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はてなキーワード: 反抗期とは

2018-02-17

兄が怖い

家は兄兄妹(私)の三兄妹だ。

次男とはテレビを見ながら一言二言会話ができる程度には良好な関係だ(私自身あまり口数が多い方ではない)

母親を交えればより和やかに会話が弾む。

私が苦手意識を持っているのは長男の方だ。

長男は、兄妹の中で唯一わかりやす典型的思春期反抗期経験している。

彼が中高生の時には母親毎日のように口喧嘩をしていた。(父親単身赴任のためほぼ不在)

直接母親に手を上げることは無かったが、彼の部屋の壁や本棚の側面には未だにいくつかの穴が空いているし、母親が泣きながら家を出て行くところも何度も見た。

両親が家にいない時、兄はよく私に命令をした。

覚えてるのは「カップラーメン作れ」とかそんな程度のものだったが、私はそれが凄く嫌だった。

反抗すると「殴るぞ」と脅され、「やってみれば」と挑発すると本当に腕を振り上げるのだ。

当然私はびびって構えるのだが実際に彼が私を殴ることは無かった。

けれど私にとっては腕を振り上げられた時点でもうそのショックは殴られた事と同じだった。

違いは肉体的な痛みの有無だけだった。

当時小学生だった私には当然成す術など無く彼の命令を聞いた。

そんな事が何度もあり、兄と二人で家にいるのが怖くて家を出てマンション階段にずっと座り込んでいたこともある。

高校生になると長男は家に帰って来ることが少なくなった。

そして大学生になると同時に家を出ていった。

時々帰省して来ると顔を合わせることになるのだが、流石に成人して数年が経つ彼が私に何かを命令して来る事は当然無い。

そもそもここ数年私と彼の間には会話らしい会話というものが無い。

私は彼の事が苦手だし興味も無いので話しかけることは無いし、彼も私に話しかけてくることは無い。

私の事をどう思っているのかなど会話が無いのだから分かるはずもない。

それだけなら文句はないのだが、私は彼の吸うタバコ匂いや自室で流している大音量音楽にとても迷惑している。

母親にどうにかして欲しいと話すと何度かは注意してくれるのだが数回目からは「自分で言いなさい」と言われる。

その通りなのだが、何故か私にはそれが出来ない。

何故なんだろうと考えて、気がついた。

私は彼の事が怖いのだ。

私の中の長男記憶は彼の反抗期真っ盛りの頃が最も多くを占めている。

きっと今の彼はもう私にムカついたとしても殴ろうとすることは無いだろう。

母親からも「実際に殴られた事はないんでしょ?向こうも別に嫌ってる訳じゃ無いんだから大丈夫でしょ」と言われる。

そんなことは分かっている。

けれどどうしてもあの時の恐怖がチラついて直接彼に立ち向かう事ができないのだ。

anond:20180217103518

言い方を換えると、「反抗期」の重要性だな。

死なないようにするには軽犯罪(?)を未成年のうちにやっておくのが生き残るコツだと思う。

反抗期位置づけ

ジャン・ピアジェなど、子ども発達心理学を学ぶと分かる。

人間精神的な成長過程には4つの段階がある。

  1. 抑圧:力が弱いときは、イヤなことでも周りに抵抗できない。抑圧されていてエゴ表現が十分にできない。
  2. 反抗:力が付いてきて周りを恐れなくなると、堂々と自己表現ができるようになる。気にいらなければ抵抗できる。
  3. 挫折自分本音を知り、自己主張を続けると、他者との衝突が避けられない。自分より強い者とぶつかり負けると傷つく。
  4. 調和エゴで周囲とぶつかりあうだけでは、自分不利益をもたらすことを知る。他人の力を利用したり、協調する方が利益になることを知る。

 

この2番目の反抗期がないと、それ以降のステップに進めないから、未熟な大人なっちゃうんだよね?(抑圧型の人間。控えめな人、日本人に多いタイプ?)

反抗期のなかった人間が、いざ挫折を味わうと、どうしていいかからない。だから早死にだったり、自殺とかしちゃうんだろうね?

反抗期のままで止まってしまうと、それはそれで問題未成年の間は見逃してもらえるけど、成年過ぎたらただの犯罪者しかない。

2番目がなくても、3番、4番に進めるっていう考え方もある。でもそれは頭の良い一部の人間だけであって、一般原則還元するのは難しいと思うよ?

反抗期

赤ちゃんの頃に来る第一反抗期可愛いものだし、自我も育ってないんだから仕方がないと思うんだけど

中学生とか高校生がグレたりした時に言い訳みたいに反抗期使うのをやめろよといつも思う

もう自我も育ってるし、理性もあるだろ。なのに他人家族迷惑かける言動に出るのは、単にお前がメンタル弱いだけだよ

そういえば魔女理想的な息子として育てられてたんですが

anond:20180217001207

子供のころから溺愛されれて(口にキスされてた)、男子としては(うわー、なんかお母さん辞めて)とか思ってました。

でも、まぁ、母親なので愚痴も聞くし手伝いもするし割と理想的な息子であろうとしてました。兄の反抗期が(私観点では激しくて)それもあったからかも。

で、結婚してみると、嫁の素敵さが眩しすぎる。え、こんな女性存在してるの。優しいし愚痴言わないし料理うまいし(母は共働きだったので料理は下手だった)

でで、母親ダメな部分を否定しつつ、嫁さんを賞賛するようになったら、

なんだか母親は嫁さんに対して感謝するようになってました。不思議なんだけど息子に良くしてくれてありがとう、という立場らしい。立つ瀬がない、という感じもする。

なので鬼姑って事にはならなかったんですよね。

2018-02-15

anond:20180215222947

他人から褒められることを拒否して、よい方も悪い方も評価されたことを棄てるこったな、今までの分を含めてな。気づいているのなら。

少年少女反抗期ってのは、親世代からのそうしたもんを棄てたくてするのかもなあ。

2018-02-11

女になりたくなかった

幼少期に女嫌いをこじらせすぎた。

原因は母親ヒステリー

毎日夫婦喧嘩は絶えず、家ん中じゃ麦茶が飛んで皿が割れた。

喧嘩の発端は、毎回、母親が突然に不機嫌になる事だ。

母は人付き合いが壊滅的に苦手だったが、父の仕事関係で、妻として表に出る事が多かった。

その中で生まれネガティブ感情が、大体二週間ぐらいかけて『そもそも結婚なんかしなけりゃ』という不満に発酵し、その後は『超不機嫌モード』に移行する。

そんな母の態度に、生来短気な父の堪忍袋の緒が切れると、家の中で怪獣大戦争が勃発するという仕組みだった。



──と気付いたのは大人になってからで、幼い私は兄と抱き合って震えながら、『うちのおかあさんは何故急に怒ったり不機嫌になったりするのだろう』と考えていた。

喧嘩が終わった後、私たちはよくベソをかきながら父に聞いた。『なんで母さん、ああなの』と。『気に入らないことがあるなら、言葉で言えばいいのに』と。すると父はこう返した。

『母さんは女だから。女の人は男の人と違って理論的じゃないから、よくわからないところで感情的になるんだ』と。

私は兄と一緒にふんふんと聞きながら思った。

『そうか、女だからか。女ってクソだな。』

健全な性の道を踏み外し出す、記念すべき第一歩だった。



第二ステージ

母親を疎み、兄や父と主に過ごしてきた私の読書習慣が、歪んだ固定観念をより強固なものとするに至った。

少年マンガの購読である

(先に断っておくが、私は少年マンガ糾弾する気は一切ない。ただ事実ありのままに書き記していくだけである。そして私はありとあらゆるジャンル漫画が大好きだ。)



兄弟と育った私は、コロコロを読み、ジャンプを読んで育った。父のコレクションである少年漫画に手を伸ばし、特にドラゴンボールを好んで読んだ。

しかし私はドラゴンボールブルマちゃんが嫌いだった。天才科学者とかそういう長所は、曇りきった私の目には見えておらず、『何も出来ない癖にすぐ泣いてすぐ叫び、恋や欲求にすぐ目がくらむ、ヒーローの足を引っ張る存在』とそんな風に見えていた。『ああ、父を煩わせる母と同じだ。やはり女というものはこういうものなのだ』と。



同時に、私の性の芽生えの切っ掛けもブルマちゃんであった。

詳しくは割愛するが、あのマンガって結構えっちだよね。

とにかく女体に興味を覚えてしまった私は、こっそり父の読んでいる青年漫画に手を出した。前に一度ちらりと見えた時、なんだか非常にえっちっぽいページが見えたかである

親の目を盗み、どきどきしながらページを開いた。そこには大人世界が広がっていた。

どろどろとした愛憎入り乱れる大人世界だった。女はひどく誇張された化粧と共に描かれ、男相手に股を開いていた。

べっとりとした口紅と真っ黒な性器が、多大なる忌避感を私に与えた。



『おヴぁああああああああああああ』と私は心の中で叫んだ。

ブルマちゃんの可愛らしいお胸とは正反対のものがそこにはあった。

だがリアル調のその漫画の方が真に迫っているような気がした。

なるほどこちらが真実だったのか、と小学三年生の私は納得した。

『女はクソだ、内面だけでなく外面も。』

齢九、私は何処へも辿り着かぬ道へと順調に足を踏み外していった。

ついでに化粧が嫌いになった。



さて私はある時期より、重大な気付きに直面する事になる。

それは『自分も女である』という事実であった。

私は自分母親のようになる事を極端に恐れた。ゆえに『感情的にならない事、理論である事』を信条に掲げて日々を過ごしてきた。

また、既に女という性を軽んじていた私は、『女子なんか』と遊べば『女』になってしまうと思い込んでいた。

ここでの『女』というのは、しばしば侮蔑的な響きを含むあの『女』のニュアンスだ。『まったく女ってのは』というあの感じだ。



女子ままごと菓子を好み、恋の話に興じるもの男子は外で体を動かし、虫やボールを追いかけるもの。前者は幼稚かつ非建設的で、後者建設的なもの──。

私は男子に混じって遊んだ。虫をつつき、ボールを追いかけ、カードゲームに興じては『女子にはわかんねーだろ』と男子と一緒に男ぶった。

てめーも女子だろ。

ともあれ男女問わずパンを履きまくっていた時期にそれを咎められる事は一切なく、私はこのままずっと『男』に混じって生きていくものだと思っていた。



しかし年齢が上がるにつれ状況は変わっていった。



中学時代より、『女子』としての振る舞いをするよう諸所で注意を受けるようになった。

足を開くな、スカートを履け、髪を整えて身綺麗にしろ

私はその度に反発を覚えた。それが身に染み付いた女嫌いゆえであるというのには、未だ気付いていなかった。ただ女らしくしろと言われる度、いいようのない嫌悪が体を駆け巡り、肉体を引き裂きたいような衝動に駆られた。

父や母も男勝りな娘の教育ほとほと手を焼き、私を『反抗期』と称した。私もそうであると思っていた。

──『反抗期』という言葉に、ひどく感情的な、理論の欠如の時期、という印象を見出した私は、すぐに『反抗期』を終え、男らしく振る舞うのをやめた。

女らしく振る舞う事もしなかったが、それで周りは満足したようだった。



さて年月が過ぎ、こうして高校までをしのいで来た私であったが、大学へ出るに当たり、いよいよ『社会』という漠とした強敵対峙する事になる。

家族は言った。『お前もそろそろ化粧を覚えないと』。

Wait, what?

私は心の中で叫んだ。脳裏に浮かんだのは、幼少期に見た、あのべったりとした口紅と醜い性器映像だ。

あの醜悪気持ちの悪い化学製品を、醜い女の象徴を、私に塗りたくれと言うのか。

女は醜いものだと教え込んだお前達が、今度は私に女になれというのか。そりゃないぜworld。



齢十八。私は化粧から逃げ回った。

言わずもがな、最たる要因は、家庭環境の最悪だったあの時期に読んだ例の青年漫画だ。

あの裸の女が身につけていた口紅だ。自業自得はいえ、最早トラウマだった。

親はありとあらゆる手で私を説得しようとした。

『最低限のマナーから』『そんなんじゃ社会でやっていけない』『化粧は有害じゃない』

『今はただの練習でいいから』『ええい駄々をこねるのをやめろ!』。



さて、呆れた事に私は自分がなぜこんなにも化粧品嫌悪を抱くのかを、未だ理解していなかった。

いくら醜悪描写漫画で見たからといって、なぜそれが全てだと思い込む?テレビを見ろ、タレント達は男女問わず化粧をして美しいじゃないか。──』

その裏に繋がる根深い『”女性性”への嫌悪』に気付けなかったのは、外面的な事に関して言えば、私の嫌悪がごく限定的である為であった。

化粧、ヒール、裸体を連想させるような肌の露出。装いに関して嫌だったのは、この三点に尽きた。

別に女の肉体を持っている事について、不満はない。

男の肉体が欲しいとも思わない。

着物であれば女性のものを好んで着たし、ミニスカートヒールでなければ、多少はフェミニンな装いも吝かでない。

非常にややこしく凝り固まった嗜好がどこから来たのかと、私は大いに悩んだ。

こうして書き出せば理路整然としているが、書いていない様々な事ゆえに気付きは遅く、私は自分が一体何故こうも屈折しているのかと懊悩した。



齢十八と半分。ようやく気付いた切っ掛けは恋だった。

幼馴染に、太陽のような男がいた。

高い背とおおらかな心が皆を惹き付け、彼の周りには男女問わず人が集まった。

私と男は気安い仲だった。ある時、抱えきれなくなった想いを彼に吐露した。

彼は赤面していた。想いが伝わったのだと浮かれ、私は何度も愛を告げた。間違いなく、あれがそれまでの生涯で一番幸せな時だった。

やがて彼は真っ赤な顔をして、はにかみながら、人を惹きつけるあの笑顔でこう言った。



『お前も可愛いよ』



大抵の女性であればここで舞い上がったのだろうか。しかし私は違った。

『おヴぁああああああああああああああ』と心の中で叫んだ。待て、お前、可愛いよってなんだ。可愛いよってなんだ。

かにも、私はその瞬間まで気付いていなかった。男に慕情吐露する事がどういう事なのかを。人として心から愛していたから、それを告げたい。ただそれだけだった。無責任な事だったと今なら思う。

いや、私は付き合いたいとは思っていたのだ。だがそれが必然的に『女扱い』に繋がるという事に気付いていなかった。彼は私に化粧やお洒落を望むだろう。まだ若く健全な男として、『可愛い彼女』を会得する事を望むだろう。

私は絶望した。

私はこの男を愛してはいるが、彼の女にはなれない。自分の中で育ててきた固定観念が、私に盛大に牙を剥いた瞬間だった。

ようやく私は自身に深く根をはる『”女性性”への嫌悪』に気が付いた。



私と幼馴染はどうともならなかった。

幼馴染も馬鹿ではない。彼は『可愛い』という形容詞がおよそ私には合わない事にすぐ気付いた。



暫く友人以上恋人未満のような関係を続けたある日、彼は言った。

『やっぱ俺、お前を女としては見れない。』

私は返した。

『然もありなん。』



さて、ようやく氷山の全容を眺める事が出来るようになった私だったが、ぎちぎちに凝り固まった偏見を見つめ直し、途方に暮れた。どれだけ難儀な奴だと。

いっそ潔く『俺は男だ!』と思えたら楽だった。

いっそ『女は等しくクソだ!』と思えたら楽だったかもしれない。

だが私は男でないし、女はクソではないし、女友達普通にいたし、大好きだった。

『””』を使って『”女性性”への嫌悪』と書いたのは、この『”女性性”』が、『世間一般蔓延してはいるが真ではない、女性に関する漠然として、かつ悪意を孕んだ偏見』に過ぎぬ為だ。

ネット漫画で嫌という程に見る”醜い女像”など、現実人間関係では見た事がない。

強いて言えば母親ヒステリーぐらいだが、それもも母親を一個の人間として見られるようになってからは、『母は女だからそうなのだ』という訳でない事を知った。



全てが根拠なき偏見ゆえと気付けたのなら、何も気にせず、ただ己として人生を歩めるだろうと思っていた。

だが、最早これは理論ではなかった。『女』として社会に出る事を考える度、『女らしい』格好をする度、どこからともなく嫌悪と惨めたらしさが迫り上がった。

『女の格好をすれば、きっと皆私を”女”と見るに違いない。甘ったるい菓子を好み、ぺちゃくちゃと甲高い声で噂をし、感情的に泣き叫ぶ、あの生き物と同類に思うに違いない。──』

『あの生き物ってどの生き物だ。お前の女の友人に、そんな奴が一人でもいるか。あと誰もお前の事は気にしねえよこの自意識過剰野郎。』

絶え間ない反駁でどうにかその考えを埋葬しようとするが、気が緩むと、それは何度でも蘇っては私の前に立ちはだかった。

また、たちが悪いのは、偏見が純然たる嘘でもない事であった。

私が私の中に根付かせた偏見は、何も初めから私が生み出したものではない。

漫画文学ネット、口さがない噂。

母親の姿。

買い物に少々時間をかけて良いかと問いかけ『女の子ってほんと買い物好きだよね』と返された事。

転んで涙を滲ませた私に『女って何ですぐ泣くの?』と問い掛けたクラスメイト──。



世間”が私を『女』と見る。女として生きたくない。いやそれは偏見に過ぎない。お前は女の友人達侮辱するのか。だがこの先、私が囚われてきた偏見と何度直面する事になる?

いっそ男になりたい。いやそれは逃げで甘えだ。男達をも侮辱する考えだ。だが少なくとも、私が嫌悪してきた女性性を押し付けられる事はなくなるだろう?



一つ、確かな事がある。私に恋愛が出来る気はしない。

私は幼馴染を心より愛していたが、『女』として扱われるのは耐え難かった。いっそ最初から男であったなら、私は彼を友人として愛せていただろうか。

近頃、新たに気付いた事がある。寝台で、男に抱かれる女としての自覚を得た途端、私は完全に不能になる。



必ずしも恋愛がしたいわけではない。

ただ目の前の人々を愛し、尊重し、あとは流れるままに生きていければいいと思う。

反面、やはり人と愛し合ってみたいという願いも漠然と持ち続けている。



こうなりたくてなったのではない。だが後ろ向きでもない。

『女はこうだ』『男はこうだ』と括る前に、目の前の人間を、一個の人間として見る事、

己と違う、十余年、数十年の生を歩んできた人間を、ただ一人の、別個の人間として尊重する事を信条に、

取り敢えず前を向いて生きている。

2018-02-09

『父から息子へ贈るスマートフォン貸与契約書』が何故気持ち悪いのか

https://www.buzzfeed.com/jp/yuikashima/iphone-contract?utm_term=.kewKprB5#.tc0rxq4G

『父から息子へ贈る「スマートフォン貸与契約書」が本気すぎると話題』という記事を読んだが大変気持ち悪い内容だった。

なぜ気持ち悪いと思ったのか分析していこう。

契約の内容がまったく平等ではない

契約書の内容が酷すぎる。記事では「甲」と「乙」という関係なのでフラット立場だとかなんとか意味の分からないことが書いてあるが、フラットかどうかは内容によって判断すべきであって、呼称は甲と乙だろうがオレサマとボクチャンだろうが構わないに決まっている。

その内容だが、要約すると「朝6時から夜9時まで以外使用禁止」「使うときリビングで。ポケットに入れて持ち運んではいけない」「パスワードは親が設定したものを使う」「新しいアプリを入れるときは必ず親に許可を取る」「破損、修理の費用は息子持ち」「SNSLINEのみ許可する。Twitterもインスタも禁止」「親は必要に応じて端末のすべての情報確認することができる(プライバシー尊重する、とは書いてある)」「調べ物をしたいときは何を調べたいか親に相談すること」「親は一方的契約を破棄できる」

うーん、さすがに厳しすぎじゃないだろうか?今のうちはいいかもしれないが、中学生にもなって友人とのLINEのやり取りやエロサイト閲覧履歴を親に見られる可能性があるというのは、正直言ってかなりキツい。中学生なら夜3時くらいまで起きていることも珍しくないのに、夜9時までしか使えないというのもだいぶハードではないだろうか。それに、Twitterもインスタも出来ない上に調べ物をするときは一々親に相談するって、それは果たしてスマートフォンを買う意味があるのだろうか?ポケベルでよくないか同級生ミクシィやろうぜ!って言われた時、息子に「ごめんね、パパにLINE以外は禁止されてるんだ」なんて信じられないほどダサいセリフを吐かせるつもりなのだろうか?自然故障本体交換8万って言われたら全額息子に払わせるのだろうか?

フラットとか平等とかなんとか言っているが、実のところかなり親に有利に、息子に不利に出来ている契約だ。恣意的運用をすれば息子にほとんどスマホを使わせないということも可能なほどだ。大人同士対等な契約しましょう、といったようなことを言っている一方で、息子に経済力がなく、スマホを使いたいなら親に頼るしかないということにつけ込んで、年頃の子供には極めて不利な「契約」を結ぶように迫っているのだ。フラットと言っておきながらその実、大砲を突きつけながら不平等条約に調印するように迫るのとやっていることは同じなのだ

いや、確かに、世の中にはスマホ厳禁という家庭もたくさんあって、買ってあげるだけマシというのはその通りだ。親にはスマホを買わないという強大な権力が認められている。でも、そういうことを言うのであれば、契約書だのフラットだのとイキらないで、自分が圧倒的強者であることを自覚した上で、ルール決めて守りなさいね守らなかったら没収よ、貸してあげてるだけ感謝しなさいね、と普通の家庭で言われていることと同じことを言えばいいのだ。なぜイキってしまったんだ。親がイキリオタクだというのは思春期の子供にとって最も辛いことだ。

世の中の大抵の契約平等には作られていないという事実を教えるための教育なのだとしたら狙い通りだろうが、そういうつもりでもなさそうだ。

そもそも小学生大人ではない

息子が大人だという前提の元に、ただスマートフォンを貸すのではなく、大人ならば対等の条件で契約を結ぶほうが良いだろうという発想でこの契約書を作ったのだと思うが、そもそも小学生大人ではない。

どのタイミング人間大人とみなすかについては議論が別れるところだろう。義務教育が終わり自分意思で賃労働が出来るようになる中学卒業時。選挙権が与えられる18歳になったとき高校卒業時。飲酒喫煙合法になる20歳になったとき就職したとき。様々あるわけだが、12歳でまだ小学校すら卒業していない段階の人間大人と見做す人はあまりいないだろう。少なくとも俺は聞いたことが無い。思春期経験していない人間に対して何を根拠に言ってるのだろうか。「受験勉強を頑張って、知識が猛烈に増えた息子よ。きみはもう大人だ。」と書いてあるが、受験勉強を頑張れば大人になれるのだろうか?受験勉強たか契約を結びましょうというのは論理10段階くらい飛躍していてよくわからない。法律でも未成年者がした契約基本的に取り消せることになっている。大人ならば対等な立場契約すべきだというのはその通りかもしれないが、そもそも小学生大人ではないのだ。

大人扱いと子供扱いを都合よく使い分けている。

思春期だと一番腹立つやつなんだよな。グレるぞ。大人なんだから対等な立場契約を結ぼうと言っている反面で、夜9時以降は禁止とか、親の気まぐれでスマホガサ入れできるとか、親のみ一方的契約を破棄できるとか、めちゃくちゃ子供扱いしてる。これはよくない。この人の家庭のことはよく知らないのでこんな心配をしても無駄かもしれないが、中学2年生くらいになって、周りは徹夜ツイッターしながらシャドバやっているのに自分の家だけ意味の分からない契約書のせいで9時までしかスマホ使えないしリビング以外で使っちゃダメだし新しいアプリ入れるのも親に相談しないといけないしTwitter禁止、なんていう状態になったら、あまり理不尽感に耐えかねて半端ない反抗期が訪れるだろう。そうして息子さんは理不尽条項を破りまくってルール形骸化、見兼ねた父親スマホ割って息子はさらにグレるというファミコン時代から続く黄金パターンだ。美しい。口約束で十分なのにわざわざ契約書とかなんとか言って都合のいいときだけ半端に大人扱いすると、そのことに子供が気づいたときの反発はヤバいぞ。半端に大人扱いというのは一番だめだ。

・いいところもある

はいえ良いところもたくさんある。例えば第6条。本契約が守られなかったときは、親は息子に一定期間の利用禁止を命じることができる、という条項だ。ルール守らなかったら使用禁止というのはよくある約束だが、「一定期間」となっているのがポイントだ。ルールを破ってしまった時のペナルティに期限が定められているというのは、子供にとってはとても安心感のあることだ。もしこの条項がなくて、親の気まぐれで、お前もう二度とスマホ禁止な、という措置になってしまったら、自分携帯を買える歳になるまで二度と友人とLINEできないのだからとても辛いことだ。思春期人間が同世代とのコミュニケーションツールを何年も絶たれるというのは想像以上の苦しみなのだ(現代学校は、LINEやってないだけでともだちの輪から弾き出される苛烈サバイバルなのだファミコン時代から変わらない)。だから禁止期間に終りがあるというのはとても息子目線の良い条項だと思う。

はいえ親が一方的契約を破棄できるという条項があるし、利用禁止期間は2京年ですとか言ってしまえば即無意味になる条項ではあるが、この親はそういう酷い運用はしないだろうという信頼関係があるのであれば良いだろう。契約とか言っておきながら結局信頼関係に頼るのもナンセンスだとは思うが。

第2条の(6)なども、ネットリテラシーについて正確で十分な教育をしている良い条項だ。とてもよく考えられていると思う。

どこぞの社長だか役員だかという人に上から目線申し訳ないがこれが率直な感想だ。今のうちはスマホ買ってくれてパパありがとう大人扱いしてくれてうれしい、みたいな反応をしているかもしれないが、その気になればスマホ解約すらできるという強大な権力を持っていながらそれを自覚せず、自分子供と対等なのだと思っているのだとしたら2年後くらいにはどうなっているかからない。とはい契約書を作った人の家庭環境を一切存じ上げないので、まったく的はずれなことを言っているのかもしれない。もしそうなら申し訳ない。これからも頑張って欲しいと思う。

anond:20180209045453

お兄さんもお母さんも普通にDVでしょう。お兄さんは反抗期が終わったんじゃなくてDVの大人しくなる時期=ハネムーン期ってやつで腐った性根は変わりませんよ。いずれまたやります

お母さんもひどいです。あなたをお兄さんのサンドバッグにしておけば自分暴力にあわないからそうしたんです。それであなたがお兄さんに反撃しないようあれこれ言いくるめる。卑劣な女です。

薬捨てるなんてDVの中でも本当に悪質なやつですよ。殴ったり蹴ったりしないでもふるえる暴力を渇望してるんです。二人とも不治の病です。これから力をつけて家を出て、彼らと縁を切るといいです。

反抗期だった頃の兄とその後について振り返る

私と兄は3歳違いの兄妹です。あれです、入学式とか卒業式被って困る年齢差のやつです。

題名の通りなんですけど、兄の反抗期だった時について今でも消化しきれてないことがたくさんあるのでつらつらと書いておこうと思います推敲もしてないので乱文長文です。

兄の反抗期は大体中1から高3くらいまででした。これが長いのか普通なのかはわかりませんが、この期間私は地獄でした。

もともと兄妹とても仲良し!という訳でもなかったので、まぁどこにでもいる仲が良くも悪くもない兄妹でした。

そんな兄が反抗期を迎えたころ私は小4。

色々なことがわかり始めた年齢ですね。

兄は壁や扉を蹴りはじめ、家は穴だらけ。窓ガラスを割るという行為をし始めました。

私はなんでそんなことをするのかわからなく「やめてよ!」と言ったところ殴られて首を絞められました。

兄が家を蹴るのに飽き始めた(?)ころは言葉での攻撃にハマりだしました。

リビングにいるだけで、「死ね」「消えろ」「クズ」「ゴミ」「ブス」と言われ続けました。

私の方が先にリビングにいて、兄が入ってきたときは舌打ちされるのが普通、たまに皿やリモコンなどそこそこ硬いものを投げつけられました。

私が後からリビングに行くと「出いてけゴミ」と暴言を吐かれました。

休日母親が早朝から仕事ときは大体兄がリビング占領していたので朝食を食べずに部活に行き、昼に帰ってきても兄が怖くて昼食もとることが出来ず体重ガンガン減っていってました。それで母親に「なんでご飯食べないの!」と怒られました。懐かしいなぁ。

そのころ私は、兄よりも頭の出来が良く兄が入れなかった高校に私が入れたのとかも反抗期ヒートアップした原因なんでしょうかね。知らんけど。

そんな感じが6年続いていたのでほとんどまともに会話したことはありません。

母に「なんで怒ってくれないの、」と泣きついても「お兄ちゃんは反抗期から仕方ない。ほっといたら収まるから。」の一点張りでした。

父親は私が6歳の頃から県外へ単身赴任に行っていて年に2、3回会うか会わないかだったので頼りになりません。もともと仕事人間で家庭にあまり関わらず一緒に遊んだ記憶はありません。なんていうか私の感覚では「父親」という肩書きの知らない人です。

ちなみに家族旅行は小3のときの一回きり。それ以前も以降も一度も、日帰りすらありません。

話が逸れましたね。

兄に暴言を吐かれるたびに「いつか絶対にやり返してやる」と思っていましたが、母親には「人にやられて嫌なことはするな」と何度も何度も繰り返し言われたので、結局一度もやり返したことはありませんでした。

「人にやられて嫌なことはするな」

いい言葉ですね。心無い言葉暴言、傷など私の受けてきたもの、傷付いた感情、それら全て私は一度もやり返したことが無いので、兄は一生それを感じることなく生きていくんでしょうね。羨ましいなぁ。

母親の教え「人にやられて嫌なことはするな」を遵守した結果、私の中の劣等感は未だ消えずに心の奥深くで、真っ黒で、ドロドロと粘着質に、そして確実に今も増殖しています

なんていうか、この兄の行動、言動を「反抗期」って言葉だけで片付けてもいいんだなって思うと虚しいですね。

私は6年もの精神的に傷つきへとへとになっていたのに、反抗期から仕方ないんですね。私は兄から受けたこれらをいじめだと認識してたけれど、世間がこれは反抗期というなら多分ただの反抗期なんでしょうね。

それなら、兄の反抗期に振り回された、私のこの状況にも名前が欲しいです。なんだろうなぁ。「とばっちり」かな?「しょうがない」かな?それとも「みんなが通る道」とかかなぁ?

全国の妹や弟、みんなが通る道だから傷つかないとでも思ってるんでしょうかね。私は19にもなっていまだあの頃のこと思い出しては怖くて不安で惨めでぼろぼろ涙がでてくるんですけれど。これがみんなの通る道ならそんな道はやくなって欲しいです。それか全国の反抗期の奴らの道に続いて欲しいです。

でもそんな兄も大学合格し、家を出て行きました。もうハッピーでした。兄が家にいない高校生活ほんとうにとっても楽しかったです。

まぁでも兄も全く帰ってこない訳じゃありません。長期休みになると帰ってきます

帰ってきてびっくりしました。反抗期終わってるんです。暴言も吐かないし殴らないし私の大事にしていたもの勝手に捨てたりとか、とにかくそういうの全くしなくなったんです。漫画などでみる優しい兄でした。

とても気持ち悪かったです。私に死ねと言っていた人間が数ヶ月で「高校生楽しい?」と笑顔で聞いてくるんです。どういう風の吹き回しなんでしょうか。あんなに暴言いってきたのに、今更普通の兄妹関係に戻れるとでも思ってるんでしょうか。

無理です。私は兄にやり返さないことだけに全力を尽くしたので、兄を許すだけの心の空きがありません。でもせっかく兄が笑顔で話しかけてくるので、機嫌を損ねないように私もなんとか笑顔で話を合わせています。殴られるのは痛いので。

しかしたら大学でよほどいい巡り会いがあったのか、もしくは心境の変化でもあったのか、反抗期のことを悪いと思ったのかもしれません。だからせめて今からでも妹と仲良くしようなどと思ったのかもしれません。

でもそれなら、一言だけでいいから、あの頃は悪かった、と謝って欲しかった。謝ってくれたら、許せたかもしれなかったのに。

謝るのが恥ずかしいのか、それとも謝るまでもないと思ってるのか、わたしにはわからないけれど、もし後者なら、やっぱり兄とは一生分かり合えないと思います

そんな兄も春に大学卒業し、社会人として働くようです。

私は母親と折り合いがつかずに望まない進学先で精神面を壊しそこから身体も崩し短大を辞めました。精神内科先生からは「うつ状態」と言われ薬を飲んでいましたが、精神的な薬に良い印象を持っていない母親に薬を捨てられました。ウケる。今はだいぶ回復しましたが、それでも外に出る気力もなく、こんな意味のない文章を書き連ねています

好き勝手に生きてきた兄は大学に進学し就職しているのに、兄の裏で沢山のことを我慢して自分気持ちを抑圧してきた私はうつ学校を辞め今や引きこもりですよ。笑っちゃいます

こんな人生になるんならあの時母親のいうことなんか聞かないで殴り返してやれば良かったなぁ。

2018-02-02

家族の切り売り

昨日はてなで見かけた家族の切り売りって本当そうだなって思う。

誰がお前の家族に興味があるんじゃっていうコミックエッセイ的なの増えすぎじゃないか

うつとか反抗期とか外人とかうちの子とか女医とか、人気あるから出版されてるんだろうけど、どの層に人気あるのかね?

他人の家のこと漫画にされても何も興味ないわ。

2018-01-26

タイムマシーンでここに来た

今一歳半の男の子を育てている。

家事育児エンドレスだ。

ご飯になれば、机も床もぐちゃぐちゃ。

やっと作ったものをそのままひっくり返されることもある。

夜泣きもするし、後追いもひどい。

日中ママママだ。

一生分ママって言ったんじゃないかってほど、毎日ママママ

仕事家事育児毎日泣きそうなほどてんてこ舞いだ。

そんな時、想像する。

の子反抗期を迎えた頃(無いまま通り過ぎたいけど)、もっと大人になってわたしがおばあちゃんになった頃、神様が「今日一日だけ、時間を戻して一歳半の息子さんと一緒に過ごさせてあげましょう」と言ってくれたその日が今であると。

もう愛しくてずっと抱っこしていたくなる。

今は今だけ。

たいせつに抱きしめよう。

2018-01-24

anond:20180124181025

ちゃんと立派な大人になってるんだから大丈夫。羨ましい。

反抗期もなかった、手のかからない本ばかり読んでる子だったと言われてきたけれど、

ずっとそうあるべきみたいにして自分を押し込めてたし、耐えるのに慣れてしまった。

感情の出し方が上手くないです。我慢が得意。てれがあって可愛く振る舞うことが苦手。

2018-01-23

https://anond.hatelabo.jp/20180116025753

元増田よりも少し遅いタイミングかな。

ももクロは、2011年後半〜2014年末ぐらいまでよく見に行ってた。

プロレス的な仕掛け・口パクなし・全力」が当時としてはフレッシュだったし、

2011震災後「全力のパフォーマンス笑顔を届ける」というコンセプトがめっちゃハマったんだと思う。

当時はヒャダインの幕の内弁当的な楽曲も新しかった。

ワニシャンとかもめっちゃ良かったなあ。

しかしまあ「宿題がおわんなくって大変!」だの「あーりん反抗期からハンバーグがいい」だの「一人で寝たくないから、ベッドに入ってくるとか」を歌ってしっくり来るのってやっぱ17才ぐらいまで。幼児性を前面に押し出し楽曲が多いから、18才過ぎた大人が歌うには厳しい楽曲も多い。

少し路線を変えて、アーティスト路線で行こうと判断して2013年4月発売の 5th Dimensionだったんだと思うんだよね。

ただしこの時点では、バトルアンドロマンスで作られたももクロ像を求めてる人との齟齬で正直失敗しちゃったなあって感じがある。

楽曲をざっくり「1. 少年少女的なもの」「2. 青春的なもの」「3. 普遍的もの」とかとすると、ももクロって全部あるんだけど、メンバー20歳超えてくると1・2を歌うのが結構辛くなってくる。

あと「今」を歌った曲が多いから、そもそも曲の寿命が短かったりもする。

AKBGはメンバーの入れ替わり前提だし、まさしく制服を着てるので、ずっと青春的なものを歌っていて違和感ないのは良くできてる。

やっぱ10代前半のアイドルと、20代アイドルに求められるものって全然違うし、本人たちの自己認識もあるから難しいよねえ。

ももクロに関しては、メンバー幼児性が変わらない感じがまた難しそう。

この点 Perfume は上手だし、男性アイドルジャニーズが切り開いたキャリアパスがあっていいなと思う。

個人的には5thの前後からやたら「大物」に曲を作ってもらって箔付ける感じ(極北広瀬香美中島みゆき)がどうにも合わなくてフェードアウトしてしまった。

2018-01-15

山椒魚世界の神であるか?

 現代文の授業で山椒魚を初めて読んだとき、この捻くれ者は、私によく似ていると思った。だが決定的に違うところがある。それは山椒魚世界の神であったが、私は神にはなれなかったという点においてだ。その違いとは些細なようであって、とても重大なことであると私は思う。それは、私が誰かの神に、世界になりたいのに、なれない不完全な出来の人間であるからだ。

まず前提として、この文章はすべて、井伏鱒二氏の短編小説である山椒魚」を借り、私が私について語るだけの、極めて主観的でくだらないものであるということを示しておく。恐らく十八の人間が書く文章なんてたかが知れていると思うが、それでも私は山椒魚にとてつもない親近感を抱いているのである。それについて少しばかり、私が今まで思ってきたことを書けたらいいと思う。

まず「山椒魚」とは一体何かということを明確にしておく必要がある。山椒魚とは前述したように、井伏鱒二氏による短編小説である山椒魚自身身体が成長しすぎてしまたことによって、住処である岩屋から出られなくなってしまう。外に出ようと幾度となく繰り返す山椒魚だが、それが叶うことはついになかった。外の世界自由に生きる生物たちに嫉妬を抑えきれない山椒魚は、ついに悪党となり、山椒魚は岩屋に入ってきた蛙を閉じ込め、自身と同じ状況に追いやることで、自身精神の安定を保とうとしたのである。蛙は屈することなく二匹は岩屋の中で激しい口論を二年にも及んで繰り広げるが、空腹で動けなくなり、死しか望めない蛙に対して、ようやく山椒魚友情を感じるのだ。山椒魚は聞く。「お前は今、何を考えているようなのだろうか?」と。それに対し蛙は、「別に今でも、お前のことを怒ってはいないんだ」と答えるのだった。

この山椒魚を初めて読んだ時の感想は、「二年も口論を繰り返していたのか」とそれに尽きる。だが数回これを読み深めていくうち、山椒魚とは、ただ友達が欲しかっただけの、普通人間なのではないかと思うに至ったのだ。山椒魚には寓意が込められており、簡単に例えを出すならば「うさぎかめ」のように、ほかの生物もの真意本質を遠回しに伝えるというものだ。私の中で山椒魚普通人間であるし、出られなくなった岩屋は肥大した自意識であり、蛙はそれらをすべてわかっていた人間なのだ。これらも前提に、本題へ入ろうと思う。

何故この文章題名を「山椒魚世界の神であるか?」にしたかは至極単純である。私にとって山椒魚は、世界の神であるからだ。もっと突き詰めて言えば、岩屋の中に閉じ込められた蛙の世界であり神であるということだ。まず先程書いたように、岩屋は肥大した自意識であると私は思っている。山椒魚はその自意識に閉じ込められた、或いはそこから出ることを拒んだ所謂可哀想人間に過ぎない。蛙はその山椒魚自意識を満たすため利用された、こちらも可哀想人間であるという認識をしている。山椒魚は蛙を利用し監禁することによって、死の間際に、世界となり神となることに成功したである

人間人間の神になるために必要なことは、その標的からすべてを奪うこと以外に存在しない。山椒魚は蛙を自分の住処に閉じ込め取り入れることによって、蛙からありとあらゆる自由を奪うことに成功している。それがなければ山椒魚は神になれなかったし、もしかしたら山椒魚は図らずも神になっただけかもしれない。だがそれだけ、人間人間の神になるということは難しいことなのだ。それが善悪のどちらに所属するかはまず置いておくとして、私はそれをやってのけた山椒魚を素直に尊敬する。山椒魚悪党となることで蛙を閉じ込めたが、この時の山椒魚の心境を鑑みるに、標的が蛙であった必要はなかったのだと思う。よくニュースで聞くような、無差別殺人犯の言う「誰でもよかった」と同じように。ただこの「山椒魚」にとって、この蛙が蛙でなかった場合、二年間口論が繰り広げられることも、最後にようやく友情が芽生えることもあり得なかったのではないだろうか。

 しかし、だからといって山椒魚が神であるということに相違はない。閉じ込められた蛙にとっては、憎むべき対象も、愛すべき対象も、結局は山椒魚しかいなかったのである。蛙は最後に「今でも別に、お前のことを怒ってはないんだ」と言った。それはおそらく、蛙自身も、山椒魚を神とすることで救われた一人の人間だったからだと思う。山椒魚が蛙を閉じ込めたとき、蛙は、閉じ込められた岩屋の中で堂々と「俺は平気だ」と宣言する。それは山椒魚を見くびってのことだったのか、それとも逆に、山椒魚ならば…という、敬愛の証だったのかもしれない。ただ私が思うのは、おそらく蛙も、もしかしたら山椒魚と同じような立場になっていた可能性があるということだ。メタフィクションのような話になってしまうが、蛙は山椒魚よりも体が小さいので、少なくとも岩屋から出られなくなってしまうということは考えにくい。なので、自由に飛び回ることのできる外の世界―要するに「山椒魚」の世界観で「社会」で、同じ立場になっていたかもわからないのだ。山椒魚肥大した自意識から出られなったが、それはあくまでも人間の内側で起こっている出来事に過ぎない。自身の激しいナルシズムが引き起こす極端な自己評価他者評価ギャップに悩み、それを見栄で隠そうとしたために発生した、ある種一時的反抗期のような、よくよく考えてみれば、我々も通ったことのあるような道でしかないのだ。だが蛙は人間の内側でそれを発生させてはいない。人間人間が大量に入り混じる、失敗の許されない、いわば監獄のような世界でそういった問題に悩まされていたとしたら、それはきっと山椒魚よりも可哀想で哀れな姿になっていたに違いない。山椒魚は蛙を閉じ込めることで、自身と同じ状況の人間作成し、その結果精神の安定を保とうとしたが、それは蛙も同じだったかもしれないということだ。蛙は山椒魚に「わざと閉じ込められる」ことによって、可哀想人間に捕らえられ逃げられない自分を作り出し、自分社会に対する折り合いのつかない問題から逃げ出そうとしたと考えれば、最後の「今でも別に、お前のことを怒ってはいないんだ」というセリフにも納得がいく。

この文章を書くにあたって、自分の「山椒魚」に対して抱いた如何ともし難い薄気味悪さというのは、蛙によってもたらされた山椒魚への許しが生み出したものだと気付いた。小説である一言言ってしまえば確かに終わりなのだけれども、例えば自分が身勝手理由他人監禁され、しかもそこで死を迎えなければならないとなった場合最期相手を許すことが出来るものだろうか。それが愛する人家族ならいざ知らず、どこの誰ともわからない人間にいきなり監禁された時点で、普通に考えて怒りなんて言葉では済まない。それこそ二年間によって繰り広げられた喧嘩でさえ、この最期によればおつりがくるほどだと思う。最初こそ「二年間も口論していたのか」なんて暢気な感想を抱いたけれど、少し考えてみたら、最期の蛙の言葉は、私にとっては最早呪いだ。もしも私が山椒魚だったとして、自分が閉じ込めた相手が死の間際に自分を許す旨の発言をしたら、嬉しさも喜びも何も感じることは出来ない。むしろ、「この人は今まで何を考えて自分の思い通りになってくれたのだろう」という不信感すら残ってしまうだろう。自分という一人の人間を殺したという事実から逃げるなよという、怨念のようなものさえ感じさせる。それを考えると、山椒魚が蛙を閉じ込めたというよりも、蛙のほうが、山椒魚を好きに操っていたようにしか考えられないのだ。蛙は山椒魚のことを、自分と似た人間だと思い、自身社会に出たことで削られてしまった自尊心自意識回復するために、「わざと山椒魚と一緒にいた」ようにしか思えない。物理的にそこから出られなかったとしても、こころだけでも自由になることは出来たはずなのだ山椒魚と違って自由に泳ぎ回ることが出来ていた人間ならば。だがそうではなかった。ということは、蛙は自由に泳ぎ回っているように見えて、その実、社会という檻から逃げられず、自分肯定するために必死だった、ただの哀れな、普通人間しかなかったのだ。

最後にもう一度、これは私が井伏鱒二氏によって描かれた短編小説山椒魚」を借りて書き殴っただけの、主観的陳腐文章であることを明記しておきたい。ここに書かれていることはすべて、私が勝手に作り上げた妄想であって、おそらく山椒魚には、これよりももっとポジティブメッセージ寓意)が込められていることだろうと思う。しかし私にとって「山椒魚」は、どうにもポジティブものとは受け取れなかった。可哀想人間が寄り添って、互いの削れた部分を埋めるために、互いの世界になろうとする。そんな常人には理解出来ない、孤独で閉鎖的でどこまでも自分本位人間本質を描いているように見えたのだ。

私は山椒魚に似ている。けれど私は誰かの世界にはなれなかった。私にとっての「蛙」がこれから現れることはあるのだろうか。山椒魚が蛙を操っていたのか、蛙が山椒魚を操っていたのか。本当のことは、誰も知らない

              

                                                                                                    了

anond:20180114130801

子供が騒ぐとき、躾ですむ場合と親もどうにもできない場合がある。

後者場合とは、反抗期など子供の年齢的なもの、あるいは発達障害など子供性質的なもの

もちろん前者みたいに、躾ができない親もたくさんいるんだけど自分の考えるかぎり、子供が騒ぐときの多くの場合後者

小さい子を育ててると、親は頑張ってるのにどうしても子供が言うことを聞いてくれないという状況がある。

自分もかつては騒ぐ子供に対して「うるせーな。親がちゃんと叱れよ」って考えるタイプだったからこそ分かる。親が叱っただけで簡単には黙らないから、小さい子供は難しいんだよ。

そこを本当に理解してあげてほしい。

2018-01-14

anond:20180114145533

ニート共通する特徴は、抑圧型の性格で、自分がやりたいことができなかった人たち。

親や学校に言われたことだけをやって、いざ自分が好きなことをやってもいいと言われても、何をやっていいかからない。自分が本当にやりたいことが分からない。

 

ニートを脱却したいという気持ちが残っているなら、解決のヒントとして、ジャン・ピアジェの子もの発達心理学を学ぶといい。

人間の成長には4つのフェーズがある。

  1. 抑圧:自分の力が弱くて、周囲の言いなりになってる時期。(幼少期)
  2. 解放大人社会の仕組みが理解できるようになって、相手を恐れずに堂々と自己主張できるようになる時期。(反抗期
  3. 衝突:自分利益追求他人とぶつかり合い、自他ともに傷つき疲弊する時期。(挫折
  4. 調和利己的な行動は、最終的に損失をもたらすことを学び、他者協調する時期。(社会人

ニートは(1)、不良は(2)、うつ病は(3)辺りで停滞してる状態だね?

地図を見て、今自分がどこにいるのか?を確かめつつ、進路を決定しよう。

2018-01-06

anond:20180106044528

から回復している人の自殺に近いのかもしれない。

周囲が見えるようになってきたけど、どうしようもない現実も見えるようになってきて、見えているカードバリエーションが狭いということかなと。

二次反抗期前は自分の家がおかしいことに気づけないから、そこから脱出するためにもがくこともないと思う。ちょっと変わっているとは感じていても、それを言葉にしてはっきりと認識できるほど抽象的な概念を扱えるようにはなっていないと思う。

高校卒業ともなると、経済力がつき、様々な社会とのつながりを持ってきて、親と縁を切るとか、それなりのところに頼るとか他の手段はいくらでもあることに気づける。例えば、就職して親元を離れたり、進学を理由一人暮らしをしたりすることもできるかもしれない。

2018-01-05

もしかしてうちの両親は毒親だったのだろうか…

正月なので実家帰省していたんだが、自分の両親が毒親である気がしないでもなく…

いや、両親には大学まで出させて貰ったか感謝はしているし、毒親だと思うこと自体申し訳なく思うのだが…

今まで本やネットで見聞きしてきた毒親に比べれば全然マシだから毒親じゃないと思ってたんだけど、軽度の毒親なのではないかな、と。

客観的に見ることが難しいのではてなー諸氏に判別して欲しい…

私:現在アラフォー間近。兄弟有り。独身実家の遠方で独り暮らし上場企業勤務。

父:アラ古希。元農協勤務。現在実家農家を継いでいる。今は酒以外辞めてるが、かつてはヘビースモーカーパチスロ通いばかり。

母:専業主婦料理は得意だが片付けが苦手。親戚、他人、父、相手を問わず悪口ばかり出てくる人。

毒親かな? と思う子供の時のエピソード


毒親かな? と思う最近エピソード

 

 

どうなんだろう…

幼稚園の頃、夜中に高熱を出した私を抱えた父がかかりつけの病院に駆け込んでくれたりしたので愛されてないことはないと思うんだが…

どうも、世間一般の人とちょっと違うような気がして…

夫婦かめっちゃ子煩悩で、子供暴力なんて全然ふるってないし叱り方も優しいし…

世間との乖離がどれくらいあるのか、わからないので教えて欲しい…

2018-01-03

嫌父

久々に実家帰省したら、父親の部屋の棚にでかくて分厚い嫌韓本が飾られてた。

本棚じゃなくて、家族写真や絵皿のある飾り棚に堂々と。

さらには家族普段使ってるダイニングテーブル図書館で貸し出した嫌韓本父親スマホと共に置いてあった。

正直、普通に引いた。

今思うとたしか兆候はあった。

父は昔からキムチが大っ嫌いで冷蔵庫に入ってるとくせーくせーと露骨嫌悪感を示してた。

帰省して久々に家族揃って外食ってときも、たまたま近場にあった韓国料理屋にはいろうとしたら回れ右して逃げ出したし。(大人気なさ過ぎて母親も弟も呆れかえってた。結局ラーメン屋に変更した。中国はいいんだ)

料理が嫌いなだけだと思ってたから、まさか嫌韓本にまで手を出してるとは思わなかった。

亡くなった父方の祖母生前はがっつり新興宗教にはまって高額な壷やネックレス買わされてたかまさか遺伝、、、?ってちょっと違うか。

いや、人それぞれ色んな思想をお持ちだと思うのでなるべく否定したくはないです。

正直8、9年前の嫌韓ブーム?の時はまとめ記事とか少し鵜呑みにしてたことはあったし。学生の頃ね。

まぁ、いいんだけど、、、、、、

せめて人の目に触れる場所にそういう本を置いてほしくない。

父親の部屋っていっても元々祖父母のリビング二世帯で住んでた)だったから、今でも親戚が家に集うときはその部屋を利用することになってる。

え、私が東京にいる間も何度か集ってたよね。その時も嫌韓本でかでかと飾ってたの、、つかそれ以前に家族普段利用するダイニングテーブルに平気で置いとくとかありえないんですけど。

私が神経質すぎるのか、一度通ったことある身だから過剰反応しちゃってるのか、、延々もやもやしてしまう。

解決策としては父親に「こういう本は片付けておいて」ってそれとなく諭せばいいんだけど、この話題に触れるのって同時に父の闇にも触れるようで、めちゃくちゃ怖い。というか、もう父とはなるべく関わりたくない。これ以上嫌いになりたくない。

父親とは小学校の高学年から社会人になるまでの長い間、反抗的な態度を取っていた。嫌いだったとこ挙げてくと、

ひどく無神経でありがた迷惑

私や弟の育児も都合が悪いと母に投げ出して逃げる

口が悪くいつもへらへらしながら人の悪口ばかり(運転中は荒くなって周りの車の愚痴吐きまくる。)

いつもその場しのぎの会話で内容もすぐ忘れる、興味が無いのか子ども誕生日すら覚えられない

子どもも呆れる程大人げない行動をとる

一応定年までサラリーマン万年係長)してたし、露骨暴力浮気癖とかギャンブルとかそういうのはないけど、どこかうだつがあがらなくてクズ思考回路尊敬できなくて同じ空間にいるのが苦痛で仕方なかった。(芸能人でいうと愛嬌も才能もない突き抜けてない蛭子さんって感じ。蛭子さんは好きだよ。)

そして何よりも、その人の血筋をがっつり受け継いでいることに対して嫌悪感がはんぱなかった。

自分にも当てはまってるんだろうなーと。父親も、そして自分も大嫌いだった。

、、これがただの反抗期と呼べるものなのはからないんだけど、多感な時期で反抗期を迎えた子どもはこんな感情抱くものなのかな。ちょっと異常な気はしてるんだけど。

そんな反抗期らしき時期も、上京して離れて暮らして、ようやく落ち着いてきた。

もういい加減大人になった。多面的な部分も受け入れて嫌な部分はそっと見なかった事にする許容も生まれてきた。

最近はなるべく避けたりせず、最低限の会話は心掛けてる。

そんなフェーズで見つけてしまった嫌韓本

ちょっとさすがにきついか増田で吐き出して記憶にふたをすることにしました。

とりとめのない駄文でごめんなさい。文章におこすと気持ちが冷静になれていいですね。

いつか父も、自分のことも好きになれたら良いな。

2017-12-30

anond:20171230111228

統合失調調の両親の元に生まれてきました。

人生苦痛だらけです。特に幼少期は酷いものでした。親の指導というもの基本的世間的な常識にそぐわないものばかりで、社会自分とのズレがひどく苦しかったです。

両親はとても収入が低かったため、貧乏でとても汚い家に住んでいて、よくバカにされました。挙句はいじめられました。下半身を裸にされるようないじめもありました。パンツ姿で走らされたりしました。殴られたり唾を吐かれたりしました。

もっと辛い人生の人もいるでしょうが、私にとってはまさに地獄のような日々でした。その苦しみは中学高校になるにつれて深まっていきました。認めたくない現実ばかりでした。特に両親が統合失調症という現実がとても自分を苦しめました。

きっと大人になったら今度は自分がああ言う風になるんだ。商店街を大声で汚言を叫びながら練り歩く母親、いつも誰かが俺を狙ってるとか会社のやつに死ねとか言われたとか言いながら私に愚痴父親。私が学校社会を過ごしながら気付いてきた現実普通の両親像からはあまりにもかけ離れていました。それは私の反抗期を強力なものしました。しかし臆病な私はその現実から逃げることもできませんでした。

そのような現実を歩んできた私から言わせると、生まれてきたことが幸福であったか問われるとうなづけるわけがありません。

両親は統合失調調なりに何を考えて子供を作ったかは分かりません。本人たちに病識はなかったので、人と同じことをしていると思ったかもしれません。子であるから言わせれば不幸の再生産とだったとしか思えません。

しか現実として私は生まれしまったのです。生まれしまたからには幸福を目指すよりありません。

その後私は大学に進学し、大企業就職給料は30代半ばで900万ほどまで上がりましたし、結婚して可愛い子供も授かりました。命より大事な子です。大切に育てているし、貧しい思いや非常識に悩ませるような環境とは決別できた気がします。

私自身はメンタルは弱いですが統合失調症には罹患せずに済んだようです。被害妄想も汚言もなく過ごせています

いくら出自が不幸であろうと大人になると人生はある程度コントロールできるようになります。そこには苦しみばかりではなく、安らぎも存在します。より良い存在になろうという気持ちもあります。それ自体が生まれてきてしまたこ自分自信の命を大切にしていることだと思います

さて子供を作らない方が良いという元増田さんのお考えですが、それは賛成も反対もありません。

私の人生を見てもらえば分かる通り人が意識して子供を作るのではなく、なにかのきっかけで子供はできるからです。

出生というのは実はコントロール不可能ものなんだと思います。ある環境があって、何人まで育てられるか無意識プログラムが出した最適解が自動的に走っており、その結果として生まれるのです。別の言い方をすれば神様が生を与えてくれるのです。そしてその生がどのような結果をもたらすかはわかりません。分からないことに対して予測を立てることはできますしか予測予測しかありません。したがって元増田さんが言ってるのは全て予測の話でしかないんですよ。

2017-12-26

岡田准一担降りする。

タイトルの通りである

さあ帰れ帰れ。

これは准担だった自分の記録です。


最初に言っておきたい。

基本的結婚は歓迎です。


博が結婚した時、とってもとっても幸せ気持ちで満たされた。

彼にとっては私など何でもない1人だけれど

本当に幸せをもらってる気持ちでいっぱいだった。

それを嬉しそうなメンバーJフレのみんなの顔も。

もちろん博を大好きな准くんが幸せそうなのも全部全部嬉しかった。

ジャニーズであろうと一人の人間であり、自担には幸せでいてほしいと思っている。

それに准くんはずっと「男として家庭を持ちたい」と言っていた。

子供だってとっても大好きだし、准くんの子供は絶対かっこいいし可愛い

結婚はするだろうなと思っていました。

それは10年以上前から




結婚はいいねん。


そう、結婚はいいねん。



こちとらずっと自担ですからね。

知ってるんですよ。


自担から!!!!!!

彼は何でも天才的なスピードで器用にこなす。

ピアノドラムギターもできる。水上ござ渡りだってできる。

めちゃくちゃな体当たり企画だっていつも成功する。

いつも遠くに目標を見据えている。

めっちゃくちゃ鍛えてる肉体だって決して見せびらかすために脱いだりはしない。

チャンスが回ってきた時のために黙々と準備をできる人だ。

そしてあまりに遠くを見つめて手元が見えなくなることがある。

不器用な人だってこと。

あほで、正直。




岡田くんに初めて生で会ったのはV6コンサート

ステージに飛び出してきたV6アイドルという空気はなく、

めちゃくちゃに躍り続け走り回りアクロバットを決めるコンサートに圧倒された。

だけどMC学校へ行こう!みたいだった。

うそれはそれはめちゃくちゃ笑った。

一気に虜になった。

学校へ行こう!とも木更津キャッツアイとも違う姿で

ステージの上に立ちながらもクール自由岡田くんに引かれた。

彼が俳優岡田准一として世間に認められる前のことだ。

数々のインタビューでは「人一番努力しなければいけない」と語る志の高さに尊敬の念を抱いた。

中学生の私にはキラキラした世界にもいながらも日陰を歩こうとする姿に、こんな人がいるのかと衝撃をうけた。

別世界人間だけど、芸能人だけど人間味があった。

准くんのように努力を積み重ねて生きられたらどんな夢も叶う気がした。

自慢の自担であり、本当に尊敬する背中だった。


反抗期岡田くんは語るようになる。

アイドルを辞めようと思っていた。」と。何度も。

知ってたけど。

少なからず傷ついたけれど、逆にもう辞めることはないんだなと思った。

それは挑戦のスタートなのだと。

そのころ岡田くんは毎月何十冊もの雑誌に載っていた。

控え目に言ってもメンバー内で圧倒的な露出を誇っていた。

V6は十周年を迎えていた。

何ヵ月もどの雑誌を読んでも「俳優を~」「お芝居が~」と語り、メンバーのメの字も出てこない。

これが不思議ものでね、何十冊とリアルタイム雑誌を読んでるとね、

どれが本音でどれが建前で話しているのか手に取るようにわかちゃうんですよね。


たまに出てきたメンバーの話や数文字感謝言葉にも飛び付いて一喜一憂

それを基準雑誌を厳選していたファンは多かったと思う。


やはり露出が多いメンバーグループの顔だ。

外での活動グループ還元グループ自体ファンの母数が増え、また個々に仕事が増えるというのが理想だ。

しか岡田反抗期

ジャニーズからV6から貰えた俳優仕事だなんて誰にも言われたくない空気を態度で晒した。

グループ還元しようと思っているんだなと思える瞬間は私には感じられなかった。

全ての俳優仕事俳優岡田准一として結果を残したいという意地であり

まあ、なんというかワガママみたいだった。

あのころ他担のファンには申し訳いねと話していた岡田担は多かった。

それでも好きだった。

芸能人アイドルなのに眼差しは鋭く、それはそれは美しかった。

めちゃくちゃ近くでファンサを貰っても遠くにいるような不思議な人だった。


彼は挑戦者だった。

ジャニーズという立場にありながら俳優として認められたいという挑戦の途中にいた。

新しいことを挑戦する時は風当たりが強いものだし。

彼が俳優岡田准一として認められるのには時間がかかるだろうけれど

一緒に挑戦の気持ちで寄り添いたいと思った。


だって担当から

いつだって味方だから

数々の映画だって何本も何回も見に行った。

岡田ファンが何回も行ったか数字が取れた」って言われたくないか

少なくとも私はセリフ覚えるくらい見ても黙ってた。

自担の挑戦だから応援たかった。

准くんは感じることもなかっただろうけどね。


准くんの「お芝居が…俳優が…」モードが続いて疲れてしまった時、思ったことがある。

そんなに俳優が好きならアイドル岡田准一も演じてくれよ。と。


准くんは決してそんなことはしなかった。


たぶん、きっと、できなかった。

彼は正直で不器用

V6で隅っこで下むいて口下手で、急に振られたら気の利いたことも言えず

テンションがあがって話してるうちに声が上ずっちゃう准くんは

本当に正直なV6岡田准一で、岡田准一自身であるんだなと思った。

ハッキリ言って甘えん坊だ。

そして恐らく彼が甘えることを許された唯一の場所だった。


俳優お仕事のために大阪弁封印した岡田准一

楽屋では大阪弁が出ちゃう准くん。


ただ黙って見守ってくれるお兄さん達がいた。

最高のメンバーやねん。

ときどきただの変人なのメンバーからバラされちゃったりして

ずっと准くんは准くんだった。

からずっとV6を愛せた。

からずっと岡田担だった。


准くんの反抗期が終わる頃、ファンが増えた。

後輩のお尻追っかけまわす変態ゴリラ地上波に登場していた。

そこに私の好きになった岡田准一は既にいなかったのかもしれない。

でもその准くんもその准くんで好きだった。



幼い頃から芸能界で働く人たちは、

世間人達が思う以上に本当に幼かったりする。


准くんは自分責任感や立場は敏感に背負うくせに

自分がどれだけ愛されてるか今も知らないんじゃないかと私は思う。

20年頑張ったからもう大丈夫でしょ。ジャニーズ若い子たちいっぱいおるからね。」

みたいに本気で思ってそうやし、アイドル岡田准一の代わりはおるって恐らく思っている。

言っとくけど、おらんで。




あと宮崎あおいをただ純粋に愛しているんだと思う。

自分も博みたいに祝って貰えるって思ったんやろうか。

准くん、あほやな。

知ってたけどな。

「これから感謝気持ちを忘れずに一緒に歩んでいきましょう。」

という諭すような健くんの言葉がなんというか全部わかってて。

本当に涙がでるね。



愛や恋が育てる芸もあると思う。

芸の糧になるならばとスルーできたけれど。

自分が出席した結婚披露宴花嫁結婚できる岡田准一

自分旦那ピンチの時に家を出て行く宮崎あおい

家庭の問題を男に相談する宮崎あおい

しか自分友達蒼井優の元彼って。

ファンがこれから何度も何度もクリスマスのたびに思い出すこの感情

予想できないあほ男の岡田も、予想したであろう宮崎あおいも。

もし子供が産まれても何の罪もないのに人生ハードモードすぎるし。

ここまでの数行すべて私の倫理観では正直処理できないし

2人の人生は2人の勝手だといえど、

正直バレてもいいやと思ってるとしか思えない撮られ方や

ここ数年の振る舞いがプロじゃなくてとても嫌だった。

数年先、彼らが「色々あったけど幸せです」なんて言われた時

よかったねって気持ち絶対まれないと確信できてしまった。

ここ数年間の上記の噂の数々がどこまで真実か考えるのも疲れてしまった。


赤い封筒が届いて、ずっと昔から下手くそな見慣れた“岡田准一”の筆跡を見た時

ギラギラとする岡田准一をただ純粋に好きだった頃に戻りたいと思った。


今みたいに携帯にたくさんの音楽画像を入れられる時代じゃなかったか

画素の低いカメラで撮った一番かっこいい画像を厳選して待受にしてた。

ファン友達を見つけるのは掲示板書き込みだった。

自分HTMLを打ってホームページを作った。素材は自分で作った。

画像数枚読み込むのに数分かかる時代から動画サイトなんてもちろんないし、

WSは手分けしてダビングしたビデオを送り合いっこした。

CM起用された日にはチラシが配布される場所を把握するだけでも必死だった。

本当に大好きじゃないとオタクなんてやってられない時代だった。

だけど全部楽しかった。

それが生活だった。

中学生にはコンサート何本も入れるお金もないけれど

自担アイドルの准くんが「ただいま」って言ってくれるから

大阪に1本入れるだけで幸せだった。

わかるかな?



戻りたいと思った瞬間から

あの頃以上に声援を送れる自分はいないんだと気付いてしまった。

から思った。

准くんのいう“変わらないご声援”は私には無理だ。


今は気軽に気になるジャニの数年分の映像なんかYoutubeいくらでも漁れるし

映像だって雑誌だってパシャパシャ撮って何枚でも保存して

公式なんて買わなくてもいつでもどこでも好きに映像を見て

発売前の雑誌の写り具合すらもチェックできる。

そんな時代からファンになった子たちはわからないだろうなと思う。

結婚でなんで降りるのかとか、好きじゃなかったんだとか。


そういうことじゃないねん。

わかんへんやろ。

わかってたまるかよ。



他のGが好きなジャニオタ友達と3誌手分けして買って交換したり

V6振り付け他Gのジャニオタ5人に覚えてもらってV6ごっこしたり

学校へ行こう!取材がきたらどうするか妄想してふざけ合ったり

青春時代の全部の思い出にV6がいる。

しかったなぁ。

きっとこれからも一番好きなドラマ木更津キャッツアイだろうし

夏の終わりにはFDFを見るんだろうけど

それはもう自担の出演作品としてではなくなるでしょう。

もやもやとした気持ちで年越したくないし

こんな気持ちカウコン祝福ムードとかたぶん耐えられなくて消すだろうし

もう一度言うけど“変わらないご声援”は私には無理だと思った。

でもね、

ジャニオタを、V担を、カミ担ね、降りられるわけない。

大好きとかもうそういう言葉以前に、これもう生活から

V6の売上は落としたりしないよ。まかせて。)

自担じゃないって思ったら

とても純粋気持ちでV担としてカミ担として

カウコンも今後も全部楽しむことができる。

と思う。




大好きだったか

もう彼の言葉により添えないと思った今日

岡田准一担当は降ります


さよなら准くん。

16年とても楽しかった。尊敬してたよ。

またひとつ夢叶ってよかったね。

長々と書いてしまったけど、

今までの月日に比べたらたった数行だよね。


これからV6コンサート楽しみにしてるね。

2017-12-18

anond:20171218223154

正直「ネットで評判に!」みたいな見出しニュースが出てるわりには言ってることって薄っペラペラ反抗期中学生みたいなことしかなかったな。

あれをすごいとか言ってる連中の頭の軽さがわかってある意味参考になったが。

2017-12-13

反抗期

Google Home が、

時間と天気を教えてくれなくなった。。

2017-12-07

anond:20171207173752

いい年して今だに反抗期が続いていているのか。

親が何をやっても逆のことをして欲しかったと怒るだけでしょう。

98万円なんて私立学費と比べれば安いもので、なんで返そうとしなかったのかさえ聞かない。

借金があるなら国立を目指すよと言い出しもしない。

ならばと自分学費生活費を稼いだわけでもない。

貯めた貯金を親に代わって返済する気もなさそう。

それに一人暮らしと家庭持ちではどんだけ生活コストが違うのかも分からないのかな。

お金は口実で根本的に親子の人間関係問題があるようにしか聞こえない。

親に問題があったとしても、お金のところではないだろう。

お前を育てるのにかかったであろう数千万円を全部を老後に使えと親に突き返すぐらいしてみたら。

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