準に戻ってもなお陽性者数は減り始めるはずです。従って、「隔離解除の基準」としては注目に値しますが、「現状どこまで酷くなっているか」は、死体の数を数える(数える意味があるくらい増えているか)を見るしかないと言うことです。
追記:
上で軽く書いた事の詳細になりますが、「検査数が増えない」理由は2月頃と現在では真逆になっています。
新型コロナが日本に入ってきた直後にかなり厳しい要件が課せられていたのは、単純に「特異な症状も無い人間を疑って検査しても多くが空振りだから」でした
一方現在、「特徴的な発熱を見たらコロナと思え」と言う状態になっています。バズフィードの記事で港区の保健所が行った検査の陽性率が6割とか言う滅茶苦茶な数字が出ていましたね(ちなみに検査感度が6割程度なので、これはほぼ検査したほぼ全員が感染者と言う解釈になります)。こうなると、「わざわざPC検査など行わなくても全員を患者として扱う」が正しくなるのです。実際、現在長く続く熱を出して病院に行くと、そう言うことを言われるはずです。
2013年にアベノミクスがスタートして以来、日銀は「年率2%のインフレを目指す」
で、政府は2度にわたり消費税を増税して、見た目の物価は上がったが
増税分は税収として国庫に入るので、小売店もメーカーも儲からない
マスクが不足、トイレットペーパーが不足、次はあれが不足これが不足と
品薄を原因とした物価上昇が本当に起こるかもや知れない
「これはインフレ到来の徴候か!」と思っている者もいるかも知れない
肺炎騒ぎが沈静化してもまずは国内の物流が優先で輸出は後回しだろう
となれば100円ショップなんぞの安い中国製品は供給不足になるだろう
あれれ? この10年近く喉から手が出るほど「年率2%のインフレ」を
待ち望んでいた日本銀行の思惑にぴったり合致しすぎなぐらい合致してるぞ
そういや終戦直後の日銀幹部は旧731部隊関係者だったらしいなあ(棒読み)
↑
単純にそうであってくれないと困るし、あくまで『今のところは』ってだけだぞ
単純ヘルペス脳炎の概要
日本では年間100万人に約3.5人に発症し、50~60代に多くみられる一方、新生児や小児がかかる場合もある。
初感染時または再活性化(一度治癒し休眠しているウイルスが再度活発になること)時に発症する。その病態は発症年齢によって大きく異なる。
なお、HSVは世界的に広く浸透したウイルスで、感染経路はHSVによる口唇ヘルペスや皮疹を発症した患者の唾液や病変部との接触や、性器ヘルペスからの性的感染や母子感染によると考えられている。
I.単純ヘルペス脳炎の症状・徴候(小児)
発症年齢は、6歳未満が多いが、小児期のどの年齢層にもみられる。発生に季節性は無い。ヘルペス性歯肉口内炎の合併は稀。
初発症状としては発熱が高頻度。神経学的初発症状としては痙攣、意識障害、構音障害が多い。しかし、小児期の他の病因による急性脳炎・脳症と比較して、単純ヘルペス脳炎に特異的な症状は無い。
急性期には、半数以上は重篤な意識障害を呈するが、意識障害が軽い例も存在する。
やばい男って始めから「僕はやばい男だよ!ほら!」ってやってくるわけじゃないの。大体は凄く良い人で、もしかしたら運命の人かもしれないって顔して現れるわけ。だからこそ、最初の頃に感じるほんの少しの違和感を、絶対無視しちゃだめ。「あれ?」を追求することが大切だよ。傷は浅いうちに。— yuzuka (@yuzuka_tecpizza) July 26, 2019
大抵の場合は、付き合っててモラハラの臭いが漂っても自分自身の中で何かの間違いだ、そんな筈はない、多分大丈夫だと納得させてしまう事が多分にありますね。焦って結婚するとそうなる確率が高まる。結婚前はそんな素振り全くみせかった、絶対見抜けないと叫ぶ前に気付きたい。— ハゲちゃった (@YrWXAMFj9cDPegu) July 27, 2019
DV加害者、モラハラ加害者は、外づらがよく、体面を取り繕うことに長けていて、仕事もできる人もいるので、たちまち周囲を味方につけます。身近な恋人や配偶者だけが、彼の暴力性の徴候を感じ取りますが、周囲に「あんないい人をなぜ疑うのか」と否定されてしまい、孤立します。— 4と5 (@yontogo) July 31, 2019
すごく分かります。私の場合付き合う前に「女、子供に手あげるのは良くないってのは偏見だ」って言っていた事をスルーしてたのが良くなかったです。すごく気遣いもできて優しい彼だったのにお付き合いして別れを切り出したらDV男に豹変しました。— もぐたそ (@mogumogumi12) July 27, 2019