はてなキーワード: 遺書とは
>ある人気漫画家が「障がい者ネタツイート」をした後、妹が自◯しました。
これ遺書に書いてあったならまぁそうなんだろうとするしかないけど、
そうでなければ最後のトリガーを引いたのを自分ではないって思いたいだけじゃない?
「障がい者ネタツイート」から自◯までに何の事象も生じなかったわけじゃないし何を根拠にこれ言ってんのかね?
何かを理由にしないとやってられないんだろうけど、他人を巻き込むようなのは関心しないな
>※こちらの投稿は「ある漫画家」さんに責任や謝罪を求めるものではありません。原因や責任は第三者にあるのではなく、きちんと対応出来なかった自分達にあると自覚しております。
って書いてるけどじゃあ何でタイトルにしてんの?って話だしね 自◯をネタにブクマ稼ぎでもあるまいしホントに自分たちが原因だって納得してる?
江藤さんの自殺が報じられた日に、私は都内のリウマチ専門病院に行っていました。
リウマチのため何十年も身体のあらゆる関節がおかされ、毎日激痛と共に生きている私たちリウマチ患者に、
江藤さんの「病苦は堪え難し」の遺書は、「では私達の苦しみは何なのよ」と叫びたいような気持ちになりました。(千葉県・主婦・62歳)
しかし、二日後に公表された氏の実に明快な遺書を読み、これが「日本の知性」と称せられた人の発言かと、鉛が胸に沈殿するような気分を味わったものである。
「形骸と化した自己を処断する」のなら、同じ病状に苦しみ、懸命にリハビリに取り組んでいる幾多の人々を、江藤氏はどう見ておられたのだろうか。
身体不自由になったことで、「生きる意味がない」と断じた江藤淳という人は、人生の意味をどこに見いだしていたのだろうか。(東京都・男性・80歳)
遺書を書くのは、これで2度目です。
はじめて書いたのは、元夫が不倫して離婚を申し出たときでした。
元夫とは職場で出会い、一般的な恋を経て入籍したはずですが、気づけばセックスレス。
そうしてあなたが出会ったおなごは、わたしの10も年の下の子でした。
夫は彼女に傾倒しました。すべての原因は私にあるとして、彼女の味方をしたのでした。
私の心は粉々に崩れました。
そうして転職しました。元夫と同じ職場に居続けるのはあまりに辛かったのです。
見つけたあたらしい職場こそが最悪でした。
人生をかけた仕事のすべてを否定され、そうして私は死にたいのです。
両親が不仲で喧嘩ばかりしていた幼少期。
もう一人は二十歳で自殺
二十歳で死んだ人は「この先生きててもつまらないから死ぬね。今までありがとう」みたいな軽いノリの遺書を残した。20歳まで生きたのは親へ「一応20歳まで生きたよでも結局ここまで生きても死にたくなったから死んだよ」ってメッセージだと思う
個人的には独身なら死んでもいいだろと思ってる。迷惑かけるとしたら親だけど、親には子供が自殺するような人生にした責任があるから親は死んだ子供に文句言えない
既婚や子持ちは家族や親族に迷惑かけるから自殺してはだめだと思ってるよ。配偶者、子供に迷惑かかりすぎ、無責任すぎるし、自死遺族になってしまったらメンタルにも影響がでる。
「お前の持って産まれた臭いはマジでキモくて耐えられないと皆が思ってるから、化膿覚悟で手術しろよワキガマン」←なんでこれがセーフになると思ったの?
私がそばを通ると「クサッ・・」と言いながら鼻を抑えるポーズが流行っています。
席の後ろを通り抜けるときに「クッセ・・」と陰口を叩くのが大ブームです。
私の近くにあるパーティションの後ろから「マジヤバイッショ」「wwwww今本人が来たらどうすんすかwwwwww」「いや悪いのはアイツでしょ。こっちは被害者」「ちょwwwwwマジで危ないから巻き込まないでwwwwww」といった話し声が月に何度もします。
死にたくなるぐらい辛い。
何が辛いって、この程度の腐れ脳みそ共と一緒に働いているのが辛いのです。
奴らは聞こえるかどうかギリギリの声で「くせ・・・」と呟くことによってさも「一言申してやった」「本人に伝えてやった」「巨悪に一矢報いてやった」「職場の廃棄物が自殺する日を1日早めてやった」といった類の『偉業』をなしたかのようにイキっているわけです。
これがとても気持ち悪い。
小声で誰に向けているのかも分からない中身のない罵倒なんて10000回呟いた所で問題解決には繋がりません。
せいぜい私が遺書を書くとき、弁護士を通して職場を訴える時に加害者として名前が挙がるぐらいでしょう。
ただ思いつきで「くっせー」と言われたってこっちはどう対処したらいいのか分からないのです。
新しく試したデオドラントが全く効いてないのでしょうか?それともいつもよりはマシな匂いになったので「あれ?マシになるってことは対策できるの?じゃあ言ってやるけどまだまだ臭いよ?」と伝えたいのか、こちらには全くわかりません。
ただただストレスばかりが蓄積され、それが脂汗として腋から飛び出すたびに、更に臭いがキツクなっていくだけです。
私のワキガは体質なので変えようがないですが、ストレスを減らすことで薄めることは出来ます。
貴方がたはそこにストレスをかけることで状況を悪化させている。
それなのに自分では「これでアイツがワキガを治したら、一言物申してやった俺の勇気の一手が勇者の一歩かぁ・・・」と妄想逞しいなクソ馬鹿野郎なわけです。
本当にな、お前らな、臭いに文句があるなら本人にハッキリと伝えろよ。
どういうタイプの臭いなのか、どれぐらいの強さか、どういう時に強くなるのか、デオドラントグッズの変化による影響はあるのか、そういった情報を教えてくれよ。
お前らみたいな卑怯者はどうせこっちが「すみまえん。私が臭いんですか?」と聞いたらそれまでの横柄な態度を引っ込めて「いえいいえいえ増田さんは全然そんなことないですよ」と首を振って、こっちが見えなくなってから「アイツやっぱ自覚はあるんだな・・・」「それなのに治さないんすねえ・・・」「今のって、「臭くない」って言質を取りに来たのかな」「マジ卑怯だわー」「これでアイツがこのままだったらウチらが「臭くない」と言ったせいになるの?」「げー最悪ー」「ほんっと心までプンプン臭ってくるような奴だよね」「ねー」とか盛り上がっちゃうんだろ?
はーマジ死ねよ。
お前らさ、もしも自分や子供が「目が2つあって鼻が1つなんてキモすぎ!手術して目は1つにして鼻を2つにした方が良いよ!そのキモい顔を見ているだけでこっちの元気がなくなっちゃう!」って言われたらどんな気分になるよ?
それに対してこっちは「まあ言っても伝わらねえだろうな・・・想像力のねえ馬鹿には。人間1つ2つ生まれつきのコンプレックスはあるだろうに、そっから派生して他人の痛みを理解するための知性がねーんだな」と諦めて粛々と変なクリームをワキに塗って生活してるわけですよ。
どんなに皮膚弱くてもいい
バチバチにしようじゃん❤︎
壊れていこうよ
心も体もぜーんぶ♡
壊してこ♥
どうせ壊れてるんだから
てことで遺書かこう
何度目の遺書か?
サヨナラの向こうに光がある
消えたその瞬間から輝くの
どっちがいいかねぇ
誰が読むのだ、こんな手記は。
まったく誰の得にもならないことだ。
これを読んているのは、不幸にも偶然にもここに辿り着いてしまった人かーーよほどインターネットで文字を読むのが好きな変人かーーくらいだろう。
俺はここに、そんな誰が読むかも知れぬ場所に、"遺言"を書き留めておくことにした。
俺が傷つけ続け、俺が痛めつけ、挙句俺が捨てた、
この書き出しだけで痛い奴だカッコつけだ、文才も無さそうなパンピーがエッセイストぶりやがって、と怒りが湧いてきた人は今すぐブラウザを閉じ、元いた場所に戻るんだ。
そうでない奇特な人はーーーしばらく俺の話につきあってくれ。
恥ずかしい話てはあるのだが、何度か"ボヤ"を起こしたことがある。
その度に、自分が属している(と思い込んでる、思い込んでいた)界隈での肩身が狭くなっていって。
だいたい人生3回目?くらいのボヤをやらかしたあたりで、(自分の実生活の変化も重なって)
X含むインターネット上での(あるいは、インターネットが主になるような)交流に対して、それまで約十年程自分の中にあった執着や自己顕示欲や承認欲求が、急速に消えていくのを感じた。
それまでは誰がどんなポストをしていて
俺の知らないところで何を言われているのかと怯え
俺の知らないところで楽しそうなことをしている奴らに僻み嫉妬し
ブロックされていると判れば別垢から直近直後のポストを確認し反省会こそすれどその内容はまったく活かさず
インターネットの海を泳ぎながら傷ついたり傷つけたり
そんなような日々だった。
しかしいまは、その総てがどうでもいい。
いや、全く総てがどうでもよく、あらゆる評価をふいにするとは言えないが――
オブラートに書かれた文字と、オブラートの中にある真意を覗うことに、酷く疲れてしまった。
……というこの心境に対し、浮かんだ仮説がひとつ。
俺の自他境界は、俺と【俺が観測可能な世界の総て】だったのでは無いだろうか……
当時は本気で思っていたのだ。
俺の知らないうちに会合していれば呼ばれてないんだがと嘆き悲しみ
俺が顔を出したイベントに関するポストが少なければその日居た筈の人を心中で責めていたのではなかろうか。
いやはや、なんと傲慢不遜なことだろう。
自分がまるで世界の王であるかのような、そんな視座でインターネットを見ていたのだ。
しかし、いまこの視座を自覚した俺は、こんなところを見ているお前に言いたいことがある。
ーーそれに、お前がインターネットに疲れていないのなら……それはそれで別に良いのだーーが。
まあなんだ、言いたいことを言うのにえらく遠回りしてしまったが。
俺は一足先にインターネットをやめる。
喩えるなら、鉄骨を渡る者たちを別室で眺めているような距離感だ。
これもこれでずいぶん傲慢な物言いであることは自覚しているが、しっくりくる喩えがこれしかなかったのだ。許してくれ。
それにしても。
もし、お前たちにも、いつかインターネットをやめる日が来たのなら。
桜の色が。
新芽の緑が。
落葉の朱が。
お前の目の端に一瞬でも過ったのなら。
そのときは、俺とどこかですれ違おう。
それじゃあな。
【スクリーンの向こうに憧れ、
2024/04/16(火) 03:53:37.931ID:TM0dvmnD0
遺書全文
この度大変もうし
切れちらかしてもうし
大変もうし
2024/04/16(火) 03:54:01.657ID:qdnCwV5k0
2024/04/16(火) 03:54:27.429ID:TH/f9aeA0
なんだそれ
2024/04/16(火) 03:54:59.661ID:7+g0XDA20
風説の呂布
2024/04/16(火) 03:55:30.749ID:98W6aE5Q0
ブラインドを閉じる
コピー機の電源を切る
モニターの電源を切るのを忘れない
システムの打刻
最終退館の入力
照明を落とす
施錠とセキュリティを起動
廊下の消灯で一度真っ暗になる
エレベーターで1階に降りる
表玄関は閉じているので裏口に向かう
大通りを歩く
高速道路沿い、高架につく明かりが深夜でも明るいオレンジ色をしている
小さく歌を歌いながら帰る日が多い。頭を空にするための歌なので、なんの歌でも良い。TikTokで聞いたサビしか知らない歌でも、学生時代の合唱コンクールの課題曲でも。車が多いから迷惑にはなっていないと思ってる。
いつも曲がらない角を曲がって帰る日もある。知らない坂の先の景色をみたり、通れるかわからない細い路地を入ってみたり。
自転車で帰った日もある。電動式のシェアサイクルはわたしをぐいぐい引くように走った。
自分の足で走った日もある。通りを走るランナーはたまに見るしそれほど浮かないだろうと思った。自分で自分の体をコントロールして、心拍を上げる行動は何かに良い気がした。
酒を買って歩きながら飲んでみようとした日は、缶を路上に落としてしまい中身が噴出した。甘くないジンソーダで助かったと思いながら拾って帰った。
誰にも迷惑をかけない範囲で行う小さな奇行は、私が私に許す小さい遊びだ。1日の大半を仕事に明け渡してしまった今日をちょっとだけ取り返してから自分を寝かしつける、そういう儀式。最初はちょっと外食をして自分の機嫌を取ったりしていたのだが、夕食をしっかり摂るのも憚られる退勤時間になってからは「帰る」ことに遊びを見つけていた。人目につかない深夜に、小学生の帰り道みたいな、誰にも話さない1人遊びがたくさんあった。
何も出来ない日は大抵泣きながら帰る。あの時の自分のなかに何の感情があったのかわからない。悔しいなのか苦しいなのか、誰かに心配されて嬉しいなのか情けないなのか、
あのとき取りこぼしてしまった自分の気持ちはもう、私がわからないってことはこの先誰にもわからない。
泣いている時に頭の中に入っていたのは、周りの人が私に投げかけた言葉だけで、それを咀嚼して反芻しても、なんの味を感じたのかわからないまま、子どものように口角をひん曲げてボロボロ泣いた。マスクの中に水分が溜まって蒸れて、でも外した顔はひどいから付けたまま歩く。
公園の横を抜けて、ファミレスの駐車場を突っ切って、その先の横断歩道は押しボタン式の時間帯。渡った先のコンビニに寄る。朝昼は胃痛を避けるために軽いものしか摂らないので夜は多少好き勝手に食ってやろうと思いながら入店するが、運が悪いと夜中に腹を下すので結局中途半端な惣菜や軽食を買う。大体いつもボブヘアの男性店員がシフトに入っている。コンビニの横の坂道を上ったらあと少しで家に着く。
徒歩25分。家も職場も駅からあまり近くないせいで、電車に乗ってもせいぜい5分短縮できるか微妙な所だから歩いて通勤した。
机に縋り付いている記憶の方がたくさんあって良いはずなのだが、私は長い間、家に帰る道をずっと歩いているような、ずっと夜みたいな感覚を1番よく思い出す。
日中は、
「食事か睡眠、どちらかを満足に出来なくても片方が人並みならまだ保つ」
「このくらいの度数のロング缶を一度に飲み切ると眠れて二日酔いも残らない」
働き始めてから何年かで身につけたおまじないのような「これが出来ればまだ大丈夫」を幾つかポケットに入れて、指先で手触りを確認するような日々を過ごしていた。
「酒や乳酸菌飲料の力を借りて睡眠は取れているからまだ大丈夫」
「胃が荒れていて平日は差し障るだけで、食欲はあるからまだ大丈夫」
「朝は起きて支度できるからまだ」
部屋は荒れているが、不精なので繁忙期はそんなものだ。青クマもデスクワーカーの職業病。もっとひどい生活の人はたくさんいる。いつもの、ちょっと忙しい時の感覚だ。
そんなふうに捉えて、「まだ大丈夫」を肯定的に捉えてサバイブしていたつもりだった。
いつのまに切り替わったかわからないが、これらの「まだ大丈夫」が、どこかのタイミングで「まだ私が故障しないから、ダメになるまで待つしかない」の諦めになった。
大丈夫な私は、まだ働かなくてはならない。みんな何かしらの苦しさを抱えながら生きているのだから、私が勝手に投げ出して良いものではない。この苦境からの脱出方法は、壊れるまで働くしかない。多分本気でそう思っていた。
勤務中、気を抜くと頭を上げていられなくなった。
ひとの目を見るのは元々苦手ではあるけど、顔を見せるすら苦しくなった。
対面で働くチームメンバーには両手で伏せて早口で指示を出す。通話会議は声を出せれば成立する、まだ大丈夫。
大丈夫な自分を演じているのか、大丈夫ではない自分を演出して逃げ出そうとしているのか、どっちにしろ何かのフリをできているうちは大丈夫なのか、大丈夫って何なんだ?
わたしは席に座れる、手を動かせる、web会議で通話が出来る、謝罪を述べることができる。出来るけど、帰りたいと申し出てある日早退した。これはダメなことだってわかっているからまだきっと大丈夫。平日の明るいうちに外出するのが久々でなんだかスカスカした気持ちになりながら、せめて身体を労わるポーズをとらないと均衡が取れないから大戸屋で品目の多い定食を食べた。ポテトサラダが重くていつまでも口に残った。
わたしにも少ないが友人はいる ありがたいことに定期的に会う用事がある
他愛ない近況の報告をしようとしたら、言葉が出ない日があって、そのとき友人は精一杯わたしを傷つけないように、「頑張る私」を否定しないように選んだ言葉で、心配に思っている、あなたを害するものをあなたは拒否する権利があるとだけ 言葉を投げてくれた
書いて消して何度か回り道しただろう、書かれなかった文にたくさんの気持ちが詰まっていた それに対して言い訳のような自虐で返事をした 最悪だ
病院探しを始めた。
躊躇いは特になかった。「自分に限って」なんていうバイアスは思い上がりだ。弱さを認められる方がまともだと思う、そういうペラペラのプライドを持っていた。「まだ大丈夫」のうちに、近い将来ダメになった時の避難経路を決める、それは賢い判断だと思った。
まあまあ都心に住んでいたので選択肢はいくつかあると知っていたし、思ったよりいっぱいあった。逃げ場ってコンビニほどはないけど歯医者くらいはある。場所を見つけて、予約を取ったあと、メモを書くことにした。
うまく話せるように、話せなくてもとにかく伝わるように。カンペなのか手紙なのか問診票の別紙なのか、わからないけど言葉を起こす必要があった。
相手に自分を「大丈夫」に見せたいのか、「大丈夫ではない」と言わせたいのか、なんだか意図がブレブレのメモ書きになった
紙に書き写す以上はありのままなんてどこにもない、本当のことを書いたのかどうか主観で見てもあやふやな文面。とにかく話せなくなればそれを読むか手渡すかしようと思って、印刷したものを携えて心療内科に行った。初診の予約は平日の昼しか取れないルールで、14時過ぎに中抜けして向かった。
名のついた診断が出た。
有給休暇の残数を尋ねられたり、直近で休養の取れるタイミングなどの話を流れるようにし始めた医師に、そんなつもりではない。 まだ大丈夫だから、もう少しマシになるための方法をくれと訴えたら、それはまっすぐに否定をされた。でも自分に「休め」を許せなかった結果、中途半端な診断書を持ち帰った。
朝、眠りから浮上する感覚を覚えると同時に心臓が跳ねるようになっていた。生きている、意識があるということに気づくと心が怯えるのはまあ自然なことかもしれないとその時は思っていたし、動悸そのものは業務に差し障りないから「大丈夫」「ダメ」の判断基準にならなかった。寝覚めは悪いが寝起きは良いので、遅刻もしなかった。
なんの名前を付けたら良いのかもわからないけど、しっかりと質量のある「ダメ」の感触が胸の中に入っている日がある時やって来た。
もっと、動けないとかずっと泣くとか何かが出来なくなったことを以て「ダメ」に『なる』なのだと思っていたけど、そうではなかった。何がどうダメなのかなんてわからないのだけど、相対的な話ではない、とにかく「ダメ」が去来する朝が来た。突発の休暇をとった。休んだ罪悪感を原動力にその週は出勤する、というサイクルをいくらか続けた。
この頃に、「ダメ」になる階段を一歩降りたような気がしていたが、同時に睡眠も食欲も自分の思う「大丈夫」の基準のままだったのだから、二元論で考えることが間違っていたと思う。
この「ダメ」は、「不安」の名前に片付けるものらしい。抗不安薬の頓服の処方を受けた。「頓服」だから、常用してないからまだ大丈夫。大丈夫の数をまだ数えていた。
そんなわけないのにいつもの道が歪んで見える日
物音が大きく聞こえる日
そんなものをちょっとずつずれながら積み上げてきて、綺麗に縛れない新聞の束のような、歪みが溜まっていくような感じがあった
退職願を書いた。
できるだけ綺麗な文字でしかるべき封書に綴じた正しいフォーマットで、すぐに出せる完璧な一筆を仕上げようと思った。
遺書ではないけど、でも心持ちは少し近いかもしれない。白くて郵便番号欄のない封筒が望ましいとネットに書いてあったがコンビニにも百均にもなかった。緊急で必要になる人もいるだろうに。
下書きをして、それを見ながら丁寧に文字を書いた。書いている間は無心になれた。書いただけで、結局出せはしなかった。
退職願も、診断書も、私にとっての「勝訴」の紙にならなかった。結局私は、自分にバツを付けて逃げるのが怖いまましばらく日々を過ごした。
同僚が出勤してくる
涙が止まらない
10時半過ぎ、何も変わらない
ここにいたらもう駄目なんだ、そういう日がついに来たのだと言われた気がした
そのあとは、とにかく手続きを滞りなく進めなければと、社会人として角の立たないように休職の手配をするために自分の感情はどこか棚の上にでも置いたような感覚で、再診の予約をとり会社と連絡を取り、自分を社会と切り離すことに成功した
今、会社に向かう朝も遊びながら帰る夜も無くした私は、子供の頃からの地続きの自分をあの夜の帰路に置いてきてしまって、残りかすの体だけがここにあるような気持ちで布団に横たわっている。じゃああの夜に私は何を思っていたのか、書き出してみようと思いメモ帳に書きつけるが、結局そこにも何もなかったとわかってしまった。今の私の回想だからそうなのか、本当に何も思うことはなかったのか、もうわからない。
学歴コンプレックスで長らく悩み続け、いよいよ自殺をすることになった。
日本に安楽死制度が整備されているのであれば、今すぐにでも申請し、「一件落着」だが、残念なことに今の日本にそのような制度はないので仕方がない。
もちろん死ぬのは怖い。本当に怖い。
ただ、もはや自分の知能の低さを規定しているこのDNAが、それ故に生まれながらに高学歴を得られないことを決定づけているこの劣ったDNAが、それにより構成されているバカで劣等な自分自身の存在そのものが、生理的に気持ち悪くて仕方がない。
知的社会たる現代日本では高学歴を有さない者は、基本的に「人」そのものとして劣っているとみなされる。
卒業大学の名前がそのまま当人の知的能力の全てを、ともすると人間としての価値やランクをまるごと規定してしまう。
学歴は能力の指標にとどまらず、内面の繊細さや思慮の深遠さ、人としての毛並みや美しさまでもを規定する。
そのような地獄の知能カースト社会において、低学歴が人としての尊厳や誇りを持って生きられるはずもなく、したがって幸福に生きられるはずもない。
もし低学歴者が高学歴の連中の目に「幸福に生きている」ように映ったとすれば、「動物園ではしゃいでいる猿」に対する眼差しと同様のそれを向けられる。
現代日本において低知能に生まれた(私のような)低学歴者は、言わば戦前アメリカに生まれた黒人と同じなのだ。
そこに救いはない。
早く楽になりたい。苦しい、苦しい。
私は極めて難しいペーパーテストにより先天的に知能の高い者以外を(事実上)排除する、この国の上位大学の入試形態によって殺されたようなもの。
社会やメディア、ことにインターネットにおいて無秩序に猛威を振るう、アパルトヘイト級の学歴至上主義・学歴差別によって殺されたようなもの。
松本人志は圧倒的にいじめられっ子<いじめっ子として生きてきてるで。
大体苛められっ子が、虐めといじりの境界線を、笑えたらいじりで笑えなかったら虐めとか言うと思うか?
オレは幼いころ、何を隠そう、イジメられっ子だった。幼稚園のときのプールの時間、自分の水鉄砲をとられても、ただ泣いてるだけ。先生に泣いている理由を聞かれても答えられないほどの気の弱い子供であった。
小学生の時。岡田って奴が居てね。足が悪くてね。片足引きずるように歩くの。オレ何度かイジメた事が有ってね。でも子供って気まぐれで。いちど家に遊びにいったの。友達でもないくせに。。。そろそろ帰ろかなって思ってたら岡田のお母さんがパートから帰ってきてね。。。
2013.06.12 00:43
https://twitter.com/matsu_bouzu/status/344479996892565505
松本人志@matsu_bouzu
。。。クラスメイトを岡田が連れてきたの初めてやったんやろうね。お母さんが凄い嬉しそうで。オレにやさしくて。ありがとうね。仲良くしてあげてね。って何度も言われて。。。オレ罪悪感でたまらんようになってね。。。おばちゃんオレ岡田のことイジメたこと有るって。言えなくてね。。。
2013.06.12 00:44
https://twitter.com/matsu_bouzu/status/344480235489746944
松本人志@matsu_bouzu
。。。なにより。岡田がお母さんの前でオレと親友のふりしたのが切なくて。辛くて。。。オレ心の中で。岡田と。お母さんと。いろんなもんに何度もゴメンなさいって思って。。。
なんとなくの昔話。。。
おわり。
高校時代にミニコント感覚で被害者が遺書を書き停学になるレベルの虐め
同級生に飛び蹴りをくらわしたり、頭をポカンとどついたり、まるでおもちゃのように扱っていた。
こんなこともあった。授業中、突然立ち上がり、スーツと前へ歩いていったかと思うとみんながよくいじめていた同級生の頭をパカンとどつく。どついた後、表情一つ変えないで、いつものあのムスっとした顔で、スーッとまた席に戻る。
いつもいじめていた同級生が、ある日遺書を書いて、自殺をほめのかした。その遺書の内容は、「僕はいつも学校に行っていじめられています。特に松本は、僕をいつもトイレに連れ込んで、雨あられのようなパンチを振るいます。これ以上学校に行ってもおもしろいこと何もありませんから、僕はこの世からいなくなってしまったほうがいいと思っています」
「俺らは何回も停学くらってたから、あのときは無期だったんかな。松つんは初めてだったから、確か二週間か一ヶ月ぐらいだったと思うわ。担任の先生と学年主任に職員室に呼び出され、停学の宣告を受けたの覚えとるわ」
松本:高校の時無期停学になった時の話があってね。ほんまにな五人ぐらいでな、遊んでてん。いわゆるほたいてたんやな。で、あの一人ちっちゃい奴がおってんけど、そいつを何かこうみんなでミニコント的な感じで、こう膝蹴りみたいのを…もう全然入れてないで。
松本:ヘッドロックう~やったりとかしてたわけよ。でも、確かに若干いじめられっぽい感じの奴やったけど、少なくともその場は遊んでやってたわけよ。俺らにしたらもう普通にミニコント、遊んでるだけやったんけど、次の日に原稿用紙5枚ぐらいに、そいつがあのー「集団リンチを受けた」みたいな。
松本:あの~誰々君にヘッドロックをされ、その後松本君が膝蹴りを数発僕の腹部に…みたいなことをバーッと書かれて、ほいで全員無期停学になったのな。で、そん時は「いやいやいやいやー、ありえへんなー」って。
松本:ほいでみんな他の5人も全員みんな「いや、もうあいつ頭おかしいんかい」という話やんか。いやねんけど、まあまあ今になって考えると、彼にしたらそんな感じやったんやろなあ。