はてなキーワード: 幽霊部員とは
別にオタクが垢抜けるべきとも思ってない。けど「女オタクはお洒落で可愛いか」と言われたら「(オタクたちの自認はどうであれ)そうでもない」という話。
やたらと外に厳しく身内で褒め合う文化がたまにキモく思うので、この機会に書いてみた。
ちなみにここで言う女オタクはほぼ二次元のオタクね。媚びるわけじゃなく、三次元の男性アイドルのライブに行ったときは可愛い子が多いと感じたよ。
ーーー
私は女オタク界をベースにしつつ三次元の最推しが女子アイドル(グラドルも)な時期が長かったので、男オタクとの接触機会もある方。男オタクは本当に、見た目に1mmも気を遣ってない人、いる。見た目っていうかお風呂とか歯磨きとか衛生全般?やらなくてもバレないと本人だけが信じてるように見える、職場とかマジでどうしてるんだよ…?って人いてビビる。もちろんそんな人は一部だけど、一部が強烈なインパクトを残してるのと、微妙〜〜に匂うシャツを着た人が集まっちゃうことで全体的に臭い集団が出来あがっちゃってる感じ。世の平均が50点だとしたら、やべぇ奴の比率が高すぎるので20点くらいになってる印象。
一方で女オタクで、衛生やばい系の匂いを放つ人はほぼいない(ゼロではない)と言って良い。つけ慣れてない香水(キャラ香水)をつけすぎて臭い人はいる。あとはぽっちゃりロリータ、変なアクセサリー、ちぐはぐコーデな女がちらほら。女オタクお洒落〜というのは嘘。垢抜けない自称童顔が多い印象。あまりに垢抜けてなさすぎる人、年齢不詳に見えるんだけど、上に外すと気まずいからみんな下目に言うんだよ。子供にもおばさんに見える人、いるよね。
悪目立ちする男オタクはファッション(と、衛生…)についてセンスも興味もない結果という印象だけど、悪目立ちする女オタクはファッションに興味はなくもなく、ただセンスが悪い。髪や眉毛にオタク感出るのは本当。やり慣れてないヘアアレンジ、(アイメイク盛るのに)眉だけぼさぼさor今時いじりすぎの細眉など。いじりすぎ細眉、角度やばい人こそ、自称「オタクに見えない」美容好きだったりするのでズレてるなと思う。
本当に興味がなくてノーメイク全身ユニクロな感じの人は全然浮いてない。というか、そういう人はあんまりどこにいても浮かないけどね。
女オタクお洒落は嘘だけど、チラホラマジで可愛い人もいる。そういう人が平均を上げても、全体で見れば一般平均50点の女オタク平均42点っかんじ。
あとこれは男女問わずだけど、オタクが身内を褒めるイケメン、美女はハードル低すぎ。男オタクの
身内で言われるイケメンは外で普通に営業とかできるレベルの清潔感で、一般的に普通の域を出ない人をイケメンイケメン持て囃してるし、女オタクの言う美女は「美女って言われたい人」だと思う。顔の造作やセンスじゃなく、美容への努力が見える人。美人ではなくても美人と褒められたいのが伝わってくる。褒めざるを得ないタイミングってある。
で、ここからは私見なんだけど、男子は見た目に気を使うことをカッコ悪いと思っていて、女子は「普段はパッとしないけどいざ本気出すと…!」的な展開に憧れを持っているんだろうなと感じる。普段パッとしない人は、気合い入れてもパッとしないんだけどね。顔の造作は言わずもがな、やり慣れてないから違和感あるし、きょどってる(これは私のこと)。毎日練習してるレギュラーと幽霊部員で大会の時だけ本気出す!という部員、どちらが上手いか考えればわかる話。メイクなんて技術だしさ
ここまで書いてる私も垢抜けないオタクだし、臭くなければいいと思うけど、オタク内輪の見た目の褒め合いはかなりズレてて厳しい…と思っているって話です。
tribird 学校指定の学生服やかばんはいいの?この人はどこまでなら許容できるんやろ。
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ultimatebreak
ultimatebreak そんなこといったら義務教育そのものが人権侵害になってしまわないか・・・?
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n_vermillion
n_vermillion 田舎の中学校だったけど、部活が強制入部だったのに入りたい部活がなかったのは理不尽だったといまだに思っている。新規に部を立ち上げるぐらいの柔軟性はあっても良かったと思うんよね。
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hiro7373
hiro7373 反論多いけど、会社で考えたら普通に嫌かな。何で学校だと許容されるんだろうね コメント
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f_oggy
f_oggy こういうの見ると別け隔てなく受けられる義務教育って大事だなって思うわ
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chinu48cm
chinu48cm 行かない自由はあるぞ。熱出ていけなかった勢ですし
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sekreto
sekreto 体育祭ならわかる
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yoiIT
yoiIT 「喧嘩せず自分が降りる駅まで平和に乗ってられなきゃダメじゃない?その訓練じゃないか、学校は。友達でもない仲よしでもない好きでもない連中と喧嘩しないで平穏に暮らす練習をするのが学校じゃないか。」ヒロト
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tuuz
tuuz 歳を重ねるほど思うということは嫌でも思い出してしまうトラウマになるような出来事があったんでしょう。でも楽しかった人も多いから具体的に書かないと同情してもらえないよ。
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ftq
ftq 歳を重ねてから思うことか?もっと早く気づけよ。参加するという選択をしたのは誰?
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lifefucker
lifefucker この辺の感覚は学校や教師や時代によって分散大きいだろうな。なのでブコメもバラける
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nakag0711
nakag0711 教育というのは生徒を一人前扱いしないであれこれやらせるわけで、形式的には人権侵害の面があるが、だから止めろと簡単には言えない
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nagahitoo
nagahitoo 年重ねてるのにまだ学生時代のこと繰り返し思い耽ってるの…
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ringonouen
ringonouen いや人権侵害なんか無いほうがいいでしょ。個人の人権侵害してまで県外に出る必要もない。トップブコメが軒並み「それ含めていい経験」みたいな論調なのが解せない
2024/02/19 リンク yellowyellowyellowyellowyellow
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rain-tree 個人の宿泊旅行が一般的になった今は本来の役目を終えたといえるかも。だが最初はそうでなかったから公教育の枠組みの中で全員に機会を提供する意味があったし、或いは恩恵を受けた同級生が増田にもいるかもしれない
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cl-gaku
cl-gaku 重ねるほど薄れるんじゃないのか
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sumanhoho
sumanhoho 部活も修学旅行もお金ないと出来ないよ(実体験)
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quick_past
quick_past 嫌でも参加すれば、後でいい思い出になる。なんて言い方よくあるけど、参加しようがしまいが、いい思い出もわるい思い出もあるし、人生なんて比較対照しようがない。毒親の虐待すら肯定しうる考え方。
2024/02/19 リンク yellowyellowyellowyellowyellow
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songe どんな齢の重ね方やねん
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PrivateIntMain
PrivateIntMain 修学旅行はさておき、部活は特段の事情が無い人は全員どこかに所属しないといけないとか謎すぎるだろと思って適当にやっていた。まああれも人は1人じゃ生きてけんのよって教育だったのだろうと勝手に思っている。
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pekee-nuee-nuee
pekee-nuee-nuee 生徒本人の希望制にしたら良いし、金の話は公立校なら公金で負担してやるべきだ
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eiki_okuma
eiki_okuma うちの中学、海岸から島まで6km遠泳させられたが……なんだかんだ泳げるようになったので良かったとおもう 絶対大人になってからやらないし……
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mirakukira
mirakukira 子供時代に仲間と一緒に何かをするという経験を積んでおくことは大事だよ、そういう仲間増田にもいるでしょ
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wuzuki
wuzuki 理由は分からないけど、修学旅行に行かなかった同級生いたな。私も身内の不幸と重なって行ってない修学旅行がある。まぁ、そのときは苦手な子と同じ班だったから行けなくても別に良かったけど。
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LethalDose
LethalDose 楽しくはなかったけど、家族旅行をしない家だったので、そういう行事がないと交通機関の使い方がわからなかったかも。本でなんとなく方法は理解していたけど。
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keren71
keren71 高校は任意だった。修学旅行に海外とか選択肢がある学校は羨ましい限り。
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Karosu
Karosu 修学旅行は、乗り物の乗り方を体験するという意味で必要かな。部活は入りたいっ部活がないなら、自分で部活を作れることを示すならば教育的に悪くはないと考える。
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ayumun
ayumun 修学旅行は当日病欠できるから、休もうと思えば休める
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atoh
atoh 中高ともに部活必須でなかったのは幸運だったな。部活してないと受験面接の時に部活やらなかった理由聞かれたりするんだって?大変やな。 増田 部活
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mtoy
mtoy 嫌なことから全部逃げて、人生がうまくいくとは思えない。嫌なことを経験してそこから学べることも多い。俺も部活は嫌いだったけどやってよかったと思っている。
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corydalis
corydalis 黎明期は日本人も娯楽が少なかったし江戸期同様生まれた土地で一生過ごす人も多かったので意義もあったが、今となっては修学旅行親のカネを旅行業者に流すためだし部活はお守りを教員にやらせてるだけ。やめるべき。 自民党の悪政大人とは世も末老害犯罪これはひどいあたまがわるい
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daysleeeper
daysleeeper なにをいまさら。自分は部活嫌で帰宅部、修学旅行も運動会もバックれて全く参加してないけど、授業はふつうに出てたし、ふつうに卒業して、いまもふつうに社会人です。サラリーマンではないけど。後悔もゼロ。 増田教育
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inuinumandx
inuinumandx ワイ中学も高校も修学旅行京都だったの。だから、別の所行きたかった。京都いい所だけど…見る所大体一緒じゃん。あとお金ないとつまらない。
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minaminoani
minaminoani 片田舎の公立校だが中高と部活が強制だったことは無かったなあ。今から思えば不思議だが、修学旅行はクラスメイトに恵まれたせいか、嫌な思い出がない。あの頃のまま育てば陽キャになってたのかなあ。
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um-k3
um-k3 あと「皆仲良くしよう」とかいうイジメの発端になるクソな考え方な。早く「皆仲良く」なんて無理だと気づいて、嫌いでもいいけど事務的な対応だけはしようねって教えるようになればいいのに
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natumeuashi
natumeuashi 嫌な経験や理不尽な思いもしてみないと想像すらできないから、若いうちにできるのは貴重だよ。(学校の教師はそんなこと微塵も思ってないのが胸糞だけどー‥)
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listeningsuicidal
listeningsuicidal 部活はそう思う。中学は特に選択肢だいぶ限られてたし。
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MacRocco
MacRocco 歳を重ねるほど思うけど、校則違反とかちょっとしたことでガチギレする教師達ってすべからく頭おかしいと思う
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hate_flag
hate_flag 修学旅行はあんまり行きたくなかったが行ったら楽しかった。でも部活動は運動部しかない上に全員強制参加で「殺す気か」と思った。幽霊部員になるというライフハックを学んだのでヨシ!
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kagerouttepaso
kagerouttepaso 年代にもよるのかも。上の年代は体育マットで簀巻きにして殺されてもオタクならしょうがないって価値観だもんね。
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plmoknijb
plmoknijb 集団行動とか社会規範ニガテだけど義務教育あれこれは辛いことも含めて良い経験になったと思っている。なお高校は行ってない。大学は集団行動とか社会規範への不思議を紐解きたいという興味で選んだ
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dazz_2001
dazz_2001 修学旅行は社会経験の一環だからなぁ。飛行機に乗った事がない。電車に乗った事がない人とかね。プールやスキー学習とか。学校のスキー学習がなかったらスキーとかやっていないので感謝している…
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beed
beed 条件的には他の授業と同じだろうと思うが。音楽や体育、数学やりたくない人もいるだろ。自分が嫌だったものだけ切り出して人権侵害とか言ってもなぁ。
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kettkett
kettkett 確か体調不良で行けなかったんだけど。詳細思い出せない程度には記憶から消してたんだなと。このまま忘れてしまいたかったなあ
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kalmalogy
kalmalogy トップブコメ、一定理解は示すが修学旅行の積み立てできなくて行けない家庭もあるから強制感を出せば行かせてもらえるような書きぶりもどうかなぁ。ケチりたい親、下手すると子供にバイトさせて賄うよ?
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katte
katte まあ強兵のために作られたから。
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exciteB
exciteB 年を重ねると、「生み落とされたこと」が圧倒的に人権侵害だとよくわかる。結局は老化して病気で死ぬ。
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Baybridge
Baybridge コロナで修学旅行行けなかった世代が大卒就職するまであと数年。/コンプレックスになる人と開き直ってネタにする人どちらが多いんだろう。 増田旅行人生
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ykktie
ykktie 高校の修学旅行のときは精神状態が激悪で、前髪を伸ばして周りから目が見えないようにしてたくらいなのに、何故か嫌な記憶がない。というより昔過ぎて細かいことは忘れたのかも
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porquetevas
porquetevas 小中学校つまらなすぎて行きたくなかった。この世の理不尽さを学べたことだけが良かった点
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oeshi
oeshi 表向きには示されてないけど行きたくないって言えば行かなくても良くなるんだよ…ちなみに一部底辺校では面倒だし仲間で行った方が楽しいから行かないって子が結構いるんだよ…
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lavandin
lavandin 小中と修学旅行がホントに嫌で嫌で高校でも行きたくない!!と騒いだが、実際行ってみたら面白すぎてなんだかんだで別の国だけど海外住んでるから必要だったかな。でも妹は体調崩して海外ダメになったし一長一短
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sukekyo
sukekyo おれは学生生活って強制的な人権侵害があったのは絶対に良かったと思ってる。「行きたくなかった」「嫌だった」って感情や記憶も込みで大事。いろいろな気づきや思いや考えを得られるから。今後も続けるべきと思う。
2024/02/19 リンク yellow18yellow 3 clicks
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rakugoman
rakugoman 若い頃から最適化されてると、つまんない人間になるぞ。本当に歳を重ねたのかい?
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tome_zoh
tome_zoh 部活は機会や課外活動の場の提供という意味で意義あると思うけど、全力以外認めないみたいなのやめてほしい、特に強制所属なら。やる気がないとかゆるくやりたい子の逃げ場はあっていい。
2024/02/19 リンク yellowyellowyellow
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north_god
north_god 参加してつまらなかった、嫌な思いをした、は次の反省点として向いてない事はやらないとか能動的な選択に繋がるが「〇〇やれなかった」はただの後悔にしかならない。一生向いていない事を切り捨てられんよ
2024/02/19 リンク yellowyellowyellowyellow
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murlock
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tokitori
tokitori わかる~。代表学年だけのとこもあって地域性あるんだろうけど、卒業式とか何で関係ない学年が出席して馬鹿みたいな余興みたいなのせないかんのだよ、とか小学4年生の時には思ってた
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deep_one
deep_one 修学旅行がなんなのかいまだに分かっていないようだ。/「全員参加の部活」がやりたいことはわかるんだが、あれは「本気で部活する人」の妨げにもなるのよね。うちの学校は確か「本を読むだけ」とかの部活があった。
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edam 学校が嫌だった過ぎて子供産んであんなとこ入れるの可哀想は結構ある思想だと思う。
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valvelde 修学旅行を希望制にするなら毎日の授業も希望者だけでいいはず
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ledsun それを言い出すと「義務教育は人権侵害」も言えちゃうぞ
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hobbiel55 それが人権侵害なら、教室にみんなで閉じ込められて勉強させられるのも人権侵害にならないか? educationtravelanond
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keidge 確かにまともに集団生活する機会なんて学生時代くらいしかないよね。私も苦手なタイプだったけど、得られるものは多いと思うよ。知識より経験の方が何倍も強いのが現実だし。
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zubtz5grhc 学校に通わせられるのも働かされるのも金がないと生活できないのも人権侵害だわな。私は考えるのをやめてるが。
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mtk_inrs
mtk_inrs そう、希望制にすると親の都合で行かせてもらえない子が出てきてしまうかもしれないからね、、DX進めろ進めろ言うけど当たり前のように家にWi-Fi飛んでない家庭もあるからなかなか
その他
rna 初等教育全般が人権侵害的と言えばそうなんだけど、一定の知識とスキルを身につけないと本人が自分の権利を守れないからなぁ。軍隊教育由来の部分とか時代に合わせて何が必要かは再検討が必要だけど。
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songsfordrella
songsfordrella 高校の修学旅行、おそらくは外で干したのだろう宿泊先の宿の布団がブタクサの花粉だらけで、ひたすらくしゃみをしていた記憶しかない。そんなしょうもない思い出でも今となっては懐かしいもんです。
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chihiru
chihiru 中学の修学旅行は積立式だったけどそのお金を親が出してくれなかったようで不参加だった子がいたな…お金のことよくわかっておらずみんな当たり前に行くもんだと思ってたから少しショック受けた当時
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mur2
mur2 拒否すれば参加せずにすんだのでは?/自分もSoundCloud聴きながら2時間でも3時間でも長風呂してしまうのでいつも最後に入るようにしてる。
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unakowa
unakowa いじめられていたら話は違うが、そうでないなら集団 Permalink | 記事への反応(0) | 19:51
オープンチャットの某チャットルームで管理人やってたのを、今日譲った
自分が参加した時は3〜4人だった
ある時に管理人だった人が自分に管理者を譲って、程なくチャットルームを抜けた
自分は愛こそあれど引退勢だったので、これと言って話題がなかった、誰かの発言の相槌オンリー
けど新しくできたオープンチャットの管理運用という作業自体には多少の興味はあり
ルームの諸々の設定をしてみたり
まあ宣伝ルームに貼り付けたのと、外部のサイトに載せたのと、まあそれくらい
そんな熱心にやってたわけでもなく、何度かやってそれで満足した
自分同様に挨拶や声掛けに返事をするタイプの人は共同管理者に設定した
やったのはそれくらい
古いゲームでそんな荒れたりとかも無かった
ゲームは引退してもうログインしてないので、アクティブ勢の話題にもついていけず流すばかりだった
当初4人だったルームは今80人を超えた
参加メンバーの個体認識、誰がどんな人であるかもほとんどできていなかった まあチャットに参加もしてないしろくに読んでもいなかったから当然だ
それでも、管理人を譲るのは嫌だった
自分が運用して少しずつ大きくしたという自負と愛着もあった まあ人数は自然増というか、サービス利用者数に応じて増えただけかもしれないが
が、ここしばらくで何かこう、いろいろあり
手放した方がいいなと思うようになった
で、今日譲った
一番向いている、適任だと思われる面倒見の良い感じのメンバーに譲った
新規参加者には挨拶し、誰かの話題にもよくリアクションしており、
今日譲った
Twitter(現X)で、趣味のつながりで10年以上相互フォロー状態の人間が無数にいる。
以前はオフ会などで直接会って交流をし、それなりに活発な付き合いがあった。
出会った当初大学生だった私も、就職し、結婚し、今では子育てをしている。
以前ほど趣味にのめり込むこともできず、今は界隈の中心にがっつりいるわけではなく、幽霊部員のような感じだ。
まず大前提として、結婚して、子育てするだけが人生ではないと思う。その選択が素晴らしく崇高なものでもなく、独身で子どもを作らない選択も尊重されるべきだとも思う。
こうした原則を頭では理解していながらも、出会って10年以上、社会的な立ち位置が変わらず、言動も特に変わらず、冷笑しつづけるネットユーザーのような旧友を見ているのが辛くなっている。
変わらない趣味の投稿の合間にフェミ叩きをし、エアプの子育てについて的外れな物申し方をして失笑されている。
ずっと地元の人間とだけ交流をし、視野狭窄の「地方都市マイルドヤンキー」を嘲笑する文化が以前はあったように感じる。
その「地方都市のマイルドヤンキー」感が、そうしたフォロワーたちに出てきて正直きつい。
女性登場人物がレイプされるアニメを嬉しそうに拡散しては「そこに痺れる憧れる」みたいなはしゃぎ方をしているのは流石に小学生の親としてこたえるものがある。
以前のように、共通の趣味を無邪気に語り合える日はこないと思う。正直寂しい。
繰り返すが、決して結婚して子育てしているのが偉い、といった話ではなく、居心地のいいネットでずっと同じノリを繰り返すのではなく、年相応の社会性や見識をもってほしいと思った話だった
この増田はVtuberの切り抜き見てる程度の一般視聴者増田だよ。業界人でも自分でVやってるわけでもないよ。
そういう増田による認知メンタリズムが見たい人だけよろしくね。
個人Vといってもぽこぴーとかの有名Vをカウントしてもアレなので、登録者数が多少あっても知名度は高くない、ブレイクしてない個人勢。
■顔の良い男V
■バ美肉
■ガビガビ3D男V
地獄個人Vtuber増田(以後ジゴマスと呼ぶ)が挙げてくれた個人V六大地獄の類型のうち、ジゴマス自身はどこに属するのか。
いちばんマシな表現されているのは【友達系一般女V】。つまりこれがジゴマスの姿です。
最初に【オタクペ●ス逆撫で女V】を持ってきて長々と怨念を述べた後に、【友達系一般女V】はマシな地獄とさらっと流して
過度な性アピールもしてないのにセクハラリスナーがやってくるのでブチギレてる様子が目に浮かびます。
ところでペ●ス逆撫で、ってなんやねん。逆撫でされたら気持ちを害するだけだろうとはじめは思ったんですけど。
順撫で逆撫でどちらでも気持ちがよくなるので表現に問題はありませんでした。偽マフティーも陰茎が苛立つと言ってました。
おっぱいはデカいほどいいみたいなのが最近とくに増えてるのは、一時期あった未成年設定のASMRバン対策なんじゃないですかね。
>声はガビガビで耳が痛くなるし、サムネイルも大体終わっているので基本的に客観的に自分を見る事ができないんだと思う。
発声ができてないオタク+マイクなどの配信環境に金かけてない+自分を客観視できないバ美肉。ガワの作成でお金尽きたんでしょうか。
ガビガビ画像系は、低解像度の画像を拡大表示したようなものと推察します。
残念ながらというか幸いなことに増田の観測範囲にはひっかかってこないので実態不明です。
アバター簡易作成アプリあたりの仕様なのかPC関係に詳しくないのか、それでも配信できてるなんて偉いですね。
ダサイクル、は念のため解説すると身内での褒め合いに終始して、向上心がない閉じたサイクルのことで「それ町」で提唱された概念だった気がします。
(追記:ブクマで指摘があり「それ町」ではなく「ネムルバカ」だったようです。紺先輩が言ってたという偽記憶を植え付けられていました。)
初戦敗退常連で定時下校の運動部、楽器持ち寄って格好は作ったものの上達は目指さないバンド、幽霊部員や帰宅部員の暇つぶしスペースと化した文系部室。
そういうところに向上心に溢れた新人が入ってきて衝突して、環境を一変させる。物語の始まり感ありますね。
そこらへんのVはお互いの配信を見に行ってるだけで何の向上心も無いんだから。
つまりジゴマスはアイドル志向の個人V。他人を蹴落としてでも自分だけはなんとしてでも売れてやるという向上心の塊。
向上心の塊のジゴマスにとっては、コラボできるレベルの個人Vとのつながりは欠かせません。
嫌いなVなら見なきゃいい、という視聴者目線の話ではなく、友達面して繋がったり
関わり合いになってアウトかセーフか見極めるためにも多少は見る必要があるのです。
しかし、数字にはこだわらないが出会いにガツガツしている男性Vは邪魔ですし
滑舌悪いバ美肉の介護も、スカムな発言で毒舌を気取るイケメンのフォローも大変です。
音量低いメンヘラとのコラボも扱い困るし、巨乳人気個人Vとコラボすると視聴者吸われます。
視聴者だってマイナーな個人V見てる奴はなかなか一癖ありそうです。
とかく地獄は生きにくい。
認知サイコリーディング増田は、そんなジゴマスさんが大手事務所の難関倍率を突破して年齢経歴も偽り
地獄の方では地獄のようなAPEX祭りとか流行りのゲームに急いで飛びついてはなんとかクリアして操作に習熟したころには
歌が上手ければVシンガーとして歌配信中心で時折自分の好きなゲームする程度で人気集めている人も居るのですが
みんなが皆歌が得意ではない。
自分の得意なことに特化し、生配信ではなく動画中心にして、同業Vとのつながりも控え目で自分のペースでやってる人もいます。
というかVtuberの定義がどうのというよりアバターとして別段珍しくなくなってきましたよね、もう。
生身とVの両輪で活動している人も多い。
ところで、ガンプラ組み立てが女性配信者で増えてるの何なん?カラオケで親父向けの持ち歌覚えるようなもの?
この流れで具体名出すかどうか迷ったのですが、出自も出自ですのでセーフだろうと。
かつてある人物がVtuberアバターを発注しました、しかし製作者さんがVtuberアバター一式を完成させた時
怒った製作者さんは作ったものの行き場をなくしたVアバター星野ニアを希望する方に無料配布しました。
条件は星野ニアを名乗ること。こうして数多の星野ニアが生まれ、先行してたまたま星野ニアというハンドルで活動していた方
とのコリジョンなどもありながら、多くは早々に飽きてあるいは数字が伸びなくて辞めていきました。
そんな星野ニアの中でパズドラ特化Vの星野ニアは登録者12万を超えて現在も活動されています。
パズドラはご存じスマホゲー黎明期からあるモンストと並ぶご長寿コンテンツで10周年を超えたくらいですかね。
界隈の登録者数の規模は、公式チャンネルや公認プロが30万程度です。
2021年からの途中参入で数字を伸ばしているのはなかなかすごいと思います。
両祖父母が創価学会に入信してしまって、産まれた頃から学会員。
ちなみに父は創価学会に勤めていて、昔から祖母に「あなたは創価学会員のお陰でご飯を食べられるのよ」と言われていた。本当に最悪だった。
小さい頃は親の言うことが絶対なので、正座で1時間お題目を唱えなくちゃなんないし、訳わかんない同時中継(池田大作や幹部のありがた〜い話を会館のテレビでみる)を見に行かされたり、創価高校を受験させられたし(落ちてよかった)、任用試験というなんか…仏法?を学ぶための試験?を受けさせられたし、富士鼓笛隊という組織に入ったら髪を切れ、切る金がないなら私が切るからなと短髪を強制させられるし。
大人になったら年末に1万円お布施させられたり読みもしない聖教新聞購読させられたり(家庭円満のために渋々払ってた)、友人に選挙を頼め!と言われるし(友達無くすから絶対やらなかった)、アポ無しで女子部はやって来るし。
一人暮らしをしてからは、連絡してくる女子部と婦人部に「それってレリジャスハラスメントですよね」と言うなどしている。
創価学会に籍は置いているが退会もしてないので幽霊部員みたいなものです。
自分の所属しているサークルの部長が、精神病を患い、半年ほど幽霊部員になった末に辞めた。
わたしはずっと「精神病患者について」みたいな漫画を読むたびに、理解のある人間として振る舞う妄想をしてきた。その人が辛いとき、なにもできないとき、「それは仕方ないことだ」と理解して手を差し伸べる自分を脳内で思い描き、自分はこうなった状況でもこんな行動が取れるのだと、信じて疑わなかった。
結局それはとても難しく、私にはできなかった。
1年生の時はうまくやっていたと思う。その子は出席率がいい方ではなかったが、一番上手だったので(楽器サークルなのである)その子が次の部長に決まった。誰も立候補しなかったので、彼女が「わたしがやる」と手を挙げた。決めたのは2月くらいだ。
学年が変わり、6月の発表会(私が担当だった)の時、彼女はほとんどその練習に来なかった。本来は担当2人と、部長と副部長で協力してやるはずの仕事を、(先輩とかに助けてはもらったが)殆ど私がやった。副部長は部長の仕事もこなしていたので、申し訳なくて頼れなかった。私の学年の部員数は少なかったので、担当も私1人だけだった。
部長はツイッター更新の担当だったので、せめてこれくらいはしてくれと、その発表会の広報を頼んだ。「申し訳ないが今それをできる精神状態ではない」と答えが返ってきた。
正直、頭に来た。ツイートする文面と添付する写真をそっくりそのまま送ったのだから、ログインしてあるならコピペするだけで良いはずだ。そのくらいの仕事はしてほしいと思った。そんな事は言えないので、先輩にログイン情報を聞いて私が更新をした。
結局、その発表会に彼女は出た。
部長の仕事をこなそうと思ってくれたのだろうか、「ここはこうした方がいい、ここはこうじゃない方が」と舞台設計とかに意見を出してくれた。真っ当な意見だった。
けれど、私はちょっとイライラした。先程まで仕事をしろと思っていた癖に、いざ意見を出されると「全部放っておいた癖に何故私が準備してきたものたちに文句をつけられるのだろう」と思った。ニコニコして言うことを聞いたが、しんどかった。
演奏会が始まった舞台脇で、ふと、「最近本当にしんどくて、昨日も吐いた」と彼女は言った。
急に頭が冷めた。メンタルで吐くだなんて異様なこと、どれくらい大変なのか、馬鹿な私にでも想像がついたからだ。漫画で読むような、おそらく精神病の人(彼女がそう言ったわけではないので、その時は『恐らく』だった)を思い起こした。
それでも私は、羨ましいと思った。その時、4人がかりでやるはずの仕事を1人でやっているという自負があり、私はしんどさに酔っていたと思う。
私はこんなに辛くて大変で頑張っているのに、彼女はしんどいと周りに分かってもらえる証拠があり、堂々とサボれる。ずるいと思って、なんとか
「ほんとうに無理しちゃだめだよ〜!」と喉の奥から絞り出した。
真面目に返すのが悔しくて、女子大生のノリの馴れ合いみたいな、泣いている絵文字のついたLINEような雰囲気でしか言えなかった。
それから彼女はもう殆ど部活に来なくなった。部長の仕事はもう全て副部長がやるようになった。
せめて無理なら無理だと言ってくれればさっさと引き継ぎが出来て楽なのに、と思った。夏の演奏会も彼女は関わらなかった。
私は6月のことが尾をひいて、部長の不在の理由を聞かれる時には「うちの部長は…メンタルがちょっとアレで……あんま仕事とかしてくれないから……(笑)」と言うようになっていた。
この間、彼女は正式に部長という役職を副部長に譲り、部活を辞めた。「精神病を6月から患っていた、辞める」とのことだった。
結局わたしは思い描いていた「知り合いが精神病に罹ったとき理解のある人間として振る舞う」ことなど何一つ出来なかった。今でも出来ないし、無理だと思う。
Shrink などの漫画を読むと責められているようで苦しく申し訳なくなる。そこには何度でも、「しんどい時は、どんなものでも、できないものはできないんだ」と伝えようとしているかのようなメッセージがある。
それでも私は今でも、広報のツイートするくらいは出来たよね?6月に精神病に罹ったというなら7月くらいには「無理だから部長降ります」と言うくらいは出来たんじゃないの?と思ってしまう。
1980~1982年頃の話だけど、ここのスポーツ少年団は宗教カルト組織勧誘の場として暗躍していた。
まず、剣道部はコーチに中島みゆきでおなじみ天理教の信者がいて、「こどもおぢばがえり」のパンフレットが部室に散乱してたし、
卓球部はコーチに天理教から分裂したカルト組織(宗教法人で無い実質宗教組織)公益財団法人モラロジー研究所の構成員(食料品店店主)で、
休日に「勉強会」と称して卓球部員やその両親達達に対して組織の勧誘やモラ研繋がりの自民党議員による実質的な選挙活動が行われていた。
ついでにバレーボール部のコーチには、戦前治安維持法で弾圧を受けた「ひとのみち教団」から生まれた倫理研究所(後に実践倫理宏正会に引継ぎw、もう一つは高校野球で一世を風靡したパーフェクトリバティー教団)メンバーがいたという噂もあって、その人は追放されたみたい。
ちなみに、卓球部の「勉強会」は流石に校内でも問題になって、部は崩壊寸前になったようだけど、この騒ぎ以降どうなったかは知らん。
ホント、小学生ながら「大人の欲望」に振り回されて腐敗した所には関わりたくないと思ったね。
このことがトラウマになったのか、中学高校と部活には絶対関わりたくないと誓った。中学は部活参加を強制されたけど、見事な幽霊部員を決めていたw
単純な話、当時自分が興味を持っていたことは、乱数放送を聴いて北朝鮮工作員の動向を知りたい、といったことなどの社会問題一般だったので、スポーツ文化問わずどの部も行きたくなんか無かった。
こんばんは。性欲男爵です
今日も元気に致して賢者になったところ、天からアイデアが降ってきました
その昔「泣きゲー」という名のエロゲが流行りましたが、VRがある今「没入型泣きAV」を作れると思うのですね
ただ私はそれではもう満足できなくなってしまったのです
そこでこの「没入型泣きAV」
これを見ること、いや「没入する」ことで我々はカタルシスを超えるシコルシスを感じることが出来るのであります
どのように泣かせるかが問題ですが、私は「青春もの」を提案します
過ぎたら二度と帰ってくることのない淡い日々こそ「泣きAV」にふさわしい
そして私はさらに「禁断の関係」である「生徒と先生」の関係が背徳感を感じて泣けると思うのです
もうこれは私の完全な主観です
自分は中学3年生。中2の頃はバスケ部に入っていたがイジメで退部。しかし部活が義務の中学なので仕方なく写真部に入る
そこで出会ったのは春から先生になった新任の顧問。自分以外は幽霊部員という環境の中、二人は狭い部室で恋心を深めていく
二人は涙しながら、思い出が詰まった部室で一つになる
「大きくなったね」と言う顧問に対して
「いつか先生を守れるような大人になるから待ってて」と言って別れ
ここで大切なのは、見てる間は抜かないこと
別に抜いてもいいんですが、抜いてしまったら賢者という名の愚者になります
抜かずに全部見ましょう
没入しましょう
こういうオナニーこそが至高なのです
コミュニティに参加するための条件が知りたい。
同じ趣味で集まるコミュニティがあったとして、いったいコミュニティに参加するにはどんな条件が必要なんだろうか。
世の中ギブアンドテイクだから何かを提供しなければ仲間に入れてもらえないはずで、そんなものは持ってないからコミュニティに入れない。
コミュニティに入れる人の条件を教えてほしい。
人に迷惑をかけないのは当然として、コミュニティに入るからにはそれ以上のものが求められるはずで。他人にとって価値のある人間でないとコミュニティに入れてもらえないと思う。
そんな人間ではないのでコミュニティには入れないんだけど、そんな人間だからこそ一人でできることには限界がある。詰み。
コミュニティに入るにはどうしたらいいのか。
コミュニティに入ってから抜けるのは申し訳ない。しかしコミュニティに入らないとその場の雰囲気がわからない。高校の時、部活に入ったら想像以上の練習のキツさで1日で幽霊部員と化したことがある。その轍は踏みたくない。どうにかして入らずに雰囲気を掴む術を知りたい。
コミュニティに入ると他人と関わることになる。他人と関わることは他人に迷惑をかけることである。その人がコミュニティから得られる利益を、私が迷惑をかけることによる不利益が打ち消すかもしれない。
コミュニティなんて自分のことだけしか考えられない人が入るところだ。他人に迷惑をかけないために、コミュニティに入るべきではない。
コミュニティがないとつらい。
独身男性の寿命が既婚男性より短いのは有名な話だ。そうであるならば独身男性は早めにこの世からなくなるようにならないか。藤子F不二雄の漫画みたいに。
コミュニティについて考え出してはや1年が経ったけど、未だに答えが全然出ない。コミュニティがあれば楽しいんだろうなあ、でもその楽しい空間は私が潰しちゃうんだよなと思うとだめだ。
もう無理だよ。
なっがい愚痴です。吐き出せばすっきりするかなって思ったので、ここならいいだろっていう精神で吐き出します。
思えば幼稚園児のころから、帰ってきたら弁当を流しに出せだとか、園服を洗濯かごに入れろだとか、細かい面倒くさいことがこなせない人間だった。そんなに困っていたわけじゃなかったし、みんなこんなもんだろと思って何も考えてはいなかった。
本格的に困り始めたのは、小学校に入ってすぐのころ。宿題は全くこなせない、親へのプリントは出さない。やること全部がちんたらしてて、毎回怒られる。
学校の授業でプリントをやりましょうと言われたら、ぜんぜん終わらない。それで宿題になる。宿題の量が増える。もっとやりたくなくなる。宿題をやらない。明日の宿題になる。ずっと負の連鎖。
提出物が出せないと黒板に名前を貼られる。それで毎回帰りの会になると、名前をひとつづつ先生が読み上げる。先生の機嫌が悪い時は、出せてない人はその場に立たされて、ひたすら詰められる。それが怖くて仕方ない。「いつだすの?」「いつまで待てばいいの?」先生にさんざん言われて、帰りの会が大嫌いだった。
もちろん帰ったら親に怒られる。宿題をやれってずっと言われる。そりゃやらずに遊んでるんだから当たり前だけど。
でも、言ってくれるだけましなもんだったと、今ならいえる。低学年の頃は、何度も親に言われてやっとその日の宿題を終わらせた。たまに忘れていったけど。
そんな人間だったが、テストの点は悪くないし、騒いだりしなかったし、自分でいうのもなんだが割とフレンドリーなタイプだったので、学校での評価は「真面目な子」だった。周りの友達からもそんな感じの扱いだったのがなんとなくわかる。学校には毎日行ってた。
小3、そして小4。なぜか、プリントの問題を解くのが早くなって、優秀な奴扱いになった。結構気持ちよかった。
このころの記憶はあんまりない。なんでかはわからない。ただ、同じクラスの女の子が頭おかしいくらいメンヘラで(それは覚えてる)、母や友達いわくそいつにいじめられてたらしい。自分は全く記憶にない。
記憶ないけど、たぶん宿題はいやいややってた。担任の先生が変わったから、黒板に名前ドンの立たせて詰めまくり拷問はなくなった。それが楽だった。
反抗期はここら辺から小6がピークだった。結構えぐかった。風呂で自分の母親が声出して泣いてるのを見たとき、どうしようもない気持ちになった。それはずっと覚えてるし、たぶんこれからも忘れない。
この反抗期を機に、親が宿題に何も言わなくなった。学校はたぶんまともに行ってた。
最大の問題が起きたのは、小5の夏休み。宿題が終わらなかったのだ。今まで真面目キャラでやってきてた自分にとって、これは一大事。夏休みの宿題を出せないとなれば、まわりからは「お前何やってんの?(笑)」と言われ、「こいつさぼり魔(笑)」と陰でニヤニヤされるに違いない!今までにない危機感を感じた。
さて机を見る。残っているのは、読書感想文と、福祉のポスター。あと、ワークも少し...つまり、ぜんぜん終わらなかったのである。ちなみに、夏休みは何をしていたかというと、ゲーム、それからぼーっとすること。
ゲームが大好きというわけでもないが、簡単に宿題を忘れて遊べるので気に入っていた。
それで、最終的にどう決断したかというと、休んだ。ひたすら布団に引きこもって、親の声を無視した。部屋の惨状を見れば、どうして行きたくないのかくらいだれでもわかるような感じだったと思う。
まあ、その日は何とか休めた。
次の日は、ポスターだけ終わらせて行った。そうやって何とかちまちま先延ばしして、なんとか全部出し切った。
しかし、私の脳はその味を覚えてしまった。宿題ができなければ、休めばいいと。
それからは、宿題が終わらなければひたすら休みまくった。親ももちろんただじゃおかなくて、髪引っ張り回して学校連れてかれたこともあった。でもとにかく休んだ。
たまにどうしても無理だと悟ったら、保健室に逃げ込んだ。お腹が痛いって言ってベッドでゴロンゴロンしてた。
思春期真っ盛りだったからか、メンヘラ化が異常になった。当時好きだった奴がいたんだが、そいつが男女問わず誰かとは話すだけで異常に嫉妬した。(幼稚園のころから生活が苦になるほど嫉妬には悩んでたけど、だれにも相談できないままだった)それを理由に休んだこともあった。親にはお腹が痛いとだけ伝えた。
公立のただの小学校だったので、成績優秀でそのまま卒業した。小学校は割と提出物を出さなくても何とかなる。
あと小学校生活を振り返って、体育がどうしても嫌いだった。というかできなかった。周りからは笑われるし、役立たず係だし、チーム競技はクラスのカースト上位に嫌われてた子と一緒に二人ではぶられてた。別にその子のことは自分は嫌いじゃなかったけど、はぶられてるっていうのが嫌で仕方なかった。最後のほうの体育は、腹痛い作戦で休んでた。
そして中学1年生。
つらかった。何がつらかったかって、部活がつらくて仕方なかった。部活の内容自体は大好きだったけれど、放課後も休みの日もいつもちゃんと集合して、ちゃんとやるってのができなかった。それを見越して、超ゆるゆる運動部に入ったが、それでも全然続かなかった。一日学校で勉強するだけで精一杯なんだよ。部活選びに全力で失敗したと思った。毎週毎回のように休んだ。でも、変なプライドが邪魔して、転部出来なくて、結末を言うと中2の冬に完全幽霊部員化した。
メンヘラ化がいよいよヤバいことになってきた。息ができない。何をしていても苦しくてつらい。それを理由に何度か休んだ。
宿題がいよいよ終わらなくなってきた。学校で終わらせることで何とか解決した。実際、毎日出る宿題は小学校と比べて少なかったから、学校でやっても割と楽勝だった。
困ったのは定期テストだった。全く終わらない。体が動かない。毎回前日近くになって、ワーク開いて答えを映して、それじゃ到底間に合わない。先生に謝って、なんとかやってた。
テストの点は悪くなかったので、成績はまあまあ良かった。
中学2年生の時に、自分の中でつらかったものが爆発した。それから学校に行けなくなった。
メンヘラ化によるストレスが限界点に達した。定期テストで思った通りに勉強できないことで、自分にイライラした。体育の授業も、もう出たくなかった。できないから。
内申点もがた落ちした。テストだけ受けた。下から3番目だった。もう何もやる気が起きなかった。でも行きたい高校もなかったし、それでいいやって思った。
毎日自分に失望し続けた。情けない自分と目が合うのが嫌だった。
周りはつらくても頑張ってる。自分が恥ずかしくて、だれとも目を合わせたくなかった。
でも、休んでたおかげで好きなことがみつかった。これだけ落ちぶれたので、全体はプラスかマイナスかと言えば完全にマイナスだが...
中学3年生、今年は絶対頑張るって思った。春から毎日教室に行った。
内申のためにひたすら頑張った。提出物は相変わらず終わらないので、全力で謝罪して(それをすれば評価がよくなるかどうかは知らないが...)、なるべく全力でやり続けた。
あと、行きたい高校がみつかった。自分にはこの学校しかないと思うくらい、自分の希望にぴったり合った高校。
将来の夢と、自分のやりたいことと、全部かなえてくれるのはここしかないと思った。周りに聞いても、今自分で調べても、ここよりいい学校は見つからない。ここに入れなくて、別の高校で妥協するなら死のうと思うくらい(本当に死ねはしないだろうけど)。
中学3年生の1学期は、自分なりに全力で頑張った。テストの点は見違えるほど回復したし、内申も上がった。
でも、1学期の定期テストが終わって、もう学校には行きたくないと思った。これ以上頑張りたくないと思った。テストが終わった次の授業で、「この授業は2学期の内申に入ります」って言った。その時にぷつんって切れた。いつ休めばいいのかわからない。ずっと苦しいまま。
みんなそうってわかってるつもり。だからこそ、自分だけできないって余計につらい気持ちになる。(もちろん不登校が自分だけなわけではないが)
メンヘラ化も治らなかった。死にたくて苦しいままだった。
中2は休んでた体でいきなり全力出してうまくいくはずもなく、元々体力なかったのもあって、いろいろ限界だった。
2学期、学校に行かなくなった。もう何もかも終わりだと思った。毎日、「今日休んだらもう取り返しがつかない」って思いながら休んだ。
志望校にはまだ行きたいって思ってたけど、自分じゃ入学しても無理だと思った。
でも行きたくて、でもだめでっていう気持ちにはさまれて毎日泣いて、悩んで、死にたいって思って、また悩んだ。
周りの大人は全員、不登校受け入れの、私立を進めてくれる。それが最適解だってわかってるが、どうしても志望校があきらめきれない。そのうち、自分の中で周りの人間は自分の夢を応援してくれないクズだと思うようになった。とんでもないと自分でも思うけど、自分は昔からこういう被害妄想の激しい人間だったから仕方ない。
ここまで全部読んでくださった人がいたのなら、その方にはわかると思うが、もちろんこんな奴がまともに受験勉強できるはずがない。そもそも学校に行っていないので、出席日数と内申の関係で普通の人が行く高校に受かるはずがない。志望校行きたい、でも勉強はしない。勉強が嫌いなわけじゃない。でも、勉強しなきゃって思うと、めちゃくちゃ大きい自分からの自分へのプレッシャーが強くかかって、体が動かない。こんな人間社会に出ても何もできないと思って、本当にもう死にたい。周りがうらやましい。みんなできるのがうらやましい。ならやればいい。でもできない。
それが今。何もできないまま、何も進まないまま、何も決められないまま、今になってずっと過去を後悔し続ける。
言いたいこととりあえずほとんどかけたと思います。書いてたらすっきりしたようなしなかったような気がします。まあ、要は受験のストレスです。
こんなことに時間使ってる間に勉強すればいいって言われるのが目に見えているので、これはここら辺にして今日は勉強します。
もし読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。
学生時代から最近まで似たような人間関係があったので今まで閉じ込めていたことを吐き出します。
親の離婚理由は性格の不一致とDVで、小学生の頃、毎晩母親は揚げ足を取って父親が暴力をふるう現場ばかり見てきていました。
どう止めても殴ったり蹴られるだけで子供の力では無力でした。
当人同士が収まるまで永久に終わらないため、喧嘩の音の恐怖におびえながらイヤホンを付けてラジオを聴いて無関心になっていました。
土日は事情を知っている友達の家に泊まっていた時が家族を味わえて一番幸せでした。
友達の家に何度か泊っていたらいつの間にか両親ともに蒸発して家には祖母だけが残っていました。
「捨てられた」「くやしい」「みじめ」の感情よりも「楽しいことを見つけよう」という現実逃避と目標ができました。
おかげで少しは心に余裕ができて前向きになりました。
数か月後に「世間体のため」と言われて母親に引き取られましたが、母親のストレスの捌け口にされて揚げ足を取られる行動ばかりされていました。
ここでも傷つくことより先に「この人自分のことしか考えてないな」としか感じませんでした。
首謀者は男子。
中学に入ってから接点が全くなかったので、本当になぜ標的にされたのか分からないままでした。
罵詈雑言を浴びせてきたり、悪口を言いふらしたり、机に落書きされたり、節分のときは豆を投げつけられたり不愉快でした。
モテる男子だったので、クラスメイトもいじめに加担している状態でした。
そのことを母親に話すと「お前は馬鹿だから~」と言いかねないので、私は学校へ行くのをやめずに卒業するまでそのことを話しませんでした。
ある時、担任の先生が声をかけてきてその男子のことについて話してきました。
「○○君(男子)の母親が突然家を出てからああなってしまったみたい。多分片親なのに明るいあなたがうらやましいのだと思います。」
担任の先生はいじめを時々止めにかかってきていましたが、男子の家庭環境を調べたようです。
その後、男子からは「片親のくせになんで笑っていられるんだよ」と言い残して去っていきました。
それから成人式で見かけたぐらいで会話もなにもありませんし、今どうなったかなんてわかりません。
高校に入ってからプレイボーイになったという噂があったぐらいです。
平気でいられることがそんなにうらやましいことなのでしょうか。
無関心になるまでやなってからもつらかったし、片親でも精神的な八つ当たりを受けるしうらやむことなんてありません。
度合いとは思いますが、男子にはもっと失踪して立ち止まって八つ当たりするよりももっと違う考え方を切り開いていれば……とも思いました。
高校に入ってからずっとパソコンの知識を学びたいがためにコンピュータ系の部活に入りました。
実際はプログラム系の学習から始まるため、5月に入ってから部員がごっそりいなくなりました。
私はそれでも資格を取るために黙々と勉強を始めて合格し、パソコンの知識を身に着け始めました。
半年後、幽霊部員だった男子だけが数名戻ってきて、たまたまアニメの話になって意気投合してから集まった男子は部活に戻りました。
女子は私含めて2人しかいなかった状態でしたが、ワイワイしながら資格を取るために集まって勉強を始めたりみんなで仲良く過ごしていました。
やがて隣の部室にいた部活の女子数人が興味を持って部室に遊びに来るようになりました。
その中で一人、同じクラスでちょっとオタク系の会話が話せる女子がいました。
その女子が2年生になると、彼女がいない部活の男子に手あたり次第お付き合いしては別れて……を繰り返していました。
一番驚いたのが、私が同じ中学だった男子と会話していた時に女子が割り込むこともあったり、しかも付き合って数日で別れたようでした。
1年の後輩にも手を出そうとしていましたが、後輩側が断っていたようでした。
3年に上がったときはまた後輩に手を出そうとしている様子があったので、「隣の部活の○○さん(女子)、手当たり次第告白しては別れてを繰り返しているからあまり会わないように気を付けて」と私や告白された後輩が一声かけたおかげで被害は0でした。
それから数年後、別のゲームで知り合った女子でも同じようなことが起きました。
ゲームのことだけ語っていた私と仲のいいプレイヤーを片っ端から手を出したり手を出しかけて未遂になっていたことが発覚。
まだ余罪がありそうですが、追及する気は起きません。ただ、似たようなことがまた起きて気持ち悪かっただけでした。
私はその2人の女子よりも特別顔がいいわけでもなく、どちらかというと下の方です。
勉強もゲームも頑張ってきてそのおかげでみんなと会話できるようになっただけなのもあります。
それでも私よりも優位に立ちたい、それだけだったのだと思います。
そんなことしなくて充分かわいいし、自分に自信持ったほうがよかったのでは?と今でも思います。
高校の頃、部活が終わった後に男女構わずみんなでだべってから帰るのが日課でした。
ある日、突然あまりしゃべらない男子(彼女持ち)からこう言われました。
「俺の○○(男友達)と仲良くするな」
ホモかよと思いながら何を言われているのかさっぱりわかりませんでした。
またしてもたまたまオフ会で居合わせた人が男性ばかりでしたが、恋愛感情抜きで遊んでいました。
するとその中にいた男性一人がやたらマウントを取ってきたり、説教っぽくなってきて「何言ってんのこの人」って驚いていました。
あとから聞いた話だと、「俺の○○(男友達)を取るな」だったようです。
特定の一人と遊んだ覚えはないのに男性に嫉妬されていたのかと思うと怖い話です。
やっぱりホモじゃないか……ではなく、発言している人が男性で「俺の友人を取るな」ってのはどういう思いなのか未だよくわかりません。
私は2つ目の女子のようなことは一切やらかしていないので驚きでした。
私が知らない情報はためになったので興味持って聞いていました。
突然、その友達は離れていきました。
その友達の友達から話を聞くと、自分が優位だと思っていたのと同じ知識量の人が嫌だったとのこと。
それは高校の頃も私と似たような人がいて同じ理由で嫌悪していた、とのことでした。(同族嫌悪?)
私が知らない情報=マウントであったが、効いていなかった(興味を持たれた)のがストレスだったとのこと。
同じ趣味で自分の知らない知識がある人ってすごいし面白いって思うのですけど、鼻にかけてしまう人もいるんだなと思い残念でした。
それゆえ同じ趣味だし一緒に色々語って仲良くしたいと思ったのに余計に残念です。
悪意を持って仲よくしようと近づく人っているものなんだなと思いました。
以上
この場で吐き出せて楽になりました。
高校。「どうせ負けるのに、何でこんなに頑張らなきゃいけないのだろう」といった思考から、部活を欠席しがちになる。結果、インハイ予選をブッチ。会場へ行く列車を何本も見送り、駅でただボーっと過ごす。それ以降、部のメンバーと険悪になり、かといって誰にも相談は出来ず、幽霊部員になる。小学生の頃から続けていたスポーツだったからか、かなりダメージが大きかった。ちなみに、俺がいた時は万年地区予選敗退だったのに、抜けた次の年に部は団体戦で全国大会入賞。誰が原因だったかは一目瞭然。かつてのメンバーが、全校集会で表彰される光景を体育館隅から死んだ目で見守り、終了後に部のメンバーから「ベンチにでも入ってれば表彰台に上がれたのにね」と嗤われる。
理系の短大進学。友達が出来ないまま2年過ごす。かとい勉強等の何か別の事にも熱中出来ず、ただ堕落し続けて20歳まで過ごす。そして、大学編入を機に専攻を変える。友達が出来ないまま2年過ごす。4年後期に鬱発症。発表はしたものの、論文を提出出来ず、うやむやになったまま大学卒業。卒業式や懇親会は欠席。
無能のくせにプライドは一丁前に高く、学歴コンプレックスから大学院進学でロンダリング。また専攻を変える。そこでも研究に身が入らず、友達も出来ず、欠席しがちになる。2度目の鬱発症。半年、大学に行けなくなる。当然、教員にも愛想を尽かされる。ちなみに、論文は今日提出なのにまだ完成していない。これといった催促も無い。
就職は、これまで学んだ事が殆ど活かされない業界に決まっているが、卒業出来るかも分からない。
何にも熱中出来ない。環境を変えても、全部自分の無能が原因で失敗する。中途半端人生。
もう助からないのだろうか。
毎月決まった日に決まった額のお金がもらえるし、体調悪かったり天気が悪かったり災害の警報が出てたら簡単に休める。何なら上司が先に当日欠勤の申請してる。信じられないことにお金もらいながら休むこともできる。
9時間拘束は面倒だったが、実働はその半分にも満たなかったし、どちらかというと残りの時間つぶしに苦慮してた。それは俺だけではないらしくて、たまに中庭を意味もなくうろついてる同僚を見かけていた。今は半分テレワークでそこらへんもあいまいになったので解決。定例で行われる飲み会はあんまり好きじゃないけど、状況により業務時間にあてられるし、会社から補助が出るので大きな不満はない。ただ自分から振れる話題はほとんどないのでつまらない人間だなと思う。他人の意外な趣味や家庭の話が飛び込んできたりして、聞かせてもらう分には面白い。
忙しい時は残業や宿題もあるけど、その分お金はもらえるし、もともとプライベートが充実してるわけじゃないので、あんまり困らない。大体の休日はちゃんと休めるし。
そんな態度でやってる仕事だから、年収は平均に結構劣るけど、物価も安いところに住んでいるので暮らしていく分に不便は少ない。自分としては平穏そのものの人生で、不安は親の老後と自分の孤独死ぐらいしかない。
それに比べると、学校に通っていた頃は本当につらかった。学年が違うというだけで廊下すら聖域扱いされる上級生とは、距離感を見誤ってよく怒られていた。名指しで呼び出されたこともあった。たかだか数年早く生まれただけでなぜあんなに偉そうなのか、進級して同じ立場になってもわからなかった。俺は人間関係が下手だった。
学校が終わったあと、やりたくもない部活動に強制で放り込まれ、全く興味がないことに心身を疲弊させられるのは死ぬほど嫌だった。実家はお金がなかったので、課外授業とか教材費とか合宿とか部費とか、出費がある度にお願いするのも心苦しかった。
バイトをすればよかったのかもしれないが、学業のために休日や放課後に何かできるほど人生に真剣ではなかった。そういう意味では、親に甘えていた。そのうち幽霊部員になった。部活に行かなくなった最初はほかの部員にドヤされたが、そもそもまじめにやっていなかった人間なのですぐに無視されるようになった。後ろめたさはすぐになくなり、心も軽くなった。修学旅行も、旅費を出してほしくなかったので行かなかった。多くの人間と寝食をともにすることに強いストレスを感じる性分だったので、もともと行きたくなかったのもあった。部活も修学旅行も、強制されるものだと思っていたので、拒否することが可能なのに驚いた。やらない/行かないという選択肢はそもそも目の前に存在していなかったが、選ぶことができるのを知った。
学校では出席日数がすべてであり、どんな体調、どんな天気だろうが通い続けることが美徳なのは悪夢ですらあった。高熱だろうが出校をうながされ、大雨だろうが台風だろうが大雪だろうが、まずは連絡網を待ち続けるのは不快でしかなかった。休みにはならないと言うので学校に向かったら、朝のホームルームで帰宅指示が出された豪雨の日のことは、今でも呪っている。
教師ともソリが合わずいつもにらまれていたが、それは俺の思い過ごしかもしれない。ただ、こんな態度なのだから、好かれてはいなかっただろうと思う。授業はまじめに受けているつもりだったけど、勉強にはついていくことができていなかった。遅れた部分を取り戻すこともできないまま、内容はどんどん先に進んでいき、完全に一周遅れとなった俺はいつしか学校に行っても何も学べなくなっていたので、授業中は椅子に座ってぼーっとしているだけだった。苦痛だった。問題を当てられて黒板の前に立たされても、どうせわからないのだから棒立ちしていることを繰り返していたら、指されなくなった。
それでも勝手に単位が出てきて進級したし、進級したら高認をとれたので、そのまま学校をやめ、就職活動をしてみた。それしか道がなかった。奇跡的に就職できた後は一人暮らしも始めた。それまでの世界に比べると、そのあとはまるで天国だった。俺に対して決して捨て鉢にならなかった親にはとても感謝している。昨今は社会情勢的に実家に帰ることがなかなか出来ないので残念だ。連絡はときどきしているし、できる限り孝行をしたいと思っているが、敬愛の示し方がわからないため、なかなかままならない。
さておき、学校で本来学ぶはずだったことが、仕事において必要なことはたくさんあった。日本語がうまくなくて困ったことがあった。確率や割合の計算ができなかったり、放物線がグラフで描けなくて困ったことがあった。世界の略歴を知らなくて困ったことがあった。グローバルな会社ではないが最低限の英語が必要になることはあり、当然そこでも困った。野球やサッカーやゴルフ、将棋や麻雀のルールを全然知らなくて困ることすらあった。義務教育の内容や、集団生活での経験が社会で必要ないなんて思ったことはなかったけど、俺が社会で必要なことを学校で学ぶのに失敗していたのは事実だった。学校に通い、必要なことを必要な時にちゃんと学べている人は本当に立派な人間だと思う。
だがそれらが俺の責任である以上、学生のころは全くわからなかった学問を、小中学生のレベルからやり直した。社会人になってからは勉強することでお金がもらえるし、もらえるお金も増えるようになるので嬉しい。スポーツや遊びは俺を幼稚園児だと思って教えてほしいと伝えて学ばせてもらっている。強制されない、ノルマも存在しない運動が楽しいということは社会人になってから知った。さかあがりはいまだにできないけどね。
今でも学生のころは夢に見る。そのほとんどは良くない思い出のごった煮で、目が覚めた時の気分はいつも最悪なのだが、それと同時に、現実ではもう社会人であれてよかったと安堵する。社会人になってから人生が楽しくてしょうがない。
1位 野球
2位 サッカー
上位ふたつはまあ異論が出なさそうで、
バスケ、バレーボール、テニス、卓球と、青春球技しばりで某サイトがキャンペーンやってるんだけど、
球技だったらゴルフもそこそこ多そうで(青春系はさすがに少ない)、球技縛りを解いたら……ボクシング?
なんか資料あった。
https://blog.rcn.or.jp/highschool-clubactivities/
バトミントンとか、幽霊部員というかとりあえずって気がするけど。それか女子目当てとか?
現時点での連載作品で見たらまた違うだろうけど。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E5%B0%91%E5%B9%B4%E6%BC%AB%E7%94%BB%E9%9B%91%E8%AA%8C
ほんまにお前ら少年向けか? ってのが多数混じってる気がする。
20年分ぐらい上位4誌ぐらいで……みたいなの纏まってるとこないかなぁ
いや、そもそも少年とか青春とか関係なく漫画になってるスポーツの順位
これが知りたいんですが。
・前回までのあらすじ
32歳腐女子の記事に触発されてさすがに私もなんとかしないと駄目だよな~~と思って先週しまむらに行くも
デブでサイズの合う服がないのでしまむらより遠方にあるユニクロに行く決意をした
・今日
ほんとは木曜に行きたかったけどようやく雨が止んだのでこの日になった
先日イオンで買ったばかりのマスカラをして眉毛をちょっとだけ描いて顔の下半分はマスクで隠してしまむらで買った服を着て9時過ぎに家を出る
道中にヘビと出会って轢きかける あと隣の地区でクマが出たよ~~というメールが来た 田舎である
ユニクロまでは初めて行くので道がよく分からず、住宅街沿いを走っていたら途中で行き止まりになり少しうろうろする
11時くらいに到着 迷わなければもう少し短縮できたとは思う
無地T……デブスの無地T……ちょっと勇気が出ない……日曜日のお父さんになってしまうのでは……それに好きなアーティストのツアーTシャツをたくさん持ってるからこれ以上Tシャツを増やすのもなという気も
いろいろ試着してみるも袖が短いものはふっとい腕と剃っても剃っても青髭のようになる腋毛が目立つので断念
なんかスケスケの素材の服もあったけどスケスケすぎて頭おかしい痴女に見えたらどうしようと思いこれも断念
ワイシャツはこれだ!って色はSサイズとMサイズしかなかった まじでこの辺に住んでる人Lサイズ以上の人どこで服買ってるの
というか夏なのに半袖のバリエーション少なくない……?なんかもうちょっとうまく言えないけど袖がヒラヒラしてたりボーダーの柄がついてたりVネックとか裾がまっすぐじゃなくて弧を描くような形になってるのとか(名称が分からない)色々あるのかと思ってた……
※6年くらい前に推してたキャラがVネックをよく着ていたからVネックだけはその時に覚えた
この辺はしまむらのが豊富な感じだったな~~~~~ほんとデブじゃなかったらな……
しょうがないからスカートだけ3着買った(中高の制服以外でスカートを持っていなかったので実質初スカートである)
お昼は悩んだけど近くで中華料理食べた
田舎だとぼっちで飯食ってる女はマジでいないから浮きまくる上に詮索好きなババアが目を光らせている率が尋常じゃないので知り合いに見られていないことを祈りつつ帽子を目深に被っていっぱい食べた
目立つのは嫌だけど家では偏食の家族に合わせる必要があって色々面倒なので定期的に一人外食はしたい
近くにはゲーセンや中古ショップやハンクラの店など普段なかなか立ち寄れない場所が多くて惹かれたけどくたびれたのでやめた
帰りにイオンに寄ってブラを買ったけどここもマジでサイズがねえ
くたびれて畳の上で寝そべって休んでる間に思ったけど少しずつファッションの勉強したり服を買いそろえたりダイエットを頑張ってMサイズの服を着れるようになったとしてもその時には40歳になってそうだな
そしたらもう20代用の服は着れなくなっちゃうんだろうか そうなるんだろうなあ つ、つれ~~~~~~~~~~
普通の女の子は小学校高学年くらいからおしゃれに目覚めていくものだから20年遅いわけでそれを考えるとしょうがないんだけど
前にここに悩みを吐き出してたらなんかめちゃくちゃ刺々しい感じで「あなたが楽しくオタ活する時間を他の子は自分を磨く努力に費やしていたんだよ!」みたいに言われたけど
中高は2chに入り浸りぼっち生活で大学ではオタサーに入るも当時ハマっていたのが知名度は高いけど同人は盛り上がってない系のものばかりで話が合わず幽霊部員になり
絵も小説も書けずツイッターでぽつぽつアニメや漫画や映画の感想と実況書いてたまーーにフォロー外からちょっとだけいいねもらったり5chやはてなでレスバしてるだけだから言うほどオタ活エンジョイ生活してるわけじゃないんだよな
ほんとずーっとぼんやり生きてきた
人生って…………………
朝起きて、鏡を見て、死にたいと思う。
生まれてこなければよかったと思う。
こんな醜い容姿に生まれてこなければこんな思いはせずに済んだ。
人は見た目じゃないなんて嘘だよ。
見た目がよければ生きやすいに決まっている。
味方はいなかった。
教師もいじめている側の肩を持った。あいつはそんなことするやつじゃないと思うけどな。一生その言葉を忘れることはない。
どうしてわたしの味方になってくれなかった?わたしが醜いから?醜いやつの言うことに信憑性はない?妬んでありもしない話をでっち上げたと思った?
毎朝鏡を見て、死にたいと思った。
生まれてこなければよかったと思った。
何度席替えをしても、必ず机を離された。
昼休み中、ずっと、トイレの個室で過ごした。教室に戻ろうとしたら、ドアを内側から押さえられて入れなかった。
みんな笑っていた。机を離した人たちも。わたしを汚い、という人たちも。それを聞いて一緒に笑っている人たちも。みんな同じ顔をしていた。
毎日マスクをするようになった。マスクがないと外に出られなくなった。卒業式もマスクをしたまま出席した。マスクをしていない写真は殆ど残っていないと思う。
高校生の間は、まあ陰でいろいろ言われていたかもしれないけれど、容姿を理由にいじめられなかったから生きやすかった。マスクを外した。外すことができた。
3年間だけは、中学生の頃ほど、そして今ほど卑屈ではない人間でいられた。
この地獄は一生続くわけじゃないんだと思えた。終わったのかもしれないなんて思った。
逃れられたのはその3年間だけだった。
浪人することになって、予備校に通い始めた。また、はじまった。結局、どこに行っても、いつまで経っても、わたしは一生逃れられない。この顔が原因なんだから、普通に生きてたら顔なんて変わらないんだから、当たり前のことなのに、どうして気づかなかったんだろう。
今でも他人の笑い声が怖い。他人の視線が怖い。電車に乗っていて、若い人たちが向かいに座って、笑っていると、わたしのことを笑ってるんじゃないかと思って消えていなくなりたいと思う。
もうそろそろ卒業の時期だけれど、大学生になって、一人も友達はできなかった。卒業できるか分からないけれど、卒業式には行かない。高い金払って、ブスが袴を着て、写真に残すことに何の意味があるんだろう?
卒業アルバムの個人写真も撮りにいかなかった。卒業アルバムは小学校から高校のぶんまで、ぜんぶ、自分の顔を塗り潰した。実家に帰省する度、飾られている七五三の写真や昔の自分の写真を努めて視界に入れないようにしていた。燃やしてしまいたかった。
サークルもすぐに幽霊部員になった。誰も醜い容姿の卑屈な人間と友達にはなりたくない。わたしだってわたしみたいな人間と友達になりたくないと思う。
時間が経てば治るよと言ってくれた人もいたけど、12か13の頃から汚い顔は、22になっても汚いままだ。夏になったら23になるけど、23になっても24になってもきっと汚いままだ。
いろんな治療を受けたし、いいと言われる基礎化粧品を片っ端から試したけど、鏡を見ると依然汚い顔が写っている。
こんなことなら子供のうちに死んでおけばよかった。自分が醜いことを知る前に死んでおけばよかった。小さいうちはブスだろうがなんだろうが生きてるだけで可愛がられてそれなりに自己肯定感を保てる。そのまま死ねばよかった。
経済的に厳しいから家賃と学費以外は無理と言われて、貸与型の奨学金を申し込んだことを後から知らされた。学費と家賃の足しにするために申し込んだから、とわたしの元には振り込まれない。
奨学金返済するのが大変だったら結婚して旦那に返済して貰え、と父親に言われた。
びっくりした。結婚できると思ってるのか。
醜い、卑屈で、自己肯定感の低い人間が、誰かと一緒になれると本気で思ってるんだろうか。
そもそも、この家庭で育って、家族や家庭というものに憧れると思ってるのがすごいよ。しあわせな家庭のかたちというものが分からない。
望まれるかたちに生まれることが出来なかった。治らなかった。なれなかった。世間様のしあわせに当てはまる未来は一生こない。いつか、なんてものは永遠にこない。ちゃんと分かっている。
自己肯定感が極端に低い。他のだれかのことを思える心の広さもない。誰かに優しくされても穿った見方しかできない。
本当に性格が悪い。
経済的に厳しいのも、ひとりなのも、ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ、自分のせいだ。
お金に余裕がないと言っていたけれど、帰省したとき、100万以上かけて壁の塗装をするんだと言っていた。どの色がいいと思う?なんて聞かれた。お金に余裕がないんじゃなくて、わたしにお金をかけたくないだけだ。ショックだった。金銭的に負担をかけられないから、と終電逃すまで残業するようなバイトに耐え忍んで、土地柄客層が悪くて当たり散らされるのにも耐えてニコニコ接客して、全部アホだと思った。奨学金という借金を背負ったのも、大学に進学したのも間違いだったと思った。
240万の借金。240万あったら、わたしはこの顔から逃れられたのに。
わたしが醜くなければ違った?かわいい娘だったら、自己肯定感を保てるように育ててくれた?
もしそうしてくれなかったとしても、醜くなければもっと稼ぐ方法はいくらでもあった。世の中顔だから。容姿が優れている子がそうして稼いでるのをたくさん見てきたし今も見ている。
鏡を見る度死にたいと思う。生まれてこなければよかったと思う。
わたしがわたしじゃなければ、望まれるかたちに生まれていたら、今頃こうなってはいなかった。
まともな人間関係を築けていたはずだった。
大学生になったら楽しいってみんな言うから期待していた、間違ってた。みんなはまともだからわたしは当てはまらないってちょっと考えたら分かったはずなのに。
生まれてこなければよかったと思う。
はやく沈みたいと思う。もう終わりたいと思う。続けたところで同じことの繰り返し、もういい。どこまで遡れば変わるかなってときどき思うけど、どこからやり直しても結局こうなるんだから生まれてこなければよかったと思う。ぜんぶ今更だ。手遅れだ。
もうなにもかも嫌だ、
一生惨めな負け犬だって分かってんのにどうしてまだ続けなきゃならない?
鏡を見る度死にたいと思う。
こんな、こんなふうに、劣等感抱えて、誰に対しても何に対しても妬んで嫉んで、こんな生き方したくなかった。
醜い容姿に生まれた人間は劣等感抱えて生きてくしかないんだよ。一生。ずうっと。ずっとだよ。どんな顔に産まれるかなんて選べないし金かけない限りどうにもならないのに。
わたしが生まれてくる前にわたしの容姿を提示されてたらわたしは生まれてくることを選ばなかった。
毎朝、毎晩、死にたいと思う。すべてが妬ましいと思う。はやく死んでくれと思う。
何もかも自分のせいならはやく死んだらいいのだと思う。
鏡を見る度死にたいと思う。
こんなことならと思う。
わたしは一生、親を許せないと思う。
母親は綺麗な顔をしている。彫りが深くて、幅広の二重で、鼻も団子鼻じゃなくて小さくて高くて、唇も薄くて、肌も汚くない。
小学生の頃からお母さん綺麗だねって言われる度に、言葉の裏にお母さん「は」綺麗なのに、ってのが透けてて嫌だった。
言葉の裏を邪推してしまう自分の卑屈さが嫌だった。ほんとはそんな意味で言ったんじゃなかったとしてもそうとしか聞こえなかった。
母親があんな男と結婚して子供を産んだりしなければ今のわたしの苦しみはなかった。
10年前、肌が汚くなり始めたころ、あの男のクレーターだらけの汚い肌を見て、ああなりたくないと思った。歳を重ねる度にどんどん似ていく。死にたい。あの男に似ていると思う度に吐きそうになる。望んでもいない50%の遺伝子はこうして醜い形で現れた。
親を憎むのはお門違いと言われても、親不孝と言われても何と言われても許せない。
彼氏はいないの?〇〇ちゃん結婚したんだって、悪気なく言っているんだろうけど、なんでそんなこと言うんだって思う。娘がどんな気持ちで生きてきて、生きていて、それを聞いているか分かんないんだろうね。憎い。生まれてこなければよかったと何度も、何度も何度も思って生きてきた人間の気持ちは綺麗な顔のアンタには分からない。一生分からないよ。
もう十分だ、いつかは永遠にこない、
なにもかも嫌、ぜんぶ羨ましくて妬ましくていや
ブスは出生前に間引かれる世の中になればいいと思う。第二第三のわたしが生まれなければいいなと思う。こんな思いをしなくて済むならそのほうがいいに決まってる。