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はてなキーワード: 反抗期とは

2018-06-20

anond:20180620092208

着想自体は例の誘拐事件かもしれないが

それが最大の批判されるポイントだろ

あと

若い女性読者の心をくすぐるくっせぇ作品である事と『「お前も本当は望んでたんだろう、ぐへへ…」という被害者叩きの感情肯定した問題作』というのは矛盾しない。

件の事件被害者を叩いていたのは、女性も沢山いたから。

それは特に想像力がない中高生が多かっただろう。

中高生だと同じくらいの年頃の子供が被害者となる事件を見て被害者の方を叩き出す子供というのは珍しくない。

いじめ自殺とかでも「いじめられる方が悪いだろ、だっせえwwww」とか言いたがる子一定数いるでしょ)

子供ゆえに「自分は賢いかあん被害には遭わない、被害者被害に遭ったのは自分と違って馬鹿だったからだ」と言う何の根拠もない全能感を持ってたり

大人たちの「子供を狙う犯罪は許しがたい」的な批判に対して「もう私は子供じゃないもん!」と反発してしまったり、

そもそも大人が言う「良識的な意見」に対して反抗期故に反発し逆張りしたがる、という心理があるから

からこそ、実在事件に対するそういう子供心理肯定するような作品子供向けに公開するのは教育よろしくないと言われるわけだ。

しかも明らかに作品宣伝の為に事件を利用してるわけで。

これが事件10年後に発表された作品だったら何も言われなかっただろうが、そもそも単なる凡作として話題にもならなかっただろうさ。

事件に便乗して宣伝されたから有名になってドラマ化までされるようになった、という経緯があるのが批判大前提だよ。

10年後に発表すりゃよかったんだ。

2018-06-13

anond:20180613010410

うんうん、わかる。俺もお前と全く同じ体型と体質だった

なんで太るんだ?ってのは普通に標準体型の男あるあるから

お前だけが特別ってわけではないか安心していい


ただ、40代になると基礎代謝が落ちる上に若い頃のような仕事内容じゃなくなって

体より経験則や頭を使う仕事シフトしていくんだよ

食事は油っぽいものは少なくなるが、その分若い頃には手が出なかったような

酒や美味いもの食指が動くようになる

食が楽しみになると少しずつ体を動かすのが億劫になって内臓脂肪が増える

別にデブってわけじゃないが、お前の年齢の頃のような基礎代謝ではなくなるので

標準体型を維持するのが難しくなってくるってわけ


この手のドヤ顔日記を見ると黒歴史を見てるみたいで毎回恥ずかしくなる

思春期反抗期と同じくらい、あるあるからお前が特別存在じゃないってことだけは言っておくよw

2018-06-10

是枝監督の件は多くの人に誤解されすぎ

http://www.kore-eda.com/message/20180607.html

Twitterとか見ると変な部分に突っかかって是枝監督に怒りをぶつけてる人が多い。

多分元の文章をまともに読んでないせいだと思うので、きちんと整理しておきたい。

祝意」ってなに?

一般的には「喜びを祝う気持ち」のことを指すけれど、文脈を見ると

国会参院文科委員会野党議員が「(是枝に)直接祝意を表しては?現場をとても鼓舞する。総理に進言を」と文科相に問いただしているやりとりを目にし、更にその後「林文科相文科省に招いて祝福したいという意向を示した」と伝えられたとNHKニュースで目にしました。

実は受賞直後からいくつかの団体自治体から今回の受賞を顕彰したいのだが、という問い合わせを頂きました。有り難いのですが現在まで全てお断りさせて頂いております

まりどこかに呼ばれて表彰、みたいなことは断るよ、ってだけの話なんだよね。

是枝監督は「おめでとう」を受け入れられない人?

デマ

実は受賞直後からいくつかの団体自治体から今回の受賞を顕彰したいのだが、という問い合わせを頂きました。有り難いのですが現在まで全てお断りさせて頂いております

顕彰の問い合わせ」に対して「有り難い」って書いてあるじゃん

何を勘違いしたのか

から仕送り貰って、大学卒業したり優秀な成績残した時に親からおめでとうと言われた際に「親から言葉は受け入れない」とか言ったら批判されるよね。

からの「おめでとう」を断るのがカッコイイとか、それが許されるのは反抗期まで。 成人でもみっともないと言われるのに、還暦近い人がそんなの言うとか流石に度を越している。

から給料貰っておきながら、国家も歌わず日の丸に敬意を示さないどっかの教員連中も同じ精神構造なんだろうね。いつまで経っても反抗期の子供なんだよ。

ママからのおめでとうを受けたらマザコンと思われママの言う事何でも聞くと思われるのが嫌だから、って感じですかね。


こういう感じで、ツイッター上は変にひねくれた発言が多い。

親と子供関係に例える人なんか特に多いが、その例えは明らかに間違っている。

文化庁は親ではないし、お金の出処は税金または文化庁への寄付であって"親"が汗水たらして得た金ではない)

から何らかの助成をもらっている人間が、公権力批判するのはいけないこと?

まず、「告発目的とした映画ではない」と発言していることは知ってもらいたい。

この「公権力批判」というもの。人によって想定してることがぜんぜん違うんだけど。

公権力のもの否定する」というようなアナキスト思考ならともかく、「社会問題点を指摘する」レベルのことは独裁政権以外なら誰だってやっているよね。

以下の文にあるように、是枝監督が「映画を撮りながら考えていたこと」は「それほど目新しいものではない」。

単身者孤立」とか「自己責任論」とか、多くの日本人がすでにテレビ新聞ネット上で共有している。

助成金もらっているからってこのレベルのことも言ってはならない、なんてことはないはず。

取材の中で「何故社会からこのような“不可視の”家族が生まれると思うか?」と作品の背景としての社会的、政治的状況を聞かれた。その告発目的とした映画ではないことを前提に自分の考えを述べた。あくま私見としてではあるが。今回僕が話したのは「共同体」の変化について、であった。日本地域共同体が壊れ、企業共同体が壊れ、家族共同体三世代が一世代単身者が増えて脆くなっている。この映画で描かれる家族のひとりひとりはこの3つの共同体地域」「企業「家族」からこぼれ落ち、もしくは排除され不可視状態になっている人たちである。これが物語の内側。そして孤立化した人が求めた共同体ひとつネット空間であり、その孤立した個を回収したのが“国家主義的な価値観(ナショナリズム)であり、そこで語られる「国益」への自己同一化が進むと社会排他的になり、多様性を失う。犯罪社会貧困が生むという建前が後退し、自己責任という本音世界を覆う。恐らくあの「家族」はそのような言葉視線によって断罪されるだろう。…ということも話した。これが背景。これは『映画を撮りながら考えたこと』という拙書でも既に述べている考え方である。まぁそれほど目新しいものではないだろうことは自覚しているが。

http://www.kore-eda.com/message/20180605.html

2018-06-09

anond:20180609181919

お母様と弟さんがくっつき過ぎていて、弟さんが今頃やっと反抗期になったという解釈おかしいですかね。

2018-06-06

パンティ増田ですが相談があります

いつもお世話になっております

パンティ増田です。

この度は増田の皆様方のご活躍注目のエントリーから拝見させていただいており、私も一層がんばらねばと思います

普段パンティー」としか書いておりませんが、恥を忍んでご相談させていただきます

 

息子の事なのですが、息子が「パンティーよりもニーハイのほうがいい。」と言い、親の後を継ぐことに対して否定的になっています

反抗期というやつなのでしょうか。

我が家は代々パンティ増田を続けていて、私も父(故人)よりパンティ増田になるための修行を受け、1○代目としています。(特定されないように一部伏せておきます

かに今の世の中、私が子供の頃と違い、堅苦しい風習や親の後を継ぐ事をする人は少ないと思います

父親としては、息子が自分の道を行こうとすることについて、はっきりと申すと「嬉しい」と思いました。親から強制された道ではなく、自ら道を切り開いていこうとする男気といいますか、そういった子供に育ってくれたのは嬉しいです。

しかし、母と嫁が大反対しています。母曰く「まともな性癖に育っていない。代々継いできた家業を終わらせるつもりか。」と言い、嫁はそれをうけてなのか「ニーハイに興奮するような子はオタクみたいで嫌だ。」と言っています

息子の話を聞くと「最近はみんなニーソックスのほうがすき。パンティーすきなのはおっさんだけ。」と頑として譲ろうとしません。確かに私はニーソックスも好きです。

お父さんがパンティ増田ということについてどう思うかを聞くと「確かに尊敬はしている。でも、パンティ増田若い人にとって過去のもの。」と言われて、確かに伝統風習を守るために若い子達への積極的アプローチはしていなかったなと反省しました。

なんとか、母、嫁、息子、三人を納得させて穏便に済ませる方法はないでしょうか?

 

よろしくお願いいたします。

 

(追記)

皆様より意見を頂く前に、もう一度息子と話をしました。

息子は脚フェチになったものだと分析していくつかの案をだしました。

その一つに「パンストならどうか」という話をしましたところ、「みたことが有る。」といい興味を持ったようですので、パンスト越しのパンティーの良さを伝えたところ、ものすごく興奮したようでした。

今後も私はパンティー。息子はパンストで頑張っていきたいと思います

皆様に色々な意見いただきまして、本当にありがとうございました

2018-05-31

家族の処し方

どうあがいても折り合いの悪い母と姉。昔からずっと仲裁してきて、わたし反抗期すら来なかった。いい歳になって、妹は、なんでこの二人縁を切らないのか?とすら思うようになりつつある。二人とも好きだし、そりゃ仲良くしてほしかったけど、無理でしょうよ。妹だって大概疲れてるし、いつもとばっちりで何度も泣く羽目になってて。歳をとってきた母が年々ストレスで変になってる気がするのと、姉は姉でかなり強迫性性格がきつくなってるようで。私も、仕事して、結婚して、本当は自分のことでてんやわんやだけど、全部投げ出して愚痴電話があれば全部聞いて。今日だって、昨日の当直1時間しかねれず、ふらふらなのに、この時間まで電話。二人の喧嘩愚痴がまた飛び火して、私は揉めたくなんかないのに母と喧嘩のようになって終わる。二人とも病んでるから、私まで影響を受けて、正直、こういうのは私にとっても良くない、です。でも心配なんです。あー、文章ぐちゃぐちゃだ。というか、母は定期的に姉と大喧嘩して私に電話して、そうやって爆発することでなんとかバランスをとってるのだろうか。だとしたら悪いことしたな。私が我慢できなくて怒ってしまたから。でも母はやはり55になって、だいぶおかしくなってきた。父も、祖母も、みんな歳をとればそれぞれのキツイ性格はよりキツクなる、そういうものだ。だから、それが悲しいとかじゃないけど……仕方ないことだけど…… ああ、でもな、ここまで愛情こめて育ててくれて、アグレッシブ尊敬している母。だから、私はもう愛してないとか会いたくないとかそういう結論には成り得ないし、これからも二人の仲を取り持つのだろう。あんなに仲悪くしていて、ある日には仲良くふたりで買い物にいったり温泉にいったりする。わけがからず、結局私が振り回されて(眠いのにこんな文章まで書き殴って)るだけなのか。脱力感。相当裕福な家庭と思う、でもその内側はこんな有り様。そう変に客観的に眺めてしまうくらいには、疲れている。母と姉には早く今後の距離確立してほしい。一生無理なのかもしれないが… 私は、二人の処し方を、いや、二人に振り回されない自分の心のいなし方を、作らないと、今後自分生活がいよいよ追い詰められたときに病んでしまいそうだ。

2018-05-27

何年か経ってようやく

昨日妹と久しぶりに会って食事をした。

二人とも話す内容は殆ど仕事の悩みとか愚痴

でもその中で新人~2年目くらいにやらされた仕事

当時は上司かに対してクソが!!!って思ってたのに

今(二人とも社会人8年目)思い返してみると

あんな右も左も分からないうちにやらせてもらえて良かったなと思う

という話をしたので不思議なもんだなと思った。

当時は会社辞めてやるという気持ちでやってた

あん仕事こんな仕事は実は自分仕事の基礎を固めてくれた仕事だったんだな。

妹とは業界職種も違うのにお互いそう思えるというのは

やっぱり食いしばって続けてきたからだなと思うし、

でも当時はそうは思えなかったよね~と笑い話にできている。

そして先輩や上司感謝しなければならない。当時は反抗的申し訳なかった…。

今また別の悩みはあるけどまあ頑張ろうかなと。

それにしてもあんなにワガママ放題で親に年中反抗期娘と呆れられた妹が

立派になったなーと感心した。

2018-05-25

ラヴィエ川良という宿がやばい

この立地日程このクオリティで一泊ニ食7,800円は異常。

5人で行った。広い部屋を頼んだつもりが予想以上に広かった...

まず、一つの部屋で5人が寝られるのにもう一部屋ある

しかもぐり茶orみかんジュースサービス

長いドライブ疲れた体にクエン酸五臓六腑七心に響き渡る

5人がずっと考えていたのはなぜ土日でこの価格が実現するのか

それのみだった

当初は荒野行動とドミニオンをやり倒す会の予定が

この価格を実現するのはなぜかについて白熱する議論になってしまった

それぐらいにお得すぎる

食事も種類ありすぎてやばい友達は全員寿司を攻めすぎて胃袋が膨れすぎていた。

あれは伏兵だ。気をつけろ。

一方私は全体を俯瞰し、自分の好みを過去10年間の食体験走馬灯のように呼び出し瞬時に食べるべきものを把握

刺身寿司など目先の豪華さにつられることな淡々と蒸し焼き、味噌汁天ぷらサザエ寿司、とれたて刺身カレーなどを危なげなく堪能した。

サザエやばい水槽に入ってて網焼きできるけど、取り出して皿に置いとくとちょいちょい動く。

それを焼いて食べるとコリコリ感がやばい。まるで反抗期のようだ。

トラベルこちゃんでみつけたがこれほど完璧な宿はない

2018-05-23

運動会の行進なんて走る訳でもないし歩いてるだけで良くて楽ちんだわーとしか思ってなかったけど

あれすら嫌だって人はずっと遊んでいたいんだろうか

右向けと言われて右向くのが苦痛!って、小1でもう反抗期かよ

2018-05-13

世の中の人たち、えらいな。

SNSでも母の日ギフト贈ったとか、一緒の写真をアップしたり。

  

社会人して、ニート支援してもらっているのに、未だに、反抗期だわ。何かしなきゃかなって、ちょっと思ったな。

  

2018-05-12

子どもの頃は何もわかってなかったことがわかった

最近過去にみた映画を振り返って見ることが多い。

小学生に見たときのもの中学生ときの、高校生ときの、大学生ときの、最近見たものと、それぞれ見るんだけど、子どもときに見たものでも、全く印象が異なる。

たとえばクレヨンしんちゃん映画を見ていて思ったこと。戦国合戦という映画の中で、「金打」という言葉が出ており、しんのすけ最後に「金打」と言っているシーンがある。これは当時「なんかかっこいい」というように感じただけだったが、「約束通り最後まで持っていく」という意味でやったのだということをようやく知った。当時は歴史にも興味がなかったので、「天正二年」というワードを聞いても「ふーん」程度の感じ方だった。

こういった一つ一つの言葉やシーンの捉え方が違うので、大筋の捉え方も違う。大人になって、脚本家という存在を知り、アニメーターという存在を知り、足軽という存在を知り、誰にどういう心情を付与しようとしたのか、時代考証はどうなのか、一人ひとりの登場人物が抱えるバックグラウンドには何があるのかを考えることができるようになった。

マトリックスなんかも、そんなに大昔に見た覚えはないけど、当時からニューラルネットワークという考え方があって、Matrixという仮想世界があって、SSH侵入して、脳内マーシャルアーツインストールしていくということは、最初に見たときは全くわからなかった。存在も知らないわけだし。ただ、それでもおもしろいと思ったのはアクションがすごいからだろうということで、「主人公のアンダーソンがなんかネオって信じられててアクションがやべぇかっこよくて最後もかっこいい」みたいな感じ方だったと思う。いま見ると、預言者OracleがMatrix側のAIで、クッキーを焼いているというシーンにエンジニア魂がくすぐられる。バイナリとか言ってるけどカタカナひらひら落ちてるだけやんけというツッコミもあった。

いま振り返ると、子どものころに「ぼくは理解できている」と思っていたことは、あくま事象の一つの側面でしかなかったと思う。今もそうなんだけど、当時よりかは側面が増えたはずだ。

自分高校生反抗期だったときのことを考えると、どうしてそんな風に考えてしまっていたのか少し不思議に思う。当時の自分はしょうもなさすぎた。知識不足経験不足のせいだと思うけど。それから自立もできていなかった。今も会社にもたれかかっている部分もあって、完全に自立できているとは言い難い。ただそれにしても、当時は親に依存していたように思う。親には「お前はあまえてる」と言われて「あまえてないわ」と反発していたが、「甘えている」という言葉が持つ「たすけてドラえもん〜」のような哀れな部分だけを感じていた。少なくとも「依存している」だとか「寄生している」とか「パラサイトしてる」いう言葉だったらまた違った反発のしかたになっていただろうと思う。

人によっては「ただの無知の知やん」で終われる感情なんだろうけど、さすがにぼくは無知すぎた。何も知らないように感じる。ダニングクルーガー効果かいう慰めもあるけど、そんなのを通り越して何もわかってなかったんだという絶望感がある。ぼくは今までこの絶望すら知らない状態で生きてきたことが怖い。今までずっと、この状態人生の岐路を選択していたということに居た堪れない。そして「無知俺様よりも知らないクソザコ愚民ものみなさんこんにちは」というどす黒い感情もある。これが良くない感情であることはわかる。でもきっと精神の安定のためにやめられない。

最近まで防衛機制として本や映画に逃げていた。でもこの諦めを乗り越えて、ぼくはこれから人生有意義に使うべきなんだろうなと思った。これらの一連の文も防衛機制の1つの知性化という分類に入ると思うので、結局「戦わなきゃ、現実と」っていうシンプル結論ベストチョイスっていう感じがしてる。戦のときじゃ。

2018-05-09

可愛かった娘が今はめちゃくちゃ。。

俺には中学生の娘がいる。

はいつもニコニコしていて可愛かったのに最近反抗期もあってかとにかく酷い。。

俺の娘は「自閉症スペクトラム」と診断されたことがある。

自閉症と聞くと暗いイメージがあるがそんなことはない、大人だろうが誰にも物怖じせずに挨拶する明るい子だ。

俺が感じる娘の長所挨拶ができる。これだけ。

あとはまるでダメだ。

言葉も態度も暴力的

勉強ができない。

提出物を守らない。

宿題をやらない。

わがまま

宿題ごまかしたりズルをする。

人のために何かするという行為ができない。

朝も起きれない。

好きなことしかできない。

こんなことはまだ良い方で、俺が本当にやめて欲しいのは「自傷行為」だ。

ももに無数の傷がある。何度言っても治らない。

見るとツラくなる。

から親の言うことを聞く方ではなかったけど、小さい頃は素直で可愛かった。

爪を噛むのも治らない。その都度注意はするがダメだ。

そんなこんなで最近は娘との喧嘩が絶えない。

ネットなんかで調べると、「ストレスから行為なので環境を整えろ」なんて書いてあるが、娘の環境に合わせてたら本当にめちゃくちゃになってしまう。それこそ風呂も入らずに夜中までスマホをいじるだろう。

俺は間違ったことはきちんと叱りたい。

「親は子供に優しく接するべき」とかも書いてあるが、俺にはできない。

いっそのこと子育て放棄したくなる。

LINEプロフィールしょっちゅう変えて、YouTuberに恋をしてツイッターで呟きまくる。

俺が一番なってほしくない方向にどんどん育っているのでとても不安だ。

もちろんここに書いて解決するとは思っていない。誰にも言えないこの思いをどこかに吐き出したかっただけ。

以上、独り言。読んでいただいた方の時間無駄にしてしま申し訳ありませんでした。

2018-04-27

漫画村情報提供ねとらぼに行うまでの思い

ここ2ヶ月ぐらいか漫画村ピックアップされ始めた。

漫画村自分のいた会社広告掲載していた。

そして自分はその違法サイトを見てみぬふりした。

その時の贖罪をしたくて、少しでも救われたくて、ねとらぼにすがった。

自分は[株式会社グローバ◯ネット]で働いていた。

辞めた理由は何よりも心が痛かった、それだけだ。

幼少の頃から漫画映画アニメを見て育ってきた。

この3つには今日まで支えられて生きてきていると言っても過言ではない。

他の人から見たら非常につまらない人生だと思う。

でも満足していた。

からこそ心が痛かった。

違法サイトスルーしなければいけない仕事は心が痛かった。

自分クリエイティブな才能はない。

クリエイティブの才能は持ち合わせていないが

生み出す事の大変さ・辛さ・世に出るまでの過程がどれだけ茨の道なのかを知っているつもりだ。

からこそ心が痛かった。

業務になれた頃、違法サイトを見つけて自分上司に伝えた。

「このサイト違法サイトではないのか」「こういうサイト広告掲載する事は誤っているのではないか

下っ端である自分意見聞く耳は持ってもらえなかった。

聞いてもらえなかった、それだけならまだ自分はあの会社にいただろう。

聞いてもらえなかっただけでなく、つらい言葉を返された。

「こういうサイトあって、このサイトに俺らが広告を出す、それで俺もお前も飯食ってるんだ」

心が痛かっただけではない、引き裂かれる衝撃だった。

たかも『何当たり前の事言ってるんだ』と言いたげな上司の顔、今でも覚えている。

上司の言う通りだった、違法サイト広告掲載し、そしてお金をもらっている。

そのお金自分は何をしていた?

生活をしていた、食事をしていた、生活用品を買った。

漫画を買った、映画を見た、CDを買った、Blu-rayを買った、DVDを買った、グッズを買った。

実にバカバカしいと思った。

本来行くべきお金の一部が自分を経由して、行くべき場所へ行っただけ。

帰宅して、時間も気にせず声を出して泣いた、頭が痛くなるぐらい泣いた。

上司から言葉を受け、頭の中が真っ白になったその日は、反抗期が無かった自分にとって人生で5本の指に入るぐらい荒れていた。

幸いにも週末で土日を挟む、その事も相まってかいけないと分かっていながらもアルコールの力を借りて全て忘れてしまおうと思った。

飲んでも飲んでも記憶は消えず、ただトイレに行き吐くだけ。

悔しさのあまり、働いて得た給与で買ったとある作品を一冊ボロボロにした。

好きな作品のはずなのに、その時は憎くて仕方がなかった。

娯楽に使っていたお金は、自分が働いてもらったお金は、綺麗なお金じゃない。

いや、綺麗なお金なんて世の中にないのかもしれないが、他の人達より汚れたお金をもらい、それを本来いくべき場所へ還していた。

ボロボロにした一冊の上に涙が落ち、その後は堰を切ったように涙が溢れ出し止まることがなかった。

アルコールのせいも否定できないが頭痛がした。それでも涙が止まることがなかった。

自分の好きな漫画、好きなアニメ、好きな映画入社してもらった給与で購入したそれらを創り出し世に出してくれた。

そんな彼らの努力の上にあぐらをかいた奴らの資金源になっていた、それがどうしようもなく許せなかった。

気が付くと涙を流しながらボロボロにした一冊を抱えて気を失っていた。

それからすぐ、友人に連絡をした。

そして自分は辞めた。

すぐに次の勤め先は決まらなかったが、暫くして良い会社に拾ってもらえた。

もう二度とインターネット広告代理店なんかで働きたくない。

違法サイトを見てみぬふりをしなければいけない、ただひたすらに胸が痛い。

アンダーグラウンド存在としてはずっと前からあった。

自分学生の時から違法サイト蔓延っていたが、日常会話で出てくるような事は間違ってもなかった。いわゆるアンダーグラウンド存在

自分はそんなサイトを利用した。そんなサイトで読んだら、どんな作品でも必ず本を買った。

読んだ作品たまたま面白くなかった、ただそれだけで次に生み出すエネルギーとして作り手を応援たかった。

アルバイトが出来る年齢になったらすぐにアルバイトをした。

放課後コンビニアルバイトをして、お金を稼いだ、波はあるが月に4万ぐらい。

そのお金で友人との交際費を確保しつつ、漫画アニメのグッズ、円盤を買ったり、一人で映画を見に行ったり、娯楽に使った。

漫画村の件は氷山の一角ですらない。

違法サイトというくくりで述べるなら、漫画村氷山の一角にすらなっていない。

違法サイトなんてものもっと沢山ある。

これからこの問題はどうなっていくのだろうか。

サイトブロッキングという根本解決に至らない方法が進んでいくのだろうか。

違う、そうじゃない、違法サイトだと分かっていながらそこに広告掲載し続ける企業を締め出すべきだ。

そうすれば収益の上がらないサイト運営者は自然サイトを閉じていくのだから

2018/04/28 0:11追記

少し見やすいようにしてみたがどうだろうか。

ポジティブコメントを多く頂く事が出来て、自分のやったことは間違っていたのか不安だったが、概ね合っていたようで安心した。

バズらせる事が出来たら、自分としては本望です。

違法サイトを少しでも無くすためには収入源を絶つこと、収入源を絶つためには評判を落とすことが必要から

本当はすぐ辞める事に戸惑いはあった。

辞めたらその時点で生活必要お金が入らない。あいにく貯金もない。

自分はまず友人に相談した。

自分は今までの間、違法サイト広告提供し、それで生活費を手に入れていた、好き好んでやっていない、こんな会社だと思わなかった。アダルト系を取り扱っている事は入社前に説明があったが、違法サイト収入源の一つになっていたとは想像していなかった。」

その後家族にも同じように相談した。

もらったアドバイスは総じて「辞めるべき」だった。

家族からは「仮に違法でなかったとしても自分良心が痛むと思ったなら、辞めなさい。」と大きな後押しをもらった。

貯蓄もなかったので、生活面の不安も伝えたが

生活費はどうにかなる。それよりも自分気持ちを大切にしなさい。」

友人からは心強い言葉をもらえた。

「お前の心が痛むのは、お前の中で『誤った事をしている』と認識があるからだろ?心が死んでいく姿を黙って見ていることは出来ない」

多くの支えがあって自分は辞める決意をしたのだった。

辞めてから時間が経ち、自分の中で「過去の事」として片付き始めていた時に漫画村騒動が起き、ねとらぼ記事を見つけた。

なぜ情報提供したのか、なぜ今になって社名を出したのか、それは今も痛む心のせいだ。

今もクリエイティブな事に従事する人たち、クリエイターアクター、すべての人を応援している。

その気持ちは変わらない。

彼らは根っからの嘘つきだ。

嘘つきに他ならない。

ペーパーカンパニー募集されていたハローワーク求人票を見て自分は応募した。

採用され、初出社日に全てを告げられた。

労働条件通知書、これを受け取った社員は一人としていない。

中にはしつこく迫り、根負けした人事担当が"仕方なく渡した"人もいると噂で聞いた。

それだけ精神の強い人だったのだろうと、一種の憧れにも似たものを覚えた。

ねとらぼ記事にあった文面を見て呆れてしまった。

「もう一つの会社グローバ◯ネットとは別会社であり、子会社である

嘘もいい加減にして欲しい。

グローバ◯ネットに籍を置く社員の多くはそのもう一つの会社に当たる[株式会社エムエ◯ラボ]にも自動的に籍を置かされるじゃないか

2つの社名を名乗る社員電話で名乗る時に必ず間違える。

取引先にエムエ◯ラボ名義で名乗っていてもCCグローバ◯ネットドメインアドレスが入っている。

会社子会社子会社取引内容を全て検閲するのが親会社のする事?

こんな怪しい会社取引する会社は同じ穴の狢だと思った。

これ以上追記をするような事があったら、別記事としてあげます

少しでもクリエイティブ活動をする人々が正当に評価され、生活していける世の中になる事を日々願いながら、自分自分のできる事をやっていくしかない。

自分が行った行為会社にとって不利益を被るだろう、しかあなた達の行為は更に大きな不利益を生み出しているんだ。

早く目を覚ませ、そしてその会社から逃げろ、好きでいるなら一緒に沈め。

最後に、魚拓とるなら最新のこれをとってくれ。

記事で社名を伏せていなかったが伏せた。

身バレが怖いのではない、身バレする以前に異常な離職率なので身バレしない。

伏せた理由記事が消されてしまう事が嫌だから

伏せたとはい特定できるだろうし、既に取られた魚拓から辿る事ができるだろう。

後は関与しない。

もうあのブラック広告代理店とはなるべく関わりたくない。

これ以上追記するつもりはなかったが、これだけは言わせて欲しい。

掲載しているまとめサイトを見つけた。

http://blog.esuteru.com/archives/9101964.html

自分まとめサイトが嫌いだ、早く削除してください。

このサイトに限らずまとめサイトは嫌いだ。早急に削除してください。

2018/04/30 1:07 追記

書いたのは自分だ。

http://twitter.com/its_minuit

2018-04-18

父が死ぬほど嫌いで憎くて死んでほしくて死にたい

30代中盤になり、将来のことが不安になった私は都会での仕事を辞め、一時的実家に帰ることにした。

差し迫った理由もないのに安易に気ままな一人暮らし生活を捨ててしまった自分を今となっては止めたいが、

そのときはこれで高い家賃も浮くし、家の手伝いもできて親孝行にもなるだろうと気軽に考えていた。

世間人手不足で騒いでいるから、転職にはそれほど困らないはずだ。そんな能天気な期待もあった。

実家田舎ではそれなりに大きな家で、裕福だ。一昔前よりは減ったが親戚付き合いもまだ多い。

長男の私は子供の頃から「跡取り」になるのだという意識を、その言葉意味もわからないのに、当たり前のように持っていた。

私は典型的な「田舎長男」として生まれたわけだ。

家業とはまるで違う学部大学に入っても、家業の役に立たない仕事を始めても、その意識は消えなかった。

今考えると、その時点でおかしく感じる。私は家業を継ぐ気も、実家で一生過ごすつもりもなかった。

自分の住みたいところに住み、やりたいことをして生きるつもりだった。

それなのに心の中ではいずれ家に帰るつもりだったのか。それを既定路線として、どこかで受け入れてしまっていたのだろうか。

昨夜、父と口論した。

きっかけは私に明日(つまり今日)、家業の手伝いをするようにと父が言ったことだった。

別に大した内容ではない。ただ立っていればいいような仕事だし、今までもそういうことはしてきた。それは当たり前のことだったから。

ただそのときは疲れていたのか、本気で拒否してしまい、それからは互いに、というより主に私が、相手を傷付ける言葉を連発した。

(そしてその言葉が数時間後、布団の中にいる私を苦しめ、眠れなくなってこうして書いているわけだ。)

「俺は家は継がない。お父さんが死んだら全部処分するよ」

私はそのようなことを言った。これに対し父が

「そんなこと許されると思ってるのか? これまでおまえにいくらかけたと思ってるんだ」

と返し、以下すべて私。

「俺より早く死ぬ奴のために、自分人生をめちゃくちゃにする気はない」

長男とか継ぐとか、そういう時代じゃないから」

「見返りを求めるって、親として最低だよ」

「親が死ぬはいいよ。介護することになると困るんだよ」

ただし、私の声は異様に震えていた。父と真面目なことを話すときはいつもこうなる。

毒親」という言葉最近知った。父がその毒親ではないのかと思うことがよくある。

父に関する一番古い記憶は、火曜サスペンス劇場だ。

この番組CMに入るときに特徴的な効果音が入る。(ちゃんと見たことはないので、違っているかもしれない。)

夜、寝ていると、父と母が怒鳴り合う声がする。その合間合間にあの効果音が聞こえるのだ。

どんなに耳を塞いでも、布団に潜っても、自分の声でかき消そうとしても、怒鳴り声と効果音は鳴り続けた。

この番組が「火曜」サスペンス劇場と知ったとき不思議な気がした。記憶の中で、あの音は毎晩聞こえていた。

…こんなふうに幼少時の思い出を書くことが何になるだろう?

私は実家に戻って以来、父と生活していることにたまらない不快感を抱いてきた。父は毒親なのだと思ってきた。

だがたぶん、こんな家庭も親もいくらだっている。親は完全な存在ではない。

私はもしかすると、自分が父を不快と思うのを正当化するために、父を毒親の条件に当てはまるよう、

頭の中で自分記憶感情捏造してきただけなのかもしれない。

火曜サスペンス劇場のことだって、たとえば一年前、同じように思っていたか確信が持てない。

第一、昔からそんなにも父との関係が壊れていたら、こんなに軽々しく実家に戻る決心などしなかったはずだ。

毒親」という言葉のあと、真っ先に親を責めるようなこんなエピソードを持ってくること自体共感を求めて甘えている。

人が見れば、父など毒親でも何でもないのかもしれない。

出来の悪い子供ちゃん大学まで行かせて、ニートになっても何も言わずに面倒を見て、

いまは無職となった息子を無料で家に置いている、優しい親なのかもしれない。

というより、書いてて確信したが、きっとそうだろう。

別に父との思い出は嫌なことばかりではない。スーファミソフトをたくさん買ってくれたし、旅行も何度も連れて行ってくれた。

人並みに反抗期だってあったが、大学入学で家を出てからは衝突もなくなり、二人で飲んだりすることも何度だってあった。

30代半ばにもなってパパなんかだいっきらいなどとわめいている私こそがどうしようもなく幼稚で未熟な異常者なのだ

何も考えずに家業を継げばいいのに、下らない自意識自尊心のせいで、父や先祖の築き上げてきたものを無に帰そうとしている。

しかも私はその家業にも家柄にも土地にも、何の興味も持てない。同じ思いをすることになる生命をつくることが罪悪にすら思う。

転職成功して、家を出るときのことを想像する。

想像の中の父は怒り狂って、引っ越しの準備をしようとする私を怒鳴りつけ、家から出すまいとする。

そんな仕事してもどうせダメなんだから、おとなしく家業を継げ。

父のセリフが今から聞こえるようだ。だが、すべて私の妄想だ。

無理矢理家を出れば、父は思い描いていた人生を打ち砕かれ、気落ちして、そのまま死んでしまうかもしれない。それも私の妄想だ。

どうして父との関係をうまく築けないのだろう?

どうしてこんなにも父の存在我慢できないのだろう?

父は普通で、私が被害妄想おかしくなっているだけなのに。

私は父が毒親かどうかなんてどうだっていい。父と仲良くやっていきたいだけだ。

これから二十年、十年、五年、いつまでかわからないが、残りの時間幸福に過ごしてもらいたいだけだ。

なのにそれができない。幸福にするどころか、傷付けてしまう。

父が人間の屑なら、そうできない自分に悩むこともないだろう。だが私は、悩むのが辛くて、父を屑だと思おうとしている。

父が死ぬほど嫌いだ。憎んでいる。生きていてほしくない。いなくなってほしい。死んでほしい。

から死にたい

P.S. 殺人自殺の予定はない。念のため。

2018-04-12

三十路の妹がクズすぎる助けて

実家に住んで家賃光熱費など一切おさめず、家事の類も一切やらない。インターネットではこの時点でやばい認定をもらえるだろうが、現実さらに上を行く。家庭内暴力である。といっても言葉暴力だが。妹はなぜか、居心地の悪い(妹は母親が嫌いなのだ実家に住んでいる状況を家族の、母親のせいにしている。いやいやお前が家賃節約するために実家寄生してるだけなの忘れたか?!とびっくりするのだが、「あたしはマンション買うお金貯めるだけにココにいるだけだから!話しかけないで!」と叫ぶ始末である。おいおい、お前が安全に寝泊まりして風呂に入って食事用意してるの誰だよwwwwww洗濯してるの誰だよwwwwパンツ畳んでるの誰wwww反抗期高校生かよwwwwwwwでも三十路なんだよなあ…ますを。

しんどい

追記

・なぜ追い出さないの?

この手の追い詰められた人間(ただ我儘なだけだろと思うが、医者から見たら、本人は追い詰められてると思っているらしい)から追い出す形で居場所を奪うのはかなり危険だそうで。危険行為に出る、究極的に逆恨みされて二度と会えなくなるなど。相談している精神科医から指導

これについて言いたいことは山ほどあるけど、一理あるとは思うのであえて追い出さないし、いい加減にしろ!などの強い言葉、頭ごなしに否定する言葉も使わない。

2018-03-20

anond:20180319190812

父親単身赴任母子家庭状態共働き家庭で育ったので、専業主婦がいる家の余裕を結婚してから知った。

子供の頃、いろんな事で困って母に相談すると、やっかいごとを持ち込むなと露骨に嫌がられた。

相談をしても文句を言われたり、怒られたりとやっかいごとを持ち込んだことへの怒りをぶつけられるだけで解決はしなかったので、「この人に聞くだけ時間無駄」と思うようになった。「何でも自分でやる手間がかからないいい子」なのではなく、人間不審なだけだった。

ちょっと気に入らないことをすると、それだけで手が飛んできた。子供心にも感情で殴ってるというのがわかっていた。

学生時代帰省して家でゴロゴロしていたら、家事をするように怒られた。「こんなだから恋人の一人もできないんだ」となじられた。

いとこが先に結婚した時は「いとこは大人だ。自動車ローンだって組めるし。それに比べておまえはなんて子供なんだ」となじられた。

子供ができた時、名付けを親にさせなかったことで、「子供子供を育てている」となじられた。

大人になってから、「うちの子には反抗期がなかった」などと外でうそぶいているらしいが、反抗期がなかったのではなく、信頼関係が無かったのだと思う。

結婚して、相手の家にしばらく逗留した時、圧倒的な余裕のようなものを感じた。

せかされるようなギスギスした感じはなく、全般的にゆったりした時間が流れていると感じた。

全般的に何もしないで自分のことをしている時間があるという印象で、時間に追われるように生活していた自分とは大違いだと思った。

ヨーロッパの人は長期休暇で避暑地に行って、朝から晩まで何もしないで椅子に座って寝ているらしいけれど、まさにそれを見ている感覚

相手からは昔おねしょをした時に親に「大丈夫だよー」と慰められて落ち着いたという話を聞いたけれど、うちだったら「この眠い時に何してくれとるんじゃ」という顔で事務的粗相を処理されたのだろうなと思った。いや、自分はその方法しか知らないので、自分もそうしてしまう気がする。

今の日本相手の家のような家を無くして、うちの実家のような家を増やそうとしているように思う。

保育園時間があるからと嫌がるなか無理矢理乗り物に押し込められる子供を見ると、デジャビュを感じてしまう。

その家から子供の泣き声と親の怒鳴り声が聞こえてくると、またデジャビュを感じる。

何でこの余裕を持とうとしないのかな。生きがい、お金子供の心よりも大事ですか?

2018-03-10

就職活動

毎朝コーヒーカップ片手に新聞を読む。大人ルーティンに、そろそろ私も慣れてきた。

だが、外面だけ取り繕っても所詮私は子供。どこへ行き何をするべきなのか、未だに分からない。

思えば、子供の頃から親の言う事を素直に聞いて生きてきた、中学部活も、大学受験も。反抗期は無かった。親の敷いた終着駅の見えないレールを、何の疑問も抱かずひた走っていた。

しかし、大学に入り、急に親から「お前の人生だぞ」と、突き放された。私は自分からっぽである事に気付いてしまった。

自分を埋めてくれる何かを探していた私は、テニス演劇競技ダンス、気になつた事になんでも首を突っ込んでみた。

活動は楽しく人も皆優しかった。けれども、みんな自分の中に好きなもの、嫌いなものを持っていて、何でも好きで何でも嫌いな私が、知ったかぶり同調していいものか分からなかった。深くは分かり合えなかった。私は何が好きなのか、結局最後までよく分からなかった。

就職活動が始まった。友人が慌ただしそうにしている中、私も企業セミナーへと足を運ぶ。

未来を熱く語るサラリーマン言葉は心に届くまでに、薄いもやがかかる。

目標や使命を持って働く人に憧れる。だが、私がそれになれるとはあまり思えなかった。

私はどうすればいいの?

これを聞くことすらも、私がからっぽな事の証明みたいだ。

自分で見つけなければいけない、そんな事は分かっている。

でも、良かったら、何かアドバイス下さい_:(´ཀ`」 ∠):

2018-03-07

anond:20180307192352

頭叩いたり、足で蹴ったりって、、、

釣りか??

反抗期じゃなくて親離れだから一人暮らしさせてやれ。失敗も本人のためだ

遅すぎる反抗期がうざい

娘の遅すぎる反抗期が来た。 もう22だよ。ありえないんだけど。

家にいるのが嫌だとか言ってしょっちゅう遊びに行く。それで門限ギリギリに帰ってくるか、オールしてきたりするし。

さすがに月に週に1回とかになって来た時は叱ったけど。

社会人になってからは家から通勤なんだけど、遠くてしんどいから一人暮らししたいとか言うし。

金がないんだしみんな遠くても通ってるんだからから通えって言っても他人ができることと自分ができることは違うとか言ってくるし。なんどもなんどもうるさい。イライラさせんな

ついには他人に金借りて勝手に引っ越そうとしてたから夫も一緒になってやめさせた。 その時急に泣き出して、お母さんは昔から否定してばかりだとか、私の話を聞いてくれないとか。 なんか昔の話を蒸し返し出して面倒臭い中学生の時にいじめられて泣いて帰って来たのに帰るのが遅いって殴られたとか、お前が悪いって言われたとか。そんなの言った覚えないし。 部屋覗きに来た時もちゃん勉強せずに寝てるんだから起こすために頭叩くのは当たり前だし、足で蹴ったこともあるけどそんな虐待みたいな言い方すんな。

躾なんだから痛いのは当たり前でしょうが。言うこと素直に聞かないお前が悪いよ。塾だってあんたが行きたいっていうから通わせたのに…

泣いて騒いでた次の日から全く話さなくなったし、家にいるくせに家事も手伝わずに態度悪い。ガキの反抗期だよ。

もともと努力しないくせにわがままばっかり言ってるのはそっちだしいい加減にしてほしいわ。

の子ちゃんといい子にしてるしコツコツ勉強してて偉いんだけどなー。

どこで育て方間違えたんだか

遅すぎる反抗期

娘の遅すぎる反抗期が来た。 もう22だよ。ありえないんだけど。

家にいるのが嫌だとか言ってしょっちゅう遊びに行く。それで門限ギリギリに帰ってくるか、オールしてきたりするし。

さすがに月に週に1回とかになって来た時は叱ったけど。

社会人になってからは家から通勤なんだけど、遠くてしんどいから一人暮らししたいとか言うし。

金がないんだしみんな遠くても通ってるんだからから通えって言っても他人ができることと自分ができることは違うとか言ってくるし。なんどもなんどもうるさい。

ついには他人に金借りて勝手に引っ越そうとしてたから夫も一緒になってやめさせた。 その時急に泣き出して、お母さんは昔から否定してばかりだとか、私の話を聞いてくれないとか。 なんか昔の話を蒸し返し出して面倒臭い中学生の時にいじめられて泣いて帰って来たのに帰るのが遅いって殴られたとか、お前が悪いって言われたとか。そんなの言った覚えないし。 部屋覗きに来た時もちゃん勉強せずに寝てるんだから起こすために頭叩くのは当たり前だし、足で蹴ったこともあるけどそんな虐待みたいな言い方すんな。

躾なんだから痛いのは当たり前でしょうが。言うこと素直に聞かないお前が悪いよ。塾だってあんたが行きたいっていうから通わせたのに…

泣いて騒いでた次の日から全く話さなくなったし、家にいるくせに家事も手伝わずに態度悪い。ガキの反抗期だよ。

もともと努力しないくせにわがままばっかり言ってるのはそっちだしいい加減にしてほしいわ。

の子ちゃんといい子にしてるしコツコツ勉強してて偉いんだけどなー。

どこで育て方間違えたんだか

2018-03-03

夫婦喧嘩を見て育った

普通の家ってなんだろう。

私は自分の家を普通の家だと思っていた。むしろ大学まで行かせてもらって、その上生活費も出してもらっていたのだから、すごくいい家庭である。憎まれるほどいい家庭だ。

でも、昔から夫婦喧嘩が絶えなかった。

子供暴力をふるうことはなかったが、父は母を叩いて殴って蹴って踏んで罵倒していた。母は金切り声の叫び声をあげてわんわん泣いていた。物心ついたときから家はこの状態だった。

記憶してるなかで一番はじめの夫婦喧嘩は、3歳くらいの、まだ市営住宅に住んでいたときだ。

夜遅く、母は洗濯物を畳んでいて、私は母のそばテレビを見ていたと思う。車の音がして父が帰ってきた。母が玄関まで鍵を開けに行くと、酔っ払った父が家の中に入ってきた。私はなぜかすぐにコタツの中に潜って隠れた。父と顔を合わせたくなかったんだと思う。あと、酔っ払うと絶対喧嘩になることを知っていたからかもしれない。私は真っ暗なコタツの中で息をひそめていた。しだいに口論になっていくと、突然父が怒鳴り声を上げる。いつもここでびっくりしてしまう。本当に突然大きな声で怒鳴るのだ。そしてバシッと叩く音が聞こえる。何度も叩く。母はその度に「もう!やめて!やめてよ!!」と甲高い声で泣きながら叫ぶ。ドカドカと殴る音になると「やめてーーーー!」と母の絶叫が聞こえる。私はコタツの中でずっと震えていた。隠れているのが見つかったら私も同じ目にあってしまうと思っていた。喧嘩が終わると、まだ興奮がおさまっていない父の口から漏れるシーシーという息と、母のすすり泣く声に変わる。怒鳴り声か金切り声はだんだん慣れていくが、すすり泣きの声だけはいつまで経っても心臓がぎゅっと掴まれるような痛みを感じる。

両親はほとんど毎日喧嘩していた。父がいない日は心からホッとした。母が私を寝かしつけたあとに父が酔っ払って帰ってくると、ドスドスという足音とひどい喧嘩で起こされた。それでも布団にもぐって怯えながら寝たフリを続けなければならなかった。母をかばたことは、たぶんなかった。

次に記憶があるのは、小学校の高学年のときだと思う。父は自営業を始め、母は事務を手伝っていた。工場に隣接されるように建てた一軒家には自分の部屋がつくられた。

仕事は忙しく、夕飯はいつも11時くらいに食べていた。共に自営業を始めたことで、喧嘩レパートリーが増える。母も気が強い方なので、父に対して仕事意見を言うが、父は「口出すな」「誰のおかげで生活できてると思ってんだ」「黙っとけ」と応戦する。「くらすぞ!!」と拳を振り上げ、しだいに喧嘩ヒートアップする。プロポーズだと笑われてる九州方言だけど、聞くと少し複雑になる聞きなれた言葉

また始まった...と呆れながらテレビを見続けた。うしろで行われる喧嘩が聞こえてないようにじっとテレビを楽しむふりをしていた。怒鳴り声で音なんか聞こえないのに、ずっとその場に固まったままテレビを見続けた。喧嘩が始まると、その場から動いちゃいけないという気になるのだ。トイレに行きたくても、立ったその瞬間に「聞こえてません知りません」のフリは解けてしまうと思っていた。自分の部屋に戻りたかったけど、その場から逃げることはなんだか卑怯だと思っていた。母を助けないくせに。

怒鳴りながら暴力をふるう父と、泣きながらやめていたいと泣き叫ぶ母と、テレビから目を離さな子供。今考えると異常な光景だった。すぐうしろで母が泣き叫んでるというのに、見ないふりをしていた。

その日はなかなか喧嘩がおさまらなくて、近所迷惑だなと呑気に考えていた。その時、怒り狂った父がとうとう台所から包丁を持ってきた。この時の光景はずっと忘れないと思う。父は「ころすぞ!」と怒鳴りながら泣きじゃくる母に向けて包丁を何度も振りかざすまねをしていた。母がその時やめてと叫んでいたのか、刺せばいいでしょと反抗していたのかはもう覚えていないけど、ただ包丁を母に向ける父の姿から目が離せなかった。

頭の中で「終わった...」と考えていた。父が母を殺して、両親をどっちも失うことになって、どうやって暮らしていけばいいんだとまで考えていた。その喧嘩はなんとか父が冷静を取り戻して終わったが、ずっとこの喧嘩のことは忘れないだろう。

父は交友関係が広い人だった。外に出ると、何度も友人や知人に明るく挨拶をする姿を目にする。外での父はとてもいい人だった。明るくて面白くて輪の中心にいるような人だ。私に対しても優しくて少し甘い普通父親だった。だからこそ、その二面性がこわくて気持ち悪かった。

父の友人は私に「いいお父さんでしょ?」とにこにこしながら聞いてくる。私はいつもなんと言っていいかからなかった。

やがて反抗期に入った私は父とまったくしゃべらなくなっていた。そこまでは良い。よくあることだ。しかし、私は母に対してひどい態度をとるようになってしまった。母を小バカにするような口はまるで父のようだった。私の中で無意識に「母にはひどい態度をとっていい」という意識が生まれていた。今考えると、父の母に対する態度の影響が出ていた。

大学に入って地元を離れることになった。簡単には両親と会えない距離だ。そこで私は一人暮らしのあまりの快適さに感動してしまう。怒鳴り声も暴力もない、近所迷惑も考えなくて良い生活は本当に心地よいものだった。

そして、両親が今まで不自由なく育ててくれたことに自然感謝できるようになった。夫婦喧嘩記憶だんだんと忘れていった。

でも、正月や盆に帰るたびに夫婦喧嘩日常的に行われていた。私は理由をつけて帰らないようになっていった。

大学にいる間、たびたび友人間で両親の話題をするようになる。もちろん良い部分だけを話した。そうすると友人の中でうちの両親のイメージは「優しくて天然なお母さん」「面白くてちょっと寂しがり屋なお父さん」という理想的な両親になる。私も誇らしかった。「私の両親は良い人なんだ」と思うことができた。久しぶりに帰ると、そのイメージは壊され、やるせなかった。

うちは普通の家庭である、と思っていた。喧嘩が少し多いだけの、普通の家庭だ。でも、親元を離れて暮らす中で、あれは普通ではなかったかもしれないと気づいていく。夫婦喧嘩包丁は振らないし、「誰のおかげで生活できてると思ってんだ」なんて言葉は出てこないらしい。

大学卒業して地元に戻ってきた私は、いまだ喧嘩を続ける両親に向かって言った。「夫婦喧嘩がほんとに嫌だった、辛かった。喧嘩するのもうやめてほしい」と伝えた。父は笑って「どこの家もこんなもん。だいたい喧嘩じゃなくてじゃれてるだけ」と言った。情けなくて、もう何も言いたくなくなった。

夫婦喧嘩について調べていく中で、「面前DV」という言葉があることを知った。直接子供暴力を向けなくても、夫婦喧嘩子供精神DVを与えるというものだ。たしかに辛かったが、私はあんまり精神DVを受けたとは思っていない。なぜならいつも知らないふりをしていたからだ。母がどんなに泣き叫んでも庇わなかった。でも面前DVを受けたという話の子供はほとんど母を庇っていた。怖かったとはいえ、自分が情けなくてたまらなかった。

今では大人になり、父の言い分も母の言い分も理解できるようになった。仲裁に入るようになった。ずっと離れていたためか、暴力をふるう姿はあまり目の当たりにすることはなくなった。母方の祖父と共に暮らしているため、怒鳴り合いだけに抑えているのかもしれない。職場では、従業員の前でも怒鳴り合いの喧嘩をしている。人のいないところでまだ暴力をふるってるのかもしれない。

そういえば、病気で目が見えづらくなってきたのに配達に行かせるのよ、と母にこの前愚痴られた。なんでもないただの愚痴のように言われた。一歩間違えば事故を起こすというのに、「父は昔からそんな人だったのか」と改めてショックを受けた。

仲裁をしていく中で、私の意見なら父はちゃんと聞いてくれるということがわかった。母も「あなたの言うことなちゃん聞く耳つのよ」「あなたから言ってよ」と言うようになった。

私が言わなければならないということはわかっているし、母を庇おうとしなかった負い目もあるため私から話をすることが増えた。しか口論になって、怒りを滲ませた父の表情を見ると、恐ろしいと思ってしまう。白目のところが赤くなっていくのだ。次には拳が飛んでくるのではないかという考えがよぎる。

離れたら穏やかに暮らせると思う。だけど、私がいない間の両親の喧嘩想像すると苦しい。いつかどちらかが殺してしまうのではないかとずっと思っている。

私に対しては優しい父への接し方がいまだにわからない。

2018-02-25

メンタル調子を崩した。

どんなに疲れてて身体が眠りを欲していても布団に入って1,2時間寝付けないなんてのはザラで、というかそれ自体は1年以上前からだったので睡眠薬個人輸入でどうにかしていた。別に毎日薬がないと全く眠れないわけじゃない、せいぜい月の1/4〜1/3だったので不眠症ですらなかっただろう。

ところが昨年の夏くらいから月の半分以上は薬が必要になって、一回一錠の規定量のはずが二錠三錠と飲んでも眠れない。なんとか意識を失えたとしても3時間後くらいには必ず目を覚ました。薬を使わない日は昼寝みたいな量の睡眠を何回か小分けにして取る感じだった。ODなんてしないし、不眠症で苦しんでる人はもっと酷いものなのだろうし、ただ何となく体調が優れない毎日だった。

から食事が摂れなくなった。元から一人前を食べるのがやっとなくらいの少食ではあったが、いつのまにかその半分も一度に食べられなくなっていた。少し食べただけですぐ胃が張るし、食後数時間胃が痛み続けるのだ。最初は胃が荒れていたりなんだり、物理的にどうにかなっているものだと思っていた。

その頃から学業以外に常に3つは並行して抱えていた個人的な締め切りをキャンセルしたり、新規で何も入れなくなった。回らなくなったのだ。手帳を開く回数が激減した。そのうち学業の方の締め切りもいつも直前まで苦しむようになった。アイデア出しの時間が一番苦痛で、手を動かし始めるまでにものすごい気力が必要だった。

1月に入って内視鏡の予約をした。人気の病院だったからか、1月頭に行っても取れたのは1月末の予約だった。医者に症状を伝えても「見てみないとわかりません」としか言われず、胃腸薬も出なかった。

1月中ば、それまで申し訳程度には食べられていた普通食事がまったく摂れなくなった。ツイッターで流れてくる食べ物写真も、春先は美味しく食べていた学食ランチセットも、みんなプラスチック食品サンプルに見える。スーパー食品売り場に行くと何を買っていいのかわからなくてその場にいられない。冷蔵庫の引き出しを上から下まで開けては何も取り出さずに閉じる。温めるだけのチルド食品を手に取ると、心臓がドキドキして息が苦しくなって立っていられなくなる。そういえばこの少し前から、外出先でパニック発作みたいなのが出るようになっていた。43キロくらいはあった体重が、そろそろ40キロを切りそうになっていた。

1月から2月半ばにかけて、あちこち病院にたくさん行った。内視鏡は何も問題なかった。最終的に行った心療内科先生に、「お母さんがストレスの原因なのかもしれない」と言われた。心療内科に行くのは私の希望で、母には散々反対されて罵倒されて、挙句ついてきて診察室で勝手に喋り倒していた。

ずっと原因がわからないつもりでいたが、ずっと母の声を聞くたびに身が竦んでお腹のあたりに変な力が入って何も言えなくなっていた。何かを言えば「反抗期」「口答えばかり」「誰の金で生活してるんだ」と言われた。事実だったし、22にもなって実家暮らし親の金で日々の食事をして親の金学校に行っている人間には何もいう権利が無いものと思っていた。人に愚痴を言ったところで「何を甘えたことを言っているんだ」と返されるのが関の山だと。恥ずかしかたから誰にも言えなかった。

先生からの勧めで、今は祖父母の家に居候という形になっている。2週間くらい母には会っていない。個人輸入ではなく処方箋で貰った睡眠薬を飲み始めたり、最初からなのかなにも効果が出なさそうな量の抗うつ剤を処方されたり、パニック発作用の抗不安薬規定量の半分で処方されてたせいで全然効いてくれなかったり色々あった。あまり薬は出したがらない先生らしい。

日中は何もしていない。というか、何もできない。勉強はもちろん、本も読めないしゲームもうまくできない。絵を描こうとペンを握る気にもなれない。ネットサーフィンのやり方も忘れたのでパソコンもずっと開けていない。

何もしない毎日苦痛過ぎるので来月からバイトをしようと思うと友達相談したら、普段なんでも応援してくれる子が強い口調で止めてきた。話を聞くのが上手い子で、愚痴を聞いてなんて話始めじゃなくてもいつのまにか自分の話を聞いて貰っていた。母の話をした時は、それは世間ではモラハラと呼ばれるなんて言われた。

療養中なんだから療養しろと言われて、たしかにそうすべきだと思ったし、どうしてそんなに「何もしない」が苦痛なのか改めて考える機会になった。

お金必要から?確かに貯金は減る一方だが、新学期からまったく生活できないほどではない。やりたい仕事だった?仕事なんて本当は何もやりたくない。誰かにバイトしろと言われた?誰も何も言っていない。

そうだ、誰も何も言っていないのだ。

「いつまでうちにいるの?」「やることないの?暇なの?」「時間無駄にしてるね」「家にいるだけで何もしない金食い虫」「お前がいる分光熱費も食費もかさむんだ」「寝てばかりいて治す気がないんだろう」

常に誰かに背を追い立てられている気がしていた。祖母も、祖父も、何も言っていない。私の頭の中の誰かが言っていることだった。

ほとんど全部、ずっと母に言われていたことだった。

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