はてなキーワード: 行きたくないとは
旅が好きだ。知らない土地、普段見ない景色、美味しいもの、不思議なこと、色々な生き物。普段過ごしている場所から離れて、光の当たり方が違う土地で、カメラを使う。
旅に出たい。常にそう思う。機会があれば船に乗り、夜通し歩き、飛行機も列車も調べ尽くして旅程を組む。
「そんな場所には行きたくない」常にそう思う。天候が崩れると分かりきっている場所と日時の組み合わせ。何度も通って想像できる場所、あるいは近くへ訪れたばかりの場所。混雑することが明らかな場所、オペレーションが崩壊している施設。
それに、集団行動も嫌いだ。波長の合う人たちを過ごすことは好きだけれど、ツアーに参加したり、通勤の移動ですら、歩くペースが違う人といると躓きそうになる。歩調を合わせようとすると心拍がズレるような息苦しさでストレスだ。立ち止まったり、コース取りが予想外だったり、そうして右往左往する人に紛れるのも避けたい。
計画して旅に出るのが苦手だ。計画するというのは、効率と確実性の追求だ。その割にアンコントローラブルなパラメータが多過ぎる。
「明日晴れている場所に行く」「晴れたらここに行く」そうして、突発的に旅に出るのが楽だ。アンコントローラブルな天候の確実性が高いのだから、あとは混雑と自分次第ということになる。混雑は、早く行動しさえすれば大方解決できるわけで。
旅は平日にしたい。旅を終えたらゆっくりしたい。旅に日常を持ち込みたくない。
結局のところ、突発的に、ここではないどこか晴れた場所を探して、一人黙々と移動し続けるのが合っている。
目的地に到達したいのではなく、「ここ」を離れたい、離れた結果「よかった」と肯定したい、そういう逃げの旅なのかもしれない。まして、普段着でどこにでもいく、準備をせずに崖でも沢でも雪でも入る。無理だったら、無理とわかったそこでおしまい、帰ることもなく、それまででした、という、逃げの旅なのだと思う。
また朝キタ!目を開けると時計の針は6時ジャスト。今日は待ちに待った花金だけど、週末が遠い未来みたいに感じるし。会社とかマジ行きたくないって感じ。昨日も一昨日も、同じこと思いながら起きたし、毎朝同じルーティンとかマジでヤバい。
窓の外見たら、超青空が広がってて、鳥たちがフリーダムに飛び回ってるの。彼ら、どこでも行けちゃうんだろうなー。風に乗って、好きなとこ行っちゃってさ。仕事とか縛られることもなく、上司にギャンギャン言われることもなく、超フリーって感じ!
マジで鳥になりたいって、何回思ったことか!羽広げてどこまでも飛んで行きたいし、見たことない景色見て、感じたことない風を感じるとか、ヤバすぎ。でも、それってただの夢だし、現実は毎朝同じ電車に揺られて会社行くだけだし、退屈な会議出て、無意味な報告書書いて、上司の機嫌うかがってるんだよね。
昼休みには、同僚たちとランチ行くけど、みんな同じような表情してるし。笑ってるけど、目は全然笑ってないって感じ。みんな、ただの給料泥棒じゃん。働く理由なんて、生活のためだけだし、他に何があるっての?
午後の仕事をこなして、やっと退社時間!オフィス出るとまた鳥たちの声が聞こえてくるんだよね。彼らは今日も超フリー。でもあたしは違うんだよね。明日も、明後日も、同じように会社行くって感じ。それがあたしのリアル。
結局、あたしはただの給料泥棒。でもさ、いつかフリーになれる日が来るのかな?その日を夢見て、明日もまた、会社に向かうんだろうなー。
また朝が来た。ベッドの中で目を開けると、時計の針は6時を指している。今日は金曜日だ。もう少しで週末がやってくるのに、まるでそれが遠い未来のように感じる。会社に行きたくない。昨日も一昨日も、同じことを思いながら起きた。毎朝、同じルーティンの繰り返しだ。
ふと窓の外を見ると、青空が広がっている。鳥たちが自由に飛び回っているのが見える。彼らはどこへでも行けるんだろうな。風に乗って、好きな場所へ。仕事に縛られることもなく、上司に怒鳴られることもなく。ただ、自由に。
鳥になりたい。そう思ったことが何度もある。羽を広げて、どこまでも飛んでいく。見たことのない景色を見て、感じたことのない風を感じる。でも、それはただの夢だ。現実は、毎朝同じ電車に揺られて、会社に向かうだけ。退屈な会議に参加して、無意味な報告書を書いて、上司の機嫌をうかがって。
昼休み、同僚たちと一緒にランチに行く。みんな同じような表情をしている。笑っているけど、目は笑っていない。みんな、ただの給料取りなんだ。働く理由なんて、生活のため。それ以外に何があるっていうんだ?
午後の仕事をこなして、ようやく退社時間がやってくる。オフィスを出ると、また鳥たちの声が聞こえる。彼らは今日も自由だ。だけど、俺は違う。明日も、明後日も、同じように会社に行く。それが俺の現実だ。
結局、俺はただの給料取りだ。でも、いつか自由になれる日が来るのだろうか。その日を夢見て、明日もまた、会社に向かうんだろう。
今シーズンから4年総額40億円と言われる長期契約を結んだ。つまり、国内では最も資金力のある球団が、
マルティネスと同じクローザーの枠が埋まっている。先発投手や打者と違って「両雄」を並び立たせるのは難しいポジションだが、
気になるのはオスナが下半身のコンディション不良で7月に入って離脱していること。クローザーで球団が最も嫌がるのは慢性的なコンディション不良だから、ソフトバンクの参戦が皆無とは言い切れない。
参戦する球団は…
他に考えられるのは巨人、阪神、オリックス、DeNA、ヤクルトあたりか。
これらの球団は資金力を備えているとともに、クローザーが不安定もしくは固定できていない。
これに対して中日は最大限の条件を示して何とか残留を勝ち取りたい。CBCテレビのインタビューに「残りたい」とは言っているが「残る」とも言っていない。
しかし、マルティネスは移籍ありきで考えてはおらず、決して積極的に環境を変えようとも思っていない。同等や小差なら残留を望むことが濃厚だ。
シーズン50試合=50イニング。先発や打者より「労働時間」は短いが、マルティネスがいれば9回を任せきり、
安心していられるという代えがたいメリットがある。その安心感に最大16億円を払うのを「高い」と思うか「安い」と思うか。
ひとつ言えるのは27歳のキューバ人クローザーを巡る争奪戦と駆け引きは、すでに水面下で始まっていると見るべきだということだ。
https://anond.hatelabo.jp/20240706023024
数日前に↑を投稿した。
思ってた以上にたくさんの方に反応してもらえて、本当にありがたかった。私は自分の家のことを誰かに話したことがほとんどなかったから。
前回の投稿の追記にも書いたが、父と言い争いをした次の日、私はカウンセリングに相談に行った。
そして、カウンセラーに「あなたのお父さんは残念ながら世間一般で言う毒親です」と言われて衝撃を受けた。
コメントでも、父に対し「毒親だ」「まともじゃない」「そんな親からは逃げろ」という意見が見られた。
正直、私は今も自分の父を毒親という言葉で表現していいのかはわからない。
でも、私にとっていい父親ではなかったと、ようやく思えるようになった。
長い間、父がおかしいのか、自分が求めすぎているのか本当にわからなかったのだ。
私と同じように、父から、あるいは母から離れるべきか悩んでいるひとも多いはずだ。
悩んでいる方の参考になるかわからないが、私が生まれるまでの父の人生と、私から見た父と祖母の話をそれぞれ書き出していく。
私には父方の祖父がいない。幼い父と叔母(父の妹)、そして専業主婦だった祖母を置いて、祖父は突然出ていったからだ。そこから祖母は女手ひとりで父と叔母を育てた。私が想像もできないくらい壮絶な生活だったのは確実だと思う。
それでも父は猛勉強して、希望していた大学に合格し、それなりに知名度のある有名な会社に入った。そして実家を出た。数年後、叔母も実家を出て、祖母は一人暮らしになり、このタイミングで精神疾患を発症し、精神科に3回入院していたようだ。
父はその事実を伏せたまま母と結婚し、その数年後に私が生まれた。その2年後に妹が生まれ、同時に祖母との同居が始まった。
父は定年まで同じ会社で勤め続けた。おかげで私は金銭的に苦労をしたことがない。
父も叔母も祖母も、祖父が出ていったときの話を一度もしたことがない。なぜ私が祖父が出ていったことを知っているかと言うと、父方の祖父がいないことを不思議に思った私が、子どもの頃に母に理由を聞いたからだ。母は言いにくそうにだったが教えてくれた。加えて、「お父さんがいるって本当に幸せなことなんだよ」と私に言った。この言葉が、わたしの中で、ひとつの価値観になってしまった。
ここからは私から見た家庭内の話になる。父のことから書いていく。
父が仕事から帰ってきたとき、母は「おかえり」と必ず声をかけていた。でも、「ただいま」を父が返すところは見たことがない。
父は母が作ってくれた食事を美味しいということは一度もなかった。眉を顰め、あまり噛まずに飲み込む。うまく切れていない野菜を箸でつまみあげ、「見てこれ。ひどいね」と笑いながら言うこともあった。母の前で、私や妹に向かって言うのだ。
仕事が忙しくなり、私が寝た後に父が帰ってくるのが当たり前になった時期があった。母が父の分の食事にラップをして、箸を置いて、すぐ食べられるように準備しているところを私は見ていた。私が朝起きても、食事はそのままだった。母はそれを流し台に捨てていた。
家族で食事をしているとき、私が箸を落としたり味噌汁をこぼすたび、父はうんざりした顔をして、なにも話さなくなった。母に「なにやってんの!」と怒られることより、自分のせいで父の機嫌が悪くなることのほうがなぜかずっと怖かった。
私は母のことが大好きだった。同じくらい父のことも大好きだった。でもなにより、父に嫌われることが怖かった。
だから母はかわいそうじゃない。父は母をそういうふうに扱っていいひとなんだから。母の失敗は笑っていいんだ。そう思っていた。私は切れてない野菜を見つけるたび、父と笑った。母は何も言わなかった。
気づけば、元から会話が少なかった父と母はほとんど話さなくなった。相手に用事があるときは、私か妹に伝言を頼むのだ。
「喧嘩しちゃったのかなあ」と私は思っていた。それでも、すぐ仲直りするだろうと気にしないようにしていた。
いつしか父と母が話さないことが当たり前になっていた。そしてそれに触れること自体タブーなんだとわかっていた。
学校が休みの日、「〇〇(近くの遊園地)に行くぞ!」と突然私と妹に行った。父の行動はいつも突然だった。どれだけ気乗りしなくても、私も妹も何も言わず父について行った。それが一番正しい行動だと思っていたからだ。
でも、その日はどうしても行きたくなかった。家で友達から借りた漫画を読むのを楽しみにしていたからだ。
「行きたくない。家にいる」と返すと父は「行ったら楽しいぞ。行こう」と眉を顰めつつ言った。少し怖かったが「読みたい漫画があるから」と返した。「そんなんいつでも読める。行くぞ」うんざりした口調で父は言った。どれだけ駄々をこねても、私が泣き出しても、父は全く引かなかった。私は諦めて遊園地に行った。
父は私を楽しませようとしているんじゃなくて、"休日に娘を遊園地に連れていった"という事実がほしかったんだと気づいたのはもっと後のことだった。
中学生になると流石に父との会話は減ったが、それでも父が好きだった。正直、父の振る舞いに違和感を感じていた。信頼はできなかった。父の行動を真似るのはやめた。でも父に勉強を教えてもらうのも好きだった。そして、まだ父が怖かった。
そんな家で育った私が友達の家に初めて泊まった日、衝撃の連続だった。たぶん、私が中3か高1の時だったと思う。
その日、友達のお父さんは先に夕食を済ませ、夜勤に行く準備をしていた。夜にお仕事するひともいるんだなあと思っていたら、お父さんがお母さんに「たぶんいつもより遅くなる」と話しかけた。お母さんが「ならお腹空くやろうから朝ごはん多く用意しとくわ」と答えていた(多分こんな感じの会話だった)。
友達のお母さんが私と友達に準備してくれた食事を食べていると、友達が「このおかずめっちゃ好きやねん!」と私に言った。友達のお母さんは「いつもそれ言うから今日は多めに作ったよ」と笑いながら言った。
え?お母さんの食事って、おいしいって感じるもの?そしてそれを伝えるもの?
友達の家の全てが衝撃だった。
私の家のお父さんって、もしかしてひどいお父さんなんじゃないか。
私って、ひどい娘なんじゃないか。
ずっと感じていた違和感の正体がわかった気がした。
そしてモラハラ、という言葉を知ったとき、まさにお父さんじゃんと思った。
それから、父との関係は一気に悪くなった。勉強でわからないところがあっても父に聞かなくなった。あまり顔を合わせたくなくなった。
父が突然態度が変わった私に困惑するのを感じた。まあ反抗期なんだろうと納得しようとしていたのもわかった。
私が直接父に不満を言うことはなかった。
父にはお父さんがいないんだから。父の方が私より辛かったんだ。そして、"父"を知らないんだから、父親が下手なのも当然だと思っていた。
父が友人とどこかに出かけることは見たことがなかった。会社の人と飲みに行くこともほとんどなかった。
父には友人がいないことにも気付いていた。だから私のように自分以外の家庭を知るきっかけもなかったんだろうと、私は自分を納得させて生きてきた。
自分の父親を大事にできない自分こそ、"娘"が下手なんだと思う気持ちが強かった。
それでも父への違和感は日に日に強くなっていった。
こうして私は父を避けて生きるようになる。
正直、祖母との思い出はほとんどない。私が幼稚園の頃、オセロを相手をしてくれたことくらいだ。
一日中妄想や独り言を呟き、自分で作った変な歌を大声で歌い、一人二役で会話をする。 部屋に監視カメラがついていると言ったり、テレビから電磁波が出てると大騒ぎしたり、好きな野球選手と結婚することになったから出て行くと言い出したり。皇室に手作りの人形を送りつけ、返送されることもあった。そして母や親戚と揉め事を起こす。それが私が知っている祖母の全てだ。
様子がおかしくなっていく過程を見ていたら、病気になったのかと疑うこともできたかもしれない。
でもまともな祖母を見たことがなかった。だから、祖母は生まれた時からこういうひとなんだと思っていた。
祖母が普通じゃないかもしれないと思ったのは、私が高校生の頃だ。
クラスで友達数人とお昼を食べていると、友達の1人が「最近おじいちゃんがボケてきててさ、ご飯食べたばっかりなのに食べてない!って言うんよね。認知症の人ってほんまにそう言うんやってびっくりした」と笑いながら話していた。別の1人が、うちはひいおばあちゃんがボケちゃって〜と笑っていた。
それを聞いた私は、点と点が繋がったように感じた。
みんなのおばあちゃんよりちょっと早いけど、私のおばあちゃんのあの行動は、認知症だったのか!と本気で思ったのだ。
祖母のことは、今まで誰にも話したことがなかった。でも、認知症だったんだ。それなら話せる!と私も笑いながら友達に言った。
「うちのおばあちゃんも、なんかテレビから電磁波が出てるとか、部屋に監視カメラがついてるとか、会ったこともない好きな野球選手と結婚するから出て行くとか言うんだよね」と。
空気が変わるのを感じた。みんなが一気に警戒するのがわかった。「いや、それ、ボケとかじゃないんじゃない?病院に行ったほうがいいような…」と1人が遠慮がちに言った。周りも同意するように頷いた。そしてすぐに違う話になった。
今なら笑えるが、当時の私にとっては本当に恥ずかしい出来事だった。やっぱり祖母は普通じゃないんだ。それがわからなかった自分も普通じゃないんだ。死にたくなった。それから誰にも祖母の話はしなかった。
私が部屋で寝ていると、深夜にドンドンドンドン!と凄まじい勢いでノックする音で目が覚めた。
「〇〇ちゃん!〇〇ちゃん!」と部屋の外から祖母が私を呼ぶ声が聞こえた。
私が「もうなに!?」と声を荒げて扉を開けると、「なにかあったか?なあ、なにかあったか?」と、祖母は虚な目で縋るように私に聞いた。
祖母には何かが聞こえたんだろう。何かが見えたのかもしれない。でも私には何も聞こえてないし見えてない。私は「なにも起きてない!もうほんとにやめて!」と怒鳴って部屋を閉めた。部屋の外から祖母がなにかブツブツ呟く声が聞こえた。布団を被って目を瞑った。しばらくすると、祖母が諦めて自分の部屋に戻って行く音が聞こえた。
次の日、祖母が「昨日は悪かったなあ」と涙を浮かべて私に謝ってきた。勘弁して欲しかった。泣きたいのは私だと言ってやりたかった。私は祖母を無視してその場を離れた。
部屋に戻った祖母が大声で歌ってるのが聞こえてきた。「〇〇さんお願いしまーす!〇〇さんと結婚しまーす!ひとりで〇〇さんのところに行きまーす!」と何度も何度も繰り返していた。
祖母がずっとずっと不気味だった。
でも病気なのか、もとからそういうひとなのか、私には本当に長い間わからなかった。
祖母が早く死んだらいいのに。
そう思うこともあった。
そんなことを考える自分が情けなかった。
気付けば、私は祖母のことを見えないもののように振る舞うようになっていた。それが一番楽だったからだ。
もちろん書いたことが全てではない。
でもなぜか今は思い出せない。
私は、気づくまで30年近くかかった。
風呂に入る前には脚力トイレに行きたくない、ということで大を我慢したまま風呂に入り、そのまま便意を忘れて就寝。とかやってたせいかどうかは分からないが、便がカッチコチで全く出なかった。人生で一番力んで何とか出した。
そして尻を拭いたら血がついていたのである。
血便!?もしかしてがん!?と思い、がんの症状を調べたりして怯えて眠りについた。
そして翌日、尻の穴が痛いことに気がついた。
激痛というわけでもないのだが、座る時とかちょっとだけイテッとなる。がんじゃなくて物理的に切れただけかと安心しつつ、切れたのか…という謎の感慨に包まれた。
これが一昨日の話である。
今日32歳になった。初めての経験で尻を痛めている32歳の出来上がった日である。
まだ笑い話にする勇気はない。
https://togetter.com/li/2391489
はてな民もTwitter民も陰キャが多いから、自己中とかそういうワードにばっかり夢中になって、「社会の仕組み」には見てみぬふりするもんな。
陰キャコミュ障のお前らにかかれば飲み会は悪の象徴で、無条件になくしていいものだと思ってるよな。
そうやって目を背けても、ある人は人間関係をより強固にして、お前らはその機会がない。
お前らは何の犠牲もなく、会社が、学校が自分を中心にまわることを期待している。
お前らによれば、管理職は完全に業務時間内に円滑にコミュニケーションを取れるようにするべきで、自分を差し置いて飲み会では人間関係が深まるべきでないと考えている。
なになに、仕事で必要な関係は業務時間に作る仕組みがあればいい?そうだな。おれもそれに大賛成だよ。それが現実には不可能という点を除いてね。
(ただ、実際そうであるように、多くのお前らが嫌いな類の多くの人間が、大なり小なり業務時間に工夫してなんとかしようとしている)
社会は非合理なもので、仕事とプライベートを明確に分けられるほど単純じゃない。そもそも人間が非合理なんだから。
プライベートをお互いが提供することで、より相手を知ることができちゃうんだ。飲み会はその社会原理を利用しているに過ぎない。
お前らみたいな陰キャ以外の多くは、コストを払って仕事上の人間関係構築ゲームをハックしている。
飲み会を通じてほんの少しだけお互いの人となりを知る。たったそれだけだけど、業務時間でこれを得ようとすると信じられないくらい難しい壁がある。プライベートと仕事の中間だからこそ、これを可能にしている。
案外飲み会がコストパフォーマンスいいことは、コロナ禍を通じて逆に知られたんじゃないか。
けどそうだったな、お前らは飲み会は自分のコミュ障を棚に上げて、もっともらしい社会正義の話をする。
でもそれがお前にとってぼっちを認めたくないというプライドを守る以外の何を生み出すんだろう。
人間一緒にご飯を食べて、飲めるなら酒を飲んで、そうやってこれまで仲を深めてきたのに、そんな基本原理を否定したところで、得られるはずの機会をお前らだけは得られないというだけの話なんだよな。
まあでも、お前らが飲み会が嫌いで行きたくないならばそれでいいとオレも思う。人間極度の無理はなにごとも良くないんだよ。
たださ、無駄に飲み会で仕事の重要な意思決定がされるとか、プライベートを犠牲にしないと必須のコミュニケーションが取れないならやめろとか、謎の被害妄想拗らせる前に、飲み会への潔癖幻想だけは捨てておけと言いたい。
ただお前がよかったら、メシを囲んで話せて楽しい時間を過ごしたい。結果少しだけお互いを知る。実際のところ、それだけなんだ。
長く話しすぎた。
文句なら誰でも言えるが、社会のせいにするだけではお前自身がほかの奴らに比べて差をつけられるだけ。
はてなやツイッターでは飲み会の悪口が人気だけど、それは決してお前を救わない。
あいつらは、自分の心を守りたい一心で無責任なことばかり言う。