はてなキーワード: 夏休みとは
小学生。近所に住んでいた友達と些細なことでもめ、いじめられた。幼稚園までは親の転勤で新しい環境に飛び込んでもすぐに友達を作れるくらい明るかったが、いじめられたことで私の強みは潰された。自分が何を言っても誰にも聞いてもらえないが、言動で私を傷つけようとしてくる人があまりにも多く、少しでも人に話を聞いてもらいたくて異様なほどの早口で話したり傷つかないために自分に対する悪口を軽く受け流したりする癖はこの頃ついたと思う。
中学生。音楽部に入った。ピアノ等未経験の音楽初心者で入ったなりに努力して1年生の頃の顧問の先生にはたくさん褒められていたが、2年になってその先生が退職し、新しい顧問には嫌われ、3年生になっても自分だけ役職につけてもらえないなどの仕打ちを受けた。
家に帰ると勉強はあまりせず、全然楽しくない部活の憂さ晴らしとしてアニメばかり見て絵を描いていた。
そのせいで親にはよく怒られており、小学生の頃いじめてきた子を引き合いに出して〇〇さんよりいい高校に行きなさい、悔しくないのなどと言われ続けていた。
高校受験では3年夏には国際系の行きたい高校を見つけたものの、内申書と数学と理科が最後まで振るわなかった。本命1校の公立高校に落ちたら私立に行かなければならない県に住んでおり、私立に行かせる金はないと毎日気が狂いそうなほど言われた。やる気のない生徒が集まる塾に通っていて、講師もいかにも大学生バイトという感じであまり教えてくれないし、親に塾を変えたいと言ったものの、お金がかかると言われて叶わなかった。
最終的に家から近い、自分の偏差値で行けそうな公立高校を受験し、合格した。通っていた塾にも私と同じ高校を受験した人が何人かいたが、私以外は落ちたようだった。私より高い偏差値の高校に行った生徒はいなかったらしい。
高校生。トラウマと化した中学とは180°違う運動部に入った。先輩の中にも初心者で始めた人がいて、とても優しく教えてくれた。友達もでき楽しくて良い環境ではあったが、初心者だったこともあり周りと比べて体力もなく競技は全く上達しなかった。そのうち教えてくれる先輩とか友達にも引け目みたいなものを感じ始めた。先輩や友達は強かったため地区大会や県大会の応援に行くたびに交通費がめちゃくちゃかかり、お小遣いでは足りなくなった。親からは毎月のように応援に行くたびにそんなことをして何の意味があるのと言われた。もうお金は借りられないと思った。
親に黙ってアルバイトを始めた。部活と勉強との両立はとてもキツかったが、将来のために少しでも働いて、お金を稼いでいると思うと何か安心感のようなものがあった。この頃にお金を稼ぐことの楽しさを覚えた。
特に頭がいい高校ではなかったからか高校時代の友達は美醜の話で盛り上がる人が多く、昼休みのたびに誰が可愛いとか誰がブスとかそういった話ばかりしていた。ブスで恋人もいなかった私はそういった話を聞くのも嫌だったが別の話題に持っていく力もなく、適当に相槌を打つことしかできなかった。
高2の3学期に大学受験に対して危機感を持つようになった。前述の部活とバイトの掛け持ちで学校の勉強は疎かにしており、特に2年生の頃は学校をサボりがちで午後から高校に行ったり部活だけ参加したりしていた。そのため、親が最も期待していた指定校推薦は望めそうになかった。
高3になる直前くらいに部活もバイトもやめ、親に頼み込んで塾に入れてもらった。部活もバイトも辞めるのはすごく気が引けた。親のせいと周りには話したものの、全部自分で決めたことだった。子供の頃から学歴コンプや貧困などの話を読み漁っており、親から絶対に私立には行かせられないと言われたことも相まって絶対にお金のない大人にはなるまいという思いが強かった。
大学受験では入りたかった塾に入れたが、中学時代から得意だった国語以外あまり成績は伸びなかった。英検をとれば有利になる大学が多数あることを知り、受けた。検定には合格したものの一番行きたい大学の英検利用はスコアが足りず諦めざるを得なかった。
受験の前、大学に全落ちしたらどうするかの相談を親に持ちかけたところ、お前は女なんだし、落ちたら浪人しないで働け、結婚して早くいい旦那さん見つけろと言われた。自尊心がズタズタになっていた私はつらくなって泣いた。
その頃は12月だったためなんかもう全てのやる気を失ってしまったが、英検と得意だった科目を活かしなんとか2月、一般受験で世間的に有名な大学に合格することができた。
親も喜んでくれた。塾の先生も高校の先生も喜んでくれた。見返せた気がして嬉しかった。
大学が決まると以前働いていたバイト先に戻り、たくさんシフトを入れて働いた。その頃の店長や先輩がいい人だったこと、先輩に同じ大学同じ学部の人がいたことも私のバイト先への帰属意識を強めた。他のバイトを探すなど考えられなくなっていた。
4月になり大学に入学した。東京の大学だったためダサいのは恥ずかしく、今まで友達が本当に少なく親からあんた親友いないよね、と毎日馬鹿にされていたので東京でも生きれる普通の女の子になってみたいという気持ちがあり、大学デビューしたいとの思いから服や化粧に金を注ぎ込んでバイト代は一瞬で飛んだ。家では夜10時までに帰ってこいと門限が決められ、お金もなかったためサークルや部活の新歓期間は逃したまま結局入らなかった。
大学で最も楽しかったことは(私の周りだけかもしれないが)人を容姿で揶揄する子がいなかったことだ。周りはみんな頭のいい高校を卒業した子ばかりで、発言に強要が含まれていて聞いてるだけで面白かったし、オタクでも1人でいても陰口たたかれないし後ろ指を指されることもないしすごく快適だった。プライベートでは相変わらずバイトばかりしていた。
秋になり、バイト先では私がお世話になった店長が別の店に飛ばされた。そのころからバイト先の環境は少しずつ悪くなっていった。めちゃくちゃ気が強い先輩が何人も入ってきた。今思うとここで辞めておけばよかったのだが、当時のバカな私はそれをしなかった。
2年生になった。コロナが流行り、授業は全部オンラインになった。生活リズムはグチャグチャ、なんのために生きているのかよくわからなくなったが、2年から入ったゼミの授業が週2であり、カメラオンのzoomで同期や先輩と話ができたことだけが精神安定剤となった。この頃には授業とバイトの両立が不可能と親に訴えたことで門限はなくなり、2年生からやっとサークルに入り直せると思ったがコロナのせいでできなくなった。
というのも親はとてもコロナを気にしており1年くらいバイト以外の外出ができなくなった。友達と遊ぶというとものすごく苦言を呈され、一緒に住んでいる人のことも考えてと言われた。落ち着いた頃友達とチケットを取ったディズニーランドもバレて延期せざるを得なくなったし、成人式もそのあとの友達との軽い夕食の話も断らざるを得ず、そのあとだんだんと誘われなくなっていった。
唯一の息抜きはゼミの教授がきっかけで始めた昆虫観察だけだった。自然がたくさんある郊外に住んでいるため、邪魔されずに散歩だけはできた。自然の中を歩いて、虫を観察している時だけは面倒な親のことも溜まっている課題のことも忘れられ、癒された。そうして私のつまらない大学2年は終わった。
3年生になり対面授業が再開し始め、相変わらず親は文句を言っていたものの少しずつ大学に行くことができるようになった。
5月ごろに就活を意識しいくつかの長期インターンに応募したが全て落とされた。夏休み、やっと参加できた地元のボランティアの活動期間はまたしてもコロナが猛威を振るい、親にはまた文句を並べられた。東京に行くなんてもってのほかで、ずっと地元から出られなかった。ボランティアもコロナのせいであまり活動できなかった。
8月に親の職域でワクチンを打つことができ、9月からは感染状況の落ち着きもあって割と自由に出歩けるようになった。1年も延期していたディズニーランド、ゼミの同期との飲み、泊まり、1年生から憧れていた「大学生らしいこと」をやっとできた。
さらに転機が訪れる。大学でやっていた勉強会に参加し、そこで今まで会ったことないくらい頭がよく、私に色々な世界を教えてくれる人たちに出会った。そこで初めて勉強の楽しさを知った。なんでこんなに楽しいのに今まで気づかなかったんだろうと思った。高校受験で諦めさせられて以降嫌になっていた外国語も、友達と一緒に高校の時履修したけど知識は身についていなかった政治経済も学び直し始めた。遠くへ行って、知らない世界をたくさん見たいと思った。生まれ直した気分だった。
しかし、11月ごろから周りは一気に就活ムードに入りそれどころではなくなる。夏からインターンには応募していたが、1年次から興味のあることが一切できておらず、環境は最悪だったが6年続ければ何か足しになるだろうとしがみついていたバイト先でも、社員や先輩に嫌われ責任者にはなれなかったため、俗に言うガクチカも自己PRもなく、落ち続けた。周りには何人か休学して長期インターンやボランティアなどをする人も出始めた。私も一度きりの新卒就活、後悔しないように休学か就留か就浪して長期インターンをし自分のしたいことを見つけたい、ちゃんと何かに打ち込みたいと相談したところ親にこっぴどく怒られた。家を出てってくれと言われた。インターンも何も参加できず、就職先が決まらないかもしれないと言うと、女なんだからバリバリ働けないでしょ。就活なんか適当に地元ですればいい、それより男に好かれる、愛されて結婚するための努力をしろと言われた。あまりに呆れてしまい、返す言葉がなかった。私の人生ってなんなんだろう。
実は大学に入り、見よう見まねで都会の女子大学生としておしゃれをしてみて何か嫌悪感のようなものを感じるようになった。女として扱われるのが嫌だ。バイト先で自己肯定感の低い私をたくさん褒めてくれる先輩が入ってきて仲良くなったが、軽く肩を叩かれる程度でも体を触られたり、下ネタの話をされると途端に気持ち悪くなり、おまけにとんでもないクズだったので、関わるのをやめた。親とか同性の友達とかにも体を触られるのが嫌で喧嘩になったこともある。飲み会で酒が進み、恋バナや性行為みたいな話になっても嫌悪感があった。そのせいか恋人は今まで一度もできたことがないしまだ処女だ。
それなのになぜ女として振る舞い、男に好いてもらうために努力しないといけないのだろう。憤りしか感じなかった。自分のためだけに生きたい。
この間中学時代の友達と話す機会があったが、彼氏と同棲するなら〜とか、結婚を考えると全国転勤ありは嫌だよね〜とかの話をされ、私はやっぱりそういう考え方はできないなと思ってしまった。
年が明け、またコロナの感染者が増え始めた。親は毎日毎日感染者数をLINEで送りつけてきて、外出しているとどこにいるの早く帰ってきなさいと頻繁に連絡してくる。もう外食もできない。
こないだ休日のランチタイムにバイトしていたら普段は担当しないホールに回された。満席になった店で楽しそうに食事をする家族連れを見ているとなんだか辛くなってきた。コロナがなければ、もっと自由に生きられたのだろうか。誰も何も悪くないけど、涙を堪えながら接客をした。
人をまとめる力もなく、卒業見込みの大学に見合った頭もなければ普通に女として愛嬌を振りまくこともできない、これからの私はどうしたらいいのだろう。
今興味があるのはコロナ禍で始めた一眼レフでの写真撮影と昆虫と小学生の頃から好きだった自然、あとは自分が悩んだジェンダーとかお金とかの問題で、私みたいにやりたいことを諦めなければならない女子もいるだろう現状の社会には割と不満を持っているけど、別にものすごい性差別を受けたとかめちゃくちゃ貧しかったとかではないから何かの志望動機にするにしても説得力ないなと思っている。志望動機を書いていても自分ごとにできてないってキャリアセンターの職員には言われた。多分大学時代にあまり興味のあることも好きなこともしてないしどこにも行けてないからだと思う。
強みは今でも偏差値が70以上ある国語と、性格面では小学生の頃いじめられたからか自分と違う意見でも人の話をよく聞こうと意識しているのと最近いろんな友達との交流を経てやっと取り戻した明るさ、あと昆虫について詳しくなろうとする探求心だと、友達とか教授に教えてもらった。これが活かせるところがあれば知りたい。
それか生まれ直した私でもう一度勉強し直したい。もう4年生なので、そのためには社会に出てお金を貯めてからもう一回大学に入り直すか大学院に行くことかなと思う。
もう自分の人生において、お金にこだわる私はいない。今までは親の影響でコスパばかり考える気味が悪い子供だったが、たくさん遠回りをしてこそ学べることがあるのではないかと考えるようになった。
一度自立し、一人暮らしをしてからであれば親からはなにも言われないだろう。けれど1人で生きていくにあたってやっぱり職がないのは困るし、20代後半で大学を卒業してもちょっと貯金ができ、一人っ子なので自分しか頼れない両親の老後の面倒を見れるようなお金がもらえるところに就職できるかが不安だ。それかとりあえず行けるところに就職して、後々自分の興味関心があることができるところに転職するか。転職のことを考えると気が重くなる。新卒キャリアがどんなものでも、そこから転職ってできるものなんだろうか。
とりあえず早く親元を離れたい。
私の大学生活を返して欲しい。
本当に無知ですみませんが、向いてそうなものとか、どこに転職するにしても役立つスキルみたいなものがあれば教えて頂きたいです。
私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書く。よそよそしい頭文字などは使う気にならない。
私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。夏休みに海に行き、西洋人である先生が更衣室に忘れていった財布を、先生の元に届けたことが関係の始まりだ。
「Isn't it?」
「Oh、it's mine。アナタ優しいですネ。家に来てくれたら料理振る舞いますヨ」
私は先生の家に向かった。
「イッツ、ロコモコ」
「おーベリーyummy」
先生の作る「ろこもこ」は格別の美味しさであった。その日以来、私は毎日先生の家に「ろこもこ」を食べに行っていた。幸せな日々だった。
実家に帰るときがあった。しかし「ろこもこ」の虜になっている私は「ろこもこ」を食べずにはいられない。
「母上、ろこもこを作ってください」
「知らないものは作れません」
実家でろこもこを食べる夢は叶わなかった。
私は常日頃から「精神的に向上心のないロコモコは不味い」と言っていましたが、私の作るロコモコも、いつしか弛みきったダメロコモコになっていたように思います。よって、もうロコモコは作りません。毎日タダ食いしようなんてことはやめて下さい。いいですか、もうロコモコは作りません。
『原爆の図』を知っているだろうか。
苦手な人もいるだろうから詳しくは書かないが、簡単に言えば広島原爆で被災した人を生々しく描いた絵画だ。
丸木位里という絵師が描いたものだが、この作風がトラウマになるレベルに怖い。小さく細い目に、どこか下膨れの顔・・・。
モノクロでジャンプ向け(驚)だった、はだしのゲンの方がまだかわいいレベル。
・・・で、pixivなんかでエロ絵を漁っている時、まるでその「原爆の図」に近いようなタッチでエロ絵を描く人がいて、怖くなって一瞬で閉じてしまった。
これが特定の絵師に限らず、結構な割合で見かける。(濃いめの人妻系に多い気がする。)
2023/1/2 part5を全体的に修正。出身会社について追記。
前職を辞めて1年以上が経った。そろそろ事業会社で働いてみようと決心したところで、キャリアの棚卸しをしてみようと思った。
私は、新卒で人材広告の営業会社に入った。その次は転職支援の仕事をしていた。いずれも管理職になって、いくつかのチームをマネジメントする立場になり、二番目の会社を数年後に退職してからは個人事業主になって、ひょんなことから地方自治体(市役所)に転職した。
そこを辞めてからは、幾ばくかの退職金を元手に、フリーランスをしながら自由な毎日を送っていた。今でも個人でコンサルの仕事を請けたりする。学生時代を懐かしんで、マクドナルドのクルーに応募して働いてみたりもした。
人生の休息はたっぷり取ったし、そろそろ本気で再就職を目指そうかと考え始めたところ、職務経歴書を書かねばならないことに気が付いた次第だ。
なお、当日記のタイトルは、問題社員の正しい辞めさせ方(Amazonのページに飛びます)という本から拝借している。
名著だった。今回の日記の投稿に至ったのはキャリアの棚卸しが主な理由だが、この書籍にインスパイアされたこともある。
前職の説明をする。とある地方自治体の特定任期付き職員として、人事政策の立案と運用を担っていた。役職は部長級。人事~~と名の付く長ったらしい名前だ。
かつて個人事業主だった頃、それまでに培った人材広告の営業や、転職支援のスキルを活かして個人コンサルをしていたところを当時の市長に拾われた。この人は、私が勤めていた会社のひとつで上級管理職をしていた縁があった。
私以外にも、いろんな組織から多くの人間を市に引っ張っていた。みな幹部としての登用だった。それぞれが民間等での専門性を活かし、刷新的な業務に取り組んでいたのを覚えている。
ここに綴るのは、地方公務員の端くれとして〇年間、人事の仕事に携わった諸々の実例だ。
始めに言ってしまうと、私の仕事は政策立案の本流ではなかった。それよりも、できがよくない職員、いわゆる問題職員や無能職員と言われる者たちのトラブル処理や、彼ら彼女らへの指導――のみならず、退職勧告まで含めて担当していた。
当時の市長(私の任期の途中に退職)は、私をそのために採用したに違いないという確信がある。行政経営における中核的な人事施策は、当然ながらプロパー職員に担わせるべきだ。私は、公務員が慣れていない型の人事業務(いわゆる肩たたき系)の企画運営を行い、後の人間に引き継ぐために採用されたのだ。何か問題が起こっても、私は幹部職員で権限ある人間ということになり、責任を取ることも可能というわけだ。
前の会社においても、人事責任者として様々な人間に接してきた。その経験を当時の市長は買ったのだろう。かくして勤めることになった市町(K市とする)が抱えていた問題を解消するために動くことになった。
実際、当時のK市には労働関係の指標に問題があった。3年以内離職率だ。私が赴任する直前年度の3年以内離職率は、30%を超えていた。地方自治体は、同規模の民間企業に比べて恵まれた労働環境にあるというのに、この数字はちょっと高い印象がある。
辞めていく人間の大半が査定の低い者、トラブルを起こす者ばかりであればまだいい。だが実際には、将来のK市をしょって立つと期待された職員が半数を超えていた。特に若手だ。
せっかく、まちづくり活動に携わる職場や、霞が関や、県の本庁にある部署や、県内市町から1人ずつ出して組織される団体(〇〇合同機構や、〇〇事務処理組合など)を経験させたというのに、辞められては元も子もない。
「全くの嘘は書かない」
というものだ。どういう意味かというと、例えば「A」のことを「アルファベット」と表現することはあっても、全く別のBと言うことはない。A´みたいな表現はするかもしれない。
当日記は、胸の痛くなる描写を伴う。しかし、私自身が次の転職に向けて準備をするために行っているので、赤裸々な事実まで含めてきちんと振り返ってみようと思う。死人は出ないので安心してほしい。
次に、この日記を書いたきっかけについて。何となくお察しかもしれないが、△年前に雇止めの通告を受けた。任期はその年度の3月末までだという。
結果を出したにもかかわらず、任期を更新されないという裏切りを受けた。私はそのように感じている。
当自治体に配慮する道理はないものと考える。書いてもいいこと、書くべきことは何でも綴ってやるつもりだ。
形式的には地方公務員だったかもしれないが、本当は違う。私はあくまで民間側の人間であり、自治体の人事運営の一部をコンサルティングする立場としてアサインされた。しかし、業務委託(準委任契約)の立場ではできない(例えば職員への直接の命令や指導)ことが多いため、致し方なく特定任期付き職員として採用された。それだけのことだ。
尤もらしいことを書いたが計算もある。以前、はてな匿名ダイアリーで、元公務員である作者が、かつて勤めていた組織の内情を(おそらく)包み隠さずに綴った日記を何点か読んだことがある。その中には、当然官公庁の内部事情に関するものもあった。「それ書いたらあかんやろ、捕まるぞ」と直感的に感じたものもある。
その人の日記では死人が出ていた。当日記では誰も死なないし、たとえどんなに面白い話であろうと、亡くなった人間をネタにするつもりはない。
例の日記は、今でも増田に残っている。魚拓と比べて、投稿後に何かを隠した形跡もない。私がこれから書く内容も赤裸々なものだが、あの日記の暴露レベルをラーテルとすれば、当日記はチンチラのようなものだ。ラーテルとチンチラが戦ったとして、多くの場合はラーテルが勝つだろう。
そこまで大した内容を書くつもりはない。挑戦してみるのも悪くないと思えた。
当然ながら、職員個人については特定がされないように最大限配慮する。特定の危険があると判断した場合は該当箇所を削除する。では、以下に1章ずつ綴っていく。
初めに言っておかねばならない。この日記はとても長い。全部で5万字はあるため、気になったところだけ読んでいくやり方は大いにアリだと思う。
かなりざっくりとした目次は以下のとおりだ。
第一章 更生が期待できない問題職員について Part1の途中~3,5~6
思い出に残っている職員を1人だけ取り上げる。
結びにかえて Part10
では、さっそく第一章に入る。
この章では4人分、問題職員への対処例を述べたい。私が採用されてから退職するまでの間に接した事例になる。
A夫さんは当時、50代後半だった。まるで絵に書いたような昭和風の地方公務員であり、私が若い頃に聞いた「公務員はこんな感じ」を地で行く人物だった。今では絶滅危惧種だと言っていい。
・毎日5時になったら帰り支度を始める。朝は始業2~3分前に出勤する。たまに遅刻あり。
・主任~主査級(※民間で言うと平社員の最上位。ここまでは自動的に昇進する)。年収は8本ほど。
・仕事量は少ない。勤務時間中はのんびり過ごしている。電話や窓口には出ない。
・台風待機や他課の行事があると積極的に手を上げて参加する(時間外手当がほしい)
ここまではいい。業界的には許せる範囲だ。生産性の低い人間には違いないが、問題職員とまではいえない。
この年代になると、彼らが新人職員の頃に先輩が行っていた(よくない)行為をすっかりと踏襲している。出張の帰りに公用車で自宅に帰ったり、家のごみを市役所のごみステーションに放り込んだり、イベントで余った飲食物を箱単位で私物化したり、市の取引先の〇△メーカーから私物としての〇△を卸売価格以下(店頭価格の約4割。同種の横領の誘発を避けるため伏字)で購入したり、机の下に焼酎やウイスキーを隠し持っていたり……。
重ねて言うが、ここまではまだ許せる。働く組織によって文化や慣習は異なるものだ。彼らや彼らの先輩が今までずっとそうしてきて、それで通用してきたのであれば、それは組織の責任でもある。
それに、若い職員には年配の職員が不幸である様子は極力見せたくない。「自分たちも将来は……」という希望を持っていてほしい思いがある。ほかにも理由はあるが、当日記を読んでいるうちにご理解いただけると思う。
罪を犯したのだ。職場の飲み会の帰りに酔っぱらって気が大きくなった彼は、とある罪を犯した。現行犯逮捕されたA夫さんが翌日に暗い顔で上司に報告したのが、私が赴任してちょうど一か月の頃だった。
新年度の第一例目ということで、私は総務部や人事課の職員(特に幹部クラス)がどう対応するのか見るつもりでいた。人事課の隣にある面談室で、A夫さんと、総務系・人事系部署の役職者が何人かと、私が同席していた。みな、それぞれソファに座っている。
その時のA夫さんの印象は、以下のようだった――と書こうと思ったが、そこまでの価値もない。一言でいえばこうだ。
『反省の色がない』
夜中にコソコソと他人の所有物を盗んだにもかかわらず、ヘラヘラと笑いながら、「すいません」と首をブラブラさせるばかりだった。シャツその他の衣服はよれよれで、ネクタイは曲がっていて謎のシミがある。
面談後、私は単刀直入に人事課長ほか数名に尋ねた。「免職ですよね?」と。
それは、短い返答だった。「これから協議します。民間なら免職かもしれません」というものだ。
私は負けじと、あらかじめ調べておいた根拠を示した。人事院が発している「懲戒処分の指針について(平成12年3月31日職職―68)」というものだ。
国家公務員も地方公務員も、この通達に従って処分を決めるという。免職処分か否かで揉めて裁判になった場合も、裁判所はこれを基準として判決を下す。その中に、以下の文言がある。
(1) 放火
(2) 殺人
(3) 傷害
(中略)
A夫さんの場合は、(7)のアにあたる。免職処分にできるはずだ。だが、人事課よりも上の立場の人間(※その人は部長級で、私と同格だったが、新人だった頃の私に権限や権威などあろうはずもない)は、A夫さんを停職1ヵ月と減給で済ませるという。
ここが勝負どころだと思った。
私が最初に入った会社では、飲食店などをメインに、自社の求人広報誌に情報を載せてもらう飛び込み営業を十年近く続けた。その後に実績が認められて人事部署に異動となり、数多くの優秀な社員や問題社員と接してきた。次の会社でも、現場を経験後に人事畑に移っている。今、この経験を用いる時だ。でなければ私の立場は矮小のままである。職員からの信頼は得られない。
手を挙げた。次回のA夫さんの面談は、私が主担当となった。面談室のソファの中央に私が座り、右脇には人事課長、左脇にはそれに準ずる者がつく予定だ。後は結論と筋書を用意して、A夫さんをその方向にもっていくことになる。
その前に、市長に軽く相談したところ、「お前の好きにやってみろ。決着がついたら教えてくれ」とのこと。ならば好きにやらせてもらおうと思った。
(続く)
この動画を見ていると、なぜかとても懐かしいような気がして、胸が締め付けられる。ある夏休みの日、学校の図書館に本を返しにいくような、永遠に失われてしまった時間がどうしてか今近くにあるような気がする。蝉しぐれ、日差し、水路の流れ。失われた時というやつはいつも夏の顔をしていて、時に知りもしない少女の追憶へと私を追いやる。
ちふゆさんはいったい、何県の何中学校に通っていたのだろう。彼女の部屋はどんなのだったのだろう。好きな小説、お気に入りの音楽はなんだったのだろう。メール友達がいたかもしれない。なぜか千葉や埼玉の郊外に住んでいるような感じもする。どれも知る由もないが、たしかにそこにいて、おそらくは今も、今もどこかで暮らしている人を思うと、どうしてか本当にかなしい気持ちになる。
どうしてか永遠に交わることのない人たちが大勢いるという当たり前の事実を前に、胸が空っぽになる。知らない街、知らない学校、知らない校庭、知らない日々を思うと、得体の知れない喪失感に打ちひしがれる。夢の世界で知らない風景を見て起きた時の、あの忘れゆく記憶を辿るようなもどかしい感じがする。ただ一つ確かなことがある。彼女には逢うことができない、永遠に。
聖夜だし無料で読めるエロ小説の紹介だ。去年のGWに anond:20200423221127 を投稿してから結構時間が経ってしまったけど、今度はエロ重視のものをおすすめしたいと思う。前回はライト目で文章が読みやすいものを中心に紹介したが、実用性が低いとの指摘を受けたので、今回はストーリーや設定は二の次でエロ重視なものも紹介したいと思う。
言うまでも無いがノクターンノベルズとは男性向け18禁版小説家になろうである。ちょっと前に広告が話題になった「ゾンビのあふれた世界で俺だけが襲われない」のオリジナルが連載されていたところでもある(コミカライズ効果か何年も更新がないのにランキングに何週もランクインしてた)。あと「異世界NTR ~仲間にバレずにハーレムを~」も。
紹介する作品ジャンルは非エロ小説2、イチャイチャ3、催眠2、無理やり4、NTR8、おまけ1。またURLはhttps抜きで記載してる。面倒だけどコピペして下さい。
字面だけで内容を要約するとサイキョー主人公が不幸系ヒロインを拾うというなろうイズムな作品なのだけど、実態はツンデレ少年スコンブがサバイバーズギルト少女の淫ピを不器用な優しさで救う短編である。ちなみに淫ピとは淫乱ピンクの略。スコンブは育ての親からピンクは淫乱でえぬてぃーあーると聞かされた育ったので、ピンク髪を見るとこう反応してしまうのだ。エロが行方不明だけど爽やかな物語を読みたい人におすすめ。なお続編はミッドナイトの方。
リクオは冴えない幼なじみのイチカがずっと好きだった。その気持ちはずっと隠していた。彼女は高校に入って好きな人を見つけた。そして彼女は自動車事故で亡くなり、ダンジョンになった。72時間の制限時間以内にダンジョンに潜り過去を変えられればイチカを助けることができる。しかしダンジョンで再会した彼女はリクオの行為を咎め、何度繰り返しても歴史は事故に収束してしまう。過去の中で陵辱や殺人まで手を染め、自暴自棄になるリクオだったが…
作者のXPJboxさんは昔はてぶでも話題になった「JKハルは異世界で娼婦となった」の人。完全に余談だけど、増田は本作のミツキ、「絶頂都市エデン」のサラや「僕たちの教室にイジメはない」の玲奈のようにXPJboxさんの描く当たりが強いギャル系の美人だけど一途で純情なヒロインがめっちゃ好き。
ちょろいエルフが人間の幼馴染の百戦錬磨おちんちんに負けちゃうお話。エルフの村が領主オズマノクの兵により焼かれた。長の子セラフィナは突然の暴挙に対してオズマノクを誹るが、なにやら風向きが「あれエルフサイドが原因じゃね」となり、事態を決着させるためあれよという間に二人が結婚することになるが…。序盤の交渉パートが長いけど読み応えがあって面白いので読んで。エロの見所は、セルフィナにとって年下のかわいい幼馴染の男の子であったはずのオズのオズが成長によりアレになっててそのギャップでメダパニくらって負けちゃうところ(ショタものじゃないよ!)。しかしすっかり淫紋が一般的になりましたなあ。
童貞がおとなりのシングルギャルママの梨花さんと仲良くなる話。正直、今すぐこの三人には家族になって欲しい。子供のお守りをしてあげることでだんだんと仲を深めていき、主人公の誕生日を子供とママと三人でお祝いする描写がいいのです。エロ的な部分としては、梨花さんに誕生日のお祝いとしてコンドームをもらった上に、本当はMなのに童貞の主人公のためにS役を演じてくれる梨花さんにこってり搾り取られるのがとてもよい。
巨乳むっつりエルフにあてられてダンジョンなのにがっつりまぐわうお話。ソロ冒険者であるカイトは毒が満ちる洞窟を攻略するためエルフの魔法使いラウネを仲間に加えるが、とある理由によりラウネは戦力外であることが判明してしまう。しかし本来の目的である解毒だけは粘膜同士を接触させる!ことで出来たので、カイトが毒を受ける度に二人はキスをすることに。いつしかキスをするために毒を浴びるようになったカイト、それに気がついたラウネは誤魔化すカイトに嘘をつかなければキスよりももっと気持ちいい解毒をしてあげると告げ、それを聞いたカイトは…。 雰囲気が実にエロい。
貴族の令嬢に高貴な振る舞いを教えると称して催眠で嘘っぱちを刷り込むお話。「高貴ではない」振る舞いを知るために「獣」と「平民」のセックスを教え込まれイキまくるお嬢様がスケベ。本人が教育だと信じて至極真面目に対応しようとするところも常識改変モノとしてグッド。
擬音が特徴的な作者の短編。握手することで【友達】(セックスフレンド)になることができる能力を持つ主人公が、かるーいノリで小柄な女番長となかよくするお話。エロい。
タイトル通り、少年が男子トイレの個室で自慰で絶頂して気をやっている少女を見つけてしまう話。ネタバレ最終的には合意になる。同作者の「 露出狂の女の子の話 」は、ハプニングでスラックス越しに挿入しそのまま果てるという、ニッチ極まりない作品なのだけど刺さる人はチェックしてくれ。
タイトル通りテンプレ的な常識改変世界ものなのだけど、個人的に本作品が他の作品と一線を画しているのは行為に及んでいる二人以外のクラスメイトの反応。クラスのアイドル的女子が自分たちの目の前で犯されている。彼女の痴態に興奮して自分で扱く者、悔しさで泣く者、それぞれが彼女への思いを発露する。そんな大勢のモブを尻目に悠々とヒロインを自分のものとする主人公。この優越感と惨めさのバランスが大変素晴らしい。
ガチレイプ。中学生女子が顔見知りのお兄さんに自慰しているところを撮られ脅迫されるお話。救いはない。
とりあえずこのジャンルはこれを出しておけば良いという有名作。好きなところを読みましょう。個人的なおすすめは6章。脅迫され無理やりされた後、実はいまのは初めてではないとこれまでの録画を見せられて堕ちるシーン。最後の方は和姦もあるよ。
BSS/NTR には感情を励起させるポイントが二つある。一つは恋人の不貞を知ってしまう衝撃(ショック)で、もう一つは好きな人の心と体が自分のものでなくなっていくマゾヒズムだ。まずはこのポイントが分かりやすい五つの中短編を紹介する。
ショック系。内容としてはテンプレだけど要点をうまく抑えているのでおすすめ。最愛の彼女の友紀は貞操概念が固くキスまでしか許してくれない。でも最近体を押し付けてきたり胸の谷間を見せつけてきたり蠱惑的でドキドキしてしまう。そんないつものように彼女の部屋で一緒に勉強した帰り道、ふとノートを忘れたことに気がつき彼女の家へと戻るが何か違和感がある。そう玄関にはなぜか彼女の靴だけではなく親友である恭弥の靴もあったのだ。
取られるところから堕ちるところまで。テンプレ的なのだがそれはつまり王道ということである。
ショック+絶望。主人公のタクミはちょっと早熟な小学4年生。今日も幼なじみのナナとゲンの3人で夏休みの宿題を片付けていたが、突然ゲンが「ねぇ……“せっくす”って知ってる?」と爆弾発言をした。性行為について知識があったタクミがショックを受けている間に、せっくすを知らなかったナナとゲンは試してみようという流れになり…。タクミにとって地獄の夏休みが始まった。
幼いがゆえに行為にハマっていく二人と、早熟だったゆえに自分の気持ちを言い出せず無感情になっていくタクミの対比が残酷。
基本的にはタイトル通り。Mな僕があこがれの彼女の主宰する第8回M男射精会に参加してなんだかんだ気に入られて恋人になる話。ただその過程として第二話でSな彼女がデカチン運動部先輩に逆転セックスされるという心が痛い展開がある。結局最終話でラブラブになり、二人だけのM男射精会を開いちゃう(ハート)、なのだけど…イフの第四話で、第二話の先輩と彼女がもう一回セックスをするという展開があるのだ。そして溜めて、溜めて、溜めてのこの第四話がNTRとしての破壊力がすさまじいのである。Sな少女が逆転されMにされる展開が好きな人は必読。
体は堕ちるが心は堕ちていない(はず)。結婚資金を貯めたいが一向に貯蓄できない毅と明希二人の前に高校時代の同級生であるロボ山が現れ、女性の肉体を使ったコンドームの治験アルバイトを提案する。はじめは毅の目の前でバイトをしていたロボ山と明希の二人だが、次はビデオ越し、電話越しと距離が離れ、明らかに自分としているより感じている明希の声は離れていく。好きなシーンは第三話のシュレディンガーの生挿入(映像が途絶えた後、「どこで出した」「明希ちゃんがお願いしてきた場所で。ふぅ……知りたい?」)。
ここからはNTR長編を紹介する。このジャンルはヒロインへの感情移入が強いほど受けるネガ感情も強くなり、また堕ちるまでの過程が丁寧なほど良質な体験が得られるため、どうしてもおすすめは長編に偏ってしまう。ただ、長編作品は読み進めるのが大変であるため気が向いたら読んでみて欲しい。
「僕は死んでもいいって、そう思ったんだ」、「呪いのせいだから仕方ないよね」に続く田中フランチェスカ氏のNTR・寝取らせメイン?の長編。傍若無人な主人公が復讐?のためヒロインを巻き込んで、あっちこっちでエロいことしたりエロいことさせたりするロードムービー。作風がライトでとっつきやすい。基本的に主人公は可愛い女の子がエロい表情をしているところが見るのが大好きなので、エロい顔させるのが自分でも他人でもオーケーというスタンス。イリナちゃん編が辛い。
このノリが好きな人は前作「呪いのせいだから仕方ないよね」も似た作風なのでオススメ。しかし「僕は死んでもいいって、そう思ったんだ」( novel18.syosetu.com/n3557de/ )はライトではなくガチなので注意。こっちは相手が命より大切と言い切れるほど想い合っているアキオとアルシャを、愛の精霊マプゥがあの手この手(ドン引きする行為)で引き裂こうとする話。どこまでも健気に相手のことを想うがゆえに自らの体を犠牲にしあう二人。どれだけ陵辱されてもその心は決して折れないところがあまりにも辛い。
特に屋敷編が死ぬほどキツイ展開なのでNTRとして凄まじく良質。奴隷の身となったアキオの命を助けるために屋敷の主人の使用人兼性処理係となったアルシャ。その情報を知らされてひどく苦しむアキオに主人のアルベルトから命令が下る「倉庫から小箱を持って来い」。大量に積まれたそれは全てコンドームの箱だった。吐きそうになりながら一つの箱をアルベルトとアイシャの待つ部屋へ届けたアキオだったが、再びアルベルトから通信が入る「君の持ってきた箱は空箱だったよ」と。辛い。
書籍化もされている有名な作品。亡国の姫と幼馴染の騎士が祖国復興国のため旅をするのだが、行く先々でNTR展開を受けてしまうお話。お姫様は清純だし幼馴染に一途なのだけど淫紋のせいで肉欲に逆らえなくなってしまう。辛い。早く旅が終わって二人で慎しくも幸せに暮らしてほしい。
基本的にハーレム物なのだけど、ヒロインたちは容赦無く主人公以外の人間(非人間も)に催眠されたり陵辱される。割と倫理観が緩めの作品。ちなみに作者は、表のなろうで連載していたちょいエロだけど健全な作品の裏側(実はあのシーンはNTRされていた)を裏のノクターンで書くようなグレイトフルな作者であると指摘しておく。
実は自分の性癖が、父親(もしくは兄、弟)と姉・妹がしているところを目撃することだと最近気がついてしまった。多分BSSの亜種。この作品はお酒で酔っ払って出来上がったビール腹の親父が姉にセクハラして、姉がなし崩しにしょうがないなあと受け入れるところを思春期弟目線で描く作品。なにがいいかって、意外にガードが緩い姉がほろ酔いの思考力でずるずる流されてめちゃくちゃにされてしまうところを、障子越しの覗きという弟目線で描写されているところ。弟も姉の豊かな肢体にドキドキしているというところも良いスパイス
連載中の作品で、姉と初めて同士でエッチしたけど、伏線をよく考えると実は姉は父と一足先に初体験していた(NTRされていた)のではないか、というものがあったのだけど、どうも更新が止まったみたいで残念至極。この路線の作品でおすすめがあったら教えて欲しい。
僕は三年前近くからデパス、マイスリー等の安定剤、睡眠薬を摂取している。
きっかけは大学生時代、コンビニや居酒屋等の周りのみんなと違う仕事がしたいと興味本位で飛び込んだ大阪ミナミの夜仕事。
仕事内容はよくあるミックスバーで特段おかしいことはない、元ホストの先輩たちが風俗嬢のお客さんを呼んだり、キャバクラのアフターで利用してもらう。勤務時間は0:00~5:00、よくあるバーだった。
僕は特段酒が強いわけでもお喋りなわけでもないのでひたすら皆が飲み明かすグラスを洗うことに徹していた、売上を上げない事に関してはオーナーが寛容に許してくれてその優しさに甘えながら裏方としての仕事に徹していたし、酔い潰れた従業員やお客さんに頼られた時は裏方が向いてるなとさえ思った
真面目に授業を受けていた訳ではなかったが、大学に通いながらの夜勤は思っていたよりもハードですぐに自律神経に異常をきたし不眠に悩まされた。 裏方でいつも陰気にしている僕を気に入ってくれた風俗嬢のお客さんに不眠を相談すると持っているデパスとマイスリーをくれた、たしか一ヶ月分程度だったと思う。「はじめはデパスだけでいいと思う、1mgだから半分に割って飲むといいよ」 これが入り口だった。 病院にも行かずお客さんが処方された安定剤を横流ししてもらって飲んで、寝て、大学へ行って寝る、大学が終わったら寝て起きたら仕事、そんなルーティン
半年程続いたルーティンは先輩からの一本の電話で終わりを告げた。「明日から一旦シフト無しで!また忙しくなったらまた連絡するから手伝って!」実質のクビ宣言。突然の宣告に驚きはしたものの考えてみれば何も不思議な点はなかった。半年働いて呼んだお客さんは二人。お客さんに頂いたドリンクを合わせても売上は7万いけばいい方だったと思う。そんな僕を時給1500円という待遇で雇い続けるのも限界は来る、それがその時だった。
今でもその先輩、オーナーさん達にはよくしてもらってる。 結果夜職を辞めたことで僕の手元に安定剤眠剤は無くなったし、必要にもしなくなった。
飛んで今年の三月、僕は大学を卒業し四年間住んだ大阪を発ち就職の為東京に移り住んだ。
これまで大した挫折も味合わず、色んな人に甘やかされて生きてきた全能感にまみれた僕は新卒二ヶ月目にして東京で精神を患った。
パワハラや嫌がらせを受けた訳じゃない、ただただ自分の無能さに気づき酷く落ち込み出社できなくなった。
コロナ禍において体調不良で休むのは非常に容易で有給を使い果たし、やがて休職に至った。
精神科に行き、「抑うつ状態」「適応障害」「レム睡眠障害」と診断された。その時は自分の病名に何故か誇りに似た感情を持ったことを覚えている。
以前デパスやマイスリーを「処方」されていたと言い僕はデパスを初めて「処方」してもらった。
そこからは毎日楽しかった。自分の病名に酔い、自分の無能さに気づいたことを盾に毎日ゲームやドラマアニメ鑑賞、寝たいときにデパスを飲み、遊びたいときに遊ぶ。
システムに甘え休業手当を受け取り、大学生時代の貯金を削りながら毎日「治療のため」と嘯き自堕落に過ごしながら何不自由ない生活を送った。何も生産しない落ちこぼれ、そんな自分を愛した。
6月から8月に休職し、復帰する予定だったがお医者さんの筆一つで夏休みの延長チケットを獲得できる。その甘えに乗った。
9月末、これが僕の人生最後の夏休みといいながらまた同じような生活をした。でも確実に治ってはいる、働ける。
9月中旬僕の家に遊びに来た彼女がシャワーを浴びてる間にLINEを確認。5股あるいはそれ以上の男とのLINEを見て気が狂った
もう何を飲んだのかもわからないがとりあえず意識を飛ばしたかった、今この場に存在しているだけで頭がおかしくなると思い、そこらにあった薬を合計2シート程のんだ。
結局その彼女と別れた喪失感に耐えられなかった僕は再び延長チケットを手にした。
僕の知らない世界を生きてる彼女、なのに話が合う彼女に惹かれ交際を始めた。
彼女は言った「眠剤はバカになるから辞めて、わたしもコカイン辞める」
二つ返事で快諾、眠剤がバカになると言っている理由もわからなくもなかった。その時の僕は健忘症が激しくて物事の時系列や、記憶の因果関係がめちゃくちゃになっていた。
次の日、行きつけのバーでバカみたいな飲み物を沢山のんだ、テキーラやコカレロ、ビール3:ウォッカ7のカクテルのようなもの、どこからかでてきたシャンパン
完全に潰れた僕を心配して彼女は僕の家に初来訪、閉店間際にタクシーで向かった。タクシーの中が酒臭すぎて寒いのに窓を開けていたのを覚えている。安心していた、横に彼女がいることと酔い潰れて家で眠れることに
でも僕は眠れなかった、普段なら寝ている時間、疲弊した身体を持ってしても全く眠れなかった。この時自分の身体が眠剤に依存していることに自覚した。
そこから丸一日24時間経過してから僕は耐えきれず眠剤を飲んだ。サイレース2錠とデパス3錠
こっからが本番メインだけどもういいや書くの飽きた
僕は三年前近くからデパス、マイスリー等の安定剤、睡眠薬を摂取している。
きっかけは大学生時代、コンビニや居酒屋等の周りのみんなと違う仕事がしたいと興味本位で飛び込んだ大阪ミナミの夜仕事。
仕事内容はよくあるミックスバーで特段おかしいことはない、元ホストの先輩たちが風俗嬢のお客さんを呼んだり、キャバクラのアフターで利用してもらう。勤務時間は0:00~5:00、よくあるバーだった。
僕は特段酒が強いわけでもお喋りなわけでもないのでひたすら皆が飲み明かすグラスを洗うことに徹していた、売上を上げない事に関してはオーナーが寛容に許してくれてその優しさに甘えながら裏方としての仕事に徹していたし、酔い潰れた従業員やお客さんに頼られた時は裏方が向いてるなとさえ思った
真面目に授業を受けていた訳ではなかったが、大学に通いながらの夜勤は思っていたよりもハードですぐに自律神経に異常をきたし不眠に悩まされた。 裏方でいつも陰気にしている僕を気に入ってくれた風俗嬢のお客さんに不眠を相談すると持っているデパスとマイスリーをくれた、たしか一ヶ月分程度だったと思う。「はじめはデパスだけでいいと思う、1mgだから半分に割って飲むといいよ」 これが入り口だった。 病院にも行かずお客さんが処方された安定剤を横流ししてもらって飲んで、寝て、大学へ行って寝る、大学が終わったら寝て起きたら仕事、そんなルーティン
半年程続いたルーティンは先輩からの一本の電話で終わりを告げた。「明日から一旦シフト無しで!また忙しくなったらまた連絡するから手伝って!」実質のクビ宣言。突然の宣告に驚きはしたものの考えてみれば何も不思議な点はなかった。半年働いて呼んだお客さんは二人。お客さんに頂いたドリンクを合わせても売上は7万いけばいい方だったと思う。そんな僕を時給1500円という待遇で雇い続けるのも限界は来る、それがその時だった。
今でもその先輩、オーナーさん達にはよくしてもらってる。 結果夜職を辞めたことで僕の手元に安定剤眠剤は無くなったし、必要にもしなくなった。
飛んで今年の三月、僕は大学を卒業し四年間住んだ大阪を発ち就職の為東京に移り住んだ。
これまで大した挫折も味合わず、色んな人に甘やかされて生きてきた全能感にまみれた僕は新卒二ヶ月目にして東京で精神を患った。
パワハラや嫌がらせを受けた訳じゃない、ただただ自分の無能さに気づき酷く落ち込み出社できなくなった。
コロナ禍において体調不良で休むのは非常に容易で有給を使い果たし、やがて休職に至った。
精神科に行き、「抑うつ状態」「適応障害」「レム睡眠障害」と診断された。その時は自分の病名に何故か誇りに似た感情を持ったことを覚えている。
以前デパスやマイスリーを「処方」されていたと言い僕はデパスを初めて「処方」してもらった。
そこからは毎日楽しかった。自分の病名に酔い、自分の無能さに気づいたことを盾に毎日ゲームやドラマアニメ鑑賞、寝たいときにデパスを飲み、遊びたいときに遊ぶ。
システムに甘え休業手当を受け取り、大学生時代の貯金を削りながら毎日「治療のため」と嘯き自堕落に過ごしながら何不自由ない生活を送った。何も生産しない落ちこぼれ、そんな自分を愛した。
6月から8月に休職し、復帰する予定だったがお医者さんの筆一つで夏休みの延長チケットを獲得できる。その甘えに乗った。
9月末、これが僕の人生最後の夏休みといいながらまた同じような生活をした。でも確実に治ってはいる、働ける。
9月中旬僕の家に遊びに来た彼女がシャワーを浴びてる間にLINEを確認。5股あるいはそれ以上の男とのLINEを見て気が狂った
もう何を飲んだのかもわからないがとりあえず意識を飛ばしたかった、今この場に存在しているだけで頭がおかしくなると思い、そこらにあった薬を合計2シート程のんだ。
結局その彼女と別れた喪失感に耐えられなかった僕は再び延長チケットを手にした。
僕の知らない世界を生きてる彼女、なのに話が合う彼女に惹かれ交際を始めた。
彼女は言った「眠剤はバカになるから辞めて、わたしもコカイン辞める」
二つ返事で快諾、眠剤がバカになると言っている理由もわからなくもなかった。その時の僕は健忘症が激しくて物事の時系列や、記憶の因果関係がめちゃくちゃになっていた。
次の日、行きつけのバーでバカみたいな飲み物を沢山のんだ、テキーラやコカレロ、ビール3:ウォッカ7のカクテルのようなもの、どこからかでてきたシャンパン
完全に潰れた僕を心配して彼女は僕の家に初来訪、閉店間際にタクシーで向かった。タクシーの中が酒臭すぎて寒いのに窓を開けていたのを覚えている。安心していた、横に彼女がいることと酔い潰れて家で眠れることに
でも僕は眠れなかった、普段なら寝ている時間、疲弊した身体を持ってしても全く眠れなかった。この時自分の身体が眠剤に依存していることに自覚した。
そこから丸一日24時間経過してから僕は耐えきれず眠剤を飲んだ。サイレース2錠とデパス3錠
こっからが本番メインだけどもういいや書くの飽きた
コンテストに出場した清居だったが、一位にはなれず。コンテスト終了後に一人きりで悔しがる清居を追いかけ、声を掛ける平良だったが、拒絶されてしまう。夏休みが終わると、教室のヒエラルキーが一変。清居はコンテストで入賞を逃した。たったそれだけの事で城田達、元清居のグループが清居外しを始め、それはやがて露骨なイジメへと進展してしまう。城田達による清居への悪辣な嫌がらせに遂にキレた平良は……。
これまで、原作に比べると純朴で可愛い印象だった平良が、ここへ来て原作通りの根暗アグレッシブ俺様ぶりを発動! マシンガンを構える平良の闇の深すぎる目線にシビれた。てか、「マシンガンがあればいいのに」って独白をバッチリとマシンガンをぶっ放すシーンで表現してしまうの面白いw なのに平良が城田に殴りかかってボコボコにするシーンは写さないし、平良の顔や身体に跳ね返ってるのは血糊ではなくトマトジュース(城田が清居にぶっかけたやつ)にしてしまうという、謎の表現規制w
平良役に萩原利久を当てたことに当初は批判の声もなくはなかったんだけれども、萩原利久で本当に良かったとしみじみ思った第3話だった。あの平良の目つきを再現出来る役者は他にいないのではないかと思った。あと、跪いて清居の手の甲にキスするシーン、腐女子の夢がめっちゃ詰まってた!
城田が平良に八つ当たりした理由がわかりにくいような。といって私も原作の部分を正確には覚えていないけど……二学期初日に城田と二人で自撮りしてた元清居ファンのロリ顔巨乳ちゃんが清純そうな顔して二股かけたせいで別れた、というやり場のない怒りを通りすがりの平良にぶつけたとか、そんな感じだったような気がした。そんなドロついた背景のある城田とロリ顔巨乳ちゃんが、卒業式には何事もなかったかのように和解しているのには笑った。平良と清居の同級生達は小学生かよってくらい幼い。城田があまりにもアホな言動をする子にされているせいで、やること最悪なのにいい子っぽく見える。そもそも高校三年生なのにクラスで亀を飼っていたりとか、夏休みの宿題を写し合いしてるとか、謎にリアリティの無い高校生活描写なのは一体何故なんだ。
清居がハブられたせいで思いがけずに訪れた平良と清居の二人だけの時間が、萌え萌えしくてよかった。お家で一緒に宿題したりとか、自転車二人乗りで帰ったりとか。
さて、残りあと2話。次回にはあのビーバー小山が登場する訳だが、陰のあるイケメン平良&清居とは真逆の陽キャ爽やか系イケメンな高野洸が小山役を担当しており、半端ないラスボス感が! しかも爽やか良い人そうな役作りでありつつ、なんだか「お前自分がイケメンだってこと良く分かってるだろ」って感じさせる、うっすらとした嫌味のある演技。ビーバー小山感ハンパない。予告では平良と小山の前に立ちはだかる清居……これまたキングのオーラを放っており、来週も見逃せないな。
平良役の萩原利久、清居役の八木勇征、小山役の高野洸は将来ビッグな役者になりそう。今もう既にすごいし。
正直読んでもあらすじが今ひとつ分からなかったのだが、エジプト神話の話。
1話全部と2話の殆どが神話パートで、2話の終わり辺りでアヌビスが父のセトに歯向かい、そこにホルスがやって来て、ボコられた。3話でイシスがセトに殺されかけて、ホルスがセトを刺す。
シーモアで3話無料だったので読んだのだが、3話までではさっぱりストーリーがわからない。分からなさ過ぎるよ!
ENNAD(エネアド。ヘリオポリス九柱神)の一人セトが暴虐の限りを尽くし、ホルスがそれを止めようとセトと王座を巡って闘うわけなのだが、Pixiv百科によれば、どうやらセト←ホルスのBLであるっぽい。なるほどわからん。面白そうではある。買って読むかというと……保留かな。
なんか……たまに韓国BLを試し読みしてみると、ストーリーがかなり殺伐としているので驚く。海を超えてまで人気が出るような作品だからこそ過激な作風なのかもしれないけど、愛憎の憎の部分がめちゃ強いのはなんなの……。
とあるBL書きのコミュニティで、BLと非BLの違いってなんなの? と聞かれた。
アマチュア字書きの書くBLの場合は単に男同士が愛し合ってるかセックスしてるかというだけで他に確たる決まりはなさそうだよ、でも商業BLはそれだけでなく他に守らなきゃいけない掟があるようだよ、と私は答えた。
そしたら質問者が「じゃあ私の作品はBLではないってことですか。私はBLだと思うんですけど、BLというジャンル設定で小説投稿サイトに投稿したらダメなんですか」と食ってかかって来たので相手をしたんだけど、どうも要領を得ないというか……。そもそも最初にアマチュアの字書きの書くBLは男同士が愛し合ってるかセックスしてるかというだけで他に確たる決まりはないって言ったじゃん! アマチュアなんだから好きに投稿すりゃええがな。誰も文句なんか言わぁしねえよ! と思ったけどそんなこと言ったら怒りそうだから丁寧にリプライした……。
質問者は自分の作品なんかクソクソのクソだからプロになるなんて夢もまた夢だと言いつつ、BLってなんですか? 女性向けってなんですか? ライトノベルってなんですか? 等、アマチュアがWeb上で投稿する限りにおいては別にそこまで厳密に考えんでもいいことを、あくまで商業作品の定義としてどうなのか? っていう意味で聞いて来るので困った。一体、この人は何なの? 死ぬほど自信が無いと言いながら実はプロ目指していたりするの?
段々相手するのが馬鹿らしくなってきたけど、真面目に対応しないとキレ散らかしてコミュニティーを荒らしに荒らしてから垢消して去る系かなと思ったので、「ggrks」と言いたいのを抑えて分かる範囲で答えた。
最終的に、
「ジャンル分けを気にするのはプロになろうと思ってコンテストに応募する時だけで、ただ投稿サイトに投稿するだけなら、自分がBLと思ったらBLで投稿すればいいってことですね」
と分かって貰えた……。と思ったら、
と、話が振り出しに戻った。
なっがい愚痴です。吐き出せばすっきりするかなって思ったので、ここならいいだろっていう精神で吐き出します。
思えば幼稚園児のころから、帰ってきたら弁当を流しに出せだとか、園服を洗濯かごに入れろだとか、細かい面倒くさいことがこなせない人間だった。そんなに困っていたわけじゃなかったし、みんなこんなもんだろと思って何も考えてはいなかった。
本格的に困り始めたのは、小学校に入ってすぐのころ。宿題は全くこなせない、親へのプリントは出さない。やること全部がちんたらしてて、毎回怒られる。
学校の授業でプリントをやりましょうと言われたら、ぜんぜん終わらない。それで宿題になる。宿題の量が増える。もっとやりたくなくなる。宿題をやらない。明日の宿題になる。ずっと負の連鎖。
提出物が出せないと黒板に名前を貼られる。それで毎回帰りの会になると、名前をひとつづつ先生が読み上げる。先生の機嫌が悪い時は、出せてない人はその場に立たされて、ひたすら詰められる。それが怖くて仕方ない。「いつだすの?」「いつまで待てばいいの?」先生にさんざん言われて、帰りの会が大嫌いだった。
もちろん帰ったら親に怒られる。宿題をやれってずっと言われる。そりゃやらずに遊んでるんだから当たり前だけど。
でも、言ってくれるだけましなもんだったと、今ならいえる。低学年の頃は、何度も親に言われてやっとその日の宿題を終わらせた。たまに忘れていったけど。
そんな人間だったが、テストの点は悪くないし、騒いだりしなかったし、自分でいうのもなんだが割とフレンドリーなタイプだったので、学校での評価は「真面目な子」だった。周りの友達からもそんな感じの扱いだったのがなんとなくわかる。学校には毎日行ってた。
小3、そして小4。なぜか、プリントの問題を解くのが早くなって、優秀な奴扱いになった。結構気持ちよかった。
このころの記憶はあんまりない。なんでかはわからない。ただ、同じクラスの女の子が頭おかしいくらいメンヘラで(それは覚えてる)、母や友達いわくそいつにいじめられてたらしい。自分は全く記憶にない。
記憶ないけど、たぶん宿題はいやいややってた。担任の先生が変わったから、黒板に名前ドンの立たせて詰めまくり拷問はなくなった。それが楽だった。
反抗期はここら辺から小6がピークだった。結構えぐかった。風呂で自分の母親が声出して泣いてるのを見たとき、どうしようもない気持ちになった。それはずっと覚えてるし、たぶんこれからも忘れない。
この反抗期を機に、親が宿題に何も言わなくなった。学校はたぶんまともに行ってた。
最大の問題が起きたのは、小5の夏休み。宿題が終わらなかったのだ。今まで真面目キャラでやってきてた自分にとって、これは一大事。夏休みの宿題を出せないとなれば、まわりからは「お前何やってんの?(笑)」と言われ、「こいつさぼり魔(笑)」と陰でニヤニヤされるに違いない!今までにない危機感を感じた。
さて机を見る。残っているのは、読書感想文と、福祉のポスター。あと、ワークも少し...つまり、ぜんぜん終わらなかったのである。ちなみに、夏休みは何をしていたかというと、ゲーム、それからぼーっとすること。
ゲームが大好きというわけでもないが、簡単に宿題を忘れて遊べるので気に入っていた。
それで、最終的にどう決断したかというと、休んだ。ひたすら布団に引きこもって、親の声を無視した。部屋の惨状を見れば、どうして行きたくないのかくらいだれでもわかるような感じだったと思う。
まあ、その日は何とか休めた。
次の日は、ポスターだけ終わらせて行った。そうやって何とかちまちま先延ばしして、なんとか全部出し切った。
しかし、私の脳はその味を覚えてしまった。宿題ができなければ、休めばいいと。
それからは、宿題が終わらなければひたすら休みまくった。親ももちろんただじゃおかなくて、髪引っ張り回して学校連れてかれたこともあった。でもとにかく休んだ。
たまにどうしても無理だと悟ったら、保健室に逃げ込んだ。お腹が痛いって言ってベッドでゴロンゴロンしてた。
思春期真っ盛りだったからか、メンヘラ化が異常になった。当時好きだった奴がいたんだが、そいつが男女問わず誰かとは話すだけで異常に嫉妬した。(幼稚園のころから生活が苦になるほど嫉妬には悩んでたけど、だれにも相談できないままだった)それを理由に休んだこともあった。親にはお腹が痛いとだけ伝えた。
公立のただの小学校だったので、成績優秀でそのまま卒業した。小学校は割と提出物を出さなくても何とかなる。
あと小学校生活を振り返って、体育がどうしても嫌いだった。というかできなかった。周りからは笑われるし、役立たず係だし、チーム競技はクラスのカースト上位に嫌われてた子と一緒に二人ではぶられてた。別にその子のことは自分は嫌いじゃなかったけど、はぶられてるっていうのが嫌で仕方なかった。最後のほうの体育は、腹痛い作戦で休んでた。
そして中学1年生。
つらかった。何がつらかったかって、部活がつらくて仕方なかった。部活の内容自体は大好きだったけれど、放課後も休みの日もいつもちゃんと集合して、ちゃんとやるってのができなかった。それを見越して、超ゆるゆる運動部に入ったが、それでも全然続かなかった。一日学校で勉強するだけで精一杯なんだよ。部活選びに全力で失敗したと思った。毎週毎回のように休んだ。でも、変なプライドが邪魔して、転部出来なくて、結末を言うと中2の冬に完全幽霊部員化した。
メンヘラ化がいよいよヤバいことになってきた。息ができない。何をしていても苦しくてつらい。それを理由に何度か休んだ。
宿題がいよいよ終わらなくなってきた。学校で終わらせることで何とか解決した。実際、毎日出る宿題は小学校と比べて少なかったから、学校でやっても割と楽勝だった。
困ったのは定期テストだった。全く終わらない。体が動かない。毎回前日近くになって、ワーク開いて答えを映して、それじゃ到底間に合わない。先生に謝って、なんとかやってた。
テストの点は悪くなかったので、成績はまあまあ良かった。
中学2年生の時に、自分の中でつらかったものが爆発した。それから学校に行けなくなった。
メンヘラ化によるストレスが限界点に達した。定期テストで思った通りに勉強できないことで、自分にイライラした。体育の授業も、もう出たくなかった。できないから。
内申点もがた落ちした。テストだけ受けた。下から3番目だった。もう何もやる気が起きなかった。でも行きたい高校もなかったし、それでいいやって思った。
毎日自分に失望し続けた。情けない自分と目が合うのが嫌だった。
周りはつらくても頑張ってる。自分が恥ずかしくて、だれとも目を合わせたくなかった。
でも、休んでたおかげで好きなことがみつかった。これだけ落ちぶれたので、全体はプラスかマイナスかと言えば完全にマイナスだが...
中学3年生、今年は絶対頑張るって思った。春から毎日教室に行った。
内申のためにひたすら頑張った。提出物は相変わらず終わらないので、全力で謝罪して(それをすれば評価がよくなるかどうかは知らないが...)、なるべく全力でやり続けた。
あと、行きたい高校がみつかった。自分にはこの学校しかないと思うくらい、自分の希望にぴったり合った高校。
将来の夢と、自分のやりたいことと、全部かなえてくれるのはここしかないと思った。周りに聞いても、今自分で調べても、ここよりいい学校は見つからない。ここに入れなくて、別の高校で妥協するなら死のうと思うくらい(本当に死ねはしないだろうけど)。
中学3年生の1学期は、自分なりに全力で頑張った。テストの点は見違えるほど回復したし、内申も上がった。
でも、1学期の定期テストが終わって、もう学校には行きたくないと思った。これ以上頑張りたくないと思った。テストが終わった次の授業で、「この授業は2学期の内申に入ります」って言った。その時にぷつんって切れた。いつ休めばいいのかわからない。ずっと苦しいまま。
みんなそうってわかってるつもり。だからこそ、自分だけできないって余計につらい気持ちになる。(もちろん不登校が自分だけなわけではないが)
メンヘラ化も治らなかった。死にたくて苦しいままだった。
中2は休んでた体でいきなり全力出してうまくいくはずもなく、元々体力なかったのもあって、いろいろ限界だった。
2学期、学校に行かなくなった。もう何もかも終わりだと思った。毎日、「今日休んだらもう取り返しがつかない」って思いながら休んだ。
志望校にはまだ行きたいって思ってたけど、自分じゃ入学しても無理だと思った。
でも行きたくて、でもだめでっていう気持ちにはさまれて毎日泣いて、悩んで、死にたいって思って、また悩んだ。
周りの大人は全員、不登校受け入れの、私立を進めてくれる。それが最適解だってわかってるが、どうしても志望校があきらめきれない。そのうち、自分の中で周りの人間は自分の夢を応援してくれないクズだと思うようになった。とんでもないと自分でも思うけど、自分は昔からこういう被害妄想の激しい人間だったから仕方ない。
ここまで全部読んでくださった人がいたのなら、その方にはわかると思うが、もちろんこんな奴がまともに受験勉強できるはずがない。そもそも学校に行っていないので、出席日数と内申の関係で普通の人が行く高校に受かるはずがない。志望校行きたい、でも勉強はしない。勉強が嫌いなわけじゃない。でも、勉強しなきゃって思うと、めちゃくちゃ大きい自分からの自分へのプレッシャーが強くかかって、体が動かない。こんな人間社会に出ても何もできないと思って、本当にもう死にたい。周りがうらやましい。みんなできるのがうらやましい。ならやればいい。でもできない。
それが今。何もできないまま、何も進まないまま、何も決められないまま、今になってずっと過去を後悔し続ける。
言いたいこととりあえずほとんどかけたと思います。書いてたらすっきりしたようなしなかったような気がします。まあ、要は受験のストレスです。
こんなことに時間使ってる間に勉強すればいいって言われるのが目に見えているので、これはここら辺にして今日は勉強します。
もし読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。
1ページ漫画。本編で間宮のことを好みのタイプじゃないとバッサリ言い切った佐田に、間宮が「じゃあどういうのが好みなんだ?」と聞く。佐田の答えは……。
好みのタイプについて考えているうちに、じわじわ恋心を自覚しちゃって「ドキドキしてきた」という佐田がとてもかわいい!! こんな30歳は反則……かわいい、嗚呼、かわいい……。間宮には気の毒だけど。
この場面に限らず、佐田の、非の打ち所のないイケメンなのに応答がもっさりとしていてノロい所が好き。
次は観たBL。
高校最後の夏休み到来。夏休みは平良にとって、教室の息苦しさから解放される貴重な一時だった。だが、清居を好きになってしまった今となっては、清居と同じ空間に居られない夏休みなんかクソと思う平良だった。ところが、清居のグループの面々が夏休みをどこで何をして遊ぶか決めようとした時、清居が「平良の家に行く」と口を挟む。いつものメンバーに女子まで加わり、平良家で宿題をやったり花火をしたりすることになったが……。
原作では花火大会にお出かけする話だったのが、ドラマではスケールが小さくなって、おうち花火に。作中世界は疫病のご時世ではなさそうなのに、ステイホーム花火とは。低予算を努力でカバーしたにおいぷんぷんだが、これはこれで面白かった。スクカー最上位グループの皆にこき遣われている平良の表情がよく見えていい。動きはあくまでも従順。だが皆の視線が他に逸れている時に顔全面に「ふざけんなよ……」的な内心駄々漏れの表情を浮かべる平良。無自覚俺様ぶりが滲み出ている。表面的にはおどおどしているけれど、芯の一本通った性格がよく表現されている。
家に独りでいる時は素直に感情をさらけ出し、集団内では沈黙を通し、しかし清居を見詰める視線には情熱の炎が宿る。萩原利久の平良再現度が半端ない。萩原利久、おそろしい子……!
清居が平良に対して興味津々で、平良への絡み方が時々ちょっとワンコっぽいのも良い。見た目孤高のキングだけど、実は淋しがりやな性格が出ている。清居役の八木勇征もなかなかの演技派だなぁ。
小説投稿サイトのアルファポリスで毎年11月に行われている。10月1日~31日がエントリー期間で、11月1日~30日が開催期間。今年で9回目。
出品資格はオリジナル創作BL小説であること。そして受賞のあかつきにはアルファポリスに出版権を握らすことに同意することである。参加前に出版契約書のテンプレをよく読んでおくべし。
受賞作品は、読者ランキング上位からアルファポリス編集部が選ぶ模様。
読者(大会にエントリーした人も含む)には持ち票が3票与えられる。読者は投票することで好きな作品を応援することができる。
去年までは、オリジナルBL小説なら何でもよかったんだけど、今年は18歳未満の子供であることが明らかな人物の性描写がある作品は選外というルールが追加されていた。
けど、参加作品の作品紹介文をざっと見て回ったところ、募集要項をちゃんと読まなかったらしき人がけっこういた。
箇条書きで。
400位台前半。思ったよりはよかった。
9時‐5時労働からおさらばして、世界中の好きな場所に住み、ニューリッチになろう。
DEAL
Definition(定義)
Elimination(排除)
Liberation(解放)
amzn.to/3yAGodW
週35時間労働制は、労働時間を年平均、常勤で週35時間に法的規定した、
35時間以上の超過勤務も認められており、管理職、自由業(弁護士・医師など)は、この法的規定の範囲内ではない。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B135%E6%99%82%E9%96%93%E5%8A%B4%E5%83%8D%E5%88%B6
連続して6年以上働いていて、現在勤務している会社で3年以上働いていて、過去6年間に、現在勤務している会社でサバティカル制度を利用していないことを条件に、
6ヵ月~11ヶ月の長期休暇を取得することができる
http://www.sankeibiz.jp/econome/news/131106/ecd1311060600003-n1.htm
「11ヶ月働いて1ヶ月休む」
ベースキャンプでは毎年5月から9月までは週休3日、3年に一度は30日間の有給サバティカル長期休暇、毎月100ドルまでフィットネスジムの会費を立て替える
ttps://www.amazon.co.jp/dp/4413044622
「勤務場所は自宅」「飛行機で出社OK」NTTが来月から新ルール
bit.ly/3MZKks1
同社は「日本一休みの多い上場企業」と言われる。年間休日が約140日
年末年始は19連休、黄金週間とお盆は10日間連続で休み。一日の労働時間は7時間15分。残業もノルマもない。
https://withnews.jp/article/f0140730007qq000000000000000W00a0401qq000010536A
年末年始18連休「日本一働きやすい会社」東証1部上場:朝日新聞デジタル
年間休日140日
未来工業(株)
5年間の継続勤務で1年間の休暇、または3年の継続勤務で半年間の休暇を取得できる。給料は全額支給で、休暇中の過ごし方は問わない。
普通の大学を卒業したのに何故船乗りとなったのか。外航船員を志した理由。
なんでみんな外航船員にならんのか。
乗船期間は半年から8か月がデフォでちょっと多いけど、その分休暇は3,4か月がデフォで、多いときは5か月とかもらえるときもある。
最近はまずないけど、乗船期間めちゃくちゃ長くなる時は12か月とかある。それ以上は労働条約を理由に船止められたりするリスクが発生するから伸ばされない。
全国の私大職員の夏期休暇日数を調べてみたー平均休日数は7.9日ー
ttps://tyuryupapa.com/administrator/summer-vacation1/
31 名前:就職戦線異状名無しさん [2007/07/11(水) 22:34:32 ]
●土曜日に月1回ないし2回勤務があることは苦痛ではありませんか?
→組合が土曜出勤を望んでいるのです。そのカラクリは平日の労働時間を短くできることにあります。
32 名前:就職戦線異状名無しさん [2007/07/11(水) 22:35:57 ]
夏期休暇の例
●●大学:29日
●●大学:25日
なぜこれほど夏季休暇がもらえるのかというと、
パートタイム労働者を除く一般労働者の労働時間は、グラフの緑の線が示すとおり20年近く2,000時間以上と、日本では長時間労働がまったく改善されていない実情
ttps://www.konicaminolta.jp/business/solution/ejikan/column/workforce/long-working-hours/index.html
年間休日総数
平均108.9日
bit.ly/3LfqKr9
総休日は、3.5年分の差になる
140日 - 110日 = 30日
65歳 - 22歳 = 43年
30日 × 43年 = 1290日
1290日 ÷ 365日 = 3.5年
総休日は、2.7年分の差になる
65歳 - 22歳 = 43年
23日 × 43年 = 989日
989日 ÷ 365日 = 2.7年
微睡んでるいまなら上手くかけそうなので書きます。
ひとつは皆と共にいるこの一般的な世界。もう一つは僕のみが知る世界。
順を追って話していく。昔の僕は夢を見るのが好きな子供で一日中寝てばかりいた。
大体1時間の睡眠で40分くらいは夢を見るんだけど、時々特殊な夢を見ることがあった。
他の夢と違うのは、自由に行動できること。出来事を第三者視点で見るんじゃなくて意思があって考えて話したり動いたりしている。
あと夢の自覚があること。これは現実じゃないんだっていう強い感覚を持ってる。
夢の中にいるのは半分くらいが現実の知り合いでもう半分は知らない人たち。
ある程度夢の深さを調節?できて望めばずっとその世界に居続けることができる。
ずっといるとどんどんとリアリティが増してきて会話の文字ひとつひとつや触覚や痛覚まで現実とほぼ変わらないくらいまでになる。
中学の頃からは白昼夢のような感じで眠らなくとも夢を見れるようになり、授業中とか1日の半分くらいは夢の世界に行ってた。
テロリストが学校に侵入してくる妄想をしたことがある人は多いはず。あの類の妄想を起きている間ずっと授業中・部活中問わず続けているような状態だ。
そうすると少しずつどっちが現実か夢か自分自身も認識出来なくなってくる。
テロリストが攻め込んできてクラスメイトとバリケードを築いている夢が現実になり、のんびりと授業をしている空間はいつのまにか夢になっていた。
夢と現実の違いは何?
僕にとって夢が本来の場所になりつつあった。夢の中で教師に授業を受け、友達と遊び、家族と夕食を食べた。
次第にこっちの世界の人と話さなくなり機械のようにただ黙々と日常を過ごした。
体は現実で動いていても頭の中は常に夢の中にあった。日常を無意識のうちにこなすようになった。
コミュ症そのものだったが何故か成績が良いから周りもとやかくは言わなかった。変わってるんだ天才だ変人だ、そんな扱いで済まされていた。
高校生になった。高校が控えめにいってカス(*受験少年院と言われるとこ)だったので、夢で現実から逃避できたのはありがたかった。高校生活3年のうちクラスメイトと話した日数はおそらく100日にも満たない。
登下校や昼食、休み時間など常に1人で過ごした。ただ全く寂しさはなかった。常に心は夢の中にあり妄想の友人と共に過ごした。
受験期になり流石に勉強に集中しようと思って、高3の夏休み前に夢の人たちに少し出かけると言い、暫しの別れを告げた。受験が終わるまでの少しの期間ではあったがある程度寂しさがあった。
その時くらいから段々と現実に引き戻されてきてそれと同時に訳のわからない苦しみが湧き上がってきた。
それまでは現実がどうなろうとどうでもよかった。成績が悪かろうが人にどう思われようが何も感じなかった。
正常な人間が夢の中の出来事で悩まないように僕も現実の出来事では悩まなかった。当然夢の中は僕の自由だから悩みなどない。
ただ現実を生きると成績を上げたいといった欲が出てくる。これが辛い。
成績を上げたい→上げなきゃいけない→上がるはずなのに上がらないといったふうに欲が焦りを生みプレッシャーを強く感じた。
過剰な悩みとストレスを捌く能力もなく、どんどんと知能と成績が下がっていった。頭に学んだ内容が入ってこない。文字を文章として理解できない。
あと今まで別にどうでもいいって思っていることに気を使わないといけなくなった。
夢ばかりでろくに人付き合いもしたことがない僕は気づかないうちに人として基本的な能力を喪失していた。
人ときちんと接すること、強制されずに机に向かうこと、他の人が普通にできることを今更習得しなければいけないしんどさとそこからもうあっちの世界に逃げられない苦しみと。何度も逃げ込もうとしたが受験に失敗したらもう生きていけない、そんな焦りが邪魔をした。
大半の人が経験してるストレスへの対処法とかそんなものを全く知らずに生きてきた自分にとってこの苦しみは重すぎた。
今更辞めても中途半端になる、そう思いながら1年近く苦しみ何とか大学に入学した。
晴れて受験から解放された時、普通の人間としても生きていきたい気持ちが既に芽生えていた。
それとあっちの世界に戻ろうとした時、もうその世界がかなり薄れてきてたのがわかった。
戻りたくても人の記憶が消えて靄がかかったような夢しか見られなかった。
もうどうしようもない、戻れないし戻らない
普通の人間らしく振る舞うことを心がけて少しでも社会に馴染むように振る舞った。
サークルに入りバイトをした。友達と昼食を食べ、休日には旅行に行った。
ただどうやっても馴染むことができない。普通がわからない。人と普通に接することができない。
この現実から逃げていた数年間の代償はあまりに大きく周りについていける気がしなかった。
普通を教えてくれ、どうすればいいのかわからない。精神的に不安定になり、人付き合いを辞めた。相変わらず文章は読めないままだった。
苦しくなって大学を辞めようと思った。けどもし辞めたら本当に生きていけなくなる、冗談じゃなく生命が危機に陥る。高卒で働いてもうまくいかないほど自分が弱いことはわかっていた。
知力に頼るしかない、そう思って色々と知識を増やし、資格を取った。そうしていれば少なくとも排除されることはない。
そんな感じでこっちの世界に適応し始めてもう数年になり最近はなんとなく苦しみも減った気がする。
今でもどっちが幸せだったんだろうと考える。両方の世界で生きることはできない。
僕は現実を選んだ。
多分夢の世界に行ったっきりになってたら僕は頭のおかしい人、精神病者として分類されることになってたんだろう。
友達に1人そういう人がいる。話している時も常に夢の世界にいるような人で僕があった中で文句なく1番の天才だった。今は隔離病棟にいる。
側から見たらキチガイ、でも本人は多分幸せなんだと思う。ずっと幸せだけを感じられる生き方ならそれはいい人生なのかな。
少し羨ましく感じる今までの自分とそれを否定するここ数年の自分がいる。
話は少し変わるけどボケ老人ってこんな感じなのかなって思う
側から見たら徘徊とかそういうのでも本人の頭の中は幸せに満ちてる
そうであればいいな
今日さっきまで寝てた
戻ることができた
昔いた人は随分と減ったけど新しい人たちがいた
正直多幸感の塊だった
全てが自由でなんでもできる空だって飛べるし法を犯してもある程度捕まらないようにだってできる
これからどうしようかなって悩む
『卒論、どうなるんだろう…』
自分もその一人で進捗もまずいんだが、俺は心からヤバさを自覚で来てなくて現実からとことん逃げようとしてる。
何から話せばいいかわからないが、自分が今ラボでどんな状態かを説明させていただきたい。
テーマの目標が曖昧過ぎる、みんなに当初から「どう卒論としてまとめるの?」と言われ続けるも全く分からずもう11月へ突入。
当初予定していた、特注の機械を用いた先進的なこと(具体的には言えない)は共同研究先の不手際により多分もう不可能
それ以前に研究する材料の納品が半年以上遅れて、実験をかなりやらなければならないテーマなのに他のメンバーより初動がかなり遅れてしまった。
プロジェクト担当の教授が何もわかっていないせいで暴走しかけた。
しかもこのテーマは企業のノウハウに依存する部分が大きい、重要な部分がブラックボックス化してしまっている。
・配属後の自分について
研究の遅れをこじらせて鬱になり、一時期大学にも行けなくなった。(今は休みがちなもののコアタイム中は行けるようにはなっている)
しばらく精神科や大学のカウンセラーに定期的にお世話になってた。
そんな最中、院進学を決意してしまった。理由としては一応推薦入試が受けられるというので、せっかくなら受けて進学しようと思った。ただし研究室は学内の別のところに変えることにした。
今自分は色々実験という名の作業を行っているが、正直やる意義がわからないし面白味もない。
また自分は研究に不適合なのではという思いが強くなってきている(テーマが悪かったというのは大いにあると思うが、それを加味してもだ。
いろんな人にこれを言われ続けて半年以上たつけど、いまだに見失う。
ゴールが曖昧過ぎてそこまでの道が組み立てられない。
この間のミーティングも報告がかなりスカスカになってしまった(しないよりはマシだとは思うが)
進学先でどうなるかは知らない。なるようにしかならないと思う。
留学したいと進学先の先生に言ってしまったが私は耐えられるのだろうか。
友人がいないわけではないが、人付き合いが得意ではない。それを研究室生活で思い知ってしまった。
故郷にも帰りたい、ただクソ田舎県のため院卒はウケが悪いんだろうなあと思う。
話は卒論に戻るが、このままだと実験したことつらつら並べてテキトーに解析して『はい、何も得られませんでした~wwwwww』としかならない。
教授に俺の卒論どうなるんだと相談はしているがかなりあいまいな回答しか返ってこない
先輩方は『ここの教授はとりあえず卒業はさせてくれる』とはいう。ただ自分が限界を迎えてしまう可能性が高い(それを防ぐためにあまり研究室に居残らないようにしてる)
俺どうなっちゃうんだろうなあ…そんなことがもう夏休み明けから頭を渦巻いている。
留年したらもうしちゃったでもういいかな、そう思う自分がいるのも事実だ。
この問いは卒論が終わるまであと数か月頭をよぎるんだろうな。
引継ぎの後輩は、俺みたくならないでほしいが先輩曰く『お前の状態誰でも病むわ』って言ってたので避けられないだろう。多少状況がマシになっているとはいえ(材料がある、それだけでも自分にとってはかなり恵まれていると思う)
定期的にここに自分の思いこんでいることを書いて行こうと思う。
私の場合は5時半起き
・筋トレ
・お弁当、朝食作り
・授業の予習
をしてました。
2.授業をめちゃくちゃ真面目に受ける
真面目に受けて、真面目に予習復習して、単位をしっかり取ることを最優先
4.婚活
サークルが主戦場。大手メーカーに内々定が決まっている男性を捕まえて、卒業後すぐ結婚。
5.全身脱毛
通うのは面倒でしたが、早いうちにやっておくとめちゃくちゃ楽。学割で安い。
6.ワキガの手術
4泊5日、退院後も1ヶ月ほどは両腕の可動域が制限。夏休みを利用しないとできなかった。
7.自動車免許の取得
8.インターン
製薬会社でインターンした。病院と製薬会社、どちらに就職するか迷っていたので参考になった。
仕送りを節約してつみたてNISAを少額でやってました。実際にお金を動かすことでリテラシーや資産運用の知識も身に付く。
成人式に出れなくても、振り袖でスタジオで写真は取っておいたほうが良い
毎日少しずつやってたおかげで、日常会話はこなせる。薬剤師の仕事でも役に立ってる。
同じ大学でキャバクラ、ガールズバー、デリヘルなどでバイトしてる子いたけど、私は節約して仕送りのみ。楽にお金を稼ぐと金銭感覚も狂うよー。
これ見て思い出したので自分も書く
中2の頃にクラスメイト全員からいじめられてた。ついでに部活のやつらからもいじめられてた。高校のOBの先輩(勉強も出来なきゃ運動もヘタだった)にもいじめられてた
正確には主犯格(同じ部活)とその取り巻きがメインで、後の奴らは様子見て笑ってたりたまに便乗してくるぐらいだったけど
ほぼ全員にいじめられてた。いじめの後半は物が無くなるどころの騒ぎじゃなくて、リアルに「おめえの席ねえから!!」をやられたことがある
あのドラマが放映されるだいぶ前の話だったから、あのシーン見た時もいじめられてた当時を思い出した
夏休み終わって、2学期の途中ぐらいで真剣に不登校になるのを考えだした
学校に行くのが非常に苦痛だったし、一部の先生は見て見ぬふりをしていたので周りに味方は居なかった
ある日、登校中にふと「どうせ不登校とか転校になるなら最後に大暴れしても問題なくね?あれ??」というよくわからない発想に至り
その日の昼休みに、行動に移してみることにした。今考えるとただのやべーやつだった
とはいえ失うものも特になかったので、いじめっ子(と取り巻き)が恒例行事のようにいじめ始めた瞬間に
「てめえらふざけんじゃねええええ」みたいなこと叫びながら教室で大暴れしたらえらいことになった
様子を見てたクラスメイトはどよめくし、別のクラスから来てた生徒は逃げ出すし、取り巻きも一緒になって逃げようとしたので、走り出した瞬間に取り巻きの横頬に筆箱を全力で投げつけてやったら取り巻きだけは止まった
主犯格のいじめっ子は最初こそ余裕があったが、こっちがマジギレしてると分かった瞬間にちょっと怒りだしたが、それ以上にこっちがまくし立てて相手を黙らせてしまったので怒るに怒れてなかった
そんなこんなで昼休みの時間中はずっと大暴れして、だいぶスッキリしたので
よし、明日も元気に学校行くか!と思ってその日は帰宅。翌日になって普通に登校したら、全校生徒を巻き込んだ全校集会が始まった
内容は忘れたけど、許されざるイジメがあってどうのこうの、というお決まりの内容で当事者の自分は職員室に呼び出されて事情聴取された
親を巻き込んで大騒ぎになるかと思ったが、意外とそこまで大騒ぎにならないで、いじめっ子が自分にごめんなさいをして終わった。いやイジメは終わらんかったけど
部活では先輩に嫌われてたし、部活でのいじめは相変わらず続いていたので、部活でもマジギレした自分は部活に行かなくなった
新任の20代前半だか後半ぐらいの若い美人の先生には申し訳なかったが、行きたくないので行かなかった
そんなこんなしてたら周りからは腫れ物扱いされ
マイルドヤンキーみたいなやつからは「お前、やるじゃん」と肩を叩かれ知らない間に仲間認定され
将来どうすんだろうって感じのヤンキーからは「タバコ吸うか?」って誘われていた。ちなみに今でもタバコは嫌いだから未だに一本も吸ったことはない
中3になったら皆興味が無くなったのか、一部の暇そうなやつら以外からはちょっかいを出されることもなく
一応同じクラスメイトだから誘ってやるかってノリで誘われた打ち上げに参加したら
「あの〇〇の私服が意外とカッコイイ」とかいうすごいしょうもない評価のされ方をして、クラスメイトとも仲良く話せるようになって
「みんなが見てる前でオナニーしろよ」なら、恥ずかしくなくできる(別の恥ずかしさはあるが)。
自分の部屋でオナニーしてるのを外から見られるのも、まあ大丈夫。だって見るほうが悪いから。
だけと中2の私は、病院の待合の時に、雑居ビルのトイレの個室でオナニーして、
夏休みの暑い土曜日の昼下がり。母親と一緒に通院してたんだけど、
トイレでおしっこをして、そのビルは少し寂れてて、フロアも「しーん」としてて、
立って壁にもたれて、股を大胆に開き気味でオナニーをした。
まだイクことは知らなかったけど、あそこは濡れるし、気持ち良かった。
服をたくし上げて胸を出して、自分で揉んだり。
それでもっとエッチな気分になった。背徳感。中2でこんなことして自分だけ変態。
ふと不安で目を開けたら、誰かの頭が下に降りてくのが見えた。
今考えれば、オナニーしてるより覗いてるほうが大きな問題だし。
それを不意に覗かれてるのわかって恥ずかしいこの気持、なんなんだろう。
うんちしてるのなら「トイレはうんちするところじゃん!」って言い返せるのに。
他に恥ずかしかったのは、友達と温泉に旅行に行って、外でおしっこしたくなって、
「誰も居ないししちゃう?」ってなったとき、私は立ってしたんだけど、
恥ずかしくてすぐにしゃがみたかったけど、「シャワーしながら立ってしない?」と言い訳。
「私はお風呂でするとしてもしゃがんでるけどね」。それもどうかと思うが。
友達は拭かずにそのままパンツを履いた。じんわり湿ってるだろう。
私は最後の勢いが無くなったのが、降ろしたパンツとズボンに引っかかり、
太ももにも伝った。旅館に帰ってお風呂に入るのだし、と黙ってパンツを履いた。
恥ずかしい気持ちって、いったいどうゆうことなんだろう。ぼく、わからない。
ヘッドホンしてノリノリで歌を歌ってるときに、家に居ないはずの父親が居て、
「何歌っとるだ」と言われた時も、恥ずかしかったの思い出した。
東急ハンズ池袋店では4~5年ほどアルバイトをしていました。もともとは夏休みの短期バイトでしたが、特に離れる理由がなかったのでそのまま継続してズルズルと続けていました。
なぜ東急ハンズだったかは覚えておらず、たんに学校からほど近くて昔から馴染みがあった池袋というだけで選んだ気がします。池袋には中学の頃から通っていましたが、自分にとっては本と家電の街でした。あと駅が複雑。新宿駅などよりダンジョン感はありませんが、西の東武に東の西武っていう初見殺しで有名な罠や縦に長くて迷いやすい構造は初めての人には難しい駅だと思います。
今回の閉店は自分の中では寂しい気持ちでいっぱいです。ハンズの思い出というより池袋という街に対する思いいれなのかもしれません。ハンズの帰りは決まって近所のラーメン屋によったり、休日の昼間ならば真向かいの松屋で食事をしたりしていました。資格試験では決まってロッテリアやマックで遅くまで勉強していましたっけ。家電類もアキバなどより池袋のビックカメラが主でした。
ハンズは自分にとって、池袋という街に滞在しつづけた理由の1つであり池袋の人と直に接する機会を得られる貴重な場所でした。
そんなハンズ池袋店が閉鎖してしまうというニュースを聞いたときは、コロナ禍ではあるもののもう一度行きたいという気持ちが募りました。けれど既に東京までは片道でも2時間は掛かる場所にいる自分にとっては物理的に距離がありますし、そもそも今年の8・9月は東京に足を運ぶことすらできない状況でした。さらにこの頃は家族の妊娠が発覚したことでますます遠出することが不可能となり、結局10月31日の閉店に間に合うことは叶いませんでした。
アルバイトをしていた当時、私の仕事場は主に1・2階。当時は1階が季節ものコーナーで2階はバラエティや健康グッズがおいてありました。私はその品出しバイトだったのです。
冬も夏もあの白ワイシャツに紺のパンツ、それと緑色のおそろいの腰エプロンをして作業をしていました。
当時の2階には、「アニメグッズ」「ジグソーパズル」「コスプレ衣装」「ダーツグッズ」「ケータイストラップ」「健康グッズ」「卓上プラネタリウム」などが狭い中に敷き詰められていました。本当にバラエティ色たっぷりでそれに合わせて大型イベントのたびにお客様がごった返しており、そうでなくともにぎやかなフロアでした。だからたまに他のフロアによると自分の担当のフロアと違って随分静かに感じたものです。
1・2階のスタッフは基本的にひとまとめにされており扱う商品もこの2つのフロアで持ち合いになっていました。なのでフロア同士で商品の入れ替えが行われており、夜中に什器を移動させるなど結構大変だった記憶があります。扱うものも多岐にわたるためか最上階の事務所の廊下には自分たちのフロアの什器が商品を付けたまま所狭しと並んでいる光景がよくありましたね。多分他のフロアからはかなり迷惑がられていたと思います。
当時よく取り扱っていたものとして、変な貯金箱がありました。顔面の貯金箱で硬貨を口にあてるとそのまま飲み込んでしまう貯金箱です。他にも猫がダンボールから手を伸ばして硬貨を引き込むものとか、まあそういう変わり種の貯金場がでかい机の上にピラミッド状に積み上げてあったこともあります。他にはおでん缶とか無限プチプチとかも扱ってましたね。懐かしいな。
あと、北海道フェアも1階で行っていたのですが、ロイズとかのポテトチップスチョコとかも売れ残りが結構出たので事務所の休憩室前で従業員価格で手売りされてました。なので飽きるくらい食べた思い出があります。
クリスマスや夏休みとかは人がごった返しており、品出しするだけで大変な思いをしましたね。
当時エヴァの劇場版が大ヒットしたこともあって、UCCの缶コーヒーが馬鹿みたいに売れていたんですが、あれを補充したり並べるのも地味に大変だった気がします。
そうそう、最後まで猫カフェには行くことがありませんでした。なんで当時行かなかったんだろう
色々あって、だけど結構前の話なので覚えていないことも多いですけど、私にとっては池袋という街を定点観察する一番の場所でした。37年間、お疲れさまでした。
いまはもう従業員でもなく池袋に立ち寄ることはなくなってしまい、その中で池袋もだいぶ様変わりしたようです。ハンズの休憩時間に食べていた松屋やデニーズはもうないらしく、頻繁に行っていた丸善の本屋も既に閉業しています。知らぬ間に色々なものがなくなっています。思い出のハンズもなくなりますます回顧の中にしかない池袋。