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はてなキーワード: 安定剤とは

2019-06-10

anond:20190610151914

でも男女とも価値観がひろがりすぎ、地雷がどこにあるかわからん

はっきりいっちゃうメンヘラとか激増してるじゃん、

ストレスで壊れかけて安定剤飲んだことない人なんていないんじゃないの?

あるいは安定剤がわりにゲームアイドル重課金してしまうとか

すすめづらすぎるにもほどがある

 

もっというと性犯罪に遭って下手な男性だと生理的に駄目になってる女性も多いし

そういう人に結婚すすめるのってセクハラモラハラを通り越して人として駄目

2019-06-09

休日にも仕事の連絡が来るのが辛い

小規模な会社で働いてるので、仕事の連絡に自分スマホを使ってる。

日曜日休みの日でも仕事の連絡がメッセンジャーで来る。

タスク管理ツールにも自分担当タスクがどんどん追加される。

すぐ返事しなきゃいけないわけじゃないけど、見た瞬間に仕事のことを考えないといけないので、この生活になってから気持ちが休まるときあんまりない。

在宅勤務やフレックスを認めてもらってるので、その分しょうがないのかなと思って相談もできてない。

この働き方が自分には向いてないかも。

もともと性格心配性なのと、前職で残業ストレスが多かったのもあって、安定剤を飲んでるんだけど、薬に頼る気持ちが増しているような気がする。

辛い。

寝れない。

明日用事もないし、ひとり暮らしだし、寝なくても何ら困らないんだが

一般的にはこの時間は寝るもんだとされていると思うと、この時間に寝て、朝起きて、寝るべきだろうと思う。

が、寝られない。

安定剤も、眠剤も飲んで、3,40分目を閉じてみても寝られない。

寝られないと、考えなくてもいいことや、どうにもならない事を思い出したりして、不安やわびしさがこみ上げてきてより寝られない。

医者は、昼間に睡眠がとれてるなら、今は夜寝られないことを気にする必要はない。と言ってたけど…

それじゃ、いつまでたっても生活リズムが治らないじゃないか

めしに、夜寝ずに昼間予定をいれて、夜帰ってくるようにして、見たこともあるけど、それでも寝られない。

寝られないことを考えると。より寝られない。

きもちとしては寝たいのに寝られないかもどかしい

2019-04-28

anond:20170524090451

テトリスという匿名ダイアリーを読んで、ほとんど同じような経験をしていたのを思い出した。

小学4年生ぐらいの時に両親が離婚して父子家庭になった。

突然すぎる家庭環境の変化に耐えかねて、警察沙汰になるようなイタズラを外で繰り返していた。

ひねくれすぎて、小学校の友達に卑屈な態度をとっていたせいで学校内で虐められた。

やがていじめから逃げるようにして、学校帰りゲームセンターに通い、コインゲームにハマっていった。

休日1日を浪費して、何時間も、何日も連続で。

知らないおじさんからもらったメダルや拾ったメダルで、ただひたすらにコインゲームをやっていた。

今にして思えば、あのコインゲームのスペースは寂しい人たちの集まりだった。

いじめられっこや家庭内放置された子供それから家に居場所のない老人。

そこで新しいコミュニティを築いた。同い年の不良から老人まで幅広い世代の人たちと交流し、そこでいろんな人に優しくしてもらった。

中学校卒業するまでゲームセンター通いは続いて、高校入学と同時にゲームセンター通いは止まった。

増田と同じように大学受験に失敗して浪人が決まった時、ゲームセンター通いが再開した。

結局この時も、大学が決まるまで2年間通い続けた。

大学に入ってから春休み夏休みなど大型連休精神的なバランスが崩れるたび、ゲームセンターに足を運んだ。ひたすらにコインゲームを続けた。

彼女に振られたとき家庭内が不穏なとき大学課題キツイとき、強いストレスを受けるたびにコインゲームに没頭した。

社会人になっても長い休みを見つけるたびに足は自然ゲームセンターへと向かう。

3000円を両替機に突っ込みメダルをジャラジャラさせながらプッシャー機にメダルを落としてゆく。

きっとこれからも強いストレス不安を感じるたび、ただただ無心でコインゲームに没頭する。

それがテトリス増田と同じ、傷ついた心の回復方法であり、安定剤なのだろう。

近頃だんだんと数を減らしてゆくゲームセンターコインゲーム

全てが消えてしまった時、私はどうやって傷を癒せばいいのだろうか。

2019-04-25

長い話

今、残業中なんですけどもうデスクで涙をこらえるのに必死で何もできないので気をそらすためにも自分の話を書きますね それぐらいは許される職場なんです。いいでしょう。私がすべて悪いだけの、きっといい職場なんです。

私は小学校中学校、合計で五年間ぐらい不登校保健室登校)でした。原因はなんだろうな。今考えてもわからないんですけど、とにかく行けなかったんですよ。なんでだろうね。

面倒くさかったんです。たぶん。鬱かなってちょっとだけ思ったりもしたけど、でも、私は当時からオタクで、ネット動画とかを見て笑ってたからただの甘えだったのかもしれない。徹頭徹尾、甘えているだけの人間なのです。小学校の三年か四年から二年ぐらい通えなくて、六年生で復帰したけど、中学校一年でまた行けなくなりました。勉強ができないわけでも無かった。昔から地頭は良い方で、ただ集中力は無かった。何事も長く続けられなかった。極度の面倒くさがりで、家事も何も一切できなかった。

両親は、学校に行きたがらない私を叱ることもなく、いろいろ考えてくれました。なんたらスクールみたいな不登校児の集まるところに連れて行ってくれたり、カウンセラーが居る部屋に週数回だけ通うように調整してくれたり。

結果としては、私は自分の中でなんで教室に行けないかからないまま中学の三年間を過ごして、そのまま都立チャレンジスクールっていう学校に進学しました。都立高校で、定時制

そこには私みたいに理由もなく学校に行けなかった人って全然いなくて、病気だとか、働かなくちゃいけないから夜間で通うとか、親が離婚してから生活が変わって学校に行けなくなったとか、たくさん理由があったんです。私はなんで自分がここに居るんだろうってちょっと思ったりもしたけど、未だに仲よく遊ぶ友達ができたのもここでした。

学校は楽しかった。

でも高校はやっぱり三年しかなくて、私は大学に行くことにしました。良いなと思った大学を目指して、母がこのころ癌になったのに無理して私に英語家庭教師までつけてもらったけど、受かりませんでした。その年だけ倍率が平素の三倍ぐらい高かったんです。なんでだろう。

結局私は担任先生の勧めで、少し遠いけど私なら絶対入れる私立大学文学部に入ることになりました。試験はびっくりするほど簡単で、これなら中学時代の私でも入れるな、と思いました。教科は現代文だけでした。

でもこの大学で、私は今でもたくさん遊びに行く友人ができたし、その一人は先日入籍しました。おめでとう。

大学は面倒くさいこともたくさんあったし、さぼったりもたくさんしたけれど、たぶん楽しかったんだと思いますバイトを始めたのも大学に入ってからです。最初は友人の勧めで飲食で働いていたんですが、給料未払いで数か月で辞めました。

次に私が応募したのは、カードゲームショップでした。ちょうど流行ってたんです。シャドバなんて出る前で、ハースストーン一部の人しかやってないし、MTGオンライン全然無かったころの話です。私はろくすっぽカードゲームなんて知らないままそこに面接に行って受かりました。

仕事はたぶん楽しかったです。結局二年半ぐらいやったのかな。みんなオタクだったし、嫌な客もいたしわかんないこともいっぱいだったけど、それでもバイトって責任もなくて気楽だったし、本当に楽しかったと思う。

その時直属の上司だった男の人とは今でもなんだかんだ年に数回会って、二人で飲んだり二回ぐらい日帰り旅行したり誕生日ディズニーしたり一緒にコンサートいったりします。私たち関係は何なのか、こうやって書きだしても未だによくわかりません。良い友人なのかな。友達以上恋人未満の関係結構好きです。気楽だし。いい関係ですよね。

そして私はバイトと遊びと勉学と文化コンテンツで日々を過ごしました。三人しかいないゼミでひいこら卒論を書き、その間に就活しました。

弊社は、確か私の学校に来ていたうちの一つだったと思います

私の父は大きな会社でそれなりに能力もあって、管理職ではないけれど責任感のあるポストについています。そんな彼と日々話をしたりしているうちに、私もこの業界にしたいな、と漠然と思っていたので、そこを受けてみることにしました。一応ほかにも数社受けました。

受かったのは二社。もう一つは金融系の会社で、少し怖くて辞退しました。その時私は卒論が楽しくて、就職の方がたぶん大事なのにそんなこと全然考えてなかったんだと思います

そうして弊社に決めました。もうゼミ以外には大学に来る予定なんてなくて、バイトばっかりしていて、オタク趣味お金を使いたかった。早く就活を終わらせたかった。

もともと視線恐怖症なのもあって、沢山の人がいる中で自分アピールしたりすることが怖かったのかもしれない。

私は卒論を頑張って(学部で優秀賞をもらいました)、大学を無事卒業して、弊社へ入りました。

入ってから、ああ、結構体育会系というか、業種のくせに古臭い企業だな、と思った事は事実でした。けど、父が言うにはこの業種の中小はみんなこんなものだという話だったので、特に気にしませんでした。自分マメさが求められる事務職は向いていないと思っていたからです。

それでも今の部に配属されて、訳の分からない言葉はいっぱいだし、教えてくれる先輩の一人は私に教える片手間ずっとグラブルをやっていた。もしかしたらグラブルをやっている片手間私に色々教えてくれたのかもしれない。

今のオフィスは、弊社の大口顧客(元請け)がほぼほぼ占めているビルです。

私は二年間、同じプロジェクトで、ワーカーホリック上司の下で仕事しました。

上司イエスマンから無茶な仕事をいっぱいもらってきちゃうし、自分ワーホリからほかの人も同じぐらい働けるとか思っていたし、謎に有り余る体力で飲み会かにも大体参加していましたが、怒らないし、わからないというとある程度は聞いてくれたりするし、たぶんとってもいい人でした。私が生意気言っても怒りませんでした。ただ彼自身は毎月残業60時間かいってるワーホリでした。いまでもそうです。

それでもそのプロジェクトは楽しかったです。つらいこともたくさんあったけど、愛着もありました。

なんだか身体おかしいな、と思ったのは去年のどこかぐらいからだと思います。去年は忙しい月が数回あって、残業が40時間を超えるぐらいの月が飛び飛びに数回ありました。

から起きるのが早くて、朝五時とかに起きちゃっていたんですが、三時ぐらいとかに起きちゃうようになりました。

私はスマホ依存症に近いものがあって、何かあるとすぐスマホを見ちゃうんですが、それのせいもあったのかもしれません。睡眠の質がきっとどんどん悪くなっていきました。

プロジェクトは今年の春が大詰めで、みんなピリピリしてたし、急な雑務も増えました。

ある日、一度、風呂場で痙攣のような現象を起こしました。

視界が一瞬真っ白になって、風呂場の椅子に座りこんだと気が付いたときには、身体のいろんなところが強くしびれていました。特に強かったのは手で、勝手に力強く握りしめられていて動かせませんでした。

母を呼びました。母は全裸で浅い呼吸をしながら手を強く握りしめている私のことをひどく心配してくれました。父も風呂場の外にはいてくれて、状態を調べたり、スポーツドリンクをくれたりしました。

その日は固まった手で何とか飲み物を飲んで、少ししたら回復しました。

でも、結局数日たってからも体調がすぐれず、午前半休を取って病院に行きました。

のしびれの正体も知りたかたからです。結果は「抑うつ状態から過呼吸引き起こしたのでは」ということでした。

医者さんには産業医面談を受けるように言われました。私は素直にワーホリ上司へそのことを話して、午後に出社しました。

休憩スペースで面談しました。診断の詳細、そして産業医面談というものを受けるかどうか。

受けるなら俺から上に言うよ。そういわれて、少し困りました。プロジェクトが本当に大詰めだったからです。私はその時まだ二年目のぺーぺーでしたが、そんな私でももしいなくなってしまったら困るかもしれないと思ったからです。結局上司はそのあと産業医面談の話はせずに、春から仕事の話をされて終わりました。

その週の金曜日、私はどうしても体調がすぐれず、うまく動けなくて、会社休みました。

もう一度産業医面談の話をしました。

私自身が、どうしてこんなにストレスを感じているかがわからなかったからです。それが仕事のせいなのか、無意識プライベートでため込んでいたのか(その時ちょうどフォロワーちょっとトラブルがありました)、単純に満員電車ストレスなのか、わからなかったからです。

翌週、私のところにやってきたのは課長でした。

別に産業医面談拒否するわけではないし、受けたいなら調整するんだけど」彼の言葉はこう続きました。「俺たちの権力より上だから部署移動とかを指示されたら逆らえないしなあ……」

課長は私が部署を移動することになってしまった場合人間リソースの低下を懸念していたのです。

「とりあえず、今月は今のプロジェクトを頑張って、春以降もう一度相談します」私は言いました。

しかしたら、本当に私が居なくなったことでこのプロジェクトクリティカルな何かが発生してしまうかもしれない。それが嫌だったのです。課長が明言してしまうことで、それが私のせいにされてしまうのも嫌だったのです。

薬を飲んでいれば出社はできました。なぜか倒れたときから咳が止まらないけれど、風邪が長引いているのだろうと思いました。

私は抗不安剤睡眠導入剤を内科でもらっていたので、薬がなくなった時についでに咳止めの薬をもらいました。

そうしたら、電車で倒れてしまいました。

咳止めとして飲んだ抗生剤と私の相性が悪かったのかもしれません。私は朝の満員電車の中でお姉さんに助けてもらい、途中の駅で降りて、でも歩けなくて、駅員さんに車いすに乗せられて詰め所みたいなところの長いすに横たえられ、母親が来るのを泣きながら待っていました。

母は病気です。私が高校の時からずっと治療しています。手術もしました。私なんかよりもずっと大変なのに、毎日ご飯を作ってくれて、こうして迎えに来てくれるのです。私は親不孝者でしたが、母が迎えに来てくれたので、駅から外に出ました。その日は散歩をして、会社休みました。

体調の悪化が治りません。毎日薬を飲まないとうまく動けません。

それでも日は回るので、春から新しいプロジェクトに参画することになりました。すでにある程度進んでいるプロジェクトは初めてでした。

私はわからないなりに、以前の経験知識を使って頑張ろうと思いました。そのプロジェクト上長は先日面談をした課長でした。

参画してから一週間ほどした日、私は唐突課長仕事の依頼を受けました。

曰く、新しく仕事必要ものを一から作るのだと。

この業種において、一から自分で作ることは大して難しくはありません。今のプロジェクトの様子確認も兼ねて、大丈夫です、やります、と言いました。

どうやら課長のその認識根本的に間違っていたらしいと知ったのは、その週末のことでした。

どうやらそれは、私が触ったことのないソフトを触って、すでに動いているシステムに「絶対ミスをすることなく」仕様追加をするというものでした。

私は困惑しました。だって自分が触ったことのないものを「ミスなく」と言われても困ります練習ができません。経験もありません。

しかも、それは私一人でやるという話でした。ベテラン技術者が後ろについてくれると言いましたが、彼は他の仕事で忙しく、週に一回、数時間様子を見てくれるだけでした。

彼がとっても忙しいのは知っていました。だから仕方ないとは思いました。上長に聞いていた話と全然違っても、もう請けちゃったと言われたら若手にはどうすることもできませんでした。

元請けからはことあるごとに「絶対ミスは許されない」と言われました。私は状況の調査から始めました。

手順書や設計書は用意されていました。ただ、前任の会社中途半端撤退していたため、それが正しいかどうかの調査から始めなければなりませんでした。

けれど、私が触ったことのないソフトウェアの設計違いを、どうやって見つければいいのだろう。それはとっても疲れることでした。

上長はいつもなぜか忙しそうで、私が疲れたとか、産業医面談の話についてを問いかけることは憚られる雰囲気でした。半分炎上していたのかもしれません。プロジェクト経験が私含め半分以上を占めていた上に、その中で唯一構築経験があった私が一人での仕事に回されてしまいました。

ベテランはしきりに「ポテンシャルを見込んで」と言いました。

ポテンシャルって便利な言葉ですよね。とりあえずそう言っておけば良い感をひしひしと感じます絶対失敗できない仕事を依頼されたなら、失敗しない人を連れてくればよかったのです。

私はそれでも何とか資料を調べて不明点を上げ連ねて、ベテラン上長との進捗報告に参加しました。訳が分からないことだらけでした。たくさんのことを言われましたが、すでに集中力平時の半分ほどしかなくなっていた私にとって、それは呪文のようでした。半分ぐらいわかりませんでした。わかったふりをしました。

産業医面談に行けなかったので、有名な精神科のある病院の予約を取りました。その時にはもう、睡眠導入剤がないと眠れない生活になっていました。

新しい病院で、紹介状は無いんですとだけ伝えて診察を受けました。睡眠導入剤のほかに睡眠安定剤をもらいました。でも、睡眠安定剤を飲んだら昼間もものすごく眠くなってしまったので、二回しか飲めませんでした。結局抗不安剤睡眠導入剤だけを今でも飲んでいます。飲まないと眠れないし、仕事に行けないからです。

このころからホーム電車に不必要に近づいてしまうようになりました。(私が使っている路線都内なのにホームドアがないのです)無意識でした。私は死にたいのかな、と思うようになりました。

転職をすればいい、とか、周りの友人は言っていましたが、どう客観的に見たって私のメンタルが弱いだけの甘えなので、私が悪いのです。昔から私が社会や親に甘えているだけなのです。その自覚があったし、転職はとっても怖いもののように思えて仕方がありませんでした。だって自分には実力がないのです。転職活動で落とされることも怖かったです。評価されないことは、訳の分からない仕事を一人でやらされることと同じぐらい怖いことでした。

今日も偉い人たちを交えての打ち合わせがありました。私はやっぱり、「絶対ミスできない」ということを念押しで言われました。それならなぜ、ソフトウェアに触ったことがないたかが三年目の私がその仕事をしなければならないのかがわかりません。他の人にも仕事内容の相談ができません。調べても全然出てきません。他のメンバーはいろいろみんなで相談しながら前に進んでいるのに、私は自分が一つわからないことがあるだけでそこに立ち止まってしまます解決策がわかりません。どうすればいいかわかりません。集中力がなくて、どうすればいいかもよくわからなくなってしまいました。

少し、辛いな、と思いました。

別に残業が数百時間だとか、あまりにも激務だとか、そういうことはありません。家族はとっても優しいです。私はきちんと笑えています。両親はたくさんのことに関して理解もあります。母は自分身体も悪くて病院に通っているのに、私が精神科に行くとき一緒についてきてくれました。

部長課長主任ワーホリですが、きちんとしてはいると思います中小ですが、それなりに長く続いている、頑張っている会社です。

から、私があまりにも社会に甘えているだけなのです。私が弱くて、今まで甘やかされてきたから、ちょっと普通なぐらいのところに来ただけで耐えられなくなっているのです。

それは悪いことだと思っていますだって私が弱いのが悪いんです。甘えなのです。でも、強くなる方法がわかりません。

どうしてこうなったんでしょう。生まれときから弱かったのでしょうか。私はどうすればいいのでしょうか。何が悪かったのでしょうか。仕事ができないことが悪いのでしょうか。

薬を飲んでいるとお酒が飲めません。友人との飲み会も、友人が気を遣って飲み放題プランを外してくれます。気を遣って一緒にソフドリを飲んでくれようともします。

優しさが申し訳ないです。私が弱いだけなのに。私が弱くて薬を飲んでいるだけなのに。

仕事が嫌いなわけじゃありません。色々考えて、正解を導き出せたときや、トラブル解決できた時はとっても楽しいです。

ただ、たぶん、もう一人だけいたら、こんな気分になっていなかったのかな、とは思います自分にとって、「絶対ミスできない」一人きりの仕事が、案外つらいのでしょう。ゆとりなのです。弱いのです。世間様に甘えているから仕方がないのです。責任を一人で負いたくないのです。「わからない」と隣に相談する環境が欲しいのです。

会社の最寄りの駅にはホームドアがありません。今は想像するだけだと思ってはいますが、段々と黄色い線の向こうを歩いていってしまって、いつか飛び込んでしまったら、と思うととても怖いです。それも、私が弱いからなのでしょう。

お母さんのごはんもっと食べたいです。

お父さんともっとお酒を飲みたいです。

生きたいです。オタク楽しいし、ちゃん毎日笑っているし、友人もいい人がいっぱいいます。でも、いつまで生きればいいのか、よくわかりません。勝手に涙が出たり、ベッドから動けなくなってしまます

私よりもっとつらい人はそれこそ数えきれないほどいるはずなのに、どうして自分はこんなにも弱いのか。どうしたら強くなれるのか。

なんで生きてるのか、わからないのです。

それを吐き出したかっただけなのです。

2019-02-28

心因性と原因不明は同じ?

不調がたくさんあってだいたい原因が不明

医者迷惑がる人と症状に対するお薬か安定剤系のやつをくれる人に分かれる

どっちが正しいとかはまあわかんないのでなんとも言えない

大学病院では迷惑がられすぎて「カルテ電子化するために患者を整理したいのでお前はもう来るな」と言われた

原因不明から紹介状貰って検査のために大学病院行ったけど検査してもわからなくて経過観察してた

多分そういうのは迷惑なんだな、混んでるから

なんか日帰り手術とか抗生剤とかでわかりやすくてきめんに治りたい

2019-02-25

安定剤ってすごい

今日試験問題が超難化してたんだけど、精神安定剤飲んだら心臓がドキドキせず冷静に解けた

まあ難しすぎて結局太刀打ちできなかったんだけど

過去あがり症過呼吸気味になってたり、心臓のドキドキを抑えるのに30分かかったりした回とかに安定剤使ってたら受かってたんだろうな…

でも、これだけ人を変えるんだから、薬物は怖いね

2019-02-17

鬱について

鬱の者です

病気について家族職場の人も本当にわかってくれなくて途方にくれてる

休職して、なんかたくさん薬を飲んでなんとか文章が書けそうなので、一番ひどい時について書いてみる

もともと数年前から軽い鬱で精神科にはかかっていて、たまの休み抗鬱薬やら安定剤仕事を続けてた

ある日突然朝起きられなくなった

スマホアラームか、多くの場合アラームより早く目がさめるけど、とにかく布団に縫い付けられたみたいに動けない

トイレ行きたいとか、喉乾いたお腹すいてきたとかの感覚はある でも動けない

欲求すら脳が拒んでる感じ

午前中はずっとそう

欠勤の連絡だけして気絶するみたいに寝るか、天井のあたりをぼーっと見つめてた

午後になると朝ほど動けなくはないので、とはいえレンジとかケトルを使うのは無理なので、オレオ牛乳とかグラノーラ牛乳みたいな開けるだけ系のものを食べ、また寝る

夜になると風呂に入る/入らないの強烈な葛藤が起きるが、基本的には入れないまま終わる

そこからは大体深夜まで眠れない

将来への不安とか同僚や上司の目とか家族にかけてる心配迷惑がごったになって頭をぐるぐると回り、感傷的になって目的もない涙が滂沱とでてくる

そして泣き疲れて気がついたら気を失っていて、またはじめに戻る

今は薬がキマってきたので朝も起きられるし、レンジも使え、一応必要な時には風呂に入ることもできる

思うに自分がなぜ鬱になったかというと、現実理想の激しいギャップのせいというのが一番大きい気がしている

簡単に言うと、ありたい自分に合わせようとするが、無理なので脳が音をあげたということだ

余談だけどここのところはマジで神の設計ミスだと思うので、できないならできないで心肺停止記憶喪失になるプログラムにしておいてほしかった

今度は出来る範囲で頑張りたいと思う

まずは普通に生活したい

自分はひどい時も対面の受け答えは普通にできたのもあって、周りもそんなに症状がきついと思っていないフシがある(親に電話しても自分でなんとかしろって言われたり)

でもそうじゃない、鬱は病気で、やりたいこともやるべきこともできなくなって本当につらい

同僚には普通に迷惑だと思う ごめん

ただ家族とか大切な人がもし鬱になったら、ただ怠けてるんじゃないってわかってあげてほしい

それだけで随分と気持ちが楽になるだろうから

2019-02-10

自傷三選

リストカット

柱に頭を打ち付ける

安定剤OD

見知らぬ人との行為

縄で首を縛ってドアノブに括り付けて寝る

あと一つは?

2019-02-01

安定剤眠剤も効かないってーのはどーいう了見なの?

2019-01-27

父親老人ホームに入れることになった

父が60前後脳卒中やって、10年間在宅でやってきた。

介護で膝腰と抑うつやって、鎮痛剤と安定剤ガブガブ食べて生きながらえてるけど、もう無理っす。

非正規だし、貯金もないし、もう若くないし、恋人もいない。

あるのは大量の尿取りパッドだけ。

2019-01-23

anond:20190123204014

精神科って聞くと怖いから、心療内科はどうかな?

世間話して、軽い安定剤をもらったりするよ。

近くで調べてみてね。

2019-01-11

お絵描きコンプレックス

匿名ダイアリー初心者なので、不備があったらごめんなさいと初めに言っておきます

私は小さなからお絵描きが大好きだった。筋金入りのオタクであり、家庭もオタクとして受け入れてくれたので、好き放題お絵描きしていた。私は発達障害なんだけど、星のカービィが大好きで、ずっとカービィカービィに出てくるアドレーヌリボンちゃんチュチュを描いてた。後に知ったが発達障害あるあるとのことでビックリした。

幼稚園小学校低学年あたり。私は誰かと遊ぶよりお絵描きを選んでいた。同じようにお絵描きを一緒にするクラスメイトがいたので、その子達と教室でひっそり、時には熱の篭った語り合いをしたりと、オタクながらそういう楽しみがあった。まぁオタクだとバカにされいじめられてたけど、それでも漫画が大好きで、お絵描きが好きだった。それだけで生きてた。ゲームして、お絵描きして、本読んで、漫画読んで、おやつ食って、寝てた。我ながら、マイペース過ぎると思うが、幼い頃の私にとってそれが当たり前だった。

お絵描きをしていて、20数年間、一度も褒められたことはない。これは誇張でも何でもなく、本当に誰からも褒められたこと、上手だね、と言われたことが、これっぽっちもない。親からも「あんたは絵の才能ないよ」と言われるほど、絵の才能というものは無かった。

褒められないのに描き続けるって、すごいと思う。幼い頃の私は自我が余り芽生えていなかったせいか他人賞賛に気を取られることがそこまで無かった。ていうか、褒められたことがなかったので、そういうもんだと思ってた。その頃の私は、とにかく、絵を描くことが大好きだった。お話を考えるのが好きだったので、将来は漫画家になるんだと勝手に決めていた。

私の同じクラスに、とても絵が上手い子がいた。

イラストオタク的なことを踏まえても、クラスから「上手いね」とワラワラ集まってくるほど、上手だった。その子と私はそんなに仲良くなかったけど、親同士が仲がよかったため自然距離が縮まっていった。そうなると、自然な流れでお絵描き仲間になる。

私はその子が好きだった。イラストも上手だし、性格大人びていて、何事もスマートに済ませるタイプだった。ドン臭くてオタクいじめられがちな私とは全く違う子だった。

大好きだった。けれど、ドン臭い私だけど、直接面と向かって比較されるのは、流石に堪えるものがあった。

悔しくて夜は泣いてた。私は私の絵が好きだったから。絵を描くのが好きだったから。好きでやってんのに、勝手にその世界に踏み込んできて「あなたの絵はあの子に比べてあんまり上手くないね」と値踏みしてくる。その無神経さに、私はだんだんコンプレックスというものを覚えるようになった。

傷付くだけでは癪なので、バカの一つ覚えみたいに描いていたスタイルを変えた。絵柄を研究したのだ。当時大流行りだったありなっちには絶大な影響を受けたし、他にも「こういう目の描き方はどうだろう」とか「もっと手や足のバランスを考えなくちゃ」とか、おバカなりにも頑張ったのだ。もがいたのだ。私の世界を踏みにじられないように。

私の努力は余り実らなかった。まず第一声が「絵柄が変わりすぎて、変だ」と言われたこと。その時は、その言葉が重すぎて、自分の絵柄ってなんだろう、ていうか褒めたこひとつもないくせに絵柄がどうとか今更なんなんだ、と思った。

一番心に残っていることは、まだ幼稚園とか保育園あがりの下級生に言われたこと。

の子供たちは件の絵の上手い子のイラストを見て「この人!すごい!じょうず!きれい!」とはしゃいでいた。その次に、私の絵を見て「この人の絵は好きじゃない」と、ハッキリと、何の悪意もなく、見ず知らずの私の絵に向かって、そう言ったのだ。私はそれをドアの向こうで聞いてしまったのだ。

あ、私、絵が下手なんだ。

ハッキリと理解出来たのは、多分、その時が初めてだったと思う。

同時に、やんわりとだけど「絵が下手ということは、他人不快感を与える」ということが心にずっしりのしかかってきた。

の子に対するコンプレックスは、結局消えることがなかった。拗らせまくった私はその子イラストをパクっちゃうようになった。上記バックボーンを読み解けばお分かり頂けるだろうと信じる。ただ教師からすれば、私は他人の絵やアイディアを盗む問題児だった。何度も注意された。他のクラスメイトたちの前で注意されたので、ビックリするくらいの速さで「記事主(私です)は絵が下手だからパクってる最低のやつだ」と情報が出回った。つまり子供ながらに、こいつはコンプレックスに溺れてる奴なんだ、ということが知れ渡ってしまったのだ。その通りなんだから、私は何も言わなかった。口数は減り、絵を描くことへのコンプレックスや、その子に対するコンプレックスはどんどん膨らんでいった。

話はトンと変わる。

私はそんな小学校生活が嫌すぎて、私立中学へ進学した。心機一転し、お絵描き仲間もいたので、アホみたいにずっとオタク話をしつつ絵を描いて手紙交換してた。相変わらず褒められることは特になかったけど、絵を描く楽しさは少し取り戻せた。

進路を決めるとき、なぜだか分からないけど、当たり前のように美大進学をする流れになった。オタクだし、いつも落書きしてるし、じゃあ美大でしょ?みたいなノリでみんな美大進学を決めていた。

私は、その"ノリ"に、ある種の嫌悪感を覚えた。

だって、誰からも褒められたことの無い人が、なんでその手の専門分野にノコノコと踏み込めるの?コンプレックスが心の底で燻っていたんだと思う。私は絵が下手だ。好きだけど、下手なんだ。いくら勉強しても、努力しても、ダメなもんは、ダメなんだ……。

「いつも絵かいてるなら任せてもいいよね?」と勝手に頼まれ文化祭の表紙絵。部活のチラシ。頑張って描いた。オタクっぽさを抑えたつもりで、なおかつ、見栄えするように色んなイラスト雑誌を参考にして、描いた。「オタクっぽくないやつってお願いしたんですけどね」「え?マジでこれ、人前に出すの?」どれもこれも、散々言われて、却下された。ねぇそれ、寝ないで描いたんだけど。下手なのは分かってる。でも、そんな一蹴されてもね、私は、どうしたらいいんだろうね。そんな言葉を言うくらいなら頼まないでよ。好きで下手なんじゃないんだよ。好きで描いてんの。何時間も構図考えて装飾も書き込んで細いペンガリガリ描いたの。わかんないよね、だってあなた達はジャッジする側の人だから。絵が下手だと、気持ち悪いと、判断を下すのは、至って簡単ことなんだ。

学生なんだから仕方ないよ、と、思った方もいるでしょう。子供だし言葉選びが出来ない面もあったと思うし、私自身好かれてるわけじゃなかったのかもしれない。

3年ほど前だろうか、私はあるジャンルにおいてとても活発に活動していた。

学生の頃の対人関係は断ち切って、趣味に打ち込んでいた。その一環で、少しだけだがイラストを描いていた。ほんの少しだし、やっぱり評価はなかった。でもそのジャンルで、初めて、褒められることがあった。初めてだった。そのおかげで私は一次創作が大好きになったし、今でも感謝している。だからイラストよりも他のことで満たされていた。とても幸せな日々だった。充実していたし、ここにいていいんだ、と思えた。

そのジャンルで、とても過激な人がいた。ビックリするほど過激だった。言いたい放題言いまくり形容し難いがともかく人格に異常があるんじゃないか?ということが多々あり、私は彼女と険悪であった。というか私が一方的に嫌っていた。その人は要するに絵描きで他のジャンルでも活躍している方だった。

私がその方を嫌っているということが知れ渡った途端、数人が「ブログ主は、絵が描けないからね」「絵が描けないからって、嫉妬丸出しで恥ずかしい」と言っている、ということを、人づてに耳にした。その悪口を言っている人達は、普段、私と懇意にしている人達だった。

サーっと血の気が引いて、ガラガラと積み重なっていたものが崩れていった。どうやって辿り着いたかからないが、病院に行き、過呼吸を起こし泣き崩れた。あまり覚えてないが、安定剤を投与され、しばらく横になっていたのはうっすら覚えている。

まだ言われるんだ。

いつまでもイラストが下手だって、描けない人間なんだってカテゴライズされるんだ。

気持ち悪いとか不快とか怒ったとか、そういうのは、あまりなかった。

カテゴライズされることは、子供からとかそういうわけじゃなくて、大人になっても、こびりついてくるものなんだ。イラストを描ける、描けない。上手い、下手。こんなことで、人間仕分けるんだ。ニコニコ笑って遊んでても、心のどこかで「こいつは絵が下手だから」こうやって思ってんだ。

ぶん殴られた気分だった。ゴルフクラブフルスイングされたくらい、衝撃だった。結論から言うと、絵が描けなくなった。絵だけじゃない。創作物全般が、だめになった。絵描きさんが、怖くなった。

たまに見かける、絵師絵師だけでしか交流しないという愚痴。私は愚痴すら出てこない。そういうもんだろ?ってもう決めつけてるから技術を持った者同士が仲良くなるのは当然のことだし。ただ上記のことで分かったのは絵師同士でも裏側ではバチバチ険悪な場合があるってこと。あと、私の子供の頃みたいにコンプリスペクトが混ざりあってごちゃごちゃになって結果絵柄やストーリーはてには日常生活までパクっちゃう人もいること。悪意があるにしろないにしろ、そういう人々も、結構いた。

なんで私が突然こんな自分語りを始めたかというと、おそらく5年振りくらいにペンタブに触ったからなんです。結論から言うと、楽しかった。ここ数ヶ月スケッチブックに絵を描いてたんだけど、やはりコンプレックスが強すぎて画像載せても消してしまってた。界隈にはイラスト激ウマ人間ゴロゴロいるし、比較されたくない一心だった。

余りデジタルは触ったことなく、ペンタブもホコリ被ってたけど、手探りでペンタブを弄ってたら、楽しかった。語彙力皆無で申し訳ないんだけど、楽しかったの。お腹も空かなかったくらい、熱中した。もちろん下手くそなので評価とかはない。でも楽しい自分なりに上手く出来たんじゃな〜い?みたいな自己肯定感が生まれた。

お絵描きへのコンプレックスは消えることないと思う。でも、やっぱり私はお絵描きが好きなんだ。誰から評価されないけど、私は私の絵が好きだ。下手だなって思うけど、自分なりに上手く描けたなってとき、それは宝物になるよ。ぜったいに。

2018-12-06

Eテレに癒される

若いころは楽しめてた民放バラエティに飽き飽きしてしまった

で、なんとなくEテレをつけっぱなしにしてたら癒されていく気がした

別に真剣に見ているわけではなく、他の作業しながらバックグラウンドで垂れ流してるだけなんだけど

基本的下品な要素がないので心の安定剤としての効果が高く感じた

おれも年をとったんだな

2018-11-24

片耳だけ耳鳴りがひどくて、低音のピーと高温のキーンが交互に聞こえてきてなかなか眠れないんだけど、検索しても整体サプリ広告ストレスが…自律神経が…みたいな脅し広告しか出てこなくて更にイライラする

ほんとクソみたいな検索しか出来なくなったな

安定剤自律神経の薬も飲んでるのにな

効いてないだけなのか?

2018-11-16

きょうの日記

最近感受性があっても何の役にも立たないと分かった。ネット上に散らばる個人愚痴だのどこかの誰かが犯罪して逮捕されただの自分とは関わりのないネガティブ事柄を目にする度に余計に鬱が悪化してしまう。これぞ豊かな感受性である小学校通知表通信欄で「感受性が豊か」と評されていたが、あれは「どうでもいいことにも一々反応するようなメンタル弱々クソ人間」というのをオブラートに包みまくった評価だったんじゃないかと気付きました。先生あなたの教え子は、今、立派な引きこもりになっていますよ───高校3年センターまであと2ヶ月、追い込みの時期にも関わらずデレステをやっている若者未来はあるのか?

次回、「志望全落!?迫り来る浪人選択!」お楽しみに!

安定剤飲んで永遠に眠したい。さようなら

2018-11-13

森田ほとり(25)の人生選択の時

今日ちょっと個人的なことを書こうと思う。まぁいつも個人的なことだけど。

目的は書き出すことでの整理。それに付随して派生するかもしれないけれど、今は控えておく。

私は現在25歳。性別は女。

都会の大学卒業後、地元Uターンして就職した。

付き合っていた彼氏(まぁ今も続いているのだが)がいたが、大学私立だったので親孝行のためと、やっぱり地元が住みやすくて好きだったので、めでたく遠距離恋愛となった。

この彼(けいし君といいます)は、同い年で同じ学年だったのだが、1年休学留学をしていたので、卒業は1年遅れ。まだ学生

まぁそんな感じで地元企業営業として働いていたのだが、半年で辞めた。

辞めた理由はいろいろあるような気がするし、全部書くと長くなるのでやめておくが、一番大きな原因は

「生きることが面倒になったから」。

大学3年くらいからこんなことを考えるようになっていって、ついにそれが爆発した感じ。

この時私は本当に死のうと思っていた。

鬱だったのかと言われればそんな感じといえばわかりやすいかもしれないが、精神科先生には鬱なんて診断もらわなかった。

(時期はずれているが二人の先生に診てもらった。一人目は「また死にたくなったら来てください」と言われた。二人目の先生には安定剤睡眠導入剤を処方してもらった。)

やりたいこともわからないし、何を指針に、何に向かって生きていけばよいのかわからないし、生きる意味なんてわからないし、生きるのってとても煩わしくて面倒だな、と思った。

けいしには話をしていた。彼はもちろん私を助けようとアドバイスをくれたが、当時の私には何の救いにもならなかった。今になってみれば、彼のアドバイスが間違っていなかったことはわかるのだが、生きることに面倒になってしまった私は、自分の現状から抜け出す意味も、そんな気力さえもなかった。

多分、彼はそこをわかってくれていなかったのかもしれない。聞いてないからわからないけれど。

そんな感じだったのだが、まぁいろいろあってまだ生きている。残念ながら自殺未遂もしていない。

単に逃げたかっただけなのかもしれない。

親とか、兄弟とか、彼とか、友達とか、会社とか、そういった社会のつながりから

こうしてまたそういうつながりに戻ってきているのだが、時々逃げ出したくなる。

とりあえず話を先に進めよう。

そして職を失った(自発的に辞めたんだから、失った、てのは変な感じもするが)私は、少しだけニートになった。

それから遊ぶ金欲しさバイトを始めた。

お金はないけど時間はある中で、自分と向き合って、何に興味を持って生きていけるのかを探る期間にしようと思った。

私には、趣味らしい趣味も、好きなこともなかった。得意なこともないし、自分には何の価値もないと思っていた。あ、これは今も変わらないか

何もない自分が、どうやって価値を生み出してお金を得て生きていけばいいのかわからない。

世の中の人間なんて、自分価値がないなんて思っている人はたくさんいるはずなのに(だからあなたには価値がある」って声高に叫んでいる人が人気を集める)、みんな何がしかお金を得る手段を持って生きていけてる。そうなるにはどうしたらいいのか、どうして誰も教えてくれなかったんだ。

夢はあった。パティシエになりたかった。

そんな中で、私の中で価値があって、人生の指針になってくれる人が一人だけいた。彼だった。

付き合いも長くなっていく中で、自然結婚意識し始めた。

アルバイトを始め、ニートからフリーターとなった私は、もうひとつジュニアスイミングスクールのコーチとしても働き始めた。こちらもアルバイト。泳ぐことは昔から好きだった。子供はそんなに好きじゃなかったけど、かわいかった。1年ほど勤め、やっと慣れてきて、もっと勉強せにゃあ、と思っていた時だった。

から同棲の話を持ちかけられた。

もともと2人で、結婚の前に同棲したいよねという話はしていた。

そして遠距離が始まって2年。お互い遠距離に疲れてきていた。

でも、時期が悪かった。話を持ちかけられたのは夏だった。せめて年度末までスイミングスクールコーチとして働きたかった。

そしたら彼が言った。

「今すぐ来てくれなければ、別れる」

普通に考えたらありえない。これがもし私の友達の話だったら、私は間違いなくそんな彼氏殴ったれ、と言うだろう。

しかも彼はまだ大学生だったのだ。卒論を期限内に書き上げられず、ゼミの出席日数が足りず、卒業できずにいた。休学しながら自分バイトをして学費を貯めて大学に通っていた。

そんな生活を続けていくうちに、大学卒業する意味がわからなくなってきたと言っていた。

彼のことが好きなのか問われると、正直今はよくわからない。

私は好きじゃない人ともセックスはできる。生理的に受け付けない人とか除いたら、そりゃずっと一緒にいたら愛とか情とか湧くんじゃないの?

今の彼が例外かと言われたらよくわかんなくなってきた。

そんな奴だったが、私の人生においては一番大切にしてきた人だった。私の羅針盤だった。彼がもし死んでしまったら、私も間違いなく後を追って死んだだろう。

そんな人の言うことだから、私はこの条件をのんだ。

…私は彼に流されすぎなのだ。仕方がないことではあるけれど。

私は彼を完璧人間だと思っていた。(あほちゃうか、と思うだろう。私もそう思う)

彼の考えを聞くと、一見理論立っているように見えるのですぐに納得してしまう。私の悪いところだ。

私自身が彼を完璧人間だと思って、すがっていたかったのだ。

お互いの両親に挨拶をした。彼の両親は自己責任でどうぞ、と言ってくれた。私の両親(特に父親)には反対された。でもその反対を押し切って、同棲を始めた。

アルバイトは両方辞めた。

私の人生2度目の就職活動が始まった。

私が前職の営業を辞めてすぐ就職しなかったのは、前述した通りやりたいことを探したいから、ということと、もうひとつ理由があった。

自信がなかった。

正社員という立場で、アルバイトより責任ある立場で、仕事を続けていく自信がなかった。壁にぶちあたったら、また「死にたい」と逃げるのではないかと思った。逃げない自信がなかった。

でも、状況は変わった。これから家賃も食費も水道代も電気代も全部払っていかなくてはならない。

人は働かないと生きていけない。自給自足不可能ではないが、現在システム自分ができることでお金を稼いで、そのお金で誰かが代わりに作ってくれた野菜を買うというものになっている。賢い生き方だと思う。でも、その働くというハードルは、おそろしく高い。

いや、私が高くしているというものもちろんある。バイトでもお金は稼げるし、私がしたくないと切り捨てている仕事もたくさんある。

だけども、やっぱり高い。

転職では即戦力が求められ、半年営業経験責任感がなくて楽だと思いながらやってきたアルバイト経験だけでは、何が即戦力になるというのだ?

まだ、見いだせていない。

そもそも志望動機聞かれても答えられない。

やりたいこと?3年近く探してもまだ見つからないんですが。

本気で探してないだけかもしれない。でも本気で探す理由がわからない。

死亡動機なら答えられるのに。

けいしに流されて生きてきた人生だな、と振り返って思う。

流されてきた、というか、私の判断材料に常にいるな、こいつ、と。

そう思ったので聞いてみたのだ、彼に。

お主の人生判断材料に、私はいるのか?と。

そしたら、いない、って返ってきた。

そういう考えをしていた時期もあったけれど、そうすると、ちゃんとした仕事に就いて、養っていけるという状況を作らないといけない。それじゃダメだと。丸くなってると。

前に二人で言ったよね、お互い自立して、それぞれが見てきた世界を共有しあえたらいいよね、って。

お互いなにがしか武器を持てたら、二人で協力した時、お互いの欠点カバーしあえて最強だよね、って。

そう、言われた。

正直、私はショックだった。

私はけいしがちゃん大学卒業してちゃん就職して、私を養えなくてもちゃん収入を得て、そして結婚して、子供ができてお金必要になってもちゃん暮らしていける。そんな未来を思い描いていた。

だってもう25だ。そろそろ子供産んでおきたいのが正直なところだ。まだ全然子供を育てられるような人間じゃない。そんな人間できていない。育児ストレス自分の子供に暴力振るう自信だってある。(そんな自信はいらない)

だけど、そろそろ、そういう時期だって思ってた。

同棲始めたし、同棲長期間するつもりもないし、いずれ近々籍も入れるだろう、と。二人で同じ未来を思い描いて、お互いがお互いの人生責任を持ち合いながら生きていくのだろう、と。

そろそろ、ちゃんとしてくれるのだろう、と。

その反面、けいしの言うこともすごくよくわかるのだ。

お互い自立して、自分人生責任自分で持つ。だけれども、パートナーとして、一緒にいる。助け合う。お互いの見てきた世界を共有しあう。人生2倍。

なんてキラキラしていて、楽しそうなの、と。

どちらを選ぶかは、私たち二人次第だ。

ただ、もし後者を選ぶなら、レールから外れて生きていくことをきちんと自覚しなければならない。

(まぁ正直すでに外れている二人だが、まだ修正はきく位置はいるだろうと思っている)

現在経験資格目的もない私が就職活動に難航している。

転職アドバイザーの人からは、これ以上非正規を続けたら、正規になるのはとても難しいだろう、と言われた。

その道を突っ走るのか。

けいしの将来だって保障されたものじゃない。向こうが稼いできてくれると思ってはならない。

子供を作れないかもしれない。

でも、人生謳歌できるかもしれない。

いつか後悔するかもしれないが、やりたいことやりたいだけやって死ねる。

そもそも私はこの道を選んでどうしようもなくなって死ぬしかなくなってもいいのだ。だっていつ死んでも一緒なのだから

長くなりましたが、そんな感じで人生選択の時なのです。今。

年上の人にこういう話をしたら、みんなレールに乗るように、って言ってくる。

それが「正解」だからですか?「賢い生き方」だからですか?

私より長く生きているから、視野も広いだろうし、知識もあるだろう。”知り合いにこういう道を選んで失敗した人がいるから、私にはそうなってほしくない”とアドバイスしてくれてるのかもしれない。

でも、自由に生きている人も少数ながらいる。多分その繋がりで、ホームレス若い男の人が結婚した、なんて話も聞いた。

こういった少数派の人たちは言う。普通大人意見を求めるな。普通になるようにアドバイスしてくるはずだ、と。なりたいものがあるなら、それにもうなってる人にアドバイスを求めよ、と。それは確かにそうだよな、と思う。

少数派で生きていくなら、覚悟必要だ。

でも、それが自分が心から求めているものならば、叶えられるんじゃないのかな、とも思っている。

とりあえず、けいしと話をしなければならない。

お互いにお互いの人生を、と考えている彼は、自分の思いを聞かないと話してくれないし、わざわざ私の相談にも乗ってくれないのだ。

ほとりの人生は、ほとりの生きたいように生きればよい、と。

私は本当にこいつに一生付いて行ってもよいのだろうか。

今ならまだ、地元にいる銀行マンセフレが、嫁にもらってくれるんじゃないだろうか。

2018-11-06

anond:20181106171534

この前、倒れてしまって、今休暇中。

日中にも二日酔いみたいな頭痛が襲ってきて、吐きそうな胸の悪さで「ダメだ」と思って、心療内科に行ったら、安定剤睡眠薬を出され、診断書を書いてくれた。


会社と話し合いの上、今月一杯までは休んでいる。

休み始めたら、しばらくして、日常でやれなかったことや、ずっと気になった事が復活してきて、それを一つ一つこなしているうちに、規則正しい生活が戻ってきた。


夜中に起きてしまう事もあるけど、気にしない。

起きた時にはまあまあスッキリしているから。


会社でやりたい事が見えてくる日も近いな、そうなったら会社に戻ろう」と思ってる。


ちょっとハードル高いと思っても、心療内科に行ってみるのも悪くないと思う。

2018-10-26

生きてる限り後悔ばかり。

だって頑張って生きてるよ。

こんなに頑張ってるのに報われない。

頑張ってやりたくもない仕事して税金納めてなのになんで就労支援の人にまで気を遣わなくちゃいけないの?

心療内科に行っても安定剤の量が増えるだけだけど何の解決にもならないって知ってるのに薬漬けになっても自分面接受けて仕事取って頑張ってるんだよ。

就労支援ってなに?偉いの?

就労支援の人は適当仕事して良いの?

なんで人様の世話にならないように頑張ってる側が譲って後始末しなくちゃいけないの?

だって支援してもらって仕事したいよ!

2018-10-14

[] 【4】2018秋、ベトナムホーチミン

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anond:20181014005756





バインミータピオカシャツ


そろそろ不安になって手元のキャッシュを数えると、879,000ドン

相変わらずどれだけの価値があるのかさっぱり分からないが、あまり高額でないことは確かだろう。

両替に向かわなくては。


道路を横断するたびにバイクを躱さないといけないホーチミンだが、歩行者信号機が無いのかといえば、時々ある。

ただ、大体において車両用の信号機が無いのが問題だ。

そういえば、歩行者信号機車両信号機は対になっているという固定観念がありました。

いや、僕も日本人長いんで。

当然、歩行者信号が青だろうが何だろうがバイクは止まらない。

偶に止まるバイクもあるにはあるものの、そこは何か「お気持ち」というか、交通ルールが「個人の優しさ」で運用される、そんな独特さがホーチミン仕様だった。


ネットで調べた優良両替店に行きすがら、広大なメインストリートに打ち当たる。

から調べると、グエンフエ大通り公園という事だった。

公園の突き当たりを見れば、格式ありそうな建物と、その前に右手を前方に差し出して起立するホー・チミン像

これはネットで見た事があるぞ。

パッと名前は出てこないが、ここがホーチミンで必ず訪れるべき場所だろう。

ホー・チミンをセンターに収めて一枚。

両替店まではもう直ぐだ。


両替店、エクシムバンクカウンターで1万円を差し出すと、お兄さんは平坦な声で言った。

「2,050,000 don.」

渡されるトランプ1組みたいな分厚い札束

このレートは良いんだろうか。計算してみると、1円で約0.00488ドン

ネットで調べて出てくる標準レートと同じくらい。

日本両替すると、これが0.00400位の時もあるとのとこだから、優良なんだろう。この数字が高ければ、当然手元に入ってくるドンも多くなる。

傀儡政権を追い出して社会主義国家を打ち立てたホー・チミン。

その名前がついた街で、両替レートの熾烈な競争が繰り広げられているというのは何だか不思議な話だ。


コーヒーショップでこの旅行記を書いて、一息着いたら、疲れがやって来た。

無理せずホテルに戻ろう。

辺りはすっかり陽も落ちて、視界も悪くなっている。

ホテルに向かっていると、疲れのせいか、気分の落ち込みと、空腹と、吐き気10倍に薄めたような胸の悪さが同時にやって来た。

安定剤は弱めだと先生が言っていたが、あまり頼りきりになりたくは無い。

とにかくエネルギー不足が危険を呼びそうだったので、何か食べたかった。

店に入るだけの元気があるんだろうか?

書店の灯りに何となく誘われてグエンフエ大通りを歩いていると、道すがらバインミー屋台を見つけた。

そうだ、バインミーを食べるのは、この旅行クリアしたいタスクの一つだった。

書店を少しだけ覗いた後、引き返してバインミー屋台に向かう。

台湾ガイドさんに言われた事を思い出すと、屋台モノは人が並んでいるものを買うのが鉄則らしい。

即ち、食材の回転が早く、新鮮なので、当たる事が少ない。

屋台の前には学生さんと思しき数人が並び、バインミーを受け取ると、やおら店の前でムシャムシャ食べ始めた。

大丈夫そうだ。

屋台のお母さんに牛肉バインミーを頼む。

レバーパテとハム、ナマスとパクチーの挟まったバインミーパンサクサクした食感と、予想以上のスパイシーさで、なかなかのモノだった。

ドトール優等生ミラノサンドルックスは似ているが、風味のゴージャスさと食感でこっちの勝ちだな。

小腹を満たしたところで飲み物が欲しくなったが、都合のいい事に、屋台の直ぐそばに、台湾タピオカミルクティ専門店THE ALLEYがあった。

タピオカ抹茶ミルクティーを買い求め、飲みながら歩く。

タピオカのホンノリとした甘さが心地いい。

見上げると、夜のグエンフエ大通り公園の空に、近代的なサイゴンスカイデッキが鮮やかな色彩を与えていた。


ここで少し計算をしよう。

ビーフバインミー、25,000ドン

タピオカ抹茶ミルクティーが65,000ドン

それぞれ日本円に換算すると121円と316円ほど。

昼に訪れたサイゴンセンターで売られていたシャツセールで600,000(60万)ドン

2,923円。

ベトナムでも飛び抜けて高いとされるホーチミンの平均月収は1037万ドン

約48,900円。

サイゴンセンターシャツは平均月収の1/17程という事になる。

これを東京の平均月収38万円に当てはめると、22,000円前後

東京ホーチミンでは収入分布が違うだろうから、一概には言えないが、ちょっと計算してみるとなかなかのお値段だ。

そういえば、サイゴンセンターは平日の昼とはいえ人もまばらだった。


台湾でも嗅いだアジア特有匂いがあるにしろホーチミンは意外にゴミなどが落ちていない。

ただ、道路建物は古く、随所でボコボコになっていたりする。

かと思えば、レロイ通りには近代的なサイゴンセンターがあり、グエンフエ大通りでは天を衝くようなスカイデッキが夜空を煌びやかに照らしている。

近代化を突き進む今のベトナムには、そこかしこに様々な差がありそうだ。

朝の公園ピースサインをくれた少年少女や、青い制服で飯をかっ込んでいたカオタン テクニカルカレッジ男子達は、将来サイゴンセンターシャツを買うのだろうか。


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[] 【3】2018秋、ベトナムホーチミン

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anond:20181013224340





Day 2



2日目 アリゾナ州立大


自律神経をやっていようと、そうでなかろうと、旅行で眠れないのはいもの事だが、処方された睡眠導入剤を飲んでも5時間足らずしか眠れないとなると、この体質は筋金入りだ。

自然に目が覚めたのは6:45。

予定ではあと2時間まり寝る筈だった。

二度寝を決め込もうとしても、ちょっとウトウトするだけで、眠気は「こんにちは」してくれそうもないので、あきらめて起きることにした。

眠気はどうあっても俺に「おはよう」と言いたいらしい。


睡眠不足ホテルパーソンへのコミニュケーションハードルを前に少し逡巡したが、おそらく一番ストレスが少ない形で美味いものが食える可能性が高い、ホテルの朝食をとることにした。

朝食会場に向かう途中、外を見ると、強い日差しの向こうで噴水が上がっていて、これぞ南国の午前という感じだ。

ホテルの朝食はビュッフェスタイル

シャンデリアの下がる大広間コーヒーサーブされて、料理を物色するというのは朝から優雅ものだ。

ホーチミンフランス植民地時代からアメリカ傀儡政権時代まで首都を置かれた地で、パン食の文化がある。

果たしてビュッフェにもバゲットチーズレバーパテがあり、これは行くしかない。

他にも当然アジアスタイル炊き込みご飯カレーライスヌードル、揚げ春巻きもあって、洋越折中といった雰囲気だ。

気になるものを片っ端から盛り付けて、テーブルに運ぶ。

どれも美味いが、カレー(多分)が出色だ。

さっぱりして、辛すぎないマイルドな味わいだが、スパイス香りが口の中に拡がって抜ける。

席の背後をチラッと見ると、「Sweet TOFU」の文字と壺。

TOFU?」とホテルパーソンに声をかけられて、首を横に振ったが、やはり気になる。

結局サーブしてもらうことにした。

甘い豆腐。予想通り豆花だった。

しかし、台湾のそれと違って暖かく、ココナッツフレーバー生姜蜜がかかっている。

美味い。

洋越のオードブル中華式の豆花、コーヒー2杯。

これだけ食って自律神経失調症も無いもんだと言われそう。

大変満足した。

あの日差しを浴びたい。ポーチに気休めの安定剤を詰め込んで、食後の散歩に出ることにした。


ホテルを出ると、ホーチミンの熱気は午前から強烈だ。

行く当てのない散歩だけど、とりあえずベンタイン市場を経由してサイゴン川を目指そう。


相変わらず交通事情は凄まじい。

よく見ると現地の人だけでなく、観光客と思しき欧米人対応力も凄い。

スクーターの波を見切ってスイスイ渡って行く。

バイクを見切って躱す」のはこの街で必須スキルなので、嫌でも身につくらしい。

昨日と違う事と言えば、バイクライダーのオッチャンに頻りに声をかけられる事。

迂闊に乗ったら多分ヤバイやつ。

「Ser , Go work.」笑顔で固辞して先を急ぐ。というフリでプラプラ歩く。


ホテルの目の前の公園で談笑していた少年たちに許可を貰って一枚。

リーダーか、英語ができるかする少年に何か話しかけられたが、意味はわからない。

でも敵意はないのは伝わったようだ。

ひょっとしてベトナム人じゃないのかな。まあいいか

「3、2、1、shoot!」少年少女は笑顔をくれた。


しばらく歩くとベンタイン市場に到着した。

体育館の様な大型のアーケードの下に、色取り取りの生地雑貨飲食店

夕食はここにしようかな?

自律神経が働いた悪さなのか、旅行の緊張なのか、食べ物匂いがまだ辛い。

ここでも頻りに声を掛けられるが「ハハハ」と笑いながら素通り。

少し市場を見物してアーケードを出た。


10:00。

しばらく歩き、気になる建物に近づくと、どうやら学校らしい。

門に近づくと、移動屋台が門から出る学生達を吸い寄せている。

日本以外のアジアは大体が外食文化で、例えば台湾などでは学生は校門前に陣取る屋台で朝食や昼食を買って教室で食うらしい。

多分ベトナムも同じなんだろう。

周りを見れば、学校の向かいに軒を並べる露店で固まって食を取っている学生も多い。

興味深い光景写真に収めようとしていると

○×○×!」

ドン

学生の徐行したスクーターに軽く追突された。

気をつけていたが、思わぬ形でプチ交通事故にあってしまった。

これで俺もベトナム旅行者として一人前だ。


飲料水を買おうとしてファミマに入ると、そこでも学生食事を摂っている。

ファミマにイートインスペースがあるのはアジア共通らしい。

それにしても男子ばっかりだ。

青い揃いの制服のせいか男子学生達は一様に小綺麗で、教育程度も高そうな印象を受ける。

一旦学校前を離れて、日本で言うところの伊勢丹、いやもっと格上の三越のような存在百貨店サイゴンセンターを物色した後、1時間程で戻ると、男子達はまだ周囲の露店で食ってる。

こいつら引っ切り無しに食ってるな、なんだったら今が本番かも知れない。

モリモリ食う姿は、アジアの元気を象徴してるように見えた。

暑さもキツくなってきた、先を急ごう。取り敢えず川が見たい。

学校前を離れる時に、校舎の壁に学校名のエンブレムを見つけた。

ARIZONA STATE UNIVERSITY

直訳すると「アリゾナ州立大学」

なぜアリゾナ州立大学がホーチミンにあるのかは分からなかった。


相変わらずの躱しゲーを繰り返しながら辿り着いたサイゴン川は、隅田川よりもっと広く、澱んでいた。

茹だるような暑さ・湿気と澱んだ川はある意味ベストマッチだ。

薄々勘付いていたのだが、自分はまあまあな晴れ男であり、観光やここぞと言うときに雨に当たられる事は少ない。

10月初頭のホーチミンはまだ雨期のはずだが、それでさえもこの有様だ。

自律神経の不調も憂鬱な気分も、事、天気に関しては影響しないらしい。

願わくばその運をもうちょっと別の事にも回して欲しいくらいだ。

雨のホーチミンで、お茶でも飲みながら茫然とするというビジョンはひとまず実現せず、現実には炎天下の橋の上でこの旅行記を書いている。

何はともあれ、この時間でやりたい事はやった。

ホテルに戻ろう。シャワーが浴びたい。


ホテルに戻ってシャワーを浴びてから、気になって例の学校について調べると、やはりというか、アリゾナ州立大学ではなく、カオタン テクニカルカレッジというらしく、機械電子に関する工業高校しかった。

そりゃ道理で男ばっかりな訳だ。

学校の程度はわからないものの、自作で車を作るイベントがあったり、インテル提携して人材開発を行なっているらしかったり、そこそこ優秀な雰囲気を感じる。

ここは工業化近代化真っ最中ベトナムだ、生徒といえば荒っぽい男の子達ばかりと相場が決まっている日本工業高校と同じ感覚では考えられないのかも知れない。

多分、アリゾナ州立大学ともなんらかの提携を結んでいるのだろう。


【4】2018秋、ベトナム、ホーチミン Day 2|バインミー、タピオカ、シャツ へ >>

2018-10-13

[] 【1】2018秋、ベトナムホーチミン

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anond:20181013111225





Day 1



1日目 成田ベトナムの翼、タンソンニャット


羽田深夜便だった前2回の旅行と違い、今回は成田発で、昼出発。

しかもややメンタルに不調を抱えているとあって、余裕を持った出発を心掛けたかったが、時間勘違いして、ギリギリ成田エクスプレスに駆け込み、その上方向を間違えて折り返すという失態を演じてしまった。

南国ホーチミンに行く前に国内でもう汗ダクだ。

肝心な時には何かバタバタする傾向がある自分なので、「またやってしまったー」と思ったが、どうやらチェックインには間に合いそうで、成田エクスプレスの車窓から畑を眺めながら、「この旅行に行って何になるんだろう」と愚にもつかない事を考えた。

別に何が起こるわけではない。

ただ若いからずっとボンヤリあった心象風景、雨のベトナムで川を眺めながらお茶料理を食べる、その画をこの目で見て来るのだ。

メンタル不調なんて、ボンヤリするのに格好の舞台装置じゃないか


前回の香港旅行では、事前に広東語フレーズをいくつか覚えて行ったが、「話せるものの聞き取れない」という致命的な見落としがあり、結局中学校時台成績2の片言にもほどがある英語と、メモによる筆談で乗り切ることになった。

ベトナム語も広東語と同じ声調言語(音の高低と発音意味が決定する言語)であり、しかもその声調というのが「コブシを効かせるようにいちど下げて上げる」「波のようにうねって上げ下げして上げる」という難解極まるモノで、もう「ありがとう」「これください」「トイレはどこですか」以外のコミニュケーションは投げている。

今回も筆談翻訳機とGoogle mapが頼りだ。


今回搭乗したベトナム航空は、ベトナムフラッグシップのようで、エコノミークラスといえど、タイガーエア台湾香港エクスプレスとはモノが違う。もちろんTGATやHKEXが悪いって訳じゃないけど、地上職員日本語ができるし、機材も大型で安定していて、シートには枕やブランケットが用意され、機内食も出る。

さらに、シートにはモニターが設置されていて、映画その他も見られる。

海外に行くときはその地のポップカルチャーを予習して行きたいのだが(香港前に発見したアガサ・コンは最高だった)、ベトナムはまだYoutubeでの情報が少なく、これと言った映画アーティスト発見できずにいた。

そこでモニターポチポチやっていると、果たして良さげなベトナムアーティスト(多分)を発見したのだった。

ホアン・ティエン・ミン・トリ

英語詞の曲とベトナム語詞の曲が半々。音楽性はR&BEDMダブステップの様な強めじゃないムーディーなやつ)とジャズを掛け合わせた様な感じで、ジャスティン・ティンバーレイクを思わせる。

これでラップが入ってきたら完璧だ。

機内では検索できないので、あとで調べよう。

朝飲んだ安定剤が効いているのかな、憂鬱な気分が後退してきていい感じだ。


ややあって、海外旅行なら一度は聴いてみたい、「pork or fish rice ?」というフレーズと共に機内食サーブされた。

ベトナム航空会社なのに機内食和食が出るという不思議仕様でもっぱら噂のベトナム航空だ。

ここで「fish」と答えれば和食が出て来る事は間違いなく、折角の海外旅行しかも出発便の機内食和食というのもどうかという事で、「pork」と答えると、豚の唐揚げ煮物チャーハンぶっかけたようなご飯と、海鮮春雨サラダパンデザートが出てきた。

春雨の方はヤムウンセンとかそれに類するもので明確にアジア料理だが、ぶっかけご飯の方はなんだか分からない。

付け合わせが椎茸煮しめだったり、桜の形に型抜きされたニンジンである事も地味に混乱する。

味はというと、エコノミーでこれだけの物が食べられれば充分満足で、その後、暖かいコーヒーサービスがあったり至れり尽くせりだったのだが、あれはベトナム料理だったのだろうか。

カラトリーがまとめられた袋の底に、スパイスの小袋が入っており、「甘利香辛食品株式会社」と書いてあった。京都伏見会社であるという事だった。


機内食で腹を満たし、少し微睡む。

眼が覚めると機内は消灯されていた。

英語スポーツチャンネルを見ながら、「早くホテルで横になりたいな。でも何を楽しめるんだろう?テレビをつけても何言ってるか分かんないだろうし」という思いが浮かんで来る。

チャンネルでは、MTBアーティスト大木バランスボール建築物ワインディングロードなど様々な障害をキッカーにしてトリックをキメていた。インスピレーションを色々なものから受けて、驚くべきビデオやショーを生み出すらしい。

他の人から無意味に見えるもの価値見出して楽しみ、アートを生み出している。

意味不明に見えるけど羨ましい。

普段自分もそういうキャラなんだけど、ダメかもなぁと感じてしまう。

多分、朝飲んだ安定剤が切れる頃合いだ。

自律神経失調症で襲って来る不安無力感安定剤を飲んで感じる旅行への期待。

正常と狂気の境は曖昧だと思っていたが、こうして自分のものだと思っていたものが揺れ動くと、もっと根本的な、「自分」や「個性」というものが虚ろなものに思える。

深追いはしないでおこう。

しばらくして血糖値が安定すれば、少し収まって来るに違いないから。

今日はまだ頭痛は襲ってきてない。


「間も無く、当機はホーチミンに到着いたします。到着は19:30、ホーチミンの気温は38℃です。」

機内アナウンスに耳を疑った。

今年の異常熱波関東平野都市化が高気圧をブーストしており、バンコクより気温が高い、なんだったらユーラシア大陸で一番高いとさえ思っていたが、勝手思い込みだったようだ。飛行機を降りると湿った空気を感じる。日本人の歪んだプライドは常夏のホーチミンの湿った熱波が吹き飛ばししまった。


19:50、国際空港入国審査というのはどこか陰鬱雰囲気ものだが、イミグレーションを抜けてもタンソンニャット国際空港は静かだった。

思った以上に質素空港

香港国際空港羽田と比べると、まるで石垣空港みたいだ。

改めて旅程について説明しておくと、3泊5日というのは、帰国便がこのタンソンニャット国際空港 6:25発であり、ホテルのチェックアウトが当日では到底間に合わないので、前日にチェックアウトして空港で出発便をまつ、という事だ。

帰りはここで夜を明かすんだろうか。

そう思って建物を出て驚いた。

なんと半解放の広大なスペースに待合ベンチが設置されている。

軒を並べる飲食店、溢れる活気、びっくりするほどの騒がしさ。

タンソンニャット国際空港はこの半野外のスペースも含めての空港だった。

こんな空港日本ではまずない。

「ははは、スゲーな!」薬が抜けてるに決まってる時間帯だが自然に笑ってしまった。

たことがない光景だ。やっぱり先生の言う通り、この街に来て正解だった。


【2】2018秋、ベトナム、ホーチミン Day 1|ベトナムの名誉 へ >>

[] 2018秋、ベトナムホーチミン





Day 0



出発前


「でも旅行、行きたいでしょ?」

心療内科先生能天気さに面食らった。


ベトナム旅行計画したのは夏前。

何となく、この歳で目覚めた海外旅行の感動がまだ冷めない今年の内に、憧れのある国には行っておきたかった。

その後、訪れた生まれて初めて経験するような猛暑

うだるような暑さの中、突然起きた喘息、2年来続く人間関係の秘めた悩み、家族からの今更の衝撃告白など、色々な事が起きたりおきなかったり。

解決出来ないことは保留にして、目線を逸らすように仕事に打ち込んだ、その結果、秋に入って突如、生まれて初めて自律神経失調症になってしまった。

日中でも襲ってくる二日酔いのような頭痛と食欲不振、将来への絶望感。

「これは旅行は中止かなぁ」そう思いながらかかった心療内科先生対応はあっけらかんとしたものだった。


安定剤睡眠薬出して起きますから、しばらくそれで様子を見て、休むのが一番なんで、会社相談できれば長期で休むのがいいですね。不調で休んで旅行に行くのは聞こえが悪いですけど、まあ割り切りましょう。名所も行きたいでしょ、せっかく計画したんだし。」

「でも精神に効く薬って税関で止められたりしませんか?」

「それはあります。でも新興国って緩いですよ。あっちも外貨欲しいんで。自分で使わないような大量を持ち込んだらダメですけど、私もポーチ睡眠薬とか詰め込んで行きますもん。」

「はぁ。そういうもんですか」

「じゃあ私も明日から旅行なので、次の来院は2週間後でどうです?」

そういや待合室にノルウェーだかフィンランドだかの雑貨の本があったな。

先生旅行激推しするのは本人が旅行趣味からかも知れない。


こうして生まれて初めての自律神経失調症を抱えながら、生まれて初めてベトナムホーチミンを訪れる事になった。今回も台湾香港に引き続いて一人旅だ。先生がどこに行くかは聞かなかった。


旅程は3泊5日。

長いので分割して、順に旅行顛末を書く事にする。

読んでくれたら嬉しい。


【1】2018秋、ベトナム、ホーチミン Day 1|1日目 成田、ベトナムの翼、タンソンニャット へ >>

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これまでの旅行

2017 台湾旅行記

2018香港・深圳・広州の旅

2018-10-12

モラハラってなんだろう?

30代、子持ち(小学生女子ひとりっ子女性

4年前に、システム管理仕事育児キャパオーバーしてうつになり、休職した。

仕事は楽しくて、部下もついてチームワークよくがんばってたんだけど、セキュリティ関連の対応や、サーバー導入に関するトラブルなど、判断ができない問題が山ほどある上にシステムトラブルが起きるとそちらの対応さらには保育園のお迎えリミットもあり、やり切れない仕事を部下に投げることも申し訳なくてできず、気づいたら些細なことでパニックになったり、会社に行くのが辛くなったりして、自分おかしいと思った。

近所の診療内科に行き、上司の勧めもあって休職

半年ほどで復職したものの、小学校入学で家庭環境が変わったり、仕事は相変わらず抱え込んでしまったりで再度休職

この頃から、夫が怒り出した。

わたし会社や、職場環境愛着があったので、自分仕事をしながら生きていくことを前提として考えていた。

いくらか休んで、また復職したいという思いを伝えたところ、

「そんなに仕事大事か、家族のことを考えないのか。」

と責められた。

休職前よりもさらに具合が悪化した。

ここから3年、日常生活はある程度できているものの、隔月程度の間隔で夫と口論になり、思い切り落ち込んでまた這い上がるというのを繰り返している。

大抵は、夫が我慢限界を越えて不機嫌になり、責められる。

・お母さんなのにタバコを吸うのが気に入らない。

休日まで一人になりたいと言って寝室にこもっているのが気に入らない。

パニックになったときに、家を飛び出そうとするのが気に入らない。

夫のことが怖くなってしまい、そうしたら、

「怖いと思われることで自分ダメージを受けて、なおかつ上記のことに対して我慢をするようにしているのに、あなた自分のことしか考えていない。」

と言われた。

そして、

「そんなに俺が嫌なら、出て行く。」

と言う。

夫に出て行かせるくらいならこんなにダメ自分がいなくなった方がマシではないか、という思いに取り憑かれる。

先月、パニックを起こして夜に家を出ようとした。

玄関先で止められた後に、

子どもの前でこんな行動、少しは我慢できないのか」

と言われた。

わたしは、交通事故死ぬ入院でもした方がいいと思ったと話すと、

「それはずいぶん周りに迷惑な話だね」

と返されて、とにかく恐ろしくていったん一人にさせてくれと頼み込み、安定剤を飲んで無理矢理眠った。

パニック状態で追い討ちをかけられるのはつらい。これでは治らないと思い、遠方の実家に住む両親に相談した。

今週、両親がこちらに来て、近所にアパートを借りてシェルターがわりにして、しばらく療養してはどうかと提案された。

家の寝室で引きこもっていても家族の気配はするし、一人になれる場所があるのはありがたい。

そこで、子どものためにということも含めずに自分がどうしたいかを考えてみなさい、と父に言われた。

そんなときに、ブクマこちらのブログと付いているコメントを見て、もしかしてわたしモラハラを受けているのか?と初めて思った。

https://ico-iiwake.hatenablog.com/entry/2018/10/10/051953

自分が悪い部分もあることは理解しているし、文句のない人間なんていないので、ある程度の諍いはあって当然だと思う。

しかし、今の自分の状況は正常なのだろうか?

そもそもモラハラってなんなんだろう?

検索して出てくるサイト弁護士紹介サイトが多い!)を見ると、夫に当てはまる部分とまったく当てはまらない部分とある

もしも、この駄文をご覧になった方がいたら、素直な感想を教えていただきたい。

2018-07-30

レスタミンOD-4

まりに眠れないので腹たって2:08に9錠くらい入れてやったわ。寝かせろよなこの野郎。何昼間のうちはなんとなく眠くて早く寝たいなと思ってるのに、夜になるといくらレスタミン入れても安定剤入れても向精神薬入れても眠れないんや。謀反か?いい加減にしてくれ。

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