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はてなキーワード: 反抗期とは

2017-07-17

俺が結婚しない3つの理由

1.自分の為だけにお金時間を使いたい

2.世話をするという行為のものが嫌だ

3.どうせ飽きるんだろ俺のことなんて



1.自分の為だけにお金時間を使いたい

自分が汗水たらして稼いだ金をなんで他人に貢がなければならないのか

出たくもない会社飲み会お金払うのもばかばかしいのに生活費という名のもとに自分以外の金銭を工面する次点でなんかおかしいじゃないの

手取り金額に関わらず全額俺が自分で使いたいわ、当然の権利だろうに

実家仕送りしてる現状すら気に入らない、俺からお金を取ろうとする全員気に入らない

どうせ趣味も合わない、話も合わない、つか絶対話してて疲れる、そのうえお金まで掛かるってどういうことだよ

親すら邪魔だ、俺の稼いだ金だぞ、なんで搾り取ろうとする

「今まで育ててやった~」じゃねーよ、小遣いなんて貰ったことねぇぞ、学費も俺がバイトして出したんじゃねぇか

それ以外の生活費みたいなもんはもう返し切っただろうが、この5年ですでに800万は実家に入れてきたんだぞ

結婚をしてない現状すらこんな悩み抱えてんのに結婚したら更に同じ悩みが増えるとか意味わかんねーんだよ

家族サービス?クソくらえ、自分へのご褒美が何よりも優先されるだろうが

少なくとも、そうやって生活してる今は最高に幸せ


2.世話をするという行為のものが嫌だ

嫁が出来ようが子供が生まれようが一緒だろうけど、なんで自分だけで精いっぱいなのに他人の世話までしなあかんねん

どうせ育児ノイローゼだのご近所づきあいだのイジメだの反抗期だのPTAだのメンドクセーことたくさん出てくるんでしょ

いちいち構ってられるかよ、どうでもいいんだよそんなこと

親戚とのかかわりすら一切を立ち切りたいのにこれ以上大衆と構ってられるか、仕事先の顧客対応だけで十分だよそんなん

そりゃ可愛い娘なら愛情も湧くかもしれんが、まずありえない

てか女の子まれるかどうかも分からん人生賭けたギャンブルなんか絶対に嫌だ

3000万円の課金ガチャとは良く言ったもんだな


3.どうせ飽きるんだろ俺のことなんて

美人三日とかそういう問題じゃなくて、普通に考えて同じ人間と同じ屋根の下一緒に暮らしてればそら嫌になるだろ

ましてや趣味も話も合わない相手だったら1年持つのか?俺は無理だ

漫画みたいに愛し合うとか夢見すぎじゃないか絶対世の中の夫婦の大半はなぁなぁで生活してるだろうが

俺の周りそんなんばっかだぞ、やれ家に帰りたくない、やれ結婚したら自由が無い

じゃあお前らなんで結婚してんだ

俺に結婚後の不幸話聞かせてくる癖になんで彼女無しをイジメみたいに弄ってくるんだよ

地獄へ連れ込もうとするゾンビかなんかなのか?てめぇらもこの地獄味わえよって根端か?糞くらえアホどもが

やってることが矛盾してんだよ意味わかんねぇな



まあ結論としては、「悩みを増やしたくない」これにつきる

ジョジョ吉良吉影は本当に賢い生き方してるわ

変な性癖さえなければ現代若者理想像なんじゃないの

俺は一応出世欲があるから違うけど、でもあの生き方は憧れる






でも確かに老後1人っきりになるという心配は確かにある、だから考えたくもない

実家距離を置くことにした

数年前に母親再婚した

私が5歳のときに父と離婚して私と妹を引取り育ててもらった

離婚後すぐに実父は交通事故他界している

私と妹の就職を待ち、何年か前から付き合っていた男性再婚した

私は中学時代から高校まで反抗期で、ヒステリー母親を嫌い

近くに住む離婚済みの祖母アパートに住んでいた。

高校卒業とともに県外へ就職したので母親が付き合っていた男性と関わる機会は殆どなかった

帰省荷物が置いてある祖母アパートで過ごし実家に戻ることは基本的にない

再婚相手は母の持ち家である実家に同居という形になり母親再婚相手・妹で暮らしていたが

定年退職を迎えた祖母年金だけではアパート一人暮らしできないため実家

引取り同居することになったのが去年

自動的実家しか帰省先がなくなり、何年も男性がいる家で生活したことがなかったので

生活スペースに知らない男性がいることに嫌悪感があり、食事もできるだけ祖母の部屋でして

再婚相手が同行する外食に誘われても全て拒否していた

昨年祖父逝去したため土曜日初盆があった

妹とファミレスへ甘いものを食べに行こうと会話していると母が割り込んできて

再婚相手母親も一緒に行っていいか聞いてきた

正直に言って知らない男性パフェを食べる趣味はないので拒否したところ

「じゃあいい」と怒った口調でドアを強く閉めて出ていった

母親は私と再婚相手がいつか仲良くできると思っているが私は無理だと思う

別居することで距離を保ち、ある程度縮まったと思っていた母との距離がまた開いてしまった

この件について和解したところで別のタイミングで同じことが起こるのは目に見えているし

祖母大事にしたいが実家にいると息が詰まるので数年は帰省しないことに決めた

2017-07-14

こんな子供に負けられない、みたいな、

内容ではなく表現問題と言いながら

見ず知らずの人をいきなり「お前」と呼ぶ

言葉遣いなんて上っ面じゃなく内容をと言いながら

マンガではなくイラスト非難してる

子供達への影響を懸念する口は

その意に反する子供悪口を囁く


名前言ってはいけない子役なんだけど

これが芦田愛菜ちゃんだったら

よしよし


誰も言ってないツイは見かけたけど

削除済みだっただけだった

いた、と事実をツイする人こそいなかった

近しい人たちは諌めも謝罪を促しもしなかった


直接言ったわけじゃないからね

わざわざ探して伝える人が悪いのであって


尊敬し合う仲間たちの絆が固く、痛い


イラスト子供の目に触れることを恐れるなら

自分たち罵詈雑言が本人に届く可能性も恐れた方がいい

ただ一度の意見の相違で断絶上等モードなんて

昭和の頑固オヤジさながらでやばい

完璧子供を求めすぎる教育ママたち

これだから反抗期はと知った顔をする赤の他人


負の歴史が繰り返されてた

妹と私

■妹にまつわることを思い付くまま箇条書きしてみる。

■妹は15才年下。

■妹ができたことはうれしかったけど、40代子供をつくった両親の「頑張り」が、当時は何とも気恥ずかしかった。

■私は大学進学と同時に一人暮らしを始めたので、妹と一緒に暮らしてたのは4年足らず。

■私が実家を出た時、妹はまだ3才。

■妹の赤ちゃん時代可愛さは異常。なんだあれは。毎日学校から帰ってくると、とてつもなく可愛い存在が家で待ってた。あの日々!奇跡

■おかげで私は反抗期というものを経てない。妹をかわいがっているうちにその時期をみすみす逃してしまった。くやしい。父親悪態をついたりしてみたかった。

上京してからは、妹と会うのはお盆年末年始だけになった。会う度に彼女の成長ぶりに驚かされた。

■妹が小6の時、母から電話で苦笑まじりに言われた。

■「あの子あんたのせいで大変よ。変なものにかぶれちゃって。大丈夫かしら、今からあんなにマニアックになって....」

実家では妹が私の部屋を受け継いでた。部屋には私の本やCDDVDが大量にあった。妹はそれらにひたすら耽溺していたようだ。

■実際は少しもマニアックではないんだけど、母にはそう見えたんだろう。まあ、なんと言っても私と妹は年齢差が15もあるのだ。母の心配もわからなくはない。

■中1になると、すでに妹はかなり仕上がってた。好きなバンドジザメリグレイプバイン。好きな作家倉橋由美子多和田葉子。好きな映画監督クロード・シャブロルウディ・アレン

大丈夫か、妹よ。クラスのみんなと話は合うのか? 友達はいるのか?

■当時、実家に帰ると、妹はとりつかれたように本や映画音楽の話をしてきた。もはや私より詳しくなってた。子供の吸収力、おそるべし。

■中3に進級してすぐ、妹に危機が訪れた。不登校になってしまったのだ。またしても電話で母から伝えられた。理由は母にもわからなかった。

■結局、妹は1学期、最初の数日しか登校しなかった。そのまま夏休み突入

■ついでにいうと、当時は私もピンチだった。ろくに先のことも考えず、勢いで会社を辞めてしまったのだ。

■私は30才になろうとしてた。ちょうど妹の倍だ。倍なのに、やってることはそう変わらない。反省

無職不登校。最低な姉妹誕生。とりあえず何か記念が欲しいと思った。

不登校真っ盛りの妹をサマソニに誘ってみた。出演者ラインナップがかなり私好みだった。そして私好みということは、妹にとってもストライクなはず。

案の定、妹は私の誘いに飛びつき、前日に上京。私のアパート宿泊

■夜、私は妹と布団を並べて寝た。ついこないだまで赤ちゃんだったのに、もうあまり背丈が変わらない!

■お互いに心細い身の上だった。姉は無職で、半年先の家賃も危うい。妹は中3という大事な時期に不登校。泣ける....。

■にもかかわらず、2人でサマソニ!そのボンクラ加減がなんか笑えた。 何とかなるんじゃね?という謎の開き直り

■妹はフェスどころかライブ自体が初めてだった。しかも、いちばん好きなジザメリが出るのだ!

■当日、お昼前に会場入り。妹は、はしゃぐのを通り越して、なんだかずっと茫然としてた。「大丈夫疲れた?」と聞くと、「全然平気、なんか楽しすぎて....」と夢遊病者のようにつぶやく妹。最高!連れてきた甲斐ありまくり

■妹はジザメリが出てきた瞬間に泣き出し、ライブ中もずっと泣いて、帰りは放心状態だった。「人生いちばんしかった」というので「大げさ!」とつっこんだ。

■とりあえず、15才の妹に何か特別経験が刻まれたのを、姉はしっかりと見届けた!

■妹はそれから2日間、私の家に滞在した。一緒にとしまえんプールに行ったりした。

■妹は大いに楽しんで帰郷。そういえば、不登校の話とか、姉としてのアドバイスとか、一切しなかった。そもそも学校の話をしなかった。でも楽しんでたし、まあいいかとむりやり納得。

■2学期、妹が学校に通い出した!母が電話で泣きながら喜んでた。

■私もどうにか転職成功。そこで今の夫と出会う。ちなみに妹は私の夫をふざけてカスガさんと呼ぶ。オードリー春日に似てるからとのこと。夫は本気で嫌がってる。

■妹が大学に受かって上京。同じ年の夏に私が娘を出産

■娘かわいい

■でも、今度は自分母親可愛いだけじゃ済まなかった。めちゃくちゃ大変な日々だった。

■妹が赤ちゃんだった時、もっと色々と家の事を手伝うべきだったと本気で反省

■娘が4才になる頃まで、妹がまめにうちに来て育児の手伝いをしてくれてた。本当に助かった。感謝してもしきれない。

■そんな妹が、来月、結婚するんです!

2017-07-10

母へのわだかまり

保育園までの往復は母の自転車だった。母の後の幼児用シートで、手や足に風を浴びながら横を飛んでいく景色を見ているのは好きだった。ある日の朝までは。

その朝、いつもと同じように保育園に送られる途中、私の右手背中に突然、激痛が走った。それと同時に「うう」とも「ああ」とも違う、変な男の人の声が聞こえた。しばらく何が起きたかからなかったが、振り返ると知らないおじいさんがうずくまっているのが見え、子供ながらに自分の手がすれ違うときに、そのおじいさんのどこかにぶつかったのだと理解した。おじいさんを助けなきゃと母に知らせようとしたが、自転車は再び猛スピード保育園へ走り出していた。保育園に着いた後、母は何事も無かったように私を預けていった。

自分ものすごく悪いことをしてしまい、母はそれを隠そうとしてくれているのだと思った。おじいさんが死んだかもしれないと本気で恐ろしくなり、先生にも友達にも何も言えなかった。ずっと手と背中は痺れたままで、どうしたのかと聞かれたように思うが、理由は口が裂けても言えなかった。その日の帰り、母はいつもと変わらない様子で私を迎えに来たが、帰り道はその事件があったあたりで、道の反対側を母は走った。車道の両側に、それぞれガードレールで仕切られた歩道があり、その片側の歩道を行きも帰りも走っていたのだが、その日から母は反対側の歩道を走るようになった。私はますます、母が私の罪を無かったことにしようとしていると確信した。母がそんなに必死に隠さなければいけないほど、私は悪いことをしてしまったのだと思った。その場所を通るときはいつも、おじいさんがその場で死んでいるような気がして、恐怖に怯えながらも目で確認してはほっとするのが習慣になった。

その後ずっと、自分からも母からもその話はしていない。成長するにつれ、母は私を守ったのではなく、母自身を守ったのではないかという疑念が徐々に蓄積していった。私が母親立場なら、子供が怪我をしなかったか心配になるのではないかと疑うようになった。私が痛みでしばらく呆然としていた後に、振り返っておじいさんはそう遠くなかったので、たぶん母はいったん止まったか、少なくとも減速しておじいさんの様子は見ていたはずだった。思春期のころの私には、母の言葉は何もかもきれいごとで、自分の保身のために言っているように聞こえた。反抗期という感じではなかった。歯向かうことは少なかった。母をただただ信じられない人とみなし、言うことを聞いたふりをしながら内心ではその言葉をすべて冷たく疑っていた。不良にもならず普通大人になれたのは、逆に自分が正直に生きることによって、母を軽蔑したいという感情のおかげだったかもしれない。皮肉ものだ。

今でも右の肘には違和感がある。実際に後遺症があるのか、精神的にそう感じるだけなのか分からない。いつか母とあの事件の話をすることがあるだろうか。少なくとも屈託なく笑って話せる気はしない。

2017-07-09

から自立するときのための心構え

https://anond.hatelabo.jp/20170706214018

親に心底ウンザリしており、物理的にも精神的にも独立したいという前提で話をする(単なる反抗期受験ストレスかもしれない可能性はとりあえず棚にあげる)。

まず、誰が見ても自分が悪い、というのは間違い。物理法則でもないかぎり、正しさは自明ではない。それは家庭内ドメスティック流通する価値観に過ぎない。世の中の価値観は本当に多彩なので(世界宗教文化を漁ってみるとよい)、何が正しいかなんてはっきり確定することはできない。今感じている価値観迎合するかどうかは、あなた選択余地がある。たとえば「子供は親に似る」というのは、「ただし親の価値観を無批判に受け入れた場合には」という条件付きである

何が正しいかどうかや、精神論なんて、人それぞれの事情に左右される。にもかかわらず、事情を知らない人が、心無いアドバイスを投げてくることはこの先本当によくあることなので、いちいち間に受けないほうがよい。道徳は、一般的事情ではこうしなさいと言っているに過ぎないので、特殊な状況では、道徳むしろ邪魔になる。

いつ独立すべきかという問題について、高校生一人暮らしというのは非行少年でもなければ流石に聞いたことがない。残念ながら現実的ではないので、検討するだけ無駄だろう(寮はよくわからない)。よって高校で親元を離れることはできずツラい可能性があるが、全てを諦める必要はなく顔を合わせる機会を減らすといった工夫の余地がある(たとえば勉強理由にして頻繁に外出したり、時間のかかる部活をしたり)。やはり大学が大きな転機になるから、そこで綺麗に独立成功させるためにはどうすればよいのか、と考えるのがよさそう。高校が決まったあとにでも、じっくり作戦を考えてみるとよい。

DNAがどうこうとか、本当に吐き気がするのでやめてほしい。全部遺伝とか血で説明する各位に聞きたいんですが、両親が前科者だったら犯罪者DNAが入っているからもう終わりなんでしょうか。もちろん、遺伝性格が影響される要素も部分的にはあるが、経験的に、また様々な科学事実から自分の力で選び取れる余地がとても大きいことがわかる。

から脱出孤独作戦で、一般的に、親は敬うものだとされているので共感されにくい。これは仕方がない(毒親コミュニティみたいなのもネットにはあるが、傷を舐め合っているだけで、あまり建設的でない印象がある)。脱出は大変であるけれど、いくら理不尽でも、どうせ、自分人生責任は、自分でとるしかない。私の場合は、やっぱり脱出してよかったと思う。

2017-07-03

増田ブクマを稼ぐコツ

私はこれを祖母から教わった。祖母はその母から。曽祖母は、その母から

私の母は、祖母から教わらなかった。これは二人の関係性の問題だ。

から祖母は私へコツを教えた。半ば母の意向無視する形で。

から私は、母の前では増田投稿しなかった。あるいは、わざとブクマを稼げるような投稿から程遠い内容を書き込んだ。

そのままブクマ0、トラバ0で流れていくのを母に暗に示したこともあった。

一体いつから、我が一族増田投稿しているのだろう。

天保のころに文書燃えて、古い記録は一切失われたのだそうだ。祖母が言っていた。祖母は曽祖母から聴いたと言う。

私は、それがもしあっても、いつから増田投稿しているかはわからなかったのでは、と思っている。

あやふやな由来記しか書かれてなかったのではないか。失われたからこそ、色々と想像余地生まれる。

文の構成要素や、それを用いる順番(流れの様なもの)、投稿する時間帯や、呼応する(であろう)ファーストからサードブクマ家。

古い教えなので、五行説に基づいた緻密な理論がある。もちろん、五行説は譬えで使われているにすぎないのだが、昔の人はわかりやすい仕組みを考えたものだ、と感じる。

祖母が亡くなって19年経つ。亡くなるまで母とは不仲だったし、時を経るごとに離れて行ったように思う。

祖母の書く増田は、先祖から言い伝えを鮮やかかつ優美再現し文を編む。で、祖母はそこにちょっとだけ「乱れ」を含ませるという。

あえて五行を「乱す」のだ。五行あくまで譬えなので、揃えることがかならずしもブクマ稼ぎに直結しないのだと言う。

先祖からの教えに反することがらだ。

祖母はそういうのをあまり気にしなかった。母は、祖母のこうした気質が気に入らなかったのかもしれない。

五行」に基礎づき、しかしそれを「乱す」ような出来事があった場合祖母増田書き込み、そしてたくさんのブクマを稼いだ。

祖母実体験を増田に編むのに長けていた。実体験の中でも話が「乱れ」る話が得意だった。その方が読み手リアリティ想像性を伝えられる、とのことだった。

私は15歳の娘が増田に書いているのを見た。

最近木星人類がはじめて到達したことに関して、地球の通っている学校でどのような話をしたか(莫大な公費がつぎ込まれている)。

そうした内容で投稿された増田。「五行」は完璧だ。だが、伸びない。189ブクマ。平凡な結果だ。「五行」を満たしたのに。

最近反抗期を迎えた娘は、私を超えたいと思っているのだろう。

直接アドバイスすると彼女の気分を害するので、祖母との昔話の体で、「五行」を満たすだけでは嘘くさて、古い言葉で嘘松とか言われてしまう(たとえそれが実際にあった出来事でも)という話をした。

祖母そっくりになった私の母は、うらめしそうな顔でこのやり取りを見ている。遂に増田に書かなかった母。

母は増田の家に生まれたのに「乱れた」。

からすれば、増田永遠に書き続ける家の習わしを奇妙で「乱れた」ものと感じ、生を送ってきた。二つの要素は等距離で「乱れ」ている。

2017-06-28

日曜日

妻へ

驚くべきことが起きました!

から

デートに誘われたのです

7月2日、日曜に

横浜アリーナライブがあり

娘は本当は

友達と行くつもりだったそうですが

友達がどうしても行けなくなったので

代わりに僕を誘ったとのこと

でもまだ本決まりではありません

月末の金曜までに

誰か他の人が見つかれば

そっちと行くそうです

要するに僕は

最後の手段

ギリギリ

補欠要員です

僕は平静を装って

どちらでもかまわないよ

それじゃあ一応

日曜は空けておくよ

と言いました

しかし内心は

冷静なはずがありません

まさか娘が

僕をライブに誘うなんて!

そんなことは

一生無いと思ってました

娘が小5の時に

君が死んで

しばらくは父娘で

仲良くやってたつもりでしたが

やはり君がいなくなってから

家の中は

彩度明度が落ち

音楽

テレビの声も

シャカシャカと味けが無くなり

二人ではどうにもならなかった

カラ元気は余計に空しくなるので

気付けば僕は

無口になっていました

やがて娘は中学生になり

強烈な反抗期が訪れました

派手に暴れたりはしません

とにかく僕と

一秒でも口を聞くのが

嫌みたいでした

同じ家にいながら

娘は僕を見えないものとして扱い

僕もいつのまにか

それに慣れていました

娘は僕に対して

静かに怒っているようで

それはもしかしたら

君が死んで

数年後に

僕に新しい恋人

出来たことが

原因かもしれません

その恋人とは別れましたが

結局娘と会うことはなかった

娘はもう高二です

以前に比べれば

僕らの関係

ずいぶんましになりました

少なくとも

家の中で

挨拶ぐらいは交わすし

時々

バイト先のレストランから

お酒を貰ってきて

僕にくれたりしま

ごくたまに

一緒にテレビを眺める時間があり

同じタイミングで笑ったりもしま

しかし!それにしても!

今回のライブの誘いには

驚いています

まだ実感がわかず

フワフワしています

浮かれているわけではないですが

どうにも顔がにやけ

仕事になりません

それで僕は

得意先にアポを取りに行くふりをして

外出して

仕事さぼり

喫茶店に入り

こうして驚きを綴っているのです

日曜のライブ

君が大好きだったアーティストです

それは当然です

娘は君の影響で

そのアーティスト

ファンになったのですから

僕は独身時代

まだそのアーティストバンドだった頃

ライブを見たことがあります

大昔の話です

その時に誘ってくれたのが

君でした

素晴らしいライブだった

そういえば

娘にもそれを自慢した事がありました

妻へ

僕も娘も

何だかんだ楽しく生きてます

2017-06-20

奴隷との生活っていうちょっと前に流行ってエロシーンを集めたあと放置してたやつを今頃じっくりとテキストみてやってるんだけど、これは必ずエッチしないと先に進めないんだね。

できればシルヴィを娘のように大切に大切に育てたかった。

服を沢山買ってあげて、昼は喫茶店で好きなものを食べさせてあげて、戻ったらお茶をする。

そうやって、シルヴィにお父さんと呼んでもらって、シルヴィが年頃になったら反抗期があって、落ち着いてきた頃に、シルヴィは身体の傷を見ても理解してくれる町の好青年結婚

そのうちにシルヴィにも子どもができて、やがてしがない町医者も72歳で死の床につく。幸せだった。シルヴィが来てから自分には親も妻も血の繋がった娘も居ないが、家族としての幸せを思い出せさてくれたシルヴィに感謝をしながらシルヴィが見守る中息を引き取ろうとしている。

その時にたった一回の過ちでシルヴィとえっちしたことを思い出したら死ぬ死ねないだろ。

進めないんだ、このままじゃ。どうすればいいんだ、くそっ…。

2017-06-11

まさか私が…」突然の発覚から3年、絶望から這い上がった私の乳癌

40歳の節目。私は乳がんになった。

素朴だけど優しく私を愛してくれる夫と2児に恵まれ、幸せな人生を手に入れてそれなりに満足感のある日々だった。

幸せな日常を一瞬にして真っ暗な絶望に追いやった乳がんの発覚。

乳がんは罹る人も多い病気負担はあるけど、治療なんてさほど難しくないと思っていた。

でも全然カンタンではなかった。

家族、友人、そして自分自身多くの人を深く傷つけ、心身共に疲れ果て全てを失う寸前まで追い込まれた。

判断ミスもあり、軽度とは言えない状態までいってしまった私だが、良き出会い、周りの人の支えに助けられたことは幸運だった。

手術、抗がん剤治療を行い私は今、再発の不安は抱えながらも元の幸せな生活を取り戻すことができた。

今思えば、「知らないこと」が理由で失ったものが沢山あった。

もっと早く気づくことができれば・・・
「あの時あの治療選択していれば・・・
「友人家族もっと接するべきだった・・・

いろんな後悔が今も心に残っている。

こんな思いをする人を一人でも減らせたら。そう思って私の体験を伝えてみたくなった。

興味があったら読んでみて下さい。

ピンク東京タワー、突然の不安

ほんの些細なこと。

10月1日、夫と食事に出かけた帰りに見かけたピンク色にライトアップされた東京タワーだった。

私:「綺麗だねー。今日はなんでピンクなんだろうねー」

携帯検索をする夫。

夫:「今日ピンクリボンデーらしいよ。乳がん認知を上げる目的だって
私:「乳がんねー。」

その時は何も思わなかったが、少しだけ「乳がん」という言葉が頭をよぎった。

それから1ヶ月が経った頃、

朝、着替えの時に左の胸に固い感触を感じた。

???

違和感を感じ指でふれた。コロコロとした1cm程度の小さなしこりを感じた。

まさか。。。乳がん?」

ピンク色の東京タワーピンクリボン、その記憶が私にそう思わせたのかもしれない。

ただし、その日は家事に忙しいこともあり、夜にはしこりのことは忘れていた。

夜の入浴時にもう一度触ってみた。朝のしこりはもちろん、あと2個程度小さなしこりを指先に感じた。

大きな病気をしたことが無い私は些細なことでもすぐ心配になるタイプだった。不安かられ、髪も乾かさずインターネットで幾つかのサイトを調べた。

しこりがある=乳がんというわけではない。40歳未満の場合は良性のしこりの方が多いらしく乳腺線維腺腫の可能性が高いと書いてあった。

人間不安ときは都合のいい方の考えに飛びついてしまものだ。

私は、

「なんだ大丈夫だ。良かったー」

と勝手に安心し、「こんなものはそのうち消えてなくなる」なんて、根拠もない解釈をしながら、眠りについた。

翌朝、しこりは消えていない。やはり気になる。「もしかしたら」が再び頭をよぎる。

考えないように過ごそうと思ったが、家事が何も手につかない。

今まで感じたことの無いものが私の胸に存在している。その事実から目をそむけることができなくなっていた。

一刻も早く安心したい。その一心で私は病院を探し始めた。乳がん検査してくれるのはどこか?今まで考えたこともなかったか検討がつかない。

よくわからないが、とにかく近くの産婦人科に行ってみることにした。

サイズも小さいし、しこりも動くから問題はないと思いますよ」

そういって若い女性医師は近所の外科への紹介状を書いてくれた。

その翌日は外科の診断へ。私は一日がかりで色々な検診が行われることを想像したが、触診だけだった。

診断は

「乳腺線維腺腫」

違和感があった日に確認した見解と一致していたため、その診断を疑うこともせず飛びついてしまった私がいた。

乳腺線維腺腫は放っておけば3ヶ月程度でしこりはなくなってくるとのことだった。私は安心して、日常生活に戻った。

大丈夫でしょう」という自分安易判断と、夫に相談せず自分で納得してしまったことがあんなことを引き起こすなんてこのときは思いもしなかった。

大いなる油断、取り返しのつかないミス

それから2年、私はしこりことなどすっかり忘れて平穏な生活を続けていた。

日々の家事、娘息子の世話、当たり前のことを当たり前にこなす。傍からみれば退屈かもしれないけど、愛のある満たされた毎日

その日もいつもと何一つ変わらない一日だった。

しかし、その夜、全てが一変する出来事が起こった。

夫と同じベッドで寝ていると、寝返りをうった夫の手が私の胸に当たった。すると夫が「え?硬っ!」驚いた様子で声を上げた。

暫く自分の胸に意識が向いていなかった私は自分の胸を触り、全身から血の気が引き、突然得も言われぬ恐怖感が襲ってきた。

しこりが大きくなっている。。。」

私がもらした一言を聞いた夫の青ざめた顔が今でも印象に残っている。

夫はすぐに「明日会社を休むから、一緒に病院に行こう」と言ってくれた。

とにかく早くということもあったが、2年前にいった病院は割けるため、隣町の女性クリニックへ診断に行った。すると「確かにしこりがありますね。技師が3日後に来るのでエコー取りましょうか」

との回答。

しかし、今すぐにどうなっているか知りたい。不安が募りの募った私達夫婦は待つことができなかった。

乳がん専門医でなくてはわからないのでは?」と夫の意見採用し、インターネットで調べ最も近くにあった乳腺外科のある病院へ行った。

大学病院では当日は難しいため個人病院だった。

まずは触診。先生の無表情さが不安掻き立てる。その後針生検へ。これは正直かなりの痛みがあり、辛かった。

終了後、先生は「結果は一週間ほどで出ます検査結果によっては大きい病院を紹介する形になります。」と。

もはや1週間を待てる心理状態ではなかった。一刻もはやく白黒を知りたい。先生にお願いをして大学病院への紹介をすぐにもらった。

幸いにも大学病院ではすぐに乳腺外科の診断ができた。

視触診
マンモグラフィー
乳腺エコー
CT
血液検査
マントーム生検

これらの検査を一気に検査を行うことができた。これで自分乳がんなのかそうではないのか、ハッキリと分かる安心感はあった。

「これらの検査結果は来週に」と先生。

この一週間は今まで感じたことのない長さだった。

死への恐怖心
来ることが当たり前に思っていた未来が来ないかもしれない喪失感
気を使わせてしまっている夫、子どもたちへの罪悪感
不安なく健康暮らしている人たちへ理不尽嫉妬心
色々な感情が目まぐるしく移り変わり心身ともに疲弊していた。

加えて、2年前、なぜしこりが気になった時点でもっと詳しく調べなかったのか、夫に相談しなかったのか、激しい後悔にも襲われた。

神さまはいないのか・・・

疲れ切った私たちにやってきた結果は優しいものではなかった。

「左胸に3cmの悪性腫瘍。99%の確率乳がん

診断結果を聞かされた瞬間、私は頭が真っ白になった。

先生が言っている言葉は聞こえるが頭に入ってこない。隣の夫も呆然としていた。同じ状態だったのだろう。

何も考えられない、何も声発せない状態が3分は続いただろうか。

我を取り戻した私は、

「どうすれば治りますか」と先生に聞いていた。

結論は手術。

私は家族と一日でも長く幸せにくらしたい。その思いが人生の最優先だと強く認識した。

女性として葛藤もなかったと言えば嘘になるが、全摘選択した。

その日から長い闘病生活が始まった。

入院の前に待っているもの

医師から告知を受けると今度は身内や親しい人に話をする必要が出てくる。

まずは娘と息子に12歳の娘、10歳の息子。

ともに私が大変な状況にあることは理解してくれたようで、神妙な顔つきをしていた。こんな状況だが「泣いたり喚いたりせず立派だな」と成長を感じ少し嬉しい気持ちもあった。

次に両親へ説明をした。福岡に住んでいるのでまずは電話で話をした。母が出た。

母とは昔から何でも話し合える仲だ。あまり回りくどく説明しても仕方がないと思い、率直に「乳がんになった。手術をする」と伝えた。

母は言葉を失い、暫く無言が続いたあと母自身を責めた。

「ごめんね・・・、ごめんね・・・、ごめんね・・・

と私に声をつまらせながら何度も何度も謝った。

親の前ではやはり自分子供に還るのだろうか、今まで必死に堪えていた恐怖心や悔しさ、絶望感があふれ、私も涙が止まらなくなった。

でも悲しみのスパイラルに入るわけにはいかない。

絶対に治すから

できるだけ不安を与えないように力を込めてシンプルに伝えた。

友人関係の難しさ、心無い一言、ひび割れ関係

仲の良い友人にも伝えておく必要があると私は考えた。

私のこの考えは安易だったのだろう、結果闘病前に友人関係で心のダメージを負うことになった。

仲が良いと思っていた主婦仲間、ママ友に告知をすると

「大変ね~、大丈夫??本当に心配だわ」

という反応。

「え?それだけ?」

特に親身になって欲しいとかそういうわけじゃない。何が欲しいのかもわからないけど、何か嫌だ。そんなダダっ子みたいな自分も嫌になった。

更に追い打ちを掛けたのは「親友」だった。

中学校からの友人、由美とは今でも週に一度は会う仲で、何でも話せる間柄。

私と由美はまるで姉妹のように、同じような進路を辿り、同じようなレベル男性結婚し、同じように幸せな家庭を育んでいった。

から進路の話、異性の話、結婚してからはお互いの家庭の話、旦那愚痴家族ぐるみでも付き合える最高の友人だった。

由美になら何でも話せる。親兄弟よりも私の気持ちをわかって親身に寄り添ってくれるそんな勝手な期待をしてしまったのだろう。

由美にも率直に

乳がんになった。これから長い治療に入る。手術は正直こわいけど頑張る」

と伝えた。

ただ、由美にだけは同じ女性、同世代ゆえに全摘によって片胸が失われることに関しての悲しさがあるという話をした。

するとA子は

「なにも腕や足がなくなるわけじゃないんだから胸くらい良いじゃない。」

と言い放った。

彼女は明るい性格だ。彼女なりに私を励まそうとしたのかもしれない。

死を意識する日々、あまりに多くのものを失っていく毎日、私があらゆるものに敏感になりすぎていたのかもしれない。

ただ、この一言はどうしても受け入れることができなかった。

私が置かれていた状況は私の平常心を奪っていたんだろう。滅多に感情的になることがなかった私が怒りを抑えきれず、由美に対して激しい言葉をぶつけてしまった。

これまで長年にわたり育んできた暖かな友情に大きなヒビが入ってしまった。乳がんはまた一つ私から大切なものを奪ってしまった。

遂に手術

家族不安、両親の涙、友人との離別、多くのネガティブ感情を抱えながら私は手術に挑む。

スケジュールが出た。

手術は診断結果が出た日から20日後に決定。全摘選択したために術前の化学療法はなし。

手術2日前から入院となった。前日から食事も取れない。当日は朝から各種検査を行い以異常がなければ全身麻酔をして手術開始。目を覚ませば手術が終わっている。

手術は予定よりも2時間遅れて終了。遅れた理由リンパ節への転移が見られたから。麻酔が切れて朦朧とした中で、病室で夫がずっと手を握ってくれていたことは記憶の中にうっすらと残っている。

乳がんが発覚し自分の信じていた世界が全て崩れてしまったと思っていた。

でも夫だけはどんな状態の私も暖かく包んでくれていた。こんな時だからこそ夫の愛情を強く感じることができた。手術が終わった安堵感と、愛を感じられたことによる充足感か、そのまま深い眠りに就いた。

翌朝の目覚めは心地よかった。起きたら包帯でぐるぐる巻きだ。まあ夢ではない。現実だ。左のおっぱいないよなー。と思って触ってみるとやはり・・・ない。

わかっていたけど、現実を突きつけられると涙がこぼれた。

術後に体内にたまるリンパ液や血液を出すためのドレーン管が二本入ってたが。ここから液がでなくなれば退院だ。

7日後、遂に退院が出来た。退院時の値段は50万円だった。私はがん保険には入っていなかったので正直この金額は厳しいものがあった。備えあれば憂い無し。

そんな言葉が頭をよぎったが、今は無事に退院ができたことの喜びの方が勝っていた。

抗がん剤治療・・・これから始まる本当の治療

左の胸がなくなってしまったことへの喪失感はあった。お風呂に入るときなど自分身体から目を背けたくなる時期もあった。

でも、疑似おっぱいの性能が以外と良く、服の上からでは見た目にわからない状態になった。そこからはだいぶ気分が楽になった。

気分は元に戻ってきたが、治療はまだ終わりではない、手術から30日経過した時点で今度は抗癌剤治療が始まった。

期間は3週間を1クールとして、8クール複数抗がん剤を組み合わせての実施

抗癌剤治療と言えば、ドラマでも度々その様子が描かれる。そのためわずかに恐怖心があった。でも生きるため。

ここでも家族存在が私の心を強く支えてくれた。

抗がん剤治療想像していたよりはキツくはなかった。最初の一週間は特に異変もなかったけど、8日目辺りから吐き気貧血が出始めた。割りと調子が良くなってきた17日後に遂に髪の毛は完全に抜けてしまった。「あー、やっぱこうなるのねー」と思った。

覚悟は出来ていたので、思っていたよりはショックは少なかった。

クール目は特に問題なく過ごすことができた。まあ抗がん剤の点滴の際は気が重いくらいかな。

クール目に入る前にはかなり抜け落ちてきた髪が目立つので、ウィッグを買いに行った。季節をまたいでの治療なので冬用と夏用を両方買った。

それにしてもケアグッズも高い。

まり大きな声で言う人はいないと思うが、乳がん治療以外にかかる金銭負担も大きい。

クール目に差し掛かる頃には髪の毛は全て抜け落ちた。髪だけでなくまつげ、眉毛、体毛全てが抜け落ちた。顔色も悪く自分を鏡で見るのがちょっときつくなった。

いつも看病してくれる。夫も私の姿をみてどう思っているのかな。。。と少し気になる時期だった。

こうして、長かった化学療法も遂に8週で無事に終わりを迎えることができた。もう吐き気に悩まされることもないと思うとかなり気が楽になった。

楽しい時期は2ヶ月なんてあっという間だが、治療となると1年間のような長さに感じる。

抜け落ちた髪も徐々に生えてきて、昔に戻れるのかな-と淡い期待を抱かせてくれた。

化学療法を無事に終えた私は最後治療放射線治療に入ることになる。

永遠に続くと思われた治療・・・遂に・・・

放射線治療は、全部で30回。毎日通院が必要で、一ヶ月半ほど平日は病院通いが必要になった。経済的負担も引き続き大きかったが、仕事の調整をして一緒に通院してくれた夫に負担をかけているという罪悪感も多くあった。

放射線治療にも副作用がある。軽い火傷のような症状だ。熱い、かゆい、痛い。放射線を当てている患部は赤黒くなってしまい、見るからに痛々しい感じだ。

ただ化学療法と違い体外的な副作用しかなかったので、辛さで言えば全然問題なかった。

手術をしてから半年が過ぎて、ようやく私の乳がん治療は全て終了した。

毎日毎日通った病院乳がん発見してもらった病院にそのままお世話になって本当に良かったと思う。

検査ときは無表情で怖かった先生も病に真剣に向き合って時には優しく、時にはハッキリと私が不安にならないように、また過剰な期待を抱かないように上手に説明をしてくれた。

この先生に出会えたことは私の幸運だったと思う。

お陰で私は現実と向き合い、治療目的を正確に理解しながら集中して治療を受けることができた。先生本当にありがとう

「これでがんは完治」

そう言えればどれだけ幸せだろうか。

がんとの戦いはここからが始まりといってもいいかもしれない。

一般的ながんは5年再発しなければ完治と呼ばれるが、乳がんは10年後20年後も再発の恐れがあるために、ほぼ一生に渡って再発の恐怖との戦いになる。

「一生がんに怯えて生きていく」

こんな人生を送ることはまっぴらごめんだ。

「がんをうまく扱って生きていく。」

家族献身的な支え。そして我慢我慢を重ねた闘病生活

そのなかで私の心は強くなっていた。がんを再発させないように生活改善していけばいいじゃないか。そうポジティブに捉えることができるようになっていた。

最初からこの心があればなぁと今では思うけど、

乳がんによって手に入れられたこともあるのかなと思うと、最悪なことばかりではないかと思った。

がんで失ったものを取り戻す旅

手術が終わって一年が経った。本当に激動の一年だった。

今の私の生活はどうなっているか

幸いといっていいかな。見た目以外は正直、乳がんが発覚する前とあまり変わらない状態だ。

リンパ節を取った左手は、日常生活にはなにも支障はない。

抗がん剤副作用だった爪の異常や関節の痛みも治まった。

ただ髪の毛はやはりなかなか生えてこずまだ5cmほどしかない。出かける時、来客のとき帽子を被るようにしている。

左胸がないことにはさすがにもう慣れてしまった。残念に思うのは大好きだった温泉に行きたくなくなっちゃったことかな。

胸のコンプレックスが薄くなった今なら親友言葉も笑った受け流すことができたのになーと思うと少し心が痛む。

変わった事と言えば、食生活生活習慣が改善したこと。

以前は特にお肉が大好きでカロリーは紀にしながらも好きなものを食べていたけれど、今は野菜を中心とした食事抗酸化作用の高い食品をメインにしている。

そのおかげもあってか、再発は今のところなく、検査結果も良好。適度な通院も生活リズムを整える意味で意外と気に入っている。

家族との結束は乳がんによって以前より固まった気がする。長女は14歳になったが私の身体を察してか、家事積極的に手伝ってくれるし、反抗期の気配もない。12歳になった長男もだいぶ私を労って自分のことを自分でやるようになった。時々一緒にお風呂に入るが胸のことには触れてこない。なかなか優しいやつだ。モテる男になるかも。

夫は病気の前から優しい人ではあったが以前に比べて、私を心の底からいたわってくれている。先週末、酔って帰ってきた時に話していたが、乳がん告知の際、私を失うかもしれないと思った時に本当の愛が溢れてきたそうだ。

先日からかったら、覚えていないと本人は言うが、どうだかは知らない。

親友との関係は残念ながらまだ修復には至っていない。先日スーパーで顔を合わせたが会釈程度で終わってしまった。今の精神状態なら素直に私から謝ることができる。彼女との関係修復は今の私の一番の課題だ。

こんな感じで意外と悪くない日常を過ごすことができている。

「私から全てを奪った乳がん

手術前後治療中は頭の中にはこの考えしかなかった。

でも、今こうして、振り返ると悪くないことも多いなと思うに至った。

あなたには絶対に「この後悔」はしてほしくない

どうしても後悔はある。それが今回私が体験談を語ろうと思った理由。いまでも本当に後悔していることは一つ。

乳がん発覚の2年前、最初に気になった時点で乳がん早期発見の機会を逃したこと。

もしここで、私の治療をしてくれた大学病院までたどり着くことができていたら・・・

早期発見というくくりの治療となり切除も再発のリスク存在しない状態治療が終わっていたと思う。

親友との離別も家族への過度な負担。これらも起こることはなかっただろう。

私の弱さゆえの判断ミス。これに尽きる。

10月1日ピンク色に染まった東京タワーを見た時にもっと深く乳がん自分ごととして考えられていればな-なんてことまで思ってしまう。

乳がん女性の12人に1人がなる病気と言われている。確率は高い。あなたもなる可能性が十分にある。正直発生自体を防ぐことは生活習慣などにもよるし、生活習慣を気をつけていても病気はいつ襲ってくるかわからない。

2017-06-06

母がしんどいみたいな話

毒親ディスるバズると聞いたので、くだらない承認欲求のために親を売ります

私は大学四年生

一般的にはやや高学歴大学に通っています

就活は進捗ダメです

母は専業主婦

田舎の裕福な家で箱入り娘として育てられ、短大卒業後、親のコネ就職

3年くらいで父親社内結婚寿退社

すぐに妊娠出産

という、日本女性ロールモデル典型のような人生を送っています

母は過保護干渉なきらいはあるものの、ここまで私を精一杯育ててくれたと思っています

ただ、どうにかしてほしいのは、宗教に入れ込んでいる点です

一応カルトとかではなくお金を騙し取られたりとかはありませんが、時間精神支配されているように見えます

母は、毎日座談会やら講演会やらの勧誘のためにお宅訪問したり電話したりと大忙しです

そしてもちろんですが、家族の私にも勧誘の手は迫ります

家でテレビを見ているとき、ご飯を食べているとき勉強しているとき。母は隙を伺って座談会やら講演会やらを勧誘しま

ねえねえ、座談会があるんだけど…

増田にもタメになると思うから

お母さんも若いとき助けてもらったのよ

洋服でも買ってあげるから

親孝行だと思って、ね?

何よその態度、可愛くないわね!

そんなんだと社会人としてやっていけないわよ!

増田、何でお母さんの言うこと聞いてくれないの?

お母さんのこと、嫌い?

母は、あの手この手を使って勧誘してきます

時には、私の人格否定のようになることも少なくありません

私自身も、どうしてそこまで母の勧誘に応じたくないのか今一つはっきりしないのですが、娘の私を必死勧誘する母親嫌悪感があります

父も、母の宗教否定的ではあるものの、自分を巻き込まない範囲では許しています

私も、同じスタンスでいたいのですが、母は母という立場行使して、私を支配しようとしま

また、私も、娘である以上、母を傷つけたくない、母に嫌われたくないという思いもあり、強く否定もできません

おそらく私の自立のためには、一度母にマジギレでもして、強制的に親離れ子離れするのが良いんだと思いますが、私が母を拒否たらこの人どうなっちゃうんだろう…なんて思ってしまます

まあたぶん別に思ってるほどダメージないだろうけど

ブチギレるのは良心が痛むので、就職を気に家を出て母と物理的に距離を置こうと画策しています

書きながら心を整理してて思いましたが、宗教ってのはきっかけに過ぎなくて、問題は親からの自立ですね

遅れてきた反抗期かな

さっさと母親との共依存状態から抜け出して大人になろう

2017-06-04

大学に入って二年。なんだかとってもつらい。

 二年前、大学に入ったばかりのころが懐かしい。入学したとき田舎とは違うなにもかもに驚いた。人の数が多くて、夜中までそこらじゅう明かりがついていて、ネットで話題になった店には電車一本でいける。当時の僕は起業漠然とした憧れを抱いていて、渋谷でよく分からんなりに勉強会とかMeetupに参加した。大学講義が終わった後は、高校の頃から疑問に思っていたことや、講義で納得いかないところを教授にぶつけて議論をして、好奇心の赴くまま、成長を求めて邁進していた。大学には思ったよりまじめな人がいなくて、みんなどうやって楽に単位と点数を得るのかとか、家系ラーメンTwitterの話ばかりしていてびっくりしたけど、そういう人々とも楽しくやっていた。なんだかやけにキラキラとしていて、これが大学生活というものかと思った。一方で都会と田舎格差を感じていたので、絶対ここでチャンスをつかんでやる、勉強するぞと意気込んでいた。

 そしたら、キャパオーバーして小さいころかかった病気が再発してしまった。

 ずいぶん昔に何年かかけて完治したのでもう大丈夫だと思って油断していた。きっと原因は、不規則生活とひどい食生活のせいと思う。当時は前のめり過ぎて寝てなかった。それでも、案外治療がうまくいって秋ごろからまた大学に通えそうなレベル回復した。

 秋から大学に戻ったとき、周りの景色全然違っていたのを覚えている。なんだか周りの大学生自分より数段先を行っているような、もう自分が取り戻せないくらいの、どうがんばっても追いつけない差を感じた。それは、僕が夏学期のテストに出られず、追試期間も治療に専念していて、単位の差ができていたからかもしれないし、固まってきたクラスグループになじめなかったせいかもしれない。久々に会った知り合いにどう声をかけたらいいかもわからなくて、だんだんキャンパスで人ごみにまぎれて歩くのが息苦しくなって、講義に出るだけで精一杯になって、思考だんだん余裕を失っていった。ホームで帰りの電車を待つ間、なんだかどうしようもなく逃げたい気持ちになった。そして、ついに大学に行けなくなった。

 何か月も家にこもっていた。たまに夜中に目が覚めて無性に外に出たくなるので、そのときはチャンスと思ってコンビニに行って食料と水を確保した。親からの連絡も全部無視して、同級生高校友達からLINESNSも全部無視して、とにかく一人で、ずっと寝ていた。ほんとうにつらいとき自分は誰もいない薄暗がりの中でしか動けなくなってしまうんだなと思った。とにかく、意識があるときは常に死にたいと思っていて、その気持ちが強いほど空がやけにきれいに見えて、とにかく夕焼けが美しくて、雨粒がきれいで、あぁほんとうに世界がきれいだ、僕は死ぬのか、みたいなことをずっと考えていた。

 翌年の四月になって、もう一度通おうと思った。時間自分回復させてくれたのもあったし、もう一度チャレンジしてみようと思っていた。でも、大学事務書類を提出しにいったとき、少しきつい対応をされて、ぎりぎりのいっぱいいっぱいで大学にたどり着いた僕は、もうそこで、また、つぶれてしまった。

 それから二か月後、去年6月に、精神科を受けた。一か月ほど前に、外へ体を慣らそうと思って電車に乗ったところで強烈な吐き気を感じて倒れて病院に運ばれたが、精密検査をしてもらってもなにも異常がなく、精神科を勧められたからだ。そこで症状を話して薬をもらったが、どうも先生性格が合わず精神科に行くこと自体苦痛になってしまい、薬を飲んでないけど飲んでると嘘をつくようになり、それから3か月ほどたって、精神科に通うのをやめた。もちろん大学にも通えず、一週間に一度外に出られるレベルの低空飛行を維持していた。親は精神科とか精神病気にあまりいい反応を示さない感じだったので、自分のつらさとか、不安が話せなかった。高校とき友達だんだんそれぞれの忙しさに巻き込まれていくのを見て、自分不安を上乗せしちゃうのはよくないなって思って、なんだか頼れなかった。結局、それは自分がただ人に甘えることができないだけなんだってことは、後から気づくんだけど。

 今年の一月になって、僕は自分の体調・精神管理する方法を思いついた。それは、日々考えたことと体調をすべて記録して、その記録からよくないときはどうしたらよくなるか、どのくらいの期間でよくなるのか、自分はなんの音楽テンションが上がるのか、なんの食べ物テンションが上がるのか、そしてそれらはどのくらい持続するのか、かなり細かく症状別に対策をたてる、というものプログラミングちょっと勉強したおかげで、これらの記録を入力して分析やすい形にする、調べやすくするといった工夫ができるようになったのが大きかった。まぁなんというか、今まではまったパターンはきっちり学習して調べ上げて次来たら潰しましょうということで、言ってみれば当たり前なんだけど今までそれができてなかった。

 これが案外うまくいって、洗濯や茶碗洗いをためずにできるようになり、毎日外に出ても気分が悪くなったり体がだるくなったりすることもなくなり、電車に乗っても吐き気はせず、春休み大学キャンパスを歩いても、それほどつらく感じなくなっていった。

 そして今年四月、僕は三度目の1年生になり、自分なりの体調・精神管理方法を投入して講義に通い始めた。途中から大学医療機関と心療相談所も利用して、薬と対話によるものを並行して取り入れている。躁鬱混合判断され、確かに今までのを見ると春ごろに無限にやる気が湧く躁が来て、夏から秋にかけて鬱に転落というパターンが多い。躁のときブレーキをかける、鬱のときは下がりすぎないように薬を投入する。精神科先生となんだか気が合って心理的安全性を築けて、この人に任せよう、と思えた。心療相談所でははじめ性格が合わなかったが、去年精神科先生とうまくいかず失敗した経験から、まず心理的安全性を築くことだけを目標に話を続けていたら最近しづつ話せるようになってきた。ここではカウンセリングを受けながら、認知行動療法を学んでいる。

 そして4月は出席率が90パーセントを超えた。これはほんとにうれしかった。がんばればなんとかなる、今までもほんとにつらかった、大学に行かずゴミみたいな生活してるくせに気持ちはぜんっぜん晴れなくてとにかく苦しさでいっぱいだったけど、ここを回していけば光が見える、と思った。

 そして今、5月中頃から精神的にどうしてもつらくなってしまって、また大学に通えなくなってしまった。今回の鬱はとにかくズドンと来て、一気に外に出られなくなって、しかも一週間あまりごはんが喉を通らなかった。それからしづ回復して、今は普通にご飯が食べられるようになった。ようやく先日先生からももらえて、少しづつ安定してきている。僕が積み上げてきた体調精神管理方法も、さすがに一気になにもできなくなるレベルに突き落とされることは想定しておらず無力だった。でも、これでまたひとつ学習したので、次は負けない。来週、講義に一回でも行けたら自分の勝ち、と思っている。また一からだけど、積み上げよう。

 親からお金もらって、環境も与えられて、自分の望む大学自分学力で入って、一般的に見て自分はきっと幸せなんだろうな、と思う。特に、親にはほんとうに申し訳ない気持ちでいっぱいである。その申し訳なさと、そろそろ自分反抗期が終わってきたのと、愚痴を吐き出すのは精神的によいことだ、という気づきから最近週に一回田舎にいる親とSkypeをしている。ぬいぐるみウェブカメラにぐいぐい押しつけて「あー俺は同級生SNS就活関連の意識高い系発言してるのとか、遊びに行ったとかの楽しそうな写真とか見てほんとうらやましいんだチクショウ、あと彼女ほしい」などととりとめもない話をする僕に「なんか自分のかっこ悪いところも話してくれるようになって嬉しい」と返してくれる親はほんとうに優しくて、高校のころは言えなかった感謝ストレートに言えるようになって、そこは少しだけ成長したのかもしれない。親って案外話してみるもんなんだなと思う。

 でも、こんな夜はときどきつらくなる。自分は死にたくないけど、衝動的に思考が狭まり死にたくなることはよくある。それがより強くなるとやっぱり周りの景色がきれいに見えるようになる。少し恐怖を感じる。自分思考が当てにならないことに悲しくなる。そもそも今の悲しみも躁鬱の波によるものなのかも、と思う。よく分からない。ほんとうによく分からない曖昧ものの中で生きていて、これから自分がどこへ行きたいかもよく分からず、その行き場所を探そうにも体力がない。優先順位はよく分かっている。精神回復させ、生活を回し、運動を投入し、筋トレに入って自分に少し自信がついたところで、自分の好きなことを片っ端から試して、好きなことと向いていることを探す。それが分かっていても、そこに至るまでの膨大な試行錯誤を予感してしまう。なんだかこんな夜はとってもつらくって仕方なくて、とりとめもなく書き込んでみたくなった。もし読んでくれる人がいたなら嬉しいな。ありがとう

2017-05-14

俺はマザコンなんだけど

母の日だし書かせてほしい。

最初に断っておくと性的な目では一切みてない。そういうマザコンじゃない。第一俺はホモだ(人生カミングアウトだ。すっきり)

母が大好きだ。ご飯は美味しいし、一緒にいて苦じゃないし、育ててくれた感謝もある(もちろん父も尊敬している。でも母に比べればまあちょっとね。ごめんね、父さん)

近くにいるとちょっかいを出してしまう。突っついたりベタベタしたり…母は嫌がる。それはもう邪険にされる。でも止められない。

から見て相当気味が悪いと思う。もうすぐ27になろうかという男がこの調子ではバレたら友達を全員なくすことうけあいである(余談だが恋人はもちろんいない。年齢イコール、ってやつだ。親を安心させるためにも彼女が欲しいがこんな動機からかできやしない)

そもそも俺の持論では男はみんなマザコンである。ただし毒親持ちは除く。自分異端なのが嫌なだけなんだけども。みんな親離れどうしてるんだ?仲間が沢山いるっていってくれよ!!お前らの母の自慢をしよう!俺もする!

ちなみに俺は転勤が多いのでここ数年は年に何回かしか実家に帰れなかった。今は多少近くなったから月一以上のペースで母に会えて嬉しい。

母か自分死ぬまであと何回会える?何回ご飯が食べられる?と考えるといてもたってもいられない。

直母死ぬことを考えると非常にしんどい。乗りきれる気がしない。

とりあえず感謝の印として鉢花をあげた。母はカーネーションがそんなに好きじゃないからこういうときは困る。別の花をあげたが喜んでくれてよかった。来年もっと立派に咲かせると息巻いている。別に枯らしてもまた買うよ。

唯一働いててよかった、と思うのは母にプレゼントをあげられることかもしれない。ご飯食べに行ったり、お取り寄せ送ったり、花あげたり…学生ときはできなかったからね

ふう…そんなこんなで親離れをしようと思う。反抗期のようにうっせーババア!とか喚いていればそのうちマザコンは治るのだろうか。っていうかそんな治療はいやだ。

平均的な、周りから見て許される親子関係ってどんなだろうか。二人でランチやディナーは変?そもそも体に触れちゃいけないのか?嘘だろ見栄貼ってるんだろみんな…

他人の親子関係を知りたい。

追記

自然に離れるものなのか…

ってオナニー関係なくない…?オナニーするときに母の顔でも浮かぶのか…?可哀想

あと妄想ゲイってすげー言葉だな

2017-05-09

子供を「反抗期扱い」するのやめませんか?

結婚して数年

もうすぐ子供が生まれ

からなのか子供の頃のことをよく思い返す

なかでも頻繁に思い出してしまうのが

周囲の大人から反抗期」という言葉を使ってからかわれ続けたこと

あれは本当に不愉快しょうがなかったので

自分大人になっても絶対に「反抗期」という言葉子供に使わないと誓った

反抗期って言われるのことの何が嫌だったかって言うと

なんでもかんでも「反抗期から」みたいな感じで片付けられたこと

例えば本気で怒っていても「はいはい反抗期ね」って言われるあの感じ

半笑いでまともに取り合われないあの空気

怒っていなくても大人意見するたびに反抗期と言われたし

反抗期という言葉を使わないでくれと言っても余計にからかわれた

こっちがムキになればなるほど「反抗期扱い」されてからかわれる毎日

見事な負の連鎖

今となってはドツボにはまる様子も冷静に振り返ることができるけど

当時は負の連鎖爆発でそれどころじゃなかった

でもあんなのはイジメと同じだよ

大人達は軽い気持ちで言ってたのかもしれないけど

「こっちは真剣なのに!なんで真面目に聞いてくれんのだ!」と思っていたし

人間扱いじゃなくて反抗期という名前の生き物扱いみたいなのも腹が立った

というか元々の怒りに「反抗期扱い」への怒りも上乗せされて

火に油を注ぐように余計に怒りが燃え上がってしまうことを分かってほしかった

という理屈の他にもうひとつ大事なことがあって

それは馬鹿にされてなんかムカついたという事実

この「なんかムカついた」という部分も大事な側面だと今は思う

理屈っぽい話だけだと何かとその理屈の部分に話が終止してしまうけど

もっと目の前の子供の感情面にも目を向けてほしい

大人になるに連れて理屈で考えることは多くなっていったけど

昔はもっとそうじゃないことのほうが多かった気がするから

あと反抗期を別の言葉に置き換えたらどうなるかも考えてみてほしい

例えば生理更年期障害といった言葉に置き換えたとしたら

「なに怒ってんだ?これだから生理のヤツは・・・

「そんなにイライラしてお前もついに更年期か!ハハハハハ!」

怒っている女性を見るたびにこんなこと言う人間がいたら

それはもうハラスメント以外の何物でもないし

余計に相手の怒りを買うことは間違いないだろう

それにもし公の場でこの類のことを言ったら吊るし上げられる時代だと思う

フランク・アンダーウッド死ね

別に生理更年期障害っていう言葉じゃなくてもいい

特定性別人種宗教出身地国籍等に置き換えても

似たような感じでからかうことは可能だろうし

そういう「からかい」はやっぱり問題視されると思う

でも反抗期思春期という言葉を使ったかかいは別物扱いというか

こと子供の扱いとなるとどうにも軽んじられてしまう気がするというか

そこら辺のことに無自覚な人はまだまだ多いんじゃないかっていうね

そこには子供の頃からすごく違和感を覚えていた

あとテレビとかラジオの子育て相談コーナーに寄せられる

「うちの子思春期反抗期なもんだから困ってて・・・

みたいな相談当事者不在感もすごかったというか

結局なんか大人だけの世界観で完結してるのも違和感があった

から大人になったらちゃんとそのことを周りに伝えようと思ってたんだけど

つい最近まですっかり忘れていたという体たらく

でもそれじゃいかんということで

かつての記憶を掘り返してちゃんと文章に残しておこうと思った次第

過去自分のためでもあるけど未来自分への戒めも込めている

それにしても子供気持ちを完全に忘れてしまう前でほんとに良かったと思う

とりあえず未来自分に言いたいのはこの三つ

子供反抗期という言葉を使うな!

子供からという理由子供意見を軽んじるな!

子供に過剰に干渉するな!

追記

dgen そういった「決め付け」は自分認識していないところでたくさんあると思うよ。

本当にそう思います最近、初めて日本に来たという某国の方と交流する機会があったんですけど、こちらの中にもあちらの中にもお互いの国に対する無意識の「決めつけ」というか、どエライ勘違いがたくさんあったことを知ってお互いにビックリしたんですね。最初はなんでこうも食い違うんだろうと思ったんですけど、結局のところお互いがお互いの国のことをよく知らず、今まで「決めつけ」を訂正してくれる人もいなかった事が大きいんだろうなと思ったんです。世の中にはハッキリ言われなきゃ認識すらできない事柄や間違いがたくさんあるぞと。そういうこともあって今回ハッキリ声を上げてみようと思った次第です。

watatane まだ反抗期が終わってない人、ついに親になる。

我ながらちょっと臭いことを書いているなという自覚はあったので、こういった指摘が来るかもしれないと思っていました。でも子供の時の心情を誤魔化して書くのは当時の自分に対して不誠実な気がしたのでストレートに書くことにしました。それと、同じような言葉でも子供自分大人になった自分が言った場合でどれだけ反応が違うんだろうか、あるいはほとんど同じだったりするのかなという興味もありました。

2017-05-08

歴代魔法少女の行く末を知ってる?

ネタバレ多数含まれています覚悟してごらんください。また鬱になる可能性がございますので、お気をつけて。

魔法少女なのにダークだと話題になった「魔法少女まどかマギカ

しかし男女問わず大きなお友達から魔法少女は鬱展開多い」という声も多数なので代表的魔法×少女もの魔法が使える少女を指すことにする)の終盤の展開を調べてみた。

結論から言うとほぼ覚えていなかった自分に驚いた。

帰りたくなかったが火事をとめたため魔法使いがバレて人間界追放

父親を救うために大きな魔法を使い、代償としてコンパクト変換

両親と二度と会えないが人間に恋をして海を捨て人間になる(日本版リトルマーメイドアニメ

最終回キャットファイト女王になれず終了。視聴者魔法をかけて終わる。人間界家族記憶が消せなかったのでハッピーエンドなのかな。

1期で事故死。転生。二期で両親がHIV。そして2期の結論としては夢オチ。(本当の夢をかなえるには魔法は捨てろオチ?)

ラストライブで「クリィミーマミ」は消失する。

(初代アニメ)うさぎ以外全員無残に死ぬ

姫助けるために別世界に行ったら姫殺さないといけなかったので殺しました。ただその後2章もあり原作アニメ微妙に違う(脚本は同じ人)。恋人ともう会えないとか会えるとか。最終的な恋愛関係無茶苦茶になっている。

好きな人が一回死ぬりりか、自分の命と世界の命を天秤にかけて自分の命を差し出し死を決意する。が、奇蹟が起きて死ななかった。

怪盗業から足を洗ったようだ。

同級生により嫌がらせをうけていたところまで同じだが、ラスト微妙原作アニメが違う(脚本は同じ人)。アニメ劇場版2が実質最終回ハッピーエンド原作恋人遠距離恋愛のち中学生で再会。事情により身内ゼロ父親、力を得る。兄は力を失う。主人公は力の制御ができるのか?→新シリーズ(連載中)へ。ツバサに登場してるので桜が「サクラ」を救う展開に?(つまり桜周辺は平和だけど取り囲む世界が不穏)

主人公引退。のちなんやかんやで劇場版で復活した?

結局全員魔女にならなかったんだねぇ~。小説版で3年後が描かれてるけど、はなちゃんは急成長と精神年齢が伴わなくて反抗期が激しくなって、おんぷちゃんは芸能界の荒波で荒み母と死別していました。

最終決戦前処女喪失し純潔では無いので変身できないのではと悩む。

準主役、人形でした。主人公記憶喪失学校通えず友達できない。

好きになったのは双子の兄で失恋、兄はジュエルペットになった。

円環の理を断ったほむほむなのでした。

2017-05-02

ゆとりにとっての世界

ネタバレ注意】

クリアの人はUターン推奨

FF15クリアしてから何となく思ってたことがやっと言語化できそうなので書いてみる。

個人主観から偏りとか間違いとかいろいろあるけど、あと長すぎるけど、暇な人だけ、広い心で読んでな。

FF15主人公ノクティスは、ゆとりここに極まれりとでも表現するべきゆとり権化たる20歳若者である

東京新宿モデルにしたインソムニアという小国の中の、都庁モデルにしたというお城が彼のおうち。

お父さんから借りた高級車を乗り回して旅をする。

道中その高級車はバカ息子(ノクティス)とその取り巻きDQN丸出しの改造を施され、当初の荘厳な姿は見る影もなくなる。

ノクティスは一国の王子様でかなり甘やかされて育ち、身近にいる同年代友達ともタメ語でしゃべるけど結局はおつきの人たちなので厳密には対等な関係ではない。

旅の道中、その友達悪態をついたりからかい合ったり、20代若者らしい他愛ない会話がものすごくたくさん出てくるのだが(終盤の急展開を際立たせるためにあえてそういう何気ないシーンを強調するという演出なんだけどそれはまあ今はいい)、ノクティスの口調がまあぞんざいなこと。

お前、神様から世界を救う役割を任された王子様じゃなかったらとっくに見捨ててるからな、と言いたくなるシーンが多々ある。

ノクティスはおつきの3人の男友達とともにずっと一緒に旅をするのだけど、4人の中で暗黙のうちに「父親」「母親」「きょうだい(弟?)」「主人公」と明確に役割が分かれており、母親役の友達への態度が特にひどい。

戦闘中に敵に襲われてしま

もっと敵の動きをよく見ろ」

母親から指摘され、その言葉が終わらないうちに心底ウザったそうに

はいはいはい

とか反抗期中学生でも今どきやらない返事。

今日の天気は?」

と、自分スマホ見りゃすぐわかることをわざわざ尋ね

快晴だ。気温も上がるだろう」

としっかり答えてくれたのに

「ほーん…」

と生返事。

うわ感じ悪い、ってちょっと引くレベルゆとりっぷりなのだ

すぐ

だるい」とか「眠い」とか「なんでこんなことやんなきゃいけないんだ」みたいな愚痴ばっかり言うし。

終始こんな感じなので父親役のやつからは何度かマジギレされるのだが、それにも「な、なんだよ…」と被害者みたいな顔をするか、もしくは「わかってるよっ!!全部わかってるんだよっ!!」と精いっぱいの虚勢を張った内容のない返ししかできない。

神様から世界を救う役目を任されたノクティスが、かように重度のゆとりであるがゆえに、悪者の悪だくみを食い止めるのに間に合わず世界ほとんど滅亡する。

町は廃れ、村は滅び、どこもかしこ魔物であふれかえり、わずかに残された人類が肩を寄せ合って細々と生をつなぐ世界

そこでようやく、ノクティスは覚醒する。

時間はかかった(10年かかっている。その間に多くの犠牲があった)が、ついに悪者を倒し、世界平和を取り戻したのだ。

これがFF15ストーリー

誇張でなく、ストーリーの半分ぐらいは、ノクティスのダメっぷりとそれをけなげに支えるおつきの3人の珍道中を描くことに費やされている。

残りのうち4.5割ぐらいは隠しダンジョンややり込み要素、最後の0.5割が覚醒ノクティスの無双シーンとエンディングエンディングは泣けた)。

「すでにほぼ滅んでしまった世界を救う」

というのがなんか不思議な感じがした。

まあFFはこういうの結構ありがちだし、FF6も一度世界崩壊してから後半のストーリーが始まるし、FF10も緩慢に滅びゆく世界を変えるっつー物語だし、だいたい「悪者が大規模な破壊行為を行って取り返しのつかないことがたくさん起こったが最終的にはそれ以上の被害が出るのを食い止めた」って感じで、世界結構な損害を被ってはいるんだよね。どの作品も。

…なんだけど、他の作品主人公一味がものすごい精鋭揃いで当事者意識も高いし自分がやらねば誰がやるって決意とか覚悟がわりと最初のころからしっかりある。旅のはじめの目的から世界を救うことになるまでは偶然や成り行きもあるんだけど、その成り行きを受け入れるのも早い。状況を理解してからよっしゃそういうことなら一肌脱ぎますか!!ってなるまでのタイムラグほとんどない。当たり前のようにみんな世界を救うという目的を共有し、それに向かって邁進する

みんな世界を救うことに一生懸命なので、守りたくても守れなかったものとかを前にして、すごい落ち込むし、あのときああしてれば、って後悔したりする。

ひどいのになるとクラウドみたいに自我を失うレベルまでそういう後悔とか罪悪感とかに支配される。

ノクティス一行はそのあたりが結構のんびりしている。

守れなかった存在を前に悲しむことはあっても「自分の力が足りなかったから…」と後悔するシーンはほとんどない。

敵軍に理不尽理由で殺された人さえも、どうかすると自然災害で亡くなったかのようなニュアンス追憶していたりする。

自分がみんなを救わなくちゃ、と力んだりしていない。

自分を過度に追い込まないのだ。

その結果、世界がほぼ滅亡する。

でも、他の作品みたく

「遅すぎたのか…」

と後悔するシーンとかもない。

なんかこう、滅私奉公じゃないのだ。

いつだってマイペース、主軸は自分

たくさんの人が死んだ。

けれども、それでノクティスが「俺が至らなかったせいで…」と自分を責めたりするシーンはない。

3人の仲間達もそうだ。

いなくなったノクティスが成長して再び姿を現すのを10年待ち続け、ついに戻ってきた彼に「遅かったじゃねえか」と言いながら再会を喜ぶ満面の笑顔

「早くしないと、この世界が本当に終わってしまう…」

とか誰も言わない。

仮に彼らに

「ノクティスが戻ってくるのがもっと早かったら、被害もっと少なくて済んだのでは?」

と尋ねたらこう答えるだろう。

「でもノクティスが十分に成長するのには、これだけの時間必要だったのだから

ふるさとインソムニア廃墟と化しているのを目の当たりにしても

もっと早く帰ってきていれば…」

と後悔するシーンはひとつもない。

たぶんだけど、FF15意図的

「後悔」「自責

という要素を徹底的に排除しているのだ。

責任感の強いヒーローほど、そういうのがついてまわる。

救えなかったあの人への悔恨の情がしばしば世界を救う原動力にすらなる。

ノクティスにはそういうのはない。

いや、設定上はあるんだろうけど、描写がないのだ。

10年経ってふたたび仲間の前に姿を現したとき、これまでのヒーローだったら「世界がこんなになるまで何もできなかった自分はなんと非力だったのだろう」とかひとしきり嘆いてみせると思うのだけどノクティスがそういうことをする描写はない。

でもきちんと悪者は倒すので、自分役割を忘れているというわけでもない。

そういう描写を見ていて、ああ、ゆとりって確かにこんなだよなあ、と思ったのだった。

決して頭が悪いわけではない。

社会貢献の意欲はある。自分役割もわかっている。

自分にできることを、できる範囲でやる。

できないことを無理にやろうとしない。

そういうメンタリティを突き詰めていくと、ノクティスになるのだ。

からほとんど壊れてしまった世界を目の当たりにしても、ノクティスが自分を責めることはないのだろう。

彼はそのときそのときの彼にとってのベストを尽くしたのだから

まあ、それはそれで、いいのかもな。と思った。

後悔したって、自分を責めたって、死んだ人が生き返るわけじゃないんだしね。

現実仕事だって、考えてみれば、それでいいんだと思う。

今日行ったとんかつ屋で、あちこちのテーブルの上の食べ終わったお膳が全然片付いてなくて何だろうと思ったんだけど、若いエイター男の子結構のんびりしてる子で、ひとつ配膳が終わって、周囲を見渡して、近くのお膳をひとつ片付ける、という場当たり的な対処しかしないのでなかなか片付かないのだということが少し見ているうちにわかった。

もっと全体を見て、機敏に動いて全部のお膳を素早く片付けてしまおうよ。自分飲食店バイトしていたときにはそうしないと怒られてたけどな」

最初わたしは思った。

自分バイトしていた店ではそれが当たり前だったので、頑張って慣れた。

できない自分を責めながら、早くできるようになろうと努めた。

でもまあ、なんていうか、そこまでしなくてもいいんだよね。

たぶん。

わたしもウエイターも同じ人間で、人間にとって仕事ストレスは少ないに越したことはないというのは真実で、まあ自分を追い込みながら余裕ない感じで片づけるだけが正義じゃないよね、とか思った。

そんで、そのウエイターみたいに、上の世代からの白い目もものともせずに、自分のペースで、できる範囲でできることをやる、自分を過度に追い込まない、というような働き方をする若者が増えれば、日本はだいぶ変わるんじゃないかな、とか思った。

うーん、やっぱりなんか言語化できてないな。

まあ、ゆとりも悪いことばかりでもないかな、と思ったんですよね。

長々とごめんなさい。

2017-04-30

アダルトチルドレン&機能不全家族(かも)

※ほぼ愚痴と、悩みし妹に届け!という気持ちで。

あと完全素人ぼやきなので。すみません

家族構成 ※増田主観です

父→せっかちであり、のんびり屋。無関心に見える。根は真面目。

やりたいこと(家でのバーベキューとか)は主催したり、積極的に参加してくれるので、周りからは「いいお父さん」という評価

母→2年前に自殺

とにかく優しい、自己犠牲的(亡くなった後に振り返るとそれが異常だったなと思う)。

優しい反面だまされやすい。宗教やらア〇ウェイ、通販とかにはまってしまう。

<以下、子供たち>

増田→長女。精神病みがちで、おぼろ豆腐メンタル

長男大学生。無口でよくわからない。

次女→高校生。姉ににて豆腐メンタル子供の頃から感情アップダウンがとにかく激しい。

きっかけ①:自分発達障害

昨年から配置換えで、営業になった。

まあ、仕事ができない。

計画が立てられない、注意力がない、など前から抱えていた短所が目立ち発達障害では?と思った。

これについては、診断がまだなので言及はしない。

(とりあえず支援センターには行ってみた)

発達障害の疑いをきっかけに、この自分いびつさに疑問を持ち始めた。

ADHD自閉症スペクトラム障害アスペルガー...

その中でみつけたのが、アダルトチルドレン

自己診断をしてみてもあてはまる。

そこから自分の家庭環境を疑うようになった。

きっかけ②:優しすぎる両親

アダルトチルドレンを見つけたら、「機能不全家族」という言葉が出てきた。

その時は手あたり次第に、うつ社会不安障害ADHDなどのウェブ自己診断を受けていた。

ADHDは当てはまるところが多い、アスペルガー症候群ではなさそう...と診断をして

自分いびつさの答えを見つけようとしていた。

その時に行った診断の一つが、アダルトチルドレン

増田の結果:アダルトチルドレンチェック結果

家族の話を少しする。

母が死んだあと、父の働かなさに愕然とした。

父は、家事もするしまじめに働いているし、子供の頃は家族ででかけたりと

いわゆる「いいお父さん」だったと思う。

でも母が死んだあと分かったのは、家庭内のめんどうなことは彼女が一手に引き受けていたということだ。

保険子供の塾の手続き、そして、しつけ。

もちろんフルタイムで働いている父に全部やれとは言わないけれど

ちょっと弟や妹が反抗期的にふるまうと、どうしていいかからずうろたえる。

3人子供いるんじゃねーのかよ。

きっと母が全部受け止めてくれていたのだと思う。

父は、反抗期の妹に踏み込めず、うろたえるばかり。

母親父親の差はあると思うけれど、なんでそんなにもわからんのか。

初めは、父のふがいなさにいらだった(今もいらだっている)。

が、考えるうちに母にも問題があったのでは?と思うようになった。

過保護だったのだと思う。

父親が厳しくしつけて、優しい母がいる、とかバランスがとれていればよかったのかもしれないけど、

とにかく過剰にやさしい母と、面倒なしつけは見て見ぬふりをしていた父。

自分を含め、甘やかされて育った私たち兄弟は、どこかいびつなのだと思う。

機能不全家族http://ebisu-mc.com/psycho_106.html

◆これから

発達障害を疑ったとき、一度支援センター相談に行っていろんなことが整理できた。

その時分かったのは、こんなこと書いてても何も解決しないってことだ。

そのために病院があるし相談センターがある。

これから向き合っていかねばなと思っている増田です。

以上。

====

----------------

と、前向き風にしたんだけど父に結局腹が立って書いた。

妹の反抗期で悩んでる風だったので

父「最近妹が夜ごはん食べない」

増「おにぎりにしたら?」

父「...(無言)」

増「それなら食べるでしょ?」

父「最近営業先はこれこれこうで~」

増「(ご飯の話はもういいのか?)あーそうなんだ」

(しばし父の話)

父「妹が朝起きない」

増「出かけるときカーテン開けてあげてる?それだけで違うよ」

父「...(無言)」

...みたいな感じで、アドバイスをしても無言。

困ってるんじゃねーのかよ!どうすればいい?って言ったから答えてるんですけど??

聞こえてないのかな???

そして自分の話ばかり。

「お父さんも大変だからさ~」って。

知ってるっつーの。

母が死んだ後も、銀行手続きとか

「忙しい」とか「今自分が大変だから責めないで」とか

自分のことばっかり。

父は末っ子長男で甘やかされて育ってる。

結局、「大変だね」って言ってほしいだけなんだ。

自分だけだと思ってんじゃねーよ。

2017-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20170425174813

元気じゃなくたっていいだろ! という反抗期

女の子はで分類するような言動が嫌だった

女の子、という分類が弱者扱いっぽい

親が干渉するみたいで嫌だ

まあ他にも色々あるんでしっくりくるやつ選んだら

2017-04-23

http://anond.hatelabo.jp/20170422152350

反抗期に入ったら「血のつながりもない奴が父親面するな」って言われるよ

その時は一発びんたしてからしまった、って表情をするのがお約束から練習しとこうね

2017-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20170422085913

高校三年で反抗期って

受験 就活の時期だろそんなことしてる場合じゃないだろ感すごい

鬼母

高校三年生反抗期の息子は私に『死ね』『クソ』と罵声を口にする。

私は本気で思う、お前が死ね、と。

恐らく人は、それでも可愛い息子でしょ、と言うけど

既にそんな愛情もどこかに葬り去ってしまった

通学途中、車とぶつかって死んでほしい

自分が手にかけない、それだけ

私は異常だ

2017-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20170418215328

ダメ親って子ども支配したくて仕方がないからな

その周囲にいる親戚も、親に反逆する子どもというのは潜在意識の中では恐怖なのだろう

話は飛躍するが、クレヨンしんちゃんが親になぜ評判が悪いかと言えば、

あのマンガは親という権力者コケにして笑いを取る反逆的娯楽だから

ただ悲しいかな、やはり子どもというのは基本的に親にはほとんど敵わない

体力や財力でな

思春期反抗期がなぜ来るかと言えば、体力的に親をようやく凌駕できるから

でも増田には財力が決定的に欠けているから、親の暴政はいまだ反逆が敵わない

よく女が不良化すると風俗にいくが、

あれは性的な束縛に対する反抗という側面ともう1つ、

親に財力で反逆したいという側面もある

いや別に風俗行けってわけじゃないけど

男は適当な稼ぎ口があるからズルいよな、女に比べて

ただ反逆すればいいかっていうとそうでもないのが親子関係の苦しいところ

本当は親に愛されたかったというのが子ども共通の願いなわけなので、

そこを無視して反逆してたとえ親を超克したところで残るのは虚しさばかりだろう

から一番の問題は「母親に私は愛されなかった」という現実を受け入れることなのだが、

これがこの世で最も苦痛なこと

だったら不良化してグレたり親殺したりする方がまだラクだったりする

どんだけ頭で分かってたって感情がそれを本当に受け入れることがなければ、

その苦しみはいつまで経っても永劫続く

下手すれば老人になってもだ

その愛を埋める代償行為として恋愛に走ったりするわけなのだが、

そうした不安定情緒を抱えたままの恋愛なんか上手くいくわけがない

また女は男に比べて恋愛がやりやすいから、

その分だけ心の傷を深くえぐる危険にも多く晒されやす

うわべだけ猫なで声で理解のあるフリをする男は大勢いるか

まあつらつらと書いたが、

理解」というキーワードを用いるのなら、

理解すべきは母親ではなく増田本人の気持ちだろうな

ただその気持ち自分自身だって何が本当の気持ちだかわからないだろうし、

親戚のようにその気持ち撹乱するだけで何も助けてくれない他人事人間も掃いて捨てるほど大勢いる

そんな不安定気持ちを抱えたままでは「自分人生価値」なんて見いだせるわけがない

まり人を信用せずに、

それでも自分気持ちが少しでも報われるような人がいないか探すしかないだろうな

2017-03-26

キモい父親

最近父親を「キモい」と思うようになった。  

本人には言っていないが、とてつもなく「キモい」。  

  

第一に、下品である。  

人前にもかかわらず平気で放屁するし、げっぷもする。それも大音量で。  

食事中に口に物を入れたままクッチャクッチャしてしゃべるのも父親にとっては当たり前。  

痰を切る時も不必要なほどの音を出す。「ンゲェッホ!ガッ!クェッ!ウェーグォッフォ!」なんて毎日聞かされている娘の身にもなってくれ。  

公衆面前でここまで酷いのかどうか私は知らないが、「家族からいい」なんていう特別ルール存在しないので最低限のマナーは守ってほしい。  

  

第二に、不潔である。  

特に肩。フケが積もる寸前。  

さすがに本人に伝えると、「雪みたいだね」。そんな汚い雪があってたまるか。  

ハゲが進行してきているので、乾燥がひどいだけの清潔なフケかと思ったら、なんとシャンプーは数日に1回しかしないそうだ。

真正銘の不潔なフケだ。

隣にいると不潔なフケが飛んできそうなのでとりあえず物理的な距離を保つようにしている。

それなのに近寄ろうとする辺りが「キモい」。

  

こういうことを言うと、大抵「反抗期から」で済まされる。

「娘の成長だから我慢する」?は?

原因が自分にあるかもしれないと考えたことが一度もないんだろうな。

いか。よく聞けよ。

  

自分だって歳とってるんだぞ。

  

当たり前かもしれないけど、これをきちんと現実として受け止められてない父親って多いんじゃなかろうか。

少なくとも私の父親はそうだと思う。

父親の中で私はいつまでたっても「娘」で「子供」だし、自分は「父親」なんだ。

「成長したね」なんて口では言っているけど、話していると私を随分と子供扱いしていることがわかる。

  

そして同時に自分が「おじさん」だと理解してないこともわかる。

  

昔は最低限のマナーは守って人前で放屁やげっぷなんてしなかったかもしれない。

その時は特に下品な行動は慎もう」なんて意識していなかった。下品なことをしないのは当たり前だから

でも今は無意識のうちにしてしまっている。

昔は意識してなかったから、今も意識しなくても大丈夫だと思い込んでいるのだ。いや、そう思いたいのかも。

  

私にとって「反抗期」という言葉は、(言い過ぎかもしれないが)

父親自分のおじさん化を受け止めたくないがために発せられる自衛言葉」または「周りがおじさん化を指摘する声から父親を守る言葉」にしか聞こえない。

反抗期がないと言われる娘とその父親は仲が良い傾向にあるように思えるし、仲がいいのは娘が父親嫌悪感を抱いていないからだろう。

それは、その父親嫌悪感の根源である下品」だとか「不潔」だとかいうあたりをうまくクリアしていることを示す。

クリアするためには自分がおじさん化していること(自分が歳とともに変化していること)を受け止めなければならない。

まり反抗期がない娘の父親自分のおじさん化を受け止めているのだ。

  

反抗期の時期が大体中高生あたりなのも、大体その頃に父親もおじさんになるから

  

反抗期から抜け出すのが大学生とか大人になるあたりなのも、大体その頃に父親から物理的に離れてキモさを感じなくなるから

  

父親からキモい」のではない。「下品で不潔なおじさん」だからキモい」。

道端にいるおじさんだって、「上品で清潔なおじさん」ならキモくないし「下品で不潔なおじさん」ならキモい

いくら父親でもその辺は変わりない。

キモい」と言われたくないのであれば、「反抗期」と言って逃げるのではなく、「下品で不潔なおじさん」から卒業してほしい。

  

これが今年17歳になる娘からの願いだ。

2017-02-21

板挟みのまま生きていくことにした

創価学会二世です。

先に言っておくと、擁護でも批判でもありません。ずっと昔から考えてきたことが、まとまりそうな気がしたので書いています

両親は創価大学出会って結婚した。二人とも朝晩の勤行を欠かさず、会合にも積極的に参加している。聖教新聞大白蓮華を取っていて、隅から隅まで読む。

私は正式に抜けたわけではないが、勤行はしない。会合の案内のラインが来ればそれなりに対応するが、行くことはない。公明党には入れるときもあれば入れないときもある。仏壇に手をあわせることが年に2、3回はあるが、自分からすることはない。しかし、御本尊を破れと言われたらかなりためらうだろう。お地蔵様を壊せないのと同じだ。

勤行をしない私、会合に行かない私に、両親はとくになにも言わない。選挙の時だけお願いねと言われる。ありがたい、と思っている。

小学生くらいまでは会合にもそれなりに出ていたし、朝晩に三唱くらいはしていた。中学生のころ、御書説教臭さがいやになったり、ネット書き込みを見たりして、だんだん会合に足を向けなくなった。反抗期を利用して三便もしなくなった。今では、抜けた理由を聞かれたら、「方針が合わないので」「公明党意見が違うので」と言うだろう。

そういう私だ。

頭がパーンとか、そういうたぐいの書き込みを見ると腹がたつ。強引で失礼な勧誘に合ったと聞いたら、申し訳なくて胸がふさぐ。友人が何気なく言い放った「私宗教ぜんぶ嫌いだから!」という言葉に傷つく。両親のことを愛している。学会がなければ私は生まれなかったと思う。新年勤行会のばんざい三唱はクソ食らえだ。「知ってる?誰それさん創価だって」と言われて苦笑いする。同じ創価二世友達とため息をつく。池田先生がなにをしてくれたって言うんだよ。会合に参加しているのはいい人たちばっかりだ。いったいいつまで、こういう板挟みに苦しまなければならないのだろう。

東日本大震災とき、その夜、「宮城沖で数百と推定される遺体発見」というニュースを見て、怖くて眠れなくなった。どうしたらいいのかわからなかった。津波映像がなんども頭をよぎった。数百人、数え切れない量の人が海で死んだ。その一人一人に人生があった、その恐ろしさに震えた。その人たちを悼みたい、その人たちが死んだことを悲しみたいと思った時、布団の中で丸まって「南無妙法蓮華経」と何度も唱えた。それしか悼む方法がなかった。そしてそういう自分にショックを受けた。私は死者を悼む方法をこれしか知らないのだ。信仰心はなくても、方法けが自分の中に残っている。

いいとこどりをするんだ、と決めた。信仰心はなくてもいい。都合のいいところだけ使えばいい。オリジナルの祈りの言葉オリジナルの生きることへの姿勢が見つかるまで、意味なんてなくても唱えていい。熱心な信者だった祖母を、これ以外の方法で弔うことができただろうか。両親が死ぬ時、友人葬以外でやりたくない。でも、公明党投票しなくったっていい。義理なんて感じなくていい。両親を愛していい。でも信仰拒否していい。勤行はしない。

わたしはもうすぐ大学卒業して、親元を出る。大丈夫だと思う。

同じようにしている人に大丈夫だよって言ってもらいたくて書いた。早く大丈夫になって、同じようにしたいと思ってる人たちに、大丈夫だよって言いたい。

でも大丈夫じゃないかもしれない。10年後くらいに信者に戻ってるかもしれない。いやだな。大丈夫だって言ってください。

あとこれだけ言いたかったんですけど、池田大作短歌下手すぎじゃないですか?誰も何も言わないの?

それだけです。

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