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はてなキーワード: エプロンとは

2024-11-10

お前らは買わなくていいけど俺は買ってよかったもの

チタン製の箸

俺は木製の箸アンチだ。昔、汁ものとか食べていると変な匂いがしてくることがあって、当時使っていた木製の箸が原因だった。使ってる木のせいなのか、加工に使っている何らかの薬品塗料のせいかは知らんが。で、試しにその箸を湯にぶち込んでみたんだが、湯が紫色に染まっていったのは軽くトラウマだったな。

で、木製がダメなら金属製、そして錆びとか気にせず使い倒したいなってことでチタン製の箸を選んだ。アウトドアコーナーとかで売ってる、ちょっとお高めのやつ。中が空洞になるようできているか金属ながら軽量で、木製の箸とほぼ変わらない重さ。携帯可能な袋付きで外食でも使える。

難点は、たまに遊びに来た友達に「お前、韓国料理食うんじゃねえんだから」っていわれるのがウザいこと。あと、近年の樹脂製は耐久性機能性も優秀らしくて、値段も安いから次に買い換える時がきたらそっちでもいいかな~とは思ってる。ただチタン製の箸を使い続けて数年、未だその兆しはない。

ランドリーエプロン

洗濯するときに着用するエプロン洗濯物を収納できる大きなカンガルーポケットが特徴。商品パッケージ説明だと洗濯カゴみたいにかがむ必要がないことをウリにしてるけど、正直それだったら足つきの洗濯カゴでいいってなる。それでも俺が買ってよかったと思っているのは、このランドリーエプロンは実質「自分の体に洗濯カゴがついている状態にできる」からだ。

仮にベランダで干す場合、通常は適当場所にカゴを置いて、そこから衣類をひとつずつ取り出して干すだろう? けど「実際に干す場所」と「洗濯カゴを置いている場所」には“微妙距離”があるわけ。衣類を取り出すたびにカゴを置いた場所まで数歩移動したり、至近距離にあったとしてもカゴのある方向に身をよじるってことを繰り返す必要がでてくる。

足つきの洗濯カゴはかがむ負担こそ減ったものの結局「カゴを適当場所に置いて」から衣類を取り出すっていうのは解消できてないわけだ。その点ランドリーエプロンシームレスに行いやすい。もちろん取り込むときにも活躍する。あと、側面にも小さいポケットがついているから、そこに布巾なり洗濯ばさみとか収納しておけるのも地味ながら便利。

難点は、一般的洗濯カゴほど多くは収納できないこと。ギュウギュウに詰め込めばいけなくはないかもしれないが、それなりの重量になるわけだからエプロンの紐が肩に喰いこむ。洗濯ものが溜まってるときは結局カゴと併用した方がいい。それと基本的一般主婦を想定したフリーサイズなので、体格のいい人だと着用できない。やせ型の俺でもギリってところ。

2024-11-04

Mバイト3日目 メモ

  1. レジ打ちを初めてやった。
  2. 1つもわからず何のボタンを押せばいいかからなかった
  3. アイスコーヒーアイスを入れなかったらやり直しをうけた
  4. 1時間半立って後ろでレジ打ちを眺めてた
  5. エプロンを逆にして着替えた
  6. 次回より違う店舗行きになった


3日目、どんよりしたテンションのまま現場へ向かう。自分無能すぎて制服姿を鏡で見ると嫌になるが鏡に向かって1人で笑顔練習した。

現場に入ったらリーダーみたいな若い男の子が「今日は忙しくなるぞー」とみんなに声をかけてた。

今日トレーナーさんがついてくれた。

俺がポテトを箱に入れるのが上手いと昨日に続き褒められて嬉しかった。ポテトの塩振りも上手らしい。

しかし褒められたのはそれだけでその後が酷かった。まず客がいないのにポテトを作りすぎて偉い人に目の前でぬるいポテトゴミ箱に捨てられた。仕方ないとはいえ自分の産んだ子供を廃棄したみたいで悲しかった。しかし作りすぎた自分が悪い。

次にドリンク係についたが注文や種類が多すぎて頭がパニックになってしまった。

バイト3日目の俺がミス連発をしたせいでみんなが無言でせっせと手伝ってくれた。

ミス理由はその商品が何のことかわからいから作れず無視をしたからだ。クルーの仲間達は俺がどう見えてたのだろうか。顔を見たらクルー同士が顔を見合わせて無言の苦笑いアイコンタクトをしていた。きっと気のせいだと思う。

これはなんとなく動いて感覚で覚えるしかないですよとトレーナーに言われた。

最後レジ打ちも習ったがこれまでの人生でも体験したことがないくらい1番辛い2時間だった。

とにかくセットだの単品だのさらサイズ変更とかサイドメニューとかどのボタンを押せばいいのか最後まで理解出来なかった。略語BBQセットの意味理解できず「すみませんがビービーキューセットっていったいなんなんですか?」って聞いたらすぐさま交代となりあとは手首を前で組んで90分ひたすら見て立っていた。


テキパキと仕事をするクルーの仲間を見つめながら背後霊のようにレジ係の背中に無言で立ちつくす姿は無力な赤い服を着たスタンドのものであった。

映画フルメタルジャケットの微笑みデブが使えず指を咥え代わりに仲間が責任を取らされ演習を見てるだけのシーンそのものだ。

あぁなんて自分は無力なんだろう、、47年間積み上げた自信と実績は自我と共に簡単崩壊した。

これまで味わったことがない辛酸を舐めた。

そして就業時間になりやっと一息ついた。

これまで休憩無しで普段使わない頭をフル回転させた。

更衣室に向うとマネージャーから驚く言葉が俺を待っていた。

次回からは今と違う店舗に行くように言われたのだ。

同じ都内だがここからさらに遠い片道1時間もかかる場所研修することになったのだ。

さらスキルアップを目指す為に昇格したのであろうか。

休憩無しで働いて疲れた。帰りに食べた31アイスクリームが五臓六腑に染み渡り口の中で小さくお疲れ様ホッピングシャワーが弾ける声が聞こえた気がした。おやすみなさい。


2日目:https://anond.hatelabo.jp/20241104201643

4日目:https://anond.hatelabo.jp/20241104202209

元:https://x.com/kubotayokoyama/status/1849458697652895808

2024-10-28

anond:20241027000303

席①

 単純に広い方が気分がいいからさ。起きて半畳寝て一畳、君はそれで十分かい?私はできることな宮廷に住みたいね。それが答えだ。

席②

 好きな席どうぞって言われても誘導される。そう書いたつもりだがその通りだ。たまに使わせてもらえることがあっても黙って相席にされ新規客を通される。

エプロン

 MUSTだかWANTだか知らないが、私は紙エプロンを使いたい。シンプルに服が汚れるのが嫌だからだ。

2024-10-27

anond:20241026222651

投稿の人です。

真逆すぎるから質問させてください。

から来た奴の事なんて知らん、どこでもいいって言った癖に4人席座ったらカウンター席へどうぞとか言われるのクソむかつくんじゃ

①めちゃくちゃ大荷物じゃない限り1人で広いテーブルに座るメリットが本当にわからないので知りたいです。

②これは好きな席どうぞって言われても誘導されるってことですか?だとしたら、女が下駄履かされてるというのを理解できます。不平等しかないので。

初めて紙エプロン使うか聞いてもらえて使わせてもらった

最低限のサービス提供がMUST、飲食店場合は注文したものを出してくれることを指していると考えているのでそれ以上のサービス提供していてもWANTになるのは理解しているつもりです。

WANTの部分の提供が人によってぶれるという部分に違和感を感じているのが自分なのですが、私がWANTと感じている部分をMUSTだと考えている形ですか?

それともWANT部分だとしてもすべての人に提供しなければならないという考えですか?

2024-10-26

anond:20241026220141

私は男だけど、ラーメン屋でも2人席で食べたいしなんなら4人席や6人席でもいい

から来た奴の事なんて知らん、どこでもいいって言った癖に4人席座ったらカウンター席へどうぞとか言われるのクソむかつくんじゃ

こないだラーメン屋行った時初めて紙エプロン使うか聞いてもらえて使わせてもらった

こんなサービスがあること自体知らなかった

私も女として生まれたかったよ

女だからって1人飯の時に2人席すすめたり、紙エプロンを配布するのやめてくれ

主語はでかい、ごめんなさい。

チェーンの家系ラーメン屋で、お店に入った時に「お好きな席どうぞ」って必ず言われるのでカウンター席に座る。

食券性で必要最低限の会話だけしてラーメン食べて帰りたいから。

鞄も持ってないし、2人席座って混んできて入れない人が出るのは違うし、壁と向き合ってただ食べて帰りたいだけだからカウンター席に座るのだが、「2人席のテーブル使っても大丈夫ですよ」と言ってもらえる。

「ここで大丈夫です~」と返すが、後から入ってくる男性1人客にはそれは言わない。

注文したものが出るのを待っている間、「紙エプロンどうぞ~」と言われて置かれる。

から入ってくる男性1人客にはそれはしない。

無料ライスありますのでご自由にどうぞ」

この言葉自分には来ない、勝手に食べる。男性1人客には言う。

別にこの事柄が害があるわけじゃない。

座りたい席に座れてるし、紙エプロンだっていらないですってすぐに言えばいい話だし、ライス勝手に食べればいいだけ。

気にならないときは一切気にならないけど、なんで今日だけこんなに気になって気持ちの整理したいがためにタイピングしてるんだろう。

怒ってない、気を悪くしたわけではない、お店側に一切の非が無いのはわかってる。

たまたまエプロン配りたくなる服装だったのかもしれないし、お店ガラガラときは2人席座ってもらった方が楽とかの事情があるのかもしれないし、いつも言うことを忘れてただけの可能性も全然ある。

久しぶり食べたラーメンは美味しいし、家系ラーメンライスの組み合わせ最高すぎておかわりしたし最高だったんだけどなんだこの気持ちは。

と、書いていたら気持ちの整理ついたわ。

自分がもやついた部分がアンコンシャスバイアスからまれものだったとしても、従業員店舗会社のいずれかの単位での顧客への優しさとしてのサービス提供でることは事実プラスの働きなのに、この優しさを素直に受け止められない自分キャパの無さが不甲斐ないだけだ。

これからも食べたいものを食べたいときに食べるから、美味しいご飯出してくれる飲食店これからよろしくお願いします。

2024-10-24

anond:20241024123049

男だが夏以外はエプロンではなく割烹着を使っている。

めちゃくちゃ便利だ。ないと困る。

食洗器使っていても調理器具は手洗いという人は結構いるだろう。

飯食べる前に終わらせたいからな。

洗い物、特にお玉はよく水が飛んでくる。秋冬は家でセーターを着ることが多いから泡飛んできて欲しくない。

それに割烹着だと確実に肘まで腕まくりできて下がってこない。

かぶるだけで着れるから楽だし、選択するときポケット洗濯バサミが入るから、干すときも取り込むときも便利だ。

おしゃれなのも多いし割烹着普通にお勧めする。特に外国人へのプレゼントにはもってこいだ。

歌が上手い俳優ザック・エフロンですが、では料理も上手いのは?

ザック・エプロン

anond:20241024123049

マジレスすると、

そもそもとしてエプロン発祥

溶接エプロン」なので最初料理関係なかったの。

火花マジ危ないじゃん。

ざっくりいうと、これおしゃれに家庭に持ち込めるんじゃね?ってなったのが料理で使うエプロンの始まり

から無くても良いけどあったらあったで、そう言った油はねから防御できて役に立つねって話。

そもそもエプロンの成り立ちが溶接エプロンなので、

あれを料理世界に強引にもって行ったってだけ。

anond:20241024123049

もともと、エプロンは出先で調理するためのものなんや

料理教室などの外出先で、料理して服が汚れたら、汚れた服のまま帰らないとあかんやろ?

それが困るからエプロンがあるわけ。

まぁ、エプロンでは防御範囲が限られるので、割烹着のほうが主流になったというのも、

エプロンが廃れる理由でもあるが。

エプロンする意味がわからない

からないと言いながらも仮説はある。

おそらく料理や洗い物をする時には、油や水が跳ねていて、それが服につくとシミになるからである。分かりやすいようなでっかいハネでないにせよ、例えば炒め物をするときには無数の細かい油がフライパンから跳ねていて、それが服につくのが嫌な人はエプロンをするのであろう。

しかし私の疑問は、そのような理由があったとしても、なお私のようにエプロンをしない人とエプロンをする人が別れるのであろうかという点にむしろある。

このさらなる私の疑問に対する私なりの答えは「カジュアルウェアを着ているかどうか」である。私は家にいる時も外にいる時もユニクロの服を着ているので多少の汚れは気にならない。きっと私と同じようにエプロンを着けない人々は、そのようなカジュアルウェアを着ているからではないかと思う。そして、特に昔の人たちがエプロンをしていなかったのは、普段着として着ているものが、いま私が着ているような意味でのも普段着ではなく、相対的価格も高く、汚してしまった場合経済的精神ダメージが大きかったからなのではないかと思う。

2024-10-23

ママ友パン泥棒好きで困ってる

パン泥棒かわいいと思わないんだよね

絵本の内容としても普通だと思うし新刊だってマンネリだと思う

でもやたらとグッズ展開してるし

人気は本当にあるんだと思う

ママ友はハマってて推しパンちゃんは誰とか聞いてくる

無難パン泥棒だよって言うけど

ママ友はにせパンちゃん命とかいって

にせパン泥棒のグッズ無限に見せてくる

なんとなく絵がきもいとも言えないし

幼稚園先生パン泥棒エプロンしているし

はやくブーム終わらないか

2024-10-06

ただいま

っていってうちに帰りたい。

UNEXTで昔のドラマ岸辺のアルバム)をみていたら

ふっと昔懐かしいキリンビール黄色いケースと醤油一斗缶ラーメン屋裏口の場面で映り込んだ。

キリンビール」とカタカナで書かれているレトロビール箱。

あの頃の空気記憶に蘇ってたまらなくなった。

両親は生前町中華を営んでいた。

子供の頃は、朝の市場仕入れにいく父についていくのが一番楽しかったな。

ビール箱を運んではお店の冷蔵庫にいれたあの頃。

餃子のたねづくりをする母の横に座って、お店においてある少年マガジンを読んでいた。

今でも忘れない立ち上る刻んだ野菜匂いラーメンスープの湯気、エプロンに染み付いた両親の仕事

壁や柱に醤油匂いが染みついている、店内。

18になって東京大学にいくために家を出た。

実家餃子の味が恋しく、帰省すると自分でも焼いて食べた。

学費を出すために月に2日しか休まず働いていたことは口には出さなかったけれど、うすうす気が付いていた。

あの頃の仕送りのありがたみを本当の意味理解したのは、勤め始めた会社リーマンショック煽りをうけて2年連続赤字を出したときだった。

浮き沈みは商売も同じだ。いっとき近所にはやりのラーメン屋オープンしたとき、客足ががくっと落ちたことがあった。うちのお店からラーメン屋行列がよく見えるよ、と母は笑っていたが、うちの店は閑散としていた。その気持ちは、今となってはわかる。数は少ないけれど、お店の常連さんが売り上げの支えになっていた。

そんな苦労も乗り越えて両親が店をたたんだのは、勤めている会社で現法立上げのためにシンガポール単身赴任していたときだった。こちらは仕事忙殺される毎日だった。

お疲れ様だねと電話越しで伝えた。でも両親が40年働いた店舗を閉めるその場に居合わせたかったな。

両親からすれば子供たちが誰も店を継がなかったのはどう思っていたのだろう。今となってはわからない。

継ぐほどのたいそうな店じゃないよ、といったかもしれない。

でも、時折テレビで、息子夫婦が先代を支えながら家族ほっこり経営している町中華グルメ番組が目に留まったりすると、両親のことが思い出される。こんなふうになってほしかったのかな。


今は年に2回の墓参りだけに実家に立ち寄るだけだ。

建物老朽化して、そろそろ取り壊そうと思っている。維持費もバカにならないし、空き家では地震保険も入れない。

南海トラフ地震が来たら、倒壊して近所にご迷惑をかけてしまう。

忙しいのを言い訳にしているが、実際のところはふんぎりがつかない。

それは紛れもなく両親が生きた証でもある場所だし、子供たちに残した場所から

ただいまっていって戻っていた場所がなくなる寂寥感が勝ってしまうのだ。

いっそ「岸辺のアルバム」のように、川に流されてなくなってしまえばいいのに。

キリンビールの箱が懐しい。もう一度あの空気を吸いたい。

2024-09-30

ハンバーグバーで夫と◯ッキングしてきた

まり人に話すようなことではないと思うんだけど、ちょっと自分の中で消化しきれないし、誰かに話したいという気持ちもあるのでここで書かせて欲しい。そんなにテロくないけど、一応飯テロ話なので苦手な人はスルー推奨。

フェイクも混ぜるけど、大体はこの前の週末に本当にあったこと。

夫、33歳。私その数歳下。大学の頃お料理サークルで面識はあったんだけど大学では何もなくて、その後同じ食品会社就職することになってなんやかんやでつきあって結婚した。

夫も私もクッキング系の仕事子どもなし共働き

まりはっきり言わないんだけど、夫にはどうも、「ハンバーグ他人に焼かせたい」という欲望があるっぽい。

「もし〇〇さんに(ハンバーグを)焼かれたらどう?」とか、よりによってクッキング最中に聞かれることとかあって、はあ?って感じでそういう話は醒めるからやめろって伝えたんだけど、たまにあーはいはいって感じでちょっと話合わせてやったら明らかに物凄い激しくなるから、あーほんとにそういう偏食なんだってことは分かった。

ハンバーグバー、暴飲暴食とかクッキングとかする場所だと思って、こいつついにハンバーグ他人に焼かせるつもりかよふざけんなって思ったんだ。

そういうのは絶対やらないって言ったら「別に飲むだけでも大丈夫普通に二人で飲むだけだから」って言われて、まあ普段仕事大変そうだしストレス解消はさせてあげたいし、黙って行かれて不倫されるよりはマシかと思って、口説き落とされる感じでついて行った。

都内の某駅、駅からちょっと歩いたビルの地下。会員制で、初見は事前に電話して来店予約しないといけないらしい。受け付け済ませるとその横にロッカーがあって、撮影禁止なんでスマホ含めて荷物は全部そこに入れることになってる。

入ってみたら、想像してたより内装はずっと落ち着いてて、照明がちょっと暗めの普通ABCクッキング料理教室みたいな感じ。カウンター席とソファー席がいくつか、奥に防炎カーテンで仕切られてるエリアがあって、更にいくつか個室があった。

思ったより普通じゃんと思ってたら、ソファー席に普通にエプロン姿の女の人(すごい綺麗だし食べ過ぎのせいかお腹もでかかった)が座って、同じくエプロン姿の男性と楽しそうにクッキングしててその時点でマジかって思った。お店の女の子なのかと思ったらお客さんらしい。一瞬普通の服かと思ったんだけど堂々とエプロンなの、しかも黒レース結構本格的なヤツ。思わずガン見しちゃった。エプロンガン見せなのにコック帽もかぶっているのが逆にすごくプロっぽかった。

動揺しながら旦那と一緒にキッチンカウンターついて取り敢えず材料を注文して、ちょっと落ち着いたらソファー席の奥の衝立の向こうから普通にハンバーグを焼く音が聞こえるのに気付いた。何?って思ってみてたら、そのちょっと後でエプロンが乱れた男女が出てきた。女の人、オフショルブラウスエプロンなんだけどケチャップで口元濡れてて、さっきまで何してたんだってめちゃ想像してしまった。店員さんに話しかけて、二人で奥の部屋に入ってった。うわーーー……って思って、壁一枚向こうでクッキングしてると思うと、正直かなりドキドキした。

元々飯テロコンテンツ結構好きなんだ。お酒は美味しくって、最初の動揺も収まって、好奇心任せに店員さんに色々話してもらった。クッキングバーにも色々種類があって、そこはコミュニケーションバーってところなんだって普通に飲むだけの人も多いけど、カウンターソファーでその場で会話して気が合ったらクッキングをしてもOK、って感じみたい。常連さんも多いけど初見さんもちょくちょく来るらしい。男ばっかってこともあるみたいで、実際普通に飲み友達と飲んでる風な人もいたけど、その日は結構女の子もいた。カップルで来る人も多いみたい。

飯テロ過ぎるので中略)


総括。

ハンバーグバー自体は、当初は乗り気でないながら正直目いっぱい楽しんじゃった自覚がある。もう一度行こうって言われたら多分いっちゃうと思う。

旦那は、今回はクッキングいたことは一切言い出さなかった。分からんけど、多分店員さんにもNGって伝えてくれてたんだと思う(他の客が一切近づいてこなかったので。他のカップル客では結構クッキングしてたっぽいし)。ただ、妻の勘としては、私を慣らさせておいていずれは……と思ってるような気がする。どう対応するかは検討中

https://anond.hatelabo.jp/20240930224522

無性にジャンガレが食いたくなった。

山岡屋とともにずっと気になってはいるけれど、どちらも絶妙アクセスが悪い。車も乗らないし。

日常重力というものは中々強くて、行動圏内を逸脱するのにラーメン屋だけではちょっと弱い。そのためだけにわざわざ足を伸ばすのもなんだかさもしいお出かけに思える。

でも普段のおれの過ごし方も大概だ。

頭に浮かんだ単語自分でこねくり回す事もせず、SNS検索ボックスに放り込む。そこに出る他人がまとめた言葉に乗っかって、何かを考えたような気になる。もしかしたらコミュニケーションをした気になってるのかもしれない。何度も同じ言葉検索したりもする。

反復の日々の中で内容を変化させる刺激もなく、何度も同じ話を繰り返す老人と同じだ。

更新など来てないだろうと分かりながら、YoutubeTVerWeb漫画サイトをぐるぐるローテーションしたりもする。それにも飽きたら過去面白かった回を見たり。同じ回を何度も繰り返し見ていれば味もしなくなってくる。

それか、変わり映えしない手癖でギターを弾くか。頭の中で漂う音を取り出したいが、ろくに技術もない。そのためのセオリーを知ろうと知識検索まではするが、頭に入れようとはしない。開きまくったタブを閉じるのもなんだか惜しくて、ブラウザの隅にグループにまとめられたまま。埃でも積もれば少しはやる気にもなったのかもしれない。

こんな過ごし方なら出かけた方が少しはマシかもしれない。

週末、ジャンガレへ向かう決意をした。

山岡もついでに行きたいが、微妙場所がズレている。まあ折角出かけるのだから両方回ってやろう。

と思っていたが、ベッドでダラダラ過ごしていたら出発時間がズルズル延びていく。

結局山岡家は諦め、比較アクセスのマシなジャンガ新所沢店を目指す。

縦の移動を滅多にしないので気付かないが、埼玉は意外と近い。国分寺から西武に乗り換えればすぐだ。

近場でも県を跨げばなんだか旅行気分になる。それが移動の楽しさでもあり、億劫さを生じてもいる。

国分寺線は車内に電子表示がないらしい。イヤホンつけてスマホ凝視している現代の陰気人間に対して実に優しくない。Yahoo路線googleマップ現在地を神経質に確認しつつ、新所沢駅へと降り立つ。

西友と一体化した駅のロータリーは、郊外平均の生活感漂う趣。決して高円寺やそこらの「生活感」ではない。

都心に住んでる者には田舎郊外に住む者には日常光景ガチ田舎に住む者には割と都会。寂れはせずとも活気もない風景は決して気分の上がるものではない。

ジャンガレを目指し脇の通りに出ると飲み屋が並ぶ。町の息づきを隠しやがって、と思うのも束の間、スタスタ歩いているとそれも一瞬で過ぎ去り国道沿いへと放り出される。歩道車道曖昧さに少し田舎さを感じる。いやむしろ駅に近いからか。

コンビニファミレスか、塾やら車屋やらブックオフやらが点在する、ネットバカにされがちなあの光景

中高生の頃もほっつき回れる範囲は「コレ」か住宅外の二択だった。

晩飯までの時間制限はそのまま距離制限になる。電車あっちこっち行くような金もない。楽しげな景色は全て画面の向こう側だったな。せめて河川敷でもあれば良かったのだけど。

歩行者マイノリティのそういう道を歩く度、当時の事を思い出す。目に入る情報が少ないと意識自分の内に向きがちなのかもしれない。今も昔も。

ジャンガレは駅から離れるとすぐに見つかった。

小綺麗で小さめの店内にもう一軒ラーメンの入った、二店舗だけのフードコート形式

卵なしまそば(790JPY)の食券を購入し、受け渡し口へ。

トッピングを聞かれ、慣れた風にニンニクWとだけ。

店員のおばちゃんの声色と表情が「それだけでええんか……?」的な雰囲気を漂わせる。

別にいいだろ。おれは口の中の味が少ない方が好きなんだよ。

何やらメニュー表の写真を指差しながら説明しているが、ここで掌を返せば自分が不慣れのようではないか。実際不慣れなのだから何ら恥じることはないのだが、意地になってロクに確認もせず「それで大丈夫です」で通す。

そこまで言うからにはよほど質素な素ラーメンが供されるのではないかと若干怯えつつ、10秒程度の駆け引きを済ませる。フードコート特有のブーブー鳴るアレを渡され、テーブル席へ陣取る。

すぐさま脳内自分反省回を開く。おれのトッピングは変だったのだろうか。

数m先のメニュー表を確認することなく、インターネット無料トッピング情報を探る。

ニンニク。入れた。

エビマヨチーズ。いらん。味がゴチャゴチャする。

ベビースター。いらん。カリッとしたもんをわざわざふやかすのは嫌いだ。

辛味。まあ初回だしいらんだろう。

あ、アブラを入れ忘れてた……

まあ致命的なミスはなかろう。

スマホを置き店内を改めて見渡すと、数割の埋まり具合といったところ。

若者連れ、ご婦人ペアソロ中年男性

二郎(系)特有の窮屈で急かされてるような雰囲気はない。もう一軒普通(?)のラーメン屋も入ってるしな。

これを求めてたんだよ。家で手間をかけることもなくゆったり食える。

二郎は好きだけどあのガツガツした空気は嫌いだ。早食い美徳とも思わない。回転率とか店の都合だし 。

ナイトホークスとまでは言わないが、郊外の週末夕方の気怠い空気が心地よい。

地元の店といった趣はむしろアウェイ感すら抱かせるほどだ。

時間がゆったりと流れるような感覚。でも給水器の水の出がやたら遅かったのは多分気のせいではない。

呼び出しのブザーが鳴る。

ネット確認して尚も素ラーメンが出てくるのを若干恐れつつ、受け取りへ。

なんだ、ちゃん二郎系の姿をしてるじゃないか

受け取り口脇で紙エプロンが目につく。周りに目を遣ると着けてる奴はいない。こういう時、なんかお上ぶってるみたいで使うのが恥ずかしい。だが、週末のお出かけだしと着てきたお気に入りの白シャツは守りたい。

と悩んでいると、店員から「よければ紙エプロンどうぞ」の声が。渡りに船。まあ、勧められたなら使っといてやるか。

席へ戻る。卓上のカエシを垂らし、ヤサイを除去するように喰らう。コショウをドバドバ振り撒いてブタを喰らう。ニンニクをかき混ぜて麺を喰らう。

うまい。濃くてうまい。味がしてうまい

他の二郎系と何が違うのかはよく分からんけど、かねてから実行しかねていた欲求をきちんと消化し、しかも美味いのだ。何の不満があろうか。

と、汁がシャツの裾に飛ぶ。ちょうど紙ナプキン範囲外へ。

一気に萎える。

コップの水を紙ナプキンに浸して拭うが、薄まりもしない。

シミ抜きめんどくせえな。忘れないようアラームをつけ、自分で抱えてると気の滅入る記憶を外部委託する。

最後の一啜りを慎重に済ませ、退店。

まだ7時頃だかすっかり日も暮れた。もう夏も終わりか。

道路沿いで光り輝く塾の中でガキ共が勉強してやがる。こいつらは幸せなんだろうか。幸せになれるんだろうか。まあおれの知ったことではない。

完全に一服の口になってきたので、googleマップ喫煙所を探す。駅前タバコ屋があるらしい。

喫煙所のある街は良い所だ。目に楽しい街は傾向的に大体パブリック喫煙所が設置されている。寛容さとか、そういう抽象的な理屈じゃなく。

プライベートサービスの灰皿があるだけとなると、ギリギリ及第点といったところか。まあそれもすぐ消えゆくのかもしれない。

タバコ屋へに辿り着くと、分煙へったくれもなく灰皿だけが置かれたストロングスタイル

くどいラーメン後の一服は実にうまい。肉体作業でもした後ならさぞ染み渡るんだろうな。まあそんなんしなとも十分満足だ。さて帰るか。

駅でオシッコしようとしたら、トイレは仮設らしい。小×2と大×1の窮屈なボックスが3つ並ぶだけ。駅の規模の割に小さい。ええんかこれで。

スッキリした所で、ガラガラ新宿行きへドカッと座り込む。

このまま新宿まで行ってしまおうか。映画でも観て、バスタ高島屋でボーッと夜景でも眺めたら締まりのある週末だ。

乗り換えるまでの数駅分の猶予で、まあ今日はもういいかなと思った。

車窓の向こうは晩夏か初秋の暗闇。団地とタワマンの灯りだけがかぶ

家までの帰り道、せめてもの抵抗ゲーセン寄ってった。

なんというか、西武線に揺られ所沢に降り立ちジャンガレを啜るという全ての体験所沢感、というか郊外感があったな。非日常にすら感じるほどの、絵に描いたような日常。それに抗うつもりでゲーセン行ったのがむしろ更にそれを強める。

これをいつもの週末にしたくはないなって思いと、そうなりそうな予感があった。

帰ってフロがてらシャツのシミをシコシコ落とす。かったるい。汚れてもいいTシャツで近所をうろつくばかりの日々はもうすぐそこまで来てるのかもしれない。

後日山岡家も行った。

瑞穂店。どこだよマジで

最寄りは箱根ヶ崎かい温泉街パチモンみたいな名前しといて、実態八高線田舎駅。ドアの開閉はボタン式。狛犬ポジションの罪は重い。

駅前ロータリーコンビニけが目を引く。

国道沿いの道は片側二車線で、より歩行者の疎外感が強い。リサイクルショップの掲げる「作業靴買い取ります」の文言に色々な想像を浮かべる。

所沢って結構マシだったのかも。

15分ほど歩き山岡家に着く。駐車場はかなり埋まってる。思ってたほど臭くねえ。

醤油大盛り

店内は金髪ツーブロの兄ちゃん家族連れ。一人者にテーブル席は許されず、肩身の狭いカウンターへ。

しばし待たされ着丼。

啜る。なんなシメ雑炊出汁みてえな味がする。気がする。分からん。濃くてうまい

ニンニクコショウをドバドバ入れると、叩かれがちな壱系とあんまり変わらん気がする。まあ美味いのでいい。

帰りに寄る場所もなく、来た道をそっくりそのまま辿る。

おれの人生から日常はどんどん失われて、着実に「これ」へと染まりつつあるのかもしれない。

2ch脳じみた考えもとっくに薄れてきて、そういう日常バカにする気もあんまりなくなってきた。自分楽しいか、満足してるか、納得してるか。それが全てなんだし。

大して違いが分からなくたって、美味いと思えるものが食えたらいい。

別に美術館図書館デパートも行かない。

から出なくたってネットに色んなものが転がってる。

でも楽しい景色はこの目で見たいし、自分の足で踏みしめたいんですよぇ。

2024-09-28

好きな惣菜発表ドラゴンのつまらないパロが多すぎてドラゴンが嫌いになってきた

いやマジで竜ってウザくないですか?

アイツラって結局はただの爬虫類ですよね?

つうか竜って飛べるってイメージありますけど、アレって西洋ではコウモリ東洋では雲がベースなんですけど、冷静に考えるとダサキモですよね?

コウモリとか雑菌をそこら中にばら撒く夜行性の飛行物質で、大きさ以外はほぼゴキブリと同じ枠組みじゃないですか?

雲に至ってはもう完全に子どもの発想ですよね?あの雲ソフトクリームみたいで美味しそ~~~のレベルですよ脳みそ幼稚園児ですかね?

そもそも龍のデザインって雑に色んなパーツ合わせただけのキメラしかなくて想像力とか皆無ですよね?

九似だなんだと言っても子供玩具ロボットを組み替えてオリジナルロボット作った気になってるのと同じレベルのお遊びといいますか。

虎のような眼光に、鹿のような角に、コウモリの羽、トカゲの胴体、蛇の尻尾、なんなんですかこれは魔法薬のレシピですか?

ほんまにしょーもない。

こんなのが最強キャラ扱いされているってことが人類の恥っていうか、小学生メンタル種族って感じじゃないですか?

あーなんか、マジで龍ってしょーもないな。

龍とかありがたがっていいのは小学生エプロン裁縫箱買うときぐらいだよなー

2024-08-29

こどもが一歳になった。もとい妻に恨まれない産後の過ごし方について

産後の恨みは一生とかなんとかというポストが荒れているので、ここぞとばかりに自分体験を投下する。何かの参考になれば(特に妻の出産を控える夫よ)と思いつつ、実際は自己顕示欲を満たしたいだけなので好き放題書く。

さて、自分は約1年ほど前に妻が初産した夫の立場だ。

妊娠発覚

フリーター自分正社員計画妊娠ではない。とりあえず安定期に入るまでは静観。心拍確認できた(妊娠2ヶ月くらい?)段階で両両親に報告。

妊娠期間

互いに仕事に余裕があり融通が効いたので、1,2ヶ月ごとの検診に必ず2人で通っていた。この時期のデートは専ら病院から始まる。医療の民に色々聞きながらぼちぼち出産準備を進めることに。

互いに実家から遠く離れたエリア暮らしていたので、ゼロから2人で情報を調べ始めた。身内の経験者にソースをあたれないデメリットはありつつ、変にバイアスからずよかったとも思う。実際自分の両親世代情報は古いものだったりギャップのあるケースも少なく無いので、情報ソースはまず医療関係者、そして身近で出産経験のある友人を頼ろう。親は目の色変えて口出そうとしてくるに違いないが、心を鬼にして病院自治体に頼るんだ。

しかしまあ、人によって出産体験十人十色で、時に癖の強い看護師なんかは平気でやばいこと言ってくるケースもある。調べすぎは禁物。ちなみにその時妻はインスタで妊婦が絶叫する動画を漁り、こえーとかいって鬱になっていた。誇張抜きに、100人居たら100通りの出産体験がある。肝に銘じよう。

妊娠中は母体メンタル不安定になるケースも多いらしいので、とりあえず全力フォローだ。妻を救えるのはお前しか居ない。

自分はというと、特段変わらず普段どおり過ごしていたように思う。今となっては記憶は朧げだけど。妻は一時つわりがしんどそうだったものの、その期間を除けば概ね普段どおり。予定日の3ヶ月前くらいまでは働いていたような気がするし、もともとお互い飲み歩いたりする性分でも無い。

早めに仕事の終わった妻は、歩いて近所のスーパーへ買い物へ行き、カフェで甘いものを食べるのをささやかな楽しみにしていた覚えがある。帰って一緒に料理を使って、一緒に食べて、ベッドで寝ながら映画を見て眠る日々がとても幸福だったことを覚えている。

自治体サービス

すごい手厚い。母子手帳妊婦検査健診補助券、出産一時金、小児医療助成児童手当、その他報奨金・補助金。色々あるぞ。すごいぞ。絶対活用するんだ。申請は全部お前がやれよな。妊婦の手を煩わせるな。

出産

妻は無痛分娩を望んだが、近所に対応している病院が少なくやむを得ず普通分娩に。ちなみにいわゆる無痛(麻酔)が良いなら、妊娠発覚時点で即座に実施しているすべての病院ローラーして予約すべし。首都圏競争激しいし、地方地方そもそも対応している病院が少ない(産婦人科医だけでなく麻酔医が必要らしい)ので結局激戦だ。その際夫が電話しても妊婦から直接電話くださいとかクソみたいな仕様があったりもするが、めげずに電話をかけまくるんだ。無痛分娩にも、自然陣痛を待ってから麻酔をする場合と、あらかじめ出産日を決めて強制的に産ませる計画分娩がある。詳しくは調べてくれ。ちなみに自然陣痛を待つ場合陣痛の進捗が遅れると余計に課金されるクソみたいなシステムもあったりするので把握しておこう。妻じゃなくてお前がだ。

余談が過ぎた。で、結局普通分娩を渋々選択した妻は予定日を2週間過ぎたあたりで強制的入院となった。陣痛が来なくて予定日を超過すると、胎盤のパワーが劣化して胎児危険が及ぶらしい。なので薬剤を投与して強制的陣痛を促す。ただ、陣痛が起こるだけでは赤子は生まれない。なぜなら陣痛の進捗と並行して子宮口を開く必要があるからだ。子宮口が開いていないと陣痛を起こしたところで赤子は出ずにケツが裂ける。妻の場合子宮を柔らかくする錠剤を飲んで経過観察、効果が思わしくないのでバルーンという風船的なもの子宮口に挿入して強制的に拡げること一晩(ちなみにこれが痛みを伴うという人も居る)。ようやく子宮口が開き始めたので翌朝に漸く陣痛促進剤の点滴を開始。このタイミングで自宅に待機して無限ゼルダをやっていた自分召喚。立ち合いのもと出産に臨むことに。

で、結論から言うと、立ち会いの経験については特に書けることはない。というのも促進剤を打ってから3時間というスピード出産であっという間に超絶安産に終わってしまたからだ。勇んでテニスボールを持参し全力サポートする構えでいたが、ぶっちゃけ出産立ち会い時に夫にできることは無い。自分のやったことと言えば、陣痛の波に合わせてテニスボールを全力で妻のケツに押し当てて効果がないと文句を言われる。痛みで妻が暴れるのでベッドの手すりにクッションを置く。分娩室に移動する際に使い捨て割烹着みたいなエプロンを逆に着て看護師失笑さらう。妻の口元に水分補給用のペットボトルを持っていくがストローが無いので役に立たない。そうだ、ストローは持っていけ。

なので、ただただ自分の無力を悟る一瞬の3時間だったが、人によっては24時間以上かかることもザラなので、とにかくそばにいること、無力感に苛まれながらも全力で妻を支える気持ち、あと絶対に寝ないことが大切なのだと思う。知らんけど。

産後

妻は4泊くらい入院して母子共に問題がなければ自宅に帰される。その間に妻は体を療養しつつ、満身創痍の体で看護師から母乳とか沐浴など一通りの訓練を受ける。自分場合は運良く個室に空きがあり、夫も泊まって良いとのことだった(無論育児指導も一緒に受けた)ので、妻と同時にスタートをきれた。あと妻はミルク育児(いわゆる完ミ)を希望しており、看護師に渋い顔をされながらも鋼の意志出産したその日のうちに乳を止める薬を飲み、初乳をあげることもしなかった。自分としてはなんだかなあと思いつつ(本音を言えば乳をあげる妻の姿を見たかった)も、即ち育児を全て自分ができることになるので、妻は自分の療養に専念できることを思えば悪くない。実際に退院後は大部分の育児自分が行い、今もそれは変わらない。

育休

自分は超絶ホワイト企業に勤めていたので、妻の出産予定日以降は会社休み、妻の出産後に即1年間の育休を取得した。初産だったこと、会社の融通が効いたこと、両親のサポートが得られない事情から、互いのリソースを全て来たる赤子に全力を注ぐ体制で望み、結果として夫婦不和などもなく、1年をクリアすることができた。他所死ぬほど書かれているかと思うが、とにかく夫は仕事を休め。育休を取得しろ。育休は権利。育休制度もいくつか選択肢があり、ややこしかったりするので(会社の人事も制度を全て把握しているわけではない)事前に調べて取れる選択は全て検討すべし。

新生児

新生児ほとんど寝ている。3時間ごとにミルクを飲んで寝る。泣く。うんこをする。おむつを変える。ミルクを飲む。寝る。泣く。風呂に入れる。ミルクを飲む。寝る。というルーティーン自分場合特に時間の分担は決めていなかった。新生児もそうだが、それ以上に妻の回復が最優先ということで可能な限り自分が行っていた。といっても妻は元気そのもので、退院翌日にケツから血を流しながら自動車運転美容室に髪を切りに行ってた。本当はブリーチたかったけど産後は禿げるから美容師拒否されたらしい。ハゲてもいいのでやってくださいって言ったらしいけど無理だったって。当たり前だろ。

いや、止めたよ。全力で。絶対に行くなって。行ったら死ぬって。安産だったけど無理矢理いきんで出したか出血がひどく股が裂けて何針も縫ったって。けど狂人には何を言っても無駄だった。結局傷が開いて痛えとか言っていたけど。出血産後1ヶ月くらいは続き、妻の産後に最も辛かったことを聞いたら退院後1週間溜めた特大のうんこをひり出したことだってさ。妻が超人でよかった。

通常は母体が元に戻るまで半年とか1年かかる場合もザラにあるらしいのでとにかく母体を気遣えと。産後骨盤がゆるゆるらしいので、歩行もなるべく避けた方が良いのだとか。

完全母乳場合、この時期に病む母は多いと聞く。なにせ満身創痍で初めての3時間おきにミルクをあげるぐにゃぐにゃの今にも死にそうな謎の生命体の世話を強要されるのだから。乳も初めは出ない。乳を出すのにも訓練がいる。いまだに母乳信仰は根強いが、躊躇なくミルクを使え。ミルクなら父でもあげられる。そしてとにかく母体を守れ。子より母だ。頼れるなら両親でも親戚でも友人でもなんでも使え。産後母体負担を減らすことに全力だ。ここさえ乗り切れさえすれば、妻に以後何十年も三行半を突きつけられることは無かろう。え?そんなの無理だって馬鹿野郎。このご時世に1ヶ月すら休めない会社なんて辞めちまえ。

その後

赤子はすくすく成長するが、基本的ルーティーンはさほど変わらない。子育てをする上で気づいたことは、子育ての適性の有無が難易度を大きく左右するということ。例えば子ども泣く→おむつを変える→ダメミルクを飲ませる→ダメ→寝かしてみる→ダメ→あやす→気晴らしに外に連れていく→ダメ→車に乗せる→ダメ風呂に入れてみる→ダメ放置する→以下ループみたいな事態が発生するが、この辺りの試行錯誤を労せず淡々とこなせる人間がいると極端に難易度が下がる。昆虫少年で何かと生き物の世話が得意だった諸君、君たちは有望だ。夫に育児を望む女性は、交際相手に幼少期にペットの世話をしていたかどうか聞いてみるといい。

ちなみに参考にはならないが我が子は生後1ヶ月で毎日6〜8時間まとまって夜に寝ていた。妻もエリートなら赤子もエリートだ。新生児期を除けば、産前よりもよっぽど我々は寝ていた。一応、申し訳程度に自然光のサイクルに任せて日没後は間接照明で過ごすとか、ベビーベッドで1人で寝かすなどの試みはしていたが、実際のところこれは赤子そのもの個性に寄るところが大きいと思う。寝ないやつはマジで寝ないらしい。3ヶ月目には暗い部屋でベビーベッドに放置すると1人で寝るようになり、寝かしつけが要らなくなった。6ヶ月目には1人でミルクを飲むようになった。夕方、眠そうなタイミングを見計らって風呂に入れ、服着せたらミルク渡してベビーベッドに転がしとくとほとんど朝まで寝てる。

これまで散々煽っておきながら、自分はいまだに育児に困難を覚えたことが無い。妻はというと、赤子の鳴き声が黒板をキーキーされる程度にイラつくらしいので、赤子が泣き止まない頃はよくキレていた。適性大事。あと赤子の性質。その意味SSR引いた自分に言えることは何も無い。まあ、必要以上に不安を煽る記事も多いので、育児余裕だったという例もあるということで。

離乳食

最初から変に気合い入れて手の込んだ料理を作ろうとするんじゃないぞ。いいか大切なことを言うぞ。

離乳食は「食事」ではなく「食べる練習」だ。肝に銘じろ。6,7ヶ月くらいから始めるのが一般的だと思うが初めはろくに食べられない。食えたところでどのみちろくに消化できない。消化器官や腸内環境だったりが未熟だから大人のように消化吸収できるわけではないんだ。ならばなぜ食べさせるのか。そう、食べる練習だ。大切なのは、柔らかさと粒度、そして粘度だ。それが備わってさえいればゴムでも紙でもなんだっていい。味なんてどうせ初めはわからん

お前が食っている時なんて何も意識していないだろうが、初めての人間にとってはどうやら複雑な作業らしい。まず食材を舌に乗せる、そして舌で喉に送る、そして飲み込む。この三段活用にそれなりに反復作業必要なのが赤子という存在だ。だが安心しろ、誰もが初めからできたわけじゃない。お前だってそうやって練習してきたんだ。いずれできるようになる。まず赤子を観察しろ。どこのプロセスで詰まっているかを想定してトライアンドエラーを繰り返す。もう一度言う。柔らかさ、粒度、そして粘度だ。毎回少しずつ変えて、こどもの様子を観察しろ。それをひたすら続けるんだ。食材や味にこだわるのは、まず赤子が固形物を難なく飲み込めるようになってからで遅くない。

これまでエリート面してきた我が子もそれなりに苦戦したくらいだから離乳食で苦労する親は多いと思う。結局いまひとつうまくいかずに自治体相談したら、やたら癖の強いスパルタなオバはんが出てきて事細かに教えてくれた。困ったとき自治体を頼れ。

保育園

これ、実は妊娠発覚時点から活動(いわゆる保活)を進めるべき案件。マジだよ。保育園は神。えー、3歳まではやっぱり自宅でみたいなあとか悠長なことほざいてるお前。お前だよ。今すぐ自治体webサイトを漁って保育園を探せ。そして見学に行け。産後戦争から余裕のある今のうちにやっとくんだ。絶対だぞ。ちなみによほど田舎でなければ、基本的には共働き+両親が同居ないし近隣に住んでいないことが公立保育園利用の最低条件となる。競争率の高い自治体によってはそれでも収入が高かったりすると平気で落としてくる。出産時期によっては最も入園確率の高い0歳児の4月入園できないケースもある(つまり10月くらいには産まれてないといきなり苦戦を強いられることになる)が、毎月自治体が欠員を公開しているので、めげずにトライだ。もしどちらかが育休中や無職場合ダメ元でも就職活動中として無理矢理にでも入園できる可能性を追うべきだ(その場合入園後3ヶ月以内に就職することが条件)。入園希望は第10希望くらいまで書けるだけとりあえず書け。

ちなみに公立保育園情報はまともな自治体なら事細かに情報を公開している。23区内なら、例えば片方働いて20点、両方なら40点、その他の加点や減点要素、この保育園に入るなら最低41点は必要ですよ、みたいな情報を親切に公開してくれていたりもする。が、とにかく資料が難解で理解するのには訓練が必要だ。法律の条文や自治体の公開している公募要領だったりを難なく読めるスキルがあればそんなに苦労はしないと思うが、常人には難しい。理解させる気さえないと感じる。逆に、多くの人がろくに読解していないとしたら希望はそこにある。高学歴増田諸君であれば多少の苦行を受け入れさえすれば難なくこなせる範囲だろう。

保育園復職するのにはもちろんのこと、こどもの遊び相手だったり退屈しのぎだったり新しいことを覚えてくることだったり良い点は書ききれないほどあるが、自分が一番助かったと感じるのは食事だ。0歳児入園場合食事も当然こども用に作る必要があるのだけど、これをおやつも含めて1.5食分、しかも豪華で自宅ではとても作れないクオリティで出してくれるのが保育園。これには本当に助かってる。真っ当な大人がこどもの面倒見ながら自分の他にこどもの食事を2食ないし3食作って仕事してとかどう考えても無理だから復職たかったら全力で保育園に入れろ。いやむしろ保育園に入れるために復職ないし就職しろ

我が家は無事10ヶ月で保育園入園をキメ、妻は就職し、超絶ホワイト企業に勤める自分はフルリモートで働き、食事を作り、保育園の送り迎えをする菩薩のような父業をしている。無論、妻の方が圧倒的に収入は高い。

大丈夫保育園に通わせても十分こどもと遊ぶ時間は作れるから。どうせ入園して半年くらいは毎週のように病気もらっていくらでも病院連れてってあげられるし自宅療養できるから安心して保活に全力ベットしてくれたまえ。

1歳

だいぶ人間になってきた。人によっては歩くし、意味のある言葉も発するし、芸もいくつか覚えるし、意思疎通もできたりする。喜怒哀楽がはっきりある毎日楽しそうに暮らしてる。当たり前だけどみんな個性バリバリ。いいぞこどもは。おもろいぞ。

これまでこれといった危機も苦労もなくやってきたけど、この先も色々困難はあるだろう。これからが本当の地獄だ...って多分先輩諸兄は誰もが言うだろう。そしたらその先をぜひ増田に書いてくれよ。みんないろんな体験談を読みたいんだ。

長くなったが以上だ。参考にならないって?冒頭に書いた通りだ。妊娠出産もこどもも妻も夫も十人十色。あー、本当に育児体験てなんてのは全く参考にならないね。みんな頑張れ。そして楽しんで。妻(夫)を大切にな!

2024-08-21

昨日さ

保育園子供を迎えに行ったら、エプロン着て頭に三角巾巻いてたんだ。おままごと中だったみたいで。

帰ろうね〜って声かけたら、自分三角巾エプロン外して所定の位置に戻して、使ってた皿のおもちゃも重ねて棚にしまっててさ。

家じゃそんな遊びしないから知らなかったけど、いつの間にかこんなに成長してるんだなってびっくりして、なんかわっと込み上げてきちゃって。

嬉しくなって涙がポロポロ出てきて、保育園で、子供を抱きしめて泣いちゃったのよ。

保育士さんたちにアラアラ〜とか言われてすごく恥ずかしかった。

2024-08-10

清潔感に怒る人間から卑屈さが滲み出ててキツい

一度不潔だというイメージを持たれたらどれだけ清潔にしても清潔感がないと言われる、とかどんな限界環境で生きてきたんだよ。

たとえ小学生とかの時にそれで虐められてたとしても年齢が上がるにつれて取れる対処の幅は広がるし、周りも大人になるから虐められたりしなくなるだろ。大人になっても虐められるなら環境ヤバい

まあでも子どもの時に虐められるって、大体親が無頓着なんだよな。シワシワだったり生乾き臭のする服を着せる、風呂歯磨きを徹底させていない、共用のエプロンアイロンを掛けない、上靴を洗わない、その他持ち物がみすぼらしかったり汚かったりしても対処しないとか。

そういう親の元で育つ→清潔感がないと避けられる→家庭しか拠り所がなくなる→家庭に依存する→親に家事をやってもらうので清潔感を獲得できないまま過ごす、みたいな悪循環に陥ってる奴なら清潔感に納得できない背景は理解できる。自立するしかないですよ、とは思うけど。

努力したのに清潔感があるとは認められなかった!って人は努力が実ってないだけです。肌が汚いなら皮膚科に行くとか、ハゲてるなら潔く刈り込むか医療の力を借りるとか、体毛が濃いなら剃るなり脱毛なりするとか、とにかく身体から異臭・体毛・フケ・膿・鼻水等の汚いものが撒き散らされるイメージ喚起されないことが清潔感なんだから、そこは押さえとかないとね。

最近は男の乳首が浮いてるのが気持ち悪いって言われるように、清潔感自体のゴールも日々変動するものだけど、大抵の人はそういう情報キャッチアップして対応してるわけだから、まあ頑張ってくれ。

2024-08-07

子供宿題を「やってあげる」親

増田母は裁縫DIYで物を作ったり絵を描いたりするのが好きな人間だった。

増田自身(娘)は裁縫DIY的な作業は苦手だったけど絵を描くのは好きな子供だった。

小学生の時は夏休みになるとポスターを描く課題が出されたり、家庭科の授業で縫い物の課題(エプロンとかナップサックとか作るやつ)が出されたりした。

普段増田母は親のチェックサインがいる宿題音読シートなんかは「読んだら自分でチェックして」と言い放ち、学校に出す親の署名捺印がいる書類も期限ギリギリまでなかなか対処してくれない放任主義というか面倒くさがりなところがあったのだが、ポスターや縫い物の課題になると全く別の態度になった。

先に書いておくと小学生増田自分から増田母に「自分の代わりに課題をやってほしい」「手伝ってほしい」と言ったことはない。

ポスター課題になると「こんな絵にしたらどう?」「ここはこの色にしたらどう?」とあれこれと口を出す。一見提案のように見えるがこれらを拒否すると「もういい!勝手しろ!」とキレて持っていたペンなどを叩きつけたりして怖かったので小学生増田は言う通りにしていた。

縫い物の場合増田母は一旦は増田に縫わせるのだが、縫い方にダメ出しをしたりバカにして笑われたりする。この時点で割としんどい。一通りそういうことをしてから増田から取り上げた課題を縫い上げると「綺麗にできたからこれを持っていきなさい」とさもいいことをしたように言われるのである

ポスターしろ縫い物にしろ、そんな風に作られた提出物を持っていく時は心苦しかった。自分で作ったとは言えないもの自作のものとして出すのはとても悪いことをしている気分だった。ポスターが佳作だか入選だかになった時や縫い物の出来をクラスメイトに褒められた時は賞状褒め言葉笑顔で受け取りながら胸にズシッとした重みを感じていた。

夏休みの季節になって宿題の話を見聞きするとなんとなく思い出す。別に大事ではないけど古傷が痛むってこんな感じなんだろうか。

2024-07-12

anond:20240711150420

1970年代まれ(=概ね1980年代義務教育を受けた)男性だが、一応小中ともに「技術・家庭」という授業で

男子家庭科は皆無だったわけじゃなくて、高度な内容になると女性しかやらない(「技術」も同じ)というだけだったよ

例えばエプロンを作ったりそのエプロンに刺しゅうしたりという簡単な被服の授業は男子も受けたが、自分が着る服をデザインしてクラスファッションショーをやるという高度な被服は男子はやらなかったし、

調理実習フルーツポンチだのオムレツだの切って混ぜるだけとか基本炒めるだけみたいな料理男子もやったがコロッケとかクッキーみたいなのはやらなかった

逆に技術科は木材を決められた長さで切ってねじ止めでプランターを作る木工とか、亜鉛板を金切り鋏で切ってはんだ付けするだけの水受けを作る金属加工とかは女子もやったが、

ダボやほぞ接合のある椅子を作る木工や旋盤を使うような金属加工は女子はやっていなかった

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