はてなキーワード: 運動部とは
身近なところでは高校の運動部が手を抜く生徒にレベルをあわせていると強豪にはなれないし、
企業だって頑張っている人に報いる人事評価システムがなければ、人材が流出したり手抜きや現状維持が横行したりしてしまう。
普通の人は外発的動機や周囲からの刺激で努力を始めることが多いのだから、
努力する人に有形無形の報酬を与えたり、ちょっとストレッチすれば届くところに目標を設定してあげて努力するように促すことは重要だ。
けれども、努力してなくてもやっていける。このような環境では創意工夫するインセンティブがなくなってしまう。
では日本社会はどうか。
ちょっと高い自動車や電気製品が発売されたら、ネット上で「俺たちは金がないのに!」と怒る人たちがいて、そういう主張が普通に受け入れられている。
転職して収入を上げようという議論のほうが健康的な考え方だと思うが、そういった方向に話が進むことはあまりない。
昔、年金制度ができたときには日本人の平均寿命が65歳、年金受給開始が60歳だった。ギャップはわずか5歳だ。
今、日本人の平均寿命は80歳に伸びたのに年金受給開始はそこまで伸びていない。つまり働かずに食っている老人が増えた。
65から年金を受給して当たり前という雰囲気があるが(まあ、法的な意味では当たり前ではあるのだが)、その分現役世代の負担が増えている。
つまり働かない人にお金を与えて、はたらく人からお金を取るという構図が、昔よりも強化されている。
障害を持っていて働けない人や出産育児で忙しい人に再配分するのは当たり前だが、
働ける人には働いてもらおうというのが普通の発想だと思う。
働ける人をわざわざ定年で会社から追い出して、しかもその人たちにお金を配っているのはおかしい。
社会人の勉強時間といった統計データもそうだし、実感としてそう感じる。
僕の職場にはアメリカ人、ドイツ人、中国人、インド人などがいるが、みんな日本人よりも努力している。
うちの職場は最低で修士号、3割くらいは博士号という感じなのだが、大学を出たばかりで入社してきた時点で日本人よりも優秀。
アメリカや中国を出てうちみたいな会社に来るくらいだから、本国ではどちらかといえば落ちこぼれなはずだけど、それでも日本人よりは優秀。
大学には、カリキュラムの内容をもっと最新の研究の動向に合わせて更新していってほしい。
大学の学費や生活費は奨学金でまかなえるとして(そのようにすると僕みたいに大学を出た時点で何百万円もの借金を追うことになるが、それでも高卒で働くよりも裕福になれる)、
高卒で働かないと家族が食っていけないから大学には行かないという人がいるのが滅茶苦茶だ。
そのような親は親としての義務を果たしていないと思う。もしくは、障害などで働けないなら国が障害者年金を支給すべきだ。
そんな貧乏な家庭の子供が大学に進んで努力したいという意思を持っているなら、国はそれを救ってあげないといけないと思う。
国民全員に100億円給付してもらって全員が大富豪になることができればいいのだけど、
あいにくと日本は失われた30年で没落し続けてきたし復活の見込みが無いのだから、
誰にでも無限にばらまく訳にはいかない。努力する人をまずは支援すべきと思う。
ちなみに、努力じゃなくて結果に対して報酬を支払うべきだという話も多いけど、
僕の考えとしては努力と結果の両方に報酬を支払うのが当たり前だと思う。
努力が結果につながるまでは時間がかかるわけで、結果が出るまでの間もインセンティブを与え続けて努力を促してあげないとやる気を無くしてしまう人が社会には多い。
日本は30年後には中国に征服されているだろうし、早くアメリカの永住権を取りたいなあ。
(アメリカが世界中に軍を展開しているのに対し中国は東アジアにのみ注力していればいいのでいずれ中国が優勢に立つし、核兵器を持つ中国に対して日本の自衛隊はほぼ無力なので人民解放軍が東京湾に来て「今日からここは中国の領土だ! 日本人男性は去勢するし日本人女性は漢民族と結婚させる!」と言ったら抵抗できないと思う)
わたしは今年からJKになった食べることがそこそこ好きなただの増田です。
今年からJK、つまり今年からお弁当で、好きな量ご飯が食べられるということになるね。
給食時代は残飯をなくすために理不尽に食べさせられていたおかげで私は胃がでかくなり、小さなお弁当箱では流石に足りなかった。
だから私は女子にしては大きめで、まあ運動部女子なら食べるだろう、くらいの量が入る2段のお弁当箱を買った。なかなかデザインがかっこいい
そしていざ高校でのお昼。驚愕。女子のお弁当箱がサイズ以前に1段ばかり。2段の子でも米が5口で終わるような量しか入っていない。
どうした女子。足りてないだろ絶対。それもう間食レベルだよ。おにぎり一個とかの奴は本当にどうした。ダイエット??
だけど、女子だけならわかった。理解はできる。だけど、今の時代男子も小さいのか。
私より小さくないか?その弁当箱。1段で足りてる?成長期大丈夫?米もっと敷きつめようよ。
中学の時見てきた山盛りの給食を完食する同級生はどこに行ったのだろうか。みんな我慢して食べていたのかな。本当は5口で終わるような量しか食べれないのかな。
弓道なんてやったことなかったけど、今まで運動部ってのに入ったことなかったし、弓道ならそんなに激しくなさそうだし、自分でもついていけそうかなーと思って入った。
初心者の割には上手いって、最初の方は言われてたんだよ。まあ、高校とかで弓道やってた人の方がやっぱり上手いし、試合には出れなかったけど、それなりに楽しく矢を飛ばして遊んでたよ。
でも、ある時から矢がうまく飛ばなくなったんだ。
弓道って、的まで20mくらいあるんだけど、飛ばそう!って思っても2,3m先にぽろって落ちんの。
しかもその時、めいっぱい引いてた弦が顔とかに当たってめちゃくちゃ痛いわけ。ビンタされてるみたいな。
痛いし怖い、でも怖いって思うと余計にうまく飛ばなくなるの。負の連鎖。
部員はみんな的中率ってのが計算されて、高い人から順にリスト化されてんの。もちろん的中率が高い方がすごいってことね。
俺も最初は中の上くらいだったけど、その状態になってからはダントツ最下位よ。
惨めだったねー。自分が所属する集団で底辺になったのって初めてだったな。
それからの俺、その病気みたいなやつ何とか治そうと、人一倍練習したと思う?
しなかったよ。
だって痛いし怖いもん。
逃げたね。ええ、逃げましたとも。
でもね、辞めた日の帰り道の開放感ったらなかったね。
今でも、あの時辞めて正解だったって思うよ。
辛いことからは、逃げようぜ。
面白そうなので私も書いてみようか。東日本の公立学校卒→東大理Ⅰのケース。
・家庭環境
電車は通っている、程度の田舎町。父は高校教諭、母は学校の事務員、同居する伯母は小学校教師。そういう家庭だから学業に対する意識は高かった。
田舎町なので私立小中学校などというものはなく、受験は高校から。
小学校入学前からそれなりに頭は良かった記憶がある。特に算数が得意で、数の理解も早かった。
両親が共働きなので、朝保育所に預けられて、放課後は母の知人が預かってくれていた。この養母のような方には今でも感謝している。
・小学校
選択肢も何もなく近所の市立小学校へ入学。国語算数理科社会はまあオール5。伯母の影響で音楽の成績も良好。体育は3。典型的な頭でっかちで、いじめられっ子になるという定番コース。大人になってから「ごく軽度のADHDだったのでは?」と言われたことがある。
うちの小学校には、4年生になったら全員部活に入ること、という不文律があった。男子はソフトボールかサッカー、女子はミニバスケットボールか合唱、しか選択肢がない。4・5年生の間はなんとか回避していたが、6年生では避けきれずサッカー部に入部。運動が得意じゃなくコミュ障な上に「6年生なのに新入部員」で、部のしきたりも知らずあからさまに浮いていた。今から思えば入るもんじゃなかった、のだが、そういう「自分には向かない世界」を早く知ることができたとも言える。
自宅近くにそろばん塾があったので、小1の時に親の勧めで入塾。かなりさくさくと習熟して、市内の競技会(というものが当時あった)では上位の常連だった。但し、それなりに上達してくると飽きる悪癖があり、塾も徐々にさぼりがちに。小6で辞めた。お山の大将になるのはそれなりに簡単でも、世の中にはもっと上の人がいる、ということを子供心に知らされる。
運動が苦手なことを懸念した父により、同僚が運営に携わっている剣道の同好会へ入門させられる。中3までの間、道場には週2回真面目に通ったが、練習は不真面目で大して上達もせず。
・中学校
選択肢も(ry)市立中学校へ。成績は相変わらず。部活動のバリエーションは増えたが結局のところほぼ全部運動部で、剣道部に入って万年補欠。帰りに学校近くの駄菓子屋でゲームやって帰ってくる生活。
英語塾に行った他には学習塾の類は行かず、自宅での勉強のみ。この頃までは「学校で課された科目」だけ順調にこなしていたと思う。
高校はいわゆる進学校しか考えてなかった。地方の常で、歴史ある県立高校が偏差値的な意味でトップ、私立はすべり止め扱い。模試では毎回トップ争い。
受験はすべり止め無しで本番一発。直前に風邪を引いて親は心配していたが、合格圏内には入った。
・高校
進学校なので、近隣中学校の成績上位クラスが集まってくるため、何でもありな小中学校とはかなり雰囲気が変わる。校風はリベラルで、校長先生もその校風に沿ったユニークな方だった。
部活動は管弦楽部に入部。やっと運動部の呪縛から解き放たれる。管楽器は中学校のブラスバンド経験者が占めているため、素人は必然的に弦楽器担当。ヴァイオリンを弾くことになった。相変わらず不真面目に練習して、東大でもオケに4年間在籍したがその後はぱったり。
2年生で文系・理系のコース分け。私は理系クラスへ。成績は高校でも順調だったが、伸び悩みも出始める。そんな頃に、部活の1学年上の先輩からの勧めでZ会に入会。当時の地方在住高校生で、難関大志望の人は大半が入会していたと思う。教科書レベルを超えた難問・良問で鍛えられた。おかげで授業中は講義はスルー、ひたすら問題集を解くことに集中。部活後に家へ帰って夕飯を食べたら深夜までZ会に取り組む生活が続いた。
科目としては数学と化学は得意で、トータルでは学年トップクラスだったが、物理が苦手で平均点+α程度。これはまずい、と対策…した筈なんだが具体的な中身を思い出せない。結局教科書に沿って、一番最初の力学から復習したんだっけかな? 3年生になる頃までには苦手意識も解消。
中学生の頃からパソコンで遊んでいたので、大学は最初は東工大第5類を考えていたが、周囲からの「行けるなら上行っとけ」というプッシュで東大理Ⅰを目指すことにした。Z会にも東大コースがあるのでそちらを開始。模試は毎回A判定なので、これならいけるかなと。
センター試験の自己採点は720点ぐらいで、足切りはクリアできただろうと。当時の東大入試は、1次と2次の成績が1:4の比で加算されるので、ぶっちゃけ1次は足切りさえクリアできればオーケー、レベル。(理Ⅲは知らん)
2次試験は、前期は東大理Ⅰ、後期は東大理Ⅰの出題形式がちょっと特殊なので、トラディショナルな形式の京大工学部を受験することにした。大学受験も私立すべり止め無しの舐めプ。
初日に、得意な筈の数学で大問6問中1.5問しか解けず「これはやべぇ」と焦る。理Ⅰの合格ラインは2.5〜3問。残りの化学・物理・英語で取り返すしかないので、宿に戻って総復習。幸い2日目は好調で普段よりよく出来た感触。かつて苦手だった物理もきっちり得点源にした。
結果、現役で一発合格。
・その後
地方のお山の大将は、東大生の一部であるスーパーマンを見て我が身の程を知るわけで。いろいろあってどうにか卒業、就職してエンジニアやってます。
生まれて23年経ったが、恥ずかしながらほとんど家庭用ゲームをしたことがない。
ゲームしたら勉強しなくなるから、という父の意見により幼少期はゲームを与えられなかった。我が家は変な宗教に入信しているわけはない。父の独断である。
周りの子達を見ると、やれ家にゲームキューブがある、アドバンスがある、SPがある、PS2がある、PSPがある…
友人達に「混ぜてくれ」といって友達の家に遊びに行ったりしていた。DSが出るまでは。
DSが出ると、友人達はDSを持ち寄り通信対戦で遊んでいた。もちろん私は買ってもらえるはずもない。DS持ってないのになぜかいるやつ、と言われている気分だった。もちろんそんなこと言われてはいない。ただの被害妄想である。そんなことを思っていたため、友人と遊ぶことからも足が遠のいた。
先述したとおりゲーム機は与えられなかった。それなのにパソコンは与えられたので時間があればMMOをするようになった。しかし父はそれすら気に入らなかったようで、ネット環境を制限された。ネット環境のないパソコンなど子どもにとってはただの金属の塊である。
そんな私が何で遊ぶようになったか、トランプだ。外に遊びにも行かず家で一人でトランプで遊んでいる姿は端から見たら精神異常者である。
中学生になったら運動部に所属したこともあり、ゲームから気がそれていたのは幸いだった。
高校生になり、スマホを与えられてしまった。ゲーム実況動画でゲームをしたような気分になった。ソシャゲが楽しかった。
就職後しばらく経って、モンスターハンターワールドが発表された。
あ、PS4買ってみようかな、と思った。遠方にいる友人も買うと言っていた。人生で初めて自分のゲーム機で友達と遊ぶことができる喜びを想像して心が躍った。
家電量販店に行き、緊張しながら「ぴ…PS4ください…」と伝え、念願のゲーム機を手に入れた。手渡された後、掲げて帰りたかったくらいだ。さすがにやらなかったが。
わくわくしながらセッティングをして、コントローラーを握ったときのあの気持ち!幼少期の呪いから解放されたような気分だった。
いざ、モンハンをやってみた。結論からいうとあまり楽しくなかった。というか、ゲーム慣れしていない私が足を引っ張りすぎて申し訳なくなった。もちろん練習した。ゲーム内にあるコマンド表だって見た。トレーニングエリアで一生懸命練習した。
でも実践になると攻撃は当たらないし、友人達はコマンド表にない技をばんばん打っている。弱点属性?が何なのかもよくわからなかった。どこに書いてあるんだ。
結局歴戦キリンで詰んでいる。
ダークソウルができればだいたい何でも心が折れないと聞いて3を買ってみたが深淵の監視者が倒せなくて詰んでいる。もしかしなくても私はゲームが下手なのでは?
そんな折、スマブラSPが発売されると聞いた。
今度こそワイワイ遊べるのでは、と思ったりもしたがどうやらCMで○○参戦!といっている割にキャラを解放しなければ任意のキャラが選べないと聞き、尻込みしてしまう。しかもCPUも強いと聞く。今までのものをプレイしてきた人向けという話まで聞く。実際のところどうなんだ。ゲームがうまくなくて、過去作を触ったことがなくても楽しめそうなのか。教えてくれ。
まさにこれ。
小中とそういう環境で育って来たんだけど、うちは貧乏だったけど親が教育熱心だったから大学に向けて勉強はしていた。
でもサッカーして貰ったりキャッチボールして貰ったりとかは全然なくて、運動部に入ったりとかしても落ちこぼれだった。
まあそれは根性足りなかったのかもしれんが。
高校は公立だけどそれなりのところに行って、ようやく勉強も評価されるようになったけど、やっぱり部活とかで成果出してるやつの方が評価高くて
勉強もいいけど、あくまでサブでやってそこそこ結果出すのが格好いいみたいな。
実際部活も頑張ってて勉強もそこそこやってるやつの方が多かったし。
俺は結局勉強でも中途半端で浪人しちゃったけど、一浪で東大に入れたから、やっぱり人生変わったんだとは思っていて、親にも感謝している。
でも、やっぱりそれまで育った価値観から逃れられてなくて、向いてないのに華やか(?)なサークルに入って、そこでまたちょっと落ちこぼれてたりした。
勉強が一番重要で、それをやってればいい、って信じようとはしているけど信じられない、みたいな。
運動やコミュ力では落ちこぼれなのに、そこで評価してもらいたい自分から逃れられない。
だから、勉強とかキャリアアップに全力に出してるやつにかなわないし、どこかそれは格好悪いとか思っちゃう。
理性ではそれが正しいはずとわかっているのに。
そんなだから、就活も力を入れきれずに失敗して不本意な結果に終わっちゃう。
皮肉な事に、そういう不本意な状態から目を背けて現実逃避してる時が、一番勉強とかが捗る。
結局頑張って転職して現状はけっこう満足いくものになった気がするけど、周りの人の向上心についていける自信がやっぱりない。
頑張らなきゃいけないところ、ちゃんと努力が実を結んだところ、それが分かってても別の場所で受け入れてもらいたかった自分から逃げられない。
ひたすら格好悪い。
山月記の虎よりもなお悪い。
だって“本職”なのに他の運動部に負けちゃったりしたら恥ずかしいし。
かといって1位だったとしても“勝てて当たり前”としか言われないし。
だから体育祭の部活対抗リレーの時は陸上部員は準備係とか審判員とか記録係をやってたんだ。
そもそも部活対抗リレーなんてものは体育祭におけるある種の余興みたいなものだったからね。
運動部は基本、自分らの部活の大会用ユニフォームを纏って出場する。
剣道部は剣道着・袴・防具一式身につけて裸足で全力疾走していた(バトンは竹刀)
柔道部は柔道着で、確か帯をタスキリレーしてたんじゃないかな。
球技の部活は“球”をバトンリレーしてたように記憶しているけど、受け渡し方にそれぞれ特色があった、筈。
バレー部はテークオーバーゾーンでバレーボールをトスしてたし、ラグビー部は後ろにパスを出してたと思う。
サッカー部はドリブルしながら走行する決まりの年もあったけどあまりに不利なので次の年からは普通にボールを抱えながら走ってた。
twitterで「#先生死ぬかも」というタグが流行っているので以前、私の勤務していた地方の私立高校のことを書こう
20年くらい前なのだが就職して寮に入るように言われた、寮とは職員の寮ではなく生徒の寮である
その高校での教員の一日はまず、寮で6:30にワンフロア15人位の点呼を取る、その生徒たちと一緒に草刈りや掃除をする
7:30に生徒と同じ食堂で給食を摂り、校舎に向かう(寮は校舎の隣りにある)、授業をして、部活をする、これは他の学校と同じだ、ただ高校なのだが生徒と一緒の食堂で給食を摂らねばならない
その後18:00に3度めの給食を食堂で摂り、その後はだいたい学校に戻り仕事をするのだが、週に1,2度19:00から寮の生徒と何らかの行事・会議(寮にも学校と同じように委員会がある)をやる
このような生活なので学校の外に出ることがほとんどなかった。行くのはコンビニだけである、しかし、夜にまちがってコンビニで生徒と会おうものなら最悪で夜間に無断外出ということでその処理が始まり収集がつかなくなる
もちろん男子高校生が夜の10時ころ近所のコンビニにいきトラブルになることなどほとんどないのだが、みつけたらそうなるので、近所のコンビニには行かないようにしていた。近くにパチンコ屋とゲームセンターがあってそこに生徒がいると通報が入り、夜、見回りの仕事が増えたこともあった
部活動は希望が通ればいいのだがだいたい通らず、運動部になったので日曜は練習や試合である、(ちなみに私学なので土曜日は授業があった)
よかったのは平日に授業がない日がありその日は学校に行かなくてもよいというルールが有り、少なくとも午前中(午後は残務処理や部活のためだいたい学校に行った)は寮の部屋で寝ていてもよかった、この半日があったから死ななかったのかもしれない
このようなシステムでは本当に死ぬと思い担任になる前に15年ほど前、勤続3年でその学校をやめてしまった(最もその年で寮は出ることになっていたのだが、結婚したら夫婦でまた数年間入らなければいけないという法律を無視した内規があった)
流石に現在はこのような運営はしていないはずだが、ここ数年で現役の教員が3人死んでしまったと学校の関連サイトに載っていた
「給料明細なんてしっかり見たことない」なんて言われて、「あぁ、こいつは金に困ったことないんだ」って羨ましくなっちゃった。あぁ、なんて卑屈なんだろう。
1.集金袋事件
・担任の先生に「締め切りだからお母さんに電話して持ってきてもらって」と言われる。
・先生が呆れて(仕方なく?)迎えにくる
・とりあえず泣く その後教室へ
先生はいつも集金袋のお金立て替えてくれてた。 ありがとう、先生。
2.習い事は1個だけ
周りがピアノだ水泳だ塾だっていうのを羨ましく見てた。 いや、1コでもあるだけマシなんだろうな。きっと。
3.歯並びは悪いけど
・貧乏なので長女は歯科矯正に通わせてもらったけど、次女の私はなし
・次女って損だなと実感。姉が歯科矯正具を無くしたときは滅茶苦茶罵倒した気がする
4.部活動
・それでもなんとか1年がかりで説得して中2でソフトテニス部に入部
5.県立高校1本
6.部活断念
・同じクラスの連中が「あー部活だるい」なんて聞くと本当にいらいらした
7.暇なのでアルバイト
・学費や食費として親に毎月2~3万払う。
・中学生のとき、「高校生になったらバイトして大学の学費少しでも貯める」って思ってたけど、大半親に渡す
・「アルバイト代は全部自分のもの」っていう友人が羨ましかった
8.専門学校
・努力が足りず、奨学生試験で良い結果が出ず・・・入学金+学費60万払えなくて挫折
本当にやりたかったら新聞奨学生でもやって頑張れば良かったけど、兄がそれで失敗したのを見ていたので自分には無理だと諦める。
働いてお金貯めてから3年後に入学しても良かったけど、諦める。結局そこの専門学校に入ることさえも本気になれなかった自分が悪い。
1とか3とか7とか思い出すと涙がぽろぽろ出る。お金がないと惨め。 本当に惨め。
今は結婚して2人で働いてて貯金も出来てるから幸せ。なにより旦那が側にいてくれることが一番の幸せ。
貧乏な親と離れたことで精神的にも楽になったけど、たまに親を思う。生活が大丈夫か心配になる・・・ ダメな親でも血のつながった親はあの2人だけだから・・・
私の子供には絶対貧乏な思いはさせたくない。とりあえず1は絶対させない。それが私の生きる原動力。
SNSでも「やっと買えた」だの「売り切れてた」だのいう投稿をちらほら見かけたりして、さらにそれらに対して「あ〜る懐かしい」とか「自分も買いに行かなくちゃ」なんていうコメントが視界に入ってしまったりもする。
31年(あるいは連載時を振り返れば35年程度)前、俺は今でいうアニメおたくでもちろんマンガにもはまっていた。特に主戦場はサンデーだったので、「あ〜る」も最近ネット人気の高い島本和彦の「炎の転校生」も、それはそれは楽しんでいた。大好きだった。
けれど、周囲の同級生はそんな俺を白眼視していた。間違いなくアニメ好き、マンガ好きはそれだけで軽蔑の対象だった。俺自身、あんまりおたく然とした格好が好きではなかったので見た目にはそれなりに気を使っていたし、部活(運動部)も楽しんでいたので対人コミュニケーションにはさほど支障をきたしてはいなかった。けれど間違いなく、「アニメ好き」という一点は、周囲の人にとって俺を評価する上でのネガティブなポイントだったし、それだけで俺を軽蔑している輩だっていた。「あ〜る」の話なんかできる相手は決まった数人しかおらず、あとの大半の連中はアニメやマンガの話から遠ざかろうとしてばかりだった。
それが今ではまるで全員が昔から「あ〜る」好き、島本和彦好きだったかのように「懐かしい」「やっぱり最高だ」の連呼だ。
嘘をつけ、お前らは当時、俺を蔑んでたじゃないか。テレビの話はしても、DCブランドの話はしても、マンガの話、少なくとも能動的に自ら読まなければ出会うことのないマンガの話なんかしなかったはずだ。
ただ作品に罪はないし、今、それを楽しんでいる人も嘘をついているわけじゃないんだろうと思う。どこかで記憶が都合良くゆがんでいるのかもしれない。けれど、やはり昔のマンガを自分の思い出のように語る同世代人を見かけるたび、当時、俺を陰で嗤っていた連中に対する怒りのようなもやもやは消えてくれない。今、「おもしろい」とか言ってる連中は別に殴らなくてもいい。だから31年前にさかのぼって、過去のそいつらをぶん殴りたい
俺がはずれなのは否定せんが、うちの妹胸とたっぱ無い以外そこらの若夫婦の娘よりスペック高えんだよ
小学生の頃、感情を抑えきれないワガママで暴れん坊だった。
結果、孤立した。
中学生になると、それに加えてエゴと自尊心が肥大化した。ついでに体も。
当たり前だがイジめられて嫌われた。
高校生になった頃に、同郷がほとんどいない高校に進学し、ウェイ化した。
同時に自分からふざけることで笑いを取って結果的に好かれる(様に見えるだけだろうが)人間を目指した。ついでに運動部で鍛えて体を絞った。
小中の嫌われぶりが嘘みたいになった。でもピエロを演じ続けるハメになった。
大学に入ってからもしばらくその路線で頑張った。が、結局抑えきれないエゴが道化師の振る舞いを求められる風潮に我慢できず、色々あって友人を失った。
情緒不安定のメンヘラクソ野郎と化したが故に、不健康なガリガリになった。
今仕事をしている。身の丈に合わないピエロ役も、感情を暴れさせるアンタッチャブルも、自分を苦しめるだけなので、自分を守るために得た手段は感情表現を極力減らす事だった。
当然だが硬い人間と言われた。これなら嫌われない。もちろん好かれもしないけど、またやらかして失うぐらいなら最初からいないほうがいい。
体型はガリガリのままだ。
後輩に「ロボットみたいな人」と言われた。前の自分ならきっと怒り散らしてたかもしれないのに、何も感じなかった。驚くほど穏やかだった。
俺の正解はこれだったんだろうか。失敗して得られた答えと見て良いのだろうか。
その子が入って1年近く経った頃、彼女は時々体調を崩して休んだり、勤務中も具合が悪そうに見えることが増えた。
部活もやっている子だったので、両立できているとはいえ疲れたんじゃない?とみんなは言った。
彼女は外でやるタイプの運動部で、大会シーズンは夏場に真っ赤になった顔で出勤した。
体調を崩しながらも部活は頑張っていたようで、いろんな大会で勝ち進んでいたようだった。
「どっちかっていうと黒くなるタイプなんですけど、赤くなっちゃいました。焼きすぎたのかな?」と彼女は笑った。
焼ける以前よりも彼女はどちらかというと赤ら顔の印象が強かったけど、
夏を過ぎて、シミやそばかすよりも赤みが残ってファンデーションを買い替えた、と言っていた。
彼女は部活を引退し、就職も決まり、シフトを増やしたのか顔を合わせることが増えた。
風邪予防かと思ったら、どうやら長いこと風邪を引いているらしかった。
熱とだるさが続いていると言っていた。
私は医療系の大学で勉強していたので彼女の長引く風邪に違和感を感じていた。
店長にも相談し、親御さんに連絡をしてもらい、休ませて病院に行ってもらうこともしばしばあった。
貧血体質だという彼女は血液検査でも指摘され鉄剤を飲んでいたけど、それ以外は問題がなかったらしい。
そこまでしても問題がないと言うのならこれ以上私がお節介をかけるのもな、
と具合が悪そうな彼女に無理をさせないようにするくらいしか出来なかった。
それから私が就活で退職し2ヶ月が経った頃、バイト先の店長から連絡があった。
彼女が亡くなったらしい。
1ヶ月前から某大病院に入院していたが、悪化が早く亡くなる一週間前から意思の疎通が難しいほど弱っていたという。
診断は全身性エリテマトーデスだった。大学でアホほど勉強させられた疾患だ。
いつ頃から発症していたのかは今更分かることではないし、本当に彼女の体質だったのかもしれない。
でも、10代以降の若い女性に多い疾患なのだ。男女比は1:10とも言われている。
彼女の母親は、あんなに血液検査もしていたのに、抗核抗体検査はやっていなかった、と葬儀で話していた。
今になって思うのだ。
彼女の発熱やだるさといった風邪の症状、貧血、その他諸々は、ひょっとしたらこれのせいだったのではないかと。
彼女の赤ら顔は、SLEの特徴である蝶形紅斑だったのではないかと。
医者ではないからそんな区別はつかないし、医者以外が人に診断まがいのことをしてはいけない。
結果論でしか無いけど、それでも、どこかで気づけなかったのだろうか、早いうちに何か出来なかったのだろうかという後悔が強い。
今でも職場で誰かが体調を崩し「あの子は体が弱いみたいで」とか「私こういう体質みたいで」なんて声を聞く度に、
亡くなった彼女のことを思い出し不安が脳裏をよぎることがある。
SLEは膠原病というジャンルで昔から知られている割に症状から疑いにくいのかな…と自分も含めて思うのだ。
女性は他者の遺伝子を持つ胎児を宿すために、男性とはまた違った免疫のバランスが取られているという。
そのバランスを崩した結果自己に対する免疫を持ってしまうのではないか?故に女性に自己免疫性疾患が多いのではないか?という説があった。