はてなキーワード: 帰属意識とは
でも、サンパウロのカーニバルで題材に選ばれたり、ブラジル大使館が侍だと言い切ったりするくらい、
駐日ブラジル大使館 - Embaixada do Brasil em Tóquio
ブラジルのカーニバルに日本が参戦! 2023年のサンパウロのカーニバルでサンバチーム「モシダデ・アレグレ」がチャンピオンに選ばれました。同チームは、日本初の黒人侍弥助の物語を語りながらパレードを行いました。モザンビークで生まれた弥助は1579年に日本に連れて来られ英雄となりました。
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O Japão no Carnaval do Brasil! A escola de samba Mocidade Alegre foi escolhida campeã do carnaval de São Paulo 2023. A Escola desfilou contando a história de Yasuke, o primeiro samurai negro do Japão. Nascido em Moçambique, Yasuke foi trazido ao Japão em 1579 e tornou-se um herói. Você conhecia essa história?
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Japan in Brazil's Carnival! Samba group Mocidade Alegre was chosen the champion of the 2023's carnival in São Paulo. The group presented the story of Yasuke, the first black samurai in Japan. Born in Mozambique, Yasuke was brought to Japan in 1579 and became a hero. Did you know this story?
真田広之の『SHOGUN 将軍』で、なぜ黒人が居ないのか?とボヤる程度、英語のコミュニティできゃっきゃやってる界隈がある程度には知名度あるようです。
なので、黒人侍の存在を史実として認めないと、人種差別者扱いされます。そもそも、それを積極肯定している日本の大学教授もいます。(そして、英語圏のメディアに引用されてる)
(日本の学者や研究者を名乗る人がYASUKE肯定した結果、それを根拠にして、日本の人種差別主義者ガーとか英語コミュニティでコメントが付いてる一例 ↓)
However, a recent, widely shared post from Japanese historian Yu Hirayama argues that Yasuke was indeed granted samurai status by Nobunaga. Hirayama cites Yasuke’s stipend, housing, and sword afforded him by Nobunaga, but acknowledges that Nobunaga’s enemies did not view Yasuke as a samurai.
(しかし、日本の歴史家である平山優氏による最近の広く共有された投稿では、弥助が実際に信長から侍の地位を与えられたと主張しています。平山氏は、信長が弥助に与えた俸禄、住居、そして刀を根拠として挙げていますが、信長の敵対者たちが弥助を侍とみなしていなかったことも認めています)
↓ 対するコメント
racist in Japan and racist in the rest of the world get to work hand-in-hand now
(日本のレイシストと世界のレイシストは、今、手を取り合って働く)
https://www.polygon.com/24204308/assassins-creed-shadows-yasuke-samurai-ubisoft-controversy
While there’s some question as to his exact role, Yasuke was a real person and, as a Japanese scholar has recently pointed out, there’s no doubt that he was a samurai, which is a social status that can encompass a variety of duties.
(弥助は実在の人物であり、日本のある学者が最近指摘したように、彼が武士であったことは間違いない。)
https://metro.co.uk/2024/07/23/ubisoft-apologies-assassins-creed-shadows-doesnt-say-21281545/
しかも、その影響範囲は大きく、ご先祖様が武器を持ったことがあればみんな武士(侍)の子孫だし、新しい武士(侍)の定義を知らなければ、日本人は人種差別者と誹りを受ける。
羽振りのいいヘッジファンドくらいの高給を払わず、やりたい人の情熱と能力と使命感と倫理観だけに全てお任せしてしまった日本国民の自業自得なんでしょうかね?
(ゆうて、現状もだいたいの日常の困難は消えるレベルの高給は払ってるんですけどね・・・)
なので、肌の色が濃いキャラクターや、顔立ちの異なるキャラクターが登場する現代劇やフィクションの時代劇はもっと増えてほしいです。
信徒であることにアイデンティティがあって、教会に一定の帰属意識があって、現在進行形で交流を持っていたら、普通にごく普通の信徒ということなのでは
中には「敬虔な」と言われる人や聖職者もいて、そういう人は布教したり神学論争したり罰当たりな言動を咎めたりするんでしょうけど、平信徒ってそういう人ばかりじゃないよね。宗教団体と地域・時代によって程度は大きく異なるんでしょうけど
だからといって脱退しないのがいけないとは思わないから、本人がどうしたいのかだよね
オウム系統とか統一教会系統とか親鸞会とかその手のやつなら、ごちゃごちゃ言わないですぐやめてって思うけど、それにしたって増田の自由で、何を取るかの主体的な選択の結果ということだと思う
鬱の件は恋人の方が不安で甘えてるってことなんでしょうけど酷いね
でも宗教と鬱は同列に語るものではない気がする。宗教も2世以降ともなれば生得のもので、価値観やコミュニティへの帰属意識は植え付けられるから選択ではないのだ、と言いたんでしょうし、それも一面では事実でしょうけど、成人してたら自由意志の方が重要視されるものだと思う。暴力的言動を伴うような束縛や制約が強い団体の場合はまた別なので、物理的・心理的に抜けたくても抜けられずに苦しんでいる人には最大限度同情するけど、増田は違うということだし……
ネット百科事典や記事とかで改めて調べてみると「好き」や「ファン」に「応援」や「他人に勧めたい」という感情が加わったもののようだ。
その対象はアイドルでもVtuberでもスポーツチームでも、現実の知り合いでもなんなら無機物だっていいみたいだ。
う~~ん、わからん。
前に流行った「萌え」や「俺の嫁」ならなんとなくわかる。要は「自分はこれに好意を抱いています、以上」ってことでしょ。わかりやすい。
「推し」の含むニュアンスのなかでも特に「他人に勧めたい」っていう気持ちがわからない。自分の感情を表すのになぜ他人が出てくる?他人が何を好きでも嫌いでも関係なくない?
だいたい「応援」もわからない。自分が応援してるチームが勝つと嬉しいと思うのが理解できない。ぜんぜん関係ない人たちなのになぜ?
そもそも誰かのファンになったり、偉人や有名人をリスペクトをしたことも一度もないんだよな("便宜上そういうことにした"場面は少なからずあるけども)。
せっかくはてなブログが一段落して駄サイクルから抜け出したのに、今度は増田で馴れ合いなんて始めようとしてくれちゃって。
個々人が「あら、この仮面はいつものあの人ですわね」と顔見知りになってきたら意味が薄れていくわけだよ。
完全匿名、これこそがアノニマスダイアリーにおける最大の強みだ。
半匿名社会は第二のリアルとなり、どんなに居場所を増やしても次々に第三第四のリアルへと成り代わる。
5chはIPを表示するようになり、ネットの新たな中心であったTwitterは鍵アカウントで溢れエコーチェンバーに染まった。
かつてのインターネットにおいては当然の存在だった完全匿名はもはや貴重な存在なんだよ。
増田に書き込んでおいて、ブクマで「書きました」じゃねえんだよ。
テメーのブログでやれ。
増田に中の人はいるが、それがどこにどう潜んでいるのかを感じさせるのはやめろ。
全てが単なる嘘松かも知れないし、本気で切実だからこそ匿名なのかも知れねえ。
それがインターネットだったじゃねえか!
そうだろ!
レスバにならないからこそはてブを消極的(日常と融合してしまったがゆえの惰性かも)に選び続けてるんじゃない?
どんなにひどいこと言っても他のサイトやSNSより構造自体が一段上で人から見られてないと思うからのびのび色んな方面に強かったり露悪的だったり隙自語りできてそれはちょっと開放的なんじゃないかね
楽しいっていうか多くのブクマカにとって「安全で居心地がいい」のかもしれないと思う
ワイはブコメはやめてしまった単なるはてなブックマークを本当にブックマークとして使ってる人間なのでもう想像だけど
あとブクマカは普通に自虐が好きだと思うけどそのウラにははてブに対する帰属意識とちょっとの優越意識とがあると思うよ
まえになんか燃えた話題ではてブはやっぱり品があるわって書いてたブクマカさんみてひっくり返ったけど、この感覚は自虐と表裏一体で同時にあるものだと思う
4年前にバイオハザードのかゆうま(飼育係の日誌)みたいなノリでコロナ禍の日々を集団で匿名記録するサイトを作った。ログイン不要。 https://enigmatic-brushlands-82725-herokuapp.com
1年前:「かゆうま」みたいなノリで匿名日記を書くサイト作って3年が経った
知人が先々週にコロナに感染したり、友人が依然コロナ後遺症のブレインフォグに悩まされていたりなどしているのだが、世の中的にはコロナはすっかり明けたもの扱いになった。
外国人観光客も増え、出社する会社も増えて、前までランチ時間帯にすぐ入れた店もすっかり行列ができるようになってしまった。
例えば社員はオフィス出社しているが、フリーランスのメンバーはリモートなので、結局出社した社員もオフィスでZoomしてるだけだったりする。
それだったら家と変わらない、というか家だと自室でできるところを、オフィスでわざわざテレカンブースを予約したり、予約争奪戦に敗れた人はデスクで話してて周りは気が散ったりしてで本末転倒である。
コロナ禍をきっかけに地方移住した人は特例でリモートのままだが居心地悪そうで、実際フルリモートの会社に転職したりしてる。
あるいは正社員は辞めるが、業務委託契約を結んでフリーランスで働くことでリモートしてる人もいたりする。
オフィス回帰で帰属意識を高めるとか言われてるが、むしろ会社へのエンゲージメントは下がってる感が否めない。
飛び込み営業も増えてきたし、取引先のと打ち合わせも対面のものがちらほら出てきた。コロナ禍をきっかけに移動時間を気にせず仕事をしたり打ち合わせが出来る方法が普及したと思ったが、どうして人間はそんなに対面にこだわるのかワケガワカラナイヨ。
コロナ流行自体がある程度おさまってきたのは喜ばしい。(単に報道しなくなっただけで落ち着いてるだけ説もあるが)
ただ、逆にもう少しコロナ禍の頃のように外出しないで済む工夫をしてもいいんじゃないかと思う。
ということで今は「いかに外出しないで売上を上げるか」という経営シミュレーションゲームを作ってみようかと考えている
とはいえゲームプログラミングは全くしてきたことがないので、いまGodotを勉強中である。
これまでWebプログラミングがメインだったので、パラダイムが違いとまどうこともあるがなかなか楽しい。
来年の報告の際にも紹介できればと思う。
そんなこんなですっかりCOVID-19流行下ではなくなってしまったが、ありがたいことにサイトは日々書き込んでくれる方々がいるし、自分も心の支えになってるので、引き続きゆるゆる続けていきたいと思う。
COVID-19流行下の日々を集団で記録する日誌 https://enigmatic-brushlands-82725-herokuapp.com/
4年前:「かゆうま」みたいなノリで匿名日記を書くサイト作った
3年前:「かゆうま」みたいなノリで匿名日記を書くサイト作って1年が経った
関東人って、「関東」という括りで一体感やアイデンティティを持つことってほとんどないと思う。「首都圏」とかも同様。
同じ関東でも、東京と神奈川と千葉と埼玉と茨城ではそれぞれ別個の帰属意識を持っている。
さらに東京は規模がでかすぎるので「東京」という単位ではなくもっと細かい単位での帰属意識になっている。
その単位はあまりはっきりしたものはないけど、城東/城西とか、中央線民/東急線民/ほか沿線ごととか、区単位とか、街(駅)単位とか、いろいろある。
そういう細かい区分けでそれぞれが「自分はxx民」という感覚をユルく持ってる感じなので、「関東」でまとまって「関西」と対峙するみたいな意識にはあまりならないと思う。