はてなキーワード: ママととは
で、何があるかっていうと、延岡のバクサイとか、若者は、頭の中に、自分の時代が来たという考えが暴れ回っていて、ときわ台メリーガーデンの2階に住んでいる最高裁の婆が、
マンションからなるだけ出ないでその若者の活力を利用することだけだと。しかも、10階の右側に住んでいて、2ちゃんねるやっていた、白根真理雄と永山悟も同じように考えているし
左の6階に固まって住んでいる、検事のママとかも、匿名SNSでつながっていて、なるだけ家にいて、マンションの下の家とかね、アパートに隠れているバクサイの若い奴になんとかしてもらおうと
これだけなんですわ。他にないと。その辺が一体となって連繋しているから、実行するのはバクサイの奴で、マンションの奴は中になんか機械がある。それを使ってその若い奴を動かしている。
これしかないんで、鍵の閉まった部屋とかー、コンクリートの部屋とかにも、電磁場が入り放題だから、頭の表面が電磁場を受信するような状態になっていると一方的に映像を見るという
これを受動受信というわけですね。それで、この受動受信は強制的にくるから、2万円の電磁場遮断シートを部屋に張るか、電磁場遮断マスクを買ってかぶって寝ないと行けない。
で、危険な映像を受動受信する前に、その遮断シートを買って子供にかぶらせないと危険だと、意味がないと、そういう戦時中みたいなもんですわ、国営放送で実はどんどん入ってくるから、
焼夷弾と一緒で、危険だから、電磁場遮断マスクをかぶって寝ないといけない。消防士がバールで部屋に入ってくることもあるわけだから。でもね、Youtubeやってる奴も、ニコ生じゃないや、ニコニコ
配信やってる奴も、それを全然言わないと。要するに、国に加担しているわけです。で、何で言わないのかと。分かるようにしとけばね、誰かに頼んで寝てる間に変なものを受動受信しないようにカット
してもらったり、でもやった奴いないでしょ実際。だから、何考えてんのよお前って言いたいわけです。
妻からの物事においてこれはこうすべきのっていう強要(モラハラ?)、
趣味の時間に設けられた時間制限をつい守れなかったことをやり玉に挙げられた信頼の低さによる発言の聞き入れなさ、
何より10年ほど一方的なセックスレス(体に触れることも許されない)に対する愛情の減退、
これらから、今後趣味を辞めたとしても、また何かしらで怒らせては顔色をうかがう日々が続くことを考えると続けられない。
そう伝え、もう別れようと話を切り出しました。
「じゃあ別れるってことね?」という妻にそうだと伝えると子供とか家はどうするかという話に入りましたが、
専業主婦だから経済的な理由で子供は育てられないから私が出ていくの一点張り。
子どもらの環境を変えずにというのを考えると、子供の相手に慣れている妻に任せ俺が出ていくということを伝えたが、
「子供のために仕事変えれば?」 「そんなに子供が邪魔?」と食い下がってきて。
そもそも子供らが何するでもママがいいという状態、声をかけても妻の話は聞いても俺の話は聞かない環境。
何よりも俺の本音として大きなことがある。
レスになってから、妻に対しても、子供に対しても愛情を感じなくなった。
パートナーとして、男として見てもらえなくなってから、父親という役割の人になった、
それに合わせてママという役割の人、子供という役割の人にしか見なくなった。
そこには責任や義務と言った言葉を頭に浮かべながら行動する日々になった。
そういう意識からいえば、いらないだの邪魔というより、単純に育てる自信が持てないのだ。
それを妻に伝えると、表情がかわり、突然
「・・もう私のこと嫌い?」と。
嫌いになったわけではない、単に愛情を持ってないだけ、空っぽな状態ともいうんだろうか、、
嫌いになってたらとっくに傷つける言葉でもなんでも言い放ってとっくの昔に終わってる。
するとこれまでの流れを経つかのように、一度離婚するかは置いておいて、関係を修復をしないかと提案される。
以降、何をどう考え、変わったのかはわからないが、次の日から隙あらばバカップルレベルでくっついてくるようになった。
家で近くを通ったとき、家から帰ってきたり、子供の世話でイライラしたときに突然抱きついてくるように。
本来であれば俺が望む形が突然舞い戻った。
・・正直今更だ、というのが本音だ。
俺はレスになって10年、悩んで、打ち明けても私にもわからんと吐き捨てられ、
今日はどうだろうと触れると気持ち悪がられ、何度も心を折られてきた。
正直妻に依存していたところがあると思う、そんな自分が壊れないようにと趣味を初めて今に至っている。
なので、今更抱き着かれても、キスされても、体に触れられ求められても、何も心躍らないのだ。
そんな無反応な俺に寂しいと涙すら見せる妻に対して、付き合ってからこれまでの情みたいなものでしかたなく相手してるのもどうなんだろうと思う。
それを受け入れて抱けば妻は満足するだろう、でも俺自信の手が全く伸びない、気持ちが入ってない状態で抱く気に一切なれない。
これまで俺が苦しんできたことを全く理解せず、相手のタイミングで体重ねればいいって思われてるのも虫がいい話ではないだろうか。
既に気持ち的には開放されたい、妻に子供を捨てて趣味に走ったクソ野郎と思われてもいい、逆に妻の気が昔のラブラブした時あたりに戻った分、めちゃくちゃ泣かせるであろうことも想像に容易い。
日々の家事も子供の朝晩のアレコレも別居時に仕込まれたものがあるから、二人でささっとやって今までより効率よくできてる生活にはなってる。
そのまま受け入れれば元よりいい生活に戻るのかもしれない。
だが、この胸にぽっかり穴が開いた状態で、円滑に進んでる家族の生活を見るたび虚無感しかない。
全くもって心揺れないのは、これまでと変わらないのではないか。。
本当に、、本当に今更過ぎる、、もう何年か前にこうなっていればよかったのに。。
暇つぶしに見るXでは、よくワーママと専業主婦が争っている。働きながら、あるいは働かずに子どもと向き合った。それが正しかったかどうかは、何十年か経ってみないと分からない。
以下は、平成初期に単身赴任の父+専業主婦からパート、フルタイムを経て自営となった母の間で育った私の事例である。
人の記憶はいつから残っているのか、幼稚園の頃に、母親が自分をおざなりにし始めたな、と感じたのを覚えている。それまで一番に迎えに来てくれていたのに、ある時を境に先生とふたりきりで、最後まで待つようになったからだ。
産まれたときから母親が忙しく、保育園に毎日遅くまで預けられていた妹は、おそらく母と過ごした時間は私より短いが、寂しかったという記憶はないらしい。人は最初からもっていないことよりも、一度手にしていものを手放すほうが辛い。
小学生の頃、学童から帰って、保育園に妹を迎えに行って、ご飯を食べて、お風呂に入って、それでもまだ家に大人がいない日があった。一度、母親が日付を変わったくらいに帰ってきたことがあって、覚えてないけれど、その日は何故か早く帰ってきて欲しくて、妹が寝たあともずっと起きていて、疲れた母親の前でどうしてもっと早く帰ってきてくれないの?とわんわん泣いたのを覚えている。最初はごめんね、と慰めていた母もだんだん苛立ってきて、じゃあ仕事辞めたらいいの?と叫んで机の上に山積みになった本や書類を床に叩きつけた。母も限界だったんだろう。今なら分かる。ただ、その時は、ああ、親を困らせた私が悪いのだと感じた。実家の床にはその時の傷がいまだに残っている。それから私は、母が遅いという理由では泣かなくなった。
中学生の頃まで、進んで出来の悪い生徒の面倒を見たりする一方で、上手く友人関係が築けなかった。いざこざを起こして、親に電話がかかってきたことも少なくない。成人してから愛着障害に関する本を読んで、片足を突っ込んでいたのだとわかった。人から必要とされたり、周りの関心を集めたりすることでしか、自分の価値を感じられなかったのだ。
勉強がまずまず得意だったこと、(両親が全力で働いてくれたから)お金で惨めな思いをせずに済んだこと、教師と周りの人間に恵まれたことで、腐らずに済んだ。自他の区別がつき、自分で自分を大切にすることを学んだ。それなりの大学に進み、それなりの会社に入り、(自分で言うのは恥ずかしいが)世間でいうバリキャリという属性になった。人間関係も人並みに構築できるようになった。
思春期になる頃には、過干渉の母親を疎む友人が多く、そういう母親は大抵、拠り所のなさそうな属性であった。子を一人の自立した人間として尊重しながら(放置された結果そうなったに過ぎないのだが)、格好良く働く母を羨ましがられることも少なくなかった。
辛いときもあったが、振り返れば一時的なものだし、親も私自身も、当時はああするしかなかった。もちろん運が良かったというのもあるが、母は頑張った。私も頑張った。そういう風に消化していた。
結婚後、何気なく小さかった頃の話をして、夫に寂しかったんだねと言われたとき、涙が止まらなくて、ああ、寂しかったんだなと思った。母を怒らせたあの日から、寂しいと言ってはいけない、思ったらだめなんだと、ずっとずっと思ってたけれど、別にそうじゃないんだな、寂しいと思ってもいい、それを口に出して言っていいんだということがわかった。
いつか帰省したとき母親に、小さい頃寂しかったと、初めて口に出して言うことができた。別に謝って欲しかったわけではなく、あの時寂しかったのだということをわかってほしかった。軽く言うつもりだったのに涙ぐんでしまって、あさっての方向を見ながら言ったら、母は、あのときはどうしようもなかったけど、未だに後悔するわ、寂しい思いさせたね、ごめんね。と言った。ちらっと見たら同じように涙ぐんでた。あの日のことは、母もずっと覚えていた。
もうすぐ子どもが生まれる。私はきっと子どもを産んでも仕事をやめない。理由は色々あるが、何より親の経済力が子の選択肢を広げることを身を持って知っているから。そのせいで、子供に寂しい思いをさせることがあるかもしれない。それは仕方がない。ただ、子供が寂しいときに寂しいと声に出せるような関係を構築したいし、その気持ちに付き合ってあげたい。いつかの私のように、自分の中の小さな自分を泣かせたままにしなくていいように。
追記)
ずっと読み専だったはてな、思っていたよりも沢山の人に読んでもらえて嬉しかったです。コメントも全部読みました。ありがとうございました。
この記事は、私がDINKSをしていた間に数年かけて消化したことの一つで、妊娠をきっかけに改めて思い返すようになり、今の気持ちを形に残しておこうと思って書き留めたものです。
自分の事例をベースに考えると、子の情緒形成という観点で、養育者が濃密に関わっておくべき期間は長く見積もって10数年程度あるのだということだと思います。
ナイーブだった私がサバイブできたのは運要素が大きいことは自覚しており、かつ上述の期間はかけがえのない時間ではあるということを理解しつつも
・コメントしてくださった一部の方や妹のように放置されたことが情緒形成に悪影響を与えないケースもある(子どもによる)
これらの点を踏まえると、夫だけの稼ぎで暮らせないわけではない(実家もそうでした)状況であっても、自分のためにも、家族のためにも、その情緒形成の期間を働かずに過ごすのは私にとっては悪手だなと思っています。いかに悪影響を最小限にして、家族一丸となって波を乗り越えるかということなのかなと。
父についてはどなたか言及してくださったとおり、物心ついたときからほとんど家にいなかったので、それが当たり前でした。昔気質の人で、わずかに家にいたときも家事育児にはノータッチでした。今は夫婦ともに融通の利きやすい職場なので、なんとか両立したいと思っています。また数年後にここに書いたことを振り返れますように。
追追記:何が怖いって「無責任に逃げろ」って言ってる俺より、3人の子供を確実に殺せるように別室に移動させて順繰りに絞め殺した奴に共感してるとこなんだよね。
子供がどれだけ親を信じてくれるか感じた事がないんだろうな。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d14dc3a4ae208d852841e604706cb8d7a0afdf24/comments
「育児に悩んでた」「追い詰められていた」ってあるけど、そこと子供を殺すことに論理的な整合性ないよね。
自分が母親に相応しくないと思ったら、押し付けて逃げたらいいじゃん。旦那もいて実家もあんだからさ。
産後うつの治療を何年も前に辞めてるし、自己申告でしかない。母乳への影響考えるなら粉ミルクでいいだろ。
責任感とかですらない。子供らは誰かの人生壊したりしてないんだから、わざわざ排除しなきゃ行けない理由ないし。
そもそも保護者の第一の責務ってまず子供の生命を守ることだからね。
警備員が自分の仕事果たせないからって施設に放火したら「責任感からやった」とはならんでしょ。
愚痴聞いてくれる実父と家事をサポートしてくれる義母がいてワンオペってことも無い。
まぁおかしいやつがおかしな犯罪おこしただけだから、この事件自体が全体の傾向を指すような証拠にならないと思う。
共感してる人の多いこと多いこと。
ちょっとした共通点から、おかしな自分語りが始まるのは仕方ない。人間は自分のこと語りたいし、これは害のない欲求ですわ。
自分語りから加害者叩きに繋げたコメントが高評価なのかと思ったらそんなことなくて、加害者に同情しっぱなしで終わりがち。
そんなことある?
こいつワンオペじゃないのに、ワンオペで育児してたおばさん(のようなやつ)まで同情しとる。
なんと言うか、まともな感性してたら、吐き気を催す邪悪にしか見えないよね。
だって自分より圧倒的に弱い相手を、信頼関係を使って騙し討ちにかけたわけじゃん。
しかも子供って親がなにしても大抵愛してくれるから、自分で築いた信頼関係ですらない。
こんな邪悪な生き物に、「自分も子育てで苦労した」くらいの感覚で共感してる。
犯人も子供に「ママと一緒に死のう」って話もしてない風じゃん。
1人1人場所移して絞め殺す判断はできるのに、自分は刃物で手首かいて洗剤ゴクゴクってなんだよ。
隣で首吊れば良いだけなのに。
敢えて子供たちと違う死に方選ぶのって、自分は死ぬ気なかっただろこれ。
「ぼーっとしながら子供を一人一人絞め殺しました、自分は目の前の凶器は触らずにいつもの死なない方法で手首を傷つけました、でも死ぬ気でした」ジョークか?
思い通りいかないガキども殺して、殺したストレスで自傷しただけだろ。
弁護士の入れ知恵なんだろうが、この後に及んで罪を軽くしようとしてる。
横恋慕したストーカーが相手強姦して殺した気持ち悪さより上なんだが。
全てこいつの頭の中のストーリーで、他人が自分のストーリーの登場人物でしかない。
一般論では母親って共感能力高いらしいが、子供の気持ちにはなれないのか?
珍しくジャンクフードを母が食べさせてくれて、ちょっと良い日だと思ってたら、3人姉妹一人一人別の部屋に連れてかれてく。母親だから不安に思ったりしなかったろうが、そこで抑え込まれて首絞めて来たんだろ。動けなくなるまで。
産まれた時から一緒で大好きで最近悩みがちな母親が、全力で自分を殺しにくる悲しさとか訳の分からなさとか、何分の一かでも想像して胸にこないか?
しかも1人目で後悔して辞めるとかじゃなくて、3人立て続けに殺してる。この嫌悪感がなんでこんなに共有されないんだ。
求刑が死刑じゃないのもおかしいと思うが、法律はわからんから置いとくとして、なんで同情できる奴がいるんだよ。
ひたすら自分の思い込みからくる、営利目的ですらない身勝手な殺人だろ。
俺がおかしいのかこれ。
たまたま拘りの強い母親の元に産まれて懐いたら、子供絞め殺す母親より同情される価値がないのか。
追記:
恋愛感情持ったことないやつはあんまおらんと思うが、ストーカーになろうと思ったやつは殆どいないだろうし、ストーカーに共感しないだろ?
「生活に潜んでる感覚だけど、味方になりたくない嫌悪感」をキモいって言った。コメントで同意してるやつも、悪い事だってのは重々承知だろ。
一応言っとくが「キモいとは」を説明しただけで、ストーカーは社会が産んだとかそんな話はしてないし思ってない。もののたとえだから、喩えから出てきて話をしてくれな。喩えだからストーカーじゃなくて何でも良い。
子殺しほんとに気持ち悪くてなんで擁護できる奴がいるのか理解できん。共感能力とかそんな話じゃねぇだろ。気持ち悪いわ。
:
この犯人が3人殺したのは社会のせいでも何でもなくて、こいつが無能でバカで妥協を知らんせい。一人相撲で勝手に悩んで他人を傷つけただけ。
義母が定期的にきてんだから、母であることを辞めれたろ。全部捨てて新天地に逃げたら良かった。
ママが学生の頃って、アッシーとかメッシーとかいって、彼氏でもないのにおごってもらったりしたんだって?
あー、懐かしい言葉ね。そういう女の子はママの身のまわりにはいなかったよ、学部の女子100人いるうち2,3人が噂されてたけど、本当かどうか知らない。
本当に?おばあちゃんが言ってたよ、ママの卒業式の日、BMWで迎えにきた男の子がいたって。
あーあー!あったねそんなこと。あれは当時の彼氏だよ、なんか無理して借りてきたらしいの。ふふ、優しい彼氏だねえ。
ふーん。その人とは別れちゃったんだ?
うーん。別れたのはそのBMWも原因かもね。今でこそ彼の背伸びが微笑ましく思えるけど、当時の私は全然嬉しくなかった。部活の軽トラで、エンジンかからない!とか言いながら送ってくれた事の方が大事だった。見栄が苦手だったの。だんだん価値観が合わないな、ってなって。
ふぅん?見栄って向上心みたいなもんじゃないの?何でダメだったの?
そうね、その向上心を私にまで求めはじめたからかな。「もっと女らしいオトナっぽい服を着て欲しい」とかさ。
犬猫の飼い主のことをパパ・ママ(お父さんお母さん)呼びすること、別の生き物だし何より本当の父母に失礼やぞ
たかが姪っ子甥っ子を溺愛してプレゼントあげまくったり遊びに連れに行ったりすること、他人だし別の家庭に足踏み入れ過ぎなんだよ
「ぬい」の持ち主のことをぬいママとか言う文化、最早生き物ですらねぇぞ
甥っ子姪っ子はいないからわからんけど猫は飼ってるしぬいぐるみも持ってるから、それらに対してかわいいな〜とか思う感情はあるよ。でも親目線になりきるのがマジで無理。キモイ。
2つ目3つ目はあまり自身がこれに巻き込まれることはないのでまだいいんだけど、1つ目は自身が動物病院とかで「素敵なパパ・ママに育ててもらえて幸せね〜」とか勝手に猫産んだことにされる被害を受けるのでマジで嫌。
ママとそういうことしてるの?