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2023-05-15

スタートアップという蟻地獄で死にゆくザマ

どうも初めまして。

スタートアップかいカテゴリー代表をしている増田です。

もう10年近く経ったんだろうか。それでもスタートアップなのか謎だ。

しかしたら、みんなが見る頃自分はこの世にはもういないかも知らない。なんつって。一生に一回言ってみたかった言葉なんだ許してくれ。

ベンチャーキャピタルかいう方々にも投資を受けたり、個人名義借金もした。

組織崩壊して、彼らが信頼していたという人物が競合に入ったりして、社員に脅されたりもしたっけ。

それでも立て直そうと頑張ったんだけど、もう疲れたみたいだ。やる気が一番とかいうけど、本当だな。

頑張ったんだけど、彼等は自分代表にふさわしく無いというらしい。

数年前から安定剤無しでは株主と話せなくなってた。

かれこれ10回くらい言われ続けて、能無しとか、強みがないとか、投資した俺らがバカだったとか言われてもなんとかやってきた。

融資も何度もやったよ、会社のことしか考えなくて、自分待遇とかどうでも良かったよ。

色々あって、もう疲れたなって思うようになった。

事業をなんとかする、人に喜んでもらうものを作る、それだけでは投資に値する事業は作れないと実感した。

証拠は全部残してて、社員暴力等振るわれた時も

脅迫された時も、事実と異なること言われた時も全部残してあるんだ。

でもさ、経営者って全部自分のせいになるんだよな。

相談した時も経営者労働者より弱いから、俺が謝って辞めてもらえって事になったよ。

ごめんな、自分見たいのが代表で。

頭悪くてごめんな。みんなごめんな。

全部メンバーしかごめんと思わんのは追い詰めたのはベンチャーキャピタルかいう人らだからという恨みが奥底にあるからだろうな。

でも俺みたいなのに投資してくれたのに申し訳ないとは思ってるんだ。

この約10年で本当に色んなこと経験したよ。

これは多分自分人生を、100年をギュッと濃縮したみたいなもんなんだろうな。

色んなことが出来るようになったよ。

生きててもいいことないと思ってたけど、生きなきゃと思えたよ。ありがとう、この10年。

父さん母さんは、出来損ないの俺を少しは誇りに持ってくれるかな。

ベンチャーキャピタル仕事からさ、仕方ないんだよ。回収しないと損失になるから。だから半分、苛立つ事もわかるんだ。

でも、追い詰めて追い詰めて、能無しとか信頼できないと言われ続けた先には俺は明るい未来は見れなかったよ。

前に組織崩壊させた人物をやめさせたのは自分だ。

理由は単純で、その人がいたら他の人が全員パワハラでやめたからだった。俺も病んじゃって、暴力も、モラハラ脅迫もされてたからかな。

そしたら重要人物までやめちゃってさ、そいつの事ずっと庇ってきたんだけど逆に「こいつ(俺)のせいです」って言われてしまった。

しかしたら俺が見てる世界が別で、本当は俺は極悪人サイコパスなのかなって今でも思ってる。

なんとか組織を立て直した矢先、みんなで少しずつ改良してきた時に、信頼してる人に裏切られてとある取引が無くなった。そこからまた俺の存在意義はない、とずっと言われ続けた。

土下座しろと言われたし、勿論したよ。

かに…俺のせいもあるだろうしな。俺が生きてるからダメなのかなと思った時に目の前が真っ暗になってぶっ倒れた。

気がついたら号泣して気を失ってたわ。

という事で、俺は逃げたいと思ったんだ。

この濃縮された10から逃げたいなーと思ってる。

拝啓ベンチャーキャピタル

どうもすみません。俺の存在が毒だと言い続けてくれたから、踏ん切りがつきました。

ただ、何がしたかったのかはよくわかりません。

思いつくとしたら、俺を潰したかったとかですかね。

憎かったですかね?すみません

ここまで来ると疲れて、他の人に対して怒りとか責めるとかなくなるんだなって思うけど、他の人にはあまりしないであげてほしい。

パワハラとかモラハラとかじゃないって思ってるかもしれないけど、存在価値無いと言われ続けたらそれはもうね笑

もし、俺の事が界隈で少しでも傷跡として残せたらいいなぁ。

では。

スタートアップという蟻地獄で死にゆくザマ

どうも初めまして。

スタートアップかいカテゴリー代表をしている増田です。

もう10年近く経ったんだろうか。それでもスタートアップなのか謎だ。

しかしたら、みんなが見る頃自分はこの世にはもういないかも知らない。なんつって。一生に一回言ってみたかった言葉なんだ許してくれ。

ベンチャーキャピタルかいう方々にも投資を受けたり、個人名義借金もした。

組織崩壊して、彼らが信頼していたという人物が競合に入ったりして、社員に脅されたりもしたっけ。

それでも立て直そうと頑張ったんだけど、もう疲れたみたいだ。やる気が一番とかいうけど、本当だな。

頑張ったんだけど、彼等は自分代表にふさわしく無いというらしい。

数年前から安定剤無しでは株主と話せなくなってた。

かれこれ10回くらい言われ続けて、能無しとか、強みがないとか、投資した俺らがバカだったとか言われてもなんとかやってきた。

融資も何度もやったよ、会社のことしか考えなくて、自分待遇とかどうでも良かったよ。

色々あって、もう疲れたなって思うようになった。

事業をなんとかする、人に喜んでもらうものを作る、それだけでは投資に値する事業は作れないと実感した。

証拠は全部残してて、社員暴力等振るわれた時も

脅迫された時も、事実と異なること言われた時も全部残してあるんだ。

でもさ、経営者って全部自分のせいになるんだよな。

相談した時も経営者労働者より弱いから、俺が謝って辞めてもらえって事になったよ。

ごめんな、自分見たいのが代表で。

頭悪くてごめんな。みんなごめんな。

全部メンバーしかごめんと思わんのは追い詰めたのはベンチャーキャピタルかいう人らだからという恨みが奥底にあるからだろうな。

でも俺みたいなのに投資してくれたのに申し訳ないとは思ってるんだ。

この約10年で本当に色んなこと経験したよ。

これは多分自分人生を、100年をギュッと濃縮したみたいなもんなんだろうな。

色んなことが出来るようになったよ。

生きててもいいことないと思ってたけど、生きなきゃと思えたよ。ありがとう、この10年。

父さん母さんは、出来損ないの俺を少しは誇りに持ってくれるかな。

ベンチャーキャピタル仕事からさ、仕方ないんだよ。回収しないと損失になるから。だから半分、苛立つ事もわかるんだ。

でも、追い詰めて追い詰めて、能無しとか信頼できないと言われ続けた先には俺は明るい未来は見れなかったよ。

前に組織崩壊させた人物をやめさせたのは自分だ。

理由は単純で、その人がいたら他の人が全員パワハラでやめたからだった。俺も病んじゃって、暴力も、モラハラ脅迫もされてたからかな。

そしたら重要人物までやめちゃってさ、そいつの事ずっと庇ってきたんだけど逆に「こいつ(俺)のせいです」って言われてしまった。

しかしたら俺が見てる世界が別で、本当は俺は極悪人サイコパスなのかなって今でも思ってる。

なんとか組織を立て直した矢先、みんなで少しずつ改良してきた時に、信頼してる人に裏切られてとある取引が無くなった。そこからまた俺の存在意義はない、とずっと言われ続けた。

土下座しろと言われたし、勿論したよ。

かに…俺のせいもあるだろうしな。俺が生きてるからダメなのかなと思った時に目の前が真っ暗になってぶっ倒れた。

気がついたら号泣して気を失ってたわ。

という事で、俺は逃げたいと思ったんだ。

この濃縮された10から逃げたいなーと思ってる。

拝啓ベンチャーキャピタル

どうもすみません。俺の存在が毒だと言い続けてくれたから、踏ん切りがつきました。

ただ、何がしたかったのかはよくわかりません。

思いつくとしたら、俺を潰したかったとかですかね。

憎かったですかね?すみません

ここまで来ると疲れて、他の人に対して怒りとか責めるとかなくなるんだなって思うけど、他の人にはあまりしないであげてほしい。

パワハラとかモラハラとかじゃないって思ってるかもしれないけど、存在価値無いと言われ続けたらそれはもうね笑

もし、俺の事が界隈で少しでも傷跡として残せたらいいなぁ。

では。

スタートアップという蟻地獄で死にゆくザマ

どうも初めまして。

スタートアップかいカテゴリー代表をしている増田です。

もう10年近く経ったんだろうか。それでもスタートアップなのか謎だ。

しかしたら、みんなが見る頃自分はこの世にはもういないかも知らない。なんつって。一生に一回言ってみたかった言葉なんだ許してくれ。

ベンチャーキャピタルかいう方々にも投資を受けたり、個人名義借金もした。

組織崩壊して、彼らが信頼していたという人物が競合に入ったりして、社員に脅されたりもしたっけ。

それでも立て直そうと頑張ったんだけど、もう疲れたみたいだ。やる気が一番とかいうけど、本当だな。

頑張ったんだけど、彼等は自分代表にふさわしく無いというらしい。

数年前から安定剤無しでは株主と話せなくなってた。

かれこれ10回くらい言われ続けて、能無しとか、強みがないとか、投資した俺らがバカだったとか言われてもなんとかやってきた。

融資も何度もやったよ、会社のことしか考えなくて、自分待遇とかどうでも良かったよ。

色々あって、もう疲れたなって思うようになった。

事業をなんとかする、人に喜んでもらうものを作る、それだけでは投資に値する事業は作れないと実感した。

証拠は全部残してて、社員暴力等振るわれた時も

脅迫された時も、事実と異なること言われた時も全部残してあるんだ。

でもさ、経営者って全部自分のせいになるんだよな。

相談した時も経営者労働者より弱いから、俺が謝って辞めてもらえって事になったよ。

ごめんな、自分見たいのが代表で。

頭悪くてごめんな。みんなごめんな。

全部メンバーしかごめんと思わんのは追い詰めたのはベンチャーキャピタルかいう人らだからという恨みが奥底にあるからだろうな。

でも俺みたいなのに投資してくれたのに申し訳ないとは思ってるんだ。

この約10年で本当に色んなこと経験したよ。

これは多分自分人生を、100年をギュッと濃縮したみたいなもんなんだろうな。

色んなことが出来るようになったよ。

生きててもいいことないと思ってたけど、生きなきゃと思えたよ。ありがとう、この10年。

父さん母さんは、出来損ないの俺を少しは誇りに持ってくれるかな。

ベンチャーキャピタル仕事からさ、仕方ないんだよ。回収しないと損失になるから。だから半分、苛立つ事もわかるんだ。

でも、追い詰めて追い詰めて、能無しとか信頼できないと言われ続けた先には俺は明るい未来は見れなかったよ。

前に組織崩壊させた人物をやめさせたのは自分だ。

理由は単純で、その人がいたら他の人が全員パワハラでやめたからだった。俺も病んじゃって、暴力も、モラハラ脅迫もされてたからかな。

そしたら重要人物までやめちゃってさ、そいつの事ずっと庇ってきたんだけど逆に「こいつ(俺)のせいです」って言われてしまった。

しかしたら俺が見てる世界が別で、本当は俺は極悪人サイコパスなのかなって今でも思ってる。

なんとか組織を立て直した矢先、みんなで少しずつ改良してきた時に、信頼してる人に裏切られてとある取引が無くなった。そこからまた俺の存在意義はない、とずっと言われ続けた。

土下座しろと言われたし、勿論したよ。

かに…俺のせいもあるだろうしな。俺が生きてるからダメなのかなと思った時に目の前が真っ暗になってぶっ倒れた。

気がついたら号泣して気を失ってたわ。

という事で、俺は逃げたいと思ったんだ。

この濃縮された10から逃げたいなーと思ってる。

拝啓ベンチャーキャピタル

どうもすみません。俺の存在が毒だと言い続けてくれたから、踏ん切りがつきました。

ただ、何がしたかったのかはよくわかりません。

思いつくとしたら、俺を潰したかったとかですかね。

憎かったですかね?すみません

ここまで来ると疲れて、他の人に対して怒りとか責めるとかなくなるんだなって思うけど、他の人にはあまりしないであげてほしい。

パワハラとかモラハラとかじゃないって思ってるかもしれないけど、存在価値無いと言われ続けたらそれはもうね笑

もし、俺の事が界隈で少しでも傷跡として残せたらいいなぁ。

では。

2023-04-06

派遣社内SEだけど次は楽な仕事がしたい

安定剤飲みながら年収300万未満なら関数すら使わずデータ入力ポチポチ事務仕事年収200万の方が良くないか

毎日社内外へのメール電話対応、社内調整して精神的に疲弊する仕事だっていうのにこういう業務は全く評価されないんだから、やるだけ損だよね…やらないといけないんだけど。

日中メール電話対応だけやってた日に上長から「何でタスク消化出来てないの」と詰められるのもしんどい

周りののほほんと働いてる事務派遣さんが羨ましい。私もあれになりたかった。

さっさとこんな仕事をやめて簡単データ入力事務員さんになりたい。

2023-03-14

漠然とした。多分私の人生の話。

急に昔の話をしたくなったので衝動ではてぶに登録した。

多分春だからだと思う。これは花粉症の症状の一つ。

そもそも、真夜中にこのブログを開設するあたり、私はもう正気じゃない。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

漠然とした。多分私の人生の話。

5歳の頃、家族旅行アメリカへ行った。国外旅行へ行くのはこの20数年間でこの一度だけ。知らない言語に囲まれて、知らない文化に触れた、初めての経験

私はそれまで、父親よりも背の高い人間がこの地球にいるなんて知らなかった。

幼稚園キリスト教系だった。でも園の中に十字架とかそういう「偶像」がなかったので、私が日々の中に神の存在を感じる機会は非常に限られていた。お弁当を食べる時になると手を合わせて祈りを捧げた。「神よ、日々の糧に感謝いたします。アーメン」。この時間くらいじゃないだろうか。

先生たちは定期的に聖書の話をしてくれたけれど、当時の私には理解できなかった。そして多分先生たちも私たち理解することを求めていなかった。卒園式で綺麗に装丁された聖書記念品にもらった。字が読めるようになり、心に哲学概念が沸いた年齢になった時に初めて読み返した。そしてようやく何かしらは理解できたと思う。多分。…。時間差があるね。

でもこれだけは覚えているのがある。園長先生という方は非常に柔らかいお話の仕方をなさる方だった。わかるようなわからないような、でもそれはそれとして言葉がスーッと染み込んでいくようなお話をなさっていた。

先生はいつもこうおっしゃっていた。唇に歌を忘れずに。光の子として歩みなさい。

前半は知らない。でも後半は聖書の一節だ。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意正義真実とが生じるのです」

小学校の頃は全く覚えてない。

中学時代勉強はできるような、できないような子供だった。

英語音楽国語だけできた。でも国語担当教師と年がら年中喧嘩してたので評定に定期テストの点数が反映された記憶がない。

英語は楽しかった。小さい頃漠然定型分だけ覚えて旅行に行ったあの「英語」が、形ある理論知識として目の前に再び現れた。いうなれば、旧友との再会のような。互いに少し成長していたけれど。

音楽は、心の拠り所を得るために気まぐれで合唱部に入ったら急に歌えるようになった経緯がある。何それって話なんだけど、私もよくわからない。ただ、ある日ある時急に突然「声の出し方、響かせ方」が分かった。2年生の時、ソプラノソロパート担当させてもらった。嬉しかった。あれは、私が自分の実力だけで勝ち得たもので、そして私にもできるものがあるのだという証明になったから。音楽先生卒業式の日私の母をとっ捕まえて手を握ってこう言ったそうな。

お嬢さん音大に行きたいと言ったら、どうか止めないで入れてあげてください」と。

周りの子供たちは「自由」が増え、レンタルショップビデオを借りた。麓の街に行って、友達同士で服を選び合った。私にもそんな自由が欲しかった。漫画の貸し借りをしてみたかった。アニメ情報を共有してみたかった。

ある日、一緒にピアノを習っていた友人から楽譜を借りた。

彼女は「あなたが弾きたい曲が入ってる楽譜、家にあるから貸してあげる。家まで来て」と言った。彼女の家は私の家とは少し離れていた。やや逆方向寄りなのだ。でも私は彼女について行った。そして楽譜を借りた。

家に帰ると母は非常に機嫌が悪かった。ただいま、という挨拶に対して返ってきたのは「どこほっつき歩いてたわけ?」だった。確かに帰宅時間は通常より20分ほど遅かった。

正直に話した。友人の家に寄って楽譜を借りてきた、と。楽譜没収された。

ちなみにその友人は時々漫画も貸してくれていた。しかし母はそれを目敏く見つけて隠した(母はよく私が学校にいる間に私の部屋に入って物を漁っていた)。そして3週間ほど経った頃にクロゼットから出してきて「あの子に返してきなさい、今すぐに」と言ったのだ。

少し考えればわかること。この家は、何かが少しずつ狂ってる。

私にも自由が欲しいとゴネた事がある。他の女の子みたいにガーリーな服(当時は少し露出があるのが流行っていた記憶がある)が着たい。髪を伸ばしたい。休日友達とお出かけをしたい。バレンタイン友達チョコレートの交換をしたい。

ことごとく跳ね除けられた。

おしゃれがしたいなら家でやらないで外で自己主張して頂戴。学校お菓子を持ち込むのは校則違反でしょ?(それをバレンタインの日だけは黙認されてるから私にもやらせてくれと言ったのだが。)お出かけして遊ぶ暇があるならピアノ練習して勉強したらどう?アンタは目の前の遊びを取って将来を失うつもり?それに私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ。

そんな言葉で私の心はポッキリだった。でもその時はまだ幼かったので「高校生になったらきっと変わる」と思っていた。

ちなみに上記言葉を言われた後で私は一度だけ地域お祭りに友人と行ったことがある。

一言で言えば、つまらなかった。目に映る何もかもがくだらなく見えて、そんなくだらないものにはしゃげる友人たちが寧ろ一周回って羨ましく思った。その日の私はピアノ練習もしなかったから、鍵盤が恋しかった。結局皆より一足早く帰宅したはずだ。

…そんな私の感想に、母は非常に満足げだった。こればかりは癪にさわる。

高校私立女子校入学した。良い大学に行くことだけが目標だった。それさえ達成できたなら、きっと私の人生は報われると思った。おしゃれらしいおしゃれをしなかったことも、友人と行ったお祭りを楽しめなかったのも、バレンタインの日にお菓子作りをしなかったのも、全部全部。

周りの友人は有名らしいアイドルにどっぷりとハマっていた。週末になれば電車に乗って遠くへ行き、グッズを買い、ブロマイドを買い、皆で見せ合って楽しんでいた。

街のお祭りを楽しめなかった女は、アイドルの良さもわからなかった。女の子たちが「ねえねえ、このひとカッコいいと思わない?」と見せてくるのを適当に「ほんとだ、カッコいいね」と返した。

ちなみにミュージカルをやる部活に入ったが、言わずもがな母は私がそこに入部するのを死ぬほど嫌がったし、門限は昔よりもシビアになった。当然遊べなくなったし、部活も毎回早退していた。それは舞台本番の1週間前でも変わらなかった。先輩も同期も私の家の事を理解してくれていたことだけがいである。あの人たちは皆優しかった。でもその優しさに永遠に甘えるわけにもいかなかった。当時私はスマホを持っていなかったから「今日だけは門限を伸ばして」と公衆電話から家に電話をかけた。「それなら家に入れてやらない」とだけ返されて電話を切られた。私は職員室の前で泣きながら「どうしろって言うんだよ!」と叫んだ。

その部活は1年生の冬に廃部になった。まあ色々あったのだ。晴れて私は本当に勉強しかすることの無い暇人になったのである

英語にのめり込んだ。きっと海の向こうの人たちが喋ってる言語は私の住む世界を広げてくれると思った。

音楽は私の心の拠り所だった。親には「私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ」と言われていて、それでよくピアノが嫌いにならなかったな、と思わないでもないが、それはひとえにピアノ先生の教え方が非常に上手かったからだ。あの先生は一生の恩師と言っても良いだろう。ピアノ技術だけでなく、音楽を体全体で楽しむことの大切さを教えて下さった。

必死勉強して、そこそこ良い大学に受かった。当時は大学入試の定員規定が厳しくなったばかりだったか絶対浪人すると思ってたけど、受かった。第0志望、希望希望通りの学科

高校生の頃(というか小学校中学から)ずっと母は私に「アンタみたいに頭の悪いやつは、私の時代なら商業高校に行ってたよ。今はいいね、アンタみたいなバカでも人並みに高校に入れて受験できるんだからさ」と言っていた。

何度も娘をバカだと言わなくて良い。言われなくても本人がちゃんと分かってる。

大学は色々な地域から色んな人たちが入学していた。

同じ地域に住み、同じ景色を見ていた小中、その延長線上にあった高校とはまるで違っていた。私のような実家住まいもいれば、一人暮らしで頑張る人もいた。

でもこれだけは断言したいが「明日屋根心配しなければならない人」は私以外あの空間には存在しなかった。

大学講義は遅くて6時に終わっていた。母は言った。

「7時半には返って来れるでしょ」

まり、7時半が門限だということだ。大学生の、門限が、7時半。

あんまりだよ、と泣いた。父を説得しようとし、父方の祖母を説得しようとした。大学生なんだよ、大人だよ?と。でも父は母のイエスマンだったし、祖母(と叔母)は如何せん価値観が若干古かった。「7時半は十分遅いよ、お母さんは譲歩してる方だと思う」と言って譲らなかった。

遊ぶことはなかった。化粧もしなかった。ファンデーションだけだった。化粧なんてね、若いうちは要らないの。それが母がいつも言うことだった。

少し考えれば分かること。あの時の母は、私を完全にコントロールたかったのだ。

大学2年生の時、母に内緒彼氏を作った。

その年の秋、私はこれまた突然、手首を痛めた。関節炎だった。ピアノの弾きすぎ、PCの打ちすぎで利き手ではない左手に過度の負担がかかったらしい。もうピアノは弾かないでください。と言われた。

あの時の絶望といったら。私は身近な人を突然亡くした経験はないけど、多分親友がある朝突然死んだらこういう気分なんだろう、と思った。うまく使えない左手、もう弾けないピアノ。虚無感、なんて言葉じゃ補いきれないものだった。

私にとってピアノはそれほど大きな存在だった。嬉しい時も辛い時も一緒にいたのが、ピアノであり、音楽だったから。

その時急に現れたのが昔の知り合いだった「彼氏」だった。

少しずつお互いのことを話す中で私は小さな打ち明け話をした。休日が大嫌いなんだ、と。

当時母は土日のたびに癇癪を起こしていた。やれ私の歩き方が気に食わない、やれ私の話し声が気に入らない。どうしてアンタは私の気に入るように振る舞わないの?と。当時私は土日の早朝6時〜9時でコンビニアルバイトをしていたので、その早朝勤務の後に母の喚き声を聞くと言うのはどうにも「来る」ものがあった。

さて話を戻すと、私の打ち明け話を聞いた彼は私を週末のお出かけに誘った。電車の向こうの街でかれこれこういう催し物があるらしい、行ってみようよ。気分転換にさ。と。そういう具合に。そして私はその誘いに乗った。

母には「友達と出かけてくる」とだけ言った。情報は不足しているかもしれないが、嘘はついていない。少なくとも当時は彼はまだ「友達」だった。

そしてその友人は彼氏になった。

から告白された時、私は一種のチャンスを感じた。きっと私は自分証明できるとお思った。私の人生は私のもので、私の人生の決定権は私が握っているのだと。

しかも、当時の私が心から欲していたのは「絶対的な安全」だった。そして痛めた手首によって失われた「心の拠り所」だった。

きっと彼ならそれらをくれるだろうと思ったので、私は彼の告白同意した。

まりにも、身勝手


彼はそれ以来ちょくちょく私を外へ連れ出した。

その度に私はまるで世間一般に溶け込んだ気分になっていた。世間一般の「普通の子」になれたように思った。そしてその時私は心から喜んだ。「生きてる!」と無邪気に思えた。

私が勝手に出かけ、挙句彼氏まで作ったので、母は怒った。最初父は「別にいいんじゃないか?」と言っていたが、母があまりにも怒るので父も手のひらクルリと返した。

彼の名前学歴を言わされた。ひどく侮辱された。

母は私から家の鍵と財布の金、銀行カード没収した。お前に鍵と金を渡すと碌なことにならない、と言いながら。(ちなみにこの銀行カード、取り返したら今度は月に3万、家に入れる事を要求された。当然今度は私の生活費が足りなくなってバイトを増やしたら、要求される金額がまた増えた)

母は、アンタがどこへ行ったか全部わかってるんだからね!と怒鳴った。最初意味がわからなかったが、どうやらあの時の母は私をスマホGPS機能で追跡していたらしい。それが判明した時、私は泣いて彼氏に詫びた。どうしようもないものに巻き込んでしまったと思った。ざっくり言えば、母のやったことは犯罪に近いのだ。

彼は「気にしてないよ」と言った。

私は「いや、そこは気にしてくれ」と思った。というか、そう言った。

彼は「お前がかわいそうだ、どうにかして救いたい」と言った。

その心はありがたかったが、ありがたがると同時に私はそれを拒絶した。

「かわいそう」と軽々しく言えた彼はどこまでも温室育ちだった。4人家族ペット付き、平均的かそれよりも幾許か上の環境で、ぬくぬくと、二親に愛されて育ち我らが王子様のような扱いを受けてきた彼が言ったのは、永遠に「かわいそう」な立場にはならないであろう人間の、無意識傲慢だった。

「救いたい」と言った彼は、きっと人間人間を救えると信じていたのだろう。確かに信じるものは救われるとは言うけれども、彼氏とはいえ第三者立場人間他人を救えるのなら、今頃イエスキリスト聖母マリアもこの世から用済みだろうし、仏典聖典も要らない。でも世界にはそういうもの存在するのだ…。彼はそれをちゃんとは理解していなかった。

私の状況も、世界の状況も、「聞いて知ってはいる」けど「理解」はしていなかった。

彼氏母親という人は、息子から私の家の状況を聞いて、こうコメントした。

「あそこの大学の子だと聞いて安心していたのに。それじゃあ全く、訳アリのお嬢さんを拾ってきたってこと?」

…ってうちの母がいうんだ、面白いよな、訳アリだなんて。と彼は笑いながら言った。少なくとも彼の中で「訳アリ」という言葉一種ネタとして消費されたらしい。

私は彼氏ができた、とか勝手に出かけた、とかそういう「罪」で度々家を追い出された。そんな時私を匿ってくれたのは大学の友人たちだった。

追い出されるたびに顔色が悪くなる私を見て友人は私の目を閉じさせ耳を塞がせ、その間に家中刃物という刃物を知らない場所に隠した。彼女曰く「今のアンタに刃物を見せたらすぐさま死んでしまいそうで怖い」。当時の私は一体どんな顔をしていたのだろう。

結局、私は彼と別れた。

彼は普通の家で育った普通人間だった。そんな温室の彼を「私」という人間に巻き込み、異常なものを見せ、その一部だけでも経験させてしまたことは、私が負うべき「罪」のように思った。そして、そんな異常な場所から彼を一刻でも早く遠ざけようと思った。「かわいそう」という言葉も「訳アリ」という言葉も、ネタとして理解できる世界に戻そうとした。

それが正しいかどうかは本当にわからない。でも身勝手だったとは思えど、あの時の私にできた「最善」の判断は、それだった。

どうか彼には「普通」の彼女ができていてほしいと思う。そして、私の視界に入らないところで幸せになってほしい。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

大学3年生になり、2つの喪失、「普通」の概念について考える日々、加えてコロナ禍。最悪だった。それでも秋までは保った。そして秋になって体調を崩した。

感情がわからなくなった。楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか。

指先から血の気がひいた。四六時中まるで体全体が後ろから引っ張られているような感覚だった。

ほんの少し正気に戻ったその瞬間に病院に行き、うつの診断を貰った。ついでに精神安定剤も貰った。(本来抗うつ剤をもらう予定だったが、そういう精神に効くタイプの薬を飲んだことがなく不安だったため、安定剤からスタートになった)

家族はまるでお手本のような否定言葉をぶつけてきた。

仮病だ、とか、考えすぎだ、とか、甘えだ、とか。診断をした医者はヤブだ、とも言った。そして私から保険証現金没収した。よって私は途中で治療が止まっている。


正直、大学3年4年をどう過ごしたか記憶がない。

ちなみにかの「原神」を始めたのは4年の最初だったか、それくらいだったはずである。(タブレットデバイス様様で、こういうゲーム自分スマホに入っていれば「実体」が無いので、両親は私が流行りのゲームを始めただなんて夢にも思っていない)





うつの診断を受ける前だったか後だったか、とにかくその辺りの時期に私は数回手首を切った。そのうちの一つだけ、鮮明に覚えている。

衝動に任せて切って、うっすらと血を滲ませた。最悪だったのはそれが金曜日で翌日にはバイトがあったということだ。(※この時は体調の限界やらシフトの都合やら色々なものが重なって、私のシフトは早朝6時〜9時ではなく、9時〜12時に移っていた。そこには私の幼馴染の男の子も一緒に働いていたので、早朝から働いていた時よりは幾分気が楽ではあった)

さて左手首を切って血を見て1時間、なんとなく冷静になった時に気が付く「待てよ、明日バイトじゃん」は本当に最悪だ。急いで薬をぬり(強めのステロイドだった気がする)、ガーゼを乗せて包帯を巻いた。

翌朝幼馴染の彼は「それ、どうしたんです」と聞いてきたので、私は笑って言った。

「関節炎の湿布


この幼馴染、私が怪我をしたとなるとまるで問診か何かのように問い詰めるのである。どこで怪我をしたの、どうして怪我をしたの。その時何があったの、いつもと変わったことでもあったの。

手首は数回掠った。そしてもし、もう一度でも金曜日にそれをやった上で「どこで、どうして怪我をしたの」と問い詰められたら、私は誤魔化せる自信がなかった。

そもそもコンビニアルバイトなんて、いつヘルプ要請が入るかもわからないものなので、それが金曜日じゃなくても、手首を切るのは普通にアウトだった。いつか誤魔化せない日が来ると思ったし、その調子で切ってたら取り返しのつかない事になるのは目に見えていた。

それ以来、手首を切るのは自制している。少しばかり、褒めてほしい。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

先日、この幼馴染と少しばかりの遠出をした。

出かける予定を作ったことを正直に母親に白状し、許可を得た(これがまたハードルが高かった。)母は私たち電車で行ったと思っているが。

私は彼が運転する車に乗って遠出した。





帰りの移動だった。彼は、夜の暗闇が一番好きだと言った。

私も夜が好きだと返した。夜は良いなと思う。あの暗闇も、程よい明るさも好きだ。

その日すっかり疲れてしまっていた私はぼんやりと、彼に少しばかりの昔話をした。

まだ私が早朝6時のバイトシフトに入っていた頃、5時に起きて支度をしていたから冬の早朝は真夜中みたいに真っ暗だったのだと。そして少し季節が春に近づくにつれて日の出時間も早くなり、西の空は暗く、東の空は明るくて、私はその真ん中に立っているような錯覚を覚えたのだと。まるで、昨日と明日の境目にいるような気分だったと。

ある時私は親に家を追い出されて、月曜火曜ならまだしも金曜日に追い出されたのなら翌朝のバイトは始発電車に乗らないと間に合わなかった。まだ空が真っ暗な時間にそっと友人の家を出て、電車の窓の外がうっすらと明るくなるのを見ていた。

そう言った。話し終えてからようやく自分が一体なんの話をしたのか、一体彼に何を聞かせていたのか気がついた。

変な話してごめん。私の家の騒動を知ってて私を家に泊めてくれた友人くらいしか知らない話だ、多分他人に初めて話した、幼馴染の女の子ですら知らない話だ…。と途方に暮れながら謝罪したところ、彼は「そうだろうね」と言い、こう続けた。

「よく、怪我しませんでしたね。危ないでしょう、色々と」





┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


今も私は「普通ってなんだろう」と考えている。

家では相変わらず母がつまらないことで喚き散らしているし、私の髪の一本一本にすら執着し干渉している。そして相変わらず父は母のイエスマンだ。


幸せになりたいな、と思う。

でもまず私は「幸せってなんだろうな」から思考を巡らせなければならい

そもそもはいまだに感情の生成についての問題解決していない。

たぶん私という人間も私の家族も、私の家の一族も何かしらが「おかしい」のだ。皆が皆で、それぞれ違うベクトルで狂ってるから、その異常性に気がつきにくい。

でも気がついた人が気がついた時に「終わらせなければならない」。母は自分自分母親と絶縁した。もしかしたらそれはいつか来る自分未来だと思う。

それはそれとして、もし誰かが私の幸運をほんの少しでも願ってくれているのなら、多分、私はまだ幸せだ。

2023-03-12

友達恋人すらいない人生でどうやって正気を保てばいいのだろう。

毎日好きでもない仕事の繰り返しで、好きなこともない。友達恋人を作る気力ももちろんない。

こんな人生が良くなることはこれから先もないだろうから、楽に死ねるなら今すぐにでも死にたい。さっきまで楽に死ね方法検索していたけど、なかなかないんだな。

心療内科でもらっている安定剤も効かなくなってきている。孤独人間はどうやって正気を保てているんだろう。

2023-02-07

男性結婚している女性です。配偶者40代前半、私は50代前半です。地方都市在住です。私は地元ベース大企業役職者です。

配偶者大学卒業時に就職活動をせず(できず)、しばらく親元でアルバイト等をしながら生活していたが、何かのきっかけで学生時代の友人の住む私の地元に移り住み、そこで私と出会いました。私と出会った時は飲食店店員でしたが、それまでコールセンター大工見習いなど様々な職を転々としていたようです。

彼は、勤務先の飲食店の閉店を機にプラント管理仕事に就き、その後しばらくして私たち結婚しました。

結婚生活のためもあったのか、プラントでは約10年間勤めましたが、仕事の内容や人間関係は当初から不満だったそうで、ついに先日退職してしまいました。

その時に辞めるの辞めないの、辞めるにしても次の仕事を見つけてからにするのしないのと散々大騒ぎしました。

彼の場合、大騒ぎというのは世に聞くような暴力や大声に訴えるのではなく、とにかくこちらが弱るまでメソメソした上で、あらゆる決断を私の責任にするという手法です。

我が家場合、私の方が収入が高いのですが、私は家計管理が苦手ですので、彼に通帳を預けていますが、頑なに私の通帳からお金は使わず、全て彼の収入家計が賄われています

その金銭負担のために嫌な仕事メンタルがやられるまで10年も続けた(のは私のせい)、と。

また、私は幸い仕事に恵まれて楽しく働いているので、その感覚で、(まったく働かないのも退屈だし、一回無職になると次の仕事を見つけるのが大変と聞くから)次の仕事が決まってから辞めたら、と言ったら、次の仕事が見つからいから辞められない(私が辞めさせてくれない)、こんなに辛いのに!と、執拗に責められました。

そうこうする内に幸い新しく彼を受け入れてくれる会社があり、彼は転職しました。今度は小規模な製造業で、ベテラン女性の多い職場のようです。

それから1月まり仕事もまだ覚束ない中、ベテラン女性先輩のあたりがキツいとのことで、あっという間に再度メンタル不安定に陥ってしまいました。

仕事段取りが上手くいかないのは時間が足りないだけで仕方がないし、仕事が身につきさえすれば、ベテラン女性とは手のひらを返したように懐いてくるもの。だから時間解決してくれる、と私が一回遺留したばかりに、毎日帰宅後はため息をつき続けるか、声が出ないと言って小声でつぶやき続けるか、(ロボット調の)変な口調で敬語で話し続けるか、たまには泣くなどして、私のせいで嫌な仕事を続けていることを思い知らせて来ようとします。

(根負けして)あなた(彼)の健康が一番大事から、辞めたかったら辞めて,嫌だったらもう明日から行かなくてもいいから、と言っても、もう言い出すタイミングを逃したから、と。

本人は本当に辛いのだろうと思いますし、私は彼の力になりたい。でもやりたいようにやってもいいよと言っても、やりたいことがわからない、私が決めた通りにしたい、と言う。私も私で性懲りもなくこうした方がいいんじゃない?ああした方がいいんじゃないと言いたくなってしまう。そして、私が言った通りにしたらこんなに不幸だ、生きている意味がない、の無限ループです。

彼の「弱り」の表現があまりに多彩で巧みにこちらを削ってくるので、「弱り」の表現相手コントロールできるという成功体験からその技術を磨いてきたからなのではないか、とふと感じてしまます

彼は転職活動以来,別の症状で通院している内科から安定剤をもらって服用していますカウンセリング精神科受診した方がいいのかと考えているようですが、自分では行けないと言うので、私の職場メンタル相談で、適切な受診先を教えてもらおうと思います

2022-11-29

愚痴、言うの難しくない?

マジでタイトル通りなんだけど、本当に愚痴ることが苦手だ。

最近今までに経験したことのない身体の痛みに襲われて、病院に行っていろいろ調べてもらったんだけど結果はいたって健康ということがあった。

で、まあ、こういう場合常套手段なのかもしれないけど、「ストレス睡眠不足だと思う」という結論で気休めの安定剤みたいなものを処方してもらった。

これを家族に言ったら「あなたはすぐに何でも溜め込む性格から」って言うわけ。「もっと愚痴を言いなさい」って。

でもさ、愚痴って言うの難しくない?

そもそも自分友達とか家族とか同僚とかの愚痴を聞くのもあんまりきじゃないんだよ。

暇で暇でどうしようもないときには「大変だね」って言ったり共通敵の文句とか言って盛り上がったりするけど、基本的には聞いてて楽しいものじゃないし、それならもっとお互いが楽しい話しようよって思う。

からすげーむかつくこととかがあって、誰かに話したいって思っても、これを聞かされた誰かを嫌な気持ちにさせることになるって思うから言えなくなる。

こういうことがあって、むかついたんだよね!って言って、へえ、大変だったね、むかつくねって返してもらって、自分は楽になっても相手は楽しくはないわけじゃん。

そうすると結局溜め込むことになるわけで。

ああ、こういうときに壁打ちの鍵垢とか使うのか。でもそれはそれで読み返したとき自分の汚さに嫌になりそうだな。

追記

書いた後に「いやこれこそ愚痴じゃん」って思ったけど、まあいいやって放置してたら気付いたら同じ指摘をいっぱいもらってた。

あと、こういうときこそ増田って言ってもらえて「人に言うのが苦手なだけなのかも」って気付けた。よかった。

2022-11-01

高齢者はドゥライヴァーに不向きではないか anond:20221101120723

入れ歯安定剤

「つい先日アルコール反応が出て、飲んでないと主張してた人が捕まりました。原因は『入れ歯安定剤』。実際に安定剤を雑に付けたり、間違った付け方をするとアルコール検知器に反応するみたいで、それを実際にやってみせて証明したらお咎めなしになったみたいですね」

2022-09-18

友人と会うと過呼吸になる

社会人の私には、10年以上の付き合いの友人がいます

少し前からその友人と会うと、帰ったあとどっと疲れてしまい、体調がとても悪くなります


じゃあ会わなきゃいいだろうと皆様は思うと思うのですが、同人イベントジャンルが同じ、そして住んでいる県も同じなので、イベントで会ってしまます

しかもお互い創作勢なので絶対に顔を合わせることになります。せっかく好きなことを表現できる創作の場。人間関係で揉めたくないし、気まずくなりたくないです。


イベント以外では会うことを極力避けているのですが、友人は私のことが大好きで、「もっと遊びたい」「旅行に行こう」「合同で作品を出そう」「やっぱりお前と遊ぶの楽しいわー!」と言います

精神的にこたえることが多いので、忙しいとやんわり断ってはいるのですが、それでも会いたいと言ってきます

でも、会ったら会ったで友人はずっとスマホを触っていて、私の話もほとんどうわの空。返事も適当です。

友人の話は誰かに対する愚痴が多いのですが「それは友人が悪いのでは…?」と思うことがほとんど。

そして思ったことをきつい言い方で伝えるので、飲食店店員さんにも態度が良くなく、びっくりすることが多いです。

空気が悪くならない程度に伝えると、「だって!仕方ないじゃん!」「私は悪くない!」の一点張り聞く耳を持ってくれません。

本人に悪気はないのですが、言い方がきついし声も大きいので相手申し訳ないし、私自身辛くなってきます

言い方がきついことも指摘したのですが、「自分が言い方きついと思ってないからどこを直せばいいかからない。何を言っているかからない。」とのことでした。


そのほかにも大きな声でイベント文句を言う、雰囲気の良い静かなお食事処で大きな声で会話&頬杖ついてずっとスマホいじり…等あって、正直もうお手上げです。

電車で大きな声でヲタ話をする、私が好きなキャラクターを見せたら「誰それオカマじゃん!」と言うなど色々きついです。

年に4回ほどのイベントがなければこちからフェードアウトしているでしょう。


友人は様々なグループと揉めてしまうようで、揉めるたびに友達が少なくなり、今では私だけのようです。

学生の頃は「言い方がきついなあ」と思い、指摘するくらいでしたが、社会人になってから価値観が合わなくなり、一緒にいると苦しくなります


もう無理だと思ったのは、とある人に対して友人が「心療内科行けよ(笑)」と言ったことです。

私がパワハラセクハラ心療内科に行って闘病しているのを知っているのにそんなこと言うんだ、と。

本当に私のこと好きなのか?私の性格の都合の良い部分だけ啜ってそう言っているのか?

私のことを本当に好きだと思うのなら、私が言われて嫌なことは少しは想像できるのでは?と思ってしまます

そしてこの件は心療内科に通って頑張って生きている別の方や良くしてくださる先生のことも馬鹿にされた気がしてショックでした。(これは私の被害妄想かもしれませんね)


友人とは、イベントだけの付き合いだと思って割り切るしかないのでしょうか。

ただでさえイベントでは色んなことを考えなければならないのに、このことで悩みたくないです。イベント楽しみたいですし。

方法としては

イベントだけの付き合いと思って極力割り切る

②いつものように「私は悪くない!」と言われる可能性は高いが、嫌なことは嫌とやんわりでも伝える

くらいしかないのでしょうか。


友人を思い出すたびに動悸がして、もやもやして、息が苦しくなり頓服安定剤を飲みました。今はだいぶ落ち着きましたがどうしても吐き出したかったのでこちらに書きました。

本当は仲良くしたいですし一緒にいて楽しいと思うことも少しはあるのですが、帰宅したあとどっと疲れて泣いてしまます


皆様ならどうするのでしょうか。

本当に辛いです

2022-08-28

これって職場での酷いパワハラ見出しになっているけれど

どちらかというと障害者雇用賃金が低すぎる事の方が問題なんじゃないかなって思う


https://www.businessinsider.jp/post-198046

「ケツ蹴飛ばすぞ」「もう来るな」

上司から強い叱責、パワハラを受けるたびにトイレの個室に駆け込み、安定剤を飲んだ。職場の机で飲めないのは、もし同僚に何の薬かたずねられても答えられないからだ。

上司言葉に、Aさんはただうつむくしかなかったという。また別の日は女性の同僚が、低価格飲食店が並ぶ「せんべろエリアのことを、「いかにも手帳持ってそうな人が歩いてて」と笑いながら話していたこともあった。

「私も手帳持ってるんだけどなって。精神障害者に対する差別偏見根深さに、とてもショックでした。福祉仕事についている人たちですらこの認識なのか、と」(Aさん)

Aさんは都内私立大学卒業後、大手メディア入社。約10年間、記者として働いたのちに退職し、その後は非正規の職を転々としてきた。

記者時代から精神不安に悩まされるようになり、これまでに適応障害うつなどの診断も受けている。

2022-08-13

anond:20220813141502

安定剤があれば百難隠せる。

強度行動障害で親兄弟やよその子まで張り倒す子も安定剤飲ませたらいいのにといつも思う。

2022-07-22

兄がまた病気になった

仕事帰りに呼び出されてヘトヘトになって実家に帰ったら家族全員が深刻そうな顔している。

その時に自分は「ああまたか」と言う気持ちはあった。

告げられたのはやはり兄がまた病気になった、という話だった。今度も癌だそうだ。

兄は特段体が弱いわけではない。

だが、何故か大病ばかりする体質だ。

身バレする可能性が高いので病名は詳しく書けないが、兄は高校の時に難病になった。そのせいで高校は退学せざるを得なかった。兄の必死治療する姿と、両親から「兄に比べてお前は恵まれているんだから頑張りなさい」と何度も何度も言われたことが印象に残っている。

数年かかったが幸い兄の病気寛解した。兄は向学心が旺盛なので大学に行きたいと言い、通信制高校に通うことを決意した。兄が治療している間、俺は普通高校に通い、親からプレッシャーを受けつつも大学合格し、兄より先に大学生になった。

兄が通信制高校を通い始めて暫くして、兄に癌が見つかった。腹を切る手術を受けないといけないと言われたため、兄はそれに従った。両親は何で兄ばかりが、と言って「お前は大丈夫だろうね?」と通帳を見ながら俺に尋ねた。多分金がカツカツということだったんだろう。

無事兄の手術は終わり、兄は高校を通い終えた。

だが今回の影響で大学受験には間に合わなかったため、来年大学受験に向けて頑張る、と言った。両親は病気にも関わらず懸命に頑張る兄に感動して、いくらでも金は出すから頑張りなさいと言った。俺には金の心配させたよな?と自分は言いたかった。

大学受験前に受けた兄の健康診断で、別の病気が見つかった。これも身バレするので書けないが、また手術と治療をしないといけないとのことだった。兄は流石に堪えた様で、鬱っぽくなり安定剤を飲むようになっていた。まぁ自分が兄の立場なら分かる。両親も安定剤を飲むようになった。両親は兄と連動するなよ。

俺は早々に大学卒業して就職した。当たり前だが兄の治療費で家に金がないからだ。実のところ色々勉強たかった。研究たかった。教授にも勿体ないと言われたくらいだ。だが俺が少しでも家に金を入れないと危うかった。

兄は無事手術が終わり、治療フェーズに入った。今回の病気が治るにつれてうつ病も治っていった。両親は俺に「お前は恵まれいるから頑張って働きなさい」と毎日言われ続けた。昇給が決まった時、当たり前に一人暮らしを選んだ。うつ病の兄を残すのは心苦しかったが、正直俺も限界だった。両親は決まった金額を毎月送金する事で渋々納得した。

治療が終わる間際、兄はまた大学に行きたいと言い出した。金ないんだから諦めてくれ、と俺は言いたかったが、本音を言えば俺も大学に残りたかったし、勉強したい気持ち理解できた。両親はめげない兄に感動し、二つ返事で了承した。俺が送金する金額は増えた。兄の学費のためだそうだ。

兄は頭が良い。キチンと勉強をして、俺よりも良い大学に入ることができた。俺は素直に喜んだ。言い忘れていたが別に俺と兄は仲が悪くない。寧ろ兄は俺を幼い頃から可愛がってくれた。小学生の時に両親に秘密ゲーセンに連れて行ってくれたことを思い出す。少ない小遣いを貯めて俺にゲームを買ってくれたこともあった。うつ病の時は滅茶苦茶大変だったけど。

で、先日起きたことが冒頭の件だ。兄はまた癌になった。ようやく大学にも慣れて、歳は結構違うが大学でも友人ができて、頑張っていこうとした矢先だった。

何で兄ばっかりこうなるんだ?と言う憤りと、また俺の色々な負担が増えるのか、と言う嫌気と、純粋病気ばかりする兄への憐憫と、俺に精神的な負担をかけまくる両親への怒りがごちゃ混ぜになって、突いて出た言葉が「もういい加減にしてくれ」だった。言ってはいけない言葉だったとすぐに理解したが、それより早く父親に殴られまくった。母親は泣いていた。兄はやばそうな目つきでどこかを見ていた。

コロナなので手術は結構先らしい。

俺は友人が少ないから分からないんだが、世の中の人ってこんな病気するもんなの?両親と俺はムカつくほど健康だけど?兄は常時デバフ呪いでもかけられてんの?間接的に俺が影響受けてんだけど?

どうすりゃいいんだろうな。本当。もう訳わからん

平穏暮らしたいだけなんだけどな。本当に。

因みに俺は職場健康診断で一個引っかかって早急に病院に行けと言われたが、こんな状況で行ける訳がないので放置している。もう知らんよ本当に。

2022-06-23

思ったことが喋れなくなる病気

20代の頃、仕事中に目がかすむ症状がでました。その日の帰宅中のバスの中で視界が急激になくなり、バスから降りて「これはやばい、どこかに連絡しなきゃ、救急車、家、」と考えていたら、思考身体が一致しなくなりました。

声も「あー、うおー」としか出ず、立っていられずに道端のポールに倒れかかっていたところ、通行人の方が救急車を呼んでくれました。

運ばれた先では、医師の言っていることは分かるのに口からは「あああ、あああ」としか発することができず、視界は完全になくなり、こちらの意思を伝えることができません。

見た目ではパニック状態判断されたのか安定剤を飲ませてもらいましたが、水が飲み込めず錠剤ごと口から漏れしまます

時間ほどベッドに寝かされていたら視界が開けてきて、喋ることもできるようになりましたが、頭がチカチカする感じと目の焦点が合わない状態が数週間続きました。

後日精密検査を行ったところ、身体や脳に異常はみられないが「一過性虚血発作」の可能性があるということでした。この病気予後自体は悪くないのですが、脳梗塞予兆でもあるので注意が必要だそうです。

2022-05-31

anond:20220531094724

ああ、入眠導入剤と安定剤を、

意識混濁しない量混ぜ込めばOKですね。ありがとうございます

生理育児の両立どうしてる?

生理前になると情緒不安定になり、毎晩訳もなく辛くなって苦しくなって泣いたり、今死ねば周りに迷惑にならない…と考えてしま安定剤を飲んだりして嵐が過ぎるのを待っている。

この間は子供に何か「イヤ」と言われるだけで全てを否定されたような気持ちになり「そっかー、じゃあママ死ねば満足だねっ」となってしまうし、実際に子供に問い詰めたこともある。

生理中は通常と変わらない労働をしていても激しい疲労感に襲われ、家に帰る頃にはぐったりして子供と話すことすら億劫になる。

また、ちょうど家に帰るタイミングで服用しているコンサータが切れるのでその反動疲労感も来るのでいつもの倍以上に疲れている感じがする。

とにかく生理前・生理中は育児ができないと言うほど精神おかしくなるし、身体も辛い。

ピルは服用していたけど、経血量が減って生理期間が短るなるだけで精神への効果ゼロ身体負担8割減という感じだった。

ただピルを服用してから肝斑ができてしまい、個人的にそれがとてもショックであまり飲みたくない(レーザーでも消せないし、本当にどうしたら肝斑って消えるの?)。

既にADHD心療内科には通っており、安定剤などは貰い、先生にも相談している気がする(診察時間が短いので何を話したかよく覚えていない)。

婦人科への通院はしていない。田舎なので近所の産婦人科が2ヶ所しかなく、そこへ市内の人が集まる感じになっており、どうしても妊婦さん優先になって診察までものすごく時間がかかり、予約をしても2時間待ちなどがザラだったりしてその間子供を連れて待つというのを想像するとゾッとするので行きたくないという気持ちが強い。

ピルはオオサカ堂などを利用して海外から買ったのを使用していた。

生理が重たい人はどうやって生理育児を両立させているの?

やっぱりピルしかない?

2022-04-28

不意に自分の過失で人を殺してしまった場合、たぶん自殺すると思う。


知床のやつとか、社長はたぶん自殺する。死亡20人以上やったっけ?あれはやばい

記者会見で、医者に行ってたらしいけどどこの医者だみたいな質問記者からあったけど、

あれは寝れないか医者に行って眠れる薬を貰いに行ったんでしょ。

記者会見もしないといけないし、安定剤とか貰いに行ったんでしょ。

気持ちは良くわかる。


一般人で不意に人を殺してしまうのは自動車事故だと思うけど、あれもやばい

人によっては、相手側に怪我がなくても、眠れなくなる。

増田がそうだ。

相手者に怪我がなくても眠れない。

あーだこーだ後悔が押し寄せてきて眠れない。


増田が言いたいのは、人を殺す可能性があるすべての人に言いたい。

日常は一気に変質するんだぞ!!!

2022-02-17

anond:20220217133847

完璧には治らないけど寝込む日数は減る

とにかく何かしないとまともに体が働かないんだからやれることは全部しないと仕方ないよ

あとクソヤブだらけ世界最低レベル婦人科擁護するのはマジでどうかと思うぞ

更年期の症状が話を聞いてほしいと言うことならば、それならそれで安定剤処方するなり精神科を案内するべきだと思う

婦人科ほとんどヤブというのは病院経営してる親戚もそう言ってたから間違いないと思う

2022-02-02

ムカつく事や悲しい事があっても

「俺には今自由に使える金が100万ある」と思うと我慢できる

金は最強の安定剤だな

2022-01-24

ストレスすごい。

トイレの中まで盗撮してるだろ。

それと男性セックスの話も憎しみが増すので辛い。

これはもうかなり好きじゃなくなったので、どうでもいいかもしれないが。

どうせ向こうもいつでも捨てられる安定剤くらいにしか思ってないだろう。

徹底的に私をいじめているが、最後には気が狂うわ。

そう思えたのはいからかもしれない

今になってやっと友人ができて

彼氏もできたか

人との繋がりのいとがなんとなーくゆるく垂れていて

それは私にとってすごく大事

数少ないんだよ

それが安定剤

2022-01-17

おっすオラうっすらパニック持ち!ひぇー虫歯って強ええのか?!

安定剤を十分に用意して思い切って歯医者チャレンジしてきました。

ところが待合室で待ってる最中になんだか動悸がしてきて

  

♪どーきどきどきどきどきどきどきどき…君の銀歯が!!

♪ずきゅんきゅんと!(器具の音~)

  

という感じになり施術開始直後に無念のギブアップ帰宅と相成りました。

無理しないで調子の良い時で大丈夫ですよ~って言ってくれる

優しい歯医者さんなのが本当にありがたい…

  

大丈夫な時は全然平気なのでホント自分でもトリガーが謎なんですよね

終わるまでじっとしてないといけない!口弄られるから呼吸が乱れそう!みたいな強迫観念があるのかも

まあ体調万全にしてまたリベンジ頑張りたいと思います虫歯あるの嫌だし)

  

同じように歯医者が苦手な皆さんも睡眠とってリラックスして無理せずちょっとずつ頑張れるといいですね。お互いに。

最初に疾患を相談しておくと気が楽になると思います。万が一難色示すような先生だったら別のとこ探すのも手かも)

2021-12-27

精神科の正しいかかり方

精神科心療内科臨床心理士カウンセリング民間カウンセラー産業保健師渡り歩いて悟ったことがある。

当方双極性障害もちの看護師だが、精神科で処方される薬はなんせ「死ねる」薬が多い。

だいぶ処方がマイルドになってきたにせよ。

そして「いっぱい飲んだら死ねるかしら」という輩が後を絶たない。

どんな薬にも致死量はあるだろうが、例えば循環器や泌尿器科で出される薬を飲んで死のうとした、

という話を聞かない。

向精神薬しろ麻薬しろ、脳に作用する薬には強い規制がかかっている。

ドラッグストアで購入できる薬も、以前は処方薬であったものがどんどん増えているし、

病院慣れしている人間にとってはありがたいことだ。

しかし、向精神薬だけは別である。最も弱い安定剤でさえ市販はされていない。

薬をもらうためだけに精神科診療内科に通っている、

を内服は多めにもらって自己調整している、という人も実に多い。

つまるところ、精神科心療内科は「ヤバいブツ販売する場所なのだ

加えてこれらの病院には大きな役割がある。

仕事を辞める際、多重労働人間関係の辛さが原因だったとして、

でもパワハラ労災にするまででもない、というケースがある。

こうした場合精神科で「抑うつ」「適応障害」などなんでもいいので診断書をもらい、

退職後に離職票診断書を持ってハローワークに行くと、

失業保険給付要件が緩和される場合がある。

この場合会社へは一身上の都合とだけ伝えておき、退職理由会社と争う必要はない。

形のない労災パワハラ会社に認めさせるのはほぼ不可能だけれども。

辞めるまでいかなくとも、「明日から2週間ぐらい仕事いけません」のような診断書はわりとさっくり出してもらえる。

精神科心療内科への通院歴はスティグマにもなりうるが、自分の身を救うこともある。

ヤバいブツを7割引きで販売してくれるところ」「身を守るお札を書いてくれるところ」と割り切って、

賢く利用するのがよい。

クリニックではなく大きな精神病院には良い臨床心理士がいたりするが、

そういった人の援助を受けられるのは、取り返しのつかないほど心を壊した後だ。

残念だけど。

精神科の正しいかかり方

精神科心療内科臨床心理士カウンセリング民間カウンセラー産業保健師渡り歩いて悟ったことがある。

当方双極性障害もちの看護師だが、精神科で処方される薬はなんせ「死ねる」薬が多い。

だいぶ処方がマイルドになってきたにせよ。

そして「いっぱい飲んだら死ねるかしら」という輩が後を絶たない。

どんな薬にも致死量はあるだろうが、例えば循環器や泌尿器科で出される薬を飲んで死のうとした、

という話を聞かない。

向精神薬しろ麻薬しろ、脳に作用する薬には強い規制がかかっている。

ドラッグストアで購入できる薬も、以前は処方薬であったものがどんどん増えているし、

病院慣れしている人間にとってはありがたいことだ。

しかし、向精神薬だけは別である。最も弱い安定剤でさえ市販はされていない。

薬をもらうためだけに精神科診療内科に通っている、

を内服は多めにもらって自己調整している、という人も実に多い。

つまるところ、精神科心療内科は「ヤバいブツ販売する場所なのだ

加えてこれらの病院には大きな役割がある。

仕事を辞める際、多重労働人間関係の辛さが原因だったとして、

でもパワハラ労災にするまででもない、というケースがある。

こうした場合精神科で「抑うつ」「適応障害」などなんでもいいので診断書をもらい、

退職後に離職票診断書を持ってハローワークに行くと、

失業保険給付要件が緩和される場合がある。

この場合会社へは一身上の都合とだけ伝えておき、退職理由会社と争う必要はない。

形のない労災パワハラ会社に認めさせるのはほぼ不可能だけれども。

辞めるまでいかなくとも、「明日から2週間ぐらい仕事いけません」のような診断書はわりとさっくり出してもらえる。

精神科心療内科への通院歴はスティグマにもなりうるが、自分の身を救うこともある。

ヤバいブツを7割引きで販売してくれるところ」「身を守るお札を書いてくれるところ」と割り切って、

賢く利用するのがよい。

クリニックではなく大きな精神病院には良い臨床心理士がいたりするが、

そういった人の援助を受けられるのは、取り返しのつかないほど心を壊した後だ。

残念だけど。

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