はてなキーワード: 運動部とは
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勉強なんてますますしてやるかボケとなり、母が理想としていた聡明で清楚な娘なんてぶち壊してやった。制服のスカートを短くして、私服も男っぽくして、寄り道買い食い、刈り上げにして、運動部で日焼けしまくって、口も悪くなった。母が嫌いなゲーセンにも内緒で行ってた。さすがに身売りとか夜の街とか借金とか法律に反するとかのやばいことはしなかったが、できる限りで親の理想と反対を行った。
学校の授業は楽しかった。一部の先生は母みたいな上から目線で嫌だったが、大体はみんな優しかった。上から目線でバカにする人はほぼいなかった。私立だったからだろうか。勉強以外で得意なことがあるならそれを伸ばそうという校風だったからだろうか。
そうなってからはカンニングなんて頭になかった。気が付けば追試の数が減っていた。追試になったときも同じ追試仲間と一緒に勉強するのは苦じゃなかった。学校で受けた全国模試では下から数えた方が早かったけど、得意科目は上から数えた方が早かったからそれでいいやと思ってた。小学生の頃は得意科目がよくてもメインの科目ができないといけないと思っていたがそんなんど〜〜〜〜〜でもよくなった。父と夜遅くまで遊び、兄弟と旅行や遊園地に行き、母に強烈に怒られた時は友人が「じゃお泊まりしよっか!」と友人宅に何度もお泊まりした。友人の母も「子供がいっぱい楽し〜!ふぅ〜!」なノリでよく花火をして、焼き肉に連れて行ってもらった。この友人の母は「留年しない程度に勉強すればいいじゃ〜ん。あそぼーぜ!」な考えで、影響されたと思う。
一度高校の頃、地学で満点近いテストを母に見せたが「学校の勉強なんだし当たり前じゃん。しかも地学って笑」と笑われた。それ以外覚えていない。くそな思い出。勉強しろ!とお小遣いで集めていた漫画やアイドルグッズを全部捨てられたときもあったが、それでも勉強なんかしてやるか!となった。
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大学受験期に差し掛かり、母がまた中学受験の時のようにテストの点数点数点数となった時期。入りたくもない塾にいれられ、難しすぎる授業を受けた。宿題・予習の量が尋常じゃなく、難しさも相まって何もわからない。学校の点数も口うるさく聞いてくる。親が金を払っているからさぼる事はしなかった。塾の授業も遅刻せずに真剣に聞くが授業スピードはかっとんでいくのでわからない。
その時の塾の先生は優しかった。すっごく初歩的なことを聞いても「わからないの?」と責めて来ない。しかし優しすぎてずっと何度も質問するのがなんだか申し訳なくなってしまった。
せっかく中学で治ったと思った小学生の頃に身に染みてしまった質問は恥が邪魔して何度も質問に行けず悩んでしまう。
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母は教えてくれない。教えないくせに「こんなの聞いていればわかる」「私はできた」と責めてくる。「あんたはやる気がない」「大金を払っているのに」「私は自力で大学に入った」と武勇伝も出てきて家では口を開けば喧嘩だった。点数点数偏差値偏差値検定検定順位順位ばっかりだった。当時の私の偏差値は34で高校3年でようやくギリギリ英検3級が取れた(一敗している)。バカなのはわかってた。学校のテストは大丈夫だが、受験となるとレベルが違う。全くわからない。
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そんな中、塾で模試を受けたとき、ふと横の人をカンニングしてしまいそうになった。目が横に動いたと意識した瞬間に前に戻した。カンニングという選択肢が常に頭にあることに気が付いた。小学生の頃に常態化していたカンニングが邪魔をしてくる。
それから模試の最中は目の前の答案用紙ではなく、自分との戦いだった。駄目だ駄目だとペンを握る。時間を見ようと顔を上げたときに他の人に目がいってしまう。そして自分を責める。カンニングの文字が頭に浮かんでしまう。結局集中できずに模試が終わる。
自分はこんなにもカンニングがすぐ思い浮かぶ人間だったのか。最低だ。でも点数が悪いと怒られる。否定される。もう親は自分に関係ない!と言い聞かせても思い出すのはあの冷ややかな目。「あ、今から怒るな」とわかる表情。思い出すだけで耳が痛くなる甲高い声。早くこの受験戦争から脱しないとカンニングをしてしまう。絶対にしてしまう。早く脱したい。でもどうやって脱するんだ。だめだ、だめだ、だめだ、と模試を受けるのが怖くなった。その後も模試を受けたがカンニングしては駄目だという戦いをしていたことしか思い出せない。いつも終わった後はお腹が痛かった。
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勉強してカンニングしないようにすればいいと勉強しても「カンニングしちゃえば楽なのに」と悪魔のささやきが頭にこだまする。勉強しても頭に入らない。覚えられない。勉強していると何故か頭が痛い。喉が苦しい。お腹に激痛が走る。自習室にいるのに母に怒られてしまうと怯える。母の視線が怖い。怒っていない時でも怒っているんだと毎日思う。あの耳が裂ける金切り声でキレてくる。突然来る。負けないぞと立ち向かおうとする。でも朝「おはよう」とあいさつするのも精いっぱいだった。「おはよう」から何に転じて怒られるかわからない。同じ屋根の下というだけで朝から晩まで、いや寝て意識が飛ぶまで怯えていた。「おはよう、そういえば模試の結果まだ届いていないの?」と言われるのではないか?「おかえり、今度テストだよね?」と言われるのではないか?眠くなって自室に戻ろうとすると「受験生なのにこんな早く寝るの?!」と怒鳴られることがある。母の気分次第だ。
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そんな時、行きたいなと思った大学のAO入試を知った。自分は勉強と指定校推薦は無理だったので早急にAO入試にシフトした。論文と面接は楽しかった。自分の考えを丁寧に文と言葉として落とせばいいので、公式を覚えなくていい。面接も自分の会話ペースに引き込んで、延長するくらいには自信があった。
大学は有名どころに受かったので母は喜んでいた。「あんたはしゃべりがうまいからね!」とドやっていた。「何自分手柄にしてんだよくそが」と反抗期真っ只中の私はキレていた。今までさんざん「勉強できないあんたは大学なんか行けない。受験を舐めている」と言っていたくせに都合のいいやつと思っていた。私が成人した現在は「あの中学に行かせてよかった」とほざいている。お前のせいでカンニングしたという過去が存在しているのになと時たま思い出してしまう。
受かった後に、とある大学入試を本気で真面目に解いて、マーク試験なのに200満点中18点だった時は父は大爆笑、母は呆れていた。「択一式なのにwwwwwま、真面目にといて?wwwある意味天才だwwww」といった父の言葉。なんだかその時に呪縛が解かれた気がした。
母は既に大学に受かっているという体があったから呆れで済んでいたと思う。それか父と兄弟がその点数で大爆笑していたからか。怒られなかった。
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AO入試を受けさせてくれた母には感謝している。大人になってから聞くと「AO入試なら受かると思った」と。「お前にとりえなんてない。おしゃべりがうるさい子。反抗期長すぎて親を何だと思っている」とキレていたくせに。母には感謝している部分とぶん殴りたくなる部分がある。
中学受験についても感謝している。受験させてくれたことには。小学生の終わりかけのころはいじめられていて、近所の公立に行ったらそのままいじめられ続けていたと思う。受験で救われることもあったから、受験を完全なる悪だとは思わない。むしろ受験をして出会えた素敵な人たちがたくさんいる。
当時、いじめられていると母に言ったら「あんたが弱弱しくするからだよ。勉強で見返せば?」と助けてくれなかったので、ま、いじめで受験させたのではなく、母の自己満だろう。それでも私は良かった。複雑な感情だ。
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大学生時代の時は授業と勉強が楽しすぎて単位上限を超えたので聴講もしてずっと大学にいた。
そして検定を好んで受けた時、カンニングを意識することはなかった。自分のペースで勉強するのは楽しい。誰にも怒られず、自由に勉強して好きに試験を受けるのは楽しいので、カンニングなんて微塵も思わない。試験が楽しくて試験中は解くのに夢中になっている。落ちたって「あちゃー」と自己責任で終わるからプレッシャーもない。
検定で〇級受かったと母にいうと「まだその級なの」とバカにしてくる。そんなもんだ。
勉強以外では仲良くしている。受験も就活も終わったからか母は丸くなった。怒らなくなったが、勉強の話になるとこんな感じだ。
社会人の今は帰りに図書館に寄って気象の勉強をしている。今度は地震の勉強でもしようと思う。
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カンニングしたというニュースを見るとカンニングをした子が心配になる。ニュースだから家庭環境は知る由もないけど、気になってしまう。カンニングをしてバレてしまい、退学、そして親から怒られるのだろう。思春期に親から怒られるあの形容しがたい恐怖と不安は自死すら考えてしまうだろう。詳細は分からないが、「この子がカンニングした理由が私と同じならかわいそうだな」と思う。カンニングは悪いことだ。悪いことだという大前提での話だ。金銭の取引をしているようなカンニングは知らん。
ましてやカンニングで責められて自殺、親が学校を訴えるなんて察するものがある。なんで子供がカンニングしたのか親はわかっているのだろうか。(処分の内容は一旦置いといて)
出来心だったとしても何でカンニングという行為をしてしまったのか。いじめとか、学校側がカンニングを仕向けて嵌めたのなら訴えるのはわかるが、そうでないのなら親がどんな思想で訴えたのか、何となくわかってしまう。子供の心情を察する。
定期的に話題に上がる教育虐待を受けて親を殺してしまった女性までは酷くないとはして、テストの点数によって怒鳴られ・責められる子はたくさんいるのだろう。バレていないだけでカンニングをしている子もいるだろう。
それを思うだけで辛くなる。私も反抗期がこなかったらカンニングを続けていたかもしれない。親に逆らえない性格だったらと思う事がある。勉強以外を認めてくれる人に出会わなかったらどうなっていたか。父、祖母や兄弟も私を勉強でいじめはしなかったという家庭環境も助かったと思う。
カンニングをする子は本人の意識の問題もあるかもしれないが、環境も強い気がする。カンニングが悪だとはわかっているが、少しでも点数を良くしないといけない事情がどこかにあるのではないかと思ってしまう。私はモラル<親の優先順位になっていた。悪だと思ってもやらなければいけない。そんな環境があるのだろう。
点数を気にしない人と出会うしかない。そんな環境にしないと抜け出せない。どうにかしてその環境から逃げ道を見つけてほしいと思う。カンニングをしてしまった事実を消すことはできないが、その子がカンニングを続けないという選択肢を選べる環境になってくれ。そう願うばかりだ。
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カンニングした人、ごめんなさい。カンニングした私は最低です。カンニングだと気が付かずに点数を付けてくれた先生たち、ごめんなさい。
今は勉強をすることが苦ではないです。大学に入ってから勉強が楽しくて仕方が無いです。だから昔の分、大学生から今まで勉強しています。カンニングなんて、ニュースを見なかったら思い出さないくらいには存在を忘れています。今は勉強が楽しいです。自由に、好きに、勉強できるのが楽しいです。
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キラキラした仕事に挑戦してもいいし、公務員やってみてクソ溜めだから辞めますってしてもいいし、バイトで食いつないで夢追してもいいし、とにかく35までなら人生は色々と出来る。
逆に言えば、その時期までしか人生って軌道修正が効かないんだよね。
もっと言えば、そんな時期になにか出来なかった奴は何者にもなれない人生を歩むしかない。
学生時代の頃は「テスト勉強が忙しいから」と言い訳出来たし、社会人になりたての頃は「とりあえず生活と仕事を安定させる」と言えた。
ないなら作ろうとすることが出来た時期が。
28~33ぐらいの5年間程度だけかも知れないけど、結果を出してる人はそれぐらいの時期にちゃんと積み上げるものを積み上げて勝負してる。
学生時代からバリバリやってましたってタイプは天才だから比較しても仕方ないにしても、社会人になってからも「眼の前の仕事が忙しいから」で言い訳し続けてるうちに秀才たちに追い抜かれていくのはちょっとどうしようもない。
35から先の人生って肉体的なトラブルが急増するのと、マネジメント的な立場を仕事で求められやすくなる以外はあんまり30~35までの人生の焼き増しになりがちなんだよね。
30~35までの間にやってたことをあと5回ぐらい繰り返して定年を迎えて、そっからは体の自由が効かなすぎてもう老後モードの人生しか送れない。
つまりさ、30~35までの間にやってたことがほぼ0に等しいことは、そのあとの30年間においても結局0に等しいんだよ。
「俺はいつか作家になるんだぜ!カクヨムに投稿したことさえないけどな!」みたいな奴はその後の30年かけてもカクヨムに1作も投稿せずに終わるだろう。
「俺はいつか凄いプログラマーになるんだぜ!今は仕事が忙しくて土日は家事やって寝るだけで勉強してないけど!」みたいな奴はその後の30年も土日は寝て過ごして後輩にドンドン追い抜かれる窓際コーダーになるだろう。
自分の頭の中だけにあったフワフワした人生設計と、実際に自分が歩んでいる人生の差、それに対して言い訳が出来なくなるのが35辺りなんだよ。
それこそ30ぐらいだったら「もうこなったら飛び込んでいくしかない!業界の中の最も熱気のある場所に入ってそこで日々火の車になることで自分を鍛える!」みたいなレールに乗り移るチャンスも0じゃない。
でも35になるとそういう道に進もうにも過去実績が少なすぎるともう無理になる。
学生時代のように「まあ俺もそのうちガチるし。なんか2組の増田は今からガチってるらしいけど、まずは受験勉強優先じゃね?」とやってない自分に対して言い訳をしてる時間なんてもうなくなっているという現実と立ち向かうことになるのが35歳。
35歳になったら狂うんじゃなくて、元々人生設計が狂っていたことが確定事項だって認めるしかなくなるのが35なんだよ。
トレーニングなんてもうずっとやってない元運動部が「暇な部署に移ったらめっちゃトレーニングやり直してそれからプロ試験受けてみるんだ」とかフワフワした人生設計してたことに対して「いやこの年ではもう無理でしょ?」ってのと向き合う年齢だ。
あとから入るのが簡単そうな業界だって、35まで本当に何もやってこなかった奴なんて調べてみれば全然いない。
表に出てくるのに時間がかかった人でも下積みを始めてきたのは20代の頃からだ。
そういった人達が結果を出すまでに積み上げた時間に数字だけでも追いつこうとしても、35までロクに何もやってこなかった奴のペースでは100歳までかかっても追いつけないという現実にふと気づく年齢が35歳だ。
頭の中に漠然とあったスーパーな自分が歩もうとしていたペースと、実際にリアルな自分が歩んできたペースの違いがあまりにも大きすぎると気づくのが35歳。
突然に狂い出すんじゃなくて、最初から狂った予定を立てていたということを認めるしか無くなるのが35歳だ。
そして狂った予定を立てていた人間ってのは自分に対して「いつか人生めっちゃ上手くいくから頑張ろうぜ」という誓約をたてていたりする。
でもそんなのは大嘘で、目先の欲に流されたり日常に苦しんだりして必死にジタバタ生きるだけの毎日が今後も50年続くのが目に見えてくる。
自分で自分に嘘をついていたことを認めるしかなくなり、自分に裏切られた自分が悲しみと怒りと情けなさとどうしようもなさでグチャグチャになっていく。
それを「35歳から狂いだす」と呼ぶ人がいるんだろうけど、そうじゃない。
「とっくに狂っていたことから逃げ切れなくなるのが35歳から」ってことだ。
始めから狂っていたくせにさも「何もしてないのにいきなり人生が壊れた」みたいに言い出すのは違うだろ。
周りを見てみれば分かるが、狂ってない人達は最初から自分の人生に大層なものなんて求めて来なかったんだぞ。
ただ生きて、チキンラーメン程度の美味さの物を食って、たまにハーゲンダッツぐらいのものを食って、毎日ちゃんとお湯張った風呂入れて、ニトリのベッドで寝て、Switchのゲームでもやって、それで十分だと割り切ればいいだけだぞ。
俺は凄いやつでいつか凄いことが出来て、学生時代に俺を見下した同級生を見返してやるし、一人だけ賞を取って別世界に行った友人にだって追いついてやるんだみたいなこと考えなくて良いんだぞ。
中学校の体育は男女別で先生も異なり、それは保健分野もそうだった。私が中3の頃の担当は男性で、30人の女子生徒の前で性教育の授業がされた。先生は運動部の顧問をしていて普段はハキハキ、生徒指導もビシバシタイプだったが、その日は中学生の目でもわかるくらい様子がいつもと違っていた。声がなんか途切れ途切れだし。別に聞きたくない先生の妻との性事情なんかも口が滑った感じで話していて、それがすごい印象に残っている。
当時を思い返すと、めちゃくちゃ先生頑張ったんだろうなと思う。尊敬している。いま先生やってる人が子どものころは性教育ってもっと隠されたものだっただろうし。恥ずかしがる必要はないとはわかっていても30代男性が中学生女子に性教育をするとなった時、ひとつ間違えたらセクハラ教師の烙印を押されそうなものだものな…。(そういう冷やかしをなくすためにも教育が必要なワケだが)
おおよそ保健体育の先生は、スポーツ教育への関心が高い人で、保健分野が教えたくて…ということを第一に挙げる人は少ないのではないかと思う。そういう意味では体育科の人も大変だなと思う。子どもによって持ってる知識も意識もまちまちだしなー。難しいね。
俺はクラスメートから拍手で迎えられ、相手のクラスは止められなかった奴をなじりまくって教師にそういうのはシップじゃないからやめろと怒られていた。
運動はできる方じゃなくて、今考えるとあれはアシストしてくれた運動部が優秀だったおかげだろうし、外してたらボッコボコにされてたのは俺の方だったんだと思う。
あの日ぐらいだ。
戦争で人を殺したのをいい思い出と語る人も同じなんだと思う。
負かした相手の悔しそうな顔なんてクラスの誰も気にしてなかった。
撃ち殺した相手の人生についてもきっと同じように、無関係のことになるんだろう。
政府の高官や上官同士が「殺し合いをしろ」と互いに命令したなら、それは単にフェアな殺し合いだ。
負けたら死ぬし、負かした相手は殺してしまうという違いはあるが、それは自分たちと違う所で決まったルールだ。
「戦争で敵を殺したい」と語る人は、それで褒められたいんだと思う。
仲間から「よくやった!」「守ってくれてありがとう!」「勝利に近づいた!」って。
それをしても褒められないから。
それで褒めてもらえるから。
俺にはわかるってばよ。
俺も、認めてもらえるならなんだってやれてしまうんじゃないかって思う瞬間がある。
誰かの「凄い」がないと、生きてもいいとさえ思えなくなるときがあるんだ。
ネズミ講がカモを沢山釣ったら世間の倫理観は置いといてエリート扱いされるようなシンプルさがある。
そういう気持ち、分かるよ。
雨に因んだ名前の、水に濡れても綺麗な奴が。
しかしながら、諸事情により転校していた小学5年の時と、中学3年のとある大会の時にそれぞれ会って会話はしており、それなりに過去イベントは存在していた。
さらに、蓋を開けてみれば席は前と後ろ。入った部活も一緒。しかもその女も俺同様筋金入りのオタクと来たもんだ。
こんな『はよ付き合え』と神に急かされているようなラブコメ展開。クラスメイトにも早く付き合えと言われる日々。
おそらく、それまでまともな恋愛をしたことの無い清潔感皆無ガリ勉コミュ障オタクだったことで、変にリアル女子の理想が高まってしまい。
『別に付き合っても良いけど、コイツに恋したらなんか負けた気がする』―――なんて、イタいオタク特有のしょうもない考えに至ってしまったのである。
そのせいで、ズルズルと時は過ぎていき。
高2で垢抜けて、今ではピアスやファッションを好む中の中くらいの男にはなったのに。
女をナンパすることも増え、端から見ればモテるように見えるはずなのに。
名門大学に入って、来年からは高収入が約束された職業になれそうなのに。
ソイツと、何度かデートを重ねているのに。
ソイツと、何度も夜に語り合っているのに。
何なら自宅デートまでやっているのに。
『あんたのこと、男として考えたことないや』なんて言われたことを思い出し、また涙で枕を濡らす。
残念ながら、この世界はそう都合良くできていない。
顔が悪けりゃ馬鹿にされるし、まともに会話ができなきゃ迫害される。
運動部じゃなきゃカーストは低いし、オタクだったら取り敢えず引かれる。
巷に溢れる創作物は、やれ『底辺の俺が美少女に恋される』だの、『急に美少女姉妹を助けてモテモテになる』だの、『コミュ障だけど実は愛されて』だの、都合の良い展開に持っていきがちだ。
確かに、それは一瞬の慰めにはなるだろう。脳内で平面世界の美少女とセックスに励むのもある意味一興かもしれない。
しかしながら、それらは実を反映しているのだろうか?
結局、我々コミュ障は、不断の努力を重ねてもそう簡単に美少女ヒロインと結ばれることは無いのではないか?
オタクの培養地で無菌栽培された我々は、まともな恋愛の酸いも甘いも知らず、15か18で戦場へと駆り出される。
一般の人生を歩んでる奴らが早くて10歳で恋愛を始めることを考えると、5年程度の差だ。
しかしながら、青春という期限がある世界において、この5年の差はあまりにも致命的で。
俺らがアニメを模倣した無菌的な恋をしている間に、他の奴らはキスをし、ゴムを外し、常在菌を交換しあっているのである。
そして、その恋愛戦争に負けた男達は、その果たせなかったリピドーを盲目系ラブコメの創作へと費やし、自慰行為に励む。
その結果、また新たな純粋培養オタクが誕生し、恋愛市場に淘汰され、オタクの理想を具現化したラブコメへと吸い込まれていく。
そんなふうに文句を言う俺は、自分も輪廻から抜け出せないことから目を背けながら、今日も女を口説く。
「自分だけはもうコミュ障オタクの無限ループから解脱した。だから女を口説けるし、本気を出せばアイツを落とせる」なんて思いながら。
1.子供の頃、家の中で遊ぶことが多く、外で遊ぶ(運動を)ことをしていなかった。
単純にただ走ったり、自転車に長時間乗る、などの行為で改善される場合が多い。
子供時代から極端に運動が不足=運動に関わる神経や脳細胞が発達していない人
などは大人になってからの運動でいわゆる運動神経を成長させることが出来る。
人間の運動に関わる能力と空間把握能は深く関わっていて、一般に運動神経を発達させるほど空間に関する認識も向上する。
これはもちろん元々のプリセット能力によって変化するものなので子供の頃から外遊びをしないような人でも空間把握に優れた人がいる。
また、その逆も真である。
しかしながら、上述の三項目を満たすような人ならば、運動神経の発達により改善する場合もあるのでワンチャンある。
ただ、極端に運動不足な人が運動神経を発達させるにはかなりの運動時間を取らなければならないと推定される。
週末に1時間程度、走るくらいでは全く足りないはずだ。
偏差値40の私文から、業界最大手 就活生からの人気ランキング10位に入ったり入らなかったりする企業にいわゆる逆転内定した
なぜ逆転内定したか書くけど、たぶんあんまり参考にならないと思う 再現性はあるけどタイパコスパ最悪
自分のスペック 偏差値40文学部ギリFラン 女 身だしなみに気を使うが可愛くはない 157センチ58キロなので痩せてもいない オタク 部活は漫研
同期はどいつもこいつもいわゆる陽キャ 早慶上智みたいな私大トップばっかり 体感8割は運動部(全員の前で自己紹介する機会があって運動部ばっかだった)
そんな自分がなぜ内定できたかというと、大学時代に交換留学に行ったから
一応コロナ禍の留学だからその点をゴリ押しした。 それでも他の企業かなり落とされたけど(ESは比較的通る)
自分の中で、なぜ内定が取れたのかと考えた時、留学したことが一番の理由だとは思う。 でも就活だけを考えた時コスパもタイパも悪すぎる。
それでも留学に行ったおかげでESやガクチカで何か話すことに困ったことはなかった。
他にも文化系サークルの部長やってたけど留学のほうが圧倒的にウケが良い
何も考えなくてもとりあえず半年いけば必ず何らかしらの苦労はするので、手段は選ばない、ガクチカで話すことが欲しい人にはおすすめかもしれない。
余談だが、交換留学を考えた時Fラン進学のメリットが存在する。
上昇志向の人があんまりいないので、留学に行きたい人が少なくて応募すればいける確率が高い。他の有名大学だと競争が激しいけど、自分のとこは三人の枠に一人もいないとかザラだった
・語学などの条件が緩い
トイック何点からとかの縛りがない。 マイナーな言語になるとほぼ無条件 一言も喋れなくても可だった
名門の交換先は名門だけど、Fランだと現地のよくわからない僻地の大学にとばされたりする。
ただ交換留学は学費は日本の学費料でいいし、公式の大学からの留学だからまあまあ手厚いサポートが受けられる。
体感だけど留学の解像度が高い企業では語学留学か交換留学か聞いてくるところもあった(交換留学の方が評価高い)
さっきコスパタイパ最悪言ったけど、手段は選ばない人はおすすめ。
わたしは一浪して全落ちしかけてなんとか今の大学に拾ってもらって、大学時代は失敗を取り戻そうとして奮起した。
就活では何とか逆転したかったから留学に行けてよかったと思ってる
あと女子は就活だけ考えるなら女子大がおすすめ 終活関連のサポートがかなり手厚いし、偏差値の割には名前の通っている大学が多い。 (東京限定かもしれないが)
なんかFランで留学するメリットを多く語ってしまったが、結局大手内定欲しいなら大学で無理やり運動系サークルに入るのがコスパ良いと思う。それでES適当に盛って、面接の練習してそのいっときだけでもアクティブで明るい人間だと人事に思わせる。
そして3年生から就活を順当に努力してたらどっかの大手には内定出る
最後に背伸びして逆転内定したけど同期とは気が合わなくて、誰とも連絡先を交換しない研修という名の地獄を過ごしたので就活生は内定先はきちんと考えた方が良いよ