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2019-01-21

偏差値50台の高校からまぐれでトップレベル私大に進学したけど辛い

偏差値50台の超田舎高校から、某有名私立大学(以下Z大)の某理工学部に進学して、現在3年になる。

たまたま試験で得意な分野からしか出題されず、D判定だった私がZ大合格してしまったのである


進学してどうなったか

・必修落としまくり、線形代数すら落とした

サークルに沢山入ってみたが、勉強との両立ができず全部やめた

友達との会話が時々噛み合わない

・周りの人が優秀すぎて自尊心死ぬ


進学してから気づいたこ

・Z大に入学する学生ほとんどは小学生から塾に通っている

・Z大の人の大半は不真面目だが要領がいい

高校時代知識ほぼ0でも、「試験」は頑張ればなんとかなる 研究室ごまかしが効かなくて死ぬ

インカレの人は大体いじめられるし、浮く


サークルバイトほとんどせず、試験勉強だけ頑張ったら、なんとか留年せずに3年まで進学できた。だが、研究に求められる能力は、試験勉強とは異なる。

試験では、絶対出る問題が大体存在し、それさえやれば高確率単位がくる(いわゆるメタる)。私は試験メタって受け、なんとか単位を取得してきた。

しかし、研究室では正確な知識思考が求められる。私の中途半端な取り組み方は全然役に立たないのである


大三にして勉強方法がわからない。


つらい。

医学部女子差別医学生が考える

現役医大生が、2018年話題になった「私立医大 得点差別問題」を考えてみようと思います

東京医大、志望者めちゃくちゃ減ったらしいですね。むしろまだ志望者がいることに驚いてますけど。

まず医療界の男女差別について

私はまだ実習にあまり行っていないので断言は出来ませんが、まあ、そりゃ女が弱い世界ですよここは。

先輩の女医さんが「なんで医師免許頑張ってとったのに、女だから結婚たからって辞めさせられなきゃいけなかったんだろう。」って愚痴ってましたしね。

普通に講義中に教授女子差別発言しますしね。老害かよ。

女子の方が平均から言えば優秀だと思います。真面目にやってる人が多いから。でも私みたいに底辺ギリギリ低空飛行の女もいるよ。不真面目でも大丈夫から女子高校生がんばって医学部来てくれ、一緒に女子差別妖怪を倒していこう。

女子差別はまじでクソ。色々語りたいけど語ったら1日語っちゃうから黙るけど、本当にクソ。女だって人間からな?当たり前だけど。

下駄履いて医学部に受かった男、本当に無理。もう一回ちゃんと受け直してって思う。

でも「不正入試で受かったか男性医師には診てもらいたくない」という意見には反対する。

流石に医師国家試験まで女の点数下げられてることは無いと思うんだよ。(もし差別があるなら、もう海外医学部を再受験するわ。)

大学に入ったのは不正だったかも知れんが、そこから努力まで否定して「男性医師は嫌、ダメ」というのはまた違う。

大学に入ったとき学力と、医師国家試験にうかるための学力ジャンルが違うからな。

それを踏まえた上で「不正入試合格したこと反省したり申し訳ないと思っていない男性医師は嫌」と言うのは別に反対しない。それはそうですよね。

まあ、誰が不正で受かった医師なのかなんて分からないんですけど。

何が言いたいんかわからなくなってきたけど、

医学部点数操作はクソ。男女差別してたことが明らかになった私大医学部USMLE認定外されればいい。そして志望者が減ればいい。女の医者需要は間違いなくあるんだから、男も女も平等仕事させろ。頼むから

②かと言って男性医師はクソという短絡的な意見賛同できない。まあそれなりに国家試験のために頑張ったと思うよ、皆と同じように。大学に入るための成績と、大学での成績と、医師としての素養別にして考えるべきやで。

あと、浪人生差別されてましたけど、浪人生が点数減らされることは皆知ってたよね…?とは思いました。ちゃん公式資料に「我が医学部女子浪人生(三浪以上)の点数を下げます」とか書いておけばいいのに。そしたら皆受けないのに。

あとあと、高認から医学部うけてる人も差別されたという話を聞いたのですが、それは本当にクソオブクソですね。「きちんと高校行ってストレート大学に来る男子しか認めません!!」ってすごい認識ですね、すごいわ(棒読み)

2019-01-20

センター終わった

自己採点した。自分浪人生だけど、去年と点数が変わらない…ということはとりあえずなかった。浪人無駄にならなくてよかった。私大センター利用も取れそう。

2019-01-15

anond:20190115153056

ワイの親戚(地方在住)はMARCHすらどこか知らんかったで

早稲田慶応以外は一般人は知らんと思っておいた方がええで

九州東北の有名私大言える都民比率と大差ない

有名私大ってどのくらいのレベルで具体的にどこなの?

anond:20190114184303

ワイ東京まれ東京育ち民。

なので地方でどのくらいの大学が有名私大と言われているのかわからない。箱根駅伝基準なの?それじゃあ偏差値に差があり過ぎるんじゃないかと思うけど。

関関同立的な?日東駒専大東亜帝国?それとも関東上流江戸桜

MARCH以上とするとだいたい国内学生の上位15%という狭き門なわけで、はてな民早慶すら馬鹿にするときあるけどどんだけ選別してんのと思うよ。

北里とか武蔵大学とか麻布大学とかそこそこ頭良いけど地方までは知名度ないんだろうかな。

anond:20190115144857

現時点でも日本からハーバード大を在宅で卒業できるので

まぁオンだけで完全完結せず何回か通う必要はあるが

それでも日本私大くらいの費用感やぞ

2019-01-14

anond:20190114184303

地方出身関東の有名私大卒で、地方出身地ではない)国立大教員工学部経験者です。

地方国立大には、地元出身者と、とにかく国立大学を目指して、偏差値ランクで入ってくる学生がいて、私がいた大学では前者の方が全体的に伸びしろが大きいイメージでした。

学力的な意味もあるし、都会の私立大学を中心に何を教えているのか分からない横文字学部が増える中で、地方大学は基礎的なカリキュラムを丁寧に教えているので、まじめに授業を受けている学生はその意味でも基礎力が付いている印象でした。個人的には、学生に対する評価は高いです。地元出身学生には、旧帝大や有名私立匹敵する学生も少なくなかったです。

では何が違ったか

それは、ここで出てきた「情報を調べてマウンティングする能力」に近いものかも知れません。

東京は、何かのレベルが高いというだけでなく「その価値観を、メディアを通してあたか普遍的もののように発信する」ことに長けたところです。東京にあるものや、東京の人が見たり食べたりするものを、あたかも全国で流行っているかのように発信します。そして東京の有名大学に行くと、マスメディアに勤めているなど、情報を発信する側に立った先輩と会う機会も出来ます。(卒業生東京で働いているので、距離が近いのです)

で、地方出身学生は、最初そういう状況にびっくりして、次に過剰適応しようとするわけです。山手線ゲームのために一生懸命駅名を覚えたり、メディアで紹介された店に行ってみたり(近いからすぐ行ける)、久しぶりに地元で集まったときに、同級生同士で東京あるある話をしてみたり。その中で、自分出身地は自分にとっての黒歴史のような気分になってくるわけです。

地方出身者が一度は通るはしかのようなものです。あまり気を落とさず、そういうものだと見てあげてください。

今は、インターネットもあるし、情報発信において東京の優位性は昔よりは下がっています東京で生まれ育った人には見えていない現実が沢山あって、地方からそういう実情を発信していく必要があることも私自身痛感しています。ただ一方で、大きな意志決定はたいがい東京で行われていることも事実です。なので私は学生には「一度は東京に出て、人やお金情報がどう動いているか見なさい、その後、地元で働くか東京で働くか考えなさい」と伝えていました。

地方が、自分価値情報発信の必要性に気付かずに、勝手コンプレックスを抱えて自滅していくのを、私なりにも残念な思いで見ていました。いろいろな経験を積んで、東京地方か、旧帝大駅弁か、みたいな価値観に縛られずに、広くフラット世界を見れるようになることを願っています

anond:20190114205920

わかってないな、医学部のある慶応世界ランク700位くらい、早稲田で800位位なんだよ。高知大や熊本大とかと早稲田世界ランキングでは同じ程度。

旧7帝+筑波で50~500位位。首都圏私大とか格上とか完全に錯覚日本村特有の狭い序列なんだよ。

anond:20190114184303

関東私大なんざ国立からしたらどれもザコだし、そんなことでマウンティングする程度のやつらだろ。キニスンナ

2019-01-10

なくなれ、厄年

うちの研究室では毎年近所の神社祈祷を行っている。

扱っている内容がめちゃくちゃ科学なのに祈祷を行っているかはまあさておいて。


大抵そこそこ大きい神社に行くと、大きい看板がある。

厄年とか暗剣殺だとか災難が起こりやすい年についてリストアップされているやつだ。

これを見て「修士学生とかみんな厄年じゃんwww」みたいに思ってたんだけどさ。

いや、そうなんだよ。男は数えで25が本厄だし、女は数えで19が本厄だ。

24といえば大学院生なら必死こいて修論を書いているわけだし、女性に至っては18歳、ほとんどがセンターなり私大入試に苦しむ時期だ。

そういった課題を災難としてみなすなら分らんでもないし、過去に制定されたものから時代の流れで変質していったのも否定できない。

だが、彼らにとっちゃ一世一代、将来のかかった年なのだ。そんな節目の年を厄年扱いするのはあまり気持ちの良いものではない。


そして改めて調べてみたら、はじまり曖昧というか、根拠特にない民間伝承らしい。

経験則とする意見もあるらしいが、「受験」「就活」が二大イベントして根付いた今の社会システム的では経験へったくれもあったものではない。

伝承/信仰のすべてを蔑ろにするわけではないが、この風習だけは無くなるか改定されるべきだと思う。

2019-01-09

労働に伴う不自由や心身の負荷などのコストに対する賃金が一番良い仕事ってなんだろ

要するに割の良い仕事

超有名私大左遷部署とか?

やっぱり特殊法人とか?

2019-01-04

大学 3年次編入試験の思い出

anond:20190102063518

anond:20190102174908

anond:20190103131014

高校時代

同じく地方出身者はなんとなくわかると思うんだが、高校は「地元では自慢できる」レベルのとこに通っていた。

県下一、というわけでもないけど、地元で一目置かれるようなそんなところ。東大学者を毎年1名出したり出さなかったりするような。

自分はというと文化系運動系狭間みたいな部活にがっつりのめり込みつつ、子供の頃から親の影響で続けていたとある楽器寺社仏閣が好きな、自他ともに認める「変わった子」であった。学力でいえば中学までは特に勉強しなくてもまあまあいい成績が取れる、中途半端に器用な子だった。

親は勉強については大してうるさくなかったが(むしろ楽器練習をしない方が厳しく怒られたし、数学10/100点をマークしようが音楽の成績が満点じゃない方が嫌な顔をされた)、お金には厳しく、「大学は国公立しかさない」と宣言されており、真に受けた私は私立すべり止めも一切受けなかった。だが高校3年間を部活に捧げた、数学テストで毎回赤点叩き出すような人間にそのルートは厳しかった。見事に滑りおち、進学先を失った。進学校に通っておきながらこの体たらく

これから1年浪人するしかない、と思ってふさぎ込んでいたが、そこで偶然にも某専門学校の「大学編入コース」なるものを知る。専門に2年通った後、大学へ3年次編入するというコースだ。ははぁ、よくできてるなあ、と思いながらも学校担任と両親に相談し、その専門学校へ進むこととなった。

専門に入る

正直入試はあってないようなものなので割愛する。学力レベルからペーパーテスト免除され、英語面接だけだった。まあまあ緊張したが絶対かると半ば解っていたので強気でいった。ちなみに高校時代苦手にしていた教科は数学英語だ。瞬間的な暗記力となんとなくで世界史及び国語高得点を叩き出す完全なる文系である。妙にコアな知識を植え付けてくれたラノベ推理小説たちとヘタリアには今も感謝してる。日本史文化史だけ異様にできた。

学校生活

身バレが怖いので色々伏せるが、駅チカでこぎれいなビルキャンパスだった。キャンパスと言っていいのか?

専門学校内での大きな学科のくくりとしては「英語学科」に属することになり、その中で「英語を使った仕事に就きたい人のコース翻訳通訳など)」と「海外大学に行きたい人のコース」、あと「大学編入したい人のコース」に分かれる。

なんで大学編入英語学科に属するかというと、ほとんどの大学編入試験の科目が「英語」「小論文」「面接」のみだからである。(学科によっては専門科目の試験がある場合もある)

授業は9割は英語の授業だった。ネイティブ講師日本人講師もいたが、とにかく英語リーディングリスニングライティングスピーキングの授業がそれぞれあり、それ以外に大学編入のための英語試験対策授業がある。少人数にこだわってて、基本の4つの授業はそれぞれTOEIC学内試験の結果から5段階にレベル分けされていた。私は入学時のペーパーテスト免除しか学費も一部免除特待生扱いで入学したので、「は~やっぱこの程度か専門」とか思っていたが、最初TOEICテストで300点台叩き出して5レベルあるクラスの下から2番目に入れられる。「出身校」の学力が高かっただけで「私」の学力はクソだった。ただ真面目に授業を受けていればクラスはすぐに上にあがり、最後は一番上のクラス所属していた。この基本の4つの授業は大学編入以外のコースの人もいた。

残りの1割は資格の授業(英検、ワー検、秘書検、漢検など好きなもの選択できる)の他、第二外国語小論文対策PC(というかOffice)など……まあ大学1年生の一般教養と似たような感じだろうか。選択教養の授業もあったが種類は2,3種類しかない。しかも大して面白くない。

大学1年生と違うのは、自分で授業を選ぶ幅がとても狭いところ。というのも学年によってどの授業を受けるか、カリキュラムが既に綿密に組まれており、「朝ゆっくりしたいから1コマくそ~」というのは全くできない。選択授業も「とってもとらなくてもいいよ」ではなく「この中からどれか選べ」という選択。なので学期はじめにコース人間全員集められてHRみたいなことをして、時間割を配られたりしていた。

学生

上記の通り様々なコース人間が入り混じって授業を受けていたので、通っている人は本当にいろんな人がいた。アンタこんなしょぼい専門いていいの!?っていうような頭のいい人から、クソほど簡単テストを「難しくてヤバかった~」という人まで、本当に様々。Lv.2→Lv.5まで駆け上がるといろんな人と話した。超絶パリピ野郎もいたし、内気で根暗で今にも引きこもりになりそうな人もいた。

同じ大学編入を目指すコースの中だと、まあまあ頭いいけど大学入試では一歩及ばなかった、みたいな人がほとんど。大体がプライド高くてそれを一度へし折られてしまった人、という印象。(私もだけどさ)すべり止め私大に受かってたけど行きたくなくてこっちを選んだ、という人もいるにはいた。あとは行ってた大学が嫌になってやめて再チャレンジしたいとか……。比較的頭のいい人は多かったけど、それでもやっぱ学力でいうと「まあまあできる」か「いまいちできない」のどちらかだった気がする。コース内で一緒に行動していた友達は国公立に受かっていった人から最後最後どうにか推薦で滑り込めた人までいた。

コース人間の数は結構多かった。高校の一クラスくらい……?もっと少ないと思って入学したので意外だった。やっぱり学力レベルでつるむグループが分かれる。男女比は男子の方が圧倒的に多かった。3分の2くらい。でも学年全体で見ると女子の方が多かった気がする。

あと意外といろんな地方から集まってた。やっぱり学校周辺の人が多いのだけど、隣県や新幹線帰省するくらい離れている土地から来る人もいた。私はかろうじて同じ県ではあるが学校までは通学に2時間かけていて、隣県出身学校近くに一人暮らししている友達がうらやましかった。

学費

高い。私大に2年行くとのかわらん。でも高校時代まあまあ成績取れてたら学費免除簡単に取れる。(模試の点数とかセンターの点数を基準学費免除とかしてくれる学校もあると聞く)

本来公立しか行かせてくれなかったはずの両親があっさり行かせてくれたので、絶対学費無駄にすまいと2年間は真面目に必死に授業や資格取得に打ち込んだ。その後まあまあ就活に有利そうな資格とかちょいちょい取れたので、短大とか他の私大行って仮面浪人するよかよかったなあ、と思った。けどその辺って結局当人努力次第なので、学校の授業の時間を使って資格取得や受験対策に打ち込める環境お金払ったと思っている。払ってくれたのは親だが。でも無利子の奨学金も2年次から勝ち取って少し貢献できた。と思いたい。今返済しんどいけど。

編入試験を受ける

編入試験

1年間みっちり英語を叩き込まれたあと、2年生からいよいよ編入試験が始まる。

3年次編入試験は多くの大学がやっているが、大学によって受けられる条件は様々。私が行きたかった大学は他の4大からの受入のみで、専門卒は受け付けていなかったので諦めた。(でもそういう学校の方が少ない印象)

編入試験の日程は学校によってかなりばらつきがある。早いところだと6月くらいで、遅いところだと2月くらい?私は全部で3つ受けたが、ひとつ8月で、残りのふたつは12月だった。やっぱ秋~冬にかけてが多い。

面接練習なども授業でしながら、それぞれの試験日に向けて準備を重ねていく。8月試験を受けたところが第一志望にして最難関の大学だったが、ものの見事に落ちてしまい、泣きながらそのあと友人らとカラオケに行った思い出がある。編入試験受験科目が少ない分やりやすいと言われるが、その門はかなり狭く、私が受けたところも倍率は5~10倍くらい(だったと思う、もう記憶あいまい)最終的に編入浪人の道を選ぶ人もいる。専門→大学編入のいいところは浪人などの1年のロスを出さずに大学卒業できる所だが、結局編入試験の壁が高くて編入浪人したりレベルを落としてD~Fラン大学に入ったりと、メリットが活きないことも多い。でも努力してそれが実ればいい大学に入れるのも事実なので、そこは編入チャレンジする人次第なのかな……とも思う。専門入って遊んでしまった人たちは上位クラスの人でも結局ランクの低い私大に行った人が多く、しっかり努力し続けていた人は国公立偏差値高い私大に進んでいった。英検1級取得したり、TOEICマックススコア出した人もいる。

あとTOEICスコア試験免除がある学校とかあって、TOEICマジもっと気合入れてやればよかったな、と思った。試験免除にならなくても入学後の単位に換算してもらえたりした。

試験対策

英語はもうとにかく授業をガンガンうけてガンガン問題解くだけ。喋る・聞くは捨てて、ひたすら読むにステータスを振り続けていた。(書くは申し訳程度にやった)9時半から15時まで授業を受けた後、18時まで学校に残り友達と多少ぐだりながらも勉強(というか課題)、家に帰ってから英語の長文読解とひたすら向かい合う日々。

小論文は書き方の作法を徹底的に叩き込まれ、あとは個人文章センス知識量がモノをいう感じだった。国語世界史、そしてラノベから影響を受けた文化史系に強かった私には最高の科目だった。

編入試験過去問も一応あって、見せてもらうためにその大学に足を運んだこともある。(コピーはさせてもらえないので、目で見て出題傾向を把握するのが精一杯だが)あと学校過去問を回収して過去問集みたいなのを作っていたので、行きたい学校が人気校ならそんなことしなくてもコピーできたりした。英語試験はどの学校も長文読解系が多く、TOEICをそこそこにして英検受けまくっていた自分にはありがたかった。

面接指導就活とほぼ一緒、だと思う。なんでこの大学に行きたいのかをはっきりさせろ!と言われ続け、「御校に在籍の〇〇先生研究室で●●について研究したいです!!理由としては!!」みたいな答えをガチガチに固めていった。これはのちの就活に活きたと思う。

試験

どの大学小論文は楽勝だった。8月に受けたところは英語で予想外の作文が出て動揺し、読解問題では時間が足らず、涙を呑んで不合格覚悟した。翌日即結果発表だったが、当然私の受験番号はなかった。

第二志望の大学の前に第三志望の国公立を受けにいったが、家から遠く深夜バスでの移動となった。しかバスからまた電車で移動するが乗換をミス試験遅刻。席に着くために荷物通路に置いたら試験管に怒られ、萎縮しながら受験したが英語は予想できたレベルでむしろしかった。1週間後には結果が開示され、無事合格

そして満を持しての第二志望。同じ学校から他にも2名受けることになっており、一緒に移動。英語試験はやや苦戦した覚えがあるが、それよりも面接がしんどかった。大学に、特にその学校に入りたい理由を述べ(行きたい研究室があるでゴリ押しした)、なぜそれに興味を抱くに至ったかなどを話したが、とにかく緊張して噛みまくり面接官に不審な顔をされ落ちたと悟った。しかしその試験当日、夜から私の受験期を中学から支えてくれた某バンドライブがあり、普通に間に合わなさそうだったので走って会場を後にした。ライブギリギリ間に合った。そして入試も無事にパスできていた。

大学編入

進学先が二つ用意されたわけだが、もちろん第二志望を選択。一応国立大なのと、高校時代から学びたいと思っていた専攻があったのが決め手だった。思う存分研究に打ち込めたと思う。嘘。2年では足りない。もっとやりたかった。でも取りたかった単位や聞きたかった講義はほぼコンプできた。

上記でも少し触れたが、入学時に専門学校の授業の単位大学単位へ変換してもらえるため、本来4年で取る卒業単位を2年間で全部とれ、ということにはならなかった。特に私は人文学系だったので、変換がスムーズにいったというのがある。法律経済系の学科は専門科目の変換が難しく、卒業単位を取れなくて留年した人が多かった。(と後に聞いた)

1年大学ライフ満喫したのちすぐ就活なのはきつかったが、興味のあったサークルにも在籍し2年間最初から最後まで活動できた。でもいくら単位変換してもらったとはいえ他の3年生に比べると圧倒的に単位は足りてない(その上私は卒業単位にならない資格系の講義も取っていた)ので、ほぼ毎日1~4コマ、そのあとサークルバイト!みたいな生活をしていたし、就活の時期は本当にしんどかった。英語資格TOEICスコア700前後英検準1級)と進級のために取らざるを得なかった数々の英語以外の資格、そしてあの日面接対策小論文対策が活きたのだろう……と思うと私はこのルートをたどってきてよかった。他の短大や4大出身編入生は就活で軒並み苦労していた。でも専門より大学の方が圧倒的に楽しかったです。普通に1年生から大学入りたかった。

大学編入後で一番しんどかったのは、3年生でありながら1年生に交じって体育やらされたことかなあ。


色々書いたけどあくま文系の話です。理系編入もっと大変と聞くし、そもそも専門→理系学部編入というルートが恐らくない。

東大京大に比べたら底辺もいいとこだけど、こういう抜け道もあるよっていう話をしたくて。でも根っから文系だった私だからこそうまくいった裏ルートみたいな感じではあるんだけどさ……。うまくいかなくってせっかく編入した大学やめて引きこもりになってしまった知り合いもいるし、正直この専門→大学編入というルートを誰にでもお勧めできるかというとそうでもないけれど。

あと社会人なってから編入大学入って、教員免許だけ取って中退した編入生の知り合いもいる。社会人なってから大学で学びたいという人で4年は長いという人にもいいんじゃないかな。あと大学とりあえず入ったけどつまんなくて他の学科行きたいとか他の環境行きたいって人。

私は本当は大学院に進みたかったのだけど、やっぱり学費関係で諦めて就職した。研究してた分野とも全然違う仕事をしているけれど、趣味としてまだその分野についての情報収集勉強は続けている。なお英語をかなり使う仕事だし専門時代に取った資格もそれなりに活かせてはいるので業務内容には満足している。

いよいよセンターが近づいてきて、不安受験生たくさんいると思うけど、どうかここだけが人生の決め手とは思わずに気楽に頑張ってほしい。案外人生どうにかなることの方が多い。

2019-01-03

anond:20190103234930

それもそうなんだけど

あそこは母数という暴力を振るえる、というかすでに奮ってるし、

昨今の不祥事があっても受験志願者は3割減にもいかなかった点においてやはりそこらへんの私大よりは驚異的(その程度の頭の出来の人間にとっては入る価値のある大学)だわ

京大までの受験の思い出(失敗編)

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

https://anond.hatelabo.jp/20190102174908

ダメだった身で恐縮だけど、見てたら俺も自分語りしたくなったので。

中学受験

小学校首都圏某県の公立に通っていた。長男にはありがちだと思うが、低学年のころより通信教材をさせられたり、あちこちの塾にお試しで通わされたりしていた。

中学受験も完全に親の意思によるものである勉強別に好きではなく、塾では机に落書きをしたりしてあまり授業を聞いてなかった。だから当然成績は振るわず、ある日テストで50点をとって(自分ではそれでも上出来と思っていたのだが)ブチ切れた母の命により、それ以来は学校が終わると直帰し祖母らの監視下で勉強強要させられる日々が続いた。志望校も全て親が決め、いざ受験期になっても明日どこの学校を受けに行くのかさえ把握していなかった。

とはいえ元来陰キャ友達も少ないことから自分だけ別の中学に行くことに未練はなく、また特段この学校を受けたかった!というのもなかったため親は恨んでいない。まあクラスメートからいいねと言われるのは気分が良かったし、(勉強は嫌だけど)親に怒られるのも嫌だからしょうがないか、ぐらいのもんだったと思う。むしろ中学受験は大なり小なり「させられるもの」だと長らく思っていたので、東大編の元増田や知り合いの子供が純粋自分意志中学受験をしたというのを聞いてびっくりしているくらいだ。結局(親の)第一志望の御三家は全く歯が立たず、第三志望?くらいの中堅校(中高一貫)に入学

中学高校時代

中学に入る前後から弟が病気で入退院を繰り返すようになり、親や祖父母はそれにかかりきりになった。お陰でこっちはこれまでと打って変わって完全放任。ゆるい文化部に入って暇を持て余した俺は、当時流行っていたMMORPGメイプルストーリーとかそういうやつ)にドはまりした。当然勉強は全くせず、テストは常に一夜漬け。成績は最下位スレスレ状態が高1の終わりまで続いた。相変わらずクラス友達はなく、図書室にこもっていたお陰か現代文だけは良かったが、文筆家になる気はなかったし歴史とかの暗記系が大嫌いだったので理系選択

高2になって、見かねた親が東大生の家庭教師をつける。俺が京大へ興味をもったのは、その先生の「京大単位が空から降ってくる(けど東大単位が逃げてゆく)」という言葉だった。折しも本屋大賞だかがきっかけで森見登美彦を読み始めた俺は、自由楽園としての京大への憧れを一気に膨らませた。当時の京大ホームページアクセスすると大学京都の町並みの影絵だけがボーンとあり、それを横にスクロールしていゆくと最後入口が出てくるといった具合で、他の「普通の」大学とは違うその作りに大いにワクワクした感覚を今でも覚えている(どこかに画像が残ってないだろうか)。

同時に両親とも激務で働く姿を見ていた俺は、会社員自由のない苦痛に満ちた職業というイメージ漠然と持ち始めた。そして自由自分のやりたいことのできる職業大学教授という安直な発想から研究者(当時は「研究」が何かも知らなかった)の道を志す。そのために必要要件も何人かの研究者の略歴を見て「早慶以上で博士課程まで行けばなんとかなる」という勝手イメージを抱き、結論として「京大に入る(滑り止め早慶)」ということだけを目標に高3に突入した。

大学受験(現役)】

再び受験生となった俺は、MMOを休止し何となく予備校に通い始める。当時クラスメートたちは進度の遅い高校カリキュラムを見限り、授業中も内職して予備校の教材をやっていた。だから自分もそんなもんかと思って高校課題は真面目にやってなかったのだが、5月定期試験で相変わらず下から一桁番目の成績だった俺は担任からこっぴどく叱られる。

「お前に学校予備校勉強を並行してやるのは無理だ。予備校を辞めるか、さもなくば学校を辞めて大検を取れ」

恐れおののいた俺はとりあえず担任の教科(数学)だけ予備校を外し、そこから漸く(自分なりに)真面目に勉強をするようになった。

学科は(高校の教科で言う)物理が好き&理屈ばっかりではつまらないという理由工学部物理工学科を選択首都圏学校だったので京大志望はクラス自分一人で、ちょっと一目置かれていた(単にハブられてただけかも)。しかし当然ながら、京大試験問題は難しい。特に積み重ねと言われる数学絶望的だった。でも当時はそこまで深刻には考えてなかったように思う。物理は高3になるまで運動方程式も知らなかったけど、一歩一歩ものにできている感覚があった。化学予備校の教材が奇跡的に分かりやすかった(何せ浪人時代予備校を変えたけど、化学はこっそり現役の時の教材で勉強していたくらいだ)。当時京大では理系でも国語二次試験があって、読書趣味から現文が感覚で解けてた俺には有利だった。元増田の通り、センター数学足切りしか使われないから出来なくてもノーダメージ。あとは英語センター地理を合わせて総合力で何とか、という作戦だった。

高校である教師が言っていた。

現役生はあらゆる点で浪人生より不利だが、唯一有利な点は『落ちたことがない』ということだ。

高3の俺は正にその状態だったと思う。模試でD判定をとっても、周囲が「E判定は良い判定」とか言い合ってるのを聞いて安心していた。試験前日も風邪リスクなど考えず、噂の折田先生像がいつすげ替わるのか番を張っていた(夜になって諦めたけど)。今から見れば完全にただの馬鹿だった。

そんな根拠のない自信は、試験帰りの新幹線慶応に落ちたことを知り、補欠だった早稲田にも繰り上がりはなく、そして3月10日を迎えて完全に打ち砕かれた。後日はがきで送られてきた俺の点数は、合格最低点に(全教科計1000点満点で)80点以上足りなかった。

大学受験浪人)】

私大早慶以外にも何校か受けており、そのうち1校には辛うじて受かっていた。浪人生活はとにかく苦しいと聞く。しかし極限まで肥大化した京大-自由楽園-への憧れと、早慶未満→研究は無理→会社員自由のない人生というイメージから俺は進路に迷った。結局家族で唯一理系だった祖父の「受かった大学師事したい先生がいるならよいが、そうでないならもう一年頑張ってみては」という言葉におされ、俺は浪人生となった。

もう現役のころのような希望はなかった。予備校京大クラスはそこにしかないため、満員電車を乗り継ぎ片道1時間半かけて都心の校舎に通った。中学受験ときは決まった休憩時間には遊べたが、浪人の間はあらゆる時間勉強に費やさなければならないのが本当に辛かった。趣味読書も一切禁じた。もし落ちたら奴隷のような一生しか歩めず、それだったらもう死ぬしかない。そう思いつめているせいか夜はなかなか寝付けず、自習時間や週末に眠り込んでしまうことも度々あった。クラスメートと一切話さず(結局誰一人名前も知らなかった)、昼休みは机に突っ伏していた俺は相当浮いていたと思う。

それでも振り返れば、この一年で俺の馬鹿は(お勉強の面では)だいぶ治ったと思う。物理は難度の高い問題をこなし、得点源といえる域になってきた。化学は詳しい理論(π電子とか)は理解できず丸暗記だが、現役時代と合わせて知識量はそこそこあるはず。国語感覚を廃した分析的な読みを一から勉強し、地理と合わせてセンターで大幅な特典増が見込めた。数学はやはりしんどいが、どうにか100/250点とれれば総合合格点に届く計算だった。

試験前日、俺はやっぱり眠れなかった。ホテルの有線音楽で聞いた『一年生になったら』がずっと頭の中を流れていた。興奮は当日になっても続き、寝不足による不調は感じなかったが、2日目の最後理科試験問題を開いて絶望した。物理が例年よりも簡単すぎる!差別化を図れる唯一の手段を封じられ、動揺した俺は同時に出された化学で手こずりまくった。絶望感とともに帰宅した俺は、迎えてくれた家族の態度から早慶に落ちたことを察し、今度こそ人生が終わったと泣いた。そこから3月10日までは後期(京大にはないので他所)の勉強をする気力も起きず、抜け殻同然の日々を過ごした。

ここでいつか使おうと思って、結局使えなかった話のネタを供養したい。俺は出願期間が始まって速攻で願書を出したから、京大受験番号は(学科を表す千の位+)8番だった。たしかその年の工学部の倍率は2.5倍くらいだった気がする。迎えた3月10日ホームページで見た合格者の番号は

1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 9, 11, ...

あの時同じ部屋にいたはずの10番は、今何をしているだろうか?

【その後】

結局俺は最低点には17点届いていなかった。そして死ぬだけの覚悟があるはずもなく、併願した某私大に進学した。この大学に現役で進学し、新歓の時期ばったり会った高校クラスメートの「一浪して○○大!?」という言葉が今も胸に突き刺さっている。

……とまあ、受験生を奮い立たせる目的ならこういう風にBad endで終わった方が良いのかも知れないが、どっこいこれもN年後の今では良い思い出である。あれから俺は京大とは別の国立大の院に進学し、今は民間企業への就職を控えつつ博士課程を終えようとしている。結局私大生活も十分すぎるほど自由だったし、現状研究者も中々自由が効かなそうだし、企業でも上手くマッチングすればかなりやりたいことが出来そうだった。後に残った傷といえば、森見登美彦が読めなくなったことぐらいである。

もちろんこんなのは結果論しかいから、これを読んでる受験生は悔いのないよう今の信念を貫いてほしい。しかしもし将来(受験に限らず)苦い思いをすることがあったら、それがどのようにして「良い思い出」に変わり得るかのヒントとして次の言葉を思い出してほしい。

人生には割と結果オーライな所があって、今の状態が悪いと過去の一つひとつがその原因のように思えてくるが、逆に今が良ければそれらにも意味があったんだと思えるようになるもんです。

これは今の大学である先生が仰っていた言葉だ。過去未来を決めるのでなく、未来過去意味づけるというとまるで(京大編の元増田の)「汗をかけ」へのアンチテーゼみたいだが、そうではない。大事なのはもし受験不本意な結果に終わっても、その後人生で「成功」するチャンスはまだまだ残されているよということだ。私大の院で着実に研究者への道を歩んでいる同期がいる。生涯の伴侶を見つけた後輩がいる。サークル趣味が高じてプロになった先輩がいる。俺だって京大に落ちなければ、今の研究(超絶面白い)には出会えなかっただろう。どんな道でもとにかく今が楽しいという状態にさえ持っていければ、きっと明日だって「落ちたことにも意味があった」と僻みなく言えるようになれるだろう。

全ての受験生と、かつて受験生だった皆が、新時代を迎えるこの年に「成功」出来ることを祈っている。

2019-01-02

仕事勉強に対するモチベーションについて

ここのところ、東大とか京大受験して合格した人々の投稿が続いているけど、それが何年前の話なのかはおいといて、細かく模試の成績とかを覚えていることに感心する。私は大学を出て就職してから25年以上も経っているので、あまりかいことは覚えていなくても仕方ないと思っているけど、勉強が出来る人、努力家の人というのはそのへんからして違うのかも知れない。

私はそこそこ進学校で有名な公立高校に通っていたわりには、受験勉強にあまり熱意がなく、浪人覚悟東大一本とか早稲田一本とかやってるクラスメートを横目に何とかMARCHとある学部滑り込み自分より成績のいい友人に「合格おめでとう」と言わせた記憶けが残っている。確か彼女は私が入った大学の中で一番偏差値の高いところを滑り止め(!)にしており、第一希望の国立大学に落ちたという理由一年浪人した後、東大合格した。

そういう人たちを見ていてすごいなと思うのは、とにかく努力であること。そして努力を続ける根性があること。私はあまり受験勉強に熱心でなかったので、私大文系にすれば数学理科受験しなくていいからと理系勉強ほとんどスルーし、保険のために第一希望と同レベル大学学部を何校も受けるようなことはせず、確実に受かりそうな大学しか受験しなかった。今思えば早慶ぐらい受験しておけば良かったかも知れないけど、うっかり合格してしまって大学生活で勉強について行くのに苦労したり希望の専攻に行けなかったりするとイヤなので受験料をムダにするようなことはしなかった。

だいたいよほどのエリートコースを目指さない限りMARCHぐらいの大学を出ていれば困らないと思っていたし、実際バブル崩壊直前に就職活動をした我々はそこそこ名の通った企業入社する連中が多かった。飛び抜けて成績優秀な先輩や後輩はキャリア組官僚になったり司法試験に受かったりしたが、さすがにそれは一握りのエリート限定でまぁそれが妥当な結果だろうと思える状況だった。

で、無事就職するところまで行ったはいいが、自分欠点として反省しているのは「(勉強でも仕事でも)ほどほどに足切りされない程度にやればいい」「完璧を目指して自滅するのはバカ」という認識がしみついてしまたこと。だいたい職場で優秀だと見なされる人間は、「結果を出すためにベストを尽くす」ことを旨とし、仕事のために自分時間犠牲にすることを厭わなかった。でも、優秀だと思われると激務ポストでいいようにこき使われ、嵐のような残業に耐えるわりにはさほど見返りがないので、全然そういう人々を羨ましいと思えなかった。

さらに私のやる気を失わせたのは、2~3年ごとに人事異動があり、異動のたびに前の職場で覚えた仕事がムダになることだった。結構専門的な仕事であってもきちんと研修が行われることは少なく、一所懸命勉強しても異動すればそれがパーになると思うと、自分必要最低限の仕事だけこなして極力定時で帰れる職場こそ最高だとしか思えなくなった。当然そんなヤツが上司にいい評価をもらえるはずはなかったけど、まっとうに出勤して最小限の仕事をしている限り、上司も私の給料を減らすようなことはできないのだった。逆に優秀だと評価されている人間でも、多少給料に色が付く程度で、むしろ収入の差は自分時間犠牲にすることによって得られる残業手当によるところが多かった。

一番つぶしが効くのは、新人女の子がよくやらされる「庶務担」というやつで、旅費や残業手当の計算をし、年末調整の時期が来れば書類を皆に配って書き方や必要書類指導をする仕事だった。一緒に福利厚生社会保険関係手続きもする。あとは経理系の仕事で、予算執行状況を見ながら消耗品を買ったり業者に支払いをしたりする仕事だ。私は今、勤続25年を超えてそんな仕事をしている。我ながら給料ドロボーな気がしなくもないが、どうしても仕事生活費を得るための手段しか思えないのでどうにもならない。仕事自体モチベーションを見いだせる人、「ベストを尽くそう」と頑張れる人がちょっとだけ羨ましい。

自分でも何が言いたいのか分からなくなってしまったけど、「仕事でも勉強でもモチベーションを持って努力し続けられる人は偉い」「家庭の事情などが許す限り、勉強(スポーツなどでも可)はやれるところまで努力した方がいい」というのがまぁ結論なのかな。ただ、仕事に関しては「優秀な人に仕事は集中する」「頑張り屋だと思われるとどんどん重荷を背負わされる」というのが鉄則なので、自分会社過労自殺とかが出るようなところに勤務している人は無理しすぎない方がいいと思う。長文なのに大した結論じゃなくてごめんなさい。

2018-12-27

何者にも成れない増田

大学には浪人して、関西から東京私大へ行った。

父が失敗した司法試験合格できるようなギリギリライン大学だ。

父もそこの大学を出たというのも理由の一つだし、

宗教はまっている、両親から離れたかった理由としてはもっともらしい

理由にできたということもある。

法曹関係出身大としてはそこそこ有名)

大学には真面目に通って、司法試験受験サークルに行き、

ダブルスクール勉強もしたが、司法試験には4年受けて1次通過がやっとだった。

そのうち、司法試験制度が変わることになり、父と同じく弁護士の道は諦めた。

特にスキルが無いのけど、法律知識だけはそこそこあった為、

士業の予備校非常勤講師をやり、そのうち介護関係法務部に就職した。

特に不満はなかったが、会社のお局さんと打ち解けることができないという

致命的なコミュ力のなさから会社も1年そこそこで退職することになった。

もう、何もやることがないと思い、失礼ながら楽そう、頭つかわなさそうという理由だけで、

警備員求人に応募した。面接に行った時にはすでにシフトが決まっていた。

警備員世界ヒエラルキーで満ちている。

一番トップが、施設警備といい、みなさんが働いている大きなビル警備員室でモニタを眺める仕事だ。

続きが雑踏警備でこれはイベントなどの警備を行う。まぁ立って声が出ればよしの仕事だ。

最下層が工事警備だ。これは雨天であろうがなかろうが、早朝・深夜の道路の片側通行を速やかに行う

為に不可欠な仕事で僕はこれをやらされている。

入ってすぐの相方は、ベトナムだったかアジア系の人で日本語ほとんど通じなかったが笑顔が素敵だった。

ある時、クルマベトナム人の方からわたしの方に侵入してきているのに、

トオシテイイヨーというので、こちらのクルマを通したところ、正面衝突になりかけたことがある。

これでもクビにならないような仕事だ。

年末、年度末にかけて、寒くなると僕たち私たちの出番が増える。

昨日も一昨日も工事をやっているおっさん達に邪険にされつつ、立ち続けている。

クリスマスの夜も工事の警備に入っていた。

子どもが「あ、おまわりさんだ!!」とはしゃいでいたら、

おかあさんが「あれは、ただの警備員さんよー」って答えていた。

気がついたら、クリスマスの日に46歳になっていた。

2018-12-16

anond:20181216113200

文系場合、専攻分野と就職はあまり関係がないし、国文学科と経営学科の人数とかどうでも良いような気がするんだよなあ……

文系大学で学ぶことなんて、かなりの割合の人が要するに「学び方」という形式を一つ会得するだけで

内容そのもの習得が役に立ったから直接に金になるって感じは経済系ですらどこでもあるってわけでもないし

大学院いけば違うんだろうけど、それは大学院定員の問題であって、大学院に行かない傾向にある文系学部生に大学院での事情にどこまで巻き込むべきかと。

博士必要と言うなら博士課程を拡充したり、大学院だけの過程を作ったりできるわけで、学部までいじることが絶対必要なわけでもないし。

そもそも大学研究機関なのであって、役に立たない学問もある程度は保護する必要があるしそれはむしろ私大ではなく国立の役目なのではないかと思う。

2018-12-13

数学が出来ない高校生理系に行って良いですか?

質問です

自分は今、関東の某私大付属高校の二年生なのですが、内部進学で理工学部に行くことを考えています

しかし、数学はそれなりに勉強して学年全体の平均点を少し下回るほどと、理系志望にしては低い成績です。

幸いにして、理工学部の枠は余っているので、指定された数学などの授業を取れば、成績に関係なく推薦を受けることが出来ます

ですが、情報系を志望しているので、数学大学に入ってからバリバリ使うと思いますし、入ってから不安です。

こんな高校生でも理系、それも情報系の学科に行っていいですか?

2018-12-12

anond:20181212205106

いや、バブルの頃は医学部は倍率今ほど高くなかったよ、偏差値も調べてみればすぐわかる

もちろん、旧帝の医学部は今と変わらず偏差値高いけど、いわゆる地方私大医学部なんかぬるいもんだった

今じゃ地方私学医学部でもだいたい早稲田くらいの偏差値とらんと入れないからな

2018-12-10

anond:20181210155347

試験あるし大学の進級もあるから馬鹿だと通らんぞ

実際、親が医者とか金持ちバカ息子、バカ娘で、私大薬学ねじまれたやつが、実験テストなどの生活についていけずドロップアウトするやつが毎年、どの大学にも一定数いるんや

2018-12-09

anond:20181209180910

運命がどうこうくだらないこと考えて無気力になってる私大生でも就活で失敗する可能性なんて微塵も考えなくてよくなってるんだな

安倍総理感謝だな

まれつきの不平等について

はじめて書く

きっかけはこの記事https://anond.hatelabo.jp/20181130212224

大企業派遣として働く女性正社員の持つ文化資本などに対する劣等感を綴ったもの

僕はどちらかと言ったら大企業正社員になるレールを歩いてきた人間で今某有名私大生だがまもなく就活を迎える。

文化資本の不平等について、それに恵まれている人間がどれだけ考えているか僕にはわからない。僕が人よりそれに気がかかるのは、高卒の両親を持ち、母の教育熱心の為無理して中学から私立へ入れてもらったからだと思う。金が限界で妹はずっと公立である東京貧乏地域から私立中学へ行くとやはり全てが違って、その時僕は世の中には色んな人種がいて、自分のいる環境はその一つに過ぎないと知った。

例の記事を読んで、筆者は海外旅行観劇趣味であるような人種劣等感を抱いているらしいが、自分劣等感からそういう人種自分を育てた。それが出来たのは首都圏に住み、自由学校に通い、なおかつネットのある時代からこそだろう。クラシックが大好きだし我ながら美術文学の造詣も深いと思うが、自分出自を考えると鹿鳴館猿真似のようでたまに可笑しくなる。

無理して私立に入ったから常にそのコミュニティの中では経済的に最下層にいたと思う。教養はその劣等感と共に育んだもので、今でも親が教授医者だったり(なんと多いことか)すると、「お前の今の地位は全くお前の能力努力とは関係無いんだぞ」と内心劣等感丸出し。そのくせ僕は自分だってまれている方の人間だと知っているのだ。知っているだけマシだと思う。

こういう考えを延長すると、全ては生まれ環境。つまり運。努力出来るかさえも運。ある種の決定論になる。これだと何するにも気力が湧かない。僕は今この状態に近い。

成功」した者はそれが自分努力能力所為だと思いたいし、「失敗」した者はそれが自分がどうしようと覆せなかったものだと思いたい。両者は分かり合えるのか。

僕含め、社会の上流にいる者、生まれ環境に恵まれていた者は、それだけである種の原罪を背負っていると思う。この原罪自覚すべきだと思う。慎重でなければ単なる上から目線の、オリエンタリズムに陥る危険はあるけれど。

まれた人は、もうこんなことはとっくに考えていて、自分なりの答えを出して生きているのかもしれないと考えることもある。

しか自分の中で折り合いをつけるだけでなく、恵まれ人間は、そうでない人間との断絶についてもっと考えるべきなのではないか

以上が記事を読んで思ったことです。長くなったけれど。

2018-12-01

50歳 300人程度規模企業での収入晒す

私事だが、この夏で50歳になった。

新卒時に「嫌だな〜、これから40年も働くのか」と思ったサラリーマン人生も残すところあと10年となった。

仕事のものは、予想に反して楽しく過ごさせてもらったが、収入はなんともだった。インターネットが普及してからは「平均」というものをググったりもしたけど、ピンと来なかった。

同じ思いの人も多かろうと思い、匿名をいいことに赤裸々にしていこうと思う。

生立

財閥総合商社勤務の父の元、比較的裕福に育つ。幼いころはアトピー喘息と親には心配をかけたであろう。4人兄弟の長兄。

喘息を治す為に習った水泳はその後、特技となり、大学生の時はイントラなどのバイトをした。公立小学校公立中学私立付属高校→F欄私大文系

社歴

全国展開している学習塾系の広告代理店営業新卒営業として入社。なぜか社長に気に入られ、直轄のプロジェクトなどを担当。2年目のボーナスの少なさに腹を建てるのと、担当したプロジェクト出会ったデザイナー側になるべく、転職。なぜなら営業よりもデザイナーのがかっこよく楽しそうだったから。ちなみに新卒時に入った会社は今は整理され、もう無い。

吸収した会社は今では一部上場

その後、ベンチャー就職し、マッキントッシュ出会う。個人的には人生が変わったと思っている。Photoshopillustrator、afterEffect、directorMAYA、3Dmaxなどのソフトなどを習得する。ここでの報酬はそう悪くなかったが、デザインする内容に飽きてしまい、転職。ちなみに今、この会社は一部上場

その後、転職した会社現在に至る。組合のあるのんびりとした雰囲気過去に大きな成功体験がありそこから抜け出せていない会社。外部から来た人間という事で割と新しい事業を任されがち。たまたまそこで結果を残し、特許を取得するなどをし一定地位を得る。会社リソースは有限で発言積極的にする人間や声の大きい人間がそれを使えるんだなあと理解

収入

現在役職技術系の部署部長。得に資格手当などはなし。現在の月収は456,590円。組合が今、闘ってくれているまもなく振り込まれるであろう賞与の額は956,907円。夏は908,100円だった。去年は103万くらいだったのになあ。あ、3月給与には調整金の名目で8万円程度加算される。いわゆる期末賞与的な。

なんとなく年齢*万円を目指してきたけども、うちの会社規定ではこの年令になると難しい。新卒で入った会社最初ボーナス(夏ではなくちゃん計算になる冬)が16万円程度だったのに腹を建てて辞めたもんだが、この年令ではそのような動機で辞めてしまうと再就職が難しいので、行動に移せない。

前述の通り、これが人と比べて多いのか少ないのかはわからない。誰もはっきりと教えてくれないし、平均では実態がよくつかめないし。俺は近所の同世代くらいの野郎いくら貰ってんのかを参考にしたいのよ。

子ども手当が今年度から120,000円になったのも痛い。

ちなみに妻はパートタイマーで今年は103万をちょっと超えたくらいの収入だそうです。

家族

パートタイマーで働いてくれている嫁が1人と子供が3人いて家計が火の車なのは確かです。ってか借金地獄子供は上から私立文系大学1年生で自宅からの通学。真ん中が公立中高一貫校、下が公立中学大学は別として下2人は公立なので、世間的にはかかっていない方かと思いますが、塾!これが痛い。

また、大学生の子には奨学金を借りてもらっています。不甲斐ない父親申し訳ない。俺自身は借りなくても住んだし、一人暮らしもさせてもらったってのにごめんな。

支出

塾は月額それぞれ、25,000円くらいかかってる。子供小学生のころはスイミングなども習っていましたが、+6,000円くらいかかってしまうので、断念せざるを得ませんでした。

2人とも部活運動はやっています

ちなみに私自身も20代の頃から続けていたジム通いを断念。今は自宅での筋トレと近所を走ることにしていますジムのいいところはジャグジーとかプールとかだったのですが、モチベーションや侘しさは別として年齢なりの運動強度は得られているかと考えていますジム、行きたいけどね。時々電車の中から見えるジム光景が眩しくて泣ける。

あと、筋肉体操はかなり効く。

家は持ち家です。ローンはまだ19,259,788円残っており、月々96,404円返しています。これは金利0.857%で借り入れています

車は1台所有。来年車検頭痛の種。あと来年大学学費どうしよ。

電気代は1万4,000円/月程度、水道が1万円/月、通信費は2万円/月程度発生していますNHKは払っていない。

保険は車が65,000円/年、生保やら傷害保険やらで30万/年って感じ。

2018-11-30

キャバクラ大学学費を稼ぐ友人

タイトル通り、私の友人はキャバクラで働き大学学費を稼いでいる。

友人の名前ミカとしよう。ミカは今年の3月にバイトで知り合った友人で、大学2年生だ。誰もが振り返る、超絶ウルトラパーフェクトビューティーキュート女の子

最初ミカは心の壁が分厚かった。同い年なのに敬語を使ってくるし、やたら自分卑下してこちらを持ち上げるしで、「絶対こいつ家がやばいな」と察した。

色々と力技を駆使して私はミカの心の壁を破って打ち解けることに成功した。ある日、ミカは私に複雑な家庭事情を打ち明けた。

ミカの家は所謂機能不全家族」だ。カルト宗教信者の親の下で育ち、彼女は今も、恐らくそ洗脳が抜けていない。

ミカの母は高校3年生の頃、癌で亡くなった。亡くなる前から治療費が高額だから離婚したいだとか家族内で分裂が起こったり多くの問題があって、ミカ治療費を稼ぐために受験生ながらバイトに追われ、その上周りの大人母親の死後処理なども全て彼女押し付けた。

そんな中で勉強に集中できるはずもなく、成績は落ち、彼女は望んでいなかった大学へ進学した。

1年目は無利子の奨学金を月5万借り、祖母から残りの学費を援助してもらっていた。しかし家の家賃自分と弟の生活費、そして母の治療費へ充てた借金を返す為に稼がなければならなかった。父親単身赴任をしているが稼ぎが良くない。

彼女キャバクラバイトをし始めた。大学まで片道2時間かかるから、早朝に家を出て学校へ行き、夜は遅くまでキャバクラで勤務。そして帰宅・・・

2年生になる前、借金完済の目途が立ったので、キャバクラを辞めた。そしてこのバイトを始めたということだった。

しかし今年の夏、ミカが通っている大学祖母が進学を反対していた所だったこともあり、祖母ミカへの学費支援を打ち切った。ミカは、自分学費を稼がねばならなくなり、キャバクラへ戻った。

私とミカが知り合ったバイトは、1年続けることを条件に採用される。だからミカはこのバイトを辞めず週2で入れ、キャバクラでも働き、学校も通い・・・睡眠時間も休む暇もない日々を送った。

結果、ミカは倒れ、やむを得ない為こちらのバイトは辞め、稼ぎの良いキャバクラを続けることにした。

ミカバイトをやめた後、私は電話で「キャバクラで夜まで働いて、睡眠時間もままならないまま早朝家を出て・・・って体に負担かけてまで、ストレート大学卒業することにこだわる必要ある?」と尋ねた。

ミカは「母ちゃん遺言に、4年制の大学卒業して欲しいって書いてあったんだ~、今生きる意味、それがすべてって感じだから・・・」と言った。

「家の問題とか、自分大事にすることを覚えなきゃいけないこととか、痛感したよ。精神科受診した。大学も4年生になれば楽になるから、あと1年頑張れば大丈夫!」とミカは言う。

お母さんの遺言を守りたいのはわかる。遺言は故人から最後の贈り物だから大事にしたい。私も大切な人を亡くしたことがあるからわかる。

それでも、大学卒業するのは、今じゃなくていいと思うし、私はミカに体を壊すような生活を送って欲しくない。ミカ家族は今までミカ大事にしてこなかったし、それが変わることは正直望めないと思う。

私のエゴだっていうことも、他の家の事情に口は挟めないことも、彼女意思尊重するべきであるのは分かる。

でも、長年家族や周囲に洗脳されて、真面目な気質に付け込まれ本来大人が負うべき責任押し付けられ、間違った自己責任論を信じ込む彼女意思通りにすることが良い結果につながるだろうか。

弟はまだ中学生だし、ミカ精神病正式な診断が下っているし、二人とも公的機関によって保護を受ける権利がある。一度休んだって良い、というか休むべき。

それにミカは今までの苦労を鑑みると、どこでだって働いていける。大変だけれど、一旦働いて学費を確保してから通うとか、通信制を利用するとか、方法は他にもあると思う。学費の高い、今の私大に拘る必要もない。

勉強だって、私も自分勉強毎日追われているから一緒にするし、家から逃げたければ手段を一緒に考えるし実行を助ける。ご飯ならいくらでも奢る。

私が全て何とかすることができるわけではないし、自分意見押し付けるべきではないし、人の人生に介入する権利も、止める権利もない。ミカ人生からミカ自身で考えて選択することだ。

だけど、どうしてもモヤモヤしてしまう。

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