はてなキーワード: 帰属意識とは
ネットっていつの間にか党派性でしかモノ見れない奴の集まりになったよな。
昔は真逆で「党派性でモノ見てるリアルのクソバカ共と俺達は違う」が主流だったのに、いつの間にかそれぞれのコミュニティや属性に帰属意識を持つ奴らで溢れてきた。
ロックもオタクもプログラマーもYoutuberもどこも最初は「党派性に流されない俺たち」っていう集まりだったのに、気づいたらソイツらなりの党派性に染まりきった人間で溢れかえるようになってた。
コミュニティってそういうものだと言えばそうなんだろうが、こうも何でもかんでも焼き畑にしてしまったらもうどこを行っても党派性に囲まれるしか無くなってくるじゃんっていう地獄を感じる。
誰が言ったかではなく何を言っているかで物を判断できる人間に出会いたかったら、もう諦めて本だけ読んで生身の人間そのものは切り捨てるしか無くなってきた
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230113180013
ゲーム好きなら社名を出せば「あぁ」と分かるくらいには有名な某ゲーム関係の会社をパワハラで退職しました。
在籍しててきつかったことをツラツラ書いてるだけなんで面白いかどうか分かりません。ただ、心のもやもやをぶちまけないと区切りがつかないので書きます。
平均的増田が在籍している富士通やNTTのような超大手ではないですが、あわよくばこれがバズっていろんな人に読んでもらえることを祈る。それで私を退職に追い込んだ品質部のハゲの目にも止まって少しでも嫌な気持ちになってもらえたらとても嬉しい。私に優しくしてくれた大多数の一般的良識を持った社員の方々、巻き込んでごめんなさい。
ちなみに転職会議でもボロクソに書かれてます。退職された先輩方、お疲れさまでした。
タイトルの通りです。ピリピリを通り越して死んでる。
ボスが癇癪持ちで自分が言ったやり方で出来ないとバチ切れるし成果を出せなくてもブチ切れる。ちょっと間違えてもキレる(当然か…?🤔)
以前、定時後に入社2年目をみんなの前で1時間以上説教した時は流石に居た堪れなさ過ぎてトイレに逃げたちゃった。勘弁してくださいよ社員のやる気削ぐだけですよ…。
私自身とある業務をマニュアル使ってやってたら、そのマニュアルが間違っててポカしちゃったんだけどそれが原因で机ぶっ叩かれるほどブチ切れられて泣いちゃった。ワァ・・・ア・・・・。
マニュアルが間違ってたんだからしょうがないでしょ…な態度が出てたらしく声張り上げられた。マニュアル作った人にも注意してくれよ何を信じればいいんだよマニュアル疑ったらなんも出来ないでしょ…
「あ、パワハラだ証拠取る為に録音しなきゃ…」と一瞬考えたけど行動に移せなかった自分が情けない。
「とりあえず謝っとけ」が出来なかったので大激怒させちゃいましたもちろんみんなの前で。それ以来そのボスと普通に話せなくなっちゃった。焦点が合わなくなって何も考えられない。会議の時地蔵になっちゃいましたよ怖すぎて。言うことすべてが「間違ってたらどうしよう」になってうまく言葉が出てこない。なにを言えば正解なんですか?
ちなみにそのボスは「仕事してる時は多少ピリっとしてた方がいい」と仰っていました。どこが多少なんだ。
専門知識がないしやる気もないので基本的に私にぶん投げてました。
それでいて文句しか言わない。文句言って具体的な指針は出してくれない。社員のやる気しか削がない。
2週間ほど「お前がダメな理由をこれから一つずつ挙げていく」と言わんばかりに私が提出した資料に関してくどくどネチネチ1時間以上じっくり挙げて頂いた結果めでたく鬱手前になって退職しました。ハゲは1言えばいいことを10に伸ばしてねちっこく説教してくるから嫌いだ。
この品質部のクソハゲは社内でも有名なねちっこさで、先輩に私がこのクソハゲの下でプロジェクト動かすことを伝えたら「あーあのねちっこい…」と同情されました。実際そのねちっこさが原因で退職しました。
このねちっこさで退職に追い込まれた人は割といるらしく、今の役職持ちの方も本気で辞めようとしたとか。その時は会社のトップに相談してクソハゲをプロジェクトから外してもらったらしい。
私は追い込まれ過ぎてたのと、直属の上司がこのプロジェクトに関わっちゃ駄目ってトップに言われたのでその選択値がありませんでした。せめて言うだけ言っておけばよかったと少し後悔してる。
「もうお手上げです。どうしたら出来るようになるの?」
「自己防衛で胸抑えてるんだったら止めた方がいいよ」
「君とやっていく自信がない」
「鬱になったら終わりだよ?」
全部品質部のハゲに言われたことです。世間一般で言うパワハラでいいの?これ。よく分かんないや。モラハラ?テメーのやる気のなさとイラつきをこっちにぶつけてくんじゃねぇよハゲ死ね。
こんなハゲが人の親だってことが信じられません。どういう人生歩んだら他人の子供に上記のような暴言吐けるんですかね。
苦しんで死んでほしい。
ちなみにこのハゲに遠回しで「俺はお前より1時間早く出社してお前より遅く退社してるが?」と言われた。だからなんだよ死ねハゲ。お前転職会議でも「かわいそうな髪の毛してる。陰湿でマイナス思考な質問をしてくる」って書かれてるぞ。やっぱ昔からじゃねーかハゲ。陰気陰鬱陰湿陰性。
役員会議で「お前の言ってる事がどう間違ってるか一つ一つ解説したいからお前が今言ったことをホワイトボードに書いて一から説明してくれ」と言わんばかりに社長自ら晒し上げた時は流石にドン引きしました。
なんというか「お前がどう間違ってるか一から説明するわ」を1:1でなく社員の前で平然とやるのが怖すぎる。文化が違い過ぎる。
今ってこういうのパワーハラスメントになるんじゃないんですか?私他所の会社の事よく分かんないんですが、昔の会社あるあるなんですか?
まぁ…いつもこうじゃないんですけどね……平時は普通なんですよ。普通なんですけどね……なんかDV受けてる彼女の気分だ。「時々こうなるだけで普段は優しい」。
以前先輩に「あの役職持ちのパワハラヤバくないですか?年上の人に『こんなことも出来ないんですね』って…ちょっと酷いと思います」と言ったら「それは期待の裏返しです。頑張ってほしいからああ言ってるんです…」とちょっと苦しい顔で返されました。そこは擁護しなくてもいいんじゃないかなぁ…。
上のような思考の人って「なんでこんな簡単なことも出来ないの?やればいいだけじゃん」な気持ちで仕事してるから怖いです。
全員アンタみたいに動くことが出来たらこんなに苦労しないですよ。出来ないから悩むのであって…って、これ言うと「出来ないじゃなくてやらないだけ」になるんですよ。サイコかお前は。
基本的に叩き上げしかいないから「俺はこれでここまで来れたからお前らもこれやればここまで来れる。別のやり方するなら倍努力しないと評価しないからな」な思考しかいない怖い。
ポジティブに捉えれば「自主的に動ける人」「協調性がある人」「向上心のある人」「推進力のある人」「行動力のある人」と、どの会社からも求められる人材です。
でもネガティブに言えば「押し付け」になるし「他人のことを考えられない」。「俺はこれで成功した」でしか教育が出来ないしそれも時代にそぐわないからガンガン辞めていく。
とある新卒が先輩社員に「なんでこれやってないの?」「こうすれば出来るよね?」「なんでやらなかったの?「明日まで/今すぐにやって」と毎日進捗確認という名のガン詰めされた結果半月ほど休職した時は頭抱えました。実際これが原因か聞いてないので分かりませんが、これぐらいしか思い浮かばない。
会社的には「後輩を指導している先輩」なんだろうけど、はたから見たら「新卒をガン詰めしてる先輩」なんですよ……助けてあげられなかった…あれで辞められてたらどうなってたんだろう。
昭和からある古い会社なのでこの令和の時代にも昭和の感覚で会社が動いています。
個人的に入社してドン引きしたのが「新卒向けの軍隊式研修がある」。
毎年3月に社外講師を招いて軍隊式の研修を行います。4月入社の、まだ入社してない新卒向けに。
何度か拝見する機会があったのですが、よく分からん精神論10条ほどを丸暗記させて一人ずつ大声で暗唱させてました。
もちろん一度でも間違えたらやり直しで、全員が終わるまで終わりません。
行う順番も自主的に手を挙げて前に出ないとダメです。少しでも遠慮すると講師から怒られます。
こんなクソ下らねぇ、うちはブラックなので未だに根性論重視で会社回してます^^と言ってるようなゴミカス研修
誰が自主的に受けたがんだよボケが。3月だから逃げられんし新卒可哀そう。
2010年後半まで山奥に連れてかれて一週間ぐらい軍隊式研修を受けていたらしいです。
こんなんやって帰属意識でも芽生えるとでも思ってんのかね。今日日流行らんですよ。
これやって「うおおおおおお!!うちの会社最高!!!!!!!!!!」ってなる奴います?何のためにやってんですかねほんと。
以前誰かが「なんで土曜出るの?」と上司に聞いたら「他の会社に差をつけるためです」と大真面目に返されたそうです。
ば~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っかじゃねぇの????????????????
差がついてるのが古参連中とそれ以下の意識の差だろが。なんで普通に休ませられないんだ?最近は出勤日を有給強制消化させられるしアホらしいわ。
これのせいで何度か行きたかったライブ見送りました会社死ね。TRFの30thライブ行きたかったよ。
うちの会社は割と始業時間が早いんですが、始業時間10分前に全社員が集まる「朝礼」なる儀式があります。
各部署や各社員持ち回りで事業内容や「私は今こんなことやってます!課題はこうです!」みたいなのを発表するんですが…それがまーキツイ。
運が悪ければ我が社のトップが長時間全社員の前で盛大に説教してきます。晒上げ吊し上げ状態です。
私も一度やられましたが完全に心折られました。他部署の部長からも「これ覚えるの1,2週間で出来ますよwなんでそんな時間取ってるんですか?」と煽られて泣きそうになりました。それ今言うか???
あと朝礼のせいで何だかんだ始業30分前に出社しないといけないのが嫌でした。
私が辞める前年、若手が4,5人辞めました。怖いねぇ。
20代後半~40代前半がいません。ほとんどいません。20代後半はマジにいなかったです。5年目前後が本当にいなかった
聞いた話では一時期大量離職されたみたいで若手とベテランしかおらず、技術の継承や教育がろくすぽ出来ていない状況。
なんで離職されたかはこの増田を読んで察してください。昔はもっと酷かったらしい。
そもそも社員を使い捨てにしか考えてないからどんどん辞められるんですよ。中堅がいなくて若手も結構な頻度で辞めていく会社に未来なんてあるんですかね。
役職持ちが鬱休職した方が出たため「鬱で休職しました」「ああいうところに行けば八割(鬱判定)貰える」「私は鬱になりませんから相談してください」と堂々と部内朝礼で報告した時は泡吹いて倒れちゃった。
個人的に休職自体結構センシティブであまり詳細に言ってほしくない事だと思うんですが、あろうことか鬱で休んでいる事、鬱休職は誰でも取れることを普通に報告しますかね……。
なんか言葉の節々に「鬱は甘え」と言いたげというか鬱で休むのは悪い事だと言いたげというか……人の心が分からない人に相談出来ないでしょ、無理ですよ相談できないです。気合で直せとか言われそうですもん。
実際に体調不良で休むと詰められる文化があったそうです。今でも月曜は休めませんし、休まないことが文化としてあります。分からんでもないけどそれを自信満々に文化として捉えてるのがちょっと面白い。自慢できるもんじゃないでしょ。
パワハラクソ上司に心をバッキバキにされて鬱退職する人結構いました。私もその一人。
正直「怒られない為に」仕事をしていた気がする。もう何が楽しくて仕事してたのか分からない。怒られたくないからビクビクしながら業務をこなしてた。下手なことするとガン詰めされて死ぬ。
「チャレンジ精神を持て」とはよく言われてましたが、環境が死んでるから委縮してなんも出来なかったです。そんなの関係ねぇやるぜやるぜ俺はやるぜな人なら上の方まで登り詰められます。それ以外は悪いこと言わないんで辞めましょう。
一族経営なので経営陣にたてつくと死にます。絶対に口答えはしないでください。「でもでもだって」なんて言い訳したらパワハラクソ上司に半日詰められます。とにかく謝ってください。
ちなみにトップはちょいちょい部署で決まったことをちゃぶ台返ししてきます。勘弁してくれさい。
当然っちゃ当然だし私もそう思います。ただ、この会社では放置プレイを意味します。放置したくて放置してるわけじゃなく一人ひとりの仕事量が多過ぎて他の人にまで手が回ってません。
若い子が先輩に仕事ぶん投げられすぎてキャパ崩壊した挙句飛びました。かわいそう。ぶん投げまくった先輩は反省してませんでした。お前人の人生潰してるんだぞもう少し反省した顔しろ。
「教えてくれるのを待つのではなく自分から学びに行く姿勢が重要」と言ってしまえば簡単です。物は言いよう。
・パワハラが横行してる
・社内の空気が死んでる(一部)
仕事自体は箇条書きマジックでやりがいあるし名も通ってるし一目置かれる有名会社なんですけど、内情はかなり死んでる。老舗で名前が結構売れてる会社でこれなのか…って結構ショックでした。
もちろん一部社員がゴミカスなだけでいい人も多くいました。私が辞めるとき悲しんでくれたり餞別くれたりパワハラで辞める事伝えたら「相談してくれたらよかったのに…」と心配してくれる方もいました。
最後の最後でゴミカスハゲ上司にボロボロにされたけど、本当にこの人の下で仕事できてよかったと言える上司にも出会えました。私の入社を推してくれた上司に挨拶に行くと本当に悲しそうな顔をされていたのが少し心残り。
上でちょっと悪く書いたトップも言ってることは分かるし結構話が面白い。叱責するにしても間違ったことは言ってない。言い方がキツイだけで。流石トップと思う。
ただもう限界でした。本気で上層部の意識と会社の空気を変えて欲しい。部長が率先してパワハラしちゃダメでしょ…いやハラスメントは誰がやってもダメですけど…。
外部講師呼んで一年ぐらいセミナー受けてくださいよ…もうこれ以上若いのがボロボロになって辞めていくのは見たくない。
正直品質武のハゲのパワハラが原因で辞めてなかったら退職エントリ書いてないしそもそも辞めてないですからね。
あのクソハゲが二週間で私を鬱寸前まで追い込んで頂いたおかげで逃げ出せましたし、こうして元気に退職エントリ書いてます。ありがとう品質部のハゲ。もう会うこともないので盛大にハゲハゲ言います。あいつは本当に苦しんでお亡くなりになって欲しい。お前のせいで辞めた人何人もいるんだろうな。いるって聞いたぞ。10年前からやること変わってないのな。
あと退職希望日伝えたら「トップが『キリがいいので今月までの方がいいんじゃない?』と仰っていたのでそうしてほしい(面倒事起こしたくないよね?)」と却下されました。そんな会社。
オタクって知らんうちになってるものだから、全く意識してないけど、最近はオタクであることに変な誇りや帰属意識を持ってる人がいるからねえ
正直なところ、そういう人とは話が合わん
人間は社会的な生き物ですが、多くの人は拒絶される心配があるため、見知らぬ人との社会的な交流を恐れています。Journal of Experimental Social Psychology誌に掲載された研究では、見知らぬ人と話すことをより快適にする可能性のある介入方法を探っています。
社会的相互作用は非常に重要であり、幸福感の増大、健康増進、帰属意識の強化など、多くの効果が実証されている。にもかかわらず、多くの人が初対面の人と付き合うことに不安を感じています。これは、悲観主義と拒絶されることへの恐怖によるところが大きい。
多くの人がこのような恐怖を抱いていますが、研究により、ほとんどの見知らぬ人は話しかけられることに完全に満足しており、この一般的な恐怖は杞憂に終わることが分かっています。この新しい研究は、人々がより快適に感じ、より自信を持って見知らぬ人に話しかけるための介入方法を探ろうとしたものである。
「人は、見知らぬ人と話すことに対し、驚くほど悲観的です。私たちの新しい『知らない人に話しかける』介入は、5日間にわたって知らない人と繰り返し会話をするよう促すことで、知らない人に話しかけることに対する人々の恐怖心を軽減することを目的としています」と、Gillian M. Sandstrom氏とその同僚たちは書いています。
研究者らは、米国と英国の2つの大学から募集した286名の参加者を利用した。参加者は、授業の単位を受け取るか、報酬を受け取って参加した。研究者たちは、モバイルアプリを使用して、参加者が完了できるように借り物競争ゲームを作成しました。29のタスクはそれぞれ、コーヒーを飲んでいる、面白い靴を履いているなど、記載されている説明に当てはまるプレイヤーを探すよう参加者に指示しました。
各タスクを完了するごとに、参加者はポイントを獲得し、賞品が当たる抽選に参加することができた。実験条件では、参加者は見知らぬ人に話しかけるように指示され、対照条件では、見知らぬ人をただ観察するように指示された。参加者は、実験期間中の5日間、タスクの前後で一般的なアンケートと毎日のアンケートに回答した。
その結果、この介入によって参加者の視点が変化することが示されました。見知らぬ人に話しかけるように指示された参加者は、研究の最終日までに、気まずさがなくなり、自信がつき、拒絶されることを予期しなくなった。この結果は、研究終了後少なくとも1週間は継続し、治療条件では見知らぬ人との会話が増えたと報告されました。
人々の信念は研究期間中ゆっくりと変化し、繰り返し触れることがこの介入を効果的にする重要な要因であることが示された。さらに、対照条件では、同じ次元でいくらかの改善が見られ、交流がなくても、見知らぬ人を観察することは、何らかの社会的利益をもたらす可能性があることが示された。
「科学者や公衆衛生当局の多くが、孤独感の増大とその健康への深刻な影響に警鐘を鳴らしている今、我々の介入は特別な意味を持つかもしれません」と、研究者は述べています。
この研究は、社会的に大きな利益をもたらす可能性のある介入を概念化する上で重要かつ興味深いステップを踏み出しました。にもかかわらず、注意すべきいくつかの限界がある。そのひとつは、研究者が参加者に、実験後の1週間に見知らぬ人と会話した回数を記憶するよう求めたことであるが、指示が明確ではなかったので、その結果は信頼できないかもしれない。
また、本研究の参加者は大学生であり、多くの人がある程度見知らぬ人と接することを余儀なくされているグループである。今後の研究では、地域社会のサンプルを利用することも考えられます。
最終的に、私たちの新しい「知らない人に話しかける」介入は成功し、知らない人に話しかける経験を繰り返すことで、知らない人に話しかけることに対する人々の恐怖心を軽減し、将来の会話についての予測をより正確にすることができるという証拠を提供しました」とSandstrom氏とその同僚は結論付けています。
「私たちの介入は、見知らぬ人に何度も近づき、話しかけるというシンプルなものです。そのため、この介入は多くの人が自分で行うことができるものである。このような交流を避けようとする本能は、著者らも共有していると告白しているが、読者もぜひ試してみてほしい。我々の研究が示すように、こうした会話は練習すれば本当に簡単になるし、その経験はあなたが期待する以上にポジティブなものになるだろう」。
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0022103122000750
私は「知人」という、家族や恋人、仲の良い友人(片手ぐらいしかいない)ではなく他人でもない、そういうなんともいえない間柄の人間が心底苦手だ。初対面の、今後会う予定のなさそうな他人はわりと得意。
故に私は、初対面の他人には愛想良く優しい人間に見られるだろうし、困っている他人が目に入ると必要そうであれば声かけなどもする。
しかし、職場などでは困っている人(お客様は除く)を見ても、普段からわりと話しやすい人以外は見ぬふりをしてしまう。
あと、学生時代から集団への帰属意識というものがまったくないため、仲の良い一部の人以外の同じ集団に属する人間と、赤の他人は私にとって重要度が大差ない存在であり、知人であるという緊張感がないだけ他人の方がマシまである。
こんな性格なので、友達といってもそこそこの距離感の子しかおらず、彼氏ができてはじめて家族以外の親密な存在を得た。
この彼氏が、別にまったくマイルドヤンキーでもなく、どうみてもかなりまともな人間であるのに、身内(知人)に優しく、赤の他人には冷たい態度をとる(別に店員さんに横柄とか、そういう問題行動があるわけではないが、なんというか私から見ると、身内にあれだけ優しいのに他人にはそっけないんだなという相対的なそっけなさ)のがすごく驚いた。
でも、彼のほうがよっぽど社会性もありまともに生きている人間なので、世の中のスタンダードはそっちなんだろうなあと興味深く彼を観察している。
ワールドカップでサッカーがにわかに注目されている。4年後、8年後、12年後。将来を楽しみに思う声も聞かれる。しかし、テレビやスマホから目を放し、皆さんの周りの公園を歩いてみて欲しい。気づけば、この国の街では、親の監視下を離れてサッカーができる場所はほとんどない。
先日「子育てしやすい」という地区に住んでいる友人の家に遊びにいったら、フェンスで囲われたサイコーの空き地に「ボール禁止」という、太いゴシック体で書かれた看板が10個くらいかかっていて、役所の公園課にクレームを入れる人の声の幻聴が聞こえた気がした。私の家の近くでは、つい数年前、ボール遊びができる最後の広場が消えた。そして、公園から子どもは消えた。
ストリートサッカー? とんでもない。「道路族」などとネットで糾弾されるこの国ではよほど鈍感な家庭でなければ道路で「全力の」サッカーなどするわけがない。たいていの家庭はわきまえているだろうよ。都会では、環境に恵まれ、なおかつ親がサッカーに熱心でなければ、楽しく思い切りサッカーをする方法は限りなく閉ざされている。
昔、子どもが読んでいたネイマールの伝記(美化されているに違いないが)を借りて読んだことがある。彼らは何時間もぶっつづけで遊んで植えたての芝生をグチャグチャにして、ほめられたのだという。もはやSFだし「地球の裏の謎の色の芝」だ。
そして、スポ少・街クラブが置かれた状況もなかなか厳しいものがある。
12月7日付のスポーツ新聞の報道によれば、ワールドカップで注目度が高まった三苫選手と田中選手が所属していた街チームに問い合わせが急増しているという。
子どもがやりたいと言うならいいが、「三苫みたいにしたい」と親のエゴなら、全力で止めたい。
私はゴリゴリの文化系なのに、なぜか息子が所属する小学校のサッカーチームの保護者会長をやっている。動機も理想もない。少子化が進むスピード以上に過疎化が進む街サッカーチームでは、何かの役が回ってくるのは必然なのだ。
子がチームに帰属意識を感じているし、仲の良いチームメイトたちは親戚の子のような存在だ。なので、文句を言いながらやっている。
月謝は格安だが、ビブスの洗濯や試合会場への車の乗り合い、行事の運営、試合当番などなど、さまざまな場面で助け合い、善意を持ちより運営しているが、こと近年は、子育て環境の激変により、運営はものすごく難しい。まず、共働き家庭が激増し、土日に仕事をしている親が増えたので「善意は出せない」という人がめちゃくちゃ増えた。
すると、善意を絞られ尽くしてもう1滴も残っていない…みたいな親との分断が生じる。
「あの子、試合用靴下忘れたけど、ママ連絡つかなくて。うちの貸したのに、なんのお礼もないんだよ?信じられる?」
みたいなことが起こる。要は、平日も週末も、いつだって誰だって疲れているのだ。
もう1つはもっと深刻だ。各家庭同士の関わり方が変化し、自分の子どもを客観的に見られなくなっているのか「うちの子ども アズ ナンバーワン!」みたいな親が一定数いる。多分、その親は自分の子どもが「三苫」や「田中」になれると本気で信じているようにさえ見える。
「せっかく車だしをしたのに、負け試合見せられて」
こんな親の愚痴と暴言と論破のオンパレードを見ていてたら、、まともな人はたいてい逃げたくなる。
かくして私は、貝となる。
往々にして、少年団・街クラブの月謝は安い。がしかし、親は疲弊する。
昨今では「多様性」を美化する声もあるが、チームメイトの親が多様で、暴言吐く親を受け止めるのはつらい。
ちなみに、一番上の中学生の子は、地域外の「営利を目的としたクラブチーム」に通っているが、そこでは労力は求められない。しかし、当然金はかかる。「再来週合宿だから、3万8,000円用意しておいてください」とか突然言われて「家計爆死!」となる。
断言する。
この国では、学童期にサッカーを「楽しく」やらせるには、親が疲弊して子に尽くしまくるか、金で解決するしかない。
もし、突き抜けた技術と体力があり、体格にも恵まれ、なおかつ、優良な教育システムを設けたチームが近くにある、という条件を満たせば、よりよい環境で、なおかつ親の労力をさほどかけずにサッカーを続けさせることができるかもしれない。
が、その道は万人に開かれているわけではない。
ワールドカップを視聴して未来に期待している方は、どうか住んでいる足元の地域にも目を向けてみてほしい。
多くの地域では、大人の監視下を離れてサッカーをする場所はないだろう。そして、経済優先だった昭和のじいさんたちの街づくりによって、自由な街の広場はとっくに消えた。
そんなこんなで、私は10年後以降の日本サッカーに、今はちょっと悲観的だ。
もし、これから輝かしいキャリアを残す子がいたら、「親ガチャ」「街ガチャ」「クラブガチャ」「子のチームメイト親ガチャ」に当たったよほど環境がめぐまれた子なのだろうと思う。
日本代表チームには帰属意識を持てる一方で、国内のチームには帰属意識を持てないからだ。
他人の競技する姿そのものがW杯の人気の理由であるなら、W杯とそれ以外の同一競技の人気は似て然るべきである。実際にそうなっていないのは、他人の競技する姿そのものを求めているのではなく、それ以外の、自分の何かをW杯の中に見出しているからだろう。国内リーグのファンではないがW杯のファンという人は、他人の競技する姿というよりも、自分を見出せるものあるいは自分と同一視できるものの勝敗に興味を持っている。
例えば縄張り争いの最中の原始人が、自分の付き従うところのムラ一番の力持ちを応援する気持ちに、前述の興味は由来しているのかもしれない。競技に勝ちたいのなら保育園児のチームとか弱いチームと戦えば良いのだし、よりハイレベルの競技を見たいのであればわざわざ日本のサッカーをみる必要がない。勝っても負けてもどちらでもただ素晴らしい健闘が残るのみである競技スポーツを観戦しながら、自分の帰属意識を持てるチームの勝利を願うのは自虐趣味の極みであって、到底理屈で説明できないし自閉症傾向のある人には全く理解不能である。
量産型で二番煎じの人生に甘んじ、付き従う奴隷マインドを見事内面化させた代表チームファンにとって、国内リーグというのは誰が自分のムラの力自慢なのかがわかりにくい。丁度ぼくが小学生のころにJリーグがはじまったが、どのチームを応援すればいいのか分からなかった。23区にはサッカーチームは無いらしく、一番近そうなのは猛禽類のキャラクターのベルディー川崎だった。やだ川崎とか怖い。ちなみに今は川崎はサメのキャラクターのフロンターレで、ベルディーは東京らしい。その本社は川崎の生田にあるそうだ。
付き従う性質のものたちに、自らチームを選べというのか。それは無理だ。彼らは自分の人生すら選べない。一貫性をもって判断したことなどない。これまでもこれからも周りのひとをキョロキョロみて同じように、変じゃないように作動する装置だ。彼らに応援すべきムラ一番の力持ちを明示しないのは国内リーグの怠慢でしかない。
関係ないかもしれないが、ぼくの私立小の同級生たちは誰もサッカーを見ない。サッカーに限らずスポーツを見ない。日本代表選手ならいる。でも他人の試合は見ない。親も経営者が多く、本人達も自分のビジネスをつくって大きく伸ばしたりぼちぼちだったりする。少なくとも球蹴りおじさんたちに自分を見出すような人間はいない。
スポーツ観戦とは、原始人に先祖返りしてムラ一番の力持ちに付き従う趣味である。彼らをわかりやすくレペゼンできないから国内リーグには人気がない。
それを与える役目を負っているのは"親"だから
子に安全地帯を与えられない人は本来は親になっちゃいけないんだよなぁ
けど、もう既に生まれちゃったものは仕方がない。親チェンジして生まれ直す事できないしな
出来るだけリアルでは人に優しくする以外に具体に出来ることはないんじゃないか?
帰属意識の持てるコミュニティとか考えたし、昔、マイノリティ向けのSNSを運営してたこともあるけど秒で投げたよ
結局、人間は生きづらさで繋がっちゃロクな事にならないんだ
繋がるなら会社の人にも見せても大丈夫な『公的なぼく・わたし』でないとダメ
ただ、人に見せてもいい部分ってどんなポンコツでも必ず持っているハズなのに、
https://suki-kira.com/people/result/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E5%A4%A7%E4%BB%8B/2#toc
5535.匿名@好き派 10-07 17:43 [通報] [非表示] [返信]
5531
5537.匿名@好き派 10-07 20:33 [通報] [非表示] [返信]
5536
腐女子はなおしようがないもんで🤩
5538.匿名@嫌い派 10-07 21:59 [通報] [非表示] [返信]
5537
5541.匿名@好き派 10-08 18:56 [通報] [非表示] [返信]
5538
誰も語ってねぇわWW
ただなおしようがないっていっただけだしWW
5543.匿名@嫌い派 10-08 19:40 [通報] [非表示] [返信]
5541
腐女子って全く関係ないところで堂々と宣言されるのも気分のいいものでは無いからそれも含めて指摘してるのでは?腐女子は恥じるべきものとまでは言わないけど、自慢になるようなステータスじゃないから。
腐女子は自分達と同質の帰属意識を持つことを他人に強要する、いわばヤクザ
なお一連のやり取りはどう見ても「腐女子は直しようがない」と言ってるだけのもので、流れ上自然な発言に過ぎず、ことさら腐女子を宣言するためのものでも自慢するためのものでもない
そういう一般名詞的でジャンル名としても成立するものを登録商標にして独占すると
たとえジャンルとして確立してもそのジャンルの中には一社の商品しかないことになるんだよな
それってジャンルの広がりが貧しくなるというか、裾野の広い山ほど高いみたいにいうように、結局ジャンルが成長しなくなると思うんだよな
そもそも一社しかない状態でジャンルとしてわざわざ棚用意してくれる小売もないんじゃなかろうか。まずそれがジャンルであるという認識も起こってこないかもしれない。
そこは誰もが帰属意識を持っていい一般名詞のままとしていろんな会社に参画させたほうが結局今登録商標してる会社も含めた多数の利になると思うんだよなあ
自分は説教と思わなかった文章を説教だと受け取った人を見かけて、なぜ違いが生まれるのかに興味がわいた
説教の辞書的な意味は「上の立場の人が目下の人向けに教え導くこと」
その一方で説教臭いの辞書的意味は……Web辞書に説教臭いの見出し語がなかったので正確なところがわからないが
接尾語で「くさい」がつくと「いかにもそのように感じられる」くらいの意味が付与されるので
これって「受け手が説教と感じる」ことを「説教臭い」と呼んでいることが分かっただけだ、なぜそう感じるかこそに興味があるのに
説教の辞書的意味を換言すると「上から目線で教えを示す」くらいの意味になるはずで、この上から目線が鍵か
つまり何かの文章を説教と解釈する人は「上から目線」「偉そう」などのニュアンスを他の人より敏感に感じ取っているという仮説を思いついた
ただこの仮説は少し的を外している感もあるか
説教臭さを感じない人も「良い啓蒙じゃないか、"えらい"なあ」と偉さを感じているケースもあるだろう
このケースで説教臭さを感じる人は「説教臭いなあ、"えらそう"に」と思うだろうな
このえらいとえらそうの差は着目すべき点か?わからない、今はいったん保留しよう
説教臭いという場合にはそう感じた人は不快感を感じているはずで、その何故不快に思ったかというアプローチの方が筋がよいか?
そう考えるのであれば「えらい」なら不愉快ではなく、「えらそう」なら不愉快か?
これもピントがずれている感が少しあるな……
一旦とりとめのない思考メモを書くのは中断してまた後で考えるか
続き
とりとめのない考えをするときは考えが発散しないように注意しなければいけないと自戒
と最初に書いているが、きっかけとなったその文章はこの思考メモ中には引用していないわけで
その文章を明示しないままにその文章固有の特徴をイメージしながら書いてしまうと的が外れるのも当然だ
全文引用失礼(増田は一定期間で投稿を消してしまう人がいるので後から自分が見返せるように)
上から目線を不快に感じるということは自分が下に見られるのが不快ということで
自分と同等もしくは見下している相手に諭されるのが不快なんじゃないだろうか
なるほど、納得感がある
的をかなり中心で射ているように見える
例外ケースが何点かある予感がある、それのフォローが出来ればよいが
考えてみるか
例えば駅構内の「痴漢は犯罪です」に説教臭さを感じる人を見たことがある
この場合どの相手を嫌いなのか、誰から見下されているのかというのがはっきりしていないかもしれない
他のケースでは小説で作中人物が政治思想を語りだしているのを見て説教臭さを感じるケースはどうか?
あえて言うなら作者に対する嫌悪感、「作者よお前は何様なんだ?」という感情か
なんでもかんでも説教に見えてしまう人はなんでもかんでも嫌いに感じているということになってしまう
見下されていると感じたから嫌いなのか
どちらが卵でどちらが鶏かはわからないし、おそらくどちらの場合もありそうな気もするが
レッテル貼りになりかねない、わかりやすい理解に流されてはいけない
もう少し考え続けよう
続きを考える時用のとっかかりメモ
・説教臭さの不快感の根源は「うっせえわ!」という感覚かもしれない
何故私は「うっせえわ!」と思わず別の人は「うっせえわ!」と思うケースがあるのか、それを考える
・また、「自分と同等もしくは見下している相手に諭されるのが不快」なので「つまり相手が嫌い」は論理の飛躍があるか?
大筋では近い位置に着地しそうではあるがそうでないケースもありそう、そこを考える
「同じ船に乗っている人のアドバイスは有用だが、違う船に乗った人の無責任なアドバイスは害悪」という思想に構造の類似性を感じる
・キーワード「唐突感」「他人からの行動の強制」「押しつけがましさ」「うんざり」
・以下4パターンについて考える
・説教臭いすなわち不快に感じると書いたが、これは自明ではないのでは?そのため上記4パターンがさらに分岐する
・不特定多数に発信されたものと名指しで発信されたものに違いはあるか?
・説教臭さを感じる条件に帰属意識は関係するか(アドバイス罪の「同じ船」に通じるものがあるか)
・一人の人間がある属性の不特定多数の人間に説教と解釈されうるものを発信したとき、そのある属性に属する私がその説教に同調し「そうだそうだ、もっと言ってやれ」と共感するケースがあるのではないか?
不快感という感情が湧きあがることで初めてこれは説教臭いと気付きやすくなる可能性は無いか?
・例えば日本人という属性に対して「日本人は〇〇したほうがよい」と言ったとき、既に〇〇している日本人がどう考えるかどうか
「良いこと言ってるね」と思った人はそもそも説教されているとは感じない、むしろ説教する側に自分を置いている可能性があるか?
「私は既に〇〇しているのにうるさいやつだな」と思った人は説教される側に自分を置いている可能性があるか?
仮説:
・その特定の属性に属した人が既にAを実施し満たしていた場合、不快感を感じない(パターン1)
・その特定の属性に属した人がAを実施していなかった場合、「うるさい」に類する不快感を感じる(パターン2)
・パターン1の場合、不快感を感じていないので説教臭いという感想が出てこない→説教だと思わない
・パターン2の場合、押しつけがましさを感じ説教臭いという感想が出てくる→説教だと思う
パターン1の反証、つまり「その特定の属性に属した人が既にAを実施し満たしていた場合に不快感を感じる」がありえるかどうか
特定の属性に属していない人でも押しつけがましさを感じることができるのでは?
「イタリア人はもっと紅茶を飲んだ方がいい」という文章は日本人の私が見ても押しつけがましく見える
この文章を押しつけがましく思わない人がいるとすれば「既に紅茶をたくさん飲む習慣があり意見に同調しているイタリア人」なのでは?
好ましく思っている人が言った啓蒙は不快感を覚えないので説教という単語が連想されない可能性
長くなりすぎた
一度別で整理してまとめよう